UC153 6月 23日  地球 南アメリカ大陸上空

「直上方向からメガ粒子砲、来ます!」

 巡洋艦エアのブリッジに半ば悲鳴にも近いそんな声が響く。オペレーターをしているリンダの声だ。それを
聞き、思わずキャプテンシートから腰を浮かしたハサン。その直後、艦に大きな振動が来た。浮かした腰が、
すぐにシートに逆戻りになる。ハサンは衝撃に思わず顔を苦悶にゆがめながら、艦に直撃があったことを即座
に理解した。

「ダメージはどうなっている!」

「ただいま調査中です!」

 ハサンの怒鳴り声に、リンダが即座に答えた。リンダの前にあるコンソールパネル。そこに無数の艦内の情
報が表示されている。艦内に張り巡らされる神経網ともいえる情報網。そして、それに繋がる艦内の無数のス
マートマテリアル製の各施設。それらと繋がるのが、艦の頭脳とも言うべき大型のバイオ・コンピューターだ。
そのコンピューターが、艦内各地の構造物、センサーから来る情報を纏め上げ、即座にダメージレポートを行う。

「動力部付近にダメージあり! 詳細は不明ですが、現在、ダメコン班が急行しているとのことです!」

 リンダのすばやい返事に満足げに頷くハサン。そしてハサンは対空監視を怠らないこと。次の敵の攻撃に備
え、対ビーム用の爆雷、ダミーの準備を行うように指示を出す。そしてその目を前方に向けたとたん、眉をひそめた。

「どうなっている? 高度が下がっているぞ!」

「判明しました! 先ほどのメガ粒子砲の直撃で、艦後部のサブ推進機関。ミノフスキードライブユニットに
損傷あり! ダメコン班からの報告、つなぎます!」

 リンダはそう答えてパネルの操作を行う。すると音声が繋がり機関部と連絡が取れるようになった。

「ダメージはどうなっている?」

『ダメだ! とてもじゃないが手がつけられん! ぱっと見ただけでも、ミノフスキードライブのエネルギー
伝達系と制御系にメガ粒子が干渉しちまってる! 下手すりゃ封じ込めてるミノフスキーフィールドが暴走し
てメガ粒子を周囲にばら撒きかねない! 今、ニケが見てるが絶望的だ! せめて、一度ミノフスキードライ
ブを止めんことにはどうにもならん!』

 ダメコン班。今指揮を取っているファシムが悲壮な顔をしてそう報告して来た。その報告を聞いて、全員が
顔面蒼白になる。ミノフスキードライブへのダメージ。そして、それを停止させなければならないということ。
宇宙であれば、問題はない。主推進機関としての機能を持つ核融合ロケットエンジンを使えばいいだけの話だ。
しかし、ここは重力化。地球の大地だ。今、船が浮いているのはミノフスキードライブユニットの推力を使っ
て艦の質量を相殺しているからである。なので、ここでミノフスキードライブを停止させると言うことは、す
なわち。重力に任せてそのまま大地とこんにちわ、と言うことになる。

「何とかならんか? せめて、着水するまで時間を稼ぐとか」

 自分で言いながら無理がある言葉だ、と思うハサン。着水とは言っても、すでにかなり内陸部に入り込んで
いるのだから。

『無理だ! 高度が下がりすぎてる! ミノフスキードライブの状態が不安定すぎて、降下のための調整なん
ざできやしない! その前に急に停止したり、メガ粒子を吐き出すほうが早い!』

 ハサンの言葉にファシムは首を横に振ってそう答えた。それを聞き、ハサンは決断した。厳かにキャプテン
シートから立ち上がり、その顔に悲壮感を漂わせて大きく腕を振り、

「いたし方あるまい。遺憾ながら、当艦を放棄する! 総員、退艦せよ!」

「た、退艦ですか!?」

「船を捨てるんですか!?」

 ハサンの言葉に息を呑んで口々に叫ぶブリッジクルーたち。しかし、彼らもすでに悟っていた。今しがた交
わされた、機関部との会話。その内容に。ミノフスキードライブユニットが機能不全になってしまった今、艦
の自重を支えることが出来なくなる。ならば、艦が沈むより先に逃げ出すしかないのだ。自分たちが家として
使ってきた、この艦から。

 リンダは泣きそうな顔になりながら頷いて、そしてパネルを操作した。艦内に、非常用の警報が鳴り響く。
そして、アナウンスのスイッチを入れて

「緊急連絡です。当艦は遺憾ながら自航能力を喪失しつつあります。乗組員は総員。迅速に退艦の準備を行っ
てください。繰り返します。当艦は自航能力を喪失しつつあります。乗組員は総員、迅速に退艦の準備を行っ
てください」

 そう言い切ると、リンダはポロリ、と涙をこぼした。彼女は元々船乗りだ。なので、艦というものに人一倍
愛着を持っている。そんな彼女にとって、さして長い付き合いではないとはいえ、これほど大きな船と道半ば
で分かれなければならないのが辛いのだろう。しかし、彼女はその悲しみをこらえ、先ほどの放送を録音した
ものをリピートさせて放送し続ける。と、同時に彼女自身オペレーターシートから立ち上がり、他のブリッジ
クルーたちと同じように駆け足でブリッジから出て行こうとし、最後にもう一度だけ振り返って慣れ親しんだ
自分の艦の最後の姿をその目に焼き付けた。

「ごめんね、エア。最後まであなたと一緒にいたかったけど、もう、一緒にいられないの」

 そう言ってから、彼女はブリッジを後にした。その後に、ハサンが続く。艦長たる彼が真っ先にでるわけに
は行かないからだ。ハサンもまた、ブリッジの出口で一度足を止め、振り向いてから敬礼を一度決めると、そ
のまま駆け足で立ち去った。一瞬前までクルーたちが詰めていたブリッジは、あっという間に人の姿がない空
間に早変わりしていた。


 機関部に集まっていたメカニックたちも、順次機関部から離れて行った。最後に残っているのは、ニケとフ
ァシムだ。二人が残って何をしているのかと言うと、この艦のエンジンをストップさせているのである。この
ままだと艦が地面に激突したとき、融合炉の炉心が露出し、そのまま核爆発を引き起こしかねない。そうなれ
ば周囲を汚染するし、万一民間人でも巻き込むわけにも行かないからだ。

「よし、これでオッケー。後はコンデンサーに残った電力がぎりぎりまでミノフスキードライブを駆動させて
くれるはずよ」

 コントロールパネルをいじっていたニケが振り返ってそう叫ぶ。それを聞いたファシムが頷くと、

「よし、では引き上げるぞ。このままここで死んじゃあ洒落になんねーからな」

「その通りね。レナの花嫁姿も見ないうちに死ねないわ」

 ニケはそう言って微笑むと、コントロールパネルから離れる。そしてそのまま二人は駆け足で機関部を後に
した。もう大部分の人間は避難を完了したのだろう。閑散とした艦内の通路に、人の姿は見られない。二人の
耳に響くのは、自分たちの足音と、耳障りな警報。そしてリンダが残した避難警告の言葉のみ。

 そして二人が走って格納庫にたどり着く直前。ニケが足を止めた。それにファシムは気づかない。ニケは足
を止めて、そして振り向き、少し後ろに下がった。そして、少し悩む仕草をしてから駆け出した。その方角は
格納庫の反対側。階段を上り、居住区の方角に向かう。

 走っているニケの耳に、前を行く足音が聞こえてきた。それを聞き、ニケは顔をゆがめる。

「さっき見えたの、やっぱり見間違えじゃなかった!」

 小さく呟くニケ。先ほど、走っていた際。視界の片隅に通路の奥。階段のほうに向けて走る後姿が見えたの
である。見覚えのある、その小さな背中にいやな予感を感じたニケは即座にその後を追ったのだ。そして、ニ
ケはついに袋小路にたどり着く。格納庫からブリッジへと続く道から少しはなれたところにあるあまり人の行
き来のない区画だ。そこが、ニケの最終目的地。

「アリス! 何やってるの!」

 ニケの目の先。そこに、小柄な少女がいた。閉ざされたドアの前で何か困ったようにおろおろとしている彼
女のもとに近づき、眦を吊り上げて叫ぶ。

「避難警告が聞こえているでしょう! 早く格納庫に行って、ボートに乗りなさい! でないと」

「ミューレさんが。まだなんです! あの人、捕虜だから、自分で」

 泣きそうな顔になって言うアリス。その言葉を聞いて愕然とした。そうだった。今、この艦には捕虜がいる。
そして、今は戦闘中。なので、捕虜の監視などしている暇はなく、ここに人はおかれていなかった。その上で
唐突に避難勧告が出たのである。なので、誰もが捕虜のことを忘れていたのだ。そして、この幼い少女ひとり
がその存在を覚えていた。

「あなたにはどうにも出来ないわ。あたしが何とかするから、あなたは早く格納庫に行きなさい!」

「で、でも」

「デモも案山子もないの! 大人の言うことにはおとなしく従いなさい! いいわね!」

「は、はい……」

 アリスはニケの鋭い言葉にそう答えると、しぶしぶ、と言う調子でその場を離れ、何度もニケのほうをちら
ちらと見返してから、大きく頭を下げるとそのまま駆け出した。それを見送ってから、ニケは目の前のドアに
取り掛かる。電子ロックがかかっているわけだが、今はエマージェンシーモードだ。アリスにはどうしようも
なくとも、機械の専門家の彼女にしてみれば簡単な操作で開くことが出来る。そして、ニケの前に道が開けた。

                  
                     *****


 アリスはその小さな体で通路を駆け、そして格納庫にたどり着いた。格納庫内は、雑然としていた。避難用
のスペースボートを引っ張り出し、それを即座にくみ上げて順次人を乗せていく。アリスが格納庫にたどり着
いた姿を振り向いたクルーの一人が見つけると、

「さあアリスちゃん。早く乗って!」

 ほっとしたようにそう言って、アリスの手をつかむと半ば強引にスペースボートに連れて行った。それにア
リスは面食らいながらも、

「あ、あの。ニケさんが、ミューレさんが!」

 と叫ぶが、周囲の忙しい大人たちはアリスの言葉に耳を貸す余裕などない。そうして、忙しなく避難を進め
ていく大人たちは少女の言葉に耳を貸すことなくさっさとスペースボートを用意すると、順次乗り込み艦から
の避難を完了させていった。


                     *****


 独房の中で、ミューレは一人ぼんやりとしていた。耳に、耳障りな警報が聞こえる。それと一緒に、避難勧
告の声も聞こえるのだ。しかし、彼女にはどうしようもない。あの音が聞こえた瞬間、ミューレは顔を青くし
てドアに取り付き、大声で叫んで更にドアを蹴りつけ、さらには椅子を持ち上げてぶったたいてみたものの、
びくともしない。当然だ。そんな方法で中から開くようでは、監獄としての役割を果たすことはない。

「ここで死ぬんだね、ボクは。……短い一生だったなぁ」

 疲れ果て、ベッドに寝そべるミューレ。ふう、とため息をついた。両親と別れ、それから一人になった。施
設では誰とも打ち解けあわず、周囲に敵意だけを向けていた毎日。そして、そこから研究機関に連れて行かれ
てであった、二人の少女たち。

「フィーナ。サフィー。最後に会いたかったな。二人とも、長生きして幸せになってね」

 呟いて、ミューレの目から涙があふれ。それが、頬を伝う。彼女たちとも、はじめはうまく付き合えなかっ
た。人付き合いがうまくなく、つい牙をむいていしまうミューレ。そんなミューレに対し、フィーナとサフィ
ーはそれぞれ違った付き合い方をしてきた。色々と話しかけたりして、引っ張りまわそうとしたフィーナ。そ
して、色々と面倒を見てくるサフィー。はじめは煩わしかったそんな二人だったが、いつしか。三人でいるこ
とが当たり前になってきた。そんなことを思いながら、ミューレは話に聞いた走馬灯と言うものはこんなもの
なんだな、と思う。

「……やっぱ、死にたくないよぉ」

 泣き声でそんなことを言うミューレ。正直、客観的に見てもろくでもない人生であったことは自分でも分か
る。しかし、それでもかけがえのない二人の友人と出会い、ともにすごした時間だけは自分にとって他に代え
がたいたからだ。そして、これからもその時間とすごしたい。そう思うからこそ、死にたくないと思える。し
かし、自分ではもうどうしようもないのだ。膝を抱え、嗚咽を漏らすミューレ。こんなところで何も出来ず。
無意味に死んでいく。そのことがどうしようもなく悲しく、やるせなかった。

 そのときだった。ミューレの耳に、違う音が聞こえた。扉が開く音。そして、次いで人の走る音。え? と
思い、顔を上げるミューレ。そんなミューレに、

「捕虜の子。確か、ミューレって言ったわね。生きてるわね? 諦めて自殺なんてしてないでしょうね?」

「そ、そんなことしないよ!」

 ドアの向こうから聞こえてきた女性の声に、ミューレは思わずそう怒鳴っていた。といっても、先ほどまで
泣いていたせいで見事に声は裏返っていたが。その声を聞き、ドアの外にいるニケはほっと胸をなでおろす。
聞こえた声から、ミューレが泣いていたことは想像がついた。が、泣くいうことはすなわち。まだ生きる気力
があると言うことだ。

「まってなさい。直ぐに開けるからね。そしたら、ここから脱出しましょう」

「え。でも、鍵が……」

「今は非常時だから、こうして……よし、うまくいったわ」

 ニケがそういうと、かちり、という音が鳴って扉が開いた。そして、外から光が入ってくる。それと同時に、
ニケが入ってくるとミューレの手をつかんだ。

「いくわよ。ぐずぐずしてるとおいていかれるわ。みんな焦ってるからね」

「え、あ。うん。分かったから、放して。走りにくいから」

 驚きながらもそういうミューレの言葉を聞いてニケは苦笑しながら手を放し、同時に走るペースを落とす。
さして長い期間ではなかったとはいえ、ミューレは監獄に閉じ込められ、運動不足だった。その上で、今1G
空間にいるのだから。万全でなくて当然であろう。

 そしてニケはミューレのペースに合わせて通路を走り、格納庫に向かう。その後を必死に追うミューレ。ふ
たりは警報がやかましいくらいに鳴る通路を駆け抜け、ついに目的にたどり着いた。しかし

「あ……」

「ボートが、ない」

 二人は、すでにボートも人の姿もない格納庫を前にして、愕然とした。そして、艦が揺れる。高度が落ちて
きているのがその揺れで分かる。落下している艦のそこにぶち当たった空気が艦の姿勢を乱すのだ。そしてそ
れは、いよいよ艦が終わりを迎えようとしてる、その証でもあった。

「船が、落ちる」

 ニケが絶望とともに呟く。そしてぐ、とこぶしを握った。天を仰ぎ、

「ごめん、ライアン。レナ。もう一回、家族で一緒に過ごしたかったけど……」

 そう呟いて、ニケは泣き顔になった。そして、さらに艦が揺れる。格納庫の出口から見える雲が、上に上っ
ているように見え、内臓が浮遊する感覚を感じ始めた。終わりのときが、近づいていた。


                     *****


 三隻のスペースボートがエアから離脱し、そしてゆっくりと降下を開始する。一応ミノフスキーフライトシ
ステムが内蔵されているのだが、その効果はモビルスーツほどにいいものではなく、せいぜいが滑空できる程
度。そんなボートに乗りながら、クルーたちは複雑な顔をして高度を下げていくエアの姿を見ていた。

 自分たちの母艦。家であった、その船の最後の姿。それを、全員がその目に焼き付けようとしていたのだ。
そこに、一機のモビルスーツが近づいてくる。少し離れたところで、一機のゾリディアにビームサーベルを突
き立て、パイロットを焼き殺したヘキサ。ライアンの機体だ。そのヘキサは落下していくエアを見て、それか
らスペースボートを発見するとこちらに近づいてきて、

『全員無事か!』
 
 と、外部スピーカーで語りかけてきた。それに対し、みなは胸をなで下ろした顔をして、口々に自分たちの
無事を伝えた。そしてそれを確認したヘキサが首をめぐらせて、

『……ニケは、どこだ?』

 その言葉に、ボートに乗った全員が不思議そうに顔を見合わせた。そして。始めてこの場にニケがいないこ
とに気づいた。そこに声を張り上げたのは、アリスだった。

「あ、あの! ニケさん、捕虜のミューレさんを連れてくるって言って……わたし、わたし」

 アリスはそこまで言って泣き出してしまった。自分がもっと必死になっていれば。自分の手でミューレを連
れ出せていたら。そう思って、泣き出したのだ。それを見て、周囲のクルーたたちがアリスの肩に手をやり、
声をかける。だが、そんなことをしても何の慰めにもならなかった。

『ニケは、まだあそこにいるのか』

 ライアンはそうつぶやくと、機体をエアのほうに向ける。もはや、ミノフスキードライブの機能はほとんど
なく、落下速度が急激に増しつつある、その艦に向けて、ライアンは機体を飛ばそうとした。

「よせ! 間に合わんぞ!」
 
 ハサンがそう叫ぶ。しかし、ライアンは聞く耳を持たず、エアに向けて移動しようとした、そのとき。ライ
アンのヘキサに突っ込んでくるベスパのモビルスーツの姿が。

『ええい! こんなときに! お前たちは早くここから離脱しろ! 下手をすれば、核爆発に巻き込まれるぞ
!』

 ライアンはそう叫びながら、突っ込んできた敵機。ジャバコを迎え撃つ。ヒートロッドをかいくぐり、一撃
を叩き込もうとするがうまくいかない。そんな時、そのジャバコの上からガンブラスターがサーベルの一撃を
叩き込む。

『隊長! 早く!』

『すまん、カリーナ!』

 ジャバコの息の根を止めたガンブラスターのパイロット、カリーナが叫んだ言葉にそう答え、ライアンは機
体を反転させた。しかし、すでにエアの艦体ははるか下に存在していた。それを追うライアン。

『おおおおおお!』

 ライアンの叫びが、外部スピーカーを通じて周囲に響く。誰もが皆。『間に合え!』と心に念じる。しかし、
無常にも艦の高度は下がっていく。そしてさらに、艦の後部から爆発が起こった。ミノフスキードライブユニ
ットの内部に封じ込められたIフィールドが破損し、内部で閉じ込められているミノフスキーフィールドが発
生させた冷却前のメガ粒子があふれ出たのだ。それを、ライアンはとっさにビームシールドを展開して防御し
た。しかし、そのせいでヘキサは弾き飛ばされたのだ。

「ああ!」

 誰が、かはわからないが、そう叫ぶ声が聞こえた。これではもう、間に合わない。そう思ったのだ。そして、
全員が悲壮な顔をした。どんどんと小さくなっていくエアの姿。それがあと少しで、地面に激突する。全員が、
手を前に組んで、祈る。「神よ!」

 そして運命の瞬間がやってきた。艦が、ついに地面に激突したのだ。艦尾のほうから、激突し。その辺りが
自重を支えきれず、ぐしゃり、とつぶれる。その瞬間、艦が上を向いた。続いて艦の上半分が地面に叩きつけ
られ、艦はばらばらになるだろう。その中にいる人間など、奇跡がおこっても助かることはない。それを目撃
した全員が、自分たちのミスを悔やんだ。が、

「お、おい! ビクトリーが!」

 という叫びが空を裂いた。それを聞き、誰もが「え?」という顔になり、目を下に向ける。すると、艦が上
を向いた瞬間。モビルスーツデッキから、一機の白いモビルスーツが。ダッシュパックを背負ったビクトリー
が、飛び出してきたのだ。

「あれは、ジェスタのビクトリーだ!」

 頭部に黄金の角を持つビクトリー。その標準仕様のビクトリーをエアで使っていたのは、ジェスタのみ。ジ
ェスタの予備機として保管されていたそのビクトリーが、飛び出してきたのだ。まさに、間一髪のタイミング
で。そのことに、全員が歓声を上げた。奇跡の脱出。それを、目の当たりにして。


 そのビクトリーのコックピットの中。そこに、二人の姿があった。前のコックピットシートに、ミューレが。
その後ろの空いたスペースに、実に窮屈そうにしたニケが収まっている。二人はコックピットのモニターに映
し出されている、地面に叩きつけられて原形をとどめないまでに破損したエアの姿を見て、

「あー、ホント、危機一髪」

「寿命が縮んだわよ……」

 ミューレとニケは、それぞれにそう呟いた。二人とも本当にぎりぎりで命を拾ったためか。そろって顔は微
妙に引きつっている。安堵するよりもあと少しでエアと運命をともにしていた、という恐怖のほうがまだ強い
のである。実際、眼下で大破しているエアの姿を見ると今自分たちが生きているのが不思議なくらいだ。

 あの時、絶望に包まれていたニケに格納ををすばやく見回したミューレが語りかけたのだ。「あのビクトリ
ーは使えないの?」と。そしてそちらに目を向けると、ジェスタの予備として整備を終えていたビクトリーが
一機。ハンガーに固定されたまま安置されていた。

 それを見たニケは、ビクトリーを使って脱出できるかも、と思った。だからミューレの言葉に頷き、ともに
ビクトリーの足元に走りよった。勝手の分からないミューレの代わりにニケが脚部の操作パネルを操作して乗
降用ワイヤーを下ろし、二人でワイヤーにつかまって腰のフロントアーマーに乗り、まずはニケがコックピッ
トの横からパネルを操作してジェスタ用にカスタマイズされているバイオセンサーやバイオコンピューターの
設定をクリアにし、ニュートラルに戻す。それからニケが後部スペースにもぐりこんで、ミューレがコックピ
ットシートについたのだ。それで、きわどいところを脱出できた。正直、モビルスーツに詳しいニケと、パイ
ロットとして非凡な才能を持つミューレ。この組み合わせでなければぎりぎりで艦の崩壊から免れることが出
来ず、命を落としていたかもしれない。

『ニケ! そこにいるのか!?』

 降下してきたライアンのヘキサがビクトリーの肩に手を置き、そう語りかけてきた。一瞬、ヘキサが近づい
てきたときについこれまでの癖で身を硬くしたミューレだったが、直ぐにヘキサが敵ではない、ということに
気づく。

「知り合い? って言うか、あの大きな隊長さん、だね?」

「あたしの旦那。ええ。何とか生きてるわよ、ライアン」

『そうか。よかった。よし、お前たちは地上に降下して避難していろ。今、戦場はかなり上のほうが主流だ。
地表なら安全だからな』

 ライアンはそういうと機体を反転させて上昇していく。どうやら脱出したクルーたちを護衛し、地表近くま
で案内するつもりのようだ。戦場の中ではクルーたちの身の安全を確保するのも一仕事なのだから。

「旦那さんなんだ。おねーさん。結婚してたんだ? 子供、いるの?」

「いるわよ。まだ小さいけどね。今は事情があって預かってもらってるけど、これが終わったら直ぐに迎えに
行ってあげるつもりよ」

「子供がいるのに戦争をしているの? そんなことより、一緒にいてあげたほうがいいと思うけど」

「耳が痛いわね。でもね、その子供が安心して生きていくために、がんばるのも親の務めなの。それは誰だっ
ておなじ。きっと、あそこで戦っている連邦の軍人も、ザンスカールの軍人もね」

「……馬鹿馬鹿しいね、戦争なんて」

「ほんと、そうね」

 つまらなさそうに言い捨てるミューレの言葉に、苦笑しながら答えるニケ。そのまま二人の乗ったビクトリ
ーは高度を下げるボートを視界に入れながら同様に地上に向けて降りていき、ついに着地した。足元の地面は
雪に覆われている。が、ビクトリーの足の裏のセンサーがきちんと地表の様子を認識し、バランサーがオート
で滑らないように脚部のショックアブソーバーなどを調整する。ミューレはその様子をバイオ・コンピュータ
ーから来るデータで認識しながら、周囲の光景に目を向けて目を丸くした。

「何で夏なのに雪があるの?」

「さあ、どうしてかしらね」

 二人はそう首をかしげた。生粋のスペースノイドである彼女たちに、南半球の季節は北半球とは逆であると
いう知識も(宇宙での時間の設定はグリニッジ標準時を採用しているため、季節に関しても北半球のものが標
準なのである)、標高が高いところは気温が低い、という常識も知らない。なので、6月に雪があるという状
況は彼女たちには奇異に写るのである。

 と、そんな二人の目に、墜落してくるモビルスーツの姿がいくつか目に付く。火達磨になって落ちてくる機
体が、地面に落着して爆発した。宇宙とは違い、重力がある地球上の場合。空中戦を行った機体が撃破される
と地面に落着し、ああなるのだ。

「ここも思ったより安全じゃなさそうだね」

「地球って結構怖いとこだね。空からモビルスーツが落ちてくるんだ」

 ちらほらと隕石のように降ってくる大破したモビルスーツを見ながらそんなことを呟く二人。二人の頭上の
戦場は、今まさに混迷を極めようとしていた。


                     *****


 戦場は拡大していた。モビルスーツ隊は下から上まで広く展開しており、ベスパ艦隊の中枢まで連合艦隊の
モビルスーツは浸透していたし、逆にベスパのモビルスーツ隊もすでに連合艦隊にその牙を突き立てていた。
そして、両群の艦隊は必殺の牙を持つモビルスーツたちの攻撃から身を守りきれずに、次々と撃沈される艦を
出していく。そのうちの一隻が、連合艦隊の旗艦であるジャンヌ・ダルクであり、モトラッド艦隊の旗艦であ
るアドラステアだった。

 そして今、クロノクル・アシャーが乗るモビルスーツ、リグコンティオの一撃を受けて、リーンホースJr.も
また、そのエンジンに深い傷を受けた。ジャンヌ・ダルク亡き後、艦隊の中枢をになっていたリーンホースだ
ったが、エンジンの片方を損傷して継戦能力を失いつつある。なので、艦長であるロベルト・ゴメス大尉は特
攻を選択。リーンホースは最後の力を振り絞って敵艦隊の中枢に突撃した。

 その際、ベスパのモビルスーツ隊の集中攻撃を浴び、リーンホースは次々と損傷していく。そして最後には
ブリッジに肉薄したジャバコのヒートロッド、プラスビームライフルの一撃を受け、ブリッジは瀕死のゴメス
大尉の肉体ごと木っ端微塵に粉砕された。が、居残ったリーンホースのクルーが遺したプログラムによって、
艦首ビームシールドの変形。ビームラムはすでに展開しており、それを前方に展開しながらリーンホースはモ
トラッド艦隊のアドラステア級戦艦のどてっぱらに突っ込んで、そこで核爆発を引き起こした。

 宇宙とは違い、地球上での核爆発は圧倒的な威力の爆風を撒き散らす。その強烈な爆風を、二隻分の破片が
撒き散らされた結果、周囲の艦は甚大な被害を受けた。艦隊のすべての艦が撃沈されたわけではないが、それ
でもその一撃はモトラッド艦隊の艦隊としての機能を完全に喪失させたのである。

 その報告を受けたズガンは目の前の立体映像投影装置にこぶしを叩きつけ、叫んだ。「クロノクルめ! こ
の帳尻をどう合わせる!」艦隊司令としての責務を投げ捨て、モビルスーツに乗って出撃したクロノクルへの
その若さに対する怒りが、こう叫ばせたのである。

 そして、リーンホースの特攻によるモトラッド艦隊の壊滅。この事実が、ザンスカール側に流れつつあった
流れを連合艦隊側に押し戻す契機となった。数の面ではまだザンスカール側のほうが有利である。が、兵たち
の感情はそうはいかない。元々故郷であるアメリアコロニーから遠く離れた地球まで来ていることで不安を持
っていたザンスカール兵たちは、モトラッド艦隊壊滅の報を聞き、帰るところがなくなるのではないか、とい
う不安をあおられることとなる。「地球を守る」という大義を、目的意識を持って戦う連合艦隊の兵たちとは、
もはや戦闘に対する意欲が違っていた、というわけだ。彼等は、本音では「家に帰りたい」というものを徐々
に思考の表層に現しだしていた。

 そして、さらに戦場の流れが変わる。長きに渡り不気味な沈黙を守っていたエンジェル・ハイロゥ。その中
枢付近まで戦場は拡大しつつあったそのときに、光を放ちだしたのだ。いや、それ自体は以前からあった。そ
れとともに歌声のようなものが聞こえていた現象は確かに存在していた。しかし、今度の現象はこれまでとは
違う、蒼い冷たい輝きではなく、金色の、蛍のような燐光を放ちだしたのだ。それは、戦場全体に広がっていく。


                     *****


「あたたかい光だね、これ」

 地表付近でクルーたちの護衛を成り行きで行っているミューレが、上空のエンジェル・ハイロゥから降り注
ぐ金色の光を浴びながらそう呟いた。どういう理屈かは分からないが、その金色の燐光はモビルスーツの装甲
を透過し、コックピット内部に浸透しているのだ。

「装甲の温度は上がっていないわ。物理的な現象ではないということね。だとすれば、人の精神に作用して暖
かさを感じさせているということ?」

 ニケが後ろからコンソールパネルを伺いながらそう呟いた。彼女の言うとおり、機体の状態を表示するモニ
ターには機体そのものに異常は感知されていない。

「人の暖かさってこと? そっか。だからこんなに暖かいんだね」

「……そうね。歌声も聞こえるし。サイコミュが起動しているってことね。エンジェル・ハイロゥの」

 ニケはそういいながら、モニターに映し出されるエンジェル・ハイロゥを見る。全長二十kmの巨大な機械が、
重力に逆らって浮いているだけでも旧世紀の人間なら腰を抜かしてしまいそうな光景である。そして、それが
暖かな光を放ち、人の心に作用している。それは信じられない出来事であった。

「そうだね。……でも、暖かいけど、どこかさびしい気がする。どうしてだろう」

 ミューレはそう呟いた。が、本人にもその理屈は分かっていた。この温かさは人の温もりだ。そして、聞こ
える歌声は、こう訴えている。人々よ。自らの戻るべきところに。帰るべき家に帰りなさい、と。しかし、ミ
ューレには帰るべきところなどない。なので、どうしてもその暖かさを感じ、歌声を聴くことで寂しさを感じ
てしまうのだろう。

「ボクには帰るところなんて、ないから」

 ポツリ、と呟くミューレ。その言葉を聞いて、ニケが軽く目を開き、それから柔らかな微笑を浮かべて、後
ろからミューレの頭を小さく小突いた。

「あいた」

「馬鹿なこといってんじゃないの。人間、帰るところなくったってなんとかなるものよ」

「そんなことないよ。おねーさんには分からないよ。おねーさんには待ってる家族。いるんでしょ?」

「そうよ。そこにいる旦那と、自分でおなか痛めて産んだ娘がね。でもね、ミューレ。あたしにもはじめから
この二人がいたわけじゃないのよ」

「え?」

 そう言ってきたニケのことばに、ミューレは言葉に詰まった。そして、考える。直ぐに気づいた。ニケの帰
るところは、夫と娘のいる家庭だ。そこは、彼女自身が母親であって、彼女の親が待っているわけでないのだ
ということに。

「ライアンとであって、それから結婚。レナを生んで家族が出来たの。それより前は、機械いじりしか知らな
い小娘だったんだから」

 昔を懐かしんで言うニケ。マケドニアで生まれたニケは、幼いころに親を失った。その後、機械いじりをジ
ャンク屋を手伝って覚えて、ある程度年を重ねてから軍に入った。軍の整備士なら食いっぱぐれがないだろう
と思ったし、モビルスーツを触るのが面白そうだという動機からだ。そして、パイロットをしていたライアン
と出会い、今に至るのである。

「家族……作れるもの、なのかな」

「そうよ。家族は、作れるの。もちろん、一人じゃ作れないわよ。他の人と一緒に作るの。人は、一人じゃな
いからね。これはライアンが言ってたことだけど」

 そう言って、ニケは前置きをしてから、手を伸ばしてミューレの見えるところ。ビクトリーのモニターにな
っているキャノピー部分に指を当てて、

「漢字。中華系の人とか、日系人とかが独自の文化圏で使ってる文字で、「人」ってこう書くの」

 言って、ニケは漢字の「人」という文字をキャノピーに描く。その指の動きを見たミューレはその形を心の
中でイメージする。

「よく言われていたことだけどね、「人」って言う字は、二つの線がお互いに寄りかかって支えあうことで成
り立つそうよ。それで、「人間」って言う言葉は人と人との間にかかわりがあるからこそ成り立つものだって
言う話もあるの」

 かつてライアンから聞いた話しをするニケ。ライアンはどういうわけか東洋の文化に興味があるらしく、そ
の方面の知識などが豊富なのである。まあ、だからこそハルシオン隊に翡翠の色を当てるなどという発想が出
たわけだが。

「関わり合い、ってことは喧嘩とかも含まれるんだね」

「もちろんよ。喧嘩だって立派な関わり合いよ。あたしだって、ライアンとはよく喧嘩するもの。そのせいで
レナによくしかられてね」

 くすくす、と笑う。それからニケは笑顔のまま続けた。

「人同士関わりあって、家族になる。はじめは二人で。それから、自分で子供を生んで、家族を増やしていく。
悩みの種も増えちゃうけど、その分生きがいも増えるしね」

 ニケの言葉を静かに聞いていたミューレは、一度。自分の腹部に目を落とす。下腹部。ここにある臓器が、
子供を育む器官だ。女であるミューレにもあるし、彼女自身。母親のそこから生れ落ちたのだ。それを思い、
静かに言葉を紡ぐ。

「子供を生む。お母さんになる。……ボクにも、できることなのかな」

「出来るわよ。女だもの。男には出来ないこと。女にしか出来ないこと。それが、子供を生むということ。母
親になるということよ」

「そうすれば、帰るところが出来るの?」

「出来る、じゃないの。作るのよ。それが、人の営み。大人になるって、そういうことよ」

 ただ、守られるだけではなく。自分で守るべきものを見出し、作り出すということ。それが出来て初めて人
は大人になるんだ、とニケは思う。 

 昔はそれが分からなかったんだけどねー、と笑うニケ。それは子供であるミューレには出来ない大人の。母
親の笑顔だ。それを背後をうかがってちらりと見たミューレは、目からうろこが落ちる気分だった。ただ与え
られるのを待つのではなく、自分で作り出すということ。それが、人という存在の強みであるということ。当
たり前の、そんなことをミューレは知り。そして力強い笑みを浮かべた。

「そっか。それが人、なんだね。ボクも、お母さんになれるんだ」

「なる、ならないじゃないんだけどね、母親なんて。女って生き物は子供を生んだら誰だって母親になるの。
まあ、その後きちんと母親を「やれる」かどうかは別問題だけどね」

「そうだね。ボクの親は「親」をしなかったから」

 ニケの言葉に少しだけ言葉をにごらせるミューレ。その言葉に、ニケはミューレが自分のうかがい知れない
過去を持っているのだと思った。口には出さなかったが、実際。ミューレの親は父が幼いころに女を作って家
をでて、そのまま消息不明となった。その後、捨てられたことで精神を病んだ母親がミューレと無理心中をし
ようとしたのだ。そのとき、泣きながら母親はミューレの首を締め、ミューレは気を失った。気を失った時点
で、母親はミューレが死んだと思ったのだろう。実際にはただ、酸素不足で気を失っていただけだったミュー
レが目を覚ました時、目にしたのは風に揺られ、所在なげにゆれる事切れた母親の首吊り死体だった。そのせ
いで、ミューレは心を閉ざしていたのである。

「でも。ボクはきちんとやりたいって思う」

「なら、がんばらないとね」

「うん。ありがとう、おねーさん」

「どういたしまして」

 そう笑顔で言い合ったとき、また一隻。地表に艦船が墜落してきた。かなり離れたところにではあるが、炎
に包まれた三百メートルほどの大きさのカリスト級巡洋艦が地面に叩きつけられ、艦の構造物を周囲に撒き散
らし、同時に核融合炉が爆発するのは恐ろしい姿だった。

 その爆風を、ミューレはビクトリーにシールドを張らせて後方のクルーたちにやり過ごさせる。すでに地面
に落着したボートの床に伏せたクルーたちは、ビクトリーなどの機体のシールドのおかげもあって全員難を逃
れていた。

「戦場が広がりすぎてる。地上に降りてきてる機体もあるわね」

「推進剤がなくなれば、降りざるを得ないもんね」

 周囲を見て、レーダーを機能させてそう言い合う二人。しかし、全体的に戦闘自体はだんだんと沈静化して
きているようだ。それに、このエンジェル・ハイロゥの輝きが効果を及ぼしているのは間違いないだろう。

 そう思いながらミューレが何気なく顔を上げたら、エンジェル・ハイロゥが更なる異変を見せていた。

「エンジェル・ハイロゥが」

「分解している?」

 二人の見た先。はるか遠くで、エンジェル・ハイロゥが浮上しながら徐々に解体していっているのだ。それ
を見て言葉を失う。そして、それに合わせて急激に戦闘が収束していくのが分かった。わけの分からない事態
になり、戦闘意欲を失ったものが続出したのだ。特に、ザンスカール側の兵たちはエンジェル・ハイロゥにた
てつづきに起こった異変に不安が爆発し、投降するものが続出しだした。中には、艦ごと投降無線を打つもの
もでてくる始末である。いまだ、カガチとズガンが健在ながら、もはやザンスカールは。ベスパは負けたも同
然だった。


                     *****


 崩壊してゆくエンジェル・ハイロゥの中。そのセンターブロックにおいて、避難をすすめるエンジェル・ハ
イロゥのクルーたち。キールームの女王の娘。シャクティ・カリンに言われ、全員が避難を開始したのだ。が、
一人。ニュータイプ研究所からきたあの女性スタッフは避難をしようとはしなかった。彼女はエンジェル・ハ
イロゥのコントロールルームにではなく、別の部屋にいて、今の状況を解析していた。そんな彼女に、

「何をしているんだ! 早く避難しろ!」

 と、声をかける男がいた。が、彼女はそちらのほうに億劫な様子で首をめぐらせて、

「避難? なぜ? こんな状況なのよ。きちんとデータを取らないと」

「何を言っている。こんなわけの分からない状況なんだぞ」

「だから、よ。これがどういう原因なのかは分からない。機械が反乱したのか、姫様の祈りに答えたサイキッ
カーたちの望みなのか。少なくとも、私たちの設計や想定していた状況ではこの状況はありえないわ」

「だからどうしたというんだ!」

「なればこそ、その原因を調べるのが科学者の責務でしょう? 逃げたいのなら逃げなさい。私は最後まで残
って、これを調べ上げる。それが、私たちの仕事よ」

 彼女は実に楽しそうに言った。その言葉に絶句した男は、彼女が言葉で言ってもとまらないと確信。舌打ち
すると。「好きにしろ!」といい残してそのまま走り去っていった。それを見送った彼女は再び手元のモニタ
ーに向き直り、

「すばらしいわ。私たちの想定を越え、機能を発揮するサイコミュ・システム。これが、機械が人を超えたの
か。それとも人が機械を超えたのかはわからない。でも、これこそが人の可能性というわけなのよ」

 彼女はそう言って興奮を隠し切れなかった。人は、無力だ。真空にさらされれば直ぐに死ぬし、個体では獣
にさえやすやすと殺される。高いところから落ちてもなすすべもないし、病気にかかってあっさりと死ぬこと
もある。しかし、それらを踏まえながらも人は知恵を絞り。道具を作り出して生活圏を拡大し、敵を駆逐して
きたのだ。それを行ってきたのは、常に最先端に生きる科学者たち。

 今、彼女はその最先端にいた。この状況を完全に理解し、その先に進めば人はさらに強くなり、新しいもの
を作り出すことも出来る。その予感が、彼女を突き進めていた。故に、今自分がいるところがどうなろうと。
その先が奈落に通じていようとも、ただ一人。この場において彼女は確実に勝者だった。


                     *****


 徐々にブロックが分かれ、それが単独で浮上しながら移動を始める。それは不気味な光景ではあったが、同
時にえもいわれぬ神秘的な圧力も感じさせる。そして、多くのモビルスーツがそんなブロックを避けたり、足
場にしながら戦闘を継続している。推進剤を使い果たし、地上に降りてなお戦闘を続ける機体も珍しくはなか
ったが。

 ハルシオン隊の機体は、ライアンに従って地上に降りた三機と、ジェスタらとともに前線に出たものの、推
進剤を使い果たし、地上に降りてきたガンブラスターをあわせた合計六機の機体が現在エアのクルーたちの護
衛に回っていた。

 そんな中、ミューレは息を呑む。そして天を見上げて難しい顔をして、

「そっか。覚悟を決めたんだね、フィーナ。なら、ボクも」

 といって、機体の出力を上げようとして、ためらう。自分ひとりならいい。しかし、今はニケが同乗してい
る。かといって、今の状況でニケを機体から下ろすのは不可能に近い。

「どうしたの?」

「えと。あのね、フィーナが。ボクの友達が、覚悟を決めたみたいなんだ。最後の戦いの。だから、ボクはそ
れを見届けに行きたいの」

「最後の? どういうこと?」

「戦争が終わったから。だから、フィーナは決着をつけたがってるんだ。ジェスタと」

「! ジェスタと!?」

 ミューレの言葉にニケは息を呑んだ。フィーナとジェスタの関係については知っている。ジェスタもまた、
この戦いの中。フィーナとは決着をつけると語っていたことも。だが、どうして今なのかが分からない。

「フィーナは戦争をやる気がないから。だから、戦争が終結してから個人的にジェスタと戦うんだよ」

 さびしそうに、悲しそうに言うミューレ。それは、フィーナの死をも辞さない決意に関しての感情でもあり、
同時に。その相手として選んだのがジェスタというのが気に食わない、というのもある。

「不器用なんだね、その子も」

「うん。ボクたちって、あんまり世間のこととか知らないから。だからこんなやり方しか出来ないんだ。……あの」

「行きたいんでしょ? 友達のところに。いいわよ。私はここで我慢しておくから。行ってもいいわよ」

「いいの?」

 驚きの表情になるミューレ。それに、ニケは笑みを浮かべて、

「まずはライアンに通信をつないでからね。一応言っておかないと」

「うん。そうだね」

 いいながらミューレは周囲への監視を怠ることなく、通信をつなぐ。若干ノイズが混じるものの、この近距
離では流石に通信が繋がる。

『どうした?』

「あの……」

 通信が繋がったとたん、若干萎縮するミューレ。それを見てニケは苦笑して、口を挟んだ。

「この子が友達に会いにいくのよ。それでここから離脱する許可が欲しいのよ。それだけ。いいでしょ? 戦
闘は終結しそうなんだし。もうこの辺りの危険性も少なくなってる。ビクトリーの一機が抜けても大丈夫でし
ょうに」

『いや、二機だ。俺も同行させてもらう。妻を守るのは夫の務めだろう』

 ライアンはきっちりとそういいきった。その言葉にニケがきょとん、とし、次いでわずかに頬を赤くして、
「馬鹿。何言ってんのよ」と呟く。

「愛されてるね、おねーさん」

「やめてよ、恥ずかしい」

 顔を真っ赤にして言うニケ。人に言われると余計に恥ずかしくなるが、悪い気はしない。そんな会話を交わ
す二人から離れ、ライアンはこの場を護衛する残りの三機に通信をつないだ。

『すまない。俺はここから離脱する。後のことは頼むぞ』

『了解』

『後は任せてくださいよ、隊長』

『その代わり、何か奢ってもらいますよ?』

 口々にそういう隊員たちの言葉にライアンは苦笑しながらも、了承した。それを聞いたニケもまた、困った
ような顔をしたが、彼らに対して礼を言うと、一言ミューレに声をかけた。そして外部スピーカーにつないで、

『じゃあ。皆さん。悪いけどボクたちはここから離れます。みんな気をつけてね!』

 そういうと、ミューレとライアンはそれぞれ機体を大きくジャンプさせるとダッシュパックから大きく火を
吹かせて一気に上昇して言った。ミノフスキーフライトを装備しているビクトリータイプなら、ここからで単
独でもかなり上空まで飛行できるというものだ。そして二機のビクトリーはまっすぐに、深夜を通り越し、徐
々に朝になろうとする空にすいこまれ、消えていった。それを見送った、エアのクルーたちと居残ったハルシ
オン隊の隊員たちは、全員が敬礼をした後、それぞれ戦闘の終結をその場で待つことになる。


                     *****


 主戦場からはるかな高さに、二機のモビルスーツの姿があった。夜を通して戦いに明け暮れる空に溶け込む
ような、暗い色彩を持つモビルスーツ。フィーナの乗るディーヴァと、サフィーの乗るゲンガオゾの二機であ
る。

 そのコックピットの中で、二人は静かに戦争の推移を見つめていた。エンジェル・ハイロゥが異変を迎え、
急速に戦場の空気が変質していくのを、二人はじっと見つめていた。はじめ、歌声が響き。それから金色の光
が降り注いだ。そして今やそれもやみ、エンジェル・ハイロゥが解体を始める。それが何を意味しているのか。
フィーナとサフィーには分かっていた。

「エンジェル・ハイロゥのキールームにいる人は、みんなに待っている人の元へところに帰れって言ってるんだね」

 静かに。さびしそうに呟くフィーナ。歌声と、暖かな光。その二つが伝えてきたメッセージはまさに、それ
だった。事実、戦場にいる多くの兵たちはそれらを受けて郷愁に駆られたものも少なくはない。しかし、この
二人は違う。はじめから、二人には帰るところなどないのだ。だからこそ、暖かさを感じても、そこから汲み
取れるものは言い切れないわびしさに過ぎないのである。

 解体してゆくエンジェル・ハイロゥを見下ろしたフィーナは一度。大きく息をついて。目をつぶる。それか
ら静かに目を開けて、そこに決意の色を浮かべると

「みんなごめんね。まだ、あたしは戦いを捨てるわけには行かないんだ。まだあたしは、何も見つけていない
から。進むべきものも見えていないから。だから、まだここから出て行けないんだ」

 解体をはじめ、宙を舞うリングスクラップ。そこから伝わる思念を感じながらも、フィーナは悲しげにそう
言った。サイキッカーたちは。キールームで祈る人は闘いの業火で身を焼くことの愚かしさを伝える。フィー
ナにもそれは痛いほどわかることだった。だからこそ、そこから前に進むために。最後の一歩を踏み出し、そ
の先の初めの一歩を得るために、明日のために踏みとどまらなければならない今日があるのだ。

 それを自覚したからこそ、フィーナは決断したのだ。フィーナは通信をサフィーにつなぐと、

「サフィー、覚悟を決めたよ」

『行くのね、フィーナ』

「うん。それで、頼みがあるの」

『何?』

「もし。もしね、あたしが。ジェスタにやられちゃっても。絶対に、あいつのことを憎んだり、うらんだしないでね」

 その言葉を聞き、ゲンガオゾのコックピット内でサフィーは顔をゆがめた。そして大きくかぶりを振ると、
一度言葉を吐こうとして唇を震わせて、気を取り直してから

『フィーナ。自分で出来ないことを、あなたは私に押し付けようというの?』

「ごめん。勝手な事を言ってるって言うのは分かってる。でも」

『分かったわ。あなたの覚悟の重さは。まったく、罪なことを言うわね』

「ほんとにごめんね、サフィーだって辛いのに」

「いいのよ、別に。……安心しなさい。あなたの思いはきちんと汲むから。その上で、あなたたちの邪魔は誰
にもさせないわ。だから、思い存分戦いなさい』

「ありがとう、サフィー。じゃあ、行くよ。あたしたちの、最後の戦いだ」

『ええ、そうね』

 二人はそう言葉を交わすと、機体を傾け。そして、一気に機体を降下させた。散発的な戦闘が行われるだけ
になったそこに向けて。二人は、最後の戦いに赴くのだった。


 モビルスーツデータ

 ZM-S06G  ゾリディア

 頭頂高 14.7m  本体重量 9.8t  全備重量 20.9t  ジェネレーター出力 5440kw
 
 武装 ビームサーベル×2・ビームシールド・胸部バルカン砲・ハードポイント×2

 ZM-S06GはZM-S06Sゾロアットの地上型改修機である。モトラッド艦隊が地球に侵攻する際に、地球での戦闘
に対応した機体、という形で開発されたモビルスーツ。それが、ゾリディアである。
 その改修点は、機構的なもので言えば、まず挙げられるのは頭部のセンサーの換装であろう。デュアルタイ
プだったゾロアットのそれに対し、ゾリディアのセンサーはゴーグルタイプのものに変えられている。それに
よって大気中での視界を広いものにしたのである。その上で、頭部の冷却ダクトを大型化し、電子装備の冷却
効率を引き上げたのである。
 そのほかの大きな改修点は、ゾロアットの特徴とも言えた武器内蔵式のショルダーアーマーが、1G環境下
では機動性を鈍らせる危険性があるとのことから廃止され、小型のスパイクアーマーに換装されている。そし
てそれにあわせ、微妙に使いづらかった左肩のビームシールドも使い勝手のよい通常型のものに変えられるこ
ととなった。
 とはいえ、ゾリディアはそれだけの改修点だけで地上用に改修できるというゾロアットの基本設計のよさを
証明することになる機体であった。なお、余談ではあるがエンジェル・ハイロゥの地球降下後の戦闘において、
地上用のゾリディアとともに、宇宙戦用のゾロアットも地上戦に参加していたというのは少々皮肉な話である。


 ZM-S20S  ジャバコ

 頭頂高 15.7m  本体重量 9.9t  全備重量 18.2t  ジェネレーター出力 4990kw

 武装 ヒートロッド×2・ビームサーベル×2・ビームシールド×2・ハードポイント×2

 この機体はコンティオのフレームを流用して作られた接近戦闘用のモビルスーツである。その最大の特徴は
両腕に装備された、ヒートロッドであろう。この装備は一年戦争時のモビルスーツ、MS-07グフに装備された
同装備とおなじものであり、対モビルスーツ用の打撃と電撃によるダメージを期待されて開発されたものである。
 しかし、有効範囲はそう長くはなく、対モビルスーツ用の接近戦等にしか使い道のない装備に過ぎず、今ひ
とつ使い勝手がよくはなかったようである。とはいえ、ビームシールドの装備が一般化して中距離の戦闘で決
着がつきにくくなった現代において、接近戦闘において間合いの広いこの装備は有効となるはずであった。
 が、確かに有効ではあったが、それでも期待していたほどのものではなかったのである。特に、乱戦状態に
なれば一機の敵に対してヒートロッドを使っている間に、周囲から他の敵に襲われるというケースも目立って
いたという。
 さらに、ヒートロッドのせいで他の機体の武装を流用できず、専用のビームライフルを開発せねばならなか
ったなど、費用対効果の面で見るとまったく割に合わないモビルスーツであった。

 
 ZMT-S34S リグ・コンティオ

 頭頂高 16.3m  本体重量 10.7t  全備重量 21.4t  ジェネレーター出力 6500kw

 武装 胸部三連ビーム砲・ビーム内蔵式ショットクロー・ヴァリアブルメガビームランチャー
    ビームサーベル×2・ビームシールド×2

 この機体はその名のごとく、格闘戦用モビルスーツ、ZM-S14Sコンティオをベースにして開発したモビルスー
ツである。そのコンセプトは接近戦闘用モビルスーツとしての機能を特化させながらも、同時に遠距離攻撃能
力も持たせようというものだ。設計思想から見れば、ZMT-S33Sゴトラタンと同じである。もっとも、開発陣が
同じなので似たコンセプトになるのも当然なのだが。
 この機体に使われている武装は、基本的にコンティオのものを流用しているが、それらを強化したものばか
りである。特にショットクローに関して言えば、ミノフスキーコントロールを取り入れることで有線タイプの
ものから無線タイプのものに切り替えられている。これは、リグ・コンティオだけに見られる装備である。
 そしてもう一つ、肩に装備されたヴァリアブルメガビームランチャーは、コンティオカスタムに使われてい
たそれとまったくの同装備である。というより、この機体のために開発していた装備を、テストを兼ねてあち
らの機体に装備させていた、というのが正しいのだが。このヴァリアブルメガビームランチャーはF91が装備
していたVSBRと同じ技術からなる装備で、ビームの速度を変更しての撃ちわけが可能となる装備であった。
 これらの装備から、このリグ・コンティオは非常に優れた性能を発揮したものの、結局はコンティオと同じ
くパイロットを選ぶ癖の強い機体に終わってしまった。これは、人材の少ないザンスカールという国家では仕
方のない話ではあったが、コンティオ、リグ・コンティオともに非常に優れたモビルスーツであったためその
評価が低くなったのは残念な話である。