第28話







IFS強化体質者として、自分は生を受けた

物心ついたときから優しい両親に囲まれ、何不自由なく育てられた

血が繋がっていないことは知っていた。だがそれに気付いていた自分にも、また同じように気付いてくれていた両親は、それでも顔色一つ変えず、優しかった

軍に入った後に出会った、自分の憧れの存在であるホシノルリ、そしてネルガルに保護されているらしい、ラピスラズリという少女

彼女達に比べれば、自分の育った環境、育ててくれた人たちがいかに素晴らしかったのか、よくわかる

不本意な人体実験も受けることなく、過酷な育児カリキュラムにも放り込まれなかった自分は、彼女達に比べてどれほど幸せだったのだろう

だがそれでも、それだからこそ、不意に思うことがある

自分の力の無さへの、悔やみ

幸せな者の傲慢だということは分かっている。なにも知らない子供の、浅い思慮だということも自覚している

だが、自分の大切な人達、自分の大好きな人達が危機に陥っている場面で、その想いはどうしようもなく自分のちっぽけな胸の中で、鎌首をもたげた

自分は、IFS強化体質者の中では、間違いなく下の下に属する程度の力しか持っていない

そして

自分も彼女達と同じような環境で育っていたならば、こんなときに無力を感じることなど、なかったのではないか

それはある種、侮辱にも似た考えだ。当人達の前では、絶対に言えることではない

だが、それでも時々、思うのだ

もっと、強ければ良かったのに

もっと自分に、力があれば、良かったのにと










機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 継がれた意志、繋がれた想い 』

 

 







青い空、抜けるようなその中、二つの点が対峙していた

片方は、血よりも紅く、闇よりも暗い色の機体

もう片方は、くすんだ灰色、みっともないほど薄汚れた、黒でも白でもない機体

『クク・・・』

声が響く

装甲服に身を包んだ北辰が、片目を大きく歪めたいびつな笑みで笑う

『大した啖呵だ、人形よ』

その口から漏れた言葉は、意外にも賞賛だった

『信じるか、久しく聞いていなかった言葉だな。それに度胸もあるようだ。このような状況でそんな言葉を口に出来る人間などそうはいまい』

次々と紡がれる、蔑みや侮辱とは無縁な言葉。だがその言葉にも、ハーリーは少しも喜ぶ気にはなれなかった

ウインドウ越しでも感じる異常なまでの殺気に、体の震えを必死に自らの内に押さえ込むことしか、出来ない

そしておそらくは北辰も、そんなハーリーの内心などお見通しなのだろう。だからこその、余裕、油断とすら取れるような言葉で、遊んでいるのだ

暇つぶしだ。とでも言うように

この賞賛の言葉の裏には、身の程を知れという、明確な意思が込められている

だがだからこそ、退けなかった。背後にいるのは、アララギの率いる戦艦が一隻のみ。残りは全てナデシコCの周囲へと展開し、形だけの防衛を取っている

その戦艦全てが管制を切っているのは、ハーリーからでも確認が出来た。おそらくアララギやアキヤマがそうしてくれたのだろう

その事実を確認すると、ハーリーの身をさらに大きな震えが襲った

両肩にズッシリと、巨大な岩が圧し掛かっているように感じる

今間違いなく、彼らの全ての命が、自分に懸かっている

いや、それだけではない。自分がこの目の前の殺人狂を抑え切れなければ、今必死に遺跡の時限装置を解除しようとしているナデシコCも沈む

ここにいる人達全ての命だけではない

今自分には、この世界そのものが懸かっているのだ

『さて、長々と口上を垂れていても構わんが、残り時間も余りあるまい』

視界の中、悪趣味な程紅一色にその身を染め上げた機体が、構える

その手の中にある錫杖が、揺れる。聞こえるはずなどないのに、シャランという金属の擦れ合うような音が、自分の耳を穿つ

そして、それに合わせるように、ハーリーも自らが操るエステバリスの姿勢を落とした

両手を腰まで引き、格納されているイミディエットナイフに手を掛ける

その、戦闘の前動作だけでも、両者の差は明白だった

澱み一つなく構えた夜天光に対し、ハーリーの操るエステバリスの動きは、明らかにぎこちなかった。震えているようにすら見える

そしてそのとき、ハーリーの耳に、もう一つの音が届いた

それは間違いなく、自分の声

バカだなと自嘲する、もう一人の自分の声だ

弱気なのか冷静なのかわからないその声は、間違いなくハーリー自身の声だった

子供の出る幕では、すでに無いだろう

それは、語りかけてくる

研修校で特別に組まれた短期授業の中、自分がエステバリスに乗った時間が何時間、いや、何分ある

今からでも遅くはない。引き返せ、お前なんかが戦うより、後ろにいるプロの軍人達の方が何倍も良い仕事をする

結局お前は、目立ちたいだけなのだ。見て欲しいだけなんだ。自分の憧れのあの人に、死すら恐れず立ち向かっているように見える自分を。ゲキガンガーじゃあるまいし、勢いと思い込みだけで全て片付くなんて夢を見るな、餓鬼め

第一、時限装置のプロテクトは本当にそんなに強大だったか。自分の目には絶望的に見えても、あのホシノルリなら簡単にやってのけるのではないか、お前なんかとは、そもそも出来が違うのだから

その声を、どんなに意識の外に追い出そうとしても、そんな自分の囁きは止まらない

そして、その瞬間

一瞬前までは十分な間合いを取っていたはずの夜天光の姿が、ぶれた

「っ」

反応する。危険を察知した自分の本能が、脳へと命令を届けずほとんど反射とすら言えるレベルの速度でエステバリスのIFSに命令を伝えた

顔を庇う形で、両手をクロスさせる

そして

「づっ!」

生まれて初めて味わうほどの衝撃が、全身を襲った

視界が暗くなる。頭を打ったのか、それともモニターが焼きついているのか

目を動かせ、頭を休ませるな、とにかく動け、止まっていれば一瞬で死ぬぞ

スラスターを全力で吹かせる。進行方向など二の次だった

それは結果的に、エステバリスを全力で後退させることになる

そしてその偶然に、ハーリーは命を救われた

一瞬前までそのエステバリスのアサルトピットのあった空間を、夜天光の突き出した錫杖が掻き切ったのだ

右でも左でも、上でも下でもダメだった。偶然が生んだ後退という運が、ハーリーの命を首の皮一枚で繋げたのだ

『・・・ほう』

ウインドウの中、北辰が驚いたように目を見開く。かわされたことがよほど意外だったのだろう

狂気が、笑う

ゾッとした

自分は今ので、死んでいた。死ぬところだった

残り時間を見つめる。18分37秒

一分、あるかないか。あの男に対峙した時間は、たったそれだけだ

交戦した時間だけを見れば、一秒にも満たない。一秒で自分は、死にかけた

残り時間は18分37秒。1117秒

自分は後、何回死ぬのか

何度、死にかけるのか

ただ一度の体験だけでこれほど全身が震えるあの感覚を、自分は後何度味わうことになるのか

『今の一太刀をかわすか。中々に興味深いな、偶然か実力かは知らんが、なんにせよ面白い』

歯の根が、合わなくなった

かわせたのは、偶然以外の何者でもない。スラスターの設定が逆進になっていなければ、間違いなく今の一瞬で自分は死んでいた

上でも下でも、右でも左でも死んでいた、前進など論外だ

六分の、一

自分が助かったのは、ただの運だ

恐怖で真っ白になった頭の中、またあの声が聞こえる

ほら見ろ、所詮無理なのだ

次の攻撃もまた後退するか、否、あの男が同じ逃げ道を残すわけがない。今度はお前が後ろに引いても確実に仕留めてくるぞ。そもそもあの一撃自体、絶対に全力ではない。ただの遊びだ。遊びでお前は死ぬところだった

逃げろよ。誰も文句なんて言わない

体が動かない。今度こそ、外面を取り繕う余裕すらなかった

恐怖に引き攣った表情で、ハーリーは涙を流した。嗚咽すら漏れない、ガチガチと音を立てるのに忙しい歯は、そんな暇すらくれなかった

失禁しなかったのは、奇跡以外のなんでもなかった

泣きながら震え、恐怖に歯の根すら合わなくなったハーリーを見つめる北辰の目が、失望のそれに変わる

『ちっ』

他人の吐瀉物でも見たかのような不快そうな表情で舌打ちを打つと、北辰はその目に殺意を漲らせた

『やはり餓鬼か。口先以外なにも持っていなかったようだな』

蔑みの言葉に、反応する余裕もない

怖い、ただ怖い。目の前の男は、格が違う

逃げろよ

声が響く

逃げろよ

恐怖が全身を駆け巡る。爪先から太腿へ、太腿から腹へ

逃げろよ

腹から、喉へ

「・・・ひっ」

逃げろよ

悲鳴を上げる、一瞬前だった

『大丈夫か!』

視界が、暗闇に満ちる

それが、自分と北辰の間に割って入ろうとするアララギの戦艦の放ったグラビティーブラストだと理解するのに、数瞬の時間を要した

震える視界の中、三機のエステバリスが見える

アララギの戦艦から発進してきた物だ

『おい君! 大丈夫か!?』

目の前、アララギではない、初めて見る男の顔が浮かぶ

大丈夫です。そう言おうとしても、声が出ない

目も、瞬きもしていない。渇いてきた目がチクチクと痛むのに、瞬きが出来ない

訳がわからず悲鳴を漏らそうとしても、声が出ない。喉が張り付いたようになっている。ひょっとして自分の喉は潰れてしまっているのではないか

『くっ、ダメだ。パニックを起こしてる。収容する! お前達はその間時間を稼いでくれ!』

『了解!』

男の言葉に、さらに複数のウインドウが浮かんだ

一機のエステバリスが、自分の機体へと接近してくる

『おい、大丈夫か! 気をしっかり持て!』

肩を支えるように、接触された

軽い揺れ、小さな揺れがアサルトピットを揺らし、ハーリーを揺らした

『もう大丈夫だからな!』

大丈夫。その単語が、まるで引き金だったように、ハーリーの束縛を解いた

極度の緊張と恐怖の余り、呼吸すら忘れていたらしい。むせ返るような息苦しさが肺へと襲い掛かってくる

「うっ・・・」

激しく咳き込む。片手を口に当て身を折るハーリーに、男は変わらず声を掛けてくれた

『大丈夫か? 喋れるか?』

口に当てていた手を、離す。渇ききった口内のどこかを切ったのは、その手には僅かに血が滲んでいた

それを呆然と見つめた後、ハーリーは未だ痺れている頭で必死に答える

「は・・・・はい」

『隊長、申し訳ありません! 脱出します!』

答えたその直後、通信から悲鳴のような声が木霊した

ビクリと震えて顔を向ける。その視線の先には

『のけ』

右手の錫杖の先にエステバリスの頭部を突き刺し、左手でもう一機、いまや動力も失ったのか、糸の切れた人形のようにダラリと四肢をぶらさげたエステバリスの頭部を鷲づかみにしている、夜天光の姿があった

その目が紅く、光る

『その人形を置いていけ。覚悟もなく戦場に赴き我の趣向を汚したそ奴は、我が殺す』

走る悪寒すら、もはや無かった

『くっ!』

軽い衝撃。呆然としているハーリーの前、立ちふさがるように男のエステバリスが浮かんでいる

『させるか!』

『のけと言っている!!』

動作は一つだけだった。たったそれだけで、大破した二機が稼いでくれた距離が、一瞬で零になる

呆けているハーリーの目の前、自分へと声を掛けてくれた男が、咄嗟に引き抜いたイミディエットナイフで北辰の錫杖を受け止める

だが土台、パワーが違う。均衡を作り出すことすら出来ず、男の操るエステバリスはあっという間に押し込まれた

『その命を張る覚悟は認めよう。しかし、張る相手を間違えるな』

北辰の視線が外れ、未だ朦朧とした意識をさまようハーリーへと向けられる

その様子に再び不快気に舌を鳴らすと、北辰は怒りに燃える表情で男を睨み付けた

『貴様が今守っている人形にそんな価値などないぞ』

だがその言葉に、北辰の、紛れもなく真実であるはずのその言葉に

それでも男は、その唇をゆがめて、笑った

『・・・・あるさ』

『戯言をっ』

『戯言で結構!』

その言葉に、ハーリーがビクリと反応する

『口先だけで十分さ。彼は俺達に、戦う理由を与えてくれた』

ギリギリと、錫杖が唸りを上げる。支えるナイフはすでに限界だ

不愉快だと全身で表現する北辰に限界まで押し込まれ、それでも男は、笑っている

その目が、不意に動いた。ハーリーへと

『君は逃げろ。生きるんだ』

そして、脂汗を浮かべながら、歯を噛み砕かんばかりに噛み締めながら

それでも男は、笑った

『覚悟を・・・・ありがとう』

ナイフが、砕けた

限界を超えた悲鳴を上げていた男のエステバリス。その両腕が下がる

それを受け、北辰は再び錫杖を掲げた

大上段。そこから一気に振り下ろすために、機体の質量全てを乗せる

そのとき、なぜか

ハーリーの頭に、これと良く似た光景が蘇った

無力な自分、呆然としている自分を、命を張って助けてくれている誰かの背中

その、記憶の中の情景とダブった背中が、振り返る

それは、見覚えのある顔

――― 「マキビさん」

忘れもしない。忘れるはずがない。自分の命を救ってくれた、あの男の顔

全身が、猛った

また無謀なことをするのか

声が聞こえる

まだ懲りないのか。これがお前の行動の答えだ。無責任な言葉の答えだ

そうだ

わかっているのに、また繰り返すのか。学習能力のない餓鬼が、お前は本当に救いようのない餓鬼だ

その通りだ

いい加減にしろ。お前のそれは子供の癇癪だ。壊すのは玩具だけにしろ、他人を巻き込むな。自分の部屋で一人で暴れてろ

嫌だ

なに

命を張ってくれた、人がいるのだ。目の前の男だけじゃない。自分を今日、今、ここに来させるために死んだ人が、他にもたくさんいるのだ

だったらいい加減気付け。お前の行動はその命を無駄にする行為だ。それ以外の何者でもない

それは違う

どう違う

自分は、命なんて賭けない。自分の命を賭けるのは、こんな奴相手にするときなんかじゃない。こんな糞野郎に賭ける命なんて、誰も持ち合わせちゃいない

現実を見ろ。命を張らずに勝てる相手か。それ以前にお前程度の命で仕留められるような相手じゃない。分をわきまえろ

それでも、自分は賭けない。もう誰にも賭けさせたりはしない

そこで確かに、ハーリーは聞いた

息が漏れるような音、小さな、笑みが零れる音を

そうか

聞こえた声は、笑っていた

なら、行けよ

「うわああああああ!」

ハーリーが、吼えた

全身で絶叫しながら、指が折れるほど力を込め、IFSに命じる

間に合わせろ、と

声が聞こえる

最後の、声が

――― 今度は、守れよ

そして、灰色のポンコツエステバリスは

それに答えた







誰もが、その予想される惨劇に耐えかね、反射的に目を閉じた

だがその中で、アララギだけが、白い手袋に隠された手を真っ白になるまで握り締めながら、見つめていた。自分の、義務だから

自分の指示で死ぬことになる部下の全てを見つめるのは、自分の義務だからだ

目を逸らさず、食い入るように見つめる

大上段に振りかざされた、夜天光の錫杖

その目の前に無防備に立ち尽くす、一機のエステバリス

結果など、誰もが確信していた。一太刀の元に真っ二つに両断されるエステバリス

その搭乗者の、死

だが

「・・・・強くなったな」

震える言葉で、アララギは呟いた

目の前のウインドウに向かって

「君は・・・・本当に」

感謝の念に両手を組む

ありがとう、と

「強くなった・・・!」

アララギの目の前にある、ウインドウ。その中に

両腕をぶら下げるエステバリスの正面に立ちはだかり

夜天光の振り下ろした錫杖を、両手でガッチリと掴んでいる

灰色のエステバリスの、姿があった







『・・・なんのつもりだ』

北辰の言葉に、ハーリーが震える

『人形。無様な真似はいい加減にしろ』

錫杖へと込められる力が、強くなった

受け止める両手の中、関節が軋みを上げながら下へと下がる

『半端な覚悟で戦場を汚しただけではあきたらず、この上まだ生き恥を晒すつもりか』

ウインドウに見えるハーリーは、俯いたままだ。その表情は影に隠れて見えない

『不愉快だ』

全力を、込めた

『もう、死ね』

夜天光とロクに調整も済んでいない量産型のエステバリスでは、土台そのものが違った

ネルガルがシェアの独占を奪い返した今、どこの艦隊にもどこの基地にもある有り触れたエステバリスと、ワンオフのカスタマイズ機、強襲型として開発された夜天光

装甲出力その他、全てが段違いだ

エステバリスが敵うことといえば、ディストーションフィールドの張れる範囲以外なにもありはしない

そんな夜天光の全力に、エステバリスが敵うはずがない

一瞬で錫杖を掴んでいたエステバリスの腕が、過負荷の重圧に耐えかねてへし折れる

だが、夜天光は力を緩めない。そのままさらに質量を上乗せし、エステバリスの頭部をひしゃげ、アサルトピットを両断する

だが、勢いは止まらない。そこで止まることすら不愉快だとでも言いたげに、エステバリスの機体を一挙に両断する

はずだった

だが

誰もが、息を呑んだ

『な・・・・に?』

そしてそれは、その攻撃を仕掛けた張本人である、北辰ですら、例外ではなかった

北辰の、初めて見せる呆然としたような視線の先

関節から煙を上げ、装甲をへこませ、限界以上のエネルギーを使っている証拠のアイカメラを爛々と光らせ

それでも、夜天光の全力に抗っている

エステバリスと、ハーリーがいた

「・・・・死ぬ、もんか」

俯いたまま、震えたまま、ハーリーが呟く

その彼の周りには、おびただしい数のウインドウが浮かんでいた

『頚部アクチュエーターリミッター解除』

――― 「アナタには、出来ることがある」

「・・・約束したんだ」

アオタという、男がいた

『腕部モーター回転数臨界点突破』

――― 「やらなければならないことがある」

「教えて、もらったんだ」

死ぬのを怖がり、恐怖して、震えながら

『冷却液温度上昇』

――― 「アナタ達の行く末がそうであることを、私は信じて、全てを託すんです」

「託して・・・もらったんだ」

それでも自分を助け、岩盤の塊に、押し潰された男がいた

IFS強化体質者だから出来た芸当だった

通常のIFSでは、機体を動かす操作が精々だ。どれだけ熟練したパイロットでも、その技術はあくまで機体を操縦するためだけに発揮される

だが、ハーリーの、正確にはIFS強化体質者が手に持つそれだけは、例外だった

掴んでいるIFSから、内部機構へと入り込み、ハーリーは解き放った

メカニズムへの負荷を考え設けられていた、全てのリミッターを、解除したのだ

俯けていた顔を、上げる

北辰の、目の前の狂人の顔を、今度は真正面から見据えた

恐怖は消えていない。今でも自分の体は震えている

怖い。逃げ出したい。そう叫びたい

だが、今度はその感情に、飲み込まれなどしなかった

退かない理由を、見つけたから

退けない理由が、あったから

『ジェネレーター出力臨界点突破』

「あの人が・・・死んだのは」

さらに、信じられないことが起きた

押さえ込まれていたエステバリス。夜天光の全力を受け、踏みとどまることだけが精一杯だったはずの、エステバリスが

徐々に、その両腕を、持ち上げ始めたのだ

――― 「だから、アナタは踏み越えていかなければいけない、私の死体を、そして私以外の、アナタ達のために散っていった命を踏み越えていかなければならない」

考えられない、事態だった

仕様書の数字の上では絶対に起こらない出来事が、そのとき確かに、起きていた

「こんなところで・・・・死ぬためなんかじゃない」

吐き出すように、言葉を漏らす

「アナタなんかに・・・殺されるためじゃない」

力を込めすぎた両手が、真っ白に染まる

だがそれでも、力を緩めなかった

『・・・・なんの話だ』

「僕の・・・話だ」

その言葉とハーリーの視線に、しかし北辰は揺るがない

『そうか・・・・死んだのか、貴様を逃がすために』

口元に笑みすら浮かべ、北辰は睨みつけてくるハーリーへと告げる

『どこの誰だか知らんが、下らん命の捨て方をしたものだなあ!?』

エステバリスの両腕に圧し掛かる重みが、さらに増した

夜天光のジェネレーターが、空へと垂直に掲げられる

だが

「下らなくなんか・・・・ない」

アオタの死を侮辱されても、ハーリーの胸に去来したのは、怒りなどではなかった

ハーリーの胸を過ぎった感情、それはただの、一言だった

理屈も理論も、糞喰らえだ

視線に力を込める。ウインドウの中で笑っている、糞野郎に

そして、その向こうに見える。アオタの幻影に

そう、これは幻影だ。死人はもう動かない。どこにもいない

死んだ人間を引っ張り出すような、無粋な真似なんてしない

だからこれは、幻影だ。本当の彼は今頃、眠っているのだから

きっと、多分、絶対、自分を信じて、穏やかに眠ってくれているのだから

「僕が・・・」

下らないなんて、言わせない

何故なら、この言葉は

あのとき泣きながら聞いた、彼の言葉は

幻影に、心の中で礼を言う

ありがとう、と

アナタのお陰で、戦える

アナタがいたから、戦える

幻が、笑った

『全リミッター解除完了』

「おおおおおおお!!」

絶叫

ちっぽけな体に宿る全ての力を振り絞るように、ハーリーは吼えた

そのとき、爆発的な力が生まれた

エステバリスに備え付けられた楔が、千切れ飛ぶ

『GO マキビハリ』

「僕が・・・・」

灰色のエステバリスが、考えられないような力で、夜天光の操る錫杖を

跳ね除けた

誰もが、我が目を疑った

だがその中で、ポンコツは動く

ミシミシと軋みを上げる腕を、跳ね上げたまま体の直上で組む

そう、下らないなんて言わせない

あのときあの場所で聞いた、あの言葉は

怖がりながら、恐怖に震えながら、それでも自分なんかの為に命を投げ出してくれた、あの偉大な男の言葉は

「僕が!!」

視界の中、幻影が笑う

そしてその口元が、小さく動いた

――― 「お行きなさい」

「僕がこの世で一番尊敬している人の言葉だ!!」

振り下ろされたエステバリスの両腕が

夜天光の脳天を、直撃した







――― お前達・・・・

地球

誰もが目の前のウインドウを食い入るように見つめるその中で、ツキオミもまた同じだった

――― 見ているか?

火星極冠遺跡で、クサカベ率いる大艦隊を鎮圧した

そう報告を聞いたとき、しかしツキオミの胸を突いたのは、達成感でも昂揚感でもなかった

それはただの、罪悪感

自分達が、自分の部下達が命を賭けて奪い返した、ナデシコC

それが実はただの囮であったことを知ったとき、ツキオミは耐えがたい罪悪感を感じた

確かに、ナデシコCがなければ、あのメグミ達の放送を行うことは出来なかった

だがそれでも、心の中にモヤモヤと渦巻く怒りを取ることは、出来ない

それは別に、ナデシコCを囮にする作戦を立案した人物達に向けられた物ではなかった

彼らの上司であった、指揮官であった、ツキオミ自身に向けられた、怒りだった

お偉いさんの、机の上の計算で死んだ彼ら

そして、それに気付けなかった。なにより、守ってやれなかった、自分

自分がもっと強ければ、彼らは死ななかった

自分がもっと聡明であれば、もっと違う道もあった

無力に対する罪の意識。ツキオミは自分を責めた

彼らの死は、無駄だったのではないかとすら、思った

だが

――― どうか

あの少年の叫びを聞いたとき、そんな想いは粉々に砕け散った

そんな考えなど、彼らにとって侮辱でしかないことが、良くわかった

無駄などでは、無かった

絶対に、無かった

――― どうか・・・・誇ってくれ

目の奥が熱くなる。流れそうになる物を必死に押さえつけて、ツキオミはウインドウを見つめる

――― お前達が救った・・・・一人の少年が

断言する

彼らは自分の、誇りだ

彼らは間違いなく、最高の部下達だ

ツキオミは、拳をゆっくりと握る

見ていてくれ、と思いながら

どうか、見届けてやってくれと、思いながら

――― お前達が救った・・・・一人の男が







――― 今、世界を救っているぞ








あとがき



まあ、残された人たち次第ってことで



こんにちは、白鴉です



ハーリー君総決算の回でした

ああ、一日が30時間くらいあればなあ・・・





それでは次回で