第3話



枕元で暴れまわる目覚まし時計の騒音で、ラピスは目を覚ました

起き上がると、およそ低血圧とは無縁のキビキビとした動作でいまだ自己主張を続けるネコ型の目覚ましを止める

まだここに来たばかりの頃、それこそアキト以外の人間には全く心を開いていたなかった頃に、エリナがラピスに買い与えてくれたもの

それになんとなく目を止め、しかしすぐに部屋のクローゼットからいつもの服を取り出す

「・・・・・」

その、胸元にどでかいリボンが鎮座する、白を基調としたローブのような服

そういえば、この服は一体どこから手に入れてきているのだろうか。最初にこの服を渡されたときのラピスは、この服が街に着て行くには少しばかり異質な造形をしているということなど、当然ながら知らなかった

まさか買ってきたわけではあるまい。とすると

今まで何回も袖を通してきた服を裏返す、服のメーカーなどの知識には相変わらず乏しかったが、それがどこに書いてあるかくらいの一般常識は身につけている

「・・・・」

それを見て、思わず手を止める。数え切れないほど着てきたこの服のこんな部分に、今までどうして気づかなかったのか

『ラピスちゃん専用 男子禁制 悪霊退散主に編み笠着用の変態七人グループ退散 byラピスちゃん愛好会』

達筆過ぎるその文字に思わず息をつくと、ラピスはそのままその服にいつものように腕を通した

いつもと少しだけ違う朝

なぜ違うのかわからない朝

今から、戦場へ赴く朝

服のちょっとした秘密に気づいた朝

いつもより少しだけ、嬉しかった朝





「・・・・おはよう」

「ああ」

アキトの部屋のドアの前、そこから覗き込むような体勢で佇むラピスの挨拶に、アキトは無表情に答えた

いつものラピスなら、なんの遠慮も躊躇いもなしに部屋の中に入り込むのだが、この間の一件以来どうにも顔をあわせづらい

そして、ラピスのそんな心情は、分かり易すぎるほど分かり易くその態度に現れていた

幾ら相手がアキトだったとはいえ、誰かにあんなに真っ直ぐに感情をぶつけたことなどなかった。おまけに今でもやり方が思い出せないようなほど自然に、笑ったのだ

顔が赤くなる。なんだか自分はもの凄くみっともないところをアキトに見せてしまったような気がした

「どうした?」

そんな自分の態度を不審に思ったのだろう。アキトが声を掛けてきた

その声を聞いただけで、心臓の鼓動が倍速を叩き出した。なぜだか妙に恥ずかしい

音が鳴ったような気がするほどはっきりと、自分の顔が赤くなっていることを自覚する

「な、なんでもない」

その明らかに狼狽した自分の態度に、アキトはますます不審そうに眉を潜めた

まずい、これ以上ここに留まってはいけない

理屈ではない、本能のようなものでそう確信すると、ラピスは一も二もなく行動に出ていた

「さ、先に行ってる」

小走りに駆け出す。背中にアキトの不思議そうな視線を感じる。顔がますます赤くなった

そのまま壁の突き当たりにあるエレベーターに飛び乗り、格納庫への直通ボタンを押すと、ラピスはようやく息をついた

いけない、このままではいけない。なぜだか知らないがとにかくいけない

アキトの顔がマトモに見れない。今までこんなこと一度もなかったのに

原因はわかっている。この前のアキトに笑いかけたあの時のアレだ

なにがアレなのかはよくわからないが、とにかくアレなのだ

思い出して、また赤くなる

なぜ赤くなるのかすら、ラピスには明確には理解出来ない

恥ずかしいのだろうか、それとももっと別の理由だろうか

いや、恥ずかしいのだ。ただ単に普段自分が見せない笑顔とかいう奴を見せたから恥ずかしいのだ、そうに決まっている

でも・・・・

格納庫へと下っていくエレベーターの中で、ラピスは一人頭を悩ませ続けた








機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 嘘と本当 』

 

 





「・・・・あ?アキトの野郎の顔がマトモに見れない?」

出撃を三時間後に控えた格納庫の休憩室でセトを見つけたラピスは、思い切って口を開いた

ソファーに縮こまるように座ったラピスは、両手で持ったオレンジジュースの缶に目を落としながら、ぎこちなく頷いた

そんなラピスの、ある意味衝撃発言を受けたセトは、大急ぎで休憩室のドアから近くに人がいないか確かめ、ホッと一息をつくと鍵を閉めた

こんな内容、どんなに間違っても整備班の連中に聞かせられるわけがない

あの連中なら、職場放棄か、下手をするとアキト暗殺部隊まで編成しかねない

いきなりドアから外を覗き、鍵を掛けたセトを不思議そうに眺めているラピスに、セトは息をつきながらラピスの対面のソファーに身を沈めた

「・・・・で?どうだって?」

「アキトの顔が見れないの」

「恥ずかしいからか?」

「・・・・多分」

顔を赤らめ、縮こまるように答えるラピスを見て、年のせいかもはやその手のことにはほとんど興味も関心もなくなっているセトにすら、その理由がわかった

―――なるほど

口元に笑みが浮かぶ。嬉しいような悲しいような、不思議な心境だった

娘を手放すときの親とは、こんな心境なのだろうか

―――考えすぎか

「良いか、ラピ坊」

言うと、セトは真っ直ぐにラピスを見た

「ぶっちゃけて言うと、お前のその悩みは俺には解決出来ねえ」

「え?」

おそらく相当アテにしていたのだろう。セトの言葉に、ラピスの顔は明らかに落胆の色を浮かべた

そのことを嬉しく思いながら、セトは尚も言葉を続ける

「ただな、それはお前さんが、アキトのことを大事に思ってる証だ」

「・・・・アキトを?」

「そうだ」

頷き、さらに続ける

「だから心配すんな。それに、アキトの野郎のことが大事なら、それこそ恥ずかしがってる場合じゃねえだろ」

ニヤリと笑う。立ち上がると、ラピスの頭にポンと手を置いた

「だから、しっかり捕まえとけよ」

「・・・・うん」

赤い顔のまま頷くラピスに、セトは笑うと、そのまま休憩室の扉へと向かう

―――頼むぜ、ラピ坊

自分たちでは、もうどうにもならない

あの男は、基本的に自分達には心を開いていないのだ

その男を止められるものは・・・・もはや、この小さな女の子しかいない

「とめてやってくれ、あのバカを」

「え?」

自分の漏らした言葉に戸惑っている気配を背中に受けながら、セトはそのまま出て行った

「・・・・とめる」

確かめるように呟いたその言葉は、妙に重かった





「あー・・・・なんだ、お前ら」

休憩室を出て、格納庫の真ん中にやってきたセトは心底困っていた

その悩みの原因は、目の前にある死体もどきの山

先ほどの自分とラピスの会話を、どういう手段か知らないが聞いていたらしい整備班たち

皆一様に両膝を抱いて殻に閉じこもっていたり、「これは夢だ」と叫びながら床に頭を叩きつけていたり、全てを受け入れ悟りを開いたり、直撃を受けて床に死んだように倒れ込んでいたりと、様々である

頭をボリボリと掻きながら、セトはその面々を見回した

「―――!!おやっさん!!」

と、先ほどまで奇声を上げながら床に顔面を打ち付けていたクラシキが顔を上げる

血まみれだったが、そこらへんは無視した

「俺は認めます!認めますよ!!だってラピスちゃんが選んだ相手なんだから!アイツならきっとラピスちゃんを幸せにしてくれます!!」

半ばヤケクソのように叫ぶクラシキに、死体の山が反応した

何十人の男が一斉に顔を向けてくる映像というのは、怖いを通りこしてむしろ何かの罰ゲームのようにすら感じる

「ねえ!先輩達もそうっすよね!?ラピスちゃんの信じた相手を俺達も信じましょう!!」

「でも!でもなクラシキ!確かに俺たちはラピスちゃんを信じているが!同時に一つの条約を結んでいるはずだ!!」

「そうだ!抜け駆けしない!声を掛けるときは必ず二人以上!単独行動は極刑に値する!!」

「そこまでして!そこまでして守り通してきたラピスちゃんが!こ・・・・恋を―――!!」

「言うな!言わないでくれ!聞きたくない!」

「だが事実だ!ラピスちゃんは!!」

「俺だって信じてたさ!!ラピスちゃんはそんな俗世とは無縁な存在だって!」

「諦めるな!諦めるんじゃない!入会のときにラピスちゃんはトイレに行きませんよ?って平然と豪語していたお前が認めたら俺はどうしたら良いんだ!」

「現実は過酷なのさ」

「シャラーップ!!」

相変わらずの大混乱を、クラシキはなんと一喝で止めた

その気合の漲ったクラシキの迫力に気おされ、先ほどまで無秩序にも限度があるほど好き勝手に喋っていた整備班もさすがに押し黙る

沈黙した一同を見回すと、クラシキはゆっくりと、噛み締めるように語り始めた

「俺達は、決めたじゃないですか。ラピスちゃんを信じ、進んでいくと・・・・・例え、その先が火の中だろうと水の中だろうと、真空の中だろうと原子炉の中だろうと」

「・・・・・」

「俺達は信じたはずです。ラピスちゃんは間違った道になぞ進まないと、ラピスちゃんならきっと大丈夫だと・・・・・仮にその道が間違っていたとしても・・・・あの子なら・・・・ラピスちゃんなら・・・・立ち直ると!!」

クラシキの言葉に、呆れ返って何も言えないセト以外の人間が雷に打たれたような衝撃を受けた

そんな一同を見回し、クラシキは右腕を握り締め、誇るように掲げる

「だから信じましょう・・・・なぜなら、我々は・・・・!!」

整備班も、無言で右腕を掲げる

それを見届けると、クラシキは叫んだ

「我々は!!ラピスちゃんファン苦裸部なのだから!!!」

怒号が格納庫を支配した

皆一様に、涙を浮かべながら叫んだ

自分達の気持ちに別れを告げるために

涙を流しながら、叫んだ





こいつらはホンモノのバカだ

セトは確信した





統合軍総司令部

ここには、月に一度の頻度で宇宙や各国からの物資や新型機動兵器、或いは戦艦のテストデータを持った人間が、輸送機やシャトルでやってくる

やってくるシャトルは、南太平洋に存在するネルガルの機動実験場からであったり、それこそ統合軍が贔屓にしているクリムゾンの月第七技研、物によっては火星の第五研究所からのものまで、実に多岐に渡る

その中には、当然実験研究を統合軍に報告する研究者や、それらの人物の護衛を勤めるSPなど、実に様々な人間も混ざっている

その中において、その男の存在感は明らかに異質なものだった

鋭い眼光、そして明らかに研究者でも、護衛のSPでもここまではやらないだろうほどの隙のない動きは、軍人やその種類の知識に秀でた人間が見れば、一目で彼がなにがしかの達人であろうことを察するであろう

その男はシャトルから降りると、そのまま彼に付き従うSP達を従えたまま歩き出した

見方によっては、そのSP達こそが護衛される対象なのではないかと疑ってしまうほど、その男の物腰は明らかに研究者のそれではなかった

シャトル格納庫からエレベーターに乗り込み、そしてその扉が閉まるのを見届けると、彼は懐から一枚のIDカードらしきものを取り出した

それを、階数表示のランプが点滅している横にある、目立たないスリットに読み込ませる

すると、そのエレベーターが何の前触れもなく格納庫からさらに下に下降し始めた

その間、男も護衛の黒服たちも無言

重苦しい沈黙は、黒服たちが護衛しているこの男の苛立ちから発せられているということは、下降していくエレベーターの階数表示を足を小さく踏み鳴らしながら見つめている様子からでも、容易に察しがついた

エレベーターがたどり着いたその先、そこからさらに堅固な扉を三つほど通り過ぎると、そこには暗い空間が広がっていた

この部屋の使用意図を知らない人間が見れば、そこに集まっている総勢八名もの男達が、果たして統合軍総司令部の中でも、さらに上・・・・少将クラスの身分の人間であることなど想像もつかないであろう

それらを見回した男は、背後に控えていた黒服達に目配せをする。それに頷いた彼らは、それぞれ部屋の四隅へと散っていった

しかし、男と黒服達のその行動など全く歯牙にも掛けていないらしい、その暗室に集っていた中年から、老人までの男達は、目配せで唯一空いている席を指し示した。座れ、という意味だろう

男は頷くと、その空いている席にゆっくりと腰掛けた

暗室だった場所は、会議室だった。それも正規のものではない、この公式には存在しないはずの十九番目の会議室は、今ここにいる人間しかその存在を知らない

男が席に座るのを見計らったように、その八人の中でもっとも威厳のある、口元に白い髭を蓄えた老人が呟いた

「さて・・・・説明して貰おうか」

重苦しい、威厳に満ち溢れた声だった。だが、それに気圧された様子など微塵も見せず、男は仰々しく頷くと、ゆっくりと口を開いた

「我々にとっても、あの男の行動は予定外だ」

「そんなことを聞いているのではない」

その老人の右側に位置している、五十代も後半に差し掛かろうとしているだろう白髪交じりの男が、幾分怒気を孕んだ声を発した

だが、その怒気を孕んだ声すら平然と受け流し、男は言った

「ここで責任逃れや擦り合いをしても始まらんだろう。それに、実際問題奴らがあの連中を始末しなければ、どの道あの小惑星帯が我らの根城であったことが地球側にばれたはずだ」

「結果としては同じであろう?事実、宇宙軍の中でも鼻の利く連中は、すでに極秘裏に動き出しているという噂だ」

老人の言葉に、男は鼻を鳴らした

「それらの情報の隠蔽は元々そちらの役割のはずだ・・・・そういう契約だったはずだが?」

「それがいかに難しいことかは、お前もよくわかっておるだろう」

ため息をつくと、老人は再び口を開いた。周りにいる他の七人の男達も、彼との会話は全てこの老人に任せているらしく、口を挟まない

その押し黙っている男達を横目で見ながら、男はその口元を嘲りのそれに歪める。どうせ発言をしないならば、わざわざ危険を冒してこんなところに来る必要などないのだ。にも関わらずここにいるのは、自分達がすでに関わってしまったこの事柄が、それこそ自分達の預かり知らない場所で勝手に進行することが不安でしょうがないのだろう

―――気の小さいことだ

「あの連合宇宙軍の星野ルリの目を欺くことがいかに困難なことかは、たった三ヶ月前にお前達も身をもって味わっていることと思ったがな」

その老人の一言に、男は不愉快そうに眉を顰める

だが、元々嫌味で言った言葉だ。老人はその男の様子など気にした風もなく、さらに口を開いた

「先夜、つい七時間程前にな、情報局から連絡が入った。何者かが、例の特秘事項に侵入しようとしたそうだ。無論、トラップの発動で事無きを得たが、侵入者は以前として不明。ただ、その手際の良さとほとんど残っていなかったプログラムの断片から判断するに・・・・そのようなことが行える人材など、一握りしかおらん」

「・・・・妖精か」

男の言葉に苦笑すると、老人はさらに続けた

「どうもお前達は古めかしい単語を使いたがるな。齢六十年強のワシですら感服するほどだ」

「雑談などどうでも良い。で、その妖精はなにかしらの情報でも奪っていったのか?」

「情報の盗みは証拠も痕跡も残らんから断言こそ出来んが・・・・罠に引っ掛かったことを鑑みても、まだワシらがなにかしらを企んでいることくらいしか掴んでいないだろう」

「・・・・つまり、計画の内容はともかくも、計画の存在そのものはすでに知られている、とでも言うのか?」

「あの中佐殿の能力を至極マトモに評価するならば、そうなるか」

呑気に笑う老人に、男は歯噛みした

「それがどれほど危険なことか・・・・わかっているのか?」

その言葉に、老人は今度こそ声をあげて笑った

「危険、の意味がこの場合は違うな。これはお前達にとっては危険と言う意味だろう?元々この計画、ばれなければワシらはそれに乗っかり、ばれればお前達を人柱として祭りたてるだけ、ワシらにとってはその程度の話なのだよ。要はダメ元という奴だ」

その一言に、部屋の隅で今まで置物のように平然と佇んでいた黒服達が目に見えて反応した

怒りと、殺意

だが、彼らのそれを片手を上げて制すと、男は、内心の憤怒など微塵も見せずに、目の前のこの老人を睨み付けながら告げた

「それは同盟破棄と見て、良いんだな?」

「同盟?同盟と言ったのか今?バカを言うな若造よ、これは同盟なぞという対等な契約なぞではないよ。お前達はワシらへ従属したのだ」

「そんな覚えはない!!」

凄まじい勢いで腕を卓上に叩きつけ、男は叫んだ

その迫力と怒声に、老人の周りにいた男たちが怯む気配が伝わってくる

だが、その中で唯一平静な老人は、笑みすらたたえて男の様子を見つめている

その態度が、余計に男の怒りを増長させた

「今回の計画は我らの理想と貴様らの利益が一致したことによる共同戦線のはずだ!!」

「オンブに抱っこの狂信者がよくもそんなことが言えるな」

「なんだと!!」

「では聞こうか、再確認だ」

ギリギリと歯を噛み締めながら、腹の内で暴れ回る怒りを男は辛うじて静めた

だが、その目は危うげにギラギラと輝いており、老人の次の言葉次第では、彼らを囲む黒服の男達がその牙を老人達に向けることなど、容易に想像がついた

だが、老人は笑う

「今回、お前達が提供するものはなんだったか?」

「・・・・言っただろう。我らの兵と新たなる秩序だ」

「ふん、新たなる秩序なんたるものはワシらには要らんよ。重要なのはお前達が未だ信じられない規模であの草壁亡き後もその兵士達を維持していること、つまり必要なのはお前達の兵だ」

「・・・・だからどうした」

「では、ワシらが提供するのはなんだったかな?」

「現行で乗り手のいない戦艦と機動兵器、そして我らの発起までの情報操作。そして、発起後の我々との共同戦線」

「ひとつ、忘れておらんか?」

「・・・・・草壁閣下の、救出の手引きだ」

「そうだ」

満足そうに頷くと、老人はさらに続けた

「さて、ここで一つ疑問が浮かぶな。お前達が兵士を提供するのに対し、ワシらはあの電子の妖精殿からお前達のことを必死こいて隠蔽し、さらに分解した機動兵器や戦艦を、ワシら自らが極秘裏にお前達の潜伏場所に運び、さらには統合軍の全戦力を持って切り込み隊長も務める、と・・・・これではいかんな、とても対等な取引とは言えん」

「そんなことは最初に手を結んだ時に了解したことだ!!」

「では、我々が現段階で手のひらを返せばどうなるかな?」

「・・・・なんだと」

男の言葉に、老人は口元を歪に歪めた。それは今までのような、表面上とはいえ友好的な笑みですらなかった。蔑んだ、相手に哀れみすら抱いている笑みだった

「この計画が失敗しても、ワシらには後がある。元々こうやってお前達と手を組んだのも、統合軍の現状を憂いてのことではあったが・・・・それとて時間さえ掛ければ十分に取り戻せるレベルの問題だ。そこにたまたまその時間を短縮できる方法が転がり込んできた。だからワシらは手を貸す。だが、お前達はどうかな?」

この目の前の糞爺を、刺し違えてでも殺してやろうか、男は本気でそう思った

「後がないのはお前達だけだ。今言ったようにワシらは事実上追い詰められてもいないし、絶望的なほどのダメージを受けたわけでもなんでもない。だが、お前達は違うな?ワシらの協力なくしてお前達の計画成就など有り得ない。違うか?」

「・・・・」

男は、押し黙った。老人の言っていることは、悔しいが事実だった

火星の後継者事件によって激減したとはいえ、統合軍そのものは依然として存在しているし、これからもしていくだろう、だが自分達は違う

自分達、火星の後継者の残党を求めて、宇宙軍はいまだその捜索の手を緩めないし、あの黒い亡霊も執拗に自分達を狙い続けている

後がないのは、自分達だけなのだ

奥歯を噛み砕かんばかりにギリギリと噛み締め、男は、口を開いた

「・・・・我々に、どうしろと言うのだ」

その言葉は、事実上の敗北宣言と大差なかった

だが、これしか男の取るべき行動がなかったのも、事実だった。もしここで彼が怒りに任せてこの目の前の糞共を叩き潰したら、それこそ全てが終わりだ

今この瞬間も、いつか来るべき新しき秩序と、そして自分を信じてくれているであろう同胞達のためにも、この程度の屈辱ならば、呑んでみせよう

男は、ゆっくりと息をついた

それと共に、体内を暴れ回っていた怒りが、潮が引くように引いていく

「なに、別になにをしろとは言わんよ」

「・・・・なんだと」

「ただ、発起までの間、無断の行動は慎めと、そういう意味だ・・・・例の、草壁の残した外道共のことだがな」

「・・・・わかった。だが、奴らは現状の我らの保有戦力の中でも事実上最強だ・・・切り離すことなど出来ん」

「数より質か・・・・マコト、お前達は木連の人間だな」

「ふん」

「で、その草壁の遺した外道共は、今?」

その言葉に、男は立ち上がりながら告げた

「残ったよ、例の小惑星帯にな」

その一言に、老人が意外そうに目をむいた

「なぜだ?」

「亡霊退治・・・・・だそうだ」





ネルガル月ドッグに、一隻の戦艦が鎮座していた

流線型のフォルムに、四門のグラビティーブラスト。電子戦用に特化した、船体を包むように装備されている円形の強力な電波発信機

ナデシコ級欠番艦、公式にはナデシコシリーズには存在しないことになっている戦艦、ユーチャリス

その甲板に佇むのは、全身を黒一色で塗り上げた機体

つい三ヶ月程前の火星の後継者事件において、五つものコロニーを単独で落とした史上最大のテロリスト、テンカワアキトの愛機

火星での夜天光との決戦で大破した外部装甲を新調した、ブラックサレナ

そのアサルトピットに座り込んでいるテンカワアキトは、精神集中の為に閉じていた目を開いた

『発進準備、完了したそうよ』

現れたエリナのウインドウに、アキトは頷いた

自分の体をガチガチに補強している対Gスーツ。その感触を確かめると、アキトは口を開いた

ゆっくりと、噛み締めるように

これが、最後になることを、確認するように

「長い間・・・・・苦労を掛けた」

『・・・・・良いわ、別に』

視線を逸らしながらそう呟くエリナ

口から出掛かった言葉を、今、自分がもっとも言いたい、叫びたい言葉を、まるで押し隠すように飲み込む

そのエリナの無言を無視し、アキトは呟いた

「部屋に・・・・」

『え?』

返って来た意外な単語に、少しばかり驚く

「部屋に・・・・俺と、お前とラピスの写真がある・・・・全てが終わったら、処分してくれ」

言われて、すぐに思い出した

あの、ラピスが火星の後継者の実験場から救出されてから二ヶ月後に、嫌がるアキトとラピスを無理やり連れ出して撮ったあの写真

少し、こみ上げた。あんな写真など、とうに捨てていると思っていたのに、彼は大切に持っていてくれたのだ

『・・・・ええ』

「私物は、ほとんど片付けてある・・・・残っているのは、それだけだから」

なぜ、その私物と共にその写真も捨てなかったのか、エリナは聞かなかった

その気遣いに、アキトは心の中で頭を下げた

『考え直す気は』

「ない・・・・すまない」

最後の勇気を振り絞って出した言葉

だが、それをアキトはあっさりと断った

ウインドウに映る、その顔のほとんどをバイザーで覆い隠した顔が、少しだけ悲しそうに歪んだように見えた

『・・・・いいえ』

首を振ると、エリナは安心させるように微笑み、告げた

『あの子のことは・・・・任せて頂戴』

「・・・・すまない」

それきり、会話が途絶えた

無音が響く中、アキトもエリナも、何も言わなかった

躊躇うような沈黙の後、ユーチャリスとブラックサレナの周囲を蒼い光が包み始めた

ウインドウにノイズが混じり始める。それを見計らったように、アキトは言う

「今まで・・・・ありがとう」

その一言に、顔しか映っていないウインドウからは見えない手を力の限り握りしめた

これが最後のチャンスだ。彼を止められる、最後のチャンスだ

これを逃すと、もう後戻り出来ない。もうこれっきり、彼の覚悟は永久に決まってしまう

もしかすると今なら、止められるかもしれない

今なら、彼は頷いてくれるかもしれない。もしかしたら

言え、最後のチャンスだ。泣き叫んででも、いざとなれば自分の首にナイフでも突きつけて、やめないと死ぬとでも言えば、彼はきっと、自分の元に戻ってきてくれる

男のプライドなんて糞喰らえだ。そんなわけのわからない意地で、誰かが死んだり傷ついたりする必要など欠片もないのだ

言え、最後のチャンスだ

言え―――

『どう・・・・いたしまして』

言い終わるのとほとんど同時に消えるウインドウ

それが消えても、まだアキトはその視線を固定したまま、呟いた

「さようなら」

呟きに答えるように格納庫に光が満ちて、ユーチャリスとブラックサレナは、消えた





「・・・・・っ」

俯いたままのエリナは、管制室で肩を揺らしていた

しゃくりあげるように、何度も何度も上下するその肩

その肩に、不意に誰かの手が置かれた

だが、それにすら何の反応も示さず、エリナはただ俯いたまま、肩を揺らし続ける

その手の持ち主である、イネスフレサンジュは、そのエリナに一瞬だけ視線を向けるが、すぐに目の前のウインドウに映る、無人となった格納庫の映像へと目を向けた

「・・・・バカね・・・・貴方も彼も」

「っ」

それだけの言葉が引き金になった、エリナは俯いたまま、イネスの胸にぶつかるように頭を預けた

「・・・・うっ」

嗚咽が、漏れた

一度もれたその声は、次の声を呼び、さらにそれが次の嗚咽を呼ぶ

崩壊したダムのように、彼女の鳴き声は大きく、そして早くなっていく

そのエリナの背中に片手を回すと、イネスはなだめるように、慰めるように軽く叩いた

「・・・言え・・・・なかった」

イネスは、背中を叩き続ける

「言えなかった・・・・言えなかったの」

イネスの服を掴む、エリナは尚も、言葉を続けた

「行かないでって・・・・言えなかった・・・・!!」

吐き出すようなその叫びに、イネスはエリナの背へと回した腕に力を込めた

その目には、薄っすらと光るものが浮かんでいる

見守るようなその瞳で、イネスは自分の胸に頭を預けるエリナを見つめる

「・・・・辛かったわね」

「っ・・・・!!」

イネスの服を握り締める腕に、さらに力がこもった

「・・・バカなのよ」

イネスの、呟いた本人にすら聞こえないほど小さな呟き

「皆、バカなのよ・・・・きっとね」

イネスに縋りつくようにして、エリナはいつまでも泣き続けた





どれほど、この時を待っただろうか

実際に経過した時間など参考にもならない、重要なのは、自分がそれを長いと感じたのか、果たして短いと感じたのかどうかだ

結論から言えば、気が遠くなるほど長く感じた

生まれて、殺して、壊してきた今までの自分の人生などよりも、この三ヶ月間は圧倒的に長かった

このときを少しでも短く感じられるのならば、死なない限りの全てを捧げても惜しくないほどだった

それほど待ちわびた、そして、それはようやく、気の遠くなるほどの時間を経て、叶うのだ

閉じていた目を開ける。浮かぶのは漆黒の闇と、遥か遠くに光る星の光

そして、ボソンジャンプの、光

部下はいない。彼直属の六人の部下達が死んでからというもの、彼は直轄の手足を持っていない

育てる暇すら惜しかった。そんなモノに寄越すような時間など小指の先ほども有りはしない

泥にまみれ、鼻の曲がるような腐臭を囲んできた

全ては、さらなる闇に堕ちるために

より完璧な死闘のために、相手が強いだけでは、意味がないのだ

実力の拮抗した達人達が命を抉りあう、そこにこそ意味があるのだ

歪んだ笑みを貼り付ける。楽しくて楽しくてしょうがない

「どちらが死ぬか」

狂気を孕んだ瞳を見開き、笑う

答えるように、目の前に現れた白亜の戦艦は、二人の死闘の邪魔にならない場所へと退いていく

ブラックサレナが、ハンドカノンを構える

それを見て、今度こそ本当の狂気を顔に乗せると、北辰は呟いた

「相打ち・・・・それこそ、相応しいかもしれんなあ」

狂った歯車は、それでも動きを止めはしない

歪んだ動きを、伝えて行くだけだ

ブラックサレナのスラスターに、光が生じる

答えるように、北辰も愛機の錫杖を構えた

張り詰めた空気が、真空の地獄を包む

ビリビリと、本来なら感じるはずのない、相手のプレッシャーなどというものすら、感じる始末だ

だが、それで良い

こうでなくてはならない。自分にこんな錯覚をもたらせるような相手など、目の前のこの全身黒一色の趣味の悪い色の機体以外に有り得ないのだ

知らず、口元が歪む。口を開いては舌を噛む恐れがあるために、開きこそしてはいないが、その形は、明らかに笑みのそれだった

―――始めよう

先に動いたのは、どちらだったか





始まった戦闘を見つめながら、ラピスは胸の裂けるような思いだった

ラピスにはわかった。あの出撃前の会話の時にエリナがなにを言いたかったのか、それは、きっと今自分が思っていることと同じはずだ

全身にピッタリと張り付くようにフィットしているオペレート用のパイロットスーツの胸を、掻き抱くように掴む

今の自分に出来ることは、祈ることだけだ

両手を組む。自分は無神論者だが、もし神様というものが本当にいるのなら、きっとそんな小さなことは気にしないでくれると思う。神様なのだから

いざとなれば、アキトの意思を無視して、この戦闘に割ってはいることすら、ラピスは考えていた

だが、それはするべきではないと、そう思う

―――「とめてやってくれ、あのバカを」

ラピスには、正直よくわからない。ただ、ここで、この戦いをとめるということが、アキトをとめることになるとは、何故だかラピスには思えなかった

見守ることしか、出来ないと思う

だから見守ろう、見届けよう・・・・例えそれがどんな結果になってしまおうとも、そうすることこそが、アキトにとっても、自分にとっても最良の選択になると、そう信じて

「・・・・アキト」

確かめるように呟く

「頑張って・・・」

祈るように、ラピスはもう一度両手を組んだ








あとがき





眠いのと寒いのは、主に反比例。当たり前ですね、ごめんなさい



こんにちは、白鴉です

次回は因縁の対決です、とかのたまった直後に全く因縁の対決が始まらないという、大嘘をかましてしまいました。ごめんなさい

前回、ルリへ別れを言わなかった件ですが・・・・これは私の完璧なミスです

私の中では、ルリとアキトの別れは劇場版のあの墓場でのシーンで完結してしまっていまして、あんなハードボイルドに「君の知っている、テンカワアキトは死んだ」とか言ってしまった手前、今更もう一度ルリへお別れを言いにアキトが行くというのも、なんかマヌケな気がして書かなかったんですが・・・・そりゃあ書いてなければわかるわきゃありませんよね、ごめんなさい

決してアキトがルリのことを軽んじて別れを言わなかったわけではないです

さて

次回、次回こそ、対決です。きっと・・・・多分



それでは次回で








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管理人の感想

白鴉さんからの投稿です。

エリナさんが良い味出してますね。

それと、さり気なく目立っていたイネスさんもw

そんなネルガル組の中、男性陣(アカツキ、プロス、ゴート)は台詞どころか単語さえ出ていませんが(苦笑)

アカツキとの友情は幻だったのか、アキトよ?(爆)

さてさて、次回は北辰との対決みたいですが、どんな決着がつくのでしょうか?