〇地球・西欧方面軍司令部・司令執務室─アリサ

私はおじい様に呼び出され一時西欧方面軍の司令部に戻った。
夏祭りとあのスチャラカなイベントを体験した後、三週間ほどしたところで、
日本のお盆休みになり、三日ほどの休暇を言い渡され、
各連合軍パイロット訓練生は一時帰還報告と休養を行うことになった。
私は訓練生の中でも素質があると評価され、一番早く戦闘に出ることもでき、戦果を挙げられた。
だから胸を張って帰ってこれたんだけど…。

「アリサ、報告に来てくれたことは嬉しいんだが、
 もう少し実家でゆっくりしても良かったんだぞ」

「…はぁ、ついやりあっちゃって険悪になっちゃったんです。
 せっかく、西欧一のエステバリスライダーになれそうだっていうのに大ゲンカで…」

「すまんな、私の側につくとどうも分の悪い立場になってしまって。
 まあ、お前もその鼻っ柱の強いところがなければここまで強くなれなかったろう。
 息子たちに代わって私が労うとしよう。
 よく頑張ったな、アリサ」

「ありがとう、おじい様」

…ちょっと憂鬱な気分だけど、お父さんもお母さんも、姉さんも、
私を案じている気持ちは純粋に嬉しいと思う。
今度戻ったら、それなりに落ち着いて話せるといいんだけど…。

…ただホシノアキト関係でかなり言われたのは正直堪えたけどね。
何しろ、義理の妹をかっさらうという、あのショーの一件で、
西欧圏でも面白おかしく、時にはかなりスキャンダラスに報じられてしまって、
根も葉もない彼の噂と混じって、
女性とみなせば口説き落とし、義理の妹も毒牙にかけてる、という噂がより強力に流されてしまってます。
毎晩毎夜、数人の女性を相手取って乱れた生活を送っていると。
それもあって、おじい様が『西欧方面軍のために孫娘を生贄に差し出した』とばかりに、
家族一同、そして軍の同僚たちにすらも同情されてるのはちょっと頭が痛いわ。
…あんなとぼけた人見たらそんな気も起らないんだけど、
ああいうショーができるというだけでも『二面性がある』とか『演技がうまいだけ』とか取られてるんでしょうね。
はぁ。

「しかし、明るい話題もあるぞぉ」

「はい?」

「ナデシコ出航後に連合軍に導入されるナデシコシリーズの三台のうち、
 シャクヤクがこの西欧方面軍に入ることになったんだ。
 この間の連合軍の上層部会議で決定したらしい。
 2月からの導入になるそうだ」


「えっ!?本当ですか!?」



「しかもだ。
 決定打になったのが、アリサ、お前の頑張りが元なんだ。
 お前が中心になればエステバリスの活躍も期待できるから、とな。
 お前が頑張ってくれたおかげで、我が西欧方面軍の力が一段と増し、
 そして西欧各国の平和を取り戻す時が早まる!
 

 よくやったぞ、アリサ!!」


「や…やったぁ!!」



が、頑張った甲斐があった…!
シャクヤクといえば、ナデシコと同じ、ナデシコ級戦艦。
その威力は、巡洋艦であるユーチャリスをも上回るくらいの…すごい戦艦だもの!
エステバリスの運用についてのノウハウの取得だけということだったし、
私一人の頑張りではどうしようもないと思ってたけど…こんなに嬉しいことはないわ!!

「では、アリサ…いやアリサ少尉。
 それにともなっての配属の変更を伝える。
 9月からはほかの訓練生に先んじて再び西欧方面軍の直轄に戻る。
 そして残り半月程度だが、PMCマルスと協力して訓練カリキュラムを作り上げろ。
 戦艦でのエステバリスを起点とした基本戦術についての構築もだ。
 お前は西欧方面軍のみならず、連合軍全体のエステバリス運営を握る人材になるわけだ。
 それでも訓練カリキュラムの作成方法はお前ひとりでは厳しいだろう。
 連合軍の中でも腕利きの教育のプロである教官をついていかせる。
 日本に帰り次第、作成に取り掛かれ。
 
 …完成次第、お前はその教官とともに、エステバリスライダーの教育と実地での戦闘を行うことになる!
 責任は重大だが、お前ならきっとやり遂げるだろう!!
 


 これからも励んでくれ、アリサ少尉!」



「はッ!!
 謹んでお請け致しますッ!」




私は表情こそ引き締めているものの、はしゃぎたい気持ちでいっぱいだった。
PMCマルスに居る間も実戦こそあったものの、かなり保護された状態での、
しかも軍隊とは厳しさどころか優しいやり方で、その中で出来る限り頑張っただけだというのに…。
私が予期しないほどの大きな成果が生まれていたことに、
西欧の危機が遠ざかろうということに、歓喜するしかなかった。
おそらく、現状ではチューリップの撃破は難しいだろうけど、敵を追い払うことはできるようになるはず。
それだけでも、西欧圏の生命はだいぶ守られることになる。

…本当に嬉しい!!

また、家族とは疎遠になってしまうかもしれないけど…。
いつか木星トカゲから西欧を取り戻して、笑顔で会えるようにならなきゃ!!


















『機動戦艦ナデシコD』
第三十七話:death with dignity-尊厳死-






















〇地球・太平洋上プラント・連合軍総会会議場・連合軍将校会議室─ミスマル提督



ざわざわ…。




私は連合軍上層部を交え、月攻略についての議論に参加している。
この会議が終わり次第、日本に戻りお盆をユリカ達と葬式、墓参りに行ったりして過ごす予定だ。
アキト君も夏祭り以降、さらに過熱する芸能界にもまれてしまい、疲れ切っているようだし、
一足先に我が家に戻ってもらって十分に休んでもらっている。
しかし才能に溢れすぎているというのも困り者だな。
戦力的にはアキト君を欠いても事足りる状況になりつつあるからと、アキト君が芸能界にかかりきりとは。
うーむ、ユリが寂しい想いをしていなければいいのだが。

それはそれとして、先日の会議でグラシス爺の孫娘のアリサを起点とする西欧方面軍へのシャクヤクの配属が決まり、
月攻略については、10月からのユーチャリスの一時的な貸与で対応することになっている。
1月には超ナデシコ級であるドック艦コスモスが入れ替わりに月に配備され、
ユーチャリスはその時にPMCマルスに返却される。
ナデシコ級戦艦への期待のため、資材と人員が集中的に集まり、かなり急ピッチでの建造ができている。
地球はある程度これで安泰だろう。
木星トカゲへの反撃の準備も整いつつあるな。

そして最期の議題は相転移エンジン搭載艦の各方面軍への配分だった。
目下のカキツバタの配属、それ以降の相転移エンジン搭載艦の生産についてはかなり難航していた。
相転移エンジンの構造については材料が揃えば出力は落ちても製造のための理論は追いつくため、
連合軍はネルガルの独占を防ぎ戦力の増強を図るべく、別企業の参入を提案した。
ネルガル自身も、相転移エンジンの製造に必要な月の鉱物資源を別企業が持っている点から、
この提案を受け入れることになった。
これはアカツキ会長が自社幹部、そして連合軍と他メーカーに強く押した結果だったらしい。
利益を損なうかもしれないのではないかという質問に対してアカツキ会長は、

「僕らが相転移エンジンの特許を独占してしまうのが一番いいことだろうね。
 だけどさ、木星戦艦の鹵獲で他メーカーも相転移エンジンの仕組みはばれつつある。
 意地になって独占しようとして、手が回らないってことになったら意味がない。
 それにやっぱり企業の成長ってのは競争しないとできないものじゃない?
 うちほどの完成度で相転移エンジン造れるのはやっぱりほかにないわけだし、
 連合軍にエステバリスの正式採用が決まった今、過剰に欲張ればかえって沈みかねないよ」

と、ネルガル幹部、連合軍上層部、私達将校を集めての会議中に発言し、私も大いに驚かされた。
大胆ながら市場原理に逆らわぬようにしつつ、市場の活発化を狙い、その上で勝つという強気な発言だった。
そしてネルガルと我々連合軍で『協力を頼める大手企業』の選定に取り掛かるという、
前代未聞の事態に発展した。
こんなことはネルガル前々会長、前会長の時代にはありえないことだった。
そしてライバル会社ながら、明日香インダストリーとクリムゾンが戦艦製造の候補としてあげられた。

しかし、この時クリムゾンはネルガルだけではなく大方の連合軍側からノーを突き付けられた。
クリムゾンを押した上層部の人間はかなり不満を抱く形になったが、
大半の上層部は、クリムゾンの最近の企業活動について快く思っていなかった。


これはステルンクーゲル、ステルンクーゲルmini、そしてPMCセレネの売り出しがかなり後を引いた結果だった。

特にPMCセレネとステルンクーゲルminiの関係は、世論に激しく批難されていた。
脱出装置もなく、一発の被弾が致命傷になり得る兵器を、自ら運用する愚を民衆が見逃さなかった。
ホシノ一家に対する人体実験、ひいてはIFSという戦争に関わる実験により、
戦争に関する人権問題が一挙に噴き出した状況がクリムゾンに対する世論からの風当たりを強くしていた。

「私達は力ない市民に力を与え、市民と協力して木星トカゲと戦っている。
 連合軍のアフリカ方面軍との連携も強固だ。
 やっていることはPMCマルスと大差はないはずだ」

とクリムゾン会長は主張していた。
アフリカの市民たちも、これを大きく支持していた。
しかし、これは当事者たちとすれば正論でも、事情は大きく異なる。

まず、連合軍で正式採用が決まったエステバリスの導入をアフリカ軍司令官を通じて妨害し、
その上自社開発の兵器を人道から外れた方法で運用したことが挙げられる。
正確に言えば、アフリカ方面軍でもエステバリスの採用は進んだものの、
明らかにほかの方面軍よりは導入台数があきらかに不自然に少ない。
この点については、軍の予算の問題と弁明したが、
マスコミからアフリカ方面軍上層部とクリムゾンの癒着が取りざたされた。
これは純粋に世間にイメージダウンなだけではなく、ほかの方面の軍上層部にも不評を買った。

また、クリムゾン会長はネルガルとPMCマルスの関係を見て、
自社で運営するのも問題ないのではないか、と判断して居たものの、
戦闘による死者数があまりに多すぎてPMCマルスとはかけ離れていた。
かつて軍の死者数をごまかすため、PMCを利用して派兵するということが行われた時期があったが、
22世紀の現在ではそれすらも非人道的ということで禁止されており、
クリムゾンの人命軽視の姿勢が明らかになってしまった。
長年連合軍と蜜月の関係を築いてきたことで油断し、イメージ戦略の視点を欠いてしまったのだ。

ただ、これについてクリムゾン会長の判断が間違っていたかといえば、そうとも言い切れない。
今までは木星トカゲは連合軍では抑えきれず、市民の自衛は不可能に近かった。
自衛のためだけでも格安の兵器を仕入れる方法を与えたこと自体は、市民にとっては有益だったと言える。
アフリカ地方のみならず、ほかの地域でも欲する場所は多かったはずだったが…。

ただし『エステバリスという兵器が一切なかったら』という条件が付く。

エステバリスがなかった場合、全世界の市民が購入を検討してもおかしくはなかった。
だがエステバリスは高価ではあるが反面、1機で素人でも40機の撃墜スコアを狙える機体だ。
兵器の戦闘シーンを丸々放映した効果があまりにも大きく、
『連合軍がこれを導入すれば勝てる』という意識が市民に根付いたので、
無理にステルンクーゲルを購入する人間は居なかった。
それでもエステバリスを購入し、PMCを自ら始めようとする起業行動も見られたが、
ネルガルが増産が間に合わないことを理由にしてブロック、
ある程度連合軍側からもブロックができたので、こちらは問題は大きくならなかった。
フレーム換装による運用の自由度、ディストーションフィールド、脱出装置の充実などがあるため、
同じライフルを使用して火力が同等であっても、『経験を積んだパイロットの損失』を考えた場合、
ステルンクーゲルはともかく、ステルンクーゲルminiという機体は論外だった。
それを情報統制と一方的な売り込みで出してしまったため、政治的な観点からクリムゾンを忌避する動きは高まったようだ。

とはいえ、入手困難なエステバリスに代わって自衛のためにステルンクーゲルを導入するものもそれなりに居る。
企業向けではなく、裕福層を中心にそれなりの数が居たため、売り出しにそこそこ成功している。

…特にステルンクーゲルminiは、金持ちやベンチャー企業で成功した趣味人がこぞって購入し、
武器なしのロボット格闘技でチューニングされて使われて、思わぬブームになっている。
兵器として作られたものが、戦闘用ではなくホビー用途で市場を得てしまうというのは、
兵器商として成り上り続けたクリムゾンにとっては皮肉すぎる成果だ。

結果として、クリムゾンは今まで連合軍に納入された戦艦建造のノウハウを持っているにもかかわらず、
連合軍へ導入される相転移エンジン搭載艦の開発に携わる機会を損失してしまうことになった。
クリムゾン会長の読みが大きく外れたわけだな。



・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。



その後、ひとまずカキツバタの配属を仮決定することを議論し、
さらに明日香インダストリーとネルガルが協力して作る新造艦と、
現行の戦艦を相転移エンジン搭載型に改修する手続きについての話し合いが行われ、
来年度から再編が行われることが内定し、議題はおおむね話し終わった。
明日香インダストリーも連合軍とネルガルがそろってこの話を持っていくとなったら大わらわだろうがな。
とはいえ、あの確実な仕事をする第二次世界大戦のころから続く老舗企業の事だ、
このチャンスを見逃しはしないだろう。

「えーそれでは、カキツバタの配属はアメリカ方面軍に仮決定いたします。
 アフリカ方面軍には、比較的チューリップが少ないということで、
 極東方面からの支援を行う形でフォローすることになりました。
 現状はユーチャリス、10月からはナデシコがチューリップ攻略に手を貸す形になります。
 また来年一月からはまた編成の変更がありえますので、
 再度召集をお掛けします。
 それでは、解散いたします」

…ふう、ようやく帰ることができそうだな。
だいぶ遅くなってしまったが、ユリカ達は仲良くやってるだろうか?
む、ムネタケ参謀が話に来たな…。

「ミスマル、うちのせがれが世話になっててすまんな」

「おお、いや構わんよ。
 …こちらこそ、失礼はしてないか?」

「はは、この間話して笑ってしまったよ。
 人手不足だということで暇な時間に売店で働かせられてるらしい」


「なにっ!?

 そ、そんなことを!?

 す、すまんっ!うちの娘が失礼な真似を!!」


ゆ、ユリは何を考えてそんなことをさせてるんだ!?
仮にも十歳以上は年上の連合軍少佐だぞ!?

「いや、これもリハビリの一環としてはいいと思うんだ。
 成果の出ない仕事を、のんびりしているそうだ。
 ストレスのない環境とはいえ、何もしない時間が長すぎるのも本人には良くないしなぁ。
 したことのない下働きをさせられて、初めての気付きや経験がたくさんあったそうだ。
 肩ひじ張らずにいられるいい職場に出会えたと、照れくさそうにしていたよ」

「そ、それならいいんだが…」

…参謀の息子のムネタケ少佐はプライドが高く、部下に厳しく、しっかりとした男として有名だった。
だが、フクベ提督がそばに置くことを良しとする本来有能とも思える男が、
長年の上司の圧力、配属先での軋轢、そして火星での敗北で人間的に歪んでしまったという事実に、愕然とした。
連合軍が絶対的に普遍の立場に属し、腐敗しやすい構造になっていることは分かっていたが、
ムネタケ参謀の息子すらもそこまで追い詰めてしまうほどとは、思いもよらなかった。
…ユリカもことと次第によってはそうなっていたんだろう。

「いや、我が息子ながら視野が狭くなってしまったのを直せなかったのは親としては反省の極みだ。
 成果が伴わないが、絶対的に必要な存在という部分を体験するというのは本当に貴重だったらしい。
 部下と責任を負う立場でない状態で、部隊を構成する一人一人をじっくり観察し、おちついてコミュニケーションをとる。
 こんな機会はただの一度だってなかったと、感謝すらしているようだったぞ」

……ユリ、お前はムネタケ少佐の心をどこまで見抜いたんだ?
あの状況下でそこまで見抜いたというのか?
仕事の多忙さから言えば直接コミュニケーションをとった回数はおそらく少ないだろうに。
我が娘ながら恐ろしい子だな…。

「そういうわけで引き続きよろしく頼む」

「こ、こちらこそだ」

ムネタケ参謀と別れて、私は自分の艦にもどった。
…とにかく日本に戻ろう。
すっかりにぎやかになったミスマル家に帰ろう。
彼らも多忙さは出会ったころから変わりないようだし、少しは休めているといいのだが。



























〇東京都・立川市・ミスマル邸──ホシノアキト

俺とユリちゃんは居間のテーブルに突っ伏してうなだれていた。

「つ、疲れちゃったよ…」

「まさか親戚の方々までくるとは思いませんでしたね…」

「バカばっか…」

「る、ルリ…私もそう思うよ…」

「あらー…ごめんね、みんな。
 お父様が戻る前におじさまとおばさまたちまで遊びに来るとは思わなくって…」

「だ、大丈夫っす…。
 みんな、巻き込んでごめん…」

俺たちは一足先にミスマル家に戻ってお義父さんを待つことにしていたんだが…。
その前にミスマル家の親戚の方々一同が遊びに来てしまったので、出迎えざるを得なかった。
お盆なのでこういうこともあるかとは思ったけど、まさかお義父さんが来る前に来るとは…。
俺はユリちゃんと共に急いで親戚の方々の宴会料理を作り、
ユリカ義姉さんとルリちゃんとラピスに買い出しに出てもらい、
出来る限りのおもてなしをする羽目になってしまった。
まさか十五人もいっぺんに来るとは思わなかったよ…。
俺たちは軍系家庭の親戚一同には褒めちぎられ、
そして軍関係じゃない人たちにも俺とルリちゃんが芸能界や『世紀末の魔術師』関係の話でたくさん話を聞かれ…。
この一日は休むどころじゃなかったが、まあ仕方ないか…親戚づきあいなんて経験がなかったし。
料理の腕を褒めてもらえるのは純粋に嬉しかった。
しかし彼らも自分たちの墓参りがあるというのでそれぞれ帰って行ってしまった。
…うーむ、やはり嵐のように現れて嵐のように去っていくのはミスマル家のDNA特有のものなんだろうか。
明るくてテンションが高い人が多いのもそうだけど、すごいよほんと。

「アキト君、お寿司とか出前でとっても良かったのに」

「いえ、俺はどうしても料理人で居られる時間が欲しくて…」

ミスマル家に勤めるお手伝いさんも運転手さんも帰省しているので、
結果としてすべて俺たちがすべてもてなさざるを得なくなった。
和洋折衷で色々作ったし、小さな子向けにデザートやお菓子類も作ったし…喜んでもらえたからいいや。
…しかしユリちゃんの四川中華料理、すごいな。
ユリちゃんの方の家族直伝の『ホシノ流満漢全席』。
家庭料理のレシピだからホウメイさん直伝の本物の満漢全席とはだいぶ異なるけど、
それでも最高の味の、もてなし料理だった。
……これは、本格的に練習されると俺が追いつくのはいつになるか分からないくらいすごいな。
うう、後でちゃんと教わろうかな…。
けど本当に何十人前作ったんだろう。
全部食べ切って出ていくバイタリティのすごさはさすがだな、ミスマル家親戚の方々。

「そういえばルリちゃんめちゃくちゃ写真撮られてたね」

「…不本意ですけど、我慢しました。
 本当にミスマル家に入る予定ですし、これくらいは」

ルリちゃんは本当にこういうところ大人だよね。
ツーショット写真を俺と同じくらいとられてたよ。
元々かわいいんだけど、本物のお姫様っていうのはすごい珍しいからね。

……俺もあの『世紀末の魔術師』の衣装持ってなくて本当に良かったと思う。

「そういえば、アキトはアキト君の代わりに芸能界に出てくれてるんだっけ?
 大丈夫かなぁ、アキトそういうの不慣れだし」

「うーん…不安は不安ですけど、
 俺よりしっかりしてるところもあるから大丈夫じゃないかと」

もっとも眼上さんがついているなら大丈夫だろうけど。
…正直、俺は自分でも不安になるくらいぼうっとしてるところがあって、
テンカワのほうが世間知らずじゃないように見えることもあるんだよな、不思議に。
ホシノアキトとしての人生のほうがやっぱり足を引っ張ってるんだけどさ…。



ぴぴぴぴぴぴ…。




「…ん、テンカワから着信だ。
 もしもし?」

『ぜぇ…はぁ…ほ、ホシノ、おま、お前…』

「どうした、なんかあったか?」

『なあ、いいかホシノ。
 
 ギャラがいいから仕事を代わってやるのはいいとして…。


 …大食いの仕事があるなんて聞いてないぞーーーーーッ!!!』



「あ、すまん。
 忘れてた」



そういえば今日は本当は大食いの食レポがある日だったか…。
テンカワは正体がバレそうになりながらも、ギリギリまで頑張って食レポを成功させてくれたらしい。

……こういうところだよな、俺。






















〇地球・奥多摩・スバルリョーコの実家──リョーコ

オレはお盆なので実家に戻ってきたわけだけど…。

「「「「「リョーコお姉さまッ!おかえりなさいませっ!」」」」」


「リョーコ、ホントにモテモテねえ」

……じ、実家に戻って来たっていうのにこの騒がれ方。
母さんまでこんなからかい半分の視線を向けてきて…。
原因はもちろん、ルリの救出のためのあのショー(実際はショーじゃない)のせいだ。
オレの身元はもうばっちり調べられて週刊誌にも載っちまって…。
『世紀末の魔術師一家の一人、疾風のリョーコ』って勝手に名付けられて、オレにもファンが出来た。
実家にも2000通ほどファンレターが届いていたらしい。
それだけならまだしも、スバル流抜刀術の道場は開店休業状態だったけど、
そこにまで押しかけてくる真正のファンが十人も現れ、母さんに弟子入りしたらしい。
…ああ、手伝うんじゃなかったぜ。

「リョーコ、帰ったようだな」

「おう、爺ちゃん。
 …まさかこいつらを鍛えたりは」

「バカを言うな。
 ワシのしごきに堪えうる弟子が居るかはカエデの判断することだ。
 お前ですら、ワシの眼鏡にはかなわんかったろうが」

…ほ。
ちょっとだけ安心したぜ。
そんな奴ほいほい出てこられたら困るからな。
それにしてもオレ目当てにお盆を狙って練習にもしっかり出てくるたぁ、物好きだねぇ。

「それよりホレ、土産を渡さんかい」

「あ?
 …ああ、そういやそうだったな」

オレは爺ちゃんに担いできた一振りの刀を渡した。
ウリバタケの作った科学の粋を集めて造られた刀だ。
イミディエットナイフと同じ刃の加工技術と、高周波によってチタン合金すら切り裂く。
名前はついてない…というか聞く前にウリバタケがぶっ倒れたいわくつきの刀。

「かっかっか、こいつは面白いオモチャだ。
 普通の刀じゃ太刀打ちできんだろうが、ワシの名刀ともいい勝負かもしれんな」

…どういう刀匠に頼んでんだ、爺ちゃんは。

「よし、いっちょう試し切りをしてみるかの」

「あ、畳表巻持ってきます」

「待てい。
 これくらいになると鉄じゃなきゃ太刀打ちできんわ。
 こいつで試すとしよう」

母さんが畳表巻きを持ってこようとしたところで、
爺ちゃんは鉄パイプを持ってきて、10本ほどまとめて縛り、垂直に立てた。
ゴザを敷いて道場を傷つけないようにしてある。
…しかし爺ちゃんはさすがだな。鉄じゃないと太刀打ちできないほどか。
こんな準備があるってことは業物とはいえ普通の刀でも普段から切ってるってことだ。
オレも半信半疑で壁を切ったが、
あれは鉄製じゃない…まあ石が混じってたからそれでも強力なんだけど。

「よし、主ら、傷物になりたくなかったら離れとれ。


 ……でやぁっ!」



すぱんっ!!




「「「「「「わあっ!!」」」」」」




爺ちゃんの袈裟斬りで、鉄パイプはいとも簡単に両断された。
歓声を上げる、弟子たち。
…ん?!

「……やりすぎた。
 切れ味が良すぎて壁まで真空刃で切ってしまったか。
 いやー機械仕掛けというのは言うことを聞かんなー。
 持ち主の切りたいものしか切らないのがいい刀なんだが」


「「「「「「ひいっ!?」」」」」」



試し斬りからだいぶ離れた道場の壁がきれいに切れて光が差し込んでいるのを見て、
弟子の女の子たちもちょっとドン引きしてるな。
オレもここまでのは初めてだけど…母さんも驚いているのをみると、ここまで強烈なのはめったにないんだろう。

……結局、その日、オレと爺ちゃんで板を打ち付けて簡易的に道場を補修して、
お盆が過ぎたら大工に直してもらうことになった。
刀の方はオレが緊急時使えるように預かるように…母さんに強制的に引き取らされた。
この刀だったら爺ちゃんが本気になったらたぶん、エステバリスすらも真っ二つにしかねないからだと。
…常々思うけど、爺ちゃん人間やめてるよな。




















〇地球・葬儀場・火葬場──ユリ

私はついに、育ての両親と別れを告げる時が来ました。
テンカワさんがおとりになってくれたことが功を奏して、
私達は完全にフリーの状態で葬儀場にたどり着けました。
葬儀場では正体を隠すわけにもいかず、注目はされてしまいますが、
注意喚起してマスコミを呼ばれないようになんとか配慮を求めました。
写真をとられて週刊誌に売り込まれたりはするかもしれませんが、
お別れのこの瞬間に話しかけられたり、邪魔されたりしないなら何でもいいです。

お父さん、アキトさん、ユリカさん、ルリ、ラピス…。
そしてアカツキさんとエリナさんの、限られた少人数での葬儀になりました。
私達が暮らしていた近所の人も、両親の非道を聞くと葬儀には来ないと言ったそうです。
日本で代理出産を行うきっかけを与えた本来の育ての両親の故郷、中国の血縁者も、
やはり恥知らずな真似をしたと批難している様子で、来てはくれませんでした。
…知っている人でも、私しかこの育ての両親を認めないんですね。
分かっていたことではありますけど、やっぱり寂しい…。

…ホシノルリとしての人生での育ての両親は、唾棄すべき最低の親でしたが、
ホシノユリとしての人生をはぐくんだこの育ての両親は、間違いこそ起こしましたが、
私のために人生を賭けてくれたかけがえのない人です…。
二人はすでに冷凍カプセルから出され、静かに棺の中に横たわっています。
ご焼香が終わり、お経を読み終わると、ついに二人は火葬場に…。

「ユリさん、お別れを」

「…お父さん、お母さん、ありがとう。
 二人のおかげでたくさん大事な人と出会うことができた…。
 もう何も心配ないよ。
 ずっとこれからも幸せで居られるから…だから…安心して…」

私は泣いているせいで、これ以上ははっきり言えませんでした。
ユリカさんもルリも、一緒に泣いてくれています。
アキトさんは私のそばで、私を支えてくれています。

けど…さすがに罪悪感も感じます。
私は前世ともいえる、前の世界の記憶を軸に生きています。
ホシノユリとしての人格を内包してはいますが、
ホシノルリの人生の方をベースに生きています。
…この瞬間くらいは、この世界のホシノユリとして言葉をかけていますが、
そんなことをしていいのか、少しだけ胸が痛みます。

いえ、もう私はこの二人の思い出を胸に刻んでいます。
私はホシノユリであり、ホシノルリであった人間。それだけです。
胸を張って、この人たちの娘として生きられたことを誇りましょう。

それでいい。それでいいはずです。



・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。



火葬が終わると、私達はお骨をもってミスマル家に戻りました。
その途中で、お墓によって、お母さんを迎えに行って。
奇しくも、私は生まれて初めて育ての両親と、実の両親との間に挟まれた状態になりました。
…生きて会えたらどれだけよかったかわかりません。

「いや、おかしなことだが、
 ようやく両家共に全員揃えたわけだな」

…お父さんも同じ事を考えていたようですね。

「改めて謝罪にうかがわせてくれて、感謝いたします。
 こういう場に加害者の息子がいるのも妙なものですが…。
 これからも協力は惜しみません。
 ぜひ、入用がありましたらお声をかけて下さい」

アカツキさんも珍しく神妙に、かつ真摯に頭を下げました。
この件についてはアカツキさんは無関係にもかかわらずわざわざ来てくれました。
しかもこの世界に来て初めて起こったことなのに、ちゃんと頭を下げてくれています。
お父さんも小さくうなずいてそれを受け入れてくれました。

「紆余曲折はあったが、ユリも結果としてはいい人生を歩めていると思ってくれているようだ。
 君が責任をもってそう言ってくれるだけでも、救われた気持ちになるよ。
 …頭を上げてくれ、アカツキ会長」

「…お気遣いありがとうございます」

「なに、言おうと思えば山のように言うことはある。
 だが、このようなことがなかったら、ユリカは生まれなかった。
 そしておそらくはアキト君もここには居なかったことだろう。
 最愛の子を前に、そんな残酷なことを言えるほど私は浅はかではないよ。
 これ以上はお互い気負うべきじゃない」

…そうですね。
いびつな道筋でも、そこで生まれた子を責め立てるようなことを言えるわけはありません。
どんないきさつであれ、相手を想うなら言ってはいけないことはありますから。

「…ミスマル提督、こちらを」

「む?これは…」

「ユリさんの、育ての母親の遺書です。
 …彼女は自分がいつかユリさんを奪われ、死を迎えることを予期していたようです」

…お義母さん。
あなたはいつからその遺書を準備していたんですか…?
…お父さんはただ必死にその一文字一文字を読み返し、震える手で手紙を握りしめていました。
そして、天を仰ぐかのように顔をあげ…ただ涙を流しました。

「ユリ、お前も読んでくれ。
 彼女の、最後の言葉だ…」

「は、はい…」

私は意を決して、渡された手紙を読み始めました…。



『ユリとユリの本当のお父さんとお母さんへ
 
 拝啓
 
 この手紙がもし読まれているようでしたら、私と夫はすでにこの世に居ないということでしょう。
 あなたと、あなたの子供の人生を盗んだのですから当然の報いです…。
 これは契約の結果であり、私達夫婦への天罰です。

 …あなた方には、謝らないといけないことばかりです。
 試験管ベイビーとして生まれる予定だったユリを奪った非道を、お詫びいたします。
 あなた方もきっと不妊で悩んでいたというのに…。

 それでも私達は…子を産みたいと願ってしまったのです。
 ごめんなさい。

 人体実験の実験体としての子を作る…。

 しかしそんな禁忌であっても、私達は子を授かりたかった。
 例え、他人の子であったとしても。
 ただ普通の、小さな家庭で子供を育てたかったのです。
 子を産んで…育てて…家庭を、愛を育んで生きてみたかったのです。
 
 私達がユリを代理出産で産もうとしたのは、私に排卵能力が認められず、
 どのような治療をしても治る見込みがなかったことから始まります。
 
 私の家系では子を産んだ数、そして子供の出来や出世で家の価値が決まってしまうという、
 非常に旧時代的な価値観に支配された家でした。私も昔はその価値観が正しいと信じていました。
 
 しかし、心より愛した男性と結ばれ、
 いつまで経っても子を授からぬ私に、絶望が這い寄ってきました。
 
 私は人間としてできそこないだと、打ちひしがれました。
 私と夫は家を追い出され、絶縁され、絶望の淵の仲で心中を考えたこともありました。
 
 そこで違法と知りながら、
 ネルガルが違法に手に入れた人工授精の受精卵を代理出産するという計画に乗ってしまったのです。
 
 そして私たちはあなたから娘を奪ったのです。

 日本で偽の戸籍を手に入れ、普通の家族を装うために日本語も必死で勉強しましたし、
 日本の文化も覚え、普通の日本人と変わらぬ生活を送れるように、努力しました。

 子供を自分で産み、親になれた喜びの始まりは、地獄の苦しさを伴う人生の始まりでもありました。

 私達は自分の人生すらも洗浄し、漂白し、歪んだやり方と偽りで塗り固めた続け…。
 常に罪悪感にさいなまれ、ユリの笑顔を見るたびに私たちは嬉しさと共に胸の痛みを覚え続けました。
 
 それでも、居ないはずの人間になり果てても、自分の子供がほしかったのです。
 
 誰に認められるわけでもなく、ただ普通の家庭を築きたかったんです。
 神をも恐れぬ所業で、そしてユリを実の娘と偽り、騙し続けてきました。
 そんな私たちの死は、当然の結果です。
 私たちはきっと現世でも死後の世界でも、裁きを受けるべき罪人です。
 それでも後悔なんてありません。
 私達には、ユリしかないのですから。
 
 けど、ユリだけには何一つ罪はありません。
 ユリは…何も知らずに育てられました。
 ユリを嫌ったり憎んだりしないで下さい。
 元の家族の方にこの手紙が読まれていることを祈っています。

 本当の子供としてユリを受け入れて下さい。悪いのは私達です。
 ユリを奪った私達が言うのもおかしいことですが…。
 
 ユリを、よろしくお願いします。
 
 
 
 そして、ユリ。
 あなたを本当の娘と思って私達は育てました。
 私達は嘘をたくさんついてあなたを手に入れたけれど、
 あなたへの愛情だけは嘘じゃありません。
 信じられないかもしれないけど、私達はあなたが自分の子供と思って育てて来ました。
 私達を許してほしいとは言いません。言う資格がありません。
 人体実験の実験体にされるかもしれないと分かっていて、育てて来た私達には…。
 
 ただ、これだけは信じて。
 
 それでもあなたの人生は、私達と過ごした人生は、すべて本物。
 私達の心も命も人生も、あなたに全部、全部、捧げました。
 あなたを残せたことで、私達の人生は無意味ではなかったと思えました。
 でも、本当は…。
 
 あなたが幸せになった姿を、一目見たかった…。

 ひどいお義父さんとお義母さんでごめんなさい。
 さようなら。
 
 幸せになってね、ユリ』



「う、うぅ…うぅぅぅ…か、勝手なことばっかり…。

 どうして、どうして死んじゃったんですか…。
 あの時、抵抗しなければきっと生き残れたのに…。
 
 わ、私は…それでも生きていてほしかったのに…」

「ユリ…ちゃん…」

私は育ての両親の手紙を抱きしめました。
涙がとめどなく流れてしまいました…。
すべて、あの二人の選択は間違っていることだらけです。
でも…否定できません。否定出来っこありません…。
自分の人生を否定される苦しみ、私には分かります。

ホシノルリとしてあのピースランドで味わった出来事。
シャトル事故でアキトさんとユリカさんが死んだと思った時。
助けたユリカさんが、クローンの脳髄と入れ替わっていると知らされた時。
そしてホシノユリとしてこの育ての両親を失った時。
アキトさんが心肺停止状態になり、死んでしまったと思った時。

そのどれもが、私が生きる希望をすべて打ち砕かれたかと思って自分を無くしそうになりました。
それを取り戻すことができるとしたら…罪を犯すことをためらわなかったかもしれません。
生きる希望は、そうそう転がっているものではありませんから…。
この両親が思ったことが分かってしまう…。
いつか死ぬと分かっていても、この選択をしなかったら、心が死んでしまうから…。

「お、お父さん…その…」

「ユリ…いい。
 お前は悪くない。
 この二人も罪は犯したかもしれないが、私には責められん。
 私も妻も、不妊に悩んだ。
 …この夫婦と私達の立場は、もしかしたら逆だったかもしれんのだ。
 
 ひょっとしたら私がこの骨壺に収まっていたことだって、あったかもしれん。
 何よりユリを一心に、自分たちのすべてを賭けて愛したのが分かった。
 そんな二人を、どうやって責められる?
 …私には責められん。
 二人の罪は、いや、二人の想いは私が背負おう。

 ユリ、お前にはこの二人にしてやれることがあるだろう?
 
 この両親の分まで生きろ!
 
 そしてこれからもアキト君と幸せに生きるんだ!
 
 私も父として、そのためには何も惜しまない!



 いいなッ!!」


「は…はいッ!!」



「アキト君!君もいいな!」


「はい!」



アキトさんはよどみなく返事をしてくれました。
私はお父さんが育ての両親のことを否定しなくて良かったと安堵しました。
最初は戸惑いこそありましたが…ホシノユリとしての人生は、大事な思い出です。
この重なった人生があるからこそ、私は自分を偽らずに生きていける。

そう。もしもホシノルリとしての記憶だけで生きていかざるを得なくなっていた場合、
私はこの育ての両親と同じように、別人として洗浄され漂白された人生で苦しむことになったんです。
ホシノユリの人生を利用しているだけの、寄生虫のように…。
私はかつてホシノルリだった、生まれ変わったホシノユリ。
両方の人生を持っている資格があります。
かつてホシノルリとして生きた人生を捨てなくていい。
そしてこの育ての両親に育てられた、ミスマル家の次女なんです。

…ふふ、本当に奇妙な人生ですね。
とっても幸せですけどね。





























〇東京都・立川市・ミスマル邸──ルリ

ユリ姉さんが育ての両親の手紙を読んだ後、すぐにアカツキさんとエリナさんは帰って行きました。
アキト兄さんはもう少しゆっくりしていってもいいと引き留めたけど、
アカツキさんは、

「クソ親父と最愛の兄のお盆だから」

と返しました。
そうすると、アキト兄さんが、

「エリナを紹介するつもりだろ」

ってからかってやったら返事もなく足早に去っていきました。
…二人の耳が真っ赤だったのは私達でも丸見えでした。

そして私達は再びにぎやかに歓談しました。
アキト兄さんとユリ姉さんの夕食に舌鼓を打って、
ただただ他愛ない会話をして、楽しい時間を過ごしました。
…そうです、こういうのが幸せなんです。
あったかくて、家族らしくて、すごい幸せです。

…そして私達姉妹は、夜になると一緒に大浴場で髪を洗いあい、背中を流し、
いっしょに湯船につかっています。

「ふはー…極楽極楽。
 ナデシコ健康ランドほどは設備はないけど、四人だと広すぎるくらいだね」

「そうですね。
 ここまでゆったりだと楽ちんです」

「ルリ、髪の毛を湯船に落とさないほうがいいよ」

「あ、うっかりしてました」

私は髪をタオルでまとめて、一息つきました。

「ユーチャリスがもうすぐ連合軍に貸し出されちゃうんだよね。
 あーあ、憂鬱だなぁ」

「ラピス、ユーチャリスに思い入れがあるみたいですね」

「そりゃそうだよぉ、わた…アキトの艦だもん」

ん?何か言いかけましたけど…噛んだんですかね。

「でもま、いいかな。
 私はルリと一緒にオペレーターやって、
 ユリカは艦長、ユリは副長やって、
 それで万全の体制でいいんじゃないかな」

「…あのラピス。
 影は薄いですけど、アオイさんが副長ですからね?」

「あ、そうだったっけ」

「あ、そうだよ」

……あのユリカさん。
あなたまで半分忘れてるみたいな態度はやめてください。

「でも不思議だよねぇ…。
 ユリちゃんって私の妹だって言われると納得できるんだけど、
 ルリちゃんとも本当に姉妹みたいに見えるんだもん。
 ラピスちゃんもそれとなく私に似ている気がするし、なんでだろ?」

「…ユリカ、私ってそんなに似てる?」

「え、似てると思うんだけど…」

…ユリカさんってさっきまでのとぼけ具合が嘘のようにラピスの正体に感づいてますね。
まあ言わなきゃ絶対にばれないとは思いますけど…。
まさかユリカさんも隣に自分のクローンが居るなんて思いもよらないでしょうし。

「ユリカさん、いいじゃないですか。
 似たもの同士、性格が合う同士で姉妹になれたんですから。
 私も育ての両親に育てられて、幸せだったって思います。
 もちろん、今もとっても幸せです。
 血のつながりも大事ですけど、やっぱり相性と心のつながりが最重要ですよ」

「む。
 ユリ、いいこと言うね」

「そっか、それもそうだね。
 こんな風に集まれて、こんなに仲良くできるって、奇跡みたいに思ってたけど、
 ある意味、そういう恵まれた運命を持ってる、ってことかもしれないね。
 私達って想像以上にロマンチックな姉妹かも」

ユリカさんののほほんとした発言はともかくとして…。
そうですね、私とピースランドの家族も心のつながりは強くあるみたいなんですが、
生活スタイルや考え方の相性があんまりよくないので、かみ合わなかったのはあると思います。
お互いにしっかり歩み寄らないと相性を超えられないというのはちょっと辛かったですけど、
それはそれであきらめがつきましたし、ミスマル家の末っ子でいるのはすごく心地がいいです。

それにしても、ユリ姉さんの境遇、ちょっとうらやましくもあります。
育ての親と悲劇的な別れをしたのは辛いとは思いますが…。
実の子のように愛されて育ったから、ユリ姉さんは静かだけど愛情深いんでしょう。
私の最低すぎる育ての親と比べたら月とスッポンです。

…でもその割にユリ姉さんって、私と境遇が近いというだけではなくて、
もっと何かが似ているような気がいつもしています。
うーん…ユリカさんの発想の方があってるような気がします。
一言でいえば、運命的に恵まれている時期に差し掛かったってことなんでしょうね。
相性のいい相手に出会える時期に入ったってことです。
ちょっとオカルティズムで微妙な考えではあるんですけど。

「そういえばアキトとアキト君もそういうところあるよね。
 ところどころ違うんだけど、タイプは似てるっていうか」

「でもユリカだけはアキトとテンカワを間違えないよね」

「それはラピスちゃんとユリちゃんもでしょ?
 あ、でもアキト君も私がアキトを呼ぶときに間違える時はあるね」

「…そ、そうでしたっけ?」

…ユリ姉さん、なんか隠してます?
なんかアキト兄さんとユリ姉さん、物事を隠すのはともかくとぼけるのはへたくそなんですよね。
それはともかくとして、私もアキト兄さんとテンカワさんを間違えることは結構あります。
あんなに見た目が違っても、雰囲気と声が似ていると間違えやすいですし。

「あ、それとユリちゃんもたまにルリちゃんって呼んだ時に間違える時あるよね。
 やっぱり姉妹で名前が似てると間違えやすいのかな、あはは」

「そ、そうですね!あははは!」

……あれ?ちょっと待ってください。
なんで私なんですか?確かに二文字で名前も似てますけど…。
それだったら、ユリカさんが呼ばれた時にも間違えてもいいはずです。
三文字だから間違えづらいのはあるとしても…。
私もユリ姉さんが呼ばれた時間違って振り返ったことはありますけど、そんなに頻繁じゃありません。
思い出してみると聡明なユリ姉さんがなぜかよく間違えます。
…ふしぎですね。

「そういえばユリカはテンカワとどこまでいったの?
 ユリと比べて奥手な感じするけど」


「ええっ!?
 ラピスちゃん、そんなことお姉さんに聞いちゃいやだよぅ!」



…ラピス、切り返し強烈ですね。
ユリカさんは顔を真っ赤にして恥ずかしがっています。

「いいじゃない、姉妹なんだから教えてよ。
 まさか手をつなぐのもまだためらってるわけ?
 テンカワはちゃんと求めないと動けないタイプなんだから」

「う、う、うぅ…。
 なんでラピスちゃんそんなに観察眼すごいの?」

「アキトに似てるタイプだからかな。
 愛情に飢えてるけど、愛情の求め方が分かってないタイプじゃない?
 ほら、付き合うってことで話題になっても積極的じゃないでしょ。
 だけど一回ほぐれたらあとは結構一直線かもよ」

「い、い、いっちょくせん…」

…ユリカさんが何か想像してモジモジしてますね。
アキト兄さんとユリ姉さん『朝までつづけてた』ってラピスが言ってたのでも思い出したんでしょうか。
……わ、私もちょっと想像しちゃいました。

「こら、ラピス。
 あんまり煽らないの」

「だあって、やきもきするんだもん。
 アキトとユリを見習ってほしいよほんと。
 テンカワとユリカってば時間があるくせにびみょーに距離を置くんだもん。
 好きあってるくせにね」

ユリ姉さんがたしなめてもどこ吹く風、ラピスは全く意見を引っ込めようとしませんね。
まあ、テンカワさんとユリカさんのまどろっこしいカップルの話題はナデシコ内でもPMCマルス内でも有名です。
言っちゃなんですけど、一見すると大人しそうなユリ姉さんのほうが手が早いというのは意外ですよね。

「お、大人には色々あるんだよ、ラピスちゃん!」

「大人ねぇ。
 あんましもたもたしてると、私がテンカワとっちゃうんだから。
 そいでアキト並みに鍛え上げて、芸能界にもデビューさせるくらいにしちゃうよ」


「!!



 ら、ラピスちゃん、私のアキトを狙ってたの!?」

「狙ってないよ。
 でも、もたもたしてるとテンカワも意外といい男になっちゃうかもしんないよ。
 ユリからアキトをひっぺがせないかもしれないし、そしたら私も狙ってもいいかなって。
 敵が増えてからじゃ大変なんだから。
 青田買いは早い方がいいのよ、ユリカ」

ラピスの対人戦術だと、ユリカさんのような素直な人ではかなわないかもしれませんね。
ただでさえ芸能マネージャーとしては敏腕で、成長したら凄腕プロデューサーになってしまうかもしれません。
テンカワさんは流されやすい方って聞きますし、もしかしたらもしかしますね…。
とはいえラピスの真意は、『やきもきさせるめんどくさい姉を早いとこくっつかせる』のが目的っぽいですけど。

「うーん、妹にこんなに言われちゃって恥ずかしいけど…。
 なんか、アキトって最近はだいぶ柔らかいんだけど、
 それでもなんか微妙に自信がない感じで、無理に求めると嫌われそうで…。
 デートに誘う時はちょっと無理にでも誘うんだけど、そこから先は…」

「じゃあじゃあ、状況づくりを手伝ってあげるよ。
 私もアキトの生態には詳しいし、テンカワにも応用が利くかも」

「ら、ラピス。
 アキトさんの生態って、野生動物みたいに言わないで下さいよ」

「…ラピス、本当にあなたは容赦ないですよね」

「いいじゃない、ユリだってユリカとテンカワの仲は応援してるんでしょ。
 だったらアタックアタック!
 恋は速攻、包囲殲滅、雪崩に巻き込め!ってやつなの!」

…なんか、相手の骨一本すらのこさなそうですね、それ。

「…はぁ。
 も、止めるのはあきらめます。
 とりあえずプラン作って私達に見せて下さい。
 ラピスは一人でほっとくと、本当に危なっかしいんですから」

「おっけおっけ。
 ミスマル家三女、ラピスラズリにお任せあれ!」

ユリ姉さんはもう折れて、相談もなしに事を始められるよりちゃんと話し合いありで始めることを選択しました。
不安は尽きませんが…ラピスのしでかす事を止めるのもそれはそれで難しそうです。
何しろ、ピースランドでの一件も、芸能界も、裏で糸を引くのが得意すぎますし。
…本当に大丈夫なんでしょうか。



















〇東京都・立川市・ミスマル邸・居間──ミスマル提督

私とアキト君は娘たちが全員長風呂に漬かっている間、晩酌しつつ語り合っていた。
アキト君は私にかつおのたたき、冷ややっこ、枝豆を作ってくれた。
昨日、親戚をもてなしてくれて悪いことをしたと思っていたが、
その時晩酌をするかと思ってこの材料も買っておいてくれたらしい。どれもこれもいい塩梅の味付けだ。
これ一つとっても、アキト君が同居してくれたらと思ってしまうほどの出来だ。
ただ…。
アキト君は未成年で飲めないこともあって、
文字通りの山もりの細切りフライドポテトを自分の分として目の前に置いている。
飲み物はコーラだ。
…ジャンクだ、ジャンクすぎるぞアキト君!
ちょっとこれだけはいただけないが、作って貰った側である手前、
そんな小言を言う立場ではないと自戒して黙っておくことにした。
若者らしいといえばらしいし、すごい勢いで減ってるからすぐに食べ切るだろうし、特に気にはならんだろうしな。
それにしても…。

「…ふう、本当に君たちは大変な人生を歩んできたな」

「ええ…。
 でも一段落できてよかったです。
 もうすぐ、正式にミスマル家に入れることになりましたし」

「いや、正式に入らないうちから親戚づきあいを押し付けてしまってすまんな。
 親戚たちからも楽しかったと連絡が何件も入っていたよ。
 もてなしてくれてありがとう」

「急だったので大変は大変でしたが、喜んでもらえて良かったです。
 天涯孤独の身には、賑やかな家庭の空気が嬉しいです」

「そうか、では来年もまたお願いするかもしれん。
 その時はよろしく頼む」

「ええ」

私が熱燗をぐいっと飲むと、すぐにお酌をしてくれた。
基本的に気の付く若者だが、ちょっとずれているのはご愛敬だな。

「…ユリの養親のことについて、複雑な部分もあったが、
 ユリに語ったことがすべてだ。
 アキト君、君にも改めて頼みたい。
 約束はできんかもしれんが、
 火星に行って命をつないでほしい。
 そしてユリを精一杯幸せにしてほしい。
 …君の事など考えてない勝手な頼みだとは思うが…」

「いえ、俺もそう思ってます。
 …実を言うと、ユリちゃんには相当苦労を掛けました。
 一時は、ユリちゃんにふさわしくないと思い、距離を置こうとしたことすらあります」

「なんと…」

こんな優しい男が、そんなことを…優しさゆえかもしれないが、
アキト君が後ろめたそうな所をみると、その時にユリは相当傷ついたんだろう。
…養親の失い方を鑑みるに、そのあとに居なくなろうとしたというのは、かなり厳しいことだろうな。
いや、とはいえ叱るわけにもいかないだろう。
そこを深く聞くのは、二人のためになるとは思えない。
アキト君もユリも、相当悩んだことだろう。

「ユリカ義姉さんから、お話は聞いていると思います。
 …この戦争の真実を俺は握っています。
 そのために一度すべてを失いました。
 戦闘技術は、その時、木星トカゲに逆襲するために磨いたものです」

「…うむ、ラピス君がユリカに私へ伝えるように言っておいたことだそうだな。
 ちゃんとすべて聞いている。
 木星トカゲついては…やはり、という感想はつくことになるが、
 そこまで踏み入った君が、見た目が多少変わろうと表舞台に居続けることに危うさも覚えたが…」

「幸い、ナノマシンの導入と遺伝子の改造が功を奏して、
 遺伝子をたどっても元の俺にはたどり着けなくなってます。
 これだけ目立っても、気づかれていないようですし…別人としてとらえられているようです」

「とはいえだ。
 正直なことを言うと今後、君は芸能人か料理人で居てくれたほうが安全だとおもう。
 火星にはいく必要があるだろうが、パイロットを辞めなければ、
 戦争の象徴として消費され、いつか消され、軍に利用されやすく神格化されてしまうことだろう」

今までも危険はあったものの、比較的気楽に『英雄』と呼べる状態だったが、
ユーチャリスが稼働してからのアキト君の状況が危険なものになりつつある。
『世紀末の魔術師』としてのあの活躍は笑えないジョークで済むが、
ユーチャリスの活躍とエステバリスの軍の正式採用に伴い、
クリムゾン関係から相当の恨みを買ってしまっているはずだ。
ここで暗殺がもう一度起ころうものならクリムゾン関係としか考えられないので犯人の特定は容易…とはいかない。
PMCマルスの襲撃事件の犯人はいまだに捕まっていない。
そしてクリムゾンが噛んでようが噛んでまいが、
アキト君が死ねばそれこそ英雄から大英雄に祭り上げる連中も出ようものだ。

戦意高揚のための国葬に始まり、木星トカゲ撲滅の士気を高め、
各国を軍国主義に傾けかねないほどの威力を与える。
私やユリがどんなに否定しても収まることのない、取り返しのつかない事態が起こる。

…そうなっては木星トカゲが人間であると知ったところで正義をふりかざしてしまうだろう。

少なくとも、アキト君が『木星トカゲが人間と分かったので、人間とは戦えない』と表明しない限りは無理だ。
最も、この表明すらも危険かもしれないがな。
今度はうっかりすると木星トカゲに与する側と取られてしまうかもしれん。
この点については火星から戻り、状況をつかんでからでなければ何も進みはしないだろう。

「…そうですね。
 火星から戻り次第、そちらのご相談をしに戻ります。
 火星の状況が何一つつかめてはいませんし」

「うむ。
 何事もそこが起点になりそうだな」

「…最悪、雲隠れして一時的に姿を消してしまうつもりです。
 一番安全な場所は確保できてますし」

「む!?
 それは初耳だな」

「実は…というわけで…なんです。
 ごにょごにょ…」

「おお、それは確かに一番安全かもしれないな。
 絶対に気づかれはしないだろう」

…なるほど、ルリ君とラピス君がそのようなプランをすでに。
資金の確保も十分にしてあると。
しかし末恐ろしいなあの二人も。

「とにかく、俺は芸能人として『戦争に参加はしたが英雄じゃない』ポジションになり、
 段階的に町食堂の経営にシフトするつもりです。
 そうすることでしか、おそらく抜けることはできないでしょうから」

「分かった、ユリともよく話し合ってほしい。
 そこまでの逃走ルートも確保しなければならないしな」

「ええ…俺は公私共に決して死んではいけない立場です。
 俺自身のため、そしてユリちゃんのためにも」

アキト君はユリから離れようとした負い目もあって、
いや、それ以上の決意でユリのために生きようとしてくれているんだな。
どんな手を使ってでも生き延びようとしてくれている。それなら安心できる。
義父としても、一人の男としてもアキト君には生きていてほしいのだ。

「そうだな…いや、少しは肩の荷が下りた。
 どうやって君を守るべきかというのは常日頃悩んでいたことだからな」

「ご心配ありがとうございます。
 さしあたっては、命を狙う連中も手を出せないでしょう」

…そうだな。とはいえアキト君を暗殺するのは今のところ無理だろう。
どんな危険な組織でも、暗殺するとなれば痕跡を残さないようにこだわらなければならない。

プロの殺し屋であれば逆にアキト君ほどの戦闘力があれば断る者が多いだろう。
あの映像を見て仕掛ける人間はまずいない。殺せても痕跡が残ってアウトだ。
かといって町のチンピラや貧困の人間に金を握らせてもまず成功しない。
さらに痕跡を残さないためと洗脳や気のふれた人間を操る方法では正確さや確実性を欠いてしまう。
テロ行為に偽装するには日本という国ではやや不向きだ。
特にアキト君は注目され過ぎてて逆にそういうやり方では通用しない。
犠牲者が多くなるようなやり方をしては捜査の手が伸びやすくなってしまうからな。
狙撃も同様の観点で無理だ。
…あと狙撃ポイントになりそうな場所には双眼鏡を持ったアキト君のファンが必ずいるらしいというのが怖い。
事故死扱い狙いも、アキト君事態の周囲の注意能力と身体能力が高いので回避され、
毒殺に関しては…どうもアキト君はナノマシンの量が過剰すぎて体に負荷のかかるものを経口摂取したところで、
分解されてしまう可能性が高いらしい。
あれだけ食べても全く腹痛や胃もたれ、栄養の偏りが起こらないのはそのせいだとか。

…以上の観点から言えば、
一番危険なのは『エステバリスという直撃を食らう可能性のある密室』くらいということになる。
しかしこんな鉄壁のアキト君を暗殺する方法があるとは思えないが…あるとしたら聞いてみたいものだ。

「とにかく、結論は火星から戻ってから考えよう。
 今日はもう遅い。
 娘たちの入っている風呂とは別に小さなひのき風呂がある。
 君から入っていい、ゆっくり休んでくれ」

「ありがとうございます。
 お言葉に甘えさせていただきます」

…アキト君がこの戦争の、そしてユリの人生の主軸であることは間違いない。
戦争の方は何とかして外してやらねばならないだろう…。
ナデシコ級とエステバリスさえあれば、民間人を守ることはできるが、
木星トカゲが人間と判明したあとのことも込みで、私達が何とかしなければならんだろう。
一人の英雄で何とかなるような戦争などあってはならないし、な。

……アキト君のような人間が、これ以上戦わないでいい世の中を作らなければな。























〇東京都・立川市・ミスマル邸──ホシノアキト

…俺は汗をかいて目覚めた。
時計は…午前の4時か。
もう少し、眠っていてもいいが…目がさえてしまったな。
なんだか、ユリカの夢を見ていた気がするな。

「アキトさん、起きちゃいましたか?」

「うん?ユリちゃんも?」

「ええ…ちょっと昔の夢を見ちゃって」

「そっか…」

二人して体を起こして、着替え始めた。
特に示し合わせたわけじゃないけど、みんなを起こさないように、ただ、静かに。
そして書置きを置いて、軽く変装をして、
ユリちゃんが合い鍵で戸を閉めると、歩き出した。

この近くにある、見晴らしのいい墓場を目指して…。
そこに足が向いているのが、お互いに何も言わないでも分かった。

ユリカ義姉さんとユリちゃんの母が眠り、
そして前の世界の…未来の出来事で『アキトとユリカ』が眠ったことになっていたこの墓地に。
墓地が見える公園のベンチに腰掛けて、お互いを見ずに話し始めた。

「ここに二人きりで来た意味は分かりますね」

俺は頷く。
俺たちが本来、お盆で迎えに行きたい人はもうここにはいない。
居ないからこそ、ユリちゃんは俺とこの日、この場所で話したかったんだろう。

──俺たちがユリカを弔う権利を失った、あの時の事を。

「この墓場で再開した時は、兄と妹か、親と子か…私達の関係は少し、離れていました。
 あなたの気遣いは分かりましたが、それが理由で深く聞けなかったことがあります。
 夫婦となり、対等になった今、はっきり聞けなかったことを聞きたいです」
 
「わかった」

ユリちゃんは小さく息を吐き、そして息を吸って、言葉を吐き出した。

「…どうしても、あの時のアキトさんの行動が分からなかったんです。
 私を案じているのは良く分かったんですけど…。
 でも、なんで何も言わずに行ってしまったんだろうって…」

「…うん、言わないといけないよね。
 そのせいで君は…」

「それはいいです。
 今の人生、好きですから」

ユリちゃんはあえてそのおかげ、とは言わなかった。
俺の命が助かったのはあのジャンプがなければなかっただろうが…。
俺がユリカが目覚める瞬間に立ち去ったことについて聞きたいんだな。

「アキトさんは自分がテロリストになってしまったとか、
 火星の後継者の残党がいたら、とか、
 そういうことを考えていたのは分かります。
 あのままだったら、相当危険なことになっていたとは思いますし」

「…うん」

「…ただ、これだけはどうしても聞かないといけないんです。
 あの時、ユリカさんが仮に普通に生きていたとして…。
 遺跡との分離がうまくいかなくて、
 すぐに死んでしまったら、どう思いました?」


「!!」



俺は目を見開いてユリちゃんを見た。
ユリちゃんも俺の目をしっかり見た。
…想像もしなかったことだ。
融合できたのなら、分離もできるはず…そう思っていた。
実際に分離はできた。
その先が絶望的だったが…。

「…想像もしていなかったんですね。
 あり得ない事ではなかったでしょう?
 無機物と有機物が融合するなんてありえない事なんですから。
 そうじゃなくても、ユリカさんが何かショック症状で自害することもあったかもしれません…。
 その時、アキトさんが居ればまだいいです。
 ユリカさんはすぐ死ぬしかなかったとしても、きっと安らかに笑っていられました。
 でもアキトさんがいないまま、ユリカさんが死んでしまったら…」

「……そんな資格があるとは思えなかったから」

…嘘だ。
ユリカに会わなかったのは俺が人殺しになり果てて居たから、幻滅されるのが嫌だっただけだ。
ルリちゃんを巻き込んでおいて、何とか一目会おうとしたような卑怯な男の言うことじゃない。
本当は月臣が居ればあの場は守りきれたんだ。
わざわざ俺が出てくる必要は全くなかった。
同じことをユリカにはできなかっただけの事だ。

…その場でユリカが死んでいたら、か。
俺の行動がすべて無意味だっただけではなく、
俺はユリカを助けたんじゃなくて、殺しただけになるな。
そうだな…それはひどすぎるな。
そんな救われないことがあっていいことなんて何もない。
助けたかった最愛の人を俺が殺してしまった上に…。
最後の彼女の願いを聞けなかったかもしれないということだ。

だが実際は──ユリカはとうに死んでいた。

ユリカのオリジナルの体にクローンの脳を差し込み、ユリカの脳の記憶部分を差し替えられた…。
ユリカの体を使った『翻訳機』にすぎなかった。
ユリカのオリジナルの脳のほとんどは捨てられた…。
あまりにひどい最期で俺が居たら、居なかったら、という話すらする機会がなかったな。



「わかってます!

 けど、ひどすぎますよ!

 助けてそのまま放っておくなんて!!

 そんなことだったら最初から放っといてあげればよかったんです!!」




俺はユリちゃんの言い様に驚いた。
もし助けようとしなかった場合、ユリカがどんなにひどいことになるかは想像ができるだろうし、
今となってはそのユリカがクローンだったことが分かってるから言えるだけだが…。
…しかし、仮にクローンじゃなかったとして助けた直後にユリカが俺に人目も会えずに死んでいたら、
きっとそれは卑怯なだけじゃなく、確かに何もしない方がよほどマシだったかもしれない。
何も知らないまま、ただ夢の中に揺られている方が…ずっと…。

ユリちゃんは俺を責めることにためらいを覚えていなかった。
俺はあの『黒い皇子』の姿でルリちゃんに出会った時、本当は聞きたかったこと、
そしてユリカが絶対に助からない状況だったという結果を踏まえて、俺を改めて詰問している。
ユリちゃんそうする権利があり…俺はすべて白状する義務があった。
その、とてつもなく卑怯で傲慢で自己満足だったと思う、当時の自分のことを。

「…どうして、私を最初から頼ってくれなかったんですか。
 生きているって教えてくれれば、もっと何か方法があったかもしれないのに。
 あんな形で、自分がテロリストって広めるようなやり方で、
 私にユリカさんの生存を知らせたんですか…」
 
「…あの時、俺が何を考えてたか分かるかい?」

「分かりません、そんなこと」

「…俺、逃げ切るつもりだったんだよ。
 残りの寿命が五年もないって知ってたから。
 治療の見込みもないし、俺一人が背負って消えられるならそれで丸く収まるから」

「卑怯ですね」

「卑怯だよ。
 そして文字通り最低の男だった」

「…そのあたりの事はいいです。
 この間、嫌ってほど見せつけられましたし」

「…こういうとまた怒られそうなんだけどさ。
 ユリちゃん…ルリちゃんは俺を追いかけてる間は、仲間に支えてもらえると思ったんだ。
 でも俺がうかつに、こっそり帰ってきたりすれば、
 ルリちゃんは軍をやめて、俺の事を介護してくれたと思うんだ」

「それの、何が悪いんですか」

「…十代の楽しい時間をさ、
 俺みたいなやつと過ごしちゃいけないって思ったんだ。
 それに結局、君の将来を奪うことになる。
 お義父さんが居たとしても、能力を知られたら軍をやめれば復帰も、たぶん難しくなったろう。
 …その状態では下手をすれば今度こそ味方にモルモットにされたかもしれない。
 電子制圧で火星の後継者に一方的に勝ったルリちゃんを放っておくとはとても思えなかった。

 『黒い皇子』という危険な敵があってこそ、君はなにもされないで済んだと思うんだ

 統合軍はユリカと並んで俺が殺しづらいルリちゃんを盾に使おうすると思った。
 お義父さんも、そうしなければ守り切れないと判断したと思う。
 俺を追跡して、おそらく捉えられるのは能力的にも君しかいないからね。

 それで人知れず死んで、生きてるか死んでるか分からない状態になって、
 軍の連中にも火星の後継者に安寧の時を与えないようになれればいいと思ってた。
 
 とはいえ…あの後、俺はもう運動神経がズタズタで動けなくなってて、
 治療しても下半身不随みたいになったかもしれなくて…。
 ラピスを犠牲にするしかあの場に戻る方法がなかったような状態だった。
 どのみち、俺の読み通り、俺の体は持たなかったし、結果は変わらなかったと思う」



「ッッッ!!

 バカなこと言わないで下さいよ!!
 
 あの時、アキトさんとユリカさんと、
 
 わずかな時間でもいいから過ごしたいって考えてた私は何なんですか!?

 私の知らないところで勝手に死なれるとか、

 植物人間状態で再会するとか、
 
 そんなことになるくらいなら、

 一生を棒に振ってでもアキトさんの面倒を見た方がマシです!!」




「そうかもしれないけどさ、あの時はそうしたくなっちゃったんだよ。
 あと五年で死ぬかもしれないって知った時、
 人の死に方についていろいろ調べて、考えたんだ。
 ガンで余命を宣告された場合の事とか、死ぬ時の身辺整理はどうだとか…。
 俺にできることがなくなっちゃったから、死に方くらいは選びたかったんだ。
 味覚も、ユリカも、命の残りも何もなくて…でも、君は俺の希望になってくれそうだった。
 ルリちゃんが自分の足で歩けるようになっているのをみて、すごい安心したから。
 あとはユリカとルリちゃんが生きる上で、禍根を残したくなかった…あのろくでもない世界の中でも…。
 
 せめて二人が幸せに生きる世界を残したかったんだ。
 
 ……自己満足だと言われても、そうしたかったんだ。
 こんなこと、言いたくなかった。
 君には知られたくなかった」



「私も知りたくありませんでした。
 私の愛した人が、こんなに卑怯で自分勝手だったなんて。
 
 でもひどい人に変わってしまっても、そばに居てほしかったんです。
 もし帰ってこなかったらユリカさんと一緒に追いかけるつもりでした。

 アキトさんはユリカさんを助けたかったんでしょう?
 私に幸せになってほしかったんでしょう?
 
 だったらいっしょに居てくれなきゃ…。 
 
 ユリカさんを助けたかった気持ちは同じです。
 
 もう一度、二人が笑顔になって、幸せになってくれるところを見たかった。
 
 ほんの一時、一瞬でもいいから…。
 
 それに私だって、アキトさんを助けたかった。
 
 最低になっても、世間に何を言われても…。
 
 ユリカさんもあなたも助けたかったんです……」



──胸がずきりと痛んだ。
俺はあの時、最低に変わってしまった自分を元に戻すのは無理だと思っていた。
あれだけ全部いっぺんに無くせば、何も取り返しがつかない。
自分の大事なものを取り戻すためとはいえ、人間性すら捨ててしまったんだから。

だが、俺はユリカもルリちゃんも軽んじていただけなのかもしれない。

俺が最低になってしまったからといって、どれだけ拒絶しようとしたって、
二人は、特にユリカは『私のせいでアキトが苦しんだ』と気づいてしまったら、
俺がなんとしてでもユリカを助けようとしたように、何もかも捨てて助けに来たかもしれない。
ルリちゃんだって、俺と同じように最低に堕ちてでも俺を助けに来たかもしれない…。
…なんでこれが分からなかったんだ。

今はどうするべきかわかる。
少なくとも、あの場に残るべきだったんだろう。
そして本当に自分が罪深いと思うならばその場で逮捕されるべきだった。
ルリちゃんがすべてを捨てて助けに来るということは防げただろう。
…もっとも、今度は俺を死刑にさせないために時間を使ってしまったかもしれないし、
その方が世間の批難が集中したかもしれないが、
何もせずに俺を死なせるよりはずっと後悔は少なかっただろう。
それにラピスも…あんな形で、無理をさせることもなかった。

結果論だが、俺がけじめをつけることにこだわり、
状況をしっかり見ることを怠ったことが事の始まりだ。
すべてが裏目に出て…誰一人助からなくなってしまったんだ。
今度はそうならないように戦うしかないし…俺だけの問題と抱え込まないようにするしかない。
……二回目はないからな。肝に銘じないと。

…そしてユリちゃんは俺を見つめた。
今度は責め立てるようにではなく、申し訳なさそうな顔で。

「……でも『ホシノユリ』になった今は、分かってしまうんです。
 
 あの育ての両親が考えたことも、アキトさんが私にしようとしてくれたことも、同じなんです。
 自分がどんなに間違ったことをしているか分かっていても、最善の方法を子に残す。
 それしかできることがないから、覚悟して自分の命を燃やし切ろうとした。
 
 そんなこと、否定できっこないじゃないですか。
 
 卑怯で自分勝手なやり方だって分かってても、
 
 何とかしようとしてくれたのには変わりないです。
 
 …いいです、もう。
 
 あんな風にひとりで決めて、ひとりで背負わないと約束してくれれば…。
 
 同い年になって、夫婦になった今は対等です。
 
 何があってもそんなことはもうさせませんから。
 
 アキトさん、次に急に居なくなったら何が起こるか分かってますよね?」

「…うん」

「二度とどっかに行かないですよね?」

「絶対に行かない」

「…ついでに、浮気しないですよね?」


「し、しないってば!?」



「…じゃ、いいです。
 この件は、もう二度と責めません。
 最後に、なんでそうしないのか理由を教えてください」

「…たくさん大事なものと欲しいものができちゃったからね。
 
 君が…。
 この世界のアキトとユリカが幸せになった未来が…。
 ラピスが幸せに生きる未来が…。
 ナデシコのみんなが悲しまないような未来が…。
 この世界で出来た仲間たち、PMCマルスのみんなの明るい未来が…。
 
 ……だから、そんなことはもうしないよ」

「…それが聞ければ私は満足です。
 アキトさん、あなたは昔は何にも持ってないくせに失うのが怖くて臆病で、
 どうしようもないところがあって、流される癖があって、自分の意見がちゃんと言えなくて、
 今のこの世界のテンカワさんよりよっぽどひどかったです。
 いつも五里霧中でも頑張ってるところが見れなかったら嫌いになってたかも」



「そこまで言うか!?」




「そこまで言います。
 でも、いいんです。
 …それでも好きになっちゃったんです。
 
 今のアキトさんはもう目的が見えるようになって、ちゃんと自分の意見も言えます。
 そのために頑張ることが出来る自主性もあります。
 一緒に居ると色々大変ですけど、付き合ってて不安になりません。
 だから昔より好きになりました。
 
 ぶっちゃけていうと…私、『黒い皇子』なんてだいっきらいです。
 あの墓場で素顔に戻ってなかったら、
 ぶっ殺してでも止めるところでしたよ」

「…き、き、キツすぎるよルリちゃん…」

…半分くらいは冗談だろうけど半分はマジだな。
道を誤った家族を止めるって、選択としては間違ってないし。

「あんな状況じゃ家族としてできることはそれくらいですから。
 私に加担させるか、それとも一度足を止めて相談するか、全部やめるか。
 …そういう相談の余地、なかったでしょ。
 『黒い皇子』さんには」

……ユリちゃんって想像以上に強い子になっちゃってたんだな。
しかも事前になにも言わなかったこと、相当根に持ってるよね…。
それにエリナとの関係以上に、ラピスとリンクをして五感をカバーしたことを相当怒ってるな。
じゃなければ加担させるか、って言葉はでない。
そりゃそうだ、あれはルリちゃんでもできたことだ。
リンクはIFS強化体質があればこそできる芸当で、
ナノマシンを経由してどんな距離でも精神的なつながり神経的なつながりでサポートをできるようになる。
ルリちゃんを巻き込みたくなかったって理由で、
たまたまユリカを探す時に見つけたマシンチャイルドだったラピスを使ったわけで…。

……そりゃひどいよな。
ルリちゃんに生きてることを全く告げず、巻き込むのを嫌ったくせに、
挙句、別の子に自分と同じ名前を付けて巻き込んで…。
う、う、う…理由はあったにしても振り返ると非道の極みだ。

仮に最初っからアカツキがルリちゃんを巻き込んでいたら救出が早まって、
もしかしたらあんなことにならなかったかもしれない……い、いや、不毛だ。
たら、れば、の話はしても意味がない。後悔を誘発するからな。

もう起こったことは変えられないが、
この世界での結末は変えることはできる。
それでいいじゃないか。
…ちょっと俺にしては気楽すぎる考えだけど。

とはいえ…うーん、ユリちゃんは将来肝っ玉母さんになりそうだよな。
仕事以外の時は尻に敷くタイプじゃないからあんまり気にしてなかったけど、
強いだけに、キレられたら手が付けられなくなるかもしれん。
もっと腹を割って話す回数増やさないと色々貯め込むぞ、これは。
ルリちゃん時代も容赦ない言葉を発したり、静かに激情を秘めるタイプだったけど、
今はもう全部素直にぶつけてくるようになっちゃったし、本当にユリカの妹らしい性格だ。

……ユリカ細胞、もといミスマル家系のDNAは確実にユリちゃんをむしばんでるな。

「……今、すっごい失礼なこと考えませんでした?」

「い、いや、まさか」

…しかもユリちゃん、勘がいいんだよね、いろいろと。
これは昔からだけどさ。

「…ま、いいです。
 でもあの時、ちょっとだけ安心したのも事実です。
 ハードボイルドぶりっこでカッコつけてるくせに、
 根っこがまっっっったく昔と変わらないんですから」

…ばればれだったんだよな、結局。
『それ、カッコつけてます』って言われた時、ドキっとしたよ。

「あ、あははは…。
 肝心なところが成長してないかな、こりゃ」

「笑ってごまかしてもダメです。
 とにかく話はこれでおしまいです。
 反省して、いつもどおり相談を欠かさないようにしてください。
 コミュニケーション不全はすべてのトラブルの元凶ですよ」

「う、うん」

どういう事情があろうと意図的にコミュニケーションを断つっていうのは、戦争の元だもんな…。
けど、言葉はきついけどだんだんとユリちゃんの表情も声も柔らかくなってきているのが分かる。
…全部聞けたからユリちゃんもそれなりに安心したんだろう。
もう、俺達は普段通りに戻れたみたいだ。

俺も強がりがない言葉で話せてよかった…。
また胸のつっかえが取れたような気持ちになれたな。
それにユリちゃんもユリカの体ごとクローンの脳を破壊して、ユリカを殺したと自分を責めていたが、
ある程度乗り越えられているみたいだ。
そうじゃなきゃここまで言えないもんな。
…大事な話をするたびに、だんだんと俺達の心の傷は癒えている。
完治はきっとしないんだろうけど、その度に俺は前に進めるようになっていく。 昔は自分の事が見えなくて、こんな風に思えた事なんてほとんどなかったのに…。
俺もちょっとは成長できたんだろうか。
ってことは、こういう話をするのはやっぱり大事なんだろうな。

「…火星に行って、戦争を終わらせて、後悔をすべて取り戻しましょう。
 条件はすべてそろいました。
 泣いても笑っても、これがラストチャンスです。
 アキトさんも…寿命、たくさん残ってるといいですね」

「そうだね…。
 君より長生きしなきゃいけないって、約束だったもんね」

「あ、約束を覚えててくれましたね」

「そりゃ覚えてるよ。
 できれば…これだけは、何があっても叶えたいんだ」

「アキトさん…」

…もう、ユリちゃんを置いていく側にはなりたくない。
ほかにも叶えたいことはたくさんあるけど、
時間があるならそっちはいくらでも何とかなる。
だからこそユリちゃんの願い通りに長生き、したいよなぁ…。

あんなひどいことばかりして戦って、
ユリカもルリちゃんも助けられなかったような俺が、
こんな風に考えるのはさすがにおこがましいと思うけど…。
この世界で、幸せをつかみたい。
ようやくそう願える自分になれたんだ。

……なぁ、ユリカ?

お前はもう、どこにもいないのは分かっているけど…。
あれが、あの死の淵の夢で出会ったお前が本当にいたのだとしたら…。
…もし本当に俺たちを見てくれているなら、祈っていてくれ。
俺の命が、ユリちゃんの命よりも続いてくれることを…。
俺たちを愛し、戦ってくれた娘のために……。






















〇東京都・立川市・ミスマル邸──ミスマル提督

私達は朝食を食べようと思ったが…あてにしていたアキト君とユリが外出してしまった。
お手伝いさんも居ないことだし、な。
…ううむ、二人の事だから何か大事な話をしたかったんだろうが、気にはなるな。

「どうしたんだろ、二人とも…。
 書置きだけして外出しちゃうなんて。
 朝ごはんを作りに戻ってくるとは書いてあるけど…」

「ん、二人ともちょっと思い出話をしに行ってたみたいよ。
 私、アキトが早起きして出ていくのを見たから」

「え?
 ラピスちゃん、起きてたの?」

「じゃなくて、私はアキトの視界と聴覚を寝てる間は見れるんだってば。
 忘れたの?」

「あ、そっか」

む、むう。
話には聞いていたがそんな超能力じみたことができるのか。
…しかしそれも人体実験の成果というのはちょっといただけないが…。

「死んだ婚約者の話をどうしてもしたかったみたい。
 彼女の遺骨も、親族が持って行ったまま行方不明でお墓もないみたいなの。
 アキトのせいで死んだって思われたのかもね。
 お盆でも会いに行けなくて…辛いんだ…」

私は絶句してしまった。
ユリカとルリ君もだ。
……この話もユリカからは聞いていたが、そんなことになっていたのか。
どうしてアキト君はそんな目に遭わなければいけなかったんだ…。
…アキト君の過去にはまだ秘密がありそうだが、今は聞けないな。
私にも語りたくないようなことを話させてはいけないだろう。

「…だからお盆なのにどこにもいかないで私達と一緒にいるんだね。
 ちょっとおかしいなとは思ったんだ…」

「…そっとしておきましょう。
 私達が立ち入っていい話じゃないみたいです」

「でも…」

「ユリカ、ルリ君の言う通りだ。
 無理に話すようなことじゃない。
 …二人の心の傷はまだ癒えてはいないんだ。
 今立ち入ってしまえば、傷に粗塩を塗り込むことになる」

「…うん」

精神的なものはすぐには立ち直れるものではない。
一生抱えてしまうのも普通の事だ。
私も長年軍に在籍して知っているが、兵士の精神的なケアというのは難しいものだ。

「…ううん、ユリカなら聞いていいかもしれないよ」

「え?」

「あの二人はユリカ相手だったら言うときは心が痛むかもしれないけど、
 きっと話した方がすっきりしてくれると思う。
 それに二人がユリカとテンカワの仲を応援してくれてるわけが分かると思うよ」

「…そうなの?」

「うん」

……うーむ、それについては少し問題があるがな。
しかし、あの二人がそこまで積極的に二人の仲を応援していたとは。意外だな。
個人的には反対したいところだが、ユリカの願いではどうしようもない。
私はテンカワ君の遺伝子的な素質があることは知っている。
アキト君のクローニング元、オリジナルだと、私は知らされているからな。
そうなると、アキト君がテンカワ君を戦い方も鍛えてしまえば、
ユリカに相応しい男になれる可能性が高い。
今は情けなくても年数を追うごとに追いついていけるかもしれん。
いや、考えようによっては悪くないのかもしれんな。

……アオイ君にはそれなりに期待していたんだが、がっかりな結果だったしな。

ダメならダメでそのうち縁談を持ちかけて、
ミスマル家を継ぐにふさわしい男を探すつもりだったが…。
どうもユリカは私の手の届く範囲にいることで、軍の内部でも正当な評価をされず、
さらには自主性を発揮できずに苦しんでナデシコを選んだとユリに諭された。
…将来の事まで私が支配して面倒を見てしまうのは窮屈だったということだな。
この上、人生を共に過ごす相手まで選んでしまっては、最悪嫌われるかもしれん。

しかし皮肉というかなんというか、その出た先でユリと組むことになり、
さらにはルリ君とラピス君という姉妹を得た。
結果としてユリカはより強固にミスマル家を意識する形にはなったものの…。
より自主的に姉妹たちに深くかかわろうとして、仕事でも協力し合っている。
ユリカは少し突拍子もなく、エネルギーを持て余して変なところにこだわるところがあったが、
なんというか、ユリたちが居るとだいぶなくなって、逆に大人しいところすら見られる。

…そうか、ユリカは私に愛されるだけではなく、自分の愛情をぶつける先がほしかったんだな。
ユリカは母さんに似て愛情深い子だからな…。

本当に妹たちと居る姿は嬉しそうだ。
私の愛情は…愛情は時に支配や束縛という悪友を連れてくる、ということだったんだな。
…私が母さんの分まで愛したいと思ったのが悪い方向に働いてしまったようだ。
だが…娘たちがそろいもそろって戦艦勤めというのは、心配な反面、期待してしまうな。
ここまでの戦果はエステバリスとユーチャリスあってこその部分も大きいが、
性能の理解と元来の戦術があってこその活躍だ。
しかもユーチャリスなしでもユリカとユリは勝利を収めた事すらある。
その二人をサポートするルリ君とラピス君…。
これはひょっとしたら地球圏一の軍事家庭になってしまうかもしれんな。

……いかんいかん、皮算用もいい加減にしておかないとな。
ここまでの戦果はともかく、これからも見事な活躍をしてくれる、それでいいだろう。
娘たちの将来の夢は別にあっていいはずだ。
特にルリ君とラピス君はまだ子供だ。
彼女たちは特殊な立場だし、大人同等に働けるとはいえ、
新しい夢を見つけたらぜひ叶えてほしい。
傲慢な父親の押し付けをしてはいけない。
それをユリカとユリが良く教えてくれたのだし、大事にしなくてはな。

…テンカワ君のことはまだ不安ではあるが、
アキト君が居ることだしテンカワ君に任せれば心配もないだろう。
うむ、厳しく見守ってやることにしようか。



・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。



その後、ユリとアキト君は帰ってきた。
彼らも一声謝ると、朝食を作って、共に食べた。
二人の表情はいつもどおりに、ただ他愛ない会話をしながら食事を済ませると、帰っていった。

アキト君とラピス君は芸能界に顔を出しに行って、
ユリカ、ユリ、ルリ君は佐世保に帰っていった…。

しかし、やはり一人になるというのは寂しいものだな。
……うーむ、アキト君たちも芸能界に居る間くらいはここに泊まってくれないものだろうか。
今度来たら頼んでみるかな…。
























〇地球・佐世保市・PMCマルス本社・食堂──さつき

私たちはお盆休み明けの朝に、少しでもユーチャリススタッフの選考を進めようと、
休憩時間を30分犠牲にして履歴書とにらめっこ。
そしてお盆休みの事を振り返りながら、雑談しながら作業を進めていた。

…はー…散々だったわ。
帰省したら、パイロットなんてやめろってしつこく言われて、
でもPMCマルスに就職しているのは辞めなくていいって矛盾のあることばかり…。
私達は正社員になれたから、戦後も残れるのでひとまず安泰なんだけど。
ま、まあアキト隊長の事について母さんすらも知りたがってるのは意外だった。

…当然、火星行きについても大反対された。
IFSをいれてしまったのはしょうがないとして、明らかな死地に向けるわけにはいかないと。
ちなみに、パイロット候補生の私達…。
いえ、もうみんな正式にパイロットなんだけどね。
全員同じような境遇だったと判明して、誰一人火星に行けないことになっちゃった。
…はぁ、憂鬱だわ。
友達からは質問攻めと羨望の瞳が集中したのは優越感だったけど。

「しぃ~~~~げ~~~~~こぉ~~~~~。


 あんたアキト様のお世話係状態だったそうじゃないの。
 私達が履歴書を死ぬ気で見てる間、役得とばかりに…」

「ふふふふ、代わってあげないわ」

……私達の中でも特にアキト隊長、いえアキト様に最も近い位置で、
それどころかルリちゃんとラピスちゃんとまで密接で居られるポジションを得た、
重子はさすがに私達でもやっかむ対象になってる。
今日のこの仕事が済んだらまた東京行きらしいし…。
くう、一日でいいから代わりたいわ。

「…重子、アキト様の寿命についての占いはこの際保留でいいわ。
 じゃあ、せめて火星にたどり着いて戻ってこれるかは占ってほしいの。
 ……そっちはアキト様の実力があれば何とかなるはずだから」

「…そうね、いつまでも怯えてるわけにもいかないわよね。
 火星から戻れたら、ナノマシン研究の専門家と合流できてるってことで、
 寿命が延びる可能性が大幅に高まるものね。
 
 …じゃ、今回は二分の一だし、コイントス占いかな」

……重子、あんたって時々おっかないこと始めるわよね。


ぴぃん。ぱしっ。



「んー…表、大丈夫そうね」

「「「「「「「「「「「ほっ…」」」」」」」」」」」

…大事なことなのにさらっと始めるからドキッとする。
でも的中率が本当に高い重子の占いだもん、ちょっとは安心したわ。

「…ちょっと待って。
 角度が悪いわ。
 タロットも必要そうな感じが…」

「え?」

角度が…?
コインの角度が変わってたってこと?
重子が占いのやり直しをするなんて…見たことないのに。
…私の方が嫌な予感がしてきたわ。
不安になる私達は、タロットカードを全員でシャッフルして、重子に返した。
そして重子はカードを広げて、三枚のカードを引いた。

「…!?
 『星』の逆位置!
 『戦車』の逆位置!
 『太陽』の逆位置!
 
 こ、こ、これは……!?」

「な、なにっ!?
 そんなにひどいの!?」

すべて逆位置!?
アキト様に何かが起こるってことなの!?


 『星』の逆位置は、
 『高すぎる理想』『幻滅する』『気持ちの混乱』『先が見えない』
 
 『戦車』の逆位置は、
 『挫折』『間違ったアプローチ』『頓挫する』『トラブル』
 
 『太陽』の逆位置は、
 『叶わぬ想い』『依存心』『計画が失敗』『責任転嫁』『不運に見舞われる』

 ど、どんなことが起こるっていうの!?
 いいことが一つも出なかったなんて!!」
 
う、うそでしょ!?
アキト様にとって火星行きが、こんな不幸を呼び起こすことになるっていうの!?
か、火星に行かなきゃ命が危ないかもしれないっていうのに…!

「重子ッ!
 もう一回占いなさいよ!!」

「……だめよ。
 これで二回同じ結果が出てしまったら覆らなくなるわ。
 …一応、アキト様には直接言っておきましょう。
 占いだけど、よく当たるって」

…そうね、覆せる可能性があるわ。あのアキト様なら…。

「それに…確かに不幸はあるかもしれないわ。
 でも、火星から戻ってこれるなら絶望的ではないと思うの。
 今回も『塔』『つられた男』『恋人』の逆位置のような破滅的な結果にはならなかった。
 つまり、解決できないトラブルは怒らない可能性が高いってことよ。
 ポジティブに考えれば、だけど」

…そうね、火星に行って、破滅的な状況にならないだけずいぶんマシよね。
私達は一抹の不安を胸に抱きながらも、明日からの営業再開に向けて外出して英気を養うことにした。
返ったらまた少し履歴書見ないといけないし…。
9月までには地雷除け終わって、早めに選考を進めないと、
10月に貸し出した後のユーチャリスが戻ってくる前にひどいことになっちゃうわよ!!
ひとまず頭の隅に置いとくしかないわ!!

私たち12人は不安を振り払うかのように再び作業に戻った。



















































〇作者あとがき

季節柄、奇しくもお盆が近いタイミングで夏祭り、そしてお盆の回と相成りました。
アキト達は家族らしい過ごし方をできるようになり、実は見た目以上に嬉しそうだったり。
そのほかのクルーもお休みで帰省ラッシュ、な回です。
アキトはその中で自分の過ちを改めて振り返り、
ユリはそれをしっかり受け止めることができるようになり…。
どうしても会いたい相手に、お盆ですら会えないのはやっぱりつらいものですね。
さて、ナデシコの出航が迫る中、PMCマルスは落ち着くのか!?
そして前回のアクアはどう出てくるのか!?
ってなわけで次回へ~~~~~~~~!!




















代理人様への返信
>武器で壊す怪盗がいるかwww
>いやどこぞのぱんつはいてない王なら一刀両断でいいけどさw

もうなんていうか根本的に華麗な怪盗がまったく向いてないタイプなアキト君でしたw


>そしてクッソ厄い次回タイトル・・・・

本来は治療の見込みのない終末治療を含む、
死を選択することを守る尊厳死という意味ですが、

前の世界のユリカをあえて人として殺すために撃つことを選択したルリ、
そして一時の親として子供のために姿を消し、緩やかに死ぬことを選んだ黒い皇子のテンカワアキト、
間違っていると分かっていても死ぬかもしれないと分かっていても抵抗したユリの育ての両親の、

とても完璧な正解とは言えないけど選ばずにはいられなかった彼らが、
それぞれ考え選んだ『尊厳ある死』について考えるお話でした。






>>五分の三もつぎ込むんだからな
>鉄甲艦かな?

ですね。
それをぶっ壊しに来る人物の中の人は一緒ですし。
…じゃあ天龍君の声って志々雄なのか?
あ、言い忘れてましたがアサルトピットを開けてホールドアップを迫るのは、
初期案でのアカツキの対決のラストシーンでした。
アカツキがもっと有利な状態で、空戦エステバリスで戦う予定でしたが、
そっちは展開がまとまらなかったので宿命の地であるアトモ社ボソンジャンプ研究所での決戦と相成りました。




>>コスプレ大会
>つまり百一匹ゼロちゃんか(ぉ

ゼロちゃんであり、ルパン1stシーズンであり、キャッツアイにもある、
由緒正しいかく乱方法ですね。
怪盗はみんなこれをやらなきゃいけない。(何か間違っている)























~次回予告~

アカツキだ。
ネルガルは相変わらず絶好調、前の世界での落ち目が嘘のようだね。
それもこれもホシノ君たちの活躍とエステバリスの性能の良さのせいだけどねぇ。
次回もどうやら閑話に近い展開らしいけど、結構動きはあるらしいよ。
順調にいけば三十九話か四十話にはナデシコが出港できるらしいけど、
ナデシコ二次創作+時ナデキャラ作品だっていうのにちょっと登場が遅すぎないかい?
ま、作者にとっても登場人物にとっても、ナデシコって艦は特別ってことだね。
とはいえホシノ君、君のその調子のままじゃ、
もしかしたら君は火星に出るまでまた芸能界に縛り付けられちゃうんじゃないか?
それはそれで見ている側としちゃ愉快だが、ユリ君はほったらかしにするつもりかい?
ラピスは楽しそうだけどさ。

芸能界が想像以上に食い込んで中々離れない、
ちょっと俗っぽくて、アキトが流されてはいないけど乗せられて苦労人度合が倍増する系ナデシコ二次創作、









『機動戦艦ナデシコD』
第三十八話:dibble -種まき用の穴あけ具-










をみんなで見てくれたまえよ。
















感想代理人プロフィール

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代理人の感想 

まああの過去はひどいですよねえ。
それはアキト達も早々乗り越えられんわ。
つまり武説草さんは鬼(ぉ

リョーコの爺さんって石動雷十太かなんかかよw
剣振って斬撃が飛んで行くとか普通に人間やめてるんですがw

>大食いレポ
普通の人間にはあの量は死ぬわw
マネージャーさんが・・・いや、そっちにも知らせてないんだったか?w







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