第26話









目の前の光景が、信じられなかった

今日このときのために、自分が全てを賭けて来た計画

蜥蜴戦争の失敗から勝機を見出し、火星の後継者事件のときにボソンジャンプの研究内容をほぼ独占し、ボソンジャンパーをたった三人にまで減らした

足りなかった軍事力を自分達の同志を敵に忍ばせ、増やすことにも成功した

そしてその結果、ボソンジャンプは事実上機能しないような状態になり、戦力ですら全てを上回った

二度の失敗から学び、万が一のためにナデシコを押さえ、A級ジャンパーで唯一確実な生存を確認されているテンカワユリカを拘束した

物量を生かした、全方面同時攻撃という多面攻撃。それすら囮にし、地球に向いていた敵の目を欺き、火星を占拠

遺跡、無人兵器プラントの完全な掌握

これだけ押さえていれば、絶対に勝てるはずだった。そして自分はその勝利を疑っていなかった

なのに、この目の前の光景はなんだ?

あの、大博打としか思えない敵の目論見は一応の成功を見せ、単純な軍事力では完全に負けた

押さえたはずのナデシコが、現れるはずのない自分の目の前に現れた

もう、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。自分がやって来たことが、奇跡という下らない言葉でしか括れないような方法で、次々と破られている

それは単純に、自分をあのミスマルコウイチロウという男が上回っていたということなのか



歯を噛み締めた

これは、あの男だけではない。そんなちっぽけな存在の仕業ではない

なぜ自分のやることは、こうも上手くいかないのか、自分はいつも自分が正しいと思ったことを、全力でやっているだけなのに

自分と奴等と、一体なにが違うのだ

クサカベは、すでにこのとき冷静ではなかった

もはや彼の中には彼自身が先程コウイチロウに告げた、この戦争の目的が自分の単純な支配欲の産物だと言った言葉の内容すら、ありはしなかった

ただただ自分のことを棚にあげ、自分以外の全てを悪者へと仕立て上げた

自分は正しい、奴等は間違っている

なのに、自分は今、負けようとしている

その、彼にとって矛盾だらけの現実

納得いかない現実。思うとおりにいかない現実

苦渋に耐えてきたこともある、侮辱を噛み締めたこともある。だが、それに耐えられたのは、彼がいつもその先にある目的を見つめてきたからだ。だが今、この敗北を許容したとき、彼にはその先などない。あるのはただ死ぬまで鎖に繋がれ、のたれ死ぬ未来だけだ

本当の絶望と、本当の挫折というものを知らなかった、クサカベハルキ

その彼が、今度こそ本当に、立ち直ることも持ち直すことも出来ない現実に突き落とされた。そしてそんな彼が、自分の思い通りにいかない現実を容認できなくなるまで、それほどの時間を要さなかった

「認めん・・・・」

全身を怒りに震わせ、クサカベは走り出した。向かう先にあるのは、もはや必要がないため全く無人となっている、遺跡の演算ユニットが置かれている部屋

「認めんぞ!!」

それは、子供の癇癪に似ていた

怒り、暴れ、ただ感情の成すがままに、己の破壊衝動のままに触れる物全てを叩き壊す

急造の階段を駆け下りる。すでに視界の端には、花のように開いた演算ユニットが見えていた

しかし、子供の癇癪と決定的に違う部分があった

若いとはお世辞にもいえない体のお陰で、息がすでに上がっていた。それすら、己の老いすら今は妬ましい

それすら誰かのせいにして、クサカベは駆け寄った

演算ユニット。四ヶ月前にその中心に添えられていた女を失った、その遺物の前のコンソール

壊してしまえ。全身がそう命じていた

「ハハ・・・・ハハハハ・・・・ハハハハハハ!」

ただの癇癪と決定的に違うこと。それはクサカベが、子供ではないということ

彼は子供でもなければ、ただの一般人ですらない。元木連中将であり、二度ものクーデターを、成功はしなかったものの決起するまでに漕ぎ付かせた男であり、何人もの人間が、そのカリスマに惚れ込んだ男でもある

クサカベには、力があった

それが、ただの子供の癇癪と決定的に、そして致命的に違う部分だった

笑いながら、クサカベはコンソールを操作した

『自爆シークエンス起動。パスワードを声紋で入力してください』

機械的な音声でそう告げるウインドウに唇を歪める。もはや完全に頭に血が上っているクサカベは、その行為が意味することがわかってはいても、理解することなど出来ない

演算ユニットの破壊。それはこの世界の破壊に他ならなかった

かつて、三年前に同じ状況に追い込まれたナデシコも、選択肢の一つとしてあげたその方法

だがそれが意味するのは、歴史の廃棄

事実を述べるならば、遺跡が破壊されたとしても、それは今まで行われた全てのボソンジャンプがキャンセルされ、それに対応した歴史が構築されるということ

だがそれは、この世界に生きる生き物全ての破壊に他ならない

正確に言うならば、それは死滅ではなく、ただ単純に巻き戻るだけなのかもしれない

だが、今を生きている生き物にとって、それは死となんら変わらない事実であった

そしてクサカベは、それを実行しようとしていた。笑いながら、叫びながら

こんな世界はいらないと叫びながら

ただ単純に、消し去りたかった。目の前の奴等、気に食わないあの連中が消えるのなら、後はどうなっても構わない。構うものか

狂った笑みを張り付かせ、クサカベは大きく息を吸った

「声紋入力者クサカベハルキ! パスワードは!」

消えてしまえ。心底そう思った

「新たなるちつ――――!」

だがその言葉を完全に言い終わる前に

銃声が響き、右肩に激痛が走った

『声紋一致。しかしパスワードが違います。パスワードを肉声でもう一度入力してください』

右肩を押さえよろめくクサカベ、そこに立て続けに銃声が襲い掛かった

数は三つ。それは正確にクサカベの左肩と両足を撃ち抜き、結果クサカベは激痛に悲鳴を上げながら、演算ユニットの目の前の床に前のめりに転がった

「誰・・・・だ!?」

床に顔面をぶつけるようにし、クサカベはうめく

四肢から血が流れ出る。そしてそのお陰で血の気が抜けたのか、クサカベの頭から熱気が急速に引いていった

そして冷静さを取り戻した脳みそが、このありえない状況をフル回転で考え始めた

こんな銃弾が飛んでくるなど、ありえなかった。確かに戦況は、もうすでに決してしまっている。自分達の負けだ

だがそれでも、自分という指導者の明確な敗北宣言が成されていない以上、外にいる自分の部下達は降伏などしない。勝ち目がないとわかっていても、自分の命令ならば最後まで戦う。そういう連中だけを集めたのだから

つまりこの銃弾は、裏切りのそれではない

這い蹲って、体をずらした

自分を撃った人間を確かめるために

「いやあ、初めましてかな? クサカベハルキ・・・おっと、敢えてさんも殿も付けないよ、君にそんな価値ないから」

その視界に飛び込んできた人間に、クサカベは息を呑んだ

「しっかしさっきまであれだけ偉そうに人類の未来がどうのとか語ってた人間が、ちょっと気に入らないことがあったからってこんな行動に出るなんて・・・・いやあ、世も末だよね」

驚愕に見開かれた

「なぜ・・・・」

わななく唇から、言葉が漏れる

揺れる視界の中、その男はゆっくりと歩いて来た

酷く場違いな、ニヤニヤとした薄ら笑いを浮かべながら

「なぜ貴様がここにいる!」

男にしては随分と長い髪を揺らしながら

「アカツキナガレ!」










機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 カウントダウン 』

 

 









「なぜって言われても、別にいるからいるんだよね」

四発の銃弾を受け倒れ伏すクサカベに、アカツキは笑いながら近づいた

固い床に、靴音が反響する

意図的かそれとも無意識にか、焦らす様に響くその音に、クサカベは歯を噛み砕かんばかりに噛み締めた

随分と時間を掛けて、アカツキはクサカベの元にたどり着いた

血を流し、激痛に顔をしかめ、四肢を這い蹲らせるクサカベを見下ろすように、アカツキはただ佇む

「・・・なぜ、貴様が・・・」

憎しみのこもった視線と言葉。それすら平然と受け流し、アカツキは口元を歪める

「ミスマル司令と相談してね、君が最終決戦に選ぶのはここだろうって読んでたのさ。君は昔っから火星の遺跡の力を崇拝し、己の力も崇拝している」

見せ付けるように、手元の拳銃を掲げた

「正解だったでしょ?」

その拳銃を見た時、クサカベの中で初めて実感として、目の前の状況が伝わった

這い蹲り、動けない自分と、拳銃を持ち、そんな自分を見下ろしている男

そしてなにより、その男の目が、明確に語っていた

こいつは、自分を殺すつもりだ

そう悟った瞬間、体が凍りついた

この男の、虫けらを見るような無機質で冷たい目に、全身が固まる

思うのは、ただ一つ

死にたくない

嫌だ。まだ自分は死にたくない

まだ何一つ果たしていない。世界を手に入れることも、あの殺したい程憎いあの男に、自分はまだなにも復讐していない

嫌だ。ここで死んだら、自分はなんだったのだ

自分の全てを賭けたことすら潰され、その復讐すら果たせず、こうして四肢を撃ち抜かれ地面にひれ伏し、そして撃たれて死ぬ自分は、なんなのだ

これではまるで、塵だ

嫌だ。そんなのは嫌だ。自分が塵のはずがない。塵なのは世界の方だ

そうだ。自分はなにも悪くない。確かに私利私欲に走ったことは事実かもしれないが、それでも自分の言ったボソンジャンプの危険性や人類の未来の危うさは確かだ。そうだ、自分はなにも間違っていない

先程もクサカベはそう思い、遺跡を自爆させようとした

しかし今の彼に、そんな選択肢は無かった

目の前に突きつけられた銃口。そこからいつ飛び出してくるかわからない銃弾と、そして死が、本気で怖かった

それは本当の死だった。戦艦の中から見る死でもなく、破壊でもなく、敵の主砲でもなく

自分という丸出しの生身に直接突きつけられた、死という刃だった

怖かった。もうクサカベの中に、遺跡と爆破しての自爆などという単語など欠片もなかった

ただただ、生きたかった。死ぬのが怖かった

だから、クサカベは口を開く

「き・・・貴様、自分がなにをしようとしているのか、わかっているのか?」

震える声と、強張った笑顔で、クサカベはそう言った

その言葉に、アカツキの表情から笑みが姿を消す

「い、いいのか? 今ここで俺を殺す、殺すということは、人類が破滅の道へと突き進むということだぞ」

恐れが生半可な狂気を呼び、それが焦りを呼び、現実が怖くなる

ただ目の前に突きつけられ金属の塊から、漠然とした死をイメージしたクサカベは、震えながらただ喋る。その内容すら、彼自身正確に把握してはいなかった

ただ死にたくないという脅迫概念から、思いつく限りの単語を並べ立てる

「人類は、正義は俺と共にある! それを潰す責を、貴様は背負えるのか!? 人類の未来を閉ざす権利が、覚悟が貴様にはあるのか!?」

地面に這い蹲りながらも、そのクサカベの目は死んでいなかった。危うげに輝き、危うげに揺れている

痛みもすでに、クサカベは感じていなかった。ただ己の言葉と、逃亡と、そして目の前の銃口から逃れたい一心で、言葉を吐く

だが、それを見てアカツキは

笑った

「・・・本当さ、悪いんだけど」

そう言って、アカツキは何気ない動作で足を振り上げ、そして振り下ろした

倒れ伏し、未だ血が滴る。クサカベの右肩へ

「っか・・・・!」

その、傷口に塩を刷り込まれるような行為に、クサカベが目を見開いた。乾いた口から、耐えかねたように言葉が漏れる

だがアカツキは、力を緩めなかった。楽しみようにその足を捻り、そして身を屈めた

クサカベの視線に合わせるように

「君の言ってることもさ、正しいとは思うんだ。ボソンジャンプの危険性、未だ亀裂の入ったままの木星と地球。それらを解決するには、この上なく強力な指導者や、完全な決着が付属する蜥蜴戦争を再発させる。それも一つの手段だと思うんだ」

痛みに目をあらん限りに引き絞るクサカベの耳元に口を寄せ、アカツキは囁くように告げる

「でもさ、相手が悪いよ。言う相手がさ。軍人の人とかに言えば少しくらいは考えたり戸惑ったりする材料になったかもしれないけどね」

力を、さらに込めた

「ぐあああっ」

「生憎僕はただの一企業の会長。人類の未来なんて重っ苦しい物を背負う気なんて欠片もないし、君のいう人類とか世界とかを導くつもりもない。」

クサカベを、なぶるといっても決して過言ではないようなその行為に、アカツキの目が細まる

いつものアカツキの目では、なかった。普段の彼ならばこんな面倒な真似はしない。助けるつもりならばさっさと助けるし、殺すつもりならとうの昔に引き金を引いている

そんな彼がクサカベを見下ろすその目の奥に微かに、しかし確かに宿っているのは、怒りの感情だった

「勝手にやるよ、人類って奴はさ。死にたくないのは彼らも同じ。そんな自分達の首を締めるようなこと、彼らがやるわけないでしょ。・・・・舐めすぎだよ、君。人類って奴を」

襲い掛かる痛みに、唇を噛み締める。激痛にのた打ち回りたかったが、少しでも体を動かそうとすると、右肩に突き刺さったアカツキの足があざ笑うように力を込めてくる

噛み締めた唇が、破れた。血が流れ出る

「・・・ならば」

痛みに身を曲げて耐えるクサカベが、そう呟いた

激痛に耐えながら、痛みに悲鳴をあげながら、顔を上げた

その彼の行動に、アカツキが不快気に舌を鳴らす

そんなアカツキの目を見上げる形で、しかし確かに正面に見据えて、クサカベは血が流れる口を開いた

「ならば・・・ならばなぜ、ここにいる? ・・・自分をただ一企業の会長というなら・・・・なぜこんなところに来た!」

押さえつけられていない左腕を、床に突き立てた。それだけの行動に、左肩に穿たれた傷口から、痛みが突き抜けてくる

だが、それをアカツキになぶられている右肩からの痛みで誤魔化し、クサカベは身をさらに、僅かに立てた

放り出された両足が、ガクガクと揺れている

「覚悟も無いような屑が、我々の戦いに首を突っ込むな!!」

銃声が、響いた

クサカベがそれを、アカツキが手にしている銃の物だと悟ったのは、さらなる痛みが左腕から全身を駆け巡ったときだった

立てた身が、落ちる。新たな傷を増やし再び地面に倒れこんだクサカベに、アカツキの言葉が降りる

「そうなんだよねえ」

聞いてなど、いなかった。それどころではなかった

痛みに身を打ち震わせるクサカベに、聞こえていないのを分かった上で、アカツキは囁く

「僕には、君らのような志も賭ける物も、信念も覚悟も勇気も正義もない。まあここで君を止めるのは、ネルガルの利益そこらを計算した上でのことでもあるんだけど・・・それでも、およそこの人類の未来って奴を決めるような場にいるには、分不相応な人間だよ。自分を犠牲にして理想を実現しようって奴もバカだと思ってる。人助けの気持ちも、人殺しの罪悪感もない、ただいつも笑ってヘラヘラしてる、ただの腰抜けさ。自分の命を犠牲にして誰かを守るような奴も、バカだと思うよ。本当、心底」

そこでアカツキは、その口元に笑みを浮かべた

「でもさ・・・・」

殺意の込められた目で見上げてくるクサカベに、アカツキは口元をゆがめた。自嘲の形に

「・・・・良い子だったんだよ」

ポツリと、そう呟いた

「過去のせいかなんだか知らないけど、無表情で無愛想で、ほとんどだーれにも懐かなくて、頭を撫でられるのも大嫌いで、自分からは誰にも話し掛けない」

なにを言っているのか理解できていないクサカベなど意にも介さず、アカツキは懐かしむように笑う

「そのくせ一人じゃ淋しくてしょうがなくて、一人じゃ寝るのも一苦労。困ったことがあってもそれを誰にもいえなくて、ただ一人でオロオロしてる。おまけに、僕には最後の最後までなついてくれなかった。嫌いだったんだろうねえ、僕のこと・・・・まあ、僕もあまり好きじゃなかったけど」

目を細める

「でもさ・・・・」

再び足に力を込めながら、アカツキは穏やかに喋る

「・・・・・良い子だったんだよ・・・・本当に」

その、過去を懐かしむような口調に、クサカベは激痛にのた打ち回りながらも、コメカミを引き攣らせた

それは、怒りだ

「なんの話を・・・・している!」

こんな、自分が全く知らないような、訳のわからないようなことで、自分がこんな状況に陥っていることに、心底腹が立った

「・・・そうだね。君は知らないだろうね。知ったこっちゃないだろうね・・・・。どことも知らないところで生まれた、ただの実験材料の一つのことなんて、君は知らないだろうね」

歯を食いしばる。この目の前のヘラヘラとした男の的を得ない言葉に

だがその意味を、アカツキの次の言葉でようやく悟った

「・・・・ラピスラズリ・・・・聞き覚え、ないかな?」

僅か、クサカベは呆然とした

その名は、知っている。知らないはずがない

あの、自分達の計画をことごとく潰される要員となった、ナデシコ。それに搭乗し、そしてA級ジャンパーであった男、テンカワアキト

自分達のボソンジャンパーの独占のために捕獲し、散々実験材料として扱った、あの男

そして亡霊となり再び自分の前に立ちはだかったテンカワアキト。それが連れていたという、一人のIFS強化体質者

その名が、ラピスラズリだった

言葉の意味を悟ったクサカベの体を、再び激痛が走りぬけた

笑いながら傷口を甚振っているアカツキが、口を開く

「僕がここにいるのは、それだけさ。気に食わない子供だったけど、それでもあの子は色んな子に可愛がられてた、幸せを望まれてた。そして、幸せになる権利くらいは、持っていた」

「がああっ」

「でもさ・・・・死んじゃったんだよ。長い長い陵辱と痛みの果てに、ようやく居場所を見つけかけてたあの子がさ、死んじゃったの・・・わかる? あんまり好きじゃなかったけど、それでもやっぱり知り合いがそういう目に合うのって、あんまり気分が良いもんじゃないでしょ?」

痛みに耐えるクサカベに、アカツキは尚も喋ることをやめない

「それもこれもさ、君らが人類のためにとか訳わかんないこと喚いたからなんだよね。少なくとも僕はそう思うわけ。本当は違うかもしれない、逆恨みかもしれない。でもさ、やっぱり恨みとかそういうのって、どっかで吐き出さなきゃ健康に悪いでしょ? で、たまたま僕は見つけた、君っていう最高のサンドバックをさ、だったら後は殴るだけでしょ? 殴られないサンドバッグに意味なんてないわけだし」

一方的なアカツキの言葉と、攻撃。しかしそれにクサカベは、笑った

激痛に身を引き攣らせ、脂汗すら浮かべ、しかしそれでもクサカベは、先程までの全てを吹き飛ばすように

伏した身で隠すように、あざ笑うかのように、口元を歪めた

アカツキからは、そんな彼の表情など見えない

だが、ピタリと挙動を止めたクサカベに、不審気に眉を寄せた

「・・・・そうか。それが貴様の、戦う、理由か」

掠れた声には、しかし確かに、愉悦と蔑みの感情が込められていた

「・・・・下らんな」

吐き捨てる

「下らんな・・・・本当に、下らん」

クサカベが、身に力を込めた

穴を穿たれたことなど意にも介していないように、その身を起こそうと力を宿す

当然アカツキはそれを阻止しようと、傷口に乗せた足に力を込める

だが、クサカベは止まらない

そんな物などまるで最初から無いように、クサカベはアカツキの足を払いのけ、平然と、立ち上がった

ユラユラと揺れながら、しかし確かにアカツキを見据えながら、クサカベは立ち上がった

怒りが、痛みを完全に上回っていた。そんな下らないことを理由に戦う奴相手に、世界を背負った自分が負ける訳が無いという、意地と誇りで、クサカベは痛みを吹き飛ばした

「たかが実験材料一つが死んだだけだ! そんな下らんことでこのような場所に来るな愚か者が!」

右肩からの痛みを無視し、クサカベはアカツキの胸倉を掴んだ

「正義のため! 人類の未来のために必要だっただけの粗末な犠牲だろう! そんな下らん人形如きのために俺が敗れる道理もなにもない!」

胸倉を掴む手に、力を込めた。痛みが駆け巡るが、そんなものは気にならなかった

こんな下らないことで自分の崇高な目的を邪魔されたことの方が、遥かにクサカベの癇に障った

だが、アカツキはその言葉に、無表情で答えた

「・・・・正義のため、人類のため、ね」

呟く

「・・・・良い言葉だよねえ。最高の免罪符だ」

そしてその言葉の直後、新たな銃声が生まれた

右足を、撃たれた。だがクサカベは、なんとそれに耐え切った

そんな自分に、口元を歪める。そうだ、自分は立てるじゃないか。そうだ、自分はこんな奴に負けないのだから

こんな青臭い、下らない理由でここにいるような塵に、自分が負けるはずがないのだ

こんな奴に、自分が負けるはずがないのだ

だが、新たな銃弾を喰らい尚立ち続けるクサカベを見ても、アカツキの無表情は変わらなかった

それどころか、彼はその口元を、心底楽しそうに歪めたのだ

「どんな非道なことも、どんな残酷なことも、正義のため人類のためって言えば、許されるんだもんねえ。便利だよねえ、本当」

銃声が、響いた

「じゃあさ、君は知ってるかな」

銃声が、響いた

「夜中に絶叫上げながら跳ね起きる人間の気持ち、叫びながら自分の腕にナイフ突き立てる男の気持ち、そんな男をただ見ていることしか出来ない女の気持ち、殺した人間の夢を毎晩毎晩見る男の気持ち、触られることも怖がるような体験をした女の気持ち、脳みそかき回された男の気持ち、夢を奪われた男の気持ち、大切な物をことごとく目の前でぶち壊された男の気持ち、そんな下らない男を庇って、それでも笑った死んだ女の気持ち、死んでもそれでも、自分の脳みそを差し出して男を支えてる女の気持ち、自分の可愛がってた子供の脳みそを死体から抉り出して、機械に繋いだ女の気持ち」

銃声が、響いた

「もちろん僕はそんな気持ち知らないし、知りたくもないけどね。気持ち悪いじゃない、吐き気がするもん、そんな気持ち」

銃声が、響いた

「でもさ・・・・」

銃声が、響いた

「そういう気持ち、知っちゃった、知りたくもないのに知らされちゃった連中がいるんだよね」

立て続けに、アカツキはクサカベに銃弾を撃ち込んだ

右足に、左足に、右腕に、左腕に

ほかの場所は狙わない。特に体の中心線は

そんなことをしたら、あっさり死んでしまうから

笑いながら、アカツキは銃弾を撃ち続ける

一発では平気な顔をしていたクサカベだが、その顔が徐々に蒼白に塗りつぶされていく

胸倉を掴んでいた手の力が、緩んだ

どれだけ強靭な意志を持っていようと、どれだけ譲れない誇りを掲げていても、そこには必ず限界があった

実に十五発目の銃弾を撃ち込まれたとき、クサカベはとうとう、その身を崩した

見開かれたその目は、もう随分と前から、瞬きをしていない

沸騰しそうな痛みの中、クサカベの視界はもはや、ほとんど真っ白になっていた

もう、声も出ない

自分が床に倒れている感触も、ない

そんなクサカベの頭に拳銃を突きつけながら、アカツキは喋る

「そういうのをさ、正義のため人類のためって言葉で片付けられちゃ、本人達はたまったもんじゃないと思うんだよね。少なくとも僕だったらそう思うもの」

クサカベは、答えない。残ったホンの一握りの意識では、口を開くことも出来ない、アカツキの言葉が届いているのかすら、不明瞭だ

だが、それでも良いか。そう思い、アカツキは笑った

その笑みは、彼自身が今まで行ったこと、そして今行っていることを本当に理解しているのかと疑いたくなるほどの、何気ない、いつも通りの、笑みだった

「本で読んだんだけどさ、人間の幸せって、死ぬときに笑えるかどうかだって聞いたことあるんだよね」

死んでいないだけのクサカベの脳天に銃口を突きつける

「もう十分でしょ? 君。今まで散々笑って笑って笑い狂ってきたんだろうし、まあ、そうでなくても別に関係ないんだけどさ」

そう言って、アカツキは酷薄な笑みを浮かべた

「君がいなければ、彼女達は彼女と会うことも出来なかったろう。そういう意味では、ちょっとくらい僕も感謝してるんだよ? お陰で使い物にならなくなってたパイロットでありA級ジャンパーであるとある男も再利用できたし」

引き金に、力を込めた

「ありがとう、糞野郎」

銃声が、響いた

「笑って生きて、泣いて死ね」







『こっちは終わりましたよ。ミスマル総司令』

アカツキからの通信に、コウイチロウは閉じていた目を開いた

「・・・・すまなかったね、後味の悪い仕事をさせてしまって」

『いやいや、元々これは僕が提案したことですしね。それに後味が悪いどころか、結構なストレス解消になりましたよ』

ウインドウの中に映る、アカツキの笑み

人一人を目の前で、自分自身の手で殺したばかりにも関わらず、その普段と全く変わらない笑みに、コウイチロウは僅かに目を細める

「君も存外、マトモな人間の神経はしていないようだな」

『まあ敵が多い一民間企業の会長なんて、そんなもんですよ・・・・それに、マトモじゃないのはお互い様じゃあないですかな?』

そのアカツキの言葉に、コウイチロウは細めていた目を緩め、不意に表情を崩した

口元を笑みの形に歪める

「・・・それもそうか」

その返答に満足そうに頷くと、アカツキは目線を、彼が映るウインドウの背後に向けた

『演算ユニットは押さえましたから、おそらくもう向こうが決死の大自爆を敢行することはなくなったでしょう。まあ、パッと見た感じ自爆シークエンスの起動方法を知ってるのはクサカベハルキだけだったみたいですから、どの道そんなものは無用の心配でしょうがね』

そういって、視線を戻す

『で? そっちの方は?』

「今現在火星では、膠着状態が続いているそうだ。戦線はまだ開いてはいない」

『随分とのんびりしたことだねえ』

「おそらく、敵の大半は諦めているだろうな。ルリ君が連中の強いた妨害障壁を取り除くのに後三分程、その間にただでさえ数の上で圧倒されている我々を倒すことは不可能だ」

コウイチロウのその言葉に、アカツキは息を吐いた

『終わりですかねえ・・・・これで』

「おそらくは、ね。まだ全ての問題が解決した訳ではないが、それでも一段落は着いた」

アカツキは目を細めた

『まあ、後は政治家の人達の仕事でしょう。地球と木星の問題にどうケリをつけるかは・・・・まあ、話し合いで解決出来る』

「・・・そうだな。そう願おう」

そう言って、二人はお互いに笑みを浮かべた。疲れたような笑みを

この件が一段落し、落ち着けば、世界の目も冷静さを取り戻す。そしてこの事件の顛末を根本から知ることになるだろう

そうなればおそらく、コウイチロウはA級戦犯という単語すら生ぬるいような戦疑を着せられることになる

いや、着せられるわけではない。それは実際に着ているのだから

クサカベの計画に便乗し、多数の被害が出ることを分かりきった上で自らの考えを執行した、ミスマルコウイチロウ

待っているのは死刑か、それとも幽閉か。だがどちらにしても、コウイチロウの起こした行動が後にどれだけの功績を残したとしても、そのために払った犠牲と、そしてその罪は逃れられるものではない

人類を間引く。クサカベは自分の行動をそう表現した。それは全く持って正しい表現だと思う

そこには同情の余地など欠片もない。自分は、裁かれなければならない

そうであることを、誰よりもコウイチロウ自身が望んでいるのだから

「アカツキ会長・・・・後は、お願いする」

その言葉に、ウインドウの向こうに映るアカツキが、ゆっくりと頷いた

それを見て、コウイチロウは笑う

表にすでに、車を待たせていた。自分はこれから然るべき場所へと赴き、そして今まで自分が行ってきたこと全てを洗いざらい告白する

おそらく、これから着ることがなくなるであろう軍服を、その飽きるほど袖を通した軍服を撫でる

ゆっくりと席を立ち、コウイチロウはもう一度だけ、アカツキへと顔を向けた

そして口元を緩やかに歪めると、ゆっくりと敬礼をした

その行動に、アカツキもそれに答えるように、小さく手を振る

二人にとって、それだけで十分だった

そのままコウイチロウは踵を返し、広い広い連合宇宙軍総司令室を歩き、入り口の扉へと手をかけた

そのときだった

『司令!!』

酷く慌てた様子のアキヤマゲンパチロウのウインドウが、ドアノブに手を掛けた体勢のコウイチロウの眼前に現れた

「・・・・どうした?」

そのアキヤマの様子に、コウイチロウが不審気に眉を寄せた

アキヤマは今、ユリカがナビゲートするボソンジャンプで火星へと跳んだ、宇宙軍、統合軍の連合軍を指揮している

敵の頭目であるクサカベハルキの死亡は、おそらくすでにアカツキの手によって彼の手元に届いているはずだ。そしておそらく、それは火星遺跡を占拠している、火星の後継者の軍にも

後は投降してくる敵艦隊の接収のみで片がつくはずのこんな状況で、このアキヤマが慌てるような事態など、一体なにがあるのか

そう考えるコウイチロウの目の前で、アキヤマは切迫した気持ちを隠しもせずに捲くし立てた

『突如出現した機動兵器が我が艦隊、及び火星の後継者の艦隊を無差別に攻撃しています!』

「・・・・なんだと?」







それは突然の出来事だった

当初の手筈通り、遺跡へ侵入していたアカツキからクサカベの死亡と、そしてその死体の映像が送られ、それを火星の後継者に突きつけた

言葉だけでは信用しなかっただろう彼らも、さすがに無加工の映像付きではその事実を認めざるおえず、まるで火の消えたように萎んだ彼らの空気から、すでに戦況は決していた

後は彼ら自身が降伏を認めれば、全てが終わるはずだった。事実、そのとき火星極冠遺跡上空は、そういう雰囲気になっていた

もうおしまいだという、一度ならず二度までもその夢を破られた火星の後継者の消沈した空気と、これで終わりなのだという、連合軍の安堵のような空気

だがそこに、その静寂に、一つの音が加わった

爆発の音、遠くから聞こえたその音は、その中に数十人、ひょっとしたら三桁に及ぶ人間の死が内包されているという事実など忘れてしまうほど、酷く呆気なく、小さな音だった

だが、呆けたように状況を見つめるその一団の中、弾かれたように動く人間も少数いた

それが、今現在再び展開したウインドウボールの中にいるホシノルリと、その下方に位置し、同じようにウインドウボールに包まれている、マキビハリだった

『皆さん、第一種警戒に移行してください』

いつもと同じように平淡な、しかしその内に僅かに焦りを秘めたその言葉に、ナデシコCの艦内と、連合軍、火星の後継者の艦隊全てが騒がしくなる

その中で、ルリは冷静にコンソールに手を滑らす。すでに火星の後継者のシステムは掌握している。これは彼らによる攻撃ではありえない。かといって、こちらからの攻撃とも思えない。第一グラビティーブラストを撃つとしたならば、その充填によるエネルギー反応を、オモイカネが見逃すはずがない

そう思い、ルリはブリッジに映るスクリーンを操作する

自分達の後方に展開している地球軍。その中で舞い上がっている黒煙の出所へと、遠望レンズを最大限にする

「っ!」

それを見て、ルリを始めとした、全てのブリッジクルーたちが息を呑んだ

そこに映っていたのは、立ち上る黒煙と、火星の白い大地と、青い空との境界に悠然と佇む、紅い機動兵器

夜天光の姿が、そこにあった

一瞬、手が止まる。死んだはずの亡霊、もしかしたら生きていたかもしれないと分かってはいた存在の出現に

そしてそのホンの一瞬の沈黙を埋めるように、火星宙域に存在する全ての軍人の目の前に、それは現れた

『御苦労、貴様ら』

特徴的なパイロットスーツにその身を包んだ、狂気の塊

歪んだ口と、見開いた瞳から、吐き気がするような殺意を乗せて

北辰は、口を開いた







「・・・・おやおや」

その、突如として現れた北辰のウインドウに、しかしアカツキは冷静だった

余裕の笑みすら浮かべ、目の前に浮かぶウインドウに試すような視線を送る

「今更出てきてどういうつもりだい? 北辰君」

『アカツキナガレか・・・・』

「僕なんかの名前をご存知とは光栄だね・・・・で? どういうつもりなんだい? 折角の御来訪には悪いんだけど、もう全部終わっちゃったよ?」

蔑むように、アカツキはそう告げる

すでに状況は、いかに優秀とはいえ、たかが機動兵器一機でどうこうなるような時点をとうの昔に過ぎている

今更北辰が出て来て、そして力の限り抵抗したところで、精々戦艦数隻を落とせるかどうか、その程度だ

「もう、君の出番も僕らの出番もお終いだよ。後は木星と地球の問題・・・・今さっき死体になった人曰く、人類の未来のお話だってさ」

肩を竦めるアカツキは、うんざりしたようにそう告げた

それは完全に、北辰を侮った態度だった。目の前の狂気に満ちた男を脅威として受け取っていない、アカツキの油断

そう、それは、油断だった

『・・・・そうか』

ウインドウの中、狂気が笑う

口元が歪め、目を見開き

右手を、ゆっくりと上げた

その手の中にある物は、ちっぽけでチンケな、どこにでもあるような、一つのボタンだった

それを見て、アカツキが不審そうに目を細める

そんなアカツキの態度を見て、北辰はあざ笑うように目線を、わかり易く移動した

アカツキの背後にある、遺跡演算ユニットへ

『貴様らには、本当に頭が下がる』

その、濁った瞳を正面から見据えた瞬間、アカツキの全身を冷たい空気が駆け巡った

まさか、という思いと、ひょっとしたら、という思いと

そして、冗談じゃないという思いが

『よもやあの状況からここまで盛り返し、あまつさえあの野心家の策をことごとく食い破るとはなあ』

即座にウインドウを叩きつけると、アカツキは叫んだ

『だがそれではつまらんだろう。だから我が用意してやったぞ』

間に合わないことなど、わかっているのに

「ルリ君、今すぐ攻撃を―――!」

『・・・遅い』

アカツキの叫びを遮る北辰の言葉、その言葉に笑みを一層深めると、なんの躊躇も躊躇いもなく

北辰は、そのボタンを、ゆっくりと押し込んだ

直後、アカツキの背後から光が生まれた

赤い光。胸糞の悪くなるような、不吉な光

冷や汗と脂汗が、同時に流れているような気分だった

振り返り、今すぐにでも状況を確かめたかった。だが、体が動かない

振り向けばそれは圧倒的な現実として、自分にのしかかってくるのだから

動けるはずが、なかった

だが、それすら無視し、背後から声が聞こえた

機械的な、電子音

『ハハハハ・・・・ハーハハハハハ!! 貴様らはどうにも面倒だな!? 人類! 木星! 地球! ボソンジャンプ! 遺跡! 火星! 地球人木星人! 統合軍宇宙軍! めんどくさい! 本当に面倒くさいなあ!? だから我が随分と簡単にしてやったぞ!』

『特別規定方法により、時限装置がセットされました』

『無駄な希望を持たないように忠告してやろう、時限装置を止めるには張られた何重ものプロテクトを突破せねばならん、やってみるか? 人形細工、間に合わんだろうがなあ!?』

そこには、月でアズマと戦った男、曲がりなりにも人間であった男はいなかった

喜びに身を打ち震えわせ、歪みきった口から壊れたスピーカーのように笑い声を飛ばすその様は、どう見てもまともには見えなかった

『さあ見せてみろ人類共! 正しい者が勝つのだろう!? 正義は勝つのだろう!? 自分の大切な物を守るのだろう!? だったら守れ、そして勝て、自分の限界を超える力を出して、我に打ち勝ってみろ!』

そして、夜天光はその身を躍らせた

笑いながら、楽しそうに

錫杖を振りかざし、近くにあった戦艦のブリッジへと突き刺した

爆発が起こる。巻き起こる爆炎と黒煙を背景に、夜天光が両手を広げた

それは、十字架のように見えた。いびつに歪んだ、十字架のように

『さあ・・・来るが良い。人間共よ』





『自爆シークエンス起動。遺跡演算ユニット爆発まで、残り三十分』














あとがき



終焉の銀河で絢爛舞踏を踊ってました



こんにちは、白鴉です

北辰さんはもう完全に人間をやめてしまったご様子です。っていうか全部ぶち壊しです

その内、URYYYとか叫びださないか心配ですが、まあ有りえないので大丈夫でしょう

さてさて、止めて欲しいのか、一緒に死んで欲しいのか





それでは次回で