第25話







「終わった・・・・のでしょうか」

シンジョウの映るウインドウを見つめながら、ゴートはポツリと呟いた

その横で、プロスペクタ―は相変わらずひょうきんな笑みを貼り付けたまま、黙って耳を澄ます

「これで・・・木星と地球との戦争は、回避出来たのでしょうか」

それは問いかけではなく、確認だった

あの男を敵として、地球と木星はその溝を埋めた。そう思うゴートが、それを確認するために、呟いた、確認だった

だが

「いえ、まだ終わってはいません」

「・・・・え?」

予想外の返答に思わず顔を向ける。そしてそれとほとんど同時に、二人の間に新たなウインドウが浮かんだ

『聞こえるか?』

ツキオミだった

「ええ、聞こえていますよ」

『なら安心だ・・・・こちらは、悪い知らせが一つ、いや、二つ程ある』

そこに映るツキオミの表情は、険しかった。少なくとも、全てが終わったことを確信している男の顔では、なかった

「・・・・なに?」

「聞かせてください」

疑問を発するゴートを無視するように、プロスペクタ―は言葉を発した

そのプロスペクタ―が、己の言わんとしていることをすでに悟っていることを確認したツキオミは、どこか居た堪れないような表情で、告げた

『大半の民間人、木星と地球出身者達は和解したようだ。ほとんどの地域で目立った暴動も騒動も起こっていない。世界中を賑わせていた統合軍と宇宙軍の連合軍も、下士官達の造反によって掌握されつつある』

その報告にゴートは眉をしかめる。一体どこが悪い知らせなのか

それどころか今ツキオミが口にした内容は、戦争の回避という事実を肯定する以外の何者でもないではないか

そんなゴートの考えは、ツキオミの次の言葉で簡単に吹き飛んだ

『だが一部の地域では、本格的に地球側と木星側に別れた人々が争いを始めているようだ』

「!?」

『確認は取れていないが、被害は次々と広がりつつある。現在確定しているだけでも、四桁に昇る人数が重傷軽傷ないし、死亡している』

「どういう・・・・」

「・・・各国の軍の状況はどうですか?」

プロスペクタ―の言葉に、ツキオミの表情に険が増す

『・・・・こちらも正確な数値は出ていないが、火星の後継者の軍と合わせると、実に三割に昇る艦隊が、新たに鎮圧に加わった軍勢と小競り合いを起こしている』

「っ」

その発言の内容に、ゴートが身を乗り出した

「どういうことだ!?」

『言葉通りだゴートホーリー。あれだけの惨劇を見せられて尚、戦争への火種はまだ燃え続けている』

「・・・ツキオミさん。他にもまだ、あるのではないんですか?」

『ああ。我々がマークしていた木星と地球との共存を良しとしていなかった政党や、民間集団の連中の動きが激しくなっている・・・おそらくこの騒動の向こうにある大戦争に向けた下準備だろう』

その発言にゴートは愕然とし、その横のプロスペクターもまた、僅かに目を細めた

「状況は、芳しくありませんな」

『そのようだ』

「・・・ありがとうございました。引き続き調査をお願いします」

『了解した』

言葉と共に、消えるウインドウ

それを見届け、そして数瞬の後我に返ったゴートが、慌てて口を開いた

「どういうことですかミスター! 戦争は回避されたのではなかったのですか!?」

問い掛けに、プロスペクタ―は眼鏡を押し上げる

そして、冷ややかとも取れる目つきで、ゴートへと視線を転じた

「ゴートさん」

すっかり動転しきっている様子のゴートに、プロスペクターはあくまで冷静だった

「この場の空気に、当てられてはいけません」

「・・・・え?」

「この状況は、戦争か平和かへの二極化が出来るほど単純な物ではありません」

「し、しかし確かにあのとき世界は」

ゴートは食い下がる。すでに現実としてある争いを否定することは出来ないとわかっていても、それでもまだ彼は理解したくなかった

あのとき、あの男を葬った男の宣言、悪は滅んだという言葉に、確かに歓声が上がったはずだ。あの、分かり易すぎるほど分かり易かった反面教師、感情に任せて攻撃をした男を見て、世界中はその愚かな姿から、戦争への愚かさを悟ったはずだ

軍の中でまだ戦い続けるもの達がいるのは、まだ納得が出来る。その中には例の火星の後継者事件の際に紛れ込んだ連中もいるだろうし、その彼ら、あるいはクサカベに意識を、考えを変えられた者もいるはずだからだ

だが、民間人の中にもそうした人々がいるというのは、どうしても解せなかった

軍人の中には、最前線で戦った敵との共存を忌避する声があるのは聞いたことがあるし、それは仕方ないとも思っている。だが、三年前の戦争が、一部の権力者達の遺跡争奪戦と形容しても全くおかしくなかったというふざけた背景を聞いて、人々は怒りの声を上げたはずだ

日常に生きているはずの、平和を望んでいるはずの人々が、あれを見ても尚戦い続けなければいけない

それが、ゴートには納得出来なかった

「ゴートさん。人間というのはね、どう足掻いても分かり合えない存在なのですよ。誰もが正しいことをしていると確信し、しかしそれが故に他の人間のそれと衝突する」

突如始まったプロスペクタ―の言葉に、ゴートが驚く

「おそらく今、戦わないことを選んだ彼らの中ですら、完全な意思統一など出来ないでしょう。思惑も思想も、全ては違う場所を向いているはず・・・ですが、一緒に戦うことは出来る」

ニヤリと笑うと、プロスペクターは眼鏡を押し上げた

「ならば、その彼らと力を合わせて捻じ伏せましょう。だからこそ、です。だからこそ我々は今、圧倒的な力を持って、強引に、殺し合いを持って殺し合いを止めなければならない」

「・・・え?」

「単純なことです」

ゴートへと、目を向ける。その視線の鋭利さと、そしてその底にある冷たい感情に、身震いした

「彼らが正しいことをしようとしているのなら、こちらも正しいと思ったことをしましょう。言葉も、理想も、奇麗事も、この状況では一銭の価値もありません。彼らが彼らのやりたいことを成すというのなら、我々も成したいことを成すだけです」

この男は、ときおりこうなる。ただのケチな会計士では到底出来ないような、そんな目をする

それに息を呑むと、ゴートは呟いた

「しかし・・・我々にはもう戦力が」

先程のツキオミの通信を思い出す。確かに今、敵の戦力は目に見えて激減している。単純計算でいえば、つい先程までは七割にも昇ると知らされたその戦力の、実に四割がこちらについたということだ

だが、それでも、辛い戦いになるはずだ

七割対三割。それはつい先程までの自分達の立場と敵の立場が、完全に逆転しているということだ。だが、それでも不安は尽きない

ツキオミの口にした三割とて、こんな短時間ではじき出したからには、随分と大雑把な数値のはずだ。無論、敵の戦力がまだ減る余地もあるが、それと同じくらい、増える余地もある

さらにそこに、未だ不安定な民間人の動向が加われば、もう予想のしようもない

幾ら武力で押さえようとしても、それすら難しいのだ

「心配要りませんよ」

そんなゴートの考えを読んだように、プロスペクターは告げた

「民間人と呼ばれた方達の動向はまだよくわかりませんが、少なくとも敵の戦力を押さえることは容易いはずです」

「・・・・え?」

「忘れましたか? ゴートさん。つい先程、ここに来る前に我々がなにをしたのか」

自慢げに微笑むと、口を開いた

「我々には、車椅子に座った、勝利の女神がいるでしょう?」










機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 悪も正義もなにもなく、ただただ信じたモノがある 』

 

 









「くく」

漏れ聞こえてきた笑み、そのクサカベの声に、コウイチロウはゆっくりと顔を上げた

『・・・なにを笑う?』

「くく、これが笑わずにいられるか。貴様もやはり、俺と同じ人種だったということだ」

言葉に、しかしコウイチロウは動じなかった

「今貴様は、ありがとうと言った。それはつまり、先程世界の敵となり、そして呆気なく死んだあの男の死を、利用しようということなのだろう?」

『だったら、どうだというのだ?』

「・・・・同じだと、そういうことだ」

コウイチロウは動かない

「俺は、その自らの野望のために、ありとあらゆる物を利用した・・・・かつての部下、同僚、上司、火星の後継者、ボソンジャンプ、宇宙軍、統合軍、それこそあらゆる物を、だ」

『で?』

「貴様も同じだ。俺がそれらを利用したように、貴様もまた、あの男を利用した」

余裕の笑みを貼り付けて、クサカベはさらに告げる

「なるほどな、読めたぞ。いや、本来なら読む必要などないほどに単純な仕組みだったのだ」

得意気に、クサカベは己が達した結論を口にした

「あの放送、そしてあの男・・・木星人を吹き飛ばし、地球へと寒気のするような虚しい演説をがなり立てたあの男も、貴様の差し金だな?」

答えないコウイチロウに、クサカベは確信を得た

「あの男を利用して、地球人と木星人との間に共通の敵を作り、そして奴等を団結させる・・・蓋を開ければ簡単な理屈だ。そうやって戦後の木星と地球との間にあった溝を埋めようと、そう思ったのだろう?」

『なぜ、そう思う?』

「違うのか? 違うまい」

クサカベの言葉に、コウイチロウが僅かに黙る。アズマのことは、彼にとってもイレギュラーであった、だがそれは、起こってくれなければ困る、イレギュラーであった。だが、それは口にしない

そしてその沈黙をなによりも明確な答えと受け取ったクサカベは、得意げに続けた

「だが残念だったな・・・貴様のところにも報告がいっているのではないか? まだ、終わっていないと」

蔑むように、告げる

「あの程度の悪役では、世界中の意見を統一することなど出来なかったわけだ・・・いや、例えどれほどの悪役を用意したところで、世界中の人間の意識を変えることなど不可能だよ。それはもはや人の所業ではない」

『・・・・』

「そんなことも、わからなかったか?」

クサカベの言葉に、しかしコウイチロウは

伏せていた顔を上げ、そして

笑った

『ああ・・・その通りだ』

その言葉に、クサカベが不審気に目を細める

なにが言いたい? と視線で問い掛けてくる老人に、コウイチロウは、さらに笑みを深めた

『確かに貴様が言う通り、全人類の意思を統一することなど出来ないよ。その通り、それは神の所業だ。だが私は神ではない。だから、人間として、出来ることをしようと思った』

「・・・・なにが・・・言いたい」

視線に込めた問い掛けを言葉として発し、クサカベは目の前の男を見つめた

その問い掛けに、不敵に笑う。これとて人の所業ではない、そう心で呟き、しかしそれでもコウイチロウは言った

『報告の内容を、もっと詳細に読んだらどうだ? そうすれば簡単な答えに気づけるはずだ・・・・今、争っているのは、誰だ?』

言葉の意図を読めず、クサカベは僅かに視線を泳がせた

それを満足そうに見つめると、コウイチロウはゆっくりと口を開いた

『今争っているのは、極論してしまえば、戦争を望む者と、それ以外の者達ではないかな?』

そんなことはわかっている。この状況で他に誰と誰が戦うのか

先程の禿男に反発し、戦争を嫌だという連中と、その事実に利益や利用価値を見出そうとする連中に、単純に許せないという理由で戦う連中

確かに極論してしまえば、その通りだった。今から起ころうとしているのは、戦争を望まない者達と、望む者達。そういう言い方も、確かに出来る

だが

「それが、なんだと言うのだ? どの道このままでは大戦争に発展するのは時間の問題だ」

そうだ。それ以外にもはや道は無くなりつつある。不本意だが、それはもはや仕方ないことだ。いつまでもこの目の前の男を罵っても仕方が無いし、ここからでもまだどうにかなる

そう、もしこの戦争で、戦争を望まない連中が勝てば、それはすなわち地球と木星の完全な決裂に他ならない。そうなれば、まだどうにでもなる

そうなった上で、今度こそ木星が勝てば良いのだ。今度は和平などという甘っちょろくなにも解決しないその場しのぎの決断など取らず、本当の意味で、地球を植民地としてしまえば良い

予定とは確かに違う。違うが、それでもここからまだ立て直すことは出来る

戦力比は、七割と三割。しかしそれを覆す手段を、クサカベは持っているのだから

それはある種人間としてもっとも最低の手段であり、子供の駄々と変わりない手段ではある。しかしそれは確実に、効果がある方法である

再確認した現状に、口元を歪めた

『大戦争、か』

だが、その愉悦は、突如としてコウイチロウが漏らした呟きに阻害された

そのコウイチロウへの不愉快を隠そうともせず、クサカベが目を向ける

視界の中、ウインドウに映る男は、呟いた

『それは一体、誰と誰が争うのかな』

「・・・なんだと?」

またも発せられた不可解な言葉に、クサカベは眉を立てた

どうも先程から、この男の言動に一貫性が見られない。というよりも、話の主題がコロコロと変わってしまっているように思える

混乱しているのか、そう結論付け、やはりこの程度の男なのかと思う

今の言葉も、意味がわからない。これはもはや戦争を望む者と望まない者達との戦争に発展しつつあると、さっき目の前の男自身が言ったではないか

だが、そこでふと唐突に、クサカベの頭にある考えが過ぎった

目の前のウインドウに映る男、その自信に満ちた眼差し、それの意味に心当たりがあった

弾かれたように、クサカベは視線を移した。その先には、現在争っている二つの軍勢の艦隊内容が記されているウインドウがある

それを見て、クサカベは目を見開いた

今ようやく、この目の前にいる男の意図が、掴めた気がした

「そういう・・・ことか?」

呆然とした呟きに、コウイチロウは笑う

それは一体どちらが悪役なのかわからないほど、歪んで澱んだ笑顔だった

『今・・・戦っているのは、戦おうとしているのは、誰と誰なのかな?』

ギリ、と口元を噛み締める

「摩り替えた・・・・そういうことか」

その単語に、コウイチロウの口の端が吊りあがった

『今戦っている彼らに、地球人や木星人などという概念が、あるかな?』

「・・・貴様」

今までハッキリしなかったコウイチロウの目論見が、ようやく読めた

つまり、これはすり替えなのだ

地球と木星との大戦争が勃発しかねない情報を流せば、当然世界は一時的とはいえ、確実に二分される。つまり、戦争へ突入するか、否かだ。個人の思惑や背後関係を無視すれば、当然その二種類の人間に区別が出来る。そしてそこに、おそらく木星も地球もない。そんな物は意味をなさなくなる。誰もが出身地や国など関係なく、ただ許せないか許せるか、戦争を選ぶか選ばないかという、意識で分かれることになる

それは、すり替えだ。木星と地球との問題のはずの今回の出来事を、外見は似ているとはいえ、意味そのものは全く違うことへと変貌させる

コウイチロウの思惑が読めなかったのも、当然だ。こんなバカなこと、考え付く方がどうかしている

確かに成功すれば、少なからずの効用はあるかもしれない。だがそれも、成功すればだ

もしあの禿男が現れなかったら、おそらく世界はそのままなし崩しに、冷静な判断が取れないまま、民衆や軍に先導される形で戦争へと突入した

もしあの禿男に説得される者が多数いたときは、もうなにもかもが手遅れになっていたはずだ

さらに、この状況を作り上げておいても、ここからさらに、この戦争に勝たなければ、意味はない

穴だらけにも、限度がある。小学生にでも考えさせた方が、もう少し現実的な方法を提示する

これは博打だ。それも自らの全財産どころか、他人の命まで勝手につぎ込んでいる、大博打だ

しかも、この戦争は

「人類を・・・・間引くということか?」

睨み上げる。だがその視線を正面から受け止め、コウイチロウは告げた

『間引いた訳でも間引くつもりでもない。ただ、世界を二分しただけだ、ある一つの項目の下でな』

「それを間引くというのだ!」

怒りと共に、クサカベは机を叩きつけた

「つまり貴様は俺のクーデターを止めるだけに留まらず、それすら引き金にして地球と木星をごちゃ混ぜにして戦わせようとしているということだな!?」

『その通りだよクサカベハルキ。いがみ合う者達が、もっとも早く効率的に結託する方法を知っているか? それはな、敵を作ることだ。いがみ合っている場合ではないほど強大な敵を目の当たりにすれば、彼らはそれどころではないと叫び、共に銃を取る。そして無事撃退した暁には、晴れて彼らは手を取り合えるというわけだ。それが永劫の物か一時的な物かはわからないが、それでもいくらかはマシになる』

「そんなことは!」

『わかっている。これは人の身には余る行為だ。同じ生物として、やってはいけない事だ。つまりこれは、多数を取り小数を切り捨てるということなのだからな。だがな、クサカベハルキよ。これこそが、我々の今現在まで使ってきていた民主主義ではないのか? 少数を捨て多数を取る。規模こそ違うが、これは我々が日ごろから使っている多数決のそれとなにが違う?』

「屁理屈はいらん!」

コウイチロウの狂った持論に、クサカベは激昂した

立場が逆だ、と、そんなことを思いながら

つい先程までは自分の思惑に相手が驚愕する立ち位置だった。だが、今はそれが全くの逆になっている

自分が行おうとしていることが悪であると、クサカベは自覚していた。ボソンジャンプ、そして世界のため、人類のためと言葉で飾りながら、己の欲望へと邁進している自分は、確かに紛れも無い悪である

だが、それを今更言い訳するつもりもない。悪であるし、この目的への動機は自分の単純な欲望からなのも理解している。だがその一方で、人類を正しく導く役目は、自分の物だということも、クサカベは根拠もなく確信していた

自分の欲望の為に、世界を手に入れようとする男

世界の平和の為に、世界を戦争のど真ん中に突き落とそうとした男

どちらも、狂っている

そして、目的も思いついた動機も違う。だが、一体どちらが悪なのか、これではわからない

その事実に、クサカベは唇を噛み締めた

そう、どちらも狂っている。ならば

噛み締めた唇を、緩めた

ウインドウに映るコウイチロウを見る、相変わらず不敵な笑みを浮かべるその男に、クサカベは笑う

どちらも狂っているのならば、もはや話し合いも説得も意味がない。互いに退く気がない以上、それは全くの無意味

ならば、結論を出す方法は、たった一つしかあるまい

「・・・よかろう」

呟きに答えるのは、相手の笑み

互いに狂った笑みを浮かべ、二人は笑う

「ならばここからは、ただの力比べだ。ミスマルコウイチロウ」

『その通りだ』

賭け金は、互いの命と、さらに数え切れない程の他人の命

そして、世界

「勝ち残った者が常に正しい。人類はずっとそうやって生き残ってきた」

『その通りだ』

狂った笑みが、より深くなる。もはやクサカベもコウイチロウも、人類の範疇を超えていた。決して行ってはいけない最後の領域に踏み出した、二人の男

彼らは笑う。互いを殺すほどの、壮絶な殺意と蔑みと侮蔑を込めて

「七割対三割の戦いだ。望む者と望まない者との戦いだ」

『その通りだなあ』

そこには、かつて自分の娘を目に入れても痛くないほど可愛がっていた男は、いない

そこには、かつて曲がりなりにも人類の平穏と繁栄を願っていた男は、いない

そこにいるのは、ただの狂人。狂った鬼だ

「本日現時刻を持って、我々は貴様達に宣戦布告する。軍勢はこの世界に不満を持ち、そのために戦争を望む者達だ」

『本日現時刻を持って、我々は貴様達に宣戦布告する。軍勢はこの世界を良しとし、戦争を望まないが故に戦争を行う者達だ』

戦争を始めよう

『人類史上もっとも早い。開戦から終戦まで、おそらくたった一日の戦争を、始めよう』

コウイチロウの言葉に、クサカベは呟く

「・・・来い」

互いに切り札を隠しもち、おそらくそれを出す瞬間を間近に控え

誰と誰が戦うのかも曖昧な、この惨めでバカらしい戦争は開戦した

そして、終わりへと加速する







「突入命令が出ました。行きましょう、ミスター」

ゴートの言葉に、プロスペクターがその顔を引き締めた

そして、背後を振り返る

「皆さん。行きましょう」

その言葉に、彼らの背後に控えていた黒服の男達が、頷く

そうして彼らは、とある建築物の廊下―――統合軍総司令部にある、第十九番目の会議室の前の廊下から、目の前の扉へと突入した

強固な鉄の扉を吹き飛ばし、黒い人波がなだれ込む

扉の中にあるのは、暗い闇だ。そしてその向こう、無数のウインドウに囲まれ、一つの影が浮いている

それを見つけるよりも早く、彼らは熟練しきった、統率されきった見事な動きで、その影を取り囲んだ

彼らがその手にもったハンドガン、その銃口が無数に、その人影へと突きつけられる

その人影、老人の姿をしたクサカベ。その影に押し隠された口元が、その状況でも尚はっきりと、歪んだ

彼は、彼らを見ていない。クサカベが見るのは、目の前に浮かぶウインドウに映る、死ぬほど嫌いでいけ好かない男だけだ

「こんなことだろうと思ったぞ」

『・・・そうかね』

コウイチロウは、笑う

『で、どうするのかな? 自爆でもするかね?』

「まさか」

コウイチロウの言葉に、クサカベも笑う。それ以外の感情など知らないとでも言うように、先程から浮かべていた笑みを一層深く凄絶にして、笑う

「勝つのは、俺だけだ」

言葉の直後、それは起こった

銃口を向けられていた、そのクサカベの姿が、揺らいだのだ

まるでノイズのように

「っ!」

その光景に、プロスペクターは息を呑んだ。そして、弾かれたように視線をコウイチロウへと移す

「・・・クク」

ぶれた姿で、クサカベは笑う

その言葉も、すでに先程までのような肉声であるかのように聞こえる滑らかさなど欠片もなかった

砂嵐の音とダブっているように聞こえる、その不明瞭な声で、クサカベは笑う

『単純な罠ほど、案外と掛かりやすい物だな』

「ミスマル司令! ここに奴はいません!」

ゴートの言葉に、しかしコウイチロウは眉一つ動かさない

『・・・ホログラフか』

『その通り。その通りだミスマルコウイチロウ』

「・・・そんなバカな」

二人のやり取りに、ゴートがうめく。確かにこの会議室の扉は強固であり、サーモグラフすら通さなかった。だが部下の連絡では確かに、クサカベと思われる老人がここに入るのを見たのだ

あれは、どこにいったのか

ゴートは、素早く視線を走らせる

会議室内は、予想を越えて暗かった。だが、僅かな光源となっている、クサカベの映像の周りに漂っているウインドウからの光で、それでもうっすらと辺りを見回せた

そして、ゴートは見る

扉の影、そこの壁の色が、他の場所よりもホンの僅かにだけ、違う

そしてその色の違う壁が、つぶれた人影のような形を取っているのを

頭の部分に相当する壁、そこが僅かに膨らんだ。浮かび上がるのは、人間のような、人形の顔

そして、それが

笑った

その瞬間、ゴートの背筋をゾクリと寒気が舐め上げた

それは本能の警鐘だった。脳みそが逃げろと叫ぶ

だが、間に合わない。今からこの会議室唯一の出入り口であるその扉に走っても、間に合わない。それどころか、あの人影に限りなく接近することになる

無理だ

ゴートは叫んでいた

「伏せろ!!」

その瞬間、爆音が全てを飲み込んだ







ザザッと、砂嵐がウインドウを包んだ瞬間。そのウインドウは消えた

それを見るコウイチロウの目には、なんの感情も浮かんでいない

連合宇宙軍総司令部の巨大な机に座り、コウイチロウはただ黙る

そして、一瞬の沈黙の後

新たなウインドウが、生まれた

『くく・・・・残念だったなあ!?』

浮かぶウインドウ、そこに映るのは老人ではない

僅かに辿って来た年齢の陰りは見えても、しかしそれを補って余りある精悍な眼差しと雰囲気を纏った男

そこには、本当のクサカベハルキが、いた

「・・・やはり、読んでいたか」

『その通りだ。ミスマルコウイチロウ・・・あれだけデカイ口を叩いておきながら、随分と浅はかだったな』

本当のクサカベハルキは、その目を細めた

『口では幾ら言っても、所詮は甘い男だったか。頭を潰せば終わると思っていたのだろうが、そんなことはさせんよ・・・・これでもう、戦うしかなくなったわけだ』

コウイチロウは、その言葉に答えなかった。代わりに口にしたのは、一つの質問

「火星、か?」

その質問に、クサカベは目を細める。そして唇をゆがめ、自慢げに告げた

『そうだ。その通りだ・・・・火星だよ。火星の極冠遺跡だ』

ウインドウの中、クサカベが、両手を広げる

『ここは始まりの地。そして終焉の地・・・・かつての誰かが残した遺産、誰かが残した過去の遺物。そして、我々にとって全ての元凶である、遺跡だ』

笑う

『さあ、いい加減始めよう。ミスマルコウイチロウ。つまらぬ謀も小細工ももはやないだろう? そしてそれで良い。貴様のセッティングした舞台というのが血を吐くほど気に入らんが、まあ仕方あるまい』

もはやクサカベを縛る物はなにもなかった。完全に、開き直っている。自らの思惑を打ち破られ、そしてそれでももはや構うまいと悟った

『さあ! 蜥蜴戦争の仕切り直しだ! 三割と七割、しかし今この火星極冠遺跡にはその兵力の実に三分の一が終結している!』

この意味がわかるかと叫んだ

『遺跡とプラントという最終兵器は我らの手にある。時間さえ掛ければ貴様らを物量で凌駕することなど容易い。ヒサゴプランを使ってくるなら来るが良い、チューリップごと消滅させてやろう。ドン亀のようにノロノロと宇宙を這い進んでくるが良い。そしてそのときこそ、そのときを使って築き上げた最強の軍勢で相手をしてやる』

目を閉じるコウイチロウに、クサカベは最後の言葉を叩き付けた

『勝算はもはやどちらにもない。これから先はどうなるか検討もつかぬ・・・だがな、最後に勝つのは強者だ。つまり』

もはやどちらに転ぶかわからない戦争を前にして、しかしそれでもクサカベは己の勝利を信じ

そして、告げた

『我々だ』

「違うさ」

だが、その言葉を間髪入れずにコウイチロウは否定した

高説を邪魔されて不快そうに目を細めるクサカベに、コウイチロウは笑った

「確かに、勝つのは勝者かもしれない。力ある者が勝ち残る、それも事実だ・・・だが、だがなクサカベハルキ」

コウイチロウの顔に、先程のような狂った笑みは浮かんでいなかった

そこに浮かぶのは、微笑。つい先程までの狂った顔など欠片も残さないその顔は、紛れも無く、父親の顔

「勝つために必要なのは、それだけではない。そして、それこそがもっとも重要な物なのだよ・・・・誰もが信じ、しかし貫くことが出来ない。それはそういうものだ」

『・・・もったいぶらずに言ったらどうだ』

「そうだな・・・もう、良いだろう」

――― 青臭いことだ

そう思い、コウイチロウは自嘲する。大人である自分が、こんな言葉を口にするのは、随分と不相応だ

だが、それでも良いかと思う

それを行うのは、自分ではないのだから

「勝つのは、強者ではないよ」

笑って、告げた

それは随分と不安定にたゆたい、定義し難い物

時代と共に変わる物、人の数だけある物

信じ抜けば良いというものではなく、疑わなければ良いというものではなく、疑えば良いものではない

――― 難しい物だ

どこまで信じれば良いのか、どこまで疑えば良いのかわからないもの

「勝つのは、正義だ・・・・」

言葉と共に、大艦隊が展開する火星極冠遺跡の上空に

光が、生まれた

「勝った者が・・・・正義だ」







「我が基地上空にボソン反応!」

それは、四ヶ月前の再現だった

入ってきた部下からの報告に、クサカベが顔を向ける

そしてその直後、それは姿を現した

それはその場にいる。誰もが知っている姿

四ヶ月前と変わらないままの姿で、それは四ヶ月前と同じように、光と共に現れた

花びらの形のエンブレム。突き出た二本のシールドブレード

三門のグラビティーブラスト。赤と白を基調とした塗装

ナデシコCだった







「ボソンアウト確認。火星極冠遺跡上空。敵艦隊多数確認」

入ってきたミナトの報告に、ルリは静かに頷いた

『了解しました。本艦はこれよりシステム掌握を開始。敵艦隊の無力化に入ります』

『了解』

ユキナの声が聞こえる

それに静かに頷くと、ルリはその視線を下へと降ろした。その先にあるのは、サブオペレーター席。自分と同じようにウインドウボールに囲まれている、ハーリーの姿だ

「ハーリー君。これより本艦の制御は全て貴方にお任せします」

『了解』

間髪入れず答えるウインドウに、ルリは微笑する。四ヶ月前、これと同じ命令を聞いた彼は、うろたえながら拒否をした。だが今の彼は、なんの躊躇も躊躇いも見せず、頷いて見せた

二度目だからということもあるかもしれないが、それだけではないことをルリは知っている

そして、ルリは目を閉じる。四ヶ月前と違い、これは通過点だ。ここを無力化した後も、地球でいまだ起こっている戦火を止めなければいけない

ここはゴールであると同時に、スタートでもあるのだ

そう思い、ルリはコンソールへと手を乗せた。瞬時に閉じられたルリの瞳が金色の色彩を強める

そしてルリは、四ヶ月前と同じように、オモイカネへと意思を乗せ、その情報処理能力の全てを解き放った

そして

「っ!?」

弾かれた







笑い声が木霊する。ただ一人きり、火星極冠遺跡の中枢に近い場所に佇むクサカベから

彼の周りには、部下から送られる無数のウインドウが浮かんでいる

『メキシコ方面軍。ただいまより戦闘に突入します』

『同じくアメリカ方面軍。これより戦闘を開始します』

『こちらヨーロッパ方面軍―――』

『アフリカ方面軍―――』

次々と入ってくる開戦を告げる報告に、クサカベは笑う

彼らは知らない。自分達が捨て駒だということを

彼らは知らない。彼らの役目が、玉砕覚悟の特攻で、地球側の軍勢をほんの僅かにでも削らせるだけの使い捨ての道具だと

そして、クサカベは目を移す

四ヶ月前と全く同じ姿で、遺跡の上空に浮かぶナデシコを

彼らは知らない。もう彼らの持つ手段が意味をなさないことを

まさかこの場面でこいつらが現れるとは思っていなかった。ナデシコという、過去の自分の目的を次々と打ち破ったあの忌むべき名前を持つ戦艦は、乗員ごと刑務所にぶち込んだはずだ

その刑務所から、彼らが脱走したなどという報告は受けていなかった

――― だがまあ、どうでも良い

そう、どうでも良い。もはやあの戦艦など恐るるに足らない。システム掌握を失ったナデシコなど、ただの戦艦。ただの取るに足らない一戦艦だ

万が一にと思い開発していた妨害障壁を、ここに持ってきていて良かった

もちろん、時間を掛ければ突破可能だ。現行の技術であの電子の妖精の進入を完全に防げるような代物は作れなかった

だが、時間が掛かるのなら、それで良い

佐世保ドッグに遣った鎮圧部隊の持っていた障壁よりも、これは比べ物にならないほど堅固だ。いかにあの魔女がナデシコCという最強の武器を持っているとしても、突破に十分は掛かる

それだけあれば、あの戦艦を鉄屑にすることなど容易い。お釣りが来る

愉快で堪らなかった。あの、あれほど自分の野望をことごとく打ち砕いてきたナデシコを、自分はついに乗り越えた

もはや自分を妨げるものなどなにもない

今なら、この先にあるはずの大戦争も、赤子の手を捻るように勝てる自信があった

「どうかな!?」

視線を移す。その先には、ウインドウに映ったミスマルコウイチロウ

自分と似て非なる。そしてそれゆえに自分に敗北する、無様な負け犬

「どうかなミスマルコウイチロウ!? 貴様の放った小賢しい策略を俺はことごとく打ち破ったぞ!?」

『・・・・』

「いい加減諦めて覚悟を決めたらどうだ!? 貴様自身が弾を込め、そして引いた引き金への覚悟を!」

楽しくて仕方がないように、クサカベは高らかに叫ぶ

「貴様は先程言ったな!? 正義が勝つ、勝った者が正義だと! ならばやはり正義は我々だったようだな! 申し訳として語ったボソンジャンプの危険性と人類の未来への絶望が、俺の考えが正しかったらしい!」

笑う。可笑しくて仕方がないように

「消してやるぞ・・・・」

笑う。世界は自分だと言うように

「消してやるぞ! 貴様らの希望とやらを、そして俺にとって最大の障害だったナデシコを! たった今! この場で! 今すぐに!」

そして、ミスマルコウイチロウも

笑った

『一つ、教えてやろう』

その言葉の直後、クサカベの周りを、再び無数のウインドウが囲んだ

『閣下!』

「・・・なんだ」

水を差されたクサカベが、この状況でもまだ尚笑うコウイチロウを見つめたまま、不愉快そうに呟く

だが、すぐにそれどころではなくなった

そのウインドウに映る男の報告は、クサカベの全てを打ち砕くような内容だった

『アメリカ方面軍、制圧されました!』

自分の耳に飛び込んできた言葉に、一瞬脳が働かなかった

――― なん・・・・だと?

呆然と、視線を向ける。その無言の眼差しに言葉に詰まったその男

そして、クサカベを取り囲むウインドウが、次々と叫んだ

『ロシア方面軍、制圧されました!』

『アラスカ方面軍、制圧されました!』

『ヨーロッパ方面軍、制圧されました!』

『アメリカ方面軍―――』

『アフリカ方面軍―――』

――― なにを・・・言っている?

次々と読み上げられる死刑宣告に、クサカベは我を忘れた

信じられなかった。当然だ

戦いが始まったのは、つい先程、それこそ三分も前ではなかったはずだ

思考が止まる。耳が言葉を拒絶する

負けたという報告。それ自体は別に大した問題ではない、元よりそれは予定のことだったのだから

彼らを捨て駒にして、敵の戦力を削ぐ。生き残ってくれることなど欠片も望んでいなかったし、勝てるなどとは夢にも思っていなかった

だから、制圧されたのは、特に問題ではない

だが

――― なぜ・・・だ?

なぜ、これほどの短期間で鎮圧されるのか、わからない。意味がわからない

三分だ。三分足らずしか経っていない。本来なら、まだ敵は基地から発進することすら出来ていなくてもおかしくはない、そんな時間だ

呆然とした視界の中で、一人の男の姿が見えた

火の吹き出るような壮絶な目つきで、クサカベはその男を睨みつけた

「なにをしたあ!?」

ありえない。こんなことはありえない

今の今まで、自分の勝ちだった

あの放送から勝機を見出し、この男の小賢しい策略のことごとくを食い破った

あのナデシコすら、自分は克服した。もはや自分にあるのは、これから起こる大戦争と、そしてその先にある勝利のみだけであったはずだ

なのに、今目の前で起こっているこれはなんだ?

ありえない。ふざけるな

クサカベの内心は、焦りと不安で満ちていた。それは全く理解出来ない、未知の物に触れたものの感覚だった

答えないコウイチロウに、クサカベはもう一度叫んだ

「貴様一体、なにをした!!」

そしてその叫びに答えるように

火星極冠遺跡上空を、光が支配した







「いやー死ぬかと思いましたなあ」

崩壊した瓦礫と、それによって巻き起こる砂埃の中、煤で汚れたプロスペクターが呑気に呟いた

「咄嗟に持っていたフィールド発生装置を使って助かりました」

言葉の先には、部下を集めているゴートの背中がある

「会長の指示で万が一の為に用意していたものでしたが、命を救われました」

ゴートの言葉に、プロスペクターは頷く

「ええ、全くその通りで」

『聞こえているか!?』

言葉の途中、ツキオミのウインドウが割り込んできた

「おや、どうしましたか?」

その、ツキオミにしては珍しく取り乱した態度に、首をかしげた

だが、そんな物に構っていられないとでもいうように、ツキオミは背後に控えている彼の部下に確かか!? と確認の言葉を投げ、返って来た頷きに一瞬だけ言葉を詰まらせ、そして視線を向けてきた

『たった今地球圏全域に、過去類を見ない程大量のボース粒子の増大反応が出た!』

「ほう」

その言葉に、プロスペクターはただ頷く

『それと同時に、一斉に戦闘を始めていた各国の交戦圏全てに大艦隊が出現。先制の一撃で全て鎮圧した!』

俄かには信じられない言葉に、ゴートが目を丸くした

『さらに火星観測衛星からの情報で、火星極冠遺跡にもそれと比肩する量のボソンジャンプ反応が出た』

「・・・映像、出せますか?」

『・・・ああ』

神妙にうなずくツキオミに、プロスペクターは笑った

そして、答えるように、もはや崩壊した十九番目の会議室の全てを飲み込むように、巨大なウインドウが浮かび上がる

「・・・・なんと・・・・」

呆然と漏らすゴートの横、プロスペクターは一人頷いた

「昔の方は素晴らしい言葉を残しておりますなあ、因果応報、しっぺ返し・・・ええ、どれでも当てはまるでしょうし、どれでも良いですねえ」

眼鏡を押し上げ、ウインドウを見つめる

「クサカベハルキさん」

服についた煤を払い落とし、プロスペクターは呟いた

「昔の自分に、お負けなさい」







「・・・・なんだ」

驚愕の見開かれた瞳で、クサカベは目の前に展開する巨大なウインドウを見つめた

そこには、今自分がいる火星極冠遺跡の上空が映し出されている

白い大地があり、自分の自慢の艦隊がいる。自分の切り札の遺跡がある。もはや恐れるに足らない、ナデシコCがいる

そして

「なんだこれは!!」

空を埋め尽くすほどの、大艦隊がいた







「現在位置確認、火星極冠遺跡上空」

火星上空に突如として出現した大艦隊。その中の一隻、アマリリスのブリッジで、艦長であるアオイジュンは背後を振り返った

そこには、ジャンプナビゲート専用の椅子に座り目を閉じている、一人の女性の姿がある

「成功だよ、ユリカ」

「うん」

掛けられた言葉に頷くと、ユリカは薄っすらと目を開けた

飛び込んでくる光景に、僅かに頭が痛む。その頭痛は、これほどの大艦隊を火星まで跳ばしたこともだが、他にも数え切れないほどのB級ジャンパー達のイメージを遺跡に翻訳した為の物でもある

イネスに、説明された通りだった

あのとき、四ヶ月前の火星の後継者事件のとき、自分と遺跡とのリンクを完全に消すことが出来なかった

否、それすら誤りだ。自分と遺跡は、まだ脳のどこかが繋がったまま、言うなれば、あの遺跡に融合させられていたときと、遺跡との関係だけならば、全く変わらない

二つの物体を混ぜることは可能でも、それを再び、完全な形で分離させることは不可能だ

数多の手段を用い、こうして自分を遺跡から肉体的に分離することには成功した。だが、それだけだ

完全に、全くの元通りに二つの物体の状態を元に戻すことなど不可能だ。そしてそれが不可能ということは、自分の中に、遺跡のなにかが残っていることであり、そしてそれを捨てることは現代技術では不可能

そして遺跡には、時間と空間の概念がない

ホンの欠片でも自分の体内にそれが残り続けている以上、自分と遺跡は同じ物だ

今思えば、あの遺跡から切り離されたときからふと自分に宿った、あの不思議な落ち着きと、これからなにが起こるのかわかるわけでもないのに、それでも平然としていられたあの気持ちは、どこかで遺跡と繋がっていたためなのかもしれない

もはや自分は遺跡であり、テンカワユリカである。両者はもはや切り離すことの出来ない、完全に一つの物として混ざり合ってしまった

遺跡と融合したテンカワユリカ。それは厳密に言えば、もはやテンカワユリカではないのかもしれない

遺跡という全く不可知で得体の知れない物。それによって人格に僅かなりとも影響を受けている今の自分は、もはやテンカワユリカではないのかもしれない

だが

だが今はそんな自分を、心底ありがたく思った

この力に、感謝した

顔を上げると、彼女は凛とした声で告げた

その姿は、かつてナデシコAを率い、蜥蜴戦争を戦っていたときの、ミスマルユリカそのものだった

「終わりです」

声はどこまでも響く

「終わりです。クサカベハルキ」







ネルガル月ドッグ。その無人の格納庫の中、一人の男が佇んでいた

黒い外套に黒いバイザーで顔を覆ったアキトは、ただ何を言うでも何を口にするでもなく、目の前に鎮座するブラックサレナを見上げている

そしてなにかを決意するようにその手に僅かに力を込めると、一歩を踏み出した

「・・・・行くのか」

その直後、背中に声が掛かる

振り返らず、しかし立ち止まり、アキトは小さく答えた

「ああ・・・・」

「なぜだ?」

続けて掛かる言葉、それを言った張本人であるセトは、ただその背中を見つめる

アキトは振り返らない

「今なにが起こってるのかは、わかってるつもりだ・・・・はっきり言って、お前の出る幕はねえぞ。幾らサレナが常識外の戦闘力を持ってるからといって、たかが機動兵器一体に出来ることなんて知れてる・・・・そしてそりゃあ、あの男にも、言えることだ」

「だがそれでも、あの男なら・・・・それをやる」

背中を向けたまま、アキトは答えた

「俺でなくても、奴は止められる。俺がでしゃばらなくても、この開戦から終戦までたった数時間の戦争は、もう終わるだろう」

その言葉に自嘲の響きが混じっていることに、セトは気付いた

相変わらず背中を向けている男の表情が、なぜかそのときのセトには手に取るようにわかった

「それでも、行くのか」

「だから、行くんだ」

間髪入れずに返って来た返答に、セトは苦笑した

「ケリをつけるのか」

「ああ」

「ラピ坊の仇か?」

「・・・・それもある」

「殺した人間達への贖罪か?」

「そうかも、知れない」

「・・・正義の味方か?」

「夢だった、な」

「じゃあ今の夢はなんだ?」

「・・・・止めることだ」

「表に出れば、世間の全てがお前を攻め立てるぞ」

「ああ」

「言い訳はしないのか?」

「そんな物ないさ」

「黙って罰を受けるのか?」

「それだけのことをやった」

「殺した人間全ての命を背負うのか?」

「出来るなら」

「背負えると思うか?」

「・・・・」

「本当に思うか?」

「・・・・」

沈黙したアキトの背中に、セトはもう一度だけ問い掛けた

「答えは出たのか?」

数秒、時が止まった

二人しかいない格納庫、その中でセトはただその背中からの言葉を待ち、アキトは問われた言葉に、ゆっくりと顔を上げる

「一つだけ、良いか」

「なんだ?」

言葉に、アキトはバイザーの中の目を閉じる

思い出すのは、あのときだ

―――『幸せ――――だったんだあ』

「ユーチャリスの・・・」

アキトの予想外の言葉に、セトは眉をひそめる

「ユーチャリスの残骸から・・・ブリッジの会話記録は、抽出されたのか?」

「・・・・なに?」

無関係としか思えないその問い掛けに、セトは一瞬言葉を失った

言葉の意味は、正直わからない。アキトがこの問い掛けに一体どんな意味をこめているのか、自分には検討もつかない

だが、その目の前にある、黒い背中は

自分の答えを待つ、その、ただの若造の背中は

小さく、震えていた

それは怯えか、それとも他のなにかなのか

「いや・・・・」

正直、答えた

「ユーチャリスの残骸からサルベージ出来たのは、破損だらけの六連と夜天光と、サレナのデータだけだ」

―――『録音日時 12月22日 地球標準時間午後二時十二分』

アキトの背中が、一瞬大きく震えた

「そうか・・・・」

それだけ呟き、アキトは歩みを再開した

その背中を、セトはただ黙って見つめていた

足音が遠ざかる。そしてアキトは、鎮座するブラックサレナの目の前にたどり着いた

「・・・・セト」

そのまま、相変わらず背中を向けて、アキトは再び呟いた

「月ドッグに、使途不明の隠し通路のような物があるのは、知っているか?」

その言葉に、セトは驚き言葉を詰めた

セトの反応を背中越しに感じ取ったのか、一瞬身を揺るがす、しかし振り返りはしない

「・・・・お前」

呆然と呟くセトの言葉

それに、アキトは振り向くことで、答えた

その顔は、笑っていた



「帰って来たら・・・・会わせてくれないか?」



その言葉に、どんな意味がこもっていたのか

どれほどの想いが込められていたのか

セトがそれを推し量るよりも早く、アキトはそのままブラックサレナに乗り込んだ







「・・・アウイン」

『応答』

ブラックサレナのアサルトピットの中で、アキトはポツリと呟いた

浮かぶウインドウ。それに、僅かに口元を緩める

「普通に、喋れるんだろう?」

その言葉に、数秒の沈黙が降りた

間、アキトはただ穏やかに待つ

『いつから、気づいていましたか?』

今までのアウインの、どの言葉にも当てはまらない。文章がそこにあった

「展望室の、あのときからだな」

あのとき、アウインが自分に言った言葉。あれは、今まで見てきた、断片的な単語だけで語るアウインの言葉の中で、明らかな異彩を放っていた

そしてあのときからずっと、気付いていた。ある一つの可能性に

それを確認するように、アキトは呟いた

「なあ、アウイン」

『?』

「アキトと呼んで・・・・くれないか?」

『?』

即座に返って来た、疑問の単語

それを見て、アキトは目を閉じる

――― ああ・・・・違うのか

自分の考えた中で、もっとも希望のあった答えは消えた

ただ、それでも良い

『アキト』

なんの感慨もない、ただの一言。そこにはアキトの期待した物は、なにもなかった

甘ったるい自分の考えは、いつも決まって大外れだ

口元が、歪む

しかしそれは、自嘲のそれではなかった

構わない。そう思ったからだ

あの子が、自分のためにそこまでしてくれたという事実に、なんの変わりもないから

――― 負けられないなあ

閉じた目を、開いた

――― 本当に、負けられない

「アウイン・・・」

掠れたような声で呟き、名前を呼ぶ

誰にも聞こえないほど小さな声で、アキトはぽつりと呟いた

「本当に、ありがとう」

直後、ブラックサレナを光が包み、そして消えた












あとがき



悪も正義もありゃしない



こんにちは、白鴉です



一般人の方達の問題ですが、結局この面子での解決は見送りました

っていうか、どんな人たちも納得して一丸になれるような方法っていうのは、およそ人間には不可能なことではないかと言い訳を思いつきまして、っていうかまあそれが私の本心です

一応、この後フォローがありますので、それまでお待ち頂けると嬉しいです

さて、ようやく一番主人公っぽいのが動き出してくれました

どうなることやら





それでは次回で