「おはようございまぁす」
 と元気にカナタ。
 キッチンにはアイの姿があった。ダイニングテーブルに頬杖をついて、厳しい表情で天井をにらんでいる。
 朝はいつだってこんな感じなのだ。本人によると、とんでもない低血圧らしい。
 キッチンから間続きのリビングでは、TVが朝のニュースをバラエティ風味で流している。どうでもいいような“御宅拝見”だ。
「……うん」
 ぶすっとした声がアイから戻った。これだっていつものこと、だからカナタはそれ以上の返事を期待していなかった。
 キッチンでケトルに水を張ってコンロへ。冷蔵庫から食パンと野菜類を取り出して、簡単な朝のメニュー作りに取り掛かる。
「アイさん、コーヒーでいい?」
 ケトルでお湯が沸くころに、ようやく「……ちょうだい」と返事。
 彼女の朝の神経伝達速度は恐竜並みかもしれない。自然界なら、間違いなく絶滅認定種だろう。
 インスタントのコーヒーをアイの前に。カナタ自身は紅茶派なので、時間をかけてゆっくりと淹れる。トーストを焼いて、一口かぶりついた頃、ようやくアイの瞳に意思の光が宿った。
「あうぅ――おはよぉ、カナタ。コーヒーもう一杯ちょーだい。あとトーストに目玉焼き」
 だらけた声で伝えられる要望にハイハイと応えながら、カナタはフライパンに油をなじませる。片手で卵を二つ落とすと、油の跳ねる景気のいい音が、朝の空気にいろどりを添えた。
「あんた今日、誕生日だっけ」
 アイは、テーブルにぐったりと突っ伏していた。美しい金髪が、波打ちながら広がっている。
「もう五歳なのか。本当に早かったわね。あっという間に大きくなっちゃってさ」
「家事はおかげで完璧だよ。だってアイさんって一人だとなんにもしないんだもん。五歳でここまでできる子供って、我ながら、ちょっとすごいと思う」
 ほどよく焼いた目玉焼きをトーストに乗せ、皿をアイに渡す。アイはそんなカナタの黒髪に指をからませた。
「そのぶん、生意気よね。このクソガキ」
「だって、アイさんに育てられたんだから。子は親を見て育つんです」
 口の達者ぶりはまさに親子だった。
 アイは輝くような見事な金髪と澄んだブルーアイをそなえた典型的な美人。いっぽうカナタは雛人形のような黒髪と、色素の薄い琥珀色に輝く瞳を持つ少女だった。
 外見だけを見ると血がつながっているとは思えない。しかしその精神的な骨格がほぼ同一のものであることは、この親子に接したことのある人間なら誰もが認めるところだろう。
「何か欲しいものは? あんまり無茶いわなければ、買ってあげてもいいわよ」
 カナタはトーストにかぶりつきながら首をひねる。
「うーん、そうだなぁ。コーヒーメーカーかな。アイさん、どうせなら美味しいコーヒーが飲みたいよね」
「あんた、ホント可愛気のない……。それはわたしの欲しいものでしょうが。ガキが気を使うのはやめなさい、気持ち悪いわよ」
 別に気を使ったわけではない。コーヒーメーカーと、それに付随してくるだろうアイの喜ぶ顔。それが欲しいと思っただけだ。
 アイは、カナタの髪にからませていた指を軽く引っ張った。
「まあ、今日一日ゆっくり考えていいわよ。それにしてもこれって、もう結べるんじゃないの?」
「かも。似合うかな」
「あんた、お人形さんみたいだからね。ミライくんと並んでると、雛人形そのもの」
 言いながらカナタの髪をいじりたおす。
「……もう少し伸びたら三つ編みとかいろいろ遊べるんだけどねえ。中途半端な長さだからちょっと限定されちゃうな。少し待ってなさい」
 アイが席を立った。自分の部屋に姿を消し、戻ってきたその手には四つの赤い玉が乗せられている。
 トンと、それをテーブルに置いた。
「昔の知り合いが使っていた髪留めよ。後ろ向いて」
 手早くカナタの髪に指を通す。二箇所に、ちょこんと短い尻尾を作り髪留めで結わえた。
 赤い玉同士がぶつかり合う、カチンという音。出来栄えを確かめるために、アイは数歩後ろに下がっていく。
「ツインテール……っていうより、ツインチョンマゲね。よけいに子供っぽいか」
 カナタは椅子から飛び降りて、パタパタと洗面所に走った。背伸びをして、鏡で自分の姿を確かめる。そこにいたのは、頭の両側を竹箒のように結わえた、元気のよさそうな少女だ。
 髪を下ろしていたときとは異なる活動的な印象は、いたくカナタの気に入った。
「アイさん! あたし、これ好き!」
 走ってキッチンに戻る。アイは微笑を返した。
「そう? まあ、可愛いといえば可愛いかもね。その髪留めを使っていた娘は、もっとおとなしい印象だったけど、同じ髪型と同じ瞳の色で、こうも違うとは驚いたわ」
「その人もマシンチャイルドだったんだ」
 琥珀色の瞳はIFS強化体質――マシンチャイルドが有する特徴のひとつだった。
「そうよ。その髪留めは、ナノマシンの暴走を抑えるためのセーフティユニットだったんだけどね。まあ、一度も役に立ったことのない欠陥品だけど」
「もらってもいいの?」
 カナタはアイの――母親の過去を、あまり詳しく教えてもらったことがない。その過去をこうして分けてくれようとするのは、とても珍しいことだった。
「いいわよ。あの娘も、あんたが使ってくれたほうが喜ぶと思うしね。大事にしなさい」
 うん、とカナタ。うれしくて、いつまでも髪をいじっていると、玄関のあたりからカナタを呼ぶ声が聞こえてきた。
「かーなーちゃん!」
「ほら。ミライくんのお出迎え。早く行きなさい」
「うん。あ、お皿は水につけといて。帰ってきてから洗うから。アイさんが洗っちゃダメだからね」
 割っちゃうから、と言外に含ませ、カナタは部屋に走った。空色のデイバッグを引っつかみ、最後に鏡の中の自分の姿に満足してから玄関にむかう。
「うにゅ! カナちゃんにツノ生えてる!」
 ミライの第一声はそれだった。
「ツインテールでしょ! ぶつよ!?」
「だって、立ってるよ? ピンピンだよ? ツインテールって、もっと馬の尻尾みたいなののことを言うんだよ。それ、ツノだもん。ツインホーンだよ!」
 生意気に言い換えてきた。
 遺伝子レベルで改良を受けて、人並みはずれた知能を持つようなガキはこれだから可愛くない。カナタもその範疇に含まれるわけだが、自分では可愛いと信じている。そのための努力だってしている。
「ふんっ! これだからガキは。大人の魅力ってものがわかっちゃいないんだからさ。あたしはもう五歳だからね。あんたとは違うのよ」
 ミライがうにゅっと泣きそうな顔になる。
 このコロニーでは五歳というのは特別な節目だった。火星への帰還が許される歳なのだ。火星産児育成法で定められた、火星住民権が取得できるようになる日。カナタにとって、それが今日だった。
「……カナちゃん、火星に帰っちゃうの?」
 カナタは言葉に詰まった。
 失言だ。自分に徹底的になつき、それこそ金魚のフン以上にべったりとくっついて成長してきたミライにとって、カナタがいなくなるというのは世界の半分が消えてなくなる以上に大きな事件なのだから。
「……帰っちゃうの?」
 顔の半分もありそうな大きな琥珀色の瞳をウルウルと潤ませながら、ミライはカナタににじり寄ってくる。困った。何を言っても泣かせてしまいそうだ。
「それは、あとで相談しましょう」
 ポンとカナタの頭に手が置かれた。アイだった。いつのまにやらスーツに着替え、戦闘モードで気合の入った化粧までしている。
 完全無比な美女に化けたアイは、腰を落としてミライの目線で語りかけた。
「どうするかはまだ決めていないのよ。なんだったらミライくんが火星住民権を取得できるようになるまで、一年間待ったっていい。学園から帰ったら、カナタと一緒にうちにいらっしゃい。どうするのがいいか、一緒に考えましょう」
「ホント?」
 うにゅうにゅと泣くミライは、アイとカナタの顔を交互に見比べた。仕方がないのでカナタもうなずく。本気で泣かれたらうるさくてかなわない。
「来たければくればいいでしょ。まったくもう、ガキ」
「カナちゃぁん」
 べったりと抱きついてくる。うにゅうにゅと、耳元でうるさい。
「あらあら。仲いいわね、ホント。いっそ、うちの子になる? ミライくんならいいよ」
「なる!」と即答するミライ。笑顔が輝いていた。
「じゃあ、カナタのお婿さんになるのね。結婚はまだ無理だから、婚約が先かな。楽しみだこと」
「楽しくないよ、アイさん。あたしの意志は? こんな泣き虫やだ」
「バカね。ミライくんは将来有望よ。あと十歳若ければ、わたしがもらいたいくらいなのに」
「三十歳若ければ、の間違いだよね」
 思い切りぶたれた。
「早く行きなさい。ミナトさんによろしく」
 ミナトとは、カナタとミライの担任の先生の名だ。マシンチャイルド専門で英才教育を施すための訓練を受けた教師だ。
 ミナトは過去にマシンチャイルドとの交流があったらしく、教師としての専門的な知識と共に、その経験を買われてこの職についたのだという。
「了解。いくよ、ミライ」
「うにゅ!」
 二人は並んで飛び出していく。年齢相応の騒がしい笑い声が尾を引く玄関で、アイは静かな笑みを浮かべて、それを見送っていた。
「本当に、五年なんてあっという間だったわね――」
 その声はわずかに悲しみを滲ませているようだった。

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