第16話







「あーちっくしょう。このヤロ!」

苛ただしげに牢屋の鉄格子を叩きつけるリョーコ。先程から叩いたり蹴りをかましたりと色々な方法を試しているが、目の前の鉄の柱はビクともしてくれない

「ウリバタケ! なんとか出来ねえのか!?」

「無茶言わないでよリョーコちゃん。こんなの道具も無しに壊せるわけないだろ」

「あーもう役立たずが!」

同じように鉄格子へと噛り付いているウリバタケに罵声を浴びせる

「うえーんリョーコー。どうするのよー」

向かいの牢の中にいるヒカルが、困ったように声を掛けてくる

「大丈夫よヒカルさん! わ、私が!」

一体なにがしたいのか、枕を鉄格子と鉄格子の間に挟みながらユキナが答える

「ユキナちゃん、それなんか意味あるの?」

「え? あ、いや・・・・特には」

「あーもう! せっかく助けが来てるみてえなのに! これじゃあ俺達見殺しだぜ!」

「え!? そうなの!?」

ウリバタケが驚いたように声を上げた

「当たり前だ! 俺達助けるためだけにここまで振動が来るような大袈裟なことするかよ。多分ルリがここにいるんだ。今ここを襲ってる連中の狙いはそれだろ」

鉄格子を蹴り付けながらリョーコが叫んだ。助けが来た。それまでに体力を温存していた自分の考えは正解だったのだが、いかんせんその温存した体力を使う機会がないのでは、話にならない

「こっからでねえと始まらねえのによー」

「・・・・でも、今ここを襲ってる人達ってどこの人達なのかしら」

ただ一人騒ぎ立てることなく思慮に耽っていたミナトが、ふと顔を上げた

「あ? ネルガルだろ」

「そう、なのかしらね。やっぱり」

統合軍も連合宇宙軍のことも知らない彼女達は、実はまだ自分達がどういう目的でここに拘束されているのか知らなかった。もし彼女達がその理由を知っていたのなら、ここで間違っても助けに来たのがネルガルかもしれないなどという考えなど思い浮かばなかっただろう

「あー・・・どうしたもんか」

頭をガリガリと掻きながらそういうリョーコ。実際に打つ手がなかった。やらねばならないことが目の前に山積みなのにも関わらずただこうして手をこまねいているだけというのは、どうにもストレスが溜まる

そのときだった

微弱な振動が響くその牢獄の入り口から、間抜けな音が聞こえてきた

ウクレレの音だった

余りに場違いなその音に、その場にいた全員の視線が、思わず牢獄の入り口へと注がれる

その視線の集まっている扉が、不意に開いた

出てきたのは

「ホウロウ鍋にキスをした。ほうろう、ちゅう」

「イ・・・・」

ウクレレを抱え、長い髪で片目を隠した女

「イズミ!?」

「イズミちゃん!?」

「どーも、どーも」

マキイズミだった








機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 子供と兵士 』

 

 







その集団には、見覚えがあった

黒尽くめの集団。持っている銃。特徴的なマスク

どこをどう照らし合わせても、あのときの、あの連中だった

頭に血が昇った。こいつらはあのとき、サブロウタを撃ち、老夫婦を殴ったアイツらだ

容赦ない銃弾を浴びせ、自分へと死を突きつけた。自分達を虫けらのように踏み潰した

そしてそれだけでは飽き足らず、今度はルリの救出の邪魔までするのか

「マキビさん!!」

思わず飛び出しそうになったハーリーの体を背後から掴み、男が懸命に呼びかけた

「は、離して下さい!」

「落ち着いて! 今は冷静になるんです!」

「だってこいつらは!!」

「いいからっ!!」

その男の怒鳴り声の余りの迫力に、思わず声を止めた

堪えるように腕を握り締め、目の前の黒尽くめの集団を睨む

その彼らを掻き分け、一人の男が出てきた。マスクをしている男たちの中で一人だけその素顔を晒している。物腰からも分かる、おそらくこいつが隊長だ

「・・・・確認するぜ。マキビハリ中尉だな」

男の言葉に、しかしハーリーも彼を羽交い絞めにしている男も答えない。ただ目の前の隊長らしき男を睨みつける

と、その睨み合う三人の背後。一人の隊員が無線としては巨大な通信機を無言で男に差し出した。どうやらこの男が隊長で間違いないようだ

「どうした・・・・わかった。B棟は放棄だ、撤退しろ・・・・構わん」

無線機を耳に当てたまま、隊長はハーリーを見下すような冷めた目で見下ろした

「敵の本命は抑えた。他のは全部外れだ」

それだけ答えて無線機を元の隊員に押し返すと、ハーリーと視線を合わせるように屈みこんだ

「わかるよな。俺の今言った意味。お前がこうして俺達に囲まれてる時点で、お前らの作戦は失敗だ」

「隊長」

無駄話などしている暇はないとでも言いたげな隊員の一人の言葉に手だけで答えると、その隊長は尚もハーリーへと口を開いた

後ろにいる男など、最初から眼中にないとでも言いたげだ

「目的はホシノルリだな?」

ハーリーは答えない。相変わらずただ目を吊り上げ、体中から吹き出そうな怒りを抑えているだけだ

その様子にため息をつくと、今度はその視線を背後にいる男へと移した

「どうなんだ?」

しかしハーリーも答えないのだから、その男もまた答えるはずがない。ハーリーと唯一違うのは、その瞳に怒りを湧き上がらせていないことだけだ

「・・・おい」

背後にいるマシンガンを構えている男達に男を顎で示す。それだけで意図を理解したのか、三人を取り囲んでいる十五人程の中の五人がその中から歩み出て、彼を押さえ込みに掛かった

その行動に無言で腕を振り抵抗を試みるが、土台人数が違う。その抵抗も数秒も持たず、あっさりと押さえ込まれた

「あ」

思わず声を漏らして駆け寄ろうとしたハーリーは、そのとき気づいた。男が、真っ直ぐに自分を見つめていることを。その目の中に、諦めの色が微塵も浮かんでいないことを

組み伏せられた男の前に立ち、隊長と呼ばれた男は懐から手のひらサイズの手帳のような機械を取り出した。そして彼の口を強引に押し開き、そこから引っ張りだしたペン状の端末を男の舌に押し当てる

チクリとした痛みに、男の顔が一瞬だけ歪む

持っていた手帳のような機械のディスプレイに文字列が走り、すぐにその抑えられている男より僅かに若い顔が浮かぶ

「アオタタイチ30歳、六年前にネルガルに入社。しかしその一年後に同僚とのトラブルより退社。その一年後ネルガルの下請けの子会社に再就職。なるほどね、偽歴にしちゃあ随分と分かり易い経歴だな? アオタさんよ」

その言葉に男―――アオタの顔が悔しそうに歪む

「ネルガルシークレットサービスか、噂には聞いちゃいたが、まさかこんなところでお目に掛かるとはな」

言って、その顔を勢いよく殴り飛ばした

上から振り下ろすような打撃に、床と拳に顔面が挟まれる

うめき声を上げるアオタに構わず、さらに拳を繰り出した。二度、三度と、硬いもの同士がぶつかり合う嫌な音が辺りに響く

その光景に、思わずハーリーは目を逸らした

どこかが折れたのか、腫れ始めた彼の顔を髪を掴んで持ち上げ、隊長はさらにもう一発殴りつけた

「吐け。どこでホシノルリがここに拘束されてるって話を聞いた?」

その言葉に、腫れ上がった顔で、アオタは笑った

「知り、ませんね」

口の中を切ったのか、呂律が回っていない

「そうだろうなあ・・・・・指揮してる奴はどこだ?」

「はっ・・・さあ、ね」

言葉が終わるのとほとんど同時に、再び打撃音が響いた

掴んでいる髪の毛が、衝撃で何本が千切れた

「強情だな。あ? さっさと喋れば楽になるぞ。俺らは政府の手足だからよ、許可されちゃいるが、そうポンポンと殺しゃしねえ。ん? どうだ?」

隊長のその言葉に、アオタは唾で答えた

口から吐き出された血の混じった唾が、隊長の右頬に掛かる

その行為に、隊長の表情から先程までの余裕が消えた。まるで顔面からなにかを削ぎ落としたかのように、能面のような無表情へと変貌する

満足したのか、アオタが腫れた顔を歪に動かして嘲笑した

「貴方達に、喋るなんて、勿体無さ過ぎて、涙が出ますよ」

「・・・・そうかそうか」

右頬の唾を払いもせずに、隊長は怒りに彩られた笑みを顔に貼り付けた

アオタの両頬を無造作に掴み、口を開く。そこに右手を突っ込み、舌を引きずり出した

そして、左手に拳銃を握った

「じゃあ、この舌にはもう用はねえなあ」

笑いながら、甚振るように銃口を舌へと突きつけた

冷たい感触に、アオタの顔が青ざめる

その顔を見て満足そうに笑う。だが、すぐにその表情を曇らせると、隊長はアオタへと言葉を掛ける

「最後のチャンスだ。喋っちまいな・・・・この状況だ。喋ったとしても、誰もオメエを責めやしねえよ」

舌へと突きつけた拳銃の引き金に、脅すように力を込める。僅かに軋んだ鉄の音が、嫌に大きく聞こえた

「オメエらの作戦は失敗したんだ。ここに俺達が居る時点で失敗してんだ。今更何を拘る。包み無く喋っちまえば良いだけの話だろう。違うか?」

その口調は、いつの間にか尋問のそれではなくなっていた。それどころか、その言葉の端々にアオタをこれ以上傷つけまいとしようとしているような、配慮の色すら伺える

アオタも、それは理解していた。目の前の隊長らしい男は、これ以上不要な人間を傷つけたくはないのだろう

出会った場所がここではなければ、彼とは仲良く出来たかもしれない。そんな考えが泡のように浮かんで消えた

ふと視界の片隅に、ハーリーが映った。自分が守らなければならなかった少年は、周りの兵士に羽交い絞めにされ、それでも自分を助けようと身をよじっている

思わず、笑みが浮かんだ

舌を掴まれているために周りの人間には、彼が痛みか恐怖に顔を歪ませたようにしか見えない。だがそれでも、アオタは笑った

「・・・・仕事だから、か。プロだよ。オメエは」

尚も言葉を掛けてくる目の前の隊長に答えるように、アオタは目を閉じた

撃つなら撃てというように、自分に喋る気が無いという最後通牒のように

それは目の前の男にも、伝わった。彼は諦めたように息をつくと、呟く

「・・・・悪いな」

その言葉に、目をさらにきつく閉じる。舌を撃ち抜かれるという未知の痛みへの恐怖で全身から嫌な汗が吹き出た

そのときだった

何の前触れもなく、唐突に

彼らの背後の天井が、音を立てて崩れ落ちた

それは誰にとっても予想外の出来事だった。崩れ落ちて行く破片と爆破されたためであろう、巻き起こった煙が、全ての視界を塞いだ

ハーリーはそのとき、確かに感じた。今まで自分を押さえつけていた兵士が、何者かの手によって殴り飛ばされ、そしてその何者かが自分の手を取って走り出したのを

目の前は相変わらず真っ白だ。爆音で耳がバカになっているらしい、なんの音も聞こえない。高い耳鳴りがするだけだ

手を引かれて、走る。余りに突然の状況の変化に、その手の持ち主が誰かを確認することも、その手を振り解いてアオタを助けに行くという選択肢すら浮かばなかった

煙の中を尚も走る。随分と長い。もう十メートル以上は走っているのではないか

煙を抜け出たのは、ようやく耳がおぼろげながら正常な機能を取り戻し始めたときのことであった

自分の手を引く人間を見て、ハーリーは思わず叫んでいた

「リョ、リョーコさん!?」

「おう、大丈夫だったか」

視線を巡らせば他にもヒカルにミナトにユキナにウリバタケ、そしてアオタの姿もある

「ど、どうしてここに!?」

「イズミの奴がな。どういう訳か知らねえが、急に現れやがって俺ら牢から出してくれたんだよ。んで、こいつも貰った」

掲げるように見せた物。知識の上ではハーリーも知っている。先程アオタも投げていた物だ。煙幕弾

それを即座に前方、ルリがいるはずの扉に向けて投げる

広がった煙の中に飛び込む。視界が再びゼロになった

その中で、ハーリーは尚も尋ねる

「で、でもイズミさんは!?」

「わからねえ。なんかまだやることがあるっつってどっかに行きやがったんだ。おい! さっき助けたお前! お前知ってるんじゃないのか!?」

煙の向こうから、アオタの声が返って来た

「あ、はい! 確かに遊撃に何人か違う人間を連れてくるっていうのは聞いてましたが、まさかその人がナデシコのクルーのマキさんとは知りませんでした!」

「・・・やっぱりか、あの野郎」

リョーコの呟きが聞こえたときとほとんど同時に、目の前に扉が見えた

ゴールの扉。ルリがいるはずの、扉だ

「ウリバタケ!」

「おう!」

先程兵士から奪っていたのか、リョーコはいつの間にか右手に持っていたマシンガンを構えて背後を振り返った

未だモウモウと煙が上がっているため、こちらから相手の姿は見えない。だがそんなことには構わず、リョーコは持っているマシンガンを乱射した。アオタもそれに続くように取り戻したそれを同じように乱射する

煙の向こうで、なにやら怒鳴り声が響いている。先程の隊長が体勢を立て直そうと指示を飛ばしているようだ

その間に、ウリバタケは扉の横に取り付けられているパスワード入力に妙な端末を繋げ、なにやらコンソールをいじっている

自分も手伝おうかと体を起こしたその直後

「開いた!」

一分と掛からず、ウリバタケが見事としか形容出来ないほどの手際でドアのロックを解除した

「うし行くぞ!」

置き土産とばかりに、懐から取り出した手榴弾をリョーコが全力で投擲する。その後ハーリー達はその扉の中へと滑り込んだ





勝てるとは、端から思っていなかった

良くて相打ち、悪くすれば相手に触れることすら適わずの敗北。そう思っていた

その見通しに間違いはなかった、だが、もっとも肝心の部分を自分は見落としていた。そうツキオミは自分自身を罵倒した

先程の流れ弾で崩壊した瓦礫の中に埋もれている。胃からなにかが込み上げ、血の塊を吐き出した。どうやら相当に口内を痛めているらしい

切り刻まれた装甲服を見る。刃はまだ体に届いていないが、相手が繰り出した打撃がその素材を貫いて、体に直接傷を刻み込んでいた

自分の木連式柔は、決して付け焼刃ではないはずだった。士官学校で習ってからというもの、毎日の鍛錬は欠かしたことなどない。免許皆伝という事実にも慢心することなく、自分の腕を磨き続けてきた

そうだ

周りの炎が熱い。喉が焼ききれそうだ

「どうした? もう終わりか」

瓦礫を弾き飛ばし、死神が姿を現す

笑みを浮かべたまま息一つ切らすことなく、目の前の悪夢のような男は、尚自分になんらかの期待を寄せる目を向けてくる

その右手に光る短刀が、妙に目に残った

「なぜ・・・・」

搾り出した声は、自分でも驚くほど霞んでいた

「なぜ・・・・フィールド発生装置を使わなかった」

自分と戦っている間、北辰は一度たりとも例の装置を使わなかった。だがそれは、自分と相手が話しにならないくらいの実力差があるからではない

結果的には交わされたが、それでも惜しい場面は何度もあったはずだ。少なくとも、一撃二撃は入れても全くおかしくなかった

そしてその一撃が、実戦では何よりも貴重なもののはずだ。結果的にこうして自分はズタボロにされているが、それが北辰であったとしても、おかしくはなかった。それくらい自分は善戦したはずだ

「なぜ、か・・・・貴様はどうも勘違いをしているようだ」

右肩に、衝撃が来た。北辰の繰り出した足が乗っている

グリグリと捻られた。その傷口に塩を塗りこむような行為に、ツキオミが痛みの余り目を見開く

呻き声も漏れなかった。そのツキオミの様子に心底楽しそうに顔を歪めると、北辰は短刀をツキオミの左肩に突き立てた

「ガッ・・・・・ああ・・・・・あああああ・・・・」

突き立てた短刀が、捻られた

「があああああ!!」

激痛の余りのたうち回る。だがその行為そのものが、肩に食い込んだ短刀を捻ることへと直結し、痛みはさらに増す

だがそれでも、その動きを止めることは出来なかった。身を硬くして耐えられるような痛みではなかった

痛いからもがき、もがくから痛みが深まる。悪夢のような連鎖だった

呻きのたうつツキオミの顔を見て、北辰はさらに酷薄な笑みを顔へと貼り付けた

「痛いかあ? 痛いだろお。それだよ、我が欲しているのは。その痛みを与えたいのだ。与えられたいのだ。もしかしたら我がその立場にいてもおかしくなかった。そうだな? 貴様はそう思っているだろう? それだよ。それこそ我が求めて止まぬこと」

ツキオミはそんな言葉など聞いていない。それどころではない激痛に、体をビクビクと痙攣のように動かすだけだ

だがそんなことなど全く気にもかけず、北辰は続ける

その顔は、完全に人のそれではなかった

「そのような高貴な戦いに、銃などという愚かな物など必要ない。相手の肉に直接刃を突き立てる感触。相手の眼球を素手で抉り出す手触り。それが無いのはつまらん、そうは思わんか?」

目をあらん限りに見開き、ツキオミは絶叫した

その口に北辰は拳を突きこんだ。歯が何本か折れる感覚が、拳に伝わってくる

その感触に恍惚とした表情を浮かべ、北辰はツキオミの左肩に突き込んでいる短刀を引き抜いた

摩擦で、傷口を焼けるような痛みが突き刺す

さらに声を上げるツキオミを見ると、北辰はそのまま満足そうな笑みを浮かべ

そのまま、踵を返した

口元を歪めたまま、燃え盛る炎の中へと足を進めていく

その後ろ姿を、もはや暗くなりつつある視界の中で、ツキオミは確かに見た

全身が痛い。抉られた左肩の感覚はすでになかったが、へし折られた右肩は相変わらず脳が焼ききれそうな痛みを与え続けてくる

炎へと向かって、北辰がまた一歩を踏み出した

不思議だった。これほどまでの激痛の中にいても、自分の中には全く別の感情が渦巻いている

それは痛いとか死ぬとか、そんな物ではなかった

ただ単純に、悔しかった

自分は、なんのためにここまで来たのだ。一矢を報いることも出来ず、ただ痛みに悲鳴を上げるためだけか

違う。断じて違う

右腕を握り締めた。噛み砕かんばかりに歯を噛み締め、体を一ミリ動かす毎に走り抜ける激痛に声を漏らしながら、それでもツキオミは、立ち上がった

北辰の歩みが止まる

「・・・・待て」

背を向けたままの北辰へ向けて、蚊の鳴くようなしゃがれ声を漏らす

「・・・待て」

一文字喋る毎に、口の中の血が邪魔になる。それを吐いて捨てる。それだけの動作にも、激痛は付き纏った

だがそれでも、ツキオミは身を奮い起こす

その光景は生まれたての小鹿のような、酷く頼りなく、傍から見れば滑稽にすら映るほど必死な物だった

友を裏切った。たくさんの地球人の命を奪った。たくさんの同胞を失った

そして、それらを丸ごと捨て去った。そう、木星すら、裏切った

その果てに、自分はなにをした。なにもしていない

火星の後継者事件の時には、確かに自分は役に立てたと思う。自分が表に現れなければ、確かにもっとたくさんの命が亡くなったはずだ

だが、まだ足りない

あの日、あのとき、あの場所で、ただ自分の尊敬する人間の言葉に踊らされ、自分の親友であるはずの男を撃ったあのとき

そしてそれまでに、不毛な、ただの権力者同士の争いの間で、それに気づかず、目を逸らし、数えるのも億劫な数の人間を殺して来たあのときの自分を

まだ、許せない

ここで役に立たなければ。ここで今度こそ、この男を止められなければ

―――俺は本当の・・・大バカ者だ!!

ボロボロになり

左肩を失い。右腕を引きずって

ミシミシと悲鳴を上げる体を押しつぶし、それでも彼は

立ち上がった

「待て!!」

だがそれが、限界だった

臨界点を超えたツキオミの肉体は

膝から、崩れ落ちた

前のめりに、それでも自分の前にある背中へと手を伸ばそうとして、頭から瓦礫の海へと突っ伏す

視界が黒く塗りつぶされていく。僅かに映るのは、ただの地面だ

「そうだ・・・・」

その耳に、声が響いた

北辰の、声が

「追って来い。貴様もあの男も、まだまだ堕ちる余地がある。我と戦うには、貴様らはまだ大事な物を持ちすぎている」

―――クソ・・・クソ・・・・・・・

今度こそ、体が動かなかった。何度命じても何度叫んでも、自分の体は一ミリたりと動いてはくれなかった

「それら全てを捨て去り、我と同じ地平に立ったとき・・・・そのときこそ、我はもう一度相手をしよう」

満足そうないけすかない、胸糞が悪くなるような笑い声を聞こえてくる

ツキオミの意識は、そこで途切れた





「・・・・」

時折地響きが響いてくる中、出入り口の扉の横の壁に張り付き、ルリは息を潜めていた

この震動が意味することを、ルリは当然ながら察知していた。この時期にこんな大規模な奇襲を刑務所に仕掛けてくるような理由など、他に思いつかない

助けが、来たのだ

自分のいるこの地下最下層まで響いてくる震動だ。この刑務所の連中も相当に苦戦しているはずである

視線を移す。部屋の隅に設置されている監視カメラ数基は先程から動いていない。おそらく管制室もここを襲った何者かの手によって機能しなくなっているのだろう

ならば、この扉は、必ず開く

中を確認出来なくなった自分の所在を確認するために、そしてその自分を襲撃者の手からもっとも遠いどこかに退避させるために

息を殺して、ルリはそのときを待った

チャンスは一度、相手が扉を開いてこの部屋に入ってくるその瞬間だけだ

マトモな勝負になれば、当然自分に勝ち目などない。素手同士ですらムリなのに、相手は装甲服を装備して万全の体勢でここに現れるのだ

脇をすり抜け、相手をこの部屋に押し込み、外からロックを掛ける。これしか方法はない

緊張で乾いた唇を、唾で濡らす。身を硬くし、いつでも飛び出せるように姿勢を低くする

そのとき、一際巨大な震動が響いてきた。いや、それだけではない、今回は爆音もセットだ

近い。その事実にルリはいよいよとばかりに身を縮めた

足音が聞こえる。複数だ。真っ直ぐにこの部屋へと向かってくる

もう、いつ扉が開いてもおかしくない

汗が滲んだ手を握り締める

扉越しに銃声が響いてきた。まさか、ここまで押し込められて来るとは。どうやら襲撃者は相当な実力者達のようだ

そして、その瞬間

扉が開いた

その瞬間、ルリは溜めに溜めていた力を爆発させた。一瞬でその開いた扉を潜り、限界ギリギリまで低くした姿勢で目の前に立ちはだかっている影の脇をすり抜けた

急ブレーキを掛け、その勢いのまま一気に体を反転させると、そのまま全力で体重を乗せ、背中を突き飛ばした

影がよろめく、それを視界の端で見届け、ルリは扉の横についている開閉スイッチへとしがみついた

扉が閉まる。中の影が出てきた様子はない

成功だ

「・・・・ふう」

その事実に安堵すると、ルリはそのままの体勢で息をついた

そのとき

「か、艦長?」

「え?」

横から聞こえてきた聞きなれた声に、思わず首を向けた

その先には

「・・・・ハーリー・・・君?」

唖然とした表情のマキビハリと、ヒカルにウリバタケにミナトにユキナ、そして見知らぬ男が一人佇んでいた

さらに視線を巡らせると、気絶させられているのだろう、床に倒れ伏し両手両足を拘束されているサカキバラの姿があった

そして、自分がつい先程閉じた扉からは

『おいルリてめえどういうつもりだ! おいこら! 聞いてんのか!?』

リョーコの怒鳴り声が、小さく聞こえてきていた

それを聞き、慌ててルリが扉を開く

「・・・・すみません」

出てきたリョーコに頭を下げる

「・・・ったく、頼むぜルリ。まあ、これで一応の目的は達成か」

「か、艦長お・・・・!」

先程の呆然とした声とは打って変わって、半泣きになったハーリーが感極まったような声を口にする

そのハーリーに目を移し、そしてその視線を周りにいるメンバーへと向けながら、ルリは薄っすらと微笑んだ

「皆さんご無事でしたか」

「うん、皆無事よ」

「ルリルリこそ大丈夫? 変なことされなかった?」

「っていうかアイツら結局なんなの? 私達まだなにも知らないんだけど」

ユキナの言葉を皮切りに、次々とナデシコクルーが口を開く

皆一様に、互いのここまでの無事とルリの救出を喜び合った

だが、そこにアオタが口を挟んだ

「皆さん。再開を喜んでいらっしゃる暇はありません。すぐに脱出を」

その一言に、全員がアオタへ顔を向けた

「・・・・そういえば、どうやってここから脱出するの?」

ミナトの言葉に、全員が押し黙った

その視線は無意識の内に、彼らが入ってきて、そして今はウリバタケの手によってロックを掛けられ閉ざされている巨大な扉へと向けられる

あの扉を開いて脱出することなど、誰も提案しなかった。当然だ。あの扉の向こうからは、あの黒服の集団が向かってきているのだ

では、と視線を向ける。ルリの閉じ込められていた部屋の扉をさらに過ぎた向こうにも、まだ通路が延びている

道は、一つしかない。このまま進むしかない。だが、果たしてそれで良いのだろうか

この通路を渡った先に、もしなにもなかったなら、どうなるのか

今度こそ、あの集団と真正面から戦わなければならない。先程は不意を突けたが、今度はそんな手も使えない。もしそうなれば、終わりだ

「おい! あいつらこっちの扉へアクセスし始めてるぞ!」

扉に端末を取り付けていたウリバタケが叫ぶ

「どいて下さい」

そのウリバタケを押しのけ、歩み出たルリがその端末へと触れた。途端に両手にIFSが浮かび、瞳の金色がより深くなる

一頻り操作をした後、ルリは顔だけをこちらへ向けた

「かなりの侵入速度です。私がこうして直接防壁を巡らせている間は突破される心配はありませんが、それでも物理的にこの扉を破壊でもされれば、目も当てられません」

その一言に、リョーコが腕を組む

「・・・・何人かがこの通路の先を偵察して来て、脱出手段を探ってくるか」

「そだね、ルリルリがいる間は取り合えずあの黒尽くめさん達がこっちに来ることはないんだし、あの扉厚そうだから、壊すのにも手間掛かるでしょ」

ヒカルも賛成の意を述べる。だが

「いえ、皆さんは全員でこの先に行って下さい」

アオタの言葉に、全員が注目した

「ここは地下です。おそらく災害時の脱出手段としてどこかに緊急脱出用のポッドかなにかがあるはずです。この階の場合、ここまでにそんな物は見かけませんでしたから、あるとしたらこの奥ということになります」

一息吸い、アオタはルリへと視線を向けた

「ホシノさん。防壁を張ったとして、何分保つと思いますか」

その一言にルリは一瞬だけ沈黙する。それだけの言葉で、アオタの考えを察したからだ

「・・・・10分程度でしょう。もしこの先に本当に脱出手段があるのなら、十分に間に合う時間ではあります」

アオタは満足そうに頷くと、その場にいる全員を見回しながら口を開いた

「皆さん、自分がここに残って時間稼ぎをします。その間に皆さんは出来る限り急いで脱出してください」

その内容に全員虚を突かれたように目を見開く

「ここに残ってって・・・貴方はどうするのよ!?」

「そ、そうだよ! そんなことしたら死んじゃうよ!?」

「そうよ! どうせなら皆で逃げるべきじゃない!」

ミナト、ヒカル、ユキナが揃って口を開く。だが、それらにアオタはただ静かに首を振った

「自分の任務は、貴方達を無事に逃がすことです。そのためには万に一つの可能性も残すわけにはいかない。もし我々全員が奥に向かったとして、万が一脱出手段が簡単に見つからず時間切れになる可能性とて十分にあり得ます。そのときのために、保険が必要なのです」

「その為の保険に、自分が成ろうってわけか」

リョーコの言葉にアオタは頷いた

「皆さんは、本件にはなんの関係もありません。だからこの中のメンバーで残るのならば、それは自分です。自分であるべきです」

「・・・俺も軍人だ」

「貴方のエステバリスの操縦技術は、ここから脱出した後にこそ必要です」

その言葉に、リョーコは手を握り締めた

「・・・・だからって、テメエを見捨てて逃げろってか」

「・・・・私のことは気になさらず、出会ってまだ十分程度の付き合いなのですから、貴方達はなにも気にする必要はありません。すぐに忘れます」

「長い短いの問題じゃねえだろ!!」

そのリョーコの言葉に、アオタはしかしただ笑うだけだった

「さあ、皆さん。時間がありません、こうしている間にも向こうはこちらの扉の爆破準備を進めているはずです。お早く」

「出来ねえって言ってるんだ―――」

尚も言い募ろうとしたリョーコの鼻先に、マシンガンが突きつけられた

それを構えているアオタは、先程とは別人としか思えないほどの冷たい表情を貼り付けていた

「口論の時間は無いと言ったでしょう。言っておきますが、このまま時間を浪費して相手に捕まるような事態に陥れば、私は貴方達を皆殺しにします。敵に渡るよりは、その方がまだマシなはずですから」

銃口を向けられ固まる一同を見回し、アオタはさらに続ける

「私と貴方達は、あくまで仕事での関係です。私とて任務でなければ、貴方達などすぐにでも殺してその首を手土産に投降します。私はそういう人間なのです。ですから貴方達もすぐに忘れることです。私もすぐに貴方達のことなど忘れます。ですから、お早く」

アオタの言っていることは、アベコベにも限度がある

ただそれでも、その場にいた全員の反論を飲み込むだけの迫力は、十分にあった

誰もが押し黙る

それに満足したのか、アオタはルリへと再び振り返った

「ホシノさん、お願いします」

「・・・・わかりました」

無表情に答え、ルリは数秒程目を閉じたが、すぐにその手を端末から離すと、ハーリーたちの元へと駆け寄った

「出来る限りの防壁を施しました。扉そのものが破壊されない限りは、最低でも十五分は保つはずです」

「わかりました・・・・さあ、皆さん」

視線と共に銃口を向け、アオタは皆を促した

それに渋々ながら従おうと、ルリ達が通路の先に足を踏み出したそのとき

一人の影が、その中から抜け出し、扉の端末へと飛びついた

ハーリーだった

「マキビさん!?」

驚いた様子で問いかけるアオタに、ハーリーは睨むような目でアオタを見つめた

「・・・・嫌です!!」

ハーリーには、どうしても出来なかった

今までのように、大人の事情を飲み込んできたような状況とは、訳が違うのだ

あのときは、仲間を苦しめられるという状況だからまだ、納得できた。自分でまだ彼らを助けるチャンスがあるからと、納得できた

だが、今回は違う。ここで自分が退いてしまえば、アオタは確実に死ぬのだ

それだけは、出来なかった

死ぬと分かっている相手を残して行くことなど、出来なかった

子供と呼ばれても良い。呆れられても構わない。怒鳴られても耐えてみせる

自分の知り合いを見殺しにするくらいなら、そんなことなど全く問題にならない

この男は、自分を励ましてくれた。なにをして良いかわからなかった自分に、情けなく子供であるはずの自分に、敬語を使ってくれた

確かに出会ってからの時間は果てしなく短い、だがそれでも、彼が自分を励ましてくれた事実は、何一つ変わらない

そしてその彼が今、死のうとしている。心にもない、似合いもしない残酷な言葉を並び立て、悪者になって死のうとしている

我慢、出来なかった

そんなこと、絶対にさせはしない

幻想でも良い。子供の妄想でも良い。だが、それでも皆で助かるという選択肢を、捨てたくなどない

端末に手を添え、相手の侵入を退けながら、ハーリーは叫んだ

「見殺しなんて、絶対に嫌です!!」










あとがき



中々切るところがない・・・・困った



こんにちは、白鴉です



突然ですが、ここであとがきを利用して状況を整理してみようかと思います

いえ、今の状況がどうなっているのかという御質問を結構頂いておりまして、ならここで読んでいる方達に対してもさせていただこうということにしました

ですので今回のあとがきはちょっと長いかもしれませんが、どうかご了承下さい

とはいっても、それほど複雑ではないです。おそらく今一わからない方達も、理解していないというよりも、忘れていらっしゃる方がほとんどだと思います

まず、簡単に現在の対立関係を書きますと

統合軍+連合宇宙軍+連合政府+火星の後継者残党 VS ネルガル+ナデシコ+アキト達

となります。左の方がクーデター組で、右がそれを阻止するぞ組です。まあ右側のネルガル陣営は全部まとめてネルガルってことにもできますが、まあこんな感じです

で、ここからがおそらくほとんどの方が忘れていらっしゃることだと思います

つまり、統合軍も連合宇宙軍も、あくまでクーデターを企んでいるのは『上層部』であるということです

別に統合軍や宇宙軍全てがクーデターやるぞーと勢い込んでいるわけではありません。企んでいるのはあくまで上層部。一握りの方達です

まあ彼らがそこから掌握した人間も何人かいるはずですが、あくまでそれは少数。全体の数から言えばまあお話にならないくらいの少人数です

とはいえ戦争なんてものは、大抵お偉いさん達のソロバン弾きで始まったり終わったりするのですが、まあそんな感じです

書いたら本当、一瞬でした。で、まあ補足するなら、ネルガル側が今一発逆転を狙って反撃の真っ最中ってことくらいでしょうか

細かいところを言っていけばキリがないので、大雑把で申し訳ありませんが、とにかくこんな感じです

さてさて、次回で多分第三刑務所編が終わります。そこからはもう一気にラストスパートです

・・・・あー、そう上手く行くのでしょうか、作者ながら不安です





それでは次回で