短編小説
 【ココロノヤミ】


 後一週間でこの孤児院に来て10年が経つ。時が経つのは思ったよりも早かった。

 あの日、両親に捨てられてからもう10年が経つのだなあ、と思い深ける。

 僕が捨てられた理由は明白だった。それは、僕が人の心の中にある"闇"が見てしまうからだ。

 闇が見えると言うのは、要するに相手の自分だけしか知らない本性の事で、僕にはそれが"闇"となって目に見え、
 感じる事が出来る。どれくらいの距離までが範囲かは分からないが、電車で言えば一つの車両分ぐらいはある。
 これは僕の意思とは関係なく見えてしまう。今まで何度も見たくないと考えたが、それは無駄だった。

 僕がはじめて"心の闇"を見たのは、大体6歳ぐらいだった。
 両親の丁度体の中心に黒い霧の様なものが見えたのだ。
 母親の闇は"こんな浮気男死んでしまえばいい"と僕に教え、
 父親の闇は"何故こんな役立たずと結婚してしまったのか。早く消えてしまえ"と教えた。
 当時まだ小学校一年生の僕は"浮気"や"死"、"結婚"ということを理解出来ずにいた。
 今だからこそ両親がどうなっていたのかが分かる。

 両親の闇を見てからというもの、全ての人間において"闇"が見えるようになった。
 僕は恐ろしくなって両親に闇の事を話した。

『ねえお母さん。何でみんなのお腹に黒い変なものがあるの?お母さんにも、お父さんにもあるよ。
 うわき、とか、し、とかその変なのが僕に言うの。ねえお母さん、うわきってなに?しってなに?』

  母親は自分の心の中でしか"言っていない"ことを息子に言われ、戸惑いを隠せないでいたのを今でも覚えている。

 それからまだ幼い僕は友達や先生、母親に父親、色々な人に本人しか分からない心の中のことを訊いた。

 そういう質問ばかりして間も無く、僕は―恐らく睡眠薬で眠らされ―今住んでいる孤児院の前に捨てられた。

 それからもう10年が経とうとしている。

 僕は孤児院に来てから当分は何が何だか分からないでいた。それも年が経つにつれて理解出来た。
 僕にしか見えていない"心の闇"が原因で捨てられたのだと。

 原因に気付いてからは外に出なくなったし、孤児院でもほとんど人と会わなくなった。
 会えばいやでも相手の心の闇が見えてしまう。
 歳を取り、色々な事を理解できるようになってからそれはもう地獄と言えた。
 電車に乗れば一緒に座って楽しく笑っている友達同士が心の中では互いを罵り合い、
 ただ取り合って座っているだけなのに気持ち悪いとかで殺したいと思っていたり、
 そんな人間の悪い部分だけが僕には見えてしまう。

 勿論学校には行っていない。孤児院にいる大人の人に参考書や問題集を買ってもらってきて勝手に勉強している。
 人と会う事が出来ない僕にとって勉強、読書、TV等は外の情報を得たり、歴史を知る数少ない手段なのだ。
 TVを見たり、CDを聴いたりだってする。部屋で出来る事ならなんだってやっている。

 どうして自分にだけ"心の闇"が見えるのか。何度も考えた事だ。
 自分だけ全ての人間の本性が自然と分かり、人間の嫌な部分が色濃く脳裏に残る。
 人間不信とか、そういうレベルの問題では無い。

 だが、そんな人と接触できない僕に一つの転機がやって来た。

 二週間ほど前、この孤児院に新たな仲間が出来た。と、いっても実際には会えないので相手の顔や体型などは知らない。
 それは孤児院にいるほとんど全ての人間に言えることだ。

 新しく来たのは僕と同い年の女の子で、なんでも目の前で母親と父親が無残に殺されたらしい。
 引取ってくれる親戚も無く、この孤児院に来たと教えてもらった
(教えてもらう時は紙に書いてもらうか、電話で教えてもらう)。
 その女の子はその時のショックで心を失ったとも聞いている。
 言葉が喋れなくなったとかではなく、体そのものは健康で、普通に喋ることも出来るし、五感もある。
 ただ、心だけがふっと消えてしまったそうだ。僕はその女の子に興味を持った。
 心が無い、もしかしたら闇を見ないで人に会えるかもしれない。そんな儚い期待を胸に僕は女の子の元に向かう。

 孤児院の内の事は10年もいるがほとんど知らない。自分の部屋と、風呂場、トイレなどにしか行く必要が無いからだ。
 初めて他の部屋に行くわけである。僕に色々な事を推してくれる女性に頼んで部屋の番号と行き方を訊いておいた。
 本人の希望で一番奥の部屋になったらしく、そこに行くまで結構な時間がかかる。

 10年もいながら一つの部屋に着くまで20分も要した。
 孤児院自体が大きいこともあるが、それでもかかりすぎだと自分でも思う。
 心を無くした女の子がいるはずの部屋の前に今、僕は立っている。

「中に入ってもいいですか?」

 二回ほど木製のドアをノックして中にいるであろう女の子に問い掛ける。
 はい、という返事が返って来るまで、少しの間があった。

 ドアノブを回し、ドアを開けながら一つ気付く。さっきの"はい"という返事。今の返事には感情が入っていなかった。
 機械の音と同じ、無機質の声。心を無くした、というのは本当だな、と勝手に確信する。

 部屋の大きさは何処でもほとんど同じで、やはりこの部屋も僕の部屋と対して変わりは無かった。
 TV、机、椅子、ベッド、タンス、ある程度の物は全て揃っている。
 後は自分で小物を買ったりして、自分なりの部屋にする。
 僕は内装に興味が無いので、来た時とほとんど同じままにしている。
 また、今いる女の子の部屋も、想像していた女の子らしい部屋とは違い、来たままの簡素な部屋だった。

 部屋の中央にある椅子に女の子は座っていて、その向かいに絵描き様のキャンパスがあった。
 まだ何も描いていないようで真っ白のままである。少し、違和感があった。何故心が無いのに絵を描くのだろうか。
 いや、五感が無いわけではないから描いてもおかしくないのだが、それでもやはり違和感を覚える。

「こんにちは、絵を描く所だったのですか?」

 女の子に近づく。僕はとても嬉しかった。生まれてこの方こんなに嬉しい思いをしたことはない。
 物心ついたころから見えていた"心の闇"がやはり女の子には見えなかった。

 心があるからそこに闇が出来る。ということは心が無ければ、闇が出来ることも無い。

 女の子には悪いが、僕は嬉しいという感情を抑えきれずに顔に出してしまう。

「ええ、そのつもりです。貴方は何故、笑っているのですか?」

 また無機質な声で返事が返って来る。やはり分かるようだ。笑う、ということが。

「すいません。僕は10年間ほどこの孤児院にいるのですが、それまで一度も他の孤児院の仲間と会った事が無かったのです」

 嘘一つ言わず僕は答える。この人どうかしている、そう思われるかもしれない。

「そうですか」

 予想とは反し、女の子はそれだけ返して絵を描き始めた。

 僕は邪魔かな、と思いながらも女の子の横にたって絵を描いているところを見る。

 沈黙、というよりは静寂が部屋を覆い、聞こえるのは時折はねる絵の具の小さな音ぐらいである。

 女の子は淡々と筆を進める。絵にあまり興味が無い僕はそれが上手いのかどうか分からないが、
 僕に言わせれば上手いと思う。何を描いているのか、ということには興味があって食い入るように絵を見つめていた。

 次第にそれが黄色い花、タンポポだと分かった。
 花にも興味が無いし、詳しくも無いがタンポポぐらいは小さい頃の記憶で知っている。

 何故タンポポなのか、全く見当がつかない。モデルとなる花があるわけでもない。
 何かヒントがあるのかもしれないと思い、部屋を改めて見回してみた。

 目に付いたのは机の上にある数枚の紙。裏返しで置かれているので何が描かれているか分からない。
 僕は何が描かれているのかむしょうに知りたくなった。

「あの、机に置いてある紙・・・多分、絵でしょうけど、見てもいいですか?」

 女の子は軽く縦に頷いた。注意して見ていないと見逃してしまいそうなほど、軽い。

 女の子の邪魔にならないように机の前に移動し、9枚の絵を見た。

 一番下、ここに来て初めて描いた絵らしい。
 ちゃんと日付が書かれていて、それは丁度女の子がここに来てから二日後のものだった。

 初めて描かれた絵は雲と太陽と草原。二枚目は木々と湖。三枚目は森。四枚目はお花畑。五枚目は真っ赤なトマト。
 六枚目は虹。七枚目は雨の川沿い。八枚目は花火。九枚目はガラスのコップが三つ、うち二つはひび割れている。

 どれにも共通性は無い。それはつまりバラバラということだ。

 今まで色々な本を読んでて来て、妄想をするのが好きになっていた僕はある一つの仮説を立てる。

 それは、キャンパスの白い紙は女の子の心、絵の具の色は感情、情景は気持ち等を現している、と。

 九枚全て見わるとまたタンポポの絵の続きを見る。ほとんど完成に近づいていた。

 それから5分程してタンポポの絵は完成する。女の子は常に無表情で筆を動かしていた。

「お上手ですね」

 率直に言ってみる。返って来る言葉はやはり感情の無い、無機質な物だろう。

「ありがとうございます」

 やはり感情が無かった。だからどうということも無い。

 何度見ても女の子には闇が無い。何も無い。
 こうして一人で考えていても仕方ないので、この際だから聞いてみることにした。

「思ったことがあるのですが、言っても構いませんか?」

「ええ、どうぞ」

 何度聞いても人の声とは思えないほど無機質だった。それでも僕にとって対等に話せる唯一の人だ。

「この白い紙が貴方の心で、絵の具は感情。風景はその時と気持ちや、過去の記憶。では、無いですか?
 貴方には心が無いと聞きました。実際会って見ても確かに貴方には"心の闇"が無い。それは心が無いと同じです。
 もしかして、貴方は本来内側にある筈の心を外側で表現しているのではないのですか?」

 女の子は無表情で、それでもどこか冷たさを感じる目で僕を見る。

 失礼だったかな、言わないほうがよかったかな、そんなことが頭の中をいったりきたりしている。
 今度は静寂ではなく、沈黙が部屋を覆った。

「よく分かりません。確かに私には心がありません。
 それと、記憶も一部無いのです。それで不便があったわけではないので、構わないのですが、他の人は私を哀れみます。
 貴方の言っている通り、私は外側に心があるのかもしれませんね」

 感情がこもっていない声が虚しく部屋に響く。感情が無くても、僕は悲しみを感じる。無表情だが、涙が見える。

 沈黙が部屋に戻り、徐々に部屋を埋めていく。それを阻止すべく、というわけでは無いが自然と自分の話をしていた。

「僕は幼い頃から人の心の奥底、所謂本性が見えてしまうんです。
 闇となって、その人の丁度中心に見えるんです。闇が大きければ大きいほど、言葉に出来ないほど酷いものになります。
 それが見えるために僕は両親に捨てられ、人に会う事も出来ません。だけど貴方には会えます。面と向かって話せます。
 失礼ですが、僕は心の無い貴方がいて嬉しいです。貴方はどうか知りませんが、僕にとって貴方は友達です。
 生まれて初めての」

 自分でも何を言っているのか分からない。
 今目の前にいる女の子が友達?確かにそうであれば嬉しいけれど、相手がどう思っているかを考えると、どうともいえない。
 それに心の闇の事を院長と、親しい女性以外に話したのは初めてだ。何もかも自然に出たことで、どうしようもない。

 女の子は黙って僕を見ていた。
 そして、タンポポの描かれた紙を白紙と取り替え、筆を取ると、水色の円を書き、その隣に白で薄めた黒で円を描いた。

「今だけだと思いますが、私にも貴方の心が見えます。
 この円がそうです。どういうことか私には分かりません。どうとるかは貴方次第です」

 そういって二つの円が描かれた紙を僕に渡す。

 まじまじと二つの円を見つめる。これが僕の心。そういえば、自分の闇は見たことが無かった。

「心の無い私が言えたことではないでしょうが、闇はその人のもののはずです。
 貴方に見えようが、見えまいが、誰に見えようが、その闇はその人のものです。
 だから、気にすることは無いと思います。
 見たくない、嫌だ、という貴方の"闇"が人の"心の闇"を見えるようにしている、そう思います」

 女の子が笑った。無表情の笑いだった。我ながら矛盾な表現の仕方だが、確かに無常のまま笑っている。

 自然と僕も笑う。声に出した笑いではない。微笑みに近い笑いだ。

 自分の闇が、他人の闇を見せている。自分の闇を隠す為に、相手の闇を見せる。
 そうなのかもしれない。言われてみれば、そうだ。
 見えているからなんなんだ。闇だなんて言ったのは結局僕で、ただの黒い靄と思えばなんでもないのではないか。
 10年間気付かなかった自分が恥ずかしい。

 そうだ、闇はその人のもので僕の物ではない。気にしてどうなる、どうにもならないだろう。
 そう、本当に僕は馬鹿だった。

「そろそろ帰ります。お邪魔しました。絵、有難うございます」

 一礼して、僕は木製のドアの前に経つ。

 そして誓う、僕を救ってくれた女の子に心を戻すと。

「こちらこそ、有難うございました。ここにきて私に会いにきてくれたのは貴方だけです。
 私の心が少し戻った気がします。上手くいえないですけれど、嬉しい、です」

 女の子は笑う、無表情で。

 僕は笑う、感情を込めて。

「また来ます。さようなら」

 ドアノブを回し、ドアを開く。

 僕の10年間は、ほんの20分で無意味な物に変わり、それでいて有意義な10年間に変わった。

 これから僕は"心の闇"から目を反らさず、立ち向かう。

 そして彼女に"心"を戻し、また彼女の"心の闇"と立ち向かう。

 ココロノヤミ。それは誰にでもあり、実は誰にでも見える。

 気持ち一つで物事は変わる。見えないものが見えたり、見えるものが見えなくなったり。

 ココロノヤミ。それは人間の本性であり、偽り。

 僕はココロノヤミに立ち向かう。


〜終わり〜




作者あとがき
 我ながら意味不明な小説を書いてしまいました(苦笑)
 電車に乗っている時にふと思ったのです。他人の本性が見えてしまったらどうなるだろう、と。
 それはやはり辛いことでしょう。人間の嫌な部分とは、本性にある。そう思いました。
 でも、それも全ては気持ち一つ。この世の中、運命と偶然で出来ている。そう思います。
 自分でも言ってる意味が分からないのですが、そうだと思います(苦笑)
 とまぁ、あとがきまで意味不明ですが、読んでくださった方々有難うございました。
 これからは僕の宝物の執筆に戻りたいと思います(笑)

 

 

管理人の感想

陸さんからの投稿です。

うーん、深い作品ですね。

心の闇が見える少年と、心を無くした少女のお話ですか。

確かに、人の心の闇が見えたりすれば、引き篭もりにもなりますよねぇ。

よく他の作品にも、テレパスを持つ超能力者は悟った人物か、壊れた人物で表現されてますし。

今後の二人の成長が気に掛かりますね。