コンコン
 ドアをノックする控えめな音に、舞歌は顔を上げた。
「誰?」
「氷室です。黒茶をお持ちしました」
「どうぞ」
 扉が開く。忠実な副官は一礼すると、執務室に足を踏み入れた。手に持った盆から熱い湯気を立てる椀を舞歌に手渡す。
「ありがとう。いただくわ」
 黒茶は、喉に絡むほど濃く熱く淹れられており、徹夜明けの憔悴した精神を一口で覚醒させた。
 いつも溌剌とした上官が目の下にくまをつくり、力無く黒茶を啜るのを目にした氷室が、舞歌に言う。
「少し仮眠をとられた方がよろしいのでは」
「うん。でも残った書類はあと少しだし、ね」
「……そもそもこういった雑務は、本来なら自分の職分ですが」
「そうだけど、兄上――じゃなかった、前任の東司令からの引継ぎが完全には終わってないから。最初くらいは自力でやっとかないと」
「わかりました。そういうことでしたら……ん」
 氷室が、偶然目に入った一枚の書類を手にする」
「『優華』?例の部隊ですか」
「そっ。『優人』に対するに『優華』。首相閣下の命名にしては、いいセンスよね」
 軽口を叩きながら氷室から書類を受け取った舞歌は、ざっと視線を走らせる。その目が、書類にしるされていたとある名前の上に止まる。
「そう、もう4年になるのね」
 舞歌は、4年前のあの夜の事を思い出した。

おさななじみ 中編

 
 夜の1時前。すでに日は変わっている。基本的に木連の人間には早寝早起きの習慣が根付いている。ここ紫苑家でも、ほとんどの人間――とは言っても全員で三人だが――がすでに眠りについていた。最年少の一人を除いて。
「ふう」
 零夜は小さくため息をつくと、布団の中で寝返りをした。もう眠らなければ明日がきついのはわかっているのだが、どうしても目がさえて眠れない。昼に舞歌から言われた言葉が思い出される。
「したい事、できる事、しなくちゃいけない事、か」
 したい事は北斗と一緒にいる事。でも、それはしなくてはいけない事だろうか。そして自分にできる事だろうか。
「ううううう」
 奇妙なうめき声を上げながら、ゴロゴロと転がる零夜。と、その時。
「レイちゃん、いる?」
 いきなり窓の外からよく知った。声がかけられた。がばりと立ち上がり、窓に向かう。そこにいたのは、予想通りの人間だった。
「レイちゃん、久しぶり」
 北斗と寸分違わぬ姿。だが、その言動は明らかに異なる。明らかに女性そのもの、しかも年齢に比してやや幼さや無邪気さすら感じられる。顔に浮かぶ表情も、久しぶりの友人との再会を喜ぶ少女のそれだ。
「枝織ちゃん?」
 影護枝織。北斗の中に眠るもう一つの人格。心と体の乖離により崩壊しかかった北斗の精神から、特殊な暗示によってつくられた無邪気な堕天使。
「何でここに?……ひょっとして、お仕事?」
 この若さで、枝織は暗兵である。それも最高峰の。
 6年前に『産まれて』以来、極めて特殊な教育を受けてきた。一般的な倫理観の完全な欠如――その中には殺人も含まれる。そして、父の北辰に対する盲目的な愛情と忠誠。
 それらの事情の全てを零夜が知っているわけではない。だが枝織が北辰の命令で、どんな事をしているかは、薄々とだが知っていた。
「ううん。今日はお仕事じゃないの。ねえ、レイちゃん。今から私と一緒に来て欲しいの」
「今から?」
 さすがに驚く零夜。いくら何でも非常識だ。まあ、枝織に常識を説いても仕方が無いが。
「うん。どうしてもレイちゃんにじゃないと頼めない事があるの。お願い、一緒に来て」
 しばらく迷う零夜。普段だったら断ったかもしれない。しかし――
「……うん、いいよ。ちょっと待ってね、準備するから」
 結局、承諾の返事をする。


 数分後、活動的な服装に着替えた零夜は、枝織とともに夜の街へ下り立った。住宅街であるこの近辺はすでに大半が眠っている。その中を、二人の少女は駆けていく。
(やっぱり、枝織ちゃんってすごい)
 かろうじて枝織について行きながら、零夜は驚嘆していた。枝織が走っているのは道路ではなく、家々の屋根の上だ。
 屋根から屋根に飛び移る。小さな音すら立たず、姿勢も乱れない。幼い頃から木連式柔術を学び、体術にも多少の心得がある零夜だが、枝織の動きは完全に常識を超えている。
(こんな事で――)
 北斗について行くことができるのだろうか。『住む世界が違う』という義父の言葉がよみがえる。
(だめ、弱気になっちゃ)
 自分自身を叱咤すると、零夜は再び走り出した。軽やかに天を駆ける枝織の姿を、見失わないように見つめながら。


「ここだよ」
 枝織が足を止めたのは、1時間ほど離れた山中の神社だった。一帯は自然区域に指定されており、コロニー内とは思えないほどこんもりとした森と山が造られている。
 パンパンと社に向かって手を叩き、激厳大明神にお参りをする枝織の傍らで、零夜はみじめなほど喘いでいた。
「レイちゃん大丈夫?お水あるけど」
 枝織から手渡された水筒の水を飲むと、少し人心地がついた。
「うん、もう大丈夫。で、枝織ちゃん、私にしかできない事って、何?」
「あっ、そうだったね。レイちゃん、死んで」
「え?」
 零夜の目に映ったのは、全く笑顔を崩さぬままの枝織が放った貫手だった。
 その一撃を零夜がかわせたのは、奇跡以外の何物でもなかった。枝織の貫手は零夜の頬をかすめると、背後の杉の木に命中。そのままズブズブと、指の付け根までめり込んだ。仮に人体に命中していたらどういう状態になるか、想像するまでも無いだろう。
「あれ、変だなあ?」
 可愛らしく小首を傾げると、自分の手をしげしげと見つめる枝織。今の攻撃をはずしたのが、よほど不本意だったらしい。
 ペタリ、と音を立てて零夜が座り込む。完全に腰が抜けていた。
「……じょ、冗談だ……よね……今の……?」
 必死に笑みを浮かべようとする零夜。いくら枝織ちゃんでもひどいな。ほんとびっくりしちゃったよ。もう、お漏らししちゃうかと思ったじゃない。殺すなんて、冗談でも言っちゃ駄目だよ。もしこんなドッキリまがいのためにこんなとこまでわたしを連れてきたんだったら、本当に怒るよ。
「ううん、本気だよ」
 だが、枝織の返事は、明快で、無邪気で、残酷だった。
「な、何で……」
「あのね、お父さまが言ったの。レイちゃんを殺したら、わたしは完璧になれるんだって」
 ニコニコと、零夜の問いに答える枝織。
「よく分からないけど、完璧になれたら、もっとお父さまの役に立てると思うの。そうすればきっとお父さまは、もっと私の事を褒めてくれるの。だからいいでしょうレイちゃん、死んで」
 まるで、ただ気に入りの人形を貸して欲しい――そう頼むのとさして変わらない声。
「い……いや」
「ええ〜っ、何で!?レイちゃん、いつもわたしの頼みを聞いてくれるのに、何で今日だけ駄目なの!?」
 頬をぷっくり膨らませて、枝織が駄々をこねる。
「大丈夫だよ、痛くなんか無い。すぐ終わるから」
 零夜は呆然と、少女の姿をした怪物を見上げた。
「じゃあレイちゃん、バイバイ」
 振り下ろされる手刀。悲鳴を上げ、目をつぶって頭を抱える零夜。
「――――!!」
 だが、衝撃も痛みも、意識が闇に閉ざされることも無かった。
「…………?」
 恐る恐る顔を上げた零夜の目に映ったのは、交差させた短杖で枝織の手刀を受け止めた舞歌の背中だった。


「舞歌お姉ちゃん、何で邪魔するの?」
 背後に飛びのくと、枝織は不満そうに言った。
「枝織、あなた自分のしている事が分かっているの?」
「うん、もちろんだよ」
 ギリリ、と音がするほど奥歯を噛み締める舞歌。
「いるんでしょう、北辰。出て来なさい」
 舞歌の声とともに、ゆらりと大気が揺れる。隠形の術を解いた北辰が、社の影から姿を現した。
「あ、お父さま」
 心から嬉しそうに笑う枝織。
「ふむ、久しぶりだな。東の娘よ」
「これは、どういう事!?」
「知れた事。枝織への教育の総仕上げよ。今まで共に育った、友と呼びうるものを自らの手で殺す。こうやって初めて暗兵は一人前となりうる」
 淡々と語る北辰。
「ただ鍛え抜かれた技と体を持っていても何の意味も無い。あの愚息――北斗のようにな。暗兵を暗兵たらしめるのは、命じられれば親兄弟であろうとも躊躇無く殺す心。それだけよ」
「……外道が!!」
「褒め言葉と受け取っておく。こちらからも一つ問うぞ。何故、ここが分かった」
「東家だって、影の一人や二人は飼ってるわ」
「となると、八雲の耳に入るのも時間の問題か。さて」
 北辰は、枝織を振り返る。
「五分で終わらせろ」
「え、舞歌お姉ちゃんも殺すの?」
「いや、あやつを殺すと後々が厄介だ。腕の一本でも折ればよいだろう。それから、あの小娘を殺せ」
「うん、分かったよ、お父さま」
 にこりと笑うと、枝織は舞歌に向き直る。
「じゃ、行くよ。舞歌お姉ちゃん」


(やめろぉぉぉぉっっっっ!!!!)
 北斗は、絶叫しながらその光景を見ていた。
 拳が、蹴りが、容赦なく舞歌を襲う。舞歌は二本の短杖を持ってしても返す手が出せず、防戦一方に追い込まれている。いや、防御に徹してもなお、三撃に一つは受けや捌きをかいくぐり、舞歌の体を撃つ。
(引っ込め枝織!!)
 必死に肉体の主導権を取り戻そうとする北斗。だがこの日のため特別にかけられた暗示は、北斗の心を縛り続けている。
 もはや、舞歌が倒れるのは時間の問題。そうすれば、枝織は間違いなく零夜を殺す。自分の体を使って。
(また失うのか!守れないのか!俺は!!)
 犬のケン――母のさな子――
 求めたもの、失ったもの……守りたかったもの、守れなかったもの……
 そして、枝織の目を通して見る『父』、自分のすべてを奪い、踏みにじり、哄笑するもの――北辰
(殺してやる!!殺してやるぞ、北辰!!!!)
 今の北斗の精神をかろうじて支えているのは、北辰への激烈な怒りと殺意だけだった。


 右の回し蹴りが空を切り裂きながら迫る。左の杖をかざし、受けの構えを取る。だが蹴りは突如その軌道を変えた。頭を狙った上段蹴りから、胴を狙った中段蹴りへと。
 考えるより先に体が動く。一歩踏み込み枝織に密着。かろうじて蹴りの打点をずらす。脇腹に炸裂。気を込めて耐える。衝撃。芯を外してもなお、内臓にまで響く一撃だった。
「くっ」
 思わず口から漏れる苦鳴。だが悶絶するような贅沢は許されない。すかさず枝織が放った左の肘を右の杖で防御。同時に上体ごと後ろにのけぞる。一瞬前まで頭があった空間を、殺人的な唸りを上げながら鉤突きがなぎ払った。
 そのまま枝織の膝が跳ね上がる。左右の杖を引き戻し、十字受け。さらに力に逆らわず後方に飛んで威力を殺し、同時に間合いを取る。
「……強いわね、本当に」
 個人戦技において舞歌が得意とするのは、相手の技の見切りの確かさと、攻撃の組み立ての巧妙さだ。かつて舞歌の試合を見た兄の八雲が「歩法の一つ一つ、呼吸の一つ一つが戦理に適っている」と絶賛した事がある。
 だが、枝織はあまりにも強すぎた。
 体捌きでは反応しきれぬ速さで、ガードごとぶち抜く威力の攻撃が飛んでくる。それも、巧妙極まりない連撃で。
 驚異的な見切りと間合いの調整で、かろうじて致命傷は避けているものの、もはや舞歌の肉体はぼろぼろだった。いや、むしろこれだけの長時間、枝織の前に立ち続けた事を賞賛すべきだろう。
「すごいや、舞歌お姉ちゃん。こんなに強かったんだね。びっくりしちゃった」
 心から楽しそうに笑う枝織。
「でも、もう5分たつね。すぐ終わらせなきゃ」
 言うなり、電光の速さで枝織が走る。繰り出される左回し蹴り。右の杖で防ぐ。
「なっ……」
 舞歌は目を剥いた。足と杖が交差した一瞬、枝織はその杖を足場に、猿のごとく舞歌の肩へと駆け上がったのだ。そしてその不安定極まりない体勢で蹴りを放つ。
 かろうじて防御した左の杖を鈍い音とともにへし折り、蹴りは舞歌の左肩に炸裂した。肩口で何かが爆発したかのような勢いで、吹き飛ばされる舞歌。そのまま地に倒れ伏す。
「お父さま、ちょうど5分だよ」
 父親の言いつけを守れたのがよほど嬉しいのか、満面の笑顔の枝織。だが、北辰はゆっくりと首を横に振る。
「まだ終わってはおらぬぞ、未熟者が」
「え?」
 振り返った目線の先で、舞歌はふらふらと立ち上がった。
「何で、何で立つの舞歌お姉ちゃん!?もう、私の勝ちだよ!!それなのに!!」
 そう、そんなことは分かっている。折れた左腕は全く動かず、残された右腕一本で杖を構えながら、舞歌は思った。
 今の自分では、時間稼ぎすら出来ないだろう。戦いを引き延ばすうちに北斗が目覚めるのを期待していたのだが、それもどうやら無理そうだ。それでも、退く事は出来ない。
 へたり込んでいる零夜を背後にかばう。全くの無駄かもしれないが、逃げる気は毛頭無かった。激痛でとびそうになる意識を引き締めて、枝織を見据える。
 零夜のためでも、北斗のためでもない。何よりも、自分自身が東舞歌であり続けるため――
「おかげでお父さまに怒られちゃった。もういいよ、舞歌お姉ちゃんなんか嫌いだ――死んじゃえ」
 言うなり、枝織が走る。音の速さを超えているのではないか、とすら錯覚させうる神速の踏み込み。必死に構えなおそうとするが、鉛のように重い体は思うように動いてくれない。
「ふっ」
 低い声で気勢を上げる枝織。足の親指から始まり親指へ、足首から膝へ、膝から股へ、股から腰へ、腰から肩へ、肩から肘へ、そして肘から手首へ。全身の関節が連動し、滑らかな螺旋を描く。
 大地を踏みしめる足から突き出された両の掌まで、莫大な剄力が奔ったのが、舞歌には観えた。
 木連式柔術撃拳技・双龍掌。
 迫り来る圧倒的な死を、舞歌は見詰めていた。


 その時――
「ダメ〜〜っ!!」
 悲鳴のような叫びとともに、舞歌と枝織の間に割り込んだ小さな影。
「零夜!?」
「レイちゃん!?」
 次の瞬間、二人の体は吹っ飛ばされた。






























 後書き

 どうも、神聖十字軍です。
 思ったより話が長引いたので、前中後の三部構成になりました。
 でも、我ながら変な方向に行ってしまったな。枝織の壊れっぷりは予定通りですが、なんだか舞歌さんまで熱血な人になってしまった。やっぱ『天上天下』一気読みなんぞしたせいかな。
 後編も、今週中には書……きたいな。
 ではまた。


 追記

 皆さんの、北斗に対するビジュアルイメージってどんなのですかね。俺はもろ、おそらく日本一男前(ハンサム)なヒロイン、十二国記の中島陽子を脳内に想像しています。
 羅刹派と北ちゃん派、双方の意見を聞きたいものです。

 

 

代理人の感想

おー!

いずれ私も書きたいとは思ってましたが、「少女の姿をした怪物」枝織をこうも鮮やかに書いていただけるとは。

枝織の怪物的な面を書いた物としては、冗談抜きでピカイチだと思います。

・・・まぁ、そもそもそっちに触れた作品は少ないんですが(苦笑)。

 

うーむ、ラストが楽しみで楽しみで仕方がない。

 

>北斗のルックス

真紅の羅刹党首(既に懐かしいなぁ、この二つ名もw)としてお答えしましょう。

私の抱く北斗の外見イメージは・・・・・・・ズバリ、

 

人斬り抜刀斎((c)「るろうに剣心」)

 

です(核爆)。

 

剣心じゃなくてあくまでも抜刀斎のほうなのがミソ(笑)。

総合的にも短躯・赤毛・女顔の美形とここまでぴったりなモデルはそうそういません(笑)。

まぁ時々フェニックス一輝が混じることもあったりする(爆)んですが、

顔立ちと髪型は剣心ツリ目ver.こと抜刀斎、

浮かべる表情はフェニックス一輝と、

そう言う風に言えば何となくおわかりいただけるのではないでしょうか。

 

ついでに枝織は・・・・十傑集十本刀の一人、天剣の宗次郎かなー。

顔立ちといい、表情からかいま見えるあのブッ壊れたところといい。w