二十  元靖 聖司

 果たして、一旦退く事にどれほどの意味があるのか。
 屋敷に戻ったところで察知されるのは時間の問題だし、解決策が無い以上、あるいは余計に状況は悪くなるばかりなのかも知れない。

 しかし、今のままではどう足掻いても勝ち目は無い。真人はまだ「真実」に辿り着いてしないだろうし、自分もまだ「願い」を見つけられずにいる。
 それを得るための時間が、もうあいつがここを察知するまでの間しか残されていないというのは、思わず目を背けたくなるほどに最悪な状況だ。

 久しぶりに会ったソーマは、余りにも圧倒的だった。
 あいつが天野の家に貰われて行って以来だから、五年ぶりだろうか。あの時の力関係は今や完全に逆転しており、あれに勝つにはどうしても「願い」を見つけて力を解放しなくてはならない。

 だが、自分の願うべき事とは、一体何なのか。

 久しぶりに会ったオレに、ソーマは言った。

「セージ。本当に、世界とはお前にとって、救う価値があるものなのか」

 ―――世界を救う。
 そもそも五年前のオレがそれを決断した理由は、人々を救いたいなどという奇麗事からではなかった。

 ただ、みんなに認めてもらいたかったから。オレは、みんなのために頑張っているのだから、と言いたかっただけだ。だからみんな、オレを受け入れてくれ、と。

 自分が身篭られた時、父親が居ないという母の言葉を信じる者は、少なかったと聞く。きっと、口には出来ない秘められた恋の末に出来た子なのだ、と周囲は思っていたそうだ。

 しかし、生まれた赤子を実際に見て、それは一転した。
 明らかにこの国のものではない、銀色の髪。どのデータとも一致しない、未知の血液型。そして、生まれて三ヵ月後にはもう歩ける様になっていたという、異常な成長速度。それらを目の当たりにした人々は、こぞって「あれは生んではいけないものだったのだ」と口を揃えて言ったのだという。

 母が亡くなった六歳の時、自分はもう、並の大人など比べ物にならない程の身体能力を持つに至っていた。しかも、何の鍛錬も無しに、だ。髪は黒く染めたが、それでもやはり、明らかに自分は異常だったのだろう。親戚連中は誰も手を差し伸べる事はせず、金だけを出し合って、オレを施設に預ける事に決めた。

 そうして預けられたそこで、あいつと出会った。自分と同じく、特別な力を持つが故に人々に拒絶された、同い年の子供。名を黒瀬奏眞と言った。「難しい名前だね」と初めて会った時に言ったのを覚えている。二人はすぐに仲良くなった。
「セージ」と「ソーマ」。同じ傷を持つもの同士。
 だけど、二人の望みは違っていた。自分の望みは、いつかみんなに受け入れてもらう事。彼の望みは、自分を見捨てたもの達をいつか見返してやる事。その相違が二人の間を別つ事になったのは、当然と言えば当然とも言える。

 互いの転機となったのは、二人が十二歳になったその年。自分の前には光が現れ、彼の前には引き取りたいという人物が現れた。

 別れ際に自分たちが交わした言葉は、今でもハッキリと覚えている。

「あの人、オレに力をくれるらしいんだ。これでやっと、オレを見捨てた奴らに復讐できる」
「オレも力を貰ったよ。みんなに受け入れてもらう為に頑張ってみる」
「そっか。じゃあオレたち、いつか殺しあう事になるかも知れないね」

 どうして、ソーマの口からそんな言葉が出たのかは分からない。でも、もっと分からないのは、何故自分はそれに「そうだね」などと答えたのか、という事。

 きっと、予感があったのだ。自分たちは、近しい者にして、相容れぬもの。いつかは、敵同士となって命を奪い合う。そんな、確信じみた予感が。

「本当にこうなってしまったんだな、セージ。お前だけは、と心の何処かでは思っていたんだけどな」

 しかし、七年ぶりにあった彼の第一声は、こうだった。本当に哀しそうに、消え入るように漏れたその呟き。自分も同じ気持ちだった。けど、その気持ちより遥かに強い、「あれは自分が倒さなくてはいけない敵だ」という、心の何処かから湧いてくる感情に押し流されて、それは消えてしまった。そうして手に持つそれに光を籠めようとした時、傍らの男がそれを押し止めた。

「止めろ。ここで戦っても、何にもならない」

 それは、状況の全てを理解した上での発言だったのか。その男は、「ここは自分に任せて君はあの二人を助けに行け」などと口にした。

「さつきを――いや、世界を、頼む」

 守るべき全てを失ったその男は、恐らく自分の死に場所は此処だと悟って、それを口にしたのだと思う。オレはその意志―――いや、遺志と言うべきか―――に従う事にし、ソーマに言葉を掛ける事もせず、その場から駆けた。

 空想具現化という、質こそ違えど種は同じ力を扱うあの二人の戦いは、しかし結果は明らかだ。
 ソーマが後を追って来なかった事を思えば、あるいは足止めぐらいは出来たのかも知れない。だが、それが精一杯だろう。あの男では、いや、普通の人間では、あれには勝てはしない。

 残って共に戦うという選択肢も、無くはなかった。しかし、それは愚かな行為だろう。今の自分では、例えそうしてもソーマに勝てるとは思えないし、そうである以上、真人とさつきが危険に晒されるのだから。
 それが分かっていたから、柏原慶には殉職者となって貰ったのだ。非情な決断ではあるが、それが世界を守るという事なのであり、何より彼本人の意志だったのだから。



 ―――そうして、ここに逃げ帰ってきた。意外なことに全く傷を負っていなかった真人を連れ、二週間の間に色々な出来事があった、この屋敷へと帰ってきたのだ。

 閉じていた目を、ゆっくりと開けた。気配を探りやすい様にと上がった屋根の上には、何の光も降り注いでいない。あの満月の夜から二週間。ほぼ新月である今夜は、月明かりなど無いに等しい。
 眼下に広がるのは、真人との鍛錬の場となった、だだっ広い庭。脇には、堂々たる存在感を放つ、大きな柳の木が生えている。

 垂れ下がった葉に隠されたその根元。屋敷の中から漏れ出る明かりで微かに照らされたそこに、二人の姿がある事に気が付いた。

 二人は、あの町を失った事を、どう思っているのか。哀しみに暮れている様な素振りは見せないが、何とも思っていない筈はない。

 だが、それを慰めるのは自分の役目ではないだろう。深い哀しみを癒すことが出来るのは、それを理解しえる者。つまりそれは、二人にとってはそのお互いに他ならない。……悪く言えば、傷の舐め合い。しかし、あの二人にとっては、そうする事が唯一にして最高の手段だろう。

 ―――考えてみれば、最もうまく行ったのはあの二人の仲なのかも知れない。自分は、あの二人の絆こそが「悪」に対抗する最終手段と信じて、二人をいい方向に持っていこうとあれこれやってきた。気を利かせたり、時にはからかったり。
 しかし、それは本当に「悪」に対抗するためのものだったのか。本当は自分でも気付いていた。途中から、その目的が少しずつ変わってきた、と。

「悪」がどうとか、そんな事はあまり関係ない。あの二人には、そういう理屈抜きで、うまくいって欲しいと思うのだ。あるいは、余計なおせっかいかも知れない。放っておいても、問題なく二人はうまく行くのかもしれない。
 けど、放っておけない。何だか矛盾してるけど、そう感じさせる「何か」が、あの二人にはあると思う。

 ……あの二人は、一体何が特別なのだろう。何が、自分にそう思わせているのだろう。他の、街中を幸せそうに歩いている恋人たちと、何が違うと言うのだろうか。

 どうしても見つけなければいけない、「願い」。それが、その「何か」の中にある様な気がした。

  







   二十一  天野 さつき
 
 月明かりもほとんどない、夜の闇に落ちた庭。そこに居て、私は、一本の木を見上げていた。

 この庭で一番大きなそれは、確か、柳と呼ばれるものだったと思う。
 ……何となく、それがいとおしく感じられた。

「―――あんたは、どこへも行かないもんね」

 そっと、手で触れてみる。ひんやりとした樹木の感触が、手の平に気持ちよかった。

「だけど、あの人は違う。いつかは、私の前から居なくなっちゃう。……どうしてなんだろうね。ただ、傍に居てくれるだけでいいのに。それを彼に望むのは、贅沢なのかな」

 彼は今、何を想っているだろうか。きっと、私の事なんて考えてくれてはいないだろう。
 彼は、町の事を想っているに違いない。亡くした友人たち。あるいは、その中には彼の想い人も居たのかも知れない。

 ……そういえば、彼には恋人が居たのだろうか。そんな事すら、私は知らない。そういう話をした事なんて、一度もない。私はただ、ちょっと彼に近付けた様な気がして、一人で勝手に嬉しくなっていただけに過ぎない。

 滝の様に垂れ下がった柳の葉を、さらさらと夜風が撫でていく。まだ冬の色を残すそれが、少し肌寒い。こんな所に一人で居ても、哀しくなるだけかな。
 でも、彼と一緒に居たところで、それは変わらないと思う。だって、彼は私を見てくれない。私と彼は、相容れない存在なのだから―――。

「何してるんだ、こんな所で。風邪引くぞ」

 その時、不意に背後から声が掛けられた。

 それを聞いた時、やっぱり私の心は弾んだ。
 ……そっか、そうなんだ。いくら強がってみても、やっぱり私は、この声が聞きたかったんだ。

「そんな薄着で……寒かっただろ。ほら、これ着ろよ」

 そう言って、彼は私の肩に上着を掛けてくれた。冷えていた体に、暖かさが広がる。それと一緒に、何だか心まで満たされていく様な気がした。

「………ん。ありがと。正直、ちょっと寒かったかも」
「何してたんだ? こんなところで」
「ちょっと……ね。まあ、どうでもいいでしょ? 私がどこで何してようと、あんたには関係ないんだし」
「んな事ないって。俺、心配してたんだぞ。お前が落ち込んでるんじゃないかって」
「落ち込んでるのはあんたの方でしょ? 私は大丈夫だから、自分の心配しなさいよね」
「何だよ。そんな、心配するのが悪い事、みたいな言い方するなよ。んな事言うなら、俺だってもう大丈夫なんだから、お前もそんな事言うな」

 彼の言葉は、なんだか変。だけど、私の素直じゃない物言いにも、真っ直ぐ返してくれる。―――もう、いいや。いつか居なくなるとか、そんな事は、今は考えない。彼は今、目の前に居るんだから。今のうちに、伝えたい事を、口にしてしまおう。

「……ねえ、春樹くん。初めて会った時の事、覚えてる?」
「え――ああ、まあ一応は。親父が死んだ時だよな」
「あ……そっか、ごめん。春樹くんにとっては、あんましいい思い出じゃないのよね」

 私が言うと、彼は小さく首を捻った。

「ん。いや、別にそうでもないかな。ただ、なんかやたらと、あの時の天野の姿は印象に残ってるよ。弱々しくて、放っておけないっていうか――ホント、今とは大違いだよな」
「……何よそれ。今の私は、放っておいてもいいってこと?」
「はは、違うって。俺、今の天野の方が好きだぞ」
「えっ―――バ、バカ、何言ってんのよ」

 思わず、顔が熱くなった。彼がそういう事を言ってるんじゃないってのは、分かってるんだけど……

「―――? 何だよ、どうかしたのか?」
「何でもないっ。もうっ、なんか話が逸れちゃったじゃない。私はね、あの時何を話したか、あんたが覚えてるかどうか、それが訊きたかったの」
「え―――いや、すまん、そこまでは覚えてないな。天野は覚えてるのか?」
「……うん、まあね。でも、やっぱそうよね。五年前ちょっと話しただけなのに、それを今でもハッキリと思い出せるなんて、普通じゃない」

 また少し、強がってしまった。本当は、「覚えてる」って答えを、期待してたのに。

「最初ね、私はあんたを見て、「泣かないの?」って訊いたの。だって、あんたの顔を見ても、哀しんでる様には全然見えなかったから。そしたら春樹くん、何て答えたと思う?」
「……わりぃ、全然覚えてねえや。そうだな、大方、「俺は泣くわけにはいかないんだ」とか、そんな事言ったんじゃないのか?」
「ううん、違う。あんたは私を見て、「泣いた方がいいと思う?」って言ってきたのよ。思わず驚いちゃった。何でそんな事訊くのかなって」

 また、冷たい夜風が吹き付けてくる。けど、彼の上着のおかげかさっきほど寒いとは感じることはなく、むしろ火照った頬に心地いいとすら感じた。

「それで、何て言ったらいいか分からなくて困ってたら、「俺は、泣かない方がいいと思う。だから泣かないんだ」って、春樹くんはそう付け加えた。その時は、それだけ。もっと話したかったけど、それ以上言葉が出てこなかった」
「へえ……俺、そんな事言ったのか。よく覚えてたな、天野。俺、なんか全然記憶にないや。何か、違う人の話みたいだ」
「うん。私も、自分で不思議なぐらい。何でそんなにハッキリ覚えてるのかなって」

 違う、そうじゃない。どうして覚えてたかなんて、本当は分かってるのに。

「……多分ね、私、あんたが羨ましかったの。あの頃の私って、ずっと泣いてばかりだったから。ああいうふうになりたいなって、憧れたんだと思う」
「え――いや、そんないいモンじゃないって」

 彼は、照れたように鼻の頭を掻いている。
 ……彼は、今の私が好きだと言ってくれた。それはきっと、私の想いとは少し違うと思う。けど、それでもいい。彼が少しでも私に好意を抱いてくれているなら、そんなに嬉しい事はない。
 今のままでいい。ただの友達のままでいいから、彼の傍に居たい。このまま、時が止まってしまえばいいのに。

「……私の大切な人ってね、いつもどこかに行っちゃうの」
「―――え?」

 春樹くん。少し、弱音を吐いても、いいかな。

「小さい頃から、そう。私が「傍に居て欲しい」って思う人は、いつも突然居なくなっちゃう。それがずっとだから、なんだかもう、それが当たり前になっちゃった」
「何だよそれ。そんなの―――」
「でも、しょうがないのかなって、最近は思うようになった。だって、人は移り変わっていくものだものね。私は、その中で、たまたま取り残されているだけ。……でも、どうしてなんだろうね。一人ぐらい、私の傍に留まってくれる人が居てもいいのに……」

 今日が新月で、よかった。今の私、きっと情けない顔してると思う。……私、彼にこんな話をして、どういうつもりなんだろう。一体、何を期待して―――

「―――俺は」
「え?」
「俺は、意味もなく居なくなったりしない。お前がどっかに行ってしまわない限り、お前の前から消えたりはしないぞ」

 ……何だか、変。こんなの、ただの友達に過ぎない私達が交わす言葉じゃないと思う。

 何となく、夜空を見上げてみる。

 それは、本当に思わず息を呑むほどに美しい光景だった。
 散りばめられた宝石のよう、っていうのはよく聞くいい方だけど、今日の夜空には本当にそんな言葉が相応しい気がした。

 月明かりの無い空に淡い煌き放つ、青白い星々。それは幻想的とも言える光景で、もしかしてこれは夢じゃないかな、とすら疑いたくなった。

「ホントに? 春樹くん」
「なんだよ、そんなの当たり前じゃないか。俺たち、別に嫌い合ってる訳じゃないだろ? だったら、なんで意味も無く消えたりする必要があるんだよ」

 彼は、何も特別な事を言っているワケじゃないのかも知れない。けど、それは私にとって、これ以上ない、特別な言葉。
 ―――そう。まるで、夢のような。

「いいの? そんな事言われたら、私、勘違いしちゃうよ」
「勘違いって何だ。俺は、思った事をそのまま言ってるだけだぞ」

 ……もう、バカ。そんな、余計に胸が一杯になるようなコト、言わないでよ。

「春樹くん……」
「な、何だよ。俺、別に―――」

 じっと彼の瞳を見つめる私に、彼は照れたように視線を逸らす。その仕草は本当に彼らしくて、余計に愛しさが募った。
 ……きっと、こういうのを「幸せ」と言うんだと思う。今は、他に何も要らない。ただ、この瞬間が永遠に続いてくれたら―――

「―――悪いけど、ラブシーンはそこで終わりだ」

 けど。いきなり頭上から降ってきたそいつのせいで、その雰囲気はぶち壊しになってしまった。

「うわっ! お、お前、どこから降ってきやがったんだ?!」
「そんな事気にしてる場合か。……さつき、真人の事で頭が一杯かも知れないけど、今ならお前も感じるだろ? ―――来たぞ、奴らが」
「えっ―――?」

 急に現実に引き戻された頭を、必死に働かせる。それで、初めて気が付いた。確かに、「あれ」の存在を近くに感じる。そして、それは間違いなく、ここを目指しているようだった。

「来たぞって―――何なんだ、その予測してたみたいな言い方は」
「「みたい」じゃない。こうなることは分かりきってた事だ」
「な――なんでだよ。ここを襲って、あいつらに何の得があるってんだ」
「……説明してる暇はない。オレが打って出る。お前はここで、何としてでもさつきを守り通せ」

 何だか上の空の私を放っておいて、事態は急展開を迎えているらしい。セイジの姿は、一瞬で闇に消えて行った。
 ……私も、呆けてる場合じゃないか。よく分からないけど、とにかく何とかしないと。

「春樹くん」
「―――分かってる。呆けてる場合じゃないよな」

 あの闇を感じ取った私の心は、しかし前の様な恐怖は映さない。だって、彼は言ってくれたんだから。「ずっと傍に居る」って。なら、恐れることなど、何もありはしない。

 ―――私、信じるからね、春樹くん。
 黒い剣を携える彼の背中に、心の中で、そう呟いた。



   二十二  元靖 聖司

 事態は、思いつく限りで最悪の方向に動いている。
 自分はまだ「願い」を見つけられていないし、そうである以上まだ彼に「ユートピア」を託す訳にもいかない。

「う――ぐっ……」

 さらに悪いことには、奴らが襲ってくるタイミングもこれ以上無く最悪だ。この体には、既に「あれ」が始まっている。屋敷から離れたのは、この醜態を二人に見せないようにする為でもあった。

「……何だか勝手に苦しそうだな、セージ」

 勝ち誇ったように、ソーマは平伏すように屈み込んだオレを見下ろした。

「お前は手を出すな。先に行っていろ」
「ふん。そいつは貴様の獲物と言うわけか。―――よかろう。だが、それならば私も、私のやり方でやらせて貰うぞ」
「好きにしろ。だが、目的に背くことは許さんからな」

 闇に染まった男二人が話しているのが聞こえる。その一方、住吉辰巳が屋敷へと向かっていくのが見えたが、それを止める事は出来なかった。

「―――力の反動。酷くなっているだろうとは思っていたけど、まさか、それほどとはな。正直、がっかりしたよ。オレとお前は、どうあっても決着をつけないといけない様に出来ているとばかり思っていたんだけど」

 一人となったソーマは、最早勝ちを確信し、芝居がかった身振りで話し始めた。

「何故……くっ、二人だけで、来た。モノたちは……どうしたんだ」
「ん? なに言ってんだよ、セージ。あんなの、町と一緒に焼き払ったに決まってるじゃないか。あいつらの役目は、「門」と「鍵」を探し出す事。その両方が果たされた今となっては、ただの邪魔な荷物に過ぎないんだから」

 オレの問いに以前と何も変わらない口調で口にしたその答えは、しかし以前とは違った狂気に満ちており、やはりこいつは本気だと悟らされた。

「―――思えば、オレたちは本当に正反対の道を歩んできたんだな。光と闇。希望と絶望。生と死。敵同士とはいえ、ここまで求めるものが正反対な二人というのはなかなか居ないだろうな」

 今すぐにでも斬り掛かりたかったが、体が動いてくれない。……どうやら、選択を間違えたか。今日のこれが、ここまで酷いとは思っていなかった。こらなら、一縷の望みに賭けて、「ユートピア」を真人に渡しておくべきだった。

「幼馴染の好みだ。敢えて、今止めを刺す事はしない。世界が滅亡していくのを、じっくりと見ているがいいさ」
「ぐっ……待、て……」

 最早全く動けないオレを尻目に、ソーマは屋敷へと向かっていく。
 ……何も出来ない。全て、あいつの計算尽くだというのか。―――完全に、オレの負けだというのか。

「く――そ――」

 最後の最後で、この体はオレを裏切った。ここで何も出来なくては、今までやってきた事が全て無駄になるではないか。
 ―――いや。全ては、「願い」を見つけられなかったこのオレの責任。それを体のせいにするのは、ただの責任逃れに過ぎない。

「く……すまん―――真人、さつき―――」

 どさり、と倒れこんだ。次に気が付いた時に、まだこの世界が存在しているかどうか。後は、「切り札」次第だ。もしそれが効いていれば、まだもう一度だけチャンスが巡ってくる可能性がある。

 ―――考えられたのは、そこまで。
 全身に広がった麻痺させる様な痛みに、全ての感覚が失われた。



   二十三  天野 さつき

「――――」
「…………」

 それが現れて、どの位の時間が経っただろうか。対峙する二つの影には、未だに動きはない。

 そういえば、塔子に聞いた事がある。本当に優れた者同士の戦いには、「打ち合い」など存在しないのだ、と。

 鬩ぎ合いは、その内世界に。ぶつかり合うのは、互いの精神のみ。
 ―――そして、勝負は、「一の太刀」によって決される。

「守護者」の間では半ば伝説と化している男、住吉辰巳。彼がその「本当に優れた者」に当てはまるというのは、ごく当然の事だろう。

 しかし。それと対峙している相手。私の想い人である彼がその域に達しているというのは、信じられない話だ。何しろ、彼は二週間ほど前までは、何の力も持たない人間だったのだから。

 にも関わらず、目の前の状況が示しているのは、間違いなくそういう事実だ。見ていて、息が詰まる。互いの精神が、今正に鬩ぎ合っているのが、ここからでも分かるのだ。

 二人の力は、拮抗している。それは明らかだ。
 ―――なら、私に何かが出来れば。私に、少しでも彼の助けになる事が出来たなら、状況は彼の方に傾くに違いないだろう。

 私に、何が出来るだろうか。気を逸らすとか、そういうのではきっと効果はない。私が出来る事の中で、あれに効果を示す可能性があるとすれば、ただ一つ。「悪」を切り離す、あの方法だけだ。
 彼と対峙しているあれは、今までそれを実践してきたモノたちとは確実に違っている。より深くに根ざしたあの男の「悪」を切り離すのは、きっと普通では不可能だろう。

 だけど、私には出来るのだ。あれと同種の存在である、私には。
 彼の言葉を聞いた今では、それを受け入れてしまう事すら、怖くない。今や、私の力は最高潮と言える。だから、きっと出来るに違いないと確信した。

 恐らく、元々優れた魔力の使い手であったというのなら、「悪」を切り離しただけでは崩れ落ちはしない。自らの力で、何とか持ちこたえるだろう。
 ……けど、それで充分。私の役目は、敵に隙を作る事。あれに止めを刺すのは、そもそも彼の役目なのだから。

「――――」

 ゆっくりと目を閉じ、集中する。彼との対峙にその全てを向けているあれは、これに気付くことはないだろう。

 彼を、助けたい。その思いと共に練り上げたそれは、静かに、その対象へと放たれた。




   二十四  春樹 真人

 静かだ。とても静かだ。

 周囲が、ではない。
 静寂に満ちているのは、恐らく自分の心。何も浮かんでこない。今、正にあの男と対峙しているというのに、何も感じない。気負いや迷い、そして恐怖。本来浮かんでくる筈のそれらは一切排除され、まるでこの心は虚無な空間に支配されたかのようだった。

 反対に、外に向けられた感覚は信じられない程に研ぎ澄まされている。
 目はこの暗闇の中でも完全に相手を捉えており、その一挙一動も見逃さない。
 耳は僅かな物音も聞き逃さず、離れた位置で対峙するあの男の呼吸すら聞き取れる気がした。
 体に吹き付けるこの少し肌寒い夜風はあの男も感じているに違いなく、何となく、自分とあの男には大した違いはないのではないかという気がした。

 ―――なるほど。今まで俺は、「受け入れる」という事を勘違いしていたらしい。今まで自分がやってきた事は、事実を目に映す、という事だけ。それでは、「受け入れる」という事にはなっていなかった。真に「受け入れる」には、それを心に映さなくてはいけない。心に映し、心でそれを理解してこそ、本当の意味で「受け入れた」と言えるのだ。

 その為には、心を無にしなくてはいけない。今まではそれが出来ていなかったのだから、それに気が付けなかったのは当然と言える。

 モノたちと戦っている時は、覚悟が足りなかった。既に意識を呑まれているとはいえ、本当に自分にはこれらを殺す権利があるのか。その迷いを断ち切れず、常にモヤモヤしていた。
 一度目に、この男と対峙した時。―――いや、対峙などとは呼べまい。あれは、呑まれていただけだ。この男の放つ、「悪」の力が混ざった異様な殺気に恐れを抱き、体すら思うように動かせなかった。そんな状態で心を無にするなど、不可能だろう。
 二度目、つまりあの燃え盛る町での一件の事は言うまでもない。あの時の自分を支配していたのは、失った哀しみと、何故敵が彼女を狙ってくるのかという戸惑い。心は、無とは程遠い状態だっただろう。

 だが、今はそのどれとも違っている。確かに、敵は何故ここを襲撃する必要があるのか、だとか気になる事は無いでもない。―――しかし。この男は言ったのだ。

「ようやく、お前との戦いのみに集中できる舞台が用意された。他の事は、今は全て余分だ」

 その言葉の真偽を疑うほど、俺の心は腐ってはいない。剣にのみ生きたという男が、そう言ったのだ。ならば、それに疑う余地など有りはしない。
 そう。自分は、あの男を心で理解した。ならばこそ、こちらもこの戦いのみに意識を傾けられるのだ。

 それ以外何も映さない心で、男に語りかける。

 ―――ようやく分かったよ。あんたが望んだのは、こういうものだったんだな。俺にも、少し分かる気がするよ。確かに心地良いな、これは。

 そうして、男が少し笑った気がした、その時だ。

「な―――っ」

 一転して、男が驚きを漏らした。その姿を包んでいた黒いものが、取り払われていく。
 その理由は知らない。だが、この様な好機をみすみす見逃す程、この俺は間抜けではない。

 詰めるは、一瞬。約十メートルの距離を瞬時にして跳躍し、そのまま男の体を袈裟斬りに薙ぎ払った。

「ぐっ―――」

 返り血は飛ばない。この黒い剣はその体を切断する程に深く切り裂いたというのに、やはりそこからは何も流れ出たりはしなかった。

 ……だが。その傷は、もはやどの様な力でも癒される事はないだろう。男の体は、今まで俺たちが戦ってきたモノ達と同様、砂の様に崩れ落ちるに違いない。

「―――見事だ、少年よ」

 それ程の傷を負ってなお、男――住吉辰巳の顔には、苦しみは浮かばなかった。

「安心しろ。勝負に水を差されたとは言わぬぞ。あの女を「戦力」として見ていなかった、私の失点だ」

 もはや、痛みという感覚は存在していなかったのか。笑みすら浮かべたその姿は、しかし、足元からゆっくりと崩れ落ちていく。

「……砂になる、か。結局、私もモノ共と変わらぬ存在だったという訳だな」

 思い残すことは何も無いのか、自嘲めいた笑いを浮かべるその顔からは、死に行く事への恐れも無念も浮かんでいない。しかしまた、自分の命はここまでだ、と正面から受け止めている顔でもあった。

「最期に、名前を教えてくれぬか、少年よ」

 死に行く者の声とは思えないしっかりとした響きで、それは自身を殺した相手に語りかける。俺からは何も語らないつもりだったけど、答えずには居られなかった。

「……春樹真人、だ」

 そうして、その名前を口にした瞬間。何故か、男は目を見開いて吃驚した。

「―――なんと。まさか、この様な皮肉があろうとはな」
「何だ、俺の名前がどうかしたのか?」
「……いや。定め、だな。その様な言葉は好かぬが、これではそういう言い方をせざるを得まい」
「おい、聞いてるのか。何だってんだよ」

 意味が分からなくて思わず問いを繰り返したが、それに答えが返されることはなかった。
 ―――ただ。

「感謝するぞ、春樹よ。貴様のおかげで、わが生涯はその最期まで意義のあるものとなった」

 住吉辰巳という男の最期の言葉となったそれは、春樹真人にではなく、ここには居ない他の誰かに向けられていた様な、気がした。

「――――」

 男が崩れ落ちていく様を最後まで見届けた後、大きく息を吐いた。
 思えば、自らの意識を持った者をこの手にかけるのは、これが初めてか。小さく、黒い剣を握り締めた手が震えているが、それ程の感慨は浮かばない。それはきっと、あまりにもこの男の最期が潔かったからだと思う。

「…………」

 立ち上がって、視線を上げる。そうすると、ようやく意識の外に追いやっていたその他の事が頭に戻ってきて、それでようやく思い出した。
 そっか、さっきのは天野の―――

「っ! ――――春樹くん!」

 そうして、お礼でも言おうかと思って振り返ろうとした、その刹那。悲痛とも言える彼女の叫びが響き渡ったのと、同時に。

「え―――?」

 ずぶり、と嫌な音が、自分の腹から、聞こえた。

「ぐっ……?!」

 焼け付くような痛みがやってきたのは、その後だ。何とか意識を繋ぎとめて視線を落とすと、何か、角の様なものが、自分の腹から生えていた。
 ……いや、違うか。これは、何か、太い刃物のような物で、体を背中から串刺しにされたのだ。

「か――はっ――」

 血を吐いた。腹に刺さった物が引き抜かれるのを感じるのと同時に、がくりと膝が折れて、そのままうつ伏せに倒れこんだ。

「お前の事は、まったくの度外視していたんだけどな。まさか、あの男を倒す程の奴だとは思ってもみなかった」

 こうして地面に倒れこむのは、二度目。一度目は、天野を助けようと飛び出した、あの夜。けどこれは、あの時とは何もかもが違っている。左手にはしっかりと籠手が着けられているのに、全く効果を示していない。むしろ、痛みは増すばかりだ。
 それだけではない。どくどくと流れ出す血と一緒に、本質的に自分を形成しているもの、恐らく魂と呼ばれるものが抜け落ちていく気がする。傷そのものはあの夜に負ったものの方が酷かったというのに、今自分に迫り来る死は、明らかにあの夜よりも確かな存在だった。

「あいつの死体を拾って、五年。丁度、そろそろ邪魔になってきてた所だったんだ。わざわざ始末する手間が省けたよ。敢えて腹を刺したのは、その感謝の気持ちさ。どっちみち死ぬのには変わりないけど、それなら何とかこの世にお別れするぐらいのヒマはあるだろう?」

 ……それを、受け入れる訳にはいかない。それは分かっている。いつか聖司が言っていた、「何でもかんでも受け入れるな」というのは、こういう事だろう。

 ―――聖司? そういえば、あいつはどうしたんだ。そもそも、俺の腹を刺したこいつは誰だ。なんで俺は、何の気配も感じないままに、いきなり後ろから刺されたりしたんだ?

「ウソでしょ、春樹くん! いや……お願い、答えてよ!」

 彼女の声が、近くから聞こえる。どうやら、いつの間にか走り寄って来たってことか。

 ―――よせよ。逃げてくれ、天野。

 今回も、それを口に出来なかった。
 俺は、この二週間、一体何をやってきたのか。これでは、あの時と何も変わらないではないか。彼女を守ろうとして、結局今回もまたそれを果たせないというのか。

 立ち上がろうとしても、全く力が入らない。

 ……俺は、無力だ。だから、頼む天野。こんな俺に構わず、逃げてくれ。俺なんて、死んでも構わないから。お前は、お前だけは―――

 薄れ行く意識の中、ただ彼女の事だけを案じ続けた。




 

代理人の感想

ソーマとかセージとかいうとサムライ○ルーパーみたいだな、とふと思ったり(核爆)。

 

それはともかく、大シリアス、大ピンチ、大ハードとクライマックスの予感。

しかしですね主人公。

捕らわれの姫を助け出すのは勇敢な騎士の使命ですよ?

では、次回に期待してサヨナラ、サヨナラ。