第零話 「The End of Darkness」



 〈宇宙〉


どこの引力圏内でもない。
どこの勢力の探索範囲でもない。
どこの軍の周回軌道でもない。

その宙域に、一つの戦艦が漂っていた。


機動戦艦ナデシコc プロトタイプ
通称『ユーチャリス』

所々の装甲がはげ落ち、損傷し、
痛々しい姿となって、ただ漂っていった。


端からみれば、それは異形の鉄屑なのかもしれない。

当たり前だ。それは、あまりにも傷ついていたのだから。

でも、その中には、まだ人が乗っていた。


『Prince of Darknes』と恐れられ、
『コロニー連続爆破テロリスト』として世界から追放された男。

ミスマル・ユリカの夫であり、
ホシノ・ルリの養父でもあった男…




「俺の体も…もうここまでか…」


激しすぎる体の脱力感を覚え、彼はそう呟いた。
その呟きは、まるで自分の死を楽しんでいるかのようにも聞こえ、
そして、自らを奮い立たせているようにも聞こえた。


すでに、『火星の後継者』事件から、三ヶ月と言う月日が流れていた。

ユリカたちの目の前から姿を消し、再び孤独となった彼は、
今もなお、『火星の後継者』達の残党狩りを続けていた。


補給をいっさい受けずに。

機体の修理もほとんど行わずに。

ラピスとの精神リンクも切った。

ラピスは最後までいやがっていたが、薬で眠らせ、その間に無理矢理切らせてもらった。
先ほど、彼女を単独ボソンジャンプでアカツキの所に送りつけたばっかりだ。


アカツキの苦笑いが目に浮かぶ。

きっと、最後の最後まで君らしい、とか思っているんだろう。

……。


もう、俺は戻れない。

俺の手はあまりにも血に汚れ、そして血を流しすぎた。

この手で、俺は…。

俺は、ユリカを抱くことなんてできない。


…いや、誰も触ることができない。



「ダッシュ…。」
《どうしたの?アキト…。》


呼びかけに応え、ウィンドウが目の前に出現する。
こいつだけは、とうとう最後まで一緒だった。

…いや、こいつがいるからこそ、このユーチャリスは動いていて、
俺の五感は最低限にまで感じるようになっている。

そう、今、俺はダッシュによって生かされていた。

結局は、五感の補助など、何か仲介できる物があれば良かったのだ。
そう、何でも良かった。
それが例え、機械でさえ。

そんな簡単な事だったのに、俺は子供を戦争の道具として使ってしまった。
望まぬ世界へ、無理矢理連れ込んでしまった。

…愚かだな。



「今のユーチャリスの状況はどうなっている?」
《…正直言って芳しくないね。
 ディストーションフィールド発生装置は損傷して、
 ジャンプフィールド発生装置も作動しない。
 酸素だって、タンクが底をつきはじめている。
 相転移エンジンの効率もどんどん低下しているし、
 止めっていう感じに、核パルスエンジンの出力も下がってきてる。》
「…後もって、どれくらいだ?」
《…よくもって、後数日。
 戦闘なんかは以ての外だよ。》
「……そうか。」


ははは…体の方だけじゃなくて、機体の方も限界が近いなんてな…

ブラックサレナも、もう動かすことはできない。

いや、外部装甲をパージしているから、今はエステバリス・カスタムか?

…どうでも良いか。


目の前にあるのは死。

ただそれだけのことだ。

人として、いつかは経験すること…

俺は、それが人より早かっただけだ。



…奇妙なほどに、心が落ち着いている。

これが、死を目前にした者の心情なのだろうか?



《ねぇ…アキト…。》
「…ん?どうした?
 …まさか敵か?」
《いや、違うよ。ただ、アキトに話しがあるんだ。》
「話…?」
《うん…。》
「…なんだ?」
《アキトは…ルリ達の所に戻らないの?》
「そんなことか…。
 もう、俺の心は決まっている。
 俺は血に染まりすぎた。
 帰っても、誰も俺のことを良くは思ってくれないさ。」
《……。》
「前にも話したはずじゃなかったか?」
《…うん。》
「…じゃあ、何でそんなことを聞くんだ?」
《……それはね、今、ネットからある種の情報を手に入れたんだ。》
「…それが?」
《…とある病院の資料なんだ。地球のね。
 そこの患者の一人のデータなんだけど…》
「……?」
《…テンカワ・ユリカって人のデータなんだ。》
「……!!」
《…これってアキトの奥さんだよね?
 アキトが、助けたかった人のことだよね…?》
「……。」
《…そこにね、書いてあったんだ。
 彼女の余命…もう、それほど長くないって…》
「…な!?」


愕然とした。
遺跡との融合が、それほどにまでユリカの体を蝕んでいることに。
そして、腹が立った。
ダッシュに言われるまで、彼女の様態を知らなかった自分に。



《…多分、このデータの発信日時から計算すると、
 ユリカさんの余命、もう、数日しか残されていないはずなんだ。》
「……え?」
《アキトとほとんど同じ。ユリカさんも、アキトと一緒なんだ。》
「……。」


嬉しいわけない。
自分の妻が、自分と一緒の時に死んでいくことが。
違う運命を歩いていたのに、最後だけ一緒なんて…



《アキト…もう一度聞くよ。
 もう…戻らないの?》
「……。」
《アキト…。》
「…どうして、なんだろうな?」
《……?》
「あの頃までは、本当にうまくいってた。
 ユリカと、ルリちゃんと…一緒に暮らして、一緒に屋台を引いて…。」
《……。》
「金もなくて、家は狭くて。
 その上、屋台の収入が軌道に乗るまで大変で…。」
《……。》
「それでも、幸せだったんだ。
 三人がみんな、一緒で。」
《……。》
「貧乏だったから、新しい服がほしい、ってよくユリカが拗ねて。
 家が狭かったから、寝るときは三人寄り添うように寝て。
 屋台を軌道に乗せるために、みんなで朝まで話し合ったり…。」
《……。》
「…なのに、どこで間違っちゃったんだろうな。
 俺が、コックなんてものを目指したからか?
 俺が、ナデシコに乗り込んだからか?
 俺が、火星で生まれたからか?」
《アキト…。》
「…もう、疲れちゃったよ。
 幸せなんて、俺が手にしちゃいけなかった物だったんだ。」
《……!!》
「だから、これ以上辛くはなりたくない。
 もう、地球には戻らない。」


もう、何もかも…疲れたよ…。
もう、休ませてくれ…。



《アキトの馬鹿!》
「…っ!!」
《自分が辛くなりたくないから帰らない!?
 疲れちゃったから帰らない!?
 そんなの!ただの自分勝手だ!!》
「……。」


ダッシュには音声信号発生機構などと言う物はついていない。
それどころか、音など一切発してない。

なのに…。
ダッシュの怒りは、俺の脳に直接叩き込まれているかのように伝わってきた。



《アキトは…!残された人たちのこと…考えたことがあるの!?
 僕は、所詮機械だし、感情だって人のを模して作られた擬似的な物だよ。
 でも!少なくとも、ナデシコの頃からアキトの事をずっと見ていたんだ!
 アキトのナデシコクルーに寄せる思いは…
 ユリカさんに寄せる思いは、そんな物じゃなかったはずだ!》
「……。」


そう、ダッシュはずっと彼のことを見ていた。
ナデシコの時は、オモイカネとして。
今は、そのオモイカネの分身、オモイカネダッシュとして。
だからこそ、彼の思いは人一倍理解しているつもりなのだ。



《アキト…アキトは、ナデシコクルーの人たちの事、好き?》
「……。」
《…いや、言い換えるよ。ユリカさんの事、好き?》
「……。」
《……。》
「…ああ。」
《……。》
「俺は、ユリカが大好きだ。
 いや、この言葉だけでは言い尽くせない。
 ナデシコクルーのみんなが大好き以上だ。」
《……。》
「俺は…何してたんだろうな?」
《…ただ、一人で全て抱え込んでたんじゃないの?》
「はは…そうだったな。
 一人で抱え込んで、そして躍起になってた。」
《…もう、何をすべきか決まった?》
「ああ。…ありがとう、ダッシュ。」
《ふふ、どういたしまして。
 アキトには元気になってもらわないと、ルリに怒られちゃうからね。》
「そうか…ルリちゃんには、迷惑ばっかかけてるんだな。」
《うん。ついでに僕の苦労も分かってくれる?》
「…善処しよう。」
《なんだよ、それ。》







 〈地球 某病院 2036号室〉


真っ白で統一された、抑揚のないのっぺりとした病室。
あるのは、ベッドと、棚と、その上の小さな花瓶と、白い百合。

ベッドの上には、点滴をつながれた、元初代ナデシコ艦長その人が眠っていた。

テンカワ・ユリカ。
それが、彼女の名前。

全身がやつれ、骨と皮と少しの筋肉でしか成り立ってないようなその体は、
ただ、かすかに、呼吸のための上下運動を繰り返していた。


その病室に、光が乱舞した。

いや、乱舞したではない。

光が膨れあがり、形を作りあげていく。

そして、唐突なほどにその光は収まった。

残ったのは、一つの人影。

真っ白な病室に現れたのは、真っ黒な服を全身に着込んだ男。

ゆっくりと、彼女の眠るベッドへと近づく。



「……。」
「……あき…と…?」
「……っ!」
「…その動揺のしかた…やっぱりアキトだ…。」
「ユリカ…。」


かすかに目を開け、ゆっくりと、こちらに目を向けてくる。

痛々しかった。

出来ることなら、目を背けたかった。

自分の愛した彼女が、こんな姿に…。



「…アキトの声だ。…ふふふ、ずっと聞きたかったんだよ。」
「……。」
「…ねぇ、もっと喋ってよ。
 じゃないと、ユリカ、ぷんぷん。」
「…済まなかった。ずっと、独りぼっちにさせて…」
「……ホントにそう、思ってる?」
「当たり前だ。」
「ふふふ、嬉しいな。即答だったし。」
「……。」
「……。」
「……。」
「……今日は、どうしてきたの?」
「……。」
「今まで寂しかったんだよ?それなのに…
 どうして?…どうして?」
「……。」
「アキト。答えて。
 どうして、今まで来てくれなかったの!?」
「……。」
「ねぇ!アキト!答えてよ!
 どうして…どうしてなのよ!?」
「……。」
「どうして…答えてくれないのよ…
 アキトは、もう、私のことは好きじゃないの…?」
「…そんなこと、あるわけない。」
「じゃぁ…。」
「俺はおまえが大好きだ。
 例えこの身が滅びても、それだけは変わることがない。」
「…そう。」
「……。」
「……。」
「…それから、聞いたよ。ユリカのこと。」
「…そう。」
「……。」
「……。」
「…俺の事は、聞いてくれないのか?」
「…アキトは、どうなの?
 もう、復讐は終わった?」
「…ああ。でも…。」
「…でも?」
「……。」
「……?」
「…俺も、余命数日なんだ。」
「……っ!!」


ユリカの驚きが、はっきりと見て取れた。
目を大きく見開き、俺の顔を凝視する。

そんな…。嘘だよね?

そう、顔は物語っていた。



「五感がほとんどダメになってしまってるのは知ってるだろう?
 脳味噌をぐちゃぐちゃにかき回されて…」
「……。」
「それは、感覚だけじゃなくて、体もダメにしちゃったんだ。
 正直な話、今、こうして立ってるのも辛い位なんだ。」
「…っ!そんなっ…。」
「……。」
「そんなぁ…。」
「……ごめんな。」
「…え?」
「守ってやれなくて…。誓ったのにな。
 何があっても、ユリカのことは絶対に守るって…。」
「……そんなことない。」
「守れなかったよ。俺は、まだまだ未熟者だったんだ。」
「そんなことない!そんなことないんだよ…アキト。」
「…ホントに、ごめんな…」


彼女は、首を大きく横に振って、俺の言葉を否定してくれた。
俺は、そのことが何よりも嬉しくて…
嬉しくて…


気がついたら、ユリカは、俺の腕の中に収まっていた。
ユリカの額を、自分の胸に押し当てるように。

それが、とても心地良くて。

俺は…こんなにもユリカに飢えていたんだ、と実感できた。



「……アキトは、私のことを守れなかったって言ったよね。」
「…本当のことだ。」
「そんなこと言わないの。
 …でもね、今、アキトは私のことを助けてくれたよ?」
「……?」
「アキトのこと、嫌いなまま死んでいこうとする私の心を、助けてくれたよ。」
「…馬鹿。なに言ってるんだ。」
「むー。ユリカは馬鹿じゃありません。」
「はははっ。」
「何よ、せっかく人が感動的な話しをしてるって言うのに。」
「だって、おまえ。
 今、ナデシコの頃そのままだったんだぞ。」
「え?そうだった?」
「ああ。そうだった。」

「「あははははっ!」」


お互い、声に出して笑ってしまう。
別段おかしい事を話した訳でもないのに、
『ナデシコ』と言う単語だけで、ついつい嬉しくなってしまう。



「……ナデシコ、か…。」
「……ああ。ナデシコ、だ。」
「……戻りたいな。あの頃に。」
「……ああ。戻って、みんなと騒いで、笑って、泣いて…。」
「……。」
「……。」
「……ねぇ、アキト。
 戻ってみない?」
「…は?なに言ってるんだ?」
「だ・か・ら、戻るの。あの時へ。
 ボソンジャンプなら、出来ないかな?」
「…なっ!馬鹿!そしたら、もう戻れなくなるかもしれないんだぞ!?」
「戻れなくても良い!
 アキトが、アキトが一緒なら、私はどこえだっていける!」
「……。」
「……アキトさえいれば、十分。」
「…ホント、馬鹿だな。ユリカは。」
「あ!また馬鹿って…。」
「でも…。」


一呼吸おいて、ユリカの顔をのぞき見る。

笑ってる。

こころから、笑ってる。

だから、俺はなんだって出来る。



「王子様は、お姫様のわがままは何でも聞いてあげるんだぞ。」
「……!…馬鹿。」
「…あ、おまえも。」
「ふーんだ。アキトは本当にお馬鹿さんなんだもん。」
「…ったく。」
「……でもね。」
「……ん?」
「…ありがと。」


ああ。ここが俺の場所なんだ。

俺の、存在する意義が、ここにはある。

だから、俺は、こいつのためなら何でも出来るんだ。


そして、俺は、この時。
本当に久しぶりに。
何年ぶりかは忘れたけど。
こころから笑えた。



「…どういたしまして、お姫様。」
「うん。じゃぁ、いっちょやりましょう!」
「ああ!ジャンプフィールド展開!」

マントの下の、小型ジャンプフィールド発生装置が、
低いうなり声をあげる。


「目標時代、西暦2196年!」

体が、光の粒子に包まれる。
ユリカも、俺も。
心地よい、暖かい光、


「目標地点、長崎のサセボ!」

より一層、光の輝きが増す。
でも、俺達は笑っていた。
こころの底から。


「ユリカ!」
「へっ?」
「新婚旅行は、まだ終わってないからな!」
「…!うん!!」

これからだ。
俺達の新婚旅行。
俺と、ユリカの新婚旅行。

もう、絶対に離さない!


「行くぞ!」





「「ジャンプ!」」




…………
………………
……………………




後に残ったのは、白い、白い病室だけ。
真っ白で統一された、抑揚のないのっぺりとした病室。
あるのは、ベッドと、棚と、その上の小さな花瓶と、白い百合。

今、白百合が、二人の旅立ちを祝福した。








〔第零話 Fin〕


















【勝手な後書き】

ナデシコノベル初の作品でございます。
一回読み直してみましたが、これ…

もしかして、題名変えたらそのまま短編として出せないか?(笑)

うーむ…奥が深いぜナデシコノベル!


この、第零話。
実を言うと、一番苦労したのは題名を決めることだったりします。
…え?
題名がなんなのか分からない?

だから、『第零話』が題名ですって。(笑)

プロローグとしては長すぎる。
だからといって、第一話…と言ってもまだ本編には入ってない。
正直悩みました。
悩みました。
悩んだ末がこれです。
読者の方々、怒らないでください。(涙)


また、この話は自分の中での劇場版にケリをつけるために書いた物でもあります。
私として、劇場版の最後に不満を程良く感じておりました。
何でアキトはユリカを見捨てるんじゃ!…みたいな。

そう、私と同じように感じてくださった方は、きっと良い友達になれます。(笑)

それから、この話の中ではルリが会話の中でしか出てきませんが、
別段私がルリ嫌いなわけではありません。
むしろ好きです。
ただ、ユリカに対する思い入れがほかのキャラに対する思い入れより遙かに強いだけです。
ユリカばんざぁい!…みたく。


そんでもって、話しの中で、オリジナル要素が出てきたので、
ちょいとばかしせつめ…ゲフンゲフン!解説を…。

オモイカネダッシュ
  劇場版からいるという設定で、
  初代オモイカネの分身、【’】に当たります。
  ユーチャリスのメインAIで、ラピスと共にアキトのサポートに当たっていた、ということで。
  オモイカネにはない人に近い性格をしています。

追記
何故、この作品にオモイカネの出番が多いのか。

単純に私が大好きだからです。(笑)

オモイカネ万歳!みたいな。


以上が、勝手に書きつづった後書きでした。
これからも、逆境にめげずに頑張って書いていこうと思うので、
皆々様、これからも是非とも読んでいってください。

 

 

 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

淡々とした語り口は結構いけてますね。

とは言え捻りが無いのがちょっと押井星人、もとい惜しいかなぁ。

ナデシコSSでもそこそこあるパターンなんで力で押すかある程度どんでん返しを作らないと、新鮮味が無いんですよ。

何はともあれ頑張ってください。