Interlude――Ⅰ






「貴方は傍観者ね、セロニアス」

 ある日、姉様は何の脈絡も無く、僕に対してそう言った。
 いつもの事だ。この人は年中無休で良く分からない、傍から聞く分においては実にどうでも良い事を口にする。その癖、最終的にそのどうでも良い話が結論の伏線であったりするのだから、こちらとしてはそのどうでも良い話にもちゃんと耳を傾けなくてはならない。
 ただ問題は、そのどうでも良い話を伏線とする結果、乃至は結論が、本当に僕にとって役に立つ話なのかどうかが分からない事だ。近代哲学と医学療法士試験についての講義を四時間に亘って聞かされた挙句の結論が、やおい趣味の同人誌を文化として保護すべきという話だったりするのだからたまらない。また身長四〇メートルの巨人と昆虫を模した改造人間について熱く語っていた時、興味が無かったので聞き流していたら、それが結局僕の進路についての話だったりした。
 頼むから結論だけ先に纏めてくれ、と姉様にお願いしてみた。意味は無かった。いや、確かに結論だけ先に言ってくれる様にはなったのだけれど、今度はどうしてその結論に至ったのかを懇切丁寧に教えてくれる様になったのだ。この後に結論が来るんだと分かっているのならともかく、結論の“余り”を聞かされるのは結構辛い。借金をして欲しいものを買ったは良いが、後々借金の返済に悩まされる様なものだ。これならまだ、こつこつ働いて貯めた金で買う方が良い。労働の結果として対価を手にするのと、対価を得たが故に労働しなければならないのだったら、僕は前者を選ぶだろう。姉様の話の結論に、対価と言える程度の価値があるかどうかが分からない事だけが残念だ。
 という訳で、結論は最後に言う形に戻してくれとお願いしてみた。姉様にしてみればこちらの方がましなのか、気分を悪くする事も無く戻してくれたけれど。
 ただ、そのせいだろうか、前振りの時間と量が三割程度増えている様な気がする。
 今日は前振りに何時間かけるのだろうか、と思いながら、僕は振り向いて姉様と向き合った。

「傍観者……ですか?」
「ええ。傍観者。傍観者って言って、分かるかしら?」
「傍観。手を出さずに、ただそばで見ていること。その物事に関係のない立場で見ていること。それをする者」
「いや、そんな辞書みたいな答えは求めてなかったけれど……」

 知ってます。ちょっとした嫌がらせです。
 正直、僕も暇じゃないのだけれど。今日は天気が良いから、溜まった洗濯物を片付けてしまいたかったのだけれど。……多分駄目だろうな。日が暮れるまでに終わる事を祈ろう。

「で、僕が傍観者ですか?」
「そう。ああ、ここで言う『傍観者』ってのは、決して辞書と同義じゃ無いわ。そうね……『舞台に立てない者』という意味あたりが適当かしら」
「舞台? ……姉様、いつもの事だしもう何度も言った様な気がするんですけど、話がまるで見えないんですが」

 聞いてくれるとは思えなかったが(経験則からの確信だ)、それでも一縷の望みを託して言ってみる。果たして予想通り、姉様は僕の言葉など風の音程度に聞き流して、話を続けた。当然、前振りの“良く分からない”話の方を。
 
「『舞台に立てない』……単純に考えればこれは『観客』という意味にも取れるのだけれど、けれど貴方はこれにも該当しない。
 貴方は舞台に立つだけの要素を揃えている。台本の存在を知り、照明の角度を知り、音響の扱いを知っている。自分が舞台の上でどう立ち回れるのか・・・・・・・、物語の中でどう在るべきか・・・・・を知っている。
 ただ、それはあくまで知識であって、認識じゃ無い。舞台に立つ役者は須らくそれを持っている。自分が舞台に立つ者だと、物語の中で如何なる役回りなのかを、認識している。ついでに言えば、観客にもあるわね。自分達は演劇を見て楽しむ側だ、という認識を持って劇場に来るのだから。
 貴方にはそれが無い。観客の様に舞台を眺めて楽しむ事は出来ず、役者として観客を楽しませる事も出来ない。
 ああ――少し違うわね。出来ない、じゃなくて、しないと言った方が正しいかしら。貴方は自覚的に意識的に、その立ち位置を選んでる節があるものね」

 そう言って、姉様はくすくすと笑う。
 正直、僕は姉様のこの笑顔が好きだったりする。いや、別に深い意味は無いけどね。
 これくらいの役得が無いと、姉様の話には付き合っていられない。……何か、とにかく縋るものを見つけてポジティブを維持しようって考えみたいで、泣けてくるけれど。

「残念な事に、貴方は既に配役を与えられている。舞台における役回りを得ているし、出番もそう遠くない。
 だから私が言っているのは貴方の内面。いつか、全てが終わった後には、貴方は傍観者に戻るのでしょうね。ううん、違う……傍観者に戻る為に、貴方は全てを終わらせる・・・・・、と言うべきなのかしら。
 ふふ。考えてみれば傑作ね、傍観者は傍観者に戻る為に、傍観者である事を捨てなければならない、か」

 今日の姉様の話は、いつものそれに輪をかけて解り辛い。
 けれど、何となく――本当に何となくではあるけれど、姉様は決して僕にとって愉快な事を言っている訳では無いと、そう思う。

「ただね――気を付けた方が良いわ。世の中には、そういう傍観者の天敵ってのが居るから」
「天敵……ですか?」
「そう。ワタフキカイガラムシに対するベダリアテントウムシみたいなものね」

 もう少し分かり易い例えは無いんですか、姉様。

「居るのよ。なんて言うのかしらね……物語の『主役』でありながら、台本をアドリブで書き変えてく存在。目に付くものを片っ端から取り込んで、物語を組み上げてく存在ってのが、世の中には居るの」

 そう言った姉様の顔は、何処か物憂げだった。

「気を付けなさい。傍観者になる為に傍観者の立場から出ようとする人間ってのは、そういう存在にとっては格好の餌だから。……解った? セロニアス」

 とりあえず、僕は頷いた。実際は姉様が何を言いたいのか、まるで解っていなかったけれど。
 疑わしげに姉様は僕を睨んでいたけれど、やがて何か納得した様に微笑んで、じゃあねと手を振って離れていった。
 驚いた。三十分も話していないのに、もう終わりだ。姉様の話には何か重要な意味がある様な気もしたけれど、いつもなら数時間に亘る長話から早々に解放された喜びだけが先に立って、僕はそれ以上考えずに、積み上げてある洗濯物のところへと向かう事にした。




(――そういや、そんな話をした事があったなあ……)




 夜空に浮かぶ満月を見ながら、僕はつらつらと、あの時の姉様との会話を思い出していた。
 今にして考えれば、あの時の姉様との会話は、何かとても重要で重大な意味を持っていたんじゃ無いだろうかと思う。
 今更だけど。あの時、去っていく姉様を引きとめておくべきだったんじゃないかと、そんな気がする。
 後悔先に立たず。ああ全く、これは何百年経っても変わらぬ真理であるらしい。

「あ、いたいた。ねーセロ、一つ訊きたい事あるんだけどー」

 さくさくと砂を踏み締める音が聞こえたかと思うと、不意に背中からそんな声がかけられた。
 さっき、地下の“安置室”で寝ていた僕を叩き起こしてくれやがった(気分良く寝ていたのに台無しだった)、一人の女の子。
 メイリィ=スクライアと名乗った彼女は、とにかく強引だった。名前を名乗ったかと思えば僕の名前を聞きだして、僕の意見完全無視で地上にまで引っ張り出した。彼女曰く『お礼がしたいから』らしいのだけれど。……ちなみに言うまでも無く、お礼なんかいりませんという僕の意見は審議される事も無く却下されている。
 ゲンさんなる男性に僕を紹介した後、ちょっとお風呂入ってくるねーと言って姿を消した彼女が、戻ってきていた。
 
「はイ?」

 僕が地下で寝ていた間に、世界は随分と様変わりしていた。
 鬱蒼とした森林が広がっていた筈の地上はいつの間にやら砂漠化していたし、一年中温暖な気候だった筈なのに、風が冷たいと言うのか、妙に寒い。
 何より、目の前の彼女――メイさんの言葉が、姉様と暮らしていた頃の言語とどこか違う。今はこれが標準なのか、地方の訛りが混じった様な発音。意味の掴めない語句もやたらと多い。標準語の僕の言葉が、逆に片言に聞こえるのでは無いだろうか。
 地上に出てまだ何時間も経っていないけれど、眼に映るそこかしこで時間の流れが感じられて、少し寂しい。
 まあ、覚悟していた事だったけど。
 
「えっと――その、あのね」

 もじもじと、言うか言わないか迷っている様な感じだ。似合わないというか、あまり彼女のキャラクターに合ってない感じの表情に思える。
 ただ、いよいよ言おうと決意した瞬間の彼女の顔は、死地に赴く戦士の様に真剣そのものだった。

「あのさ。セロはおっぱいとお尻、どっちが好み?」

 ……………………。
 とんでもない爆弾を差し出された。
 姉様、僕はなんか痛い人間と関わってしまった様です。
 どっちを向いても地雷原。つーか何ですか、この時代は挨拶代わりに性癖カミングアウトさせるのが流行なんですか。
 じっとりと生温く湿気の多い視線が辛いです。そんな目で見ないでください、お願いだから。

「えっト……どちらかと言えバ、そノ、…………………………………………おっぱいデス

 がつん、とハンマーでぶん殴られた様な顔をして、メイさんがのけぞった。
 よろよろと二、三歩後ずさって、そしてがくりと膝をつく。

「ほらアウロラ! やっぱりおっぱいだよ! 時代はおっぱいなんだよ! 今世紀はおっぱいの世紀オール・ハイル・おっぱいなんだよう!」
【時代云々以前に、男性は古来よりおっぱい好きであるものかと。と言うか泣かないで下さい、マスター】
「ううう……もう駄目だ、その内合法的児童ポルノとか、ロリペド御用達とか、そんな扱いのキャラになるんだ……」
【ご安心くださいマスター。そのポジションは既に原作本編で埋まっています】
「あたしの枠は無いの!?」

 僕の答えが悪かったのか、メイさんは砂に顔を埋めて泣き出してしまった。
 いや、これ、僕が悪いのか? 
 個人的には僕に責任があるとは思えないけれど、それでも一応、メイさんの肩に手を置いてみる。涙と鼻水に砂が付着して、何というか、うん、かなりサイケデリック。

「えっト……大丈夫デス。きっト、いっぱい、メイさんの分も需要あるデス」
「……う、うぇ、ふぇえええええええん!」

 盛大に泣き出してしまった。
 もう取り返しのつかない感じで、とりあえず僕は空を見上げて、呟いてみた。


 ……姉様。
 ちゃんと真面目に最後まで、前振りも前置きも余計なところも余分な部分もしっかりと聞きますから。
 あの時の話、もう一度してくれませんか?
 





Interlude――Out







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