魔法少女? アブサード◇フラット偽典/Hey, Pachuco!
――Epilogue.






 とぅるるるるるる。
 不意に鳴り響いた呼び出し音に、フラットは寝転がっていたベッドから跳ね起きる。枕元に置いてあった携帯電話を手に取り、液晶画面を確認。同時にもう片方の手でリモコンを掴み、音楽を奏でていたコンポを――ちなみに曲目ナンバーはマリリン・マンソンのアルバム『The Golden Age Of Grotesque』より、『Doll-Dagga Buzz-Buzz Ziggety-Zag』――停止させた。
 通話ボタンを押す前に、もう一度液晶画面に視線を落とす。
 『Graham』という名前が、そこには表示されていた。……勿論、相手は携帯からでは無く、自宅の固定電話からかけているのだろうが。

「もしもし、ドッピオです」
『私はボスでは無いよ、フラット君』

 ネタに付き合ってはくれなかったが、意外にノリの良い爺様だった。
 ギル=グレアム。
 フラットとフェイトの嘱託魔導師としての後見人であり、クロノの師匠である使い魔の主。ハラオウン家とは昔からの付き合いという事で、時折通信で連絡を取り合う事があったものの、こうしてフラットの携帯電話に連絡を寄越してきたのは、これが初めての事だった。

『この前は済まなかったね。閑職だったとは言え、引退するにも色々と手続きが要るものでな』
「いや。こっちがいきなり連絡したんだ、わざわざかけ直してくれただけで有難い。……時にMr.グレアム、腹の傷は大丈夫か?」

 『闇の書事件』の終盤、グレアムはクロノを庇い、重傷を負っている。ついこの間退院したらしいのだが、まだ激しい運動は止められているのだとか。退院後には一度稽古をつけてくれるという話らしいが、残念ながらそれはまだ叶っていない。
 また体調以外の問題として、先の事件の責任を取らされ管理局を引退する事になったグレアムだったが、色々な引き継ぎ作業などを片付ける為、ここ数日は本局に出向いていたとの事。
 第112管理外世界<ボロブドゥル>から戻ったフラットは真っ先にグレアムに連絡を取ったのだが、これが為に彼は不在で、連絡してから三日後の今日、漸くこうして返事が来たのである。

『うむ。もう大丈夫なのだがね。リーゼ達がなかなか外出を許してくれん。過保護で困っておるよ』
「気を付けた方が良いぜ? そういう大怪我した後に安静にしてると、ボケが進行し易いらしいからな」
『はっはっは。そうだな、精々気を付けるとしよう。……それで、フラット君。私に訊きたい事があるそうだが』
「ああ――そうだな。そうだった」

 一つ間を置いて、フラットは用件を口にする。

「Mr.グレアム――あんたの親戚に、シャロンって名前の女は居ないか?」
『シャロン……?』
「ああ。青い髪に青い瞳で、性格悪くて根性腐ってて口の減らねえ女だ」

 数日前、ボロブドゥルで起こった事件を説明する。水晶髑髏ロストロギアによって記憶と知識と経験を奪われ、広域次元犯罪組織トライアッズの人間と戦う事になった顛末。そしてそれらに絡み、フラット達が接触した、一人の女の事を。
 シャロン=ブルーブラッド=グレアムという女に心当たりは無いかと、フラットは訊いた。

『………………………………』

 暫く、グレアムは沈黙していた。それが心当たりがあるが故のものなのか、そうでないのか、フラットには判別がつかない。
 一分ほど、そうしていただろうか。焦れてきたフラットが口を開こうとしたその寸前、グレアムが言葉を発した。 

『………………一人、居る。いや、居た、と言うべきか』
「……? どういう事だ、Mr.グレアム」
『シャロン=グレアム……私の、叔母の名だ』

 グレアムは語る。
 髪の色は青では無く茶色であり、“ブルーブラッド”なるミドルネームは付いていなかったらしいが、それ以外の特徴は全てフラットの語ったものと合致するという。
 ギル=グレアムの父は、八人兄弟の長男だった。そしてシャロン=グレアムは末妹。ギル=グレアムにとってシャロンは叔母に当たるものの、年齢は然程離れてはいなかった。手元に記録が無いのではっきりとした事は分からないが、十歳も離れていなかったらしい。

『良く遊んでもらった事を、憶えておるよ。いや、遊ばれたというべきなのかもしれんがね』

 そう言った時、グレアムの口調に微妙に苦いものが混じっていたと、フラットは気付いた。

「“居た”と言ったな。過去形で……って事は」
『うむ。あれは確か、私が管理局入りする切っ掛けとなった事件の一年ほど前だ。ある日突然、彼女は姿を消した。誘拐か事故かと大騒ぎになり、かなり大規模な捜索も行なわれたのだが、彼女は見つからなかった』
「それっきり――か?」
『ああ。シャロン=グレアムはそれきり、行方不明のままだ。やがて捜索は打ち切られ、公式には死亡したものとして処理された』

 当時の彼女は十六か七だから、生きていれば七十歳近い筈だ、とグレアムは付け加えた。
 ただ、その付言された部分を、フラットは聞いていない。その代わりという訳でも無いだろうが、ぱちんぱちんとピースの嵌る様な幻聴おとを、彼は聞いている。
 ――成程。少なくとも、嘘は言っていなかったという事か。
 シャロンの言葉を思い出す。あの世界で彼女と交わした会話を思い出す。実際のところ、あの女の言葉を、フラットは話半分にしか聞いていなかった。どうせ出鱈目だろうと、そういった予断を持って聞いていたのだ。

「……そうか。いや、ありがとう、Mr.グレアム。助かった」
『そうかね。……フラット君。君が会った“シャロン”なる女性が何者かは判らんが、それは恐らく、単なる偶然の一致ではないかと私は思うよ。世の中は広い、名前が同じ人間など幾らでも居るだろう』
「ああ。そうだな。解ってる――それじゃ、わざわざ済まなかった。近い内、土産でも持って遊びに行くぜ」
『はっはっは。うむ、楽しみにしておるよ』

 朗らかな笑い声を残し、通話が切られた。電話はかけてきた側から切るものだ、グレアムはその辺のマナーをちゃんと判っているらしかった。
 携帯電話をベッドの上に放り投げ、フラットもまた、ベッドの上に寝転がる。リモコンを操作してコンポを再起動、大音量の音楽が部屋を満たす。

「……………………」

 ぼんやりと天井を見上げながら、フラットは考え込む。
 グレアムは偶然の一致だと言った。恐らく、それが一番可能性が高い。
 ただし、可能性の話をしなければ。牽強付会な論理が許されるのならば。我田引水な曲解が有り得るとすれば。
 一つ――仮説が出来上がる。

「“時を遡る魔法”、か」

 それが、シャロンの探していたもの。
 彼女がそれを手に入れる事が出来たかどうかは、定かでは無い。探しものは見つかったと言っていたが、具体的な事は言っていなかった。
 最初にその魔法の存在を聞かされた時、フラットは一笑に付した。そんなものは存在しない。時間は不動であり、干渉する余地は無いと。
 だがこれに対し、シャロンはこう言ったのだ――自分はその魔法の存在を知っている。この身をもって知っている、と。
 五十年以上昔の、あの日。シャロン=グレアムが、イギリスの小さな村から姿を消した日。彼女はその日に、“時を遡る魔法”を知ったのではないか。それによって遥か過去へ、遥か彼方の世界へと飛ばされたのでは無いか。
 まったく強引な論理だ。いや、論理と言うにも値しない、屁理屈に過ぎない。
 
「……ま、いいさ。どうでも良い事だ――俺にゃ、関係無え」

 所詮、自分とは違う世界で綴られている物語。
 思いを巡らせたところで、何が得られる訳でも無い。
 フラット=テスタロッサが考えるべき事は、幾らでもある。時間は有限で、積み上げられた課題はそれこそ無限。
 そう。彼が考えるべきは、自分達の未来これからについてだ。
 過ぎ去った何かに気を取られていては、進めない。





 ――次に会う時は、敵同士かもね。

「ああ。そうなる事を願ってるぜ、シャロン」









 ミッドチルダ首都クラナガン市街に存在する、一棟の高層ビル。さすがに時空管理局地上本部ほどに馬鹿げた巨大さでは無いが、それでも近隣のビルディングと比して頭一つ飛び抜けた高さを誇るその建物。
 クラナガンには幾つかシティホテルやビジネスホテルが存在しているが、そこは中でも最大級の規模を誇る高級ホテルだった。
 言うまでも無く、“高級”と謳われるからには、客の方にも相応の格が求められる。露骨に言えば、一般庶民お断り。普通の勤め人なら一般客室に泊まるだけで給料が一月 分吹っ飛んでいくだろう。スイートルームともなれば一泊の料金が年収に相当する。無論、料金に見合うだけのサービスは惜しみなく提供されており、ミッドチルダに限らず他の管理世界からもセレブな方々が訪れる。
 ミッドチルダのホテルを評価する某雑誌では、ここ十年連続で五つ星――最高ランクの評価を得ている。それが此処、クラナガン・グランドホテルである。
 そんな馬鹿馬鹿しいまでに客層を絞った超高級ホテルに、ジーンズにセーターというカジュアルどころか部屋着の様な格好で這入ってきた客など、恐らくは“彼女”が初めての事だっただろう。

「あの、お客様――」

 さすがに困惑した表情で、ホテルマンが近づいてくる。いや、困惑では無かったか。顔に貼り付けたにこやかな笑みとは裏腹に、目にはあからさまな侮蔑が浮かんでいる。貧乏人が何を間違えて入り込んできたのだ、それくらいに考えているのだろう。
 ふん、と女――シャロン=ブルーブラッド=グレアムは鼻を鳴らした。

「最上階レストランは、どう行けば良いのかしら?」
「最上か……こ、これは失礼しました! どうぞ、こちらでございます!」

 待ち合わせの場所を口にすれば、ホテルマンの態度は豹変した。
 最上階展望レストランを貸し切りにした、あの男はそう言っていた。随分金をばらまいたらしい。上客の関係者となればこの扱いの差も当然か。――あまり気分の良いものでは無いが。まあ、この格好で這入ってくる人間が上客とは思わないだろうから、それも当然。
 別に彼女がこれ以外の服を持っていない訳では無い。王侯貴族しか着る事を許されない様なドレスも十着から持っている。今日、この場に着て来なかったのは、待ち合わせの相手を喜ばせるのはどんな形であっても御免だと、それだけの事でしか無かった。

「行くわよ、杏露」
「はいな!」

 エントランスのロビーを物珍しげに眺めていた使い魔に声をかけて、シャロンは歩き出す。
 ホテルマンの先導でエレベーターに乗り込む。彼自身はエレベーターには乗らず、最上階のボタンを押すだけ。扉が閉まる瞬間まで頭を下げていた、金をもっている客に対しての接客はまあ合格点というところか。
 重力の狂う感覚が、およそ一分。
 ちん、と微妙にレトロな音が鳴って、最上階に辿り着いたエレベーターが扉を開ける。

「――お待ちしておりました、シャロンさん」

 最上階エレベーターホールで、一人の女性がシャロンを待っていた。
 ウェーブのかかった薄紫の髪、きっちりとしたスーツ姿。何となく、社長とか政治家の秘書を連想させる女性。

「ああ。久しぶりね、ウーノ」
「うーのー!」
「はい、こんにちは、杏露ちゃん」

 嬉しそうな声を上げて女性に飛びつく杏露。女性は薄っすらと顔を綻ばせてそれを受け止め、改めてシャロンに一礼する。

「スカ公は?」
「レストランの方に。シャロンさんをお待ちですわ」

 そう言って、女性はシャロンを先導する様に歩き始める。
 クラナガン・グランドホテルの最上階はフロアのほぼ半分が展望レストランとなっている。完全に貸し切られた今日は他の客の姿は無く、広々とした店内は酷く寂しい。
 店内に居るのは一人だけ。窓際の席に腰掛け、ワイングラスを口へと運んでいる男が一人。シャロンのセーターとジーンズという服装も大概だが、男の格好もまた随分と場違いなものだった。
 白衣である。医者か化学者の着る様な白衣。くたびれた感じが無く、おろしてきたばかりの新品の様にぱりっと糊付けされている。前に通信で見た時はかなりよれよれだった様な気がする、シャロンに会うからとめかしこんできたのだろうか。

「ドクター。シャロンさんをお連れしました」
「ああ、ご苦労だったね。下がっていて良いよ」
「悪いわね、ウーノ。杏露をお願い」
「はい。それでは、失礼します。……行きましょ、杏露ちゃん」
「はいな!」

 杏露の手を引き、女性がシャロン達から離れていく。軽く横目でその後ろ姿を追ってから、シャロンは男の向かいの席に腰を降ろした。
 まるで椅子を尻で踏み潰す様な、乱暴な座り方だった。

「随分豪奢なものね、次元犯罪者。もう少しこそこそしてなくて良いのかしら?」
「当然だろう? 君と直接会える貴重な一日だ。それに相応しい舞台を整えるのは私の義務だよ」

 ふうん、とシャロンの冷たい視線に、男はにやにやといやらしい笑みで応える。

「ま、いいわ。さっさと商談に入りましょ、スカパー博士」
「“スカ”しかかかってないなあ。それに随分と性急だ。折角こうして顔を合わせているんだ、もう少し語らう時間があっても良いとは思わないかい?」
「全然まったく微塵とこれっぽっちも思わないわ」

 そう言って、シャロンはジーンズのポケットから一枚のディスクを取り出した。MOディスクと思しきそれを、テーブルを滑らせる様にして対面の男へと渡す。
 ディスクを取り上げ、男は嬉しそうに――まるでクリスマスプレゼントを受け取った子供の様な表情で――笑った。

「ほう――これが」
「ええ。ご注文の品」



「<聖王のゆりかご・・・・・・・>、その所在・・・・に関する記憶データよ」



 シャロンが身を乗り出し、テーブルの上からデキャンタを引っ手繰る様に取り寄せて、中身を自分のワイングラスに注ぐ。
 まるでシャンパンでも飲む様に一気にワインを呷って(テーブルマナーなどというものは既にどこかへ消え失せている)、叩き付ける様にグラスを置いた。

「やはり君に頼んで良かったよ。現代いま憶えている人間は居なくとも、ゆりかごが封印された当時なら、その存在を憶えている人間はいる筈だからね――私の読みも、そう的外れでは無かった訳だ」
「まあ、そういう事の口封じには持ってこいの道具でもあるしね、水晶髑髏あれ。けど滅茶苦茶苦労したわよ……誰かの記憶の中に在るのは確かでも、誰の記憶の中に在るのかまでは判らなかったから」
 
 実際、“外”で経過した時間――つまり古城から戻ってきたフラット達がログハウスで待たされていた時間であるが――は三十分というところだが、“中”での体感時間はおよそ一ヶ月。740時間を不眠不休で、シャロンは水晶髑髏に収められた記憶データを漁っていたのである。
 口で言う程生易しい作業では無い。常人なら発狂するだろう。事実、管制人格であるもう一人の“シャロン”はもう嫌だいっそ殺せとまで喚いていた。私のコピーなのに根性無いわねえ、と思ったが、それはまあ余談である。

「それじゃ、代金を頂こうかしら。ちゃんと持って来てるわよね?」
「勿論だ」

 言って、男は足元に置いていたトランクをテーブルに乗せた。小さな、ジュラルミン製のトランク。
 無造作にそれを開いて、シャロンは中身を確認する。中に収められていたのは掌サイズの赤い宝石。古代遺産ロストロギアの一種であり、その美しさとは裏腹に高い危険性を秘めた、超高エネルギー結晶体。
 名を、レリックと言う。

「本物でしょうね、これ」
「勿論だとも。約束事で偽物掴ませるほど腐ってはいないよ」
「どの口が言うのかしら、スカーレット・オハラ博士」
「“スカ”しかかかってないなあ。そんな風と共に去りそうな名前では無いよ」

 トランクを閉じ、テーブルから下ろす。
 これで必要なものは一通り揃った。魔法の術式構成情報。起動に必要なエネルギー源。後は場所の選定か。どこでも良い訳では無い、最も適した場所がある。それを探す事が、今後の目的になるだろう。

「“時を遡る魔法”、か。起動に膨大なエネルギーを必要とし、また一度遡れば戻る事の出来ない片道切符。そも、成功するかどうかも怪しい。何せ術者がこの時間軸から消えてしまうのだからね。成功例が存在しない。そんなものを本気で探している――いやはや何とも、常軌を逸した話じゃないか」

 腕を広げ、さも愉快そうに、男は言う。酷く芝居がかった仕草であり、人によっては嘲笑的とさえ取るだろうが、生憎、シャロンにとってはその程度、挑発にすらならない。

「人の事は言えないでしょう。かつて世界を(・・・)滅ぼした(・・・・)代物を使って、何をしようと言うのかしら? 世界征服? 人類抹殺? ――どちらにしろ、誇大妄想の類ね」

 寧ろこちらの方がはっきりと挑発的な物言いであり、そこには隠しようも無く毒が含まれている。
 ああ、まったくその通りだ――と、男はシャロンの言葉にさして気分を害した様子も無く、存外素直に首肯した。

「まあ、それでも大分現実味を帯びてきたところだよ。最大の懸念事項だった<ゆりかご>も君が見つけてくれた。あの脳味噌どもは必死こいてまだ探しているらしいがね。くく、まったく脳味噌の癖に『頭を使わない』連中だよ。だからこうして私に出し抜かれる」
「脳味噌? ……ま、いいわ。けど“鍵”は? ドゥーエがくすねてきたっていう“聖王の遺伝子”も、余所に持ってかれちゃったんでしょう?」
「その通りだよ。どこか他の研究機関で“鍵”を作らせるつもりらしい。私にやらせれば二年で完成させられるというのに……連中の程度では、十年くらいはかかるだろうな」
「ま、当然ね。貴方みたいな危険人物に“鍵”なんか作らせたら、そのまま“鍵”も“ゆりかご”も持ち逃げされちゃうものねえ」
「どの道そうなる予定だがね。まあ、時間に余裕が出来たのも事実だよ。“ナンバーズ”もまだ予定の半分しかロールアウトしていないからね」
「ふうん。そういえばドゥーエの名前で思いだしたけど、トーレやクアットロ、チンクは元気にしてるかしら?」
「……彼女達は気遣うのに、私の扱いは随分ぞんざいだね、君は……」
「は? 何で私が貴方に気を使わなければならないの、気持ち悪い」
「私じゃ無ければ泣き出しているところだよ。……ああ、皆元気にしているとも。ドゥーエは忙しくて滅多に帰って来れないがね」
「そう。それは結構」

 グラスに残ったワインを飲み干し、シャロンは席を立つ。途端、男は不満そうに口を尖らせた(まるで似合わない仕草だった)。

「もう行ってしまうのかね?」
「ええ。商談は終わったんだし、ここに居る必要も無いでしょう。それじゃあね、東京スカパラダイスオーケストラ博士」
「“スカ”しかかかってないなあ……と言うか、いい加減苦しくないかい?」
「……さすがに苦しかったわ」

 トランクを片手に踵を返す。男はそれ以上シャロンを引きとめる事はせず、ワイングラスを掲げるのみだった。
 杏露と、男の秘書と思しき女性はレストラン入口に程近い席に座っていた。何やらカードゲームに興じている。トランプかと思ったが、どうやら違う様だ。

「ここでドローツーを出すよぅ!」
「あら。やってくれるわね、杏露ちゃん」

 妙に盛り上がっている。水を指すのは悪いかとは思ったが、結局、シャロンは二人のところに近づき、声をかけた。

「お待たせ。ハナシは終わったわよ、杏露」
「えー? いいところだよぅ」

 露骨に不満そうな顔を見せる杏露だったが、それでも使い魔らしく主の命令には従うのか、手に持っていたカードをテーブルの上に置いて、片付け始めた。

「悪かったわね、ウーノ。面倒見てもらっちゃって」
「いいえ。私も楽しかったですから」
「『UNO』やってたよ! 杏露、二回勝った!」
「そう。良かったわね」

 レストランを出る。ちょこちょこと杏露がその後に続き、女性も見送りの為にエレベーターホールまで同行する。
 ボタンを押してエレベーターを呼び出す。昇ってきた時は一分足らずで着いたのだが、今度は妙に時間がかかった。

「それじゃね、ウーノ。妹さん達に宜しく。……ついでに、ジェイルにも宜しく言っといて」
「ばいばい!」
「はい。ありがとうございました、シャロンさん。ばいばい、杏露ちゃん」

 エレベーターが到着する。二人で乗るには広すぎる感のあるそれに乗り込み、一階のボタンを押した。

「ああ――そうそう。一つ、良い事を教えてあげるわ」

 エレベーターの扉が閉じる寸前、シャロンは不意に、さもどうでも良い事の様な口調で、そう切り出す。
 
銀髪の娘・・・・に気をつけなさいな。本気でこの世界に喧嘩を売ろうとするのなら、きっと、避けては通れないから」

 怪訝そうな顔で、どういう意味かと聞き返そうとする女性だったが、それよりも一瞬早く、エレベーターの扉が閉じる。
 ごとん、と小さな震動の後、エレベーターが一階へと向けて下降を始めた。
 エレベーターの片面、そしてシャフトはガラス張りで、クラナガンの風景が一望出来る。立ち並ぶ高層ビル、隙間を縫う様に走る道路。整然としながら猥雑な、それ故に、人間が生きていると実感出来る風景。
 あの男に渡したデータは、近い未来、この世界に未曾有の危機を齎すだろう。この風景が瓦礫によって埋め尽くされた廃墟と化すのも容易に想像出来る。世界を滅ぼす片棒を担いでいると、シャロンは自覚していた。

「……こういう時、ぴったりの言葉があった筈だけど……何だったかしら……ああ、そうそう」

 他人事・・・
 誰が死のうと傷つこうと、自分に関わり無いのなら、それはまったく無視して構わない。
 だってそれは、自分の事では無いのだから。


 
 これより十年の後に起こる大事件において、シャロン=ブルーブラッド=グレアムの名前が出る事は、終ぞ無かった。









【ご主人、ご主人ー!】
「……ん、ぁ」

 アルギュロスが呼ぶ声で目が覚めた。
 どうやら、あのまま眠ってしまったらしい――ちらと時計を見れば、最後に時間を確認してからそう経っていなかった。
 半端な睡眠のせいか、頭がぼうっとする。軽く頭を振り、泥を詰め込まれた様な思考をはっきりさせる。

【駄目っスよご主人。こんな時間に寝たら夜寝れなくなるっス。夜更かしは美容の大敵っスよ】
「あー……そうだな。気をつける」
【…………ご主人、大丈夫っスか? なんか素直でキモチワルイっスけど】
「うるせえよ」

 ぴん、と軽くアルギュロスを指で弾き、フラットは部屋を出た。
 口を開けて寝ていたからか、妙に喉が渇いている。水……いや、冷蔵庫にオレンジジュースがあったか。思い出すと急に飲みたくなる、フラットの足は台所へと向く。
 ハラオウン家のマンションは近頃主流のLDKになっている。台所へと向かうには必然、リビングを通り抜ける必要があり、そしてリビングにはフェイトとエイミィの他、客人が二人居た。

「あ、フラットちゃん」
「お邪魔してるでー」

 高町なのはと八神はやてがリビングに入ってきたフラットに気付き、ぱたぱたと手を振ってくる。
 何となく面倒臭いから無視しようかとも思ったのだが、そうするとまたうるさいだろうと言うのは(予想では無く経験則で)解っている、「おう」と軽く手を挙げてそれに応えた。
 台所に入り、冷蔵庫を開ける。……オレンジジュースが無い。牛乳やら烏龍茶やらはあるのだが、オレンジジュースはパックごと無い。喉が渇いているのだから別に牛乳でも烏龍茶でも、それこそ水道水だって良かったのだが、しかし一度飲みたいと思ってしまったから、身体がオレンジジュースを求めているのだ。
 ぐるりと周囲を見回せば、リビングのテーブル――フェイト達が腰掛けている横長ソファーの前に置かれた、背の低いテーブルだ――の上に、オレンジジュースのパックが置かれているのが目に入った。客が来たから持っていったのだろう。さっきリビングを通った時に気付かなかったのが迂闊と言えば迂闊。ちっ、と一つ舌打ちを漏らして、フラットはリビングに戻る。
 だが。
 ひょいとエイミィがジュースのパックを取り上げ、自分のコップに中身を注ぐ。丁度コップの中ほどまで注がれたところでパックは空になった。そのままエイミィはコップを口へと運ぶと、喉を鳴らして飲み干してしまう。

「ん? どうしたの、フラットちゃん?」
「……………………何でもねえ」

 何となく「そのジュースが飲みたかったんだ」とは言い出せなくなってしまった。
 いや、言って言えない事は無いのだが、フェイトあたりが「じゃあ私のをあげる」と言い出しそうだし、催促している様で好きでは無い。まして「じゃあ口移しで飲ませてあげる」とか言い出されたら逃げられない。馬鹿馬鹿しいが結構リアルな想像だった。特に最近のフェイトなら、本当に言いかねない。
 そういえば――

『うーん……』
『あ? なんだ、何悩んでんだ、シャロン?』
『うん? いや、大した事じゃ無いわ。高町なのはがタチで、フェイト=テスタロッサをネコとするなら、貴方フラット=テスタロッサはタチになるのかネコになるのか、どっちかなって考えてるだけだから』
『いや、俺はリバだから、どっちでも……って、真剣な顔で何考えてやがる!』
『え? だって、『リリカルなのは』って要は百合アニメでしょ? 『アブサード◇フラット』もちゃんとその辺の区別を付けとかないと……』
『お前、言って良い事と悪い事があるぞ!』

 ――くそ、思い出しちまった。

「あ、そうだ、フラットちゃん。水晶髑髏の件に関して、古代遺物管理部の方から正式に謝罪が来てるよ」
「ん? ああ、そうか。何だ、存外素直に頭下げたもんだな」

 あの事件は結局、管理局から齎された情報が誤っていた事でややこしくなったと言える。
 管理局からの情報では、水晶髑髏の記憶収奪機能については一切伝えられなかった。フラット達に回収要請を出した古代遺物管理部がそれを把握していなかったのが原因なのだが、ロストロギアはすべからく危険なものとして扱っているのなら、それは言い訳にはなるまい。
 記憶収奪機能を知っていればそれなりの対応を取っただろう。シャロンと関わる事も無く、トライアッズと戦う事も無かった筈だ。
 ……ちなみに逮捕されたトライアッズの構成員、そしてフラット達と戦った魔導師――キース=ウィタリィとヴェイニィ=ユキーデだが、取調べに対し比較的協力的な一般構成員に対し、ヴェイニィは黙秘を続けているらしい(そもそもあの時から一言も喋っていないから、当然と言えるが)。
 またキースに関しては、これは理由は不明だが、完全に廃人の様になってしまい、取調べは難航しているとの事。フェイト達に負けたのが余程ショックだったのだろうか。
 いい気味だと思わなくも無かったが、正直なところ、フラットはもうあの一件に関する興味を殆ど失っていた。

「あーあ。フラットちゃん達はええなあ、見せ場があって。わたしなんか、今回はちょい役の顔見せだけや。次回作もなんや、流れてもうたし」
「はやてちゃん、そういう発言はちょっと……」

 車椅子の背凭れに寄りかかって、天井を見上げながらだらーっと愚痴を垂れるはやてを、なのはが苦笑しつつ制止する。
 ふんと鼻を鳴らしながら、フラットもソファーに腰掛ける。と、エイミィが何かを思い出した様に席を立って、戸棚から何かを取り出した。

「フラットちゃん、これ。お届け物だよ」
「あ? 俺にか?」
「うん。『フラット=テスタロッサ様』って書いてある」
「差出人の名前が無えのが、すっげえ怪しいんだけどよ……」

 エイミィから手渡されたのは、一通の封筒。そう大きいものでは無い、A4用紙を三つ折にした程度のものだ。

「爆弾とちゃうか? フラットちゃんが開けた瞬間、どかーんや」
「やめてよ、はやて」

 ぷうと頬を膨らませてフェイトが言う。「かんにんやー」とはやては笑いながら謝るが、その視線は封筒に集中していた。
 まあ、厚さから考えても爆弾は無いだろう。手紙でも入っているのか、振るとがさがさ音が鳴った。
 エイミィからペーパーナイフを受け取り、封を切る。……フラットが致命的に失敗したのは、この瞬間だった。部屋で開ければ良かったと気付いたのは、これより数時間後の話だ。
 封筒を引っ繰り返し、ばさばさと中身をテーブルの上にぶち撒ける。手紙かと思えばそうでは無い、それは、そう、写真――

「――写真・・?」

 その中の一枚を取り上げて――フラットは、固まった。
 石化したかの様な硬直に、フェイト達もまた写真を取り上げて、

「――あははははははははははははははははははははははははははははっ!」

 爆笑した。
 主にはやてと、エイミィが。
 
「な、なんやこれ? ブルマ? スク水? ふ、フラットちゃん、えらいマニアックな路線で攻めてきたなあ! あははははははははっ!」
「わ、笑いすぎだよ、はやてちゃん――あははははは! あーもう、かわいー! あははははは!」

 封筒の中から出てきたのは十数枚の写真と、デジカメ用のメモリーカード。
 そして、薄い青色・・の、ファンシーさを感じさせる丸っこいメモ用紙。
 メモ用紙には、ただ一言――『もう充分に愛でたので、お返しします』。
 送りつけてきたのが誰かなど、考えるまでも無い。

「あ……あ、あの女ぁっ!

 思わず声を荒げたその瞬間、背後に佇む影に、フラットは気付く。
 それはフラットの肩越しにテーブルの上の写真を取り上げ――ふむ、と一つ頷いた。

「リンディ……さん・・?」
「うーん。成程、この路線はちょっと考えつかなかったわね。ゴスロリとかメイド服とかはちょくちょく着せてみたけど……こういう方向性もあったのね。寧ろこれからの季節ならこっちの方をメインにするべきかしら……」

 いつの間にか帰ってきていたリンディ=ハラオウンが、写真を見てぶつぶつ呟いている。
 超怖い。

「いや、ちょっと待て、提督殿・・・。何を考えてるのか知らないが、多分それは違うぞ、間違っているぞ」
「エイミィ。フラットさんを連れてきて頂戴。久しぶりに創作意欲が湧いてきたわ」
「はーい! ほらフラットちゃん、覚悟ー!」
「覚悟出来るか! やめろ離せ! ちょ、フェイト、なのは、はやて、何か言って――」
「出来上がりを楽しみにしてるよ、フラット」
「いってらっしゃい、フラットちゃん」
「わたしこの前ケータイ買い換えたばかりやから、デジカメ初使用やー」



――助けてくれぇぇえええええっ!




















【そしてご主人はその日、新たな世界に目覚めたっス】
「締めんな!」






THE END.
To be continued“ABSURD StrikerS”!






後書き:

 という訳で、『魔法少女? アブサード◇フラット偽典/Hey, Pachuco!』、これにて終了です。長のお付き合い、誠にありがとうございました。
 
 本作の裏テーマ、最後の一つ。『A's』の番外編であると同時に、『StrikerS』の前日談にする事。
 原作ではいまいち解り辛かった、スカリエッティがゆりかごを入手した経緯を描こうと考えてました。ただしこの時点(StS十年前)でスカリエッティとフラット達の接点を作ってしまうのはまずいかなと、オリキャラを噛ませてみた次第で。極端な話、シャロンはこの為だけに用意したキャラクターです。
 まあ、あくまでこれは三次創作ですので、『アブサード◇フラット』本編でこの辺りがどうなるのかは不明です(笑)。

 最後ですので、キャラクターについても少々。
 
 まずシャロン=ブルーブラッド=グレアム。上述の通り、フラット達とスカリエッティが直接接触しない様に用意したキャラクターです。ただそれだけだとさすがにキャラとして薄いので、毒のある人格というか、とにかく性悪で毒舌な女に仕立ててみました。
 初期案では彼女もデバイス(レバーアクション式ライフル)持って戦う予定だったのですが、それだとフラットかフェイトかなのはの誰かが割食って出番が減るからと中止になりました。シュワルツェネッガーよろしくスピンコックしながら敵を蹴散らしていくつもりだったのに。まあその辺は次回作(あるのか?)で。

 続いて杏露。ぶっちゃけこいつは最終話でウーノとUNOをやらせたいが為だけに用意したキャラです。逆に言えば、こいつじゃなくても良かったんです(笑)。
 魔法が使えなくなったフラット達の援護をさせようと武装させてみましたが、あまり意味は無かった様な。

 次にトライアッズの魔導師二名。まずはキース=ウィタリィの方から。
 名前のモチーフは映画『スパルタンX』に出て来る悪役(を演じる俳優)。ただしキャラとしては元ネタをそのままやってもちょっと薄いので(SSの場合、文章だけでキャラを立てなければならないので)、紳士の様な変態に仕立ててみました。変態という名の紳士ではありませんので、あしからず。
 とにかく『最後にぶっ飛ばされてすかっとする』を念頭に置いたキャラを心掛けて、そこから人格を逆算して作ってみました。

 最後にヴェイニィ。
 こちらも名前は『スパルタンX』の悪役から。キャラとしての性格はこれに、『グラップラー刃牙』の花山薫が加わった感じです。
 キースとは逆に、少年漫画的な戦闘が似合う敵をイメージして作ったキャラです。『怒りとか恨みとかを挟まない、純粋な力比べ』をやる以上、キースの様に厭な奴にならないよう、一切喋らないキャラにしてみました。

 ちなみに本当にどうでも良い話、シャロンは拙作『魔法少女リリカルなのは偽典/Beginning heart』と設定上で繋がりを持っています。というか出演してます(名前出てませんが)。
 元々、TANK様から『アブサード◇フラット』の閑話で『Beginning heart』の設定使っても良いですか? という話を頂いたのが本作を思い付くきっかけだったので、これ幸いと組み込んでみました。
 ただ三次創作で自作の宣伝するのは明らかにマナー違反なので、一通り読んで頂いた後に、こうして最終話後書きで公開した次第です。


 といったところで、そろそろ書く事も尽きてきたので、この辺で失礼致します。
 三次創作を許可して下さったTANK様、投稿を受け付けてくださったActionHPの管理人・代理人様、そして読んで下さった読者の皆様に、改めて感謝を。ありがとうございました。
 縁がございましたら、またお会いしましょう。





 ……さて、そろそろ自分のネタで勝負しなければ。








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代理人の感想
あー、普通の(?)オリキャラだったんですかあの人達。
どうやら私の想像は外れていたようですねー。
当たっててもそれはそれで怖いんですけど。

しかし「ブルーブラッド」ねぇ?
何かこう、実に意味深(『ブルーブラッド』には「高貴な血筋」の意味がある)ですが・・・
実はムーリアン((c)ラーゼフォン)になって人間止めたんで血も青くなってます、とかじゃないだろうなぁw
精神的にはかなり人間止めつつあるような気もしないではないのですが(ぉ


>写真
絶対やると思ってました(笑)。
気分としてはでっかい釣り針を下げられたクマーというところ(爆)?

>というか出演してます(名前出てませんが)。
?・・・・・??・・・・・・・・・・・・!
あー、あー、あー! 「姉様」か!
だとしたら、本気で何年生きてるんだあの性悪女は。
なお分からない人は偽典の幕間1を読んでみようw



それはさておきお疲れ様でした。次回作にも期待しております。

ではこのへんで。


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