三年ほど前までシンジが修行していた巨大な空洞──そこは以前に比べると随分と様子が変わっていた。
空洞の中は岩肌が露出し、太陽の光もほとんど届かないため暗い。そこら辺は以前と変わらない。
大きく変わったのは、その空洞の中に木造の一軒家が建てられてたということだ。
その家に住んでいるのはたった2人──家を造り出した綾波レイと最近になってサルベージされた渚カヲルである。

「タブリス……食事はまだなの?」

レイが居るのは家の中の和室なのだが、その部屋は異様に広かった。
何十畳も敷かれた畳、上を見上げてみても天井が見えないほどの高さ──はっきり言って、家が収まるほどの広さである。
そんな広い部屋の中心にはちゃぶ台が置かれ、レイはそこに座ってお茶を啜っている。

「今、出来上がったところだよリリス」

何処からともなく部屋の中にカヲルが現れた。その手には熱そうな鍋を持っている。
カヲルはちゃぶ台に鍋を置くと、レイの反対側に腰をおろした。

「「いただきます」」



手を合わせて二人は食事を始める。レイは野菜ばかりを食べ、カヲルは肉と野菜の両方をバランスよく食べている。
レイはダミープラグの実験などでよくLCLに浸かっていた。LCLは血の匂いがするため、血の匂いを思い出す肉がレイは嫌いである。
しかし、第三新東京市に行くまでLCLで満たされたカプセルに入れられていたカヲルは、別に肉が嫌いというわけではないらしい。

「鍋は良いねぇ……鍋は団欒の場をもたらし絆を深めさせてくれる。リリンの生み出した食文化の極みだよ」

「わけのわからない事を言ってないでさっさと片付けなさい」

食事も終わり、微笑みながら言うカヲルにレイが言った。
レイのあまりな物言いに、カヲルの顔が僅かではあるが不機嫌そうなものになる。

「リリス……君は食事の用意までさせて片づけまで僕にさせるのかい?」

「あなたはこの家に居候しているのよ? だから、家事はあなたの仕事なの……。それが嫌なら地球に送ってあげるわ」

「君が僕を勝手にサルベージしたんじゃないか!」

「だったらまたLCLに戻る? 夢のような世界が待ってるわよ?」

「それは……遠慮しておくよ」

赤い海──LCLに溶けている者達はレイの言う通り夢のような世界にいる。
欠けた心を補完されLCLに溶けた者達は、赤い海の中で自分の理想とした世界を夢として見ている。
地球には未だLCLから戻ってきた者はいない。その世界が心地よすぎるため、1人の力で戻ってくることがほとんど不可能であるからだ。

(あの世界は確かにすばらしかったけど、所詮は偽りの世界……ただの幻さ。どうせなら現実のシンジ君と仲良くなりたいからねぇ)

「それが嫌ならさっさと片付けなさい。早くしないと……見せないわよ?」

そう言ってレイは視線を横にやった。その先には正方形の形をした物体──遺跡が置かれている。
和室の中に遺跡が置かれているのも変わっているが、その遺跡自体が前と少し変わっていた。
正方形の形で幾何学模様であることは変わらないが、ある一面──ちゃぶ台の方を向いた一面にテレビ画面が付けられていた。

「私は自分の力で様子を見ることが出来るけど、あなたは出来ない……。どうしてもと言うからあなたでも見れるようにしてあげたのに……」

人の弱みに付け込むなんて……恥を知れリリス!



(……なんて死んでも言えないねぇ。言った瞬間に消されてしまいそうだよ……文字通りにね)

カヲルはため息を吐くと、ちゃぶ台に置かれた鍋を持って和室から出て行った。
カヲルが部屋から出て行くと、レイはお茶を造りだして飲み始める。

「リリス……そろそろ見せてくれないか?」

カヲルは数分程経ってからすぐに戻ってきた。急いで来たのか額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
カヲルが腰を降ろすのを見たレイは、面倒臭そうにため息を吐いてパチンと指を鳴らした。
遺跡に付けられた画面に映像が映り始める。最初はノイズが混じっていたが少しずつ映像が鮮明になっていく。

《くっそぉぉー!》

画面にシンジが映る。画面に映ったシンジは大きな声で叫ぶと大きく横に跳んだ。
シンジが跳んだすぐ後に、さっきまでシンジが居た場所に多数のロケット花火が撃ち込まれた。
またロケット花火が発射された──撃ったのはリリーである。肩の部分が開き、そこからロケット花火が大量に発射されている。

「真剣な表情も最高に素敵だよシンジ君! ああ……僕は……僕は……僕はぁぁぁ!!

カヲルが遺跡に向かって跳んだ。その衝撃でちゃぶ台がひっくり返り、湯呑みが畳の上に落ちた。
カヲルの顔の中心から赤い液体が伸び、それがカヲルの通過していった跡を残すように赤い染みを作っていく。

「……!?」

カヲルの動きはレイが驚くほどに速かった。 レイが気づいた時には、カヲルはすでに宙を跳んでいたのである。
呆気に取られ一瞬思考が停止してしまったレイであったが、すぐに自分のするべきことを行なった。

……シャムシエル

レイの右手に鞭が造り出され、鞭はレイの意思通りに動きカヲルの首に巻きついた。
鞭の柄を思いっきり引っ張るレイ。カヲルは空中で息の詰まった声をあげ、受身も取れずに頭から落ちた。

「タブリス……あなたの汚い鼻血で遺跡を汚すつもり? それに、テレビを見る時は離れて見るのは子供でも知っていることよ」

「……」

カヲルは何も答えない──というよりも答えられないでいる。
未だにカヲルの首には鞭が巻きついているため、カヲルは呼吸が出来ないでいたのだ。
白目を剥き、ピクピクと痙攣し始めるカヲル。だが、それでもレイは鞭を首から解こうとはせず、遺跡に映るシンジを見ていた。

「あんなロボットに負けたら修行を厳しくしないといけないわね……」

唇の端を歪めて笑うレイ──まだカヲルの首から鞭を解いていない。

(サキエルにシャムシエル。それにラミエルも……みんなそんなところにいたのかい? ははは……僕もすぐにそっち側へ行くよ……)

白目を剥いたまま不気味に笑うカヲル。カヲルは三途の川を渡りそうになっていた……。










「ロケット・パンチ!」



無機質な声と共に左腕がシンジに向かって飛んでくるが、シンジはそれを紙一重で避けリリーの左腕は壁にめり込んだ。
ワイヤーが巻き戻され左腕が元の位置に戻る。リリーのそれはロケットパンチというよりはワイヤードフィストであった。

今シンジとリリーはナデシコの『トレーニングルーム』にいた。
普段はリョーコ達や警備班達が訓練に使っているが、今は戦闘中のためか誰も使っていなかった。

「イカリシンジ……大人シク神の裁きヲ受けヨ!」

そう言ってリリーはまた腕を飛ばしてくる。が、真っ直ぐな動きであるためシンジには当たらない。
リリーの攻撃を避けたシンジは、ポケットにいつも入れている木刀を取り出すと大きくして構えた。

(綾波は何でこういうことを毎回するかな……。綾波もそうだけど、ウリバタケさんは何て危険な物を造ってるんだ……)

シンジは知らないことであるが、ウリバタケが造ったリリーはここまで危険な物ではない。
ロケット花火やドリルを装着したのは確かにウリバタケだが、ここまで自由に動けるものは流石にウリバタケも造れない。
ここまで危険な物になったのは、レイがシンジにお仕置きするよう命じたのに加え、リリーの性能をさらに向上させたためである。

「ロケット・パンチは当タラナイ……。ナラバ、レイ様にイタだいた力を使うマデ……クラエ! イカリシンジ!!」

また左腕を飛ばすリリー。シンジは今まで通り横に跳んでそれを避けようとした。
だが、リリーの左腕が意思を持ったように動き始め、さらに左手の指先からロケット花火を撃ち始めた。

「ミエル……ミエマスよレイ様! ワタシにも敵がミエル!!」



そんなことを叫びながら指先からロケット花火を撃ちつづけるリリー。
だが、撃ちすぎたためにリリーはとうとう弾切れを起こしてしまった。

「君に負けるわけにはいかない! 綾波の修行が厳しくなるなんて僕には耐えられないんだ!!」

その隙を逃さず、シンジは一気に近づくとATフィールドを纏わせた木刀で突きを放った。
リリーもそれに応戦し、右腕に装着されたドリルをシンジに向けて突き出した。

「……ウリバタケさんに何て言おう」

リリーのドリルはシンジには当たらなかった。それより先にシンジの木刀がリリーを貫いていた。
オイルが木刀を伝って床に落ちる。シンジはハンカチを取り出すと、小さくした木刀を包んでポケットにしまった。
シンジはブリッジに向かおうとドアのある方へと振り返った。が、それが大きな隙を作ることになった。
リリーの眼に光が灯った。完全に停止したと思ったリリーは再び動き出し、シンジに思いっきり抱きついた。

「な!? ま、まだ動けたのか!」

「アマイ……アマイぞイカリシンジ! だからオマエは阿呆なのだ!!

リリーはギリギリとシンジを締め上げる。その力は思いのほか強く、シンジは抜け出すことが出来ない。
だが、締め上げるだけでリリーは何もしてこない。締め上げるといっても意識を失うほど強い力というわけでもない。

「一体何を……」

「フフ……ウリバタケハカセはおヤクソクが好きなカタでな」

突然口調が変わるリリー。シンジからは顔が見えないが、リリーは唇の端を歪めているようにも見える。
シンジにはお約束という意味が理解できなかった。リリーはそれが分かったのか簡単にお約束について説明した。

「ロボットのおヤクソク……それは『ロケット・パンチ』『ドリル』……そして『自爆』!!

「なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」



自爆という言葉を聞き、必死になって抜け出そうとするシンジ。
しかし、リリーもそうはさせないとでも言うように、さらに力を込めてシンジを締め上げる。

「カウントダウン・スタート……5……4……3……2……1……レイ様ァァァ!!



その叫びと共にトレーニングルームにて小さな爆発が起こった。
シンジが咄嗟にタブリスの力でATフィールドによる結界を張ったのでナデシコの被害はなかった。
が、ナデシコの代わりになったシンジがその分大きなダメージを受けたのは言うまでもない……。















赤い世界から送られし者


第七話『辿り着いた火星と重すぎる決断』

「何の役にも立てない……。僕の力は何のためにあるんだろう……」












ナデシコの目的地である火星は眼前に広がっていた。そして、それは敵の勢力圏に入ったという意味でもある。
火星を背景に木星蜥蜴の何隻もの戦艦が並び、その戦艦からは大量の機動兵器が出撃していた。

「舐めるなよ〜」

リョーコは下唇を舐めると、コントローラーパネルに添えた右手に力を込める。
IFSを通してエステがリョーコの考えたとおりに動く。エステは右手を振り上げると、近くにいたバッタを殴り飛ばした。
バッタはエステの拳に耐え切れず破壊され、それを確認した周囲のバッタがリョーコの赤いエステに襲い掛かる。

「ヒカル!」

「はいはい〜!」

リョーコの呼びかけに気楽そうな声でヒカルが答える。
ヒカルはエステのフィールドの出力を上げると、リョーコを追っていたバッタ達に攻撃をしかけた。
ヒカルの攻撃を受けたバッタ達は、固まっていた事もあって次々と仲間を巻き込みながら爆発していく。

「ほ〜ら、お花畑」

「あははは」

ヒカルの言う通りその爆発はいくつもの花に見えた。その言葉を聞いたリョーコは楽しそうに笑う。
楽しそうに笑うリョーコとヒカルに、イズミからも通信が送られてきた。

「ははははは……。ふざけていると……棺桶行きだよ」

初めはリョーコ達と一緒になって笑っていたが、すぐに笑うのを止め真面目な口調で言うイズミ。
普段は寒いダジャレばかり言っているイズミであるが、突然真面目になることがあるのだ。

「イズミってば本当にハードボイルドぶりっ子なんだから」

ヒカルの言葉にイズミは答えず、バッタ達をどんどん破壊していく。
エステを駆りながら何か思いついたのか、黙っていたイズミが口を開いた。

「甲板一枚下は真空の地獄……。心を持たぬ機械の虫どもを葬るとき、我が心は興奮の中に……なぜ」

さらに加速するイズミのエステ。リョーコとヒカルもフィールドを纏わせてそれに続く。
フィールドを張った3機のエステがバッタ達の中を突破していく。
次々と爆発していく敵の機動兵器。その爆発は一本の道のようにも見える。

「冷めたもの……悪いわね性分なの」

「あ〜変な奴、変な奴、変な奴〜!」

イズミの話を聞いていたリョーコが苛立たしげに何度も呟く。
3人ともふざけている様に見えるが、それでも敵の数を確実に減らしていく。

「おらおらおらおらおら〜!」

エステの拳にフィールドを纏わせる──ディストーション・パンチで敵を破壊していくガイ。
今までとは比べ物にならないほどの敵の数。ナデシコにとって初めての本格的な戦闘にガイのテンションはかなり高まっていた。
デビルエステバリスとの戦闘では全く活躍出来なかったが、プロスにスカウトされただけのことはあり腕はいい。どんどん敵を撃破していく。
リョーコ達の活躍によって機動兵器がどんどん破壊されていき、残ったのは戦艦など大型の物だけになった。

「なんだよ、なんだよ……あいつら楽しそうじゃんかよ!」

4人の後を少し遅れながらついていくアキト。その動きはまだまだ未熟である。
コロニーの件から2週間──アキトは暇な時にはシミュレーターで練習していたが、宇宙での実戦はまだ2回、上手くないのは当然である。

「……ん、なんだ? まさか!」

アキトは慌ててエステを上昇させた。遠くで何かが光り、アキトが今までいた場所を敵の砲撃が通過していく。
敵がナデシコに向けてグラビティ・ブラストを放ったのである。上手く避けたアキトだが、そのせいでバランスが崩れた。

「慣性ってのはまったくも〜!」

アキトはエステのスラスターを操りながら、何とかバランスを取り戻す。
上手くエステの体勢を整えたアキトは、砲撃が飛んできた方へと目を向ける。
アキトが目を向けたのと同時に、再び多数の敵戦艦からナデシコへ向けての砲撃が放たれた。










「艦長、エステバリスを回収したまえ!」

「必要ありません。……アキトがんばって!

フクベがエステ回収の指示を出すが、ユリカはそれを拒否した。
ユリカに拒否されたフクベの顔が僅かに歪む。彼は今第一次火星会戦のことを思い出していた。

全く効果がない地球側の攻撃、それに対し木星側の攻撃は確実に地球側の戦力を破壊していく。
戦いとは到底呼べないほどの戦力差──あの時の恐怖はその場にいたものにしかわからない。

「大丈夫ですよ提督。そのための相転移エンジン、そのためのディストーション・フィールド……そのためのグラビティ・ブラスト」

フクベが何を考えているのか想像がついたプロスは、メガネを押し上げて言った。。
フクベは後ろを振り返りるとプロスと目を合わせ唸り声を上げる。

「あの時の戦いとは違いますぞ。お気楽にお気楽に……」

笑みを浮かべて言うプロス。それに対してフクベは何も答えず向き直り、モニターに映る戦闘に集中することにした。










アキトより先行していたリョーコ達が一隻の戦艦に攻撃をしかけた。
しかし、その攻撃は戦艦のフィールドを強化されてしまったため弾かれてしまった。

「俺のゲキガン・フレアが……!」

「にゃろ〜。フィールドを強化しやがったな」

「エステと戦艦のフィールドじゃ出力が全然違うもんね〜。どうしよっか?」

「死神が見えてきたわね……」

「「「見えん! 見えん!」」」

不吉なことをいうイズミに全員がツッコム。
そこに、遅れてついてきていたアキトが拳にフィールドを纏わせて戦艦に突撃する。
戦艦のフィールドがアキトの攻撃を受けて歪むが、エステでは出力が足りなかったのかアキトも弾かれてしまった。

「敵もフィールドか……!」

フィールドに弾かれたアキトが吐き捨てるように言う。
どうやらアキトは、リョーコ達がフィールドに弾かれたのを見ていなかったようである。

「何やってんだよおめぇは……」

「途中まではかっこ良かったんだけどねぇ〜」

呆れた様に言うリョーコとヒカル。
何も言い返せないアキトは、頬を掻いて困ったような顔をする。

「でもどうやって敵のフィールドを破るんだ? このままじゃまずいだろ」

ガイのもっともな意見に全員が唸り声を上げる。
誰も意見を出さない中、アキトは何かを閃いたのか、そうだ! と声を上げ、イミディエット・ナイフを取り出す。
イミディエット・ナイフを構えたアキトは、スラスターを噴かして再び戦艦に向かった。

「何考えてんだアキト!」

「ホントに特攻!?」

「ふ……死に水は取ってあげるわ」

「なに縁起でもないこと言ってんだイズミ! おい、テンカワ無茶だ止めろ!!」

「死ぬ気なんてない! 入射角さえ……!」

止めようとするリョーコにアキトは答えると、敵のフィールドにナイフを接触させる。
そのままフィールドの上を滑るようにエステを動かすアキト。エステのナイフが少しずつフィールドに食い込んでいく。
ナイフが船体に触れるか触れないかという所で、アキトはスラスターを一気に噴した。
アキトの攻撃で戦艦のフィールドが消滅し、船体に亀裂が走る。そのまま戦艦から離れたアキトは叫んだ。

「ガイ!」

「おっしゃぁぁぁぁぁ!」

アキトの叫びにガイは気合の入った声で返し、エステを戦艦へと向かわせる。
船体の亀裂の入った箇所に向かい、ガイはエステの右手にフィールドを集中させた。

「ガイ・スーパー・ナッパァァァァ!」



ガイの攻撃が戦艦に抉りこみ、亀裂を沿うように艦に炎が走っていく。
攻撃を受けた戦艦は大きな爆発を起こして周囲にいた戦艦を巻き込んでいった。
アキトは自分が役に立てた事を実感し、満足げな笑みを浮かべていた。










戦闘も終わって火星へと降下軌道がとれるようになり、ナデシコは火星に降下しようとしていた。
アキト達のエステも回収され、エステから降りたパイロット達は先ほどの戦闘について話している。

「意外に凄かったんだなテンカワって」

「ホントホント。ビックリしちゃった」

アキトを褒めるリョーコとヒカル。 その際、ヒカルは目の飛び出す玩具でアキトを驚かせた。
ガイもその隣で、「さっきの展開は燃えた!」と言って叫んでいる。

「お疲れ様でした!」

そう言って格納庫にやって来たのは出撃できなかったシンジである。
シンジは両手にジュースの缶を5本持っており、アキト達の所にくるとアキトから順にジュースを配っていく。

「奢りです。もらってください」

シンジは戦闘に参加できず役に立てなかったことを気にしていた。
何もしないのは悪いと思い、シンジは飲み物を買ってアキト達が帰ってくるのを待っていたのである。

「どうしたんですか? アマノさん」

ヒカルにジュースを渡そうとした時、自分の事をじっと見ていたヒカルにシンジは尋ねた。

「う〜ん。何かところどころが汚れてるのが気になって……何かあった?」

「な、何もなかったですよ……?」

誤魔化して答えるシンジ。何があったのか言ったとしても信じてもらえないだろう。
シンジは今まで意識を失っていた。リリーの自爆に巻き込まれてしまったからだ。
エステが帰艦し始めた頃に意識を取り戻したシンジは、急いで格納庫に来たのである。

「それと下の名前で呼んでくれるかな? 同じパイロットなんだし、名字だとなんかね〜」

「はぁ……別にいいですけど」

「オレも名前の方がしっくりくるから名前の方で呼んでくれ」

シンジからジュースを受け取り、リョーコも名前で呼ぶように言う。
その隣ではガイも「俺はガイだ!」とシンジに向かって叫んでいる。

「あれ?」

シンジが不思議そうな声を上げる。イズミの姿が見当たらなかったからである。
手の中に余るジュースをどうしようかと困っていると、シンジの背後でウクレレの音が響いた。

「うわぁ!?」

「私も名前でいいわよ……」

シンジの後ろにウクレレを持ったイズミがいつの間にかに立っていた。
何の気配も感じなかったシンジは、驚いた声をあげてしまった。

「人の後ろにいきなり立つなイズミ! 碇が驚いてるだろうが! それにそのウクレレはどこから出した!」

「ケケケケケケケ」

声を荒げるリョーコにイズミは不気味な笑い声で答える。
そんな調子で格納庫の雰囲気が和む中、突然ナデシコの床が傾き始めた。
この時、ユリカが火星の地表にいるであろう第二陣に向けてグラビティ・ブラストを放つよう指示をだしたのである。
だが、ユリカは重力制御の指示を出し忘れてしまったため、床が傾いてしまったのだ。

「ちゃんと重力制御しろぉぉ!」

運よく手近なものに捕まったアキトが声を荒げて文句を言う。
アキトの身体にはリョーコとイズミがしがみついている。

「くそぉ……なんていい思いしてやがるんだ。あのやろ……あ゛!?

羨ましそうにアキトを見ていたウリバタケは、ぶら下がっていた手を離してしまい落ちてしまった。

「ご、ごめんね〜。シンジ君〜!」

(痛だだだだだだだだだぁぁ! 痛い〜!!) 

シンジもアキトと同様に、何とか手近なものに捕まり難を逃れていた。
だが、なぜシンジは痛がりヒカルはシンジに謝っているのか?
それは、ヒカルの捕まっている物が尻尾の様に後ろで束ねたシンジの髪だからである。
ユリカが重力制御のことを思い出すまで、シンジは髪の毛を引っ張られ続けていたのであった。










「これより地上班を編成し、揚陸艇ヒナギクで地上に降りる……!」

無事火星に到着し、現在ブリッジでは今後の予定についての話が始まっていた。
パイロット達もブリッジに集められ、フクベの話を聞いていた。

「ですが、一体どこに向かうんですか?」

ジュンが疑問に思ったことを口にだす。
軌道上から見た限り、生存者がいるコロニーは見当たらなかったからである。
ジュンの疑問に、モニターにデータを映しながらプロスが答えた。

「まずはオリュンポス山の研究施設に向かいます」

「ネルガルの? 抜け目ねぇな……」

「火星は敵の勢力圏ですからな。少しでも生存者のいる可能性が高いところから向かおうと思いまして」

声を低くしていったリョーコに対して、プロスは言い訳するように答える。
大体の話が終わり、ゴートが地上班のメンバーについて発表しようとした時、アキトが言った。

「あの、俺エステを貸してもらいたいんですけど……!」

「何を言っている。そんなことが許可できるわけないだろう」

ゴートが却下したのは当然のことである。
ここは敵の勢力圏──いつ敵が出てきてもおかしくはない。
エステという貴重な戦力を失うわけにはいかないのだ。
そのことは分かっていたが、それでもアキトはゴートに食い下がる。

「でも……! 俺、コロニーを……ユートピアコロニーを見ておきたいんです!」

「ユートピアコロニーって……アキトの生まれ故郷の?」

故郷と言う言葉を聞き、フクベの眉が僅かに動いた。
フクベはアキトに近づくと一言──「行って来たまえ」とだけ言った。
フクベの一言にゴートが怪訝そうな顔で何か言おうとするが、それよりも先にフクベが口を開いた。

「私は確かにお飾りだが、戦闘指揮権は私にあるはずだね?」

「……ですが」

「故郷を見る権利は誰にでもある! 特に……若者なら尚更だ」

「ありがとうございます!」

エステの使用許可を出したフクベにアキトは頭を下げる。
嬉しそうな顔をするアキトに、フクベは何も答えずに元の位置へと戻った。
ブリッジを出て行くアキト。その様子を見ているフクベの顔は、帽子を目深に被っているためよく見えなかった。










「ここが火星……」

砲戦フレームから降りたシンジが周囲を見渡しながら呟いた。
シンジはアキトの操縦する砲戦フレームで、ユートピアコロニー跡に一緒に来ていた。
修行していた空洞のある場所は火星であるが、シンジは空洞の外に出たことはない。
レイが面倒臭がったため、空洞の外に酸素がなかったためである。

「どうしたんですか? アキトさん」

壊れた機械を見て動かないアキトにシンジが不思議そうに尋ねた。
尋ねられたアキトは、どこか遠くを見るような瞳でぽつぽつと口を開いた。

「思い出してたんだ……昔のこと。小さい頃にユリカと遊んでた時、機械が勝手に動いたことがあったんだ」

──ユリカのいたずらで勝手に機械が動いたこと……。

──機械を動かしたことが親にばれ、結局アキトのせいになったこと……。

──その事件がきっかけで、IFSを付けたということ……。



アキトはそのときのことについてシンジに話すが、そこまで話してアキトは一つ気づいたことがあった。

(俺って自分のことはシンジ君によく話すけど……。俺はシンジ君のことについて何もしらないよな……)

アキトはシンジと一緒になってから一年近く経っている。だが、それでもシンジについて知っていることはほとんどない。
シンジがどこから来たのか、どこの出身なのか、両親はどうしているのか──アキトは知らない。アキトが知っているのは名前と年齢ぐらいである。
今さらになってそのことに気づいたアキトは、何か聞いてみようとシンジの方へと身体の向きを変えた。

「なあ、シンジ君……っていない!?」

アキトが向いた先にシンジはいなかった。
どこに行ったのかと周りを見渡してみるがシンジの姿は見えない。

「うわぁぁぁ!?」

とりあえずエステの方に行ってみようとしたアキトは、足元に開いた穴に落ちていった。










「あいたたたた……」

アキトと話をしていたシンジは、突然足元に開いた穴に落ちていた。
落ちたときに腰を強く打ちつけたのか、何度も腰をさするシンジ。
穴の底には人口的に造られた通路があったのだが、地面の下にあるためかそこは少し埃っぽかった。

「ニャアー」

シンジは自分の後ろで聞こえた鳴き声に後ろを振り返る。
振り返った先にいたのは黒いネコ──その毛並みは少し銀色っぽく、赤い瞳をしている。
埃っぽい場所にいる割には、毎日毛の手入れがされているのか、そのネコは随分きれいであった。
シンジがネコに近づくと、警戒されているためかネコはシンジから少し離れた。

「……なんだろ?」

頭の上に小さな石や砂が落ちてきた。気になったシンジが上を見上げてみると、突然天井に大きな穴が開いた。
男の叫び声と共にシンジの上に誰かが落ちてくる──落ちてきたのはシンジを探していたアキトだ。
落ちてきたアキトは、上手い具合にシンジの上に落下したため、大した傷を負うことはなかった。

「なんだここ……?」

不思議そうに周囲を見回すアキト。気づいていないのかシンジから降りようとしない。
アキトが周りを見回し、シンジがその下で苦しんでいると何処からか声が響いた。

「ようこそ火星へ」

現れたのはマントで頭の上から身体まで覆った人物。
声は高いので女性かと思われるが、暗い上に目もサングラスで隠しているため確信はもてない。

「歓迎すべきか、せざるべきか……何はともあれコーヒーぐらいはご馳走しよう」

そう言うとその人物はアキト達を置いて奥へと進んでいく。
突然のことで動けないでいるアキト。シンジは未だにその下で動けないでいる。

「お、重い……それに頭が痛い」

アキトが乗ったままで動けないでいるシンジに、先程のネコがシンジの頭を爪でひっかき続けていた。
シンジの上からアキトが降りたのは、ネコにひっかかれてシンジの頭から血が出はじめてからであった。










謎の人物の後をついていった先には、それほど多くはないが火星の住民がいた。
あちこちに生き残っていたコロニーの住民がここに集まっていたのである。

「みんな、もう帰れる! 地球に帰れるんだ! 俺達助けに来たんだよ!」

周りの人たちを見渡しながら、嬉しそうな表情でアキトが声を上げる。
守りたいと思っていた火星の住民が生き残っていたのだ。嬉しくないはずがない。
だが、そんなアキトの様子を火星の住民達は冷たい眼差しで眺めている。

「言っておくが、我々は君たちの船に乗るつもりはない」

「なっ……どうして!?」

「たかだか戦艦一隻で火星から脱出できると思っている? 敵はまだまだいるのよ」

「でも俺達は今まで戦って勝ってきたんだ! あんたはナデシコの力を知らないから……」

「相転移エンジンか……? それでも脱出は難しいな」

謎の人物の言った言葉にアキトが驚く。ここにいる人物が相転移エンジンについて知っていたからだ。
アキトはナデシコに乗るときに、ナデシコについて少しではあるがプロスから説明を受けていた。
相転移エンジンは、地球の戦艦ではナデシコが初めて搭載されたものであると。

「何故それを私が知っているかと驚いているのか? 私はその相転移エンジンとディストーション・フィールドの開発者の1人なんだよ」

そう言ってマントを脱ぐ謎の人物。マントを脱ぐとその中からは金髪の女性が現れた。
その女性は最後にサングラスを外すと簡単な自己紹介をした。

「私の名前はイネス・フレサンジュ。ネルガルの研究者よ」

イネスが自己紹介を終えたのと同時に、突然揺れが地下施設を襲った。揺れる天井を心配そうに眺める火星の住民達。
アキト、シンジ、イネスの3人は揺れの原因を確かめようと地上に上がる。懐いたのかシンジの頭にはネコが乗っている。
地上に上がると揺れの原因がすぐにわかった。ナデシコがすぐ近くに着陸していたのである。

《アキト〜〜! 心配だから迎えに来ちゃった〜〜!!》

スピーカーから聞こえてくるユリカの声。それを聞いたイネスが呆れた様にため息を吐いた。
そして、イネスが火星住民の代表者として、クルー達になぜナデシコに乗らないのかを説明しに行くことになった。










「つまり、とっとと帰れ……そういうことかな?」

フクベが静かな声で言い、鋭い視線でイネスを睨む。
しかし、そんな視線に堪えることなくイネスはナデシコに乗らない理由を話し始める。

「私達は火星に残ります。ナデシコの基本設計をして地球に送ったのはこの私……」

ブリッジクルーの視線がイネスに集まる。その内の何人かの視線はフクベ同様厳しいものだ。
地球から火星の住民を助けるために戦ってきたのに、乗らないと言われれば当然である。

「だから私には分かる。この艦では木星蜥蜴には勝てない! そんな艦に乗るつもりはないわ」

「お言葉だがレディ……。我々は木星蜥蜴との戦いには常に勝利してきた」

ゴートの言葉に何人かが同意するように頷く。
だが、イネスはゴートの言葉に鼻で笑うと、呆れの混じった声で尋ねる。

「あなた達は木星蜥蜴の何を知っているというの?」

敵について何を知っているのかと尋ねられ、クルー達の頭の上に疑問符が浮かぶ。
木星蜥蜴について知られていることは少ない。突如木星の方角から襲ってきた謎の無人機動兵器群というぐらいである。

「あれだけ高度な無人兵器がどうして造られたか? 目的は? 火星を占拠した理由は?」

ナデシコクルーに対してイネスは次々と敵についての謎を提起していく。
そのことに対して答える者はいない──誰もそのことについて分からないからだ。
ブリッジに訪れる沈黙。そんな中、アキトがイネスに対して声を荒げる。

「あんたこそ何も知らないじゃないか! 俺達は実際に敵と戦って……勝ってきたんだ!!」

頭に血が上ったアキトに対して、イネスはどこまでも冷静だ。
アキトの言葉に、ゴートの時と同じように鼻で笑って返すイネス。

「少し戦いに勝ったぐらいでいい気になって……。若いってだけで何でも出来るわけじゃ……」

「敵襲! 大型戦艦5 小型戦艦30……」

イネスの話しを遮り、ルリの報告と共に敵の襲撃を報せる警報がナデシコに鳴り響く。
ユリカは敵に向けてグラビティ・ブラストをフルパワーで撃つよう指示を出した。
発射されるグラビティ・ブラスト。敵が爆発し、モニターがその光で真っ白に染まり何も見えなくなる。
その時、誰もが勝利を確信していた。今までグラビティ・ブラストは一撃必殺の威力を誇っていたのだから。

「そんな……グラビティ・ブラストを持ちこたえた」

「敵もディストーション・フィールドを使っているの。お互い一撃必殺とはいかないわね」

愕然としているユリカに、モニターを見ていたイネスは振り返って答えた。
どうするべきかユリカが考えている間にも、敵の数は先ほどよりもさらに増大している。

「敵のフィールドも無敵ではない! 連続砲撃だ!!」

「それは無理ね。ここは真空ではないから、相転移エンジンの反応が悪すぎる」

何も出来ないでいるナデシコ。パイロット達もモニターを見ながら冷や汗を浮かべている。
パイロット達は戦いたいのは山々であったが、敵の数が多すぎるため出撃できないのだ。

「ディストーション・フィールド……!」

「待ちなさい! 下には私の仲間がいるのよ! フィールドで押しつぶすつもり!?」

それを聞いたユリカが「上昇しつつフィールド!」と指示を出す。 しかし、一度着陸してしまったため、離陸には時間がかかるためそれも出来ない。

(このままだとまずい。ATフィールドを張って……!)

話しを聞いていたシンジがフィールドを張ろうとしたその時、聞き覚えのない声が響いた。
その声は高くもなく低くもない。男性であるのか女性であるのかも分からない不思議な声であった。

『確かにATフィールドは強力だが、無敵というわけではない。サキエルのことを忘れたのか?』

絶対領域とまで言われているATフィールドだが、この声の言う通り無敵ではない。
その証拠に、第三使徒サキエルはN2地雷の攻撃を受け、表層面を焼かれてダメージを受けた。
あれは威力を抑えることはできたものの、結局はフィールドを破られてしまったためだ。

「……誰?」

ブリッジを見回しても誰が喋っているのか分からない。
シンジが声の主を探している間にも、その不思議な声は続ける。

『エヴァの無いお前のフィールドでは、グラビティ・ブラスト一発すら防ぐことなんて出来ない』

「じゃあ、どうしろっていうんだよ……」

『どうしようもない……。このまま敵に撃たれるか、フィールドを張って下の奴らを押しつぶす以外に選択肢はないな』

その声はシンジの足元から聞こえてきた。シンジは視線を足元に移す。
そこにいたのは地下の施設にいたあの黒いネコだ。

「……ネコ?」

シンジの呟く声と、ユリカがフィールドを張るように指示を出したのは同時であった。
多数の敵戦艦から放たれる砲撃……。フィールドを張るナデシコ……。そして………………。










「……」

蛇口から流れ続ける水を見ているユリカ。その表情はいつもの様子からでは想像できないほど暗い。
フィールドを張ることで何とか生き延びたナデシコ。今回がナデシコにとって初の敗北であった。
そして、その被害は大きかった。ナデシコの損傷もそうであるが、何より火星の住民達を殺してしまったのだ。

「ユリカ……」

俯いているユリカにアキトが近づいて声をかける。
ユリカは流れる水を見ながら顔を上げず、そのまま今の気持ちをアキトに伝えた。

「私達……何のために火星まで来たのかな」

その声にはいつもの力は無い。アキトは何か言おうとしたが何も言葉が出てこない。
どんなことを言ったとしても結果は変わらない。火星の人達を助けることはできなかったのだ。

「アキト、ごめんね……。誰も助けられなかった……誰も……!」

「ユリカ……」

アキトがユリカの肩に手を置くと、ユリカはアキトの手を取って振り返る。
振り返ってもまだ顔を俯かせているため、アキトにはユリカの表情が見えない。

「初めてだね……」

「な、何が?」

ポツリとユリカの口から零れた言葉を聞きアキトが尋ねる。
ユリカは顔をあげ、アキトを見つめながら答えた。

「ナデシコに乗ってから……初めて私に優しくしてくれた」

これほどまでに弱ったユリカを見たのは、アキトにとって初めてのことだった。
いつもとはあまりに違うユリカの雰囲気に何も答えられないアキト。
ユリカはアキトから目を逸らすと、小さな声で続けた。

「アキト……。キス……してくれる?」

「ユ、ユリカ!? な、何いってるんだよお前……!?」

「アキトがキスしてくれたら頑張れるから……もうちょっとだけ頑張れるから……」

それからお互い何も喋らずに沈黙が続く。
ユリカの言葉に顔を赤くし狼狽しているアキト。
それに対し、アキトを見つめるユリカの瞳は涙で濡れている。

「ご、ごめん……!」

アキトはユリカに一言謝ると、自分の部屋に向かって走り出してしまった。
アキトに置いていかれたユリカは、アキトが走っていった方を見ながら立ち尽くしていた。










(悔しかった……。力を手に入れたのに誰も守ることができなくて……)

シンジは自分の部屋にいた。部屋の中にいるのは、シンジを除けばあの黒いネコだけだ。
部屋の壁に背中をあずけ、シンジはずっと天井を眺めながら考えていた。

(そう、悔しかっただけなんだ……。人があんなに死んだのに悲しいとは思わなかった……)

今回の出来事はコロニーの時とはまるで違った。
コロニーが崩壊した時、シンジは意識を失っていたため後で話を聞いただけだった。
だから、悲しいと思えなかったとしても、それは別におかしいことではないとシンジは思っていた。

(だけど今回は目の前で死んでいったんだ。それに、僕は下に人がいるのをこの目で見ていた……)

なのに、涙がでることは愚か悲しいということすらシンジは感じなかったのだ。

(悲しいことに慣れたから? あの人達が僕にとって関係のない人だったから?)

悲しまない理由を考え、一番最初に脳裏を過ぎったのは悲しいことに慣れてしまったということだ。
楽しいことも確かにあったが、それでも前の世界は辛い事と悲しい事の方が圧倒的に多かった。
ネルフ本部に戦略自衛隊が攻め込み、目の前で何人もの人が惨殺されるのを見たことだってシンジにはあった。

次に考えたのは火星の住民達がシンジとあまり関わりがなかったということだ。
確かにシンジは彼らとの関わりはほとんど──否、全くないといってもいいぐらいである。

(それとも、僕がヒトじゃないからなのかな……

自分が人間じゃない──それは普段なるべく考えないようにしていることだった。
レイに使徒の力を与えられたときに、シンジは厳密には人ではなくなっていた。
使徒の力を使うためにはATフィールドを操る必要があるからである。
普通の人では自分の身体を保つためにしかATフィールドは使えない。シンジは人でなくなる必要があった。

しかし、力を与えられリリンとして完全に覚醒したシンジは使徒というわけでもない。
使徒はS2機関があれば生きていられるが、シンジは酸素がなければ生きられないし食事も必要なのだ。
シンジにとって食事は生きるために必要なことなのだが、レイにとって食事はただの娯楽でしかないのである。

人でもなく使徒でもない──シンジはどちらにも属さない中途半端な存在であった。
そして、シンジは自分の存在について心のどこかで、漠然とではあるが不安を感じていた。

「はぁ、考えてもわかるわけないか……。もう、寝よう」

シンジはため息を吐くと蒲団にもぐった。珍しく真面目なことを考えて頭が疲れたらしい。
だいぶ疲れていたのか、シンジは蒲団にもぐるとすぐに寝息をたてはじめた。

「自分の存在についてか……」

眠っているシンジを見ながら黒いネコ──レイに送られてきた『イロウル』が呟いた。
イロウル──彼は他の使徒と違い殲滅されず、ネルフのスーパーコンピュータ──『MAGI』と共生することで生き延びていた。
サードインパクト後もジオフロントにあったネルフ本部は残っており、MAGIも壊れることはなかった。
MAGIと共に生き残っていたイロウルに、レイが力を使って新しい身体を与えたのである。

「MAGIのデータから見ると、リリスも神になる前はそのことで悩んでいたらしいな」

神になる前のレイも今のシンジと同じことで悩んでいた。
人類補完計画のために造りだされたレイ。レイは、人に造られた自分は人間ではないと考えていたのだ。
そのために不安を抱えていたレイは、絆を与えてくれたゲンドウの指示に従い、自分を無に帰するための計画にも手を貸していた。

「何故そんなことで悩む? ヒトというものはよく分からないな……」

使徒であり人の考えが理解できないイロウルは、シンジの蒲団にもぐりこんだ。
イロウルは寝やすいところを見つけるとそこで丸まり、目を瞑って静かに寝息をたてはじめた。

──その日、シンジの夢の中にレイは出てこなかった。








つづく
































あとがき

こんにちわ、アンタレスです。
今回の話しは前半がギャグ、後半がシリアスといった感じでした。
この話し流石に全部ギャグにはできませんでした。原作でも明るい話しではなかった(気がしました)ので。
今回登場したネコ──イロウルなのですが、最初の予定ではネコではなくペンギン……ペンペンにしようかと思っていました。
ですが、火星にペンギンというのはあまりにも不自然でしたので……イロウル⇒MAGIと共生⇒MAGI=赤木リツコ⇒ネコが好き。
ということでイロウルはネコになりました。今回のシンジは最後の方が真面目キャラになってしまいました。
次回はどうかまだ決めかねてますが、火星を脱出したら基本的にまたギャグ(不幸)キャラに戻す予定です。
すみません……。更新は早くしたいと思っているのですが、最近忙しくなってきてしまったため当分更新はないと思います。本当にすみません。
あとがきが長くなってしまいましたが、代理人様……感想よろしくお願いします。




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代理人の感想

うーむ・・・・そのままそう来たか。

本来変化を招く異物であるはずのシンジがあれなんで、大して変わらなかっただろうとはいえ・・・・

フクベ提督もどうなるのかなぁ。

 

>三途の川

そーか、使徒でも死ぬと三途の川を渡るのか。

人類とは別のあの世が用意されてるわけじゃ無いんだなw