(皆、……すまない、約束は守れそうに無い)


 死に逝く寸前、恭也の脳裏を翳めた言葉。

 それは、もう二度と会えなくなる人たちに向けての懺悔の言葉。

 確実に自分が終わると意識しているのに、自分の頭に浮かぶのはそんな事ばかりだな、と苦笑する。

 そして、もうそれすらも言葉にならない。

 悲しいほどの一方通行な思いは、紅蓮の炎に呑み込まれる。




 『……大丈夫ですよ』



 その時、優しい誰かの声を聞いた気がした。

 空耳だろうと思いながらも、しかし恭也はそれでも良かった。

 その声は頭に響いていた《ノイズ》ではなく、自分の大切な人たちの誰かのようで。

 そして、その誰かの声に慰められる事に安堵した。

 こんな愚かで自分勝手な人間でも、許しの言葉は欲しかったらしい。

 その事に、今度は自嘲が漏れ出た。



 何もかもが判らなくなる一瞬。

 一族が残っていた頃にも、父が生きていて、共に武者修行の旅をしていた頃にも、

 そしてこの瞬間まで解らなかったこと。

 いや、気付かなかったことに気付いた。


 ――― 自分は、確かに幸福だった。と


 永遠の眠りに堕ちる一瞬。

 温かな何かに包まれるように。



 気付く事が、出来た。





 『……大丈夫ですよ、恭也』





 ふと聞こえる、優しい誰かの声。





 『待ってました』




 ずっと昔から知っているような、その声の主、




 『ずっと、ずっと、待ち続けていたんですよ?』





 その声の主が、本当はずっと前から自分の傍に居たと知るのは




 『だから、言わせて下さい……』




 もう少し、後になってからだった。





 『来てくれて、ありがとう……恭也』












とらいあんぐるハート    〜 天の空座 〜 










  

<第零章 / 第四夜> Innercircle forest 内なる世界の森 













 サラサラと、冷たい風が頬を撫でて行くのを感じた。

 その風に揺れる、草花がそっと身体を擽る。

 サワサワという草木の擦れる音が優しく鼓膜を振るわせた。

 静かに、目を開ける。

 眼前に広がるのは、満天の星空を湛えた夜空と、煌々と輝く大きく細い銀の月。

 そして、自分を取囲むように生い茂る木々。


 緑の草原を背に、恭也は一人その中で仰向けに倒れていた。



 「―― 己は、……どうしたんだ?」



 始めに浮かぶのは疑問。

 誰ともなしに漏れ出た呟きが、風に乗って消えていった。



 (確か、己は……)



 ゆっくりと、意識がはっきりして来る。

 それと共に、自分の身に起こったことが思い出されていく。


 ――― 美沙斗との対決。

 ――― 突然の意識の変質と、頭に響いた《ノイズ

 ――― 見たことも無いはずの技を使う自分。

 ――― 美由希と美沙斗との和解。

 ――― 突然現れた黒服の男と、投げ放たれた爆弾。

 ――― そして……



 (…ッ!! 爆弾を抱えて、己は外に飛び出したはず!?)



 跳ね起き、身の回りの状況を把握しながら、身体の状態を確かめる。

 腕、足、腰、膝、関節各部、肋骨、や内臓系、ete……。

 何処も異常は無く、違和感も無い。

 父の形見でもあった小太刀が見当たらないと思ったが、すぐに美沙斗に砕かれた事を思い出した。

 その事実が、言い知れない不気味さを感じさせる。

 最後の瞬間に感じた爆発の威力。

 とても生身の人間が耐えられるはずはなはないのに、恭也は怪我一つ負っておらず、

 それどころか、服にすら焦げ目や美沙斗と戦ったときの汚れも、キズも消えてしまっていた。

 まるで、今まで有った事は全て夢だったとでも言うように。



 (身体に異変は無いし、他の装備はそのまま………己は死んだのでは無いのか?

  ……いや、待て?何処にも違和感が無い・・・・・・・・・・、だと!?)



 其処まで考えて、恭也は自己の体に不審な所を感じ取った。

 慌てて、今度は自分の右膝・・を曲げ伸ばししながら入念に確かめる。



 「……馬鹿な、右膝の痛みが消えている!?」



 恭也の右膝の怪我は、幼い頃のあまりに無茶な鍛錬と、

 その後にあった事故によって完膚なきまでに破壊され、医者すら匙を投げたほどの怪我だった。

 だからこそ、恭也は剣士として完成される事はありえず、自分の剣の鍛錬に使う時間の全てを

 義妹の美由希の成長に捧げたのだ。


 呆然とする自己を叱咤して、今度は周りの状況を把握しようと視線を廻らし



 「何処だ………此処は?」


 ……愕然とした。

 そこにあったのは、鬱蒼と木々が生い茂る、緑豊かな森。

 自分がつい先程までいた場所は、打ち捨てられたビルとはいえ、間違いなく街の中。

 こんな場所は、ビルの周辺どころか、近くに在る山の中にすらない。



 (いや、まて落ち着け、………とにかく、今一番必要なのは今現在の状況。

  何故こうなったのかは、この際置いておけ)



 現状を把握しようとすればするほどに混乱する思考を、無理やり押さえ込み大きく深呼吸する。

 思考を切り替え、自分の今現在の性能スペックと状況を理解できる限り認識し、頭の中に叩き込む。

 同時に、これだけ混乱するのは何時以来かとも考えた。

 ――― 自己を律し、常に状況を冷静にかつ客観的に把握する。

 恭也が幼い頃から、最も得意とする心の在り方。

 そのせいで幼い頃は父親に「お前は、子供らしくない」と何度も言われたのだが。

 まぁ、それこそ今はどうでも良いこと。


 恭也は視覚だけでなく、他の五感も尖らせ森の中の気配を探っていく。

 まるで、自分を中心に世界が広がっていくような感覚。

 しかし、まるで何も感じない。

 感覚自体は普段より鋭くなっているのに、その範囲内に何も感知するものが無いのだ。

 更に意識を広げてみる。

 だが、やはり何も感知できない。

 再び、気配を探る範囲を広げようとして、



 (……何だ、この探索範囲の広さは!?)



 自身の感覚の異常さに愕然とした。


 ――― 御神流の技に『心』と呼ばれるものがある。

 目に頼らず、音と気配、そして相手の呼吸だけで敵の位置や、強さ、

 達人になると、それだけで相手の身体状況や心理状態まで把握する事が出来ると云う。

 元来は暗殺等の裏の仕事を担う不破流の技の一つなのだが、恭也の父・高町 士郎が恭也に御神の技として伝授していた。


 この技の効果範囲は個人の力量にも拠るが、精々が半径五十メートル程度。

 恭也自身、今までの鍛錬や実戦の中でも把握できるのは、半径四十メートル前後がやっとだった。

 だが、恭也が今把握出来た範囲は半径約一キロ。

 しかも、把握した範囲の状況を脳内に完璧にイメージできる。


 ―― それは、あまりに異常。


 基より人間の脳の情報処理能力には限界がある。

 “神速”のように無理やり脳のリミッターを外すならばまだしも、

 ただの生身の状態で、しかも五感を伝った探索範囲でこれほどの精度も範囲もあり得る筈が無い。



 (一体、己の体はどうしたんだ!?)



 自分自身が理解できない。

 十九年使い、鍛えてきた肉体が突然別物に取って代わられたような感覚だった。


 自身の身体に起きた異常に呆然となったとき、



 ――― リリィン……


 限界を易々と超えて研ぎ澄まされている聴覚が、何か涼しげな音を拾った。



 「!!」



 確認しようと、恭也が音のした方へと視線を向ける。


 ――― リリィン……


 風鈴のような音を森の暗闇に響かせながら、小さな影がスッと駆け抜けていった。

 駆け出す。

 視界の中に映ったのは、黒いマントを羽織った誰かの後姿。

 自分の状態も理解出来ず、置かれた状況も理解できない。

 まるで、世界に一人取り残されてしまったような孤独の中、その人影だけが頼りだった。

 後姿を追うように、全力でで森の中を駆け抜けようとして、



 「………なぁ!?」


 自身の身体に三度驚く。



 (迅すぎる!!?) 


 神速を使っているわけではない。

 だというのに、自分の身体はその迅雷の如き速さが周りの景色すら置いて行く。

 己の野を駆ける余りの速さに恐怖すら感じる。

 それは、言ってみればアクセルを全開にしたバイクに乗る感覚とでも言うのか。

 制御の限界を越えた速度での疾走。

 木々が乱立する森の中で、突然上昇した脚力は壁に向かって突撃するのと大差ない。

 混乱を押さえ込み、スピードを緩めようとしたとき


 ――― カチッ


 何かを、踏み付けた音がした。


 ――― 轟!!



 「!!??」



 何の音かを理解するより速く、恭也の四方の木々から何かが凄まじい音を立てて迫ってきた。

 とっさに地面を蹴り、その場から離れる。


 ドゴォン!!と、酷く重たい音を響かせながらそれは地面に突き刺さった。



 「……くっ、罠だと!?」



 果たしてそれは、巨大な丸太の槍であった。

 人を貫くなど生易しい。

 そこから更に引きちぎり、押し潰す。

 それほどの意図が込められた物が、今しがた恭也の立っていた場所に存在していた。

 あと一瞬遅ければ、あの丸太が恭也の墓標となっていただろう。

 そんな想像にゾッとしながら、恭也は大地に着地する。


 ――― カチッ


 途端、再び足下から先程と同じ音が聞こえた。


 ――― 瞬…


 空気を引き裂きながら、今度は足下と頭上から鋼の煌めきが恭也を襲い、

 更にそこにしか避けられないという空間にも、恭也を縫い止めるように別の煌めきが迸った。

 動きを完全に封じられた『詰み』の一手。

 しかし恭也はこの程度で諦めるつもりは毛頭無かった。



 (―― “神速”)



 “神速”の領域へと入る。

 その領域の中でも、恭也は驚きに顔を歪める事になった。



 (自由に、動ける?)



 そう、普段の“神速”の領域で付いて回る、空気が質量を持ったような感覚が無い。

 普段通りに身体が動く。

 それどころか、知覚すらも大きく上昇している事に気付いた。

 世界が、より鮮明に見える。

 その超知覚の中で、恭也は自分に迫るものが克明に認識できた。


 ――― 地面から突き出した物は、槍の群れであった。

 ――― 頭上より降りしきってきたのは、白刃の雨であった。

 ――― 安全圏を喰らわんと襲い掛かって来たのは、恭也も使う飛針の雪崩であった。


 本来ならば、弾丸の如き速さで迫るそれらは、

 しかし、恭也の目には欠伸が出るほど緩慢な動きに見えた。

 それらの全てを当然の如く避けて行き、再び後姿を追うように駆け出した。


 “神速”の領域を抜け出し大地を蹴るも、そのスピードは衰える事無く木々の間を疾駆して行く。

 “神速”による高速処理は出来ないが、それでもその速さに慣れた恭也は先程までと違い、

 余裕すら持ってその迅雷の速さを堪能する。

 その余裕から、恭也はこの異常な迅さが単なる脚力だけでなく、

 特殊な歩法を、自分が無意識に用いている事に気が付いた。


 「………なるほど、これがそうか」



 更に恭也の瞳は、この森に仕掛けられた罠すらも見抜いていく。

 木々の揺れに隠れるように存在する、微かな違和感。

 地面の土や草花の中に在る、ほんの小さな異物。

 それら全てが、異常なほど高められた集中力と洞察力で看破していく。


 ――― リリィン……


 音が、近付いてくる。

 どこかで聞き覚えのある音に眉を寄せながら、恭也は更に速度を上げる。

 そして恭也は再び、その後姿を捉えた。


 その影は奇妙な出で立ちをしていた。

 黒いマントに、黒い帽子。

 その帽子も、頭の先が二股に分たれている道化師のようなものだった。

 恭也のように全身黒尽くめながら、その被った帽子からこぼれる銀色の髪が、

 妖精の鱗粉のように、月明かりを浴びて鮮やかな光を放っていた。

 良く見れば、その音の源は少女の帽子に付いている二つの鈴のようだった。



 「待ってくれ、……君は此処が何処か知っているか?」



 思わず声を掛けるが、少女は止まらず駆けて行く。


 ――― 不思議な感覚だった。


 木々の合間に現れたり、消えたりを繰り返す後姿。

 黒いマントと、二房の帽子が鈴の音を響かせながらゆらゆら揺れる。

 どこかを目指しているような迷いの無い歩調だが、別段急いでいるわけではない。

 だが、追いつけない。

 恭也は自分が驚くほどの速さで、森の中を風の如く駆けているというのに、距離がまるで縮まらない。

 まるで、本当に妖精にでもからかわれているようだった。

 自分がさっきまで居た場所から、どんどん離れていく。

 だが、無尽蔵に湧き上がるような体力は、身体に疲れを感じさせなかった。








 「……ここか」



 辿り着いた場所には、月明かりに照らし出された小さな草原が広がっていた。

 時間を凍り付かせてしまったような、そんな静寂に包まれた場所だった。

 そして其処には、一つの【門】がそそり立っていた。

 青銅製の造りで表面には湖と、そこに浮かぶ一隻の小船が掘り込まれている。

 【門】にそっと手を触れ、耳を押し当ててみると、微かな水の音が聞こえた。


 ――― リリィン……


 そして、先程から自分を呼ぶように聞こえる音もまた、この【門】の向こう側から響いてきた。

 触れた手に、ゆっくりと力を籠める。


 ――― ッ、ギィオオオオオン……


 重厚な音を立てて、【門】が開いていく。


 そして、【門】の向こう側に広がった景色を見て、恭也は言葉を失った。

 そこに現れたのは、巨きな湖。

 綺羅、綺羅と輝く星の輝きをその透き通るような湖面に映し出し、

 細く天に架かる三日月は、その湖面を煌々と照らし出している。

 湖畔には、木々がアーチを作り、御伽噺の妖精の泉のような幻想ささえ醸し出していた。


 その余りの美しさに、恭也が呆、とその光景を眺めていると、

 不意に、その湖の中心に何かが輝きだした。

 にわかに鏡のような湖面が揺らぎ輝きを中心に波紋を作りだす。



 「何だ?」


 ――― リリィン……


 ふと、湖面の輝きから音が響いた。

 音だけでなく、その輝き自体が、恭也を呼ぶように明滅を繰り返していた。



 「……己を、呼んでいるのか?」



 呼ばれるまま、誘われるまま、恭也は光に向かって一歩を踏み出す。

 不思議な事に、恭也の足は沈む事無く湖面の上を歩んでいった。

 やがて、その輝きの前で立ち止まる。


 淋しげな輝きだった。

 その輝きは、激しく、超新星のような光を放っているというのに、

 何故か、暗い夜空にポツリと灯る星の光よりも儚い、淋しげな灯火だった。

 その輝きが余りに悲しく、恭也はそっと手を差し伸べた。


 ――― まるで、ケガをした誰かに手を差し出すように。

 ――― まるで、迷子の子供を慰めるように。



 そして、輝きの中からもまた、手が伸ばされてきた。


 ――― まるで、寄る辺を失った木の葉のように頼りなさげに。

 ――― まるで、手を振り払われる事を怖れる子供のように。



 恭也の手が、優しく光の手を掴んだ。



 「………ッ!?」



 瞬間―――

 辺りが光に包まれた。

 その光の強さに、何も見えなくなる。

 視覚だけでなく、段々と聴覚や触覚も朧気になってくる。



 「……………」



 声を出そうとしても、口からは僅かな空気が漏れ出ただけ。

 だが、何故か恐怖は感じなかった。

 この光が、ひどく穏やかなものだというのもある。

 しかし、それ以上に知っているような気がするのだ。

 この光を、自分はずっと幼い頃から………。




 『……………』



 ふと、声が聞こえてきた。


 言葉ではない、誰かの声が。


 そして、その向こうに見えた気がした。

 蒼く輝く、金色の■■の■を――――






















































 目が覚めたとき、はじめに映ったのは見知らぬ病室の天井だった。








 

...... to be continue 



あとがき

 さて、今回は多少短めですが恭也くんがどこかにいた話。

 勘の鋭い方は、おぼろげでも判るでしょうが、声の主はモちょっと秘密。

 さて、次回からはクロス第一弾です。

 まぁ、クロスとは言っても七割はオリジナル設定ですけどね。

 では、また。




感想代理人プロフィール

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代理人の感想

そんな、いくら同じ二刀流だからって(ry

つーか無茶やるなぁ。