なぜCCを持たずに外に出たのか――

 突然の惨事に浮き足立ったような遠い喧騒を響かせるサセボシティを前に、アキトは自分の迂闊さを呪っていた。

 アキトのいた臨海公園から臨める山地の頂きにチューリップは落下した。

 それにともなう閃光と、高熱をはらんだ衝撃波。

 湿った海風によってそれらから護られたアキトは、次に気圧差から生じた暴風に襲われた。

 暗転――

 手放した意識を取り戻したとき、すでにアキトの脚はある場所へと向って動き始めていた。

 ただひたすらに家族の元へと。

 「くそっ! なにやってんだ、俺は!」

 失うべきでないものを失ったかもしれないという絶望に近い焦燥が、アキトの体力の限界を超えて体を突き動かしていた。

 市街地に林立していたビルのほとんどが倒壊している。

 行く手を阻む瓦礫を乗り越えるアキトの足元に、血痕が次々に散った。

 どこかに怪我をしているようだ。

 しかしすでに痛覚は麻痺している。

 見渡す限り、あらゆる場所で火の手が上がっていた。

 悲鳴や怒号がサイレンの音と混じりあい、この世とも思えぬ異様な非現実感が辺りを支配している。

「……こんなところで、なにやってんだよ」

 激しい呼吸の合間を縫うように、アキトの口から自嘲の言葉が漏れた。

「肝心なときに護ってやれないなんて、なにも成長してないじゃないか。
 同じ事をまた繰り返すつもりか――大バカヤロウか、俺は!
 くそっ! バカヤロウが! 役立たずが!」

 自分を罵りながら、それを遠のこうとする意識のささえにして、アキトは走っていた。

 爆心地から遠ざかるにつれ、少しずつまともな街並みが戻ってくる。

 チューリップの落下は、思ったより大規模な破壊を引き起こさなかったようだ。

 ジャンプゲートとしての機能を損なわないように、なんらかの対策が成されているのか。

 それでも瓦礫に沈む街並みは、復旧への膨大な労力と時間を感じさせる。

 しかしアキトにとっては、復旧への道が残されているだけでも朗報といえた。

 「消滅」はしなかったのだ。アキトの知る、もうひとつのチューリップが落下した街に比べれば、遥かに幸運ではないか。

 それにこれならばユリカたちは無事なはずだ。

 胸中に淡い希望を抱き、燃えるような肺腑の痛みに喘ぎながら足を前に進める。

 しかしある光景が、その希望を霧散させた。

 燃えていたのだ――――

 アキトたちのアパートが存在する一角が、猛る炎に包まれ黒煙を上げていたのである。

 声にならない悲鳴をあげ、呼吸をすることすら忘れ疾走した。

 辿り着いたときには、アキトたちのアパートは半壊し、隣家の炎が燃え移らんとしているところだった。

 外に逃げ出してきた人々を掻き分け、ユリカ、ルリ、ラピス、ハーリーの姿を探した。

 いない。

 どこにもいない

「――っ! くそぉっっ!!」

 まだ中にいるのか。

 そこにいたって、ようやくラピスとの精神リンクの存在を思い出していた。

 精神を集中する、

 肺の痛みが脳を刺し貫いた。しかしそんなものより、はるかに激しい焦燥が胸の奥にある。

 おそらく全身のナノパターンが浮き出し自分の体を埋めているのだろう、周りの人々の奇異の視線を感じた。

 しかしもう、そんなことはどうでもいい。

 ラピスの中・・・・・に――ジャンプするイメージ!



 < ラピス! >

 < 返事をしろ、ラピス! >



 ≪ アキトぉ……苦し……い ≫



 返ってきたのは切れ切れの思考だった。意識を失う寸前の無意識に近い悲鳴。

 アキトは駆け出した。

 アパートの建物の中は煙に巻かれ、すでにかなりの火が回っている。しかし二階への階段はまだ使える。

 身をかがめ、できるだけ煙を吸わないようにして駆け上った。

 自分たちの部屋の前にたどりつきドア開こうとしたが、微動だにしない。

 建物自体が歪んでしまっているのだ。

「くそ、開けっ!」

 肩から体当たりをかけたがビクともしない。

 二度三度とそれを繰り返しても、ドアの表面に血痕が残るだけだった。

 アキトは腰を深く落とし、左腕をドアにむけて伸ばした。

 木連式・柔『虎皇』。

 ネルガルシークレットサービスに身を投じた月臣元一朗が北辰六人衆の一人を屠った技だった。

 アキトには月臣ほどの錬度は無かったが、それでもドアを破れるとしたらこの技をおいてほかに無い。

 ――突き破れ!

 ずしっという地を踏み砕く音と共に、その力のすべてが左腕に乗って突き出された。

 左肩から鈍い音が響く。間違いなく骨がイった。

 しかしそれでもドアは半ばから亀裂を走らせるだけで頑としてそこに存在していた。

「もう一度……」

 理性が焦燥に焼き焦がされていく。

 その後ろから赤黒い牙を剥きだしにした何かが首をもたげようとしていた。

 ――なぜ邪魔をする?

 その感覚は僅か数ヶ月前までアキトがどっぷりと浸かっていたものだった。

 ――立ちふさがるな

 ――俺の邪魔をするな!

 前に突き出していた左腕にナノパターンの輝きが浮き出しているのが、煙越しに仄見える。

 感情が制御できていない――――

「そこを――――どけぇっっ!!」

 すさまじい怒声と共にドアが砕け散った。

 中から黒煙が一気に吐き出されてくる。

 それをわずかに肺に入れてしまい、アキトはむせながら部屋に転がり込んだ。

 煙と涙で、よく前が見えない。

「ユリカ! ルリちゃん! 誰か……いないのか!!」

「げほっっ、は……アキト……さん」

 ハーリーの声だった。

 それを頼りに、煙を掻き分けていく。

 いた。

 全員がひとかたまりになって、リビングの床に倒れている。

 ハーリーだけが、辛うじて体を動かしていた。

「全員いるんだな!? ハーリー、動けるか」

 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたハーリーが、激しく咳き込みながらうなずいた。

「よし、おまえはラピスを連れ出せ。絶対についてこい!」

 アキトはユリカとルリを両脇に抱えた。

 ユリカの額から血が流れている。

 おそらく最初の衝撃で、どこかにぶつけて気を失ったのだろう。

 そうでなければ、とっくにボソンジャンプで逃げ出していたはずだ。

 廊下に戻ると火炎が天井を舐めるほどに広がっていた。

 階段も煙に埋まっていたが、まだ通れる。

 アキトはハーリーを先に行かせ、その後を追った。

 「アキトさんっ……燃えちゃってますよ、出口ぃ」

 階下に出るとハーリーが情けない声を出していた。

 アパートにしては珍しく、この建物には共通の出入り口が設けられている。

 防犯上は有難いが、こうなってしまうと邪魔以外の何物でもない。

 しかし、外に逃げるためにはそこを通るしか道はなかった。

「行けっ!」

 逡巡していたハーリーの背を押し出し、自分も火の海の向こうに身を投じた。

 際どいタイミングだった。

 背後に崩れ落ちる建材の轟音を聞きながら、アキトたちはアパート前の駐車スペースに転がり出ていた。

 ハーリーの右腕に燃え移った火を叩き消しながら、さらに遠くへと逃げる。

 避難していた人々の集団を避け、少し離れた場所でようやく足を止めた。

 アキトの膝が折れる。

 全身が細かく震えていた。

 完全に体力を使い切っているのだ。あれだけ走り、煙を吸い込んでいればそれで当然だった。むしろここまで保ったことのほうが驚異的でさえある。

 ユリカとルリを地面に横たえ、二人の呼吸が正常なものであることを確認した。

 そしてそのままアキトの意識は途絶えていた。





 たくさんの夢を見ていた。

 幼いころからごく最近のものまで、ごちゃ混ぜになっているみたいだ。

 しかしその光景のどれもが、最後は炎の中に沈んでいく。

 両親を失ったときの火事の光景。

 ――幼かったアキトは、ただ両親がそばにいない不安に泣いていた。

 チューリップの落下で消滅したユートピアコロニー。

 ――なにもできずに、アキトは震えているだけだった。

 地下シェルターで虐殺を繰り返すバッタの光景。

 ――たった一人の女の子すら救えず、アキトはそこから逃げ出した。

 新婚旅行の旅客機が炎上しながら墜落していく。

 ――連れ去られるユリカに伸ばした腕は、ついに届かなかった。

 すべて、アキトには何も出来なかった。

 無力な自分だけが、そこに取り残されている。

 もういやだ。

 失いたくない。

 何も手放したくない!

 そして新たな生活を始めたサセボシティに、チューリップが落下した。

 ――また俺は、何も出来ないのか?

 ようやく手にいれた家族の住むアパートが燃えていた。

 ――また俺は、泣いているだけなのか?

 そんなことはない。

 それではあまりにも――――

 アキトはすべての力を振り絞り、そこに向って手を差し伸べた。




「――――アキト。アキト」

 伸ばした腕の先に、ユリカがいた。

 血で固まった髪が頬に張り付いている。

 アキトはユリカのひざの上に頭を乗せ、その顔を見上げていた。

「よかった。大丈夫だよね? おつむ痛くない? おてては? ぽんぽん痛い?」

 夢の残滓がユリカの天然な台詞で拭い去られていく。

 まわりに自分を覗き込む四組の眼がそろっていた。

 ユリカ、ルリ、ラピス、ハーリー。

 今度こそ、伸ばした手は届いていたようだ。

 安堵と共に、全身に激痛が走った。

「左の肩と、左脇の辺りがけっこう痛い。骨が折れてるっぽいな」

 他にも裂傷や打ち身はいたるところにあるだろう。

 だが、それも些細なことだ。

 失いたくないものを失ったときの痛みに比べれば、どうということもなかった。

「無事でよかったです、アキトさん!」

「……アキトぉ」

 ルリとラピスが、アキトの胸に手を置いて泣きそうな顔をしていた。

 ハーリーも少しはなれた場所でこちらを窺っている。

「俺は大丈夫だ。みんな顔が煤で真っ黒だぞ。酷い事になるから泣くなよ」

 ハイ、ウンという返事。

 どれくらい気を失っていたのだろう。

 辺りの様子からすると、それほど時間は経っていないように思える。

 まだアパートは燃えていた。

 しかし骨組みだけが黒々とした影を炎の中に浮かべているだけだ。

 もうすぐ、すべてが焼け落ちてしまうだろう。

 その炎の色を、アキトはユリカの瞳の中に見つけていた。

「全部、燃えちゃうね」

 アキトは無言のままでいた。

 返事など必要なかった。

「楽しかったよね。ルリちゃんがいて、ラピちゃんがいて、ハーリーくんがいて――それにアキトもいてくれて。
 とっても楽しかった」

 ユリカはゆっくりと、噛みしめるように言葉を紡いでいく。

「ちょっと狭かったけど、お風呂もあったし、台所も、バルコニーだってあった。
 ねえ、アキト。最近、私とルリちゃんがお花を育ててたの知ってる?」

「いや、知らなかったな。バルコニーでか?」

「うん、そう。撫子の花なんだ。
 撫子って品種がいっぱいあってね、小さくて可愛いのをルリちゃんと一生懸命に捜したんだよ。
 種をまいて、もう芽が出てたの。毎日お水をあげて、お日様が当たるようにちょっとずつ置く場所を変えて……」

 轟音と共に大量の火の粉が夜空に舞い上がっていった。

 アキトたちの家が、炎の中に崩れ落ちていく。

「なんとか育てられそうだったのにな。もう燃えちゃったよね。少し――悔しい」

 アキトの肩を抱くユリカの手に、わずかに力が込められていた。

「もう一度はじめようよ、アキト。新しいお部屋を借りて、みんなではじめよう。
 私、今度こそ撫子の花を咲かせてみせるから。
 綺麗にお花が開いたら、一番にアキトに見せてあげる」

 ああ、と答えようとしたアキトの言葉を轟音が遮った。

 彼らのはるか上空を、異音を響かせながらジョロの編隊が飛び過ぎていく。

 その編隊は港の方角に向かっていた。

 その先にはネルガル所有のサセボドックがある。

 そこには建造途中のナデシコがあるはずだった。


 ――ごりっ


 アキトの中に無気味な音を立てて異物が生まれていた。

 黒い獣。『闇の皇子』と呼ばれていたものが。

「――――ああ、もう一度はじめよう。だが、その前にやっておくことがある」

 感情が暴走するギリギリの線でアキトは耐えた。

「ユリカ、CCはあるか」

 息を飲みながら、ユリカはなんとか驚愕を押し隠していた。

 今の自分はどんな顔をしているのだろう。

 一度たりともユリカには見せたことのない復讐者の顔か。

 ユリカがネックレスから外したCCを受け取る。

 その手にナノパターンの輝きが走っていた。

 もうあまり長い時間は、感情の制御ができそうもない。

「ラピス、ユーチャリスに戻るぞ」

 悲しい瞳をしたラピスの肩に、その手を乗せる。

 サセボ港の海底に沈むユーチャリスのブリッジをイメージ。CCが発生させたジャンプフィールドが二人を包み込んだ。

「俺から奪おうとするのなら――」

 ボソンジャンプの光が溢れる。

「容赦はしない」

 最後の言葉の響きを残し、二人の姿はボソンの輝きとなって消えた。






 


機動戦艦ナデシコ 『楔 kusabi』

prologue 3 : 薙ぎ払え!







◆◇◆

 落下したチューリップは、港湾部から続く山地の頂上に杭のように突き立っていた。

 この高度から確認する限り、チューリップ本来の質量が発揮するはずの破壊力は発生しなかったらしい。

 山地の傾斜部と市街地の二割方が削り取られただけで、大掛かりな地図の書き換えはしなくてすみそうだ。

 クレーターに流れ込んだ海水が、余熱に蒸発し入道雲のように空を覆い尽くそうとしている。

 すぐに視界が効かなくなるだろう。

 タマキ・ケイ中尉は作戦を遂行するための時間が少ないことを悟った。

 攻撃部隊はタマキ中尉指揮下の312攻撃部隊6機、そしてヨネムラ・スグル中尉指揮下の302戦闘部隊が6機、計12機の編成である。

 312攻撃部隊の乗機は時代遅れの攻撃機ARR−04<ランサーホーク>に、積めるだけの爆装をしている。

 これだけ足が遅くなると戦闘行動は限りなく不可能に近いだろう。

 チューリップにすべての爆弾を喰わせて、さっさと帰還したいところだった。

 エンゲージ、という宣言。

 ヨネムラ中尉の302戦闘部隊が、敵機との交戦に入ったらしい。

 敵機は彼らに任せ、自分たちの仕事を手早く済ませるべきだ。

 眼下に斜めに傾いたチューリップの巨体を視認。

 水蒸気が濃い。気を抜くと見失いそうになる。

「312タマキチーム、アタック」

 312攻撃部隊は、機体をひねりパワーダイブを開始。

 チューリップをサイトの中心に捕らえ、一直線に降下していく。

「外したら恥だね、これは」

 水蒸気の雲を突き抜ける。

 チューリップ。視界いっぱいにその姿がある。これでは外すわけが無い。

 ランサーホークのすべての爆弾を投下して、機首を引き起こしにかかった。

 ――プルアップ!

 ブラックアウト寸前の視界の隅に、警告灯の輝き。

 うるさい、そんなことはわかってる! そう心で毒づく。

 投下した爆弾が、すべてチューリップに着弾した。

 巨大な爆炎が広がり、空気を焼き焦がし消える。

 しかしチューリップに被害は認められなかった。

「トカゲめ!」

 そう愚痴を吐いた後、閉じておいた通信回線を再度開いた。

「タマキチームは帰投する。高度1800まで上昇」

 本陣の空爆部隊と艦隊が到着する予定時刻まであと僅かなのだ。

 時間稼ぎは十分だろう。

 あとは逃げの一手だ。

 機首を上げ最大推力で上昇を始めたそのとき、タマキ機に付き従っていた僚機が突然爆散した。

「ミズキ!?」

 サブリーダーの名を叫び首を回したタマキ中尉の目に、部隊を包囲するように連携する5機のジョロ・タイプが飛び込んでくる。

「ヨネムラはなにやってんのよ! 管制、302戦闘部隊に援護させて」

『302戦闘部隊は全滅。コースを指示するので、誘導に従いただちに戦線を離脱してください』

 予想外の返答だった。

 全滅? 戦端を開いて五分と経っていないというのに。

 タマキ中尉は即座に決断を下した。

「逃げるよ、みんな!」

 タマキ機は高度を下げ、速度を稼ぎながらジョロを振り切ろうとした。

 部隊の4機もそれに追随して、地面を削るように飛ぶ。

 しかし機動力の低いランサーホークではジョロから逃げ切ることはできなかった。

 一機、また一機と撃墜されていく。

 わずかな時間で、残存機はタマキ機とフラン機だけになっていた。

 そのタマキ機も、ジョロに後方占位され悪あがきの機動を繰り返すばかり。

 全滅する――

 吐き気のような最悪の予感がタマキ中尉の胸を締め上げていた。

 ジョロの機銃がタマキ機の尾翼を削った。

 激しい衝撃。

 コントロールを失いかけた機体を、積み上げてきた経験が立て直す。

 しかしそれもここまでだった。

 死を覚悟する。

 思わず瞑りそうになった目を意志の力で見開き、最後の一瞬まで戦闘機乗りのプライドを貫こうとした。

 しかしなにもおこらない。

 なぜ?

 コクピットで背後を振り返ると、火を噴いたジョロが落下していくところだった。

 その向こうに黒い機動兵器の姿。

 あまりの高機動に、一瞬で姿を見失う。

「なにが……フラン、なにがあったの?」

『正体不明機がジョロを撃墜しました。信じられない、なんて速さなの――』

 タマキ中尉は黒い機動兵器の姿を探し、天を仰いだ。

 ……いた。

 壁のような水蒸気の雲を突き抜け、漆黒の機動兵器が上昇していく。

 その後ろに敵機の爆発光が次々と広がっていった。

「なによ、あれ……管制、戦闘区域に正体不明の機動兵器が出現、照会して」

 わずかな間。

『照会しました――所属不明――型式不明。なにも引っかかりません』

「使えないわね!」

 タマキ中尉は通信機の周波数をオートでスキャンするようにセット。

 スキャンを開始すると、即座にヒットした。

 連合軍で使われている周波数とほとんど変わらない帯域で、その通信は流れていた。

 暗号セットの解析が進み、やはり連合軍で使われている方式の亜種だと判明する。

『……えろ。俺の前か……て……え失せろ』

 復号化の調整が進みノイズがクリアになっていく。

 もう少しというところで、チューリップに異変が生じた。

 口が開いていく。

 同時に傘のような黒い平面が、その直上にゆっくりと形成されていった。

 チューリップが活動を再開したのだ。

「まずい! フラン、逃げるわよ、ハードポート!」

 機首を反し、今度こそ全速で戦域を脱出する。

 黒い機動兵器はその背後で異質な戦いを繰り広げていた。

『……なぜ俺から奪う。こんな所まで俺を裁きにきたとでもいうのか』

 黒い機動兵器の戦術は戦闘機のそれに近かった。

 圧倒的な機動力を生かした急襲と一撃した後の離脱。

 いやそれも“ほとんどの場合”に過ぎない。

『俺の前から消えろ! 俺の心から消えろ! 出てくるな!』

 時折、気がふれたかのように敵機の集団の中に飛び込み、ハンドカノンを連射する。

 動きを止めれば被弾しないはずが無い。

 それなのになぜ、あの機動兵器は無事にその状態から脱出できる?

 なぜ敵機を全滅してしまえるのだ?

 バケモノとしか言いようがない。

 あんな機動兵器とパイロットが存在すること自体が間違いだった。

 逃げながらも恐怖と畏怖を感じ、その機動兵器の戦いを食い入るように見つめる。

 チューリップの活動がさらに活発になった。

 ついに完全に開いた口から、何かが吐き出されようとしている。

 その先端が空に向かって伸び出た。

 レーザー駆逐艦のブレードだった。

 ずるりという擬音を発しそうな動きで、それが全容をあらわす。

 続いてもう一隻。

 信じがたいことに、さらにもう一隻続く。

 それが木星蜥蜴の主力と目されている大型戦艦の一対のブレードだと気づいたときタマキ中尉は叫んでいた。

「もう無理だ! 逃げろ、黒い機動兵器のパイロット!!」

 吐き出された大艦隊は、サセボの空を覆い、威容を放つ。

 こんな大戦力が地上に出現したところを見るのはタマキ中尉も初めてのことだった。

 勝てない。

 サセボ、いや九州全域が陥落するかもしれなかった。

 しかし黒い機動兵器のパイロットは、タマキ中尉の叫びを圧倒する怒声を発した。

『なにもかも薙ぎ払え、ラピスっ!! 消し去れっ!!』

 その叫びに答えるように、サセボ港から1キロも離れていない海面が一気に盛り上がった。

 そこに出現したのは、円錐型の優美なシルエットの戦艦。

「なっ!?」

 レーダーにはなんの反応もない。

 強力なステルス艦なのか。

 地球連合軍にこんな型の戦艦が無いことはタマキ中尉にもわかる。

 型式不明の機動兵器に、型式不明のステルス艦。

 この二つが無関係であるはずがなかった。

 そのステルス艦は海水を滝のように降らせながら、艦首をチューリップの方角に向けた。

 展開した四本のブレードに添うように漆黒の光が走り回っている。

「なにを……するの……」

 それに続いて繰り広げられた光景は、タマキ中尉の想像を絶した。









◆◇◆

 自転車のチェーンが切れてしまった。

 あまりの不運に、自転車の鞍上から地面に投げ出されたままの格好で天河明人はふてくされていた。

 ――やってられっかよ!

 辺りに中華鍋やらおたまやらといった、明人の生活を支えてきた宝が飛び散っている。

 それを拾う気力すら湧かない。

「ちくしょぉっ!! サイゾウさんのバカやろぉ!」

 つい先日まで住み込みで雇ってもらっていた中華料理屋を首になってしまったのだ。

 出掛けに手渡されたわずかばかりのキャッシュカードが、明人に残された最後の手持ちだった。

 しかたがないとは思う。

 なにしろチューリップの落下で、店舗の半分が潰れてしまったのだ。

 サイゾウさんだって、オレみたいな木星蜥蜴に怯えているだけのガキなんて雇っている余裕は無かったさ――そう理性では理解している。

 だからといって、ほとんど無一文で宿無しのまま放り出されてしまってはグチのひとつも言いたくなるというものだ。

 母子連れの二人が、明人を変人を見るかのような目で見下ろしていった。

 あたりまえだが、もうやけくそだ。

 笑いたきゃ笑え!

 その明人をあざ笑うように、風に乗った新聞紙がばさりと顔に覆い被さってくる。

 明人の背負っていたリュックからこぼれたものだろう、すでに何枚もの新聞紙が海風に乗って舞い上がっていた。

 明人はその新聞の記事を気のない様子で眺めた。

『謎の戦艦、木星蜥蜴を殲滅!』

 数日前のあの事件が一面を飾っている。

 落下したチューリップと蜥蜴の大艦隊を、どこからともなく出現した漆黒の機動兵器とステルス艦が、主砲の一斉射で殲滅してしまったのだ。

 しかもそのまま連合軍の監視網をすり抜け、姿をくらませてしまったらしい。

 報道メディアが連日この記事で埋まるのも当然のことだろう。

「カッコいいよな、ホント。どこからともなく現れ、悪を切り捨てて去っていく謎の正義の味方、だもんな」

 それに比べて自分は――

「うわぁぁぁ――っ!! ちくしょう! ちくしょう! なんでオレ、こんななんだよ!!」

 じたばたと手足を振り回す明人はますます奇人ぶりを発揮している。

 顔に新聞紙をかぶせ、ばったりと手足を大の字に投げ出した。

「オレ、これからどうしよ……」

「あの、これ――」

 誰もが避けて通っていた明人に、声をかける者がいた。

 それも女の子の声だ。

 明人は新聞紙を少しだけ持ち上げ、その端から声の主を盗み見た。

 その明人の動きが凍りついた。

 地面に大の字になった明人の横に膝をついていたのが、驚くほどの美貌を持つ少女だったからだ。

 青銀の長髪をツインテールにまとめ、ぬけるような白い肌に大きな瞳が印象的な輝きを放っている。

 その瞳は光の加減によって黄金の色彩すら示した。

 手にデパートのロゴが入った袋を抱えている。

 買い物の帰りなのだろう、袋から飛び出した長ネギの青さが、妙にリアルな印象を明人に与えた。

 少女は明人のおたまをこちらに差し出している。

 拾ってくれたのだろう。

 いつまでも少女に見とれているだけでは失礼だと気づいた明人は、慌てて起き上がって、そのおたまを受け取った。

「あ、ああ、どうもありがとう……」

 ばさり、と音を立てて、顔に被っていた新聞紙が地面に落ちた。

 そのとたん少女の顔が驚愕に揺れた。

「あ……明人さん――?」

 初対面のはずの少女が、自分の名を呼んだ。

 しかし明人を戸惑わせた違和感はそれとは別にあった。

 その言葉の響きは肉親に対するそれだったのだ。









あとがき

今回ちょっと未練が残る出来になってしまいました。
リテイク出せばいいんですけど、FFX−2が僕を呼んでいるんです〜(ぉぃ
というか、知らないことを書いちゃイカンですよね。
名作「戦○○精・○風」から用語はパクったんですけど(ぉぃっ!)、出来たものは、なんか自分で読んでもショボイ……。

あ、ちなみに今後、漢字で「天河明人」とあったら、それは18歳バージョンの黄アキトです。
念のため。

ではでは。

 

 

管理人の感想

ぼろぼろさんからの投稿です。

おお、思いっきり存在を世界にアピールしましたねぇ、黒アキト。

思いっきりトラウマになってますからね(そこがアキトのアキトたる所以ですが)

最後のシーンを見る限り、普通の生活にまた戻っているみたいですが・・・

この黄色アキトを、ルリはお持ち帰りするのでしょうか?(笑)

ハーリーとのやり取りが楽しみですぞ(爆笑)