第三章〜SHOW TIME〜

 やや弱めな砂嵐の中を一台の真っ赤なスポーツカーが走っていた。
 砂漠には全く不釣合いな車だが、お構いなしに砂嵐の中を進んでいく。
 世界全体は戦争によって荒廃したが、兵器を除く機械類は大分進歩した。その内の一つがホバーカーである。砂漠が世界の半分以上を埋め尽くし、今までの車輪を使う乗り物では移動することが困難になっていた。ホバーカーは地面すれすれを浮いて動くため、砂漠であろうと難なく移動することが出来る。
 真っ赤なスポーツカーも砂漠などお構いなしに迷う事無く進んでいる。アット・アンダーが愛車に乗って、キングスシティを出たのは今から三十分ほど前だった。
 ミリーとパレスと別れてから、アットはすぐに古城に向かわず、ミリーとパレスが地下の入り口に着くまでの時間を考えて暇つぶしをしていた。暇つぶしといってもただスタミナ定食を食べていただけだが。
 運転席で口笛を吹き、上半身を揺らしてリズムを取りながらハンドルの端を叩く。今からする事の危機感など一切感じさせない陽気さだ。
 車が走り出して一時間。フロントガラスの先、砂嵐のカーテンからわずかにぼやけた緑がアットの視界に入った。口笛を止め、リズムを止めると口の端を少しだけ吊り上げる。
 近づくにつれてぼやけた緑ははっきりと森というには小さい、林というには広い大きさの木の束が見えた。
 誰かが森とも林ともいえない場所を使っているというのは明白だった。奥に続く道が申しわけ程度に作られていたからだ。アットは簡素な道を通って幾分か先に行くと、無理やり右側の木々に入り込み、愛車を止める。一応、隠しているつもりなのだろう。緑と茶色ばかりの中に一つ、真っ赤な物があれば子供でも容易に気付くはずだ。それに気付いていないアットは子供以下となる。
「こちら、アット。そっちは何処までいった?」
 スーツの上から二番目にあるボタンを左右に回しながら小声で言った。
 少しの間を置いて聞き慣れた声が返ってくる。
『アンタが紹介してくれた案内役が言うには、後二十分もあれば着くそうよ』
 ミリーの声は幾分か不機嫌で、下水道の中を膨れた顔で進んでいくのがアットにはよく想像できた。その隣で憤怒を抑えているパレスの形相もまた、脳裏に浮かんだ。
「分かった。俺は一足先に着いたから、行ってくるわ。出来れば、二人が着くまでに終らせてやるよ」
 得意気な小笑いを付け加える。間を置かずに野獣のような唸り声が聞こえた。
『先に終らせたらただじゃ済まないと思うわ』
「そ、そうだな。少しは残しておくよ。あはは……。あ、爆破のタイミングは分かっていると思うけど、指示が出せないようなら友」
 最後まで言う前に通信は無情にも切られ、首をやや下に向けて溜息を漏らす。
 三十秒ぐらいはその場で悲しみに打ちひしがれていたアットも、自分のするべき事を思い出し、堂々と簡素な土の道を辿っていく。
 中々長い道で城門に辿り着くまでにたっぷり六分程かかった。城門と思われるアーチ状の物はボロボロだった。左側の扉は完全に外れて前に倒れている。右側の扉は何とか繋がれてはいたが今にも倒れそうである。
 過去の栄光の名残も無い城門の片割れを踏みつけながら、城門をくぐる。
「なるほど。確かにこれは古城と呼べないなぁ」
 何度も頷きながらアットは目の前の建物を見て呟いた。
 本来、そこにあるはずの古城は跡形も無く、あったのは真新しい洋館だった。アーチ状の建物が横に三つ並び、ところどころで通路が宙を繋いでいる。
 屋根は濃い赤色で、壁はほこり一つ無い白。高さは二階建てだった。両端の館は、元は城壁であった場所に立っていた。城壁の名残はわずかに散らばる頑丈そうな石ころだけであった。
 アットが驚くのではなく、納得したのは地下街で捕まえたテーブル一味の男から事前に情報を仕入れていたからだ。男は「あそこは古城じゃない。ボスの家だ」と声を強張らせながら教えていた。
 アットは頷くのを止めて洋館の周囲を見渡す。見張りらしき者はいなく、監視カメラのような物も見当たらない。二度確認した上でゆっくりと真中の館に近づいてく。
 アーチ状の大きな扉に手がかかろうとした時、扉の奥から二つの足音が聞こえた。扉に伸ばした手を引っ込め、館と館の間に身を隠す。
「ほんとにスペシャルの隊員がくんのかなぁ?」
 扉が開き、中から二人の男が出てきた。一人はボサボサの黒髪で、汚れた長袖のティーシャツと継ぎ接ぎだらけのジーンズ、右手にマシンガンを持っている。
もう一人、喋りながら出てきた方はいかにも不良そうな茶髪に白のティーシャツ、その上にジージャンを着ている。下は黒髪と同じ継ぎ接ぎだらけのジーパン。そして当たり前に右手に拳銃を握っている。
「さぁな。俺らは与えられた事をすればいいだけだ」
 黒髪の男が素っ気無く答える。右手に持ったマシンガンは銃口を上に向けた状態だ。大きな目で辺りを警戒している。金髪の方はつまらなさそうに拳銃を手の中で遊ばせていた。
「だけどよぉ、奴等がやってきたら俺らみたいなチンピラは終わりじゃねぇか。この前の奴等だって、運が良かっただけだろ?」
「一々五月蝿い奴だ。もう少しあっちも終るはずだ。後十数分、誰もくるはずがない」
「そりゃ、残念だったな。もういるんだよ」
 金髪が左、黒髪が右を警戒しながら話しているところに人影が飛び込んでくる。突然の出来事で反応できなかった黒髪は鳩尾に一発喰らい、前かがみになる。
「あ? あ?」
 金髪の男が唖然としているうちに黒髪の右手からマシンガンが奪われ、黒髪は気を失う。既に遅かったが金髪は右手の拳銃を狙いも定めずに撃った。
「所詮チンピラ、格が違うんだよ」
 間合いを詰め、鋭い手刀で手首を打つ。金髪は痛みに顔を引きつらせ、その間に拳銃は彼方へ蹴飛ばされた。アットは自分の拳銃を金髪の眉間に押し付ける。
「色々聞きたいことがあるが、時間が無いようだな。ゆっくり眠れ」
 嫌味な程の笑みを浮かべながら、引きつった金髪の顔面を拳銃で殴りつけた。金髪は一本の歯を宙に舞わせながら気絶した。
「とっとと行きますか」
 口の端でにやっと笑い、開けっ放しになった扉から内部に侵入する。

 館内は意外と入り組んでいた。外見だけならただ三つの館が繋がっているだけだ。聞き出した情報寄ると中央の一番奥の部屋がテーブルの部屋らしい。ただ真っ直ぐ進み、階段があったら上ればいい、そう思っていたアットは苛立っていた。
 真っ直ぐ進もうにも部屋が邪魔をし、行っても行っても部屋ばかりで行き止まり。迷路の館の中を彷徨うこと四分、やっと二階へ上がる階段を見つけ、上って少し進むとあっさり見つかる。
 アットを見つけたのは筋肉隆々の体を持った大男だった。それでも一階に戻るわけにはいかず、運良く――見つかった時点で悪いが――一人だけだった為、突然の侵入者で一瞬すくんだ右太ももを打ち抜き、豪快な悲鳴を背に二階の廊下を走り出す。
 豪快な悲鳴は館内に轟き、それを聞いた仲間達が集まり、侵入者を血眼になって探し始める。幾ら鍛えぬかれた体を持ったアットでも、知らない館で大勢を相手に逃げ切ることは出来なかった。逃げて、逃げて、やっと辿り着いた右端の館の奥で沢山の銃口を突きつけられ、テーブルの元に連れて行かれた。
「ようこそ、我が館へ。アット・アンダー」
 太ももを打ち抜いた男に負けず劣らずの大男二人に脇を固められながら、アットは目的の場所であったテーブルの部屋に連れて行かれた。
 部屋は書斎のようで、あまり大きくは無かった。一部屋だけで両脇にやたらと大きい本棚が置かれていた。中央には先が曲がっている大きな木造りの机があった。黒いキザったらしい椅子に白いスーツ、白いズボン、黒髪のオールバックの男――テーブル・ギッドが座っていた。
 アット以上に嫌味ったらしい笑みを浮かべたその顔は、見る女性(ひと)が見ればほれてしまうかもしれない。
 アットは無表情でテーブルの顔、を見ているようにして奥の壁にかかっている珍しい武器を見ていた。
「ああ、これですか。これはカタナといいましてね。昔栄えた東の国独特の武器なんですよ。偶然手に入れて、その時はボロボロだったので腕利きの鍛冶屋に直させたものです」
 アットの視線に気付き、テーブルが壁にかかっているカタナを手に取りながら言った。柄を握り、鞘から綺麗な刀身を引き抜く。
 机の前に移動し、切先をアットの鼻につくかつかないかのところで止めて、勝ち誇った、それに加えて嫌味な笑いを思う存分アットに見せつける。
「へぇ〜。さすが武器商人のテーブルさん。貴重な品物を持っていらっしゃる」
 無表情で通してたアットがわざとらしい敬語を使い、口だけで笑う。
 テーブルもそれに答えるように口だけで笑い、刀身をゆっくりと鞘に収める。
「あなたの狙いは分かっています。これでしょう?」
 いつまでも嫌味な笑いを口元に残し、汚れ無きスーツの内ポケットから金塊を取り出す。アットはそれを訝しげに見つめ、即座に知っている風な視線を送る。
「まさかたった一人で来るとは思ってもいませんでした。でもまあ、おかげでこちらは楽ですけれどね。この偽物の中にあるフロッピー、やはり大変貴重なのですね」
(偽物? フロッピー? やっぱあのジジイ隠し事していやがったな)
 心の中で――アットと見張りの二人がいなくなった事実をしり焦っている――ハリソンに毒を吐く。
(でもこれで少数精鋭の理由と、なるべく広まらないようにって意味が理解出来た。後は目の前のブツを奪って逃げるだけなんだが……さて)
「この後に及んで何か考え事でも? どうしてもと言うのでしたら、死に方ぐらいは決めさせて差し上げますが?」
 テーブルの挑発を鼻で笑って返すと、開き直って大声をあげる。
「ありがとよ、テーブル。実はそれが偽物で、中にフロッピーが入っていて、貴重だって事は一切知らなかったんだよ。俺らのボスは何も教えてくれなかったし、あろうことか俺は独断でここまで来た。おかげで色々分かったぜ。今度はこっちが感謝するばんだ」
 言い終わった後で深く息を吐く。テーブルの呆然とした表情を見て、アットは思わず吹いた。
吹きだして我に返ったテーブルは溜息をついて、嫌味ったらしい笑いをこれまでかと濃くした。
「そうでしたか、それはどうも。だが、例えあなたがフロッピーのことを知ろうともう手遅れです。御覧なさい、後ろには五人の屈強な男。両脇にも屈強な男。そして」
「目の前には優男ってか?」
 自分で言った台詞がツボを突いたようで、一人爆笑する。嫌味ったらしい笑みは消え、頬に赤味がさしだす。それは急速に濃くなって行く。侮辱されたことが無かったのだろう。プライドを傷つけられたテーブルはきっと睨みつける。
「どのみちあなたはもう……」
 突然館内に衝撃が走り、一斉に停電した。突然な事ばかりが起こり、後ろに控えていた男達は天井をきょろきょろ見回し、両脇の男はつい力を緩める。その隙を突き、アットは動いた。
「な、なんだ! 一体何が起こった!?」
 上を見ながらうろたえているテーブルにアットは一撃を喰らわせた。緩んだ隙に前に踏み出し、力いっぱい男前と言えるテーブルの顔面を強打する。
 テーブルは悲鳴を上げる事も無く体を後ろに反らせ、手に持った金塊が宙に浮いた。アットはすかさず宙の金塊を取り、テーブルにお返しと言わんばかりの笑みを送って、あたふたしている男達の間をすり抜けて廊下に出て行く。
 
「ふぅ。やっと到着」
 重圧な石の扉をパレスが持ち上げ、出来た隙間からミリーと案内役の男――ボロボロの年輩は足を怪我した男を引き渡してすぐに帰ってしまった――が悪臭放つ地下水路から奪取する。二人の後に続きパレスが狭い出口につっかかりながら地下水路を出る。
 三人が地下水路から出た場所は、右側の館の地下にある石壁で囲まれた牢屋だった。鉄格子は錆びて、何本か外れていて、また何本かは折れている。
 ミリーは牢屋を一通り見回して感嘆の息を漏らす。
「凄い。こんな古い牢屋がまだ残っているなんて。そう思わない?」
 少し輝きを放っている瞳をパレスに向ける。パレスは何故か頬を少し赤くし、そっぽを向いた。
「そんな事より早く行くぞ。上では何が起きているか……」
 分からない、と言うより前に銃声と複数の足音、あっちだこっちだと叫ぶ男の声が薄くだがきこえた。
「あのバカ」
 溜息をついて額に右手を当てる。パレスも微々たるものだが表情を変え、案内役の背中に銃口を突きつけて地下に出た。
 一階に出るとミリーは目を丸くした。古城と言うくらいだ。地下牢も石で出来ていた。ところが一階は真新しく、床には赤い絨毯。壁は一面真っ白で、どう見ても古城には見えない。
「とにかく先を急ぎましょう」
顔を多少引きつらせながら案内役を電力室に向かわせた。パレスはその後をついて行く。
 電力室についたときには上の騒ぎは収まっていた。二人はアットの事、正確に言えば任務の事を心配しながら手当たり次第に小型爆弾を設置した。後はボタンを押すだけで電力室は木っ端微塵、屋敷の電気系統は全て駄目になる。
 二人はアットの指示を待って、大人しく壁によりかかっていた。案内役の男はずっと覚えていて、うろうろと部屋の中を盛んに動いている。数分が経ち、ついにパレスの我慢が切れた。
「くそっ! なんで俺がこんなことを! ふざけんな!」
 生憎にも爆弾の爆破ボタンを持っていたのはパレスだった。怒りのあまりそれを忘れ、右手に持っていたボタンを叩きつける。
「ちょっと、危ないじゃない!」
 ミリーが叫んだところでうろうろしていた案内役の男がボタンを踏む。本来ならすぐ爆発するはずだが、設置した小型爆弾はあまりに小型化した為、ボタンを押しても爆発するのに十秒程のロスがかかった。
 何も知らない案内役の首根っこをミリーが掴み、パレスがドアを蹴り破り、三人は廊下に飛び出すと全力で電力室から遠ざかる。
 一番近い曲がり角を曲がろうとしたところで爆発する。大規模な爆発の衝撃は隣の館にまで及び、電気がいっせいに消えた。
 ミリーとパレスは気絶した案内役を廊下に置き去りにして、武器片手に現れた男達と戦闘を始める。パレスはやっとのことで笑顔、狂気じみた笑顔を見せた。
「もうっ! どうしてこんな目にあうの!」
 ミリーは毒づく。この偶然のアクシデントがアットを救った事を知らずに。

「さすが長年の友。いいところで爆破してくれた」
 本人たちにその気が無いことに気付かぬまま、アットは館内を逃げ回っていた。階段の場所をよく覚えておけばよかった、と後悔しても遅い。銃器片手に追ってくる男達から逃げ回り、時には後ろを振り向き拳銃を放つ。
 アットは逃げつかれて咄嗟に一つの部屋に飛び込む。息を潜め、追ってが去るのを静かに待つ。
 幾つも聞こえていた足音が消え、やたら大きい声も遠くなっていく。
 ふぅ、と息を吐く。ゆっくりと少しだけ扉を開けて左右を見る。誰もいない事を知り、監視カメラを確認して部屋を出た。
 左側は行き止まりで大男でも入れそうな大きな窓がついていた。それを目にした後振り返る、と先ほどまで誰もいなかったはずの曲がり角に上から下まで白の男が立っていた。
「よぉ、テーブル。元気だった?」
 わざとらしく陽気に手を上げながら、無表情でカタナを左手に立っているテーブルに声を投げた。テーブルはそれを冷たい眼で弾く。
「よくも私の顔を……。よくも私の館を……」
 薄っすらと白い頬が赤に染まっていく。体全体がわなわなと震え、明らかに怒っている。冷たい眼には炎が宿り、右手でカタナの柄を強く握り一気に引き抜く。刃こぼれ一つ無い刀身がアットの顔を映した。
「このカタナはまだ人の血を知らないんですよ。あなたの血を、下さい」
 部屋で会った時の冷静な姿は無かった。怒りに燃え、言っている事も何処か危ない。
「俺ちょっと貧血気味で。これ以上血ぃ取られたら危ないんで、遠慮しておきます」
 状況を理解していないわけではない。それでもアットは一礼して、相手の怒りを買う。
 テーブルは体の震えを抑え、鞘を投げ捨てると一気に跳躍した。部下の男達よりも細い体躯。見た目だけで判断すれば戦闘をするような人間には見えない。事務作業をせっせとこなすタイプだろう。アットはそう思ったが、裏切られた。
 一瞬で間合いを詰められた。拳銃を構えるも既に距離はカタナの距離だった。両手でしっかりと握られたカタナの切先が鼻先を掠める。振り上げられた刀身はそのまま肩目掛けて振り下ろされた。
「外見で判断しちゃいけないってことか」
 アットは後ろに飛び、刀身を避けながら距離をあける。拳銃を構え、引き金に指をかける。今は銃の距離。弾丸より早く動けなければ、体の一部に命中させることは確実だ。
「無駄です。それに銃弾は入っていません。撃ち尽くしたのを忘れましたか?」
 普段は決して見せない動揺を微かに見せた。監視カメラが無いことは逃げている時にも確認していたし、テーブルの姿は何処にも無かった。報告を受けたということでもあるまい。そこまで見ているような奴はいなかったのも分かっていた。
 ただ、弾数は自分でも確認していなかった。結構な数を撃ったから、もしかしたら本当に弾数はゼロかもしれない。
 たったゼロコンマの迷いが距離を縮めた。
 再び刀身が目の前に迫り、今度は体を少し反らして避ける。一歩退き、その間に幾度もの突きが繰り出される。正確無比で素早い突きは確実にアットを追い詰めていく。
 突きが数回繰り返され、合間に上下からの斬撃が飛ぶ。一度は頬に、一度は肩にあたり斬り傷を造った。
避けることしか出来ないアットは、斬撃を後方に跳んで避ける度にじりじりと大きな窓に迫る。
 あと二、三回後ろに跳べば窓に背がつく。四度目の突きの後に上からの斬撃。後ろに跳ぶ。次の突きが来る、そこで状況は変化を見せた。
「……!」
 繰り出された鋭利な突きはアットの拳銃によって阻まれた。刀身を拳銃で受けたのだ。かりかりと鉄と鉄とが擦れる音がする。アットはにっと笑い力任せに拳銃を右に押し、刀身を右側の壁にぶつけて抑える。
 ぐっ、と呻き声をあげながら、テーブルは刀身を壁から離そうとするがアットの力の方が断然上で、刀身はびくともしない。
「アンタが上下にしか斬撃してこないのは、廊下が狭いからだ。そんなことに気付かないほど俺は馬鹿じゃない。この瞬間(とき)を待っていたのさ」
 右手の拳銃を刀身から離し、入れ替わりで右脚を喰らわせる。テーブルご自慢の刀身は半ば程で折れてしまった。
「き、貴様ぁ! 私の、私のカタナをよく……!」
 言い終わる前にアットは距離を詰めて、右手でスーツの襟を、左手で腕を取り、腰を沈めて勢いをつけて大きな窓目掛けて投げ飛ばす。
 テーブルの世界は反転し、豪快な音を立てながら窓ガラスを破壊した。頭を強打したようだったが気は失っていない。だらしなく窓際に座ったように倒れ、上半身は前かがみになっている。
 薄く斬られた頬の血を手の甲で拭いながらテーブルを見下すように立つ。
「へっへっへ。俺の勝ちだな。ま、よくやった方だよ。誉めてやる」
 にやにや笑いながらうな垂れているテーブルの胸倉を掴んで、持ち上げる。
「でも、許してあげないぜ。よくも俺の顔に傷つけてくれやがったな! なんてね」
 そう言いながら胸倉を離す。どさっと今度は仰向けに倒れた。どうやら気絶したらしい。
 勝利の余韻に浸っていると、多数の足音と怒声、銃器が踊る音が嫌でも耳についた。
「さてと、逃げるか」
 スーツの内側に偽金塊があることを確認して、大きな窓からアットは飛び降りる。窓の向こうには大きな木々がって、アットはその一つ、特に頑丈そうな太い枝に掴まりゆっくりと地面に降り立つ。
 振り返り、さっきまだ戦いを繰り広げていた場所を見ると銃口が覗いていた。アットは素早く森に駆け込み、そのまま逃げ出した。
 アットが逃げ出してから二分ほどして本来この任務に当たっていた者達が突入。テーブル一味は全員捕まり、金塊は無事奪還。ミリーとパレスもアットの事など気にもせずに先に逃げていた。この金塊強奪事件は"表向き"には終幕を迎えた。

第四章〜F・O・O・L〜

 金塊強奪事件から一日後、アット・アンダー、ミリー・ナチュル、パレス・クーヴェルの三人は早朝から、自分達のボスハリソン・カーディに呼び出されて社長室に来ていた。
 既に空気はピリピリ重い。それは事件があったからだけではなかった。ミリーとパレスが呼び出された時間より三十分早く来て待っていたのに対し、アットはあろうことか十分遅れてきたのだ。
 遅れてきたくせにアットは遠慮なく欠伸して背を伸ばす。
 三人は横一列に並んでいて、左がミリー、真中がアット、右がパレスの順だ。全員が集まってから五分、ようやく説教が始った。いや、もう説教では済まされないだろう。
「ミリー、パレス。監視するべき者がされる者に協力してどうする。まさかお前等が裏切るとは思わなかった」
「お言葉ですが」
「黙れ」
 反論しようとしたミリーを槍のように鋭い視線でハリソンは抑える。
「お前たち二人の処分は改めて考える事になっている。問題は、お前だ。アット。お前はもう逃れることは出来ない。クビだ」
 あっさりと、それでいて重く鋭い言葉にもアットは動じない。後ろで手を組んで、ぼけっと視線をハリソンの頭より上のところに向けている。沈黙が始り、アットがそれを破る。
 その表情は笑っていた。余裕の色が濃く出ていて、懐から偽金塊の中から取り出したフロッピーを取り出す。
 ハリソンはそれが何か判断するのに数秒かかったが、すぐに気付いた。
「貴様! 何故それを持っている! いや、やはり貴様が持ち出していたのか!」
 椅子から立ち上がり、両手で机を思いっきり叩く。鈍い音が社長室に鳴る。
 アットはそれでも動じず、喋り出す。
「この中身が何か、調べました。これが世の中に出回ったらボスの立場は危ない。これがどういうことか分かりますよねぇ?」
 語尾を延ばし、挑発的に喋るアットはまるで悪役のようだ。ぐっ、と意図を察したハリソンは椅子に座り、顔を一度下に向けてから、アットの顔を見る。少しの間に汗を大量にかいていた。
「私を脅迫すると言うのか? くっくっく……。まあいい。要求は何だ?」
 自分に対して苦笑し、諦めたように言う。アットはにんまりと笑って一歩前に出る。
 左右に立っている二人は何がなんだか分からない、そんな様子で呆然と成り行きを見ていた。
「一つ、私のクビの取りやめ。一つ、ミリーとパレスの処分撤回。一つ、給料三十%アップ。一つ、長期休暇、そうですね一ヵ月ほど。これでどうでしょう?」
 まるでではなく、アットは悪役と言ってよかった。にやにや笑いながら、上の人間であるハリソンを見下し、脅している。右手の上で遊ばせているフロッピーがハリソンの目をひきつけている。
 数秒うつむいて考えた後、ハリソンははぁ、と溜息を吐く。
「分かった。いいだろう。要求を飲む。さあ、フロッピーを渡せ」
「それは無理です。まずこの書類にサインを。出なければ騙されてしまいそうですから」
 今まで以上に強く、嫌味ったらしく笑って懐から一枚の紙を取り出してハリソンの前に置く。
 ハリソンはろくに内容を見ずに、ほとんど適当にサインをした。それを確認してアットは笑顔を見せて、フロッピーを机の上に置く。アットだけ敬礼をして部屋を後にする。それにつられて二人も部屋を後にした。
「全く、とんだ奴を隊員してしまったな」
 ハリソンの後悔を聞くものは、いつのまにかに入って来た秘書だけであった。
「さっきのフロッピーは何? 説明しなさいよ」
 エレベーターの前でエレベーターの到着を待っている間にミリーがしつこく訊くので、アットは面倒臭そうに偽金塊、フロッピーの事を説明した。
 全てを知ったミリーとパレスは唖然として、少しだけアットを尊敬した。
「しかもあれは偽物。本物はここさ」
 そう言って懐からまた別のフロッピーを取り出す。ミリーが明らかに目を丸くし、パレスが微妙に表情を変えたのを無視して、アットは本物フロッピーを壁につけて拳を繰り出し、破壊した。フロッピーの破片を拾い、二つのエレベーターの間にあったゴミ箱に捨てる。
 ちんっ、エレベーターが到着しアットは笑顔を見せながら乗り込む。ミリーとパレスは呆然とアットを見たまま固まっていて、扉が閉る寸前になって無理やり乗り込んだ。
 三人を乗せたエレベーターは二十五階で止まり、人気のない社員食堂で明日から始る休暇の話をし始めた。
 こうして全ては一件落着した。
 
 そう思っていた三人のところに、ジェイクがボサボサの頭を掻きながらやってきた。アットは満面の笑顔と、はつらつとした声でジェイクを呼ぶ。
「おぉ、ジェイク! いいところに来たな。ちゃんと作戦は成功させた。これで汚名も返上。そうだろ?」
 鬱陶しすぎる程元気で、嬉しそうなアットの顔を見てジェイクは思わず口の端を吊り上げた。それに気付いたのはアットではなく、そばに居た二人だった。
「確かに、お前は良くやったよ」
 アットの後ろに立ちながら素っ気無く言う。アットはうんうん、とただ嬉しそうに頷く。
「だがお前はやっぱりお前だよ。お前がボスに渡したのは本物だ」
 アットは喜んだままだったが、すぐに呆けた顔になる。ミリーとパレスも同じように口をぽかんとあけている。
「もしかしたらと思ってゴミ箱を見て確認したから確かだ」
 気まずく、重い雰囲気が社員食堂に充満する。十秒、いや十五秒ほどしてジェイクが我慢できずに口の端をこれまでかと吊り上げて笑った。アットを除いた三人の気持ちが一体となった瞬間。
「「「『マヌケ』」」」
 ジェイクは腹を抱えて大笑い。ミリーは額に右手を当ててうつむく。パレスは血管を浮き上がる程の怒りを感じる。
 調理場の年輩女性がめくる雑誌の音が、はっきり聞こえる。
「あは、はははははははは……」
 ジェイクの高笑いと妙に馴染む嫌な空気が絶え間なく続いた。

〜END〜