〜プロローグ〜
 
 砂嵐が吹き荒れ、草木のほとんどが枯れ果てた大地に巨大な『檻』に囲まれた場所があった。
 巨大な檻――SC〈スチールケイジ〉と呼ばれるそれは、端から端が全く見えない程の大きさを誇る。その中にビル群から牧場まで必要最低限の物が詰まっている。
 そのSCの中でも上位に入る大きさを誇るキングスシティで事件は起きていた。
 大小様々なビルが丁寧に並べられ、少し離れた所に飲食店やショッピングストリートが並んでいる。特に人目を引くのが両脇に二十階建てのビルを置き、後ろには無理やり作り上げた広い公園がある美術館だ。
 ジャックダイヤ美術館、別名『過去の産物展』と呼ばれているキングスシティ最大にして最古の美術館である。美術館の中には過去の人間、祖先達が使用したと思われる食器の残骸や、乗り物の残骸、特に人目を集めるのは実際に使われていた兵器の数々である。
 キングスシティとしても、今の世界としてもとても貴重な物が飾られている美術館の中で爆弾を抱えた男が立て篭もっていた。爆弾魔としてもう幾つもの事件を起こした犯人が最後の犯行場所だ。
 過去では警察と呼ばれていた治安部隊、スペシャルの隊員が美術館を包囲する。犯人は正面から入って直の大広間で爆弾を抱えて叫んでいた。隊員達は班員を説得する為に、説得のプロが到着するのをただ待つしかなかった。
 犯人が抱える爆弾はどんなに強い衝撃を与えても、スイッチを押さない限り爆発しないという実に優れた物である。前回、前々回使われたのと同じものであればだが。
 犯人が立て篭もってから三十分が過ぎ様としていた。美術館の中にはまだ利用客もいて、大広間にも人質が沢山いた。早く解決したと誰もが思ったが、手も足も出せないでいた。
 美術館の前は大きな道路で、美術館側の道路にはスペシャル隊員用の黒塗りのホバーカー(車輪が無く空気で地面スレスレを飛んで移動する乗り物)が無秩序に停められている。その中に全く不釣合いの赤塗りのスポーツカーが割り込んだ。
 エンジン音を聴いて交渉のプロが「やっときたか」と誰もが思い、外で待機していた隊員達は車の方を向く。がちゃ、と音がして一人の男が車内から日が差し込むアスファルトに降り立つ。
「なんだ? 事件か? それならこの俺に任せておけ!」
 目を丸くして自分を見る隊員と同じ黒いスーツに黒いズボン、服装に合わない派手な金色の輝きを放つ髪を持ち、青年と呼ぶに相応しい顔立ちをした男が、笑いながら呆然とする仲間に言い放つ。
「なんでお前がいるんだ……?」
 金髪の青年に一番近い位置で呆然としていた隊員が問う。青年は口の端に笑みを残したまま美術館の方に歩き出す。
「自分の任務が終ってドライブしていたらたまたまね。でも運がいいぜ、お前達。俺がいればささっと解決、休み時間だ」
 言った後に声に出して笑う。隊員達はいぜん呆然としていて誰も青年を止め様としない。
青年が開けっ放しになっている両開きの扉の前に着く寸前、それぞれの隊員が声を上げる。言葉は違うが、意味はほとんどが「やめろ」であった。
青年は口をへの字に曲げ、目の端を吊り上げながら振り向く。
「大丈夫だって、任せておきな」
 不満そうに言うと仲間の静止をまるで無視して美術館の中に入る。
 入ってすぐガラスのケースに囲まれた美術館の立体模型があり、その奥にある僅かな段差を上り、目の前に広がる、大広間へと赤絨毯が敷かれている幅広い廊下を進む。
 すぐに後ろに人質を抑えた三十半ばの犯人の姿が見えた。頬はばっさりと削げ落とされていて極めて細く、僅かな頭髪は白かった。ただ目だけが輝いていて、足元には大きな銀色のケース、右手にスイッチ、左手に拳銃が握られていた。
犯人はいきなり現れた金髪の青年を見て一瞬、驚きが痩せこけた顔に出るが服装からしてスペシャルの一員であることに気付くと拳銃を青年に向け、スイッチの上に親指をもっていく。
「何勝手に入ってんだ! それ以上近づくと撃つぞ!」
 青年は犯人の静止を無視しながら平然と近づいていく。犯人は額に汗を浮かべ、拳銃を上に構えると一発放った。高い天井に小さな穴が穿たれる。
 間近で銃声を聴いた人質たちは絶妙なタイミングで悲鳴をあげる。外で焦れったそうに、中の様子を探っている仲間達が、銃声を耳にして驚愕しているなど露知らず、青年はやはり平然に、それどころか口元で笑いながらなおも歩を進める。
 赤絨毯の廊下を半分程行ったところで、青年はやっとのことで足を止めた。
「そんなにカリカリするなよ。カルシウムが足りねぇんじゃねぇのか?」
 場違いな台詞を吐くと微かだが笑い、また歩き始める。馬鹿にされたとしか思えない犯人はスイッチを持った右手を前に突き出してよく映画で見かける台詞を言う。
「それ以上進んだらスイッチを押す。人質が吹っ飛んでも構わないのか!?」
 額の汗の量は増し、幾分か焦っているように見える犯人がそう言ったところでようやく完全に足を止めた。手の平を上にして両手を上げて首を少し傾げる。
「何が目的なんだ? 前回も、前々回もお前のせいで随分被害が出た」
 青年は多少距離があるところで犯人の輝いている目を睨みつける。うっ、と犯人は青年の眼光に怯え一歩退く。だがすぐ前に歩み出て声を張り上げた。
「金塊だ金塊! 今すぐ金塊をありったけ用意しろ!」
 歳の割には大きな声を聞いて、青年は溜息をついた。
「無理に決まってんだろ? 捕まる奴に金上げてどうすんだよ……っと!」
 犯人が左手を腰の横につけている状態、すぐに拳銃を撃てないのを目の端で捕らえると青年は懐に手を入れ、拳銃を抜き素早く犯人の右手を打ち抜く。
 間を置いて犯人が悲鳴をあげる。あまりの早業に何が起こったか瞬時に理解出来なかった時点で犯人は終った。続いて人質の悲鳴が大広間に響く。
 犯人がようやっと事態に気付き、右手から落ちたスイッチを拾うとした時、スイッチは人質の中に滑り込んだ。青年は右手を撃ったのと同時に駆け出し、犯人の右手からこぼれ落ちたスイッチを蹴ったのだ。
 目の前からスイッチがふっと消えて犯人の動きが一瞬止まる。その隙を逃さんと青年は犯人の左手を捻り上げようとするが、銃口が目の前に現れる。
 銃声、続いて犯人の苦痛の声。犯人が放った銃弾は青年の頬を掠め、美術館の立体模型を守っていたガラスケースを破壊した。
 素早く床に落ちた拳銃を蹴り飛ばし、左手を改めて捻り上げる。
 頬から滴る血を舌で舐め取り、犯人の眉間に銃口を突きつけ、にっと笑う。
「な、無理だっていっただろ?」
 やはり少しの間をおいて人質たちが安堵の声を漏らし、また歓声を上げながら美術館の外に出て行く。
 外で待機していた隊員達は度重なる銃声を気にしながら、突入するかしないかで判断を迷っていた。そこへ人質達が現れ『彼』がやってくれたのだと知る。

「先輩。私はまだ入隊したばかりで知らないのですが、さっきの人は何者なのですか?」
「俺も詳しくは知らないが腕は立つらしい。それと、あいつに関して一番有名なのが・・・・・・」
 人質の移動を行っている新人隊員と先輩隊員は、勝手に現れ勝手に事件を解決した『彼』について話をしていた。話の最中で先輩隊員はふと、口を止める。」
「有名なのが?」
「あいつが隊員一『マヌケ』ってことだ。無事解決していればいいが」
「・・・・・・マヌケ、ですか・・・・・・」
 話が終った頃、ようやく交渉のプロが到着した。

 第一話〜社員兼隊員〜

「これは一体何の真似だ?」
 幾多もあるSCの中でも、五指に入る巨大都市キングスシティ。その中で最も売上があるホバーカー製造販売会社クイーンの建物、クイーンビルの最上階にある社長室に怒声が響き渡る。
 広々とした室内にはいかにも高級そうな家具が置かれ、中央に横幅がある机があってその後ろはガラス張りになっていた。
 机の上には新聞紙が寂しく一枚だけ置かれていて、上には目を吊り上げて怒っている男の顔があった。五十歳ぐらいの深く刻まれた皺のある顔は、机の前で目をそらしている男の方を向いていた。
 目の前にいる男の顔を見ずにそっぽを向いている男はまだ若い。二十歳ぐらいだろうか、黒いスーツに黒いズボンを着ていて、不釣合いな金髪を持っている。右の頬にはばんそうこが貼られている。
 社長室の一番良い場所に座っている男、クイーン社の社長であるハリスン・カーディは怒らした目を新聞に移す。
一面に大きく書かれている記事は昨日起きた『爆弾魔美術館立て篭もり事件』だった。中央にキングスシティで一番有名な美術館、ジャックダイヤの写真が載っていて、その下に事件を解決した男のインタビューと写真が載せられていた。そこに載っていた人物はハリソンの目の前にいる男、アット・アンダーである。
「これは一体何の真似だと聞いている!」
 固く握った拳を新聞に叩きつける。机の上にあった空のコップが一瞬宙に浮いた。
 ハリソンは自分を抑え様と必死だったがそれでも語尾が上がってしまう。
 ここクイーン社は、表向きはホバーカー製造販売会社なのだが、本当の姿はキングスシティに属するスペシャル達が集う『スペシャル・キングスシティ担当』の本拠地なのだ。
 スペシャルの隊員のほとんどがクイーン社の社員と兼用として隊員をしている。ハリソンの顔から目をそらして床を見ているアットも例外ではなかった。
 アットは会社に着いた途端社長であり、ボスであるハリソンに呼び出され昨日一件についてお説教をくらっていた。とはいえ、アットにとっては日常茶飯事のことである。
「自分の任務が終っていまして、通りがかりに遭遇したので手伝いをしたまでです。何もせずに観ているのは隊員として情けないと思います。それに、迅速に事件は解決したと思います」
 叱られる事に慣れたアットは顔を上げて平然と言う。
 抑えきれない怒りで顔が真っ赤になっていたハリソンはさらに顔を赤らめ、語尾を張り上げる。
「何が"迅速な解決だ。お前が余計な事をしてガラスケースが壊れ、天井に穴が空いたのだぞ? 説得班が来るのを大人しく待っていればそんな被害も出ないで済んだだろうし、我々スペシャルの顔に泥を塗ることもなかった!」
「社長、落ち着いて下さい。そんなにカリカリしたら疲れますよ」
 机から半身を乗り出して怒鳴るハリソンを見て、アットは両手を前に出して抑える。
 少し落ち着いて席に座ると溜息をつき、今度は呆れた口調でハリソンは言う。
「いいか? お前はこの頃他人の任務に首を突っ込み過ぎだ。その結果少なからず被害が出ている。いくら迅速に解決しようとも、被害が出ては意味が無い。これ以上反省しないで何かしてみろ。お前はクビだ。会社もスペシャルも」
 クビ宣告を受けた者は大概ショックを隠せないか、必死に失敗した分を取り戻そうを思うだろう。だが、彼は違った。他人事の様に余裕の表情で、ハリソンを見ている。
 ハリソン自身、彼にクビ宣告を出したはいいが、クビをするのには躊躇いがあった。失敗が多いとは言え、確かに迅速に事件は解決しているし、彼はそれなりの実力があった。何より彼は社員としても隊員としても他の者から人気があるのだ。
 男女問わず人気がある彼をクビにすれば不満をもらす者を少なくない上に、士気が低下しかねない。それだけ彼、アット・アンダーは人気がある。
 アット自身人気者であるということを自覚している。だから今の余裕があるのかもしれない。
「ふぅ……。まあいい。とにかく次は無いと思え。もう行っていい」
 最初から余裕の表情は崩れる事なく、最後にいたっては笑顔を残してアットは社長室を後にした。
 残されたハリソンは深い溜息をつき、入れ違いで入って来た綺麗な長い茶色の髪を持つ秘書にコーヒーを頼む。
 
 社長室を後にしたアットはエレベーターが来るのを待っていた。最上階というだけあってエレベーターの到着は多少遅く、アットにクビについて考えさせた。
「クビか。まあその時はその時だな」
 エレベーターが到着し、重い鉄の扉が開く。
 アットは会社に来てすぐに呼び出されていたので、馴染みの仲間に会っていなかった。説教を受けた後は大抵、二人の仲間のもとに行く。それに、会社としての仕事をするにも二人と一緒だからだ。
 階数を示すデジタル数字が一つ、一つ減っていく。三六、三五、三四、三三、三二、三一、三十を示したところでエレベーターは止まり、鋼鉄の扉が開く。
 早足でエレベーターを出ると、隊員専用の休憩所に向かう。クイーン社に勤める者全てがスペシャルの隊員ではない。休憩所はそれぞれ分かれている。
 今の時刻は十二時十分。この時間ならいつもは休憩所で雑談を交わすか、昼食を何にするかなど他愛無い事を話している。今日も例外ではなく二人の馴染みと、他に五人の隊員がいた。
「お、やっと来たか。今日もたっぷり説教受けてきたのか?」
 ガラス張りの部屋に入ると、入り口の一番近くにいた三十過ぎの体つきのいいオールバックの男が、にやにや笑いながら言った。
 アットは右手の椅子に座っていて、手に持ったタバコを宙で遊ばせている男を見る。
「そうだよ、パレス。次回ドジったらクビだってさ」
 へらへら笑いながらアットが答える。パレスと呼ばれた男は遊ばせていたタバコを口に運び、ゆっくりと煙を吐く。顔はアットの方を向いていて笑っている。
 丁度テーブルを挟んでパレスの向かいに座っていた、赤茶色のショートヘアの女性が小声で笑う。アットは女性の方に振り返り、何がおかしいんだよ、と言いたげに口をへの字に曲げた。
「アンタってほんと気楽よね。クビ宣告受けておいて。私だったら必死に謝るか、挽回するよう努力するわよ」
 言った後でまた小声で笑い、対面のパレスが「まったくだ」、といって笑う。
「そんなに笑う事ないだろ、パレスもミリーも。俺だってこれで少しは懲りてるんだぜ?」
「少しだけでしょ?」
 全くだ、アットは他人事の様に納得し三人揃って笑う。周りの隊員はいつものことだからと誰も気にしていない。
「さてと、そろそろ仕事しますか」
 ミリーが立ち上がりながら言うと、パレスもタバコを灰皿に入れて席を立つ。
 アットは二人の顔を交互に見回しながら言った。
「昼飯は?」
「もう食べた。残念だったな。行きたきゃ一人でいけ」
「そう言うこと」
 それだけ言うと右手を前に出して、待ってと言わんばかりのアットを置いて二人は休憩所を出る。それを機に残りの隊員達もそれぞれの持ち場へと帰ろうとした。
 その時、不意に持ち場に帰ろうとした者達の足を止める事が起きた。
『スペシャル隊員、s七〜三八まで至急ミーティングルームCに向え。繰り返すスペシャル隊員――』
 社内放送で隊員の招集がかかる。ナンバーとは多すぎる隊員を区別する為につけられたものでこれといった意味はない。s七〜三八の内何人かは今この場にいた。アット、パレス、ミリーの三人も含まれている。
「緊急召集? 何か事件でもあったのかしら。急ぎましょう」
 ミリーが天井を見上げながら言うとそれが合図だったかのように隊員達は走り出す。ただ一人だけ、アットだけは昼食に何を食べるかを考えていて戸惑っていた。それもほんの数秒で先にいった仲間の跡を追う。
 ミィ―ティングルームCは上の三十五階にある為、エレベーターに乗ろうと待っているパレスとミリーに追いついた。二人共さっきまでの顔とは違い、スペシャルの隊員、それも戦闘に特化した隊員の、プロの顔をしていた。
 アットが追いついてから僅かな沈黙を経て鋼鉄の扉が開く。中には先ほど呼ばれたメンバーの一人であろう男が乗っていた。それに乗り込み、四人を乗せたエレベーターはあっという間に三十五階に着いた。
 四人は扉が開くのと同時に駆け出し、鍛えられた脚でミィ―ティングルームCに辿り付く。
 両開きの扉をくぐるともう既に他のメンバーは揃っていた。長方形の室内に長細いテーブルが置かれ、それを囲む様に椅子が置かれている。
 テーブルの一番左端、扉から一番遠い場所にボスであるハリソンが眉を吊り上げ、皺を寄せて座っていた。その隣には秘書が立っている。
 人数より椅子が多いためにメンバーはハリソンに近い方から順に座っていた。
 どういうわけか一番近い席が三つ空いていて、アット、パレス、ミリーはその席に着き、残りの一人は一番遠い席に着いた。
 呼び出された全員が席に着いてから三十秒程の沈黙を置いて。ハリソンが口を開く。
「今朝、金塊輸送中のホバートラックが襲われ、奪取された」
 あっさりと、それでいて重みのある声が隊員達の耳に入る。誰一人動じず、眉一つ動かさずにハリソンの話に耳を傾けている。
「護衛に付いていたナッシュの隊員二十四名の内十四名が死亡し、八名が重傷、二名が軽傷を負った」
 一旦話を切ると隊員のほとんどが動揺を隠し切れないでいた。
ナッシュのスペシャルと言えば多くあるスペシャルの中でも最も優秀な隊員が揃っていると言われている。その隊員の半分近くが死亡し、ほとんどが傷を負った。つまり、相手は相当のやり手と言える。
「もう言わずとも分かると思うが、諸君には奪われた金塊奪取の任務についてもらう。軽傷者に奪った相手の事を聞いてみたが、その時は不運にも激しい砂嵐で顔は愚か、人数さえも分からないと言う。一つだけ分かっているのは金塊を積んだホバートラックと奪った奴等が向かった大よその方向だけだ」
 隊員達が真剣に話を聞いている中、ハリソンは半ば諦めかけていた。人数はともかく、犯人の顔すらわからず、証拠も無い。唯一分かっているのが大よその方向だけ。幾ら目の前にいる彼らが隊員の中でも選りすぐりの者達でも、それだけではどうにもなるまい。
 ミーティングルームに三十秒程重たい沈黙が充満した。ある隊員は下を向き、ある隊員は天井を仰ぎ、アットは腕を組み椅子の背もたれに寄りかかって考えていた。
 金塊、それは荒廃した世界ではとても価値のある物で、高価で買取されている。昨日、アットが――無理やり乱入して――解決した事件の犯人も金塊を要求していた。大抵の手立て篭もり事件などでは金塊が要求される。一つあれば大金持ちになれる程だからだ。
 その金塊が大量に奪われたとあれば確かに大事件だろう。だが、今までにも似たような事件が無かったわけではない。
その事を考えると、アットはここまで重い空気を吸わなければいけないほど重要なのかと考えていた。隊員を総動員すればいいだけではないのか、と。
短い間、長く感じられた沈黙はゆっくりと破られた。
「諸君らには他の隊員に命を下す権限を一時的に与えよう。なるべくこの事を知られないようにして金塊の在処を突き止め、奪回してくれ。一応の資料は今、渡す。カーシャ、彼らに資料を」
 自分の右側に微動だにせず立っている秘書に目をやる。カーシャと呼ばれた秘書は大事そうに抱えていた資料を隊員達の前に置いていく。すぐに全員分を置くとまたハリソンの右側に立ち、停止する。
 それぞれの隊員は目の前の資料を手に取り内容を確認する。資料の内容はハリソンが"一応"と言っただけはあって役に立ちそうな情報は載っていなかった。
 今にも隊員達の唸り声が聞こえそうだった。ハリソンはその様子を見渡すと、相変わらずの口調で言う。
「以上で緊急会議を終る。諸君の武運を祈る」
 ハリソンは立ち上がり軍隊と同じ様な敬礼をする。隊員達も一斉に立ち上がり、敬礼を返す――中にはしっかりとしていない者もいた。
 一人一人ミーティングルームを後にする。扉に近い順から出て行って、腹の虫が鳴っていたアット達の番になる。
 アット、ミリー、パレスがハリソンに背を向け扉に向かおうとしたその時、不意に声をかけられた。
「アット・アンダー、ミリー・ナチュル、パレス・クーヴェル、お前等三人はここに残れ。話がある」
 三人はほぼ同時に振り向き、先ほどよりも深くなった皺を寄せているハリソンを見る。
 もう一度席に着くとすぐにハリソンが言った。眉間皺を寄せ、少し怒気混じりに。
「アット、お前はこの任務につくな。ミリー、パレスは二人がかりでアットを見張れ。これは命令だ。破れば、それ相応の処分を下す」
 ミリーとパレスの目が丸くなる。二人の間に座っていた当のアットは、あたかもそれを知っていたかのように平然としている。
 納得いかないのは両脇の二人で抗議の声を上げる。
「ボス、何故俺とミリーがアットの見張りをしなくてはならないのです。俺も任務に参加させてください」
「そうです、ボス。何故私とパレスがアットの見張りをしなくてはならないのですか?」
 パレスは押さえ気味に切れていて、ミリーの方は冷静だ。最も、一番冷静なのはアットだった。
 ハリソンが目を細くし、抗議を唱える二人を睨む。ハリソンも元はと言えばスペシャルの中でも腕利きの隊員で多くの功績を残したと言う。その歴戦の隊員の眼は死んではいなかった。刃の様な眼光は見た者を傷つけてしまいそうだ。
 現役である二人でさえ二の句を飲み込まずにはいられなかった。二人は抗議が無駄だと分かり、押し黙る。
「お前等二人が選ばれたのはアットの事を良く知っているからだ。目を離すな。そいつは何をしでかすか分からん。この任務に失敗はありえない。お前も自分がつけない理由ぐらい分かるだろう?」
 ハリソンは二人に挟まれて退屈そうにしているアットを睨む。アットは決して目を合わさずそっぽを向く。
 ちらっとだけハリソンの方を向いてから開き直り、わざとらしく言う。
「自分が失敗ばかりしているからであります、ボス。自分が任務にでて失敗してはまずいので、自分はつかせてもらえないのだと思います」
 その通りだ、短く答え、反応が無かった事をアットは悔やむ。
「話はこれで終わりだ。分かったな。これは"命令"だ」
 ハリソンは立ち上がって上から三人を見下す。パレスは不満を露にしながら了解とは言わずにゴツイ顎を縦に振る。ミリーは表情を隠し、了解と言って頷く。アットだけはそっぽを向いたまま何も言わない。
 ふんっ、刃の眼光をアットに向けて鼻を鳴らしてから秘書カーシャを引き連れ部屋から出て行った。
 三人は無言のまましばし部屋に留まった。二、三分が過ぎた頃に豪快に椅子を倒しながらパレスが立ち上がる。
「納得いかねぇ。俺がアットの見張りだと? 馬鹿にするんじゃねぇよ。だが、ボスには逆らえねぇ。だからよぉ、アット。お前をぶっ飛ばして病院に送ってやる。そうすりゃ、」
 ハリソンとは違い、鋭いというよりは力強い眼光をアットに当てる。アットは顔だけパレスの方に向け、何も言わない。アットの後ろにいたミリーもまた、何も言わない。
 パレスとアットが少しの間見合い、アットは対照的に静かに立ち上がる。
「確かに俺のせいで二人に迷惑をかけている。悪いとも思っている。だが、ただでやれるつもりはサラサラ無い。やるならこいよ、やってやる」
 二人は少しテーブルから離れて対峙する。
アットはさほど小さいわけでも、筋肉が無いわけでもなかった。ただパレスと対峙すると同士でも優男に見えてしまう。パレスは二メートル近い身長に筋肉の鎧を着ているような姿をしていた。アットが優男ならパレスは間違いなく大男だ。
これで殴り合えば見た目からしてパレスが勝つことだろう。とはいえそれは見た目だけの話だ。その大男の喧嘩を勝ったからにはアットにも勝算があった。
ありきたりだが事実アットの方が身のこなしが良く、素早く動ける上に格闘センスもアットの方が訓練結果では上だった。いくら力があっても当たらなければ意味は無い。
二人の目の間を火花が走る。殺気にも似た空気が二人を包む。
ぴくりとパレスの足がほんの数ミリ前に出た時、今まで黙っていたミリーが間に割って入る。
「よしなさいよ、二人共。パレスの気持ちは良く分かる。私もそうだから。だけどアットだって被害者なのよ。勿論、原因はアットにあるけどね。だからといって二人がここで闘う必要は無いでしょう? 隊員同士で本気になってやり合うのはご法度。どうしてもやりたいならまず私が相手をさせてもらうわよ」
 二人に比べて小柄なミリーは左右の顔を見る。パレスは多少頬を赤らめ、ちっと舌打ちをすると諦めてアットの顔面に放とうとしていた大きな拳を解く。
 アットも多少頬を赤らめ「分かった。悪かったよミリー」と笑って見せる。
 三人はそれからすぐに部屋を後にした。廊下に出ると何処からとも無く、ぎゅゅゅう、という音が鳴った。
「あ、そうだ昼喰ってないんだ。悪いけど、飯喰いにいっていい?」
 無邪気な笑いを浮かべながら言う。さっきまでの空気はなんだったのか、と疑問に思いながらパレスとミリーは答える。
「勝手にしろ」「いいわよ」
 無邪気そうな笑いに笑顔を上乗せし、隊員食堂に向かう。
 
 昼を過ぎた為、隊員食堂に人気は無かった。朝十時から夜十時まで隊員食堂はあいているが、昼の十二時と夜の七時以外はほとんど人が居ない、という事は誰でも知っている。
「おばちゃん、スタミナ定食一つ! ライス大盛ね!」
 奥に調理場が見えるカウンターに白衣を来た年輩の女性がいた。アットは白い横長のテーブルに着くのと同時にカウンターを見て叫んだ。
 はいよ、と優しい声を返すと年輩の女性は奥の調理場で注文された料理を作り出す。今は人が来ない時間なので調理場に居るのは年輩の女性だけであった。一人で手際よく料理を作る。
「それにしてもよ。分かっているとはいえ、やりきれねぇよなぁ」
 アットの隣に腰を下ろしながら溜息混じりにパレスが言う。その隣にミリーが座り、そうね、と同意する。
 アットは料理が運ばれてくるのが待ちどおしいのか床をつま先で蹴っている。程よくして年輩の女性が出来たての料理をトレイに載せて持ってきた。
「ほら、スタミナ定食ライス大盛。それと一つ言っておくがね。人気が無い時に来るんじゃないよ。折角の休憩時間が無駄になってしょうがない」
 ミリーよりもさらに背が小さい女性が呆れたように言った。アットは全く聞いていないのか、運ばれてきた料理にもうがっついている。
 全く、という年輩の女性の声に続きミリーとパレスの溜息が漏れる。
「さて、これからどうしましょうか。他の任務があるわけでもないし、どっか遊びにでも行く?」
 二つ先の席で豪快な音を立てながら料理に喰らいついているアットとふて腐れているパレスとを交互に見ながらミリーが言った。
 二人は答えず、一人は食事に集中し、一人はやりきれない思いを押さえ込むのに精一杯。
 それから少し沈黙が続いて、「ごちそうさん」というアットの声がそれを破る。
 ミリーとパレス、それに年輩の女性は大体の日においてアットの食事に付き合っているが彼の大食い、早食いには感心と呆れを覚えていた。
「遊びに行く……か。それいいかもね」
 爪楊枝で歯に挟まった食べカスを取りながらアットが言う。へへへ、と悪戯小僧を思わせる無邪気な笑いを見せて、二人が目を丸くする。
「パレスとミリーが俺を見張ってなければならないのなら、一緒に行動すればいい。そう、三人で他の奴等より先に金塊を奪い返すんだ」 
 二人の間に無理やり割り込んだアットが言う。二人はさらに目を丸くしている。無邪気な笑いを浮かべているアットを見て、まずパレスが喜々として答えた。
「それいいな。お前のいつもの行動は気にいらないが、今回ばかりは気にいったぜ」
 子供の笑いと豪傑の笑いが交じり合って、不思議な笑いになる。
 ミリーは右手を顔に当てて首を振る。彼女特有の癖でもうどうにもならない時に見せる仕草だ。
「止めようとしたって無駄なようね。いいわ、たまには危険を冒してみるのも悪くないかもね」
 子供の笑い、豪傑の笑い、そして美人の笑いが混ざり合って不思議も不思議な笑い声になった。
 それから三人は一番隅の席に移動して不真面目で、それでいて真剣に話を始める。
「俺たちと他の奴等、知っている情報は同じ。つまり、どっちが早く情報を掴むかにかかっている。でも俺たちは自由に情報部を使う事が出来ない。となれば頼れる人物に頼る」
 最後に口の端を吊り上げながらアットが言うと、二人はすぐにその意図を理解した。
「ジェイクに頼るのね。彼なら他の誰よりも優秀で、他の誰よりも私達を優先してくれるってわけね」
「そう言うこと。後はジェイクの情報しだいってわけ」
 ふんふんとパレスが図太い首を上下に振り、目を輝かせている。
そして三人は華麗にも同時に立ち上がり、アットが意気揚揚に言う。
「それじゃ、作戦開始!」
 勢い良く振り上げられた拳は自分より背の高い巨漢の顎に命中した。

 

第二章に続く