目の前に、見覚えのある景色が広がる。

ああ………また、この夢。






いい加減気付いている。

私がこの夢の束縛から逃れられない訳が。


私はあまりに無力だった。

私一人ではどうしようもなかった。


そんなことを言い訳に、私は今の自分を放棄している。

自分の未来という可能性を、否定している。

それでも、それでも止めることは叶わない。


目の前を埋め尽くす光。

本来私に降りかかるはずのもの。


最近頻繁にこの夢を見るのは、やはり火星に近づいているからだろうか。



何か……………違う。

けれど、それが何なのかを知る術は今の私には無い。







夢の終わり。

意識は覚醒へと進んでいる。


まだ…………見ていたかったのだけれど。









ああ…………夢が終わる。


















終わり無き旅

第二十話「運命はかくも奇なるもの、心はまるで解せぬもの」










「……………ふむ、起きたようだな」

覚醒してから初めて聞く声。

しゃがれた老人のような声だが、実際そうなのかしもれない。



「ああ、無理せんほうがいい。まだ動ける体じゃないんじゃからな」

私が体を起き上がらせようとすると、その老人は声のみで私を制止する。

もっとも、仮にその老人が止めに入らずとも私は動けなかっただろう。

なぜなら、筋肉を動かそうとした瞬間体中に激痛が走ったのだから。

何故自分がこんな状況にあるのか記憶が混乱しているのか良く思い出せない。

仕方なく先程から私に話しかけている老人に尋ねようとしたところで、私はもう一つの異変に気付いた。

「ん?ああ………もしかして、声が出ないことか」

察しが良いのか、老人は私の疑問を口にする。

何故………。


「もしかして覚えておらんのか?お前さん…作戦中に機体を敵に撃墜されて瀕死寸前じゃったんじゃ。

 ま、ワシも聞いただけじゃから詳しくは知らんが、少なくともここに担ぎ込まれた時点ではそうじゃった。

 どうせお前さんもワシもすることはないし詳しい話を聞くか?」

…この老人は私が声を発することができないと知っていてどうやって返答しろというのだろう。

頷こうにも、体が痛くてできやしない。

「まず…自己紹介といこうか。そうそう、気付いておるかもしれんが目も見えんからな、無理に開けようとするなよ。

 傷口が開くからの」

……言われて気付いた。

「ワシはナデシコ医療班班長ビスケット・ヨートンじゃ。周りからはビスケ爺さんと呼ばれておる。

 お主も好きなように呼んだらいい」

お菓子みたいな名前だ。別に卑下しているわけではないのだが。

「そうじゃなあ…まずはお前さんの容態から説明しておこうか。

 結論から言えば、全治一ヶ月じゃ。現代医療技術に感謝するんじゃなあ。

 右足首は綺麗に折れとったが、右鎖骨はちょいといっちまったでな。人口骨で補強しといた…かまわんよな?

 まあぶっちゃけた話一番酷かったのは火傷じゃ。ちなみにお前さんの目と喉がやられとるのはその所為じゃて。

 人工培養皮膚のおかげで何とか大事には至らんかったが…まあ本当に運がいい。

 ミサイルの直撃を食らって重度の火傷ですんだんじゃからなぁ」

ミサイルの直撃?

だとしたら運がいいどころの話ではない。まさに奇跡だ。

「火星に着くまでにはなんとか治るじゃろ…………んん?お、アキトじゃないか。お嬢ちゃんの様子を見に来たのか?」

………ドアが開く音が聞こえなかったけれども、耳もやはりある程度はやられているのだろうか。

「……たいだな………だ」

テンカワの声が掠れて聞こえる。

何か言っている事だけは分かるのだが、その内容まで聞き取る事ができない。

「ま………だが………い丈夫か?イツキ」

声が近くなるとハッキリと聞き取ることができた。

「今、嬢ちゃんは体を動かすことも声も出すことも辛いじゃろうて。無理に返事を求めるなや」

じゃあさっきの問いかけは分かっててしたってことですか。

「そうか。まあ一応伝えておこう。現在ナデシコは火星に向けて順調に航行中。このまま行けばあと一月ちょっとで到着する予定だ」

一月と少し………この怪我が治るか微妙なところですね。

無理を押せばなんとかなるでしょうけど…。

「とりあえずはヤマダも復帰したし、ゆっくり養生するんだな。それだけだ」

テンカワの靴の擦れる音が聞こえて、それが遠ざかろうとしているのだと分かると、私は反射的に言葉を発しようとしていた。

「ま…………て…………デ………カ……ワ………」

「ほう!お嬢ちゃん、無理はせんほうがいい!傷が開くぞい!」

ビスケ爺さんの制止の声も聞かず、私はそのまま続ける。

「あの………とぎ………ど………やげああああ!!!」

突然、喉の奥が燃えるように熱くなる。

その痛みに耐え切れずに私は叫び声を上げるが、そのせいで更に傷口が傷むという悪循環に落ちいていた。

「言わんこっちゃない!それ、大人しくせんかぁ」

首の付け根に微かな痛みが走ったかと思うと、痛みはすぐに引いていった。

大方麻酔でもしたのだろう。

「テ………ワ…………」





「……………何か聞きたいのなら、早く傷を治すんだな」








その言葉を最後に、私の意識は途絶えた。


































バチ……バチバチッ


エステバリスは、既にその活動の限界を通り越しいつ爆発してもおかしくない状況だった。

機体に見切りをつけたアキトは、気絶しているイツキに気密服を着せた後自分もヘッドギアをかぶりアサルトピットを

脱出する。


ドォン!!!

アキトがイツキを抱えて脱出した数秒後、アキトのエステはけたたましい爆音と共に残骸へと変貌していった。

その爆風に巻き込まれたアキトは吹き飛ばされるが、何てこと無いように爆発の流れに身を任せて受身を取る。



(……短い間だったが、世話になった)

熱を持って僅かに赤くなっている残骸に向かい、アキトは感謝の意を示す。





現在、アキトはチューリップの中にいる。

チューリップ、とは名ばかりで実際には敵をこの場所に引き込むためのトラップに過ぎない。

故に活動もしていなければ空間歪曲も起こっていない。

ただ広い空間がそこにあるだけだった。


(…酸素はあと二十分しか持たないな…)

ヘッドギアに内蔵された循環器の残量を確認する。

イツキに関しては気絶しているので酸素自体は相当持つだろう。

ただ、全身が酷い火傷だった。確認はできないが骨も何本かは、いってしまっているだろう。

応急手当をしようにも道具が無い。

(困ったな……)

どうにか状況を打開する方法を考えるが、体一つでは何もできない。

(救助が一秒でも早く駆けつけてくれることを祈るだけ……か)

今はそれしかできない。

それが、アキトには歯痒かった。










それまでの深闇に光が差し込む。

アキトが壊したチューリップの穴から赤いエステバリスの姿が見えたとき、ようやくアキトは安心したのか

イツキと同様意識を閉じた。




































「お〜い、アキト〜やっほ〜いいかげん起きないとひっぱたくよ〜。アキト〜?」

自分の名を呼ぶ声でアキトは目を覚ます。

「喧しい…静かにしてくれ…」

「何言ってんの。あれぐらいで気絶しちゃって、情けない」

案の定というか何と言うか、自分が寝かせられていたベッドの脇にいたのはミズキだった。

何故か振り上げた右手には黒いスパナを握っていたが、アキトはそれを意識から除外した。

「や〜、流石の私も今回ばかりは少し焦ったわ」

「少しなのか…」

自分があれほど苦労したというのに、少しで済ませてしまう。

そんなミズキに少し呆れるが、何を言っても無駄というのは長い付き合いの中で嫌というほど分かっている。

「で、どれくらい眠ってたんだ?」

「五分」

「…………………」

どこか理不尽なものを感じたような気がしないでもないが、それを気にしたらきっと負けなのだろう。

「イツキは?」

「手術中よ。ま、命に別状はなさそうだったしとりあえず生きてはいるようだけど」

生きている、というだけで五体満足かどうかはまだ分からないということだろう。

「とりあえずブリッジに行くか…」

「あ、私も行くわ」













「あ、アキトーーーーーーーーー!」

ブリッジに入るなり、突っ込んできたのはユリカだった。

アキトは半身をずらしてそれを避ける。

ユリカはバランスを崩して危うく倒れそうになるが、どうにか取り直す。

「え〜んアキトォ…」

まるで子供のように目に涙を浮かべ悲しがる。

艦長としての威厳は既に消えうせているのかブリッジクルーの誰もがそれを気に止めてはいないようだった。

「はいはい艦長。お遊びはそれぐらいになさって…早速ですがテンカワさん。先程の戦闘について答えてもらいます」

「ああ、こちらも元よりそのつもりだ」

てっきりはぐらかされると思っていたのか、プロスはメガネをきらりと光らせる。

その下で眼光が鋭くアキトを貫いているのは言うまでもない。

「ふむ…そちらで何があったかは分かりませんが、こちらでは重力場を感知いたしました。

 そしてその後にあれだけの熱源反応が一斉に消えた。……一体どうやって?」

「グラビティ・ボムだ」

「「「「「グラビティ・ボム?」」」」」

「簡単に言えばそのままグラビティブラストを爆弾にしたようなものよ」

「ミズキさん…あなたご存知で?」

「だって私が作ったものだし」

「ほう……いつの間に?」

「そんな怖い顔しなくたってちゃんと職務はやってるわ。暇な時に片手間で作った物よ」

手をひらひらさせながら、ミズキはプロスの視線をさらりとかわす。

「ちなみに費用はどこから」

「あ〜………まあ、その、あれね。うん。やっぱり人間心が広いことが肝心だと思わない?」

明後日の方向を向いてミズキは白々しく言う。

「企業としては責任の所在を明確にすることも肝心ですなぁ」

「……………………」

「……………………」








「減棒?」


「はい」



ミズキ惨敗。















「他に聞きたいことは」


プシュッ


「テンカワ!気がついたって医療班の爺さんに聞いた…んだ……が…」



「あ〜リョーコ、何かタイミング悪いよ私たち…」



「まったくね…」

アキトへの質疑の最中に乱入してきたリョーコ達は苦笑いを浮かべながらブリッジの端っこへと下がる。






「あ、私たちの事はお気になさらずどうぞ〜」

流石のヒカルも場の雰囲気を感じ取ったのか、先を促そうとする。

「コホンッ…とにかく!現在手術中のカザマさんも含め今回エステバリス部隊は甚大な被害を受けました!

 まったく…ネルガルとて無尽蔵に資金を提供できるわけえではないんですから大切に扱ってくださいよ…。

 まぁしかしながら、今回の敵の規模から考えればエステバリス部隊は善戦したといっていいでしょう。

 ナデシコそのものにも被害は出ませんでしたしこれ以上の追求は野暮というもの」

プロスの話の方向が、それとなく明るめの方向で纏まりかけようとしているのに気付いたのか

クルーは幾分表情が明るくなる。



「ただし!艦長だけは別です!!!」

「へ?私?」

「そうですとも。艦長ともあろうものが戦闘中に失神するとは情けない…。

 これが軍だったら即降格です」

「あ、あはははははははは……」

笑って誤魔化すユリカ。もちろん通じてるなど思っていないが。

「そそそ、それでは皆さん!ナデシコはこれより進路を火星へと向けて一直線です!

 今回の戦闘の反省点を踏まえ、よりいっそう気を引き締めて職務に当たりましょう!!!」

まあ当然のことながらユリカのそのセリフに説得力は皆無だった。













「あっははははは〜…減棒かぁ。まあ誤魔化した代償にしては安いもんね」

格納庫へと続く通路にミズキとアキトは並んで歩いていた。

「あと何個残ってる?」

「元がコストパフォーマンス最悪のグラビティブレッドだからね、あと二個。

 ネラには悪いことしちゃったわねえ。

 無断で持ち出しておまけにバラして別のもんに作り変えちゃったんだから。

 とはいえ専用の砲身が拉げて使いもんにならない以上これ以外方法が無かったんだけどさ」

「ネラが目覚めたらまた作ってもらえばいい。

 本音を言うならもうアレは使いたくないけどな」

「は…は。ま、確かに洒落になんないものではあるけど。

 ただ欠点としては機動兵器に搭載する場合搭載弾数が著しく限定されるのと

 製造に時間とお金が途方も無く無駄に掛かるってとこ…………お?」

分岐路に差し掛かったところでミズキが格納庫へ続く道とは別の方へと視線を向ける。

見ると、丁度手術が終わったのか何人かの看護士と医師が手術室から出てくるところだった。

「…聞いてみる?」

その問いかけに答えることなく、アキトは白髪を生やした老医師へと足を向けていた。



「やれやれ………な〜んか妬けちゃうなぁ。ま、別にいいけどさ」

(それにしても…何故アキトはイツキちゃんにこだわるのかしら…。

 同僚って以外にも何かあるみたいだけど……………)

頭を掻きながら小声でぼやき、アキトの真意を推察するも結果が伴わず、肩を竦めながらミズキもアキトの後を追った。




「手術は成功したのか?」

「んん?おお…お前さん、確かパイロットの…アキトとかいったか。もう目覚めたんじゃな」

その医師はアキトの姿を見てそう言った。

医師は立ち止まったが、他の人間は老医師に軽く挨拶をしてその場を去っていった。

アキトは軽く気配を探るが、どうやら中にまだ人が残っているらしい。

それが成功を意味するのか失敗を意味するのかはアキトには分からない。

「まあな。で、手術は?」

「ワシが失敗なぞするものか、もちろん成功じゃて。あと三日もすれば目覚めるじゃろ。

 …気になるようじゃったら、嬢ちゃんが目覚めたら連絡してやるが」

「いや、いい」

「…そうか?」

意外にそっけないアキトを一瞬訝しがるが、確認程度なのかもしれない。

「それはともかく、丈夫な体じゃなあ。お前さんも嬢ちゃんほどではないとはいえ火傷しておったというに。

 それとも………後ろの連れの愛の力のおかげか?」

含み笑いをしながらそう言ってきた老医師の言葉に合わせてアキトに後ろから誰かが抱きつく。

誰か、とはいうものの一人しかいないのだけれども。

「やあねえ、センセ。そんなの当然でしょ」

こちらも含み笑いをしつつ、アキトの肩に腕を回し、右肩から顔を見せるミズキ。

アキトは少し嫌な顔をしていたが特に振り払うわけでもない。

こういう時のミズキは何を言っても無駄なのだ。

「私の深宇宙より深〜くて広〜いがアキトに奇跡を呼んだのよ。特急便で」

奇跡はどこかから運ばれてくるものなのか、というアキトの心の突っ込みは余韻を残しつつ消え去った。

「ほっほっほ…面白い嬢ちゃんじゃな」

「ありがと。じゃあそろそろアキト、格納庫に行きましょ」

「そうだな。それじゃあこれで」











「ま、詰まる所…二機共々ぶっ壊れちまったもんだから新品を出してくるしかねえってわけだ。以上、説明終わり」

ま、詰まる所…ウリバタケは怒っていた。


「ご立腹ねえ、班長」

「当たり前だ!俺の大事なエステちゃんたちを傷つけるどころか修復不可能なほどにぼろっぼろにしやがってえ!!!

 お前ら二人の機体はただのチューンナップじゃ無かったんだからな!?

 同じもん作るのに一体どれだけ手間が掛かると思ってんだ!!!」

当然といえば当然のように、予備の機体にはコードの一本さえ改造されていない。

そこからまた二人が使っていた機体と同じものに仕上げるのには相当の手間暇が掛かる。

木星蜥蜴の襲来がいつあるか分からない以上、ウリバタケたち整備班は当分徹夜の日々が続くのだ。

怒るのも無理はないだろう。

「私は平気だけど」

「一週間寝ずに整備できるお前と比べるな」

「あらら」









「でも実はアキトの機体に関してはすぐに出来るかもしれないんだけど?」

「なんだ、どういうことだ」

「んん〜ほら、アキトの機体って元がテスト機でしょう。万が一のことも考えてちゃんとチューンナップ済みの

 予備機体が一機あるのよ」

「おいおい…テンカワの機体自体元が予備だろう。いつやったんだ?」

「秘密」

まさか、元からアキトが搭乗する予定だったとは言えない。

そもそもテスト機という建前だが、実際はただのカスタム機だ。

パーツも流用できるものを使用している。

一機余分に準備するのも大して変わりはしない。

「そういえば、ヤマダは?」

ミズキのその言葉に、そういえば医務室にガイの姿が無かったことを思い出す。

しかし、ブリッジでも見かけなかったのに一体どこに居るというのだろう。

「あん?あいつならあそこだ」

ウリバタケが指差すその先を視線で辿っていくミズキとアキト。




「「…コンテナ?」」



口をそろえて発したその言葉は、見たそのままを表現していた。

少なくとも常人にはそこにはコンテナがどんと置かれているようにしか見えない。

「あれって八番コンテナよねぇ…確かアレには不要になったパーツが詰められてたはずだけど」

口元に人差し指を軽く当てるミズキに、似合わないな…とアキトは思いつつも『不要』という部分が妙に引っかかった。

「ああ」

「ミズキ…一体ガイはいつ目覚めたんだ?」

「ん?ああ…さっきの戦闘の真っ只中よ。いきなり格納庫に押しかけてきたと思ったら

 味方のピンチに駆けつける〜とかなんとか言ってたんで、とりあえず伸したんだけど」

「とりあえず……か」

彼女にとってそのときの事態は些末事にすぎなかったらしい。

「んじゃあ、とりあえず出して上げましょっか」

特に深い思慮も無く、さらりと解放を決める。

八番コンテナに近寄ると端末よりの操作でコンテナを開ける。


バシュッ


軽い圧搾空気の音。

僅かに影になって中の様子はハッキリとは確認できない。

が。









「怖いよ〜………暗いの怖いよぉ…………助けて〜……」













「……………呻き声が聞こえるな」

「ええ」

「だな」

コンテナの奥から微かに聞こえてくる、おそらくはガイのものであろうその呻き声に

アキトは何となくこの場を去りたくなった。

しかし、仮にも、一応、紛いなりにも、書類上でも、電子データ上でも、最後の最後に微かな良心から同僚であるガイを

サルベージしてみようと試みる。ちなみに二度目はない。

「邪魔なものが多いな…」

「あ〜…アキトとイツキちゃんのエステの残骸全部ここに詰めたから」

「…………………………………そうか」

つまり、ガイを放り込んだ後に、という意味であり。

ミズキの答えに背筋につつっと冷や汗が流れるのを感じながら、アキトは残骸を取り除きに掛かった。




「ああ、散らかしたものはちゃんと片付けてね?」

この上なくにこやかに微笑みながら言ってのけたミズキに、これまた長い沈黙の後肯定する。

とりあえずそれだけ言いたかったのか、ミズキとウリバタケはさっさと他の整備班が慌しく走り回る方へと歩いていった。

手伝う気は露ほどもないらしい。



「誰かあ〜〜〜…………」


少しの間ミズキとウリバタケの後姿を見ていたアキトは、まるで地獄の底から捻り出すような呻き声に引きながら

それでも残骸を取り除く作業を再度実行し始めた。


この後、五分ほど掛かって発掘されたガイは、それ程長い時間詰められていたわけでもないというのに

その姿はまるで一週間飲まず食わずで雪山を彷徨った遭難者のようであったとか…。





















と、いうのが今を遡る事四週間前の出来事であり、イツキが目覚めたのは医療班班長の言葉通りそれから三日後のことだ。

例によって様子見程度の木星蜥蜴の攻撃は、ナデシコにさしたる被害を出すことも無く航行は順調だった。

もちろん、ナデシコの一癖も二癖もあるクルー達が日々平穏に過ごす訳も無く、ウリバタケ陣営とミズキ陣営に別れての

ロボットバトルや、食堂においてのダイゴウジガイ(自称)主催ゲキガンガー連続放送だの、某人物による女性ブリッジクルー

のフィギュア闇マーケット発覚事件だの…まあそれなりに毎日忙しかった。

これらは程度の差こそあれ等しく士気高揚の役目を果たしており、先の手痛いしっぺ返しを食らった先の戦闘の穴埋めのためにも

プロスペクター以下管理職連中は黙認していた。


とはいえ、いつの世も予想外の事態というのは往々にして存在するものだ。
















「おし……それじゃあ外すぞ?」


しゅるしゅると、包帯の衣擦れの音が静寂に包まれている医務室に微かな喧騒を与える。

外された包帯の下からは閉じられた瞼が現れ、そしてゆっくりと開かれる。

「…どうじゃ?」

老人の言葉に何度か軽く瞬くと、良好の意を伝えるため正面を向きながら軽く頷く。

「そうか。まあ一応完治したとはいえ無理は禁物じゃぞ。今日一日は此処で安静にしておれ」

ビスケは、患者が自分の手元から離れるときに言うお決まりのセリフを吐く。

もっとも、否定するようなことでもないが。

「ありがとう」

軽い、それでも彼女のそうそう聞けるものではない感謝の意は、その貴重さを知らぬ医務室の主には

所謂一種の社交辞令にしか聞こえていなかった。


プシュッ

圧搾空気の音と供に医務室に侵入を果たしたのは、カザマイツキ目下の憎悪対象であるテンカワアキトだった。

だが、イツキの表情はいつも通り無表情ではあったものの、その裏の負の感情は読み取ることがかなわない。

「?………雰囲気が変わったな。まあ…それはともかく完治おめでとう」

「貴方に言われるのは皮肉以外の何物でもありませんね」

同じ状況下に放り出されながら、片や僅か一時間にも満たぬ気絶、片や全治一ヶ月の重症である。

しかし、辛辣な筈のそのセリフにも、特にこれといった剥き出し感情がアキトには伝わらない。

(まさか一ヶ月の医務室生活で毒気を抜かれたとかそういうわけでもないだろう?)

自問自答。ただ、問いはあり得ないと思っていたことだが。

「…何かあったのか?」

「…………あの時の戦闘のことは聞き及んでいます。何故、あの時私を助けたんですか」

「同僚を助けるのは当然だろう?」


二人の会話に、自分が蚊帳の外であることを感じ取ったビスケは、何も言わずに医務室から退散する。

ここの主は自分なんじゃがなあと嘆きながら。



「……ますます分かりません。貴方の目的は一体何なんですか?

 実力を隠したいにもかかわらず、態々それに匹敵する兵器の存在を露呈させる必要もないでしょう。

 あの時、その気になれば貴方は一人で脱出することも可能だったはず。

 私の存在が、貴方の事情を上回る価値を持つとは考えられません」

戦闘中はそこまで頭が回らなかったが、よくよく考えてみればトラップの存在を予見していたアキトが

あの状況で何の手段も講じないというのはおかしな話だ。

確かに敵個体数は想像を遥かに上回る量だったが、所詮それだけだ。

敵個体数に左右されるような予防策を、目の前のこの男が立てるとはイツキにはどうしても思えない。

「……ふう。もしかしてここにいる間ずっとそんなことを考えていたのか?」

「怪我人は暇なんです」

間接的に、そうだと言っているイツキにアキトは軽く嘆息する。

(ミズキだったら…こんな時でも軽くかわすんだろうな…)

自分のパートナーたる黒い女性を思いながら、アキトは常套手段に打って出た。

「……それじゃあ、俺はこれで」

「何か聞きたいことがあったら怪我を治せといったのは貴方です」

「………………」

逃走するために、足を入り口に向けようとしたところでイツキの一言で阻止される。

人はこれを自業自得という。



「………………」



「…………さあ」



「………………」


「…………さあ」


「………………」


「…………さあ」



一定間隔を保ちながらしつこく問い詰めようとするイツキに、この状況を打開する案を頭の中で何百通りもシュミレートする。

だが一向にそれらが実を結ぶことは無い。

諦めかけたところで、アキトに一人の天使が舞い降りた。









「こんにちわ〜ナデシコ食堂です」

「サ、サユリ」

「あれ、アキトさん。居たんですか」

思いがけぬ乱入者に密かにアキトは感謝しつつ、これで追及の手を逃れられたと確信した。

事実、イツキはアキトからサユリへとその意識を移していた。

さすがに事情を知らない(とイツキは思っている)者の前で追求する気はないらしい。

「はい、今日のご注文の海鮮西洋餃子ピリ辛ソースセットです。

 出前の方は今回で終わりになるんですよね?」

「ええ」

イツキは短くそう答えると、目の前にあるご馳走へと手を伸ばし始めた。








「貸し一つ、です」

「すまないな」

サユリの協力により医務室からの脱出を成功させたアキトは、そのまま食堂へと向かう。

元々短い休憩の合間を縫ってイツキに会いに来たのだ。

「それにしても、何故ここまでイツキさんを気にかけるんですか?

 最初のシミュレーションだって、態々オモイカネの力を借りてあんな人を小馬鹿にするようなことまでして」

図らずとも、某副整備班長と同様の疑問をアキトに投げかける。

「…やっぱりそう見えるか」

「ええ、とても」

「同僚っていうのが一つ、目的のためっていうのも一つ」

「…まだある、と?」

「……………許されないんだよ」

「?」

もしこのとき、後数分時間があればアキトの口から残りの理由が語られただろう。

だが、生憎と予定通りの予想外の事態がそれを阻止した。



『我々はーーーーーーー!!!断固!抗議するーーーーーーーーーーー!!!』














「はあ……で、何が不満なんですか?」

被抗議側代表ミスマルユリカは、抗議側代表のウリバタケセイヤに問いかける。

ちなみにブリッジの様子は全クルーに問答無用で送り届けられている。

「だから!この契約書のいっちばああああああああああああああああん下のここ!!ここを見てみろ!!!」

ウリバタケが指し示す場所には、印刷技術を結集したかのような微小文字が書かれている。

正直何故紙一枚にこの契約内容を収める必要があったのか不思議でならないが、とにかく契約書の最下段には

男女の交際についての項が記されていた。

曰く、『男女の交際は手を繋ぐまで』とのこと。

「わ、小さい」

その内容にではなく、その文字の小ささに控えめに驚くユリカ。

しかし、興奮したウリバタケはユリカの反応を気にすることも無く抗議を続ける。

「おて手繋いで〜ってな!保育園じゃねえんだぞ!?」

ウリバタケは隣にいるミズキの手と繋いで手を前後に振る。

ミズキは明後日の方向を見ながら一応それに応じてはいる。

応じてはいるのだが、その表情は思いっきり嫌がっていた。


「タチバナさん。嫌そうにしてますけど、貴女もこのストのメンバーですか?」

さすがにそんな表情をしているミズキが気になったのか、一応被抗議側陣営のルリはミズキに尋ねた。

「……………この間のロボットバトル覚えてるわよね?」

「はい」

「あれね、負けた方が勝った方の言うことを何でも一つだけ聞かなきゃなんないの」

「…ウリバタケさんの性格を考えるならもっと他のことをされそうなんですが」

「私がそんなこと許すはずないでしょ」

「まあタチバナさんの性格から考えれば…そうなのですかもしれませんね」

明らかに間違った文法だが、自己完結したらしい。

「がはははははっ!ミズキが入ればナデシコの半数がこちら側に入ったも同義!」

ウリバタケは余った拳を震わせながら熱弁を振るう。

いつの間にかほとんどの男性クルーはミズキファンクラブに加入しているようだ。





遅ればせながら状況説明をすると、現在ブリッジの最下層において

ウリバタケを筆頭とした抗議側陣営が武装してユリカたちブリッジクルーに迫っている。

人数は十数人程度で、整備班をはじめリョーコたちパイロットも参加していた。

余程この契約に納得がいかないのだろう。

と、そこに。

「例え労働者が結集しようとも、その抗議を受け入れるわけにはいきませんなあ」

突然スポットライトを浴びて登場したのは、ナデシコ会計監査プロスペクターだ。

相変わらず安っぽい演出が好きな男である。

「なんでだ!同じ屋根の下男女が生活してりゃ恋の一つも芽生えるだろう!」

「そしてそれがエスカレートして子供が生まれたらどういたします?
 
 育児費用もかかります。誰かが面倒を見なくてはなりません、そんな暇ありますか?

 ナデシコは保育園ではないのですから」

「ぐっ」

揚げ足を取られる格好となったウリバタケは言葉に詰まる。

形勢不利と見たウリバタケは、論点を契約時の不手際へと移していった。


「大体だな!こんな細かい契約内容を一体誰が読むってんだ!?」

「それはあなたが悪いんです。契約とはお互いの信頼の上に成り立つものです。

 契約を交わした時点でウリバタケさんは私どもを信頼したということになります。

 従って、私どももウリバタケさんがその契約書を熟読した上での契約と判断せざるを得ません。

 それに、契約書には嘘偽りは一切ありませんよ。

 裁判で争ったら勝つのは明らかに私どもです」

「ううううううるせえ!これが見えねえのか!」

ウリバタケはそういって銃をユリカに突きつける。






「そのぐらいにしておいたらどうですか。セイヤさん」

緊迫しかけたブリッジに入ってきたのは、サユリを随伴したアキトだった。

一気に気勢を削がれたウリバタケだが、アキトの立場を問いただす。

「アキト!……そういうお前は一体どっちの味方なんだ?」

「別に。興味ありませんから」

「興味ないぃ!?」

健全な青年男子が男女の恋愛に興味がないなど、一瞬そっちの気があるのか?とか思ったウリバタケだが

その辺りはきちんと否定する。

「言っておきますが。別に男が好きというわけじゃありませんからね」

「な、なんだ…驚かせるなよ」

「まあ…そんなことはどうでもいいですけど、とにかく抗議はすぐにでもやめておいた方がいいと思いますけどね」

「ああ…そういえばそろそろね。うん、もう潮時なんじゃない?ウリバタケは〜んちょ」

アキトの言葉に同意したのはミズキ。

そしてその言葉に愕然としたのはウリバタケ。

ミズキが離反するなど考えてもいなかったし、そうなれば事実上ナデシコの半数が離反したことになってしまう。

「お、おい!約束と違うじゃないか!クーデターに参加してくれるって」

「確かに参加するとは言ったけどね。でも最後まで付き合うとは一言も言ってないし。

 班長、参加してくれって言っただけでしょ?」

「んな無茶苦茶な…」

「それよりも…ああ、来た来た」


その言葉とどちらが早かっただろう。

とにかく、ブリッジにいる殆どの人間が“何が来たのか”と思う間もなくナデシコは衝撃に包まれた。



「な、何何!?ルリちゃん、報告!」

ユリカは原因が木星蜥蜴以外に有り得ないとは内心思いつつも、艦長として現状確認を急ぐ。

だが、そもそも自分達の現状を認識していなかった。

「艦長、私ここにいるんですが」

「あ、ゴメン」

「ま、いいですけど…オモイカネ」

それだけで理解できたのか、ネルガルの誇るスーパーコンピュータは一瞬で返答する。

映し出されたウィンドウから読み取れるもの、それは

「これだけの規模ってことは…あっちもいよいよ本気になったってことだね。

 各員、戦闘配備に移ってください!

 ウリバタケさん、あなた方の主張も命あっての事です!今は敵を倒すことだけを考えましょう!

 パイロットは……って、あれ、アキトは?」

パイロットへの指示を出そうとブリッジ上段に目をやるが、そこには相変わらず何をしに来たのかよく分からないサユリと

今日の演出に満足したのか悦に入っているプロスが怪しく居ただけだった。

「アキトさんなら、今さっき待機するってブリッジ出て行きましたよ?」

「あ、ありがとサユリちゃん。ん〜じゃあ、リョーコちゃん達もすぐに格納庫へ向かってください。

 部隊全員の準備が出来次第出撃します」

「「「了解!」」」






「そういやタチバナさんも何時の間にか居なくなってたね…」

「あの人は存在自体謎ですから」

目の前に居たはずのミズキの行動にに気付かないのが不思議でならないユリカの疑問に答えたのは

ルリの半分毒が入ったある意味的を得ている返答だった。














「く〜〜〜〜〜やっぱ戦闘はこうでなくっちゃあ!!!」

バッタの群れを三機の突撃で霧散させたリョーコは、初の一切のしがらみが無い戦闘に心を躍らせる。

ヒカルやイズミも満更ではないのか、そんなリョーコの意見に頷いて賛同した。

さり気無くヤマダも戦闘に参加して、リョーコの意見に激しく賛同していたのだが誰も聞いちゃいなかった。

『浮かれるのは勝手ですが、そのままナデシコのエネルギーフィールド範囲外まで突っ走らないでくださいね』

「はいはい分かってますって隊長!……そういえば怪我はもういいんですか?」

『もう完治しました』

実際には今日一日は安静にしていろと言われているのだが、戦闘が始まった以上パイロットとしては甘えていられない。

『火星の目前ですし、慣らしておかないといけませんから』

いかな凄腕パイロットと呼ばれようとも、一月近くベッド生活をしていたのでは腕も鈍る。

さらには、火星に近づくにつれざわめき立つ己の心を静めるためという理由もあったが、自身でよく分かっていないことを

他人に話す気は無かった。



(……にしても)

リョーコとの通信を閉じた後、イツキは陰鬱な表情をしながら嘆息する。

ある方向に意識を向けながら。

『何か言いたそうだな?』

問答無用で繋がった通信に、イツキの気分は益々滅入る。

ご丁寧に秘匿回線で繋がっているから迷惑なことこの上ない。

「貴方という人は、本っっっっっっっっ当に嫌な性格ですね!」

イツキの表情は以前のそれよりも躍動感があり、本気で叱責していないことはアキトにも分かった。

『何がそんなに気に入らないんだ?』

「いい加減観念したらどうなんですかっ。あんな兵器使っておいてまだ実力を隠したいんですか!?」

あんな兵器、とは言いつつも実際にはイツキの記憶には残っていないのだけれども。

『力と集中力は永続しない。全力を出す必要も無い相手にサービスしてやることも無いだろう』

「獅子は兎を狩るのにも全力を尽くします」

『残念だな。俺は獅子のように勇敢じゃない』

「ええそうでしょうね」

言い切るイツキの視線の先には、コロニーのときとは比べ物にならないほどゆったりとしたペースで

敵を撃破するアキトのエステバリスの姿があった。

偶に敵のミサイルに掠ったりするなどの小技を披露する辺り、芸が細かい。







バッタを蹴散らして敵の陣形を崩すと、エステバリス部隊は敵艦隊に接近する。

『テンカワ、援護してください』

『…了解』

戦艦を落とすためにはどういった方法をとるのか、そう多くない選択肢の中でアキトはイツキが何をしようとしているのか気付いた。

だからこそ、苦笑してしまう。

奇しくもほぼ同じ状況で彼女が自分と同じことをしようとしているのだから。











(本当に似ている………本当に)










斜角を利用したイミディエットナイフによる直接攻撃。

アキトのときとは違い、確たる技術に裏づけされているであろうその攻撃により戦艦を撃沈。

後数隻を落とした後、止めはナデシコによるグラビティブラスト。

これによって敵勢力の約八割を殲滅。

残りは掃討戦となり、ナデシコは余裕の勝利を収めることとなった。

























火星極冠遺跡最深層部。


そこはただ光も無く、風も無く。

佇むのは一人の女。

時折光の筋が迸るその遺跡の上に立ち、視線はどことも知れぬ方角を向いている。

腰まで伸びている煌く銀髪は、遺跡の微かな光を浴びて闇に浮き上がる。

されども其れは刹那の時。

映える間もなく闇は塞ぎ、そしてまた光は迸る。

何をする訳でもなく、何を感じる訳でもなく。

佇むのは一人の女。

何時の時よりここに在り、何時の時まで在り続けるのか。

そんな女の閉じていた口唇が、動いたかどうか判らぬほどだが確かに動き、言葉を紡ぐ。













「………………………………………………………………来た」















後書き

藍染児:ちと戦闘シーンは手抜き入ってます。ま、大して重要なシーンでもないしね。

ミズキ:それよりも何よりも物凄い意味ありげな最後の女は?誰?

藍:そんなのここで言ったら意味無いだろう!ただ火星編で特に重要なキャラというわけじゃない。
  出てくるには出てくるんだけどね。

ミ:他の伏線も満足に明かしてないってのに大した度胸ねぇ。設定だけが先行するとろくなもんにならないよ?

藍:うう…それ言われると非常に痛いんだけどね。

ミ:あんたの作品だし文句は言わないけどね。

藍:今まで散々言ってたじゃないか……。

ミ:なんか言ったぁ!?

藍:いいえ何も。断じて。

ミ:それはともかく、早く謎解きしないと読者に飽きられちゃうよ〜、この作品意味が分かんないって。

藍:そりゃ一大事…っつうか火星編じゃやっとこイツキ編が完結するだけなんよ。
  地道に頑張りまさぁ。

 

 

 

代理人の感想

銀髪と言うから、一瞬遺跡に取り込まれたルリ(別次元の)かと思いました(笑)。

ちなみに今回一番受けたのは暗所恐怖症のガイ。

是非釣鐘に閉じ込めてみたい(爆)。