コンサートホールでフィアッセの歌を見届けた後、残りの事を警備主任であったリスティに任せ、

 美由希は高町 恭也自分の義兄が戦っている場所へと向かった。

 着いた先の廃ビル、そこで彼女が見たのは、

 月光を背に父の形見の小太刀を粉々に砕き、血の涙を流して倒れようとしている恭也の姿。


 ――― その後の事は、彼女も余り憶えてはいない。


 ただ恭也の倒れる姿を見て、

 そして彼が戦っていた敵の顔を見て、

 始めは、ただ悲しみと怒りだけで戦っていた断片的な記憶があった。


 『恭ちゃんは誰にも負けない』と思い続けていた彼女には、

 恭也が倒されるというのはとても認められるものでは無かった。


 そして何より、恭也を倒した敵の顔に覚えがあった。

 ずっと昔、霞がかかったようなおぼろげな記憶の中、自分を抱きしめてくれる人の姿。

 その記憶の中の人が、目の前の敵が、自分にとっての何なのかを薄々気付いてしまった。

 何故恭也が、この人物との戦いに自分を巻き込みたくなかったのか理解してしまった。


 だからこそ、許せなかった。

 嘗て自分が一番大好きだった人が、自分が一番想っている人を傷つけ、

 果ては、自分が一番大嫌いな理不尽な暴力を、自分の姉のように思っている人へ振るう事が。


 だから、ただがむしゃらに刀を振るった。

 防御を捨て、傷ついても立ち止まらず、むしろ相手の懐に飛び込むように。

 普段の彼女なら絶対にしないような、ひたすら相手を損なう為の剣。

 そして気が付いた時、自分の剣は彼女を斬ろうとしていた。

 今まで一度もまともに打てた事の無い“神速”の世界で、閃く幻想の剣線に沿って。


 ――― その一瞬。


 彼女の顔が、見えた。

 それは怒りではなく、

 それは恐怖ではなく、

 それは絶望ではなく、

 ただただやるせない、深い深い後悔と悲しみの表情を浮かべていた。


 何故かその瞬間、

 脳裏に幼い頃に言われた言葉が浮かんだ。

 温かくて、穏やかで、慈しみに満ちた、

 優しい優しい、恭也あにの言葉。



 ―― お前は、俺の宝物なんだよ ―― 





 (……ダメ!!)




 ――― 御神流斬式・奥義之極 ―――


 ―――  閃 ひらめき ――― 






 ―――御神流斬式・奥義之極  閃

 超神速による一撃により、その業の前では全てが零になると云う。

 間合いも、距離も、そして武器の差すらも……

 抜刀の類ではなく、それはただ疾さだけを追求した極限の剣閃。

 仮に敵が“神速”の領域で抜刀術を使おうとも、抜刀の後に抜いても先に敵を切り伏せたと云う、

 永い『御神流』の歴史の中でも、体得したものは数人だけという幻の奥義。

 平和になった近代では、体得する者など皆無とまで言われていた。

 そしてその業の本質は、活殺自在。

 例え刃の付いた刀で斬ったとしても、《斬る意思》が無ければ敵を傷付けず倒せるという。

 即ち―――。




 ――― 即ち、美由希は美沙斗を斬らなかった。


 その後は、二人とも滅茶苦茶だった。

 美沙斗も美由希も、自分の中の溜まっていた言葉をぶつけ合う。

 美由希は泣きながらひたすら文句を言い、美沙斗は泣きながらひたすら謝っていた。


 離れていた時間を取り戻すように抱しめ合って、そして……









 ――― そして、その全てを嘲笑うように、母娘に向かってその爆弾は放られた。 











 互いに、気付くのが遅れた。

 それは、ほんのニ、三秒の空白。

 しかし、その僅かな行動の遅れが、彼女たちの選択肢を決した。


 二人共に、重傷といっても過言ではないほどの傷を負い、

 さらに座ったままの体勢では、たとえ“神速”に入ってもまともに動けない。

 このとき、美由希も美沙斗も本心から死を覚悟した。


 ――― だけど、後ろから聞こえてきたその声は、挫けかけた二人の心を叱咤した。



 「美由希!!美沙斗さん!!」



 振り向くと、自分たちに向かって必死の表情で走る恭也の姿があった。




 ――― 御神流・歩法之奥義 ―――



 ――― 神 速しんそく ―――






 恭也の姿が視界から消えたように映る。

 一瞬後、目前に迫っていた爆弾が消え、恭也の姿がビルの窓の方へと見えた。

 恭也が何をする積もりなのか悟った瞬間、美由希は恭也に向かって手を伸ばし叫んでいた。



 「―― 恭ちゃん!?」



 「―― 止めろ!恭也!!」



 同時に、美沙斗も恭也が何をする積もりなのか悟ったのか、美由希と同じように恭也に手を伸ばし制止の叫びを上げた。




 だが、思いも虚しく恭也の体が夜空を舞い………









 紅蓮の炎に、包まれた。 















「いやぁぁぁぁぁあああああああああぁっぁぁぁぁぁあっぁぁあああああああ!!!!!!!!!!!!」














 少女の叫びは、空気を喰らう爆音の中でなお夜空に響いた。










とらいあんぐるハート    〜 天の空座 〜 










  

<第零章 第三夜>  Blind but Crying girls暗闇に泣く少女たち















 その知らせを受けたとき、

 彼女たちは自分の世界が足下から崩れていくような、

 そんな感覚を覚えた………






 ――― PM 10:22    海鳴大学付属病院 





 その日は、フィリス 矢沢にとって特に代わり映えのあった日ではなかった。

 大きな手術があった訳でもなく、病状の酷い患者が出た訳でもなく、

 診察も、軽いケガをした子供と、この季節に有りがちな勉強疲れの風邪をひいた受験生が数人いただけであった。

 同じ医師である養父と共に、責任と笑顔でもって患者の人々と接し、

 誠意と多才な知識(彼女は、内科・外科(整形も含む)の他にも精神科と整体の専門でもある)とでその病状に当たっていた。

 ただ違いが有ったとすれば、宿直の関係で自分の(正確には父親の)患者であり、

 親友でもある(そして恋敵でもある)、フィアッセ・クリステラの初のコンサートに行けなかったことだけ。

 それも、そこの警備主任を任せられている自分の姉のリスティ 槙原がライブの映像を優先で見せると

 約束させたのでそれほど拘ってはいなかったし、特に不満も無かった。


 だから彼女は、この日もまたこのまま終わっていくものと思っていた。


 ―――― その連絡を受けるまでは



 診察時間も終わり、彼女の受け持つ患者は一通り見て周った彼女は、

 そのまま自分の机に座り、ココアの入ったカップを片手に明日の予定について考えていた。

 腰まであるシルバーブロンドの髪がユラユラと揺れる。


 (う〜ん、……七号室の島田さんと三号室の西久保さんは、明日にはもう自宅療養で大丈夫ですね。

 五号室の加藤さんは、……無理するからもうしばらく居てもらいましょうか?

 ―― クスッ)



 そこまで考えて、フィリスは我知らず口元が緩む。

 自分の患者の中で、最も医者を頼ろうとせず、忠告も聞かず無理ばかりする患者が思い浮かんだからだ。

 酷く無愛想で、鋭い目付きのため何時も怒っているように見えてしまう、

 でも本当はとても優しい人。


 チラリ、とココアを飲みながら机の上の写真立てに目をやる。

 写真立ての中には、『翠屋』という看板の喫茶店を背景に、

 まるで学生の集合写真のようなものが写っていた。


 彼の妹分の一人である、フォウ 蓮飛レンフェイが患っていた、心臓の疾患が完治したお祝いに撮ったものだった。

 本人の他に自分や、自分や姉がお世話になっている寮の人々も写っていた。

 そして写真の中で当の彼女は、病み上がりだというのに早速、彼のもう一人の妹分である城島 晶という

 男の子にも見える女の子と喧嘩していた。

 確か原因は場所の取り合いで、どちらが彼の横になるかだったはずだ。


 それを見ていて、また笑ってしまった。

 一月も前の事では無いのに、とても昔のことのように思える。

 ……この頃の自分はまだ、彼のことを患者の家族程度にしか感じていなかったというのに。

 いつの間にか、自分でも怖いほど彼に惹かれている自分が居た。



 (まぁそうはいっても、……)



 思わず溜め息が出てしまう。

 写真に写っている人数は、それこそ集合写真とも言うべき人数で、

 少なく見積もっても二十人は居るだろう。

 しかもその殆んどが女性で、全員が女の自分が見ても、美女・美少女ばかり。

 そして、そんな女性陣の約七割が同じ男性に共通した想いを持っている。



 「まったく……判ってるんですか?」



 拗ねたように、写真の中の彼を指先で小突く。

 まぁ、そんな訳あるまいと言う事も自分で気付いている。

 このライバル多き中で唯一の救いは、当の本人が鈍すぎてどれだけアプローチをしかけても、

 誰も気付いてもらえないという、安心して良いのか、嘆いて良いのか判断に困る所なのだから。


 机から振り向いて、壁に掛けられた時計を見た。

 いつの間にか、十時半前。

 コンサートも終わる時間だ。

 姉から聞いた話では、彼も今夜の警備に当たるという。

 無理していなければ良いと思う一方で、

 しかし彼女は、彼が絶対に無理しているであろう事を最早予想を超えて、確信している。



 (……今度夜勤に付き合ってもらったら、絶対検査しますからね)



 フッフッフ……と、黒い笑みが零れる。


 彼女は元来、暗い所と、寂しい所が嫌いなのもあって夜勤が苦手で、

 その事を知った恭也が「レン家族を助けてくれたお礼に」と、彼女の夜勤に付き合うようになっていた。

 後でその事を知った女性陣が散々文句を言ったが、まぁそれは蛇足である。


 そうしてフィリスが明日の患者たちの事をおっ放り出して、恭也との夜勤に様々な想像を膨らましていたとき。




 ――― そのベルの音は、鳴り響いた。



 「ひゃッ!!?」



 突然の物音に猫のように驚いて辺りを見回し、音の出所を探る。

 すぐに院内の緊急回線だと解り、フィリスは慌てて机に備え付けてある電話を取った。



 「はっはい!、フィリス 矢沢で夜勤ですが。

 どうしましたか?、急患ですか?」



 変な言い回しだなと、自分でも思いながら訂正はしなかった。


 ―― 正確には、そんな事一瞬で頭から消えて無くなった。



 「………え?」



 電話の向こうで、救急隊員が必死に何かを喋っている。

 しかし彼女の頭は、その耳元で叫ばれる声にもまるで頓着しなかった。


 手から、受話器が落ちる。


 思わず、さっきまで見ていた写真立てに目を向けた。

 その中で彼は―― 写真の中で数少ない男性である高町 恭也は、

 苦手な笑顔を浮かべようとして、苦笑になってしまっていた。



 「……うそ」



 彼女の頭の中では、救急隊員の言葉が不協和音のように響いていた。



 『重傷者一名、至近距離で強力な爆発に巻き込まれた模様!

 至急、手術の準備を!

 血液型は、A型。

 患者の名前は―――」



 ―― 高町 恭也 ―― 







 「……… うそよ」





 思わず足から力が抜けた。


 自分の世界が、足下から崩れていくようだった。

















 ――― PM 10:35  海鳴大学付属病院  《特別集中治療室S・I・C・U》前





 ガラガラと、担架に乗せられて彼は運び込まれてきた。



 「胸部、及び横隔膜に裂傷!腎臓、肝臓も三分の二以上が損失しています!」



 「右足、右手もほぼ炭化しています!それ以外も三度以上の火傷、体全体の損失が激しい!!」



 「あまり動かすな!!心拍数も呼吸も虫の息なんだぞ!?」



 「輸血とペニシリンをじゃんじゃん持って来きて!強心剤投与!!」



 その日の夜、海鳴付属大学病院の中では、戦場さながらの怒号が飛び交っていた。

 運び込まれた文字通り“瀕死”の患者を救おうと、誰も彼もが必死で手を尽くしていたからだ。


 超至近距離、正に懐の中で強力な爆発物が爆発したらしく、

 腹部から右半身にかけてほぼ炭化しており、内臓も横隔膜を含め消化系は六割は重度の火傷ないし、

 欠損しており、傷口すら炭化して半ば人の形を保っては居なかった。

 最早、何故生きているのかが医者たちにしてみれば悪夢のような重体で、

 それでも患者は浅くとも呼吸をしており、心臓は小さくとも脈打っていた。


 ――― その患者の名を、高町 恭也といった。



 「恭也くん!!聞こえますか!?恭也くん!?」


 「恭ちゃん、恭ちゃぁん!!」



 高町 桃子が知らせを受け皆と共に病院に到着したとき、

 其処には自分の義理の娘である美由希が半狂乱になって泣き叫び、担架に縋り付くように走る姿と、

 たくさんの白衣の医師に囲まれ、今まさに手術室に運び込まれようとしている義理の息子の姿。

 そして一緒に手術室に入る、息子の担当医であるフィリス 矢沢医師の小さな姿があった。

 美由希の隣では、今にも手術室に飛び込みそうな美由希を、桃子の知らない黒髪の女性が抑え付けていた。



 「落ち着け、美由希!!今、美由希が飛び込んで邪魔するわけにはいかないだろう!!?」



 「いやぁ!!放して!放してよ、お母さん!!

 恭ちゃんの所に行くんだから!!傍に行くんだから!!

 お願い、放してよぉー!!」



 その美由希の姿に、桃子も一緒に来ていた面々も一瞬呆然となったが、

 誰よりも早い立ち直りを見せた桃子は、そのまま美由希へと近付き、


 ―― パァン!


 その頬を鋭く叩いた。

 叩いた音は、静まり返った廊下に嫌に良く響いた。



 「……落ち着きなさい、美由希。

 今あんたがそんなに取り乱してどうするの?」



 そう言って、今度はその叩いた頬を撫でた。

 優しく、小さな子供を諭すように。


 美由希は、そんな桃子の顔を呆然と見ていたが、

 やがて堤防が崩れるように、桃子の体に顔を埋めて大声で泣き出した。

 そんな美由希の頭を優しく撫でながら、桃子は今度は黒髪の女性に目を向けた。



 「えと、はじめまして。

 美由希と恭也の保護者をしています、高町 桃子です。

 ………貴女が美由希の?」



 言われた女性は、一瞬驚いた表情をしたが、すぐに何かに納得したのか

 表情を引き締めて頷いた。



 「……はい、産みの親で御神 美沙斗と申します」



 深々と頭を下げながら、女性―― 美沙斗 ――は言う。

 その顔は、本当に悲痛な色に染まっていた。

 グッと歯を喰いしばり、搾り出すように美沙斗は言う。



 「今回は、……本当に申し訳ありませんでした」



 懺悔の言葉を搾り出す。

 髪に隠れて見えなくとも、彼女も僅かに目の端に涙を浮かべて。



 「美由希のことも、クリステラ親子のコンサートのことも、何より……恭也の、ことも。
 
 謝って済むことではないと判っています。

 償えるなら、どんな事だってします……

 それでも言わせてください。

 本当に、申し訳ありませんでした」



 そのまま土下座でもしかねない美沙斗の姿に、全員が言葉を失ったように黙った。

 特に一度襲われたフィアッセは、その女性が美由希の実の母だという事と、

 憑き物が落ちたような姿に目を見開いていた。


 そんな一同の中、美由希を抱きしめた桃子だけが、変わらず美沙斗を見つめていた。



 「………顔を上げて下さい」



 思っていたよりずっと落ち着いた桃子の声に、美沙斗は恐る恐る顔を上げた。

 目に映った桃子の表情は、泣きたいような、困ったような、そんな苦笑が浮かんでいた。



 「確かに、美由希を捨てていった事は許せませんけど、そのおかげで私は美由希に会えましたし。

 コンサートのことなら、わたしよりも本当に謝らなければいけない人がいるでしょう?

 ……それに」



 言って、桃子は点灯の点いた手術室に目を向けた。

 恭也が居るであろう場所に。



 「それに、あの子は絶対にわたしたちの所に帰って来ますよ。

 わたしの自慢の息子なんですから………」



 一片の震えも無く、桃子は断言するように言った。

 しかし、美沙斗は気付いてしまった。

 そう告げる彼女の瞳は、今にも溢れんばかりに潤んでいる事に。

 美沙斗は歯を喰いしばり、手を握り締め、自分の愚かさに顔を俯かせた。



 「お母さん……」



 ふと、桃子は自分のスカートの端を握る小さな手に気付いた。

 見下ろすと、栗色の髪を両方で束ねた自分の実の娘、高町 なのはが今にも泣き出しそうな目で

 自分を見上げていた。



 「おにーちゃん、居なくなったりしないよね?」



 その傍には、真っ直ぐな髪をショートカットにした男の子にも見える少女、城島 晶と、

 同じくショートカットの、高町家の居候少女、フォウ 蓮飛レンフェイが同じく泣き出しそうな不安げな表情で見つめていた。

 なのはと手を繋ぐようにして、沈んだ顔をしているのは、“妖狐”だという子狐が化けた巫女服を着た女の子、久遠。

 なのはは滅多に遊んでもらえないが、父親が居ない変わり、父親役をする優しい恭也の事が本当に大好きだったし。

 晶とレンは、恭也のことを『師匠』と呼び、それ以上に慕い、想っていることを桃子は知っていた。

 久遠にいたっては、最近恭也に命を助けられたらしい。

 回りを見ると、誰も彼もが同じような顔をしているのが解る。

 だから桃子は、皆を―― 或いは自分を ――安心させるために頷いて言った。



 「もちろんよ、恭也はあなたたちを置いてどっかに行くような子じゃないでしょ?

 それに恭也を助けようとしているのは、レンちゃんの心臓だって治したあのフィリス先生なんだから」



 そっと、桃子はなのはの髪を撫でる。



 「……きっと、大丈夫よ」



 ――― 祈るように、

 ――― 願うように、



   その後、知らせを受けて飛んできた恭也の知り合いや友達。

 交流や面識の有る《さざなみ寮》の人々も駆けつけ、恭也の居る手術室を見つめていた。


 ――― 祈るように、

 ――― 願うように、


















 ――― AM 1:24 海鳴大学付属病院  《特別集中治療室S・I・C・U 》 前





 恭也が集中治療室に運び込まれて、はや四時間。

 部屋の外には、知らせを受けた人々が誰一人帰る事無くじっと待っていた。

 まるで海底のような重い沈黙の中、― カチッ、カチッ、という音だけが酷く鮮明に聞こえる。

 フィリスと全く同じシルバーブロンドの髪を短く切りそろえた女性、彼女の姉であるリスティ 槙原のライターを点ける音だった。

 タバコに火を点け、半分も吸わないうちに灰皿に押し付ける。

 そんな事を何度も繰り返し、灰皿はすでに小さな山を作っていた。

 そしてその山を見ながら、フィリスは此処に来るまでのことを考えていた……。



 コンサートは無事に終わった。

 この前のように妨害工作も有ったが、誰にも気づかれる事無く捕縛できたし、被害も未然に防げた。

 恭也の言っていた、凄腕の刺客というのも現れなかったようで、

 フィアッセやティオレさんをはじめとした、『クリステラ ソング スクールC・S・S』の面々に差し向けられた馬鹿共も、美由希や自分の部下たちが取り押さえた。

 そのときの美由希の実力と、恭也は更に強いと言っていたことに少し驚いたが。

 それはともかく、それで仕事は全部終わったと思っていた。


 その後、恭也が心配だという美由希の言葉に、恭也が見当たらない事に気付き一緒に探しにいこうとも考えたが、現場の後始末に追われ美由希だけが恭也のところへ行った。

 恭也の居場所なら、大体分かるという美由希に少し嫉妬したが……。



 ――― どちらにしろ、自分のこの選択にリスティは心の底から後悔する事になった。


 ――― 生まれて初めて、自分の事を殺してやりたくなるほどに。



   そして、結局現場の後片付けに走り回り、途中で抜け出す事もできず、自分でも珍しく仕事を真面目にこなしていた。

 部下に色々と指示を出し、フィリスに頼まれていたテープをどうやって手に入れようかと考え、


 ………そして、その爆音が夜空に響き渡った。



   後の事を全部放り出し、爆音のところへと『フィン』を使ってテレポートで文字通り飛んで行った。

 着いた瞬間、妙な男が居たのでとりあえず捕まえ、動けないようにしてからビルの中に入る。


 その部屋にとき、そこは狂ったように何かを叫ぶ美由希と、

 恐らく恭也の言っていた、凄腕だという黒服の女が窓の外を呆然と眺めていた。


 恭也から話を聞いた後、気になって調べてみたが、彼女は裏では相当名の通った人物だった。

 二刀を振り回し、大概の暗殺や破壊工作は一人でこなす凄腕の剣士。
 

 しかし、その人物は今入ってきたリスティの姿にも気付かないほど放心していた。

 その事が気になりはしたが、安全と判断すると半狂乱になっている美由希へと近付いた。



 「おい!美由希どうした?何があった!?」 


 声を張り上げて聞いてみるが、泣き叫ぶばかりでまるで要領を得ない。

 仕方なしに『フィン』を使って美由希の思考と記憶を少しだけ読み、黒服の剣士が美由希の本当の母親だと知って驚き、



 ――― 先程の爆音の正体と、それに恭也が巻き込まれた事を知って呆然となった。



 その後の事は夢のようにあやふやで、彼女も良く憶えていない。

 ただ、フィリスへと直接連絡せず機械的に本部の救急隊に連絡を入れるあたり、

 自分でも相当まいっていたらしい。


   救急車が来た後、恭也や美由希、美沙斗といった面々と病院へ行き、

 自分の部下に連絡を入れられたらしい彼の家族と、一緒にコンサートを見に来ていた友人が六人、

 そしてフィアッセやティオレさんなどの『C・S・S』のメンバーが数人、駆けつけてきた。

 その中には、今のさざなみ荘の住人でちょうどこっちに来ていた神咲 薫や、その妹の神咲 那美、

 それと那美の友達で、以前恭也たちに助けられたという狐の久遠も人型に化けて来ていた。


 黒服の女性―― 美沙斗のことに関しては、すでに本人の口から事情は聞いている。

 事情が事情だし少なくとも今回の事に関しては未遂な上、自分以外彼女の顔も知らないだろうから放っておいた。

 しかし爆弾を投げた犯人は、現在取調べを受けている。

 手の甲に龍の刺青が彫ってあったらしいが、その事については黙秘を続けているらしい。

 本来ならば、自分が出向き『フィン』を使って頭の中身を洗いざらい暴き立てたいが、

 今犯人の顔を見ると自制を利かせられず殺しかねないので、彼女はじっと此処で待っていた。


 フィリスは、自分でも何本目か分からないタバコに火をつけて。



 「……私のせいだ」



 ポツリと、掠れたようなフィアッセの声を聞いた。

 その声にリスティは目だけを自分の隣に向ける。

 そこに居たフィアッセは俯いていて、髪で顔が見えないが握り締めた手が小さく震えていた。



 「私のせいで、恭也が……」



 自分を抱きしめるみたいに腕を体に回すが、しかし意に反してガタガタと身体中が震えだす。

 リスティ以外にもフィアッセの変化に気付いた何人かが顔を上げ視線を向ける。

 その表情は一様に憔悴していたが、当初より少しは落ち着いてきていた。


 その中で、まだ他者を気遣う余裕のある桃子とティオレがフィアッセに近付く。



 「フィアッセ?」



 「どうしたの、フィアッセ?」



 桃子とティオレの心配げな声も聞こえた様子もなく、フィアッセは更に自分の体を震わせる。

 まるで、極寒の地に一人取り残されたように。

 髪の隙間から覗いた顔色は、最早白を通り越して真っ青に変色しているようだった。



 「私が、ママと一緒に歌いたいなんて言ったから……

 ごめん、…ごめんね、恭也ぁ」



 その声は、既に後悔や懺悔など通り越して、絶望の響きすら伴なっていた。

 そしてその言葉が、他の誰でもなくフィアッセ自身の心を抉っていく。

 その姿に、ティオレも桃子も慌てた。

 それが優しい彼女を決定的に壊してしまうことに気付いていたから、


 ティオレがフィアッセを、引っ掻くように抱き締める。



 「落ち着きなさい、フィアッセ!

 確かに、恭也が大変な目に遭ったのは私たちが原因かもしれない!

 でも、貴女だけのせいじゃないわ!!

 ……むしろ、それは私に言えること。

 恭也が無理をしてでもコンサートを成功させたかったのは、

 美沙斗さんの事ばかりじゃないの!私のせいなの!!」



 言いながら、フィアッセを――― 娘を抱く手に力を込める。

 まるで、彼女ごと震えを抑えるように。

 しかし、それでもフィアッセの激情は抑えられなかった。


 パヂィ!!と、空気を叩くような音と共に、フィアッセの背中から、漆黒の翼が広がる。

 それと同時に、目には見えない“力”が吹き荒れ、ティオレを引き剥がす。




 ――― 『リアーフィン』


 通称『フィン』と呼ばれ、『高機能性遺伝子障害者H・G・S』と呼ばれる特殊な遺伝子情報を持つ者が発現させる翼。

 これは一種の先天的な遺伝子障害であり、

 また、この特殊な遺伝子情報のためか一般に超能力と呼ばれる“力”を行使できるようになる。

 主に特殊能力と分類される超能力を使うときなどに現れ、持ち主の能力に対するイメージによってその姿が違う。

 そのため、その形態によって個別の名称を持つ。

 そしてこの遺伝子障害はその能力の事もあり、一般にはその名すら伏せられていた。




 事情を知らない人々が驚きと“力”の圧力に顔を歪める中、フィアッセはその羽を憎しみすら込めた瞳で睨みつけて叫ぶ。



 「違う、……違うの、そうじゃないの!

 わたしのこの羽が不幸を呼ぶの!皆を不幸にするの!!

 もういや、……もういやぁ!!

 これのせいで士郎も死んじゃったんだ!!

 ……なんでぇ〜!なんでわたしから大切な人たちを獲って行くのよぉぉ〜!!!」

 

 ドンッ!!と、“力”が衝撃波のように辺りを蹂躙した。

 狂ったように風のように制御の利かない“力”を、フィアッセが感情のままに放出したからだった。

 その煽りを受けて、近くに居たティオレや桃子だけでなく、比較的軽い久遠やなのはが飛ばされそうになる。


 しかしこの状況下で最も危険なのは、フィアッセ自身であった。


 彼女の『フィン』、その名を【ルシファー】と言う。

 かつて神に仕えながら神に叛き、破れ、地の底の国の魔王となった堕天使の名を冠するそれは、

 持ち主の生命力。

 即ち、命とでも言うべきものをエネルギー源としている。

 故に使えば、文字通り命を削ることとなるのだ。


 そんな“力”を使うフィアッセを何とか止めようと、事情を知る何人かが近付こうとして、



 ――― バァン!!



 その誰よりも早く、一つの影がフィアッセを叩いて……いや、殴り付けていた。

 床に投げ飛ばされるように倒れ込んだフィアッセがのろのろと顔を上げると、

 自分を冷たく見下ろすリスティの姿が見えた。

 そして彼女の背にもまた、六枚の『フィン』が輝いている。


 まるで、昆虫の羽のような薄い六枚の『フィン』。

 名を【トライウィングス・オリジナル】と言い、その能力者としての能力は、基本的に攻撃に特化している。

 彼女の『フィン』はフィアッセと同じく生命力を使うものだが、

 フィアッセのように直接使うのではなく、その余剰分を使うので負担は限りなく小さい。


 その『フィン』を金色に輝かせながら、リスティはフィアッセに近付きその胸倉を掴み上げた。



 「ふざけるなよ、フィアッセ……

 『フィン』が不幸を運ぶ?『フィン』のせいで恭也があんな目に遭った?

 確かに『フィン』は超常の“力”の具現だ。

 だけどお前の『フィン』にそんな“力”は無いし、

 そもそも他人の人生をどうこう出来るほど大した力なんて、ボクたちには無いんだ」



 フィアッセを睨み付けながら言うその言葉は、酷く重く聞こえた。

 それは嘗て、彼女が思ったことだから。

 そして、その思いががどれ程己惚れていたものかを、今の彼女の保護者たちに教えられた。

 だからこそ彼女は、そのスミレ色の瞳に怒りを滲ませ叱り付ける。

 その眼光に射竦められ、フィアッセは脅えたように立ち尽くしす。


 「人は……心ある命は、誰だって幸せになるために生まれて来るんだ!

 ボクだって、フィリスだって、知佳だって……もちろんフィアッセ、お前もだ!!

 『フィン』を持って生まれたボクたちだって例外じゃない!

 人を不幸にするために生まれてくるものなんて無いんだ!!」



 回りの誰もが口を挟めない。

 それほどに彼女の言葉は、実感を伴なって心に響いた。

 リスティが掴んでいた手を放すと、フィアッセは力が抜けたように座り込んだ。

 リスティはそんなフィアッセから目を反らし、手術室を見つめた。



 「……誰も、お前の『フィン』が不幸を呼ぶなんて思っちゃいないんだ。

 それに何より、恭也はそんな事を考えすらしないだろうさ。

 ボクやフィリスの『フィン』を見て、「綺麗だ」なんて人の気も知らずに言うようなヤツなんだから。

 ………フィアッセのときもそうだったんだろう?」



 ボソッと、呟くように言われたその言葉に、フィアッセは手で顔を覆って泣き伏した。


















 ――― AM 3:12 海鳴大学付属病院  《特別集中治療室S・I・C・U 》 前





 パチンッ、と<手術中>のライトが消えた。

 手術室の中から出てきたのは、一人の小柄な女医だった。

 後に続くように、恭也も出てくる。

 口に呼吸器を付け、顔にも大きな火傷があったらしく包帯でグルグル巻きにされていた。

 余りにもズタズタな恭也の姿に、月村 忍は一瞬気が遠くなった。

 その付き人であるノエル・エーリヒカイトも、普段は滅多に変えることの無い表情を驚愕と悲嘆に歪めその姿を見ていた。

 後輩である神咲 那美に至っては、気を失い彼女の姉の神咲 薫に支えられていた。

 そんな中、忍は恭也を横目に女医、フィリス・矢沢に自分でも判るほど震えた声で尋ねた。



 「あ、あの……恭也は…どうなんですか?」



 誰もが同じような雰囲気の中、フィリスは一度目を閉じ。

 桃子と、ティオレに顔を向け静かに話しかけた。



 「……手術自体は成功です。

 予断は許しませんが、止血はされましたし。

 何より恭也くん自身のの生命力とでもいいますか……

 とにかく、こんな手術にも耐え切った恭也くんの体力のおかげで、一先ずの山は越えました。

 ……こんな事を言いたくはありませんが、恭也くんが此処に運ばれた当初、

 即死していても可笑しくは無い状態でしたので……」



 「そ、そうですか……良かった」


 桃子を始めとして、油断できないとはいえ恭也が助かったという事実に皆いくらか安堵した。

 しかしそんな中で、リスティだけがフィリスの様子のおかしさに気付いた。

 確かに酷い重症なのだろうが、恭也は一命を取り留めたと言う。

 だが、フィリスの表情には、その安堵も、誇らしさも浮かんではいない。

 リスティも、フィリスの恭也への想いを知っているし、フィリスも皆が恭也を想っているのを知っている。

 ならば何故、彼女はそんな顔をするのか?

 疑問は、彼女人の言葉で直ぐに氷解した。


 「……ですが」



 酷く硬い声で、彼女は告げた。



 「彼が目を覚ます事は、もう……有り得ません」










 その一言で、彼女たちの時間が止まった。























...... to be continue 




あとがき

 はい、国広です。

 いきなり重い話になったうえ、恭也くんが瀕死です。

 はっきり言って、ここまでの話にするつもりは無かったんですけど、とりあえずヒロインキャラの心情を

 出しとこうかな〜とか考えてこんな感じになってしましました。

 では、また次回。

 次は、恭也くんが出てくる予定



 P・S
 注意、このお話しは「逆行モノ」でも、「異世界的クロス」でもありません。

 ご了承ください。

 

 

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代理人の感想

クロスなのは間違い無いとして「異世界クロス」ってのがよく分からないですね。

そっちの用語にはうといもんで。

それはそれとして今回ちとくどかったような。

やりたいことは分かるんですけどね。