「閣下が直接出撃されるなど無茶も度が過ぎます! ご再考ください!」

 襟の高い白色のガクラン――優人部隊の制服を着込んだ高月真央(たかつき まお)が、服の色と変わらぬ雪のような長髪を背後になびかせながら決然と歩いている。

 顔のミラーグラス以外はすべて白で埋められたその姿は、人にして人に非ず――伝説の中にある氷の国の女王を思わせた。

「生体跳躍が可能なのは、いまの木連には私しかいないのだ。私が行くしかなかろう?」

 彼女の後を追い、必死の面持ちで考えを改めさせようとしているのは、彼女の副官を務める線の細い青年士官だった。

「しかし、生体跳躍をすれば閣下のお身体に負担がかかります!
 これ以上の跳躍は主治医に止められているではありませんか」

 白の中に浮かぶ紅い唇が微笑みを形作った。

 そして漏れ出たのは、それまでとは全く違う、優しさに溢れた真央の中の女性。

「跳躍門を使うのなら問題はないの、クニミツ少尉。
 跳躍のイメージ処理はすべて機械まかせでいいのだからね。
 そんな顔をするのはおやめなさい」

 白く細い指先が微風のように青年士官――クニミツ少尉の頬を撫でていく。

「白夜(ビャクヤ)の解析は済んでいるはずだな、少尉」

 ぼぅとしていたクニミツ少尉に、木連中将の声色に戻った真央の詰問が飛んだ。

「は、はい! すでにすべての分析作業は終了し、白夜は待機状態で倉庫に保管してあります!」

「よろしい。ならばすぐに白夜を目覚めさせろ。
 すべての武装と跳躍ユニットを総点検後、私に報告するように。
 私は白夜で出る」

 クニミツ少尉の幼い顔が驚愕に染まった。

「そんな! あのような得体の知れない機動兵器など、なぜ!」

「その若さでは知らないのも無理はないか。ならば教えてやる。
 ――あの白夜という機動兵器はな、もともと私のものなのだよ」

 そこにいるのは触れたものすべてを永劫に凍りつかせてしまう伝説の女王であった。

 クニミツ少尉は真央の浮かべた壮絶な微笑に、心のすべてを凍結されていた。

 真央は彼に背を向けて立ち去っていく。

「それに……」

 独りになった真央は、歩きながら誰に聞かせるわけでもなく言葉を続けていた。

「相手が闇の皇子、テンカワ・アキトならば、白夜を使うしかないだろう?
 ――白夜は夜闇を照らす光。闇を打ち破る唯一のものなのだからな」

 その言葉は氷の女王が吐き出す吐息のように、白く虚空に染み込んでいった。









◆◇◆

 アカツキ・ナガレは苛だっていた。

 場所はネルガル重工本社ビルの最上階。そこを執務の場とすることを許された人間は人類全体を見渡しても片手の指に余る。

 そのフロアに存在するのはただ一室。つまりネルガル会長室だった。

 巨大コングロマリットの頂点に立ちながらも、アカツキはあまりにも自分の意にそぐわぬ事態の頻発に、指先を荒ただしく豪奢な執務机に打ちつけていた。

「聞いたかい、エリナくん。スキャバレリの進捗報告をさ」

 その室内にはもう一人、ここに立ち入ることを許された数少ない人間の一人がいる。

 エリナ・キンジョウ・ウォン。

 切れるような双眸の才媛であり、ネルガル会長付の専属秘書であった。

「ええ、聞きましたわ。結局、連合軍の介入を許したそうですわね」

「まったく馬鹿ばかりだよ。いままでの苦労を水の泡にするつもりなのかね。
 一度立ち入ることを許せば、あいつらはどこまでも深入りしてくるに決まってる。
 それぐらいのこと、言わなくてもわかりそうなものじゃない」

 アカツキは長い前髪をかきあげながら、執務机に頬杖をついた。

 アカツキの年齢は20台の前半。そのような格好でこの場にいることがあまりにも不自然に見える。

「しかたありませんわよ。
 近頃の連合軍の強硬な態度は無視するには危険すぎましたもの。
 ある程度の譲歩をしなければ、武力衝突の目までありえましたから」

「まさか。うちは善良な一民間企業だよ?
 連合軍が武力を行使したら、世論が黙っちゃいないでしょう」

 エリナは冷たい笑みを浮かべた。

「善良かどうかは賛同しかねますわね。
 ともかく会長も連合軍の現状を再認識なさるべきですわ。
 彼らがどれだけ追い詰められているのかを知れば、笑ってもいられなくなりますから」

 アカツキは机を叩く指を止めた。

「そんなに拙いのかい?」

「火星の制宙権を手放して以来、撤退に次ぐ撤退。
 現在の最前線がどこだか聞けば驚きますわよ」

「……ビッグバリアは突破されてないだろう?」

 エリナは楽しくてたまらないというように笑った。

「とっくに突破されているじゃありませんか。
 ビッグバリア建造の前に地球に落下したチューリップの数がどれだけあるかはご存知でしょう」

「あれは全部休止状態に――――まさか活動を再開してるってことかい」

 ええ、とエリナ。

「連合軍は情報規制に躍起になってますわよ。
 まだ全体の5%ほどが活動を再開しただけらしいですけど、
 それでも侵攻を食い止めるためにかなりの被害を出しているらしいですわね」

「なるほどねぇ。それで早急な軍備増強のためには手段を選ばないかも、というわけだ」

「一年前にサセボに出現した、あの謎の戦艦が決め手でしたわね。
 あれさえなければ、道楽会長のお遊びという線で事を進められましたのに」

 アカツキは苦笑した。

「キツイこと言うねぇキミも。まあ、否定する気もないけどさ」

 一年前の謎の戦艦に関しては、ネルガルも総力を結集して調査していた。

 しかし結局のところなにも判明していない。

 後に残ったものは、連合軍のネルガルに対する猜疑だけだった。

 ナデシコ建造に関して、ネルガルはその性能を故意にぼかしながら連合軍との交渉を進めてきたのだ。

 表向きの目的は火星の生存者救出による、ネルガルの技術力のアピール。連合宇宙軍に自社の戦艦の性能を見せつけることで、軍備予算の六割以上を占めるといわれるその分野に割り込むのが目的だと思わせていた。

 クリムゾン・グループや明日香インダストリーのような古参の企業に比べ、遥かに歴史の浅いネルガル重工は、その会長の年齢も相まって「成り上がり者」というイメージが強い。

 本当の目的である火星遺跡の調査記録奪還と、ナデシコという相転移炉搭載艦の真の能力を隠すため、アカツキはそのイメージを逆利用していたのだ。

 しかしそのすべてが、あの一年前の事件で水泡と帰した。

 ネルガルが建造している新造戦艦と、サセボを襲った大艦隊を一撃で屠った謎の戦艦を結びつけずにいる者など、一人としていはしなかったのだ。

「――なかなか難しいねぇ。
 連合軍とはそのうちにお近づきになろうと思ってたけど、思ったより早くそうする必要がありそうだ。
 建造中の二番艦以降のナデシコ・シリーズはくれてやってもいいから、
 その線で交渉を進めてくれないかな、エリナくん。
 無茶はやめてくれよってね」

「承知いたしました。
 しかし、オブザーバーとしてナデシコに数名、
 連合宇宙軍の人間が乗り込むのは阻止できそうもありませんわね」

「まあ、それぐらいはね。
 できるだけ無能・・な人に乗ってもらえるように頑張ってみてよ」

 エリナが首肯しようとしたとき、卓上の端末が外線からの着信コールを響かせた。

 この直通回線を知る者はごく一部の身内に限られる。

 それを承知しているアカツキは、砕けた態度で受信ボタンを殴打した。

「はいはい、会長ですよ。――おや、プロスくんじゃない。どうしたの、珍しい」

 スクリーンにちょび髭を生やした線目の中年男が映っていた。

 計算し尽くされた笑顔を崩すことなく、エリナには聞き取れない音量で、なにごとか報告している。

「ふんふん……へえ、そりゃあなかなか痛快じゃない。でもそんなことをいちいち――――
 まさか、ウソでしょ。ほんとうかい、それ?
 いや、驚いたな、僕もすぐにそっちに行くよ。ああ、一時間もかからないと思うから。
 いいお茶を出しておくようにね。ケチったらダメだよ」

 アカツキが通信を切ったところを見計らい、エリナは訊いかけた。

「どうかなさいました?」

「いやね、サセボドックに殴り込みがあったそうなんだよ」

 一瞬、連合軍のことが脳裏をよぎったが、それにしてはアカツキの様子がおかしい。

「ナデシコは無事なんですね」

「まあね。殴り込みといっても、たった一人の少年だったらしい。
 ところがさ、その一人の少年に、警備員が十人以上叩き伏せられちゃったみたいなんだよね」

 あら、とエリナ。

 緊張と入れ替わるように好奇心の光がその双眸に宿った。

「それはまた元気な男の子ですわね。
 でも会長。いくら面白そうだといっても、そんなことのためにスケジュールを変更することは許しませんわよ。
 行くのなら私一人で――――」

「キミもお祭好きだねぇ。でもそうもいかない。その少年に連れの女の子がいるんだけどね――」

 アカツキは立ち上がった。

「――どうやらマシンチャイルドらしいんだ」






 


機動戦艦ナデシコ 『楔 kusabi』

SIDE-NADESICO 01 : ビャクヤ







◆◇◆

「あなたのお名前なんてぇの♪ と」

 歌い踊るプロスペクターが、DNA採取用のピンを明人の舌先に刺した。

 続いて同じ事をラピスに。

「……ひたひ」

 痛い、と言っているようだ。

 プロスペクターに通された部屋は、天井近くに明かり取りの小窓がひとつあるきりの殺風景な小部屋だった。

 客室というより、はっきり取調室といったほうが早い。

「百合花(ゆりか)にあわせろ」の一点張りで暴れまわり、十数人の警備員を叩きのめしたのだ。この程度の扱いなら良好ともいえる。

 プロスペクターはウィンドウに表示されたDNA照会の結果を読み上げた。

「ほうほう、天河明人さん18歳。お若いですねぇ、羨ましいことです。
 火星はユートピアコロニーの出身。
 ミドルスクール卒業後、連合宇宙軍に入隊。のちに火星駐留軍に配属と。
 一年間の機動兵器訓練工程を高成績で突破してますな。
 いやいや、なかなかのものです」

 ルリが明人の過去をいじったのだろう。

 今その事実を知ったばかりの明人は、ただ呆れてうなずくことしか出来なかった。

「しかし、その後がよくわかりませんね。
 ――2194年より後方勤務に異動。生活班においてコック見習いとして修行?
 除隊後は火星圏撤退の直前に地球に渡り、中華料理屋に勤務。
 ――なんというか、波乱に富んだ人生ですなぁ」

 いや、まったくです、と愛想笑いをする明人。

 ほかにどうしろというのだ。

「で、こちらはラピス・ラズリさんと。ふむ、過去の経歴がほとんどありませんな。
 やはり出身は火星のようですが……お嬢さん、火星のどこで生まれたか教えていただけませんかね」

 プイッとそっぽを向くラピスに、さしものプロスペクターも苦笑しか出てこない。

「いやはや、嫌われてしまったようで。では天河さんにお伺いしましょうか。彼女とはどこでお知り会いに?」

 地球に渡る直前に出会い、そのままついてきてしまったとでまかせを答える。

 地球での保護者は「テンカワ・アキト」となっており、戸籍上は別人なわけだが、画面に表示される文章だけでは明人が保護者であったと錯覚してくれるはずだった。

「ふーむ。火星にもネルガルの研究施設は沢山ありましたからねぇ。
 そのどこかから逃げ出してきたということでしょうか。
 スキャパレリの調査目的が増えてしまいましたね」

 チラリとラピスを見る。

 間髪いれずにプイッと顔を反けるラピス。

「まいりましたな……しかしこれも僥倖ですかねぇ。
 他社の手に渡っていたかもしれないと考えると、ぞっとしませんな」

 考えに耽っていたプロスペクターのコミュニケが鳴った。

「おっと、到着したようで――――
 お二人とも申し訳ありません。ちょっと急用が入りまして、数分、席を外させていただきます。
 美味しいお茶を用意させますので、くつろいでいてください」

 そう言って、プロスペクターは部屋から出て行った。

「くつろげ、ね」

 薄暗い部屋を見渡す。

 ナデシコに潜り込むための第一の関門は抜けたようだ。

 アキトとユリカが指示した通りに事が進んでいく。

 まるであらかじめ仕組まれていたかのように――――

『――――ナデシコともう一人の私の心を救ってあげてください――――』

 ルリは明人にそう言った。

 そのひとことがなければ明人はこんな事に関わろうとはしなかったはずだ。

 やはりルリの言うように、ナデシコは実在するのだろう。

 しかしその事実によって彼女の背がさらに遠くなっていく感覚に、明人の胸は痛んでいた。









◆◇◆

「へえ、彼がねぇ。あんまり強そうじゃないじゃない」

 マジックミラー越しに明人とラピスの姿を観察していたアカツキが感想を洩らした。

「しかし、SS(ネルガルシークレットサービス)の警備員たちが、ほぼ一撃で昏倒させられたのです。
 かなりの技量なのは間違いないでしょう」

 固い表情でゴート・ホーリが言った。

「なにより従軍経験者です。油断はしないに越したことはありません」

「なんだかねぇ。ゴートくんは顔も固ければ、言う事も固いね。人生つまらないよ、そんなことじゃ。
 さて、エリナくん。どうだい、ホントにマシンチャイルドだと思う?」

 エリナは口元に指を当てながら、食い入るようにラピスを見ていた。

「ええ――おそらく間違いないと思います。
 驚いたわ。星野瑠璃(ほしの るり)以外に第一世代の生き残りがいたなんて」

 プロスペクターがその言葉に眉を跳ね上げた。

「と申しますと?」

「マシンチャイルドの研究は、もともと火星の研究所が中心だったのよ。
 でも研究がある程度の成果を見せ始めたときに、学者の一部が人道的な問題とかで反旗を翻したの。
 やることやっておきながら、それが“ヒトのカタチ”を取るようになったら突然良心が痛み出したのね。
 まったく、どうしようもない中途半端なやつらよ。私が一番嫌いなタイプだわ」

「で結局、僕のオヤジが強攻策に出てね、裏切った学者のほとんどを謀殺してしまった」

 アカツキは苦々しい表情だった。

「それはまた……あの方らしいと言えばそれまでですが」

「まあね。僕からしたら人的資源の無駄使いもいいところさ。
 その騒動のドサクサで、着床に成功していた胚のほとんどが殺されてしまうか、外部に持ち出されてしまったんだ」

「星野瑠璃はその外部に持ち出された胚が無事に成長した唯一の存在なの。
 地球に逃亡した学者の一人が生活に困ってある機関に自分ごと売り込んだのね。
 私たちが彼女を発見したときには、英才教育を施されて売りに出される寸前だったわ」

 エリナの冷たい表情の下に、唾棄すべきものへの怒りがある。

「それが十年前のことよ。その騒動のおかげでマシンチャイルドの研究が再開されたのはようやく五年前。
 次の世代が育つまでにはまだ五年は必要でしょうね」

「なるほど。では、あのラピス・ラズリさんは、火星で生き残っていたもう一人の存在だということですな」

「……ちょっとプロスさん。あの男の子、たしか火星出身だったわね」

 何かを思いついたようにエリナがプロスペクターの脇腹を肘で小突いた。

「あの子の両親の情報は見れる?」

 プロスペクターは携帯端末を取り出した。

「はい。え〜、あぁこちらですな。なになに、天河遥十、同美津子夫妻。
 2185年、火星のユートピアコロニーにて自宅の火災で死亡。享年38歳と32歳。
 当時8歳の息子明人は孤児院で身柄を保護。
 最終職歴は――ネルガルUC支部で上級研究員として……勤務――――」

 かすれるプロスペクターの声を聞きながらエリナは「やはり」という顔でアカツキを見ていた。

「それじゃ……なにかい? あそこにいる少年の両親を殺したのは、この僕のオヤジってわけか?
 はは、まいったねこれは。あの二人、僕に恨みでも晴らしに来たってのか」

 ドンッ! とマジックミラーが重い音を発した。

 ミラーの向こうで、明人とラピスが驚いて飛び上がっている。

 アカツキは凄い表情でマジックミラーを殴りつけた拳を睨んでいた。

「あの――――馬鹿オヤジ! どこまで僕とアニキに負債を背負わせりゃ気が済むんだ!」

 エリナは始めてみるアカツキの激昂した姿に絶句していた。

 ただのボンボン程度に思っていた仮面の下に、こんな表情を隠していたのか。

 アカツキの兄は死んだと聞き及んでいる。

 いったい何があったのか、それを問うことはエリナには出来なかった。

「すまない、少し気分が悪いみたいだ。後のことは頼むよ。――――あの少年が何か望むなら……」

 アカツキは一瞬だけ気弱な青年の姿を見せたと思うと、すぐに強引に仮面でおおい隠してしまった。

「いや、なんでもない。
 マシンチャイルドは逃がさないように完璧に囲い込んでくれたまえ。
 他社の手に渡れば最悪の事態になるからね。
 あの少年は……必要なら排除してもいい」

 ぐいっと背を伸ばし、アカツキは部屋から立ち去った。

「あの、ウォン女史。会長を一人にしてよろしいので?」

 エリナは視線を落とした。

「私は……ただの秘書でしかない……から」

 そうですか、というプロスペクターの言葉を最後に沈黙が場を満たした。









◆◇◆

「これがわが社の誇る最新鋭艦ナデシコです」

 プロスペクターは自慢げに胸を突き出して、白い山のような戦艦を指し示している。

 それはサセボドック最下層の13番ドックに係留されていた。

 始めてみる戦艦でありながら、ずっと昔から知っているような既視感がある。

「ナデシコ……。やっぱりかよ……」

 明人は諦観の極みで苦笑を洩らしていた。

 ナデシコは明人にとって我が身を縛り付ける鎖でしかない。

 明人の本音は一年の日々を過ごしたあの家に――そこに居る一人の少女の元に帰りたいというものなのだから。

 しかし、それももう不可能だった。

 目の前に悠然とそびえる巨大な罠を見上げ、明人はなぜ自分がこんなことに巻き込まれなければいけないのかと、溜息とともに自嘲していた。

「はて、何かおかしなところでも?」

 想いがそのまま顔に出ていたのだろう、プロスペクターがそう問いかけた。

「あ、いえ、なんでもないス。ちょっと、変な形の船だなと思って」

 そう誤魔化す。

 沈んだ気分を回復するには多少の時間が必要なようだ。

『待てい!』

 そのときだった。

 頭上から降り注ぐ大音声。

『善良な警備員さん一同を病院送りにしたという不埒者は貴様だなっ!!』

 ごうっ! と突風が明人たちを横殴りにした。

「……あぅ〜」

 その突風に掠われてラピスが転がっていく。

 機動兵器だった。

 頭上からブルーのエステバリスがものすごい排気を撒き散らしながら降下してきたのだ。

 さらにその上、ナデシコの甲板から身を乗り出した男が、拡声器を通して怒鳴っている。

『こんのバカタレぇ! なんで重力波スラスターを使わねえんだっ!
 ブチ壊したモンの修理代はテメエの給料から差っ引くからな、ドアホ――っ!!』

 ブルーのエステバリスは、そのままブースターを吹かしてフロアに着地。

 プロスペクターはグチャグチャになった髪形を慌てて整えながら、コミュニケを起動した。

「ウリバタケさん。何事ですか、これは」

 ナデシコの甲板上から拡声器で返事。

『オレが知るかぁ!!
 そのバカタレが勝手にオレのエステちゃんを動かしやがったんだよ!
 壊しやがったら、ただじゃおかねえからな、覚えとけっ!!』

 明人が見上げる前で、そのエステバリスのアサルトピットが音を立てて開いた。

「――わはははっ! 俺様の雄姿に恐れおののいて、返事も出来んか!」

 アサルトピットから姿をあらわすパイロットスーツ姿の男

 ダンッ! と右足をハッチの縁にかけて豪語した。

「どうした、どうした! 返事をせんかぁ! そして正義の前にひれ伏せぇいっ!」

「あ〜、もしもし、そこのあなた。いったいどなたですかねぇ」

 プロスペクターの誰何に、男がにやりと笑う。

 びっ! と親指を立てて自分を指し、名乗りをあげた。

「よくぞ訊いてくれた!
 俺様はダイゴウジ・ガイ!
 正義と熱血とゲキガンガーをこよなく愛する熱き漢、ダイゴウジ・ガイ様よっ!!」

『くぉら、山田二郎っ!!
 俺のエステちゃんを汚い足で踏みつけるんじゃねぇ!
 エステちゃんの柔肌に傷がついちまうだろうが!』

 頭上から降り注いだ声に自称ダイゴウジ・ガイは真っ赤な顔で怒鳴り返した。

「違ぁう!
 山田二郎とは世を忍ぶ仮の姿。俺の魂の名はダイゴウジ・ガイ! ダイゴウジ・ガイだぁっ!!
 ――――とうりゃ!!」

 山田二郎、またはダイゴウジ・ガイと名乗る男は、そう叫んで一息にアサルトピットから飛び降りた。

 その高さ、約5メートル。

 無傷で飛び降りるにはそれなりのコツがいるだろう。

 山田二郎、またはダイゴウジ・ガイは何の工夫もなく「ドスンッ!」と両足から真っ直ぐに着地してみせた。

「うわははははっっ!!
 そこな少年! これ以上、不埒三昧を続けるというのであれば、この俺様が相手になろう!
 ――――って、おりょ?」

 ――なんで平気なんだこいつ?

 明人がそう思ったそのとき、山田二郎、またはダイゴウジ・ガイはがくっと横倒し。

 青い顔をしたまま地面に倒れていった。

「な、なんか足が痛てぇぞ……」

「あぁ、折れてますなぁ、それ」とプロスペクター。

「ぬぅあにぃ――っ!?」

「いやまあ、それなりの高さから飛び降りたわけですから」

「正義の味方がその程度のことで――――わはは、痛い、痛いぞぉ!?」

 笑いながら冷や汗を浮かべる山田二郎(またはダイゴウジ・ガイ)。

『みやがれ、天罰てきめんだ!
 オレのエステちゃんを乱暴に扱いやがるからそんな目にあうんだよ、わかったかぁ!』

 頭上の男はしてやったりという調子だった。

「ちょいと、ウリバタケさん。エステバリスは兵器なわけですからして、丁寧に扱われても困りますよ。
 あまりヘンなことを吹き込まないでいただきたいですなぁ」

『戦争ンときにゃあ思いっきりやればいいんだよ。
 ブチ壊して帰っても、そんときゃまたオレたち整備班がピッカピカの新品みてぇに修理してやらぁ!
 だけどなぁ、そうでないときは、こうやって処女の柔肌に触れるように優しく頬ずりして、
 こうサワサワやんわりとだな……う〜ん、つやつやのすべすべぇ〜ん』

 ナデシコの白い装甲に頬ずりしながら、ウリバタケは陶然としている。

 その一方でダイゴウジ・ガイは折れた左足を抱えて喚いていた。

「そんなこたぁどうでもいい! 医者はどこだぁ! 早く呼んでくれぇ!!」

 これも修羅場というべきか。

 とにかく口出しできない雰囲気に明人は呆然としていた。

「そういえばラピスちゃんは――」

「……うきゅ!」

 姿が見えないラピス捜そうと一歩を踏み出したとき、その足元にプニプニとした感触を感じた。

「うわっ!」

 慌てて足元を見ると、目を回したラピスを踏んづけてしまっている。

「うわわ、ゴメン! 大丈夫? 痛かった?」

「……ぐぅるぐるぅ〜」



 ズズン――――!



 明人がラピスを抱き上げたとき、いきなりドック全体が遠い振動に揺さぶられた。



 ズズ――――ドンッ――――!



 こんどはさらに明確な激しい縦揺れ。

 明人たちに白い砂塵がばらばらと降りかかる。

 この13番ドックは地下80メートルを掘り抜いて建造されているのだ。

 並大抵のことでこのような振動が伝わるはずがなかった。

「蜥蜴か!」

 明人は叫んでいた。

「攻撃のようですなぁ。ここは危険です。ナデシコの中に避難しましょう」

「ちょっと待てぇ――っ! 俺も連れてってくれ……いや、連れていって下さい!」

 ダイゴウジ・ガイの悲痛な叫び。

「はあ。まったく難儀なお人だ」

 プロスペクターは溜息を洩らすと、ダイゴウジ・ガイに肩を貸しに行った。









◆◇◆

「敵から攻撃を受けてるってのに身動き取れないってどういうこと!?
 これだから民間の戦艦なんて信用できないのよ!
 アタシはこんなとこで死ぬなんてまっぴらゴメンですからね! なんとかなさい!」

 ブリッジにキンキンというヒステリックな怒声が響く。

 マッシュルームカットのような奇妙な髪型の男が顔を真っ赤にして声を張り上げている。

 連合宇宙軍の制服に将官用のマントを羽織っているところを見るとそれなりの地位にいる男のようだ。

「耳元であまり騒がないでいただきたいな、提督」

 その横に岩石のような体躯の男が佇んでいる。

 目元をサングラスで隠しているが、その暴力的な雰囲気までは隠しきれていない。

 低い声に含まれる恫喝にキノコ頭はひるんだ。

「ぬぁ、ぬぁによアンタは! アタシは提督なのよ!? 偉いのよ!
 たかが副官ごときが偉っそうに意見たれてんじゃないわよ!
 飛ばすわよ! クビっちゃうんだからね!?」

 プロスペクターからの説明によると、この二人は地球連合から派遣されたオブザーバーということだった。

 その実態は監視役というところだろう。

 キノコ頭がムネタケ・サダアキ提督。

 もう一人の威圧的な雰囲気の男が、副官のフジドウ・ミツル中佐だった。

 しかし明人の心はその二人には向いていない。

 ブリッジクルーとして詰めていた一人の少女に、そのすべての関心を奪われている。

 星野瑠璃(ほしの るり)。

 明人の知るルリの、11歳の姿だった。

 まわりの喧騒を薄い防御幕を張り巡らすように遠ざけ、白い顔に無表情を貼り付けながらIFSコンソールに向かっている。

 いまのラピス以上に無機質なその容貌に、明人は驚きを隠せずにいた。

「とにかく艦長がいないと、ナデシコは動かせないのよぉ! 私に怒鳴られてもこまるぅ」

 これは操舵士のハルカ・ミナトだった。

 ネルガルから支給された制服を改造し、豊満な胸元を強調するように大胆にカットしている。

 顔の作りそのものが派手めなせいもあり、目立つことこの上ない容姿だった。

 その横の通信席に座っていた三つ編みの少女が振り返った。

「艦長より入電。
   『サセボドックが見えてきましたぁ。もうちょっとでそっちに到着しますのでよろしく!
    ――うわっ、ジュンくん危ないよ、ちゃんと前見て運転してよ、もう!
    以上、通信終了!』

 とのことです」

 百合花(ゆりか)だ、と明人は頭を抱えた。

「え〜と、通信士のメグミ・レイナードさんでしたかね。
 報告するときは要点だけを的確に伝えていただけないですかな。
 声色まで使って一語一句すべて再現する必要はありませんので」

 プロスペクターの言葉に、メグミは耳元まで赤くなった。

「あっ、ごめんなさい。つい声優やってたときのクセで……」

「まあまあ、いいじゃないの。カワイイんだからさあ」

 ブリッジのドアが開き、二人の人影が現れた。

 一人はキザな風体をした長髪の青年。

 その後ろには人目を引くスタイルと理知的な瞳をした女性が立っている。

「なによ、あんたたちは」

 キノコ頭――ムネタケが訝しげな視線を向けた。

「あ、ボク?」

 すいっ、と前髪をかきあげる。

「そうだねぇ――ネルガルの会長から頼まれてきたってとこかな。
 連合軍のお二方に挨拶してくれってね。
 ボクはアカツキ・ナガレ。
 こちらの美女は、なぁんと会長秘書なんだねぇ。
 どうだいホラ、いろいろとスゴイ人だろう」

 アカツキを睨みつけながら彼女は軽く頭を下げた。

「エリナ・キンジョウ・ウォンです」

「バッカじゃないの、アンタたち!
 いまは戦闘中なんですからね、一般人にウロチョロされちゃ迷惑なのよ!
 さっさと出て行きなさ――――」

 そのムネタケの声を遮り、凄まじい爆音がブリッジを貫いた。

 ドックの天井が赤い炎を吹き出し、補強材の鉄骨が吹き飛ぶ。

 そのひとつが破滅的な速度で回転しながらブリッジに直撃した。

 耳を擘く轟音と、身体を投げ出されるほどの激震。

 明人はラピスを抱きかかえ、床に倒れた。

 ――悲鳴

 誰もが突然の出来事に恐慌をきたしている。

「ひぃぃぃ――――っ!
 ちょっと、なんなの、なんなのよ!! 誰か何とかしなさいよ!
 ひぃっ!」

 ムネタケがキノコ頭を抱えてうずくまった。

「い、いけませんなぁ。かなり本格的に攻撃を受けているようで。
 艦長は御無事でしょうか」

 プロスペクターの言葉に明人は身を強張らせた。

 ――御統百合花(みすまる ゆりか)が死ぬ?

 ありえないはずの事態だった。

「機動兵器で迎撃させろ。せめて艦長が辿り着くまでの時間を稼ぐ必要がある」

 副官のフジドウ中佐が落ち着いた声で言った。

 その意味が皆の心に浸透していく。

「そ、そうよ! この船が動けなくても機動兵器があるじゃないのさ!
 さっさと出撃させなさい、提督の命令よっ!」

「いや、それが唯一の正規パイロットが、さきほど負傷しまして。そうもいかないんですなぁ」

「なんですって!? ア、ア、ア、アンタたちねぇっ! ホンキで戦争する気あるの!
 ふざけんじゃないわよ!」

 そうは言われましても、と言いながら、プロスペクターは明人の顔を振り返った。

「え?」

「そういえば天河さん、あなたパイロット訓練を受けてらっしゃいましたね」

「ちょっと、オレはコック見習いとして雇われたはずっスよ!?
 実戦なんて一度も経験ないんですから!」

「まあ、そうなんでしょうけどねぇ。ただ場合が場合ですから、ここはひとつ……
 もちろん危険手当もはずみますよ」

 明人は半ば覚悟していたとはいえ、やはりそのときが来ると尻込みしていた。

 シミュレータでは血反吐を吐くまで訓練を受けさせられたが、それと実戦ではわけが違う。

 はっきりといえば、明人は恐怖を覚えていた。

「だけど――!」

「ああっと、ちょっといいかな」

 その後ろから、アカツキ・ナガレが口を挟む。

「パイロットがいないんだって? だったら、ボクなんてどう。ほら」

 アカツキの右の手の甲にパイロット用のナノパターンが浮かび上がっていた。

「会――――いえ、アカツキさん。いくらなんでも民間人を戦闘に参加させるわけには――」

「なによ、アンタも操縦できるワケ!? だったら早く行きなさい!
 アタシが許可するわよ! ほら早く!」

 ムネタケが信じられないことをヒステリックに叫ぶ。

「いや、そんな、提督――――!」

 明人は腕の中のラピスと、無表情なまま事の成り行きを見守る瑠璃を見ていた。

 そしてもう一人、いまも命の危険にさらされているだろう御統百合花のことを。

 過去に属する――いや、正確に言えば明人の知る人々のほうが未来に属する――別人たちといえど、一年の間、ひとつ屋根の下で生活した三人。

 それを見捨てることは――――できない。

「……明人?」

 ラピスは明人の眼の色が変わったことに気づいていた。

「オレ、行きますよ」

 ラピスを床に座らせ、明人は立ち上がった。









◆◇◆

 胸の奥で煮えたぎるやりきれなさを、すべて敵にぶつける。

 敵は木星蜥蜴の無人兵器。

 シミュレータでそのすべての行動パターンを学習済みであった。

 明人の視界には、敵兵器の未来予測位置がはっきりと見えている。

 その場所に向けて、つぎつぎとラピットライフルの弾を撃ち込んでいく。

 後ろを振り返ることはしない。

 撃墜したという確信を持って、次の集団へと攻撃を仕掛けた。

 ――なにもかも、おまえらのせいだ!

 明人の中にそんな怒りがある。

 こいつらさえいなければ――――

 行き場を失った怒りはその捌け口を求め、木星蜥蜴へと吹き出していった。

「全部おまえらのせいだ! おまえらが地球にさえこなけりゃ、オレはぁっ!!」

 竜巻が通過したような惨状を後に残し、明人の操るエステバリスは圧倒的な破壊を撒き散らしていた。

『やるねぇ、天河クンだったっけ?』

 アカツキの声。

 ナデシコには部品取りと試験用の予備機を含め計三機のエステバリスがあった。

 そのうちの二機を空戦フレームに換装したものに明人とアカツキは搭乗している。

 明人の機体はピンクのパーソナルカラー。

 アカツキは塗装のなされていない予備機を操っていた。

『いやいや、たいしたもんだ。
 コックなんてやめて、パイロットになったほうがいいんじゃないの』

 そう言いながら、アカツキ自身もかなりの操縦技術を披露している。

 二人の向う方角に次々と爆炎が広がっていった。

「次だ!」

『天河さん! 戻ってください。ドックの防衛が――――』

 暴走気味の明人を諫めようとするメグミの声。

 それを意識の隅で聞きながら、明人は次の敵を求めて視線を飛ばしていた。

 その背に、激しい衝撃が走った。

 ディストーション・フィールドが衝撃のほとんどを偏向させたが、それでも明人のエステバリスは二転、三転と地を転げた。

「――っ! なんだよ!?」

 背後の敵は全滅させたはずだった。

 しかし体勢を立て直した明人は、そこに見たこともない形状の機動兵器を見つけていた。

 白い。

 足先から頭頂部のセンサーにいたるまでが、すべて白で埋め尽くされた異形の姿。

 どれだけの武装をその装甲の下に隠しているのか、ごつごつとした鋭角なフォルムは、兵器としての凶悪な存在感を放っていた。

 明人は知るはずもない。

 その機動兵器を木連中将 高月真央がなんと呼んでいたのかを。

 それはこう呼ばれていた。









 白夜ビャクヤ――――――

















あとがき

なんか前回あたりから一話の分量が肥大してきてます。
詰め込みすぎというか、最初に予定した配分がなってないというか。
というわけで今回は二話に分割しました。
さて、アカツキ最初で最後の見せ場となるか。

あ、ちなみに過去ユリカと過去ルリは(以下略
山田二郎はその逆?に「ガイ」です。

ではでは。

 

 

管理人の感想

つーわけで、私も感想は次の話にて〜