You more know it
 作:電波妖精




 ――ダジャレはもっとも難しい至高の思考――



 エリナが言うには、アキトは哀しく笑うようになったという。哀しく笑うとはどういう状態なのだろうか。
 私は疑問に思った。
 というのも、笑うという行動は人が喜びの感情に属する状態であるときにみられるのであって、哀しいはその反義の状態であるから、『哀しく笑う』は撞着表現であると考えたからだ。
 私は人のことをよく知らない。正確にいえば、人がどのように考えるのか知らないし、あるいは人との対話において、私は正解と思えるような反応を返すことができていないらしい。
 この点については、『そうであるらしい』としかいいようがない。自分で自分のことをわかる人はどれだけいるのだろう。鏡が無ければ自分の姿すら見ることができないのが人間だ。人間はそのように視点が固定された存在であるといえる。一般化しすぎたかもしれない。これは私に限定された限定事情かもしれない。その判別すら私にはできないのだ。
 対策としてはその都度、人の行動を観察することで、自分のあり方に補正をかけるしかないだろう。
 そういうわけで、私は哀しく笑うという言葉の意味について、イネスに尋ねることにした。イネスは医療に携わる人間であり、心理学方面にも詳しい。エリナはほんのごくわずかだが叙情的表現をする傾向にあるので、イネスに説明を乞うのがよいと判断したのだ。
 もっともイネスの場合、説明過多な感は否めないが、正確な情報を知る上ではそれもやむをえない犠牲だ。
 イネスはここネルガル重工の月ドックに隠者のようにこっそりと暮らしている。もう少し身の危険率が減少すれば、おそらくここを出て行くだろうが、まだその時期ではないらしい。
「あら、ラピス。どうしたの?」
 ――どうしたの、という言葉は非常に汎用的で、多義的だと思った。私はこの言葉の意味を数十通りほど解釈できるなと考えたが、もちろん、高確率で、私に何か問題が発生したのかということを聞いたのだと最終的には判断した。
 そうであるならば、つまりイネスが私の異常状態の有無を聞いたのであるならば、私の疑問を氷解させる質問も許容されたと考えるべきであろう。すなわち、後者は前者に包摂される関係であるから。
 よって、私は質問することにした。
「哀しく笑うって、どういう意味なの?」
「ん? 唐突になんなの。意味がよくわからないわね」
「エリナが言ったの。アキトは哀しく笑うようになったって」
「ああ……」
 と、イネスはすぐに納得した表情になった。彼女のクロック数は私より数倍早いのだろうか。IFS強化体質である私のほうが常人よりも数十倍ほどは情報処理能力に優れているはずだが、もちろんそれはIFSという限られたプロトコルの処理形式における限定情報処理能力の事柄についてであって、汎用的なあるいは茫漠とした現実から『コタエ』を導き出す能力はそれほど常人との差異はないと考えるべきなのかもしれない。
 あるいは彼女の経験が、このような高速検索を可能にしているのだろうか。私は経験の重要性を痛感する。
「教えて」と私は言った。
「わかりやすく言えば、遊園地で遊び終わったあとに、もう一回観覧車に乗るって言ってる子どもの気持ちね」
「遊園地は行ったことがないからわからない」
「今度、連れて行ってもらいなさい」
「もう少し、説明して欲しい」
「そうね……。今は微妙な時期なのよ。彼の復讐の大部分は終わり、あとは残党狩りで憂さを晴らすだけ。もう何かも終わってしまって、自分も終わってしまったように感じているんでしょう。でも本当は未練もたっぷり、そんな感じかしらね」
「だから、哀しく笑うの?」
「そう」
「それはアキトにとって望ましくない状態?」
「そうね。一言で言えば、絶望してるのよ」
 私はどうすれば、アキトが本当の意味で笑ってくれるのか考えるようになった。実のところ私は人間にとってデフォルトといえる基本的な感情表現である『笑う』という行動をしたことがない。感情の回路のどこかが壊れているのかもしれないし、あるいはそもそも生まれたときから感情が水のように薄いのかもしれない。強化体質者は情報を処理することにオワれて、最終的には個我を欠落させてしまう傾向にあるようだ。今も、客観的に自分を捉えてしまうこの心の動きのせいで、感情の所在が極めて不明確にしかつかめない。
 そんな私にアキトを笑わせることができるのだろうか。
 そのとき、私は『笑い』という現象について完全に無知であることに気づいた。完全なインプット不足。情報量の少なさを補うためになんらかのデータ収集が必要のようだ。
 そこで私は、データベースで『笑い』について検索することにした。
 データベースで知ったことは、『笑い』について人間はかなり昔から研究してきたということだった。加えて、心理学的に解明しようという努力もなされていたようだ。
 今は原理よりもすぐにアキトに『笑っ』てほしかったから、手続的なプロセスだけを抽出しようと努めた。
 そこで、もっとも簡便に目標に『笑い』をもたらす方法が何かを私は選別した結果、それはダジャレであろうと考えた。ダジャレとは言葉の韻を踏むことで、つまり同じフレーズを繰り返すことで、まったく別の意味の言葉を繋ぎ合わせる手法である。
 これなら私にもできると思った。
 数時間後。アキトが部屋からでてきそうな頃合を見計らって私は自分で考えたダジャレを実行することにした。といっても、これは言語学的な手法が主体ではなくボディランゲージに近い。私は自分の発話が常人のそれとズレている可能性を危惧したのだ。

「何をしている……。ラピス」
 待機から数十分、ちょっと背中が寒くなり始めたころにようやくアキトが現れた。
 私はここで多少の説明を加える。
「寝てる」
「床でか?」
「私は少女」
「……ん?」
「ここはネルガル」
「……」
「……」
「風邪をひくぞ」
 私はアキトに軽々と抱え上げられて、床の上に立たされた。
 そうじゃないと叫びたかった。本来なら理解してくれなかったアキトに憤懣やるかたないといった表現があてはまるのだろうが、私の場合は自分に対する絶望の方が大きかった。
 ただ、私はこう言いたかったのだ。
 ネルガルで寝るガール、と。



 ――イネス先生のなぜなにラピス――



「そもそも、ダジャレというのはシニフィエとシニフィアンの相互連関的な理解と調和、要するに言葉の『成り立ち』に対する非常に高度な分解能を必要とする高難度の『笑い』であって……うんたらかんたら」
 私は眠りながら聞いていた。



 ――リクツじゃない――



 私は『笑い』の選択を間違えたのかもしれない。そんなことを考えたのはイネスの永眠へといざなう説明を聞いた数時間後のことだった。そう、『ダジャレ』は確かに一見簡単そうに見えるが、そうであるからこそ、逆に私のような感情を理解していない少女にはその玄妙なる真理に到達できないのかもしれない。
 もっと、原理からして単純そうな『笑い』を選ぶべきだったと私は後悔した。
 今度は間違えないように――。
 不条理ギャグというジャンルがあるらしい。意味もなくただなんとなく笑ってしまう、そういうオーラのようなもの?
 はっきり言えば、原理どころか意味も不明だが、私でももしかしたらビギナーズラックのような感覚で、不条理ギャグが完成する可能性もあると考えた。
 そこで、連続試行の一環として、私は不条理ギャグに挑戦することにした。

「アキト」
「ん、なんだ。ラピス」
「……」
「どうした?」
「……」
「用が無いなら行くぞ」
「今日は五センチ」
「熱でもあるのか?」
 不条理ギャグは不条理だ。



 ――人気の無い部屋で、再びイネス先生のなぜなにラピス――



「そもそも不条理ギャグはメタギャグなの、与えられた情況に対する非常に高度かつ繊細な心配りが肝要であって、不条理といいながらじつは不条理ではないともいえるようなコスモスとカオスの絶妙な調和状態が必要なのよ。そもそも不条理ギャグのはじまりは……うんたらかんたら」
 イネスの説明も不条理だと思った。



 ――氏名冒用――



 さすがに苦しいとは思うのだが、『笑い』にはキャラクタ性から導かれるものもあるらしい。つまり当該個人の属性から派生する自然生成的な『笑い』だ。私はどうがんばってもそのレベルには到達しそうにないが、あるいは、他人を騙ることでそういったことも可能になるかもしれない。
 と思ったけれど、よく考えたら私は『笑い』が上手な身近な人を知らなかった。
 残念。



 ――コウカイ先に立たず、なイネス先生のなぜなにラピス――



「ここまでくるとちょっと苦しいわね。まぁそれはともかくとして、説明しまくるわよ。そもそもキャラクタというのは『公開』済みなキャラというのが前提として必要なの。つまり、閲覧している人たちは、公開済みのキャラと、いわゆるキャラというペルソナを棄てた『素』の状態のギャップによって、『笑い』を発生させることができるのね。これは感動といってもよいのかもしれない。しかし私は昨今のキャラと素というギャップによる相転移的な笑いの創り方に危惧を抱くわね。もともとペルソナというのは仮面という意味だけれども、本当の素顔なんてものはどこにもないのよ。ペルソナの複合体こそが素顔なのに、誰にもそのことに気づいてないの。いたずらに素顔を追求すればするほど、真の自分から遠ざかるかもしれないのよ。これは番組制作が小学生ぐらいを対象にしていることから生じる弊害であって、知能レベルの……うんたらかんたら」
 私は薄倖なキャラなのかもしれない。



 ――新たな転機――



 やはり、原理から探るしかないのだろうか。私にそこまでの情報処理能力があるのか不安だ。しかし、今もアキトは哀しく笑っている。哀しくという枕詞が不要なのだ。これを排除したい。これは明確な私の意志であり、感情であるといえるだろう。本当のところ、このようにアキトのことを考えることが私は好きなのだ。
 死ぬような思いで、私はイネスの部屋の扉を叩く。
「あら、ラピス。また『笑い』について聞きにきたのね」
 聞きにきたが危機に来たと一瞬思ってしまった。
 ダジャレを学んだ経験が生きている。
 しかし、なぜか足が前に進まない。
 いらっしゃいと手招くイネスの顔が怖かった。まるで、そう、ラフレシアのようだ。
「手短に『笑い』の原理が知りたい……」
「そうね、笑いというのはそもそも死への衝動=タナトスと、生への衝動=エロースの相転移現象だと思えば簡単よ。つまり私たち人間は原理的に死にたいという部分がどこかしらにある存在なのだけれども、その死への衝動が逆流するかのように生への衝動へ転化されるとき、そこに滑稽さがうまれるというわけ。では、『笑い』を類型別に説明していきましょう。まず……」
 ちょっぴり死にたい、と思った。



 ――乙女の必殺技――



 長ったらしい説明の中でイネスに問われたのだが、そもそも私がなぜアキトを笑わせようとするのかという点に関して、私は漠然とした答えしか持ってなかった。
 それは、笑っている顔が見たかったから。笑うという状態は人間にとって快に属する状態であって、それはその人にとって望ましい状態だからだ。要するにアキトにはシアワセでいてほしいという私のわがままに起因する。
 ところで、イネスはもう一つ画期的な方法を私にもたらしてくれた。私はアキトにとって娘であるのか妹であるのか、どちらであるのかは微妙であるとしても、ともかく大事な存在であるということに対しては自信をもってよいらしい。確かにそうだろう。私はアキトの目であり、耳であり、口であり、要するには五感を司っている。
 心は感覚ではないが……、私が頼めばよいというのがイネスのアドバイスだった。

「アキト」
「なんだ。ラピス」
「笑って」
 アキトは口元をつりあげて、ニヤリと笑った。
 何かが違うと私は思った。



 ――彼らしいとのたまう、イネスのなぜなにラピス――



「大事なことを忘れていたのだけれども、『笑い』というのは対象がいるのだから、当然対象がどのような笑いを求めているのかを見極めていくことが必要よ。例えば小学生を対象にする場合には小学生に対する笑いのとり方というのがあるし、中学生に対する場合には中学生に対する笑いがあるの。対象の知識と知能レベルにあわせる必要があるわけ。だからこそ『笑い』をとるには高レベルの知能が必要となるわけだけど。あなたの場合、彼と比較して知識はともかくとして知能についてはちょっとレベル不足かもしれないわね」
 なんだか嫌な気分だった。
 別に自分がアキトに劣っているから嫌なのではなくて、ただアキトを守るには力不足だと通告されたのが、嫌だった。
 だから思わず私は呟いてしまった。
「説明おばさんの嘘つき」
 私はイネスとデッドヒートを繰り広げることになった。



 ――様々な想い――



「お兄ちゃんどいて、そいつ殺せない」
「いや、殺せないって、イネスさん……」
 私はアキトの背中にまわって震えている。生命の危険を感じている。



 ――death and rebirth――



 困ったことになった。
 私はこれまで幾度となく連続試行を繰り返してきたわけだが、最後の最後で着地に失敗しそうである。要するにはこのお話にはオチがない。オチがない話はトイレでお尻を拭こうとしてトイレットペーパが無かったときと同じぐらい哀しいものだ。
 もうだめかもしれない。そんな諦念と無感動に私は支配されそうになる。
 最後の望みをかけて私はイネスの元を訪れた。
「話を無理やり収束させる方法ね……。正直なところ、それは禁断の方法だから教えたくはなかったわ。よく聞きなさい。話を無理やり終局させる方法は様々な形があるけれど、結局のところ類型化するまでもなく一つの事象の派生表現にすぎないの。要するにそれは『夢オチ』なのよ。わかるかしら。すべてがご破算。そういった崩壊の原理こそが話を根底からゼロにする方法なのよ。これが世界の真理。物語の神理。このことを識ってしまったら、もう物語は終わるしかない」

「ねえ、アキト……」
「ああ、わかってる。ラピス。すべてにオチをつける必要があるからな」
「ちょっと待ちなさい」エリナが呼び止めた。「あなたたちどこに行くの」
「オチをつけるの」私はエリナに説明した。
「オチ?」
「そう、お話のオチ」
「お話のオチって……」
 アキトは再びニヤリと笑った。こういう笑いでも別にいいやと私は思う。アキトは春のうららかな午後、ぽかぽかとした暖かい天気の中でひなたぼっこをしている猫のような陽気さをともない、自然にさらりとこう言った。
「ちょっと、コロニー落としてくる」
 エリナがひきつった『笑い』を浮かべた。



【あとがき】
 物語にいきづまったらコロニーを落としましょう(何)。
 それはそうと。
 最終的に必要になるのは『。』だけだろうと思う。それ以外には何もいらない。文章である以上完結させなくてはならないというのが作者の読者に対する最低の礼節であり、加えてボクは社会的動物であるから他人との対話を一瞬たりともやめることはできない。言ってるうちに意味がどんどん不明領域へと突入している気がするからこれぐらいにしとこうかな。


――。――


 要するには、ボクが目指した『笑い』は、茶を吹くような爆発的なものではなく、なぜかよくわからないうちに、にや〜と笑ってしまう、そういうとろっとした『笑い』だったのである。それがうまくいったかどうかは不明。ギャグって本当に難しいし、しかもネット小説の場合は読者の要求する笑いというのが不明瞭というのがその理由。ともあれ今回は軽めに終了です。小ネタでごめんなさい。

 

 

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代理人の感想

まぁ、これはこれで笑えた・・・・かな?(何故疑問形)

いや、最後の落ちでブラックな笑いが浮かんだのは確かなのだけれども、

そこまでの前振りがちょっと長すぎるというか。

一発ネタ大いに結構、しかし最後に笑いを取るためだけの話としてはちょいと長すぎ。

この長さであれば「お兄ちゃんどいてそいつ殺せない」のごとき小ネタをもっとちりばめておくべきだったかと。