< 時の流れに >

 

 

 

 

 

第三話.白鳥 ユキナの私生活

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう〜、ミナトさん」

 

 小さく欠伸をしながら、私は台所に立つ義理の姉に挨拶をした。

 猫がデフォメルされた絵柄のパジャマで、目元をこすりつつ私は台所に入っていく。

 ミナトさんはフライパンを片手に、楽しそうに菜箸を操っていた。

 料理の邪魔にならないように、腰元まである長い髪は髪止めで纏めてある。

 何時でも出掛けられるようにと、既にスカートとブラウスを着ているみたいだ。

 今はその上から、愛用のエプロンを着けている。

 

 ・・・お弁当、作ってくれてるんだ。

 

 お兄ちゃんとミナトさんが、周囲の祝福の元に結婚をして一年が経つ。

 最初の数ヶ月は流石にその存在に馴染めなかったけど、今では昔から一緒に住んでいるように感じている。

 それに、お兄ちゃんにはやはり相談できない『女の子』の会話が出来る、唯一の身内だし。

 

 私には『お母さん』の記憶が殆ど無いから、もしかしたら凄く甘えているかもしれない。

 

 そんな事を考えつつ、ミナトさんの後姿を見ていると。

 

「おはよう、ユキナちゃん。

 早く着替えないと学校に遅刻するわよ」

 

 一向に動こうとしない私に向けて、ミナトさんがそう注意をしてきた。

 主婦であると同時に中学校の教師である・・・

 流石に義理の妹が、学校に遅刻するのを見過ごすつもりはないみたい。

 

「うん、直ぐに着替える。

 ・・・お兄ちゃんは?」

 

 冷蔵庫から牛乳のパックを取り出し、コップに注ぎつつミナトさんにそう尋ねる。

 やはり、『お姉ちゃん』だけはどうにも恥かしくて言えなかった。

 ・・・で、妥協案として今までと同じ様に『ミナトさん』と呼ぶ事にした。

 

 その事について、ルリルリに一度―――

 

『頑固で融通が効かない所は、お兄さんそっくりですね』

 

 なんて言われたけど。

 ルリルリにだけは言われたくなかったな、その台詞。

 テンカワ アキトを待ちつづけて2年・・・どっちが頑固なんだか。

 

「九十九さんなら、早朝に重要な会議があるからって・・・朝早くに出掛けたわよ」

 

 

 

 

 

 ・・・逃げたな、お兄ちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の部屋に帰り学校の制服に着替え、素早く髪を梳いた後。

 私は急いで朝食の準備が整っているリビングへと向かった。

 

「で、昨日はどうだったの?」

 

 居間に置いてある食卓を挟んで私の対面に座りながら、ミナトさんはそんな質問をしてきた。

 勿論ミナトさんが、私に何を聞きたいのかは十分に分かってる。

 

 ・・・だけど、答えるのが嫌な答えも確かに世の中には存在するのだ。

 

「別に、普通〜に、エスコートしてもらって。

 何事も無く帰って来たわよ・・・一人でね!!」

 

 今更、誰にエスコートをしてもらったかなど、答える必要は無いけど。

 流石に私が一人で帰って来た事に、ミナトさんは驚いたみたい。

 

 そして怪訝な表情のミナトさんを前にして、私は親の仇の様にこんがりと焼けたトーストを齧る!!

 まったく!! 昨日のデートの事を思い出すと苛々して仕方がない!!

 

「・・・昨日、九十九さんの機嫌は良かったけど?」

 

「そりゃあそうでしょうね〜

 遊園地中を楽しそうにジュン君を追い掛け回してたから」

 

 お陰で私は一人寂しく御帰宅よ!!

 お兄ちゃんのお陰で、全然ジュン君との仲は進展しないし!!

 今朝こそ文句を言ってやろうと、強く誓っていたのに!!

 

 ・・・ちなみに、昨日は不貞寝をしてたら何時の間にか真夜中だった。

 

「おかしいな〜?

 昨日も大切な会議があるから、って連合軍の本部に行ってたはずなのに」

 

「本部には行ってたみたいだよ。

 ・・・遊園地には連合軍のマークが入ってるヘリコプターで乗り込んできたから」

 

 ジュン君に向かって大声で何事か叫びつつ、ヘリコプターで現れたお兄ちゃんを見た時。

 私は今日という日が終った事を嫌でも思い知らされたものだ。

 せっかく気合を入れて頑張った化粧も、迷いに迷って決めた服も・・・全ては一瞬にして御破算だった。

 

 

 

 

 あ、思い出したらまた抑えきれない怒りが・・・

 

 

 

 

      ピキッ!!

 

「・・・コップが砕ける前に力を抜きなさいよ。

 そんな事で怪我をしたらつまらないでしょ?」

 

「は〜い」

 

 蜘蛛の巣状にヒビの入ったコップを弄びつつ、私は気の乗らない返事をミナトさんに返す。

 昨日こそ・・・せめてAまでいきたかったのにな〜

 まだジュン君、昔の事を引き摺ってるんだもん。

 

 

 2年経っても、あの戦争に縛られてるのは・・・皆、同じなんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、頑張って勉強をしてきなさいよ」

 

「分かってるよ〜

 それと、今日は部活があるから遅くなるからね」

 

「はいはい」

 

 そんな会話をした後、ミナトさんと私は別々の道を歩き出した。

 ミナトさんは去年まで私が通っていた中学校に・・・

 私は今住んでいる家から、歩いて30分の高校に向けて。

 

 お兄ちゃんが木連の政府から、地球への外交官の一人として派遣されたその年に。

 ミナトさんとお兄ちゃんは結婚をした。

 政治的な意味合いが強い結婚だったけど、二人は幸せそうなので皆が祝福をしてくれた。

 

 ・・・ハメを外し過ぎた一部の連中が、式場から強制退場されてたけど。

 

 よく、あれだけの爆発物を入り口のチェックに引っ掛からずに持ち込めたもんだわ。

 性格はともかく、腕は一流の人材という話は本当だと、つくづく思い知ったわよ。

 

 でも、千沙さんだけは結婚式に参加をしてなかった。

 多分、お兄ちゃんもミナトさんも・・・会っても何も言えなかっただろうと思うけど。

 お兄ちゃんが自分でミナトさんを選んだんだけど、政治家達と周囲の期待も大きかったのは確か。

 

 100年もの間、誤解と事故により離れ離れになっていた人類同士の、和平の象徴

 

 笑うしかない、そんな飾り文句が・・・結婚式場には掲げられていた。

 その『誤解』と『事故』のお陰で、一体どれだけの人間が苦しんだのか・・・

 会場で大声で笑っている厚顔な政治家の顔を、何度殴ってやろうと思っただろう。

 実際、お兄ちゃんとミナトさんの仲を、野卑な言葉で嘲笑する奴を見た時・・・私は駆け出す所だった。

 

 でも、そんな私を隣に居たジュン君が止めてくれた。

 自分自身、歯を食いしばって耐えていた。

 まがりなりにも平和な世界を作った以上、今度はそれを継続していかなければならない。

 

 ・・・でなければ、犠牲になった人達や・・・あのテンカワ アキトが哀れすぎる。

 

 会場を離れた場所で、そんな告白を聞かされた。

 星空を見上げたまま、自分に言い聞かせるように。

 いや・・・あの時ジュン君は私じゃなく・・・他の『人』に話し掛けていた。

 

 何となく・・・私はそう思った。

 

「あれから一年、か。

 私も少しは成長をしたのに、まだまだ子供としてしか見てくれない、か」

 

 ふと思い出した、一年前の結婚式を思い出しながら。

 私は学校への道を歩いていた。

 初夏にしてはキツイ日差しが、半袖のシャツから出ている私の肌をジワジワと焦がす。

 

 暑いと感じながら・・・私は五感が無い状況を想像してみた。

 それは、ルリルリから聞いた昔話。

 

 本当ならお兄ちゃんは既にこの世に居なかったかもしれない。

 私はミナトさんに引き取られ、今と同じ様に高校に通い。

 悲しみを乗り越える為に、ひたすらに努力をしていた・・・そうだ。

 

 空間跳躍の事故によって、未来から来たというルリルリ達が教えてくれたもう一つの未来。

 やっと掴んだささやかな幸せを奪われ、復讐の鬼と化し・・・全てを破壊し尽くした男。

 その男を中心に、未来は大きく動いていた。

 でも・・・結局、最後には何も残らなかった復讐劇。

 ただ、何万という人が死に。

 悲しみだけが心を満たしていた。

 

 そんな未来を回避するべく、ルリルリ達は戦った。

 私でもそんな未来を知っていれば、きっと無茶を承知で戦う。

 お兄ちゃんを亡くさない為に、ミナトさんを悲しませない為に・・・

 

 でも、その代償として・・・テンカワ アキトは深く傷付いていった。

 その周りの人達も、心に深い傷を負いつづけていった。

 ジュン君もその一人だった。

 

 私には・・・ジュン君の傷を塞ぐ事は無理なんだろうか?

 

          カツン・・・ 

 

「そりゃ、私自身は何もナデシコや皆の事情を知らないけどさ・・・

 知っていない方が、身動きが取り易い事だってあるじゃない」

 

 足元の小石を蹴りつつ、ついつい愚痴をこぼしてしまう。

 少なくとも、出会った頃よりジュン君は明るくなったと思う。

 あの頃の、自分を痛めつける事しか考えていない時より、余程マシになってる。

 ・・・少なくとも、私はその変貌の一端を担ってると自負をしていた。

 

 じゃないと、逆にジュン君の側に・・・自分の身の置き所が無いと思ってしまう。

 

「・・・そう言えば、千沙さん元気かな」

 

 身の置き所が無かったのは・・・千沙さんだろう。

 婚約者は他の女性と結婚し、自分は捨てられた。

 ・・・誇張ではなく、一部の週刊誌にはそんな事が書かれていた。

 自分の記事に一体どれだけの人が傷付くのか、書いた本人は自覚していたのだろうか?

 

 勿論、私やお兄ちゃん、それに他の優華部隊の皆は怒り狂った。

 折りしも結婚式の前日にそんな記事を書くこと自体、私達木連の人間に対する嫌がらせとしか思えない。

 千沙さんは表面上は何も変わらないまま、何時もの様に舞歌様の仕事を手伝っていたけど。

 

 でも、意外な事に一番怒っていたのが・・・あのネルガルの会長だった。

 既に逃げ出していたライターと編集長を見つけ出し。

 木連の関係者が泊まっていたホテルに連行してきたのだ。

 今のネルガルとルリルリ達の力を集結すれば、決して不可能な事ではないとはいえ。

 損得勘定抜きで、一企業の会長が動くとは思わなかった。

 

 驚いた顔で迎えた私達に向け、アカツキさんは頭を下げて謝罪した。

 自分の不手際で、皆さんに不快な思いをさせた、と言って。

 例の記事はネルガルに敵対する企業の一つが書かせたものだったらしい。

 注意を怠った自分に責任はある、そう言いながら頭を下げるアカツキさんに千沙さんは複雑な表情をしていた。

 

 ・・・結局、ライターと編集長の二人はゴートさんに連行されて消えた。

 何故か嬉しそうなゴートさんの顔と、泣き喚いて許しを請う二人の顔が忘れられない。

 同情なんて全然おきなかったけど。

 

 でも、その後お兄ちゃんとアカツキさんが何処かに消えて・・・

 一時間ほどして、何故かお兄ちゃんが左頬を腫らして帰ってきた。

 

 

 ・・・それで、全部終ったんだと、私はなんとなく納得してしまった。

 

 

 二人の間にどんな会話があったのか分からない。

 だけど、私の『お姉ちゃん』がミナトさんだという事だけは、確かな事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それだけで、充分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その2に続く

 

 

 

 

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