手にした真実は、余りに虚に近すぎた。

















終わり無き旅

第二十三話「真実の対極に在りしモノ」











「何か言ったらどうですか………テンカワ」

「……」

イツキの問いに、やはりアキトは答えなかった。

それでも、イツキの視線を避けようとはしていない。

多くのブリッジクルーが状況に追いつけず呆然とする中、二人だけの世界が構築された。

黒く、黒く心が染め上げられていく。

未だ微かに残る理性は、その変容を否定していた。

だが、暴力的なまでの本能はその理性を喰い散らかすように駆逐していく。

喰らえ。

喰らえ。

喰らえ。

復讐を。

復讐を。

復讐を。

「言ってみなさい…………言ってみろテンカワアキトォ!!!」

パイロットとして鍛えたその脚の筋肉が収縮し、伸びる。

アキトとイツキの間にある世界は急速に縮まった。

右腕を振り上げる。

技も何も無い、がむしゃらに力任せに放った一撃。

かわすのは容易く受け止めることも同様の、はずだ。


バキィ!


「ひっ」

誰かの悲鳴が聞こえた。

クルーの大多数が民間人であり、戦時中とはいえ死に直面した者など数える程しかいないナデシコで

形振り構わぬ手加減無しの殴り合いを目前に平静でいられる者は少なかった。


受身すら取ることなく吹き飛ばされたアキトに、イツキはゆっくりと近寄る。

「痛いですか?痛いですよね?でも…」

胸倉を掴み、ずるりと引き摺る様に体躯を持ち上げ、アキトのすぐ後ろにまで迫っていた壁面にそのまま押し付けた。

「カイトはもっと痛かったんですよっ………?」

「カイト、という名なのか………」

漸く開いた口から発せられた言葉が、イツキの逆鱗に触れた。

許せない。目の前のこの男が。

「…ええそうです!あなたが!あなたが殺したあの人の名です!」

















「アキトが…殺した?」

ポツリと洩れ出た言葉。

ユリカは、自身で何を口走ったのか理解してはいなかった。

無条件に誰よりも信頼していた。

無条件に誰よりも自分のことを愛していると思っていた。

無条件に王子様だと思い込んでいた。

だから、イツキの言葉が信じられない。





この戦争で、“人”殺しはいない。

それが、大多数の人類に共通する認識だ。

今日に至るまで幾度と無く、呆れるほど繰り返された戦争。

そのどれをとっても、人が死ななかった例は無い。

歴史上では語られなくとも、戦争と名の付く以上血が流れないことなどありえない。

しかし、現在繰り広げられているこの戦争は、実態はどうであれ地球側にとっては謎のエイリアンの侵略でしかなく、

人類にとって初めての異種族同士の戦争となったのだ。

相手が謎である以上心を痛めるものなど誰一人として存在することなく、戦争が聖戦となりえた。

決して、そんなものがあるはずが無いということに気付くことなく。




イツキの言葉は、それを覆そうとしていた。

ユリカがこの戦争に掛ける思い。

戦争という舞台の中で、自分が自分らしく在り続けられる場所。

私らしく。

いつの頃からだったろうか。ユリカが口癖のようにこれを使うようになったのは。

自他共に認める立派な父親。

その父によって敷かれたレールの上を歩くだけだったユリカを、初めて救い上げたのがアキトだった。

あるいは、単純に嬉しかったのかもしれない。

自分の父親になんら臆することなく―――もっとも、大抵の子は親に言われただけだが―――自然体で自分と付き合ってくれた。

ぶっきらぼうなその物言いも、行動も、ユリカにとっては全てが新鮮だった。

絵本の中だけの存在、王子様を具現化したのが正にアキトだったのだ。少なくとも、ユリカにとっては。

やがて親の都合による別れが訪れ、王子様と離れ離れになっても、その存在自体は変わらなかった。

王子様が居てくれる。

王子様は存在する。

ならば自分もお姫様でなければならない。

私らしく。

レールの上でなく、王子様と共に歩くべき、自分が目指すべき存在をユリカは自分らしく生きることと同一視し始めた。

天真爛漫と周囲から評され、時と共に王子様の顔も、名前も忘れ、そして再会。

自分の危機に現れるという物語の王道をやってのけたアキトに悪い感情を抱くはずもない。



そして今、それが崩壊の兆しを見せ始めた。

人殺し。

この戦争に存在してはならないイレギュラーを、ユリカは王子様として―――。


ドッ

鈍い音がユリカを思考の渦から引きずり上げる。

見れば、ぎらつく様な視線で睨みつけるイツキがアキトの腹部を殴りつけていた。

止めなければ。

艦長として、アキトを想う一人の人間として、理性はそう告げている。

なのに、足は一歩も動いてくれようとはしない。


何故?怖い?彼女が?それとも―――彼が?










「なんで、なんで、なんで、何故ぇ!!!」

思考回路は破綻をきたし、ただ本能に直結した行為のみをイツキは繰り返していた。

放っておいたら、何時までも続けられたかもしれない。

しかし、それは唐突に終局を告げることとなった。

再び腕を振り上げアキトの顔面を殴、ろうとした時だった。







ミシィ…

硬い何かが軋む音。

イツキは、それが自分の手首の骨の上げた音だと、痛覚と共に理解した。



「続けるなら殺す。そうでないのならその手を今すぐ離しなさい」



後ろを振り返ることができない。

激情に我を忘れていたイツキすら、その底冷えするような冷淡な声にただ恐怖した。

ずきりと徐々に広がる腕の痛みすら今は気にすることができない。

声の主が、今は何者より恐ろしい。

やがて冷静さを取り戻した理性が、その声の相手を一人に絞った。

タチバナミズキ。

整備班副班長であり、整備班唯一の女性。

ナデシコ内でも、スレンダーな容姿とその性格からファンは非常に多い。

その実、心の奥底は絶対覗かせようとはしない、不可思議な女性であることぐらいはイツキも気付いてた。

が、それはあくまで一般レベルの話であり、今こうして軍人のイツキすら恐れさせるほどの狂気を放つような人間ではないはずだ。



「………やめ…ろ、ミズキ…………」

「アキト」

イツキに殴られ続けたがために、アキトは掠れるように小さな声でそう呟いた。

「………ちっ。分かったわよ」

その言葉と同時にミズキは掴んでいた手首を放した。

イツキは開放された右腕を、痛みを堪える様に左手で抑える。

自然、アキトの胸倉も漸く放たれる。


「でもま、これぐらいは許してよね」


ズン…!


イツキの拳撃とは質からして違う一撃が、イツキの脇腹を抉る。

反応することすらできずにイツキはその場に崩れた。

「殺……して、ない…だろうな?」

アキトは壁に身を預けるようにバランスを保ちながらミズキに問いかけた。

「してないしてない、軽く当てただけよ。………まあそれはともかく」

爪先から天辺までアキトの体を流し見る。

殴られただけだから、外見上目立つのは顔の跡ぐらいだ。

その様相を見てから、はぁ、と軽く溜め息をつく。

「馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど………、ここまで馬鹿とはねぇ」

「大きな……お世話、だ」

アキトはふらつきつつも、床に伏しているイツキを肩に担いだ。

息はしている。言葉の通り殺してはいないようだった。

医務室あたりにでも向かおうとしたのか、踏み出した足を見てミズキが制止する。

「ちょっと待ってねぇ〜アキト」

「…?」

「すぐ終わる。………ね、艦長?」

「………え?」

前振りも無く呼びかけられたユリカは、虚ろな目をしていた。

それがイツキの行為によるものなのか、アキトの過去によるものなのか、ミズキの殺気によるものか…誰にも判別はつかなかった。













ドサリ。

アキトは未だ気絶しているイツキをベッドに降ろす。

傷付いた体には人一人を運ぶことも重労働なのか、肌には汗が浮かんでいる。

拭う様子も見せず、アキトは今いる部屋を見回した。


殺風景、という言葉が一番似合うのかもしれない。ただ、その度合いは自分の部屋の方が酷かったが。

丁度アキトの正面の壁に掛けてある旧式の壁掛け時計だけが地味な彩りだった。

機械式なのか、あるいはそう思わせる仕掛けなのか、カチッ、カチッ、カチッ、という規則正しい音が広くも無い室内に広がる。

無機質な、けれどどこか温かみを感じさせるその音に、アキトはしばしその場で時計をじっと見つめていた。

おそらく時計を作ったメーカー名が刻印されているであろうその文字列は、今では使われなくなってしまった表記方式が

混じっている所為か、アキトには読むことができなかった。もっとも、読めたからといって意味がある訳ではない。

どうでもいいことを考えるものだ、と失笑してから、アキトは踵を返してイツキの部屋を後にした。




「軟禁、ね。まあ………あの艦長にしては頑張った方かしら?」

「あいつはこういう軍隊式のやり方を嫌うからな」

部屋を出た通路の壁にミズキはよりかかっていた。

その表情はもしかしたら不機嫌かもしれない。

「そんなことより…気付いてたでしょ。月で会った時に」

「まあ、な」

素っ気なく答えるアキトに、ミズキは先程ブリッジで吐いたものより深い溜め息をする。

「よぉぉぉぉぉやくわかったわ。なんでアキトがイツキちゃんにこだわってたのか。

 ユートピアコロニーに居たって言ってた例の女が、つまりはイツキちゃんだったのね?

 んで、アキトは不用意に自分の過去をばらしたくないっていうこととイツキちゃんの復讐心を少しでも和らげる目的の板挟みの結果

 一々嫌われるようなことしたり、そのくせ怪我したり危機が迫ったりしたら必死になって世話したりとか面倒な事したわけだ?」

人差し指をアキトの鼻先に突きつける。

「で!?何で私にそのこと話さなかったの?」

これが聞きたかった。

過信などではなく、自信を持ってアキトが一番信頼しているのは自分だと自負している。




「いや…、昔からミズキは俺が一人の女に構うとよく不機嫌になるだろう?だから…な」



刹那、イツキの部屋にあった時計の針が止まったような気がした。あくまで気がしただけ。


















「………………………………………………………………………………」

頭を抱えてみる。

ちょっと首を捻ってみたりした。14.5°程。

天井を仰ぎ見る。白色蛍光灯が目に眩しかった。

アキトを見る。別段表情が変わったようには見えない。


考えをまとめてみよう。

アキトは他人の感情に意外に鋭い。

が、しかしながら自分に向けられる好意の感情に限って極端に鈍い。

要はそういうことだろう。

つまり、アキトは“その原因はまったく分からない”が“ミズキがどういう条件下で不機嫌になるか”は理解できたのだ。

見事なほどアンバランスな気配りが今の状況を生んだのだろう。

あんまり面白くも無かった。

というか。

(理由を話していようがいなかろうが同じじゃない…)

“その原因”がまったく理解できない以上、アキトにできる改善策は理由を話さないことぐらいだったのかもしれない。

何年経とうがアキトのこの性格だけは変わりそうに無かった。




















『すぐ終わる。………ね、艦長?』

『………え』

『イツキちゃんの処分よ。いくら部下とはいえ、これだけやってお咎めなしってのはちょっとねぇ?』

『処分…』

『軟禁か、営倉行きか……。それとも、殺す?』

『こ、殺すって………、そんなっ!』

『処分の一手段を言ってみただけよ。選択するのは貴女。責任取るのも貴女。オーケイ?』

『え、あ…な、軟禁ですっ。部屋に閉じ込めておきます!』

『いいのね?後悔しない?』

『………はい』





去り行くミズキとイツキを運ぶアキトを止められる者は誰もいなかった。

三人が姿を消し、漸くブリッジにいた人々は強張らせていた全身の力が抜ける。

「イネスさん………。本当なんですか、アキトが、人殺しって…」

「私に聞くのは見当違いね、艦長さん。私が知っていたのは彼がフライトナーズの隊長ってことだけよ」

「そうですか………」

ユリカの声に覇気は無い。

そんなユリカを見かねたのか、ジュンは励ましを声を掛ける。

それでも、ユリカの顔が晴れることは無かった。

「それで、プロスさん。とりあえず言うことも言ったし、私を帰してほしいんだけど?」

「いやいやDr。それが無理な相談であることくらい、貴女も分かっているでしょう?

 このままナデシコに乗っていただきますよ」

「……はぁ。ま、いいわ。お世話になろうかしら」




「さぁて、プロスの旦那。何かいろいろあったみたいだが…とりあえずこれからどうするんだい?

 一応の目的だった人助けも、向こうがいらないっつってんだから、こっちもどうしようもねえしなぁ」

「そうですな。とりあえず、これからネルガル極冠研究所の方に向かってもらうことに致しましょう」

先程のアキトたちのやり取りにも動じた様子を見せることなく、ジルとプロスは今後の方針を話し合う。

その様子は、他のクルーから見て少々異常にも見えたし、場の雰囲気を変えようとしていたようにも見えた。

二人の真意がそのどちらにあるのかは、分からなかったが。

「極冠?…って氷のあるところよねぇ。そんなところにネルガルは研究所なんて作ったの?」

ミナトには、そんな辺鄙なところに研究所を作るネルガルの思惑が読み取れない。

何か利益でもあるのだろうか。

「氷といいますか、二酸化炭素、要はドライアイスですな。テラフォーミングによって幾分その規模は小さくなりましたが。

 まあとにかく、火星に極冠ができたメカニズムを究明するためにネルガルはそこに考古学部門の支部を設置したんです。

 考古学という分野はとにかく当たり外れの多いものですから地球に送られてくる報告書もまちまちでして…。

 彼らが直前までどれだけ研究を進められていたのか、それもネルガルにとっては利益の一つなんです」

「また企業の都合?なんだかなぁ…」

ぼやくメグミの表情はややかげってはいたが、先程のことはどうにか克服しているようだった。

未だ復調していないのは、ユリカとルリだ。



「大丈夫?ルリルリ…」

「ミナトさん…。はい、もう大丈夫です」

誰がどう見たところで大丈夫ではなかったが、口でそういえるなら取り敢えずは平気だろうとミナトは判断した。

(アキトさん………何故………)



「カザマさんは…軟禁中ですから、艦長?………艦長!?」

「あっ……はい」

「しっかりしてくださいよ。それで、艦長。エステバリス部隊の再編をお願いします。

 イツキさんの代わりに誰かを暫定隊長として、調査隊を編成してください」

「調査隊………?研究所、なんですよね、そこ?」




「元研究所、が正しい言い方ですよ、艦長。あの場所は今、この火星において最も危険な場所、“処刑場”なのですから」




「処刑……場?」

聞きなれぬ、およそ木星蜥蜴占領されたこの火星には似つかわしく無いその単語に、ユリカは言い知れぬ不安を感じる。

「処刑場…ですか」

「おや、ご存知で?ルリさん」

「いえ、この火星がそう呼ばれていることぐらいしか」

以前ルリが火星について調べたときに、不自然なほど隠蔽いんぺいされた情報の中、唯一知ることができた言葉、処刑場。

火星そのものを称した言葉だとルリはずっと思っていたのだが、プロスの話によればどうやら違うらしい。

「なんか物騒だね〜。ホントにそこって研究所だったの?プロスさん」

「まるでネルガルが怪しい研究でもしてたみたいに聞こえるんですが…」

ずれたメガネを直しつつ手拭で汗を拭う。

自分が就職している会社、加えてこのナデシコを造ったネルガルをそこらの新興宗教と同じレベルで扱われては苦笑するしかなかった。

「実際そうなんじゃねぇのか?」

「リョーコさんまで…はあ、そんなにネルガルは信用ないですか?」

「「「うん」」」

パイロット三人組は躊躇ちゅうちょ無く頷いた。

「一応あなた方はネルガルに雇われてる身の上なんですがね…」

そんないつものナデシコらしいやり取りができたのは、そこまでだった。


プシュッ


中央の入り口からアキトが姿を現す。

同時に、ブリッジ全体が喩えようの無い緊迫した空気が流れる。

「ア……アキト」

ユリカは震える声でアキトに懸命に問いかけようとする。

そんなユリカをアキトはただ感情の篭らない瞳で見つめるだけだった。










「う…嘘だよねっ!アキトは私の王子様だもん!人を殺すなんて…殺す……なんて、こと…。

 そんなこと、あるはずないもんねっ!?イツキさんの勘違いか、何かでしょ?

 あ〜驚いたぁ。アキトが人殺しだなんて、私ったら早とちりしっちゃて―――」

「事実だ」

アキトの放った真実が、ユリカの期待を否定する。

不自然なほど陽気な声で喋り続けたユリカの表情は凍り、口は必死に何かを叫ぼうとするが、うまく言葉にならない。

震える足がアキトに近寄ろうとする。

けれど、先の時と同様に近づきたくても、どうしても一歩が踏み出せない。

恐怖。

そう、自分が心の奥底に抱き続けてきた幻想が崩れるのを、ユリカは無意識に恐れていた。

そして既にその崩壊は止めることが出来ぬほど進みすぎていた。

「カイトというのがイツキにとってどれ程大切な人だったのか、俺は知らない。

 だが、あの取り乱し様を見る限り、少なくとも友人程度じゃあなかったんだろう。

 家族か恋人か…。いずれにしろ、そのカイトを俺は殺した」

 

俺が、殺したんだ――――――。


その言葉を最後まで聞くことはユリカには出来なかった。

視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚。

その全てがことごとく外界からの情報を否定する。

あり得ない。

―――私の王子様は、王子様以外の存在であってはならない―――



「だって…アキトは私の王子様だもん………王子様………」


パァンッ


頬がジンジンと痛む。

右手で頬を触る。

乾いた音。

頬を叩いたのは。





「ジュン………君?」

「いい加減にしなよユリカ。テンカワだってきっと殺したくて殺したんじゃない。

 悲しいけど、これは戦争なんだ。多数を助けるために少数を切り捨てなきゃならないときもある。

 奇麗事だけじゃ、理想を並べ立てるだけじゃ誰も救えなくなる。

 火星会戦が今の地球とは比較にならないほど凄まじい戦いだったって、以前聞いたことがある。

 誰かを助けるために誰かを見捨てなきゃならないような、そんな決断を何度も何度も迫られたって。

 テンカワはフライトナーズの隊長としてそんな戦いの中を生き残ってきたんだ。

 ………だから、ユリカがそんな事言ってどうするんだよっ?

 テンカワのことが好きなら、何故理解してあげようとしない?

 僕は………僕は、そんなユリカのことを好きなったんじゃないっ!」



 

ユリカは変わらず呆然としていた。

そして、次第にその表情が歪んでいく。

「……っ…うっ、く……」

必死に、口から洩れる声を抑える。

けれど塞き止めていた何かは一気に溢れ、ユリカは口を押さえながらブリッジを駆け足で出て行った。



「ユ、ユリカッ!」

閉まった扉に向かってジュンが叫ぶ、が当然届くはずも無い。

自分が言ってしまった言葉がユリカを傷つけてしまったのではないかと、先程の凛々しい顔はどこへやら

途端にジュンはオロオロしだした。


「行ってやれ」

「テ、テンカワ!?」

「多分お前以外今のユリカには声は届かないだろう。俺の分も、行って来てくれないか」

「あ………」

好敵手ライバルの意外な言葉に、ジュンは戸惑う。

周りを見回すと、意外なことに誰一人として非難の表情をしている者はいなかった。




「行ってきなさい。なに、指揮ならまだこの老いぼれが残っておる」

「提督……」


「…まあ、本来なら処刑場を前にして指揮官二人が不在になるなどもってのほかなんですが…。

 特別ですよ?ただし、給料から幾分引かせてもらいます」

「プロスさん……」


「行ってきなさいよ。ど〜んと漢、見せちゃいなっ」

「ハルカさん…」


「私、少女ですから難しいことは分かりません。…でも、今の艦長を励ますことが出来るのはジュンさんだけだと

 オモイカネも言ってます。あぁ、もちろん私も同意見ですよ?」

「ルリちゃん……」


リョーコ達や、メグミ、ウリバタケも口には出さないが皆と同じ意見のようだった。

揺れ動く感情。

果たして自分がユリカを説得できるのか。

嫌われたのではないだろうか。

それでも、会ってみなければ分からない。

以前のジュンならばここで引いてしまったかもしれない。

けれど、ジュンもナデシコに乗り、成長した。

ここで気概を見せなければいつ見せる。

ブリッジクルーの応援に後押しされて、ジュンはユリカを追った。







通路を駆ける。

(ユリカ…ユリカ…ユリカ…!)

ユリカとジュンが出会ったのは、ユリカが火星から地球に引っ越してすぐのことだった。

公園で泣きじゃくるユリカを、ジュンが幼いながらも必死に慰めたのだ。

理由は聞かなかった。

ただ、誰かの名を必死に呟いていたのが記憶に残る。

今にして思えば、あれはきっとテンカワのことだったのだろうとジュンは思う。

それ以来、ジュンはずっとユリカの親友だった。

やがて思春期を向かえ、ユリカを女性として意識し始めても、ジュンはその本心を隠しユリカの親友でいた。

この関係が、壊れるのが怖かったから。

なにより、例え不本意の関係であってもユリカの一番傍にいることが出来ればそれで良かった。

今回の出来事は突発的な事ではあったが、けれどジュンの気持ちに偽りは無い。


『ジュンさん』

過去を振り返っていたジュンの前に突然ウィンドウが現れる。

「ルリちゃん?」

全力疾走してはいたが、ジュンも軍人の端くれ。何とか会話は出来る。

『ユリカさんの所までオモイカネがナビゲートします。表示にしたがって進んでください』

「………ありがとうっ!」















「…これでいいですか?アキトさん」

「ああ。ありがとう、ルリちゃん」

そう返すアキトの声は、ルリの知るいつものアキトの声だった。

ジュンの言葉は、ブリッジにいた全員を目覚めさせたのだ。

無論、ルリも例外ではなかった。

共に逆行という稀有な現象を体験し、アキトを理解していると思い込んでいた自分が恥ずかしい。

(ふう………私がこんなことではあの計画も破棄、ですね…)

誰にも知られることなく、つまりはウィンドウを出さずにルリはとあるデータを削除する。

そのデータの名称が『T.A同盟計画書』であったかどうか…もう誰も知ることは出来ない。
















艦長居らずとも戦艦は進む。

艦長という職がお飾りになっている現状は、このナデシコでも変わりない。

ただ、ユリカのその人格や奇抜な戦術が戦闘時においてのみ必要とされていた。

つまり、戦闘以外では撫子の運行に艦長不在でもなんら問題ないということだ。



「さて、いよいよ見えてきましたなぁ」

プロスのその言葉に、ブリッジにいた全員が外を見つめる。

だが。






「なに…………………あれ」








それはあまりに想像の域を逸脱していた。

いや、ある意味では想像通りだったのかもしれない。

“処刑場”

これ程相応しい名があるだろうか?



残骸、残骸、残骸―――。

見渡す限り、異様なほどの残骸が積み上げられていた。

墓場と呼べるほど小奇麗なものではなかった。戦場と呼べるほど意思は介在していなかった。

あるのは、ただ一方的に繰り広げられた“執行”という名の虐殺。

ネルガル極冠研究所があるらしい位置をほぼ中心として、直径約五キロメートルに渡ってその光景が存在している。

多くが木星蜥蜴の無人機械とはいえ、無残なまでに千切られ、焼かれ、捨て置かれているその様子に、メグミなどは

半泣きしてしまっている。

まるでテリトリーを誇示するかのように円周部には串刺しにされたバッタが、楔のように地面に打ち付けられていた。



「“エクスキューター”。俺達は、そう呼んだ」

前触れもなくアキトはそう言った。

それ程大きな声で無かったにもかかわらず、その声はいやにブリッジに響く。

誰もが声を失っていたのだ。

「…これをやった奴の名か?アキト」

聞くまでも無いことだったが、リョーコは何かを喋らずにはいられなかった。

「…ああ。火星会戦の最中、あいつは現れた」




















ガ…ガガァ!

『ちぃ…隊長ぉ司令部との通信が途絶えましたっ!』

『セントラルが落ちたか…。防衛部隊は…駄目か』

『三部隊のマーカー、オールロスト。避難状況は四十七パーセントで停止。生存者は絶望的です』

『どのみち助けに行く奴がいないんじゃあ意味などありはしないさ。以後の指揮は』

『第一艦隊旗艦プラタナスが引き継ぐようです』

『はっ、クラウドの大馬鹿野郎か。まぁ他の連中よかマシだな。…それよりも、ネルガルの馬鹿共は避難勧告を受諾したのか?』

『それがまだ…。ここが一番安全だから、と言い張っています』

『何を研究しとるんだか知らんが…あいつら避難勧告の意味知っとるのか?』

『ははっまったくです………っ!十時の方向、距離約二千、プラス四十!SSIN識別コード―――』

『んなもんはいい!来た奴を片っ端から叩けぇ!』

『了………、な、なんだあの虹色の光…』

『おいおいおいボサッとして………』

『なんだ、ありゃぁ………』

それは、漆黒の人形機動兵器だった。

禍々しいまでに美しい流線型のフォルム。

その背中にある翼は、その厳格さを表すかのように大きく開かれていた。

けれど、何より目を引くのは、その手に持つ巨大な鎌。

それは機体の優に三倍は超え、光を喰らうかのように機体の色よりなお黒く染まっている。

その色は、まるで闇。

『ユーコミス、なわけねえよな…』

『識別信号、ありません。データライブラリにも該当なしです』

『ネルガルの新型か?』

『研究所の連中の仕業だと?しかし………なっ!』

『馬鹿なっ!たった一撃でだと!?』

『…て、敵…全滅です』









「それが始まりだった。幸い、その部隊は奴のテリトリー内には入っていなかったから助かったが…。

 テリトリーに侵入してきた木星蜥蜴全てを例外なくあいつは朽ち滅ぼした」

「ちょっとよろしいですかな、テンカワさん」

「…ああ」

「先程虹色の光、と仰られていましたが…もしや、エクスキューターとは突然現れたので?」

「ああ」

「ふむ…いやいやなるほど」

一人納得したのか、プロスは目を伏せてうんうん頷いている。

プロスの一人パフォーマンスはいつものことなので特に誰も気にはしない。



「研究所の人たちはどうなったの?」

「さあな。死んだかあるいは火星に残ったか…だが、地球側にそれ程情報が渡ってないところをみると

 研究員は無事避難したというわけじゃあなさそうだ」

そう言いながら、目をイネスへと向ける。

その意図するところを理解したのか、軽く一笑した後イネスは口を開いた。

「…そうね。確かにあのシェルターには極冠研究所の人間もいたような気がするわ。まぁもっとも…あれを生きてると言えるのか…。

 科学的には確かに生きてるんでしょうけど、少なくとも私には死んでるようにしか見えなかったわ」

「へぇ、意外だな。あんたは科学絶対主義だと思ってたけど」

「あら。科学的イコール絶対正しい、って訳でもないのよ?

 逆説的に言えば、非科学的イコール絶対間違っている、って訳でもないって事。

 何しろ、心臓が動いている以外は全くと言って良いほど生命活動の欠片も見せちゃいなかったんだから…」

「植物人間…ってことですか?」

「人工的に生かされているわけでも無いのに?大体今の火星の生活レベルで医療の充実なんて求めるほうが酷っていうものよ。

 それはそうと…これからナデシコはどうするのかしら。この先に進むのはあまり利口とはいえないんだけど…」

そう言ってイネスはアキトに視線を返す。

艦長でも隊長でもないアキトに意見を求めるということは、どうやらイネスはアドバンテージを握っているのが

アキトだと判断したようだった。

「…プロスさんには悪いが、俺もドクターと同意見だ。この先に進むのは自殺行為としか思えないな」

「困りましたなぁ…火星出身の御二方にそこまで言われてしまうと―――」

「あれ……ねえ、ちょっとあれって」

プロスの言葉をミナトが遮る。

その視線は、処刑場の奥へ向いていた。



「あれって………もしかしてクロッカスじゃない?」
























闇の中を動く影が一つ。

明かりと言えるほど明確な光源は無く、人が動くのには不自由のはずだ。

にもかかわらず、影はしっかりとした足取りで、目的地を目指す。


ブ……ン……


鈍く低い音が、静寂を保っていた室内に微かな揺らぎを与える。


ヴォン


隅に設置された端末のディスプレイに青白い光が灯り、影の顔が映し出された。

日系の民族が多いナデシコにおいて珍しい浅黒い褐色の肌。

ざっくばらんに切り揃えられている黒髪。

茶水晶の瞳は、浮かび上がるディスプレイの文字を一文字も逃すことなく追っているのが良く分かる。

白と黒を基調に整えられた服は、着こなす人物の所為か、幾分雰囲気が浮いているようにも見える。

「……」

ぼそり、と何かを呟く。

口から微かに洩れたその音は、すぐに闇へと溶けた。

「………これも違う…」

「何が違うのかしら?ジル・トリアン」

突然光に包まれる中、ジルは後頭部に突きつけられた冷たい金属の感触に端末を操る指を止めざるを得なかった。




「ホントに今日は厄日ね…。一日に二回もこんなことしなくちゃならないなんて……」

「そう思うんだったら、その物騒なものを避けてくれないかなぁミズキの姐さん?」

諸手を頭の上で組みつつ、ジルは軽口を叩く。

そんなものが彼女に通じるとも思っていなかったが、彼のポリシーが何故かそうさせた。

「上っ面だけは饒舌みたいね。私としてはそろそろ本音トークを望みたいんだけど?

 二ヶ月半ナデシコの中うろうろしてるから鬱陶しくてしょうがない」

「はははぁ?もしかしてバレバレ………なんだろう、ね………」

後頭部に強く掛かる圧力に、ジルの語尾が次第に弱くなっていく。

「そんなもの最初から分かってるわよ。連合軍の諜報員だってことくらい。

 まあ………イツキちゃんもあんたの正体には気付いてたみたいね……何で素直に従っていたのかは、分からないけど」

「いっちゃんは火星会戦を境に変わった。慕っていた部隊の仲間も次第に彼女から離れていったよ。

 その頃からかな。彼女がどんな非情な命令にも文句一つ言わずに実行するようになったのは」

「よく見てるじゃない」

茶化すように言うがしかし、決して手元は微動だにしない。

ミズキの刺すような視線にジルは内心冷や汗を掻きつつも、平静を演じていた。

「そりゃあ彼女は美人だったからねぇ、否が応にも目立つってもんさ。実際、諜報部でも人気は高かったもんだから

 職権乱用して彼女の着替えシーンを隠し撮りしていた奴も居たぐらいだぜ?ま、すぐバレてクビんなったけどな」

「ご愁傷様。それじゃもうそろそろリッラクスもいいでしょう?答えなさい。“私”の部屋で何をしていた?」

「はははっ、分かっているのに聞くのは職業柄かい?……………“陽炎”さんっ!」

「………っ!!!」


ガアンッ!!!


ミズキの持つ銃がディスプレイを砕くのと、ジルが身を屈めて何かを放り投げるのとはほぼ同時だった。

放物線上に飛ぶそれを、ミズキは一瞬で理解する。

(SEW!?まず…っ!)

Sound-effects weapon。人間の三半規管が一瞬で麻痺する程の超音波を放ち、前後不覚にする携帯用兵器の一種だ。

もちろん使用する本人はしっかり対策を講じるため、自分も仲良く気絶なんてことは無い。



人の耳には聞こえない音が、ピリピリと周りの物を振動させる。

「がっ………ぎ…っ!」

ガンッ

堪えきれずに、銃が床へ落下する。

頭の中を豪快に揺さぶられるような、そんな感覚に包まれながら、それでもミズキはジルを視線で射抜いた。

「怖い怖い、だが、ここらで退散させて…んおぉ!?」

ぶんっ、と放たれた回し蹴りを、ジルは鼻先に掠めながら避けた。

続けざま放たれたストレートを、右手で捌く。

「よっ、ほっ、ほぅっ!」

捌かれた右手に逆らわず、ミズキはそのまま体を回転させて裏拳を放つ。

クロスガードで塞がれるが、尚もしつこくミズキは食い下がった。

「な、なんちゅう耳してるんだい、姐さん…普通だったら気絶してるっていうのに」

前屈みになり腕をぶら下げたミズキに、壁際に追い詰められていたジルは言葉を投げかける。

ミズキは汗だくになりながらも、言葉を返した。

「は…、わ、私の耳は特別製でね。こんなもんにやられるほどヤワじゃ……ないわ」

「そりゃないだろぅ…、仮も軍用なんだけどな、これ?」

「あぁ通りで…結構辛いわけね…」

「一応効いてはいるわけだ」

口元を吊り上げながらも、ジルは絶え間なく隙を窺う。

ミズキは上半身こそうなだれる様に力が張ってはいなかったものの、下半身はその健常さを些かも失ってはいない。

「まぁったく………私の“名前”を知ってるなんて…流石にやりすぎたか…」

「ブリッジでの一件か?まあテンカワの旦那の正体がバレた時点で潮時だったさ。勘の良い奴ならすぐ気付く。

 火星軍特務諜報部隊“陽炎”。そしてその部隊の隊長もまた、部隊名と同じ陽炎の名を持つらしいな?

 そして、かのフライトナーズの隊長に最も近い存在であり、SSINの中核。

 火星の軍事機構が上手くいってたのは実質陽炎のお陰らしいじゃないか」

手札を隠すつもりはないのか、アッサリ白状する。

ミズキは、さあ?、と短く呟いただけで、それ以上何かを喋る気はないようだった。

「ただ…一つ疑問に思うことがある。確かに陽炎は優秀だ。数ある諜報機関の中でもその実力は飛び抜けて高い。

 俺が今言った情報だって、火星会戦で地球に避難して来た奴を何百人と聞き込み脅迫してやっと得た情報だ。

 会戦以前は、火星の情報は地球と月にはほぼ完璧に隠蔽されていたといっても過言じゃない。

 だが……そう、完璧すぎるんだ。一方的に情報を遮断したところで利なんて一つもないはずだ。

 時に情報を与え、時に情報を改竄し、必要な情報をコントロールするのが諜報の真髄。

 姐さんは………いや、姐さん達は一体何をそんなに恐れていたんだ?」

ミズキは漸く頭痛が引いてきたのか、腰間に手を当て、上半身を持ち上げる。

「……」

浅く息を、吐く。


ぐんっ!


一気に体勢を崩し―――た様に見せかけてミズキは死角からジルの顎を狙ってほぼ垂直に左足で蹴り上げる。

サイドステップでジルは脇に回りこみ、足払いをかけるが、ミズキは蹴り上げた姿勢のまま片足で飛び跳ねる。

信じられないことに、蹴り上げた左足が天井へ届き、そのまま右足も届いてミズキは天井に座り込むような形となった。

(なんだあの跳躍力…っ!つか、片足じゃ無理だろぉ!?)

ジルはあまりの非常識さに驚愕しながらも、追撃を恐れて払った足を戻し、バックステップを踏む。

ニヤリ、と逆さに映るミズキが笑ったような気がした。

ベゴンッ!と、ともすれば間抜けな音が鳴ったのと、ミズキが眼前に迫ったのは、ほぼ同時だった。


パパパンッ!


ごく短い間隔で、ジルの頭部に前後から強い衝撃が走る。

突然の震動に、“頭の中を豪快に揺さぶられるような”感覚に包まれる。

ミズキがジルの脇をすり抜け、まるで舞うかのようにしゃがみながら体を半回転させつつジルの方に向いた。

「くぁ……っ!」

足取りがおぼつかない様子で、ジルはよたよたとベッドの側に倒れこむ。

「何……を、した……」

荒い息を吐きながら天井を仰ぎ、必死に揺れる世界を収めようとするが上手くはいかなかった。

天井を映す視界に、先程の音源か、足の形に凹んだ窪みが見えた。

「ぁ頭が……回る…」

「私だけ…って云うのも不公平でしょ?限りなく近いものを再現したつもりだけど」

何を、とは聞かなかった。

さっきのSEWのことだろう。


「くそ………姐さん本当に人間かよ………?」


ズキズキと痛む頭部に、漸く自分が何をされたのかを理解した。

何のことはない。ただ、頭を前と後ろから引っ叩いただけだ。

ただし、人間の目では残像すら追い切れぬほどの速度で。

人間業とは思えない。

「へ、へへ……畜生…実力の差は歴然、てやつだなおい…」

苦しみを紛らわす様に薄い笑みを浮かべ、何度か膝を折りそうになりつつもジルは立ち上がる。

ジャキ

先程落とした銃を拾い上げ、ミズキは狙いをジルに定めた。

撃鉄を起こし、もうワンアクションでいつでも殺せる状態。

ジルもそんなことは痛いほどに理解している。

「ここで俺を逃がしたって…ナデシコは巨大な密室なんだ。いつでも詰問できるとは思わん?」

「却下」

眉一つ動かすことなく、即答。

相手が交渉に応じるつもりは微塵もないことに苦笑しつつ、ジルは微かに腕を動かした。

「ははは…でも、まだ勝算はあるんだぜ?」

極めて自然に頭の上へと動かす腕の袖から、黒く四角い物体が当たり前のように零れた。

カンッ!物体が床を鳴らす。

それは、先程ミズキを苦しめた物とまったく同じ形状であり、つまりはSEWだった。

ピリピリと周囲の物質が小刻みに震動する。

三半規管を麻痺させるという、普通の人間にとっては、相応の対抗策を講じなければ絶対に防ぐことは出来ない攻撃。

苦悶の表情を浮かべ、蹲るミズキをジルは想像していた。



「………………な、何者だ…………姐さん……っ!?」




ミズキは、銃をジルにポイントした姿勢のまま、微動だにしていなかった。

そう、先程の姿勢そのままだった。

「二度目はね、通じない」

それが一体どういう理屈なのか、ジルにはまったく分からない。

在りえないのだ。SEWを生身で防ぐことが出来る人間など。

必死に記憶を手繰り寄せ、先程までの小競り合いの中で何かミズキがしたのではないかといくつも憶測を浮かべる。

(何だ…一体どんなトリックを使ったってんだ)

憶測の一つ一つが次々と否定されて行くに従い、ジルの心に焦りが生まれ始めた。

生まれたから、見逃したのかもしれない。

微か、本当に微かに、ミズキの顔に光の紋様が浮かび上がったのを。

(………?…………気の、所為か?)







ジルは元々それ程装備を整えていたわけではない。

ナデシコが処刑場にたどり着くゴタゴタに乗じてこっそりと抜け出し、ミズキの部屋に忍び込む。

それだけだ。

何故今か、というのは考えるべき事ではない。

実行のタイミングはジルの勘であり、賭けなのだ。

準備に時間を食っている暇はなかった。

まあもっとも、準備をしてきたところでこの状況を打開できるとは思えない。

オモイカネのセキュリティは完璧、とまではいかなくとも中々に優秀であるため、持ち込める道具の数も限られた。

つまり、準備をしようにも元より大した装備は出来なかったのだ、

「さ、て、と…そろそろイツキちゃんも目覚める頃だし、サユリが美味しいコーヒーを煎れてくれている頃ね。

 冷めると不味くなるから、もうお遊びはお終いよ」

「俺の目的は、いいの―――」


ドシュッ!


「ぐっ…」

銃弾がジルの肉を抉る。意図してのことか偶然か、臓器には直撃していないようだった。

だからといって痛くないわけではなかったが。というか寧ろ痛い。

撃たれた左脇腹を押さえ、ジルは床に膝を突く。

(頭は痛いわ、腹撃たれるわで俺の方が厄日だよ…)

そんなジルの内心を知ることなくミズキはジルへと歩を進め、左手で顎を掴み、ぐいと自分の顔に近づけた。

「な……なんだ…、愛の口付けでも、し…てくれんのかい…?」

治まらぬ腹部の痛みに脂汗を掻きつつも、ジルは気合だけでそう冷やかした。

この辺り、ジルの天性の性を伺わせる。

「あら、今日は勘が冴えてるのねぇ。正解よ」

「………は?」

予想外の返答に混乱し、半開きになったジルの口に―――ミズキは己の唇を近づけた。

「ふ…むぐ……!」

およそ官能的とか愛情などとは縁遠い口付け。

ミズキはジルの口内へ舌を突っ込んでくる。

職業柄そういうこともしないわけではなかったが、今回ばかりは勝手が違っていた。

流石にミズキが自分を撃ったとしても殺すことはないだろうと踏んでいたし、だからこそ今の状況は――――

(ま………まさかっ!?)

心当たりが一つだけ。

もしもあれを狙っているといいのなら…。

ガキッ

ジルの予想を裏づけするように、口内で何か硬いものが外れる音がする。

粘質の音を立てながら、ミズキは顔を離す。

頬は不自然に膨らみ、それが目的の物を手に入れたのだと証明していた。

「かっ……姐さん…、サクランボの茎口ん中で団子結びできるだろぅ…?」

「蝶々結びも楽勝よ」

口の中から歯の白さに似た色をしている、けれども質感が微妙に違う物がチラリと覗く。

一センチもないそれは、ジルも良く知るものだ。

「マイクロレコーダを口の中に入れてるって…よく気付いたな……」

「オモイカネを甘く見ないことね」

「かあぁっ……くそっ。そういうことか…っ!」

人間の記憶というものは非常に曖昧だ。

けれど、諜報という世界では情報の正確さがモノを言う。

そこで考え出されたのが、視覚や聴覚と極小のコンピュータをリンクさせ、自分が見聞きしたものを逐次記録するシステムである。

そして記録したデータはマイクロレコーダに記録される。

つまり本人からわざわざ聞き出さなくとも、そのレコーダさえ手に入れれば自白と同じ効果を期待できるわけだが

そこは開発者も分かっていたので、きっちり防衛策も講じてある。あるのだが、何故か今はそれが働いてはいなかった。

「あぁ腹痛ぇ……開発部の奴ら、絶対安全だとか何とか言っておきながら…」

「ん〜、データはちゃんと消えてるよ?」

「あ、姐さん?そうか消えてるのか………っておいっ!何でそんなことが分かるんだ!?」

「秘密」

「なんだいそりゃぁ…」

コロコロと、口の中でマイクロレコーダを弄ぶ。

飴を舐めるようなその仕草はまるで子供の様でもあったが、現実はそんなものとは程遠い。

パキィ…

軽い破砕音は、ミズキのレコーダを噛み潰す音だった。

「は…はは……なんかも、今日は訳分かんねえ事ばっかりだ……親スノーフレーク派のはずの火星軍フライトナーズが

 ネルガルの戦艦に乗っていたり、陽炎は人間辞めてる動きだしレコーダは噛み砕くし…」

「世の中ね、知っても分かんない事だって一杯あるものよ」

「持論かい?」

「ん、今考えた」

「そうか………あぁ〜血が足りねぇ………」

それだけを言って、ジルは床に伏した。




「疲れた………これからイツキちゃんに親切丁寧説明会しなくちゃならないし……あ〜今日の私は奮発大サービス…。

 絶対割に合わないわ…あぁでも。そう、あれがあった…待っててね〜私のモカキリ〜」

時にミズキ曰く、コーヒーにミルクなんぞを混入させるのは黒くなくなるから邪道、とのこと。

それはともかく、気絶しているジルの左足を掴み、無造作に引き摺る。

ベッドの角やらドアの端やら通路の壁やら医務室のドアにジルの体のあちこちがぶつかったりしたが、それを気にするようなミズキの

労りの心はジルに向いちゃいなかった。

医療班班長のビスケ爺さんは何故だか医務室にはいなかった。職務怠慢だろうか。

取り敢えずジルはベッドの上に放って、腹の上にファーストエイドキットを投げておいたのできっと勝手に生き返るだろう。

気分は結構鬱だった。
















「ミズキさんっ」

通路を歩くミズキの背中に、誰かが声を掛ける。

「……随分穏行が上手くなったわねサユリ。昔とは大違い」

「か、からかわないでくださいよ。私だって毎日鍛錬は怠ってません」

小走りで駆け寄ってくるサユリに、ミズキは軽い口調で言った。

その様子に先程までのジルとの戦闘の影響は見えない。

「鍛錬は絶対欠かしちゃ駄目よ?人間の体なんて放っておいたら心臓以外全部怠けるんだから」

「分かってます…技も力も心も無くていい。ただ自分の体を百パーセント使いこなせれば勝てる…って教えてくれました」

「そう、そしてその為には日々の鍛錬が必要不可欠。よく覚えてるわね…それ言ったの何年前だっけ?」

「サア…何時でしたっけ」

「うん……まあ、思い出したら教えてね。それじゃ」

「はい、それじゃ」

もと歩いていた方向に向き直り、再び通路を歩き始めるミズキ。



「――――――って、違います!」

「ちっ…」

「あぁ!今ちって言いました、ちって!誤魔化しましたね!?」

今度は振り向かないミズキに、サユリは自ら歩いて前に回り込む。

「……な、なんのことかしら」

「騙されませんからねっ。…ミズキさん、“能力ちから”を使ったでしょう」

「………」

そのことか、とばかりに視線を宙にさ迷わせる。

その様はどう見ても怪しかった。

「オモイカネは私に隠し事はしませんよ。それはミズキさんも知っているでしょう?」

「そりゃね」

「………はあ………心配、したんですからね。今、能力を使ったりして暴走でもしたら―――」

言葉を続けようとしたサユリの口唇に、ミズキの人差し指がそっと触れる。

それまでの挙動不審はどこへか、真剣な眼差し。

「大丈夫。そんな事態には絶対にならない。これはアキトとの約束だからね。絶対に守る。

 お陰でエステバリスに乗れないのは辛いけど…そこはまあ、アキトがカバーしてくれるし」

「だから心配なんですよ…ミズキさん、いっつもアキトさんのことになると見境なくなりますから…」

「ま〜ね〜」

またもころりと表情を変え、努めて明るくミズキは笑った。もしくは、それが本心か。

「………本当に分かってますか?」

半眼でじっとミズキを見つめる。信用は結構無い様だった。

「…あははは。ま、どうにかなるんじゃない?それよりサユリ、私のモカキリは?」

「もうっ…いっつも誤魔化して………コーヒーなら、さっきカザマさんの手当てした時に部屋に置いておきました。

 今行けば、丁度いい温度になってるはずです。ブラック、ミルクは邪道、ですよね?」

「さっすがサユリ。じゃあ私はイツキちゃんのお見舞いに行って来るわ」

「…………お気をつけて」

何ともいえない微妙な表情で、サユリはミズキを見送った。
































夢。


終わらない夢。


あの日から一歩も進むことが出来ず。


未だこの夢を見続ける。


苦しくて。


悲しくて。


どうしようもなく、自分は愚かで。


あの日の悲しみを。


あの日の想いを。


自分の過ちを。


認めたくは無かった。


だから復讐しようと思ったのかもしれない。


彼―――――テンカワアキトに。












「意外とお早いお目覚めね」

呼び声は、若い女の声だった。

声に誘われるように体を起こそうとする。腹部に走る痛みは我慢できる許容範囲内だ。

「どれくらい……寝ていましたか?」

「うん?三十分弱といったところかしら…。そこの古臭い時計を信用するならね」

ゆっくりと、女の指した時計を見る。

自分が持ち込んだ、年代物のアンティーク機械式壁掛け時計。

メーカーは…忘れた。

いや、そもそも覚えていないのかもしれない。市場で買った品だから。

再び閉じた目の上に腕を乗せながら、ゆっくりと思考の回復を図る。

「それにしても……貴女、よくその時計、読めましたね」

「…私の生まれた場所じゃ、普通に使ってたけど?」

…月や火星では地球とは時間に対する認識が違うためにアナログの表記方式は馴染みが無い。

だが、未だに地球の極一部の地域ではこの方式が当たり前に使われていると、以前どこかで聞いたことがある。

もしかしたらそこの産まれだろうか。きっとそこでは年代物のアンティーク時計も安いに違いない。パラダイスだ。



…どうにも思考がうまく働かなかい。

霧を払うように頭をかぶりながら、声の発生源の方を向いた。

「……あなたはっ…!」

「なに、もしかして気付いてなかったの?」

自分が横になっているベッドの脇で、椅子に座ってコーヒーを飲んでいたのは他でもない。

タチバナミズキその人だった。

イツキの記憶から、気を失う直前の光景が色鮮やかに蘇る。

一体何をされたのか皆目見当もつかなかったが、ほぼ確実に、気絶へと追いやった張本人はミズキだ。

「…なんの、用ですか」

「酷い言い草ねぇ…まあ、いいんだけどさ」

本当にどうでもよさそうに、ミズキはぼやいた。

コーヒーを黒いトレイの上に載せる。

黒いコーヒーカップの中身は既に空だった。

コーヒーを淹れて、飲み干すぐらいの時間。最低でもそれだけ気絶していたということだろう。

三十分というのもあながち嘘ではなさそうだ。

「さってと…。まずは、どこから話そうか?大体事情は聞いたし、何でも答えてあげるわよ?」

「はぁ…?」

よく意味が分からなかった。

今この状況で、ミズキが自分に一体何を話すというのか。

「よく分かんないって顔ね。じゃ、勝手に話させてもらうわよ」

ふ、とミズキは不敵な笑みを浮かべる。

その笑みは、まるでこの状況を楽しんでいるかのような―――そんな気持ちを、イツキに抱かせるに足るものだった。








「答えは簡単。理由も簡単。問題だったのは、当事者と事の発端者がえらく人付き合いが苦手だった事くらいね。

 イツキちゃんもイツキちゃんだけど、アキトもアキト。なんで私の周りの人間はこんなのばっかりなのかしら?

 まあそれはどうでもいいとして…。アキトがユートピアコロニーシェルターにチューリップを落とした理由―――」

「ちょっと待ってください…。何故、あなたがそのことを知ってるんですか」

「………理由はね?」

無視された。

けれど、とりあえずそのことについてイツキは追求するつもりは無かった。

今は何よりミズキの話に興味がある。

「一つはチューリップが第三宇宙港に落とされる時、あの場所に間に合うのが僅か数機しかいなかったこと。戦艦も含めてね。

 そしてその中、一撃でチューリップを落とすことの出来る兵器を持っているのがアキトだけだった」

「………」

確かに、それは事実だ。

レミル中尉でさえ、あの巨大なチューリップが落とされる時には為す術も無く立ち尽くすだけだった。

並大抵の火力ではチューリップに対し有効打撃を与えることは叶わなかっただろう。

「けれどね?本来アキトの居た地点からは、武器の有効射程距離をプラスしたとしても宙港に激突するまでに間に合わなかったのよ。

 もちろんそれはアキトも分かっていたから、リミッターカットなんて馬鹿な真似してコロニーに急いだわ。

 でも、それでも間に合わなかった。だから、アキトは最後の手段を選んだ」

「オーバーレンジアタック…ですか」

有効射程距離外からの攻撃。

それは相手を倒すためではなく、精々が威嚇程度にしか使われない。

相手がチューリップである以上、この方法は間違いなく賭けに近いものだっただろう。

「そう。ただの兵器だったら無理だったんだろうけど…あの時アキトが使ったのは火星会戦直前に完成したばかりの新型兵器でね。

 指向性超重力場発生装置付き超質量弾…だったかなんだったか、長い名前なんで忘れたわ」

「指向性超重力場…?それじゃあまるでグラビティブラスト、いえ、まさかグラビティボム……」

「良い勘ね。正解よ。あれは私が専用の砲身が使い物にならなくなった弾を分解して小分けしたものよ。

 手榴弾方式で、砲身が無くても使えるように。まったく…一撃で拉げるなんて金の無駄もいいとこだわ」



「…………ははは…じゃあ、なんですか?カイトを殺した兵器に、私は二度も助けられたってことですか…?

 そんなの…そんなことって…っ!」



自嘲して、イツキは俯き頭を抱えた。

馬鹿馬鹿しい。あまりに皮肉としか思えない。

「だからアキトも、寸前までグラビティボムを使うことを渋ったんでしょうね」

「…そんな中途半端な優しさなんて、要りません」

「同感ね。でも…アキトは不器用だから、さ。そういう方法でしか優しさを表現できないのよ……」

穏やかにミズキは呟く。

あるいは、それはイツキに向けた言葉ではなく、独り言だったのかもしれない。

「…ともかく…。超重力場を形成するとき指向性を持たせることが出来たあの兵器で、本当ならユートピアコロニーからも離れた

 別の場所にアキトは落とすつもりだった………」

「つもりだった…?」

「撃とうとした十七秒前、ユートピアコロニーのシェルター内壁に、多数の熱源が突然発見された」

多数の熱源。

それはあり得ない、とイツキは思った。

あの時あの場所に残っていたのは、たった一人。

カイトだけの筈なのだから。

「ユートピア大空洞……って知ってる?」

「……いえ」

初めて聞く名だった。

もっとも、イツキとて火星の全地域名を覚えているわけでもない。

「ユートピア平原の地下深く…そこに、ぽっかりと空いた空洞があるの。それが、ユートピア大空洞。

 一般には知られてない…っていうか発表すらされてないんだけど。

 何にしても複雑に入り組んでてその十分の一も解明されてないっていう曰くつきの場所よ。

 その空洞の一部が、ユートピアコロニーシェルターに程近い位置に伸びているの。

 さぁてここでも・ん・だ・い。ユートピアコロニーからかけ離れた平原に、会戦の中ごろに落ちたチューリップがあった。

 ほとんど建造物が無い区域だったし、初めは無視されたけど、流石に戦艦が出てきてからは余裕のあった艦隊によって破壊されたわ。

 その間約一時間程度。けれど不思議なことに…そのチューリップから出てきた戦艦以外の姿を近隣の部隊は発見していない。

 謎此れ如何に」

単純な話だ。

発見していないのなら、どこかに行ったということ。

その答えは。

「大空洞を通って…………シェルターに近づいた……」

「SSINのネットワークも、流石に地下深くの大空洞までは監視できなかった…いえ、違うわね。

 宇宙そらからの侵略者たちに対して、無意識のうちに地面の下のことを除外していたのよ」

「至極真っ当な判断だと思います……。余計なことをしてネットワークを混乱させることも無いでしょう」

「そう…。でもね、話はそれだけでは終わらなかった。シェルターにね、ボース粒子の異常増大が確認されたのよ」

「ボース、粒子……って、チューリップから木星蜥蜴が現れるときに検出される…?」

現在では、チューリップからのみ検出されるボース粒子。それが何故、そんなところで。

「ボース粒子が検出されたこと自体も、その原因もどうでもいい。ただ問題だったのは………」

それは、研究者の間でも未だに論議され続けている謎だった。

そもそもの相手、木星蜥蜴の所有するチューリップから検出されるボース粒子。

何故、チューリップから何かが現れるとき、この物質が検出されるのか。

そして何故――――――






ボース粒子が発生した場所に、木星蜥蜴どもは群がるのか。








「木星蜥蜴が…火星軍という敵に躍起になっている間はまだ良かった。

 戦場は無尽蔵に拡大していたけど、それでも地表に降りてくるのは全体の半分以下。

 でも……ボース粒子が木星蜥蜴に発見されたら………、その数は一気に増える。

 まだ避難の済んでいない地域がある以上、それだけは何としても避けなければならなかった」

「………………」

「アキトの持っていた新兵器はね、指向性の重力場を形成できる。そしてそれは…喰らわせた相手にも一部影響するのよ。

 重力場を浴びせたチューリップを使い、アキトはボース粒子の拡散を図った。

 奴らの使っているセンサーの検出感度がどれぐらいかは分からなかったけど、やらないよりはマシだったからね」

そして、一つの矛盾。



「………何故、知っていたんですか?」

「何が?」

「木星蜥蜴が……ボース粒子に群がる習性があることです………。火星会戦の時点では、そのことはまだ知られていなかったはず。

 どうして、知っていたんですか?あなたは何を知っているんです?そもそも………あなたは一体何者ですか?」

「………質問が多い。けれど、答えてあげる。奴らがボース粒子に群がる習性を見つけたのは火星軍が最初。

 もっとも、それはチューリップから木星蜥蜴が出てくる一瞬の隙、それをカバーするためだと推測されていたけどね。

 二つ目には、判断材料が乏しすぎ。よって返答不可。私が何を知っていることを聞きたいのか、それをハッキリしてね。

 三つ目。これは簡単ね。私は………タチバナミズキよ。これ以外の何者でも私は在りたくは無い」

 












ミズキがイツキの部屋を去る。

ドアが閉まる直前、イツキが軟禁状態にあることを告げていたような気もしたが、とても部屋を出る気にはなれなかった。

あまりに分からないことが多すぎた。

一体何を信じればいいのか。

何を信じて、何を怨めばいいのか。

テンカワアキトを怨むべきなのか。

木星蜥蜴を怨むべきなのか。

それとも、ボース粒子が発生したその原因を怨むべきなのか。

しかし、ボース粒子が発生せず、アキトがチューリップを落とさなかったとしても、バッタがカイトを殺していただろう。

新たな勢力がユートピアコロニーから出現すれば、一撃で新兵器が使えなくなったフライトナーズの隊長、そして十数機のユーコミス。

それだけで敵を相手にしなくてはならない。

武器弾薬を使い果たし、機体そのものもスクラップ寸前まで追い詰められていたあの状況で、果たしてそれを相手に出来たのか。

分からない。

「分からない…………よ……カイト……………………教えてよ…お願いだから………」

涙で頬を濡らし、ベッドの上で蹲る。

普段の気丈なイツキからは想像も出来ない“弱さ”が今の彼女にはあった。

恋人の名を、縋るように呟く。

「私、貴方がいないと……ねぇ…………カイト……………カイト………」

けれど、返ってくる声は無く。

















「……………………………………カイトォ……………ッ!」








一人、哀しみの感情なみだを零し続けた。














































遺跡の演算装置の上に、女はいた。

四隅の角の実に際どい位置に立つも、女になんら危なげな様子は見えない。

フワリ、と豊かな銀の髪が闇をたゆたう。

角の位置から一歩、二歩と足を進め、女は宙に立つ。

歩を進めた方角のその先にナデシコがいたのは、果たして偶然だったのだろうか。

銀髪の隙間から見えるその表情は、あくまで冷淡で、なにものも映さない。

一切の物質が変化することなく、ただ時だけが過ぎ去る。

ふと。

足元に向けていた視線をすっと真上に上げる。

するとそこにはいつからいたのか、一機の巨大な人型機動兵器が佇んでいた。

一体どういう物理法則に従っているのか、少女と同様外界に影響を齎すような装置は見受けられない。

その背中の翼は羽ばたくことなく、ただ、無造作に開かれていた。

それでも。

女と、兵器はここに存在していた。

兵器は、女を守る騎士が如く。

女は、兵器を見送る王女が如く。


















「………………………………さあ、行きなさい。ブローディア」




















後書き

藍染児:う〜ん…なんだか今一上手く纏まらなかったなぁ…。暫く書かないとすぐこうだ…。

ミズキ:山ばっかりで谷がないわ。起承転結は文章を構成する上での基本要素でしょ?

藍:ま、そうなんだけどさ。そもそも火星のシナリオは異常に多いんで、消化しきれないっていうのが本音です。
  ユリカの話もちょぉっと強引だったしなぁ〜。今回反省点が多いよ…。更新するのに凄い間が空いたし。
  ジルとミズキの戦闘は本当は二十四話にするはずだったのを短いからこっっちにもってきたのはいいけど
  無理矢理だった所為か前後の繋がりが相当怪しいし…。

ミ:あっそう。じゃあお葉書コーナー。

藍:…まだあったの?ていうか、もしかして当分これで引っ張る気?

ミ:ええと…佐賀県佐世保市にお住まいの、『犬の名前をつけられた』さんからのお便り。
  何々……『本当にカイトは死んだのですか?もし生きてたらイツキのために早く登場させてあげてください。
  イツキがかわいそうです』……って何コイツ。イツキちゃん呼び捨てよ?図々しいわね。彼氏じゃあるまいし。

藍:私に意見求められてもねぇ…。

ミ:で、答えは?

藍:そりゃもう見事に死にました。再登場不可です。

ミ:あんたの言葉って信用ないけどね。

藍:………ぐすん。

ミ:次。お、スペースメール。火星ユートピアコロニーにお住まいの『ミカン少女』さんからのお便り。
  『ぼおすりゅうしがはっせいしたのは、TVばんで出てきたアイちゃんのせいですか?それから、もくせいとかげが
   ぼおすりゅうしにあつまってくるしゅーせーがあるってはじめてしりました。これってほんとうですか?』…だって。

藍:なあ、その葉書くれたのって…。

ミ:気にしたら負けよ。

藍:…イエス、マム。で、ボース粒子の発生原因?まあナデシコ知ってる人なら誰でも予想つくね。ミカン少女さんの言う通り
  アイちゃんのボソンジャンプのことです。…でもカイトは死んだけどな。
  それからボース粒子に木星蜥蜴が群がる習性があるって言うのは、オリジナル設定です。
  というかアキトがユートピアコロニーにチューリップを落とす理由を無理やり捏造した、とも言いますが…(汗)
  もう出てこない設定だろうし気にするな!

ミ:相っ変わらずいいかげんなんだから。そんなことばっかりしてると読者が離れるよ?

藍:私の頭じゃこれが限界なんだあああああああああああああああ・・・・・・!

ミ:あ、逃げた。……まだ葉書あるんだけどなぁ…。えと…住所書いてないな…別に返信するわけじゃないからいいけどね。
  PNは…『漆黒の戦神(西欧版)』さん?括弧西欧版括弧閉じって、何?いいけどさ。
  何々『最後に出てきた機体の名がブローディアである理由は?難しいかもしれないが、出来ることなら変更して欲しい。
  生半可な覚悟ではあれを乗りこなすことは出来ない』
  ……………知るか。コイツも生意気ね。っつうかあれ人乗ってんの?
  まあいいわ…作者の代わりに私が答えますか。………あれはきっと作者の趣味よ。意味なんて絶対無いわ。
  とまあ、ん〜…とりあえず今回はこれだけ。お葉書の宛先は下記の通り。

  〒ND−001 撫子都ネルガル区2196−10−1『終わり無き旅 質問コーナー』

  自分で言っておいてなんだけど………これ、どこ?

 

 

 

 

代理人の感想

「アイセンジ」と「アイスエイジ」って似てますよね。

と、意味不可解なつかみから本題。

 

い〜いですねぇ、今回の展開。

シスタージルとキューティーハニーミズキのドツキ合いはちょっと置いといて、

回想と修羅場を通して各キャラクターの強さと弱さを合理的に書いている(約一名除く)のがいい感じ。

一番問題になりそうな(爆)ジュンも、キレた後に反動でオロオロする事でちゃんと釣り合いをとっていますしね。

今回の彼は「ジュンらしく」カッコイイといえるでしょう。

 

 

・・・・・・・・・・・それでも、春は来ないんだろうな(爆死)。

 

 

 

>ブローディア

作者の人はああ言っているけど、そこはそれ、ブローディアと言う名前に

やっぱり意味はあるんだと信じて上げましょう(核爆)。