終わり無き旅



第十三話「ナデシコ 宇宙へ」









「ほいっ、整備完了!」


ガコン!


威勢の良い掛け声とともに、ミズキはスパナをツールボックスに放り込む。

油で汚れたツナギの袖で汗をふくと、額が黒く染まる。

「お、相変わらず早い・・・・・・くくっ」

「ん、どうしたアキト〜、私の顔になんか付いてる〜?」

「ああ、鏡でも見てくるんだな」

「・・・もしかしてまた油汚れ?」

「ああ」

まあ癖だから。ミズキは苦笑いしながらアキトに向かってそう言う。

だがいつもこんなことがあるのはミズキがわざわざツナギの色に黒を選んだからだったりもする。

おかげで他の整備班と見分けるのには苦労しないと一部の人々には好評だ。

「さてと・・・・よっと」

アキトはワイヤーフックに足をかけ、エステバリスのコクピットに潜り込む。

「ん・・・・電装系もよし、と」

「どんな感じかしら?遊びを少な目にして見たんだけど」

「そうだな。このぐらいで一度試してみよう」

IFSシステムで言うところの遊びとは、思考トレースを何処まで精密に行うか、ということだ。

これが少ないと、ほんの少し雑念を持つだけでエステが反応してしまうので素人はこれを多めに取る。

もちろん、雑多なノイズはコンピューターの方でカットしてくれるが、慣れていない者がIFSを使うと

意味不明のダンスを踊り始めてしまうこともあるそうだ。

巷ではこれを『初心者の宴』と称して楽しむらしい。

「・・・・・・このあたりは・・・」

「ね、アキト」

トーンダウンするミズキの声。

アキトの位置で聞こえるか聞こえないかの微妙な音量で、ミズキはアキトに話しかける。




「・・・・何だ?」

コクピットの座席の下に顔を突っ込みながらアキトは返事を返す。

ニューマシンなので、まだ座席の傾きが納得いかないらしい。

「・・・・本当は私もエステに乗れればよかったんだけど」

「無理は、するな」

「それは・・・・分かってるけどね」


ガキン


アキトは座席の固定レバーを引く。

無表情に、座席の傾きを調整する。

「・・・・・その分、お前にはナデシコの方を任せるんだ。ちゃんとフェアだろう」

「ま、そりゃあね」


ギッ


レバーを固定し、顔を上げて座席に座る。

「サユリもお前のことは頼りにしてるんだ。そんな顔するな」

「まだまだあの子も未熟なとこ、あるからねぇ・・・」

「そうだな」

「・・・・・・・・まだ、あの娘のこと引きずってる?」

ミズキの位置からはアキトは見えない。

六感を働かせ、アキトの存在を探ろうとする。

「この世界に戻ってきてから、お前はずいぶん喋るようになった」

「あんたが喋らない分私が代弁してやってるんでしょうが」

「・・・そうか」

ミズキはエステバリスの足元にアキトのいる位置に背を向けて座り込む。

なおも、アキトを探ろうとして・・・いいかげん諦めた。

アキトに格闘技を教えたのは月臣だったが、『戦闘術』を本能レベルで叩きこんだのはミズキだ。

戦うためでも、勝つためでもない、ただ純粋に生き残るための術。

すでに陰行術は、ミズキと同等までに達している。

そしてそれ以上に、アキトは存在が儚かった。

あまりにも希薄で、故に印象的で、そして弱く。

だからこそ、強くありつづけようとした。

そんなアキトを、ミズキはずっと見続けて来た。

多分、これからも。

「私はね、アキトの笑顔を見るのが辛い。何よりもね。だってそうでしょう?

 アキトから幸せを奪ったのは私。笑顔を奪ったのは私。

 きっと私がいなければ、アキトはまだあの世界でラーメンの屋台を引いてた」 

ミズキは左手で右腕を強く、強く掴む。

「・・・・それは、お前の責任じゃない」

アキトのその言葉に、ミズキはどれだけ救われ続けてきたことだろう。

ミズキのその存在が、アキトをどれだけ苦しめたことだろう。

全てを許してしまえば楽になれた。

しかしそれは最も許されざるべきこと。

「ありがと。でも、私がアキトにしたことは責任が無いだけで逃れられるものじゃない」

「・・・・・・・・・・」

ミズキは立ちあがり、アキトのいるコクピットを見上げる。

「つまんない愚痴になっちゃったわね。とにかく、私はね―――――」








「ア・キ・ト〜!」

ミズキの言葉が遮られる。

突如格納庫に響き渡る声。

周りを気にすることなく大声でアキトの名を叫ぶ人物はナデシコでもそういないだろう。

御存知、ナデシコ艦長ミスマルユリカだ。

する事も無く暇だった整備員も何事かとこちらに注目する。



「・・・・・お前はいちいち人の名前を叫ばないと気がすまないのか?」

アキトは、先程までの会話を微塵も感じさせずにユリカに声を掛ける。

「え〜、そんなこと言って、恥ずかしがらなくたって良いのにぃ〜」

もちろん、実年齢が三十代にもなって往来で自分の名前を叫ばれれば誰だって恥ずかしいのだろうが、そのことと

ユリカの認識は微妙にずれているので言っても分からない。

「それで、なんの用なんだ?」

「ふふ〜ん。どう?」

ユリカはくるりと一回転する。

「・・・・・それで?」

「それでって・・・・着物だよ着物!大和撫子フジヤマ芸者!」

そう、今ユリカは煌びやかな着物を着ていた。

普段は下ろしている髪もアップになっており、喋らなければ大和撫子で通用するのだろうが

生憎ユリカは食べる時と寝る時以外にアキトの前で口を閉ざすことはまれだった。

「フジヤマ芸者は違うと思うが・・・」

「んもうっ。せっかくユリカがこうやってアキトの為に着飾ってるんだよ?

 『綺麗だよ、ユリカ。食べちゃいたいぐらいさ』とか言ってよ〜」

頬を膨らまして怒る姿は年齢を考慮しなければ実にかわいらしい。

「ふう・・・・・」

昔からこいつはこんな奴だったろうか?とアキトは自分の記憶の中にあるユリカと

目の前にいるユリカを一致させようとする・・・・・・・・昔からこうだったかもしれない・・・。

それはともかく

(結局、ユリカはユリカだし、現状は変わらず・・・・か)


スタッ


「よっと・・・」

高さゆうに五メートルはあろうエステから、アキトは飛び降りる。

「チェック終了だ。シートが馴染むのに、少し時間が掛りそうなこと以外は何も問題無い」

「あったり前でしょう。誰に言ってんのよ」

勝ち誇るかのような表情を見せるミズキ。

そこに、先程アキトと二人で話していた時の悲痛な表情を見て取ることは出来ない。

「そうだな」

ミズキの返答に、僅かに顔を崩しながら答える。

「む〜」

そんな二人の会話に、ユリカは不満の呻き声でもって乱入を果たす。

その視線はミズキの方に向いていたが、当のミズキは気にした風でもない。

「・・・・どうした、ユリカ?」

「だれ、この人?」

どうやら、ミズキがアキトと会話するまでその存在に気が付かなかったようだ。

「知らないのか?」

ユリカは自分の頭の中にある艦員名簿から現れたミズキの情報を引き出す。

こういう芸当ができる辺りが天才と呼ばれる一因なのだろう。

「ああ、えっと・・・・・そう、副整備班長のタチバナさん」

「なんだ、分かってるじゃない艦長さん。で、何の用?」

ユリカがアキトに会いに来ていることを知っていながら、わざとミズキはそう尋ねる。

「えへへ。アキトに振袖姿を見てもらおうと思って」

が、そんな皮肉もユリカの前では無駄だった。

「そ。じゃあもう充分に堪能させたわね?ほら、連合軍総司令官と交渉するんでしょ。気難しい人物らしいけど

 頑張ってね、艦長」

「あ、ちょっとちょっと〜」

ミズキはユリカの背中を押して格納庫から出ていってしまった。






「ああああ、あの、ちょっと、タチバナさん?」

「ミズキでいいわ、艦長」

「じゃあミズキさん、そろそろ離してくれませんかぁ?」

格納庫を出た辺りから、ミズキはユリカの背中を押す形ではなく、逆に引きずっていた。

ユリカは必死に振りほどこうとするが、万力で止められたかのようにびくともしない。

「あ、ごめんなさいね」

ミズキがユリカを離す。

場所は、既にエレベーターの前まで来ていた。

「む〜」

「何か不満そうね艦長?相談なら乗ってあげるけど」

「ミズキさんって、アキトと知り合いなんですか?」

「気になる?」

ミズキは唇の端を歪める。

微笑しているのだが、ユリカには邪笑しているようにしか見えない。

「・・・・・ええ」

それが何故か叱られているようで・・・・・ユリカは上目使いにミズキを見る。

そんなユリカに、今度こそミズキは確かに笑い

「ただのパートナーよ」

と言って、踵を返して来た道を戻っていった。






「パートナー・・・・・」

一人残されたユリカは、ポツリとその言葉を呟き、立ち尽くす。

「そういえば・・・・・私、交渉のことミズキさんに言ったけか・・・・?」

しかし、今戻るのも間が悪いので渋々ブリッジへとユリカは足を向けた。






「ずいぶん強引だな」

「そ?まあ、それはともかくアキト、整備班の野郎供から嫉妬の視線を受けてるわよ」

「知ってる。非常に居心地が悪い、が、お前はどうするつもりも無いんだろう」

「当然」

さっきのユリカの襲来の所為で、現在アキトは整備班の殺気の混じった視線をびしびし受けている。

というのも、ミズキは整備班唯一の女性であり、その容姿と相成って半ばアイドルと化していた。

そのミズキと、親しげに話している(様に見える)アキトが、更にユリカをもてあそんでいる(様に見える)のだから

男達にとって面白くない。いわゆる両手に花の状態は男なら誰しも(かなり誤解)憧れるものだ。実際そうなりたいかは別として。

アキト本人にしてみれば、今さらユリカに対してどうこうするつもりも無いが、そんな事情など整備班が汲み取ってくれるはずが無い。

「やれやれ、別にどうって事無いが・・・居続ける理由も無いし食堂に顔出してくる」

「おう!」

明らかに楽しんでいる笑顔を見せて、ミズキはアキトを見送る。









「・・・・・・・」

ミズキの位置からアキトが見えなくなると、ミズキの表情が途端に暗くなる。

丁度、整備班が居る方とは逆の方向に向いていたので、誰にも見られてはいない。

もちろん、意識してのことだが。

「・・・・・・・・・・・・ナデシコ、か。私には、少し明るすぎる場所ね・・・・・・だけど」

ミズキは誰にも聞こえない声でそう呟くと、整備班が群がっている方に向かって叫ぶ。





「ほら!なぁにぼさっとしてんの!!!まだ相転移エンジンの最終チェックが残ってんでしょうがぁ!!!」

「ええ〜!?今からやるんすかぁ?」

整備員の一人が不服の声を上げる。

「あったりまえでしょう!ほら、行くわよ!!!!」

しかし、そんな声など意にも介さずエンジンブロックへとミズキは歩き出す。

整備員も、ミズキのその姿を見て慌てて準備する。

なんだかんだいっても、やはり言うことは聞くらしい。

「待ってくださいよ副班長〜!」









(だけど、いつか・・・・このナデシコを降りるその時まで・・・・・・。アキトの居場所は私が守る・・・・・)






それは、確かな決意。 

















後書き

藍染児:なんだか中途半端な終わり方・・・・。
ミズキ:ネタ尽きた?
藍:いや、あるにはあるんだけどねえ・・・・今ここで無理に消費するようなネタじゃないし・・・・。
  しばらくはこんな調子が続くかも。
ミ:いっそのこと書き方変えてみれば?
藍:そうするか・・・・・。

 

 

代理人の感想

インターミッションっぽい話でした。

それにしてもミズキって意外な事に思考回路がアキトそっくりなんですね。

自分の責任を悩んでウジウジする所が(爆)。