(アレ――だろうな)

つい先程合間見えた翠の髪をした人間を思い出しピサロは小さく笑みを浮かべた。
サントハイムの王が予言した地獄の帝王を倒せる存在。
己の企てを阻む存在。
即ち――勇者。

「詰らん入れ知恵をしたのは龍の神か? この様な場所に村を構え匿うとはな」

勇者を、阻む者を捜し求めて世界各地で魔物を動かしてきた。
人間の振りをしてエンドールの武術大会にも参加し勇者がいないか探した。
世界中を探そうとも見つからなかった存在が今は同じ村の中に居る。
この後の惨劇を思い、ピサロは猛る気持ちを抑えなければならなかった。
まだ……まだ気づかれてはならない。
この村に配下の魔物が雪崩れ込んでくるまで、勇者の息の根を止め、その首を切り落とすまで。
だが彼にも、そして天空に座す龍の神にもこの後の運命の流れを知ることはできなかった。
それはまさしく彼にとっては皮肉としか言い様がない流れであった。

 

今現在この世界は混乱の世界とも言えた。
魔物が跳梁跋扈し、幾多もの村や町が滅ばされ、それらの生き残りが生きる為(とは限らないが)野党に身をやつす。
その野党が村を襲い、それらの生き残りが同じ様に野党となる。
幾多もの嘆願が城には寄せられ、その度に討伐隊が派遣されるが、それ以上に野党の発生量は多かった。
それらは最早、魔物と同類ないしはそれ以上の扱いであった。
魔物は人は殺し、その死骸を食むが、再興に必要な金品は奪わぬし、女を陵辱することもない。
だが野党は死骸を食むことはしないが金品を奪い、女を陵辱する。
戯れとすら呼べぬ陵辱とその後の凄惨な結末。
それらの光景を目の辺りにするものが居れば人こそが魔物だと断言するだろう。
それほどまでに残虐極まりない光景が広がるのだ。
それでも勇者が住む村は外界とは隔絶された――まるで異界の様に関係の無い事であった。

――その筈であった。

 

剣戟の音。燃え盛る炎に家が焼け崩れる音。悲鳴と怒号。
平和な村は阿鼻叫喚の地獄と化し、それに相応しい音が響いている。

「チッ!」

ピサロは舌打ちをしながら奇金属で造られた隼の剣を振るった。
一閃がニ閃。重さなどまるで感じない剣が振るわれるたびに二人の野党が事切れる。
こんな展開などまるで考えては居なかった。
本来は魔物が雪崩れこんで来る筈であったのに、雪崩れこんできたのは野党――人間だ。
その身が傷ついているところを見ると、恐らくはブランカの城の討伐隊より逃れる為に山の奥深くまで来てこの村を発見したのだろう。
疲弊しているとはいえ、数は多く、それならば大丈夫だろうと、攻め入ったのだろう。

(早々に配下の者供を呼んでくるべきだったな)

悟られぬ為に単独行動したのが仇となった。
否、仇とまでは言わないが面倒な事になったとは言えた。
彼の目的は勇者の抹殺なのだから。
それが自分の手であろうと、人間の手であろうと構いはしない。
寧ろ、この展開も一興だと考えている。
人間を救う為に導かれる勇者がその人間に殺されるなど笑い話だと。
再び剣を振るう。獣の様な形相をした男が血を吹き出しながら倒れる。
その血の紗幕の向こうに見えた翠の髪。
その傍には人とは異なる形状の耳をもった少女の姿。

(勇者など死んだところで構いもしないが――)

あのエルフの少女のみは助けたい、ふと、そう思った。
自分の想い人でも有る彼女と同じ種族であるあの少女だけは。
魔法を唱え、野党を退けてはいるが野党の数の前にはいずれ押しつぶされるだろう。
魔力は無限ではないのだから。
彼女がエルフということに野党は気づいているようだ。
その流す涙がルビーとなる事も知っているようだ。
ましてや容姿端麗な女性――捕らえられた後の運命など考えるまでも無い。
不本意、そう不本意ながらピサロは勇者が強い事を願った。
その願いは呆気なく裏切られていたが。

 

「っつ! シンシア! 逃げるんだ!!」

野党の剣を弾きユーリルは傍らの少女に叫んだ。
人を殺すのは始めてであったが、最早そんな事を言ってる状況では無かった。
何一つとして準備もできないうちに攻め込まれ、魔法使いはマホトーンでその力を封ぜられ、剣士は数の暴力の前に討たれた。
最早生き残っているものなど数えるほどしか居ないだろう。
それでも傍らの少女を死なせたくない為に懸命に剣を振るうユーリル。
自分が討たれるのは時間の問題であろうが、シンシアが死ぬよりは良い、そう考える。
だが、

「駄目、ユーリル貴方が逃げて。貴方が死んでしまったら……」

それ以上の言葉は続けられず、シンシアは手を突き出し、言葉と供に炎を生み出す。
焼かれ、悶える野党。
おぞましいまでに悲鳴を上げるそれにユーリルは剣を突き立て絶命させる。
剣を引き抜き再び構える。
後、どれくらいだ、と周囲を見回すと宿屋で出会った男の姿が視界に入った。
鬼神の如き強さで剣を振るい、野党など物の数にしない男。
あの男が数多くの野党を引きつけていなければここまで持たなかっただろう。
また一人、あの男の剣を前に地に臥した。

ユーリルは気づかない。
シンシアは気づかない。
ピサロは気づかない。

ユーリルは気づかない。
シンシアは気づかない。
ピサロは……気づいた。

ユーリルとシンシアの背後より忍び寄る者の姿に。

「背後を見ろぉおおおおお!!!」

光が集約する手を振りかざしながら叫んだピサロ。
ユーリルとシンシア、二人が同時に背後を振り向いた。
禍々しく光る鈍色。
ユーリルが剣を振るよりも早く、シンシアが魔法を唱えるよりも早く、それは、突き刺さった。

 

「シンシアッ!!」

世の中にこれほどまでに悲痛な叫びがあるだろうか。
剣を放り出し、倒れゆくシンシアの身体を抱きとめるユーリル。
と、同時に響く声。

「イオナズンッ!!」

あたりを真っ白に染め上げる閃光。
激しい風――爆風が吹き抜けピサロの周囲にあった家や木々をなぎ倒す。
その風は離れた所にいたユーリルにも届き、その髪を崩す。
今まで見た事の無い威力の魔法に野党達は浮き足立ち、逃げようとする。
自分達が決して戦いを挑んではいけない相手に戦いを挑んだという事に漸く気づいたのだ。
だがそれを許すピサロではなかった。
シンシアが傷つけられたのが、まるで己の想い人が傷つけられたかのように思え、赤眼を殺意に彩らせ剣と魔法を振るい始めたのだ。
それは鬼神の如く――などというものではなかった。
鬼神ですら恐れを抱きかねない程の冷酷、残虐ぶりを存分に見せつけた。

全ての野党が物言わぬ骸と化すのにさして時間は必要なかった。

 

 


 

 

血臭とよもやしたら微細な肉片すら漂っているのではないかと思えるほどの凄惨な光景が広がる。
ピサロが歩を進めるたびに踏むのは地か、肉か。
その歩みが止まった目の前にいるのは、ユーリルとシンシア。
それは額に収め、『悲劇』とタイトルをつけるのが相応しい姿。
地に膝を着き、シンシアの身体を抱きとめるユーリル。
そのユーリルの顔を見つめるシンシア。
その顔には既に死相が浮かんでいる。
それでも、それでもユーリルが道を違えぬ様に、と口を開いた。

「ユーリル……人を……人を憎まないで……」

口の端より流れる血を拭うこともせず、シンシアは言葉を紡ぐ。
それをなにも言わずに聞くユーリル。

「貴方が人を憎んでしまったら……なにもかもが……終わってしまうから……」

震える手をユーリルの頬へと持っていく。
冷たい手。ユーリルの心に盛る炎を消そうとせんばかりに。

「だから……お願い……私の好きなユーリルの……ままで……いて……」

流れる涙は紅玉へと代わり、その涙を拭おうとするユーリルの手で霧散する。
シンシアは言葉しか残す事ができない自分をこの時だけは怨んだ。
見つめるユーリルの顔が哀しみに溢れていて――。
それでも言葉しか残せないならと、

「お願い……」

ありったけの想いを込めてユーリルへと言葉を紡ぎ、その瞳より光が消えうせた。

「……」
「……」

ユーリルもピサロもどちらも言葉を発しない。
血の臭いを乗せた風が吹き抜けるだけ。
蒼穹の空は悲劇を知らないかのように蒼く、太陽は燦々と陽光を降り注ぐ。

「人を……憎まないでだって……? 君を……村の皆を殺したのに?」

まるで炎だ。ピサロはそう感じた。
吐き捨てる様な言葉は熱く、なにもかもを焼き尽くす韻だ。

「無理……だよ。どうして……憎まずにいられるものか」

掻き毟るように胸に爪を立てる。
滔々とその目よりは鮮烈な赤い涙が流れている。
シンシアの亡骸を抱いてユーリルは立ち上がった。
鬼の様な形相でその赤い涙は留まる事を知らない。

「これが……人間のやることなんだろ。これが……人間のもたらすものなんだろ」

ユーリルの血を吐くような言葉をピサロはどう聞いているのか、その静かな表情よりはなにも読み取れない。

「なら……なら……!」

「滅びてしまえ………………人類にんげんっ!!」

 

 

シンシアの亡骸を抱き、慟哭するユーリルにピサロが声を掛けた。

「貴様が……貴様が、その憎しみを忘れぬのであれば私と供に来い」

それに対してユーリルは無言。

「私もまた、人を滅ぼさんとするもの。神に弓引き、人を排さんとするもの」

馬鹿げた事を、とピサロは思うが口は止まらなかった。
間違いなく、自分はこの絶対の敵となる者に同情している。
大切な者を人の手によって傷つけられ、そして喪った者に。
恐らくは、いや、間違いなくその大切な者がエルフだという事も関係しているだろう。

「来い、勇者よ。我ら魔族にではなく、天空の者どもに剣を向ける勇者よ」
「……」
「全てを知りうる竜の神はなにもしなかった。貴様の絶望を見ていただけだ」
「……」
「貴様が人への憎悪を忘れぬ限り、我らは貴様を歓迎しよう」
「……なにもしない神。殺すことしかできない人間。それらを滅ぼせるというのなら――」

 

 

 

 

 

――僕は魔になろう

 

 

 

 

 


 

 

 

続きません

 

 

 

管理人の感想

はい、ダーク作家の汚名挽回中の皐月さんからの投稿です。

・・・つーか、話を進めるごとに本性が現れてないか、君?

この話はIFの世界かもしれないけどさ(苦笑)

どっちにしろ、ヒロインは殺さないと気がすまないわけね。

 

いや、本編の続きが楽しみですよ、わたしは。