…あなたはだれ?


 …あなたは誰?


 ……あなたは…誰?



 わたしは姉。

 あなたの姉。

 何も知らない、だめな姉。

 だからお願い、教えてほしい。

 今のあなたの、心のうちを。


 純粋で、まっすぐで、優しくて。

 ……けれどもそれは、奪われて。


 冷酷で、孤独で、危うくて。

 けれどもそれは、癒されて。


 いまでは何も、わからない。

 あなたの事を呼ぶときに、

 彼と呼ぶのか彼女と呼ぶのか

 それすら私は迷ってしまう。

 だから私に、教えてほしい。


 あなたは誰?


 あなたは誰?


 ……あなたは…だれ?





「……ねぇ、零夜。」


「なんでしょう?舞歌様」


「あなたは、どっちだと思う?」


「?」


「北斗は……

 ……男かしら?

 ……それとも、女かしら?」











ヴァーチャルゲーム

〜放課後の廊下編……麗しき問題児〜

前編











 私立アカツキ学園……

 膨大な数の生徒・教師を抱え込む、有名校である。

 それはつまり、多くの天才・鬼才を有すると共に、
 問題児たちも、多く存在すると言う事であった…



 ……その中でも、学園内で知らぬもののいない程、有名な名前がある。

 木連式柔術の新星と謳われながらも、
 日常的に多くの傷害事件を起こすため、
 学園のブラックリストに載る人物。


 鍛え抜かれたその力と、
 刃のごとき性質が故に、
 望んで触れる者の少なき人物。


 ……その名を、

 影護 北斗といった…











「あ〜、テンカワ…先生。」


 このアカツキ学園において、もっとも特殊な役職を持つ男・テンカワアキトは、
 廊下を歩いている途中で名を呼ばれ、振り返った。


 ……彼は今、再びVGに入ったばかり。

 理事長室の選択肢で“廊下”を選び、
 何とはなしに歩いていたときの事である……



 “どこかで聞いた声だ”と思いながら振り返ると、
 そこにはいまだ若い男性教官の姿があった。


 見覚えのある顔だ。

 ……というよりは、忘れようがない相手だった。

 かつて、ここではない世界においては
 武の分野にて師事した人物。

 ……師と仰いだ事は結局なかったように思うが。

 とにかく、アキトにとっては馴染み深い顔。


 “月臣 元一朗”その人である。


「……月臣…!?
 なんで、お前がここに?」

「…………」


 アキトは思わず、そう返していた。

 彼、月臣元一朗という人間は、
 性格的に、ふざけの似合わない男であり、
 実際、彼自身がすすんで冗談めいた事をすることは少ない。

 …わざわざ一企業の、それもゲームのテストプレイなどに
 足を運ぶというのは、考えにくい事であった。


「……九十九に…な。
 『妹をたぶらかす悪漢を成敗する』、と無理矢理引っ張ってこられた……」


 つぶやくようにそう言う。

 だが、彼とて暇な人間ではないだろうし、
 そこのところは、かの白鳥九十九とてわかっているのだから、
 仕事を理由に断ればよかっただろうに、と思うのだが。


「……断れなかったのか?」

「……」

「……」


 何故か沈黙する月臣。

 しばらく後にようやく、ぽつり、と……


「……断ろうとしたら、舞歌様が」

「……俺が悪かった。みなまで言うな。」


 ぽんっと肩を叩く。

 アキトの額には汗。

 月臣にいたっては、目の端に光るものが……

 ………………


 ……なんだか、し〜んみりとした雰囲気があたりに漂うが、

 フォローする人間も、見当たらなかった。


「…………」

「…………」

「……そ、それはともかく。
 何のようだ?月臣……先生。」

「…あ、ああ。
 例の件、考えてくれたか?」


 気を取り直して会話を続ける。

 ……こういうときの気持ちの切り替えの早さは
 お互い、早いほうだ。


「例の件?」


 と、いわれても、何の事だかわからない。

 ……まぁ、当然だ。

 何も知らされていないのだから。


 ……今回のプレイを始める前に、アカツキに説明書をもとめたものの、
 シナリオに関わるような事は、のっていなかった。

 『何が起こるかわからないから面白い』

 というのが彼の言い分だが、
 その台詞を言ったときの眼を見る限り、
 面白いのは見ている彼のほうなのだろう。

 ……毎度毎度知りもしない設定の中に叩き込まれる側としては、
 たまったものではないが…


 さて、今回は、というと……


「…前々から頼んでいた事だが……
 『木連式柔術部』の指導員になってくれ、という話だ。」

「……木連式柔術部……」


 思い当たる登場人物が何人か。

 元・優華部隊、優人部隊が多そうだが……

 だが、そのうちの誰が出てくる?


「俺が顧問をしている部だ。
 ……こういう部活では、腕の立つ指導員がいるのといないのとで
 大きく違ってくるからな。」

「腕が立つ?
 ……今の俺は人並みだぞ?」


 謙遜ではない。

 …少なくとも、アキト自身はそう思っている。

 事実、何度か試してみたのだが…
 この世界では昂氣は使えないらしい。

 テンカワアキトを超人たらしめている最大の理由が昂氣である事を考えれば、
 彼が自分を人並みだと称したのも頷ける。

 ……しかし、それでも達人の域であることは間違いないが。

 あるいは、人並みというよりも、
 人間並み、といったほうが正しいのかもしれない。


「……昂氣が使えないだけだろう?
 …まぁ現実のお前からすればもどかしく感じるだろうが…
 ………………
 ……下から見上げてる分には、星の高さは…変わらん。」


 月臣が若干悔しそうな表情をみせる。

 彼もまた、武に生きる人間だ。

 腕が立つ分、実力差が実感できるため、
 その一言を口にするのがつらかったのだろう。


「……相手を痛めつける事で鍛え上げる事はできるが…
 俺に普通の生徒の指導は無理だ。」


 アキトはそう答える。

 嘘ではなかった。

 月臣の心情を思い、触れるべきではないだろうと言葉を選びはしたが、
 実際、自分の言葉に納得できる部分もある。

 自分がかつて鍛えた覚えのある相手といえば、ヤガミ ナオだが……


「……あれを、一般人にするのは…気が引けるし。」

「…何の事だ?」

「ああ、いや、なんでもない。」


 かつてナオを叩きのめしていた頃を思い出しながら、苦笑する。


「?……まぁいい。

 ……実をいうとな。
 お前に普通の生徒を見てもらいたいとは、
 こっちも思ってはいない。」

「?」


 唐突に、月臣はそんなことを言い出した。


「……相手は…少なくとも普通とはいえんだろう。
 …つまるところ……
 お前に見てもらいたいのは一人だ。」

「……一人?」

「…ああ。お前も知っているだろう。」

「……?」

「木連式柔術期待の星、

 『真紅の羅刹』こと、影護 北斗だ。」


「!!」


 月臣の告げた名に、思わず、反応した。


 平穏から動乱へ……

 日常から非日常へ……

 体の中の何かが、その姿を変えていく……


 ……警戒、というのではない。

 まして恐怖などでは、ありえない。

 表すとするならば、それは、そう、昂揚…


 今の自分……戦いの終わった後の自分が、唯一望んで力を振るう相手。

 今の自分の、唯一の戦いの相手が、北斗だ。

 故に無意識に身体が反応する……

 求めてる、といってもいいのかもしれない。


 テンカワアキトにとっての北斗は、そういう人物であった。


「…北斗?
 ……指導が必要とは、思えないが…」


 ふつふつと湧き上がる期待を抑えながら、問い返す……

 戦え、というのならともかく、教えろ、というのは実に滑稽な話でしかない。

 北斗の力に対抗できるだけの相手が、そうそういるとは思えないし、
 自分と北斗の実力は拮抗している。

 なにより、自分にしても北斗にしても、互いが目標なのだ。

 指導など、お門違いもいいところだろう。


 その点は、月臣もわかっているはずだ…

 と、彼の答えを待ったが、
 彼の持っていた答えは、期待はずれのものだった。


「腕は、問題ないんだがな……」

「?」

「……“素行”に問題があってな。」

「素行……」


 つぶやき返して、思い出す。

 失念していた…完全に。


(……忘れてた。
 これはVGの中だった……)


 沸きあがっていた期待が、急速に冷えていくのを感じる。

 なにしろ、このゲームは『恋愛シミュレーション』なのだ。

 本格的な戦闘などがあるわけが……

 ……………………

 ……ちょっと待て。


 ふ、と知り合いの顔が浮かんでくる。

 アカツキ……

 イネス……

 ウリバタケ……


「…………」


 ……あるかもしれない……


 …ともかく、北斗の指導員につくということは、
 北斗をヒロインに選ぶ、ということと同義なのだろう。

 北斗相手に“普通の恋愛”というのも、ぞっとしない話ではある。

 ……美人なのは、否定しないが。


(まぁ、そうなったら十中八九…
 いや、確実に枝織ちゃんがでてくるんだろうけど…)


 ……そんなアキトの思考はよそに、
 月臣の話は続いていた。


「……この学校に来てから、傷害事件が十数件。
 …本来なら、退学になっていてもおかしくはない。」

「傷害事件?」


 北斗らしいような、らしくないような話だ。


「…わかりやすく言えばケンカ、だ。
 ……それも正確な表現ではないが……」


 言って、苦笑する。

 月臣の話は…つまりこういうことだった。


 北斗はその外見から、たまに“ナンパ”にあうことがある。

 …もちろん、他人を威圧する雰囲気をもっているため、
 普通は周りの人間も、それを感じて軽薄な事はしないのだが…

 中には、“空気”の読めない人間も存在する。

 …そういう相手に対して、北斗の対応と言うのが……










「『一撃』。」


 ………………


「……『一撃』か。」

「……『一撃』だ。」


 ……おそらくは、無造作に放ったであろうそれは、

 顔面を打ち抜き、

 鼻の骨を折り、

 相手を吹き飛ばした後、

 鉄柱への激突のおまけつきだ。


 ……設定のはずなのに、
 現実に起こった事のように思えるのは、
 気のせいだろうか……


 …ちなみに、十数件というのはわかっている数、であるらしい。

 実際は……

 …よそう、いまさらのことだ。

 
「一分野における代表的な生徒が
 何かとトラブルを起こすのは好ましくない。
 …………学園側としては、な。」


 そう言うものの考え方に賛同しかねるのだろう。

 わずかに表情をゆがめる。……一瞬ではあったが。


「そこで、もう少し何とかならないものか、と考えた末、
 お前に白羽の矢が当たった。」

「……俺に、何をしろと……」

「ようするに、
 指導員とは名ばかりの監視役だな。」


 悪びれもなく月臣は言う。


「部の指導員と言うよりは……
 生活指導と言ったほうが正しいかも知れん。
 北斗がトラブルを起こさないよう、見張ってほしい。」

「…………」

「もちろん、ずっととは言わん。
 とりあえず……一週間後に大会がある。
 不祥事で不戦敗、などということに
 ならなければそれでいい。」

「……
 気が、進まないな……」


 北斗をいさめる等というのは…
 少なくとも自分の役目ではない。

 監視と牽制というのはわかるが、いまさらそんな事はしたくなかったし、
 なにより、その場合北斗の機嫌がさらに悪くなる可能性もある。

 普通に北斗に接するならともかく、
 そんなのは遠慮したいところだ。


「……そう言うな。
 北斗もお前の事は認めている節がある…
 教師、生徒の垣根を越えた存在としてな。」

「…うるさく言える立場でもないぞ?」

「…それでも、他の者よりはましだろう。
 本当なら…理事長に頼むのが一番なのだろうが…
 やらせるわけにはいかんだろう。この役を。」

「…しかし……」

「…身構える必要はないぞ。
 何もせずとも、そばにいるだけでいい。
 常にな。」

「…………」

「…………」


 ……沈黙。


 ……なんとなく、違和感があった。

 ……なにか、なにかおかしい。

 ………………

 聞かなくてもいい事かもしれないが…
 気になるものは仕方ない。


「………なぁ。」

「なんだ」

「今の話……要約すると、
 スケープゴートになれ、といってないか?」

「…………」

「なぜ黙るっっ!!」

「いや、気にするなっっ!!
 それじゃぁ俺はこれで失礼するっっ!!」

「…っ!逃げるなっっ月臣っっ!!」

「北斗は部室のほうにいるっっ!!
 では、健闘を祈るっっ!!」


 ……そのまま、月臣は去っていった。

 『アディオ〜〜ス、またあお〜〜う』
 といった台詞が似合いそうな、見事な去り際であった……



 …そして、それと同時に、決定した事がある。


「……選択肢は……ないんだな?…」


 思わず虚空に話し掛けるアキト。

 彼の肩書きに、
 『木連式柔術部北斗専属指導員』が増えた瞬間である……




















「…………まぁ、いいや。
 いざとなったら枝織ちゃんと遊ぶだけ遊んで
 このシナリオ、終わりにしよう…………」






 余談だが、

 かなり後に、北斗と枝織はゲーム内では別だと聞いて、

 うちひしがれるアキトの姿があったという…………






















「北斗がいない?」


 アキトがそう、問い返した。


 ……ここは、木連式柔術部部室。

 とは言っても、別にここで練習をするわけではない。

 そのための道場は別にあり、
 ここは休憩室兼、ミィーティングルームらしい。


 今日はちょうど部活動が休みらしく、生徒の姿が少なかった。

 その中に北斗の姿を見つけられなかったアキトは、
 その場にいた一人に、声をかけたのである。


「はい、少し前に出ていきましたよ。」


 と、少女が答える。

 ショートカットの活発そうな子だ。

 彼女も、部員の一人らしい。

 聞けば北斗とはクラスメイトで、
 他の部員よりは比較的、北斗に近い位置にいるようだった。


(……現実世界で会った事がない…
 ということはVGのキャラクターか。)


 自分の知らない人間が参加している可能性もあるのだが、
 世界的な有名人やVIPが多数いるようなときに、
 アカツキがそれを許すだろうか、とも考える。

 ……それに、このテストプレイにおいての参加者を見ると、
 なかば、ナデシコ時代の同窓会のようなものでもある。

 そんなときに知り合いでもない人間を入れるほど、
 アカツキも野暮ではないだろう。


「……ええっと、どこに行ったかわかるかな?」


 頭の中でそんな事を考えながら、アキトはそう聞いた。

 まあ、結局の話、彼女がVGのキャラクターであろうとなかろうと、
 する事は変わらないのだから、考えるだけ無駄なのだが。


「……たしか、連れていった剣術部の方が、
 グラウンドの倉庫って言ってましたけど。」


「グラウンドの倉庫?」


「はい、なんだかすごく真剣な顔で……」


 何か、不穏な空気だ。

 聞く限りでは相当恨みも買っていそうだったから、
 今回の呼び出しも、その類の事なのだろうか。


 ……だとしたら呼び出したほうの冥福を祈る。



「あの……テンカワ アキト先生…ですよね?」

「え?あ…ああ、そうだけど?」


 ふいに、少女に聞かれ、答える。

「今度、北斗さんの指導員になられるんですよね?」

「ああ、そう…だけど、情報はやいな。
 さっき承諾したばかりなんだけど……」


 早いとかいうレベルでもないが…

 まあそこはゲーム内のご都合主義だ。


「あの……北斗さんのこと、
 よろしくお願いします!!」


 と言って、彼女は頭を下げた。


「え・・・と?」


 とっさに、そう聞き返すしかできない。

 見ず知らずの人間にいきなりお願いされても……
 というのがアキトの心境だ。


「……わたし、北斗さんと知り合って、
 まだそんなに経ってませんけど……
 悪い人じゃ、ないと思うんです。」


 戸惑うアキトに語り始める。


「……上手く…言えないんですけど……

 ……最初は、怖い人だと、思ってたんです。

 いろんな噂、聞いてたし…

 でも、前に……テンカワ先生の話題が話にでたことがあって、
 そのとき、わたし、北斗さんに話し掛けたんです。

 ……ずっと、避けて過ごしたくなかったから……

 クラスメイトで、同じ部活で、
 これから一緒に過ごす人を避けていたくなくって、
 それでわたし、話し掛けたんです。

 テンカワ先生と、よく手合わせしてるって話、聞いてましたから……

 口数は少なかったんですけど…その時、感じたんです。

 この人は、噂にあるような人じゃないって。

 ……決して、いい人とも、言えないんですけど……」


「…………」


「……それがわかると、今度は不思議に思ったんです。

 『なんで、この人は独りでいるんだろう』って。

 話し掛ける人は、学園内でも一握りで……
 もっと皆と話すようになってくれたら、
 もっと北斗さんのことがわかるような気がして…

 ……それで…他の皆にも、
 もっと話し掛けようって言ったんですけど…
 やっぱり皆怖がってて……

 北斗さんのこと、まだ何も、わからないのに……」


「…………」


「本当に、上手く言えないんですけど…

 テンカワ先生なら……
 きっと、北斗さんのいいところを、
 もっと引き出せると思うんです。

 わたしより……付き合いの浅いわたしより、ずっと…

 ……わたしの、わがまま、ですけど、
 本当に、勝手なお願いなんですけど、

 わたし、好きになりたいんです。
 もっと、北斗さんのこと、好きになりたいんです…

 だから……」


 少女はそこで、一度言葉をきった。

 落ちつくように、息をついて、
 そしてゆっくりと言葉を続ける。


「……北斗さんのこと、
 よろしく、お願いします……」

 もう一度、頭を下げる。


 対してアキトは、といえば……

 少し呆けた様になっていた。

 いきなりこんな事を言われるとは思っていなかったので、
 頭の処理がついていってないのだろう。


 だが、やがて少女の言葉を理解すると、口の端を緩めながら、
 ポン、ポン、と彼女の頭をなでるようにたたいた。


「!?」


 少し驚いて顔をあげた少女の瞳を見つめて、
 言葉とともに、笑顔を返す。


「ありがとう……がんばるよ。」


 近年でも最高の部類に入る笑顔だっただろう。

 ……彼はうれしかったのだ。

 自分が認める相手を、いつも孤立しがちな北斗を、
 好きになりたいと言ってくれたことが。


 ……例えそれが、シナリオの中での事とはいえ。


「あ……いえ!!
 その…………はい!
 …………おねがい、します。」


 嬉しさと、それ以外の何かが混じった表情で、
 少女はそう言った。


 そして、しばし、見詰め合う……


「…………」

「…………?
 じゃあ、俺、いくから……」


 真っ赤になって、それでも目をそらせない彼女を見て、
 少し怪訝そうにしながらも、移動しようと背を向ける。


「あっ!!あの!!」

「?」


 呼び止められて、振り向いた。


「…わ、わたし……みどりです。」

「……え?…
 ああ、名前?」

「はい!松葉 水鳥です!!
 アキト先生!絶対、また、会いましょう!!」


 そういって、彼女は逃げるように部屋に戻る。


「あ、ああまた。」


 彼女の後姿に声をかけた。

 何故か呼び方が『アキト先生』になっていたのが気になるが……


(まあ、いいか)


 気にしない事にした。





 それにしても……と、アキトは考える。


(それにしても、『いい人じゃないけど悪い人でもない』か。
 ……たいがいの人はそうなんだろうけど。)


 苦笑しながら、移動する。

 行き先は体育倉庫、グラウンドのはずれだ。


(けど、北斗にピッタリの表現だ、
 と思うのは何故だろう……)

 そんなことを思いながら、
 アキトは部室を、後にした。











    












「……一度、はっきり聞きたいと、思ってたんだ。」


 その声は、アキトが倉庫に辿り着いた時に、聞こえてきた。

 ……中からではない。

 裏からだ。

 先ほど……みどりに聞いた話だと、
 誰かに連れて行かれた、と言う事だったから、
 今聞こえたのはその相手の声なのだろうか。

 静かに、その誰かに気付かれないように倉庫裏をのぞき見る。

 ……こそこそする必要も、ないように思うが。


「…………」

「お前……テンカワのこと、どう思ってるんだ?」


 声と対峙しているのは北斗…

 声の主は……


「……リョーコちゃん…?」


 そう、スバル リョーコである。


「どう……とはどういう意味だ。」


 北斗はいかにもつまらなそうに
 ……まぁ、不機嫌でもなさそうだが……
 とりあえず、そう返す。

 ……二人の位置からはこちらは見えない。

 とはいえ、この画面が存在している以上、
 どこかに自分がいる事くらいは
 二人にもわかっているはずだが……

 
「ふざけて……るんじゃないな、あんたの場合。
 ……ようするにだな……その……」

「…………」

「テンカワの事が…その…
 す、好きなのかって、聞いてるんだっっ!!(真っ赤)」


 “ボッッ”という擬音が似合いそうな感じで、
 赤面しながらも問うリョーコ。


 ……どうやら、最初に思っていたような、
 お礼参りがどうとかいう話でもない様だ……

 ある意味、最も厄介なパターンではあるが。


 ……もしこの場にヒカルやイズミがいたなら、


「ヒューヒュー、せ〜しゅんだ〜〜!!」

「…ふっ…若いわ」


 っと、リョーコをからかっていた事だろう…


「……って、二人とも。
 いつからそこに……」


 いつの間にやらアキトの背後にいる
 アマノ ヒカルとマキ イズミ。


 ……アキトに気配を悟らせないあたり、
 こういうときの彼女らは只者ではない。


「さっきから。」

「殺気、空……ふっふふふっふふ」


 …………

 もう、何も言うまい……


「……あ、ちなみに私、
 設定では『漫画研究同好会、略して漫研』所属。
 ここにはネタ探しにきた事になってる。」

「……私は、
 『漫才研究活動部……略してやっぱり漫研』顧問……
 目的はやっぱりネタ探し……」


 ……どうでもいい、設定だった。


 さて、一方。


 リョーコと北斗のほうは、もう少し、真剣である。


「……で、どうなんだ?」

「…………」


 問い掛けるリョーコを、
 北斗はしばし、無言で見ていたが……


「………フッ。
 俺がアキトと恋仲か……とでも聞きたいのか?
 ……笑わせる。

 いまさら、
 『自分は男だ』
 などと叫ぶつもりもないが……
 女である覚えもない。

 そういうことは枝織に聞け。」

「………………」


 にべもない北斗の答えに、リョーコはうつむく。


「…………が………ねぇ」


 小さく、だが、力のこもった声。

 耐えていたのは激情か、緊張か……


 その声は、震えていた。


「それじゃ、意味がねぇんだぁっっ!!」


 何かを振り切るかのように叫び、構えを取る。

 刀を腰に添え、腰をおとし、利き手は柄へ…


(……居合の構え!
 あれは……真剣!?
 本気か?リョーコちゃん!?)


 緊迫した空気が流れる。

 ……もっとも、北斗は気にした様子もないが。


(危険だ……!!)


 ……北斗がまともにくらうとは、微塵も思わない。

 この場合危険なのはリョーコだ。

 北斗とて、相手を見て手加減くらいするだろうが、
 自分を害そうとするものに対してまで、優しくあるほど甘くもない。

 相手に全く戦闘力がないというのならともかく、
 リョーコもそれなりに居合の達人である。

 無意識に……というと語弊があるかもしれないが、
 とにかく、遠慮無しの反撃をする事だろう。

 そして、居合抜きは放った直後に、無防備になってしまうのだ。

 北斗の反撃を、しのげるとは思えない……


 リョーコもわかっているはずの事だ。

 わかっていて、それでも、挑もうというのか?

 ……リョーコの表情は、アキトには、見えない。


(…っく!
 どうするっ!?とめるかっ!?)


 例え仮想空間でも、大切な人が引き裂かれるさまなど見たくはない。

 ここは、とめるべきなのだろう。


 ……しかし…しかしだ。


「……とめちゃ、だめだからね?」

「……あの子…不器用だから…」


 二人が釘を刺す。

 ……たぶん、そのためにここにいるのだろう。

 アキトが、彼女の邪魔をしないように……


 …二人を振り切ってでも、止めに入るべきか、それとも…

 ……アキトが迷う間にも、話は進む。


「……枝織じゃ意味がねぇっっ!!
 今、テンカワにとって、最も特別なのは……
 テンカワが誰よりも特別に扱うのは……
 お前なんだっっ北斗っっ!!」

「………ほう?」


 リョーコの言葉に興味を引かれたのか、
 北斗が先を促す……

 ……挑発しているようにも見えるが。


「……そうだ……

 あんたは特別なんだ……いつだって。

 あいつが、自分の主義を曲げるくらいに……

 争いを嫌うあいつがっ!!

 あんたに対してだけは好んで自分の力を振るうっっ!!

 テンカワの気を今一番引いてるのは、あんたなんだっっ!!」


 リョーコの目から見た北斗……

 彼女の口から出た言葉に、
 こもっていた感情は何だったのだろう。


「……フッ」

「……何がおかしいっっ!!」


 ……やはり挑発だったのだろうか、鼻で笑う北斗。


 もはや、一触即発……



うらやましいのか


 ……とどめだ。


「っっ!!」


 瞬間、白刃がきらめく!


(……っっ!!!)


 迷ったアキトは反応できない!

 対して北斗は……








「…………」



 …動かなかった……








「…………」


 無言のまま、止まる時間。

 それはまるで絵画のように。

 激情とともに振られた刃は、
 北斗の首に触れることなく、その動きをとめている…。


 北斗が何かした様子はない。

 ……昂氣も、使えない。

 つまりは…ようするに。


(リョーコちゃんがとめた……?)


「………なぜ、よけなかった?」


 リョーコが問う。


「フン……
 とまるとわかっているものを
 なぜよけねばならん」


 北斗が、答えた。


 ……そう、対峙している北斗にはわかったのだろう。

 リョーコに斬るつもりなどなかった事を。


「……全部…お見通しってわけかよ…」


 刀をひき、鞘に収める。

 表情は悲しげに、目線は大地に。


 結局、自分のもくろみは、成功しなかったのだ……

 
 北斗に対し刀で脅したところで、
 返答を得ることなどできはしない。

 …そんな事は、わかっていた。

 だが、自分とて、戦いの中に身をおく者だ。

 相手の攻撃に動揺があるかどうか、それくらいなら、見る事ができる。

 ……たとえ、実力の及ばぬ相手とはいえ。

 だから、反撃を誘った。

 そこに見える感情をもって、答えにしようと決めていたのだ……


 だが、北斗は、動かなかった。

 それは、最も残酷な答え。


 ……相手にすら…されていないのだ…自分は。

 
「……もう一度…聞く。
 テンカワに……
 惚れてるんじゃ、ないのか……?」


 搾り出すような声での、問いかけ。

 もうとるべき行動は、これで最後だ。

 ……返答があるとは、思っていなかった。



「……どうだろうな。」

「……!?」


 ……その問いかけに北斗が応えたのは、
 単純に気まぐれだったのかもしれない。


「……アキトの奴に、無性に会いたくなるときはある。

 会って命の危うい勝負をし、

 己の限界をつきつめた中で、

 共に果てる事を夢見たこともある。

 あいつの影となり、

 生涯を費やす事に、

 満足感を感じる自分もいる。

 他人がどう思うかは知らん。

 俺にとってはあいつの存在こそが

 目標であり、光であり、唯一、求める事だ。

 ……それを思慕だというのなら、そうなのだろうがな。」


 その言葉は…真実であったのだろう。

 少なくとも、本心である事は間違いない。

 リョーコもそれを聞くと、自分なりに納得したのか、きびすを返す。


「……返答、感謝する……」


 それだけいうと、歩き始めた…


「……まぁ少なくとも……」


 ふいに、
 その背中に、北斗が口を開く。


「少なくとも、

 俺を斬る覚悟もない奴には、

 俺たちの関係なぞ、つかめもせんがな」



「……っっ!!」

 

 ……悔しかった。

 こんな行動しか取れない自分が。

 自分はこんな人間だったのかと、
 自問自答を繰り返す。


「……ちくしょうっっ!!」


 リョーコが、走り出した。


「りょーこっ!!」

「…………」


 ヒカルと、イズミも走り出す。


「リョーコちゃんっ!!」



 アキトがそれを追いかけ、そして…















「……なんで…
 なんでオレが脇役扱いなんだ〜〜〜っっ!!!」




   ずっしゃあああっっっっっ!!!!



 ……滑って転んで地面に顔をこすりつけた。





(…………
 ここまでのシリアスな展開はなんだったんだ…)


 地面に伏しつつ、そう思った。


 後で聞いた話になるが……

 リョーコは半分以上、ゲームのシナリオを演じていたらしい。

 ……それが演技に見えなかったのは、
 たぶんに本音が混じっていたからであって……

 ……対して北斗は、何かをしろ、と言われてやるような性格ではなく、
 なかなか返答を返そうとしない……


 ようするに先ほどのは、

 “演技を求めるリョーコとそれをしない北斗の図”

 だったのである。


(リョーコちゃんが不器用って……
 そう言う意味か……)


 理不尽な何かを感じつつ、顔だけ起こす。

 ……視線の先には、夕焼けに染まったグラウンドと、
 そこを去っていく背中がある。


 『さっきの台詞と、
 彼女の後ろをからかいながら追っかけていく二人の姿がなければ、
 それなりに感動的な情景だったんだろうな〜』


 などと考えるアキトの後ろで、

 何事もなかったように立つ北斗の姿が、

 やけに印象的だった…












前編・完

 

後半へ続く