第17話







「さて、これで終わりですか」

連合大学付属病院の廊下で、プロスペクターはネクタイを緩めながら呟いた

その足元には、三人の人間が転がっている

連合宇宙軍総司令部直轄の軍人。おそらく腕だけならば他の軍籍の中でも群を抜いていたはずだが、それゆえにプロスペクターの外見を見て侮り、こうして敢え無く気を失うはめになっている

「ミスター」

と、廊下の向こうから野太い声が掛かった。視線を向けると、山のような巨体を揺らしながらゴートが駆け寄ってきている

「ああ、ご苦労さまです」

「先程伝令係から連絡がありました。テンカワユリカの身柄確保に成功したそうです。間も無くこちらに降りてくるかと」

ゴートの言葉に頷くと、プロスペクターは腕につけている今時珍しいアナログの腕時計を見つめた

「予定終了時刻より二十分も早いですね。上出来でしょう」

「撤収の用意はすでにほとんど完了しています」

「負傷者は?」

「妨害電波の影響で全班と連絡が取れませんから未確認ではありますが、今のところゼロです」

「そうですか・・・・」

それだけ答えて、プロスペクターはなにかを考え込むように眼鏡を押し上げた

そのいつもとホンの僅かだけ違う様子に、ゴートが不可解そうに声を掛ける

「どうかしましたか」

「なにか、おかしいとは思いませんか?」

「・・・・」

プロスペクターの言葉には、ゴート自身も心当たりがあった。だがその余りにも漠然とした違和感はいかにも掴み所がなく、こうしてプロスペクターに言われるまでゴートはそのことを出来るだけ考えないようにしていた

だが、水面に投げ込まれた石のように、彼の言葉はゴートの心の中で波紋を広げていく

「なにが、ですか?」

とはいえ、その水面下にある物はまだゴートには見えなかった。だから尋ねる

答えは、すぐに返って来た

「艦長・・・・いや、ユリカさんの扱いですよ」

それだけ答えて、プロスペクターは伺うようにゴートを見上げた

「生活安全課からの連絡では、統合軍や火星の後継者の残党の方達は、すでに大規模な軍事行動に入る準備を進めているそうです。しかもそれは後数時間、あるいは数十分の内に表に出ることになるでしょう」

「それは」

「さらにあの方達の根回しは十分ではないようです。ここ最近妙に活動が活発になった軍属の人間の内、実に八割が現場に出ることがない上層部の方達のようです。つまり」

「戦闘が、あると」

「確実とはいえませんが、そういうことになるでしょう。先の火星の後継者事件のせいで軍人達の中にも相応の派閥が形成されているそうです。あいつらは裏切ったが、自分達は裏切らない。自らの職務に誇りを持つぞ。という感じのね」

そういうと、プロスペクターは自分達の足元に転がっている三人の軍人達を見た

「現在、演算ユニットは火星極冠遺跡に厳重に保管されているそうです。とはいえ、それを破ってでもユニットを手に入れるメリットは、半年前のクーデターの際に十分に向こう側も承知しているはず」

「ボソンジャンプ、ですか」

「ええ、しかし彼らはそれをしなかった。こうしてユリカさんの身柄を抑えたにも関わらず、その目的はあくまでこちら側にボソンジャンプを使わせないようにした、それ以外の目的が見出せない」

そこまで言って眼鏡を押し上げていた手を離す

「戦闘になる可能性がある以上、彼女を遺跡と再び融合させるという選択肢は十分過ぎるほどの説得力を持っていた。にも関わらず彼らはそれをしなかった。しかもその彼女の警護は、こんな少数の我々に容易く突破できるほど薄い物だった」

ゴートはようやく、プロスペクターの言いたいことをおぼろげながら掴むことが出来た、尋ねる

「つまり向こうはテンカワユリカを我々に渡しても構わないというほどに、その戦力を高めている、と」

「かもしれません。彼女の身柄を押さえたのも、ナデシコという存在そのものに恐怖を抱き始めている下士官達の不安を解消させるためだけ、そういう解釈も出来るはず」

それが正解だろうと、ゴートは思った

自分達が会長に言われて調べた結果、このクーデターに参加する予定の人間達は、統合軍と宇宙軍、そして火星の後継者の残党

上層部のみという制約がついているとはいえ、指揮系統そのものを抑えられているに等しい今の状況では、実質統合軍と宇宙軍を丸ごと支配したといってもなんら大げさではない状況なのだ

この状況で他の戦力を割いて演算ユニットとボソンジャンプという戦力を得るよりは、その戦力をそのままクーデターに回した方が遥かに使い勝手が良い。つまりは、そういうことなのだろう

「おそらく、ゴートさんが考えておられるとおりでしょう」

同じ結論なのか、プロスペクターが顔を上げた

そしてその顔に、あのいつもの、底の知れない愛想笑いを貼り付けた

「どうやら私達は随分となめられたようですなあ・・・・いやいや」

いつもの調子の戻ったプロスペクターを見て、ゴートは視線を廊下の隅へと向けた

そこには丁度、部下に連れられてエレベーターから降りてきた、車椅子に座っているユリカの姿があった












機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 僕が君を覚えている 』

 

 











端末にしがみついているハーリーを、アオタもルリ達もただ何も言えずに眺めていた

時間は、もう幾らもない。元々時間がないという理由で自分がここに留まるといっているのに、こんなことで時間を潰していては、元も子もない

そう考えたアオタは、ハーリーへと歩み寄った

「マキビさん」

「嫌です! 死ぬなんておかしいですよ! 僕なんかを助けるためにどうしてアオタさんが死なないといけないんですか!!」

すでにハーリーは、こちらの言葉を聞けるような状態ではなくなっていた

無理もない、今まで色々と重ねてきた無理が、大人の判断を無理矢理飲み込んできた反動が、ここで、この余りに異常で絶望的な状況で、はちきれてしまったのだろう

亀のように丸まって、ハーリーは端末へとしがみついている。その行為が結局のところ自分の死や仲間たちの死に繋がっているはずなことも、当然彼は理解はしているのだろう。だがそれでも、彼はこうして駄々をこねているのだ

そのハーリーを、扉の端末に必死になってしがみついているちっぽけな少年の姿を見たとき、アオタの胸にチクリとした痛みが生まれた

罪悪感

気が付いたときには、もう頭を下げていた

「・・・・すみません」

それは、色々なことに対する謝罪だった

自分達が不甲斐ないせいでこんな状況に落ち込んでしまっていること。こんな無謀な作戦に、ハーリーのような子供を付きあわせてしまっていること

本当なら、こんなところにこんな少年がいるはずがないのだ。いや、それは彼に限らない

今自分の後ろにいるはずの彼らとて、本当ならこんなところにいることなど無かったのだ。こんなクーデターなど、彼らには全く関係のないことのはずだったのだ

彼らは家でのんびりしていれば良いのだ。こういうことを防ぐのは、自分達の役割のはずなのだから

そのアオタの突然の言葉に、ハーリーが顔を向ける

「どうして・・・どうして謝るんですか!」

混乱している彼には、その意味など当然わかっていなかった

だがそれでも、アオタの顔に浮かんでいる不可解な表情に、不吉な予感を募らせる

彼は、アオタは

笑っているのだ

それは、ハーリーの理解を超えていた。こんな状況で笑うなど、彼には全く理解できない。狂ったとしか、思えない

だが、その狂ったアオタは、ハーリーの肩にそっと手を置いた

「・・・・マキビさん」

肩に置かれた手の温もりに、ゾッとした

別にアオタの体温が異常に高かったわけでも低かったわけでもない。ただ、やはりハーリーは、わかっているのだ

この体温の持ち主が、もうすぐ死ぬ。そう考えたら、その温もりはとてもではないが、耐え切れるものではなかった

やめてくれと、叫びたくなった

その優しい声をやめてくれと、どうしようもない我侭を言っているはずの自分を、叱りも怒りもしないその声を、止めてくれと

それは、返って少年の心を不安で煽った。どうしようもない現実を前にしている、その事実を、改めて突きつけられているように感じたから

もう自分のちんけで安っぽい言葉など届かないという現実が、目の前に立ちはだかっているように感じたから

だって、普通の人間に、こんな表情など出来ない

今から死ぬという状況の中で笑うことなど、普通の人間には出来ないのだ

経験や体験ではない部分で、ハーリーはそれをすでに悟っていた

もう彼は、受け入れてしまっていることを

もうなんの言葉も彼を動かすことなどなく、自分に出来ることなどなにも有りはしないのだと

これは、死を覚悟した者の、顔なのだと

「・・・やめてください・・・やめてください!」

叫んでいた。これ以上耐えられなかった

だが、その暴れるハーリーの肩に手を添えたまま、アオタは続ける

「・・・・マキビさん。私は、思うんです・・・・」

ハーリーの耳には、その言葉が酷く穏やかで満ち足りた物に聞こえた

何もかもを諦め投げ出し、ただあるがままを受け入れてしまおうとしてる人間の声に、ハーリーには聞こえた

「人にはそれぞれ、努力したしない、望む望まないに関わらず、出来ることと出来ないことがあると」

それは、アオタの包み隠さぬ本心だった

虚しく、そして冷たいことではある。だが、アオタは確かにそう思っていた

「そして残念ですが、私の役目はここまでなんです。アナタ達を守る、その役目のために、私は例え死ぬと分かりきっていることでも、やらなければならないんです」

「・・・・・嫌、嫌です! そんな考え間違ってます! 役目とかそんなことどうでも良いじゃないですか! 一緒に生き残ることが出来ればそれが一番良いじゃないですか!」

「それは理想ですマキビさん。そして私達は・・・・その理想を語るには、余りに追い詰められすぎた」

正論だった。だが、それでもさらにハーリーは食い下がる

「理想に生きちゃいけないんですか!?」

ハーリーの頭に、幾つもの考えが過ぎった

そうだ。理想に生きていけないはずがない。いつだってそうだ

「そんなの諦めです! そんな風に命を投げ出されても、僕たちは! 助けられる人はそんなのちっとも嬉しくありません!!」

諦めなければ、道はきっと開く

自分はいつだってそう信じてきた。正義は勝つと、悪はきっと滅ぶと

だから今も、諦めなければ、きっと道は開けるはずだ

「皆が生きる道を考えるべきです! 諦めなければその方法だってきっと見つかるはずです! だから―――」

「甘ったれるんじゃない!!!」

だがその思いは、唐突なアオタの激昂で、欠片も残さず砕け散った

その、今までどんなときでも自分を守ってくれていた存在の、舌に銃を突きつけられてもそれでも自分の身を案じてくれていたアオタの突然の激昂に、ハーリーは思わず身を固めた

息を呑む

そのハーリーを見て、少し力を抜くと、アオタは再びハーリーと目線を合わせた

「・・・・アナタには、出来ることがある。やるべきことがある。やらなければならないことがある。そしてそれを成す為に私という犠牲が必要なのです。だから、アナタは踏み越えていかなければいけない、私の死体を、そして私以外の、アナタ達のために散っていった命を踏み越えていかなければならない。忘れても良い、気付かなくても良い。ただ、それを放棄することだけは、他でもない、私が許しません。・・・・アナタはやらなければいけない。生きて、生きて、生き延びて、やらなければならないことがあるはずです!」

それは酷く残酷な現実だった

十と少しの人生しか歩いていない少年の肩に乗せるには、余りに重く、過酷な真実だった

だがそれでも、アオタは言った

信じたからだ

この目の前の少年ならば、きっと出来ると、そう、信じたからだ

目に涙を溜め、脅えるように体を震わせているハーリーを、アオタは軽く抱きしめた

父親が子供をあやすように、頭を軽く叩く

「・・・・お行きなさい。私のことなど忘れて構いません。アナタの、アナタ達の肩には、全てが託されているのです。なにが正しいのか私にはわからない。でも、アナタ達の行く末がそうであることを、私は信じて、全てを託すんです」

体を離し、視線を合わせる。ハーリーの涙で濡れた目をしっかりと見据えながら、アオタは力強く言い放った

「お行きなさい。そして、アナタが為すべきことをするのです」

「・・・・なんで・・・・」

震える声で、ハーリーが声を絞り出した

涙をボロボロと溢し、それを必死に手で拭いながら

「なんで・・・なんでアナタは・・・そこまで、出来るんですか・・・・死ぬ、死ぬのが・・・怖くないんですか」

それはもはや、ただの疑問だった

アオタの行為を止めようとして紡がれる言葉ではなかった

もう無理だと、悟ったから

彼の心はもう動かないのだということを、思い知ってしまったから

情けなくて涙が出る。結局自分は、ただの子供だった。何一つ出来ない、ただの子供なの

その泣きじゃくるハーリーの両手をしっかりと掴み、アオタは微笑んだ

まるで泣いているように。まるで、笑っているように

「もちろん、怖いですよ・・・・怖くないはずがありません」

不可思議な表情でそう告げてくるアオタの言葉を聞きながら、ハーリーはふと彼に握られている両手に違和感を感じた

それは、震動だった

小刻みに震えるその僅かな震動を感じる

そしてそのとき、ハーリーは初めて気付いた

震えているのは、手だった

自分の両手を握っているアオタの手が、震えているのだ

ハッとなって顔を上げる

だが彼は、ハーリーにばれたか。という気まずそうな笑顔を見せるだけで、他になにも言いはしなかった

そうだ・・・・

そうなのだ

当たり前だ。死ぬのが怖くないはずがない

幾ら信じても、幾ら託しても、幾ら言葉を残しても、自分の死が怖くないはずがない

無へと進む道を自ら選ぶことが、恐ろしくないはずがない

きっとその決断には、自分には想像もつかないほどの覚悟が必要だったはずだ

選択肢はすでに何度もあった

今まで一緒にいた中で、いつでも良い、彼が少しでもその気になって自分達を制圧すれば、彼は死ななくても済んだ

ネルガルシークレットサービスに所属するほどの腕前なのだ。きっとそんなことなど彼にとっては息をするように出来るはずだった

だが彼は、しなかった

銃弾の雨に晒されて、見えない敵に仲間を殺され

何人もの敵にその身を囲まれ、殴られ、そして舌に銃を突きつけられても

それでも彼は、貫き続けた

そしてその思いを、自分達へと託したのだ

ただ任務というだけで、ただ信じたというだけで、震えるほどの恐怖を押さえ込み、逃げ出したくなる自分を叱咤し

自分達を、逃がそうとしてくれている

盾になり、屍になろうとも、自分達のために、彼はその身を差し出そうとしているのだ

なにか言えるはずがなかった

なにも言えなかった

「さあ・・・・お行きなさい」

自分になにが出来るだろうか。この、自らの命を差し出してまで自分を信じてくれたこの男のために、なにが出来るのだろう

答えはすでに決まっていた

アオタの言葉に、ハーリーは頷く。涙と鼻水でグチャグチャになった顔を拭おうともせず、力強く頷いた

そして、走り出す。他に出来ることは思い浮かばなかった。彼の想いに答えるという、それ以外のことは

走り出したハーリーを追い、ルリ達も走り出した

皆、なにも言わなかった。ただ黙って、アオタに向けて頭を下げただけだった

そして、それだけで十分だった

遠ざかって行く彼らの背中、そして足音

それらを見届け、アオタは満足気に顔を伏せた

と、そこで視界の端に一人の人物が止まった。驚いて目を向ける

そこに立っていたのは、リョーコだった

彼女は、睨むような目でアオタのことを見つめている。が、不意にその視線を外すと、僅かに戸惑うような仕草を見せた後

敬礼をした

背筋を伸ばし、胸を張った。見事な敬礼だった

それに苦笑すると、アオタもそれを真似た

不器用で不恰好な敬礼だったが、それがリョーコには随分と立派な物に見えた





真っ直ぐに伸びる廊下を走りながら、ハーリーは浮かんできた涙を拭った

照明に照らされた廊下を走る。すると意外なほど呆気なく、その端になにかが見えた

その横に書いてある文字を見て、ハーリーは息を呑んだ

『脱出ポッド』そう書いてあった

全身が粟立った。走り出してから、まだ二分と経っていない

今から戻れば、間に合う。往復の時間を考えてもたった四分。残り時間が十分だとしても、楽勝でお釣りが来る

その考えには、全員が到達していたようだ。ハーリーの視線に皆一様に頷くと、その視線を今まで自分達が走ってきた廊下へと向ける

ハーリーの背中を、不意に誰かが叩いた。驚いて見上げると、そこにはミナトの笑顔があった

「迎えに行ってあげなさい」

一も二もなく頷いていた

走り出し、ハーリーの背中が見えなくなるまでそれを見つめていたミナトが、不意に視線を向けた

ルリはただ黙って、その背中を見届けている

笑いながら、ミナトがルリへと話しかけた

「どうしたの? ルリルリ」

「・・・・いえ、ハーリー君。少し見ない間に、随分大きくなったなあって」

相変わらず廊下の向こうへと目を向けながら、ルリはそれだけ呟いた

その口元には、薄っすらとした笑みが浮かんでいる

「もう・・・・弟君は卒業?」

そのミナトの言葉に、ルリはただ微笑むだけだった





元いた場所へと全力で駆けるハーリーの視界に、向こうから駆けてくるリョーコが見えた

「なにしてんだハーリー! 早く脱出ポッド見つけ」

「見つかりました!!」

言葉が終わる前に答え、その脇をすり抜ける

そのまま廊下を駆ける。アオタのいた場所まで、後五十メートル程だ

「アオタさーん!!」

勢いよく叫びながら手を振る。すると、遥か向こうに見えるアオタが面食らったような表情で駆け寄ってくる

「マ、マキビさん!? なにしてるんですか!」

「見つかったんです脱出ポッド! ここから走ってすぐのところですから! まだ間に合います! 一緒に逃げましょう!」

言い終わるより早く、アオタの手を取って走り出す

「ほ、本当なんですね!?」

「はい! 皆助かるんです!」

信じられないといった表情で尋ねてくるアオタに笑顔で答える

息を弾ませて廊下を駆ける。目的の物はすぐに見えてきた

廊下の向こうで、リョーコ達が手を振っている。彼らはすでに脱出の準備を整えたらしく、入り口の前に立っている

そのまま彼女達のところへ辿り着いた。さすがに百メートル以上を走ったために息が荒い。両手をついて、体を休めるハーリーを余所に、ほとんど息を切らしていないアオタがその入り口を見上げた

「エレベーターみたいですね」

「おそらく本当の緊急脱出用の物でしょう。外からも中からも、発射スイッチがあります」

ルリはそう答えると、アオタの向こうで相変わらず息を整えているハーリーを見つめた

「・・・・ハーリー君の考えを」

「え?」

アオタの言葉に答えず、ルリは続けた

「ハーリー君の考えを、アナタは甘ったれだと言いました。私もそう思います。でも・・・・私はあの考え方が、嫌いじゃないです」

そこまで言うと、ルリはアオタを見つめた

「理想を持つことと、それを守ろうとすることは、必ずしも無意味とは限りませんから」

「・・・・そうですね」

ルリの言葉に、アオタは笑う

それで自分の命が救われたのだ。確かに思う。悪くはないと

「さて、もう行きましょう。時間はまだありますが、早すぎて悪いことはありませんから」

アオタの言葉に、頷く一同

「さあマキビさん。休憩は終わりですよ」

そう言って、笑いながら背後を振り向いた。そのときだった

ハーリーの上にある天井が、大音量の爆音を立てて崩れたのは

それはつい先程、リョーコ達が敵に捕らえられているハーリー達を助けたときに使った方法と、同じだった

ただ唯一違ったのは、その意図

逃がすくらいならば、殺してしまえという、その目的

余りに一瞬の出来事に、なにも出来なかった。ただ呆然と、目の前を見つめることしか出来なかった

そしてその中で、一人だけ動く影がある

アオタだった

判断とかではない。そんな暇など無かった

ただ、体が勝手に動いていたのだ

限界一杯まで手を伸ばし、ハーリーの手を掴んだ

そしてそのまま足を踏ん張り、体を支点にして半回転

ハーリーを、投げ飛ばした

全ては、一瞬の出来事だった

助けられたハーリーはもちろんのこと、助けたはずのアオタですら、なにが起こっているのか正確には把握していなかったことだろう

そしてアオタは、声を聞いた

バカだな。と、蔑むような口調で語りかけてくる、もう一人の自分の声を

見捨てれば良かったのにと、助けなければ良かったのにと、もう一人の自分は語りかけてくる

自分の行動が正しい保障がどこにある。今、自分が命を賭けて行っていることこそが悪であるという可能性を、どう否定するのか

責めるように紡がれる言葉は、他ならぬアオタ自身の言葉だ

だが、アオタはその言葉に

笑った

元よりそんなことは百も承知だ。確かに自分のやったことが、自分のやって欲しかったことに繋がる保障などどこにもない

自分が彼を助けたことによって、より多くの人たちが、しなくて良い苦労をすることになるかもしれない

だが、そんなことは当たり前だ。未来なんて物は見えないし、そう簡単に予想がつくものでもない

そしてそんな気苦労など、考えてしまえば全ての事象に当てはまる。つまりは、キリがないのだ

ならば、自分に出来ることは、信じることだけだ

この人なら、この人達なら、大丈夫

そう思える人達に、未来を託せば良い。それだけの話だ

そしてその相手が、今、視界の隅で呆然としている彼らだった。それだけの、話だ

とどのつまりは、たったそれだけの話

この人達なら大丈夫と思った相手が、死にそうだった

だから助けた

そしてその結果、自分が死ぬ

なんだと思う。こんな単純な話ではないか。託すとか託さないとか、踏み越えるとか踏み越えないとか、そんな言葉で飾る必要の無いほど、ひどく単純な話だ

そのことにようやく気付いたアオタは、視界一杯に広がる岩の塊を見る

そしてもうそのときには、全てが遅かった

そしてハーリーは、そのとき初めて我に返った

なにが起きているのか、わからなかった。ただとにかく漠然と見たのは

吹き飛んでいく視界の向こうに、アオタがいたこと

そして彼の頭上に、巨大な岩の塊のような物が

落ちたこと

「リョーコさん!」

「くそ!」

へたり込んでいる自分の上で、声が聞こえる。ルリとリョーコの声

そして、視界が閉ざされる。脱出ポッドの扉が閉まり、なにも見えなくなった

凄まじい震動が襲ってくる。体を固定する暇もなかったために、上下左右に体が吹き飛ばされる

壁にぶつかったりした。床にぶつかったりした

痛くなかった





震動は、一分程度で収まった

扉が自動で開き、朝の太陽の日差しがポッドの中に差し込んでくる

「大丈夫か!?」

「う、うん、なんとか」

「頭打ったけど、大丈夫だよ」

後ろで、ヒカル達の声がする

「おいハーリー大丈夫か!?」

自分の名前を呼ばれている。それは分かっている。だが、答える気には、ならなかった

日差しに誘われるように、フラフラと外へと向かった

辺り一面の草原だった

朝、ツキオミと車から見た景色と似ていた。つまりは、最初に自分達が待機していた場所の近くに出たのだろう

そして、その景色の向こうに、朝とは違う酷い違和感を放つ物があった

黒煙と、赤い炎

草原の遥か向こうに見える、ちっぽけなその景色を見た

そしてハーリーは、そのとき初めて理解した

「あ・・・・」

自分は、助けられたのだ

あのとき見えた岩の塊は、自分の真上にあった天井

腕を掴まれたときの感触が、蘇った

アオタが、助けてくれたのだ

「ああ・・・あああ・・・・」

今度こそ、なにも出来なかった

ただ呆然とし、助けられたことにすら気付かず

そして理解したときには、なにもかもが、手遅れ

理解した事実に、全身の力が抜けた

そのままへたり込もうとした、そのとき

「膝を折るんじゃねえ!!」

背後からの叫び声に、驚いて振り向く

そこには、リョーコが佇んでいた

「リョーコ・・・・さん」

「アイツに言われたんじゃねえのか! 託されたんじゃねえのか!?」

呆然とした表情で、リョーコの叫びを聞く

その呆けたままのハーリーに歩み寄ると、リョーコは彼の背中を叩き、そして首を強引に掴み、ある一点を示した

今も尚燃えている、第三刑務所を

「・・・・踏み越えろ。あいつは、そう言ってただろ」

鈍足の涙が、ようやく溢れてきた

リョーコに首をつかまれたまま、ハーリーは顔を伏せた

悔しさと、悲しさと、不甲斐なさが、目から溢れた

両手をギリギリと握り締め、体にこれでもかと力を入れた

「なにも・・・・なにも、出来ませんでした!!」

「しなくて良かったんだ! お前のやらなきゃいけねえことは、あそこには無かった! それだけだ!」

「僕の・・・・僕の代わりに、アオタさんは死にました!!」

「アイツが自分で選んだんだ!」

「なにも出来ませんでした!!」

「だったら今からしろ! 今お前がするべきことをしろ!!」

燃えている。つい先ほどまで自分達がいたはずの場所が

煙を上げて、燃えている

そのハーリーの耳に、リョーコの言葉が飛び込んできた

「今! お前がするべきことはなんだ!!」

そんなことは

決まっていた

「・・・・アオタさん!!」

顔を上げた

全身に力を込めた

あらん限りの声を上げ、ハーリーは怒鳴る

ちらりと見えた。自分の首を掴んでいるリョーコも、泣いているのが。そう、なにも出来なかった悔しさに震えているのは、自分だけでは無い

草原の向こうに見えるちっぽけな紅い点に向かって、ハーリーは叫んだ

「忘れませんから!!」

お行きなさいと、彼は言った

「僕! 忘れませんから!!」

忘れてくれと、彼は言った

「絶対!! 絶対!!」

死ぬのは怖いと、彼は言った

震えて、言った

「忘れませんから!!!」

少年の叫びに答える物はなにもなく、ただすでに昇りかけた太陽だけが、その存在を主張していた





そして事態は動き出す

一人の男の決意も、少年の涙も叫びも飲み込んで

数え切れぬ程の命すら飲み込んで、この日世界は大きく動く

そしてその一日の始まり

進行中の事態ではすでに確認の術すらない

この戦争の仕掛け人達にすら知られぬまま

町外れの草原にある小さな戦場の幕は

こうして、降ろされた










あとがき



ようやく一区切りです。やれやれ



こんにちは、白鴉です



以上で第三刑務所は完結です

書いててこのままハーリー君精神崩壊するんじゃないかと作者であるはずの私がビビる始末

リョーコさんがいてくれて本当助かりました

さてさて、次回から物語は一気に動きます

ハメを外しすぎていっちゃったあの人や、ようやく重い腰をあげちゃうあの人とか

あげく爆発とかして吹っ飛んだりします。もう私も書いててなにがなんだかわからなくなります

まあとにかく、もう後半に差し掛かってるので、どうかお見捨てなく見守っていただければとてもありがたく思います





それでは次回で