< 時の流れに >

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、兄貴。

 まだ居たのかよ?」

 

「一つ用事が残っていたからな」

 

 既に病院に向かっていると思っていた玄夜が、未だリビングでお茶を飲んでいる姿を見つけて、暁は不思議に思った。

 モグリの医者をしているくせに、玄夜の経営する『久遠病院』の治療費は驚くほど安い。

 スラムに住み、ろくに治療費を払えない人達にとっては、正に最後の拠り所として慕われている。 

 その為に常に忙しく、少ない医師達を交互に休ませるため、玄夜自身が連続で夜勤をする事も多い。

 そんな兄が、病院の診察時間が始まっているのに、この家に留まっている姿は珍しいのだ。

 

 兄と同じテーブルに着き、何事かと様子を窺う暁。

 

「暁、お前・・・また女性の患者に手を出したそうだな」

 

 次の瞬間、暁は座っていた椅子を蹴倒して床に転がった。

 その頭上を、銀色に輝く包丁が通り過ぎる!!

 

「こ、殺す気かよ!!」

 

「前に忠告しただろ、今度患者に手を出したら・・・お仕置き位では済まん、とな」

 

 床に倒れている暁を見下ろす玄夜の瞳に、冷たい色が宿る。

 兄がかなり本気な事に、今更ながら気が付いた暁は必死に言い訳を考えた。

 だが、どう言い逃れをしようにも、患者に対して絶対の責任感を持つ兄を説得出来るとは思えない。

 一時の誘惑に負けた自分を、久しぶりに後悔する暁だった。

 

「あの・・・確かに俺が悪かったけど、医者が包丁を振り回すのは問題じゃない?」

 

「じゃ、メスならいいのか?」

 

 何でも無い事のように、懐からメスを取り出す玄夜。

 朝の光を反射して、鋭く光るそのメスに不幸な予感しか思いつかない暁だった。

 時々、真顔で冗談を言う兄だが、この場合はどちらか判断が付きかねる。

 

 これは本気で対処をしないと、洒落にならないなぁ〜

 

 隙を見せない動きで距離を詰めてくる兄に、素早く立ち上がって格闘用の構えをとる暁。

 暁が本気で反抗をするつもりなのを察し、玄夜の動きが止まる。

 そうやってお互いに睨みあう事10分・・・突然、玄関が開く音が響き、リビングに40代半ばの女性が乱入してきた。

 

「院長!! 何やってるんですか!!

 もう問診が始まってる時間だよ!!」

 

「はい、直に病院に向かいます」

 

 先程までの剣呑な雰囲気など微塵も残さず、怒鳴られた瞬間には玄関に向かう玄夜。

 何時の間にか、仕事着とも言える白衣を小脇に抱えている。

 

 大声で玄夜を叱ったのは、久遠病院で看護士のチーフを務める沢井 美代(さわい みよ)だった。

 大柄な体格をした女性で、黒い髪は肩口で切りそろえてあり、意思の強そうな黒い瞳をしている。

 少し年はとっているが、美代は整った顔立ちをしていた。

 身長175cmにナース服を着た彼女は、久遠家の男三人にとって不在の母の代わりでもある。

 特に貴などは赤ん坊の頃から面倒を見てもらっているので、「育ての母」と言っても過言ではない。

 また彼女も、この三人に対して実の息子のように接し、愛情を惜しみなく注いでいた。

 

 それが分かっているだけに、彼等は美代に逆らう事はまず無かった。

 

「それと暁ァ!!」

 

「はいっ!!」

 

 名前を呼ばれた瞬間、直立不動になり何故か敬礼までしている暁。

 兄の脅威が去って一息吐いていただけに、その一喝は不意打ちだったのだ。

 

「・・・今回は相手の娘さんにも非があったから、大きな問題にはしないけど。

 また同じ事をしてみなさい、玄夜と一緒に私もお仕置きに来るからね」

 

「胆に免じておきます!!」

 

 ギロリ・・・と睨まれると同時に、顔中に脂汗を掻きながら返事をする。

 その返事を聞いて、吊り上っていた目を降ろす美代。

 小さく息を吐くと、今度は心配するような声音で暁に話しかけてきた。

 

「ま、向うの娘から誘ってきたんだし、責任は半分半分かもしれないけど。

 玄夜は入院患者に対しては、そこらへん融通が利かないんだから、気を付けなよ」

 

「・・・は、反省してますよ」

 

 仕事場では、兄の生真面目ぶりが最大限に発揮されてるのだろうな。

 と内心で予想して、苦笑をする暁。

 そんな暁の内心も簡単に見抜く女傑は、今度は別の攻撃を開始した。

 

「反省してるのなら、そろそろまともな職に着きな。

 あんたの腕っ節なら、警備会社とかでも十分にやっていけるだろ?

 何なら、ウチの病院の警備でも担当するかい?」

 

「う〜ん、どうも人の下に着くのは・・・ね。

 確かに兄貴や美代さんなら、怒鳴られたり命令されても笑ってすませるけど。

 ―――他人が相手だと、ちょっと自信無いな」

 

 暗い笑みを一瞬浮かべた暁に、美代は悲しそうに首を振るだけだった。

 何度同じ説得をしても、この答えだけは変わらない。

 暁の人格を形成してる根深い部分に刻まれたその刻印を知る者は、玄夜と美代しか居ない。

 

「暁さ〜ん、迎えに着たぜ〜」

 

 玄夜が飛び出して行った玄関から、また別の人間の声が聞こえる。

 

「あ、サンシローの奴だ。

 御免、美代さん、俺も仕事が出来たみたいだからさ」

 

 素早く身を翻し、リビングの椅子に引っ掛けていた、黒いジャケットを持って飛び出す暁。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい!!」

 

 慌てて美代が後を追いかけるが、その長身の姿は既に玄関を抜け出した後だった。

 かすかに玄関口の方から、サンシローと楽しそうに会話をする暁の声が聞こえる。

 

 

 

 

「ま、あんな風に笑えるようになっただけ・・・マシなのかねぇ」

 

 

 

 


 

 

 

 

「ご、ごめん・・・少し遅れた」

 

「少しじゃないよ、全く」

 

 貴は待ち合わせをしていた、自分と同じ制服を着た友人に必死になって謝っていた。

 昨夜、この友人にはさんざん遅刻はするなよ、と注意をされていたからだ。

 この友人の名前は高木 大介(たかぎ だいすけ)といって、貴とは小学校の頃からの付き合いだ。

 年も同じだし、住んでいる場所も近い事もあり、二人は長年の親友だった。

 大介の背の高さは170cmを超えており、この年の少年にしては少々線が細い。

 黒い髪は貴と違って硬そうな直毛で、今は綺麗にスポーツ刈りになっている。

 顔立ちは結構整っているが、むしろそれより意思の強そうな黒い瞳が真っ先に目に付く。

 

 そして、貴がパイロット育成学校に合格したように、大介は商業・経理の育成学校に受かっていた。

 進む道は違ってきたが、スラムから向うの世界に行く時に、気心の知れた友人が一緒というのは心強い事だ。

 

「初日から遅刻してみろ、ただでさえスラムの人間を快く思ってない連中だぞ?

 格好の攻撃理由を、自分から作ってどうする?」

 

「いや、だからね・・・」

 

「言い訳するな、どうせ朝寝坊だろう」

 

「・・・・・・・・・・はい」

 

 言い訳をする間もなく、真相を言い当てられてしまい、素直に謝るしかない貴。

 長年の付き合いから、貴の遅刻の理由など簡単に予想が出来る大介なのだった。

 

 二人にとって、スラムから出るのは初めての経験だった。

 もっとも出ると言っても、木連の血族・関係者が住む『街』は別にあり、スラムとの中間に出来た土地に学校は作られている。

 『街』の人間から言えば、その土地は公園のようなモノだった。

 だが、その開いた中間の土地に行く事すら、スラムの人間には許されていないのだ。

 世界各国にこの『街』とスラムは点在している。

 そこでは様々な人達が暮らしているが、不文律が一つだけあった。

 

 ―――それは、木連に連なる人間であるか、どうか。

 

 200年前に腐敗した地球連合軍を、木連を率いる草壁中将が打破した。

 不平等な和平を押し付け、同胞を捨て駒のように扱う地球連合軍に憤慨し、彼等の為に立ち上がった正義の人だ。

 当時の連合軍の切り札と呼ばれる戦艦すら、正面から正々堂々と撃破した事は、歴史の授業では必ず習う事だった。

 草壁中将は、その絶大なカリスマで優秀な配下を集め、苦難の末に地球連合軍を倒し、木連の統治する世を作った。

 

 その時、草壁中将のバックアップをしたクリムゾングループが、今現在では世界の経済を担っている。

 順当に卒業出来れば、大介もクリムゾングループに入り、その職務に着く予定だ。

 現在の地球は、当時の草壁中将の配下の血筋の者と、クリムゾングループの関係者で統治されている。

 そんな彼等の根底には、木連に連なる人間でなければ信用出来ない・・・という考えがある。

 言葉を飾らずに言えば「木連でなければ人間ではない」という発言が、上層部では当たり前だった。

 

 勿論、そんな考えに反発する人間も多い。

 そんな人達は『街』を出て、スラムへと移り住んでいく。

 もしくは、犯罪を犯した人間や、木連への反抗を企てた人間などもスラムへと逃げ出した。

 貴の祖父も、大介の両親も、理由は話さないが『街』からスラムへと移住をしてきた人間だった。

 

 だが、どちらにしろスラムの人間はあらゆる意味で、生活水準が『街』と雲泥の差がある。

 『街』の人間も、一応はスラムに住む人間の動向に気を配っているが、基本的には不干渉だ。

 汚いモノを見るように、出来れば消してしまいたい存在だが、そこから刈り取れる労働力は魅力的だった。

 無人兵器を改造したロボットでは、どうしても無理がある仕事などは、スラムの人間が便利だからだ。

 そんな彼等のとった手段は、見たくないスラムと『街』の間に大きな『防壁』を作る事だった。

 こうして、スラムと『街』の間にはますます大きな確執が生まれていった。

 

 大介の両親は、流行り病に掛かりあっけなく亡くなった。

 『街』に住んでいれば、確実に治せたような病気だった。

 しかし、両親はスラムでその生涯を終えた・・・彼とその妹を残して。

 

 そんな彼の夢は、クリムゾングループを足掛かりにして、再び『街』に戻る事だった。

 約束された幸福を捨て、両親が何故『街』を捨てたのか、その理由を知るために。

 

「・・・やっと、目標への第一歩だな」

 

「お互いにね」

 

 開かれていくゲートを見ながら、感慨深げに大介と貴が呟く。

 お互いに、人に言えば必ず笑われていた夢だった。

 しかし、今・・・確実に彼等はその夢への一歩を踏み出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 木連が世界を支配してから200年。

 ありとあらゆる所で、世界は軋みを上げていた。

 

 

 

 ―――その混乱する世界の中を、彼等は駆け抜ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後書き

さて、誰がアキトでしょー?(苦笑)

 

 

 

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