< 時の流れに >
気が付くと、見覚えの無い天井が目に入った。
不思議に思って、朦朧とした頭で周囲に視線を向ける。
僕は薄暗く、最低限の日用雑貨が置かれた部屋に、布団の上に寝かされていた。
「あ痛!!」
身体を起こそうとする、体の節々が痛む。
一体、自分の身に何が起こったのかを思い出そうとして、貴は天井を見上げたまま記憶を探った。
マサトに辛い現実を突き付けられ、逃げ出した後・・・
どうやったか覚えていないが、何とかゲートは無事に潜り抜けた。
途中、誰何の声を上げる門番を跳ね飛ばした気もするが・・・多分、記憶が混乱してるだけだろう。
その後も、形振り構わず走り続けた。
――――――そして
「あ、目が覚めたの?」
長い黒髪を無造作に三つ編みにし、眼鏡をかけた少女が水の入ったグラスを片手に持ち部屋に入ってきた。
「泣きながら飛び込んできて、いきなりチンピラを殴り倒した所までは格好良かったんだけどね」
まとわり付いてくる子供達の相手をしながら、三つ編みの少女は苦笑をしてそう言った。
細い体付きの女の子で、長めの前髪と眼鏡のせいで顔はよく見えない。
古着を着ているが、綺麗に洗濯をされたその着物には汚い感じは受けなかった。
少女の名前は深山 忍(みやま しのぶ)
今現在、貴が寝かされている孤児院で、孤児達の面倒を見ている少女だった。
何でも忍自身が孤児であり、この孤児院で育ったそうだ。
外見からすると年齢は貴と同じ位だろう。
「あ、起きたんだこのお兄ちゃん」
「格好だけで、実は無茶苦茶弱いんだぜ」
「じゃあ、何しに飛び込んできたんだろ?」
「さあ?
何か着た時から、滅茶苦茶泣いてたし」
「・・・・・・・・・弱くて悪かったね」
少年少女達の無邪気な言葉に、ガラスの心臓を砕かれる貴だった。
そして沈み込む貴を気の毒に思ったのか、もしくは鬱陶しく感じたのか、忍が救いの手を差し伸べる。
「はいはい、このお兄ちゃんは一応私達を助けてくれた人なんだし、これでも怪我人なんだよ?
皆は大人しく部屋に帰ってなさい」
「「「はーい」」」
5〜6人の子供達が忍の言葉に頷き、楽しそうに笑いながら部屋を出て行く。
その後姿を見送りながら、貴は自分に起こった出来事を思い出していた。
泣きながら走り続けていた時、偶然にも二〜三人の男性に絡まれている忍と子供達を見付けたのだ。
先程の出来事で、普段からは考えられないほど苛立っていた自分は、そのままの勢いで男性の一人を殴り倒した。
・・・その一撃は、僕の予想以上の威力を示した。
男性の脇腹にめり込んだ拳の感触が、今でも忘れられない。
確実に肋骨を砕かれ、男性は吐血をしながらその場に倒れた。
僕は自分が引き起こした事態に恐れ慄き、茫然自失でその場に立っているだけだった。
――――――その後は、最初の一撃に怯んでいた他の男性達に袋叩きにされた。
自分が他人に大怪我を負わせた事に脅えて、何も出来なかった。
地面に引き摺り倒されながらも、僕の視線は血反吐を吐いて苦しむ男性の姿しか見ていなかった。
その傷を負わせたのが自分である事が、とてもじゃないが信じられなかった。
僕の心の中は、殴られている痛みより、深く考えもせず他人に暴力を振るった事に対する後悔で一杯だった。
結局、そのまま僕の意識は途絶えてしまったのだけど。
「でも凄い登場の仕方だったよね、うん。
私、絶対に忘れられない」
「え?」
「いきなり『背が低くて悪いか〜』って、泣き叫びながら駄々っ子パンチでしょ?
たまたま最初の一撃は当たったけど、その後は袋叩きだし。
もう、脈絡無さすぎって感じかな?」
「あはははははは・・・」
笑う事しか出来ない貴だった。
「もうちょっと喧嘩には強くなったほうが良いよ。
この辺りも近頃物騒なんだからね。
・・・というより、自分の強さも弁えずに、危ない所に飛び込むんじゃありません!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい、ゴメンナサイ」
――――――何故、自分は叱れているんだろう? と首を捻る貴であった。
「えっと、忍さん・・・どうやってあの後逃げ出せたの?
他に助けてくれる人がいたとか?」
此処に居る経緯を思い出し、今度は逆に自分達が助かった理由を不思議に思った僕は、隣に座り込んでいる忍さんにそう尋ねた。
「んー、別にそんな奇特な人は現れなかったよ。
あの後、あの人達は気絶した貴方の荷物を漁って、ゲートのパスを見つけて喜んでたし。
でも、そのパスの名前を見た後、急に慌ててパスを置いて逃げ出してた。
それと、私もパスを見たから知ってるけど、貴って私と同じ年だから、名前を呼ぶときは忍でいいよ」
肩を竦めながら、さばさばとその後の出来事語る忍・・・ちゃんだった。
「あー、じゃ忍ちゃんって呼ばせてもらうよ。
それとその人達は、きっと僕の兄さんの事を知ってる人達だね。
僕の兄さんって、その筋の人達に何だか顔が効くそうだから」
相変わらず謎が多い暁兄さんだけど、今日は感謝。
もしパスを取られるような事でもあれば、大変だった。
彼等が立ち去った後、気絶している僕を子供達と一緒に引き摺りながら、この孤児院まで帰ってきたらしい。
忍ちゃんは、僕に「ちゃん」付けで呼ばれた事がどうにも居心地が悪いらしく、もぞもぞと身体を揺すっていた。
「・・・ちゃん付けで呼ばれたのなんて、初めてだな。
この孤児院には、私より小さい子しか居ないし。
院長先生は名前だけで呼ぶから。
うん、そう呼びたいならそう呼んでいいよ」
「でもさ、どうしてあんな人達に絡まれてたの?」
自分が助かった経緯を知り、今度はその原因に僕は興味を持った。
「・・・えっと、貴には関係無い事だよ。
骨とかに異常は無いみたいだけど、今日はもう遅いし泊まっていった方が良いよ。
あ、家の方には、私が連絡を入れておいてあげたからね」
少しだけ表情を硬くした後、忍ちゃんは何かを誤魔化すようにそう告げて、部屋から立ち去っていった。
僕は何が起こったのか理解できないまま、部屋で固まっていた。
「あら、暁さん?
こんな時間にお出かけですか?」
「ああ、ちょっと・・・というか、当分ほとぼりが冷めるまで身を隠してくる」
「はあ?」
大きな荷物を背負った暁が、用件だけを吉野に告げて久遠家を飛び出して行く。
その後ろ姿を不思議そうに見送った後、吉野は美代が作っておいた夕食のシチューを温める作業に戻る。
暁が突然家を飛び出すのは、これが始めてではない。
理由は様々だが、二〜三日すれば何食わぬ顔で顔を見せるので、他の家族も特に詰問はしない。
・・・ただ、あれ程の大荷物を持って姿を消すのは、吉野も初めて見たが。
暁が逃げ出した原因は、その10分後に玄関に現れた。
普段の冷静な仮面を捨て去り、腰に愛用の業物を携えて玄夜がそこに居た。
病院から全力疾走で帰ってきたのか、その息は少し荒かった。
「あら、お帰りなさい玄夜さん」
タオルで手を拭きながら、玄関で息を整えている玄夜に吉野が話しかける。
彼女にとって、仕事から帰ってきた玄夜を迎える事は大切な日課の一つだった。
ただ、今日の玄夜からは「ただいま」という言葉は出てこなかったが。
「・・・・・・・・・・・・・・・暁は?」
「暁さんですか?
何でも当分身を隠すとか言っていましたけど」
瞬間的に力を込めた玄夜の右腕が、握り締めた愛刀の鞘を軋ませる。
そのままの状態で一分程硬直し、自分の中の感情を押さえ込む。
鋭く、深く呼吸を繰り返し、何とか自分の感情を押さえ込む事に成功をした。
荒れ狂う感情を制御した後には、何時もの玄夜がそこに居た。
「私が帰った後に、病院で何かあったのですか?」
「いや、大した問題じゃない」
「でも、袖口に何か赤いモノが」
「ああ、これはサンシロー君の返り血だ」
「えっと、それって・・・」
「問題無い」
――――――笑顔で玄夜にそう言い切られ、その後の言葉が続かない吉野だった。
夕食時なのに、二人しか座っていないテーブルに玄夜は緊張をしていた。
帰って来るまでは、病院で馬鹿な噂を流した暁に対する怒りで頭が一杯だった。
帰りの途中、たまたま暁を迎えに行こうとしていたサンシローを発見し、暁の犯行を認める証言を得た。
実に協力的だったサンシローだが、暁の暴挙を止めなかったという事で、それなりの罰を受けてもらった。
その情報を信じる限り、暁はまだ家に居るはずだった。
しかし、いざ元凶の暁を仕留めるべく家に帰り着けば・・・サンシローを囮にし、本人は逃げ出した後だったのだ。
しかも、貴も何やらトラブルに巻き込まれたらしく、今日は家に帰ってこないらしい。
図らずも二人きりになってしまった状況に、玄夜は大いに戸惑っていた。
「お茶でも淹れますか?
私、お茶を淹れる腕前だけは上がったんですよ」
「あ、ああ、頼む」
「はい♪」
玄夜から湯飲みを受け取り、楽しそうにキッチンに向かう吉野。
その楽しそうな後姿を眺めながら、玄夜は冷静に昼間の事を考えようとしていた。
病院に帰ってからは暁の流した噂の否定と、仕事の忙しさから忘れていた。
・・・しかし、幾ら考えても決断は着かなかった。
こんな事を相談できる自分に近しい存在は、癪な話だが暁しか思いつかない。
あの弟は兄弟内で、一番女性関係での経験が豊富だ。
きっと自分が悩んでいる事について、何らかのアドバイスをくれるだろう・・・と、思う。
しかし、どちらにしろ・・・最終的には二者択一となるだろう。
――――――吉野と別れるか、別れないか。
初めは、兄弟を交えて話し合う事柄だと思った。
半年だけとはいえ、吉野とは家族として全員が接してきた。
だが・・・それは違うような気がする。
自惚れかもしれないが、彼女が求めている回答は自分にしか出せないと思う。
病院からの帰り際に美代にも注意をされていた、中途半端な自分の態度が今回のような噂に真実味を持たせたのだ、と。
改めて自分の気持ちを問うてみる。
どうして、ここまで自分は彼女を気に掛けているのか?
一目惚れ・・・とは少し違うような気がする。
だが、彼女と逢ったのは病院に運ばれたあの時が――――――
「!!」
突然・・・俺は実家のテーブルから、とんでもない所に身体を移していた。
そこは果てしない草原。
心地よい若草の匂いが、周囲に漂っている。
懐かしい、とても懐かしい気持ちが心の底から湧き上がる。
そして、幼い姿の彼女はそこに居た。
無邪気に笑いながら、俺の背後を走っていた。
「――――――!!」
俺に追いついた彼女が、嬉しそうに何かを話している。
その言葉に、俺は頷いた。
――――――――――――そうだ、俺は彼女を昔から。
「あの・・・お茶が入りましたよ?」
「あ、ああ・・・有難う」
頭を降りつつ、吉野から湯飲みを受け取る。
先程の景色は既に残ってはいない。
だが、あの一瞬の景色は俺の中の悩みを吹き飛ばしていた。
「そういえば、記憶の方はどうだ?」
「う〜ん、これといって思い出す兆しもないです。
でも私は今の生活が気に入ってますし、焦る必要は無いと思います。
私、今が幸せだって断言できますから」
俺の対面に座り直し、笑顔でそう言いながら自分のお茶を飲む。
本当にこうしているのが楽しいのだろう、その笑顔には一点の曇りも無かった。
記憶が戻らない限り、俺の予想が当たってるという保証は無いのだが・・・まあ、ここは自分を信じてみるか。
いや、この事に関して自分の予想は間違って無いはずだ。
遠い昔に交わした、あの大切な約束
「吉野君、これを受け取ってくれないか?」
「はい?」
手渡された小さな箱を見て、驚いた顔をする。
その後で、ゆっくりと包装を剥がして中身を確認する。
中にはホワイトゴールドの指輪が一つ。
最初は驚いた顔をしていた吉野君が、次第に嬉しそうに微笑みながらその指輪を左手の中指にはめる。
そして笑顔のまま、俺に似合うかどうかを聞いてきた。
「・・・いや、指輪の位置が違う」
「え?」
彼女の左手を手に取り、その指輪を薬指にはめなおす。
驚きで固まっている吉野を見て、思わず微笑みながら抱きしめる。
顔を真っ赤にしながら、吉野君も俺の背中に手をまわす。
俺は弟二人が今日この場に居なかった事に感謝しながら、心に誓いを立てていた。
――――――今度こそ、彼女との『約束』を守ると。
後書き
あははははははー(誤魔化し笑い)