CAUTION
本作はTANK様の作品
『魔法少女? アブサード◇フラット』
『魔法少女!Σ(゚Д゚) アブサード◇フラット A’s』
を元とした三次創作となっております。

その為、本作は原作を読んでいる事を前提とした構成となっております。予めご了承ください。






 出会いというのはいつでも突然。
 だからこそ人はぶつかって、戦って、その果てに絆を育む。
 かつて『彼』であった『彼女』。
 彼女もまた、その通りで。
 ぶつかって、戦って、その果てに絆が生まれて。


 けれども世の中、例外は何処にだって在るもの。
 唐突なあの出会いにどんな意味があったのか、終わった後でも誰一人解らない。
 ぶつかって、戦って、けれどその果てに得たものが何だったのか、誰一人解らない。
 だから多分、それは出会いでは無く、出遭いだったのでしょう。
 まあ、そんなもの、ただの言葉遊びなのですけれど。


 魔法少女、アブサード◇フラット――番外編エクストラ・ステージ
 そろそろ始めて、いいですか?



答えは聞いてないッ! とか言うんだろ?」
正解ぴんぽーん






魔法少女? アブサード◇フラット偽典/Hey, Pachuco!
――ChapterⅠ






 …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

 嫌な音だ。
 或いは、厭な音、か。
 ゆっくりと覚醒に向かう意識が、耳朶を打つ音にそんな感想を付ける。
 蜜蜂が唸る様な、弾力の深い音。鼓膜の内側に張りついた感じに、いつまで経っても脳の内から出てはいかない。
 予想するに、柱時計が時刻を告げる音か。あまり耳障りの良い音で無いのは、時計が古いからか、それとも調整がされてないからか。
 瞼を開ける。眼球だけを動かして、周囲の状況を探った。ログハウスというのか、丸太を組み合わせて作った家。窓から差し込む光は灰白色で、外が曇天である事を伝えている。視点の高さと、背に覚える感触から、自分がソファーと思しき家具の上に寝かされている事にも気付いた。
 何処だ――此処は。
 この後に『俺は誰だ?』と続けば間違い無く記憶喪失者であったのだが、生憎と彼は記憶喪失を既に一度経験している身。
 あの、自分が世界の何とも繋がらない孤独を未だ憶えており、だからこそ、彼は己の名を忘れてはいない。

 俺は誰だ?
 ――フラット。フラット・テスタロッサ。
 
 OK、それが分かっているなら、大丈夫だ。
 首を動かす。そうしてまず真っ先に目に入ったものは、古びた柱時計。童謡に出てくる様な、大きな古時計だった。
 次に目に入ったものは、部屋の中央に置かれた、ログハウスの中らしく木製のテーブルと、同じく木製のロッキングチェア。それに腰かけ、文庫本のページを捲っている女の姿を目にして、――それに、目を奪われた。
 決して一目惚れとか、心捉われたとか、そういう意味では無い。色だ。極言するなら、その女の“色”に、目を奪われたのだ。
 年の頃は二十代半ば、三十には達しているまい。すらりと伸びた手足のせいか、ロッキングチェアに座って本を読んでいる姿がやけに様になっていて、だからこそ、その“色”が異様として際立っている。
 女は、真っ青だった。
 無論、顔色がでは無い。
 腰のあたりまで届く、長いセルリアンブルーの髪。宝玉の様なサファイアブルーの瞳。身に纏っている服、タートルネックのセーターは深いコバルトブルー。
 青、青、青。
 全身を青色で統一した女は、目を覚ましたフラットに気付いたのだろう、ちらりと視線をソファーへと向け――再び、文庫本に視線を戻した。
 ぱらりと文庫本のページを捲る。
 テーブルの上にあるマグカップを手に取り、口をつける。こくりと可愛らしく喉が動き、ふう、と軽く息を吐いて、カップを戻す。
 ぱらりと文庫本のページを捲る。
 ふと腰を浮かしたかと思うと、ロッキングチェアに深く座り直し、背凭れに体重を預けた。ぎし、と椅子が軽く軋む。
 ぱらりと文庫本のページを捲る――

「――って、何か言えや!」

 放置すんな!
 起きてるの気づいてるだろ!
 思わず身を起こして突っ込んだフラットに、そこで青尽くめの女は漸く、「ああ」と頷いて、文庫本を閉じた。

「元気そうで何よりね。身体に変わったところは無いかしら?」
「あ……? いや、別に。いつも通りだな」

 厳密に言えば、この身体は“変わっている”と言って言えない事は無いのだが。
 プラチナの様な銀髪、外見上の年齢およそ9~10歳の、少女の身体。反してそれに宿る精神は、十八歳を少しばかり過ぎた男性のもの。
 見た目は少女、頭脳は男。某少年探偵のキャッチフレーズっぽいそれは、フラット=テスタロッサを表す言葉としても相応しい。
 最近は慣れてきたとはいえ、やはりそれが微妙に歪である事に違いは無い――ただし、それは今に始まった事では無い、青尽くめの女の問いに対する答えではないだろう。

「そう。それは結構ね、フラット=テスタロッサ」
「……! 何で――知ってる」
「誰でも知ってるわ。“こちら側”じゃ有名人よ、貴方。『惨禍銀』、『時空管理局の鬼札』、『勝利の鍵バランスブレイカー』――知らぬは本人ばかりなり、という事かしら」
「どれもセンスの無い二つ名だな……そんなのが付いてたのか、俺。で、あんたは誰だ、お姉さん・・・・
「美しい魔闘家鈴木」
「…………………………」

 ギャグか?
 ギャグなのか?
 ツッコんで良いのか?

「…………シャロンよ」

 暫しの沈黙の後、素っ気無く……というか独り言の様にそう言って、女――シャロンは再び文庫本を開き、それに目を落とした。
 ……嫌な女だ。
 会話する気が無いのか、体調を訊いて自己紹介を済ませればもう話す事は無いと言わんばかりの態度にはいらっとくるものがあったが、とりあえず現状だけは把握しようと、ソファーを降りてシャロンの前に立つ。

「あー……じゃ、シャロン。此処は何処だ?」
「第112管理外世界<ボロブドゥル>北方に広がる森林地帯の中にある避暑地として有名な湖畔に建てられているログコテージ型貸別荘の一階リビング」
「ノンブレスで言いやがった……」

 長台詞の割に酷くぞんざいな口調。目の前の相手に興味が無い、そんな感じだ。会話する相手へ向けるべき思考領域までも全て文庫本へとつぎ込んでいる、恐らくは路傍に転がる石ころと同程度の認識しか無い。口調や所作の端々から、それが感じ取れる。
 そう考えると、いつぞや時の庭園で自分と始めて会った時のプレシア=テスタロッサは、性格的に結構(?)問題のあった人間だとは思うが、あれで随分と社交的であったらしい。あの人は本当にいい人だった。今頃何処で何をしているだろうか。

「シャロン。……それ、その本、何読んでんだ?」

 しかしいつまでも現実逃避している訳にもいかない。そして状況の把握にはこの女とのコミュニケーションが必要だという事も、フラットは分かっている。
 自分が何でこんなところに(微妙に失礼だろうか)居るのかは定かでは無いが、ソファーの上に寝かされていた事からして、この女に世話になった事はまあ、間違い無いだろう。礼を言うにしても、自分が此処に居る経緯を聞くにしても、まずは会話だ。
 そんな訳で、シャロンの読んでいる本の話題を振る事で、会話を始めようとするフラットだった。 

「何処だかの世界で書かれた本ね。長編シリーズの一冊よ」
「はあん。タイトルは?」
「『漆黒の戦神~その軌跡~』」
「市販されてたのかそれ!?」

 思わぬ事実に心底驚いた。
 いや確かに有名な本だが、それが市販されていて、しかも文庫化までされていたとは。まったく予想外だった……いや、そもそも予想なんて何もしていなかったのだけれど。

「面白いわよ。植木等の映画に通じるものがあるわ。……読むなら貸すけど」
「いや、いらねえ。あまり好みじゃ無さそうだ」

 別に、本を読まない訳では無い。漫画とかは結構読むし、昔は兵法書や、戦史なども結構読み漁ったのだけれど。
 濫読家という訳ではないから、そそられないジャンルの本はあまり読まないというだけだ。
 
「そう。残念ね」
「まあ、それはともかくとして……何で俺は、ここで寝ていたんだ?」
 
 フラットの問いに、ここでようやく、シャロンは顔を上げる。その顔に張り付いているのは『意外』という感情。彼女の顔の造りにはいまいちそぐわないその感情が、青尽くめの女を酷く幼く見せている。
 だがそれも僅かに一瞬。くすり、とシャロンが微笑む。
 何という事も無い微笑。何故だろう、そこに酷く邪悪なものを感じたのは。

「……ああ、成程。貴方はそこから・・・・という事ね」
「は?」
「逆に訊くわ、フラット=テスタロッサ。貴方の記憶は、何処まで残っているのかしら?」

 言われて、フラットは考え込む。
 確か昨日。学校帰りにフェイトやなのは、はやて、アリサ、すずか達と遊びに行って――『闇の書事件』の始末が漸く終わり、はやてとヴォルケンリッターの面々が来月にでも管理局の嘱託魔導師試験を受けるという話になって――その後にすずかの家で夕食をご馳走になって――帰宅してから、とあるロストロギアを回収してきてほしいという管理局からの依頼を受けて――なのでその日は早めに床に就いて――
 ――そこで、記憶が途切れている。次の日、つまり今朝の記憶が無い。寝ている間に移動したのかと思ったが、今の自分の格好は私服ではあるがパジャマの類では無く、外出用のそれだ。一度起きて着替えたのは間違い無い。

「ちょっと待て……どうなってんだ、これ」

 夢遊病の気でもあったのか。余所の次元世界にまで来ているあたり、もしそうなら相当な重病だが。
 いつぞや、時の庭園で目覚めた時よりも遥かにやばい状況では無いのか、これは。

「おいシャロン、俺は――」

 と。
 フラットが混乱した頭のまま、シャロンに向き直った瞬間。
 こんこん、と窓を小突く音。そちらに視線を向ければ、一羽の鴉が、嘴で窓を突いていた。
 アルビノというのか、鴉本来の闇色が微塵も無い、真っ白な羽毛。やや黒ずんだ赤、葡萄色の瞳が、室内の二人に何かを訴えている。
 シャロンが立ち上がり、窓を開けた。冷たい風が流れ込んでくる。白鴉はシャロンの肩に飛び乗り、窓が閉められた。

「鴉……?」
「ええ。私の使い魔よ」

 降りなさい、とシャロンは言い、白鴉はばさりと一度羽ばたいて、床へと降りた。
 白鴉が光を放つ。陽光の様なサンライトイエローの魔力光。それが収まった時、そこに居たのは一人の少女。
 年の頃は幼稚園か、小学校に上がりたてといったところか。なのはやフェイト、ヴィータより更に幼い。少女と言うよりは幼女と言った方がしっくりくる。
 シャロンを表す色を青とするならば、こちらは白。ただし髪から服から瞳まで真っ青なシャロンと異なり、少女が白いのは髪と、肌だけだ。
 雪の様に白い髪と、白磁の様に白い肌。葡萄色の瞳。薄いブルーのワンピース。それらは整った造形と合わせて、少女に人形の様な印象を……与えない。それは多分、にこにこと満面の笑みが、感情が、少女から溢れているせいだろう。

「うー、お外はさむさむだよぅ」
「お帰り、杏露シンルゥ。探し物は見つかったかしら?」
「はいな!」

 杏露と呼ばれた少女はポケットをまさぐると、そこから一つのペンダントを取り出す。銃弾を模した形のそれは、弾頭部分が緑色の宝石になっており、フラットがそれに気付いた瞬間、ぴこぴこと宝石が明滅した。

「アルギュロス!」
【ご主人ー!】

 そういえば、と相棒の事をすっかり忘れていた自分に気付く。いくら混乱していたとは言え、普通無いよなあ、と微妙に後ろめたい。
 フラットの相棒――インテリジェントデバイス<アルギュロス>。
 アルギュロスの方は自分が忘れ去られていた事など知る由も無いのだろう、何度も明滅して再会を喜んでいる。

【寂しかったっス、ご主人! あんなところ・・・・・・に放置されて、このまま錆びるんじゃないかと思ったっス!】
「そりゃ悪かったな。まあ、こうして再会出来た訳だし……ん? アルギュロス、あんなところ・・・・・・って……何処の事だ?」
【へ? 憶えてないっスか? あれ、そういえばフェイトさんやなのはさんもいないっスね。お出掛け中っスか?】
「ちょっと待て、フェイトやなのはも一緒なのか?」
【……ご主人、大丈夫っスか? 昨日、フェイトさんとなのはさん、アルフさん、それとご主人の四人でこの世界に来たじゃないっスか】
「昨日……?」

 となると。
 自分の記憶は、丸一日以上無くなっている事になる。残っている記憶は昨日のものでは無く、一昨日のものという事か。
 怪我の類は無い。頭に強い衝撃を受けて記憶が飛んでいるのなら、相応の傷や頭痛が残っていておかしくないのに、だ。
 この不自然。一体、どう説明をつける――

「あ、杏露。おやつはあっちの戸棚に入ってるわよ」
「はいなー!」
「シリアスが台無しだ!」

 我関せずといった感じにくつろいでいる(彼女達の家なのだから当然か)シャロンと杏露に、つい声を上げてしまった。
 ふう、とシャロンは一つため息をつき、先程まで座っていたロッキングチェアに、再び腰を降ろす。

「フラット=テスタロッサ。色々訊きたい事はあるだろうけど……先に、私の質問に答えて貰えるかしら」
「……答えられる事ならな」
「晩御飯、煮魚と焼き魚と、どっちが良い?」
「どっちでもいいわ!」

 ここで挟む質問じゃないだろ!
 
「…………………………………………」

 と。
 眉を顰め、胡乱そうな顔でフラットの顔を眺めていたシャロンだったが、やおら立ち上がって、そのまま台所へと這入っていった。すぐに戻ってきた彼女の手にはやかんが一つ。
 そのままフラットのところまで歩み寄ってきたかと思うと――その中身を、いきなりフラットにぶっかけた。

「あちっ! あちちち、あぢゃぢゃぢゃぢゃぢゃ!」

 熱湯では無くぬるま湯だったのは幸いだったが、しかしそれでもいきなり頭から湯をかけられたのだ、驚くどころでは無い。

「何しやがる!」
「いや、随分と男前な喋り方してるから、お湯をかけたら男の子になるかと思ったのだけれど」
「呪泉郷になんぞ行った事無えよ!」

 しかも実際に湯をかけて確かめやがった!
 躊躇は無いのか、この女!
 咄嗟にアルギュロスを展開して撃ち抜こうとしたのだが、何とか理性がそれを押し留める。
 落ち着け俺、冷静になれ俺、KOOLになれ俺……いや、KOOLは違うか。綴りからして違う。

「おやつー♪ おやつー♪ あれ、どうしたか? なんか、びしょびしょだよぅ?」

 リビングに戻ってきた杏露が、びしょ濡れのフラットを見て首を傾げる。
 お前のご主人のせいだ、と口にしかけたフラットだったが、それよりも早く、シャロンが口を開いた。

「杏露。年頃の女の子は、身体から色々な汁が出るものなのよ。あまりじろじろ見てはいけないわ」
「ふーん」

 納得すんな。
 それと汁って言うな。

「それよりも、タオル持ってきて頂戴、杏露。あ、あと、替えの服も。適当なもので良いわ」
「はいな!」

 おやつ(山盛りのどら焼きだった)の乗ったお盆ををテーブルの上に置き、ぱたぱたと杏露がリビングを出て行く。ほどなく戻ってきた彼女はフラットに駆け寄ると、その頭をタオルで拭き始めた。

「いい、自分でやる」
「遠慮する、よくないよぅ」

 苦い顔のまま、それでもさして抵抗せず、されるがままに頭を(ついでに身体を)拭かれるフラット。
 昔なら――それこそ、『フラット』として成った当初なら――無理矢理に引き剥がしていただろうが。自分より小さい娘、という事もあるのだろう。落ち着いたのか丸くなったのかは定かでは無いが、別に悪い事でも無いと、多少苦々しく思いつつも現在の自分を、彼は受け入れている。

「はい、コレ着る良いな」
「あ、ああ……」

 手渡されたのは、淡いクリーム色のローブ。濡れた服を脱いでそれを羽織る。ややサイズは大きいが着れない事も無い、着心地もそこそこ悪くない……悪くは無いのだが。

【お似合いっス、ご主人】
「微妙に嬉しくねえ」

 女物の服を着せられるよりはマシだが、何となく禁欲的な、僧侶を思わせるこの服装も、あまり好みでは無かった。
 
「さて、と」

 ロッキングチェアに座り直したシャロンが、フラットに向き直る。
 腕を掲げたかと思うと、つい、と楽団の指揮者の様に指を振る。妙に芝居がかったその仕草を受けて、杏露がフラットの前にどら焼きの乗った盆を差し出した。
 成程、使い魔だ。フラットの知る使い魔というのは、一般的にイメージされるそれとは少し違った、姉だったり娘だったりと、何となく家族の一員としてのイメージがあるのだが、目の前の白い少女は、一般的なイメージそのままな使い魔だった。

「召し上がれ。……食べながらでも、お喋りは出来るでしょう?」
「ああ……まあ、な」

 一瞬、毒でも入ってるんじゃないかと警戒してしまったが、しかし毒を盛るくらいなら寝込みを襲った方がまだ確実だろう。何せついさっきまで、この女の前で無防備に寝こけていたのだから。襲うチャンスなど幾らでもあった筈だ。
 結局、フラットは勧められるまま、どら焼きを手に取った。
 
「あ。お茶は自分で淹れてね」
「もてなしが半端だな!」









 フラットが目を覚ましたのと、ほぼ同時刻。彼等が居る貸別荘から西に10kmほど離れた場所。
 この世界、第112管理外世界<ボロブドゥル>はそれほど文明レベルが発達している世界では無い。自然が多く残されている、と言うよりは殆ど手付かずで残っている状態であり、北方の森林地帯は特にそれが顕著である。
 近くに避暑地として貸別荘があるものの、シーズンから大分外れているこの時期、ここに足を踏み入れる人間は少ない。皆無と言っても良いだろう。だからこそ、異邦人達が身を隠すのに都合が良い。
 実際、なのはがこの世界に来てから丸一日以上が経っているが、人の姿を見た事は無い――と言っても、人の踏み入らない様な鬱蒼とした森の中を歩き回っているのだから、当然と言えば当然なのだが。
 
【マスター。そのくらいで充分かと。一度、戻った方が良いと思われます】
「うん。フェイトちゃんも、もう戻ってくるだろうしね」

 集めた枯れ枝を抱え、レイジングハートの提案に従って、なのはは来た道を引き返す。
 碌な目印も無い原生林ではあるが、レイジングハートのナビゲーションもある、迷う事は無い。程なく視界が開け、河原へと出た。さらさらと流れる清流の中に立つ、オレンジ色の人影。いや、獣耳と尻尾のついたそのシルエットを、“人”影と呼んで良いのかどうかは、微妙なところだが。

「アルフさーん! 枯木、拾ってきましたー!」
「はいよー、ご苦労さん。そこに置いといてくれるかい?」

 言いながら、人影――アルフは川の中に手を突っ込む。川の中を泳ぐ魚を素手で掴み取るその動きはまさしく電光石火。何となく、何だかのドキュメントで見た、冬眠前の熊を思い出す。確かあの熊が捕っていたのは鮭だったか。
 腰にぶら提げた籠の中に掴み取った魚を放り込み、次の獲物を探してアルフの視線が動く。その姿を眺めながら、なのはは枯木の束を降ろした。

「よいしょ」

 ちょっとオバサン臭い言葉が出てしまったのは、まあ、仕方ないだろう。
 ぱたぱたと服についた埃やら砂やらを払ったところで、鉛色の雲に覆われた空に、ぽつりと浮かぶ黒点が目に入る。
 鳥では無い。見る間に大きくなり、人の形を為すそれがフェイト=テスタロッサであると気付いた時には既に、フェイトはなのはの前に降り立っていた。

「フェイトちゃん!」
「ただいま、なのは」
「どうだった? フラットちゃんは――」

 なのはの問いに、フラットは首を振る。無論、横にだ。思わしくない結果というのは、それで充分に知れた。
 昨日のあれ・・から行方不明となったフラットを探し、フェイトは飛び廻っている。放っておけば不眠不休で探し続けているだろう、なのはとアルフが数時間ごとに戻ってくる事を(半ば以上無理矢理に)約束させなかったら、実際そうなっている事は間違い無い。

「ごめんね、わたしも手伝えれば良いんだけど……」
「仕方ないよ。今のなのはは、いつもとは違うから」
「はぅう……」

 肩を落とすなのは。
 いつもとは違う――つまるところそれは、足手纏いになるという意味でしか無く。
 いや、“いつも”と違うのは、なのはだけでは無い。フェイトもそうであり、アルフもそうだ。フェイトが最も平時のコンディションに近いというだけで、なのはの本音としては、フェイト単独での捜索はやはり不安でもある。
 
「フェイト! 大丈夫だったかい?」
「うん」

 川から上がってきたアルフがフェイトの姿を見つけ、尻尾を揺らしながら駆け寄ってくる。
 とりあえず休憩しよう、というなのはの言葉に二人は頷き、荷物を置いてある岩陰に腰を降ろした。

「川の上流に町が見えた。そんな大きな町じゃなかったんだけど……」
「フラットが居るとしたら、その町かねえ」

 話しながら、アルフはなのはが集めてきた枯木を組んで、火をつける。残った枯木の中で比較的真っ直ぐなものを串代わりに、魚を焚き火の周りに置いていく。流石と言って良いのかはともかく、アルフの手際はなかなかの物だった。
 何となくキャンプの様だが、実情に即して考えればそれは酷く暢気な感想で、寧ろサバイバルと言った方がより正確であろう。

「コレ食べたら、その町に行ってみようか」

 アルフの提案に、なのはもフェイトも、一も二も無く頷いた。

「フラットちゃん、大丈夫かなあ」
「大丈夫だよ。私達がこうして無事なんだから、フラットもきっと、無事でいる」
「殺しても死なない様な奴だしねぇ。正直、ワタシ達の方がヤバいくらいじゃないかい?」

 冗談めかしたアルフの言葉だったが、それは実際、かなりの割合で真実を衝いてもいた。
 何しろ、今の彼女達は――

 ずしん。

 厭な重低音と共に、大地が揺れた。
 ばさばさと鳥が飛び立っていく。まるで、何かに追い立てられるかの様に。

 ずしん、ずしん。

 重低音は少しずつその音量を増していく。いや、増していると言うと、少し違うか。音源がこちらに近づいている――と言うべきだろう。比例して、振動も少しずつ大きくなっていく気がする。
 微妙に顔が引き攣るのが分かる。ちらと見れば、フェイト、そしてアルフも同様に、苦笑だかアルカイック・スマイルだか判別のつかない笑みを浮かべていた。……もうその表情しかなかった。
 
 ずしん、ずしん、ずしん。

 まるで足音みたいだね、とフェイトが言った。
 いや足音だよね、となのはが言った。
 足音で間違いないねえ、とアルフが言った。

 ――ずしんっ!

 足音が、止まった。
 ごうごうと吐息の様な音が聞こえる。微妙に空気が生臭くなった気がする。
 視界に影が落ちて薄暗い。何か、そう、とても大きなものが背後に居る様な。
 そろそろと三人が振り返る。怖いもの見たさ――という以前に、脅威の存在を認識するという、至極当然な行動として。

「……こ、こんにちは」 

 精一杯の笑みを浮かべたつもりでいたのだが、その努力が果たして報われるのかどうか、甚だ心許ないと言わざるを得ない。
 何しろ、相手と意志の疎通が出来るかすら、なのはには分からないのだから。
 寧ろ、いや“寧ろ”というよりはこちらの方が順当なのかもしれないが、相手にとってなのは達は、ただの“獲物”に過ぎないのかもしれないから。
 なのはが、フェイトが、アルフが見上げる先。
 全長10mを超える巨大な蜥蜴が――それはもう怪獣と呼ぶのが相応しいサイズの――なのは達を、見下ろしていた。









「なあ、杏露……だったか」
「はいな?」

 シャロンが借りている貸別荘は湖のほとりにあり、周囲をぐるりと囲む形で森林が広がっている。何の手入れもされていない、原始林に近いそれは無秩序に生い茂って噛み合った枝葉のせいか、酷く薄暗い。曇天という事もあるのだろうが、光量が少なすぎてなんとも不気味だ。
 行った事は無いが、富士の樹海というのは案外、こんな感じなのかもしれない。そんな事を考えながら、フラットはふと、やや前を歩く杏露に話しかける。

「シャロンもそうだが……お前等、この世界の人間じゃ無いだろ?」

 第112管理外世界<ボロブドゥル>――文明レベルB、魔法文化無し。
 管理外世界というのは、基本的に魔法の存在が認知されていない世界の事だ。稀に突然変異で高い魔力を持つ人間が生まれる事もあるが――第97管理外世界における高町なのはや、八神はやてがそれにあたる――それとて、殆どの場合においては自身の魔法素質に気付く事なく一生を終える。
 魔法というのは、一見超常現象の様にも見えるが、体系だった理論に基づく技術である。そしてそれは大抵の場合、魔法を知らぬ世界の住人にしてみれば、オーバーテクノロジーでしか無い。
 魔法文化の無い世界が管理外世界とされ、不可侵と言う名目で放置されているのはそれが理由だ。言い方はあるだろうが、突き詰めれば、野蛮人共に高い技術オモチャを与えるのは危険だと、それに尽きる。
 稀に、魔法文化が無いという以外の理由で管理外世界となる事もあるのだが、それは本当に例外だ。
 ともあれ。
 杏露という使い魔を持っている事から、あの青尽くめの女、シャロンが魔導師であるのは間違い無いだろう。ならば彼女がこの世界の人間では無いという推測が立つのは、至極当然の事だった。

「はいな。シャロンと杏露、この世界の生まれじゃ無いよ。んーと、杏露はミッドチルダ生まれで、シャロンは……えっと、どこだっけ。どっかの観測指定世界。アジャンタって名前の」
「ふん……何しに来たんだ? 貸別荘って事は、移住しに来た訳じゃないよな」

 レジャーとも思えない。
 これは単にフラットの勘であるが、何となく、シャロンからはそんな雰囲気を感じない。

「んー。シャロン、探し物ある、言ってたよ」
「探し物……か」

 探し物。
 何となく、彼女・・を、思い出す。
 命を落とした娘を甦らせる為、禁を犯し、何もかもを放り捨て、願いを叶えるという宝石を追い求めた、彼女の事を。
 ああ――そうか。
 何処かで見た様な、と思っていたが……似ているのだ。
 プレシア=テスタロッサと、シャロンは。
 
「いや、あの女プレシアの方がまだマシか……」

 前を歩く杏露に聞こえない様に、ぽつりと呟く。
 以下回想。

『フラット=テスタロッサ。貴方、『ドグラ・マグラ』という小説を読んだ事があるかしら?』

 フラットと杏露がどら焼きをあらかた食べ終えたところで、ふと、シャロンがそう問いかけた。

『あ? ……いや、無いな。小説はあまり読まねえからよ』
『第97管理外世界の小説家、夢野久作によって七十年ほど前に書かれた小説よ。記憶を失い、精神病院に隔離された青年を主人公とした推理小説』
『はあん』
『ぶっちゃけ、このSSの冒頭は『ドグラ・マグラ』をパクっているわ』
『マジか!?』
『あ、違う。オマージュよ、オマージュ』
『言い直すな!』
『ま、もう著作権も切れてるし、ネットで無料で読めるから、大丈夫だと思うけど。……ふふ、推理小説、ね。そう言ったし、そうカテゴリされるのだけれど、実際のところは何とも微妙なのよね』
『……何が言いたい、シャロン』
『この小説の面白いところはね。出てくる人間が皆、誰も彼も信用出来ないところにあるの――勿論、自分も含めて。記憶を失っているから、与えられる情報を信じるかどうかの判断基準も失っている。足元の定まらないその不安感が実に素敵』

 それは。
 今の、そしてあの時(・・・)の、フラットの事でもあった。
 記憶を失い、何を信じ、誰を信じれば良いのか、その判断基準を失った、フラット=テスタロッサの事。

『教えてあげるのは簡単。私が貴方を拾った経緯、此処に連れてきてからの経過、包み隠さず詳らかに細大漏らさず喋ってあげるわ。……けど、それを信じるかどうかは、貴方次第ね』
『……………………』
『嘘を吐くかもしれない。出鱈目を言うかもしれない。貴方が憶えていないのなら、何を言っても信憑性なんか皆無。私が貴方を騙そうとしていない保証なんて――何処にも無いわ。それでも聞きたいかしら、フラット=テスタロッサ?』

 確かに――その通り。
 かつて、時の庭園で目を覚ました自分に対し、プレシア=テスタロッサは親切に情報を与えた。決して嘘を吐いてはいなかったが、恣意的に歪めた情報を与える事で、フラットをいいように操った。
 だが、シャロンがそれをわざわざ口にしたのは、決して親切心からでは無いだろう。寧ろその逆、彼女の言を信じるか否かで迷うフラットの姿を見て楽しむ、そんな意図が透けて見える。
 性格の悪い女だ。いや寧ろもっと端的に、性悪と言っても良いかもしれない。まだ会って一時間と経っていない――あくまでフラットの体感だが――のに、彼女に対するそのイメージはフラットの中で固まっていた。
 
『……はっ』

 笑い飛ばしたつもりではいたのだが、自分以外の誰かの目にその通り映っているかは、判らない。

『構わねえよ。世の中で、100%信用出来る情報がどれだけあるってんだ。TVでも新聞でもネットでも、人の噂だって、どれも何かしらの色が付いてるもんだろうが――結局、情報なんて、“誰になら騙されても良いか”を選ぶ事だろ』

 その点で、フラット=テスタロッサは、幸運と言える。
 齎される情報に、どんな色が付いているのかを――騙そうとしているのが誰なのかを、知る事が出来るのだから。

『自分の事を他人に訊くのは、業腹だけどな』
『そう。格好良いわね。私が男だったら嫁に欲しいくらいだわ』
『その台詞、どう突っ込んでも傷つくのは俺だよな!』

 そこでシャロンは一度言葉を切り、窓の外を指差した。

『湖と繋がる川があるのだけれど――見えるかしら』
『ああ』
『そこの河口近くに打ち上げられていたのよ、貴方。水死体が家の近くにあるのも不愉快だから、杏露に片付けさせようと思ったのだけれど。残念ながら生きてたのよね』
『残念ながらって何だ!』
『目を覚まして第一声が「こんにちは、ぼくドザえもんです」とか言ってくれると期待してたのに、貴方にはがっかりだわ』
『俺が悪いみたいな言い方してんじゃねえ!』
『被害妄想ね。それより知ってる? 土左衛門って、元々江戸時代の力士の四股名なのよ』
『果てしなくどうでもいい!』

 ……以上、回想終了。
 いや本当、Mrs.プレシアの方がなんぼかマシだ。
 シャロンの話では、フラットを拾う数時間前、川の上流で何やら強い光が見えたという。フラットの今の状況はその光と何らかの関わりがあると見て間違いないだろう。という訳で、こうして杏露の案内を受け、森の中を歩いているのである。
 厳密には杏露は歩いておらず、背中から生えた小さな翼をぱたぱたと羽ばたかせて、浮遊している格好だが。翼自体は出し入れが可能らしく、服の背中には翼を外に出すスリットがあるので、傍から見る分には何となく天使とか、そういったものを連想させる。
 魔女に使役される天使。
 ぞっとしない話だった。

「なあ、アルギュロス」
【何スか、ご主人?】
「この世界には、ロストロギアを回収しに来たんだよな?」
【そうっス。危険性は低いってハナシだったっスけどねえ】

 記憶の欠落。
 喪失では無い、欠落だ。まるで虫食いの様に、記憶が不自然に抜け落ちている。昨日一日だけでは無い、それ以外にも幾つか、思い出せない事もあった。それが時間経過による忘却なのか、それとも別の要因なのかは分からない。自然と不自然の境目が曖昧というのが、何とも座りが悪い。
 丸ごと全部忘れた方が、まだ気が楽だ――経験者は語る、でも無いが。しかしそうなった場合、フェイトやなのはは泣くどころでは済まないだろう事は、容易に想像がつく。

 ――記憶喪失を直すには、失くした時と同じだけの強いショックを与えるのが一番良いの!
 ――そうだね。非科学的で野蛮な迷信っぽい民間療法だけど、それしかないね。 
 ――フラットちゃん、とっっっっっても痛いの、我慢出来る?
 ――大丈夫だよなのは、フラットは強いから。
 ――じゃあいくの! フェイトちゃんも手伝って!
 ――うん!
 ――空間攻撃・ブラストカラミティ!

 リアルに想像出来る。と言うか、かなり高確率な未来予知かもしれない。
 
「ヤバいな……実際、大ピンチじゃねえのか、これ」

 いつぞや、そう、“前世”での時ほど状況が悪い訳では無いが、正直こっちの方が恐い。
 この記憶の欠落、ロストロギアに接触した事で何らかの影響を受けたと考えるのが、最も可能性としては高いだろう。そうであるならばどれだけ強い衝撃を受けたところで、記憶が戻る事はあるまい。

「アルギュロス。もう一度あの時の状況を確認するぞ。俺達は一度、ロストロギアを見つけたんだな?」
【はいっス。なんて言うか、水晶で出来た髑髏だったっスけど、それがぷかぷか空中に浮いているところを見つけたっス】
「随分シュールな光景だな……」

 夢に出そうだ。

「しかし、水晶髑髏クリスタル・スカルか……」
【インディ・ジョーンズの新作に引っ掛けたっスかねえ】
「いや、多分関係無いと思うぞ。微妙に時期も外してるし。……地球にも似た様なもんがあるが、余所の世界にもあるとはな」
【地球のは偽物が多いっスけど、偶に本物のオーパーツみたいなのもあるっス。案外、あのロストロギアと製作者が同じなのかもしれないっスね】
「まあ、それもぞっとしねえ話だがな。で、それを確保しようとした」
【ご主人が迂闊にも手を伸ばした瞬間、髑髏がいきなり光ったっス。そしたらご主人から魔力が供給されなくなって、展開していられなくなって……で、そのままご主人は川に落ちて、流されていったっス】
「“迂闊にも”は余計だ。……いや、まあ、確かに迂闊かもしれねえけどよ……」
【それで記憶飛ばしてるんだから、迂闊の後に残念が付くっス】
「解体してやろうか、てめえ」

 とにかく。
 アルギュロスからの話を勘案して考えるに、ロストロギアから放たれた光、それが記憶の欠落の原因である事はまず間違いない。どうすれば記憶を取り戻せるかは分からないが、とにかくそのロストロギアを確保する事が先決だろう。

「面倒臭ぇな……一日や二日分の記憶が無くても、別に困りゃしねえし、放っておくか……?」
【駄目っスよ、ご主人。お仕事っス】
「分かってるよ、仕事は仕事、だろ」

 実のところ、そんな暢気な事を言ってはいられるほど、余裕のある状況でも無いのだが――まだ、フラットはそれを知らない。
 
「……ん?」

 ずしん、と妙な重低音を耳にして、ふと、フラットの足が止まる。
 いや、足を止めたのは寧ろ、その重低音が被さった音の方か。妙に甲高い、そう、まるで少女の叫びの様な、そんな音。

「あれ。ウエダ君がいるよ」
「ウエダ君?」

 前を歩く杏露もその音に気付いたか、足を止めて呟く。
 杏露の知り合いだろうか。となると、叫びの様に聞こえたのは、やはり本物の叫び声か――杏露がいうところの“ウエダ君”の。
 ずしん、ずしんと近づいてくる重低音が足音であると気付くまでに、そう時間はかからない。叫び声と合わせれば、誰かがその足音に追われているだろう事も、想像がつく。
 ちっ、と一つ舌打ちをして、フラットは走り出す。見ず知らずの人間を助ける義理も無いが、シャロンに対しては義理がある。義理と言うか恩と言うかは微妙なところだが、あんな人間でも、助けてもらったというのは事実だ。そのシャロンの使い魔、杏露の友達というのなら、助けておいても良いだろう。
 置いてけぼりを食らった杏露が、慌てて後を追ってくる。

「アルギュロス!」
【了解っス!】
「セット・アップ!」
【Drive Ignition!】

 銀色の光がフラットを包み、一瞬にも満たぬ一刹那に彼女の纏う衣装を組み替えて、弾ける。
 カーキ色のロングコート、その裾が風に靡いて翻り、同時に彼女が地を蹴って、空へと文字通り飛び上がる。
 手に握られるのは一挺の拳銃。S&W社製回転弾倉式拳銃、M500を思わせるフォルムのそれは勿論、フラット=テスタロッサの相棒たるインテリジェントデバイス<アルギュロス>の展開状態。
 びょう、と風が頬を叩いていく。地表から20mほどの高さで一度停止し、周囲を見回した。

【あれっス、ご主人! ――って、あれ?】
「どうした、アルギュロス――って、ああ?」

 重低音が何らかの巨大生物の足音というのは、概ね間違っていない。森の中を突っ切る様に流れる川――恐らく、フラットが流されてきた川だ――の河原を走る、全長10mを超える巨大な、もう恐竜か怪獣と呼ぶべきサイズの蜥蜴の姿を、フラットの目は捉えている。
 ただ――その蜥蜴が追っているのは。
 
「フェイト……と、なのはと……」
【アルフさん、っスね】

 フェイト=テスタロッサ。
 高町なのは。
 フェイトの使い魔、アルフ。
 蜥蜴に追いかけられているのは、フラットの見慣れた、その三人。
 無論、“ウエダ君”なる人間は、混ざっていない。

「……何やってんだ、あいつら?」
【追われてるっス】
「見りゃ分かる。何で逃げてんだ? フェイトやなのはなら、あの程度の蜥蜴、一発で倒せるだろ。……何で碌に抵抗もしないで逃げ回ってんだよ」

 決してただ逃げ回っているだけでは無く、時折散発的に魔力弾を放っているのだが、それは傍から見ても大した威力は無いと知れるもので、精度こそ高いものの、顔面に直撃しても蜥蜴はまるで平然としている。
 内心首を傾げながらも、とりあえずフラットは急降下。逃げるフェイト達と、追う蜥蜴の間に着地する。
 突然の闖入者に、蜥蜴は明らかに怯んでいた――少なくとも、フェイト達を追う足を一瞬止める程度には。

「!?」
「悪いな、Mr.リザード。寝てろッ!

 アルギュロスの銃口を向け、フラットが吼える。
 銃爪に指がかかる。本来、デバイスであるアルギュロスに、発射機構としての銃爪は必要無い。だがその一方で、魔法というものはイメージが重要でもある。故に、『弾丸が発射される』というイメージに直結する『銃爪を引く』というアクションは、アルギュロスの制御において必要不可欠と言える。
 だが。

 ――すかっ。

「あ?」

 ――すかっ。
 ――すかっ。

「あれ?」

 ――すかっ。
 ――すかっ。
 ――すかっ。

「な――何だ?」

 銃爪を引く。だが魔力弾は発射されない。魔力弾は成形されているにも関わらず、それが弾丸として発射されない。
 アルギュロスは魔力弾形成の余剰魔力を炸薬として弾丸を撃ち出す。これにより、通常の射撃魔法とは比較にならないほどの弾速、威力が生み出される。……筈なのだが、銃口からは気の抜けた様な音が出るだけ。銃爪を引いても弾は出ない、ならばと魔力弾そのものを操作してみるが、やはり駄目。魔力弾の形成までは問題無く出来るのだが、それの射出、制御が全く出来なくなっている。
 
「………………?」

 いきなり割り込んできたにも関わらず、何もしないフラットを見て、蜥蜴が不思議そうに首を傾げる。意外に知能が高いらしい。ただ、今のフラットにそれを認識する余裕は無かった。

「おい、どうなってる、アルギュロス!」
【故障も動作不良も無いっス! ご主人からの制御信号がぶつ切れで、魔力弾が操作出来ないっス!】
「なぁっ……!?」

 自分に原因があると知らされ、思わず、フラットは声を上げる。
 デバイスというのはあくまで魔法行使を補助する機械だ。防御魔法を自動設定にしている場合などを除き、基本的には術者の意志で魔法は発動する。デバイスが故障していないにも関わらず魔法が発動しないという事は、それはつまり、術者の側に問題があるという事で――
 
「危ないっ!」

 思考行動が意識の大半を占めた瞬間、横からの衝撃に、フラットは突き飛ばされた。一瞬前まで自分が居た場所を巨大蜥蜴が薙いでいく。すぐ近くを掠めていった圧倒的な質量に臓腑が凍る感覚を覚えながら、フラットは視線を落とす。腰にフェイトが抱き付いていた。
 フェイトがタックルをかましてくれたおかげで、難を逃れたという事だろう。フラットは素早く体勢を立て直し、フェイトを引っ張り起こして、その場を離れる。

「フラット……無事で良かった……!」
「助かった、フェイト――感動の再会は後でゆっくりとな!」

 言いながらもフラットはアルギュロスを構え、銃爪を引く。やはり魔力弾は発射されない。苛立ちに舌打ちするも状況が変わる訳が無く、撃鉄は空しく弾倉を叩くだけ。無論それに蜥蜴を止める効果など無く、咆哮と共に蜥蜴が突っ込んでくる。
 地割れの様に開かれた口の中はおぞましいほどに真っ赤。腹が立つほどに並びの良い歯牙は磨き上げられた様に真っ白。そのコントラストの中で咀嚼される自分の姿を想像して、ぶるりと背筋が震える。しかしそこはフラット=テスタロッサ、その悪寒を戦意へと変換するのに、一秒と要さない。

調子くれてんじゃ――ねえよ!

 反射的に行使したのは、肉体強化の魔法。ベルカ式の魔導師やフェイトの様な高速戦闘を主眼とする魔導師ほどでは無いが、それでも並の魔導師よりは遥かに高い精度で、己の肉体を強化する事が出来る。
 僅かな時間とは言え、格闘家にも匹敵する身体能力を以って蜥蜴の鼻面を思い切り蹴り飛ばし――蜥蜴の巨体がもんどりうって倒れ込む――そこで、フラットは気付いた。

「魔法は……使える」

 考えてみれば、飛行魔法の行使や、バリアジャケットの展開は問題無く出来ているのだ。強化魔法もこうして問題無く使える。出来ないのはアルギュロスを介して発動させる魔法のみ。
 サイドワインダーなどの補助兵装も、今は持ち合わせていない。
 ならば。

「アルギュロス、モードリリース!」
【えぇ!? そ、そりゃないっスよ、ご主人! 頑張るっスから、捨てないでー!】
「人聞きの悪い事言ってんじゃねえよ! 一旦解除するだけだ、後で不調の原因を調べるからな!」

 不満気な声を出しつつも、アルギュロスが待機形態、銃弾を模したペンダントへと戻る。それを懐に仕舞い込んで、フラットは起き上がろうとする蜥蜴の前に立った。未だダメージが抜けきっていないのか、巨大蜥蜴はややふらついているものの、それでも目の前の獲物を諦める気は無いのか、その目が確かにフラットの姿を捉えている。

「フェイト! 大丈夫かい!?」
「フェイトちゃん!」
「アルフ、フェイトとなのはを連れて下がってろ。……邪魔すんなよ・・・・・・?」

 駆け寄ってきたアルフとなのはにそう言って、フラットは蜥蜴を見上げる。
 ばしっ、と掌に拳を打ちつけて、口の端を吊り上げる。酷く邪悪に見えるその笑みは、それこそ目の前の巨大蜥蜴よりも尚、獣じみていた。
 こういうのも久しぶりだ――魔法の存在など全く知らなかった“前世”の頃は、武器を使う事も多かったが、基本は素手での殴り合い。この身体、正確にはフェイトの身体に間借りしていた時からだろうが、9歳相当の少女の身体になってからは魔法の存在をを知った事もあり、その機会は殆ど無かった。
 世界共通のコミュニケーションツールは、やはり拳固と拳骨である。とそこまでは言わないものの、それに近い認識である事を否定はしない。

「行くぞ、怪獣。トカゲなのにタコ殴りにしてやる」
【ご主人、自分で思ってるほどうまい事言えてないっスよ?】

 相棒の突っ込みに構う事無く、フラットは蜥蜴の巨体へと飛び掛る。地を蹴り、拳を固めて突っ込んでいくその様はさながら砲弾の如く。10mを超える蜥蜴の巨体も、その威力の前には木っ端微塵となる運命しか残されていない。
 ――はずだった・・・・・

「食らいやがれぁっ! ギャラクティカ――」

 瞬間。
 突き出しかけた拳を引っ込め、上体を仰け反らせる。無茶な挙動を強いられた身体がみしみしと音を立てる。だがそれも、鼻先を掠め過ぎていった一発の魔力弾を見れば、安い代償でしか無かった。
 轟ッ――と引き裂かれた空気が気流を生み出すほどの速度。陽炎の様な空間の歪みは魔力弾の軌跡を示すと同時に、その密度が桁外れであった事を伝えている。
 フラットを、そして蜥蜴の動きを制する意味で放たれたのであろう魔力弾は、目論み通りにそれを達成し――直線上にあった木々を次々と薙ぎ倒し、やがて大爆発を起こした。
 核でも爆発したのか、そう思わせるほどの衝撃。無論、本物の核弾頭とは比べ物になる筈も無いのだが、その爆風を至近で浴びたフラットの感想としては、それ以外には無い。

「……………………ッ!」

 言葉が喉でつかえて出て来ない。
 全身から嫌な汗が噴き出てくる。あんなものを食らったら無事では済まない。それこそさっきの想像では無いが、記憶喪失など一発で直るだけの衝撃だろう。
 魔力弾の飛んできた方向に視線を遣る。一体誰が、と警戒を剥き出しにした視線は、対象を捉えた瞬間に一気に温度を下げた。

「……あ?」

 そこに居たのは――少女だった。
 ただしそれを取り巻く様々な要素ガジェットが、どれもこれも少女と言う表現に疑問符をつけていたが。
 構えているのは巨大なライフル型のアームドデバイス。対物アンチ・マテリアルライフルの類だろう、スコープや二脚バイポッド、銃先端のマズルブレーキが、それを裏付けている。
 少女の小柄な体躯に合わせてある程度ダウンサイジングされているにも関わらず、馬鹿馬鹿しいほどの巨大さ。自身の身長を遥かに超えるそれをフラット、そして蜥蜴へと向ける少女は、その装いもまた奇妙だった。
 僅かに緑がかったグレーを基調とした地味な軍装色の野戦用軍服に、同色のヘルメット。何となく第二次大戦中のドイツ軍を思わせる意匠のバリアジャケットだが、それを着ているのが屈強な兵士では無く8歳前後の少女であるのだから、何ともしまらない。その上ジャケットとズボンの丈は合っているのに、ヘルメットのサイズは合っておらず、半ばずり落ちている。
 それを見たフラットの最初の感想が、『羨ましい』だった事は秘密である。主にズボンが。
 そしてそれらの諸々が、背中から生えている白い翼と恐ろしくそぐわない――ミスマッチにも程がある。
 軍服幼女(羽根付き)。
 ……一時代築けそうだった。

「……杏露っ! 何しやがる!」

 要らん事を考えたせいか微妙に上ずったフラットの怒声に、杏露はぐるんとデバイスを回転させ、銃口を空に向けて地面に降ろした。ずしん、と重たい音と共に、デバイスが地面にめり込む。サイズに見合って、重量も相当なものらしい。デバイスとしてはかなり取り回しが悪い感じがある。
 頬を膨らませたその顔は、言うまでも無く怒りを表している。とは言え顔の造りのせいか、怒っているというよりは拗ねているといった方が近かったが。

「それ、杏露の台詞だよぅ! ウエダ君、苛めちゃ駄目!」
「……は?」

 訳の分からない事を言ったかと思うと、杏露は対物ライフル(型のデバイス)を担いで、ふわふわと浮かびながら(まあ元が鳥だから)寄ってくる。
 フラットの横を通り過ぎ、杏露が巨大蜥蜴の前に立つ。何やら頷き合ったり妙なジェスチャーを交わしたりしているが、意思の疎通が出来ているのだろうか。
 やがて蜥蜴は一つ頷いたかと思うと踵を返し、森の中へと消えていった。ばいばい、とその背に手を振る杏露に、イイ感じに脱力させられたフラットが声をかける。

「なあ杏露……あの蜥蜴、お前の知り合いか?」
「友達だよー。ミラクルジャイアントオオトカゲのウエダ君」
「パプワ島かよ!」

 がしがしと頭を掻きながら、バリアジャケットを解除する。と、フラットの耳に、彼を呼ぶ声が届いた。
 苦笑を浮かべて振り向けば、そこには駆け寄ってくるフェイトとなのは、アルフの姿。
 なのはは千切れんばかりに手を振り、アルフは安堵の感情が混じった苦笑を浮かべながら、そしてフェイトは――

「――って、うぉいっ!」

 全力ダッシュを敢行したまま、フラットへと飛びついてきた。相手が小柄な少女であっても、こちらとてほぼ同じ体格、しかも向こうにはダッシュした分の勢いもついている。当然ながらそれを受け止めきれる訳も無く、フェイトに押し倒される形で、フラットは倒れこんだ。

「フラット、フラット、フラット……! 良かったよぉ……!」
「悪かったな、フェイト。つーか重い。いや重くないんだが動けん。どいてくれ」

 余程心配したのだろう、フラットの上から退いた後も、フェイトはぐすぐすと啜り上げていた。

「ほらほらフェイト、鼻水出てるよ」
「良かったな、フェイト。これがアニメだったら、ファンが減ってたぜ?」

 照れ隠しにとんでもなく野暮な事言ってみた。
 アルフに顔を拭かれ、漸く落ち着いたか、フェイトはこくりと頷く。

「駄目だよ、フラットちゃん。フェイトちゃん、本当に心配してたんだよ?」
「あー……そうだな、そうだった。悪いな、なのは」
「謝るなら、フェイトちゃんにだよ――フラットちゃん」

 まあ――正論だ。
 9歳に正論を説かれる18歳(精神年齢)もどうかと思うが。
 こういう時のなのはは頑固である。それをフラットも良く知っているから、素直になのはの言葉に従い、「悪かったな」とフェイトにも謝った。

「『良く出来ました』なの」
「どーも」

 それで、と。
 仕切り直す様に、アルフが言葉を挟んだ。
 彼女が何を言おうとしているのか、フラットには凡そ想像がついていたが、あえてここでは何も言わない。
 果たしてフラットの予想通り、アルフはふらふらと蝶々を追いかけている杏露(アホの子にしか見えない)を指差して、「ありゃどこの子だい?」と訊いてきた。

「ああ……俺を“助けて”くれた人の使い魔だ」

 助けてもらったというのは不本意ではあるが、客観的な事実として、とりあえず嘘は吐かない。
 シャロンの貸別荘で目を覚ましてからの経緯を説明し、逆に(フラットは憶えていないが)昨日“水晶髑髏”と接触してから、要ははぐれてしまってからという事だが、彼女達がどうしていたのかを訊く。

「いやさ、ワタシ達も良く分かっていないんだよ。アンタが気ぃ失って川に落ちた後、ワタシ達もあの水晶髑髏にピカッてやられてね。気がついたらもう少し上流の方で三人して大の字に寝てたのさ。すぐにアンタを探しに行こうと思ったんだけど――」
「――魔法が、使えなくなっていた訳か」

 先回りしたフラットの言に、アルフが渋い顔で頷いた。
 
「ワタシは人型になるくらいしか出来ないし、なのはもちょっとした浮遊魔法しか使えなくなってる。フェイトはもうちょいとマシだけど、魔力変換資質が無くなっちまってる状態さね」
「最悪だな」

 魔法が使えなければ、なのはは――これはフラットやフェイトも同じ事だが――ただの九歳の女の子でしか無い。キャンプというならともかく、未開地でのサバイバルなど、実際問題として不可能だろう。
 フェイトは一見、それほど影響が無い様に感じる。魔力変換資質を失ったというだけで、魔法が使えない訳では無いのだから。だが魔力変換資質を持つ人間というのは押し並べて純魔力の扱いが不得手であり、フェイトの魔法はその殆どが彼女の資質『電気』を伴ったもの。変換資質を失ったという事は、彼女の魔法の大半は使用不可、或いは威力激減という事である。
 そういう意味では、フラットはかなりマシだと言えるだろう。射撃魔法が軒並み使えなくなっているくらいで、その他の魔法は問題なく使えるのだから。
 とは言え、射撃魔法が使えない――攻撃手段が無いというのは、結構ストレスが溜まる。精神衛生上、可及的速やかに解決しなければならない問題だった。

「やっぱ、あの水晶髑髏が原因なのかねえ」
「だろうな。それ以外に考えられねえし」

 だが――どうしたものか。
 水晶髑髏はそれほど危険なロストロギアでは無いと聞かされていたが、しかし実際、危険でこそ無いものの厄介な代物である事は確かだ。フラット達魔導師にとっては特に。事前情報が間違っているのはままある事だが、それで害を被っているのは現場の自分達である。労災降りるのだろうかこれ。
 本局に戻るべきかとも考えたが、しかし本局の医療班に治せるとも思えない。ロストロギアに接触した事による影響だから、あまり役に立たないと考えるのが利口だろう。検査名目で散々弄くられた後、お手上げですと言われても困るのだ。だったらまだ、あの水晶髑髏を確保した方がましに思える。
 その水晶髑髏が何処に在るのか判らないから、結局のところ、現状は自分達の方がお手上げ状態だが。
 ――そう言えば。

「シャロンなら、何か知ってるか……?」

 青尽くめの女の思わせぶりな態度を思い出す。フラットの記憶が一部欠落している事を、聞く前から知っていた節もあった。怪しいと言えば、あの女が一番怪しいのである。
 フラットの口にした名前を耳聡く聞き咎めたなのはが、怪訝そうな顔で首を傾げる。

「ねえフラットちゃん、シャロンってだあれ?」
「ああ――さっき言った、俺を“助けて”くれた人だよ。そこの杏露の主人だ」

 と。
 それまで黙っていたフェイトが、やおら「その人に会いに行こう」と口を挟んできた。

「あん? シャロンにか? ……あー、気が進まねえなあ」

 別れ際、『そう。じゃあこれでお見限りね。アリーヴェデルチさようなら』と言ってひらひら手を振られた身としては、のこのこあの女の前に顔を出すのは気が進まない。そうでなくても、あまり気の合う女では無いのだ。
 そういうフラットに、何故かフェイトは頑固に、会いに行こうと繰り返した。

「フラットがお世話になったんだから、お姉ちゃんの私からもちゃんとお礼言わなきゃ」
「誰が姉ちゃんだ!」

 まだ納得してないぞ!
 ふん、と一つ鼻を鳴らして、フラットは考え込む。お礼云々はともかくとしても、シャロンに会って話を聞くというのは、存外悪い選択では無い様に感じる。ただし彼女が本当の事を言うかという一点にのみ目を瞑れば(何せ本人が『自分は嘘つきだ』と言っている訳だし)であるが。
 管理外世界の民間人に協力を頼んだ場合、管理局が魔法文化秘匿を方針としている為に後でややこしい事になる事も往々にしてあるが、今回の場合はシャロンが魔導師である為、それほど面倒にもならないだろう。
 ……しかし、何となく気が進まない。いや、それはより明確に、シャロンに近づきたくないといった方が近いだろう。それはきっとあの女に対する好悪では無く、もっと本能的な、危機を察知する“何か”からの警告だ。
 近づくな、と。
 やっぱりあの女と関わるのは御免だと結論して、フラットはなのは達を振り返る。丁度、杏露と互いに自己紹介をしているところだった。
 
「えっと、杏露ちゃん? わたし、なのは。高町なのは。よろしくね」
「フラットのお姉ちゃんの、フェイト=テスタロッサ。よろしく、杏露」

 どこ強調してやがる。

「ワタシはアルフ。フェイトの使い魔さね」
「はいな。杏露だよ。よろしくー」
「……自己紹介が終わったところで、行こうぜ。上流の方に町があるんだろ? そこで聞きこみってのが、一番現実的だと思うがな」

 フェイトがやや不満そうな顔をしていたが、こればかりは仕方が無い。
 元より川の上流にある町へ行く事は決まっていたらしいから、フラットの提案は反対意見無しに可決された。

「じゃ、そういう訳だ、杏露。後は俺達でやるから、案内はもういい。シャロンに宜しく言っておいてくれ」
「はいな」

 ぱたぱたと手を振りながら杏露は飛び立ち、やがてその姿はサンライトイエローの魔力光に包まれて、白鴉となった。
 彼女の姿が見えなくなるまで見送ってから――曇天に白いシルエット、そう時間はかからない――フラット達も、歩き出す。
 未だ鉛色の分厚い雲に覆われた空を見上げ、フラットはポケットの中をまさぐる。指先に触れる硬質な感触。アルギュロスの待機形態、銃弾型のペンダント。
 今の・・フラットには無用の長物であり――それ以上に、猫に小判、豚に真珠な、彼の得物。

「早いとこ、何とかしねえとな――」

 軽口の様に呟いたその言葉に、多分に焦燥が混じっていた事は、否定出来ないだろう。









 フラット=テスタロッサが杏露に連れられて出て行った後、この部屋には再び、心地良い静寂が戻っている。
 音を閉め切った人工的な無音では無い。風の音、鳥の声、湖の波打ち際が奏でる音をエッセンスにした、自然界に存在を許容される静謐。だからこそ本のページを捲る手は進み、意識は書物の内に展開される世界を浮遊する。
 
 …………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

 重く、へばりつく様に響く柱時計の音も、その静謐を乱すには至らない。いや、寧ろその音こそが静謐を加速させている感すらある。静謐という言葉の意味からして“加速”という表現はまるで不似合いであったが、柱時計が奏でた重低音の後に戻ってくる静寂を考えれば、それは決して矛盾していない。西瓜に塩をかける様なものだろう。
 だが不意に鳴り響いた甲高い電子音によって、静謐はあっさりと壊される。不快を表す皺を眉間に刻みながら、シャロンは顔を上げた。
 フラットは気付かなかった様だが、この部屋、貸別荘として使われているログハウスのリビングには、その片隅に通信用端末が設置されている。魔導師同士であれば魔法陣や念話を使った通信が可能だが、一方、或いは両方が非魔導師の一般人であった場合、こうして通信機器を使わなければならない。
 いかにも面倒臭いといった顔で、シャロンは端末を起動させる。目の前に通信用ウィンドウが展開され、そこに一人の男の顔が映し出された。若くも見えるし中年にも見える、白衣を着ているが医者には見えない、顔立ちは整っているのに口元に張り付いた笑みがそれを台無しにしている――と、特徴に溢れている癖に特徴に乏しい男の顔。
 金色の瞳に宿る眼光はそれなりに研がれたものであったが、それを迎撃するシャロンの視線は絶対零度、威圧にも威嚇にもなりようが無い。それを分かっているのかいないのか、男は口を開いた。

『やあ、シャロン君。元気だったかい?』
「今、貴方の顔を見るまではね。スカトロ博士」
『“スカ”しかかかってないなあ』

 皮肉と嫌味たっぷりの言葉に、しかし画面の男は気分を害した風も無く、より一層にやついた笑みを浮かべる。彼にしてみれば営業用スマイルのつもりなのかもしれないが、少なくとも、今この場においては単なる挑発としてしか機能していなかった。
 
「で、用件は?」
『おやおや。せっかちだね、久闊を叙する暇も無いのかい?』
「ええ。貴方の顔を見る時間は一分一秒でも短くしたいの。用があるならさっさと喋って。そうでなければ切って。出来る事なら死んで」

 嫌悪を隠そうともせずに暴言を吐くシャロンに、画面の男は軽く肩を竦め、軽薄な――飄々と、では無く――態度を崩さないままに、本題に入る。

『予定のものは、見つかりそうかな?』
「ええ。この世界に在る事は掴んでいるわ。手に入り次第こちらから連絡を入れる。前にも、そう言った筈だけれど?」
『そう言わないでくれたまえよ。私としては、君とお喋りする口実が欲しいんだ』
「そう。私は今、この会話を終わらせる口実を探しているところよ」

 本当につれないなあ、と画面の男は笑う。
 とにかく、と。
 端末の電源に指をかけながら、シャロンは言った。

「私が貴方と喋っているのは、私の探し物と貴方の探し物が同じところに在る可能性が高いからよ――見つかればくれてやるわ。その代わり、」
『ああ、解っているとも。代わりに私が持っている“あれ”を一つ、君に提供する。そういう約束だからね』
「約束じゃないわ、取引よ。……それだけ解っていれば充分だわ。じゃあね、スカンク博士」
『いや、“スカ”しかかかってないよ。私の名前はスカリエッ』

 男の話の途中で、ぶつん、と乱暴に電源を切る。念の為にその番号を着信拒否にして、おまけにコンセントも引き抜いた。
 これでやっと静かになった、清々したと言わんばかりにシャロンは大きくため息をついて、ロッキングチェアに座り直す。先程まで読んでいた文庫本を再び手に取って、ページを捲ろうとしたその時、こつこつと窓を小突く音が響く。
 窓の外に、白鴉の姿となった杏露が佇んでいた。

「……タイミングの悪い子ね、本当」

 微笑とも苦笑ともつかぬ笑みを浮かべて、シャロンは窓を開ける。飛び込んできた杏露が幼女の姿になり、ぴょいとジャンプして、ソファーに飛び乗った。
 
「ご苦労様、杏露」

 労いながらシャロンは杏露の頭に手を翳す。その掌に小さな魔法陣が生み出され、そのまま、ぽんと杏露の頭に手を置いた。シャロンの掌と杏露の頭との間にある僅かな隙間から光が漏れる。それはどこか、コピー機やスキャナを使用した時の光に似ていて、そしてそれは確かに、その通りの効果を持っている。
 使い魔との記憶共有――使い魔の記憶した事、経験した事を主にダウンロードする魔法。
 使い魔はある程度、魔力供給のラインから主の感情を読み取る事が出来る。しかしその逆は基本的に出来ない。ラインが主から使い魔という流れの為だ。ただ使い魔としての契約を結んだ相手となら、記憶共有はそう難しい事では無い。出来る人間は少なくないだろう。
 しかし使い魔にもそれなりの人権が認められている昨今では、プライバシー保護の観点からか、これを行なう魔導師は殆どいない。ただし決して犯罪という訳では無いし、契約の内容によっては自我を持たない使い魔なども存在するので、別段廃れた技法という訳でも無い。

「ふうん……フラット=テスタロッサは、仲間と合流出来たという事か……」

 わしわしとやや乱暴に撫でられ、杏露の小さな頭が掌の下でふらふら揺れる。撫でられるのが気持ち良いのか、少女の顔は完璧に緩みきっていた。
 ん、と不意にシャロンが顔を顰める。杏露の頭から手を離し、口元を覆った。暫く思索に耽っていた彼女だったが、やがて一つため息をつくと、杏露に向き直った。

「杏露」
「はいな?」
「悪いんだけど、フラット=テスタロッサ達を追ってもらえるかしら」

 こくりと頷く杏露。主の命に疑問を差し挟まないというのは、使い魔としての彼女の美点。ただし命令が曖昧過ぎる場合、具体的に何をすれば良いのかは訊いてくる。言葉では無く、視線でだ。
 じっと見つめてくる杏露に軽く微笑みながら、シャロンは続ける。

「あの娘達も水晶髑髏を狙ってる……それは良いんだけど、このタイミングで厄介事を起こされると困るのよね。適度に協力して適度に妨害して、あの娘達に余計な事をさせないで頂戴」

 何も言わず、杏露は窓から飛び出していった。
 開け放されたままの窓を眺め、苦笑しながら、シャロンは文庫本を手に取る。

「…………あれ。『ドアくらい開けて出て行け』ってのは、こういう時に使う台詞だったかしら」






Turn to the Next.






後書き:

 ここまで読んで下さった方には今更言う必要も無いかとは思いますが、ごめんなさい、ニセモノです(笑)。
 原作者黙認(一応許可は頂いてますが)、という意味で『ドラゴンボール』に対する『DRAGONBALL EVOLUTION』みたいなもんだと思っていただければ……いや、それだとさすがに自虐しすぎか?

 まあそういう訳で、本作はTANK様の作品『魔法少女? アブサード◇フラット』を題材とした三次創作となります。
 ただし作中の時系列としては『魔法少女!Σ(゚Д゚) アブサード◇フラット A’s』から一ヶ月ほど後の話です。タイトルの都合上、微妙にややこしくなっておりますが、ご了承ください。
 
 『アブサード◇フラット』の特徴としては、読者の方々から『こんなアイデアはどうでしょう?』という意見が非常にたくさん寄せられる事だと思う訳です。
 本作も透水がふと閃いたアイデアが元なのですが、TANK様は忙しくてちょっと書く暇は無さそうだし、私のコレ以外にも良いアイデアいっぱい寄せられてるし、何よりこんなん書いてる暇があったら本編を進めてほしいしと悩んだ結果、TANK様に「私が書いても良いですか?」と窺ったところ了承を頂けたので、こうして三次創作となった経緯があります。
 一応、投稿するにあたって、TANK様に台詞回しなどチェックを頂いておりますが、「フラットはこんな事言わない!」または「こんな事しない!」というツッコミは常時受け付けております。……正直、TANK様より読者の皆様の目の方が厳しいんじゃないかと思ったり。

 本作のコンセプトは『劇場版』。原作本編では出来ない、けど閑話や幕間では収まらない、本筋から離れたイベントをやってみよう的な発想が元です。イメージとしては毎年夏頃に公開されている、仮面ライダー&戦隊ヒーローの劇場版ですね。
 その他に裏テーマが二つ三つあったりするのですが、それは第二話以降の後書きで。
 
 ちなみに本作のタイトル『Hey, Pachuco!』ですが、これはジム・キャリーの映画『MASK』のメイン・テーマの名から拝借しています。またどうでも良いところで、Pachucoには「派手な服を着た10代のストリート・ギャング」という意味もあるらしく、その辺をフラット君に引っ掛けています。
 何となく本作のイメージに合致するかな、と使ってみました。フラット君のテーマではなく、あくまで本作の作風に合う、という感じですので、ツッコミはご勘弁を。
 Youtubeで検索すると聞けると思いますので、興味のある方は是非どうぞ。

 というところで、今回はこの辺で。
 既に全話書き上がっておりますので、皆様の反応を伺いつつ、こそこそ手直ししながら週一ペースで投稿していこうと思います。
 エピローグ含めて全六話。宜しければ、お付き合いください。

 それでは。








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代理人の感想
まぁ、チンピラだからなフラット君はw
そう言う意味では実に「らしい」タイトルかと・・・今回はいまいちチンピラちっくなところは目立たなかったようにも思いますが。

>だからこそ人はぶつかって、戦って、その果てに絆を育む
いや、それがこの世の真理であるかのように言われても。
比喩としてはありなんですが、ガチで戦って絆を結ぶ戦闘民族ってのはごく少数派だと思いますw
・・・いや待てよ、この世界では十分以上に真理として通用するのかな(爆)。

>植木等の映画に通じるものがあるわ
吹いた。座布団一枚上げよう(笑)。


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