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漆黒の戦神

第四話

 






2197年12月

鍛錬初日の次の日の朝。

久しぶりに全身を襲う筋肉痛に顔を顰めながら、ナオは愛用の黒スーツを着て食堂へと向かう。
此処最近の自主トレでは全く感じる事の無くなった充足感が、今は身体の隅々までいきわたっている。
それは確実に自分が強くなっている事への実感であり、越えるべき目標が身近に居るという高揚感のせいでもあった。

「よっ、お疲れさん」

「?」

すれ違った軍人に気軽に挨拶をすると、不思議そうな顔をしながら敬礼を返してきた。
今までの人生で軍の基地に潜入する事は何度も有ったが、まさか大手を振って闊歩するような身分になるとは予想だにしていなかった。

そんな事を考えつつ、雇い主が働いている食堂へと辿り付いたナオは、気軽に挨拶を述べる。

「おーす、おはようさん」

「おはようございます。
 しかし、雇い主に向けての挨拶じゃないですね」

「何だ、オハヨウゴザイマスご主人様っ、て呼ばれたいのか?
 この変態野郎」

「・・・今、本気で殺意が沸いた」

「言った俺もサブイボが止まらん」

馬鹿なやり取りをしている男を二人を、呆れた顔で雇われウェイトレスが見ていた。





朝から健啖振りを発揮するナオの前で、アキトが次々と料理を作って行く。
食堂には次から次へと軍人達が食事に訪れ、見事な早食いを披露した後にアキトの料理を褒めながら出て行く。
そんな軍人達に声を掛けながらも、アキトの動きは止まらない。

「無駄に高度な体捌きで料理を作ってるよな、それも鍛錬の一環なのか?」

「まあ、確かに鍛錬にはなりますよ。
 何なら手伝ってくれます?
 皿洗いから野菜の皮むきまで、雑用的な事は出来るでしょ?」

かなり本気の入った眼差しをアキトから向けられ、少し引きつつもナオは真正面から拒否をする。

「大工の真似事は好きだが料理は無理だ。
 自分で作るくらいなら、軍用レーションで済ませるね」

無意味に胸を張りながらそう宣言するナオに、微妙な表情をアキトは返した。

「あれは・・・正直に言うと食べ物としてどうかと」

「何だ食べた事はあるのか?
 一応、美味いモノもたまには有るんだぜ?」

「はぁ、まあ確かに味覚が無かった頃には、全然気にしてませんでしたけどね」

「?」

さらっと小声で呟いたアキトの言葉は、幸いにも食堂の喧騒に紛れてしまい、ナオの耳には届かなかった。
その後、朝食の時間が一段落した食堂では、アキトがトレニアに休憩用の珈琲を振る舞い、暇そうなナオに改めて声を掛けていた。

「暇なんですか?」

「・・・ちょっと表に出ろ」

「やだなぁ、冗談ですよ冗談」

額に青筋を浮かべて拳を鳴らすナオに、アキトは朗らかに笑いながら手を振った。
どうやら忙しい時に手を貸さなかった事を、微妙に根に持っているらしい。

次の瞬間、ナオの右手がノーモーションで閃き、アキトが笑顔のまま顔面直前で掌でもって受け止める。
ぎりぎりと笑顔のまま力比べを始めた二人に着いていけないトレニアは、我関せずとばかりに珈琲を飲みながら持ち込んだ雑誌を読み出した。

「ったく、雇い主が朝の仕事の後に打ち合わせをするって言うから、態々足を運んでやったってのに。
 さんざん人を放置しておいて、何だその態度は?」

「むしろ雇い主に対して、それだけ大きな顔をするヤガミさんに驚きです」

「あ、私も同感」

「・・・何てこった味方が一人もいやしねぇ」

トレニアの発言にショックを受けたのか、大げさな身振りで嘆くナオを尻目に、アキトは予め用意をしてたこの街のマップを呼び出す。
此処から先の話は自分は不要になりそうだと空気を読んだトレニアは、飲み終えた珈琲カップを片手に厨房に向かう。

ジーパンに包まれた形の良い尻を見送りながら、ナオが面白そうな顔でアキトに話しかける。

「ふーん、気配りも出来る良い娘じゃないか。
 身体つきも顔も悪くないし、もう手を出したのか?」

「冗談でもそんな事を言わないで下さいね。
 ちなみに、ヤガミさんが彼女にチョッカイを出したら、問答無用で殲滅するぞ」

今度はアキトの額に青筋が浮かび、ナオは怖い怖いと言いながらテーブルに広げられたマップに目を向けた。

「小さなこの街に、明らかに許容量を越える人口増加が始まってやがる。
 俺自身、この街に入り込むのにそれほど手間は要らなかったからな。
 だが下手すると、街の外にスラムが形成されかねない勢いだぞ」

マップ上では急激に人口密度が増えている箇所が、赤く塗り潰されていた。
既に街に用意可能な住居は満室状態を越えており、あぶれた人達が寒さを凌ぐ為に街外れに多数のテントや簡易住居を作成していた。

「・・・安全を買う為には、それも已む無しと考えてる人も多いでしょうしね」

「その結果、不心得者が大手を振って現れた訳だ。
 この先治安関係は乱れるぜ、何しろ東アジアの大人しい日本と違って、こっちの住民の気性は過激だからな」

「そっちは軍と警官に任せるしか無いですよ、どう頑張っても俺達では数に負けます。
 裏の人達も自分達の縄張りに関しては、かなり熱心に余所者に対して対処をしているらしいですしね。
 俺達が相手をするのは、俺の賞金目当ての腕自慢と・・・あの刀使いです」

先々日の事を思い出したのか、薄っすらと腕に刻まれた刀傷の痕をなぞりながらアキトの目に剣呑な光が宿る。
師匠に叩き込まれた技に誇りを持つに至ったアキトには、同じ刀使いに後れを取った事は痛恨の出来事だった。

料理と同じく、師と共に磨いた剣術というものはアキトにとって、そう易々と譲れない領域に入っていた。

シュンに独白した時には飄々と語っていたが、内心ではかなりの意志力を割いて自分を抑えていたのだ。

「良い顔してるじゃねぇか、まあウェイトレスの姉ちゃんにその顔は見せられないよな。
 しかし、お前さんでも手に負えない刀使いか・・・そんな凄腕、ウチにいたっけか?」

「クリムゾンに所属している奴とは限らないですし、ヤガミさんが抜けた後に入ったかもしれませんよ。
 とにかく、あの刀使いは俺が受け持ちます、というか譲りません」

「まあ雇い主がそう主張するなら、こっちとしては諦めるより仕方ないよな。
 じゃあ例のスナイパーと危なそうな雑魚は、俺が引き受けてやるよ」

実に楽しそうに笑いながらナオはアキトに気軽に手を上げた後、飄々とした動作で食堂を抜けて行く。
ナオは早速街に繰り出して、面白そうな得物を選別するつもりになっていたのだ。

それを見送った後もアキトは、厳しい表情で赤く染まっているマップを見下ろしていた。






久しぶりに届けられた本部からの通信内容を確認した瞬間、カズシは顔を顰めシュンは天を仰いだ。
これが無茶振りをした軍事命令なら、ある意味怒りを滲ませながら上層部を罵れるのだが、今回の内容は更に酷いモノだった。

というよりも馬鹿馬鹿し過ぎて、罵る言葉すら出てこないというのが現状だ。

「隊長、これって指令としてどうなのですかね?」

「・・・最早、指令ですらないだろ。
 公私混同も甚だしいな」

ひらひらとA4サイズの用紙を振りながら、相手の正気を疑う二人。
だが、相手の地位を考えれば、そんな無茶を行う事は確かに可能ではあった。

正に無茶を通して道理を蹴っ飛ばしてくれている。

「調子に乗ったこの馬鹿を、止められる奴は居ないのか?」

「上層部も一枚岩ではないですしね。
 しかも、今度は軍功まで上げている事になっていますから。
 今では最大派閥を築いているんじゃないですか?」

「アレってテンカワの功績を横取りしただけだろ?
 一体何処まで図々しくなれるんだよ、この馬鹿。
 グラシス中将もやり難くて仕方が無いだろうな」

シュンが投げやりに気味に放り投げた用紙には、とうてい指令とは思えない内容が記されていた。


『・・・准将とアリサ=ファー=ハーテッド少尉との婚約に伴い、少尉の身柄を至急本部に送れ』






「納得いきません」

「いや、そんな事を俺に言われても」

今までに無いほどの仏頂面で現れたアリサに拉致され、何故かシミュレーターでの特訓に付き合わせられた後。
休憩用のスペースで飲み物を飲みながら、事の顛末を告げられたアキトは目を白黒していた。

アキトの感覚からすれば、それほど望まない婚約ならば断ればいい、という考えしか浮かばないのだ。

「・・・もしかして、簡単に婚約を破棄すれば良い、何て思ってませんか?」

「え、駄目なの?」

「相手の家格と名声を考えて見て下さい、断るにしても何らかの確たる理由が必要となります。
 それこそ、相手の方から仕方が無いと断念するような理由が。
 もし下手にこちらから断りを入れれば、お爺様の派閥に余計なダメージを与える口実になりかねません」

悔しそうにそう独白するアリサに、上流階級って人達は色々と大変なんだなぁ、という視線を向けるアキト。
自分自身、『戻る』前にユリカと結ばれる時に苦労はしたが、相手はコウイチロウ唯一人だった。
しかし、それは極稀なケースであり、本来その相手の両親や身内が高い地位に着いている場合、面倒な柵が付随してくるものなのだ。

「ところでアリサちゃんの相手の人って、そんなに苦手な人なの?」

「えっと、本気で聞いてます?」

むしろその問いが信じられない、とばかりにアリサは目を大きく広げる。
アリサは既にレイナから、アキトが西欧方面軍に派遣されるまで事の顛末を聞きだしていた。
言って見れば問題の准将は、アキトの功績を横から掠め取り、なおかつその功を振りかざして軍内で幅を利かせている愚物なのだ。
その情報が無ければ、アリサも顔と体型は別として、英雄として問題の人物に数ミリグラムの好意は抱いていたかもしれない。

そして遂にその厚顔ぶりは最大に達し、グラシス家の娘を娶る事で己の地位を更に確固たる物にする所にきた。

「本来なら、あの准将の位置にテンカワさんが居た可能性もあったんですよ?」

名誉と賞賛を一身に浴びる准将が、羨ましくないのかと視線で尋ねるアリサ。
貴族出身であるアリサにとって、己の功績に対する周りからの惜しみない賞賛の声は、何よりも価値あるものだった。
もし、自分にアキトと同じだけの腕前があればと、空しい想像をした事が何度有った事だろうか。

しかし、その手の欲がまるでないアキトは別の意味に捉えていた。

「え、俺とアリサちゃんが婚約する予定だったの?」

「そそそそ、そんな訳無いです!!
 と言うより、何処でそのような思考に曲解できるのですか!!」

真っ赤な顔で否定しながら、目の前に有るテーブルをバンバンと叩き出すアリサに、少し引きが入るアキト。
本人達は凄く真面目に受け答えをしているつもりなだけに、周囲から見れば息の合ったコントにしか見えないのだった。






「少尉のご機嫌はどうだー」

「はい、予想通りテンカワのペースに引き摺られて、調子を崩しています。
 最初に婚約の件を知った時の、烈火の様な怒気は見られませんね」

同僚のエステバリスライダーから届いた観察日記を一瞥して、カズシは疲れたような声でシュンに報告する。
数時間前の激怒状態のアリサを思い出し、溜息を吐きながらアキトの偉大さに感謝をするのだった。

「なら当分は傍観で十分だな。
 あのテンカワのマイペースに絡ましておけば、怒りの矛先を逸らす事も可能だろう。
 こっちは次の問題に頭を悩ます事にするか」

「そうですね」

次々と訪れる難問の嵐に、シュンもカズシもいい加減全てを放り出したい気分に陥っていた。
アリサの事については、搦め手に近い方法を用いてアキトに押し付ける事に成功したが、次の問題はまた難問であった。

それはグラシス中将のお忍び訪問、というこのタイミングでは悪夢のようなイベントだった。

どうしてこんなに軍事以外の事で頭を悩まさなければいけないのか、二人は心底不思議に思っていた。

「いや、両親を亡くした傷心の孫を慰めたい気持ちは分かるが、タイミングが悪すぎですよ中将殿」

「その上、テンカワの言っていた厄介なテロ野郎の襲撃予告日と、ピッタリ一致してますからね」

「どんな悪夢だよ全く」

街の代表・・・サラからは治安の悪化を懸念する声が上がっており、治安維持の為に兵を貸す約束をすでに行っていた。
その矢先にアキトの暗殺未遂事件が発生し、潜在的なテロ要員が発生した事が判明。
しかも、そのテロ要員はアキト以上の達人らしく、下手に兵をぶつける訳にもいかないときた。

ここにアリサの婚約騒動と、上層部での唯一味方にして、直属の上司と言っても差し支えの無いグラシス中将のお忍び訪問。


――――――――正に最悪のタイミングだった。


「テンカワは自分の事は自分で片付けるつもりらしいが、こちらも、はいそうですかと言える立場ではない。
 本来なら軍部を挙げて、厳重に奴を警備をしないといけないような事態なんだ。
 せめて、何とかアイツの動きをフォロー出来るように、優秀な人員を割く事は避けられん」

「そうなりますと、治安維持に出す人員がまわりません。
 お忍びで来る中将を守る為には、街中の不安要素は少しでも排除する必要が有ります。
 かと言ってこの基地の警備を手薄には出来ませんし。
 単純に人が足りませんね」

「そこでだ、逆転の発想を考えた」

「・・・・・・・・・・・・・・・どうせ、碌な策じゃないんでしょうね」

疲れと重圧と最近の断酒の影響からか、目から嫌な光を放ちだしたシュンを見て、カズシは己の不幸を確信した。






「買い物に付き合って下さい」

アリサから放たれる怒りのオーラに逆らう術は、アキトには残されていなかった。
結局、本人も理解していない怒りの影響により、何故かアキトとメティはアリサに手を引かれて街に繰り出していた。

ちなみに、アッシーを勤めたのはサイトウである。
何で俺がこんな目に?、と愚痴るサイトウの横で何故か平謝りするアキトの姿があった。

「曲りなりにも婚約者と面通しをする以上、グラシス家の一員として下手な格好は出来ません。
 それなりに着飾らないと・・・
 オーダーメイドは時間的に無理ですから、既製品でそれなりに誤魔化すしかないですね」

「うわー、こんなお店に入ったの初めてー」

「メティちゃんにも何か買ってあげようか?」

アキトにそう言われて目を輝かせるメティだが、目の前のブローチの値札を見て動きを止める。

「お、お、お、お兄ちゃん、こここここの値段って」

「・・・ゴメン、気軽に買えるモノじゃないね」

根っから庶民派の二人は、その値段を見てドン引きをする。
その一方、アキトが大金を運用出来る事をナオとの契約で知っているアリサは、その程度の金額で固まる事に首を傾げていた。

「テンカワさん財力なら問題無いのでは?
 ヤガミさんとの契約金に比べれば、全然問題無いレベルだと思いますけど」

「あー、確かにヤガミさんとの契約金は俺のポケットマネーから出てるけどね。
 実際にはお金が右から左に数字が動いた事、後から聞かされただけだし。
 どうにも根っこの部分が小市民だからさ、こんな現物に付けられてる値札を見るとびびっちゃうんだよな」

「そうなんですか?」

この人の背景って本当に理解不能だわ、と思いつつアリサは自分好みのドレスを選別する。
付き添ってくれている古馴染みの従業員に次々と注文を告げ、アクセサリー類にも目を通していく。
時々、アキトとメティに感想を聞くのだが、女心とファッションについては壊滅的な男に気の利いた台詞など出る筈も無かった。

やがて、更に怒りを増加させたアリサはメティのみに話しかけるようになり、アキトは所在無げに壁際に立つ。

その後、2時間に渡ってアリサのドレス選びは継続された。


――――――――そしてアリサが気が付いた時、壁際にアキトの姿は無かった。






「お前さー、命を狙われてる自覚有るのか?」

「いえ、確かに軽はずみな行動でした」

アリサとメティが篭っている店の対面に有るカフェ内で、苛立たしくテーブルに指を打ち付けるナオ。
そしてその目の前のソファで、何故か椅子に正座をしているアキトの姿があった。

外では雪が降り始めており、寒そうに白い息を吐きながら大勢の人達が足早に通り過ぎていく。
そんな人々を悟られないように監視しながら、ナオは手元に持っていた熱い珈琲を口に含む。

「誰かさんが軽々しく動いてくれたお陰で、折角網を張っていた魚が逃げちまったじゃねぇか。
 どうするんだよ、最低でも明日までにスナイパーは処理しときたかったんだろ?」

「いや、本当にスンマセン」

深々と頭を下げるアキトに溜飲を下げたのか、ナオの放つ気配が少し穏やかになる。
先程までナオの威圧感に圧倒されていた他の客達も、ほっと一息つきながら会話を続行しだした。

「シュンのおっさんから連絡を貰った時は正気を疑ったぞ、まったく・・・
 お前さんの腕が立つのは分かっているが、一人でお譲ちゃん達二人を守るのは至難の業なんだぞ。
 そこらへんがお前さんの腕前に比べて、経験が足りないっていう弱点そのままだな」

溜息を吐いた後、ナオは再び珈琲を口に運びながら自分の雇い主を盗み見た。

この歳で自分を凌駕するような腕前を持ちながら、あまりに経験が不足している目の前の青年について改めて考える。
今回の契約に盛り込まれている「気」の運用という技術も、限られた本物の武術家のみが知るようなモノだった。
今までに自己流で腕を磨き、有名な門派に道場破り的に乗り込んで腕を磨いてきたナオには、その技術は垂涎の物である。
実際、最初は自分との契約を結ぶ為だけの餌と思っていたのだが、それが本心である事は昨日の鍛錬で判明している。

態々、自分の命を狙いかねない相手に牙を与えるその精神が、ナオにはどうしても理解出来なかった。

「今日出掛けるついでに、手持ちが寂しいから自分の預金を下ろしに行ったんだけどよ。
 ・・・もう既に契約金の入金が終わってるって、どういうこった?」

最初は何かの詐欺かと警戒をしたが、入金されている金額が契約金と一緒の為、逆に怖気を感じたナオだった。

「え、何か不味かった?」

「・・・どうやって俺の口座を特定したんだ、って話だ。
 俺は一度も契約金の振込先なんて、教えてなかったよな?
 というより、偽名で作った俺のメイン口座を何で知ってるんだよ」

「さあ、そこらへんは人任せだから俺は知らないよ」

「人の個人情報を駄々漏れにしておいて、何を暢気な事を・・・」

駄目だコイツ、自分の持っている力の凄さに全然気付いてない。
思わずナオは頭を抱えて、そのままテーブルに倒れこみたい心境に陥った。
改めて目の前の青年が爆弾である事を知り、シュンとカズシが自分の様な怪しい奴に頼み込んできた理由が分かった。

小さな限られた世界でその牙を磨いてきたのだろう、そしてその世界は過酷で苛烈だがきっと閉じられていたのだ。
自分が持つ力の凄さを認識しているが、本当の意味で他人が感じている恐怖を分かっていない。

ナオ自身、昔同じ経験をしていた為に、アキトの現状と問題点は嫌と言うほど理解する事が出来た。
そこから始まる現実との齟齬と、それに伴う対策方法もある程度は思いつく。

だが、改めてそんな自分の内心を見抜き、アキトの保護に当たらせたシュンの慧眼にこそ、今は脅威を感じていた。
実際の話としてアキトと自分を重ねる部分を見つけてしまい、何かとお節介を焼いている自分が居る事を認識はしている。
そして全てのお膳立てをあの飄々とした親父が、裏で段取りを着けていたのだ。

それほど容易く内心を読まれるほど、甘ちゃんではないつもりだったが、どうやら今回は相手の方が上手だったらしい。

「そう考えると、あの二人、もしかして要注意人物か?」

今までは気に留めていなかった基地に居る二人を、改めて注意人物として記憶に刻み込む。
既にバックボーンを失ってる身としては、警戒をし過ぎて困る事は無いのだ。

そして、こちらの思惑など知らないとばかりに、目の前で遅めの昼食のサンドイッチを頬張るアキトに、脱力感を感じるナオだった。






結局、その後は何事も無く一行はナオを加えて日が暮れた頃に、基地に無事に帰りついた。
もっとも、途中で姿を消していたアキトの事をアリサが責めたり、帰りにも呼び出されたサイトウがかなり不貞腐れていたりして大変だったが。

「メティ!!
 ああ、本当に無事だったのね!!」

「お姉ちゃん!!」

全員が乗っている車が基地に戻ってみると、一人の女性が転げるように飛び出してきてメティを抱きしめた。
どうやら近日中に到着予定だったメティの家族が、不在の間に到着をしていたのだ。

ブルネットの長い髪をした女性は見た目もそうだが、何処か安心感を感じさせる落ち着いた雰囲気を持つ美女だった。
ひとしきりメティの無事を喜んだ後、さかんにアキト達を指差して説明をするメティに小さく頷きながら、何度も相槌を打つ。

家族の再会を邪魔するのは無粋だろうと、アキト達は少し離れた箇所でそんな二人を見守っていた。




「これまた予想外の展開だな。
 さてさて、どうしたものか」

大好きな姉にアキトの事を紹介しているメティを、基地内の2階にある会議室から覗き見しながらシュンは嘆息する。
はっきり言って、このタイミングでメティの姉・・・ミリアが到着するのは、迷惑以外の何物でも無かった。

「随分とお困りのようですな、シュン隊長」

「・・・この会議室は鍵が閉まっていたはずだけどな、ヤガミ君?」

「え、開いてたけどなぁ、そこの扉。
 というより、副官に隠れて飲酒をするのに、どんだけ職権乱用してるんだよ」

ニヤニヤと自分の後ろで悪びれずにのたまうナオに、シュンは憮然とした表情を作る。
ナオの所属していた部署を考えれば、ピッキング染みたスキルの一つや二つ修めていてもおかしくは無い。

「今日の業務時間は終わりだからな、酒を飲んでも誰にも文句は言わせんさ。
 それにたまには胃をアルコール洗浄してやらんと、最近の面倒毎の多さに胃に穴が開きかねん」

「滅茶苦茶な言い訳だな」

そう言って笑いながらナオはシュンに音も無く近づく。

「約束どおり、あの無鉄砲な馬鹿のお守りはしてやったぞ。
 これで少しは俺の疑いも晴れたのか?」

どうせ監視を付けていたんだろ?とばかりにナオは話を切り出す。

「ん、最初から疑ってなんかないぞ?
 『真紅の牙』の中でも、随分と異色な存在だったみたいだしな、ヤガミ ナオって奴は。
 ターゲットの子供を処分覚悟で取り逃がした、漢気溢れるエピソードには泣けたぜ」

「・・・へっ、予想通り食えねえ親父だな」

自分の元所属部署だけでは無く、過去の仕事内容までシュンに把握されていた事に思わず肩を竦める。
裏の世界には裏の情報網が有るのは周知の事実だが、ある程度の伝が無ければ情報を収集する事は不可能なはずだった。
だが、その情報深度にも色々と個人差が有るものだが、シュンはその地位を考えるに余りに裏に詳しすぎる。

ナオはアキトを初めこの基地内には曲者しかいないのか、と内心で呻り声を上げた。

「つーか、お前さんも大概に曲者だからな」

「人の内心を読むな、この狸親父。
 というより、テンカワを筆頭に本当に何者だよ、アンタ等」

真面目な顔になりながらナオがサングラス越しに睨みつけると、シュンは困ったように頭を掻きながら言い訳を述べた。

「俺とカズシは若気の至りでな、ちょっと裏の深い所まで踏み込んだ経験が有るんだよ。
 お前さんの裏取りも、その時に構築したネットワークで行っただけだ。
 ま、詳しい事は聞くもんじゃなないぞ、エチケット違反だからな?
 そしてテンカワは本当に謎の存在だ、表も裏もあんな規格外の奴が今まで活躍していた形跡は、此処半年までは無い」

暫くの間、力を込めてシュンを睨んでいたナオだが、相手に小揺るぎする気配も無い事を確認し、一旦その圧力を修めた。
色々と納得のいかない事があるが、元職場のように胸糞の悪くなる仕事を押し付けられないだけマシと思い直したのだ。

そのまま、場の空気を換えるためにナオはアキトの事について話を切り出す。

「あのメティって子がテンカワの元を離れるには、今はタイミングが悪すぎるって所か?」

「やっぱりそう思うか?
 間違いなくテンカワの首を狙う奴等に利用されるだろうな。
 せめて明日のグラシス中将のお忍びが無事に終わっていれば、まだ軍でも人を割く余裕も出来たんだが」

世の中、ままならん事ばかりだ。

そう呟きながら、酒のツマミを口に放り込みガシガシと噛み砕く。
アキトの一番判り易い弱点の一つに、身内や気を許した相手に対する異常なまでの献身が上げられる。
それはシュンが率いているこの部隊そのものが、アキトのその好意によって未だ存続している事で証明されていた。

「とっとと西欧方面軍の本部に行けば、こんなややこし事態に巻き込まれずにすんだだろうに。
 お人好しも度を過ぎると、逆に相手に気を使わせるってもんだ」

「ま、軍人なら自分の身を守る術もあるが、あの姉妹にそれを求めるのは酷ってもんだな」

「かといって基地内で保護すると、特別扱いをするなというクレームが各所から飛んで来るだろうしな。
 全ての住人を基地内に入れる事が不可能な以上、なるべく大きな不満を誘発するような行動は控えたい」

この手の情報は、隠しておいても必ず露見するものだった。
全ての人の目を誤魔化す為には、それこそ基地内にある懲罰房にでも二人を放り込み、一日中監禁をする覚悟が必要となる。

「そこで今、凄く良いアイデアを思いついたんだ、これが」

「・・・そう言えばテンカワに呼ばれていたんだったな、じゃこれで」

回れ右をしたナオの目の前には、会議室の入り口で何故か申し訳なさそうに微笑むカズシの姿があった。

「な〜に、君にとっても悪い話じゃないぞ〜、ヤガミく〜ん」

シュンの猫なで声が、悪魔の囁きにしか思えないナオだった。






その日、基地内に設置されている家族寮に、新しい一家が入居する事になった。






「最悪だ・・・」

「え、ミリアさんは美人で気立ても良いし、最高じゃないっすか?」

翌日、アキトがハッスルしている食堂の一角で頭を抱えているナオと、暢気に朝食を食べるサイトウという異色のコンビが有った。
何気に昨日の買い物で会話をする事が有り、車関係でお互いの趣味が一致した事が、仲を深める一因となっていた。
当初はナオの姿格好から警戒心を抱いていたサイトウだが、話してみれば気さくな性格が気いったのか、良好な関係を直に気付いていた。

「朝の鍛錬が終わって帰ってみると、朝食と珈琲が準備されてた、しかも着替えのシャツにはアイロンまでかかってやがる」

「・・・羨ましい話っすね」

独り身代表として、サイトウはジト目でナオの顔を見詰める。

「しかも目の前に仏頂面の親父と、横には何故かやたらと懐かれた笑顔のメティちゃんのコンボだ。
 手も出していない女の親父に、何で食事中睨まれてなきゃいけないんだ?
 言っておくが俺には幼女趣味も無いぞ。
 確かにミリアはすこぶる良い女だが、俺はまだ独身を楽しみたいんだ。
 なのに、今では気分は子持ちの婿養子だ、ったく」

精神的に疲れた、俺の自由を返せ、とボヤキながらサイトウの朝食プレートからハムを掠め取る。
その動きが余りに早すぎて何が起こったのか、被害者には認識されていない事は凄いのだがやる事がセコイ。

「そりゃ、護衛目的で同居してりゃ、そんな事も有りますよ。
 何よりメティちゃんに反応した日には、テンカワの奴を筆頭に基地内の良識派に血祭りにされますって。
 大体、あんな優しそうでグラマーな美人と一つ屋根の下で、よくもまあそんな愚痴が出るもんですね。
 あれ、ハムが無ぇぞ?消えた?」

「きっとそれもあの狸親父共が、適当にでっち上げた嘘に決まってる。
 何が基地内の施設を使用するには、軍の関係者が身内に一人は必要だってんだ、勝手に人を婚約者に祭り上げやがって。
 そもそも、俺はテンカワとの契約を交わした身なのに、どさくさ紛れに軍との契約を結ばせやがって。
 そりゃあ美人で気立ても良いよ、あのミリアって女はさ」

「何処!! 俺のハム!!」

「だがな、俺にもそれなりの好みってモノがある訳だ。
 もっとこう、危ない雰囲気をかもした美女なんかが好みであってだな。
 しかも独身貴族を楽しむ為の金も手に入ったってのに、って俺の話を聞けよ!!」

「リア充の戯言より俺のハムの方が重要なんすよ!!」

面倒ごとは纏めて管理するに限る、とばかりに昨日に決められた出来事がそれだった。

昨今の事情から基地内の施設をそう軽々しく一般人に開放出来ないが、身内の家族になら話は別となる。
急遽作成されたカバーストーリーにより、ナオとミリアは婚約者となりその父と妹を含む四人で、基地内の家族向けマンションに住む事になった。
勿論、メティからすれば大好きなアキトや、仲良くなったレイナやアリサ、そして軍人達の近くに住む事に異論は無く。
ミリアとその父親のマクスからしても、もっとも安全と思われる場所に住めるだけに、文句も出る筈が無かった。

ただ一人、独身貴族を気取っている男が猛反対をしていたが、雇い主からテア家の警備を正式に通知され、力無く大地に膝を着いたのだ。

変な所で契約を律儀に守る辺り、アキトとナオの気質が似ていると見抜いていた狸親父の作戦勝ちだった。

「あー、人間不信に陥りそうだ・・・」

「ハムー!!」

「ちょっと、五月蝿いわよ二人とも」

何をとち狂ったのか、朝食の盛られているプレートを持ち上げて裏側を確認しだしたサイトウに、呆れたような声が掛かった。
その声を聴いた次の瞬間、サイトウの顔が何とも言えない仏頂面に変わった。

「へんっ、騒いで悪かったな」

「タダシは何処に行っても、相変わらずみたいね」

態度の悪いサイトウの事は気にも留めず、トレニアは笑顔で手に持っていたトレーに載せていた数枚のハムを、サイトウのプレートに移す。

「これはテンカワさんからのお裾分け。
 それとヤガミさん、食堂内で余り騒ぎを起こさない様にって、テンカワさんがちょっと怒ってたわよ」

「げっ、この人混みとあの距離から見えてたのか、何処まで隙が無いんだよアイツ」

肩を竦めながらナオが降参とばかりに両手を上げる。
それを見てクスクスと笑った後、トレニアはその場を軽やかな足取りで去って行った。

ジーパンに包まれた形の良い尻を見送った後、何気なしにナオはサイトウに話しかける。

「お前、あの娘の気持ち知ってるだろ?
 何で受け止めてやらないんだ?
 それこそお前が求める、良い女じゃないか」

「身長、学歴、ルックス、人気、運動神経にその他諸々、何一つ勝ててないんすよ?
 戦争が始まる前は、超一流企業の期待の新人でしたしね。
 そんな女相手に、幼馴染ってだけで、気後れせずに付き合えるほど面の皮は厚くないんで」

「・・・お前も結構面倒な奴だったんだなぁ」

若いねぇ、と呟きながらナオは、再度落ち込んでいるサイトウのプレートからハムを掻っ攫った。






昼前にグラシス中将が到着するとの連絡がシュンの元に届けられた。
遂にこの時が来たかとばかりに、予定通りの行動に出る。

「あ、テンカワか?
 実はアリサ少尉の祖父が、昼頃にこの街にお忍びで来るらしくてな。
 うん、そうそう、アリサ少尉と一緒に迎えに行ってくれないか?
 悪いな俺とカズシはちょっと手が離せなくてな、うん、例の襲撃が無い様に最大限のカバーはする。
 むしろお前さんと中将達が一緒の方が、護衛対象が固まってる分動きやすいくらいだ。
 ヤガミの奴には俺から連絡をしておくから気にするな。
 ・・・ああ、じゃあ頼んだぞ」

殆ど予想通りの返事をアキトから引き出し、満面の笑顔でシュンは通信を切る。
護衛対象が分散して困るのなら、その対象を一つに纏めてしまえというのがシュンの考えた策であった。
しかも護衛対象の側にいる男は、そこらへんの有象無象が束になっても敵わない凄腕である。

ちなみに、その策の余波を受けたのがテア家とナオである。

「今更ですが良心が痛みます」

「現状で取りうる最善手だ、そんな良心は犬にでも喰わせろ。
 俺もテンカワの身分について、自分を無理矢理納得させているんだ」

「笑顔で言う事じゃないですね」

実に楽しそうに護衛ルートのプランを練るシュンに、痛み出した胃の辺りを擦りながらカズシが呟く。
絶対に余計な事を考えていると、長年シュンに付き合ってきたカズシの勘が警告をしていた。

「ちなみに、グラシス中将には事情は説明済みだ、というよりあの爺さんのほうが乗り気だ。
 あいかわらず話の分かるファンキーな爺さんだな」

「え、そうなんですか?」

気懸かりな点が一つ減った事に、思わず喜色を浮かべるカズシ。

「まあな、上手くすれば可愛い孫が豚みたいな男に嫁がずにすむからな」

「・・・え?」

「贋作の英雄と真の英雄を並べられたら、女性がどちらを選ぶかなんて自明の理、だろ?」

「あんた達、何を企んでるんだー!!」

溜まりに溜まったストレスが振り切った時、カズシの口からは絶叫が迸った。






カズシが司令室で絶叫をしている頃、アキトはアリサを伴って街に向かう途中だった。
締まらない話だが運転が出来ないアキトに代わり、エスコート対象のアリサがハンドルを握っている。

「何であんな機動戦が出来るパイロットが、自動車の運転一つ出来ないんですか?」

「本当、ミステリーだよね?」

「人事みたいに言わないで下さい!!」

口調は怒っているが、アリサの機嫌はそれほど悪くは無かった。
久しぶりに尊敬している祖父に会える事も理由の一つだが、最近一番気になっていた例の婚約の件を、祖父が何とかする案があると連絡を入れてきた事が大きい。

そう簡単に話が覆る事は無いと分かっていても、大好きな祖父が自分の事を気に掛けてくれている事が単純に嬉しいのだ。

「それにしてもやはり武装は外せませんか?」

「護衛の任務もあるからね、それに今日は例の襲撃予告日でもあるし。
 何しろ周囲を重武装の兵士でガチガチに固めていても、単騎で突破出来る実力者だよ、あの人」

助手席に座っているアキトが抱え込んでいる刀を見て、アリサの顔にも緊張の色が浮かぶ。
アキトとナオの闘いや鍛錬を見た事がある立場からすれば、その腕前を越える存在が居ると言う事が信じられない。

生来の負けん気を発揮したアリサは、迷惑かと思いつつもアキトとナオの鍛錬に加えて欲しいと申し出ていた。

ナオは予想通り迷惑そうな顔をしたが、意外な事にアキトからは簡単に許可が降りたのだ。
そして基礎的な手解きから入り、時々模擬戦染みた事も行いはしたが、まるで二人の相手にはならなかった。
軍に入る前にも護身を兼ねて幼少の頃からフェンシングには身を入れていたし、入隊後もかなりの腕前だと自負はしていた。

しかし、アキト達はそんなレベルで語れるような存在では無いのだ。

「私の突きを目隠しをしたまま避ける人達が警戒する相手って、本当に何者なんでしょうね?
 テンカワさんもヤガミさんも、私からすれば別次元の使い手ですからね」

「世の中は広いよ、俺の師匠にもまだまだ敵いそうにないしね。
 一度紹介してもらった師匠の友人達にも、結構手に負えないような腕前の人とか居たし」

「・・・もしかして、日本の治安の高さはそういう化け物が多数うろついているからですか?
 そうなると、日本という国は魔境ですか」

恐れ戦くアリサに日本と言う国に対する誤解を与えながら、二人は以外にも和気藹々と街へと急ぐのであった。






「ほい、頼まれていたブラスターの整備終わってるよ」

「おおっ、本当にこの短時間でメンテ出来たのか?
 予想以上に良い腕前だな、レイナちゃん」

本気で驚きながらナオはメンテナンスを頼んでいた相棒を受け取り、弾丸を装填したり不具合を確かめる。
自分のメンテナンスでは解消できなかった細かな歪みや引っ掛かりが、見事に無くなっている事に感心の溜息が漏れた。
これから行われる戦闘を考えてみれば、ここで長年の相棒が復調した事は素直に嬉しいところだった。

「訂正、凄腕だなレイナちゃん」

「どういたしまして。
 古いタイプのブラスターだけど、随分と愛着があるみたいだし、丁寧にメンテナンスさせていただきました。
 持ち込んだネルガルの機材が優秀だからね、かなり細部まで調整が出来たわけよ。
 まあ、御代はちゃんと貰うから御心配なく」

ひらひらと手を振るレイナに、苦笑をしながらナオは懐に用意していた封筒を手渡す。
最初は軍内のガンスミスに頼むつもりだったのだが、型が古過ぎると断られてしまったので、これでも十分に経費は抑えられた形になっていた。

駄目元でアキトから紹介を受けて、レイナに預けて正解だったという事だった。

「シンプルな機構の分、腕が問われる整備だったわね。
 まあ、本職の凄腕には経験で負けるけど、こっちはそれを補う為の装備が充実しているから。
 テンカワ君が使用しているエステバリスに比べれば、まだ理解しやすい子だったわよ」

「そりゃあエステバリスと比べればなぁ
 しかし、良く俺の銃を整備なんてする気になったな?」

レイナが自分の過去を知っている事を、ナオはアキトに紹介された時に聞かされていた。
クリムゾンの一部とやりあった時、人質にされてあわや、という所まで追い込まれた事もあると聞かされたのだ。

「うーん、結局ヤガミさんの戦力アップが、テンカワ君の手助けになる訳でしょ?
 あの事件についてはトラウマっぽく残ってるけど、拘る方が癪だし恋人のカバーもあったしね。
 それに、テンカワ君があれだけ懐いているヤガミさんが、それほど悪人には思えないし」

「・・・は?」

聞き間違いか、とばかりに間抜けな表情を作るナオに、レイナは楽しそうに笑いながら話を続ける。

「分かり易いからねー、テンカワ君って」

今度はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべるレイナに、ナオは何とも言えない表情を作る。

「おいおい、勘弁してくれよ」

結局、疲れ切ったように首を左右に振った後、ナオは試射をするために射撃場へと向かう。

本番は午後から始まる予定だが、既にアキト達はグラシス中将と合流をして、今頃は昼食を取っているはずだった。
それまでに大きな動きは無いと思うが、不測の事態が起こっても大丈夫なよう、早目に不安材料は消した方が良かった。

「頑張ってねー」

レイナからの励ましの声を背中に受け、右手を挙げて答えながらナオは目的地へと向かう。






街で一番由緒正しいレストランの一室にて、上機嫌のまま酒を飲んでいるスーツ姿の大柄な爺さんが居た。
髪と髭は全て白色に染まってはいるが、全身に纏っている気配は活力に溢れていた。
そんな爺さんが座っているテーブルの左右には、金色と銀色の髪を持つドレス姿の美女。

そして対面には場違いにも程がある、トレーナーにジーンズ姿のアキトの姿があった。

「あれ? 俺って警護の仕事を受けただけだよね?」

己の置かれている立場が分からず、思わず左右を見回す。
それを何らのオーダーと勘違いをしたのか、壁際に控えていた初老のウェイターが、音を立てない足取りで歩を進めてくる。

「あ、おかまいなく」

「食が進まないみたいですね、テンカワさん?
 お口に合いませんか?」

「いや美味しいよ、うん、勉強になる」

サラから笑顔でそう尋ねられ、実際に料理の美味しさに舌鼓を打っていたアキトは、直にその返事をかえした。
アキトが得意とする家庭料理的なモノや中華とは随分とジャンルが違うが、精緻に作られたフランス料理は確かに唸るほどの美味しさだった。

アキトのその賞賛の言葉を聞いて、初老のウェイターは微笑みながら歩を返した。
極秘裏にウェイターもアキトの正体を聞かされており、そうなればこの街に住む住人として、好意を隠す事は無い。

「ふむ、気負っているのは店と料理に対してのみ、という所か。
 わしの事は知っておるよな?」

「それはもう、元々グラシス中将の下にアリサ少尉をお連れするのが目的でしたので」

はきはきと気負い無く答えるアキトを楽しそうに見ながら、グラシスは髪同様に白く染まった顎鬚をしごく。
実際、初対面の時から何度と無くプレッシャーを掛けているのだが、目の前の青年は悉く捌いてみせた。
孫の自称婚約者などは開始数秒で腰を抜かし、その直後にはガクガクと腰を震わせながら退室したというのに。

久しく見なかった骨のある青年の登場に、自然とグラシスの機嫌は良くなっていたのだ。

孫娘の恩人かつ目に掛けている部隊の恩人ではなく、個人としてのテンカワ アキトを気に入った瞬間だった。

「この店はハーテッド家のお気に入りでな、家族総出で集まる時は何時も利用しておったもんだ」

そう言いながらグラシスは、飲み手の居ない2つのワイングラスに手ずからワインを注ぐ。
そのワインが何を意味しているのか、さすがのアキトも察する事が出来たのか何も口を挟もうとはしなかった。

「結局、最後まで息子とは喧嘩別れだったのだよ。
 最後に家族全員で食事をしたのは、何時の時だったのか思い出せもせん。
 後悔は先に立たないと、この歳になっても思い知るものだな。
 いや、物事の優先順位を分かっていながら、厄介ごととばかりに目を背け続けた結果だったな」

口調は淡々としたものだったが、グラシスの声には確かに悲しみが混じっていた。
幾ら喧嘩別れしていようと、その手に抱き、あやし、愛し育てた息子が亡くなった事は悲しいのだ。

それは、親より先に亡くなる事は、最大の親不孝と呼ばれる由縁だった。

仕事や立場を口実にして、息子との会話を蔑ろにした結果が、今の現実だった。

「テンカワ君の両親はご息災かね?」

「二人とも亡くなりました」

「!!
 そうか、それは失礼な事を聞いてしまったな」

アキトからの返事は流石に意外だったらしく、少し驚いた後でグラシスは頭を小さく下げる。

「大丈夫ですよ。
 かなり昔の事ですし、自分の中ではもう整理は出来てます」

「いや、どうにも無神経な質問をしたわしが悪い。
 このご時勢だ、その可能性は十分にあったはずなのにな」

流石に両親はネルガルの闇に暗殺されました、とこの場で言うほど愚かではないアキトは、大人しくグラシスの謝罪を受け取る。

「まあ湿っぽい話は終わりにしましょうよ。
 俺としてはこんなレベルの店に入ったのは、生まれて始めてですからね、次に何が食べられるのか楽しみです」

「確かに、本職はコックらしいからの。
 ではとっておきの料理を出してもらおうか」

本当に待ち遠しいとばかりに、顔を輝かせるアキトを見て、同じく笑みを浮かべながらグラシスは次の料理の手配をウェイターに指示した。
当初はその超越した戦闘能力から、どんな性格破綻者かと心配をしていたグラシスだが、良い意味で期待を裏切られたと思っていた。
それは悪い例として、驕り高ぶった准将を見すぎた弊害かもしれない。

もっとも、長年戦場と人を見てきた慧眼には、アキトが内心で抱えている闇と、その歪みを察してもいたのだ。

自慢ではないが美人で気立てが良い孫娘達にあれほど好意を寄せられて、無意識の内に壁を立てている姿に、若いながら何らかの問題を感じ取っていた。

それからは四人で料理を楽しむ時間が、ゆっくりと過ぎていく。
見様見真似のテーブルマナーに四苦八苦するアキトに、微笑みながらサラが手助けをする一幕もあったりした。
普段の生活では、まるで手も足も出ない相手が恐縮している姿が面白いのか、アリサも上機嫌でアドバイスをしたりもする。

そして食後のデザートが終わり、我に帰ったアキトが何故自分は此処に座っているのだろう?と考えていると、グラシスがアリサに話かけた。

「ところでアリサよ。
 あの准将閣下とこのテンカワ君となら、どちらを婚約者として選ぶかな?」



――――――――アリサとサラの笑顔が一瞬にして凍り付いた瞬間だった。



何だか随分と騒がしい階下の一室に注意を向けつつ、ビル周辺の監視をナオは行う。

既にきな臭い雰囲気を感じ取ったのか、このレストランが入っているビルの周辺からは、徐々に人が消えて行っていた。
相手の意図は分からないが、このタイミングで仕掛けてくる可能性は高いと見たのか、シュン達は交通整理を既に実施している。
自分達の直属の上司すら囮に使うその強心臓振りに、下手に逆らわない方が良いな、とナオは内心に記憶した。

「確かにクリムゾンの手の者だったら、対抗派閥の要になるグラシス中将は、何とかして消しておきたい存在だよな」

何かと問題の多い例の准将がクリムゾンの狗である事を、既にナオはシュン達に説明していた。
アキトには話すだけ無駄だと思い黙っていたが、これも一つのアフターサービスのつもりで情報提供を行ったのだ。

その結果、グラシス中将の護衛についてまで借り出されているのだから、正に自業自得かもしれない。
だが、ナオとしても下手に街をうろつき回るより、他のサポートを受けられる今の状態でスナイパーを処理したいと考えていた。
ナオ自身に置き換えて考えても、相手はこの絶好の機会をなんとかしてモノにしたいと思うはずなのだ。

もっとも、一番の問題となっている刀使いについては、ノータッチが確定してしまったのだが。

「・・・ま、後は任せたぜ、テンカワ」

狙撃場所として目処を立てていた箇所の一つにセンサー反応が有った事を確認し、ナオは音も無くその場から去った。






「あれは、お爺様の戯言ですからね!!」

「うん、分かってるからそんなに興奮しなくても・・・」

「・・・それとも、私が相手だと不満なんですか!!」

「ちょっと、さっきと言ってる事が違う」

「ええ、どうせ私にはあの豚准将がお似合いって事なんですね!!」

「・・・酔ってる?」

アキトのげんなりとした視線を受けて、グラシスは苦笑を噛み殺しながら小さく頭を下げた。
そしてアリサのご機嫌伺いはアキトに一任し、こちらも笑顔の筈なのに剣呑な気配を滲ませるサラに話を向ける。

「あのテンカワという青年は、実に見ていて飽きない奴じゃな」

「お爺様ちょっとお話が」

「いや、ここでも話は出来るだろ?」

「いいえ、内密なお話ですので」

サラは笑っているが、笑っていなかった。
自慢の孫娘から発せられるプレッシャーに、戦略を誤ったか!!と内心で悔悟するグラシス。
アキトはアキトで、何故か延々と愚痴を述べだしたアリサに捕まり、必死でフォローをしている。

「テンカワさんの軍人嫌いについては、事前に説明しておいた筈ですが?
 そんなテンカワさんが軍人のアリサと、そう簡単に結ばれると思ってられるのですか?」

「うむ、勿論承知しておる。
 だが見たところ本人に関与しない限り、嫁が軍人でも何とか納まるレベルだと思うのじゃが」

「まあ、その話はこの際横に置いておくとして、テンカワさんを狙っているのは私も一緒なんですよ」

「・・・おおう、プレイボーイじゃのう」

「何しろバックに付いているネルガルと、かなり太いパイプを持っているみたいですし。
 それ以外にも色々と顔が広そうですからね。
 今後の復興作業に、かなり有利になると思っている訳ですよ」

「・・・・・・実に世知辛い話じゃのう」

「もっとも、その件も置いておくとして、私も命も助けられてますし実に紳士的で誠実な方ですから。
 こんな優良物件を、私としては簡単に妹に譲るつもりは有りませんよ?」

「・・・・・・・・・どないせいと言うんじゃ」

予想以上にタフになっていた孫娘に気圧されながら、アリサの方がまだ可愛気が有るのう、などと馬鹿な事を考える。
そして壁際に控えていた老ウェイターは、頬が緩まないよう気合を入れて、そんなお得意様一家の微笑ましい団欒を見守っていた。


――――――――しかし、そんな平和な風景は突如壊された。


轟音と共に壁が吹き飛ばされる。
その瞬間、アキトはアリサを、グラシスはサラを抱えて床に転がった。
しかし、不運な事に壁際に居た老ウェイターは、暴風に煽られて床に叩きつけられる。

「アリサちゃん、ウェイターの人に怪我が無いか確認して!!
 グラシス中将はサラちゃんと一緒にこちらに!!」

「はい!!」

「うむ」

己が足手まといにしかならない事を分かっている二人は、素早くアキトの背後へと回り込む。
アリサも荒事に関してはアキトに逆らうつもりは無く、素早く気絶している老ウェイターを引き摺ってサラ達に合流をした。

「随分と血の臭いが酷いな、何人斬った?」

愛刀を構えながら、アキトが破壊された壁の向こうにいる存在に話し掛ける。

「いささか斬り過ぎたかもな、予想以上に手強い奴等だったから楽しめたがな」

そこには、血に濡れた刀をぶら下げながら、三日前に相対した男が立っていた。






開始の合図など対峙した二人には不要だった。
次の瞬間には血に塗れた刀が閃き、その閃光をもう一つの閃光が受け止める。

だが、前回の戦闘と違うのは、アキトだけが大きく後退をした事だった。

「っ!!」

「刀は手放さないか、流石だ」

無表情のまま、次々と人外のスピードで刀を閃かせる刀使い。
そのあまりのスピードに壁際で見守るアリサ達には、何度斬撃が繰り出されたのかまるで見当もつかない。

以前は避けられた筈の斬撃が、避ける余裕の無い速度で迫る。
遥かに予想を超えていた相手と自分との実力差に驚きつつも、何とかアキトは致死を避ける為に防御と回避行動を行う。

防御を固めるアキトの周囲で、鋼同士がぶつかりあう金属音が連鎖した。

「・・・くくくく、これを防ぐか、生身で凌ぐのか?」

最初は能面のようだった刀使いの顔に、徐々に驚愕の表情が作られる。
刀使いが何を言いたいのか、観戦するしか方法が無いアリサ達も気になったが、今はアキトに任せるより他に手段は無い為、静かに見守る。

そして、刀使いと相対するアキトにはその事を指摘する余裕も無く、最大の集中力で相手の攻撃を防ぎ続けていた。

驚愕はあっても諦観は見せないアキトに苛立ったのか、刀使いの渾身の一撃を受けてその身を大きく後ろに弾き飛ばされる。
転がりつつも、素早く身を起こして刀を構えるアキトを見て、一息入れながら刀使いは憎々しげに告げた。

「まったく、非常識な奴だなこの攻撃を捌ききるとは。
 クライアントは手足の一本は無くても構わないから、拉致を指示していたが・・・無理だな。
 俺自身がお前の存在を許せそうにない。
 だから、何があろうと、お前という存在を此処で消させてもらう」

刀使いから初めて放たれた冷たい殺気に、思わず周りの観客までもが凍りつく。
そんな中、アキトは冷静に相手の様子を観察していた。

今の窮地は前回の戦いで相手の力量を見切れなかった、自分の未熟が原因だった。
意固地になって自分一人で迎え撃つと言わず、素直にナオに援護を頼んでおけば、グラシス達だけでも逃がす事は出来た。
十中八九、自分はこの刀使いに敵わないと、今のアキトには判断する事が出来る。
単純な技量だけではなく、身体能力においてまで相手に凌駕されているのだ。
相手の目的が自分の拉致だけならば、此処で降参をして捕まり、逃げ出す機会を窺う方法も有った。

しかし、このまま素直に諦める事は、背後に庇う存在が居る以上、絶対に選べない選択肢だ。

「確か二度目だよな、お互いに顔を合わせるのは?
 そこまで恨まれる覚えは無いんだけどな」

「悪いな個人的な理由だ」

次の瞬間、最早アキトの「気」によって強化された動体視力をもってしても、殆ど捕らえきれない閃光が走る。





甲高く響いた音は2回。
右手の愛刀を振りぬいた形のアキトは、その手応えの不自然さに眉を顰める。

「・・・生身なら、切り裂けてたんだろうがな」

火花を散らす右手の脇の下を庇いながら、刀使いは一足飛びでアキトとの間に距離を取った。

「義肢、なのか?」

「似たようなものだ、もっとも試験的な改造人間という位置付けらしいがな」

右腕の調子を確かめる為に、何度か刀を振りながら刀使いが応える。
やがて少し顔を顰めつつも稼動に問題は無かったのか、憎々しげにアキトの左手を睨み付けた。

「二刀流を使うのか?」

「昴流抜刀術の奥の手だよ。
 主に防御を高めて、格上との相手に勝機を見出す為のな」

何時の間にか左手に持っていた小太刀を見せながら、両刀でアキトは構えを取る。

守り刀として手渡された小太刀は、ナデシコへと旅立つ前にリョーコの母親であるカナデからの贈り物だった。
昴流抜刀術を修めているカナデにとって、小太刀がどれだけ命に密接しているかは既知の事実。
その為、アキトの使う愛刀と同じ特殊鋼を素材として作られており、それだけの一品でなければ刀使いに両断されていただろう。

アキトは自分に業を叩き込んでくれた師と、その身を守る小太刀を用立てしてくれたカナデに心の中で感謝の言葉を述べた。

「大概に人間離れした速度と力だと思っていたが、まさかそんな秘密があったとはね」

「そんな人外とまともに戦えるお前こそ、何者だと聞きたいところだがな。
 小太刀とはいえ、二刀を実戦レベルで操れる奴がまだ居るとは思わなかったぞ。
 まったく、貴様こそ本当に生身の人間か?」

刀を正眼に構える刀使いの問いに、何とも言えず苦笑をするアキト。
実際、自分の特異性に薄々気が付いてはいた。
元々からしてボソン・ジャンプの制御以外に、さして特殊な才能は無いと自分自身では思っていた。
『戻る』前にしても、数年を掛けて何とか木連式柔の基本技と、射撃術を齧った程度の実力しか身に付かなかったのだ。
後は実践の中で泥水を啜りながら、命懸けで身に付けたエステバリスライダーとしてのテクニックが、自分の持つカードの全てだった。

しかし、あの不思議なジャンプ事故を経験して以来、自分の中のナニかが変わった事は確かだった。

それが何を意味するのかは分からないが、今はその力が必要だった。
以前と同じ力では、自分が望む未来へと導くには全然足りないのだから。

「だがお遊びは終わりだ」

次の瞬間、更に速さを増し剣閃が流星雨のようにアキトに襲い掛かる。

自身の秘密をばらした後の刀使いの攻撃には、既に手加減という言葉は無かった。
二刀を駆使して戦うアキトも、両刀を防御に回さなければその攻撃を防ぎきれないような猛攻だった。
しかも、相手にはスタミナ切れの様子は見せないのに、アキトには徐々に極度の集中と疲れから、動きに精彩が欠けてきていた。

その証拠として、細かな切傷が次々とアキトの身体に刻み込まれていく。

サラは見ていられないのか目を閉じてしまったが、アリサとグラシスは逆に見届けるつもりで二人の戦いを見守る。
未だ助けが来ない事が不思議だが、ビル内及び周辺の護衛は既に処理されたと考えると、増援が駆け付けるまでまだ時間は掛かる。
実際、グラシスが隠し持っていた緊急コールを発動しているのに、誰も現れない事が事態が致命的である事を物語っている。
この部屋から逃げ出そうにも、唯一の出口は二人が戦っている背後に有り、逃亡を試みる事は逆にアキトの邪魔にしかならない。

アキトが倒されれば、あの刀使いに数秒も掛からず殺される事は確実だと、二人ともに覚悟を決めていた。



アキトを襲う剣閃に停滞は訪れない。

既に持ち上げる事が厳しくなってきた両手の刀を、最小限の範囲で動かし続け致命傷だけを防ぐ。
此処までの死地に追い詰められたのは実に久しぶりだと、半ば意識を飛ばしかけながらアキトは内心で呟いていた。
命の危険を感じるほどに追い込まれると、浮かび上がる姿は何時も決まっていた。

「北辰・・・」

歯を喰いしばり、あの時の事を思い浮かべる。
遺跡に取り込まれたユリカの姿が、生体実験に饗され、笑みを浮かべて自分を切り刻む科学者達。

その瞬間に弛緩しかかっていた身体に力が蘇り、俯き掛けていた頭が再度上を向き、刀使いに激烈な闘気を浴びせかける。
一瞬に何かを感じ取ったのか、何故か刀使いは攻撃を中止して思わず大きく距離を取った。

そして、不思議そうにアキトの様子を窺う。

「・・・どうした、こないのか?」

「・・・気のせいか」

自分の見たものが錯覚だとばかりに首を振り、次の瞬間には再度飛燕の速度でアキトに襲い掛かる。
数秒とはいえ息が吐けたアキトは、僅かばかり回復した体力に活を入れてその剣閃の迎撃に入った。



「お爺様、さきほどテンカワさんの身体が・・・」

「ああ、一瞬だが光りおったな、青と銀の混じった感じに」

当事者達は気が付かない事でも、第三者から見れば確認できる事もある。
そして、一瞬とはいえアキトが発した不思議な現象を確かに、アリサとグラシスは確認した。

しかし、その事について深く考える前に、目の前の死闘は次のステージへと移り変わっていく。




数え切れない剣閃を繰り出していた刀使いの右手に、突然盛大な火花が散る。
それを確認して盛大に舌打した後、隙をついて繰り出されたアキトの一撃を余裕をもって退く事で避ける。

「ままならん身体だな、痛みが無い分、限界を知る事も出来ん」

右手が上手く動かないのか、忌々しそうに拳を開いたり握ったりと繰り返す。

「はっはっはっ、ふー・・・望んで得た身体って訳じゃ、なさそう、だな」

倒れこみそうになりながらも、二刀を構える姿にブレが無いアキトを見て、刀使いは初めて顔を綻ばせた。

「お前が羨ましいよ、健全な身体に溢れる才能。
 俺が心の底から望んだ資質を、全て持っている。
 今まで競い合った剣士の中でも、その若さでそれだけの腕前の奴は居なかった」

そうアキトに告げながら応急手当の類なのか、懐からスプレー缶を取り出し、火花を散らす右手に吹きかける。
やがて火花は収まったが、明らかに刀使いの右手は動きの滑らかさが消えていた。

「師にも恵まれたんだろうな、基礎と型がしっかりと叩き込まれいてる。
 あれだけの苦境にも関わらず、諦めない心も大したもんだ。
 あそこまで追い込めば、先に心が折れるものだが。
 まだまだ実戦の読み合いに荒は目立つが、かなりの年数を剣の修練に費やしてきたな」

「ああ、八ヶ月みっちりとな」

その瞬間、刀使いの顔に浮かんだのは何とも言えない表情だった。
刃を交えた仲として、相手がこんな事でつまらない冗談を言う人間では無いと、お互いに感じていた。
アキト自身、この刀使いはストイックに剣だけを修めてきた、自分の師匠と何処か同じ臭いを嗅ぎ取っていた。

だからこそ、アキトの余りに予想外の返答に対して刀使いは素の反応を返してしまった。

「・・・くくくくく、これだから天才というのは。
 いや、此処まで来ると異才だな」

左手で隠された刀使いの顔には、どのような表情が浮かんでいたのか、その場に居た誰にも分からなかった。
ただ、弛緩していた空気が、次の一言で引き締まる。

「お前が得意にしている居合での勝負だ、生き抜いてみろ」

納刀した刀を構えじりじりと間合いを詰めてくる刀使いに、応じるようにアキトも小太刀を仕舞いこみ、愛刀を構える。
慢心も無く本気で繰り出された刀使いの居合いの前に、小太刀を使った防御は逆に不利だと判断をしたのだ。

先程の戦いとは違い、静かな動きを見せる二人に引きづられるかのように、アリサは自分の身体が強張っていく事を感じていた。
そして、お互いの殺傷圏内に入ったのか、やがて前進を止めた状態で相手の呼吸を読みあう。

その緊張感に耐えられなかったのか、サラがついに気を失うように倒れこんだ。

アリサが思わずそちらに目を向けた瞬間、二つの鞘鳴りが響く。






「・・・僅差だったな、最初に斬れたのが右腕じゃなければ、負けていた」

床に座り込み、顔の右半面を血塗れにしたアキトが、必死に呼吸を整えながら刀使いに声を掛ける。
幸いにも眼球を斬られてはいないが、額から眉を斜めに通り抜ける形で、決して浅くない傷が刻まれていた。

「それも結局は、最初にお前を侮った俺のミスだ。
 この身体になって、無意識の内に慢心していたらしい・・・情けない話だ。
 自分が修めた業を心置きなく奮える事に囚われて、一番肝心な心構えを忘れるとはな。
 結局、力に振り回されるようでは、俺もまだまだ修行不足だった訳だ」

地面に横たわる刀使いの右手は、肩から斬り飛ばされていた。
切断箇所から火花は散っているが、血というよりはオイルのような粘性の強い液体が、床に零れ落ちている。

ハンデが有った状態だったとしても、確実に刀使いは自分の居合いがアキトを先に切り裂くと確信していた。
そして、その予想通りにアキトの居合いの速度は、刀使いに僅かに及ばなかった。

ただし、アキトが最初から狙っていたのは刀使いではなく、その刀身だったのだ。

自分の首筋に向けて奔る刃を、抜刀中の柄頭で打ち上げ、致死の一撃を辛うじて上方に逸らす。
その後は体勢の泳いでいる刀使いの右腕を、脇の下から渾身の力で切り裂いた。

「悔しいな、生身を捨てて挑んでも、天才には勝てんのか・・・」

その言葉を聞いても、アキトからは何も言う事は出来ない。
師匠からも叩き込まれている礼儀の中に、倒した相手に勝者からの慰めは不要というものがあるからだ。

「今はシュン隊長に連絡をして、救急班を至急まわしてもらおう」

改造人間?なんて存在を、治療できる施設が有るのかと思いつつも、アキトは公私の面から刀使いを助ける為に動こうとする。

「無駄だ、もともと死に掛けていた身体を、無理矢理強化して延命していただけだからな。
 地道に鍛え上げてきた業を、存分に使ってみたい誘惑に駆られてな、邪道に堕ちた。
 それに長時間連絡が取れなかった場合、雇い主側で自動的に止めを刺される仕組みが組み込まれてるのさ」

そう告げると刀使いは自分の刀を左手で引き寄せて、それを杖代わりにしてのろのろと窓際に向かう。
相手の意図を悟ったのか、アキトがふらつきながら立ち上がろうとするが、今度はグラシスによってその動きは止められた。

「死に場所は自分で決める、という事じゃろ。
 色々と聞き出したところだが、簡単に吐く玉じゃなさそうじゃしな」

「さすがの、年の功だな」

グラシスに感謝の言葉を贈ると、刀使いは笑いながら背中から窓に身を乗り出す。

「あんた、名前は?」

「名前か・・・忘れちまったな、そんなの」

アキトの問いに一瞬考え込んだ後、刀使いは微かに笑いながら身を投げ出す。
数秒後、固い物が地面に落ちる音と同時に、爆音が辺りに響き渡った。






顔の右半分を包帯でグルグル巻きにされたアキトが、アリサを伴って基地に帰って着たのは深夜だった。
あの後、サラが必死の形相でアキトを病院に放り込み、グラシスは新しい護衛と共に本部に帰っていった。
別れ際にアキトに対して、私人として孫娘と自分を守ってくれた事に頭を下げて礼を述べていた。
アリサは現場検証の証人としてその場に残り、今まで色々と調書を取られていたのだ。

予想通りというか、階下に身を投げた刀使いの死体は爆散しており、破片を収集することすら不可能だった。

アキトが斬り飛ばした右手の存在だけが、改造人間という不可思議な存在の名残として、軍に接収されていった。
明らかにオーバーテクノロジーの塊を前に、地方の警察で調査できる事など限られていたが。

結局、大した手がかりを得る事も無く、アリサは解放されてアキトと合流し、今に至る。

「テンカワさんと遭遇してから、私の人生はジェットコースターに乗ったみたいです」

「・・・褒めてないよね」

「勿論です」

アリサの即答を受けて、アキトは微妙に引き攣った顔をする。
その顔を見て溜飲が下がったのか、改めてアリサは頭を下げた。

「テンカワさんのお陰で、お爺様と姉さんと私の命が助かりました。
 本当に有難うございました、心から感謝しています」

「何だか改まってそう言われると、面映いな」

照れてそっぽを向くアキトを見てアリサは小さく笑った後、楽しそうに微笑みながら基地への道を進む。
アキトへの好意とは別に、敵愾心を忘れてしまった訳ではなかった。
未だ届かない高みを見せ付けるアキトに、あの刀使いのように嫉妬する気持ちは確かに残っている。
しかし、あの刀使いの最後を見た時、自分はこの道を選ぶ事はないだろうという漠然とした予感は持てた。

隣に居る白いマフラーを首に巻き、寒そうに空を見上げるアキトを盗み見しながら、アリサは自分の内心を改めてそう鑑みた。

ただ、身分という縛りから、自分が幾ら望んでも例の准将との婚約は不可避だと悟ってもいる。
祖父の横槍で時間を遅らせる事は出来ても、あの権力欲に凝り固まった男が、そう簡単に自分を諦めるとは思えなかったのだ。
そうなれば政争の道具として、直にでも本部に送られて戦場に立つ事は無くなるだろう。

それでも、せめて、この戦争が終わるまでは、この人の隣で戦いたいと、アリサは切に願う。





「テンカワ、取り合えず良い報告と悪い報告があるんだが、どっちから聞きたい?」

「・・・良い報告からお願いします」

基地に帰った途端、シュンからの呼び出しを受けたアキトとアリサは、そのままの足で司令室に向かった。
そして司令室の中では、先に任務を終わらせていたナオと、微妙な表情をした腹黒親父達が待ち構えていた。

「ヤガミがスナイパーの無効化に成功した。
 今は牢屋に放り込んでいる状態だ。
 ま、これで今回の一件で問題視されていた厄介な存在は、あらかた排除されたと思われる」

「なるほど、ご苦労様ですヤガミさん」

「ま、お前さんほどてこずってはいねぇよ。
 随分と派手にやられたみたいだな。
 というより、こっちは敵さんが予想外過ぎて別の意味で驚いた」

「?」

あれは無いよなー、と呟いているナオを不思議そうにアキトが見ていると、シュンが重々しい口調で話しだす。

「その件については後日考えるとして、もう一つの悪い報告だが。
 ・・・本日昼頃、アリサ少尉の自称婚約者が指揮する師団が、演習中に木星蜥蜴の急襲に遭って壊滅した。
 准将は戦死し、師団も大打撃を受けた為に近日中での再起は不可能となった。
 英雄として宣伝を開始したばかりで知名度が高過ぎた事が災いして、瞬時にマスコミを通じて戦死が報道された訳だ。
 お陰で西欧方面軍の士気はガタ落ちの最底辺だ」

その報告を聞いて、アリサは不謹慎ながら喜んでいいのか、悲しめばいいのか一瞬迷ってしまう。
この前から悶々としてた問題が、いっきに呆気無く解決してしまった事に、何とも言えない感情が心の内に湧き上がる。
しかし、シュン達の顔色を見る限り話はそこで終わりでは無いだろうと判断し、表情を引き締めた。

「大事な話はここからだ。
 准将を推していた派閥は、准将の抜けた穴と師団の再結成の時間稼ぎとして、新しい英雄を欲した。
 西欧方面軍にとって失っても懐が痛まない、かつ実力も折り紙つきの存在をな」

次の瞬間、全員の視線がアキトに集中する。

「今更だが本部の人間はテンカワ アキトという人物が、西欧方面軍の本部に派遣されてくる予定だったと認めたよ。
 先程届いた命令書によると、可及的速やかにテンカワを本部に送れ、という内容だった。
 ・・・グラシス中将が本部に居れば、こんな茶番劇を防げた可能性は有ったかもしれん。
 だが、今となっては、タイミングが悪すぎたとしか言いようが無いな」

「結局、このままだと俺はどうなるんですか?」

自分の身に危険が迫っている事だけは判断できたアキトが、その結果どのような事態に陥るのかをシュンに質問する。

「テンカワを担ぎ出したとしても、失った将兵が蘇った訳じゃない。
 今の基地に最低限の戦力を残し、俺達が率いる師団にテンカワを加えて、各地を転戦する予定になっている。
 実際の人員の数を考えれは、とても師団には届かない張りぼての戦力でだ。
 簡潔に言えば、これは何時壊滅してもおかしくない地獄巡りの旅だ」

実質的な増員は無理、せめてもの情けとばかりに各地での補給のみが確約されている。
そんな無茶振りな命令を受けて、当初は流石のシュンでも呆れて何も言えない状態になっていたらしい。

「・・・もし、俺がその命令に逆らったら?」

「ま、明日からは遠征の準備に忙しいからな、元々基地に居ないはずの民間人が二人、三人消えても探す余裕は無いかな」

立場上、直接伝えられない言葉を、遠まわしにしてシュンが口に出す。
その隣にいるカズシも、それを聞いても何も言わず小さく頷いていた。

そしてナオは無表情のまま、アキトがどんな判断をするのかを壁際で腕を組んで見守っている。
三人の中に自分が含まれている事を察したナオは、最終的な判断を雇い主のアキトに委ねたのだ。

司令室の中に沈黙が訪れた。

アリサは自分の気持ちを、どう表現すればいいのか迷っていた。
不思議な事に望まぬ婚約を回避できた事につては、先程から欠片も心の中に浮かんでこなかった。
ただ、この人の良いコックが自ら進んで地獄に落ちそうな気がして、心の中が冷え込むような予感を覚えたのだ。

普通に考えれば、軍部が言ってきていることは無茶苦茶な話だった。
元々の派遣理由からして、西欧方面軍の司令部付き、それも祖父であるグラシス中将の直属になる予定だったのだ。
それが何らかの横槍により、最前線の弱小部隊に配され、その危機を見過ごせずに参戦した。
本来ならば軍人ではなく民間人であるアキトには、戦う術は持っていたとしても、戦闘を行う義務は無かったのだから。

しかし、この場に居た本人以外の人間は、次にアキトが言う言葉を半ば予想していた。

「そんな厳しい戦いなら、一人でも戦力が多い方が良いじゃないですか。
 微力ながらお手伝いさせてもらいますよ。
 それに正式なコックもまだ雇ってないんでしょ?
 ならあの食堂の主を譲るつもりもありません。
 あ、でも俺は着いて行くつもりですけど、レイナちゃんにも了解を取らないとなぁ・・・
 ちょっと格納庫に顔を出して、話を付けてきますね」

気軽にそう話した後、アキトは軽い足取りで格納庫に向かった。
その場に残された全員が、余りに予想通りなアキトの行動に深々と溜息を吐く。

特にアリサはその言葉を聞いて、内心で喜んでいる自分を発見して顔を俯かせてしまった。

「随分と意地の悪い方法を使うじゃないか、シュン隊長。
 あのお人好しが、あんな風に言われて断るはず無いって分かってただろ?」

アキト自らから地獄行の契約書にサインをさせた事を、ナオが揶揄するようにシュンに話しかける。
まさか軍籍にある人間が、民間人に戦闘への関与を依頼する事など許されない。
ましてやアキトの身柄は本来ならば、東南アジア方面軍とネルガルという組織に属している。

ならばどうするかと言うと、軍からの強制ではなく、本人の自由意志で参戦させるしか方法は無いのだ。

そして、此処最近の付き合いでアキトの性格を把握しているシュンには、アキトの口から参戦を告げさせる手段も分かっていた。
全てはアキトの自己責任から行われた行動であるという、言質を取る為に。

「ああ、最低な手段だって事は分かってる。
 分かってる上で、部下達と激戦区の兵達の命を秤にかけて、俺はその手段を選んだ。
 もし、テンカワが墜ちる時は、俺も最後まで付き合うつもりだ」

「もっと嘯くと思ってたんだが、らしくない反応だな?
 ま、雇い主が行くっていうんだ、俺は黙って着いて行くだけだな」

狸親父の面の皮が厚い事を知っているナオは、意外に素直な反応が返ってきた事に内心で驚く。
しかし次の瞬間には、シュンにとってプライベートな事に関わっていると判断をしたのか、肩を竦めてからその場を去った。

足音が遠ざかった後、顔を顰めたままのシュンが困ったように呟く。

「やれやれ、元工作員にまで気を遣われるとはなぁ、俺もよっぽど参ってるらしい」

「あの男はどうも工作員とは思えない気質ですがね。
 しかし、上に立つ者の辛い所です」

「しかし、本当にこれが正しい軍の姿なのでしょうか・・・」

自分達の力不足が招いた事態に、悔しそうに顔を俯かせたままアリサが呟く。

「その時、何が正しかったのかは、後の世にならないと分からないもんさ。
 もしかすると最低最悪の手段を選んだのかしれないが、今はこれ以上の手を俺は思いつかなかった。
 これでもしテンカワに何かあった時は・・・」

どうにも最近はテンカワの事になると、俺らしくもなくナイーブになるよな。

苦笑をしながらそう言うと、シュンは手振りでカズシとアリサの退室を許可した。
それを受けた二人は敬礼をした後、連れ立って司令室から姿を消す。


「・・・嫌になるほど息子と姿がダブって見えやがる、歳だな本当に」


司令室で零れたシュンの呟きは、誰にも聞かれる事は無かった。






翌日、基地内に居る全員を集めた朝礼が行われた。
その朝礼で発表された内容に全員が絶望し、続けて紹介されたアキトの同行を受けて歓喜の声が上がる。


独立急襲部隊「Moon Night」


後々まで西欧に名を刻み込む、伝説の部隊が誕生した瞬間だった。
















 

 

 

 

漆黒の戦神 第五話に続く

 

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