機動戦艦ナデシコSEED

PHASE01. 「その名はナデシコ」


 

 

 

 リィ    リィ    リィ

 

 虫の声が空に響く。

 草むらの中で繰り広げられる虫たちの演奏は様々な音と重なる。

 それはひとつの流れとなり聞く者の心に響く。

 

 きれいな…、音色だな…。こんなの久しく聞いていなかった…

 

 虫たちの声が響く中、風が吹く。

 自分の肌に風が触れるのを感じる。

 

 もう俺の触覚など、殆ど無いに等しいはずなのに…。

 

        フワッ

 

 風と共に草木の香りが鼻に届く。 

 草木の匂いを…嗅いだ。

 久しく、そして最早嗅ぐことのできない匂いだった・・・はずだった。

 もう、彼に嗅覚など無いに等しいはずなのに。

 

                     リィ    リィ    リィ

              

    サァァァーーーーー

 

 虫たちの歌声が響く。

 風が草木を通る音が耳に届く。 

 決して感じることのできないはずのその音と感覚。

 全てが懐かしく…彼の心を揺さぶる。

 

        ツゥ

 

 なぜか涙が溢れる、          なぜ…

 涙などとうに枯れたというのに…、           なぜ…

 

 ふいに、あの光景が浮かび上がる。

 小さい頃、火星にまだ住んでいたあの頃、あの場所…。

 あの草原が浮かび上がる。心の底に眠っていたあの光景が蘇る。

 あの火星での草原の思い出が、彼の心の底から蘇る。

 

 ここは…、どこなのだろうか?

 

 恐々と目を開ける。

 視界がぼんやりしていてはっきりしない。

 しかし、自分の目がいつも付けている視覚補助のバイザーを通していないのはわかった。

 頭の中もいまいちはっきりしていない。ジャンプの影響だろうか?

 彼は草むらの中からゆっくりと起き上がり…

 目を擦る。こすった感触がいやにはっきりだった。

 もう一度目を開ける。今度ははっきりみえる。

 久しぶりにはっきりと目に映る世界は実に広く見えた。

 首を動かし空を見上げる。

 

 目に映るのは、煌々と輝く星々と、太陽の光を浴びて輝く月

 

 すごくきれいな夜空だ…。最後に空を見上げたのはいつ頃だったか?

 しかし…

 「何故…ここまで見える。」

 

 視覚補助のバイザーもなしに見るきれいな月。 

 一体、ここまではっきりと月を自分の眼で確認したのは、いつの事だったろうか?

 あのやさしかった日々。

 周りにはナデシコにいた仲間、愛する人、大切な家族と。

 その時あった幸せを感じて。

 

 「視覚が…戻っているのか?聴覚が、嗅覚が…五感が…元に戻っている!!」

 

 事態についていけず混乱する。

 

 (何が起こったっていうんだ!奇跡が起こったというのか!)

 

 月の光を浴びる己の体を見てさらに驚く。

 いつも着用している黒いの戦闘服ではなかった。

 そして彼の横には大きな荷物と、・・・見覚えのある一台の自転車がある。

 

 「これは…、俺が地球で昔コックをしていた時の、服装だ…いったい何が」

 

 驚きの連続だがそのままにしておくわけにはいかなかった。 

 現状を確認し…彼はこれまでの状況を整理し始める。

 

 俺は…、 『火星の後継者』共を抹殺しながら、

 ラピスと共に『ユーチャリス』を駆りながら宇宙を航海していたはず。

 しかし途中でルリちゃん達『ナデシコC』に発見され、逃げ切ろうとジャンプしようとした。

 だが強襲用のビームアンカーをジャンプフィールド発生装置に打ち込まれジャンプシステムは暴走。

 ナデシコCを巻き込んでランダムジャンプしてしまった。

 

 確か…、そうだったはず。

 

  

 ルリちゃん・・・       ラピス・・・         ユリカ・・・

 

 ルリちゃん…、おおきくなってたなぁ。

 最後に見たのが12歳だったから当たり前か…。

 それにすごくきれいになってたな…。

 

 ラピス…。

 ジャンプ処理は受けていたから大丈夫なはずだが…。

 大丈夫だろうか?

 ほんと、誰かを巻き込んでばかりだな…オレ。

 

 そして、

 

 ユリカ…。

 もうすぐ退院だっけか。

 ユリカ…。

 

 サァァァァァァァァ

 

 一際風が強く吹く。

 ・・・

 せめて、せめて残りの人生に幸せがあらんことを…。

 せめて…。

 

 「あれ、なんで…」

 

 なんで…、なんで今更涙なんか…。

 置いてきたはずなのに。

 もう忘れたはずなのに。

 ユリカへの思いなど、救出した時に捨てたはずなのに。

 なんで、なんで今更。

 今更…。

 

 こんなにユリカを恋しく思うのか・・・。

 

 「クソ、クソッ!なんで今更。

 今更、今更こんなに泣くんだよ!」

 

 涙が止まらない。

 

 そうだ。結局、忘れることなんてできないんだ。

 あの幸せだった日々。共に過ごした日々。

 

 「うぅ。うぁぁぁぁぁ」

 

 聞いときゃよかった。

 そうだ、聞いときゃよかったんだ。

 ごめん。ごめんルリちゃん。ごめんラピス。ごめん…、ユリカ。

 

 

 

 それからしばらく彼は泣き続けた。

 

 

 

 しばらくして、俺の脳裏に懐かしい声が聞こえた。

 (アキト!!)

 (・・・ラピス!!無事だったのか!!)

 (うん!! 今、私は昔いた研究施設にいるの・・・どうしてなの?)

 

 昔の研究施設、だと!!

 だとすれば、過去に・・・戻ったというのか!!

 確かにボソンジャンプは過去に戻ることもあるが…。

 しかし、ラピスとのリンクが繋がっているのは何故だ?

 

 (…アキト、私の身体が6才に戻っちゃってる。)

 

 そのラピスの言葉で、俺は確信をした。

 俺は・・・俺達は過去に戻ったんだ。

 

 (そうか…どうやら信じられない事だが、…過去に跳んだらしい。)

 (やっぱり、そうなんだ…)

 

 再び冷静に状況を整理する。

 おそらく俺の今の格好から考えて、飛んだ時期はナデシコ出航前。

 

 だとすれば・・・。俺は…心の奥底にとある願望が生まれた。

 いや、やつ等、火星の後継者との戦いの最中に時折り望んだあの願い。

 

 もう一度あの頃へ、という願い。

 その願いが叶う事など、…無い筈だった…。

 だが、今現在彼は過去に戻った。

 

 俺は、やり直せるのか? 俺は、またやり直していいのか?

 答えはでない。しかし・・・。

 現実として、やり直すチャンスがあるというならば、同じ過ちを繰り返す訳には、いかない。

 

 (ラピス!! 頼みがある、今の年月日と時刻を教えてくれ。)

 (うん…えっと、今の年月日は…。アキト、おかしいよ!年号が違う!)

 (何!)

 

 どうゆうことだ!?

 

 (ラピス!どうゆうことなんだ!?)

 (ちょっと待ってね…。今は…、コズミック・イラ69年?そうなってる…)

 (コズミック・イラ!?)

 

 違う…、俺の知ってる世界と違う…

 

 (それと、世界状況も全然違うよ!?まるで私たちの世界じゃないみたい…)

 (!!どう違うんだ?)

 (あのね…)

 

 ラピスから聞かされる驚きの事実。

 

 遺伝子操作されて生まれる種、コーディネイター。

 在るがままに生まれる種、ナチュラル。

 ファースト・コーディネイター、ジョージ・グレンという一人の男の物語。

 木星への探査ミッション。

 そこから持ち帰った地球外生命体のの証拠、『エヴィデンス01』

 そこから巻き起こる論争。

 空にできるコロニー郡。

 ナチュラルとコーディネイターに生まれる亀裂、対立。

 

 そして…、ジョージ・グレンの死。

 そこから生まれる更なる対立。

 小さな流れはやがて大きな流れにまとまり、事件は巻き起こる。

 

 『血のバレンタインの悲劇』

 

 間をおかず起こる会戦。

 数で勝る地球連合軍に対して投入された新兵器。

 

 (モビルスーツ!?エステバリスじゃないのか?)

 (違うみたい。これはモビルスーツっていう兵器みたいだよ)

 (モビルスーツ・・・)

 (うん。バッテリーを主電源とした汎用兵器みたい。基本はエステとそう変わらないかも)

 (そうか…。ん、主電源がバッテリー?)

 (えっとね…、さっき話した会戦と共にプラント軍事組織ザフトは地上にNジャマーを打ち込んだの)

 (Nジャマー?)

 (核分裂なんかをジャマする兵器みたい。

 だから今地球圏じゃ核エネルギーは使用不能だって…。

 それでね、エネルギー不足が深刻なんだって。で、主なエネルギー供給の形がバッテリーになったみたいだよ)

 (…なるほど)

 (記録によると1年前、農業プラントに対して地球連合軍が核を打ち込んだんだって)

 

 なんてことを…、しかしそれでか。核による再攻撃を防いだんだな・・・

 

 (それで戦争が始まったんだけど、その時核を封じるために使用したみたい)

 (なるほど…、再び核が使用されるのを防いだのか…)

 (うん、で戦局はお互い疲弊したまま11ヶ月。この時事態が大きく変動してるよ)

 (変動?)

 

 なんだ?プラントの勝利に終わったのか?

 確かにエステバリスと同性能だというならば、戦闘機や戦艦のみじゃきついだろう。

 

 (・・・。木星トカゲの出現… )

 (!!なんだと!!)

 

 木連は存在しているのか!!

 

 (戦局は互いに疲弊して11ヶ月。突如、謎の無人兵器郡が火星を襲撃。

 …、いっぱい死んでるみたい。)

 (・・・そうか…。)

 

 どうやらまったく違うわけではないらしい…。

 

 (ラピス、ナデシコは存在してるか?)

 (ちょっと待ってね・・・、うんあるよ。もうすぐ出航みたい)

 

 !!ナデシコも存在している!?なら!!

 

 (ナデシコの…、ナデシコのクルーは!?)

 (えーっと、製造元はネルガル。艦長は…、ミスマル・ユリカ)

 

 !!!!!!!

 ユリカ!ユリカがいる!!

 

 (あと、あと…。ナデシコのオペレーターは…?)

 

 ドクン、ドクンドクン

 

 (オペレーター、ホシノ・ルリ)

 

 ああ・・・。

 この世界でも。

 俺の知らないこの世界でも、・・・ユリカ達はいる・・・。

 

 (・・・アキト。どうするの?)

 

 ・・・そうだな。

 おそらくこの世界は俺の知ってる世界とは違う世界。

 そう、おそらくここは平行世界なのだろう。

 だがナデシコがいる。あのナデシコが・・・。ならば…

 ユリカを、家族を前回の…過去の二の舞にはさせない!!

 

 (ラピス…、おそらく北辰はいるだろう。だが必ず北辰より先に、研究所から助け出してみせる!)

 (・・・)

 

 必ずだ。ラピスも俺の家族なのだから・・・。

 

 (だからこれから頼む事を…、地球で実行してくれないか?)

 

 これは未来への布石。この見知らぬ世界で生きるための…

 

 (・・・うん、解ったよアキト。私はアキトを信じる。)

 (・・・済まない。)

 

 そしてアキトはラピスにある計画を託した・・・

 この計画は、この先にどうしても必要になるだろう。予測が不可能な事態になるだろうが・・・。

 

 俺が自分の考えを全てラピスに話し終わった時、夜が明ける。

 薄紫の色合いに霞む空は、何かが始まる予兆のような不思議な空だった。

 

 (・・・大体そんな感じだ)

 (うん、わかった。やってみる)

 (頼む)

 

 最初の布石は打った。あとは・・・

 (じゃあそろそろ俺はナデシコに向かうよ)

 (うん、わかった。また話しかけてもいい?)

 (ああ、いつだって話し相手になるよ)

 

 寂しいんだろうな…ごめんラピス、今は側に居る事は出来ないんだ。

 今は話し相手としてしか、ラピスに接する事は出来ない。

 

 ・・・、またこうやってラピスにはつらい役目を押し付けてしまったな・・・

 

 今の俺じゃ話相手くらいしか出来ない。

 

 (じゃあもう行くよ、・・・ラピス…)

 (頑張ってね、アキト・・・)

 

 そうして、俺はラピスとの会話を終えた。

 

 これから始まる。新しい物語が・・・。

 俺の知らない世界で、俺は再び歩き出す。

 

 「行くか…」

 

 俺は再び歩き出す。ナデシコに向かって・・・。

 

 

 

 

 ブオォォォォンンンン

 

 自転車を走らせる俺の目の前を、一台の車が走り抜ける・・・

 そしてその車のトランクから一個のスーツケースが、俺に向かって落ちて来る。

 

 「うわっ!!」

 

 ガラン、ガラン!!

 凄い勢いで、スーツケースが俺に向かって落ちてくる。

 こんな所が同じように起こるなんて!

 俺は自転車をドリフトさせて急停止し、向って来るスーツケースを両手で受け止めた

 

 「びっくりした・・・」

 

 キキキッッ!!

 

 スーツケースを吹っ飛ばしてきた車が急停車する。

 あの中に…。あの中にユリカがいる。

 

 バタン!!

 タタタタタタ!!

 

 一人の女性が車から降り、俺に向かって走り寄ってくる。

  

 「済みません!! 済みません!! ・・・あの、怪我とかありませんでしたか?」

 

 俺の中で時が止まる。

 逢いたくて、逢いたくて、逢えなくなった人・・・

 俺の守りたかった人、ずっと一緒だと誓った人・・・

  涙が溢れそうになりながらそれを抑える。泣いてはいけない…

 

 「ああ、大丈夫だ・・・これ、君のかな?」

 

 さきほど受け止めたスーツケースを手渡す。

 俺の手は…、鉄の意志によって震える事なく。

 今、俺の目の前にいるユリカにスーツケースを渡せた。

 そして視線を彼女の顔に合わせると彼女がこちらをジーッと見つめているのに気がついた。

 「・・・あの、何か?」

 「あの、不躾な質問で申し訳ありませんが・・・何処かで、お会いした事ありませんか?」

 

 俺の顔を覗き込みながら、ユリカが話しかけてくる。

 

 「気のせいだ」

 

 正直、その視線に耐える事は…出来なかった。

 そのまま視線を合わせていると自分を保てそうに・・・ない。

 俺は横を向きながらユリカに返事をする。

 

 「そうですか・・・・」

 「ああ、それよりいいのか?連れが・・・待ってるぞ」

 

 車の後ろで荷物を詰めている男が顔をこっちに向ける。あれは・・・

 

 「ユリカ、急がないと遅刻するよ!!」

 

 ・・・昔からユリカの付き添いの苦労が絶えないよな、ジュン。

 

 「は~いジュン君!!ご協力感謝します!!では!!」

 

 そう言ってユリカはジュンの乗る車に向かう。そう、ユリカが行ってしまう・・・。

 

 「あ、あの!!」

 「はい?」

 

 自分の今の行為に対して、自分を罵る。

 

 クソッ!!なにやってんだ!俺は!

 

 俺は・・・自分の意思に反して、ユリカを抱き締めてしまいそうな両腕を、必死に抑えていた。

 

  「いや、ゴメン。なんでもないんだ・・・」

  「?それじゃ何度も言うようですが、重ね重ね感謝します。でわ!」

 

 くるっと回って車に向かう。

 

 「そのカバン。トランクに入らないから後ろの座席だよ」

 「は~いっ」

 

 今度こそユリカは車に乗って佐世保シティのドッグに向かう。

 やがて車が見えなくなった頃に。

 俺は低く・・・自嘲気味な笑い声を上げる。

 両拳を、きつく握り締め、足を震わせながら。

 

 「ククク・・・、クハハハハハ!!」

 

 がんばった。よく・・・、よく堪えた。

 

 「ハハハ・・・わかっていたはずなんだ。・・・わかってたはずなんだ ・・・。

 ユリカにあったらこうなるって。でも・・・、違うんだ。あのユリカは違うんだ」

 

 そう、覚悟していたはずだ。ここは俺の知らない世界。

 だからユリカだって俺の知ってるユリカじゃないかもしれない。俺の知らない・・・ユリカ。

 しかし・・・

 

 「変わんないな、アイツ。・・・変わらない…」

 

 アイツ、またフォトスタンド落として行っちまった。

 相変わらず抜けてるなぁ。

 この世界のユリカも、俺の知ってるユリカと違わなかった。

 だから・・・、だからこそ・・・、

 もう、不幸な目には合わせたくないんだ・・・

 

 「だから!! だからこそ!! 今度こそ守ってみせる!!」

 

 俺は決意を新たにし・・・ナデシコに向かって自転車を走らせる。

 ユリカが、ルリちゃんが、そしてみんながいるナデシコへ・・・。

 

 

 

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