月面の宇宙船ドック。ネルガルが極秘のうちに作り上げたその巨大な空間にその身を横たえるのは、まるで
剣を思わせる鋭い流線型をした一隻の戦闘艦。その名を、ユーチャリスと言う。ナデシコCの試験艦として。
そして、ナデシコフリート構想において旗艦を護衛するサポート戦闘艦の基本艦として設計、建造されながら
もその必要性がなくなり、ネルガルが私的に運用する実験艦へと鞍替えした船だ。
 
 今は、ネルガルが起死回生の策をかねて、ある人物の目的のために運用されているユーチャリス。その主の
名をテンカワ・アキト。『黒い王子』とも呼ばれる、全人類圏においてテロリストと呼ばれている人物である。

 漆黒の衣装に身を包んだアキトが、ドック内に身を横たえるその白い艦体に無言でバイザーに覆われた目を
向けている。その隣には白い少女がいる。まるで処女雪を思わせる白い肌に、金色の瞳。桃色がかった銀髪と
いったやや非人間的な、幻想的な容姿をした少女。彼女の名は、ラピス・ラズリ。「電子の妖精」と呼ばれる
ホシノ・ルリと似た生まれを持つ、遺伝子操作を行われたマシンチャイルドと呼ばれるIFS強化体質の少女
だ。彼女もまた、無言のままアキトとともに白い戦艦に目を向けていた。自身が操る、半身とも言うべき船に。

 そうして無言のまま二人はたたずんでいたが、そのドック内にコツ、コツと足音が響いてきた。パンプスの
硬い靴底と、ドックの床の無骨な構造材が立てる音はよく響く。が、二人はそちらに目を向けはしなかった。

 近づいてきた足音が止まる。そこで始めて二人はそちらに振り返った。その先にいるのは、ショートカット
にした一人の女性の姿。整った身なりと、知的な雰囲気はオフィスなどがよく似合うものであり、決してこの
場に似つかわしいものではなかった。彼女、エリナ・キンジョウ・ウォンはアキトが振り向いた瞬間、痛まし
い顔になるが、すぐに顔を引き締め、ポーカーフェイスになる。そして、口を開く。

「……ルリちゃんとナデシコCが合流したそうよ」

「……勝ったな」

 事務的な口調で言われたエリナの言葉を聞き、アキトは無感動にそういう。が、それとは裏腹に、心の中で
は安堵の息を漏らしていた。義理の娘たるホシノ・ルリ。IFS強化体質の人間の中でも、特に秀でた能力を
持つ彼女。その彼女が、最強の鎧たるナデシコCとともにいるのならばもはや何人たりとも彼女を害すること
はあるまい。それまでの間は、彼女はただの少女でしかなく、その身柄を危惧していたわけだが、それも杞憂
であったようだ。

「あのことオモイカネのシステムが一つになればナデシコは無敵になる」

「俺たちの実戦データが役に立ったわけだ」

 ぼそりといったアキトの言葉。それに、エリナは一瞬だが、顔をゆがめた。実戦データ。それを集めるため
にアキトがわたった危ない橋。そして、その結果生み出された屍の山。それが、どれだけアキトの心身を傷つ
けたか。それを一番分かっているからこそ、である。

「やっぱりいくの?」

 行って欲しくない。そう言外に言いながら、エリナはいった。しかし、アキトの返事は短い。

「ああ」

 その言葉に、ラピスがアキトを伺う。アキト自身。エリナの思いを理解している。彼女を傷つけ、自分を傷
つける。今の短いやり取りで、アキトの心が締め付けられた。それが、リンクを伝わってラピスに伝わったの
だ。言葉少ないこの少女。だが、決して彼女は無感動でもなければ、無関心でもない。

「復讐。昔のあなたには一番似つかわしくない言葉ね」

 その言葉を聞きながら、アキトは歩みを始める。それを前にしたエリナは、自分の感情を抑えるためにアキ
トから目を離し、体をずらしてアキトに道を譲った。そうしないと、彼にすがって「行かないで」といいそう
になる。

「昔は昔。今は今だ。補給、ありがとう」

 目をそらしたエリナとは目を合わせることなく、アキトはそう言い放った。その言葉にエリナはわずかに唇
をかみ、

「いいえ。私は会長のお使いだから」

 とだけ言った。こんなことで礼など言われたくはない。……アキトを、人殺しへといざなう行為への礼など。
そんなエリナの苦しみを理解しつつも、アキトは無言でエリナの横を通過し、キャットウォークを歩み、ユー
チャリスの艦内に足を進めた。その姿を見送るエリナ。

「……復讐。本当。あなたには似つかわしくないわ」

 悲しみをたたえた声は、しかし。あまりにも広すぎるドック内に響くこともなく、ただ虚空の中に消えていく。



    機動戦艦ナデシコ   火星の後継者



 ユーチャリスの艦内に入った二人は、無言のままユーチャリス内をしばらく歩いたが、行き先がそれぞれ違
うため、アキトはエレベーターのところで足を止めた。アキトが向かう先は、ユーチャリス内の機動兵器の格
納庫。ラピスはブリッジだ。

 ラピスと別れ、格納庫に向かうエレベーターに乗ったアキトは先ほどの言葉を反芻した。復讐。そういわれ
た。確かにそうだろう。ユリカを救い出す、という目的があるが、それ以上に復讐という目的が強いのだから。

(アカツキのやつは笑っていたがな)

 どこか困ったように、しかし利益を追求する企業人の顔を同時に現しながら苦笑していた。彼としてもクリ
ムゾンを追い落とすために「火星の後継者」とのつながりを明らかにし、そのスキャンダルを利用してネルガ
ルを返り咲かせるためにアキトのA級ジャンパーとしての能力を活かしたいと思っていたのでアキトの復讐心
というものは利用価値があったのだろうが、同時に蜥蜴戦争当時のアキトをもっともよく知る一人としては、
変わり果てたその姿に悲しみを持っていたのは確かだろう。

 アカツキのことを思い出しているうちに、アキトを乗せたエレベーターがストップする。格納庫にたどり着
いたのだ。視界が開かれ、目の前にたくさんのバッタが姿を現す。ユーチャリス格納庫に係留されたバッタは
脚部を折りたたみ、眠りについているようにも見える。そんな姿を無視し、アキトはただ奥に置かれた一機の
機動兵器の元に向かった。

 漆黒の重装甲に身を包んだ機動兵器。その名をブラックサレナ。呪われた黒百合の名を冠するその機動兵器
の足元に立ち、アキトはその巨体を見上げた。黒く、鈍く輝く装甲。それはまるで黒曜石のような美しさを持
つ。が、重厚なそのフォルムは、まるで悪魔的な雰囲気を持っている。それは復讐者の名にふさわしい形状で
あった。

 それを見上げたアキトはその姿を忌まわしそうな目で見た。この姿は、自分の復讐者としての醜さをそのま
ま体現したものだ。この姿を見るたびに、自分の罪を。弱さを突きつけられる気がする。しかし、今はこれが
必要なのだ。何より、自分のために用意されたこの鎧を拒絶するわけには行かない。

 これを用意するために巻き込んでしまった人たちのことを思う。エリナ、アカツキ、イネス、ウリバタケ。
皆はっきりと口には出さないが、自分にこれを使って戦場に出ることを嫌がっているのだ。それは、分かる。
だが、それでも生き残るために必死になって用意してくれた、複雑な思いを抱いた機体。

 その機体をしばし見上げるが、感傷に浸る余裕などがあるはずもなく、アキトはブラックサレナに乗り込ん
だ。狭苦しいコックピット。耐Gスーツを併用するため、今のアキトはまるで拘束衣をつけられた囚人のよう
である。その感触を感じながらコックピットに収まったアキトは目を閉じて自分のしてきたことを回想した。

 あの地獄の日々。妻と引き離され、過酷な実験が行われた日々。同じように苦しみを背負った人々と慰めあ
い、支えあった。そして、死んでいくのを見ていった。辛く、悲しい日々。そこから救い出されたのは、自分
ひとりだった。他の人々は証拠隠滅のためもあり、皆殺された。ユリカは忌まわしい「遺跡」と融合され、生
きているもののもはや「人」とは呼べない存在とされてしまった。

 だが、それでも生きている。助けたい、と思う。しかし、それ以上に今の自分にとっては火星の後継者。い
や、草壁が憎い。その気持ちのほうが遥かに強かったのだ。

 先ほどのエリナの言葉を思い出す。「復讐。昔のあなたには一番似つかわしくない言葉ね」確かにそうだ。
昔の自分。一番輝いていた、ナデシコ時代とその直後のラーメン屋を目指し、屋台を引いていたときの自分で
あれば、復讐など考えたこともないだろう。両親をネルガルによって理不尽に奪われ、木連の攻撃によって故
郷を灰にされたのに、憎いとは思っても彼らを皆殺しにしたい、などと思ったことはない。

 しかし、今は違う。築き上げてきた全てを奪われた。そして、自身の未来も閉ざされた。この現実を前にし
てはもう、奇麗事など口には出せないし、出すことなどできようもない。自分の手で、多くの人を傷つけ。命
を奪ってきたのだから。

 ターミナルコロニーの襲撃。その際に、何も知らない統合軍の兵たちが何人。いや、何百人命を落としたこ
とか。おまけに、火星の後継者の証拠隠滅のために巻き添えになった何も知らない人々が何人もいる。彼らの
遺族の憎しみは、クーデターを引き起こした火星の後継者と、自分勝手な理屈で戦火を交えた自分に集中して
いる。彼らのうちの何人かは、それこそ自分のように復讐をしたがるものもいることだろう。

 それを思い、自嘲的に唇の端を持ち上げた。憎しみは連鎖する。ことあるごとに物語などで繰り返されるフ
レーズだ。まさに、その通りだな、と思う。この戦いの先端は、それこそ百年前の軋轢から始まっているのだ
から。

「ラピス」

 このままだとひたすらに考え続けそうになったので、そうラピスを呼び出した。その声にすぐにラピスは答える。

「アキト」

 アキトの名を呼びながら、ブリッジのシートに座ったラピスのバストショットのウインドゥがアキトの目の
前に表示された。

「ジャンプをする。用意してくれ」

「分かった」

 そう一言だけ言うと、ラピスの顔に白い輝きが走る。IFS強化体質の人間がより強くその能力を行使した
ときに見られる現象だ。人間離れした綺麗な容姿のラピスの顔に白い輝きが走るその姿は、まさに妖精。その
姿を見たアキトは、「電子の妖精」と呼ばれる自分の義理の娘の姿を頭によぎらせた。

「準備完了。いつでもジャンプできる」

「ありがとう」

 そうとだけ言うと、アキトはジャンプイメージに入った。目的地は、火星近郊。少し遠くに火星を臨むイメ
ージを思い浮かべた。そのイメージが遺跡に伝わり、そして。ジャンプフィールドが形成され、ユーチャリス
の艦体を包み込んだ。虹色の光彩を撒き散らし、その巨体がドックの中から消えうせる。それを、ただ一人目
撃したエリナは悲しそうな瞳をして、

「アキト君……」

 と呟いた。彼はもう救われないのだろうか。と思う。罪というものは、自らの心のうちに巣食うもの。彼の
心の中には深く刻み込まれた罪の意識がある。その一つを傷つけた自分が願うことではないが、アキトに救わ
れて欲しいと思う。だから、

「あなたなら、助けられるの? 彼を」

 彼が選んだ女性。その彼女のかつての姿を思い出しながら、言った。その言葉は、女性としての敗北を意味
する。しかし、エリナは構わなかった。自分のプライドより、彼の心が救われるのなら。

「ユリカさん。……お願い。彼を、助けて」

 そう言って、エリナはすでに姿をけした戦艦のあった空間をじっと見つめていた。


 虹色の光彩とともに、宇宙空間に姿を現す一隻の船、ユーチャリス。遠くに火星を臨む位置にジャンプアウ
トしたのは、敵の索敵範囲のぎりぎり外を狙ってのことだ。出来うる限り、理想的なタイミングで。理想的な
ポイントを狙って介入するために。

「ラピス。ハッチを空けろ。外に出る」

「分かった」

 ジャンプアウトと同時に、アキトはそういうとIFSを通じてブラックサレナの機体と、機体を拘束するア
ームを操作して機体を移動させた。重厚感のある機体を動かす感覚を感じながら、アキトは口元をかすかにゆ
がめた。

 自分が無駄なことをしているのは分かっていた。エリナが言ったとおり、ルリとナデシコCの組み合わせは
最強だ。彼女ならば、確実に敵を抑えることが出来るだろう。問題があるとすれば、北辰と六人衆。やつらを
システム掌握で抑えることだけは、出来ない。

 しかし、それに関しても問題はない。ナデシコには今、かつてのナデシコに乗っていた三人のパイロットと、
ずっとルリを守ってきたサブロウタという強い味方がいる。数で言えば七対四と、不利ではあるが彼女らなら
ば問題ないはずだ。アキトがこれまで重ねてきた、北辰と六人衆。夜天光と六連。その戦闘データはすでにネ
ルガルが収集しており、それを元に作り上げたシミュレーションを彼女らは繰り返し、攻略法はすでに編み出
しているはずだ。北辰や六人衆は確かに強い。が、彼等は所詮、機動兵器の専門家ではない。実戦経験、機動
兵器での戦闘技術で言えば、蜥蜴戦争をナデシコで戦い抜いた三人娘とは比べるべくもない。それは、あの戦
争をともに戦い抜いた自分が一番よく知っている事実だ。なので、本来ならばいまさら自分の出る幕などないのだ。

 それでも出るのはやはりこれが復讐なのだからだろう。本当ならば、全ての悪夢の根源たる草壁を。あの忌
々しいヤマサキをこの手で八つ裂きにしてやりたいが、彼らには法の裁きを受けてもらう必要がある。世間に
「悪魔」として断罪され惨めに処刑されればいい。だが、北辰は違う。自分をあの地獄に放り込み、ことある
ごとに自分の前に立ちはだかった壁。あの男は、完全に裏の男。法の裁きなど受けたところで涼風を浴びたよ
うな顔をしたまま死に行くだけだろう。ただの実行犯であるあの男は、所詮は一兵士に過ぎないのだから。だ
から、自分の全ての憎しみをやつに向けて、この手で確実に殺したい。どうしようもないエゴだと分かってい
ても、止められはしないし止めたくもなかった。

 ゆっくりと動いたブラックサレナの黒い巨体は開放されたハッチから外に出て、ユーチャリスのとがった舳
先。剣の先を思わせるそこに直立した。そして、正面に火星を臨む。かつては血のように赤かった星。今では、
テラフォーミングが完了し、地球のような色彩に変化したそれを。

「火星か」

 その、かつての故郷を望んでそう呟いた。そう、かつての故郷だ。すでにそこに人はなく、あの蜥蜴戦争で
そこに住んでいた全ての人々は無人兵器に殺しつくされてしまった。彼らが何をしたというのか。自分たちが、
なぜあんな目に遭わなければならなかったのか。かつてナデシコで火星を訪れたときのことを思い出してそう
思った。

 それだけではない。たまたま地球にいたりして運良く生き残り、何とか幸福な生活を送っていた人々もまた、
火星出身。A級ジャンパー体質を持っているというだけの理由でモルモットとして殺されていった。それを行
った連中が今、あつかましくも火星に居座り、

「火星の後継者」

 と、名乗っているのだ。自分たちが生まれ育った、懐かしい故郷に。それを壊したやつらが。草壁としては、
古代火星文明を作り上げたものたちに成り代わり、ボソンジャンプを握った統一政権を作り上げ、それを理想
的に運用したすばらしい世界を作り上げるという愚にもつかない妄想を抱いているからこそ名乗った名だろう。しかし

「貴様らに、火星の名を名乗る資格はない」

 そう呟きながら、アキトは顔を輝かせた。やつらの実験の傷痕。感情が昂ぶるとナノマシンが暴走し、光を放つ。

「アキト。ナデシコCがシステム掌握を始めた。それと、ボソン反応が七つ」

「分かった。ジャンプの準備を」

 その言葉に答えて、ラピスが再度ジャンプの準備に入る。それを見送り、ジャンプフィールドが生成されつ
つあるのを感じながらアキトはもう一度火星に目を向ける。

 ジャンプフィールドが形成された。イメージングを行いながら、アキトはそれでも口を動かす。

「教えてやる。貴様らに火星の名を名乗る資格がないことを」

 蜥蜴戦争において虫けらのように踏みにじられ、殺されつくした火星の人々。そして、戦争終結後実験動物
としてもてあそばれ、尊厳もなく殺されていった同胞の惨めな姿を思い出すアキト。その口は、彼らの無念を、
怨念を背負い、言葉を紡いだ。

「俺こそが、唯一の火星の後継者だということを」

 そういうと、アキトの体が。ブラックサレナが。ユーチャリスの艦体が、虹色の光芒に包まれて最後の戦場
へと跳んでいった。



 あとがき

 性懲りもなく、短編です。今度は短め。最後の戦いに赴く際のアキトの心境を描写してみました。だからど
うした、といわれそうですがまあ、最後の台詞のために書いたようなもんですね。……でも、この台詞を言わ
せるつもりならむしろはじめの襲撃のほうがあってるっぽいんですよねぇ。ま、最後の戦いの前に火星を臨ん
だシチュエーションなのでこの時間軸を選んだんすけど。
 以上です。うわ、あとがきまで内容がない。

 

 

 

代理人の感想

うーん。

Vガンダムのときから思ってはいましたが、TK-POさんて話を盛り上げるのは余り上手くないんですよね。

よく言えば淡々と、悪く言えばメリハリが無い。

文章で救われてはいるんですが。

ご本人も言ってるように心理描写をしてるだけじゃただの1エピソードであって、短編にはなりえないんですよね。