〇地球・佐世保市・PMCマルス本社・ユーチャリス訓練施設──ジュン
僕たちはユーチャリスの訓練施設に集まっていた。
ラピス君の誘拐事件から一ヶ月と二週間経過していた。
ナデシコはオモイカネシステムを一時的に降ろして、
連合軍向けの通常システムで戦果を挙げられるかを検証している。
ナデシコ級の量産が進むということで、この検証は重要な意味があるってことだけど…。
もうユーチャリスでの検証もだいぶ進んだので必要ないと言えばない話ではある。

骨休みにはいいって話になったけど…。
…火星航路の往復の間はだいぶ暇をしてた気もする。
と、とにかく僕らは一ヶ月の休暇が終わり、
このPMCマルスのユーチャリス訓練施設で再度訓練をしながらナデシコの評価が終わるのを待っていた。
ナデシコに戻らないとしても、練度を落とさない必要性はまだ痛感していた。

けど、ホシノアキトの事情を知る僕らには、別の意味がある期間でもあった。
僕らは常に危険にさらされる立場になりつつあるから。その準備で…。
ラピス君がなにかこのあたりのことを考えているという話もあった。

僕とメグミちゃんはナデシコを降りるつもりでいたから、
ナデシコも連合軍に使われる方が好ましいと思っていたけど…。
ナデシコに携わるネルガルとの契約のこともあり、
事情が落ち着くまではネルガル所属でいた方がいいという話になっていた。
僕たちの希望もなんとか叶えるって話もあったけど…どうするんだろう。

…それにしても、ラピス君がまさか…。

「はあぁ~~~~暇よね~~~~」

「地球に居るから多少マシですけど、
 ナデシコで火星に向かってる時と同じですよねぇ」

…僕たちは相変わらず、佐世保のドック内でナデシコの操艦訓練をしてた時と同じく、
そして火星への航行中と同じく、だらけ切っていた。
このPMCマルス本社には、僕らナデシコクルー、PMCマルスのスタッフ、
木連将校と、火星・木連からの移住組が暮らしている。
まだ情勢が落ち着かない事もあって、移住は遅々として進んでいない。
だけど内職したり、今後転職があり得るからと勉強したり、鍛錬したり…。
ウリバタケさんたちのようにすごい時間を趣味に注ぎ込んでる人たちもいる。

…あれから色々と事情が変わった。

木連将校たちはバール少将が地球と木連を不仲に戻すために、
ラピス君を殺害しようとしてしまったのでは、と推測していた。
だけど当のバール少将が護送中に誘拐されたので真実は闇の中だ。
恐らく、いや間違いなく殺害されたんだと思われている。

そのあたりの事情もあって、共同戦線はあの後は一切展開されていない。
これ以上、木連と火星に地球への不信感を持たれてはいけないとの配慮だった。
…とはいえ、彼らもかなり不満そうだけど。
ん、ユリカがちょっと眉間にしわを寄せながら入ってきたな…。

「みんな、おはよ」

「おはよう、ユリカ」

ユリカは色々書類を抱えて入ってきたけど…どこかちょっと複雑な感じがする。
このところ、訓練以外にも色々走り回ってるらしいけど…どうしたんだ?

「…ジュン君、アキト君たちのことって聞いてるの?」

「…この場で話していいのかい?」

急な話を振ったユリカに、僕はすぐに察した。
ここまで世界に影響を与え続けたホシノの真実を…僕は期さずして知ってしまった。

「大丈夫、コミュニケの着信は制限してあるし、
 ミナトさんもメグミちゃんも知ってるから」

……なんだ、そうなのか。
荒唐無稽だとは思ったけど、納得いくことの方が多かったよね、あの話は…。

「うん、ライザさんを見舞った時に、アイちゃんが話してた。
 これから色々巻き込むことになるから、疑われたくないからって」

「そっか…」

「…ひどく驚いたよ。
 僕、ラピス君とピースランドで二人きりで話してたんだけど…。
 その時、色々相談してたんだけど、なんか様子が妙だと思ったんだ」

…あの時のラピス君が妙に動揺してた理由が分かったよ。
ユリカにやたら似てるように感じたのも…。

……そりゃ真っ向からユリカが好きだったって言ったら、未来のユリカも動揺するよな。
た、ただ、五年も先の未来でもユリカに好意を一切気づかれてなかったっていうのはさすがに堪えたけど…。

「…でも、ボソンジャンプのことでまだ秘密があるの。
 一回や二回のボソンジャンプじゃなかった…。
 とんでもない秘密がまだまだある。
 
 その説明も、みんなが揃ったらまたしなきゃいけないの。
 
 この間のネルガルの帰還パーティの前にも、ちょっと協議したでしょ?
 でも、時間が限られていたから最低限しか話してなかったの。
 
 もっと知っておかないといけないことが…。

 ……巻き込んでごめんね、みんな」

「ナデシコに乗り続けてる時点で僕らは一蓮托生だよ、ユリカ。
 今更気にしてないよ。
 でも、僕とメグミちゃんがナデシコを降りるのは『ちょっと待ってほしい』って言われたけど…。
 ちょっとってことは、そんなに遠くないってことだろ?」

「…うん、みんなには出来るだけ自分たちの思うとおりに生活してもらおうと思うの。
 その中で、少しずつ協力してもらう形になるの。
 
 みんなが、確実に生き残るためにも」

生き残る、か…。
確かに誰かが死ぬということがあるとすれば、ホシノの関係者たちは責任感で打ちのめされるだろう。
それにホシノのことを吐かせるために拷問にかけられてしまったとしたら、僕だって吐かない自信はない。
…メグミちゃんやミナトさん、挙句にルリちゃんがそんな目に遭ったら…。

「協力するわよ、かーんちょ。
 聞いたけど白鳥さんと私の間だって、未来じゃ裂かれちゃったんでしょ?
 …そもそも私だけじゃなく、白鳥さんとユキナちゃんにも関わることなんだから。
 遠慮なく言ってよ」

「そうですよ。
 あの話を聞いたらやるもやらないもないです」

「うん、ありがとね…。
 ……でも、ちょっと面食らうような話になっちゃうかも」

ユリカは抱えていた書類をすっと差し出した。
僕らは、受け取ると目を通してみたが…なんだ、これ?

「……?

 『バトル・アイドル・プロジェクト』?」

僕の目の前に飛び込んできた、突拍子もない言葉。
見たことも聞いたこともない、その言葉に僕らは首をかしげていたが、
その内容を聞いて、僕らは唖然とした。
僕らの今後の人生にすさまじい影響をもたらす予感を感じた。
けど…。

「艦長、私達は協力してもいいですけど…。
 そこまでしないといけないんですか?
 あとで詳しく聞けるのは分かってますけど…」

「そのことなんだけどね…。
 みんなも知ってると思うけどヤマサキさんはむしろ味方なの。
 今まで戦いと比べて強い機動兵器を使うけど…。
 戦場を徹底的に限定して、死者を出しづらい状況に持っていくつもりだよ」

「「「え!?」」」

僕たちは驚いて声を挙げてしまったけど、ユリカはそのまま続けた。
ここまでのヤマサキ博士の消極的な戦術…攻撃を受けそうになったら反撃する手法。
例の鳥獣機という機動兵器を大量生産できないという可能性があると思われた。
戦闘回数を減らして戦力を温存することに的を絞っているのではないかという話にもなった。

人材が零に等しい、孤独な軍である『アイアンリザード』は、
機動兵器の損耗とチューリップを撃破されることが致命傷になるからだ。
戦力を失わないために、戦闘回数を減らし、地球侵略の手段を失わないようにする。
さらに鳥獣機とヤマタノコクリュウオウの脅威で縛り付ける。
…と、今のところ僕らが考えている。

翼の龍王騎士の苦戦もあって敵は技術力に自信はあるが、まだ様子見を居るんだと。
だからこちらもチューリップを撃破するために戦力を集中させることになった。
ユリカの考えを採用して、慎重に動くことで決まったんだ。
ほとんどの連合軍の艦隊が集結してチューリップを各個撃破する、大げさすぎる方法。
この方式では、一方面軍ごとに、日に一基のチューリップを撃破することしかできなくなる。
でもこの案を採用しなければならないほど、ヤマタノコクリュウオウの登場は畏怖されていた。
何しろ、毎回出撃する龍王騎士を撃破出来ないものの、完全に足止めしてしまうほどの威力がある。

…反面、こうするっていうことは、ヤマサキのメインの目的は占領じゃないと分かる。
そうせずにはいられない状況にぼくらを追い込んで、コントロールしている、つまりは…。

「…あくまで、僕らの足止めが目的って言いたいのかい?」

「うん。
 もっと先のことを考えると、たぶん時間稼ぎだと思うの」

「時間稼ぎ?何のために?」

「そこのところが全く読めないんだけど…。
 ほら、今って首都圏のチューリップの撃破はほぼ終わったじゃない?
 あとは山間部、人が住むのに向いてないところだったり、
 鉱物資源なんかの兵器向け資源の重要拠点を抑えてるところ、
 それと人口密集地の近場の海上だけ…。
 
 そうなると戦争そのものが長引くって言っても、致命的な損害じゃないでしょ?
 っていっても、地球上だけでもまだ二千基以上あるから、
 まともにやっても二年はかかっちゃうよね。
 ナデシコ級とユーチャリス級がそろうまで時間がかかるし、もっとかかるかも。
 私が提言した通常の六倍の戦力を整えていく方法だと、四年とか五年かかる。
 確実に勝てるけど鈍行だから。
 目的はわかんないけど、私達を殺すつもりだったら、
 ヤマタノコクリュウオウを量産してくるはずだし、
 時間稼ぎそのものに理由があると思うの」

「…ユリカ、まさかヤマサキ博士の考えを読んでてああ言ったのかい?」

「うん。
 あの時はまだ推測だったけどね。
 敵の出方が分からなかったし。
 でも、翼の龍王騎士の一件で確信したの。
 
 ヤマサキさんは、戦争を長引かせるために翼の龍王騎士の一時退場を目論んだ。
 
 …そして、それがたぶんアキト君、そして私達のためにも、重要なの。
 
 重子ちゃんにも占ってもらって裏付けはとったけどね」

……恐ろしいことを考えるなユリカは。
敵が、本当は味方だと確信したってそんな方針を合わせてやるなんて普通できないだろ。
こんな策を考えること自体、下手すると利敵行為と取られるかもしれないのに。

「それにね、都合がいいの」

「都合って何がですか?」

「…私達の本当の敵をあぶりだすには、これくらいの時間が、
 しかも戦時中に必要なんだ」

「艦長ぉ、まさかラピスちゃんの作戦のために?」

「うん。
 …アキト君の事だから、直接彼らを殺すことはできないと思う。
 そうするべきじゃないって思ってるはずだし。
 だからせめて、彼らの思惑だけは暴いてあげないといけないの。
 
 …そのためにも、みんなの協力が必要なんだって」

……どうもつながってこないけど。
あのラピス君…ユリカのような人格と、
小悪魔めいてて悪魔並の策を弄するラピス君の人格を持つ、
どっちにしても年相応な性格にはとても見えない彼女のことだ。
…多分に趣味を乗せてはいるだろうけど、これも敵をおびき出すための戦術なんだろう。

……本当に怖いな。




















『機動戦艦ナデシコD』
第七十八話:『drop out-引退する-その2』

























〇地球・神奈川県・海上・ヒナギク改──シーラ
私達は久しぶりに、PMCマルスとして出撃することになった。
とはいっても、ユーチャリスはもう連合軍に継続貸与することになっちゃったし、
そもそも大規模な戦闘をするのは厳しい状態になっちゃった。
…で、私達はどういうことになっちゃったかっていうと…。

『さつき機、出まーす!』

『青葉機、行くわよ!』

『レオナ機、出撃するわっ!』

三機の空戦エステバリスが、二回りも大きな輸送機に改造されたヒナギクから出撃していった。
私達、PMCマルスの元々から居たメンバーは二班制で待機しながら、
はぐれトカゲを迎撃するための警備業を営むことになった。
そのために、本来は揚陸艦として飛行はできないはずのヒナギクを輸送機として改造し、
『継続的な戦闘運用はできないが、現地に駆け付けるための船』として運用することになった。
これもそこそこ費用はかかったそうだけど、ユーチャリス級を準備するのも大げさだから、ということになった。
これは連合軍が、ほぼ全力出撃でチューリップを撃破しなくちゃいけなくなったので、
各地の防衛が手薄になるからと、私達に白羽の矢が立った。

これによって、PMCマルス以降は企業が制限されていたPMCという業態が、積極的に許可されるようになった。
もっとも大概のPMCは鳥獣機の相手まではできないから、バッタ相手じゃなければ連合軍を待つしかない。
でも、PMCマルスが誇るパイロットたちは違うわ!

『そっち行ったわよ、青葉っ!』

『手ぇ抜くんじゃぁないわよ!』


ざしゅっ!

……どがーん!



危なげもなく鳥獣機を撃破していく三機。
彼らは三機だけだけど、それぞれタンデムアサルトピットで二人乗りをしている。
当然、DFSオペレータとして片方が乗り込む形。
もっともまともに刃を発生させるのが難しいので、イミディエットナイフか拳にまとう形での使用が多い。
それでも威力は十分で、鳥獣機の鋭い翼をへし折って進んでいける。
高速度のディストーションフィールド収束攻撃でも同じ効果があるけど、小回りが利かない。
ピンポイント・バリア・パンチみたいに扱えるだけでだいぶ楽になるそうだから。
とはいえうちのパイロットの平均レベルは連合軍のシルバーバレッツ小隊の一般隊員とタメだもん。
青葉ちゃんだけがアリサちゃん並みに強いってだけで。
ま、経験値が違うし、みんなアキト会長の直弟子だからねぇ。

「うはーこいつは俺くらいじゃもう失職だわなぁ」

「それじゃヒロシゲさんはヒナギクの運転手ってことで。
 ナオさんもアキト会長たちの警護に集中しちゃうし」

「へーへー。
 そういやあの影守一家はどうなってんだ?
 PMCマルスでやとわれてるのは続いてんだろ?」

「木連からの亡命ってこともあって、今は保留、休暇中なんだって。
 ラピスちゃんが面倒みることになってるそうだけど」

ブラックサレナ二機で激闘した彼らのその後は、まだ保留。
北辰さんの希望で召集あるまでは休暇が欲しいって。
入社してすぐに休暇なんて言い度胸だと思うけど、
亡命したばかりだし、仕事で娘に構えなかったし、もろもろな理由があったからなんだって。
アキト会長のコネ入社だからって高待遇ですこと。
ま、腕が確かなだからいいんだけどね。
…あれ、ちょっとまって、PMCマルスのパイロットのみんなって…。


「はっ!?」


「な、なんだよ、シーラ」

「そういえば…十二人の、しかも生まれ月がバラバラの…星座違い…。
 そして一人の少女を守る戦士たち…。
 
 

 こ、これはまるで黄金聖闘士!!」

 

「……だからゴールドセイントって言われても分かんねーってば」

ヒロシゲさんは呆れてるというか苦笑してるけど、私はびびっと来ちゃった。
なんか部隊名が付いたら金色をモチーフにしようって提案しようかなぁ。
アキト会長がプラチナ・ナイトで、
アリサちゃんとサラさんがムーンエンジェルズだから…。
…ゴールドセインツ?
う~ん、まんまかなぁ…。

「…おい、仕事しろって」











〇地球・クリムゾン本社・会長室──クリムゾン

「ええい!
 まだテツヤは捕まらんのか!?」

「は、はぁ…目下、捜索中ですが…。
 どうやら奴は暗殺者のために用意した潜水艦を使って逃走した模様で…。
 潜水艦は日本近海で発見されましたが、
 その後、足取りがつかめていないんです…」

「なんとしてでも探し出せ!
 殺しても構わん!!」

「はっ!」

私はシークレットサービスを怒鳴りつけると、さっさと追い払って、ため息を吐いた。
バールの奴は誘拐に見せかけてうまく始末ができたものの…。
テツヤに生きていられると、こちらも気が気ではない。
最も奴は自爆覚悟で逆襲するようなタイプではなく、
恐らく殺される前に取引を仕掛けてくるような男だ…一筋縄ではいかないだろうな。

『会長、連合軍から通信です』

「む、つなげ」

その後、連合軍上層部からの連絡で諸事情を聞いたが…。
DFSオペレータの件については、かなり私達が介入できる可能性があるという話をされた。
何かしら先んじて人材の確保を出来るようにする必要があるだろう。
私達の介入できる連合軍勢力に、出来るだけ多く優れたDFSオペレータを取り込まねば。
バール少将の後釜になる連合軍将校の目星はつけてあるが、まだ未定だ。

また、ホシノアキトに対抗できるアイドルの発掘についても候補が上がった。
ステルンクーゲルを個人所有する、ダブルドラゴンの天龍地龍兄弟も候補にあった。
奴はホシノアキト派だが、ステルンクーゲル売り込みのための利用はできるだろうな。
…なるほどな、西欧は無理だが、中東系、アメリカ系なら見込みがあるかもしれん。

まずは資金に余裕のあるうちにどこまで何を仕込むかだな…。
とにかくホシノアキトがまだ芸能界に居る今からでも仕掛けねばなるまい。
一刻も早く、世界規模である程度、私達の送り込むアイドルを成功させなければ。
戦後になってからでは意味がない。
今のうちに、少しでもパイを確保しなければ、意味がないのだ。

…兵器商としての立ち位置を取り戻すために、こういうことをしなければならんとは。
ある程度は外部委託できるが…不向きなことをするのは堪えるな。
これがあと何年つづくことやら…。
ある意味ではテツヤの件よりも頭の痛いことだ…。














〇地球・日本・東京都・上野公園──テツヤ
ち…全く、ついてねぇ。
潜水艦でアジトがある日本まで来れたはいいが、無理が祟って沈没させちまった。
ここまでの足取りは追われちゃいねえが、メインのアジトはすでに確保されちまっただろうな。
クリムゾンのシークレットサービスほどになりゃ、それくらいはやってくる。
記者の変装もマズいので、ネルガル系紳士服メーカーの安いスーツを着て誤魔化しちゃいるが…。
花粉症の季節が終わったらこんなベタな変装してらんねぇぞ。
…ったく。
だが、この身なりでホームレスに混じって眠るのはまずい。
どこかで仮眠をとって始発で予備のアジトで態勢を整え…。

……腹減ったな。

ん、公園なのに行列ができてる…あれは大型トラックか?
…ラーメンか。珍しいスタイルだな。
あまり店や街防犯カメラに映りたくない俺は、行列に並んだ。
ここで腹ごしらえして、夜の街で時間をつぶすか…。


・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。

『いらっしゃいませー!
 お次の一名様、おはいり下さいー!』

俺は電子案内音声に呼び込まれて、ついにトラックの荷台に入れた。
荷台の中には四人分の席があるカウンターと、キッチンが見える。
よだれの出るほどダシのにおいが立ち込めていた。
こういうところにはメニューがねぇ。
まあ出入口のところに貼ってあるラーメン写真の通りのモンがでるなら文句はねェよ。

「ラーメンいっちょ」

「あいよっ」

ぼうっとしながら俺は帽子を取らずにサングラスを外したが…。
──その先にいる、三人の姿にサングラスを落としてしまった。

「ホシッ…!?」

「あ、お客さん、お静かにお願いしまっす」

「ちょっと訳あってラーメン屋台やってます。
 私達の骨折のリハビリも兼ねて」

「あんた…どっかであったことある?」

「ね、ねぇと思うがな」

……しまった、俺はラピスラズリとは面識がある。
…いやホシノユリもじっとみてるな。
あまり顔を上げずにさっさと食ってでるか…。


・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。


俺は目の前にいるホシノアキトの姿を見ながら、
殺し損ねたこいつらに食事を与えられるという奇妙な状況に混乱していた。
そして評判通りの『魔法のラーメン』をすすって…。
ガラにもなくホッとしている自分に気付いていた。
食べ終わって、しばらく俺は立ち上がれずにいた。
…ホシノアキトたちも俺をせかさず、話しかけるということもしなかった。

だが、俺を睨んでいるラピスラズリはおそらく気付いているだろう。
俺がクリムゾン資本の新聞社の記者として、ラピスラズリを挑発した時のことを。
それもあって、俺は居心地が悪かった。
さっさと立ち去りたいという気持ちとは裏腹に…。

…俺の、怖いもの知らずの、怖いもの見たさの部分がうずいた。

もし俺がラピスラズリの暗殺を命じたとバレたら、
間違いなく殺られると分かっているのに。
あり得ない奇跡を起こした、見たことも聞いたこともないタイプの『英雄』。
こうして出会うはずの無い俺たちが、出会ってしまうという奇跡を起こされてしまって…。
死への恐怖に、興味が勝った。

らしくもない、リスクを負った突拍子もない会話を、俺に選ばせた。

「…なぁ、ホシノアキト」

「なんす?」


「お前…。
 ホントにネルガルの犬じゃねェのか?」


「「ッ!」」



「──ああ。

 ネルガルが始まりではあったけどな。
 ネルガルのために生きてきたわけじゃない。
 ホントはこんな商売をしたいだけの、小さい男さ」

「はっ、言うねぇ…」

俺は手に握っていた冷水のコップを、口につけたくなっていた。
だが、それを許してくれない表情だった。
俺を射抜く殺気に、背筋が凍った。

間違いない。
こいつは人を殺したことがある。
推測通りだ。
生で見た今、確信した。

そして、こいつは今、俺を殺したいと思っている。
ラピスラズリに聞いたんだろう、俺が問いかけたことを。
クリムゾンが敵だということも気付いている。
そしてクリムゾン資本の新聞社に属している俺が、何をしているのかも。
いや…この殺気…もしかしたら…。

──俺がラピスラズリの誘拐を指示したと、確信すら持っているかもしれない。

俺は今、猛獣の前に居る。
カウンターという檻がなければ、いやあったとしても即座に殺される状態だ。
……だが、俺はあえて核心をついた。

「…お前、何人殺した?」

「ゼロだ」

俺は急に引っ込んだ殺気と、断言したホシノアキトにあっけにとられた。
こんな風に言われて、冷静になれるタイプだとは思わなかったが…。
……俺は拍子抜けして目を丸くしている、と思う…。

「重ねて言うぞ、俺は誰も殺してない。
 …そしてこれからも殺すつもりはない。
 大切な人を奪われて、人生が壊れたら分からないけど…。
 
 

 ──そうならない限りは絶対に誰一人殺さない!」

 

──こいつは、何者だ。
嘘だと、俺は否定できなかった。
本心から言っているのが、分かってしまう。
ホシノアキトは…人間か怪しい奴だと思ってはいたが…。
あの殺気と、こんな綺麗事をいうまっすぐさが両立できるものなのか!?

「…その甘さが、隣の二人を奪うかもしれないのにか?」

「奪うかもしれないからだ。

 人を信じることを忘れたら…人を殺して守ることを覚えたら…。
 俺は一生怯えて、きっと殺す必要のない人まで殺す生き方を選ぶから。

 だから戦いを捨てようと思ったんだ。
 
 …地球全体そうなればいいと思ってるけど。
 俺がそうしようと呼びかければ、それはまた別の戦いを生むだけだから…。
 
 だから俺は戦いから降りたうえで、この手で、二人を守り続けることを選んだんだ」

──俺の中の何かが壊れる音を聞いた気がした。

英雄と呼ばれた人間は、どこか浮足立って夢を語るもんだ。

世界を変えたい、世界平和が欲しい、幸せになる人間を増やしたい…。

自分がしてきた殺しや、正義を行う上で踏みつけたものをごまかすように。
罪を忘れようとするように、良い結果から、良い自分だけを引き出そうとして、
善なる人間として取り繕うとする。

そう、『英雄』と呼ばれる人間はことごとく『偽善者』だ。
人を殺さずに『英雄』にはなれない。
強さを証明するにも、悪を倒したということを証明するためにも、殺人は必要だ。
日本という国に、二次大戦後以降に『英雄』が生まれなかったのは、
戦争を放棄するという建前があったこと、
そして連合軍という、突出した英雄が生まれないシステムが世の中を支配したことがある。

だが、この男は違う。

何故、殺しをしていないという言葉を信じているのか俺にも分からないが…。
この男は、自分という人間が殺しをするかもしれない可能性を心底理解していて、
殺して守ろうとすれば、逆に本当に何もかも失うと、
寿命の短い『英雄』になってしまうと理解している。
そうならないように、失う可能性があっても殺しを選ばず、戦いを放棄しようとしいる…。
自分の手の届く範囲で、自分の大切な人を守ろうとしていて、しかもそれは実現可能だ。

こいつは自分の手の届く範囲を知っている。
大言壮語を吐いて自分を正当化することもなく、本心を話している。

そしてそれを初対面のはずの俺に、包み隠さず伝えてしまえる。
俺を追い返すための、否定するための、強い警句でも、脅し文句でもなく。
ただ、自分の決意を、歯の浮くような理想を、俺に伝えるなんて…。

…こんな、こんな──!

こんな本物の『英雄』が居たっていうのか!?
だから全世界がこいつを助けるために動くっていうのか!?
こいつの理想を、願いをかなえるために、世界が丸ごと変わるっていうのか!?
だからあり得ない奇跡をおこせたって、いうのか!?

それが──『英雄』の資格だとでもいうのかよッ!?

「……大丈夫か」

「ぐっ…う…。 
 余計な事…するなよ…」

ホシノアキトはすっと倒れそうになった俺に近づいた。
だが、俺はカウンターにしがみついて体を支えた。

ち…めまいのする野郎だ…!

俺は握っていたコップに口をつけ、一気に飲み干した。
冷や汗が止まらねぇ。
何もかもが想定外だ…!
これだったら殺気をぶつけられていた時のほうがよほど楽だ。

こんな、こんな奴が生きていたら…こんな奴が世界を変えてしまったら…!

…こいつはもう直接平和運動だのなんだのしなくても、
生きているだけで世界を変えちまう。

俺や、俺を利用するドス黒い連中の生きる道は一切なくなる。
そんな推測はしていたが、ついに現実になろうとしている。

光を当てれば影が生まれる。
どんな英雄もそうだった…ちょっと小突いてやれば闇を見せる。
ホシノアキトが先ほど殺気を見せたようにだ。
だが…それを何事もなかったかのように引っ込め、むしろ俺を気遣う。
全方向から照らせば影なんて生まれはしない、とでも言いたそうに、だ。
悪夢のような…白さを持っていやがる…。

「……俺がもし…例えば…。
 そこのお嬢さんを殺そうとした男だ、としても…。
 助けるつもりか?」


「「ッ!?」」



俺はいら立って…再び核心をつく言葉を吐き出した。
これは、もはや自白だ。
だが、こいつは俺を殺さない。
そういう確信が、なぜか俺を支配していた。

「…見捨てるか助けるかは分かんないよ、その時になってみないと。
 状況も定かじゃない、たとえ話で二択で言われても困るって。
 
 ……でも俺の大切な人が、
 取り返しのつかない傷つき方をしない限り、そして死んでない限り。

 …俺には殺せないよ」

「…お優しいな、英雄。
 そんなことじゃ、千載一遇のチャンスを逃すことになるぜ。
 見る目がない奴だ」

「…俺の目は節穴でいいんだ。
 俺が見えない部分は、この二人が、そして仲間たちが見てくれるさ
 
 一人で生きていけるほど、俺は強くない。
 それがよく分かってるから…」

「アキトさん…」

「アキト…」

…。
…俺は代金を置いてトラックを出た…奴は追っかけてこない。
別のところからも、別の人間も追っかけてこない…有言実行か。
俺は脱力しながら夜の街を歩いた。

く…くく…。

本物の『英雄』か…。
起こるはずのないはずの奇跡が…起こるわけだ。
こんな、空想や妄想の類としか思えない人間がいるなんてな…。
…手も足もでねぇわけだ。

一見矛盾した理論だったが…あいつには裏表がない。
本気で平和を作ろうとして、世界にきっかけだけ与えて、さっさと戦いから降りやがった。
もう自分がいなくても大丈夫だからと、これ以上危険な目に遭いたくないからと。
下手しなくても世界を制覇することが出来る力、そして人脈を持ち合わせているにも関わらずだ。
欲ってもんがねぇのか…あれだけのことができて…。
それも英雄らしいってことか…?

──ただな。
お前は俺の生き方を、存在そのものを否定しやがった。
どんなに明るい世界を作ろうと…どこかで、奪い合いは発生するんだぜ、英雄。

お前が俺たちを、闇を消し去って、完全な平和を作り上げたとしても…果たして何年持つ?
そしてその明るい世界が崩壊した後、
新しく生まれた闇に対抗する術を持たない連中が引っかかって死んでゆく。

戦争にも、企業にも、思想にも、何にも左右されないお前の生き方に憧れた、
愚かな白痴どものせいで、統率されないままの連中がな。

俺たちがまだ生きていた時の方がマシに思えるほどの地獄を、お前が作るんだよ。

…だから、その時のためにな。
お前の命はとれないまでも、お前の名前に傷の一つくらいはつけてやる。
一生消えないくらい、醜く残る奴をな…。


ここで俺を殺さなかったことを後悔するくらいでかいのを、刻んでやる…!



















〇地球・日本・東京都・上野公園──ラピス(ラピス)

「アキト…ホントに逃がして良かったの?」

「…ああ。
 あの態度、あの話し方…。
 ラピスをさらったライザさんに命令をした人だと思う。
 …正直、殴ってやりたい気持ちを抑えるのが大変だったよ。
 状況的にもこの場で捕まえておくのが一番いいんだろうけど…。
 
 …でも今の俺は、人を殺したり誘拐したりで物事を解決するつもりはないんだ。
 
 もし捕まえても脅したり拷問したりしなきゃいけなくなるだろ?
 あいつらと同じことをして勝つ、そんな方法は二度と取らないよ。
 
 それに警察に突き出そうにも証拠がない。
 ライザさんだって、証人として扱えないって話になってるし。
 
 俺たちだってたぶんそうだろうって推測しかできてないし、確信がない。
 …どうしようもないさ」

「甘いと言われても仕方ないですね、アキトさんは。
 まぁ、こうやって小市民してるのが本当はお似合いですよ」

……のんきだよね、アキトもユリも。
アキトは自分で言った通りのことで、ああいう方法取ったら、
また同じ方法で守るようになるっていう自覚があるからってことなんだろうけどね。

「隠しカメラで録画してあるんだろ?
 ライザさんに知ってるかどうか聞いてみよう」

「本当に知ってる人だったらすごい偶然ですよね」

「…私、あの人にめちゃくちゃ言われたんだよ。
 アキトももっと言ってあげればよかったのに」

「ああもう、ラピス…むくれるなって…。
 なんかショック受けてたみたいだし、あれくらいでいいんだって」

「そうですよ、あの人お父さんが疑惑受けてた時もつっかかってきたんですよ。
 ホント、腹立たしいです」

そういえばユリカもユリも、記者会見の時に絡まれたんだっけ。
確か…カタオカテツヤって言ったっけ。
記者の名前が世間には出ないって言っても、堂々とよく表に出てこれるよね。
カタオカテツヤって名前、伝説の始末屋で有名になってるのに。

逆に名前が売れてる裏の人間って、表にでてこないからこそ疑われないってことかなぁ。
名前は売れてても顔は売れてないみたいだったし。
…まあ、そんなことはどうでもいいんだけど。

「…でもアキト、これだけは覚えといてよ。
 アキトがあいつを逃がしたせいで、誰かがまたアキトを暗殺しに来るかもしれない。
 暗殺が失敗したら、その人は死ぬんだよ。
 もしかしたら、脅されて殺し屋に仕立てられた人が来るかも。
 
 ……その人の命の責任、アキトは持てるの?」

「…だからって未然に捕まえたり殺したりできないだろ。

 そうじゃなくてもそこまでは気を遣えないよ。
 俺が見える範囲と、手の届く範囲だけが俺が何とかできる距離だ。

 無責任かもしれないけど、それ以上を考えられるほど器用じゃない。
 けど、殺し屋が来たとしても殺すつもりないし、
 プロじゃないなら説得できるかもしれない。
 
 …それにあいつらだって、取れる手段が限られてる。
 
 地球側でチューリップを所有しているにしてもあれで打ち止めだと思うし…。
 もうあれほどの手段を打てる見込みはないんだろ?
 
 それほど焦ることもないよ」

…ま、そーだよね。
アキトは馬鹿だし。
ルリのドライさがいい感じで効いてる気もするよね、因子的にも。
こういうところで完璧主義にされちゃ困るもんね。
アキトの言う通りだし…あいつを捕まえても次の敵が出てくるだけかもしれないし。
そもそも敵のことを教えてくれるとは限らないもん。
でも…。

「…でも、これで今日で店じまいになっちゃうな」

…そう、もう屋台生活はこれでおしまい。
ここまでの来店者は、みんな記念写真も撮ったし、写真送付のための住所記入もしてくれた。
危険そうな人が来たり、住所記入がなかったら店じまいにしないと危ないってことになってた。
あの人、私の暗殺に失敗したから追われてる途中かもしれないから、
今後も手を出してこないかもしれないけど、
ここは徹底しておかないと…残念だけどね…。

「いや、気を落とすこともないかな。
 明日から一週間くらいは協力してくれた警察署に出前でお邪魔することになってるし、
 もうちょっとだけ続けられる。
 さすがに敵も、警察署で事を起こすことはないだろうから」

「日本で警察関係でトラブル起こすってかなり問題になりますし、
 いざって時は、ディストーションフィールド、ですもんね」

「つけといてもらってよかったよね」

……三人とものんきだよね。ほんと。
ま、これからも一生、仕事もプライベートも、公私共に四六時中私たちは一緒だし、
アキトに守ってもらえるなら万全だし、人の目もどうやってもついてきちゃうし。
食堂だって、もう近い将来だから気にすることないんだけどね。

「そういえば、ラピス。
 あと一ヶ月くらいしたらイネスさ…。
 いえアイが治療に来てほしいって連絡、来てますか?」

「あ、ユリのところにも来た?
 さっすがイネス、予定通りだよね」

この間の診察通り、早くて一ヶ月半って言ってたけど…やっぱり二ヶ月かからなかった。
ラーメン屋台を初めて二ヶ月、店じまいの日にちょうど連絡が来るんだもん。
ホント凄腕だよ、イネスは。
…でもどんな手を使うんだろ?



















〇地球・神奈川県・アトモ社・元ボソンジャンプ研究施設──ユリ

『3!』

『2!』

『1!』


『どっか~~~~~ん!』


『わ~~~~い!

『なぜなにナデシコ!!
 ~ボソンジャンプ編~!!』



『お、おーいみんな、あつまれ~!』

『な、なぜなにナデシコの時間だよ~!』

『あつまれー!』



………。
屋台生活が終わってから一ヶ月程度─。
私達はまた一度佐世保に戻ってPMCマルス再編のための手続き…。
そしてユーチャリススタッフの再就職、あるいは再就学のための支援を続けました。
契約期間はまだ残っていますが、肝心のユーチャリスが連合軍入りしてしまったので、
別業種を始める、あるいは事業拡大の際に優先的に声をかけるという約束の元、
退職金・違約金コミでリストラ退社してもらうことになりました。
彼女たちも縁が切れないなら問題ないし、再就学の学費分は貰っているのでと納得してくれました。
…まあ、アキトさんはそのせいで彼女たちが退社する前にさんざん、
一時卒業パーティーとかレクリエーションする羽目になったりはしましたけど。

で、今は…。
事情をある程度知って居る人たちを集めて、
これからに備えた説明を改めて行うことになり、
セキュリティ的に十分で大勢集まれるこの場所に集まりました。

私達、かなり真剣な気持ちでここに集まったんですが…。
こ、このスタイルで始めますか、イネスさん…いえ、アイは…。

「あ、アイちゃん…左右にアキト様たちをはべらすなんて…」

「こ、怖いもの知らずだわね…」

「…アキトさんもテンカワさんも、頭が上がりませんからねえ…」

「アイちゃんノリノリだね…」

さつきさん達が呆然としながらコメントして…いえ、みんなほぼ呆然としてるんですが。
アイは、かつて私がホシノルリだったころに担当していたお姉さん役を、
そしてユリカさんが担当していたウサギさん役をアキトさんが白、テンカワさんが黒のウサギに扮しています。
着ぐるみでほとんど顔が隠れている中、二人の表情は思いっきり引きつってます。
こんな姿を世間一般の皆様に見せたらえらいことになりそうですが…。

何しろ、アキトさんは今も未来もアイにすごい借りがありますし、
テンカワさんも、シェルターの一件で大やけどを負わせていたこと、
デートの約束がほぼ事実上無理になってしまったことなどから負い目たっぷりです。
こういう茶目っ気である程度チャラにできるなら、としぶしぶ従った形になりました。

…まあ、話す内容が内容だけにヘビーすぎるんでこれくらい茶化してしまったほうがいいんでしょうけど…。


・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。



そしてアイによるボソンジャンプ講座が行われ、
三十分ほどをみんなが質問を交えながら、そこそこ納得してもらえました。
驚異的な技術の話ですし、戦争の起こりとして世間にも説明されてる事ではありますが、
ここまで詳しく知ることもなかったので、かなり興味津々なようで聞き入ってくれました。
アイは火星でもボソンジャンプに関わる危険性を広めるために番組を持ってたらしいですけど…。
ま、まあそれはいいとして、アイはたっぷり説明できたのとアキトさんたちをはべらせたことによって
ご満悦な表情で壇上から降りました。

「な、なるほど…。
 タイムトラベラーだったのか…」

今まで事情を知らされてなかったナオさんもしきりに何度も頷いて納得していました。
かなりSF的な素養を必要とする話ではありますが、そこは宇宙時代の今ですし、
ある意味じゃありきたりともいうべき内容なので納得してもらえました。

それから、アキトさんの詳しい話を始めることになりましたが…。
何しろ、この世界のナデシコと違う部分も多い話も多い上に、
遺跡ユリカさんの件、16216回の繰り返し、因子の件も…。
そしてアキトさんが危険すぎる人物になる可能性があったことについても、
実際に数百人殺していた過去があることについても、
その繰り返しの中では仲間ですら殺戮していた場合があったことについても、
ついに話してしまうことになりました。

お父さんの時も冷や汗ものでしたが、多少事情を知っていた人でも呆然とする内容だったようです。
この繰り返しについて知っているのは私達未来組と、この世界の私達とお父さんくらいで、
他のみんなは私達が未来から来たこと、未来でのできごとについてしか知りません。
まさかこの世界が何度もリセットされ、16216回繰り返されてるとは思ってなかったんでしょう。

「……ユリカの意識がこんな繰り返しを選ぶだなんて」

一番最初に声を発したのはアオイさんでした。
でも、ユリカさんがテンカワさんを想う姿を浮かべたのか一番納得しているようにも見えました。
それから五分以上、みんな黙り込んだままでした。
どうしていいのか、どうコメントしていいのかも分からないまま…。

そんな中、アキトさんは立ち上がってみんなを見ました。

「…みんな知ってる通り、ホシノアキトになる前の…。
 いや、今も俺の中にある『黒い皇子』の因子は、危険さはまだ生きている。
 …そうじゃなくても、俺は狂えばみんなを傷つけるだけじゃなく、殺すかもしれない。
 そんな男なんだ。
 
 ごめん…。
 みんなをだましていたと言われても、仕方ないよな。
 
 だから無理に、また付き合ってくれなくてもいいんだ。
 これからのことに協力してくれるかどうかの判断は、
 今日、今すぐに返事をしてくれなくてもいい。
 
 …でも、俺に関わった以上、これからも危険なことはあるかもしれない。
 だから連絡は取り合えるようにだけ、しておいて欲しいんだ。

 出来る限りの手立てはしたいと思う。
 ここまで付き合わせた俺の責任だから…」

「アキト様、そんなことを言わないで下さい!
 私達は…」

「…ダメだよ、さつきちゃん。
 一時の感情に流されて、いや、場の空気に流されて判断しちゃうかもしれないだろ?
 
 …みんなが、俺をどれだけ懸命に守ろうとしてくれたかは分かってる。
 その気持ちに応えたいって、頼りたいって俺も思っているけど…。

 でもこれからは自分の命を賭けるだけじゃなくて、
 みんなの家族を巻き込むかもしれない可能性があるんだ」


「「「「「「「「「「「「!!」」」」」」」」」」」」

 
「……重子ちゃんの占いだって、将来のことまでは完全に見通せないっていうし、
 これだけの人数を占ったら、全員分は保証できないかもしれない。
 何十人も家族の分まで占うってなると、いくら時間があっても足りないみたいだし。
 
 …お願いだから、少し落ち着いてから考えてくれるかい?」

アキトさんは、さつきさんたちが立ち上がろうとしたのを見て制止しました。
さつきさんたちは小さく頷いて、うつむいてしまいました。

「…降りたとしてもクビにはしないでくださいね」

「…そんなことしないって」

…そうなんですよね、これからはこれまでとはまた状況が変わります。
敵が表立って攻撃するのは無理だと判断すれば、関係者をターゲットにしかねません。
ラピスの計画でそれをある程度未然に防げる計算ではありますけど、ゼロにできるかどうかは未知数です。
…誰も死なないで切り抜けたいとは思ってますけど、絶対はありませんから。

「しかし、こんなこと私に言っていいのかしらね。
 私はまだあんた達の味方ってわけじゃないのよ?
 それにあんた達がテツヤを認識した以上、
 また私がテツヤの下に戻らない訳じゃないのよ?」

車いすに乗って頬杖をついてたライザさんが、むくれています。
…相変わらずなんて言うか憎まれ口ですね。
図々しいんですけど、ラピス曰くもう裏切ることはないということですが…。
私もなぜかそんな気はしてます。

「…あんまり非協力的ならこっちにも考えがあるわよ。
 とはいえ、協力してくれようがしてくれまいが、
 あなたを保護するためにはしなきゃいけないことが色々あるけどね」

「…ふん、勝手にしなさい」

ライザさんはアイに釘をさされて再びそっぽを向きました。
…まあ保護対象なので無理はしないでしょう…しないと思いたいですけど…。


・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。


そしてその後、説明会は解散しました。
事情をある程度知っている人だけなので、ウリバタケさんやホウメイさん、
そのほかナデシコクルー、PMCマルスのスタッフのほとんどは呼ばれてませんが…。
ほぼほぼ深刻そうな顔をして出ていきました。

一応、衛星回線を使った例のペンダント型通信機と同じ方式の新型コミュニケを全員に配布して、
今後の連絡は確実に取れるようにだけしておきましたが…これも実はネルガルとPMCマルスの割り勘です。
一台八万円のコミュニケなのでまたかなりかかりました…。

そして夜もだいぶ遅くなったので、
ほとんどの人は近隣のホテルに部屋を取っておいたところにまとまって宿泊してもらいました。

私達はラピスの治療のために、この場に残ることになりました。
屋台生活終わってからもちょくちょく東京に呼ばれて、
私とアキトさんが実験に付き合ってきましたが…。

なんとかなりそうには思いますが…果たしてうまくいくのかどうか…。

















〇地球・神奈川県・アトモ社・特別施設・???──ラピス(ユリカ)

……。
私は真っ暗な夢の中にまどろんでいた。
アイちゃんに言われて、ヘッドギアをつけられて、催眠ガスで眠らされちゃったけど…。
うう、なんかぼうっとするし、なにもできないし、気持ち悪いよぅ…。
悪夢も見ないけど、こんなふうに真っ暗なところでひとりぼっちなんて。
せめてラピスちゃんが居ればいいのに…。

──でも、私の意識は急激に覚醒した。
すごくリアルな感覚…ううん、現実そのものとしか思えないような場所にたどり着いた。

そこは…。


「ユリカ、お前何してんだよ!?
 寝坊してる場合か!?」



「ユリカさん、こんな門出の日までお寝坊するなんて。
 …はぁ、これじゃ先が思いやられます」

「え…えっ?」

私はアキトと暮らして居たボロボロのアパートにたたずんでいた。
お日様がさんさんと輝いてて、私の目に入り込む光に目をぱちくりして…。
アキトはもう身支度ばっちりで、荷物も持ってるけど、
私は何も支度できてなくて…。

ええっ!?なにこれ!?


「わ、私…えっ!?
 なにこれ、ボソンジャンプ!?」


「「とぼけてボソンジャンプのせいにしてる!?」」



「あ、その、えっと…ごめん」

…え?
これまでの方が夢だったの?
そ、そんなわけない…私は…。
あ、あれ?なんか全然頭が働かない…これまでって、なにをどうしてたんだっけ…。
この後、すごく大事なことがあった気がするんだけど…。

「ほら、早く行くぞ!」

「う、うん…」

私は茫然としたまま着替えだけ済ませて、タクシーに飛び乗ってその中で化粧をした。
何か、思い出さないといけないことがあったと思うのに…なんだっけ…。

「…アキト、どこ行くんだっけ?」

「何ボケてるんだよ…。
 今日から火星に向かってハネムーンだろ?」

「あ、そっか…」

そっか、そうだよね…。
思い出さないといけないことって、ハネムーンのことだよね。
アキトとこれから幸せになるんだもん。
なに忘れちゃってるの、私ったら。

「ユリカさん、どうしちゃったんですか?
 昨日はお酒を飲んでなかったから二日酔いじゃないですし…」

「ジュンとお義父さんが言ってたけど、
 いつも出掛ける前はこうだってさ」

「ひどーい!
 私そんなにお寝坊さんじゃないよぅ!」

「…信用できないです。
 ナデシコに乗る時でさえ、
 なぜか自転車のアキトさんより後に到着してたらしいですし」

…そんなこともあったなぁ、アキトとの再会…嬉しかったよねぇ…。
……?

「ユリカ、お前何泣いてるんだ?」

「う、ううん、分かんない…嬉しいだけだよね…」

私はこぼれる涙をぬぐった。
何か別の、重大なことを思い出しそうになっているのを感じた。
でも、何も思い出せないまま…私はシャトルを見送りに来るみんなに挨拶をしてた。
…なんかみんな、人数がずいぶん少ない気がした。
ミナトさんとメグミちゃんとジュンくんと、お父様と…ルリちゃんだけ?
なんでだろ…みんな総出で来てくれると思ったのに…。
私って思ったより人望ないのかなぁ?

「艦長、おめでと!」

「おめでとうございます」

「ユリカ、おめでとう」

「う、うん、ありがとジュン君、ミナトさん、メグミちゃん」

「アキト君、ユリカを頼むぞ」

「はいっ!」

!お父様…。
お父様の姿が見えた時…。
私は何か…もう二度と会えない予感を感じて…。
お父様に抱き着いてしまった。

「お、お、お…?
 ユリカ、どうした?」

「…行きたくない」

「「「え?」」」


「私、ハネムーン、行きたくない!
 ずっとここに居たいの!!」



「ど、どうした!?
 せっかくのハネムーンをキャンセルなんて…」

「ユリカ、落ち着けって。
 …どうした?
 俺じゃ、不安か?」

「ふ、不安じゃない、不安じゃない…。
 けど、乗っちゃダメなの…」

私はシャトルに乗り込むことに、なぜか恐怖していた。
何か、とんでもないことが起こる予感…ううん、確信があった。
鳥肌がたって足も震えて…涙が次々にこぼれて…。

「…ユリカさん、子供じゃないんですから変なことを言わないで下さい。
 そんなことじゃアキトさんに嫌われちゃいますよ?
 
 

 ぼうっとしてると、アキトさん私が取っちゃいますよ」


「「「「「えええっ!?」」」」」



私達はルリちゃんの言葉にびっくりして叫んじゃった。
でも困ったような、どこか呆れたような笑顔を見せてルリちゃんは背を向けた。

「…嘘です。
 でもちゃんと行かないと、そうしちゃうかもしれませんよ?」

「う…」

「ユリカ」

私がべそかいて戸惑ってると…アキトは私を抱きしめてくれた。
こんな風にみんなの前で抱きしめてくれるなんて思わなくて、
私は不安がすっと和らいでいくのを感じた。
力強いアキトの腕…アキトの匂い…アキトの、優しい顔…私を見つめる瞳…。
アキト…。

「…約束する。
 何があってもお前を守るって。
 だから行こう。
 一緒に…」

「アキ…と…」

「行ってらっしゃい、ユリカさん」

私は言われるままにアキトの手を握って、手を引かれて…。
シャトルに乗り込んだ。
嬉しい気持ちより、怯えの気持ちに揺れたまま…。
そして…。

「動くな!!」

「貴様らには、我々『火星の後継者』の…礎になってもらうぞ…」

飛び立ってすぐに、シャトルがジャックされた。
あの蛇のような顔をした、北辰さんの顔を思い出した時。
私は後悔した。


──どうして。

どうして思い出せなかったの。

ボソンジャンプでせっかくここに戻ってこれたのに、なんでシャトルに乗ったの。


これから起こることに、恐怖した。
私とアキトは、ここで離れ離れにされて…その後は…。
アキトを信じてても…これは…!

「…ユリカ、信じて座っててくれ」

「あ、アキト…ダメっ!」

私が止めようとしたところで、
アキトは私にシートベルトをして一瞬動けないようにしてしまった。
だめ、あの北辰さんは…!

「お、おいアンタ…」


「火星の後継者だか何だか知らないが…。


 …お前たちの勝手にはさせない!」



「テンカワアキトか…。
 貴様はまた草壁閣下の崇高な理想を砕こうとするか。
 
 だが…未熟!」

北辰さんは、抜いた刀の刃を返してアキトに襲い掛かった。
ダメ!
この後、アキトは…!


ばきっ!


「!?
 白刃取り…ッ!」


「うおおおおおおおっ!」


どっ!


「あっ!?」


がすっ!どすっ!


「「「ぐああっ!?」」」



アキトは、北辰さんの刀を取って折った!?
そ、そのまま…北辰さんも、銃を持った人たちも蹴散らして…!
す、すっごい!
あっという間すぎて、誰も発砲できないまま倒しちゃった!

「ユリカ、もう大丈夫だ!
 一度シャトルを降ろしてもらおう!」

「う、うん…」


その後、私達のハネムーンは一度延期になった。
火星の後継者のことについて落ち着くまではってことで…。
警備のためにもって一度私達はお父様のところに匿われることになって…。
私は茫然自失の状態で、アキトに支えられて車に乗り込んだ。

…でも、どうして?

今もおぼろげにしか思い出せないけど、
あの後、アキトが倒されて、私達は離れ離れになるはずだったのに…。

「ほら、ついたぞユリカ」

「う、うん…」

私はシャワーを浴びて…そのまま布団に入って眠ろうとした。
でも眠れずに、天井をぼんやり見つめることしかできなかった。
私は…アキトはどうして…この時に戻ってきてしまったの…?
それとも…あの長い長い時間こそが夢だったっていうの…?
長い時間だった気がするけど…内容が全然思い出せないけど…。

あ…。


がちゃっ。



「ユリカ…」

「あ、アキト…なに?」

アキトが、私の部屋を訪れた。
頬も赤くて、ちょっと恥ずかしそうに…。

「隣、いいか?」

「う、うん…」

私はベットに腰掛けて椅子を勧めようとしたけど…アキトはすぐに隣に腰掛けた。
うう…なんでこんな急にアキトが積極的なの…?
で、でも私…ドキドキしちゃう…。
あんなカッコいいアキトを見ちゃったら、私、わたし…。

「ん…」

「んんっ」

私達はキスをした。
何も言わずに、お互いの気持ちが通じ合ってるように感じた。
私達の幸せを奪われるかもしれなかった場面を切り抜けられて、安心していた。
唇を重ねて無事に済んだことを喜んでいた。

吊り橋効果みたいになって、私はアキトにますますときめいてる。
どうしてアキトがあんなに強くなっちゃったのか、
私は理由を知ってる気がしたけど、思い出せなくて、よくわかんなくなってた。
でも、この感触も、胸の鼓動も、アキトの体温も…。
心地よくてどうしようもなかった。

あっ!?


どさっ。


「あ、アキト、待って待って待って!?

 お父様もルリちゃんもいるのに、気づかれたら恥ずかしいのに!

 こ、こんなことしちゃダメだって!?」



私はアキトに押し倒されて、組み敷かれてパニックになった。
アキトはこういうこと無理にしないし…初めてはハネムーンに行ってからって約束だった。
でも、アキトは明確に私に迫ってる…こういうの夜這いっていうんだっけ…。
アキトは息を荒げて、でも私のことを愛おしいと思ってるように微笑んでくれてる。

「…待たない。
 ハネムーンは延期になっちゃったけどさ…。
 でも、あんなことがあって思ったんだ。
 …もし、あの時俺が死んだら、誘拐されてなにかされちゃったら、
 ユリカと引き離されたら、一生後悔するんだろうなって…。
 
 どうしてユリカを、無理にでも抱きしめなかったんだって」

「ア、キト…」

「後悔したくないんだ。
 こんなじゃ、ムードもへったくれもないけど…。
 お、お前を…」

胸が高鳴った。
アキトが真剣に私を見つめて、私を求めてくれてる。

ああ、アキト!

そんなこと言われたら、私…!

「い、い、いいよ…。
 アキト…。

 ……好きにして」

「…ッ!」


──それから、私は夢のような時を過ごした。
ちょっと大人びたほうの少女漫画で描かれるような、アキトの優しさを感じるとても甘くて優しい抱き方。
私はアキトに酔いしれて、世界一幸せだって思っちゃうくらい夢中になっちゃった。
アキト、大好き…。

…でも、アキトはこんなのどこで覚えてきたんだろ?


・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。


それから全て終わって、私は息も絶え絶えにアキトの腕枕に頭を預けていた。
アキトはただただ、脱力して呆けている私の頭を撫ぜてくれた。
とっても幸せ…。

「ユリカ…」

……でも…。

「ぐすっ…」

「…何泣いてんだよ?」

「…分かってるの、アキト。
 こんなにリアルでも、全部夢なんでしょ…?
 ほ、本当の私は、ひどいことされて…それで…」


私は思い出してしまった。
ここまでぼんやりとしか思い出せなかった、本当の私…。
ラピスちゃんに成り果てた、私のことを…未来のことを…。

これは奇妙なほどリアルな夢。
だけど、あくまで夢でしかない。
明晰夢って言ったっけ…自分で好きな夢を見れるようになるっていう…。
そんなのじゃないかって思った。
こんな都合のいいこと、起こるわけないし、

ボソンジャンプ事故もあり得ない。
ラピスちゃんになった私はジャンプで過去に戻るわけないし…。

それに意識のどこにもラピスちゃんを感じない。
ラピスちゃんが無理に意識を閉じなければどこかそばにいる感覚があるはずなのに。

…この事実が、この世界が夢だって、都合のいい夢だって教えていた。

「これが現実だったらいいと、思うよ…?
 でも夢だと分かってる、こんなことはないんだと分かってるの…」

「…バカだな、ユリカ」

アキトはぎゅっと抱きしめてくれた。
…そう、これも夢だからしてくれるの。
アキトはこういうの得意じゃなかったし、あんなに強くなかったもん…。

「…これは確かに半分は夢だよ。
 でも、もう半分は現実なんだ」

「えっ…?」

アキトの意外過ぎる答えに、私はうろたえた。
私の言葉を完全には否定しないけど、半分は現実?
どういうこと?

「…これが治療中だってことを忘れるのが出来てるのだけでも大成功だよ。
 これならきっと…。
 いいか、ユリカ。
 これは夢じゃなくて、バーチャルルームの技術によってつくられた、
 

 『人工的な真実』なんだ」

「えっ!?
 ば、バーチャルルームって、あの!?」


「ああ」

私はアキトの言葉を飲み込めなかった。
ぼんやりしている頭でも、それは実現不可能だって分かった。
バーチャルルームには制約が多いもん。

「嘘でしょ!?
 た、確かにあれ使えば仮想現実を作れるけど、
 あくまで二人っきりの空間で、ほかの人があんなにリアルに出てくるってことは、
 なかったと思うんだけど…」

「だから言ったろ、バーチャルルームの『技術によって造られた』んだよ。
 ちょっとした応用だってさ。
 さっき、メグミちゃんとジュンとミナトさんとルリちゃんとお義父さん、
 それに北辰さんまで居ただろ?
 全員、このバーチャル空間に来てもらって、再現に付き合ってもらったんだ」


「ええええ!?」



「正確に言えばルリちゃんはユリちゃんが演じたんだけどね」

た、確かにそれは参加可能人数を増やせるならできそうだけど…。
まさかバーチャルルームの応用でこんなにできちゃうなんて思わなかった…。

「普通のバーチャルルームだとシチュエーション設定をして、
 脳内の記憶からある程度のストーリーを再構成する形で完成させるけど…。
 今回の場合は強制的に演劇する形にして、
 さらにユリカだけは脳波の調整である程度思考力を落としてあったんだ。
 だからここまで中々気づけなかったんだよ」

「で、でもこんなアダルトすぎる設定できないし、
 ここまで匂いも感触も再現できなかったと思うけど…」

「うん、だから協力者がまだいるんだ」

「え、もしかして…」

「ああ。
 テンカワとユリカ義姉さんに、丸一日脳波計をつけてもらって、
 脳波と電気信号を徹底的に解析して、
 それを制御して同じように五感として感じるように仕組んだんだって。
 これがすごい時間かかったんだってさ」

「…ほへー。
 そ、それなら確かにできちゃうだろうけど…」

「…でも市販品だとここまでできない。
 五感を与えるように脳波と電気信号を調整したり、アダルトな部分は倫理的な問題で扱えない。
 新規開発になったから、本当に一か月間かかりっきりで大変だったんだってさ。
 
 特に脳波の調整で一時的にラピスの人格ごと眠らせて、思考力を害なく落とすのが大変だったって。
 俺とユリちゃん、アイちゃんの脳波を研究してようやくなんとかしたんだ。
 …普通は一年くらいかかるけどオモイカネを総動員してシミュレーションして間に合わせたんだってさ」

「すごいね…」

私はぽけっと聞き入るしかなかった。
アキトの言う通り、私は今ぼうっとしててアキトの言葉を聞き入れることしかできない。
これだけでも相当悪夢を軽減できそうなものだけど…。
もう一押しのためにここまでしたのかなぁ。


「…でも結局、これって夢じゃない。
 嘘の世界でしょ…」

「嘘だってなんだっていいだろ?
 精神力じゃあの未来の記憶は塗りつぶせないんだからさ。
 それに、嘘とは言い切れないだろ。
 
 これはこの世界のユリカが感じた経験と感覚で、
 お前が感じるはずだった記憶そのものだったんだ。
 
 …だから本物としか思えなかったし、幸せだったろ?」

「う…」

私はぼんやりした頭で、心の底から救われている自分に気付いてうろたえていた。
本当はユリカとして過ごしたかった未来を体験して、死ぬほど幸せだった…。
アキトに初めて抱かれる瞬間を味わって「こっちが現実だったら」じゃなくて、
都合よく自分の頭のなかで「こっちが現実だった」って思いこもうとしてる。

それほどまでに、このバーチャル空間の出来事は私に衝撃を与えていた。

「…今日はみんなに協力してもらったけど、
 もうある程度シミュレーションができるようになったから、
 このシステムを使えば毎日だってこうしてもいいんだぞ?」

「ええっ!?」

ま、毎日こんなことしていいの!?
で、でもそんなことしたら…。

「…ゆ、ユリちゃんに悪いよぅ…。
 それにラピスちゃんだって、ずっと眠らされてるわけには…」

「ユリちゃんは起きてる間にちゃんと付き合う。
 ラピスにも別口で埋め合わせはする。
 それでいいだろ?
 
 …確かにこのシステムは脳が疲れるから毎日だと負担は大きいみたいだけどな。
 今日の様子を見て、頻度は調整するべきだってアイちゃんは言ってた。
 それに夢を見られる時間も一日あたり三時間が限界で、
 でも反面、脳がすごく疲れるってことは、悪夢も見づらくなるらしい。
 かなりよく眠れるはずだってさ」

私は言葉が出なかった。
こんなに幸せな夢を意図的に見ることが出来る。
今までの悪夢の分まで覆せそうなくらい、
心をとろとろに蕩かされてしまう、最高で幸せな夢を…もしかしたら毎日見れるかもしれない。
しかも実感のある、『ユリカで居ていい』夢。
これからの一生、私はラピスちゃんで居ないといけないって思ってたのに…。

こんなの……嘘だって、現実じゃないって分かってても、受け入れるしかない…。
抵抗できないよ…こんなの…。

「う…ううっ…。
 でも…私ラピスちゃんじゃなきゃいけないのに…。
 この夢の世界でユリカとして過ごしたら、
 ラピスちゃんとして生きる決心が鈍っちゃうよぅ…」

「そんなこと、些細なことだろ。
 …俺はテンカワアキトだったころの力を便利に使ってる。
 ユリちゃんも、アイちゃんもそうだ。
 お前はラピスの人生も、ユリカの人生もどっちもあっていいんだ。
 
 …だからお義父さんも協力してくれたんだ」

…そう、分かってる。
みんなが、すごい協力して私を救おうとしてくれてる。
こんな幸せなことを手放す選択なんてできない。

「…どうする、ユリカ?
 次はハネムーンに向かうシャトルに乗ろうか?
 火星に向かう三ヶ月の長旅を…毎日…」

「……シャトルの個室でずぅっとこんなことするの?
 アキトのエッチ」

「ば、バカ。
 …バーチャルルームの延長線上にあるんだからそれ以外だってあるだろ。
 お前のほうがそんなこと考えて…ざ…ざ…」

「あ…もしかして、もう時間切れなの…?」

「…ああ、そろそろまたノンレム睡眠に戻るんだろう。
 そうしたら夢も見れなくなる…」

「アキト…」

「…おやすみ、かな」

アキトは少し寂しそうに…私を見つめてくれた。
少しずつ色を失う、バーチャルの夢の世界…。
これで今日はおしまい…。


…ううん!
まだ言わなきゃいけないことがある!



「アキト!

 私…夢でもなんでも最高に幸せだった!
 
 ホントはもっとアキトとエッチしたい!
 
 で、できれば毎日したい!
 
 でもユリちゃんとラピスちゃんのこともあるし、毎日は我慢するから!

 で、でも!それでも!
 
 夢の中だけでは、ユリちゃんにもラピスちゃんにも絶対渡さないんだから!」



「…ああ。
 ユリカ…。
 遅くなってごめんな…」

私はボロボロ泣きながら、アキトを強く抱きしめた。

アキトは自分の臆病さのために、私が死んでも死にきれない後悔をしたことを謝るように。
でも、私がユリちゃんと同じ、アキトの最愛の人だと一生懸命し伝えるように。
唇を何度も重ねてくれて…。

ついに、視界が真っ暗になって…。
お互いの感触と声しか感じられなくなり始めた。

「…おやすみ、ユリカ」

「おやすみアキト…。


 アキト、大好き。


 私はアキトがだーいすきっ!」


「俺も大好きだよ、ユリカ…」



私はアキトに一生懸命抱き着いた。
アキトもそれに応えてくれて…夢が消えるまでの間、
私達は強く抱き合ってお互いのぬくもりを感じ合った。
それが本物であれ偽物であれ、どうだってよかった。
だって本物のアキトが、私を抱きしめてくれようとしてくれた…。
この事実だけは、間違いないんだもん!


──そうして、私達の夢はひとまず終わった。























〇地球・神奈川県・アトモ社周辺ホテル・アキトとユリカの部屋──テンカワ

「…うう」

「…二人ともうまくやってるかなぁ」

俺たちはちょっと落ち込んでるって言うか、悩んでいるって言うか…とにかく微妙にもじもじしていた。
多分、うまくいってるんだろうけど…。

「…全部終わってから聞かされたのはちょっと堪えたよ…」

「まさか…全部、モニタリングされてたなんて…。
 うう、もうアキト以外のところにお嫁にいけない…」

「…そりゃ別に問題ないだろ」

俺達が悶えている理由は、アキト君とラピスちゃんのためのバーチャルシステムの協力についてだった。
バーチャルシステムを導入するにあたって、私達はちょっとしたアクセサリーみたいな、
頭に着ける簡単な輪っかを渡されて、一日普段通り過ごしてほしいと言われていた。
そして俺達はアクセサリーくらいにしか考えてなくて、
つけたのを忘れたまま、普通にデートして、それで最後まで…。

……で、その時、脳波とか電気信号のデータを取られてた。
ってところまではまだ許せたんだけど…。

「まさか…映像まで撮られてたなんて…」

「うう、恥ずかしいよぅ…」

…ユリカとその…夜に抱き合ってた時の脳波、電気信号のデータも必要だったらしくて、
さらにどういう状況だったかのモニタリングが必要だったとかで、
俺たちの行く先々に高性能の隠しカメラまで仕込まれてて…その…。


丸見えだったらしい。



俺はホシノに比べると殺気はともかく、こういう装置の探し方を知らない。
…しかもそれは出来る限り見れる人間を限られるようにはしてくれたが、
結局、データを解析するアイちゃんとオモイカネには見られているということで…。

で、それを今日知らされたんだよな…。

一応、口止め料、というか慰謝料をかなり振り込まれたんだけど…。
開店資金が完全に溜まったけど、すごく大事なものを失った気分だ…。

ううっ…アイちゃん…君は未来で穢れてしまったのかい…。














〇地球・神奈川県・アトモ社・特別施設・???──ラピス(ユリカ)
私はラピスちゃんに悪夢を持ってもらったころより、さらにずうっと深い眠りについた。
アキトの言った通り、もう脳が疲れて中々目覚められなくなってたみたい。

10時間もぐっすり眠ってたみたいで、生まれ変わったみたいにすっきり目覚めて…。
起きたらすぐにアイちゃんに呼ばれて、問診と診察を受けた。
アキトは通常のバーチャルルームと同じ程度の負荷なんだけど…。
私はラピスちゃんの人格を強制的に眠らせてしまっているのと、意識レベルの調整もあるからって。
脳波のモニタリングはずっとしてくれてたそうで、元々疲労困憊のアイちゃんは、さらに完徹。
だからこの診察が終わったらすぐに寝ないといけないんだって。
…すごい苦労かけちゃったね。

「はい、おしまい…。
 とりあえず毎日やっても大丈夫…。
 システムはちょっと大きいけど、なんとか持って帰れるようにしてあるから…。
 
 ふぁぁ~~~~~やっと終わったわぁ…」

「…でも私、こんなことしていいのかなぁ。
 ラピスちゃんに影響はなさそうだったけど、
 結局すごい早い段階で浮気してるようなものでしょ…?」

「…めんどくさいこというんじゃないわよ、ユリカさん。
 夢の中くらい、年相応に幸せでいいのよ。
 リハビリには最高の環境なんだから。
 それに精神的な傷は完全に完治しづらいんだから、これくらいはいいのよ」

「でも…」

バーチャルシステムの夢の世界で世界一幸せな気持ちになれたけど…。
でも現実に戻って、冷静になって考えてみるとこんなことをしてていいのか不安になった。
だって、やり方はどうあれ12歳のラピスちゃんになった私がアキトに、
す、すごいこといっぱいされちゃってるって事実は変わんないわけで…。


「ああ~~~~!
 
 めんどくさいわね!!」


むぎゅっ。


「ほえっ!?」



私は両頬をアイちゃんに捕まれて痛くて声が出てしまった。
な、なにするの!?


「ここまでやっても気にされちゃ困るのよ!
 
 全員、あんたとアキト君のハッピーエンドをみたいからここまでしてんのに!
 
 ぶつくさ言って全否定するつもり!?」


「いひゃい!?いひゃいよー!?」



アイちゃんは私の両頬をつまんだまま上下左右に乱暴に引っ張りまわした。
子供っぽいその攻撃に、私は悶絶しながら抗議しても放してもらえなかった。


「そ・れ・に!
 
 私はあんたに、アキト君とのことを二度も三度も譲ってるのよ!?

 火星の遺跡争奪戦の時もそうだけど!
 
 しかも今回は条件的にそんなにあんたと私は違わないのに!
 
 同じくボソンジャンプで飛ばされて、すっごーーーい苦労してるのに!!
 
 挙句に大やけどして死ぬような目にもあってるのに!!
 
 私は浮気一回だって約束してもらえないんだから!!
 
 ぜーたく言ってんじゃないわよっ!
 
 いい加減ムカつくのよ、あんたは!!」


「うええええ~~~~ん!
 
 ごめんなさい~~~~~っ!」



私は真面目に泣いちゃった…。
うう…調子がよくなってきたらアイちゃん…ううん、イネスさんが容赦ない…。

「何虐めてるのよ、アイ」

「はぁ、はぁ…。
 こんなに苦労してるのにお礼より先に弱音聞かされたら、
 私だってキレるわよ…」

エリナさんが途中で入ってきたら、ようやくアイちゃんは私の頬を放してくれた。
た、助かった…。

「…ついでだから私もやるわ」


「え!?」


ぎゅぅぅぅっ!



その直後…私はエリナさんにまた両頬をつかまれて乱暴に引っ張られてしまった。
しかも大人の腕力でかなり強く。ほ、本気だよ、これ!?


「ひゃーーー!?
 
 いひゃーーーーいっ!」


「あんたラピスの体でなにしてんのよ!?

 せっかく助かった前途ある少女まで巻き込んでんじゃないわ!!
 
 っていうか私に相談してくれてもいいんじゃないの?!
 
 本当にあんた達夫婦は、私達にどこまで面倒かけてんのよ!?
 
 アキト君の因子のせいだって原因が分かっても腹が立つわよ!!
 
 ひとりで抱え込んでひとりで決めるんだから!!
 
 どうしてちっとは自分が幸せでいいって思えないのかしら!?」


「わ"ぁ"ーーーーーーーっ"!!

 ごべん"な"ざーーーーーーーーい"っ"!」



……私はアキトとユリちゃん、ラピスちゃん、そしてお父様に怒られなかった分だけ、
二人にすんごい怒られてしまって大号泣させられちゃった…。
うう、二人ともアキトのことですっごい溜まってたんだ…。
っていうか、二人とも本来アキトに怒る分を私にもぶつけてるよね…。
二人とも優しいから言い出せなかったんだろうね…。


・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。


「…エリナとイネス、ひどいよ。
 私を巻き込んでるの忘れて」

「「ご、ごめんなさい…」」

「ユリカも、ちゃんとお礼を言ってよ。
 …それと私にもあのバーチャルシステム使わせてよね。
 また私だけ眠らされて踏み台じゃ割に合わないよ。
 
 …。
 う、うん…それは大丈夫…。
 イネスさん、エリナさん、ありがとございました…」

私がようやく泣き止んだ頃、ラピスちゃんが顔を出してくれた。
ラピスちゃんはアキトとの夢での逢引き中に思いっきり蚊帳の外だったのを怒ってるのか、
権利の主張をしっかりしてて…。
うう、なんか私だけどんどん情けないよぅ。

「分かればいいのよ。
 好意に甘えないってことは、相手の気持ちを踏みにじるってことなんだから」

「それにユリカさんの場合、無くなった罪がどうこうっていうより、
 自分が一番問題だって分かってるのに治療渋ってどうすんのよ。
 …まあアキト君もそうだったけど、あの時は治療が難しかったから…」

「ま、その時に考えた策がこうして使えたわけだし、
 私も一安心だわ…ふぁぁ~~~~~…。
 …もう何ヶ月過密スケジュールだったか分かんなくなってきたわ…。
 一ヶ月くらい休養貰おうかしら…」

「ご苦労様。
 フレサンジュ博士たちもホテルから迎えに来てくれてるわよ。
 
 ユリカさんも、アキト君とユリと帰りなさい。
 二人とももうすぐここに来てくれるから。
 
 …夢でも現実でも、もう放したらダメなんだからね?」

エリナさんが私達を…子供になってしまった私達を気遣ってくれた。
……このまま、頷いて出ていっていいのかな。
ダメ!
私、また甘ったれてるだけになっちゃうもん!
アキトの分まで謝っておかないといけない!

「エリナさん、アキトのためにいっぱいひどい目に遭わせて…。
 ラピスちゃんとしてずっとそばにいたのに、謝れなくて…ごめんなさい…」

「…あなたに謝られる筋合いはないわよ。
 私が、私の意思で助けたかったから助けただけなのよ。
 それに、私が横恋慕したことを怒るの忘れてるわよ?」

「…ううん、アキトを救ってくれてありがと。
 エリナさんが身を挺して助けてくれなかったら、きっとアキトは…」

「いいの、ユリカさん。
 一生懸命、自分の恋を、どんな形でも成就させたかった。
 私のしでかしたボソンジャンプの実験で、アキト君の人生を狂わせた罪悪感もあったけどね。
 
 でも、この世界で気づいたの。
 私にふさわしいのはアキト君よりナガレ君だった。
 妥協じゃなく、ね。
 ラピスのお母さんになれなかったのは残念だけど…。
 …結果的にはその方がずっと良かったみたいだし、ね」

「でも私はエリナのことまだお姉さんくらいに思うくらい好きだよ。
 ユリカとも仲良くしてよ?」

「当たり前じゃない、バカね」

……ラピスちゃんも、エリナさんも私のこと、全然気にしてない。
やっぱり私ばっかり変に気を遣おうとしてるのかなぁ…。

「イネスさんも…本当にありがとね…」

「うん、よろしい。
 でもこれで終わりじゃないわ。
 システムは完成したけど、心身ともに完全に健康になるまでは面倒みるわよ。
 とはいえ、私もちょっと休まないと持たないからまた一週間くらい様子を見るわ」

「はーい!」

「それと、ユリカさん。
 これだけは覚えておいてね。
 
 感情の動きなんて、科学的にはたかが電気信号の働きにすぎないの。
 人を愛する気持ちだって種を残す本能かもしれない。
 誰かを害する気持ちだって防衛本能かもしれない。
 悲しむ事だって自分の命を危険から遠ざけるための本能かもしれない。

 全ての感情は、動物としての人間の本能がそう感じさせてるだけなのかもしれない。
 
 …突き詰めていくと、人間はそこまで理性的になれる動物じゃないってこと。
 人間はそこまでの人生経験の反射でしか生きてないのかもしれない。
 
 でも、それでいいのよ。
 愚かかもしれないけど、それくらいのことなの。
 
 人間は一時の感情で人生を投げだせてしまうくらい、
 素晴らしい感動を味わえる脳髄を持っているの。
 
 ……この脳髄を捨てたら、それこそ人間じゃなくなっちゃうのよ?」

「あ…」

イネスさんの言葉の意味が分かった。
…正義がどうとか、罪がどうとか、資格がどうとか…。
そんなのは人間が自分を、他人を、縛るための言葉でしかない。
自分を納得させるための理屈、他人を屈服させるための理屈。

アキトは草壁さんたちを断罪する「復讐」という言葉を求めた。
情が誰よりも深いアキトだったから求めずにいられなかった言葉だった。
アキトは自分が草壁さんたちと同じ、最低になっても私を助けたいと思った。
でも…それはアキトにも返ってきた。

そして──その後、何回も繰り返された世界の中で、
アキトが何をしても、何もかもがうまくいかなかった理由が分かった。

アキトは人殺しになった自分を許せなかった。
そして私達のところに戻ってこないことによって、感情を向ける先を失ってしまった。
残党を狩ろうと、何をしようと…私を取り戻そうとした頃のような感情の昂ぶりはない。
かといって、私達のところに戻ってきてくれない。
何故、戻ってきてくれなかったのか…。

アキトは草壁さんたちと同じ最低になった自分へ「復讐」の牙を向けたんだ。
自分に対して感情をぶつけていたの。
だから…ルリちゃんとも、誰とも話がかみ合わなかった…。
周囲が止めようとすればするほど、まともになってほしいと願えば願うほど。
自分への復讐の邪魔をしているように見えたかもしれない。
だから私達ですら殺すアキトが、16216回の歴史の中に生まれたんだ…。

私も、そうなりかかってた…。
アキトが復讐鬼に成り果てる原因は私にあったと思ってたから。
『黒い皇子』のアキトの因子が、私にそう思わせていたから。

私は、私自身に復讐しようとしていたんだ…。

……そんな馬鹿げたことをして、アキトの手を取るのを躊躇ってたなんて。
私もアキトも、バカすぎるよぅ…。

「…ユリカ?
 だ、大丈夫か?」

「あっ…うん…」

「ご、ごめんなさいユリカさん。
 ちょっと言い過ぎたかしら…」

私はぼうっとして固まっていたみたいで、
アキトとユリちゃんが迎えに来てくれたことにようやく気付いた。
…でも、もう迷わなくてよくなった。

あの時、ユリちゃんの手を取れたように。
アキトの気持ちに、答えられた昨日の夜のように。

私は…素直にみんなと居ればいいんだ…。
そう、だって…!


「イネスさん、助けてくれてありがと!
 
 大丈夫だよ、アキトとユリちゃん!
 

 

 私は二人が大好きだもん!」



「そ、そう?
 大丈夫ならいいんだけど…」

「…本当に大丈夫ですか、ユリカさん」

「うん、きっと大丈夫!
 悪夢はみんながやっつけてくれたもん!
 
 …私もよく眠れてたから大丈夫だと思うよ?
 ユリカの方はちょっとハイになってるだけだろうけど」
 
う、ラピスちゃん辛辣。

……とりあえず、丸く収まった、かな。
結局、浮気で何とかしようとしてる事は変わりないし…。
…過去のことは完全には塗りつぶせないかもしれないけど…。
でもいっぱい幸せだから、良いの…。

もう、私達に後悔は何もない。
確かに過去は覆せないけど、無理矢理に過去を改ざんしてまでも、みんなが助けてくれた。

そう。
私の脳内のユリカの記憶部分が取り除かれてたから、バックアップはあくまで部分的で…。
詳しい記憶は遺跡ユリカに無理矢理コピーされただけ。
人格も、それに引っ張られる形でよみがえった。

…今考えると、あのタイミングで、遺跡ユリカが書き込んだんだ。
私とラピスちゃんの脳髄に…。
だから、もしかすると…無理矢理上書きすることもできるのかもしれない。
…だったら、大丈夫!


「やっぱりアキトは私とユリちゃんとラピスちゃんの王子様だね!」



「「バカ」」

いつも通りとばかりに二人はジト目で、でも照れくさそうに私に短く言い返した。
…うう、今考えると夢の中でもそうだったけど因子のせいか二人とも息ぴったりだよぅ…。



















〇木星・都市・プラント制御室──遺跡ユリカ
私達は、膠着状態を作って連合軍の動きを止めた。
この調子だったら私達の目的は達成されると思う。
私達の『時間稼ぎ』は、因果律を覆すために必須のことだった。
…本当は一言アキト達に伝えたら果たせることなんだけど、
そのずらし方をしちゃうと、それこそ因果律が狂いかねないから。

「それで、アキト達はラピスちゃんを立ち直らせるために、
 ヤマサキさんと同じ手段を使ったみたいだよ?」

「へぇ…。
 これも因果律のせいかな。
 まあ、僕たちが用意したイメージじゃなくて、
 本人たちが演じてるっていうところはだいぶ違うけど」

一週前の世界で山崎さんは…ユリカの脳髄をクローンの脳髄と組み合わせて、
イメージの通りやすい『ボソンジャンプ翻訳機』に仕上げた。
でも、それ以前の世界では別にそこまでしないでも普通にユリカ本人を組み入れるだけで大丈夫だった。
ユリカに都合のいい夢を、イメージとして見せてボソンジャンプの行き先を決めさせる手法。
それと同じ方法を使って、精神のリハビリをするなんて考えたよね。

ブラックサレナをヤドカリにのっとらせた時、
間違いなくラピスちゃんが仕掛けてくると思って、特製のヤドカリを送りこんだんだよね。
そこで、無理矢理ユリカの記憶のコピーを流し込んであげた。
だから寝込むくらいダウンしたの。

…もしかしたらラピスちゃんには気づかれたかもね。
私がヤマサキさんに協力しちゃってる事。

でも、ラピスちゃんは取り立てて誰かに言わないと思う。
何しろ、知ったところで別になんの意味もない情報だもんね。
それに抵抗する必要も、何もない。

この戦術自体が、アキト達を、そして地球と木連を救うための作戦。
実際にこの世界のユリカは、見事に調子を合わせてくれたし。
だから積極的に私達の正体を暴いたりはできない。

何より、確信が持てる状態であっても証拠はない。
だから都合が悪くなる可能性を見出さない限りは積極的に手を出さないはず。
テツヤさんに対する態度で、それがよく分かったし。

万事、私達の作戦はうまくいっている。
これで五年後に私達の場所に彼らがたどり着く、という結果をなぞる…。
そしてわずかに違う経過をたどり続けることで、決定的な結末が変わる。
因果律が、完全にストップする瞬間を迎えることができるんだ。

「まあ、僕は答えを聞いちゃってるわけだからいいけど…。
 彼らも大概人がいいよね、僕を信じてくれてるし、
 君がユリカ君のコピーとは言え、納得して出ていくんだから」

「そこがアキト達のいいところなんだよ!
 自分勝手に人を巻き込むなら阻止しにくるけど、相手が死ぬの嫌うし。
 『黒い皇子』じゃなければ、話し合う余地は十分あるから!」

「いや、戦争についてまでも拍を合わせてくれるとは思わないじゃないか…。
 僕のことを良く信じられるなって思うよ」

「それはヤマサキさんだってそうでしょ。
 私は意図的に歴史を、戦争を捻じ曲げようとしているのに。
 私を信じて命賭けてくれてるじゃない」

「それはそうだけど。
 僕は僕の信じる正義に従って戦争を始めたのさ」

「木連のため、お国のため、許嫁の夏樹さんのため?」

「君の夢のためにもね」

ふふ、ヤマサキさんったら言うじゃない。

「…戦争の始まりなんて、大概ロクでもない。
 君が教えてくれた通りだと思う。
 でもそこで戦う人は、本当に語られた正義を信じて戦っていた。
 大事なものを守るための戦いに…」

「悲しいことに、みんな置かれた状況と、ばらまかれた言葉を信じるしかないもんね。
 そうしないと、全部無くすから」

「正義の反対は悪じゃなく、別の正義。
 でも、その正義の先にあるのが本当に正義とは限らない。
 っていうよりは、大概利益の取り合いっていうのが悲しいもんね」

「僕たちはそれをよく知っている。
 特に遺跡ユリカ君は、誰よりもね」

「私はいうなればボソンジャンプの女神様だもん!
 えっへん!」

「…まあ、僕は女神様に従う使徒ってところだろうけどさ。
 僕らや、ホシノアキト君たちのように利益に依存しない者が戦争に介入するの、
 この戦争の仕掛け人からすると悪夢みたいなもんだよねぇ…」

「私達はテロリストみたいなものだもんね。
 一応戦争という形はとってるけど」

「ま、結局打倒されるのもテロリストの悲しいところさ。
 アキト君がそうならないようにするための人身御供とは分かっちゃいるけどね」

「…巻き込んでごめんなさい、ヤマサキさん」

「今更気にしないでよ。
 僕だって、あと五年しか寿命がないっていうのはちょっと辛いけどさ。
 それなりに楽しんでいこうと思うよ。
 これからは今までよりずっとのんびりやっていけるんだから」

「うん。
 退屈しないように、健康に過ごせるように気を付けてあげるからね。
 必要なものがあったらまた盗んできちゃうから遠慮なく言ってね♪」

「……ホシノアキトに続いて君が怪盗になる必要はないだろ?」

「えへへー今度は予告状も出しちゃおうかなー♪」

「…そら外部犯って教えるって意味じゃ親切かもしれないけど」

私達はとぼけながらも、またワインを飲んだ。
少しずつ、少しずつ歴史が変わっていく。
そのたびに、私達は乾杯を重ねた。

……地球をあとどれくらい抑え込めるか分からない。
今はユリカの方針に従っているけど、どこまで持つか…。
あちらが戦力を増強したら、こちらも順次パワーアップをしていかないといけないけど…。

難しいのが『ヤマサキさんらしい』戦術をとり続ける必要があるってこと。

私が手を貸せば、木星の通常戦力でもアキト達に勝てちゃうかもしれないんだ。
だから過剰にこちらが攻めてしまってはいけないし、出来るだけ人が死なないようにしたいし。
ここまでは木連の攻撃計画書に従ってきたけど、ここからは素人戦術をとって行かないといけない。
しかも、それで地球からの脱出を五年押さえないといけない。
…無理難題だよね。

「おっと…チューリップを攻めようとしてるところがあるね。
 作戦開始だ。
 負け戦だけどね」

そう。
これはすべて『負け戦』。
だから相手を死なせる必要はないし、勝つ必要もない。
極めて不毛な、良い負けっぷりを演じて自分たちの勝利をつかむ。
それでようやく私達の目的は果たされるんだもん。

「ヤマサキさん、鳥獣機の対策をあっちも取ってきてるよ。
 新型機が出てる」

「あれはアルストロメリア…!
 早くも登場かい!」

私とヤマサキさんは、十分に相手を消耗させてから負ける。
でも、この場に居る艦隊の戦力が多いなら、
こっちも損耗を抑えたいから逆にチューリップをを破壊してもらう。
数に限りがあるから焦るけどね…!

「あっちも戦力が整って来たら、また徹夜仕事になりそうだね」

「頑張ってね、ヤマサキさん」

私たちは──おおよそ協力者というよりは夫婦のように支え合っていた。
目の前にある、自分のするべきことも。
心も。
将来の夢も。
共有して、支え合っていた。

ああ…。
私が普通の人間だったら、離さないのに。

でもそんなことはありえない。
私が悠久の時を過ごしていなければ、出会えなかった。

かといってヤマサキさんを遺跡に取り込んでしまったら、ヤマサキさんは狂ってしまう…。

私は全員の業を背負って、この世界を見届けないといけない。
それが、私に与えられた…。



世界を狂わせ、世界を何度も繰り返しリセットさせた私への、罰…!




















〇作者あとがき
どうもこんばんわ、武説草です。
前回に引き続き、ナデD版b3y編です。
疑似的にb3yの部分を再現したりしましたが、これが最適解かなと。
ヤマサキたちの話に出た通り、これはヤマサキがユリカを操ろうとした方法をとって、
ユリカが望んでいた未来で心を癒していく、というシチュエーションになります。
もうちょっと別な方法を考えてましたがどれも最低すぎたのでやめました(なにがあったんだ

そしてそのほかでは、新生PMCマルス。
連載当初からPMCマルスのパイロットは黄金聖闘士をイメージして作ってましたが、
メインの四人以外はあまり出番がなくて生きなかった(ホウメイガールズと同じ現象
26話のライザ・レポートの中で何気に「匙足弓子」って名前のキャラがいてその片鱗が見られます。
これ以上キャラが出てきてもちょっと扱いきれないので、まあ詳しくは書きません(ひどい

そしてクリムゾンも再起をかけようとしてるし、ヤマサキ達も動いてます。
偶然アキト達と接触してしまうテツヤ…。
彼ももう、色々ボロボロだったんで舌戦仕掛けるのが精一杯で、しかもボロ負け。
しかしアキトは再び目をつけられてしまってましたねー。
どうなるやら。

アイちゃんがアキト二人をはべらす「なぜなにナデシコ」は、
火星の帰りにやろうと思ったんですが、ちょっと忘れてたのでここで回収。
まあタイミング的にはこっちの方が好ましいかなとも。

とりあえずラピス(&ユリカ)は完全に立ち直ってくれたようで、このあたりはもうグダりません(ホントか?

次回あたりでこの章は終わり、新章突入、ここまでの話をいったんまとめる予定です。
長くなったなぁ…。
『火星航路&黒百合編』が終了して『遺跡との決着編』がはじまりはじまり。
決着の日は、近い!…のか?

ってなわけで次回へ~~~~~~~~!!



















〇代理人様への返信
>一難去ってまた一難ぶっちゃけありえない~
これは今回語らせたように、ヤマサキと遺跡ユリカの戦争期間の調整のためにやらせてます。
実はアキト達の悲劇を防ぐには、『たった一日だけでも、結婚日をずらす』だけで済む。
しかし、それを変えるのはアキトが変わるよりも運命的に困難だと。
それを直接助言してしまえば済むことでもあったのですが、運命に、因果律に勝たなければ意味がない。
彼らはあくまで、自分の手でアキトも人類も前に進ませるつもりのようです。





>ユリカのアレについては戦力揃えられれば苦労はねえってもんなんですが、まあできるんだろうな・・・w
これについても今回のお話で明言された通り、遺跡ユリカの戦略をユリカが読み取ったとおりです。
今回、『ヤマタノコクリュウオウ』の件で、確信に至りました。

理由は分からないが、チューリップは基本的にはすべて休眠させ、
チューリップを一個ずつ総力戦でつぶすように仕組んでいると。
時間稼ぎが理由にしても、積極的に人類を死滅させるつもりも勝つつもりもないのが分かっている。
となれば、その通りに過ごしても問題がないと。








>というかディストーションフィールド付き屋台って客はどうすんだ客はw
b3yをプレイした時、私も全く同じ感想を抱きましたw
まあ普段からフィールドを張るわけじゃなくて、風雨があった時に展開するってことでしょうが、
威力によっちゃ客を害する上にそもそも入れないっていうのが問題になりそうですねw














~次回予告~
やあ今作の敵役、ヤマサキだよ?
おや、僕が出てくるのは意外かな?
元々僕は憎まれ役だからね~え?そういう問題じゃないって?

まあまあ、気分転換にいいじゃないか。

それじゃ、次回予告行ってみよう。
次回は、結局アキト君はどういう生活を選んだのかって話をするのさ。
彼もラピス君の事が落ち着いたんで将来設計するつもりが出たんだろうねぇ。

敵はまだまだ居るっていうのにずいぶんのんきなことだよ、ほんと。


文章で見るとたまにアカツキかヤマサキか一瞬迷う時がある作者が贈る、
継ぎ足し継ぎ足し秘伝のタレ系ナデシコ二次創作、



















『機動戦艦ナデシコD』
第七十九話:『drop out-引退する-その3』












をみんなで見てよねぇ。
































感想代理人プロフィール

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代理人の感想
黄金聖闘士ばろすwww
いやまちがってはいないがw

テツヤそっちいったかー。
まあそっちのほうが「らしい」キャラではあるわな。





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