< 時の流れに >
「はい、じゃあこのペンライトの光を目で追って」
話題の中心にいる女性は、すでに意識を取り戻していた。
ただし、意外な事態が起こっていたが。
「はぁ?
記憶喪失?」
暁の鋭い声を聞いて、玄夜が診察をしていた女性が少し身を竦ませる。
気が付いた彼女が、自分の名前すら思い出せない事を知ったのは、玄夜が彼女に名前を尋ねた時だった。
一般常識など生活に必要な知識は残っているが、自分の名前を含む個人情報は見事に消えていた。
その事が発覚したのは、暁が忍び込んで捕獲される直前である。
思わぬアクシデントを聞き、暁は溜息を吐きながら手近にあった椅子に座った。
「診察中に騒ぐな、馬鹿者。
彼女が運び込まれた理由が、頭部への打撲だったからな。
多分、それが原因だと思われるが。
お前の話が正しければ、彼女の名前は歩美という事になるが。
・・・年齢的にも一致するしな」
「そうなんですか?」
可愛く首を傾げながら、玄夜に話の真偽を尋ねる女性。
明るい茶色の髪が、その頭の動きにあわせて背中で揺れる。
そしてスミレ色の瞳は、玄夜に言われた通りにペンライトの光を追っていた。
「いや、それも一つの可能性だという事。
・・・特に神経系にも問題無いみたいだ。
気分とかは悪くない?」
「はい、記憶以外は全然大丈夫ですよ」
すっかり玄夜に気を許している女性に、暁は何だか面白くなかった。
その女性が、滅多にお目にかかれない美人だという事もある。
それとは別に、記憶を失くしているというのに・・・落ち着いた彼女の態度がどうにも引っ掛かっていた。
「・・・あら、先生。
その手の平の傷は、どうされたんですか?」
診察が終わり、目の前の女性をどう扱おうかと悩んでいる玄夜に。
目に付いた玄夜の右手の古傷について、質問をする。
その傷はよく見ると、刃物が掌を貫通したように見えた。
「ああ、古傷だ・・・自分でも覚えてない傷だけどな」
「痛そうですねー」
「もう大分昔の傷だし、今更痛みはしないさ」
和やかに会話を進める二人。
普段の玄夜は、診察以外で女性と長話をする事は珍しい。
玄夜に好意を持つ患者や看護士は数知れない・・・だが、玄夜はその手の会話が苦手なのか、必要最低限しか女性とは話さないのだ。
普段の態度を知っているだけに、暁は不思議な光景を見ている気分だった。
「・・・とにかく、彼女を依頼人の所に連れて行く。
依頼人である両親に会えば、何かの拍子で記憶を取り戻すかもしれないし」
「まあ待て、それでも一日様子を見てから移動をさせるべきだ。
頭を打っている以上、後から症状が出る可能性もあるしな」
「そうですよー、後遺症って怖いんですから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・無茶苦茶元気そうじゃねーか」
玄夜の言葉に賛同を示す女性は、暁の意見に反対とばかりに頬を膨らましている。
貰っていた情報通りなら、彼女の年齢は二十歳のはずなのだが、その態度からは幼さしか感じられない。
「とにかく、俺としては彼女を直ぐに退院させる事には反対だ。
大体、もし人違いだったらどうするんだ?
そのまま記憶の無い彼女を放り出して、帰ってくるつもりか?」
段々と玄夜の口調がエキサイトしていく。
普段は落ち着いた態度と口調で他人に接する男だが、家族や親しい人物には素の感情をぶつける一面がある。
患者や久遠病院の医師達は、そんな激する玄夜を見た事はまず無い。
この隠されている激しさも、間違いなく玄夜の本質だった。
「その時はこの病院で住み込みで働きながら、治療を受けたらいいだろう。
なんだったら、家のお手伝いさんでもしてもらうか?
美代さん以外で、兄貴が楽しそうに女性と話す姿は初めてみたぜ?」
「・・・何、だと」
「はっ、図星かよ?」
お互いに立ち上がり、睨み合う二人。
身長差から考えれば、暁が玄夜を見下ろす感じになるのだが、玄夜の放つ威圧的な雰囲気はそれを感じさせない。
以前、暁が女性が苦手という玄夜を、徹底的にからっかった事があった。
そのせいだろうか、普段は人一倍冷静な玄夜が、女性関係でからかわれた時だけは過剰に反応をするのだ。
そして暁もまた、今朝から包丁で襲われ、地雷に引っ掛かり、とストレスを溜め込んでいた。
「あのー、当事者を置いて話を進めないで欲しいんですけど?」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
緊張感が極限まで高まっていた二人に間に、気負い無く女性が笑顔で割って入る。
その笑顔とタイミングに気を逸らされ、頭を掻きながら椅子に座りなおす二人だった。
「・・・とにかく、彼女は連れて行く」
「・・・いや、駄目だ」
と、結局堂々巡りになりそうになった時、意外な救いの手が現れた。
「あのー、暁さん居ますか?」
「おう、居るぞって・・・何だサンシローじゃないか?
今まで何処に行ってたんだよ?」
控えめなノックと共に、サンシローが病室に姿を現した。
玄夜はサンシローの登場で気持ちを切り替えたのか、今では落ち着いた態度で二人を見ていた。
「あはははははは、ちょっと依頼人に娘さんを発見した報告をしようと思って」
「そうかそうか、情報だけでも報奨金が手に入るからな」
「いえ、もう歩美ちゃんは他の同業者によって保護されたそうです。
依頼人の確認も済んでいるそうで・・・
いやぁ、まいっちゃったなぁ〜」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何、だと?」
「とゆー訳で、家のお手伝い兼看護士見習い兼居候になった・・・」
「久遠 吉野(くおん よしの)です、ヨロシクね貴君♪」
大介と別れて、家に帰り着いた貴を待っていたのは、何時もの無駄に陽気な兄と、見た事も無い美女だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや、全然意味分かんないよ、暁兄さん」
突飛な暁の行動には、生まれた時から付き合っているので耐性はある・・・つもりだ。
だが、さすがに突然美女とコンビを組んで、玄関先でコントを開始するとは予想もしていなかった。
これで相方役がサンシローなら、まだ貴も笑えたかもしれないが。
「ちなみに、吉野ちゃんの名前は、兄貴が考えた。
病院の庭に染井吉野が咲いてるだろ?
あれが丁度満開でな、兄貴がそこから名前を取ったという訳だ。
残念な事に、俺の考案した名前は気に入ってもらえなかったのさ」
「だって暁さんの考えた名前って、まるでお水系の人みたいな名前ばかりじゃないですかー」
しかし、二人は見事に貴の意見を無視する。
まるで何も聞こえていないかのように、話だけが進んでいく。
「いや、だからね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最初からきちんと説明してよ、暁兄さん?」
無駄な努力だと頭の片隅で悟りながらも、儚い抵抗を試みる貴。
「お水系だと分かるとは・・・さては記憶を失くす前は、その筋の人だったとか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・玄夜さんに言いつけておきます」
「ああああああああ!!
ごめんなさい!! ごめんなさい!!」
「もう知りません!!」
そう言って、肩を怒らせながらリビングに足早に向かう吉野と名乗った女性。
その吉野の後ろを、暁が必死の形相で追いかけて行く。
――――――後には、玄関先で頭を抱える貴だけが残されていた。
「誰か・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・僕に分かるように説明してよ、ねぇ?」
こうして、一羽の鳥が久遠家に迷い込んだ。
その存在が何をもたらすのか・・・兄弟達はまだ知らない。
後書き
順調に更新が続いております。
この調子で、一月に二話ペースで更新をしていきたいですね。
よし、第三話も頑張るぞー