二十五  元靖 聖司

 奇跡的に、自分はどうやら三十分程で意識を取り戻したらしかった。
 そして、まずは世界がまだ破壊されていない事に安堵した。

 急いで屋敷に戻ると、そこには腹を貫かれて倒れ伏している真人しか人影はなかった。彼にはまだ微かに息があったので、急いで治療に当たった。

 ―――それが、今の自分に出来る全てだった。無力感に打ちひしがれながら、しかし、その中で、自分は一つのヒントを得た。

 真人とさつきには一緒に居て貰いたい。その思いが破られた事に悔いる一方で、自分自身、彼女が奪われた事が許せないと感じている事に気が付いたのだ。
 決して、彼女に対して恋愛感情などは持っていない。それは、何と表現すればいいのか分からない。だが、真人が倒れ伏しているのを見つけた時にも、同じ様なものが湧き上がって来たと思う。そうして、彼にまだ息があるのを確認した時、心底ほっとした。

 ―――思えば。以前にも、その感情を抱いた事があった。それはきっと、一言で現わすことはできない。寂しさ。哀しさ。虚しさ。いくつもの感情が合わさった、なんとも言えない複雑な思いだ。
 それは、自分だけが持つ感情では決してないだろう。真人も、連れ去られたさつきも―――いや、人ならば誰しもが、持つ感情ではないだろうか。

「くっ―――」

 しかし。いくら考えてみても、痛みに邪魔されて考えが纏まらない。
 真人は、彼の部屋に寝かせてある。もう完全に傷は塞がった。もう少し待てば、気が付くだろう。その時までに、自分は喉元まで出掛かっているこの「何か」の答えを出さないといけないというのに。

「かっ―――く、そ……遂に限界、って訳かよ」

 少し夜の闇が白けてきた空の下で、一人、呻いた。時刻は、もう午前六時。
 本来ならば、もう痛みは治まっていないとおかしい時間だ。それがまだ続いているという事は―――まあ、つまりはそういう事なのだろう。

 人間が持つには、あまりにも分不相応な力。殆ど傷すら負うことの無い圧倒的なそれの代償が死であるというのは、本当によく出来た皮肉だと思う。
 そうして、痛みに歪む顔に、自嘲めいた笑みを浮かべた、そこへ。

「―――え、おい! どうしたんだよ、聖司!」

 今は、出来れば聞きたくなかったその声が、背中ごしに掛けられた。

 ―――ち。起きるタイミングわりぃんだよ、真人。

「気にすんな。ちょっと、傷が痛むだけだ」

 心の中で毒づきながら、出来るだけいつもと変わらない口調で口にした。もちろん、それはただの強がりに過ぎないのだが。

 いわば、これは彼が負っていた傷よりも確かな致命傷。
 ―――持って、後一日。それが、この元靖聖司の寿命だろう。

「傷って……んなモン、どこに―――」
「気にするなって言ってる。それより、そんな事を訊きに来たんじゃないだろ? さつきがどうなったのか、それを訊きに来たんじゃないのか」

 真人に振り向いて、顔に強引な笑みを張り付かせる。
 限界だとはいえ、痛みの質そのものはいつもとそう変わらない。動けはしないが、外見だけを取り繕って見せるのはそう難しい事ではなかった。

 これの原因は、もちろん「ユートピア」などではない。あれは信じる心の光、つまり人が本来持っている力であり、だからあれが体を痛めつけるなどという事は有り得ない。
 これは、この体に宿る力そのものの影響だ。これは本来人が持ち得る力ではなく、この体もそれに耐え切れる様には出来ていない。結果として、オレはこういう状態になっているというわけだ。

「それはそうなんだけど……」と、まだ何かを言おうとする真人を、きっ、と視線で遮った。こいつに、オレの事情を教える訳にはいかない。もしそんな事をすれば、こいつは戦う事に躊躇いを覚えてしまうだろう。

「……分かった。お前の事は訊かない。それで、さつきはどうなったんだ。なんであいつらは、さつきを狙っていたんだ」
「さつきは、あいつら―――と言っても、もう当事者はソーマしか居ないのか。とにかく、敵に攫われた。……安心しろ、あいつはさつきを殺しはしない」

 これは、戦いから外れれば済むという問題ではない。
 力のせいだ、という言い方をしたが、オレ本来の力というのは、実は今まで一度も使った事はない。いや、使えなかったのだ。それを開放するには、一つの「人々に望む願い」が必要だ。それは幼心に抱いた「みんなに受け入れてもらいたい」という様な身勝手な願いでは駄目で、「神」の力を司るものに相応しい、思いやりや慈しみに満ちた願いでなくてはいけない。

 しかし、今の自分は、それをまだ見つけられていない。つまり、今まで使ってきた力というのは、意識しなくても体を流れているものに拠るもの、いわば蓋をしていても漏れ出てくるような感じの代物に過ぎない。そのせいで、自分は幼い頃から異常な身体能力を持つに至っていた訳だ。

「それは分かった。でも、なんで敵はさつきを狙っていたんだ。何の理由で、あいつはさつきを攫ったりしたんだ」
「言わないと分からないか? 「門」を既に手に入れたあいつが次に欲しがる物なんて、一つしかないだろう」

 ちなみに言っておくと、力を解放できればオレの寿命は延びるか、というと、決してそんな事もない。むしろ、逆だ。力の解放を行えば、そこでこの命は尽きる。今だから、という問題ではなく、もっと早くに行っていてもきっとそうなっていただろう。
 それは恐らく、歯止めの意味なのだ。オレが、力を悪用しようと考えないように考え出された、本当にうまく出来た留め金だと思う。

「……さつきが、「鍵」だ、って言いたいのか」
「そういう事だ。実はな、オレには最初から分かっていた。さつきが「協力者」の一人に選ばれたのは、そういう理由だったんだからな」

 ―――まあ、愚痴を言っても仕方がない。死などというものは、最初から覚悟の上だ。今自分がしなければいけないのは、「願い」を見つける事。そして、この少年を「信じるべき真実」へと導くこと。

「―――何でだよ。なんでそんな大事な事、今まで黙ってたんだ。さつき自身に話せなかったのは、分かる。でも、何で俺に話してくれなかったんだ! もし知ってたなら、もっと―――」
「お前に、さつきを違う目で見て欲しくなかったんだ。だって、それを話せばお前は訊くだろう? 「なんであいつが「鍵」なんだ」って。それをお前に話すのは、出来るだけ先延ばしにしたかったんだ。お前たちの間に、確固たる絆が出来るまで、な」

 厳しい口調で詰め寄る真人に、諭すように答える。
 どうやら、隠しておくのはここが限界か。今なら、もうこの程度でこいつと彼女との間に亀裂が入ることはない、と信じよう。

「なんだよそれ。確かにその理由は気になるけど、どうしてそこで俺とあいつの関係の話が出てくるんだ」
「まあ、落ち着けよ。……お前、この事態のそもそもの発端って、何だか分かるか?」

 敢えて回りくどい言い方をしたのは、彼がきっと勘違いをしていると思ったからだ。
 そうして、やはり彼はオレの思った通りの答えを返した。

「黒瀬奏眞ってやつが、「悪」を欲しがったからだろ? それぐらい、覚えて―――」
「いや、違うんだ。オレ、確か教えたよな。あいつが操っているのは、ある別の男から与えられた力だって。つまり、あいつに力を与えたその男こそ、そもそもの元凶だと思わないか?」

 その事についてはすっかり失念していたのか、オレの言葉に彼は「む……」と唸った。

「……言われてみれば、確かにそうだけど。それと、今の話と、何の関係があるんだ?」
「関係大有りだ。その男の名前は、天野源治。さつきの、父親なんだからな」
「なっ―――」
「お前らには話してなかったけど、実はオレとソーマ……いや、黒瀬奏眞は、同じ孤児院の出身なんだ。で、オレ達が十二歳になった頃、突然、あいつを引き取りたいと言う人が現れた。もう言わなくても分かると思うけど、それが天野源治――さつきの、父親だったんだ。きっと、あいつが特殊な力を持っていたから、目を付けられたんだと思う」

 驚愕に表情を歪ませる彼に、説明口調で淡々と語る。
 そこには、出来るだけ彼を落ち着かせようという意図もあったが、何より、どんな感情を籠めて話せばいいのか分からないというのが正直なところだった。

「―――そんな。じゃあ、あいつとさつきは、義理とは言え、家族だってのか?」
「いや。天野源治が子供を引き取りに来たのは、そもそも娘が家出して行方不明になったからだと聞いた。それからさつきが家に戻っていないとすれば、二人には顔を合わせる機会は無かったはずだ。―――とにかく、そうして貰われていった天野の家で、あいつは力を受け取ったというわけだ。ここまでは分かったな?」

 言うと、彼は、戸惑いを見せつつも小さく頷いた。

「―――ああ。けど、なんで天野の父親がそんな力を持ってたんだ?」
「そう。それがお前らにとって問題なんだ。天野源治が「悪」の力を持っていたのは、生まれつきだ。聞く所によれば、天野の家系には正体不明の人外のモノである血が受け継がれているんだそうだ。それこそが天野源治が力を持って生まれた理由であり、さつきが「鍵」となった理由でもある」
「……人外のものって、何なんだそれ」
「さすがに、そこまでは分からない。けど、そういうモノが受け継がれているのだけは確かだ。天野源治が力を解放すれば、その姿は異形のモノに変貌するという話だからな」
「…………」

 さて。果たして、真人はどういう言葉を次に発するのか。それに世界の存亡が掛かっていると言っても、過言ではない。

「そうか……あいつ、それであんな顔を……」
「ああ、そうだろうな。あいつら――「悪」に染まった者たちは自分と同種だと感じて、それを認めるのが怖かったんだろうな、きっと。それを認めてしまえば、お前に拒絶されてしまう。多分、そう思ってたんだろ」
「――――」

 再び、黙りこくる真人。しかし、その表情に浮かんでいるものは、戸惑いと言うよりは怒りに近いものだった。

「―――馬鹿か、あいつ」

 その怒りは、きっと彼女自身に。彼が何より守りたい存在に向けられているに違いない。

「そんな事、関係ある訳ないだろ。俺はただ、あいつにあいつらしく居て欲しかっただけだ。あいつにどんな血が流れていようと、そんなの関係ない。ただ、あいつらしいあいつが居て、そこに聖司も居て、そんな時間が楽しくて、だからそれを守りたかっただけなのに―――」

 彼が発したその言葉は、オレにとって少し意外なものだった。

 ……三人で居る時間を、守りたかった?
 それは、楽しかったから? 幸せだったから? 
 きっとそうだ。確かにあれは笑えた。いつまでもこれが続けばいいな、と有り得ない事を思わず願ってしまった事もあった。そんなの、孤児院で暮らしてた時以来だったと思う。

 ―――ああ、なんだ。つまりは、そういう事か。

「そうだな。オレも、そう思う」

 それに気が付いた瞬間、全てに光明が射した。自分が今まで歩んできた道。これから、歩むべき道。それが全て、眩い光に包まれていた。

 立ち上がる。体を襲っていた痛みは、まるでそれが初めから無かったかの様に消え去っていた。

「え―――なんだ、もう傷はいいのか?」
「ああ。てか、最初から気にする事もなかったみたいだ。お前の方は、もういいのか?」
「完全だよ、とっくにな。……早く行こう。今すぐ助け出して、あいつに一言言ってやらないと気が済まない」
「そうだな。すぐにでも出発するぞ」

 長かった夜が明け、顔を出し始めた太陽が空をゆっくりと照らし出す。その様は、まるで今のオレの心をそのまま映し出している様でもあった。






   二十六  天野 さつき

 正直に言うと、「鍵」というのが何なのかというのは、なんとなく分かっていた。だから、この男からそれを告げられた時も、この心にはそれほど衝撃は走らなかった。

「もう諦めろ。お前の男は、もう死んだんだからな」

 ……けど、イライラする。
 何なのよ、マジで気に入らない。春樹くんを「お前の男」とか呼んでる事も気に入らないし、勝手に彼がもう死んだことにしてるのはもっと気に入らない。
 それと―――

「あんたさぁ、いい加減、これ外してくれない? 女の子を縛り付けにするなんて、どういう趣味してんのよ」
「―――ふん。あれだけ暴れまわっておいて、よくそんな事が言えたものだな」

 精一杯の怒りを込めて言うと、そいつは呆れた様に肩を竦めて、余計に私の心を苛立たせてくれた。

「あんた、縛り付けにされた女の子相手にそんな余裕かまして、満足してるワケ? どっかおかしいんじゃないの?」
「……全く、気丈なものだ。一体何を支えにしているというんだ。もう諦めて、「悪」を受け入れろ。そうした方が楽だぞ? あの男は死に、セージはオレに敵わないと来てる。お前には、希望などもう一つも残されていないんだからな」
「余計なお世話。大体あんた、何様のつもりなのよ。さっきから黙って聞いてれば、好き放題言ってくれちゃって。彼は、私を放って死んだりはしないわ。きっと今頃、セイジと一緒にここへ向かってるに違いないんだから」

 そう。だって、彼は言ってくれたんだから。どこへも行かない、って。私の心は、それを確信している、ハズだった。
 ―――でも。私が言うと、そいつは「ふむ」とか呟いた後、

「よかろう。では仮にあの男が生きていたとして、彼はお前を助けに来るだろうかな?」

 何か、背筋が寒くなるような笑みを浮かべた。全てを見透かしているかの様な、そんな笑み。

「え―――っ?」
「セージは、全てを知っている。お前が「鍵」である事はもちろん、何故お前がそうなのか、天野家の事も含めて、全てだ。今頃、それをあの男にも話しているだろう。何故お前が攫われたのか、疑問に思わない筈はないからな。あの男はそれを―――お前が人外の血を引くものだと知って、果たしてどう思うかな? 普通なら、助けには来ないだろうな。そんな気味の悪い女に敢えて関わろうとする男なんて、居るとは思えない」
「それは……」

 確かに、それは私が一番恐れていた事。だけど、そんな事ない。きっと、彼は来てくれる。だって、彼は―――

「お前とあの男との関係は知らん。だが、あの男は、お前に同情していただけではないのか? 源治から聞いたぞ、お前の事を。お前はずっと、一人だったそうじゃないか。そんなお前を見て、あの人の良さそうな男は、ただ同情していただけなのではないか?」
「違う! 彼は、そんな―――」
「それに、だ。所詮、人間とは自分の身を一番重んじる生き物。お前がこの期に及んで尚助けを望んでいる事こそが、それの証明だろう。ならば、そもそも命を賭けて助けに来るなどという行為そのものが、矛盾しているのではないか? もし真にお前があの男を案じているのなら、「来るな」と望む事こそが正しい行為だとは思わないか? お前の望みは、あの男に「死ね」と命じているのと同じ事ではないか?」
「―――……」

 芝居がかった大仰な口調で語られるその言葉に、私は何も返せなかった。

 だって、その通りだから。
 思えば、いつもそうだった。私は、自分の事だけを、自分が一人になりたくないという事だけを考えて、彼自身の事など気にもしていなかった。求めるばっかりで、自分からは何も与えようとしなかったのだ。

 そんなの、自分勝手すぎる。彼に助けてもらう権利なんて、私には無いのかも知れない。

 暗い恐れに苛まれる私に、男は更に追い討ちをかけてくる。

「もう一つある。お前は、源治の事を忘れてはいないか? もし仮にオレの下から逃げ出せたとして、あれがそれを傍観している筈はないだろう。あれは、必ずお前の男を殺しに来る。お前に近付く全ての者が、あれの標的なのだからな」

 父が、彼を、殺す?

「考えてもみろ。お前に近しき者で、生きている者が何処に居る? 全て、あれによって排除されているだろう? そもそも、あれの下を離れたのが間違いだったのだ。大人しく、あれの所有物として生きていれば、それほど哀しい思いはせずに済んだものを」

 ―――そうだ。みんな私の前から消えてしまうと思っていたけど、事実はそんなに生易しいものではなかったのだ。

 思い出したくない。思い出したくないけど、頭に浮かんでしまう。

 乳母であった人。家庭教師の先生。その他にも、幼い頃の私が「一緒に居たい」と願った存在は、たくさん居た。
 ―――けど。それらは、全て。異形のモノと化した父によって命を奪われ、その食料となっていたではないか。私は、「やめて」と口にする事も出来ず、情けなくガタガタ震えながら、それでもその様子をしっかりと目にしていたではないか。

 私は、異形の子。外に踏み出してはいけなかった。彼と、いや、人と共に暮らすことが許される存在では、なかったのだ。

「ようやく、理解したか。では、降臨を始めるとしよう」

 でも。
 知らず、私の瞳から、涙が零れ落ちるのを感じた。

 ―――嫌だ。そんなの、嫌だ。もう彼に会えないなんて、そんなの耐えられない。
 彼は、どこへも行かない、と言ってくれた。あの言葉は、ただの同情なんかじゃなかった。なのに、どうして彼と別れないといけないのか。

 一目だけでいい。彼の姿を、もう一度見たい。一言だけでいい。彼の声を、もう一度聞きたい。
 許されなくてもいい。私の事、嫌いになってもいいから。

 ―――だから、お願い、春樹くん。もう一度だけ、あなたに会わせて―――。





 

代理人の感想

むう。

盛り上がってきましたな・・・・つーかこう言う伏線だったのかー!

いや、続きが楽しみ。