機動戦士ガンダム0153 〜翡翠の翼〜

   第七章 幕間


 UC153 5月 27日 月軌道上 

 サイド2領域から離れた月軌道上。そこを航行し、月方面を目指す二隻の艦艇。巡洋艦エアと、レオノラは、
サイド2領域付近でジェスタの乗ったセカンドVを放出した後、サイド2領域をぎりぎり掠めるコースをたどっ
てからサイド2からの離脱コースを取り、月への帰還の準備を始めていた。無論、偵察に出たジェスタのセカ
ンドVを待ちながら、である。

 ジェスタが出撃して以来、ぴりぴりとした空気に包まれていた二隻の艦艇は、合流エリアにたどり着いても
なかなか到着しないセカンドVに皆最悪の予想を払拭することが出来ず、その空気は最悪といってもよかった。

 だから、26日から27日に日付が変わる寸前。エアのレーダーが近づいてくるものを捕らえた途端、全艦が一
斉にざわついた。ジェスタが帰還した、と誰もが思ったからである。しかし、それを艦に備え付けられている
望遠カメラで捕らえたがはっきりとその姿を認識できなかった。それがもどかしかったが、どこに人の目が、
耳があるのかが分からないためあいにく呼びかけるわけにもいかないので、仕方なく警戒しながらじっと近寄
ってくるのを待ち続けるしかなかった。そしてその接近するもの。コアファイターから通信が入った瞬間。エ
アのブリッジは歓声に包まれた。

 それはブリッジだけではなく、両艦のすべてのクルーに伝わると同時に、まるでお祭り騒ぎのように大喜び
し、コアファイターが着艦体勢に入ったときにはエアのモビルスーツデッキにはエアで待機中のパイロットや
整備士。そのほか手の空いたクルーたちが詰め寄る有様だった。そして、レオノラもまたエアに接弦するほど
の距離まで接近し、ジェスタの帰還を祝ったのだった。

 当然、コアファイターが着艦し、そのキャノピーがあくと同時にパイロットや整備士が機体に殺到。その時、
顔をのぞかせたジェスタに、一番槍で見事な飛び蹴りを食らわしたのは、やはりと言うか。マジクであった。

 その後パイロット連中に袋叩きにされ、口々に「よくやった」「運のいい奴だ」「たいしたもんだ」などと
いわれ、気がついたころにはかなりずたぼろにされていた。

 そして最後にライアンが出てきて、一言。

「まあ、よくやったな。とりあえずゆっくりと休め」

 と、言われた。それにジェスタは顔を微妙に引きつらせながらも笑顔になり、

「そうですね。でも、その前にまともな食べ物が食べたいです」

 そう答えると、その場にいたもの全員が大爆笑した。特にパイロットたちは、戦闘食に使われるあのゼリー
の味気なさをよく知っているので正直かなり深刻で笑えない話だったが、それでもその言葉で「生きている」
実感がわいたので、皆それを笑って流したのだった。

 しかしその中で、やはり笑えないものもいる。特に、かなりぼろぼろになっているコアファイターを厳しい
目で見上げる整備士たちは、ただでさえ試作機であるこの機体の、損傷した状態を見てやはり「よくもってく
れた」と安堵の息を漏らすと同時に、この機体を整備することに少し気が重くなるのであった。

 そんな整備士たちの様子に気づいたジェスタは、若干顔を引きつらせて整備士たちのところに行き、

「あの。機体の整備が万全だったおかげで生き残ることが出来ました。ありがとうございました」

「いや。こっちとしてもあんな任務から生還してくれりゃ整備士冥利に尽きるわな」

「そうそう。まったく、よく生きて帰れたもんだ」

 これからこの機体の整備を考えると若干気が重いものの、それでもやはり。自分たちが預けた機体で生還す
ればうれしいのが、整備士というものだ。

「えーと。それでですね。この機体のミノフスキードライブのリミッター。カットしちゃったんですけど。大丈夫でしょうか」

 恐る恐るいうと、その言葉に整備士たちが皆顔を引きつらせた。が、その中でニケだけは軽くため息をつき、
笑顔になってこういった。

「何言ってるの。やばかったらカットしなさいっていったでしょ? まあ、そのせいでこいつはガタがきたみたいだけど」

 後方のコアファイターを見上げてそういうニケ。その言葉に顔面蒼白になるジェスタ。ガタがきた、と言う
言葉にまさか、この機体に二度と乗れないんじゃないか、と思ったのである。しかし、ニケはそんなジェスタ
の顔を見て笑い飛ばした。

「安心しなよ。しばらくは乗れないだけよ。補充部品はあるから、それで何とかなるもの。ただ、オーバーホ
ールの必要はあるけどね」

 そう笑い飛ばすニケに、安堵するジェスタだが今の一言整備士にとってはかなりきついものである。なので、
ジェスタとは反対に整備士たちの顔は見事なまでに沈んでいた。その様子に、ジェスタは頭を下げて、

「すみません。こいつを、よろしくお願いします」

 そういうと、皆仕方がないな、と言う風に肩をすくめて見せた。生きて帰ってきたことが、彼らにとってそ
の後の苦労を帳消しにする対価になった、と言うことであろう。

 とりあえず、ジェスタの生還でハルシオン隊全体が活気づいたのはいうまでもない。そして、ジェスタを回
収した二隻の巡洋艦はセカンドVの回収したデータを持って月への帰還コースを取ったのである。


 UC153 5月 28日 月軌道上 

 二隻の艦がサイド2領域を離れ、月方面に向けて航行している最中に、その情報は入った。その情報がもたら
されると同時に、両艦のクルーたちの顔に苛立ちにも似た色が浮かんだ。予想は出来ていた。すでにその予兆
はあったのだから。しかし、実際にその事実を突きつけられると、不愉快な気分は消えることは、ない。

「やはり締結されたか。おおよそ予想通りに、な」

 ブリッジでその知らせを。地球連邦政府とザンスカール帝国間の休戦協定の締結の報告を受けたライアンは、
そのいかつい顔を揺るがすことなくそう答えた。顔色こそ変わってはいなくとも、やはりその内心ははらわた
が煮えくり返る思いである。

「まったく。連邦政府の考えなしには恐れ入るな。ザンスカールの休戦協定を真に受けるとは。……例の要塞。
エンジェル・ハイロゥは間違いなく、攻撃兵器の一種なんだろう?」

「詳細は不明だがな。セカンドVのデータを見る限りでは移動要塞と言う感じではないようだが、内部にミノ
フスキードライブの存在も確認している。大型のブロック単位での自律航行が可能らしいが……」

 ハサンの言葉にそう答えるライアン。セカンドVから引き上げたデータは彼らにとってはわけのわからない
代物ばかりだった。常識的な戦術、戦略的思考から逸脱した兵器。その程度にしか認識できないのである。

「しかし、気になるのがこのサイコミュらしいパーツと反応か。……やはり、ジェスタを行かせて正解だったか?」

「そのようだ」

 ライアンはそう頷くも、やはり年若い部下を絶望的な死地に赴かせたことへの自己嫌悪は濃くなることはあ
っても、薄れることはない。そんな古いなじみのわかりにくい苦悩の表情を見て、ハサンは苦笑した。どうも
この男は責任感が強すぎるようだ。ジェスタが出撃して以降。何も言わなかったが、その内心は誰よりも焦燥
し、責任感に押しつぶされそうだった。もし、ジェスタが命を落としていたら、遺族の前で腹でも切っていた
かもしれないな、とハサンはそんなことを考えた。まあ、その場合はニケが殴り倒して止めるだろうが。

「しかし気にいらんな。これではみすみすこいつを、エンジェル・ハイロゥ完成の時間をくれてやったようなもんだ」

「だが、このデータをくれてやれば、連邦の艦隊も動くだろう。聞けば、ムバラクのジャンヌ・ダルク艦隊が
動くらしいじゃないか」

「それもどこまで当てになるか。連邦軍の正式な辞令で動くのではなく、あくまでムバラクの独断だろう? 
バグレ隊やブラボー隊よりは多く動くだろうが、それでもズガン艦隊、タシロ艦隊、モトラッド艦隊の連合艦
隊に対抗できるほど集まるかどうかは、正直微妙だろう」

「む」

 そのハサンの発言にライアンは困った顔をした。ズガン率いる第一艦隊。タシロ率いる第三艦隊と、クロノ
クル率いるモトラッド艦隊。艦だけでもかなりの数に及ぶ上、ベスパは厄介なモビルスーツを多数保有してい
る。それを考えるとやはり、頭が痛い。特にこれまでの連邦軍の無様な姿を思えば。

「まあ、とりあえずは月に戻らんとな。そこでおそらく、連邦の艦隊と合流することになるだろう。主導権は
向こうに行くことになるから、我々は軍属になる可能性もあるがな」

「ぞっとせん話だ」

 そういいあって、二人は笑いあう。連邦の尻を叩いて動かした形になるリガ・ミリティアではあるが、本質
的にはリガ・ミリティアは連邦政府ともある程度敵対的な姿勢をとる組織なのだから、冗談のように言ってい
るこの会話もあながち嘘と言うわけでもない。とはいえ、当面の敵であるザンスカールと戦うために連邦軍と
協力することに関しては吝かではないのだが。

「とにかく休戦協定が結ばれたからにはしばらくはこちらからも動くわけには行かなくなったわけだが」

「確かにな。うかつには動けん。もっとも、期限付きの休戦協定だからな。問題はいつまで持つかだが」

 ハサンとライアンは互いにそういいあって難しい顔をした。今回ザンスカールと連邦政府の間に結ばれた休
戦協定はあくまでもかりそめのものである。故に、それには期限がついているのだが、それははっきりと明記
されているわけではない。しかし、それがそう長いものではないことくらいは理解している。

「どちらにせよ、もうすぐ戦争は終わる、と言うことだ」

「次が決戦、と言うわけだな」

 どちらともなく、ブリッジの窓から見える宇宙を見ながら呟く。リガ・ミリティアが発足し、その活動に身
を投じてからかなりの時間が過ぎた。実戦部隊の人間としては、ライアンはもっとも古参だし、その支援活動
をしていたハサンも、リガ・ミリティアの黎明期から参加している古株である。そんな二人にとって、リガ・
ミリティアと言う組織にとって一つの区切りになるであろう対ザンスカール戦争の最終局面への移行は、ひど
く感慨深いものであった。

 ライアンは何も言わなかったが、もう。戦後を考える時期が来ているのかもしれない、と思った。戦後を迎
えて、生き残り。自分はどうするのだろうか。しばし考えて、ふ、と口元に笑みを浮かべた。それを見てハサ
ンが気味の悪そうな視線をライアンに向ける。

「どうした。変な目で人を見て」

「なに。スケベ面して笑ったから気味が悪かっただけだ」

「お前に言われたくないぞ、ハサン。スケベ中年の癖に」

「やかましい。嫁さんいるくせにいろんな女に色目を使っているくせにえらそうに言うな」

「人聞きの悪い事を言うな。誰がそんなおっかないことを」

「へえ、そりゃどういう意味なんだか」

「決まっている。浮気をした日には、そうだな。千切られて、潰される。間違いなくな」

「当たり前よね。浮気は厳罰を持って処する。それが、鉄の掟」

「そう。鉄の掟。……ニケ。お前、何でここに」

 ハサンと口喧嘩をしていたはずなのに、いつの間にか後ろにやってきていたニケと夫婦漫才まがいのやり取
りをしていたことに気づき、ライアンは冷や汗をかきながら後ろを見た。そこに、めちゃくちゃいい笑顔をし
たニケがいる。死ぬほど怖かった。

「あんたに報告しに来たんだけどね。チーフメカニックとしてね」

「ほ。ほう。そうか。それで何の報告だ?」

「セカンドV。やっぱ、オーバーホール始めたんだけどね。これが思った以上に面倒で、てこずりそうなのよ。
で、しばらく戦闘には出せないって」

「それなら心配は無用だ。ザンスカールと連邦政府との間に暫定休戦協定が締結された。戦いたくとも、戦え
んよ。今は、我々の立場も微妙だからな」

 連邦軍と足並みをそろえていきたい現在、勝手に動くわけにはいかないのだ。アピールのために戦っていた
以前とは、立場も目的も変わってきている。それが、面倒であったが、いよいよ大詰めを迎えている証拠でも
ある。

「休戦? あいつら。休戦だなんて……地球でアレだけ無茶して、あんな要塞築いてるのに?」

 ライアンの言葉を聞き、呆れたように言うニケ。地球に下りたモトラッド艦隊が、海底都市アンダーフック
を崩壊させ、さらに北米大陸を蹂躙した事実は記憶に新しい。おまけに、宇宙引越し公社に武力行使まで行っ
たりもしたこともあり、ザンスカール帝国の悪名はとどまるところを知らないといってもいいだろう。にもか
かわらず、連邦政府は休戦協定を結び、むざむざと時間稼ぎをさせてやった。

「まあ、その分こちらも戦力の建て直しが出来るわけだが」

 モビルスーツの補充が出来るし、パイロットの養成にも少しだけでも時間が稼げると言うものだ。連邦軍と
合流できるのならば、その連中と演習でもして、鍛え上げてもいい。ライアンはそう言って楽しげに口をゆが
めた。それに対し、ニケは

「ふう。結局忙しいことは変わりないってわけね。レナに会いにいけるかなって思ったんだけど」

「もうすぐ戦争は終わる。そうなれば、いつも一緒にいられるさ」

「ん。そうだね。……でもね、ライアン。さっき言った戯言。忘れたわけじゃないよ?」

 にっこりと。とっても素敵な笑顔でそういうと、ニケはライアンの首根っこを引っつかんだ。そして、ハサ
ンに「借りていくわよ」といい残すと、そのままブリッジを後にした。それをクルー一同は無言で見送り、二
人の姿が消えてから

「さすがだ、姐さん」

「アレがニケさんのコロス笑みなのね。怖かったわぁ」

 などと、それぞれに感想を言う。それを聞きながら、ハサンは疲れ果てたようにシートに座り込み、「結婚
は人生の墓場」と言う使い古されたフレーズを思い出し、身震いした。


 ニケに首根っこを引っ張られて連れて行かれたライアンは、ある程度まで引っ張られてからニケの手をやわ
らかく振り払うとその正面に回りこみ、

「それで、他に何か言うこともあるんだろう」

「わかる? あのね、ジェスタのことなんだけど。何か沈んでるのよ、あの子。他のパイロット連中も気はつ
いているみたいなんだけど、単に疲れてるだけっていうふうに思ってるみたいで。それがちょっと気になって
ね。あんたのほうからそれとなく聞いてみたらって思ったんだけど」

「なるほど。確かに沈んではいたが。悩み事なのか? あれは」

 真剣な様子になって言ったニケの言葉に頷きながらも、ライアンは疑問に思う。確かに、昨日。帰還してき
たジェスタは少しテンションが低かった。それは、今も続いているようだが、長い間コックピットに一人でい
たせいで少し精神のバランスが崩れているのだろう、とライアンたちパイロットは思っていたのだが。

「バイオセンサーのログを見る限りじゃ違ってるっぽいのよ。一時的に、すごくテンションが上がった後、下
がって。戦闘終了後くらいからかな。ずっと下降線をたどってるのよ。あの子。一人でコックピットにいて、
何か抱え込んだんじゃないかなって思ってね」

 ちょっと嫌なやり方だけど、と付け加えながら言うニケ。現代のモビルスーツの制御システムに取り入れら
れているバイオ・コンピューター。それは、人の脳に作用するシステムを搭載している。その脳とバイオ・コ
ンピューターの橋渡しをする効果があるのが、脳波を読み取るデバイスであり、シートに内蔵されているバイ
オ・センサーである。バイオ・センサーが拾う脳波の一部に、「ニュータイプ」と呼ばれるパイロットだけが
より強く発振する特殊な波がある。通称サイコ・ウェーブと呼ばれるそれは、より強くバイオ・センサーが認
識する波であり、バイオ・コンピューターとももっとも相性のいい波動なのである。(この特性ゆえに、ニュ
ータイプと呼ばれるパイロットがバイオ・コンピューターとの同期をより強く行える理由なのである)そして、
ジェスタはそのサイコ・ウェーブを普通のパイロットよりもかなり強く発振している。そのことは、セカンド
Vに乗り、それに搭載されているサイコミュを起動させるようになってから判明したことであるが。

 サイコ・ウェーブは人の精神活動によって発振される波であり、当然のことながら感情に左右される。ニケ
は機能チェックのついでにサイコウェーブのログをチェックし、ジェスタの精神状態が少々不安定になってい
ることを察したのだ。

「ふむ」

 ライアンは正直サイコミュ関連についてはよくわからなかったのだが、それでもニケの言葉があながちでた
らめでもないことは理解できるので、とりあえずジェスタと話してみる、と伝えた。するとニケは安堵した様
子になって、

「じゃ、あの子のことお願いね。あたしは整備のほうに戻っとくから」

 そう言って、地面をけり。ハンドグリップをつかむと廊下の向こう側に。モビルスーツデッキのほうに向か
っていった。それを見送ったライアンは、ニケの昔と、今を比べてその変わりように目を細めた。昔はモビル
スーツをいじることばかりが頭にあって、それ以外のことなど目にはいらない、と言う感じの女だったのだが。
変われば変わるものだ、と思う。

「母親になるって言うのは、ああいうことなのかな」

 ライアンはそう呟いた。レナが生まれ、一度整備士の一線から退いてから、ニケは変わったのだろう。機械
ではなく、人と。手のかかる子供と触れ合うことで。そして、そこから続くさまざまな人との係わり合いの中
で、変化していった。ともに歩んできたライアンが気づかないくらいにゆっくりと、しかし確実に。

 そのことが、無性にうれしく感じた。それと同時に、自分もまた。ニケの目から見てどう変わったのだろう
か、と思う。変わっていなかったら少々情けないな、と苦笑するが、実際。ライアン自身、ニケと暮らし、娘
を得ることで変わってきたからこそニケにああいったことを言われたのだと言うことには、気付いていなかっ
た。

                     *****


 そのころ、ジェスタはどことなくいたたまれない気持ちになって艦内の舷側の窓がある休憩室で、手すりに
もたれかかってぼんやりと外の風景を眺めていた。三日間の孤独の後だから、人と触れ合うのは新鮮な気分で
あったが、少しそれが息苦しく感じたのである。
 
 その理由は自分でもよくわかっていた。あの強行偵察のとき。すべてをなげうって、ただ。カガチを討つこ
とだけに意識が向いてしまったことが、心の中にしこりとして残っているのだ。それと、そのことを自覚させ
られた、あまりにも寂しそうで、哀しげで。切ないフィーナの声と、思いが。

 人知れず、ため息をつく。自分は何をしているんだ、と。エンジェル・ハイロゥの空域を離脱してからずっ
と頭の中に残り続けるその思考の迷宮に、ジェスタはずっと囚われ続けていたのだ。

 だからこそ、今は一人でいたかった。それが、逆効果であることは理解できていても。しかし、

「どうしたジェスタ。一人で黄昏て。景気の悪い」

「悪かったですね、景気が悪くて」

 かけられたライアンの言葉に、ジェスタは振り向きながらそう答えた。そんなジェスタの様子に、ライアン
はニケの言っていたことがなんとなく理解できた気がする。だから、一度むう、とうなってから

「ジェスタ。何があった?」

「何のことです?」

「とぼけるな。先ほども何か考えていただろう。妙な悩みを抱えたままでいたら、死ぬぞ」

「…………」

 ライアンの言葉にジェスタは息を呑む。つい先日。死を実感しかけたばかりなのに、この直球の表現はかな
りきつい。その姿にライアンは先の強行偵察の際に何かがあったことを確信した。その目がジェスタの心の奥
まで見透かすような、鋭いものになる。

 その視線を受けて、居心地が悪そうにしていたジェスタだが、小さく嘆息すると、口を開いた。

「……エンジェル・ハイロゥに。スクイードがいたんです。そして、その中に……カガチが、いたんです」

「カガチだと!?」

 若干低い声で言ったジェスタの言葉に思わずそう叫ぶライアン。その声に、ジェスタは頷いて、続ける。

「俺はそれに気がついて。そしたら、もう。何も考えられなくなって。……スクイードに。突撃していました。
ブリッジの前まで迫って。カガチにライフルの照準を定めて。これで、殺せる。敵を討てるって。そういうふ
うに思ったら、ほかの事はどうでもいいって思ったんです」

「抑えられなかったか」

 ライアンは厳しい顔と声でそう言った。表面上、普通であったジェスタだが、カガチへの潜在的な憎しみが
強いことは十分に知っていた。なので、普段は理性的な判断が出来ても、万一カガチを捕捉したとき、どうな
るのかライアンとしては不安の種だったのだが、どうやらそれが的中していたらしい。いまさらになって、ジ
ェスタを行かせたことに激しい後悔を感じた。

「はい。自分でも驚くくらいに。そのせいで、あと少しで。……落とされるところでした。あと少し間違っ
ていたら、間違いなくコックピットを撃ち抜かれていました」

 あの時は単に邪魔をされた、と言う考えしか及ばなかったが、もし自分が正気だったら。背筋が凍るどこ
ろではすまなかっただろう。今思い出しても、あの狙撃をよけられたのは、奇跡としかいいようがない。い
や、あのときに頭に響いた声。アレがなければ、死んでいた。

(俺はフィーナに助けられたんだ)

 不思議なものだ。自分を殺そうとしていたのは、その当のフィーナたちだというのに。なのに、そのフィー
ナの声で命を拾った。

「それで、落ち込んでいるのか? 復讐心で我を忘れたことがショックで」

「それも、あります」

「も? 他にもあるのか?」

「……はい。その後、敵と。あの、三機の敵機と交戦したんですけど。その時に……」

 そこでジェスタは言いよどんだ。それにライアンは怪訝な顔をする。これまでの経験で、ジェスタがあの三
機の敵と妙に相性がいい、というか、縁があるようなことは気づいていた。しかし、あくまでもあの三機は敵
なのだ。その交戦時に、何があったと言うのか。

「帰るところがあるのに、って言われたんです。……泣きそうな声で」

「どういう、ことだ?」

 ジェスタの言葉にライアンは戸惑った。この言い草では、ジェスタは例の三機の敵のパイロットと面識が。
話をしたことがあるように聞こえる。ジェスタはそれに、「実は」と、カイラスギリー攻防戦のときにゾロア
ットと相打ちになったこと。その後、デブリの塊の中、破片に挟まれて動けなくなったゾロアットのパイロッ
ト、フィーナとの出会いを語った。

 そこで出会ったフィーナが帰るところなど持たない、「ニュータイプ研究所」の被験者であること。それゆ
えに、帰るところがある自分が戦うためにゲリラになることに疑問をもたれたこと。それに対して、自分は戦
うことで復讐だけではなく、結果として家族を。帰るところを守ることになると語ったことを。

 なのに、自分は復讐にとらわれてしまった。あの時、確かに。月で待つ母も、妹のことも頭になかった。そ
のことを、フィーナに弾劾されたような、そんな気がしたのだ。

 それを言い切ったジェスタは口をつぐんだ。そして、ライアンもまた、静かになる。空気が固体になったよ
うな、重い沈黙。二人はしばらく無言でたたずみ、それからライアンが口を開いた。

「お前は……それを悔いているのか」

「何を、です? カイラスギリーでフィーナを殺さなかったことですか?」

「違う。その女を泣かしたことを、だ」

「え?」

 そのライアンの言葉にあっけに取られるジェスタ。こんなことを言われるとは思ってもいなかったのだ。そ
んなジェスタをみてライアンは真剣な様子で、

「惚れたのだろう? その女に」

「惚れた? 俺が、フィーナに? ……どうなんでしょう。そんなこと、考えたことがなかったから」

 ライアンの言葉に意外そうにそう答えてから、ジェスタはしばらく考え込む。自分にとって、フィーナがどう
いった存在なのか。そして出たのは、

「……放っておけない奴。そんな感じでしたね。初めて会ったとき、泣いてましたし」

「泣いていたのか? 意外だな。あれほどの強さを誇るパイロットが、まるで子供だ」

「あの三人は、全員子供ですよ。俺より年下ですし」

「そんな子供がなぜ戦う?」

「他に居場所がない、と言っていましたよ。いくところも、帰るところもない。そんな、途方にくれた子供。
俺がフィーナに見たのは、そんな姿でした。だからあいつは、温もりを求めて戦っているんです。……あいつ
自身。それが不毛だって本当はわかっているんだろうに」

 そう言ってジェスタは厳しい眼差しをして、下唇を軽くかんだ。しかし、どうあがいても自分にはフィーナ
たちの気持ちはわからない。帰るところがあり、待っている家族がいるジェスタには。その両方を持たない子
供であるフィーナたちの寂しさ。辛さは。

「でも、俺にそんなことを言う資格はないんですよね。得られない温もりを求めるよりもっと不毛ですよね。
復讐に我を忘れて突っ走るなんて。あいつに軽蔑されて当然だ、これじゃ」

 ジェスタは顔を覆って嘆く。耳の奥にこびりついてはなれないのだ。あのときのフィーナの声が。羨みなが
らも哀れみ、そして突き放すような言葉が。あの言葉で、ジェスタは答えた。時間が経てば経つほどに、ジェ
スタの心にどんどんと重みを増していく。

 そんなジェスタの姿を見たライアンはどうしたものか、と思い悩む。はじめはもっと単純な関係だと思って
いたのだが。ジェスタとフィーナと言う敵のパイロットは、対照的な存在であった。だが、中身はかなり近い
のではないだろうか。だからこそ、惹かれあう。しかし、その感じ方は自分の感じるそれとはまったく違って
いるように思える。

「お前はどう思う。復讐を果たせなかったことより、泣かれたほうが堪えているのだろう?」

「それは、そうですね。出会えば戦わなければならない。撃ち合わなければならない相手ですけど、泣かせた
くはない。そう、思ってましたから。ですから、そっちのほうが堪えましたね」

 言って、ああ。そうか。と思うジェスタ。フィーナのことを、妹のような。ミラルダのように、泣いて欲し
くないと思っていた。とずっとそう考えていたのだが、そうではなかったのだ。自分は彼女に。フィーナに、

「……やっぱり俺は。あいつを。彼女たちを放ってはおけない。そう思います。今は、戦うことしか出来なく
ても。それでも」

 顔を上げてそういうジェスタの顔は晴れ晴れとしていた。何か、憑き物が取れたようにも見える。その顔を
見て、ライアンはジェスタにどうしても確かめておかなければならないことがあることに気づく。

「ジェスタ」

「なんでしょう、隊長」

「お前は、復讐を捨てられるのか? お前が今言ったこと。その、敵の少女たちをどうにかするには、少なく
とも。お前の抱える問題を。歪みを克服せねばならなん。お前にとってその象徴は」

「そうですね。俺は、確かに母さんやミラルダをギロチンの悪夢にさらさないために、と言ってましたが、や
っぱり衝動として一番強かったのは復讐でした。ですが……」

 そう言ってジェスタは目を閉じた。今でもカガチが憎いと言う気持ちは強い。無実の罪で父は殺され、見世
物にされ、自分たちがそのせいで味わわされた生き地獄。それはおそらく、一生涯忘れることが出来ない記憶
であり、感情であろう。だが。それと、復讐に拘泥するのは話が違ってくるだろう。だからジェスタは目を開くと、

「復讐は、捨てます。カガチを憎む気持ちは消えませんが。でも、それ以上に俺は、今生きている家族を大切
にしたいですし、フィーナとの間に何らかの形での決着をつけたいですから」

 それがどういう形になるかはわからない。だが、この戦争の中。必ずまたフィーナとは戦うことになるだろ
う。そして、その結末はどうなるのか。どちらかの死で終わるのか。それが最も可能性としては高いことだろ
う。それが、戦争と言う現実なのだから。

「言っておくが」

「言わなくてもわかってます。今俺がしているのは戦争ですから。都合のいい結末が待っているなんて思って
はいません。ですけど、俺は。出来るだけいい未来を、見たいと思いますから」

 そういいきってジェスタは笑顔になった。後ろ向きではない、前向きの笑顔。それを見て、本当にジェスタ
が復讐と決別できたことを理解したライアン。それはいい。ライアンとしては、やはりジェスタの心の奥底に
復讐の炎が燻っていたことは心配の種だったから。それが解決したのはいい。

「お前の選んだ道は、ある意味。復讐より厳しいかも知れんぞ」

「はい。ですが、これが俺。ジェスタ・ローレックの道だと思います」

 大きくうなずいて言ったジェスタの顔は、まさに一皮向けた男の顔だった。はっきりとした自分の道を見出
した人間と言うのは、芯の通った強さと言うものを持つものだ。今、ジェスタははっきりとした自分の芯を見
つけ出したのだ。少々不謹慎と言われるかもしれないが、ライアンとしてはそれでもいいと思う。変に大義や
正義などといったものに傾倒すると、己を省みず。そして周りを見ることなくたやすく暴走するが、ジェスタ
のように個人的な小さなものを胸に戦うならば、自分の足場を見ることを忘れはしないだろう。

「俺は立場上お前の応援は出来んが……がんばれよ、ジェスタ。まあ、しばらく戦うこともないだろうが」

「どういうことです?」

「停戦協定が結ばれた。そのせいで、しばらくは戦いはないだろう」

「……あの要塞が。エンジェル・ハイロゥが完成しますよ? まあ、どう考えても今のリガ・ミリティアの戦
力ではあの防衛網を突破することは出来ないと思いますが」

 エンジェル・ハイロゥの防衛網を思い出して渋面になるジェスタ。自分は機体のおかげでかろうじて侵入で
きたが、戦闘部隊があのようなまねで侵入するのは不可能だ。とすると、どうしても艦隊戦になるだろう。そ
うなれば、勝ち目はない。カイラスギリーのような幸運はもはや二度とこないだろうから。

「そのために、お前に命をかけてもらったのだ。お前が持ち帰ったエンジェル・ハイロゥの詳細なデータ。そ
れはすでに月の同志のもとに転送した。それはおそらく、連邦軍の艦隊の腰を上げることが出来るだろう。俺
たちが月につくころになると、うまくすれば合流も出来るかも知れん」

「それは……」

「それが終われば、戦争は終わる。それまでに、けりをつけられるようにするんだな、ジェスタ」

 ライアンはそう言ってジェスタの肩を叩くと、そのままその場を後にした。それを見送ったジェスタは、ラ
イアンの姿が見えなくなったのを見計らって、その目を再度外に向ける。黒い宇宙。かつてフィーナと出会い、
そして。これから決着をつけることになるだろう、深遠の世界。

「戦争は、もう終わりが近づいているんだよな」

 そう言葉にして、初めて。それを実感した。戦後、と言う概念を。しかし、今のジェスタには戦後自分がど
うするか、と言うことを考えることは出来なかった。その前に、乗り越えなければならない現実が余りにも大
きかったためである。しかし、考えなければならないのだと理解はしていた。

 人は、生きるものだ。ただあるだけではない。生きて、自らのなすべきことを見出し、それをなす。今まで
はただ、「敵」を見て戦うだけでよかった。が、人生における本当の敵は、そうではなく、自分自身なのだか
ら。そんなことを考えつつも、目の前に迫る大きな壁を、戦いを越えていかなければならないのだ。

 なので、ものも言わずじっと宇宙の闇を見続けながら、ジェスタは一人。次なる戦いを、思った。


  UC153 6月 1日 月の裏側 上空

 月の裏側の空域をパトロールする地球連邦軍の哨戒部隊。クラップ級巡洋艦二隻による最小戦闘単位である。
このパトロールはほとんど惰性となっており、連邦軍全体の士気が低いのと同様に兵員の士気は総じて低い。
特に、停戦条約が締結したばかりなので、それはより顕著に現れていた。

 艦橋の雰囲気は全般的に緩んでいた。と言うよりは、だらけていた、といったほうが正しいか。それもそう
だろう。元々現在の連邦軍は地球圏で最大の規模を誇りながら、実質的には張子の虎といったほうが正しい。
各コロニー政庁への抑止力として存在していながらも、実際にはその役目すら果たせていないため、彼等は総
じてやる気にかけるのだ。ごく一部の将兵たちは現在の状況に業を煮やしているとはいえ、上層部のほとんど
は単なる官僚に成り果てているのが、現在の連邦軍というものだ。ゆえに、その軍人の多くもサラリーマン的
な考えで従軍していた。

 そんなクラップ級の艦橋で、レーダー監視を行っていたクルーが声を上げる。

「おかしいな。ミノフスキー粒子の濃度が濃くなっているぞ。このあたりで演習の予定なんてあったか?」

「いや。そんなことは聞いてはいないぞ?」

 レーダーには確かに、ミノフスキー干渉波の反応がある。それも、戦闘濃度に近いものだ。それに怪訝な顔
をするも、総じて戦意が低く、実戦経験に乏しい彼らには、それがどういう意味を持つのかを考えるほど熟練
はしていなかった。そして、皆。次の瞬間わずかに顔をしかめる。

「なんだ? 鈴の音が聞こえるのか?」

 ブリッジクルー全員の耳に、鈴の音に似た何かが聞こえた。それに不思議に思った彼等は計器類を操作して
センサーを稼働させ、何か妙な電磁波が発進されていないかのチェックを行う。しかし、該当するものはない。
そのことに更なる疑問を唱えようとした彼らだが、その機会はついに訪れることはなかった。

 はるか遠方から撃ちだされた、高出力のメガ粒子砲がそのクラップのブリッジを直上方向から貫通し、その
ままブリッジクルーたちの命を瞬時に奪い去ったからだ。ついで、そのまま艦を貫いたビームは下方にあった
モビルスーツデッキも撃ち抜いて、そこに格納されていたジャベリンのうち、数機を爆砕する。待機状態にあ
り、核融合エンジンをアイドリング状態にしていたジャベリンは、その場で核爆発を引き起こす。

 そして、その爆発は内部からクラップを膨れ上がらせ、艦体は風船のように破裂し、最後には自身のエンジ
ンが誘爆して巨大な火球となった。その姿に、ともに活動していたクラップのクルーたちは恐慌状態になりな
がらも、対空監視を行いながらもモビルスーツを順次展開していった。

 そして、その出撃したモビルスーツが、先と同じくはるか遠距離から放たれたメガ粒子ビームで貫かれる。
それに、パイロットたちは震え上がった。目に見えないところから撃たれるビーム。それも、たやすく艦を撃
沈するほどのもの。それによる精密狙撃で狙われているとあれば、おびえないものはいないだろう。古来より、
戦場では狙撃兵と言うものは極度に恐れられるものなのだから。

 しかし、彼らの恐れは実現することはなかった。なぜなら、彼らを襲った狩猟者は、姿の見えぬ狙撃手では
なかったのだ。横合いから、突如強力なビームが襲い掛かる。それは、展開していたジャベリンの一機を貫き、
一瞬にして塵に変える。

 それと同時に、暗色系に塗られた一機のモビルスーツが戦場に乱入して来た。ずんぐりとしたフォルムをし
た、左肩に鋏を。右肩に折りたたんだビームキャノンを搭載した、モビルスーツが。背中のスラスターを最大
出力で稼働させながら、ジャベリンが待つ空域に到達するなり、胸部の三連ビームキャノンを斉射した。それ
をかわすことが出来ず、一機のジャベリンが爆砕。それを皮切りに、突入してきたモビルスーツは左肩のショ
ットクローを打ち出し、それを自在に操りながら縦横無尽に戦場を駆けて、わずか一分足らずで展開されてい
たジャベリン隊。七機の敵機を一方的に蹂躙した。

 それがすむと、機体は反転し、残されたクラップに向かった。そして、もてあそぶようにその周囲を飛び回
り、対空砲火をかわしながら攻撃を仕掛ける。それは次々にクラップからメガ粒子砲を。対空機銃を。レーダ
ーを。アンテナを次々と削り取る。そして、気が済んだのか、唐突に折りたたんだビームキャノンを展開する
と、それを撃ち込んだ。折りたたんだビームキャノンの威力はすさまじく、一撃でかろうじて生き残っていた
クラップの艦体を貫き、反応炉を破壊して止めを刺した。

 爆発していくクラップを尻目に、そのモビルスーツはそのまま興味を失ったように反転すると、そのまま一
気に加速。あっという間に姿をくらましたのである。

 数時間後。連絡が途絶えたパトロール艦隊の動向を調べに来た捜索隊が発見したのは見事に破壊され尽くし
た二隻のクラップの残骸と、千切れて果てた、物言わぬモビルスーツの骸だけだった。それを果たしたものの
データの断片すらも、そこに見出すことは出来ない。この不可解な事件は、連邦軍の首脳を若干悩ませはした
ものの、海賊か何かの仕業としてパトロールを強化する程度の対策が採られただけで、徹底的な調査が行われ
ることは、なかった。


 UC153 6月 2日 月周辺

 現在、月に駐留する地球連邦軍の主力艦隊の一部が、ムバラク・スターン大将の辞令を受けて出撃の準備に
追われていた。

 大規模な艦隊の出撃の準備となるとそれは大仕事になる。まず、艦隊のすべての艦に大量の物資を積み込ま
なければならないし、整備のチェックも行わなければならない。そして、何よりも重要なのは、持続的に艦隊
行動を可能とするために大量の輸送艦を手配しなければならないことだ。特に、推進剤を大量に運搬する必要
性があるので、随伴する輸送艦。もしくは、後に艦隊に物資を届ける輸送艦隊の編成など。艦隊を動かす、と
なると、その運用一つをとってもとてつもない大仕事となるのである。

 その仕事のすべてが修了するまでに、後数日はかかるだろうが、それでも準備を終えた艦隊の一部はすでに
ドックを出て、月から少しはなれたところで集結しつつあった。

 そして、その艦隊に近づく二隻の艦艇。それは、リガ・ミリティアのハルシオン隊が運用する二隻の巡洋艦、
エアとレオノラだった。そのクルーたちは、自分たちに協力するべく活動を開始したその艦隊の、一部に過ぎ
ないとはいえすでに巡洋艦が十隻以上集まっている空域に接近し、その数に驚きを隠せない様子だった。

「ムバラク提督が動くと言ううわさは、事実だったか」

 キャプテンシートから腰を浮かせて、ハサンがその艦隊の姿を見てそう呟いた。編成された艦艇の周囲を、
モビルスーツのテールノズルの輝きがちらつく。それは訓練飛行。もしくは哨戒のために飛び回るモビルス
ーツ部隊である。その動きは統制が取れており、かなり士気が高いことを物語っている。

「リガ・ミリティアの輸送隊もこちらに向かっているとの話だ。何でも、かなりの量のガンブラスターを運んでくるとの話だが」

 そう言ったのは、もはや定位置に近いともいえるほどに思えるようにハサンの横に陣取るライアンだった。
ハサンは隣のライアンに目を向けて、

「ガンブラスターを? ただでさえこちらはパイロット以上に機体が余っているんだぞ? なのになぜ」

「連邦軍に売りつけるつもりだろう。そのために、連邦軍のモビルスーツ隊と模擬戦をするように、と言われたよ」

 そう言って苦笑するライアン。先ほど到着した、リガ・ミリティアの補給スタッフとの会話を思い出してい
たのである。それ以外にも色々と問題があるのだが、どうやら休む暇はなさそうだ、と肩をすくめていた。月
に帰ったのだし、休戦中なのだから休めるかと思っていたのだが。

「大変だな。レナちゃんに会いたいだろうに」

「まったくだ。だが、これはスポンサーからの頼みでもあるらしいからな。そのために、ああいう客もやってくる」

 そう言って、頭痛をこらえる仕草をするライアン。補給と同時に招き入れることになった来客。その来客を
思ってのことだ。

「モビルスーツ関係の雑誌の記者殿か。大変だな」

「取材されて、認知度が高まればリガ・ミリティアの活動にも理解が深まるし、連邦軍の連中もこちらが使う
機体の有効性を認識してくれる。そうなれば戦力は上がるし、ガンブラスターの生産をしているアナハイムも
ロビー活動の代わりになってくれるだろうからな。話はわかるのだが、どうにもああいうのはやりにくい」

 件の記者殿を思い出してそうつぶやくライアン。ビクトリーにせよ、ガンブラスターにせよ。リガ・ミリテ
ィアのモビルスーツと言うのは基本的に、公的にはあまりその存在は知られてはいない。リガ・ミリティアが
自ら保有する広報担当がアピールするものの、モビルスーツよりもザンスカールの残忍性を強調するため、象
徴としてのビクトリーは今ひとつ目立っていないのが現状である。

 が、それは表向きの話で、実際には民間のネットワークではビクトリーやガンブラスターなどの写真などが
流通しており、認知度はかなり高い。だからこそ、モビルスーツの専門誌などが取材の申し込みをずいぶん前
からリガ・ミリティアやアナハイムなどに申し入れていたが、長く通じることはなかった。が、ここにきて、
連邦軍の大艦隊と足並みをそろえることになり、その戦力の補充のために余剰生産したガンブラスターを供与
することになった。その際の緩衝役としてモビルスーツの専門誌による取材、と言う名目で性能をアピールし、
さらに模擬戦でそれを補強すると言う。

 理屈はわかるのだが、どうにもサラリーマン的な営業活動をしているような気がしてちょっと嫌気がさして
くるのである。ことに、ライアンは元々マケドニアで軍人をしていたこともあり、根っからの軍人気質を持っ
ているため、こうした行動をすると精神的に疲労を強く感じてしまう。が、戦闘隊長であるライアンがその任
を投げ出すわけにはいかず、適当に相手をする羽目になるのだった。

 そんなつかれた様子のモビルスーツ戦隊長殿を横目にしつつ、ハサンは別の話を振った。

「スケジュールはどうなっている?」

「とりあえず、すでに出港している艦の中で指揮を取っている艦と合流して面あわせを行う。その上で、スケ
ジュールを組むことになるだろう。停戦がいつ終わるかはわからんが、後十日は忙しい日々をすごすことにな
るだろうな」

 ライアンはそう言ってため息をついた。モビルスーツ隊の責任者として、かなり忙しい日々を送る羽目にな
るのは間違いないだろう。元々コロニー政庁のものとはいえ、正規軍に身を置いていたからこうした面倒なこ
との大切さは理解しているし、ある程度慣れているが(マケドニア軍でも、ライアンはモビルスーツ小隊長の
地位にいた)それでも血気はやる正規軍の気位の高いパイロットたちの相手をするのは疲れるだろう。

 そこに、記者たちの来訪である。これが、疲れないわけがない。

「すまんが、俺も似たような立場でな。艦の責任者ともなると、他の艦の艦長とも折衝せねばならんし、提督
とも面通しをせねばならん。疲れるのは、お互い様だよ」

「中間管理職は疲れるな、実際」

「まったくだ」

 二人の男は互いにそういいあって笑いあい、それから同時に肩を落とした。それを見てブリッジクルーたち
は深く同情したが、あえて何も言わなかった。言ったら最後、道連れにされかねないからである。


  UC153 6月 6日  サイド2近郊 エンジェル・ハイロゥ建造宙域

 エンジェル・ハイロゥを建造している宙域に、現在。ザンスカールの大艦隊がさらに接近していた。

 地球へと侵攻し、地球クリーン作戦を展開していたモトラッド艦隊が、停戦条約締結を聞くなりおっとり刀
で戻ってきたのである。その司令官であるクロノクル・アシャーはモトラッド艦隊が本国近くまで戻ってくる
なり、目の当たりにした巨大な要塞。エンジェル・ハイロゥの姿を目にした瞬間、自分たちが連邦軍、リガ・
ミリティアに対するおとりとして。当て馬として使われたことに気づき、憤慨したのは言うまでもなかった。

 そして、モトラッド艦隊はカガチの司令の元、引き続いてクロノクルが指揮を取るモトラッド艦隊と、アル
デオ・ピピニーデン参謀が指揮を取るラステオ艦隊の二つに分かれ、増産されたモトラッド艦でその戦力を補
強してエンジェル・ハイロゥの防衛に回ることになる。

 最終的な布陣としては、エンジェル・ハイロゥそのものを中心に、近衛隊とズガン艦隊がその中心の防衛を。
それに付随し、接近してきた敵に先制を仕掛けるためにモトラッド艦隊が待機し、第二陣としてタシロ・ヴァ
ゴが指揮を取る第三艦隊が展開し、その先にラステオ艦隊が先鋒を務める、と言う形になる。三重の防衛艦隊
によるきわめて強固な布陣である。おまけに適度に距離をとっているため、先鋒のラステオ艦隊が形勢不利と
なると後退しつつ、第二陣のタシロ艦隊と合流し、敵を討てる布陣になっているため、実に攻めづらいといえ
るだろう。

 その大艦隊の布陣のまま、この艦隊は現在。ゆっくりとではあるが、移動を開始していた。すでに完成して
いるエンジェル・ハイロゥのセンターブロックの指令のまま、まだ組み立て途中のエンジェル・ハイロゥ本体
がわずかに移動を開始したのだ。とはいえ、組み立てが終わっていない今、その移動速度はあまりにも遅いのだが。

 その光景を今。フィーナたちはそれぞれのモビルスーツに乗りながら見ていた。現在、三人の小隊は偵察活
動中なのである。

「あんなものが動くなんてね……」

 その光景を見て、思わずそうつぶやくフィーナ。すでに、形だけはかなり体裁の整ったエンジェル・ハイロ
ゥ。その形はその名のごとく、円盤状をしている。とはいえ、「天使の輪」のようにリング状をしているわけ
ではないのだが。

『綺麗ではあるんだけどねえ』

 そう言ってきたのは、ミューレだった。やはり、彼女もあの機械には何か得体の知れないものを感じている
らしい。これは、おそらくはサフィーも同感のはずだ。エンジェル・ハイロゥを横目にして三人はアインラッ
ドを操りながら所定の哨戒コースを巡り終えて帰投コースに入ると、自分たちの乗艦している艦に、隣接する
艦がいることに気づいた。

『補給みたいね』

 その光景を見たサフィーがそういう。確かに、そうらしい。荷物やモビルスーツの引渡しを行っているから、
間違いないだろう。ただし、現在自分たちの母艦にそれを行っているのは、補給用の輸送艦ではなく、同じア
マルテア級戦艦だったが。

 そのことに疑問を覚えながらも、フィーナたちは着艦コースに入る。が、見たところ、補給作業でごった返
しているようでモビルスーツデッキにはちょっと入るのが難しそうだ。少なくとも、アインラッド込みでは入
りにくい。

 そのことに少し困りつつも、とりあえずフィーナは艦に連絡を入れ、都合を入れてもらうことにした。幸い、
少し荷物を整理すれば大丈夫、とのことなので、三人はアインラッドを艦に係留して、荷物の整理を手伝うこ
とにした。

『すまない』

 と、声をかけてくるものも多かったが、人型機械であるモビルスーツは荷物の運搬や作業はお手の物だし、
三人もこうした作業は苦手ではない。と言うか、訓練でよく細かい作業をやらされたものだ。なので、三人は
作業を手伝っていたのだが、

「あれ?」

 と、呟いてフィーナは眉をひそめた。今、何か。寒気のようなものを感じた。心の奥底を無遠慮に触られた
ような嫌な感触。それと同時に、どす黒い何かが、わずかながら自分の中から吹き上がるような不快感。それ
でフィーナは軽い吐き気さえ覚え、手を止めたことにサフィーが気づき、

『どうしたの? フィーナ』

「今、何か。変な……」

 フィーナはそう言って上を仰ぐ。その仕草にしたがって顔を上げるリグシャッコー。フィーナの目と、リグ
シャッコーのセンサーアイの向いたその先に、テールノズルの輝きが見える。そして、それは大きく旋回し、
まるで遊ぶようにあちこちを飛び回っていた。

「なに、あれ」

『テスト飛行、って感じね』

 フィーナの言葉に、サフィーがそう答える。それと同時に、サフィーも若干顔をしかめていた。フィーナに
遅れて、今。フィーナが言った「変な感覚」を感じ取ったのだ。しかし、彼女が不快感を示したのは、ただそ
の感覚が奇妙だったからではない。むしろ彼女にとってはそれはそれなりに身近なものだった。故に、不快感
を感じたのである。

『ねえ、サフィー? これって』

『ミューレ。あなたも同じ意見なのね』

 サフィーと同感の様子になったミューレが近づいて、そうサフィーに語りかけた。それを受けてサフィーは
険しい顔をして頷く。それに、フィーナだけがわからない様子になるも、とりあえずは深くは聞かずに荷物の
整理を手伝った。それが終わると同時にアインラッドを回収し、モビルスーツデッキにリグシャッコーをおい
て機体を降りた。

 それから三人は報告を終えると、居住ブロックに戻ってくる。そしてそこでも色々と作業していることに気
づき、大変そうだなあと他人事のように思っていたが、医務室付近で顔をこわばらせることになる。

「あ、あれは」

 フィーナが思わずそう呟いた。それに、無言でサフィーもミューレも若干視線を鋭くしながら身構える。そ
の三人の視線の先には、白衣を着た女の姿が。見間違えるはずもない。あの。ニュータイプ研究所の研究員の女だ。

「何でこんなところに」

 そう呟いたとき、その女がこちらを向いた。三人はそろって体を若干硬くする。女は少しだけこちらを見て
いたが、すぐに興味を失ったのか、医務室への荷物の搬入に関して色々と指示を下し始めた。それに、若干肩
透かしを受ける三人。

 三人は、顔を見合わせて、「どうなってるの?」と言い合いながら、その場を立ち去ろうとした。そのとき、

「そこの三人。待ちなさい」

 と、声をかけられた。三人はそろって、「来た!」と思う。そして、内心すごくいやそうに。そして、外面
は無表情に振り返る。その三人に、女が近づいてくる。

「ずいぶんと久しぶりですね。戦果に関する報告を読みました。なかなかのものです」

「はい。お褒めの言葉、ありがとうございます」

 敬礼とともに言うサフィー。が、三人はそろって「何言ってんだ、このすっとこどっこい」と心の中ではき
捨てていた。そして、その三人の思いを知ってか知らずか、女はこう語った。

「すぐにあなたたちに辞令が下るだろうけれど、この場で言っておきます。あなた方の所属が変更になりまし
た。現時点を持って、あなた方の所属は我々の管轄下になります。そうはいっても基本的にこの艦での作戦行
動に従事してもらうことになります。ですが、私が連れてきたパイロットがあなたたちの小隊に編入されます。
彼の階級は中尉なので、隊長は彼になりますが。……紹介したいところですが、あいにく今は訓練飛行中なの
でそれは後回しになるわね」

「ち、ちょっと待ってください! いきなりそんなことを言われても困ります! こっちにだって都合と言う
ものがあるんですよ!? 今のあたしたちは……」

「この件に関しては、すでにタシロ・ヴァゴ指令からじきじきに辞令を受け取っています。あなた方にも、こ
の艦の責任者についても、口出しをする権利はありません。わかりましたね?」

「っ。わかり、ました」

 そう悔しげに言い捨てると、フィーナはサフィーとミューレに目配せして、その場を後にした。そして無言
のままそのまま歩き、三人で共同で使用している狭い船室に入ると同時に、

「いったいなんだってのよ、あのくそ女!」

 そう叫んで、思いっきり地面を踏みつけた。ただでさえ忘れかけていたニュータイプ研究所の匂いをかがさ
れた上に、高圧的に従えと来た。これで腹を立てなければ、嘘であろう。現に、サフィーもミューレも不快感
に顔をゆがめている。

「でも仕方がないわ。タシロ司令がそう言ってきているんだもの。従うのが筋と言うものでしょう」

「わかってるわよ、そんなこと。でも、納得いかないのは当然でしょう? 何者かは知らないけどさ。あたし
たちの中にはいってきて、命令するってのよ? 冗談じゃないわ」

「ホントだよ。ふざけてる」

 そう言ったミューレの目はかなりきつい。三人でいることを大事に思っている彼女にとって、異物の混入は
きわめて嫌悪することだった。

 そして、ミューレとフィーナは二人して次々と不満をぶちまける。それを横目に若干呆れていながら、少し
考えてサフィーがぽつりと言った。

「でも、タシロ司令からの直接の辞令、ね。ちょっと気になるわ。元々あの人はニュータイプ研究所に関心を
示していた方だけど」

 と、呟くサフィー。その言葉に、フィーナとミューレは愚痴を垂れ流すのをやめて、考え込んだ。確かに、
そうだ。タシロは元々ニュータイプ研究所にコンタクトを取り、サイコミュ搭載型モビルスーツの開発を進め
ていた。そんなことがあって、三人がカイラスギリーに派遣されることが決まったのだから。

「……あたしも、そうだね。あんなことがあったのに、よく平気だなって」

「ギロチンのことでしょ? アレはお芝居だって言うけれど」

 そういう三人は、次に沈黙した。あのときの、ギロチン。アレがただの芝居で、実際にはトリックを使って
処刑されたことにして、エンジェル・ハイロゥの防衛に専念させるためだった、と言ううわさはタシロ艦隊全
体ではもはや公然の秘密となっている。そして、それはおおむね事実として扱われている。事実、野心的でカ
ガチ、ズガンに対して反抗的だったタシロは、あのギロチン以降従順な態度を示している。

 しかし、三人の意見は違う。三人はあの場にいた。そして、タシロに向けられる群集の狂気を。悪意を、見
た。感受性が特に強い三人にとって、あの場は悪夢のような恐ろしさを持っていた。そして、それを一身に受
けたタシロが、どうして平気なのかがわからない。タシロは、自分が守ろうとしていた民に裏切られたのだ。
なのに、今。エンジェル・ハイロゥの防衛艦隊の指揮を取っている。

 しかし、今の不可解な直接的な辞令のこともある。何か、混沌とした事態が水面下で進行しているような。
そんな漠然とした不安が、三人の胸に蟠りと成って残ることになる。

 そしてさまざまな思惑を。人を巻き込んだ渦が時を経るごとに大きくなり、運命が動き出す時が今、訪れよ
うとしていたのである。その結末を、神ならぬ人の身である誰も予想することは、出来なかった。


 

 

代理人の感想

うーむ、クライマックス目前ですねぇ。

三人娘が宇宙に散らなければいいのですが・・・・・・・って多分無理か(爆)。

それにしても、ここで男のNTパイロットが出てくるということは、ひょっとして彼かな?