「夢 路」

 それは、ちょうど夕暮れ時。たどり着いたある町で、適当な宿屋を探し歩いていた時の事だった。
「お嬢ちゃん」
 くいくいとマントが引っ張られる。
 ガウリイ、ではない。
 振り向くと、あたしより少し小柄な白髪のお婆ちゃんが顔を皺くちゃにして笑っている。
「なに?あたしに用?」
 お婆ちゃんは答えず、マントから手を離すと背伸びし、灰色の瞳であたしの顔をじいーっと眺め、こ
くん、と頷いた。
「うん、気に入ったぞ。お前さんにしよう」
「おいおい、ばーさん。リナに何の用なんだ?」
 横にいたあたしの自称保護者、ガウリイが間に割り込んでくる。
 このお婆ちゃんに害意はなさそうだけど?
「ばーさん。何をするか知らないが、やめといた方がいいぞ。こいつに係わるとロクなことが……」
 何が言いたい?

 げしっ

「で、お婆ちゃん。あたしに何の用なの?」
 いくら鍛えたとしても、弱点と言うものはある。向こう脛をブーツで蹴られたら、うずくまるしかな
いだろう。
「ほっほっほ。リナさんと言うのかね。なかなか元気のいいお嬢ちゃんだのう。
 いやいや、用ってほどのもんじゃないんだよ。一つ、贈り物があってね」
「贈り物?」
 このお婆ちゃん只者ではない。この状況を笑い飛ばしてるし……。フツーなら、もっと違うリアク
ションが返ってきそーなもんである。
 やたら嬉しそーににこにこ笑いながら懐からブレスレットを取り出すと、いきなりあたしの左手の手
首に嵌める。
「え?ちょっと待ってよ。あたしは貰う、なんてまだ言ってないわよ」
「心配しなくとも、押し売りじゃない。お嬢ちゃんが気に入ったから、これをあげるんだよ」
 ブレスレットは、艶のない金色で飾り気のない、ごくごくシンプルなものである。
 しかし――。
「一体、これは何?」
 ほう、と少し感心したように目を見開く。が、まだ余裕があるのか、笑みは崩していない。
「わかったのかい?」
「まあね」
 駆け出しの魔道士ならいざ知らず、あたしのよーに超一流の魔道士が見れば魔法がかかっている事は
すぐわかる。
「別に、害のある物じゃないよ。それはだね……」
 見開いた灰色の瞳が、すうっと深く刻まれた皺に紛れる。
 端から見れば、にこやかに話しているように見えた事だろう。目の前で見ても、その表情は窺い知れ
ない。
「夜になればわかるよ」
「どーゆー意味なの?」
「お嬢ちゃんに良い結果を生む物になるだろう。多分――お前さんにもな」
 言葉の後半は、いつの間にか復活していたガウリイに向って言う。
「なんだよ、それ?」
「あたしに聞かないでよ…」
「良い夢を……」
 ……夢?
 問い返す間もなく、お婆ちゃんの白い小さな頭は人ごみの中に消えてしまっていた。

 夜になれば?夢?いい結果、ねえ……。
「どうしたんだ、リナ?」
「どうした?って…これよ、これっ!」
 あたしは、ガウリイの目の前に左腕を突き出す。
「これって、腕の事か?」
「ちっがーうっ!!このブレスレット!」
「ああ。こんなの持ってたのか」
 こ、この男はぁぁぁっ!
「今のお婆ちゃんから貰ったの!忘れたとは言わせないわよ」
「そうか。オレが誰かに向こう脛蹴られた時に貰ってたヤツだな」
 ちっ…覚えてたか。
「それがどうかしたのか?」
「ちょっと……それが、よくわかんないのよねー。ワケわかんない事、ごちゃごちゃ言ってたし……。
 夜になればわかるとか、夢がどーとか」
「……よしっ、わかった!」
「えぇぇぇっ!?」
 くらげなのに!?
 もしかしたら、もしかするかも。時々、みょーにスルドイ事があるし……。
「夜がコワイんなら、一緒に寝て…」
「ガウリイ……遺言があるなら聞いてあげる」
 思わず、こぶしを固く握り締める。
 ガウリイは、それっきり黙ってしまった。

 こぶしを握り締めた腕には、ブレスレットが金色に鈍く光っていた。


 白濁した視界。
 目を凝らしてみても、白ばかり。
 多分、これは霧だろう。一面、白く濁って、自分の足元さえよく見えない。しかも、足の下に地面の
感触がしない。
 これは、夢だろうか?
「何?これ……」
 言葉が、体にまとわりつく霧に吸い込まれる。
 自分以外、何にも見えない。
 白く――どこまでも殺風景な世界。
 自分の夢なら、自分の思い通りになってもいいはずなのだが。
「なーんも見えないし…」

「よく来たね。リナさん」
 白い霧の合間に、小柄な影が現れる。
 ブレスレットを押し付けて行った――
「お婆ちゃん!?
 なんでここにいるの?ここはあたしの夢じゃないの?」
「おやおや、そんなに焦らくてもいいよ。ここはお嬢ちゃんの夢の中である事は間違いない」
「でも、どうしてお婆ちゃんが?」
「年寄りはでしゃばりなものなのさ」
 目尻を下げてにっこりと笑い、霧の向こうを指差す。
「行きなさい」
「行くって、どこへ?」
 あー、ワケわかんない。
「お嬢ちゃんは、どこへでも行ける。自由に。
 行く先には、いろんな可能性がある。ただ……」
 言葉を切り、遠い目をする。
「ただ……何?」
「本人には見えにくいものがあるんだよ。大切な、何かがね。
 探してごらん。この向こうに何かがあるから」
「なにか……ねえ」
 まるで、占いの様に捕らえどころのない、話。
「お婆ちゃんは、一体何者なの?」
 質問ばかりしてる。思いながらも、疑問は次々とわいてくる。
「さてね。――どこかで逢ったかもしれないよ」
 お婆ちゃんは、そう言うと霧に紛れて、また消えていった。

「この向こうって言っても……」
 何かありそうには見えない。
 取り敢えず、お婆ちゃんが指差した方向に歩いてみたりする。
 相変わらず、視界はゼロに近く、飽きもせずに霧ばっかし。
 しかし、怖い――なんて事は、ない。
 どこであっても、どこかに道は続いているモノだからだ。
 占いの様に捕らえどころのない話でも、前に進むしかない。
 迷う事もない。ま、迷っててもこの霧ではわからないだろうけど……。
「見えにくいって言ったら、この霧で見えにくいって事も言えるわよね」
 言いながら、歩く。
 どこまでも続く霧の中を。

 どれくらい歩いたか。夢だから疲れる事もない。
 時間がどれだけ経ったのかも判然としない。
 自分は何の為に、何を探しているのか。
 夢の中、通う路(みち)――。誰も通った事のない路。夢路。
 ふと、そんな言葉が心に浮かんだ。
 思わず、苦笑して立ち止まる。
 誰も通ったことのないのは、当然だ。これは、あたしの夢だからだ。
「……にしても、ホントに何もないわねー…」
 ため息なんぞ、ついてみる。
 疲れはしないが、思いっきし気は滅入る。
 突然、後ろから、くいくいっとマントが引っ張られる。
 そこには気配など無かったのに。
 最初、あのお婆ちゃんと逢った時と同じである。
「お婆ちゃん?」
「残念でした」
 マントを引っ張っていたそいつが、にっこりと笑う。
 霧でぼやけた中に、金色の髪も半ば隠されている。
「なーんだ、ガウリイか……」
「おいおい、それはないだろ?」
 彼の笑いが苦笑いになる。
「ここはあたしの夢なのよ?勝手に入って来ないでほしーわね」
「勝手にって……自分の夢だろ?
 オレが勝手に入ったってゆーんじゃないと思うぞ」
 そー言われてみれば……そーなのかもしれない。
 あたしが、居て欲しいと思ったから。だから、夢にまで出て来たのかもしれない。
 お婆ちゃんの満足する答えとは違うかもしれないが、あたしの大切な、なにかは……。
「さて、リナ。どこに行くんだ?」
 くしゃっと、あたしの髪をなでる。
「どこ、って?」
「おいおい。オレは行き先までは考えないぞ?」
「や、やっぱし……」
いくら夢でも、ガウリイはガウリイだ。
「……なに笑ってんだ?」
「ううん、なんでもない。ガウリイだなあと思って」
 顔を見合わせて、二人して笑う。
 いつしか笑い声が大きくなり、寂しい霧の間に響いていった――。

「んじゃ、行こ」
「どこへ?」
 ガウリイが聞く。
「わかんないけど……。どこでも付いて来てくれるんでしょ?自称保護者さん!」
 彼の背中をぽんっと叩く。
「ああ……どこへでも」
 期待通りの言葉が返ってくる。

 さて、と。
 夢の中じゃない、現実の本人にもそう言わさなくちゃ。

 あたしは、一歩、歩みを進めた――。

  お わ り

 

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