感覚器に障害をもった彼、テンカワ・アキトの目となり耳となり、

さらには手足となって、彼の戦いを支援する。

ラピス・ラズリという名前の少女にとって、それは疑う余地のない自分の役目であり、

彼女自身がおぼろげながらに考える存在理由でもあった。

ならば、彼の戦いが終わった今、もはや自分は用なしなのだろか?

もしそうなのだとしたら、自分はどうすれはいいのだろう?

そんな戸惑いが、ラピスの胸中に巻き起こっていた―――かもしれない。

彼女と出会っていなければ。

自分の役目に忠実で、他の一切に興味を示さなかったラピスが、

ほんの気まぐれで接触した一人の女性がいた。

己の存在意義や今後の身の振り方に悩む必要がなかったのは、

彼女のせい、いや、彼女のおかげだったに違いない。






テンカワ・ユリカ。

その名前は聞いたことがあった。

彼女はアキトが戦い続けた理由の一つ。

すなわち、自分が戦っていた理由にもなりうる。

だったら、一度くらいはその理由とやらを、この目で見ておこうか。

ラピスが初めて彼女を訪ねようとした動機は、おそらくその程度のものだった。

どういった経緯があったのかは知らないが、

ユリカがアキト連れてこられて、もう二週間が過ぎる。

面会謝絶はとうに解除されていたが、

ラピスはなかなかユリカという人物との接触に踏み出せずにいた。

だが、ようやく今、ラピスはユリカとの面会を決心して、彼女いる病室の前まで来ていた。

ところが、いつまで経っても部屋の中へ入ろうとしない。

実は、アキトと一緒に来るつもりだったのだが、

彼は彼のほうで診察やら治療やらを受けているので、

残念ながら同席してもらうことは叶わなかった。

一人で見ず知らずの人間を訪ねたことがないラピスは、正直なところ困っていた。

(どんな人だろう?)

(なにを話せばいい?)

(ただ顔だけ見て、すぐ出てくる?)

病室のドアをじっと見つめて、悶々とすることかれこれ十分。

それから、さらに五分ほど経過した後、ラピスはようやく心を決してドアを開けた。

まず目に飛び込んできたのは、清潔感溢れる白い壁面と、

その壁際に退けるように並べられた様々な医療機器。

まるで手術室の様相を呈した室内が、どことなく研究室のそれを連想させて、

我知らず眉をひそめる。

それも束の間、部屋の中央にお目当ての人物を見つけて、ラピスは目を見張った。

てっきり眠っているだろうと思っていた彼女は、ベッドの上で上半身だけ起こしていた。

両手を膝の辺りに置き、微動だにせず目をつむっている。

それだけではなんら変わったことはない。

ラピスを驚愕させたのは、その彼女の状態だった。

入院患者が着ているような白い衣装からのぞく肌、顔、

そして、髪の毛の一本一本までがぼんやりと輝き、光の粒子が体中を駆け巡っている。

まるで自分―――マシンチャイルドのようだ。

祈りを捧げる聖職者のような厳かな雰囲気をまとい、

ユリカは凛とした面持ちで静かに瞳を閉じている。

「きれい・・・」

ふとラピスはそんな言葉をもらしていた。

ユリカに目を奪われていたので気づかなかったが、一瞬彼女の両手の中がぼうっと光る。

「ふう」

小さな溜息をつき、ユリカがゆっくりとまぶたを開いた。

あらわになった彼女の瞳を見て、再びラピスは言葉を失ってしまった。

彼女の瞳の色は、世間一般にあるような色ではなかった。

だからといって、マシンチャイルドのような金色でもない。

それは光を反射して輝くシャボン玉のようで、ちらちらと七色に色を変えている。

ラピスが呆然と彼女の横顔を見つめている中、

突然、天井近くの空間からリンゴが現れた。

リンゴはそのまま重力に引かれ、ぽとん、とユリカの手の上に落ちる。

彼女はそれを顔の高さまで持ち上げると、

まあ、こんなものかな、というふうにまじまじと眺めた。

そこで、ようやくユリカは訪問者の存在に気づいた。

「あれ?あなたは?」

きょとんとした表情で、入り口で立ちすくむ少女を見つめる。

「え?・・・あ、あのっ」

ぼんやりとしていたラピスは、はっと我に返った。

しかし、なんの心構えもしていなかったせいで、

慌てふためいて視線を泳がせることしかできず、なにも言えない。

あからさまに不審な動きするラピスを見ながら、ユリカは小首をかしげた。

「もしかして・・・ラピスちゃん?」

いつの間にかユリカの身体の発光は収まっており、瞳の色も黒色になっている。

動揺していたラピスは、ほとんど反射的にうなずいていた。

「やっぱり!あなたがラピスちゃんね!

 アキトから話は聞いているよ!」

ぱあっと表情を明るくしたユリカは、ラピスを手招きして呼び、

ベッドのそばにあった椅子に腰かけるよう促した。

「さあさあ、座って座って!

 あ、リンゴ剥こうか?

 一度ゆっくりお話したいと思ってたんだ」

ラピスは少し迷ってから、恐る恐るといった様子でベッドに歩み寄り、

勧められるままに椅子に座った。

ふとベッドの傍らに目をやると、小さいチェストがあり、

その上には、さまざまな果物が盛られたバスケットが置いてあった。

彼女が持っていたリンゴは、それらのうちの一つだろう。

イネスかアキト、あるいはネルガル会長が差し入れた見舞いの品といったところか。

うきうきとリンゴの皮を剥きはじめたユリカを所在なげに眺めながら、

ラピスはあることを疑問に思った。

(この人・・・私を見ても驚かない・・・?)

色白な肌に、薄いピンクの色の髪と金色の瞳。

初めて自分を目にした人間は、誰であろうと少なからず驚くというのに、

この人はそんな素振りを一切見せない。

驚いてほしいわけではないが、すんなりと受け入れられたことが、

逆にラピスを戸惑わせるのだった。

「ねえ、ラピスちゃん」

不意に、ユリカのほうから声をかけられた。

いつの間にかリンゴを剥き終えていたユリカは、ラピスを見つめていた。

やんわりと微笑んでいながらも、どこか寂しげで、

ともすれば深刻そうにも見える複雑な表情だった。

「私、あなたにお礼を言いたいと思ってたんだ。

 あなたがずっとアキトを支えていてくれてたんだよね?」

変な言い回しだと思ったが、一応ラピスはうなずいた。

彼の戦闘支援は自分の役目。

自分はそれを果たしたにすぎない。

それでも、ユリカは心の底から感謝してくれているようだ。

「ありがとう、ラピスちゃん。

 本当にありがとう」

「別に・・・いい」

ラピスは無表情のまま首を振った。

礼を言われる筋合いはないのだが、ユリカは満足した様子だった。

「じゃあ、一緒にリンゴ食べよ?」

ユリカは明るく笑って、小皿に切り並べたリンゴを差し出した。

それを見て、ラピスは面食らう。

皿にのっていたのは、かなりいびつな形をしたリンゴ―――というよりはジャガイモ。

別の皿によけてある皮のほうが、まだ食べられる部分が多い気がする。

(この人・・・本気で言っている?)

ジャガイモの破片に成り果てたリンゴと、それを満面の笑みで勧めてくるユリカを、

ラピスは交互に見比べた。

「食べないの?美味しいよ」

なかなか手を出さない彼女を不思議に思ったユリカは、

リンゴを一つつまみ、ぽいっと自分の口に放り込んだ。

「ほら、ラピスちゃんもどうぞ」

ユリカは微笑みを絶やさぬまま、

ラピスの顔にぶつけんばかりに、ずいっと皿を突き出した。

ラピスはしばらく鼻先の皿を呆然と眺めていると、無性に彼女のことが滑稽に思えてきた。

ぴくりとラピスの口の端が動く。

痙攣かなにかかと見まがう、ほんの小さな表情の変化だったが、

それは確かに彼女の笑顔だった。

ラピスはごく自然にユリカが剥いたリンゴの一つに手を伸ばす。

部屋に入る前に感じていた不安や、息の詰まるような閉塞感は、

いつの間にかすっかり忘れていた。

「どう?」

ユリカが、にこにこと嬉しそうに尋ねてきた。

ラピスは、もぐもぐとゆっくり咀嚼し、飲み込む。

そして、率直な感想を口にした。

「あなた・・・変わってる」

「へ?」

ユリカはぽかんとなって、目を瞬かせた。

「え?なになに?どういうこと?」

ラピスのほうは平然とした様子で、二つ目のリンゴを頬張っていた。

初対面の人間から無警戒に食べ物を貰うというラピスの行為が、

どれほど珍しいことなのか、このときのユリカは知らない。

ただ彼女はありのままの自分で接しているだけ。

そして、そんな彼女に対するラピスの第一印象は、

総じて『変わってる』の一言に集約されていたのだった。






「なるほど。

 ユリカ君の容態は、徐々によくなってきているということだね」

ネルガル重工本社ビルの会長室。

主のアカツキ・ナガレは、応接用に置かれたソファに腰掛け、ある男と面談していた。

その男は黒いボディスーツに、同色のマントを羽織った、かなり怪しい格好だった。

「君のほうはどうなんだい?アキト君」

「まだ実感できるほどのものではないが、

 イネスさんが言うには、少しずつ改善されているらしい」

「そうかい。それはなによりだ」

結構結構、というふうにうなずくアカツキに、

向かい側のソファに腰掛けた黒ずくめの男―――アキトは頭を下げた。

「本当にすまない、アカツキ。

 いろいろと迷惑をかける」

「よしてくれ。これはビジネスだと言っただろ?

 ネルガルが君達を援助する代わりに、

 君達は僕らにボソンジャンプに関する情報を提供する。

 もっとも、首尾よく情報が得られた場合の話だけどね。

 まあ、ギブアンドテイクってやつさ」

「・・・そうだったな」

感謝と申し訳ない気持ちが交ざった、曖昧な笑みを浮かべて、アキトは目をつむった。

そのまま二人は沈黙する。

時間が止まったような静けさに包まれる室内。

しかし、不思議と気まずさはない。

彼らにとっては、これが当たり前というような雰囲気だ。

「ところで、ユリカ君にだいぶ懐いているって聞いたんだけど?」

アカツキが静寂を破って、思い出したよう口を開いた。

アキトも顔を上げる。

「ん?・・・ああ、ラピスのことか?」

「そうそう。

 君以外の人間とほとんど話したことのない彼女が、

 あんなにも簡単に心を開くとはねえ」

「俺も正直驚いている。

 たぶん、あいつはなにも考えてないからだろうな」

「はは、単に仲良くなりたいだけって?

 確かに彼女の場合はそうかもしれないね。

 でも・・・いいのかい?」

ふとアカツキは表情を引き締めて言った。

「あまり親しくなると、別れが辛くなるんじゃないかい?

 例の件、ユリカ君も協力することになっているんだろう?」

「ああ。あんなことがあったからな。

 まさかばれるとは思っていなかったが、知られてしまった以上は・・・」

「お前には関係ない!って突き放せばいいじゃないか」

アカツキは口の端に笑みを浮かべながら言った。

なにかを期待するように、彼の目は楽しげに輝いている。

アキトは一瞬口ごもってから、ぼそりとつぶやいた。

「・・・それができたら苦労しない」

「はっはっは!そのあたりは相変わらずだね!」

深い息を吐いてうなだれたアキトを見て、アカツキは声を上げて笑った。

なんだかんだで、結局、アキトという男は女の言うことに弱い。

その彼らしさがアカツキには愉快で仕方ないらしい。

アキトは渋い顔になった。

馬鹿にされているわけではなくても、やはり面白くないようだ。

「放っておいてくれ」

「くく・・・すまない、すまない。

 まあ、もうしばらくは様子を見ようじゃないか。

 ラピス君のことも・・・例の件も、ね。

 なにをするにも、まずは君達に元気になってもらわないと」

「そうだな」

「またこっちから呼び出すかもしれないけど、

 なにか用があったら、そっちから訪ねてくれたまえ」

アカツキはソファにもたれかかりながら、ひらひらと片手を振った。

「わかった」

うなずきながら、アキトは立ち上がった。

「ジャンプ」

そうつぶやいたアキトの身体から光が溢れる。

その光に飲み込まれるかのように、アキトはアカツキの前から姿を消した。

アカツキはソファに仰け反ったまま、思案顔で彼がいたソファを眺めていた。

「ビジネス・・・ねえ」

しばらくした後、アカツキは、ふっと頬を緩めた。

「なんとも割に合わないビジネスじゃないか」

アキトとユリカの二人を匿い始めてから二か月が過ぎた。

その間、ネルガルには一銭の利益もない。

それでも、アカツキの表情には後悔も躊躇いも見られなかった。






ラピスは白くて清潔な廊下を歩いていた。

手には、ハガキくらいの大きさの携帯型ゲーム機。

その名も―――PSP(Play Studio Pocket)。

最新鋭のそれは、単なるゲーム機に留まらず、

ワイヤレスでのネットワークの利用はもちろん、

それを介したゲーム、映画、音楽などのダウンロードも可能という優れものだ。

黙々と廊下を進むラピスの表情は、真剣そのもの。

普段から表情の変化が乏しい彼女にしては珍しい。

ラピスはある部屋の前で立ち止まると、そこの扉をノックした。

「ユリカ、入っていい?」

「どうぞ〜」

内側からのんきな声が返ってきたのを確認してから、ラピスは扉を開けた。

「いらっしゃい、ラピスちゃん」

にこにこと笑顔で迎えてくれたのは、この部屋の主―――入院生活中のユリカ。

最近になって、ようやく一人で歩けるくらいには回復したものの、

身体中ぼろぼろというのが本当のところだ。

にもかかわらず、本人はまったく気にしていないかのように、

いつも朗らかな笑顔を振りまいている。

ラピスはベッドのそばの椅子に腰かけると、手に持っていたPSPを差し出した。

「勝負しよ。今日は負けない」

「ふっふ〜。いいよいいよ〜」

待ってました、とばかりに、ユリカも枕の下から自分のPSPを取り出した。

「いつも言ってるけど、手加減しないからね?」

「のぞむところっ」

無邪気にふてぶてしく笑うユリカ。

真剣ながらも、どこか楽しそうなラピス。

ここしばらく、二人は“KAISEN”というゲームに熱中していた。

それは、実在する戦艦・兵器を手駒にし、

広大なフィールドで戦闘を繰り広げるシミュレーションゲームだ。

各ユニットの移動範囲や攻撃能力、地形など、さまざまな要素が戦闘に影響するため、

自軍の戦力以上にプレイヤーの戦略が非常に重要となる。

また、ネットワークを利用することで、世界中のプレイヤー同士の通信対戦も可能で、

戦績で格付けされるランキングも存在していた。

「むう・・・やるじゃない、ラピスちゃん。

 でも、そっちが手薄になってるね」

「おとりだよ。狙ったのは、この・・・」

「だと思った〜。

 えいっ!」

「ああっ」

ユリカとラピスの二人は、きゃあきゃあと騒ぎながら対戦を進める。

彼女らが熱中しているこのゲーム、

始めたきっかけは、ユリカの思いつきに過ぎなかった。

少し時間を遡って、まだユリカが一人で歩くこともままならなかった頃。

リハビリ以外にすることがなく、ユリカは暇を持て余していた。

そこで、得意の駄々をこねて、話題のゲーム機PSPを取り寄せてもらい、

面白そうなシミュレーションゲームをダウンロードしたのが発端である。

当時のラピスは、頻繁にユリカの部屋を訪れることはなかったが、

タイミングよくのぞきに来たところを捕まり、一緒にやろう、と誘われたのだ。

ラピス自身、特に興味があったわけではないが、

かと言って断る理由もなかったので、素直にユリカの申し出に応じることにした。

(ちなみに、二機目のPSPも、ユリカのわがままで取り寄せた)。

すぐにラピスがゲームの趣旨を理解できたので、さっそくユリカと対戦する運びとなった。

そしてこのとき、ラピスは自分が負けるとは思ってもいなかった。

当時のユリカの印象は、なんだか『変わった人』くらいのものだったこともあり、

少なからず実戦経験のある自分が、素人に負けるはずがない。

そう考えていた。

しかし、対戦開始から数分後、その認識が間違っていたことを、ラピスは思い知った。

強い。

それもかなり。

すぐに気を引き締めて、戦況を盛り返そうとするも、

こちらの考えをすべて読まれているかのように、追い込まれるばかり。

結局、大した反撃もできぬまま、ゲームオーバーとなった。

「うう・・・」

ラピスは下唇を噛んだ。

予想もしなかったまさかの惨敗。

勝利した本人は―――ラピスが言えたことではないが―――子供のようにはしゃいでいる。

このとき、おそらく初めて、ラピスは『悔しい』という感情を抱いた。

「も、もう一回っ」

気がつくと、自分から再戦を申し込む言葉を口にしていた。

ユリカは快くリターンマッチに応じた。

「うん、いいよ!何度でもやろっ!」

その後、返り討ちにあうこと、十数回。

あまりの清々しい負けっぷりに、『悔しい』という気持ちは、

やがて『すごい』という尊敬にも似た感情へと変わっていた。

ユリカの繰り出す戦術は、自分の想像をはるかに超える奇抜なものばかりで、

どうしてそんなものが次から次へ考えられるのかと感心し、同時に強い興味を抱いた。

それからである。

ラピスが積極的にユリカと接触を試みるようになったのは。

暇さえあれば、PSPを持って、ユリカの病室へ向かう。

ときにはユリカと対戦、ときには遠くの誰かと通信対戦。

そうして、ユリカや、ネットワークを介した別のプレイヤーとのやり取りを経て、

次第にラピスは自分の感情を表に出すようになり、また、よく喋るようにもなっていた。

簡単なチャット機能を用いた挨拶や、短い会話などが交わしたことも、

ラピスのコミュニケーション能力を向上させる要因の一つだったのかもしれない。

そして、今日もまた、二人は飽きもせずゲームに興じているのだった。






ホシノ・ルリ。

その名前には聞き覚えがあった。

初めて耳にしたのは、およそ半年前。

ちょうど“火星の後継者”によるクデーターが鎮圧された日のこと。

あの日も、ラピスはアキトの戦闘支援に勤しんでいた。

そんな中、向こうからハッキングによる接触があったのだ。


―――はじめまして。私は、ルリ。


確かに、そう名乗ったはずである。

しかし、そのときは長々と会話した覚えはなく、それほど印象にも残らなかった。

では、なぜ今になって彼女の名前を思い出したのか。

理由は、ユリカの口から、再びその名を聞かされたからだ。

「たぶん、ルリちゃんだよ。

 フルネームは、ホシノ・ルリ」

ラピスの問いに対して、ユリカはそう答えた。

ちなみに、ラピスがその質問をするに至った経緯は、次のとおりだ。

ユリカとラピスが熱中しているシミュレーションゲーム―――“KAISEN”。

そのランキングは、

1st:ナデシコ (ユリカ)
2nd:オモイカネ(???)
3rd:クロユリ (ラピス)
 ・
 ・
 ・

となっていた。

最近、ラピスは新参者の“オモイカネ”というプレイヤーに負け、

これまでずっと保持してきたランキング二位の座を明け渡してしまった。

その後、リベンジに臨むも、なかなか地位を奪還することができずにいる。

ラピスを破った勢いで、“オモイカネ”はユリカにも挑戦したが、

さすがにユリカは、少々手こずった感があったものの、見事に返り討ちにしてみせた。

そのとき、どうもユリカが挑戦者のことを知っている風だったので、

気になったラピスは、思い切って尋ねてみたのだ。

「ユリカ、知ってるの?

 その“オモイカネ”って人」

その答えが、『ホシノ・ルリ』である。

ラピスはつぶやくように彼女の名前を繰り返した。

「ホシノ・・・ルリ・・・たぶん、あの人だ」

「あれ?ラピスちゃんこそ、ルリちゃんのこと知ってたの?」

意外そうに、ユリカは目を丸くした。

ラピスがうなずく。

「前に、一度だけ話した。ほんのちょっとだけど」

「へえ〜。もう顔見知りだったんだね。

 でも、それなら丁度よかったかも」

「どうして?」

「そのうち、ラピスちゃんにルリちゃんのことを紹介しようと思ってたんだ。

 ルリちゃんはラピスちゃんのお姉さんだからね」

「おねえさん?私の?なんで?

 だいたい、私とそのルリって人は姉妹じゃないよ」

「そんなことないって〜。二人ともそっくりだよ?

 見た目もそうだけど、物静かで、かわいらしいとこなんて特にね!」

ユリカは満面の笑みを浮かべ、自信満々で断言した。

(それ、答えになってない・・・)

そう思ったラピスだが、追求するのはやめた。

姉妹云々よりも、ユリカとルリという女の子の関係に興味を抱いた。

「ずいぶん詳しいね、ルリって人のこと」

「うん、まあ・・・家族だからね」

「かぞく?」

「うん。血はつながってないし、ずっと一緒に暮らしてたわけでもないけどね。

 私達とルリちゃんは家族なんだ」

ユリカは穏やかな笑みをたたえて言った。

それは、いつもの天真爛漫な笑顔ではなく、この上ない優しさに満ちた微笑みだった。

その彼女が初めて見せる表情の前に、ラピスはなにも言えなくなってしまった。

同時に、言い表せない感情が、胸の中にわき起こってくる。

寂しいような、いらいらするような、複雑な気分。

なにをするにも、そのもやもやが頭をもたげるようになった。

「ごめん・・・ちょっと疲れたから、今日は帰るね」

「大丈夫?」

「平気。じゃあ、またね」

心配してくれるユリカから逃げるように、ラピスはそそくさと病室を後にした。

時間が経てば、この心の中のもやもやはなくなるだろう。

そう思っていたが、いつまで経っても、気分が晴れることなかった。

結局、自分が抱く感情の正体を知ることなく数日を過ごした後、

ラピスは例の少女―――ホシノ・ルリとの再会を決意した。

彼女と会い、話をすることで、持て余している感情の正体を掴むことができる。

そんな気がした。






【家族】
 夫婦の配偶関係や、親子・兄弟などの血縁関係によって結ばれた
 親族関係を基礎にして成立する小集団。






その家族という言葉が、ラピスにはよくわからなかった。

家族の定義から言えば、ユリカとルリは家族ではない。

しかし、ユリカはそうだと言った。

このことについて、ルリ自身はどう考えているのだろう。

そして、自分は・・・。

なんでこんなにも家族という言葉に心を揺るがされるのか。

言い知れない不安を取り除くために、ラピスは一刻も早くルリと接触する機会を探した。

そして、運よく再会の機会はすぐに訪れることになる。

ルリの足取りを探ろうと、軍関係のコンピュータにハッキングしていたところ、

ちょうど明日、彼女が艦長を務める戦艦ナデシコが、

月の宇宙軍ドックに寄航するという情報を手に入れたのだ。

実は、ラピスがハッキングしていたのも、月のネルガル秘密ドックから。

厳密に言えば、そこに格納されている戦艦ユーチャリスから。

なぜ今もまだユーチャリスが整備されており、その全機能が生きているのかは不明だが、

とにかく、明日がルリと再び合間見える絶好のチャンスである。

ラピスは相変わらず静まることのない胸のざわめきに加え、

なんだか待ち遠しいと思える小さな期待のようなものも抱いていた。






「すみません、艦長。

 お先に失礼しますね」

「はい。お疲れ様でした」

一足先にブリッジを後する仲間達を見送り、

ホシノ・ルリは最後のシステムチェックを行っていた。

場所は、月に建造された宇宙軍のドック。

ルリ率いるナデシコは、物資の補給と短い休暇のため、この月ドックに寄航したのだ。

なんだかんだで、雑務が長引き、ブリッジに残っているのは自分のみ。

最後に、ナデシコを司るスーパーAI―――オモイカネ―――の具合を調べる。

これにて、本日の作業は終了。

「お疲れ様、オモイカネ。

 おやすみなさい」

ルリは親友に労いの言葉をかけ、席を立とうとした。

まさにそのとき。

≪警告≫

≪システム奪略≫

≪全隔壁閉鎖≫

「ハッキング?閉じ込められた!?」

にわかにブリッジが騒がしくなり、警告を知らせるウインドウが溢れ出した。

ルリは慌てて艦長席にかけなおし、迎撃に応じる。

ふわりと髪が風に舞うように動くと、光の紋様が全身に走った。

マシンチャイルド特有の高度な情報処理能力が解放された瞬間である。

(でも・・・妙ですね)

ルリは考えた。

軍のネットワークに侵入するだけならともかく、

ナデシコの基幹システムにまで手を伸ばすことができるなんて。

このハッカーは内部の者か、あるいは、自分と同等の力を有しているのか。

「まさか・・・」

ルリの頭に、ある可能性が浮かんだ。

そして、その可能性は、根拠がないにもかかわらず、確信へと変わる。

「大丈夫です、オモイカネ。進入させてかまいません。

 このハッカーの目的は、おそらく私ですから」

ルリはオモイカネに告げ、プロテクトを解除させる。

すると、鳴り響いていた警報はおさまり、辺りを埋め尽くしていたウインドウも消滅した。

代わりに、ピコン、と別のウインドウが現れる。

「やっぱり、あなたでしたか。

 なんとなくそんな気がしました・・・ラピス・ラズリさん」

ルリの予感は的中した。

ウインドウの中には、桃色の髪と金色の瞳をもつ少女。

彼女はルリと同様に、透き通るような白い肌をきらきらと輝かせている。

初めて彼女と出会ったのは、確か半年ほど前の火星でのことだ。

それを数えても、これが二度目の面会となる。

ラピス・ラズリは、少し緊張した面持ちで言った。

『ラピスでいい。

 あなたがホシノ・ルリね』

「私のことも、ルリでいいですよ」

『突然ごめんなさい。閉じ込めるつもりはない。

 ちょっとあなたと話がしたくて・・・』

「話・・・ですか?」

ルリはラピスの言葉を聞きながら思った。

(前に会ったときとは、かなり印象が違いますね)

半年前は、無表情な上に情緒に欠け、まるで昔の自分を見ているようだった。

そこで、ふと思い当たる。

(あ、そう言えば・・・)

数日前にユリカ達と連絡がとれたとき、このラピスという少女の話が出た。

(なるほど・・・あの人の影響ですか)

納得したルリは、気を取り直して、ラピスの話とやらを促した。

「いったい、なんの話ですか、ラピス?」

『そ、それは・・・』

ラピスは口ごもった。

言い出しにくいことなのか、うまく伝える自信がないのか。

あっちこっちに視線を泳がせては、言葉に詰まる。

ルリは急かすことなく、静かに彼女の返事を待った。

『あなたは・・・』

ラピスがおもむろに口を開いた。

やっと吐き出された言葉には、戸惑いや躊躇いが混じっている。

それらを振り切るように、一旦大きく息を吸い込んでから、

ラピスはやや大きめの声で言った。

『あなたとユリカはなに?』

「へ?」

『だから、あなたとユリカはなんなのっ?』

「いえ、あの、よくわからないんですど・・・。

 できれば、もう少し具体的な質問をお願いします」

『・・・えっと、ユリカはあなた、ルリと家族だって言ってた』

「はい」

『でも、血はつながってないんでしょ?どうして?

 どうして家族なの?』

「ああ、そういうことですか。簡単な話ですよ。

 確かに血縁関係はありませんが、形式的には家族。いわゆる養子です」

さらりと答えるルリに対して、ラピスは首を振った。

『違う、違うよ。

 ユリカはそんな風に思ってない。

 よくわからないけど、形だけとか、ユリカは思ってない』

ずっと抱いていたもやもやとした気持ちに駆り立てられるように、

ラピスの口調は次第に感情的になっていく。

『ルリの話をするときのユリカ、私、見たことない。

 いつもユリカは優しいけど、もっと優しかった。

 ルリだから?家族だから?』

「ラピス・・・あなた・・・」

『私が家族じゃないから?

 だから、ユリカは・・・家族だったら、私にももっと優しいの?』

ラピスは自分がなにを言っているのか、なにを言いたいのか、全然わからなくなっていた。

ただ、溢れ出す気持ちが、そのまま口からこぼれるように、無我夢中で喋り続ける。

脳裏に浮かぶのは、優しげにルリの名を口にするユリカ。

あのとき自分は、一人取り残された迷子のような寂しさを覚えた。

また、ユリカをそうさせるルリをうらやましく思った。

それが、自分の思慕や嫉妬によるものであることを、今のラピスには理解できない。

だが、ルリには理解できていた。

ラピスが胸の内に持て余している感情と、ユリカを慕う気持ち。

それらが、彼女の懸命な様子から、否応なく伝わってくる。

ルリはなんだか嬉しくなった。


―――ルリちゃん!聞いて、聞いて!ルリちゃんに妹ができたよ!


ユリカの言っていた言葉が思い出される。

あまりに唐突な告白に、当時のルリは戸惑ったものだが、

今では歓迎したい気持ちで一杯だった。

このラピスという少女、なんだか他人の気がしない。

同じマシンチャイルドということもあるかもしれないが、

感覚的に自分と近しい存在に思えた。

「ラピス、ユリカさんに聞きましたか?

 自分はどうなのか。家族として見てくれているのかどうか」

黙り込んでいたラピスに、ルリは丁寧に尋ねた。

ラピスは弱々しく首を横に振る。

「では、ユリカさんから言われませんでしたか?

 あなたと私は姉妹だ、と」

『言われた・・・』

「そういうことですよ、ラピス」

『わからない・・・どういうこと?』

「あの人は、自分にとって当たり前のことは言わないんですよ。

 考えてみてください。

 私とユリカさんは家族、私とラピスは姉妹、つまり家族ですよね?

 そうなると、あなたとユリカさんも・・・」

『家族?』

「ええ。そうです」

ルリは、我が意を得たり、とばかりにうなずいた。

「はっきりと口にしなくても、あなたのことを家族同然に思っているはずです」

『そ、そうなのかな・・・』

「間違いありませんよ。アキトさんもそうだと思います。

 もちろん私も、今この瞬間から。

 肝心なのは、あなたがどうありたいか、ですよ」

『私は・・・』

ウインドウの中で、ラピスは俯いた。

しかし、すぐに顔を上げ、はっきりと言った。

『私は家族になりたいっ。

 まだよくわからないけど、アキトやユリカや・・・ルリとは家族がいい』

真っ直ぐに見つめてくるラピスの目を見て、ルリは満面の笑みを浮かべた。

「よろしく」

『よ・・・よ、よろしく』

ルリが言うと、ラピスもちょっと照れくさそうに微笑んだ。


ドン!ドン!


突然、ブリッジの入り口が乱暴にノックされた。

「艦長!艦長!!どうしたんですか!?」

どうやら、まだ艦内に残っていたクルーがいたらしい。

閉じられた隔壁を不審に思って、手動で隔壁を開放しながら、駆けつけてくれたのだろう。

ルリは声をひそめて言った。

「人が来ました。また今度、ゆっくり話をしましょう」

『うん』

ラピスがうなずくと同時に、彼女を映していたウインドウが消滅する。

すると、ブリッジには何事もなかったかのような静寂が戻った。

ルリは入り口に向かって声をかける。

「すみません。今、開けます」

扉が開き、数人のクルーが飛び込んできた。

「大丈夫ですか、艦長!?」

「隔壁が閉まったので、緊急事態かと思ったのですが・・・」

「い、一体、なにがあったのですか?」

「驚かしてすみません。隔壁を誤作動させてしまったようです。

 ちょっと疲れているのかもしれません」

「そうですか」

「いえ、なにもなかったのであれば・・・」

「お疲れなら、早めに休まれたほうがいいですよ」

ルリの落ち着いた様子を見たクルー達は、安心して、それ以上怪しむこともしなかった。

「お先に失礼します」

とそれぞれ告げて、引き上げていった。

ルリはしばらく間を置いてから、オモイカネを呼んだ。

「オモイカネ、さっきのハッキングと交信記録は・・・」

≪見てない≫

≪言わない≫

≪聞いてない≫

「ふふっ。さすがね」

ルリは楽しげに笑った。

突然に現れた新しい家族。

二度目の接触は、ハッキングという非常に印象的な出会いだったが、

残念ながら記録に残すわけにはいかない。

これは自分とラピスの秘密にして、記憶にだけ残しておく。

彼女がどのような人間なのか。

うまく付き合っていけるのか。

そんな不安がないわけではない。

しかし、それ以上の漠然とした期待に胸躍る心地のルリなのであった。






ラピスは久しぶりにユリカの病室を訪れた。

久しぶりといっても、三日ぶりくらいだが。

入り口の前に立ち尽くし、頭の中でルリの言葉を反芻する。


―――あなたがどうありたいか。


「私は・・・」

ラピスは心の中で続きをつぶやいた。

もう胸につかえていたもやもやはない。

トントンッ。

ドアをノックすると、

「どうぞ〜」

と内側から声がする。

ラピスは勢いよく入り口を開けた。

「あ、久しぶりだね、ラピスちゃん!」

にこやかに迎えてくれるユリカを見て、なぜかラピスはどきどきした。

どうも落ち着かない、自分でもよくわからない気持ち。

でも、今度のそれは不思議と心地よい。

ラピスもユリカに向かって、晴れ晴れとした笑顔をみせた。

「ユリカ!勝負しよ!」












<あとがき>

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

イメージしたのは『変化』。

一度形成された人格を矯正するのは簡単ではありません。

でも、間違いなく人間は変わっていける。

そう信じて書いたつもりです。

またお付き合いいただけたら幸いです。

本当にありがとうございました。

 

 

 

第四話