海鳴中央病院の個室の中で、恭也はフィリスとホットココアを片手に会話を楽しんでいた。



 「そうですか、……それじゃみなさん、そちらの方に?」


 「ええ、フィアッセたちもスケジュールの都合上、

  そろそろ日本を発たないとないといけないらしくて。

  みんなでその見送りに」



 現在、四時十分。

 朝の内に恭也のお見舞いに来ていた皆は、今度はフィアッセたち『クリステラ・ソング・スクールC・S・S』の人々を空港まで見送りに行った。

 恭也は見送りに行くことは出来なかったが、代わりにこの病室で見送る事にしたのだ。

 実際、『C・S・S』のメンバーも何人か『命の恩人』である恭也に対し、お礼と挨拶に来て直接挨拶できた。

 が、根っから真面目な恭也は、やはり自分も行くべきだったかと考えていたりする。


 ちなみに本人は相変わらず気付いていない事だが、

 お見舞いに来たメンバーを例の如く陥落したのは甚だ余談である。(笑)


 恭也の言葉に、ふと何かを思いついたのか、ふふふとフィリスが小さく笑って言った。



 「そういえば、ティオレさんはともかく、フィアッセは「恭也の傍に居る」って駄々をこねると思ったんですけどね?」


 「実際そう言ったんですが、己のためにせっかくの夢をフイにさせるわけにもいきませんでしたから。

  結構、無理やり説得して行かせました」



 流石に良く分かっていると、苦笑しながらフィリスの予測に答える恭也。

 フィアッセもフィリスの患者の一人なのだ。



 「とは言っても、他の皆も予定を一日ぐらいずらしても良いなんて言ってましたしけど。

  ………フィアッセ以外の人達も、彼女たちの歌を楽しみにしている人たちが居るんです。

    そんな人達を、己なんかのために待たせるのは忍びないんですよ」



 恭也からしてみれば、幾ら命の恩人とはいえ自分のために大切な予定をずらさせる、

   なんて事を彼女たちにさせたくなかったのである。


 実際は恭也の傍に一分一秒でも長く居たい為なのだが、やっぱり本人は気付かない。


 しかし、フィリスは恭也のそのもの言いに、指を立てて少し怒ったように言う。



 「恭也くん、確かに予定をずらしたりするのは褒められた事ではないでは有りません。

  けど自分の事を「己なんか」なんて、言っちゃダメですよ?

  皆がそう言った理由は、皆恭也君のことが大好きだからなんですから」


 (もちろん、わたしも………)



 フィリスの諭すような物言いに、恭也はしばし面食らったような表情をしていた。

 だが、フィリスの言葉の(本当の意味はともかく)意味を理解している恭也は、やがて表情を崩し、



 「ありがたいことです」



 と、呟くように言った。














とらいあんぐるハート    〜 天の空座 〜 










  

<第零章 / 第七夜> 殺戮衝動=血塗れの本能Bloodshed urge = gat Bloodshed 













 「あ、そういえば、もう直ぐさざなみ寮の人たちが来るそうですよ?」


 「さざなみ寮……那美さんたちですか」



 ふと、フィリスが思い出したように言った。

 さざなみ寮とは海鳴に有る女子寮の事で、近辺では『海鳴の人外魔境』と呼ばれている。

 理由としては、住んでいる住人が個性的過ぎると言うのも含め。

 七年程前に、謎の爆発事件が集中して起きた事も有ったらしい。


 ちなみに、神咲 那美やリスティも此処の住人である。



 「ええ、何でも学校で美由希さんに話を聞いた那美さんが、連絡したとか。

  さっき確認の電話が『耕介さん』から来たんですよ」



 恭也は「なるほど」と納得しかけて、ふと首をかしげた。



 「ん、那美さんが連絡したんですか?

  リスティさんじゃなく」



 恭也の疑問は、フィリスのかわいた笑いで答えられた。



 「あ、あはははは……じ、実はですね。

  あの時リスティったら、まだコンサートのときの仕事が片付いていなかったらしくて……」


 「な、なるほど……」

 (それを、放り出してきたわけか……)



 恭也も呆れた顔をする。

 話が硬直したところで、第三者として入ってきたときには僅かに感謝した。

 だが、流石に仕事を投げ出してきていたとは……。



 (リスティさん、一応公務員なんですから、仕事はちゃんとしたほうが……)



 心の中で、突っ込みを入れる。

 フィリスもフィリスで、自分の姉の不真面目さに怒りを通り越して、呆れるしかなかった。

 そんなある意味、穏やかな空気が病室に満ちていた。



 ――― ドックン!!


 「……………っ!!??」



 本当に。

 本当に、何の前触れも無かった。

 突然に恭也の脳を灼熱が襲った。



 (な……何、だ!?)



 あまりの熱さに、痛みさえ感じる。

 頭を抑え、呻くような声しか出せない。


 

―― ■ロ■ ――





 「ッ!!?」



 頭の中で、聞き覚えの有る《ノイズ》が響く。

 それは小さく、だが確実に恭也へと告げていた。



 「きょ、恭也くん!?」



 フィリスが慌てたような声を上げる。

 いくら医者とはいえ、談笑していた相手が、突然苦しみ出せば当然の反応だろうが。



 「恭也くん!どうしたんですか!?

  どこか痛むんですか!?」


 「……ぐッ、す、少し、頭痛が」


 

―― ■■セ ――





 「が、……ぁ、ぐぅ」



 痛みが跳ね上がる。

 まるで、頭の中で巨大な鐘が狂ったように鳴り響くように。

 《ノイズ》がそのまま雑音ノイズとして恭也を蝕む。

 その恭也の様子に、フィリスが泣き出しそうな顔で怒った。



 「ど、何処が少しですか!

  ……と、とにかく、頭痛ですね?

  いま、専門の先生を呼びますから……」



 フィリスの声がどこか遠くに聞こえる。

 恭也はそれを半ば無視し、部屋の外へと意識を向ける。



 (な、何だ!?何かが部屋に近付いてくる?

  二つ……いや、三つか)



 理由は分からないが、本能が警告している。

 それが頭痛の原因だと。

 それをお前は■さなければならない、と。


 それは、直ぐに姿を現した。



 「恭也!!目を覚ましたって本当!?」


 「こ、こら忍!!少し落ち着きなさい!」


 「さくらお嬢様も、少し落ち着きになられた方がよろしいかと……」



 病室のドアを蹴破らんばかりに入ってきたのは、どれも女性だった。

 まず、紫色の長髪をした少女が入ってきて、すぐ後に桃色の髪の女性が入ってきた。

 そして最後に、背の高い紫色のショートヘアの女性が無表情に突っ込みを入れていた。



 

―― コ■セ!! ――





 「―――――がっ――――――― ぁ!!!」



 その三人の姿を見た瞬間、《声》が大音声のなって脳を焦がす。



 

―― コロセ、アレハ人デハナイモノ ――


 ―― コロセ、オマエハソノ為ニ生キル者ダカラ ――





 「恭也っ!?」



 紫の髪の少女が、悲鳴じみた声を上げる。

 

【情報】が教える。

 ――アレは、人の血を啜り生きるもの。




 

―― コロセ ――





 「何!?どうしたの!

  恭也くんはもう大丈夫なんじゃなかったの!?」



 血相を変えた桃色の髪の女性が、フィリスに詰め寄るように近付いた。

 【情報】が教える。

 ――あれは人の姿をした獣。

    血を啜る者と、人狼との混血。




 

―― コロセ ――





 「恭也様!?」



 無表情だった女性が、一瞬で狼狽しきったように近付いてきた。

 

【情報】が教える。

 ――あれは、人の姿をした機械人形。

    血を啜るものの僕。




 

―― コロ(五月蝿い、黙れ!!)





 《声》を、気合で捻じ伏せる。

 頭痛は、抵抗するように一瞬だけその熱を高め、

 そして、波が引くように消えていった。



 「――っ、はっ、はっ、はぁ……っ!」



 ゆっくりと顔を上げる。

 目の前には、自分の事を心配そうに見つめる四人の女性。

 全員を見て、恭也は自分を思い切り嘲笑った。



 (は、ははは……。なんだ、忍たちじゃないか。

  なんで気配で……いや、一目見て分からなかったんだ)



 順番に、『月村 忍』、『綺堂 さくら』、『ノエル・綺堂・エーアリヒカイト』だった。

 忍は恭也のクラスメイト、さくらはその叔母、そしてノエルは忍の家のメイドだった。

 さくらはともかく、忍とノエルには日頃から顔を合わせている。

 それなのに、気付かなかった。

 いや、それ以前に。



 (己は、一体何を考えていた?

  殺そうとしたのか?彼女たちを?)



 自分の掌を見つめる。

 きつく握り締めた手は、血が滲んでいた。

 それほどに力を込めなければ、彼女たちの喉元を抉りかねなかったのだ。



 「恭也くん、わたしの声が聞こえますか?」



 ふと、心から心配そうに自分を見つめるフィリスの声が聞こえた。

 恭也は自身の葛藤を悟られないように、努めて返事をした。



 「ええ、もう大丈夫です。

  ちょっと頭痛がしただけでしたから」


 「ちょっと頭痛がしただけって、そんな訳無いじゃない!!

  何だかすごい顔色してるよ!?」



 恭也の返事に、忍までも泣き出しそうな顔で怒る。

 忍の言葉に、恭也は自分の顔に手を当ててみる。

 酷い顔色と言われても、自分では分からなかった。



 「……己はそんなに酷い顔色をしているか?」



 言うと、全員がいっせいに頷く。



 「恭也くん、今脳の担当の先生が居ないらしいんです。

  かわりに頭痛薬持ってきますから、静かにしていてくださいね」


 「あ、……いえ、本当にもう大丈夫です。

  それより、出来れば水を持ってきてくれますか?」



 急いで出て行こうとするフィリスを止め、代わりに水を要求する。

 先程の【衝動】とでもいうべき感覚から、ずっと喉が渇いているのだ。



 「お水ですね?直ぐ持ってきます」


 「矢沢先生、それなら私もお手伝いいたしましょうか?」



 忍やさくらと恭也の様子を見ていたノエルが、立ち上がって言う。

 今は外行きのきっちりとしたスーツ姿であるが、彼女は普段着がメイド服の生粋のメイドである。

 仕事が有るならば、ジッとしては居られない。

 しかしフィリスはそんな彼女を手で制すと、



 「あ、平気ですよノエルさん。

  それより、恭也くんを見ていて下さい。

  目を放すと直ぐに無茶をする人ですから」



 と言って、部屋を出て行った。

 因みに恭也は、フィリスの言葉に少しだけ不満げな顔をしていた。

 だが、フィリスの居ぬ間に、暇潰しとばかりに飛針の練習をしていた前科が有るので何も言わない。



 「恭也、本当に大丈夫なの?」



 フィリスが出て行って直ぐ、忍がそう訊いて来た。

 普段は何かとイタズラを考えて輝いてる眼は、今ばかりは心底心配げに揺れている。

 彼女は幼い頃にあった事故以来、親しい人や大切な人が居なくなる事を恐怖している。

 だから恭也が最悪死ぬかもしれないと聞いた時から、彼女の何時もの余裕は残らず消し飛んでいた。


 そんな彼女の心情を理解している恭也は、態と呆れたように言う。



 「ふぅ、おまえの耳は風穴か?

  大丈夫だと言っているだろう、心配しすぎだ」


 「心配するよ!!

  恭也が目を覚まさないって聞いて、死ぬほど心配したんだから!!」



 ほとんど食って掛かるような迫力の忍に、恭也が身体をわずかに引く。

 もっとも、ベットの上なのですぐに限界がきたが。

 と、忍とは反対側の方に有る手を誰かに握られ、恭也がとっさに振り向く。

 そこには忍と同じように、わずかに瞳を潤ませたさくらの水色の瞳が有った。



 「本当なんだよ恭也くん。

  貴方があんな事になって、忍ったらずっと伏せっていて。

  ……ううん、忍だけじゃない。

  みんな表情を失くしてしまったみたいになって。

  それはもちろん、私も………」


 「さくらさん………」



 その真剣に恭也を気遣うさくらから、恭也は目を離せなくなった。

 良く見る必要もなく紅くなっているさくらに、恭也は何かを堪えるように唇を引き結ぶ。

 表情は厳しくなり、渇くのか、ゴクリと喉が鳴る。


 傍目から見れば、この上なくいい雰囲気だった。

 そう、この場に居る約二名が、恭也を取り巻く女性関係に無関係だったならば。



 「さ〜く〜ら〜………!!!!!」



 まるで地獄の底から湧き上がる声が、二人の雰囲気を壊した。

 さくらがそっとそちらを見遣ると、目を真紅に輝かせ、体全体から瘴気の炎を猛らせた忍が居た。

 その姿は、並みの死徒など失禁物の迫力だった。



 「あ、……あははははは………。

  も、もう、忍ったら、なに恐い顔してんのよ。

  恭也くんも引いちゃうぞ♪」



 口調こそ軽いが、実際は冷や汗を滝の如く流し、半ば瘴気と化した怒気を受け止めるさくら。

 しかし、そんなさくらに構わず忍は獲物に飛び掛る獣のように姿勢を近づける。



 
「な〜に恭也といい雰囲気になってん、のよぉ〜〜〜〜〜!!!!」



 そして、「のよ〜〜」の部分でついにさくらへと襲い掛かった。

 その動きは、正に獲物に襲い掛かる獣。

 古の時代、夜の闇に紛れ狩を生業としていた【夜の一族】に相応しい動き。

 【夜の一族】としては、さくらの方が忍よりずっと強いのだが、今の忍には勝てる気がしない。

 というか、その殺気に本気で死を感じる。

 髪の毛の中に隠していた犬(狼?)耳が飛び出してしまう程に。



 「ちょっ、忍!!実の叔母に本気で掛かるって、何考えてんの!?

  シャレになってないわよ!!」


 
「ふぅ〜〜〜〜!!」



 半ば以上にマジなさくらの声に、忍の返した返事は低い唸り声。



 「うわ!!聞いてないし、ってかもしかして理性飛んでる!!?」



 くわ〜!!と、別に変化している訳でもない手を一閃させる忍。

 しかし、その手が空気を抉った音に、さくらが顔を青くする。



 (ノ、ノエル、この子を止めなさい。

  このままじゃ、マジで危ないわ!!)



 ノエルに視線で助けを求める、―――が。



 「さくらお嬢様を越えられるとは………。

  ご成長なさいましたね、忍お嬢様………」



 と、忍に付けて貰った涙を流す機能で、涙を流しながらそれを白いハンカチで拭っていた。

 何気に嘘泣きとバレバレな仕草だったが。

 どうもこの新機能、嘘泣きも可であったらしい。


 ちなみにノエル、内心では(自業自得です、さくらお嬢様)とか思っていたり。



 「…………………」



 そんな騒がしくなってしまった病室の中で、騒ぎの中心であった恭也は頭を抱えていた。



 「……恭也様?」



 始めは呆れているのだろうと考えていたノエルだったが、直ぐに異変に気付いた。

 恭也は何かを耐えるように唇を噛み締め、どうも顔中から小さな汗を吹いていた。

 嘘泣きを一瞬で止めて、恭也に向き直る。



 「恭也様、大丈夫ですか?」



 表情は伏せられている上、片手で押さえられていて見えない。

 しかしその顔色は、青を通り越して真っ白になっていた。

 ノエルは慌てて声を上げ――――。



 「きょう―――」




 

「黙れ……っ!!」






 上げようとして、別の声に遮られた。

 一瞬で病室が極寒に変わる。

 部屋中の全てが凍りついた。

 そう感じる程、部屋の中の動きが止まった。

 否、止められたのだ。

 この瞬間、もし目玉一つでも動かそうものならば、殺し尽くされてしまうと感じたのだ。


 誰も、呻き声一つ上げられない。

 誰もが声の出所を探し、そして同時にその発生源を見つめる。

 その声は間違いなく、ベットの上の高町 恭也から発せられた声だった。



 「……きょう、や、……さ、ま?」



 この極寒の如き硬直状態の中で、擦れきった声を上げたのはノエルだった。

 この中で唯一、“生命の本能”とでも云うべきモノが無い彼女だからこそだった。


 そしてその声に、恭也はハッと我に返った。

 夢から覚めたような顔で回りを見回す。

 すると、直ぐ横でノエルが驚愕したような表情を浮べていた。

 逆の方の床では、さくらと忍が驚きだけでなく、最早恐怖を浮べて恭也を見ていた。



 「……すみません、少し苛立ってしまいまして」



 心底後悔したような恭也の声に、忍達からやっと緊張が抜けた。

 ただ、さくらだけが恭也の顔を凝視していた。



 「……ねぇ、恭也くん……あなた今、眼が……」


 「………眼が、どうかしましたか?」


 「…………ううん、何でもない。

  私たちこそごめんね、騒いじゃって」



 そう言って、さくらは恭也から視線を逸らした。

 自分が見えたものが、ただの見間違いだと納得させて。



 (気のせいよね、恭也君の眼の色が、――――銀色に見えただなんて)



 気まずい雰囲気の中、誰も口を開かない。

 その中で、恭也はベットから降りて、今度はそっと忍に近付いた。

 未だショックが抜けないのか、彼女は地面にへたり込んだままであった。



 「………すまん、立てるか?」


 「あ、え?……よっ……れ?」



 恭也の問いに立ち上がろうとするが、彼女はまたそのまま尻餅をつく。

 自分の状態をもう一度確かめてみて、足に力が入らない事を感じた。



 「あ、あははは……ごめん、腰抜けちゃってて、足に力はいんないや」



 苦笑いする忍を、痛みを堪えるような表情で見下ろし、彼女の傍にそっと片膝を付く。



 「……すまん」



 恭也はそのまま忍の膝の裏と背中に手を回し、抱き上げた。

 一般に云う、お姫様抱っこである。



 「って、え?きょ、恭也!?」


 「落ち着け、そこの椅子までだから」



 嬉しさからか、羞恥からか真っ赤になって暴れる忍を抱き上げ、恭也は忍を言葉通り椅子まで運んだ。



 「っと、………すまんな。

  せっかく見舞いに来てくれたのに、不快な思いをさせた」



 すまなそうな表情の恭也に、グッと来るものが有った忍とさくらだったが、今はそんな事を言ってる場合じゃないと知って慌てて恭也のフォローに回る。



 「え?あ、ああ、良いんだよ!

  私も少し、調子に乗りすぎちゃったし!!」


 「そ、そうだよ恭也くん!

  それに私も、もうこれっぽっちも気にしてないから!!」


 「………すまん」



 二人そろって掌をパタパタと左右に振り、全力で“気にしない、気にしない”を表現する。

 そんな二人を、気付かれないほど小さく泣きそうな表情で見つめ、恭也はもう一度頭を下げた。


 再び重い沈黙で病室が沈みそうになった、瞬間。



 「おーい恭也!眼が覚めたってホントかー!?」



 ドン!と扉を開けて、陽気な声が部屋の沈黙を吹き飛ばした。

 入ってきたのは、眼鏡を架けた短髪の女性。

 何故か片手には一升瓶が握られていた。



 「真雪さん?」



 さざなみ寮のヌシ、『仁村 真雪』であった。

 と、彼女に続くように次々に人が入ってくる。



 「恭也君、失礼するね?」


 「高町君、元気になってよかったね〜」


 「耕介さん、愛さんもいらしたんですか」



 続いて入ってきたのは、身長が190は有ろうかという程の大柄な男性と、頭三つ分は小さな栗色の髪の女性。

 同じくさざなみ寮の住人で、管理人夫妻。

 『槙原 耕介』と『槙原 愛』だった。



 「きょ、恭也さん!平気ですか?痛くないですか?

  って、あ、あわわわわ………ふぎゅ!!」


 「な、那美。心配なんは分かるけど、少し落ち着かんね!」



 那美に続いて入ってきたのは、蒼色の髪を後ろに流した美女だった。

 彼女も、何故か病室に竹刀袋を持ち込んでいた。

 何も無いところでスっ転んだ那美を、そっと抱き上げる。



 「神咲先輩、こちらに帰って来てたんですか?」


 「久しぶりやね、さくら。

  あんたもこっち来とったんね?」」



 神咲 那美の義理の姉で『神咲 薫』。

 彼女とさくらは、高校が同じで先輩後輩に当たる。

 というか、この辺りの人は大概が『風芽丘学園』の出身なのだが。



 「な、那美さん、大丈夫ですか?」



 鼻の頭を真っ赤に染めている那美に、恭也が心配そうな声をかける。



 「へ、平気れしゅ、慣れてますから……」



 慣れているのか、と少し場違いな感想を持ったが、

 ろれつの回っていない様子では信用できないと思う恭也だった。



 「あれ?那美、久遠は?」



 ふと、忍が不思議そうな声を出した。

 普段は那美の傍を離れずチョコチョコしている久遠の姿が見えなかったのだ。



 「あ、久遠なら『奈緒さん』と一緒に後できますよ」


 「『陣内』とですか?」



 『陣内 美緒』とは、『さざなみ寮』初代管理人の『陣内 啓吾』の義理の娘。

 ちなみのこの『陣内 啓吾』氏は恭也の父『不破 士郎』と旧知の中で会ったらしい。


 ともかく、恭也は那美の苦笑じみた答えに首を傾げる。

 久遠はともかく臆病な性格で、人見知りをする。

 そのため滅多な事では那美の傍を離れようとしないのだが……


 恭也の疑問に気付いた耕介が、同じく苦笑しながら教えた。



 「はは、実は昨日の夜中にね、久遠が「きょうやのそばにいる」って言って寮を抜け出したんだよ。

  でもこっちに来る前に迷子になったみたいでね。

  まぁ、だから同じようにこっそり抜け出そうとしていた、誰かさんたちが行けなくなったんだけど……」



 そう言って、チラリと愛を除く女性陣全員を見回す。

 視線の意味に気付いた恭也も、同じくさざなみ寮女性陣に目を向けた。



 「こぉ〜ら、耕介!!何、恭也にデタラメ教えてやがる!!」


 「せやで、耕介さん!!次第によっては、久しぶりに『十六夜』のサビになってみるね!?」



 耕介の言葉はもちろんデタラメではないのだが、やはり彼女たちにも年上の余裕というものが欲しいらしい。

 二人ともオーラを発しそうな迫力ではあるが、顔を真っ赤に染めていてはそれも半減であった。

 もっとも、耕介にはそれで十分だったようだが。



 「ア、アハハハハ……いや、その」


 (ま、まずい。ここで間違った答えを出したら、ヤラれる)



 結構真剣に命の危機を感じていた。

 が、救いの手は、やはり彼から伸ばされた。



 「那美さん、薫さん、真雪さん。

  ご心配下さって、ありがとうございました」


 「「「う………っ
///」」」



 頭を下げる恭也に、三人は顔を更に顔を紅く染める。

 やはり意中の男に、これだけ誠意を込めて言われれば悪い気はしないだろう。



 「い、いや。ぶ、無事みたいで安心したんよ」


 「そ、そうですよ恭也さん。元気になってくれれば何よりです」


 「お、おお。まぁ、お礼ってんなら、今度酒に付き合え!」



 一瞬で機嫌が良くなった三人に、耕介はホッと息をついた。



 (た、助かった……)


 ギロッ×2((帰ったら、オボエテロ!?))



 残念、先延ばしになっただけのようだった。



 「ま、まぁとにかく、そんなわけで『美緒ちゃん』の猫たちを使って探してもらったわけだよ」



 その視線から半ば現実逃避のために、恭也への説明を続ける耕介。

 ちなみに奥さんの愛は、その事に全く気付いていなかった。



 「………それで、久遠はもう?」



 久遠やなのはの事になると、途端に心配性になる恭也。

 根が父親のような男なので、どうしても気になってしまうのだ。



 「うん、心配しなくても、もう見つけたらしい。

  『十六夜』と『御架月』を迎えにやったから直ぐに来るよ」


 「そうでしたか、……道理で『十六夜さん』が居ない・・・と思ったら」


 「………え?」



 恭也の言葉は、後半が誰にも聞こえないほどの囁きだった。

 だが薫だけが、恭也が薫の持つ竹刀袋を見ながら言った事に気付いた。



 「恭也君、それは―――?」


 「きょうや〜〜〜〜!!!」


 「みゆきち兄ぃ〜〜〜〜〜!!!」



 薫の疑問は、病室に突如乱入してきた<二人分の声に掻き消えた。

 声の主は、そのまま金と黒の疾風となって恭也に飛び掛る。


 疾風の正体は二人の少女のものだった。

 この二人を恭也は知っている。

 黒い短髪の中学生か高校生ぐらいの少女は、『陣内 美緒』。

 金髪のなのはと同じくらいの少女は、『妖孤・久遠』。

 共にさざなみ寮の住人である。



 「あらあら、久遠も、美緒様も。

  ……いけませんよ?最初は私です」


 「いや、姉様。そうではなくて病人に飛びつくことを諌めるべきでは?」



 声に続いて入ってきたのは、一組の姉弟。


 姉の方は美しい金髪を靡かせ、顔立ちは間違いなく外国のそれ。

 だというのに、着ている物は巫女服のようなもの、立ち振る舞いは間違いなく日本女性のそれである。

 ただ盲目なのか、その瞳は光を持たず、虚空に固定されていた。


 もう一人の弟は、黒髪い長髪のまだどこか幼い顔立ちの少年。

 姉と同じく顔立ちは外国のものだが、着ている服は神事服。

 ただ、姉が白を基調としたものなら、弟のものは黒を貴重とした物のだった。


 彼女たちは、薫の持つ特殊な刀に捕り憑いた霊が力を持った存在。

 姉を『十六夜』、弟を『御架月』という。



   「…………ッ!!」


 (―――――ま、またか!!)



 

【情報】が教える。

 ―― 人の姿をした獣。

     猫の人外。


 【情報】が教える。

 ―― 歳経た狐。

     人に仇なした、妖孤


 【情報】が教える

 ―― もはやこの世あらざる者。

     尽きた生を刀に括り、なおこの世に在らんとする者。


 【情報】が教える。

 ―― ………



――― コロセ ―――





 あの《声》が、再び恭也の脳を焼く。

 否、むしろ先程よりも痛みが強い。

 歯を喰いしばり、狂いそうになるほどの【衝動】に耐える。


――― コロセ ―――





 (五月蝿い、黙れ。

  この子は達は、己の親友だ。

  己の家族の一員だ!!)



――― コロセ―――


   


 「きょうや、どうしたの?

  痛い顔してる……」


 「ほ、ほんとなのだ〜。

  み、みゆきち兄、しっかりするのだ〜〜〜!!」



 自分の中で荒れ狂う【衝動】を押し殺して、そっと久遠の頭に手を乗せる。



 「大丈夫だ、久遠。

  ただな、久遠。病院に来るときは、おまえの尻尾と耳は隠したほうが良いぞ?

  ………陣内もだ」



 そう言って、恭也に飛び掛った二人。

 久遠と、奈緒の頭とお尻で揺れている物を注意する。

 この場の全員が知っている事だが、久遠は『妖孤』。

 陣内は『猫又』と区別される種族で、【夜の一族】に近いものだ。


 恭也に注意され、二人の猫と狐の耳と尻尾が力なく項垂れた。



 「うにゅぅ〜、ごめんなのだ……」


 「きょうや、ごめん………

  でも心配だった、きょうや、弥太みたいにいなくならなかった」



 弥太とは、久遠が千年近く前に人間を憎悪するきっかけとなった少年の事。

 当時はまだ、ただの化け狐だった久遠が彼を愛し。

 そして殺された事で、久遠は【祟り狐】として全国の神社・仏閣を破壊して回る妖孤と化したのだ。



 「そうか……すまない。

  ほら、おれは元気だぞ?久遠」



 久遠の中にあった【祟り】を祓うときに、その事を他ならぬ久遠に教えられた恭也はそっと久遠の頭を撫でた。



 「くぅ〜ん♪」



 久遠のひどく気持ち良さそうな声に、周りから殺気が溢れる。

 とくに神咲姉妹は「久遠、女の友情なんてこんなもんなのね」とか、「久遠、今度は存在を祓われたいみたいやね?」とか、非常に物騒な鬼気をかもし出していたりした。

 ついでに、それでは収まらない少女が約一名。



 「うぅ〜〜〜〜〜!久遠ばっかりずるいのだーー。わたしにもやるのだーー!!」



 同じく恭也に抱きついていた奈緒であった。

 恭也は一瞬躊躇ったが、直ぐに降参したかのように奈緒の頭を撫でた。



 「陣内も、ありがとう……」


 「あ、えへへへへへ……♪」



 二人揃って、心から幸せそうな顔。

 その表情に、真雪と薫がキレた。



 「こーら猫!てめぇ、高校生にもなってなんてうらやま……じゃなくて、ガキみたいなことしてんだよ!!?」


 「久遠も!恭也くんに甘えるんは止めんね!!」

 注)美緒と美由希は同い年で現在十五歳。久遠は推定千歳以上である。


 「へ、へっへ〜〜ん。薫も真雪もいくら羨ましいからって、大きな声を出すもんじゃないのだ。

  そんなんだから碌な相手が出来ないのだ〜〜〜♪」


 「なぁ!?」


 「くぅ〜ん♪」


 「あらあら、気持ち良さそうですね久遠?

  高町様、私にもやって下さいな」


 「い、十六夜まで!?」


 「あ、じゃあ、あたしも♪」


 「あんたまで行ったら、今度は私が本気出すわよ忍?」



 どさくさ紛れに突っ込もうとした忍が、犬(狼)耳を逆立たせたさくらに止められていたりするが。

 女性三人に、それも美女、美少女、美幼女に抱きつかれている恭也。

 傍から見たら、世の男どもが血涙しそうな羨ましさであった。



 「あはは、……十六夜さんも薫さんも元気になってよかったな、御架月」


 「ええ、恭也様の容態を知ったときの、昨晩の二人の落ち込みよう。

  見るに耐えませんでしたから………」


 「お嬢様方も元気になられてなによりです」




 その日、恭也の病室からはずっと笑い声が響いていた。
















 「………はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、っく!?」



 恭也以外、誰も居なくなった病院の個室。

 部屋の中を夕日が真紅に染め上げる中、恭也はベットの上に蹲っていた。

 腕は自然と身体を抱き締めるように回され、身体の中で何かが暴れているかのようにガクガクと震える。


 さくらたちが部屋を出て行ってから数時間、恭也はずっとこの状態だった。

 まるで、頭の中を灼熱の炎が焙っているような感覚。

 その感覚は、さくらや久遠たちの気配を感じた瞬間からだと気付いていた。

 何が原因でこうなるかは判った。

 それは、相手が“人間以外の力を持つ何か”である事。


 理由は判らない。

 だが、自分の体が“人間以外の力を持つ何か”をどうしようもなく『殺してしまいたくなる』事だけは理解できた。

 しかもそれは、もう『欲求』と言っても良いぐらいの【衝動】をともなって。


 『自分を律する』、恭也がもっとも得意とすること。

 強すぎる自制心を持っていた恭也だからこそ耐えられた。

 恭也にそれだけの自制が効かなければ、その時点でこの部屋には転がっていただろう。

 だがその【衝動】を耐え抜いた恭也だからこそ、この地獄のような苦痛にのた打ち回っていた。


――― コロセ!コロセ!!コロセェ!!! ―――




 
 (ク、クソ……!!このままでは、不味い)



 頭の中に響く《声》が、恭也の体すら乗っ取らんと暴れまわる。

 少しでも意識を手放せば、その時点でこの体は彼女たちの内の誰かを殺しに向かうだろう。

 眼が覚めて以来自覚していた事。

 自分の五感、身体能力も含めた全ての性能が格段に上がっていたのを感じていた。

 そしてその異常なほど研ぎ澄まされた感覚が、病院からよほど離れている彼女たちの気配を察知し続けていた。

 必死に自分の体を抑え付け、自我を強く保つ。



 (く、そぉ……どこか、どこか遠くへ)



 それでも耐えられそうに無い感覚に、自分自身を感覚の範囲内から追い出そうとする。

 恭也はよろけながらも窓際まで体を運び、窓を開けると―――


 ゴォッ!!!


 一瞬でその場から姿を消した。





...... to be continue 




あとがき


 はい、国広です。

 ようやく書きあがりました。

 はっきり言って、前後編にすればよかったと今更ながらに思いました。

 ほんとに今更ですが……


 さて、次回はようやく第零章終わりの話です。

 そしてようやくまともにクロスした話しに入っていきます。

 ここまで書いといて、最初からクロスにすればよかったと思いました。

 が、(恭也君)以外のスタンダードなとらハの世界を始めに紹介しときたかったんです。

 次の次の話からは、とらハからは恭也君しか殆んど出てきません。

 しかも完全ご都合主義の、恭也至上及び、最強主義です。

 原作の欠片ぐらいしか残っていません。

 それでも良いと思われる方のみ、続きを期待していてください。

 では、次回。




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代理人の感想

やっぱりどう見ても七夜以外の何でもないよなー。w

月姫界隈で言うNANAYAというやつかな?