(ここは……?)

シンジが気がつくとそこは見慣れた場所だった。照明が点いていないため薄暗いが、そこが何処なのかは十分に確認することができた。
そこはネルフ本部の発令所──ただ、シンジが覚えている発令所よりも少し新しい感じがする。
シンジの見ている先に女性がいた。今のシンジの視線はいつもより随分低いため、シンジは少し見上げるようにして女性を見ている。
いつもとは違う視線に違和感を覚えないのは、ここが夢の中であるからかもしれなかった。

シンジはこれが夢であることに気がついていた。もう1人の自分と会う時の感覚と似ていたからだ。
いつもと違うのは、自分の身体を自分の意思で動かすことができないことである。

「何かご用? ……ちゃん」

シンジと女性の目が合う。女性は心配している口調で話しかけてくるが、シンジは嫌な感じがした。
その女性は自分を見ながら誰か違う人物を見ている感じがするのである。それも、僅かではあるが嫌悪を抱いているのが分かる。

(リツコ……さん?)

その女性の姿を見てシンジは思った。紫色の口紅を塗っているその女性がリツコに似ていると。
リツコは紅い口紅を塗っていたが、白衣を着ていることやその顔の造りが随分とリツコに似ているのである。
シンジはそのことに戸惑いながらも何か答えようとしたが、それよりも先に勝手に口が動いた。

「道に迷ったの……」

それは随分とか細く、幼い声であった。もちろん、この声はシンジのものではない。
シンジは夢の中で、自分ではない全く違う人物を演じていた。戸惑いを覚えながらも話しは勝手に進んでいく。

「じゃあ、私と一緒に出ようか?」

「いい……」

女性の申し出を拒絶する少女。少女の返答に女性は明らかに戸惑いを隠せないでいた。
それでも幼い子供を1人にすることは出来ないため、女性は何度も一緒に出ようと言う。
しかし、その度にその幼い少女は女性の申し出を拒絶し続けた。

「でも、1人じゃ出られないでしょう……」

頑なに拒絶し続ける少女に苛立ちを感じながら女性は言った。
道に迷ったのなら1人では帰れない。だから、自分と一緒に出ましょうという意味を込めて。
だが、それでも少女は拒絶。そして、信じられない言葉でその女性に返した。

「余計なお世話よ……ばあさん」

「なっ!?」

「1人で帰れるからほっといて……ばあさん」

「……人のこと『ばあさん』なんて言うもんじゃないわ」

「だってあなた……ばあさんでしょう?」

「怒るわよ……。所長に叱ってもらわなきゃ……」

所長とはその少女の親か保護者なのだろう。
少女のあまりに失礼な物言いに怒気を孕ませて女性が言う。
しかし、次の少女の言葉に女性は絶句した。

「所長がそう言ってるのよ……あなたのこと」

「……!?」

「所長は私に言っていたわ。ばあさんはしつこいとか……。ばあさんは用済みだとか……」

少女の言葉が何度も女性の頭の中で繰り返される。
その間も少女は所長が言っていたことを女性に言い続ける。
少女の言葉を聞いているうちに、少女の顔とある女性の顔が入れ替わった。
そして、女性は顔に憎悪の表情を浮かび上がらせると、少女の首を力の限り締めた。

「あんたなんか……あんたなんか死んでも変わりはいるのよ……。私と同じね……レイ










「……変な夢」

未だにぼんやりとした頭のままでシンジは呟いた。
シンジの目の前には見慣れた天井──ナデシコの自分の部屋の天井が見える。
はっきり言って最悪の気分であった。会ったこともない女性が現れ、しかも首を締められたのだ。
嫌な気分に拍車をかけた理由の一つには、その夢がやけに現実感を伴っていたということもあった。

「ふぁあ〜」

目をこすりながら身体を起こすとシンジは欠伸をした。
夢見が悪かったからか、今日のシンジは随分と眠そうである。

「ん? なんだろ……」

シンジは視界の端に白い布があるのが見えた。それは蒲団ではない。さっき夢に出た女性も着ていた白衣だ。
なぜ白衣があるのかシンジは確かめようと、顔を横に向けてみるとそこには白衣を着た金髪の女性がいた。
寝ぼけていたためか、それともさっきの夢が原因なのか分からないが、シンジは言ってはいけないことを口にしてしまった。

「……ばあさん?」

それを口にしたのと同時に、殺気の様なものが膨れ上がるのがシンジには分かった。
その気配の強さに頭が覚醒するシンジ。改めて白衣の女性が誰なのかシンジは確認した。

「えっと……イネス・フレサンジュさん?」

そこにはこめかみの辺りに大きな青筋を浮かべたイネスがいた。
なぜ彼女がここにいるのかも気になったが、それよりもこの状況をどうするべきかの方が重大だった。
口をパクパクさせるシンジ。とりあえず謝ろうと思ったシンジだったが、イネスの行動の方が圧倒的に速かった。

「私に向かって『ばあさん』とは……見上げた根性ね」

どこからか取り出した注射器をシンジの腕に押し当て、一気に中身を注入する。
怪しげな色をした液体が全て注入されると、シンジはだんだんと意識が遠くなっていくのを感じた。
薄れていく意識の中で、シンジはただ一つのことだけを頭の中で考えていた。

(イネスさんには絶対に逆らっちゃいけないな……)

少年はこうして少しずつ、身をもって人生の生き方を学んでいた。
ただ、学習能力が彼にあるかどうかは全く別の話である。















赤い世界から送られし者


第八話『火星からの脱出』

「アキトさん……。ナイスパンチです……」












《3……2……1……ドカーン! なぜなにナデシコ〜》

元気な声で言うユリカとやる気のなさそうなルリの声で番組は始まった。
この映像は現在ナデシコの各所で流されている。その場所には当然ブリッジも入っている。
ブリッジでそれを見ていたゴートは、全速力でブリッジを飛び出した。放送を止めるつもりなのだろう。

《私が司会進行役のルリお姉さん……》

《僕はユリカウサギだよ〜!》

子供向け番組のお姉さんが着るような服を着たルリ──彼女からはやる気がまるで感じられない。
それに対し、ウサギの着ぐるみを着ているユリカは十分にやる気はあるようである。

「ルリルリかわいい〜」

「私も昔こういう番組に出てたのにな……」

ルリを見たミナトが笑顔を浮かべて言い、メグミは手に顎をのせながら映像を眺めている。
ブリッジには他にもう1人──ナデシコの副長であるジュンがいた。
ユリカがブリッジから離れるので、ジュンが代わりにブリッジに入っていたのである。
そのジュンは、ウサギの着ぐるみを着たユリカを見ながら顔を紅くしている。

「か、かわいい……」

《今日は特別にゲストをお迎えしました〜!》

ジュンがそんなことを呟いている間にも番組は進んでいく。
今回は特別にゲストを呼んだらしいが、この番組は今日が初めての放送である。
ユリカがパチパチと拍手をすると、画面の端から特別ゲストが現れた。

《特別ゲストの……シンジガメ……です》

ユリカと同じようにカメの着ぐるみを着て現れたのはシンジだ。
イネスがシンジの部屋にいたのはこの役を頼むためだったのである。
起きていたら絶対に断るシンジだったが、目が覚めたらこの着ぐるみに着替えさせられていたのだ。

《うぅ……どうして僕がこんな役を……》

恥ずかしそうに顔を俯かせ、さめざめと涙を流しているシンジ。
この役が本当に嫌らしい。確かに3人の中では一番嫌な役かもしれない。

《我慢してください碇さん……。私も我慢しているんですから……》

ルリもシンジもこの『なぜなにナデシコ』はかなり嫌そうである。
唯一嫌がっていないのはユリカだけだ。ルリは嫌そうにしながらも、相転移エンジンの説明を始めた。
画面に背中を向け口早に説明を続けるルリ。早く終わらせようとしているのが明らかである。

《カァァァット!》



イネスの声が艦内に響くのと同時に、なぜなにナデシコの放送が止まった。










「ホシノ・ルリ……。これはナデシコのよい子達が見ているのよ! 台本通りにおやりなさい」

カメラを構えていたイネスが台本片手にルリに注意する。冗談みたいな番組であるが監督であるイネスは厳しい。
イネスの注意を受けながら、ルリとシンジは揃ってため息を吐く。考えていることは2人ともほとんど同じである。

……早くなぜなにナデシコを終わらせたい



そのためにはイネスの指示に従うしかない。仕方なくルリはカメラの方に身体を向けた。
再びカメラが回り放送が再開される。カメラに向かって説明をしているルリの頬は僅かに紅く染まっている。

「それじゃあ、このおもちゃを使って説明します……」

そう言ってルリが取り出したのはゲキガンガーのおもちゃである。
このゲキガンガーのおもちゃはガイの私物なのだが、なぜかイネスが持っていた。

「ちょぉぉぉっとまてぇぇぇぇ! そのゲキガンガーは俺のだぁぁぁ! 勝手に持ち出すなぁぁぁ!」

ルリが説明を始めようとした時に、大声を上げながらガイが部屋に入ってきた。
やはり、イネスはガイの部屋から勝手にこのおもちゃを持ってきていたようである。
ゲキガンガーを取り返そうとルリに近づこうとしたガイだが、その前にイネスが立ちはだかった。

「ちょっとあなた! 私の番組の邪魔をする気?」

「邪魔も何もそのゲキガンガーは俺の宝物だ! 勝手に持ち出したのはそっちだろうが!!」

「うるいさいわね……。ちょっと寝てなさい」

懐から注射器を取り出し、シンジにしたのと同じようにガイに注射器を押し当てる。
一気に注入される紫色の液体。ガイは何の抵抗をすることもなく意識を手放した。

「あ、あの……大丈夫なんですか?」

倒れているガイを指さしながらシンジが尋ねる。シンジから見るとガイはかなり危険な状態であった。
床に仰向けに倒れているガイは白目を剥き、時折ピクピクと痙攣を起こしているのである。

「大丈夫よ。ただの睡眠薬だもの……。はい! 続けるわよ」

心配そうに尋ねるシンジに対し、イネスは何でもないように答える。
イネスの言うことは全く信じられなかったが、イネスがカメラを回し始めたため仕方なく元の位置に戻るシンジ。
その後、なぜなにナデシコは何の問題もなく放送を終えることができたのであった。










「ブランデーを垂らしてみたんだが……美味いかね?」

「はい、美味しいです……」

ポットをさすりながら尋ねるフクベにシンジは答えた。
なぜなにナデシコの放送が終わった後、通路ですれ違ったフクベにシンジは誘われたのである。
今シンジがいるのはフクベの部屋。シンジは部屋を見渡していると1つのケースに目が留まった。

「提督……。そのケースの中は何が入っているんですか?」

フクベの部屋の中には必要最低限の物しか置いていなかった。
だからこそ、そのケースの存在はかなり目立っていた。

「これかね? これは私の唯一の趣味でな……」

フクベがケースを開く。シンジが中を覗いてみると中にはウクレレが入っていた。
随分長い間使われているようであったが、大切に扱われているためかとてもキレイである。

「君は何かやるのかね?」

「僕ですか? 今はやってないですけど、昔はチェロをやっていました」

最近はほとんど弾いていなかったが、シンジは小さい頃からチェロをやっていた。
シンジは得意とは思っていなかったが、長い間やっていただけのことはあり、それなりの腕をシンジはもっていた。
第三新東京市にいた頃に一度弾いたが、たまたま聞いていたアスカにも褒められたほどである。

「ほう、チェロか……。それは一度でもいいから聞いてみたかったな……」

「……提督?」

「どうかしたかね?」

「えっと……別に何でもありません」

フクベの言葉に漠然とではあるが嫌な予感をシンジは覚えた。
だが、それが何であるかシンジには分からない。そのため、何も言うことができなかった。

「私は……ある防衛戦の指揮を執っていた」

フクベは何の脈絡もなく突然話し始めた。初め何を言っているのかシンジには分からなかった。
だが、ナデシコに乗った時にプロスに聞かされたことを思い出したシンジはフクベに尋ねた。

「それって……第一次火星会戦のことですか?」

「ああ……。だが、会戦といってもその戦力は圧倒的だったがね」

尋ねられたフクベは頷くと、その時のことを思い出したのか表情を曇らせた。
表情を曇らせた理由をシンジは知っていた。コロニーのこともプロスに聞かされていたからである。
守りたいものを守れない──それがどれだけ辛いことか、シンジも少しは知っているつもりであった。

「火星の住民を助けに行くと聞かされてな……。もう乗らないと思っていた戦艦に私は乗ったのだよ……結果は知っての通りだがな」

シンジはフクベと話していてあることに気づいた。それは、自分とフクベがよく似ているということだ。
シンジがレイのもとで修行をしたのは、守れなかった人達を助けるためだ。そのための条件として、シンジは今ナデシコのパイロットも勤めている。
だからシンジには痛いほど理解できた。火星の住民を助けられなかったことが、フクベにとってどれほど辛いことか。

「……」

フクベの話しを聞いたシンジは何も言うことが出来なかった。
話しを終えたフクベも何も喋らず、部屋に沈黙が訪れた。
嫌な沈黙が続き、シンジが口を開こうとした時、先にフクベが沈黙を破った。

「このポットは置いていこう……。後でテンカワ君と一緒に飲んでくれ」

フクベは立ち上がり、ポットを置いて部屋を出て行った。
フクベが部屋から出て行くのを見送ったシンジは、ポットを置いてくるために自室へと向かった。










「反応は?」

「今、相手から識別信号きました……記録と一致しています」

尋ねたゴートにメグミが答えた。そのメグミの声には戸惑いが感じられた。
今調べているのは発見された戦艦のことについてである。だが、その戦艦が問題であった。

「では、あれは紛れもなく……クロッカスか」

「でも、おかしいです。クロッカスが吸い込まれたのは地球じゃないですか……」

見つかった戦艦──それは護衛艦のクロッカスであった。
この艦は地球の海中に潜んでいたチューリップに確かに吸い込まれたのである。
だが、そのクロッカスが目の前に存在する。クルー達はこの状況に戸惑いを隠せなかった。

「そう……。だからチューリップは木星蜥蜴の母船ではなく、一種のワームホール……あるいはゲートだと私は考えているわ」

「イ、イネスさん……一体どこから現れたんですか?」

いつの間にかに現れたイネスにシンジが尋ねる。だが、その質問はあっさりと無視された。
シンジを無視して説明を続けるイネス。説明をしているイネスの表情はどこか嬉しそうであった。

「そう仮定すれば、地球のチューリップに吸い込まれた艦が火星にあったとしても不思議ではないでしょ?
 それに、あれだけの数の機動兵器を際限なく送り込める理由にも繋がるわ」

「では、地球のチューリップから出現している木星蜥蜴は……この火星から送り込まれている?」

ゴートの言ったことにクルー達が納得したような表情になる。
地球で吸い込まれたクロッカスが火星に現れたのなら、そう考えられなくもないからだ。

「そうとは限らないんじゃない?」

クルー達の視線がミナトへと集まる。ミナトは組んだ手の上に顎を乗せたまま続ける。

「だって、クロッカスと一緒に飲み込まれた……えっと何だっけ?」

「パンジー」

「その姿がないじゃない。それって、出口が色々あるってことでしょ? だから、火星からとは限らないんじゃない?」

ミナトの話にクルーが感嘆の声をあげる。説明の場を取られたイネスが、何となく悔しそうにしている。
その後、クロッカスの生存者確認をしようという話しも出たが、話し合いの結果、まずネルガルの研究施設に行くことに決まった。
アキトがブリッジに入ってきたのは、そのことが決まった時である。そのアキトの表情はいつもと違い少し暗い。

「あの……俺聞きたいことあるんですけど」

「何をやっている。今頃のこのこと……」

ゴートの叱責に何も答えず、アキトはフクベに近づいていく。
フクベの前に立つと、アキトはフクベの目を据えて尋ねた。

「提督……第一次火星会戦の指揮を執っていたって本当ですか」

「まあまあまあ、昔話はまた今度にでも……」

アキトが何を言わんとしているのか分かったプロスが止めに入る。
だが、プロスが止めたにも関わらずユリカがフクベの代わりに答えてしまった。

「フクベ提督があの会戦の指揮をしていたなんて誰でも知ってることだよ?」

アキトが何を言っているのか分からず、不思議そうな顔をするユリカ。

「そうだ……知ってる」

ユリカの疑問に顔を俯かせ、静かな声で答えるアキト。
その声に怒りが含まれているのは誰が見ても明らかであった。

「あの会戦でチューリップを撃破した英雄……。でも、その時火星のコロニーが1つ消えた……!」

顔を上げ、キッとフクベを睨みつけるアキト。
アキトの脳裏に過ぎるのは、忘れたくても忘れられない出来事。
空から落ちてきたチューリップと避難したシェルターで起こった悲劇。
シェルターに侵入した無人兵器に火星の住民は次々と殺されていった。

「あんたが……あんたが!」

プロスを押しのけ、アキトはフクベに向けて力の限り拳を放った。
が、その拳はフクベに当たらず違う人物の顔面にヒットした。

「ぶぼろばぁっ!?」

アキトを止めようとフクベの前に飛び出したシンジは、奇声を上げて殴り飛ばされてしまった。
その光景を呆気にとられて眺めているクルー達の中で、冷静だったゴートとプロスがアキトを取り押さえた。










「やるじゃないかアイツ。見直したよ」

「死に急ぐタイプよ」

ブリッジのシートに縛られ、さらに猿轡までされたアキトを見ながら言うリョーコとイズミ。
アキトはシートに縛りつけられながらも、未だに暴れ続けている。

「いかなる理由があろうと、艦隊司令たる提督に乗員が手をあげるなんて許されない! ユリカ……いや、艦長! 厳重な罰を!」

軍人であったジュンにとって、上官に手をあげるなど許されることではなかった。
そのため、ジュンは先ほどのアキトの行為に対して処罰をするようユリカに詰め寄った。

「まあそれもありますが、まずはネルガルの研究施設に向かいましょう。運がよければ相転移エンジンのスペアがあるかもしれません」

「提督……」

プロスが出したデータを見たユリカは、フクベに意見を求めた。
データを見ながらフクベは頷くと、エステで先行視察をするように指示を出す。
暴れるのを止めたアキトは、そんなフクベを憎悪を込めた瞳で睨み続けていた。










先行視察のために出撃したリョーコ、ヒカル、イズミ、そしてシンジ。
今までは0G戦フレームが足りなかったため出撃できなかったが、今回は陸戦フレームなので出撃することができた。
本当ならここにガイもいるはずなのだが、イネスに打たれた注射により、未だに夢の中にいるため出撃することができないでいた。

「ああ〜とろとろ走りやがって……。どうもこの砲戦フレームってのは気に入らないんだよなぁ」

ブツブツと文句を言い続けるリョーコ。彼女が今乗っているのは砲戦フレームである。
何が起こるか分からないため、念のために砲戦フレームを1機入れていくことになった。
誰が砲戦フレームに乗るかをジャンケンで決めることになり、負けたリョーコが砲戦フレームに乗ることになったのだ。

「痛い……」

頬をさすりながらエステを動かすシンジ。何故かコックピットにはイロウルも乗っている。
陸戦フレームはスラスターを使って動かすわけではないので、今回はまともにエステを動かしている。

『おい、シンジ』

「何?」

今まで黙っていたイロウルが突然シンジに話しかけてきた。
シンジが答えると目の前の氷が突然割れ、中から敵の機動兵器が飛び出してきた。
飛び出してきた敵はエステの頭部に体当たりを仕掛け、それを受けたシンジのエステは倒れてしまった。

「いたた……」

『……何かいるぞ』

「そういうことは早く言ってよ! このぉ!」

敵に向かって拳を放つが、すぐにシンジのエステから離れ氷の中に敵は潜ってしまった。
シンジは痛む鼻を押えながらエステを起こす。シンクロ率は下げているが、多少のフィードバックはあるから仕方ない。

「あ、当たらない〜」

「速いわね」

イズミとヒカルが持っていたライフルを氷に向かって撃ち続けるが当たらない。
氷の中にいるため位置が掴みづらく、さらに敵の動きが異様に速いためであった。

「リョーコごめん! そっちに行った!」

イズミがリョーコに向かって注意を呼びかけるが、それと同時にリョーコの足元から敵が飛び出した。
氷を削りながら移動しているのに加え、もともと砲戦フレームが重かったために足元の氷が砕けた。
バランスを失い倒れるリョーコの砲戦フレーム。敵は無防備なリョーコに向けて攻撃を放とうとしていた。

「ちょ、ちょっと待て! イズミ、ヒカル、碇……」

敵を退けようとしたが、密着されては砲戦フレームは何もできない。
コックピットの画面には、敵が氷を削っていたであろうドリルを近づけてくる様子が映っている。

「テンカワァァ!」

目を閉じて叫ぶリョーコ。と同時にイズミのエステが敵を殴り飛ばした。
飛ばされた敵は体勢を立て直すと跳び上がるが、シンジとヒカルのライフルが敵を捉えた。
嵐のように発射される弾に敵はボロボロになっていく。悪あがきに敵はドリルを発射したがそれも当たらない。

「このぉぉ!」

リョーコが砲戦フレームに装備されたキャノン砲で敵を撃ち抜き、敵は爆発した。

「す、すまねぇ。助かったぜ……」

今の状況には流石のリョーコも額に汗を滲ませていた。リョーコは汗を拭いながら礼を言う。
そこにイズミとヒカルから通信が送られてきた。2人とも楽しそうに笑みを浮かべている。

「何を奢ってくれる?」

「へへ〜。聞こえちゃった」

「バ、バカ!……今のは別に」

言い返そうとするリョーコだが、焦っているためか言葉が出てこない。
そんなリョーコを楽しそうに見ている2人は、「テンカワ〜♪」と声を揃えて言う。

「奢るよ……奢ればいいんだろ!」

「私はプリンアラモード〜」

「玄米茶セットよろしく……」

顔を真っ赤にして声を荒げるリョーコ。それをニヤニヤした笑みで眺めるヒカルとイズミ。
さっきまでの緊迫した雰囲気はすでになく、いつもの和んだ雰囲気に戻っている。

「じゃあ、僕はアイスティーをお願いします」

「い、碇……お前もかよ」

ガクリと頭をたれるリョーコ。それを見て声を上げて笑うイズミ、ヒカル、シンジ。
そんなパイロット達の様子を、イロウルは呆れた様子で眺めていた。










「いくら何でもこりゃ無茶だぜ……」

作戦室のデスクに表示されたデータを見たリョーコが、両手を頭の後ろで組んでぼやいた。
他の者は何も言わないが、その表情からはリョーコと同じ事を考えていることが分かる。

「ですが、この施設を取り戻すのはいわば社員の義務でして……。みなさんも社員待遇であることはお忘れなく……」

「オレたちにあそこを攻めろってのか……?」

プロスの言葉にリョーコは眉をひそめる。この施設を攻めるということは、ほとんど死を意味するからだ。
デスクの中心部には、ネルガルの研究施設を表すピラミッドが表示されている。
そのピラミッドの周りには、黒い歪な形をした物体が5つ、研究所を囲む様に配置されていた。

「チューリップが5機か……。例えナデシコが完全な状態でも突破は不可能だな」

ゴートの言葉に全員の表情が曇る。皆、前回のことを思い出しているのである。
前回ナデシコはたった1機のチューリップに敗れたのである。それが5機となっては敗北は目に見えている。

「あれを使おう……」

今まで黙っていたフクベが突然声を上げた。
その視線の先には氷に埋れたクロッカスの姿が映っている。

「あれって……クロッカスのことですか?」

フクベの発言にジュンが不思議そうな声を上げる。
ジュンにはクロッカスが何の役に立つのか理解できなかった。

「ああ、もしかしたら何か分かるかも知れん。生存者の確認にもなるしな……調べておいて損はないだろう」

フクベの言う通り、地球で吸い込まれたクロッカスを調べれば何か分かるかもしれない。
集まっていた者達が納得した表情を浮かべる。が、この時フクベがある決意をしていたことに気づく者は誰一人いなかった。










「何で俺が来なきゃいけなかったんすか……?」

クロッカスの内部を歩くフクベ、イネス、アキトの3人。
壁や天井の様子を見ながらフクベに尋ねるアキト。アキトは自分が連れてこられたことに納得がいかなかった。
フクベがクロッカスに向かうと言い出したとき、ゴートは自分が行くといってフクベを止めた。
だが、フクベはゴートがついていくことを断り、アキトについてくるように言ったのである。

「まあ、罰だと思ってくれればいい」

罰とは当然アキトがフクベに殴りかかったことに対してのものだ。
これが軍ならば営倉に入れられて当然なのだが、ここはナデシコ──民間の艦である。
軍ほど厳しい処罰が与えられることは少なく、提督がこれで不問にすると言ってしまえばそうなってしまう。

「それにしても、クロッカスが消滅したのは約2ヶ月前……。けれど、これはどう見ても2ヶ月以上経っているわね……」

クロッカスの内部は何年も氷の中に埋れていたような状態であった。
各部屋を調べているが、今のところクロッカスのクルーは見つかっていない。
仮にいたとしても、こんな状態の艦の中では生きてはいないだろう。

「ナデシコの相転移エンジンでも火星まで1ヶ月半はかかった……。チューリップは物質をワープさせるというのか……?」

「ワープという言葉はちょっと……」

フクベのワープという言葉にイネスが苦笑する。
イネスはアイスバーン状になった床を気をつけて歩きながら、自分が調べてきたことを話す。
イネスの話は「光子」「重力子」「ボース粒子」など、聞きなれない言葉ばかりである。
その手の知識がないアキトにとっては暇な話でしかなく、アキトは欠伸をしながら後ろを歩いていた。

「わぁぁぁっ!」

叫び声を上げながらフクベに飛びかかり押し倒すアキト。
と、同時に天井から小型のバッタが落ちてきた──大きさからして対人用の無人兵器である。
アキトはバッタに向けて銃を構えるが、セーフティを外していないためか弾が出ない。
戸惑っていると、アキトの後ろから飛び出したフクベがバッタに向けて銃を撃った。
退役しているとはいえ流石は軍にいた人間である。銃弾の全てがバッタを撃ち抜いていた。

「私など庇う価値もないのだ……。無理をする必要はない」

「……身体が勝手に動いただけだ」

そっぽを向いて吐き捨てるように言うアキト。
アキトの言葉を聞いたフクベは、イネスと共に奥へと進んでいく。
立ち上がったアキトは、先を歩くフクベとイネスの後を追いかけていった。










『現在の状態ならクロッカスでもナデシコの船体を貫くことは可能だ』

フクベが何を言っているのか、誰も理解することが出来なかった。
浮上したクロッカスは突然砲塔をナデシコに向けると、威嚇を行なったのである。
そこに送られてきたフクベの通信。突然の展開に誰もが呆気に取られてしまっていた。

「クロッカスから前方のチューリップに入るよう、指示がきています」

「チューリップにだと!? 一体何のために……」

ルリの報告にゴートが怪訝な表情になる。それは他のクルーも同じである。
いくら最新鋭戦艦であるナデシコでも、チューリップに入ればどうなるか分からないのだ。

「自分の悪行を消し去るためさ! 失敗は人のせいにして、また1人で生き残るつもりなんだ!!」

ブリッジに駆け込み声を荒げるアキト。怒りに顔を歪めてモニターに映るフクベを睨みつける。
アキトの後ろには途中で合流したのかシンジもいるが、シンジの表情はどこか納得したようなものである。
シンジは今さらになって分かったのだ。フクベと話していたときに過ぎった嫌な予感の正体が。

「艦長、敵艦隊を捕捉しました」

モニターに表示される敵艦隊。その数は多く、今のナデシコでは倒せそうもない。
クロッカスと戦うか、チューリップに突入するか。ユリカが選んだのは後者──チューリップに突入する方だった。

「ミナトさん! チューリップへの進路をとってください!」

「艦長なにを言っているんですか! あなたはネルガルの契約に違反しようとされている!
 このナデシコなら、反転してクロッカスを撃沈することぐらい……」

ユリカの選択に反対意見を出すプロス。だが、最後まで言うことはできなかった。
ナデシコに振動が襲ったこともあるが、それ以上にユリカの表情があまりにも真剣だったからだ。

「ご自分の選んだ提督が信用できないんですか!」

フクベを提督としてスカウトしたのはプロスだ。そう言われてしまうと言葉がでない。
何も言わなくなったプロスに代わり、今度はアキトがユリカを止めようとする。

「何考えてるんだユリカ! クロッカスに生存者はいなかった……俺たちも死ぬかもしれないんだぞ!」

『そうとは限らないわ。ナデシコには木星蜥蜴と同じディストーション・フィールドがあるから』

そう通信を送ってきたイネス。それを聞いたユリカはフィールドにエネルギーを集中するように指示を出す。
引き返そうとせず、チューリップに入っていくナデシコ。流石に皆不安そうな顔をしている。

「クロッカス、チューリップの手前で反転……停止しました」

モニターに敵が攻撃を始めた映像が映し出される。まだ直撃は受けていないが、それも時間の問題である。
そんな中送られてくるフクベからの通信。チューリップの中にいるためか、映像には時折ノイズが走っている。

『私は良い提督ではなかった。良い大人ですらなかっただろう……。最後の最後で自分の我が侭を通すだけなのだからな』

「お止めください提督! 私には……ナデシコには提督が必要なんです!!」

『私が教えることなど何もない……。私は大切なもののためにこうするのだ……』

そう言うフクベの表情はこれから死ぬというのに非常に穏やかなものだ。
その表情を見たシンジはある人物を思い出す。その人物も死ぬときに穏やかな表情を浮かべていた。

「教えてください提督……。その大切なものって何なんですか? 自分を犠牲にしてまで守りたいものって……」

シンジには分からない。フクベがそれほどまでに大切に思っているものがなんなのか。
尋ねるシンジにフクベは首を横に振り、いつかシンジ達にもそれは見つかるとだけ答えた。

『もう時間がないようだ……。ナデシコの諸君、最後に1つだけ覚えておいて欲しい。
 ナデシコは君たちの艦だ! 怒りも、憎しみも、愛も君たちだけのものだ! 言葉は……なん……意味……』

ノイズが激しくなり、フクベの声も途切れ途切れになって聞こえなくなる。
そして、ナデシコの後ろで大きな爆発が起こって通信は途切れた。
敵の攻撃を受けたクロッカスが、とうとう耐え切れずに爆発を起こしたのだ。
この爆発により、入り口であったチューリップは消滅。敵はもうナデシコを追ってくることはできなくなった。

(そんな死に方をして、残された人がどんな気持ちになるか分かってるんですか……提督)

何も映らなくなったモニターを見ながら、シンジは右手を閉じたり開いたりしている。
それはシンジの癖だ。苛立っている時や落ち着かない時、考え事をしている時などにしてしまう癖。
シンジの脳裏に浮かんでいるのはフクベの姿と少年の姿。似ている所などほとんどないが、唯一共通していることがあった。

(何で提督もカヲル君も、死ぬときにあんな穏やかな表情をしていられるんだ……)

ガラスの様に繊細だね……。特に君の心は……

好意に値するよ……。好きってことさ

僕は君に逢うために生まれてきたのかもしれない……


フクベの行動はシンジにあの時の出来事を思い起こさせていた。
渚カヲル──初めて自分に好きと言ってくれた少年。だが、その少年をシンジは初号機の右手で握り潰した。
ゲンドウやミサトに命令されたから、彼が使徒だったから、殺さなければ人類が滅んでしまうから……。

生と死は等価値なんだ……。僕にとってはね

さあ、僕を消してくれ!

ありがとう……。君に逢えて嬉しかったよ


シンジは右手を強く握り締める。だが、あまりに強く握り締めたため、爪が手のひらに食い込み鋭い痛みが走った。
しかし、それでもシンジは力を緩めずに手を握り締めていた。右手に蘇った感触──カヲルを握り潰した時の感触を忘れようとするために……。










あまりにも広い和室に少年と少女──渚カヲルと綾波レイがいた。
2人は部屋の中心に置かれたちゃぶ台に座り、遺跡に取り付けられたテレビを見ている。
お茶を啜りながら無表情にテレビを眺めるレイと、ハンカチ片手に号泣しているカヲル──あまりにも対照的である。

「うぅ……シンジ君。君はそこまで僕のことで胸を痛めていたんだね……。できることなら、今すぐ抱きしめて慰めてあげたいよ!」

「……」

「ああ、大丈夫だよシンジ君……。僕が優しく慰めてあげるから。ふふ、僕はどちらでもOKさ……。僕にとって受けと責めは等価値だからね……。
 シンジ君と愛し合う……。それが僕にとって唯一にして絶対の幸福なのさ! シンジ君! 君は行為に値するよ!!

途中から話の方向が変わって暴走しているカヲル。持っているハンカチは涙ではなく違うもので赤く染まっている。
レイは無言で新しくお茶を造り出すと、それを暴走しているカヲルへと投げつけた。
湯呑みが頭に当たって砕け、さらに熱いお茶を頭から被るカヲル。ゴロゴロと畳の上を転がっている。

「……ホモは用済み」

ニヤリと口の端を歪めながら呟くレイ。カヲルは未だに叫びながら転がり続けている。
シンジのいなくなった赤い世界は、何事もなく平和な時間が続いていた。








つづく
































あとがき

こんにちわ、アンタレスです。
前回のあとがきで当分更新は出来ないと書きましたが、火星のところは終わらせないと中途半端な気がしましたので更新しました。
前回にひき続き今回の話も真面目ですし、シンジがいるのに原作と比べて大した変化もみられませんでした。
一応最初のシンジの夢は今後の話に関わってくる……予定です。それと、シンジがまた前回同様、最後の方が真面目になってしまいました。
自分が書くシンジはあまり真面目なキャラは似合わないかもしれません。今度こそ当分更新できないとおもいます……すみません。
代理人様、変なあとがきになってしまいましたが、感想よろしくおねがいします。


 

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代理人の感想

ナイスカヲル君!(爆笑)

前段までの真面目さが台無しだーっ!

それまでのシリアスが一気に影も形もなくなりましたが、いいか悪いかと聞かれれば勿論オッケイ!w