機動戦艦ナデシコ
Phantom of MARS



第二話『緑の地球』はまかせる!?


 慣れない操縦でエステバリスを操り格納庫に戻ってきたアキトを出迎えたのは、厳つい顔をしたゴートと不機嫌そうな顔をして松葉杖をついているヤマダ=ジロウだった。二人とも厳しい顔をしている。もっともゴートはいつもの表情と言えなくもない。
 整備員の誘導でエステバリスを格納庫に納めるアキト。その操縦は多分に危なっかしかったが、それでも何とか所定の位置に置くことができた。
 コックピットから降りてくるアキトを、整備員たちが無言で見守る。本来なら、木星蜥蜴との戦闘においてナデシコ初勝利の立役者のアキトを歓声でもって迎えたい所ではあったが、さすがに無断搭乗をしたアキトを叱りに来たゴートの前では迂闊なことはできなかった。そのままアキトが降りたエステバリスの点検と整備を始める。
 そんな整備員たちを横目に見ながら、アキトは格納庫出口すなわちゴート達の方へと歩いていった。自分が何をしたのかは分かっている。だから、通信で自分に指示を出していたあの大男が何をしに格納庫に来たのかもアキトには分かった。
 ゴートの所まで来るアキト。少し離れた所では、ジロウが不機嫌そうに腕を組みその様子を見ている。
「で、オレはどうなるんですか?」
 アキトがそう切り出したときにはすでに、整備士達の緊張は解けていた。歌などを歌いながら整備を始めている。
「ロボットを操縦した件を初め問題行為は山積みだが、我々は軍人ではないので……うるさいぞ!!」
 ついにはアニメソングの合唱になっていた整備士達をゴートは一喝する。その隙を突いてジロウは口をはさんできた。
「何でお咎めなしなんです!? 勝手に人の見せ場奪いやがって」
「勝手に骨折ったくせに」
「う゛……。だ、大体こいつ慣れ慣れしんですよ、艦長のことも呼び捨てだし 」
 ゴートの返しに言葉を詰まらせるも、さらに詰め寄る。それを聞いてアキトは顔をうつむかせた。そんなアキトの肩に手をのせゴートは言ってくる。
「取り敢えず補充がすむまで臨時のパイロットとして待機していてくれ。コックより給料は上がる」
 それだけを言うとゴートは格納庫から出ていった。
 格納庫に騒めきが戻る。好奇心からアキトの方を見ていた整備士達も、期待した展開にはならなかったためすでに仕事に戻っている。
「オレは戦いがイヤなんス。戦いは……。 コックでいられればそれで……」
 俯いたまま誰にというわけでもなく呟くアキト。そんな彼をジロウは不機嫌そうな目で見ていた。

 プロスペクターは、自分の部屋でお茶をすすっていた。目の前にはコンピューターネットワークの端末がある。
 調べていたのはテンカワ=アキトの経歴デ−タだ。採用したとき調べた遺伝子データでは、結局大したことは判らなかった。そこで今度は地球連合総合管理局のデータバンクを調べてみたのだ。地球出身なら各国の管理下に個人情報があるのだろうが、火星出身ではそうはいかない。火星は一応地球連合議会の管轄になっている。従って火星入植者──地球でこの呼び名が残っていることからも、火星住民に対する偏見を伺うことができる──のデータは連合総合管理局にあることになる。
 めがねの位置を直しながら、プロスペクターは僅かに眉をひそめた。
 結果はただネルガルのデータバンクは正確だったということを確認しただけにすぎなかった。2186年から2195年までの経歴は不明。そんなことぐらいしか判らない。テンカワ=アキトに関しては。
 だが、プロスペクターが気になり調べたかったのは、そのことではなかった。
 アラヤ=サダオ。アキトの遺伝子データを検索したときに、同一パターンとして出てきたのが、この男のデータだった。
 一卵性の双子でもないのに遺伝子データが全くの別人と一致すること自体は、珍しくはあるが有り得ないことではない。遺伝子のごく一部の固有パターンを調べるだけなのだから。遺伝子データの登録率がほぼ百パーセントである火星においては、同一パターンを持つ人間がプロスペクターが知るかぎり一組いた。確か、ネルガルの研究者のイネス=フレサンジュ博士と、彼女とは二十歳ほど年下の少女だったはずだ。
 しかし、アラヤ=サダオに関しては同様に見ることはできない。怪しい所が多すぎる。
「ふう」
 すっかり温くなったお茶をすすりながら、プロスペクターはアラヤ=サダオのデータを見る。
 顔写真は付いていない。通常、火星においては政府管理の個人データには犯罪者でもないかぎり顔写真など付けたりしない。地球では、犯罪者や月及び火星出身でもないかぎりとなるが。従って顔は判らない。
 そして経歴の方は、見覚えがあった。それ自体にではない。その雰囲気に、だ。それは明らかに作られたモノだった。
 遺伝子登録が一般化している火星では、それをどう誤魔化すかが、いわゆる裏といわれる職に就いている人間の課題である。下手をすれば交通機関を利用しただけでも、素性が割り出されかねない。実際にはそんなことはないだろうが。
 そこで使われてきた手が、単純な経歴だけを取り敢えず登録しておくというモノだ。必要に応じて細かな経歴を付け足していくのだ。中央コンピューターへのクラッキングルートを持っている一定以上の規模の組織にしか使えないが、プロスペクターがネルガルの火星支局にいた頃から行われてきた一般的な方法だった。
 アラヤ=サダオの経歴は、まさしく”単純”なモノだった。こうなるとテンカワ=アキトと別人というのは怪しくなってくる。地球のモノは残ってたようだが、おそらく火星のテンカワ=アキトのデータは消されていたのだろう。彼は裏の人間なのだろうか? しかし、彼が死んだとされるあのクーデターの時に彼が関わりえる組織といえば。プロスペクターには一つ心当たりがあった。もしそうならば、敵ではないのかもしれない。
 しかし……。
「彼には監視を付けた方がいいかもしれませんねぇ」
 本人の知らぬ間に、暗示をかけられていることもあり得るのだから。それに、経歴を見る限り彼がどうやって陥落した火星から地球に来たのか、それも不可解な謎として残ってしまう。
 最後のお茶を飲み干すと、プロスペクターは目を少し険しくさせてそう呟いた。

 居住区へと続く通路を軽くスキップをしながら歩いているミスマル=ユリカは、すこぶる上機嫌だった。
 連合大学を卒業してこのナデシコの艦長にスカウトされた。しかしそれは連合宇宙軍提督ミスマル=コウイチロウの娘という理由ではなく、ミスマル=ユリカとしての実力を見込まれたからのはずだ。この艦では、ユリカはユリカであるが故に望まれている。
 だが彼女が上機嫌なのは、それが原因ではなかった。テンカワ=アキト。アキトがこの戦艦に乗っている。それもユリカがピンチの時にパイロットとして華麗に救ってくれた。そう、やっぱり小さい頃からわかっていたけど、アキトはユリカのことが好き。敵前逃亡する臆病者のふりまでしてユリカのために囮になったアキト。それを信じて見事職務を全うしたユリカ。これはまさしく愛としか考えられない。
 そんなループな思考を上機嫌そのものの顔で包みながら、ユリカはアキトの部屋へと向かっていた。足どりも軽い。
「アキトったら、私が艦長だからって遠慮して会いに来てくれないんです」
 そう誰にともなく──というには音量が大きいが──呟くと、足を止めた。ここがアキトの部屋の前だ。
 アキトの部屋は二人部屋だ。ナデシコでは居住区の部屋は基本的に二人部屋である。といっても部屋数はむしろ余剰気味でブリッジクルーは全員一人で使っているが。とにかく今の時間はアキトは一人で部屋にいることは、コミュニケですでに確認してある。
「アキトぉ、アキト、居ないのアキト?」
 そう言いながらユリカはドアをノックする。
「はーい、わかってるよ、もう。うるさいなぁ。ちょっと待ってくださぁい」
 部屋の中からそんな声がしたような気がする。だが、アキトを呼ぶことに夢中になっていたユリカは、そのアキトの声に気が付かなかった。そのままドアを叩き続けるユリカ。
 と。
「そっかぁ、私艦長だから合い鍵持ってるんだっけ」
 そんな彼女の声と共に目の前のドアが開く。手には艦長用のマスターカードキーがある。
 本来なら、いかに艦長であっても緊急時以外はマスターキーを使用することは許されないはずだが、そんなことはユリカは全く気にしなかったようだ。良いことを思いついた子供のような笑顔で、アキトがいるはずの部屋の中をのぞき込んだ。
「お、お前……」
 だが、タイミングが悪かった。初めての戦闘で出た汗をシャワーで流し、そして今まさにシャワーから出てきて腰にタオルを一枚巻き付け下着を着けようとしているアキトがそこにいた。
「え? あ! あぁ!! ああぁぁ!!!」

「馬鹿ばっか」
 艦長があげた悲鳴を聞いて、ホシノ=ルリはそう呟いた。彼女の目の前には、通信用ウィンドウが開いている。
 本来個人の部屋の中は、プライバシーの関係上のぞき見ることは当然できない。もっとも、それらの機能を管理しているメインコンピューターの自律学習型中枢システム「思兼」はルリが管理しているため、彼女がその気になればどうとでもできる。それでも通常は、艦長権限による緊急命令か当人の許可が無いと覗くことはできない。
 今回は、ルリが一人艦橋に残って「思兼」の微調整をしていたら、唐突にプライベート制限の解除を知らせてきたために覗いてみたというわけだ。
 ウインドウの中には、自室の中にいるタオルを一枚着けただけのコックと、その入り口で固まっている艦長が見えた。
 状況はだいたい想像がつく。あの戦闘の後の艦長の舞い上がりようは、とてもではないが一隻の戦艦の艦長とは思えない物だった。どうせ今回も軽率なことをしたのだろう。
 とにかく、この戦艦のクルー達はみんな、ルリに言わせれば「馬鹿ばっか」だった。脳天気な艦長、その陰に隠れて印象の薄い副艦長──そう言えば彼はなんという名前だっただろうか?──、ルリの目から見ても少々扇情的な元秘書の操舵手、そんな中でも比較的普通でありそれ故に戦艦の中では少し浮いている元声優の通信士。あのプロスペクターという男は何を考えてブリッジクルーをスカウトしたのだろうか。どれも前にいた研究所にはいないタイプの人たちだ。
 ウィンドウの中では、艦長とコックがまだ会話している。なんとなしに聴いてみれば、どうやら二人は幼なじみだったようだ。先の戦闘での艦長の一方的な会話ではいまいち判らなかったが。
 幼なじみ。それはルリにとってよく解らないモノだった。ナノマシン強化体質の遺伝子操作を受精卵の時から受けていたルリは、幼いときから研究所の中だけで育ってきた。周りにいるのは大人ばかり。それが普通だった。
 そう言えば、研究所の大人達もみんな「馬鹿ばっか」であった。愚にも付かないことを実験と称してルリにやらせ、そして出した当然の結果に一喜一憂する。
 研究所の外の世界に出るのはこれが初めてだったが、どうせここの大人達も同じようなものだろう。……艦長は色々な意味でどこか違うような気もしたが。それでもきっと同じだ。
 マスターキーの使用による一時的なプライベート制限の解除は特に指示がなければ、マスターキーの使用者つまり艦長がその部屋から出た時点でまた制限されることになる。ルリが気が付いたときにはすでにコックの部屋を映していたウィンドウは閉じていた。艦長が部屋から出たのだろう。
「馬鹿」
 ルリはもう一度呟いた。
 のぞきなんてガラでもないことをした。少々自嘲気味に小さく首を振ると、ルリはまた思兼の調整の続きを始めた。

「アキト、ねぇアキト」
 食堂に向かって歩いていうアキトの後ろで、ユリカが困惑した声を上げている。やや早足気味に歩いているアキトは、そんなユリカの方を振り返ることもなくただ険しい顔をしていた。
「どうしたの」
 さっきまで部屋でしていた話は、確かにユリカにとっては単なる思い出話だった。だからユリカにはアキトの不機嫌なわけはわからないだろう。
「何怒ってるの?」
 別に怒っているわけではない。ただ、戸惑っているのだ。ユリカと何から話したらいいのか思いつかない。
 ユリカに聞きたいこともある。そのためにナデシコまで追ってきたのだから。
 でも……。
「ねぇ、聞いてよお願いだから」
 彼女の無邪気な思い出。それを聞いているうちに、アキトは何となくユリカと話すのか辛くなった。ユリカが真っ直ぐな目で自分を見るのが、たまらなく居心地が悪い。
 あの日、ユリカが火星から引っ越したあの時、何があったのか知りたい。どうなったのか聞き出したい。
「アキト。ねぇアキト」
 でも、どう切り出せばいいのかわからない。彼女にどんな感情を持てばいいのかもわからなかった。だから、彼女の前から逃げ出したかった。
 無邪気にユリカが話してくる思い出が懐かしい。何も知らず両親のことを話してくるのが腹立たしい。そして、所々で感じ取れる自分にはないユリカの十年間の重みが妬ましい。でも、そんな全てがやっぱり懐かしい。
「ねぇアキトぉ。ねぇったらねぇ」
 ユリカは何も変わっていない。振り回されていた幼い頃のままだ。
 自分はどうなのだろう。と、アキトは考える。自分は、変わったのだろうか。記憶のない九年間は、ユリカに誇りを持って話せるようなものだったのだろうか。アキトは今、一年前に地球で気がついてから初めて、罪悪感にも似た焦りを感じていた。
 天真爛漫なユリカを前に、それ以上いるのは苦痛だった。何故かはわからない。ただ、自分と話していると彼女の純粋さが損なわれる、そんな気もした。それ故に、食堂に就任の挨拶にいくことを口実に、ユリカから逃げ出したのだ。
「……っ!! いってー」
 突然後ろから投げつけられた空き缶に、アキトは立ち止まると勢いよく振り向いた。
「何するんだよ!」
 見ればユリカはなにやら空き缶を数個抱えて、少し涙の浮かんだ目をこちらに向けている。
「だって無視するんだもん。ねえ教えて、何があったの? 何を怒っているの? 教えて!」
 そのユリカの真剣な、そして必死な眼差しにアキトも渋々ながら折れることにした。
「しょうがない、教えてやる。だが、その前に!」
 そう言うとアキトは周りを見渡した。そこにはユリカの投げた空き缶が散乱している。
「これ……片付けよう」
「あ、うん。空き缶はくずかごに、だね!」
 そう言ってくるユリカは、うっすらと残っている涙の後を指で拭くとにっこりと微笑んできた。
 そして、この時になってやっとアキトは自分たちの痴話げんかが周りの野次馬たちの注目を集めていることに気がついた。

「オレの親父とお袋は殺された」
「え?」
「おまえの一家が火星を離れたとき死んだんだ」
 食堂に入るなり言ってきたアキトの言葉に、ユリカは息をのんだ。
「あの日、空港におまえを見送りに行った日、空港で爆弾テロがあったんだ」
 覚えている記憶はすでに断片でしかない。鮮明なのは喪失感だけ。あの時アキトは、両親だけでなく自分自身をも失った。
 無論、この一年間に失われた記憶と真相を知ろうとアキトも色々と調べもした。この宇宙港であった爆弾テロのことも、その時に初めてその概要を知ることができた。
「あの日のことは、オレだってそんなにはっきりと覚えている訳じゃない。でもわかるんだ。あの時、確かに親父とお袋は殺された。微かにだけど覚えているんだ。二人が撃たれるところ……」
「撃たれた……?」
「ああ。それに、オレその後からの記憶がないんだ」
「え?」
 まるで罪を告白しているような趣で、淡々と話すアキト。ユリカの方がかえって、感情移入して涙ぐんでいる。
「気がついたのは一年前、地球にいた。それまでの九年間の記憶が抜けているんだ。……オレは真相を知りたい」
 アキトの目に暗い光が灯る。食堂のサンプルメニューのショウウィンドウの前で、思い詰めたもの特有の沈んだ声色で続けた。
「親父とお袋が何故殺されたのか。何故オレの記憶がなくなったのか。それが知りたい。オレは真相次第じゃおまえだって、こ、殺す。殺すかも……しれない」
「殺す!? 殺すって……」
 呆然とユリカが呟く。
 愛し合う男女。だが非情な運命は、二人にもっとも過酷な別れを演出する。些細な誤解とすれ違いが、男の殺意を駆り立てる。愛するが故にその身を捧げる女。男は冷たくなっていく女を抱いて、やっと自らの過ちに気づく。ユリカは一瞬後にはそんな想像を頭の中で膨らませて、頬を上気させた。
「やだ。なんかハードボイルドでロマンチック」
 上気した頬を両手で挟んでそんなことを言っているユリカ。だが気がつくと後ろでは、アキトが何事もなかったかのように食堂スタッフに就任の挨拶をしていた。
「おいおい……」
 さすがに半眼でツッコミを入れる。
 と、突然目の前にウィンドウが開く。映っているのは、通信士のメグミ=レイナードだった。
「艦長、ブリッジまで来てください」
「へ?」
「重大発表があるそうです」
「ぴょう……?」
 そして、次の瞬間には恋する乙女の顔から艦長の顔へと変えてから、ユリカは艦橋へと向かった。

 ユリカが着いたときには、艦橋にはすでに主要なクルーたちが集まっていた。
 ネルガルの代表であるプロスペクターとゴート=ホーリー。提督のフクベ=ジンと副艦長のアオイ=ジュン。メインブリッジクルーであるハルカ=ミナト、メグミ=レイナード、ホシノ=ルリの三人。そしてパイロットのヤマダ=ジロウと整備班代表のウリバタケ=セイヤ。
 プロスペクターは、ユリカが来て全員そろったのを確認すると、おもむろに話し始めた。
「さて、皆さん。これまで我々がフクベ提督やミスマル艦長以外に目的地を話さなかったのは、妨害者の目を欺く必要があったためです。ネルガルがわざわざ独自に機動戦艦を建造した理由は別にあります。以後ナデシコはスキャパレリ=プロジェクトの一端を担い、軍とは別行動を取ります」
「我々の目的地は火星だ!」
 フクベ提督がそれを引き継いで続きを言ってくる。
 だが、それに反発したのは、ほかならぬ副艦長のジュンだった。猛然とプロスペクターに詰め寄る。
「では現在地球が抱えている侵略は、見過ごすというのですか!?」
「多くの地球人が火星と月に植民していたというのに、連合軍はそれらを見捨て地球にのみ防衛線を引きました。火星に残された人々と資源はどうなったのでしょう?」
「どうせ死んでるんでしょ」
 無関心そうに聞いていたルリが言ってくるが、プロスペクターは気に止めていないようだった。
「わかりません。ですか、確かめる価値は……」 
「ないわね」
 と、プロスペクターの目の前にウィンドウが割り込んできた。そこに映っていたのは、フクベ提督の元副官であるムネタケ=サダアキだった。
「こんな戦艦を民間人なんかに使わせるわけにはいかないわ」
 その言葉とともに艦橋に、武装した兵士たちがなだれ込んできた。全員連合宇宙軍の制服を着ている。
 先ほどのサセボでの戦闘は、地上施設の防衛ということもあり連合陸軍が防衛に当たっていた。基本的に宇宙軍は戦艦がないと戦えない。そのため、少数とはいえサセボのドックにいた宇宙軍の兵士たちは、ナデシコに避難していた。その彼らだった。
 その後ろから、サダアキが入ってくる。
「血迷ったか、ムネタケ」
 フクベ提督が、余裕の表情のサダアキに詰問する。だが、サダアキはその余裕を冷笑で強調した。
「フフフ、提督この艦をいただくわ」
「その人数で何ができる」
 さすがに軍出身なだけあって冷静なゴートがいうも、やはり余裕を崩すことはなかった。周りの兵士に目配せをして、ブリッジクルーたちを一カ所に固まらせながら言ってくる。
「そんなことないわよ。ほら」
 それとともにいくつかのウィンドウが開く。その中では、食堂や格納庫を制圧している軍人たちが映っていた。
「わかったぞ。てめえら木星のスパイだな!」
 ジロウがサダアキを指さしながら威勢のいい啖呵を切るが、数個の銃口を向けられて押し黙る。
「勘違いしないでちょうだい。ほら、来たわよ」
 サダアキが顎で指し示したちょうどその時、海中から姿を現す軍艦がメインスクリーンに映し出されていた。
 勝ち誇ったように笑う、サダアキ。そこに、目の前の戦艦から通信が入る。
『こちらは連合宇宙軍第三艦隊提督ミスマルである』
 そこに映っていたのは、立派なカイゼル髭を生やした壮年の軍人だった。厳しい顔で名乗りを上げる。
「お父様?」
 ユリカが意外そうな声を上げた。「お父様」という言葉に、事情を知らないメグミとミナトが驚きの声を上げて艦長を見る。
「お父様、これはどういうことですの?」
『おお、ユリカ。元気か?』
「はい」
『これも任務だ。許しておくれ。パパも辛いんだ』
 愛娘を前にして、とたんに目尻を崩すミスマル提督。先ほどまでの厳しい表情が台無しになる。後ろでは、副官たちがポーカーフェイスを崩すまいと必死になっていた。
 そんな親子の会話に割り込んだのは、裏が読めないという点ではポーカーフェイスと大差ない笑顔を浮かべたプロスペクターだった。
「困りますなー。連合軍とのお話は済んでいるはずですよ。ナデシコはネルガルが私的に使用すると」
『今我々がほしいのは確実に木星蜥蜴と戦える兵器だ。それをみすみす民間に……』
「いや、さすがミスマル提督。わかりやすい。では交渉ですな。そちらへ伺いましょう。さあさあ皆さんも、そんなに怖い顔しないで」
 言外にこの無法な行為を皮肉りながら交渉する。
 そう、この行為は明らかに違法であった。いかに軍とはいえ、民間の艦を威圧行為でもって制圧していいはずはない。プロスペクターはこの事をカードに交渉の席に着くつもりだった。
『よかろう。ただし、艦長とマスターキーは当艦が預かる』
 ミスマル提督の方も有利な状況の内に必要な処置は取ってしまうつもりなのだろう。さすがに顔を厳しいものに戻してナデシコの完全な服従を要求してくる。
 こうして、軍とネルガルの化かし合いが始まった。

「いいこと、ここで大人しくしててちょうだい」
 サダアキがそう言うのと同時に、食堂の扉が閉まる。軍との交渉に行ったプロスペクター及びユリカとジュン以外のナデシコクルーは食堂に全員集められていた。
 といっても、木星蜥蜴の襲撃によって本来の予定を切り上げて出航したナデシコでは、乗組員はかなりの人数が乗り遅れていた。ブリッジクルーは辛うじて全員そろっていたが、整備班の半分と生活班──食堂スタッフを含む日常雑務の担当者たちだ──の大半、そして保安部の大部分とヤマダ=ジロウ以外のパイロットがまだナデシコに搭乗していなかった。
 そのため、広い食堂は現在のクルーを全員収容してもなお余裕があるようだった。
「ちくしょう、おぼえてやがれぇ」
 松葉杖をついたジロウが、閉まった扉に向かって怒鳴りつける。それを聞き流しながらセイヤはため息をついた。
「はぁ。自由への夢は一日にして終わる、か」
「だあぁ、諦めるなぁ! 希望はまだそこにある!」
「はいはい」
「みんなも諦めるなぁ! 悪は絶対に滅びる。何はともあれ、まずは腹ごしらえだ!」
「何でだよ……」
 何かとテンションの高いジロウを、セイヤは軽く流している。
「牛乳だ牛乳。ミルクパワーチャージ!」
 そう言って食堂内に設置されている自動販売機に向かっていくジロウ。セイヤはそれを半眼で見ながら再びため息をついた。
「班長、俺たちこれからどうなるんでしょうかね?」
 そんな不安そうな声でセイヤに行ってくるのは、整備班のサイトウ=タダシだった。
「軍が接収なんて事になったら俺たちお払い箱っすよね?」
「そうだな。ふっ、また明日からはオリエの尻の下か……」
 その言葉に反応したのは、暇をもてあましていた整備班の面々だ。口々に言ってくる。
「オリエって、もしかして班長の奥さんですか?」
「ええ!? 班長って結婚してたんですか?」
「どんな人です。ウリバタケさんなんかと結婚した女って?」
 整備班の人間の大半は独身男性だ。だから、セイヤが既婚者だと言うことは、彼らに大きな衝撃を与えたようだった。どさくさに紛れて失礼なことを言ってくる者もいる。
「な、なんだよ。おまえら……」
 そう抗弁するセイヤの頬は微かに上気していた。

「馬鹿ばっか」
 後ろでジロウや整備班の人たちが騒いでいるのを聞きながら、ルリは呟いた。頬を付いて冷たい目で周りの人間を見ている。
「あーあ、戦艦に乗ればかっこいい男いっぱいいると思ったのに」
「世の中そんなものよ、なかなかね」
 状況からするとのんきとしか思えない会話をルリの側でしているのは、メグミとミナトだった。
 ルリはその会話も冷たく聞いていた。
「ホント、この船変な人ばっかだよね」
 メグミは同意を求めるようにミナトの方を見た。彼女が同意ともとれる軽い苦笑を浮かべたのを見て続ける。
「それに、あのネルガルの髭めがねのおじさん大丈夫かな? なんか頼りないよね?」
「人は見かけによらないよ、メグちゃん。意外とね。大丈夫よ」
 なかなか含蓄があるところを見せるミナト。
 とそこにジロウが割り込んできた。
「なんだなんだみんなぁ、元気出せよ。そうだ! 俺がとっておきの元気が出るもの見せてやるぜ!」
 彼が懐から取り出したのは、二世代ほど前のビデオだった。セイヤに頼んで食堂の壁に付いているモニターに接続してもらっている。
 ぼやきながら作業しているセイヤを後目に、ルリがジロウに話しかける。
「いつもこんなもの持ち歩いていたんですか?」
「ふっ、俺の命だからな」
 ディスクの方はそうだろうが、ビデオデッキを持ち歩いていたのは何故だろう。やっぱり馬鹿?とルリは思った。
「博士が工具を持ち歩いているのと同じようなもんだ」
 そう言ってジロウが指さす先には、セイヤが軟禁中とは思えない量の工具を出して、ビデオデッキと格闘していた。

 一方、連合宇宙軍第三艦隊旗艦トビウメでは……。
「ユリカ、しばらく見ないうちにやつれたんじゃないか?」
「お別れしてまだ一週間ですわ、お父様」
 ほほえましい親子の会話がおこなわれていた。そこは、トビウメの接客応接室だった。そこの机の上には、紅茶とケーキが置かれている。
 無論、ミスマル提督はわざわざこんなところまで親子の会話をしに来たわけでもないだろうが、それでも顔の相好を崩しながら自分の娘とお茶を飲んでいた。
「そうだったかな。まぁそれはそれとして、おなか空いたろう、たぁんと食べなさい。双葉屋のケーキだ。ショートもチョコレートもレアチーズもいっぱいいっぱいあるからな」
 このトビウメは本来日本近海の警備に当たっていたはずであった。それを緊急の命令でナデシコ捕獲に向かった以上、ここで用意されたケーキはユリカのために買ったものではないはずである。が、ユリカはそんなことは気にしていなかった。目の前のケーキには手をつけず、真っ直ぐに父親を見つめる。
「お父様。テンカワ=アキト君覚えていらしゃいますか?」
「テンカワ……誰だったかな?」
「火星でお隣だった子ですぅ」
「火星!?」
 気になっていたのはこちらの方だった。そのためにわざわざナデシコのマスターキーを要求通りに抜いてまで、こちらに来たのだ。
 アキトの話は正直ショックだった。あの自分が火星をたったときに起こったクーデター──地球では単にテロと報じられたが──のことは知っていた。その時、アキトと彼の両親は「全員」死んだと父親から聞かされてもいた。それなのに、実際はあんな事があったとは……。
「私、アキトに会いました」
 そしてユリカは話し始めた。ユリカが聞きたいこと、おそらくアキトが聞きたがったこと。それを話し始めた。
「殺された!?」
 それは初耳、というようにミスマル提督が驚きの声を上げる。飲みかけの紅茶のカップを机に戻す。
「お父様は何かご存じかと」
「それは何かの間違いだろう。テンカワは事故で死んだのは事実だ。……いや待ちなさい、私は確かにテンカワの一家は全員死んだと聞いたぞ」
 髭をさすりながら言いかけるも、はたと気づいて聞き咎める。
 あの件は確かに記憶にある。個人的に親しいつきあいを、家族ぐるみでしていた間柄だ。だから、あの事件から四ヶ月後、地球に着いたときにそのことを知り、独自に調べもした。彼らの息子が生きていたら引き取ろうとまで思っていたのだ。だが、調べた結果は一家は全員死んだというものだった。もっとも、生きていたとしてもその直後に妻が死んだので、引き取ることはできなかっただろうが。
 ともかく、調べた結果テンカワ=アキトも死んでいたはずだった。それを目の前の娘は彼に会ったという。
「ですから、お父様には……」
「お待たせ」
 なおも食い下がって問いただそうとしたユリカを止めたのは、部屋に入ってきたプロスペクターだった。
「結論は出たかね」
 提督が聞く。
「ハイ。色々協議しました結果……」
 顔の笑みをそのままに目だけを鋭くするプロスペクター。
「ナデシコはあくまで我が社の私有物であり、軍の制限受ける必要なし、とのことです」
「では、あくまで軍に逆らうと?」
「いえいえとんでもない。ですから、ナデシコはこれからヨコスカのドックに入りますので、交渉の続きはそれからということで……」

 ヤマダ=ジロウが出したビデオが始まったとき、周りで起きたのは呆れを含むため息だった。
「なんだこれは?」
 ゴートの呟きが、周りで見ていた人たちの気持ちを代弁している。
「幻の傑作、ゲキガンガー3! いやぁ、全39話燃え燃えっす」
 後ろのスクリーンには、なにやら熱いアニメが流れていた。
「あれ、オープニングが違うぞ」
 そこに割り込んできたのは、アキトだった。ついさっきまで仕込みをしていた彼は、エプロン姿である。ナデシコの厨房は、元軍属コックのホウメイという女性が仕切っていた。彼女の信念は、いつでも何でも美味しく出す。この状態でもしっかり仕込みをやっていたのだ。
 とにかく、流れてきた映像と音楽はアキトの記憶にあるものだった。火星の、まだ父がいて母がいたあのころの記憶。思わず食い入るように見つめる。
「だぁぁ、そうなんだよなぁ。オープニングは三話で本当のやつになるんだよな」
 予想外に反応の寒い中、アキトの反応がよほど嬉しかったのか、勢いよく顔を近づけて語り出すジロウ。が、相手があの見せ場を奪ったコックと知って露骨に落胆の表情を見せた。
「なんだおまえか……」
「え?」
「おまえに、ゲキガンガーを語る資格はない!」
「杖忘れてるぞ」
「う゛」
 完全に熱くなり松葉杖を放り出して机の上で啖呵を切るジロウに、セイヤの冷めたツッコミが入る。ジロウが熱くなればなるほど、周りは白けていく。
「わかるよ。子供の時に見ていた」
 しかし、アキトは違った。ムキになって抗弁する。
「だったら何でパイロットがいやなんだよ、コックがなんだ」
「いいじゃないか」
 にらみ合う二人。対照的に、周りの人間はとことん冷めていった。
『無敵! ゲキガンガー発進』
「おお!!」
 しかし、オープニングが終わりアニメのサブタイトルが始まったとたん、二人は拍手をしながら歓声を上げてアニメに熱中した。
「馬鹿」
 そんなルリの呟きだけが、他のクルーたちを代表していた。

『見事だゲキガンガー。さあ、とどめを刺せ!』
 ゲキガンガー3第13話『聖夜の悲劇! サタン・クロックM!!』が流れる中、食堂は何ともいえない雰囲気になっていた。食い入るように画面を見ている男二人、だがそのほかのクルーたちは、みなそっぽを向いたり、小声で話をしたり、寝ていたりしていた。フクベ提督などは完全に船を漕いで眠り込んでいる。整備員の何人かは興味があるようだったが、白けた空気に負けて寝たふりをしていた。
「あっ、これのことだったんだ……」
「え? 何がですか?」
 そんな会話を始めたのはミナトとメグミだった。
「なんか前にね、どっかのアマチュア天文観測家か何かが、木星蜥蜴と通信を試みたんだって」
「へー」
「木星に向かって自作の通信機でメッセージを十数ヶ国語かで送ったらしいんだけどね。なんと返事が返ってきたっていうのよ」
「え? でも、確か木星蜥蜴って、意志の疎通に成功した例はないはずですよ?」
「だから嘘くさい話なんだって。帰ってきたメッセージが百年前のアニメの主題歌だったんだっていうんだから」
「じゃあ、これが……?」
 メグミが指さした先では、アニメのヒロインがなにやら涙ながらに叫んでいた。
「そ。ね、嘘くさい話でしょ? これがまた木星蜥蜴が百年前に火星に追放された月移住民の末裔だってトンデモ説の根拠にされてたりするのよね。全く……」
「ちっがーう!!」
 その声はジロウだった。彼は、ミナトの話を大声で遮ると、いきなり立ち上がって椅子に上がってきた。
「なんなんだ、それは。これはなぁ、正義なんだよ、熱血なんだよ。木星人にそんなのがあるかぁ? いや、ない!!」
 ツバをまき散らしながら、ジロウは手を握りしめて叫ぶ。すでに骨折しているということは忘れているのか、松葉杖を大げさに振り回している。
 さすがにクルーたちもジロウに注目を集めていた。机に伏して寝ていたルリも、何事かと顔を上げる。
「黙って聞いてりゃ、そんなの嘘に決まってるだろ!」
「だから、嘘くさいって言ってるのになぁ……」
「心を素直に考えても見ろよ。木星蜥蜴はなぁ、火星をいきなり卑怯な奇襲をしてきて滅ぼすような奴らなんだぞ。そんな奴らがゲキガンガーを知ってるはずない!」
「火星……」
 その言葉にはアキトが反応する。
「正義、熱血、友情、勝利。ゲキガンガーの精神は地球の精神! はっ! みんなぁ、このシチュエーションに燃えるものを感じないのか? 奪われた秘密基地、軍部の陰謀。残された子供たちだけででも事態を打開して鼻をあかしてやろうとは思わねえのか?」
「誰だよ、子供たちって」
「ここは秘密基地か?」
 セイヤとゴートの呟きも空しく、ジロウは絶好調だった。
「絶対鬼のように燃えるシチュエーションだって。軍なんてのは、所詮は戦争屋だ。こういう正義の戦いはやっぱ俺たちみたいな若者が……っておいテンカワ?」
 勢いよく立ち上がったアキトを見て、ジロウは面食らったような声を上げる。
 アキトはそのまま何も言ってくることもなく厨房には行ってそこにあった中華鍋を持ってくると、無造作に食堂出口の扉の方へと歩いていった。扉が開く。ナデシコは、マスターキーが抜かれているからと言って、止まるのは航行システムと戦闘関係のシステムだけである。したがって、今の状態でも普通に鍵を解除して扉を開けることができる。見張りがいるから今までしなかっただけだ。そして今、見張りはアキトの中華鍋の一撃で気絶したところだった。二人一組での見張りだったのだろう。もう一人があわてて銃をアキトに向けてくるが、こちらはさすがに行動の早かったゴートに気絶させられる。
 食堂の中にいたほとんどの人間が出入り口に集まってくる。みんな、アキトが何をするつもりなのかわからず、戸惑いの目を彼に向けていた。反射的に見張りの一人を倒したゴートですらだ。
「オレ、ロボットで脱出してユリカを連れ戻してくる」
「え?」
 アキトの言葉に、全員が驚く。
「オレ、火星を助けたい。そりゃオレは八歳からの記憶はない。でもわかるんだ。オレは八歳まで火星で育って、それからもきっと火星育ちだったんだって。だから火星を助けたい。たとえ、軍人や世界中の全てが戦争しか考えてなくても、それでももっとほかに何かできること、みんなそれを探しにここに来たんじゃないのかい?」
 別にそういう訳ではなかった。ただ社命で乗り込んだ戦闘オブサーバー、やりがいと刺激のために某社社長秘書から転職した操舵手、研究所とネルガルの商談で決まったから来ただけのオペレーター、女房の元から自由になりたいがために修理工から転職した整備班班長、みんな似たようなものだ。
 だが、それでもアキトの言葉はみんなの心を打つものだった。自分たちにできることがある。そして、それはナデシコに乗っている自分たちにしかできないのだ。
「みんな、オレは……」
 その時、突然艦が揺れた。

「チューリップだと?」
 報告を受けて、ミスマル提督が艦橋に向かっていた。後ろには、副官たちとアオイ=ジュンナデシコ副艦長がついてきていた。
 この海域には幾つかの休眠中のチューリップがあることは知っていたし、すぐ近くにも一つあることは事前にわかっていた。にも関わらず無視する形でいたのは、地球に落ちたチューリップのほとんどが休眠中で、今更警戒する必要がないと認識されていたからだ。
「バンジー、クロッカスともに捕まりました」
 艦橋についた提督が見たものは、スクリーンに映し出されるこの艦の護衛艦である、バンジーとクロッカス、そしてそれを今まさに吸い込まんとしている一体のチューリップだった。
「奴め! 生きていたのか」
 悔しそうに呻く提督。
「我操作不能。我操作不能。援護頼む」
 クロッカスからは、通信士の悲痛な声が聞こえてくる。
 チューリップは木星蜥蜴の母艦だ。開いた口から無尽蔵とも思える量の無人兵器が出てくる。チューリップの体積と無人兵器の搭載量には明らかな矛盾があるため、その中は一種の空間転移装置とも言われている。そしてこの黒い花は、逆に連合軍の戦艦を吸い込むことができる。吸い込まれた戦艦がどうなるか、それはわからない。そこから帰ってきた者は皆無だった。死体ですらも。
 それを知っているのだろう。クロッカスからの通信は感情を殺してるだけ余計に悲痛だった。
「何をしている! 対空砲用意! ありったけ……」
「っ! バンジー、クロッカス共に──消滅しました……」
 一瞬早く、通信士が報告してくる。スクリーンにはすでに友軍の艦の姿はなく、ただチューリップの姿が悪夢のようにあった。
「ナデシコの発進準備!ユリカ、ナデシコのマスターキーを渡し……あれ? ユリカ?」
『ここですわ、お父様』
 聞こえてきた娘の声は予想に反して隣からではなく、通信機越しからのものだった。ウィンドウにユリカの姿が出る。プロスペクターと共に、ヘリのコクピットの中にいる。あっけにとられたミスマル提督が、やっとの思いで声を出す。
「ユ、ユリカ。どうしてそんな所に……?」
『もう一度お聞きします。アキトのご両親の件ですわ』
「今はそんな時じゃないだろ」
 あまりに場違いなユリカに、ジュンが思わず口をはさむ。
『私には大切なことなの!』
 ユリカはそれを一蹴すると、父親を見すえた。それに気圧されたという訳でもないだろうが、目をそらし髭をさすりながら提督は口を開いた。
「確かに……そんな話も聞いたかもしれん。だが、その、おまえに聞かせるのは忍びなくて……その……」
『わかりました。いきましょう』
『ハイ』
 そのままユリカは隣の操縦席に座っているプロスペクターを見やる。
「な!?」
「ユ、ユリカ、提督に艦を明け渡すんじゃないの?」
「チューリップ、進路をナデシコへ」
 あまりのことに取り乱すミスマル提督とジュン。もはや報告は耳に入っていない。
『ええ? 私はただ、アキトの話が本当かどうか確かめに来ただけだもん』
「なに!?」
『艦長たるもの何があっても艦を見捨てるようなまねはいたしません。そう教えてくださったのはお父様です』
「そ、それはそうだが……」
『それに、ナデシコには私の好きな人がいるんです』
「なあああ!!」
 それだけ言うと、驚きのあまり固まっている父親を放っておいて通信を切る。
 後には、父と「只の」幼なじみが立ちすくむだけだった。

 チューリップの襲来は、ある意味ナデシコクルーたちにとって好機だった。兵士たちは、完全に浮き足立っている。ナデシコを制圧した兵士たちは地球連合「宇宙」軍に所属している。艦隊戦の訓練は受けていたが、白兵戦や制圧戦の訓練はあまり受けていない。彼らは素人だった。
 ナデシコクルー達はゴートの指揮の元、二手に分かれて行動していた。一方が艦長を迎えに行くために格納庫の確保を、もう片方がその後のためにブリッジの確保を担当する。ブリッジの確保にはホウメイをはじめとした生活班と保安部──どちらもほとんどナデシコに乗り遅れていて人がいないが──が担当し、格納庫の制圧にはゴートとアキトそしてエステバリスの発進準備のために整備班の面々とそのオペレーティングのためにルリが担当した。
 アキトはゴートと別行動をとっていた。格納庫へのルートは一つではない。通常の一階にでるルートが一つ。二階デッキと制御室にでるルートがもう一つだ。ゴートは整備班を引き連れて一階ルートを、アキトは二階ルートを使って格納庫を目指していた。
「ねえ……」
「はい?」
「何で君がついてきてるの? ええと……」
「メグミです。メグミ・レイナード」
 アキトの問いに答えたのは、メグミだった。隣にはルリもいる。
「えっと……じゃあレイナードさん」
「メグミでいいですよ」
「……メグミさん、何で君が? ブリッジの方はいいのかい?」
 当然ブリッジの方へといったと思っていたメグミがここにいる訳をアキトは聞いた。
 実際ここにメグミがいる必要は全くない。ゴートが整備班たちと一階から格納庫の制圧をしている。アキトはルリを制御室につれていき、それからエステバリスでユリカを迎えに行くことになっている。その過程にメグミが必要なものは全くない。
「いいじゃないですか。それに……」
 そう言ってアキトを流し目でみるメグミ。
「私、興味があったんですよ。あんな場面であんなことが言える人ってどんな人なのかなって」
 振動。また大きな揺れが起き、転びかけたルリとメグミをアキトが支えた。
「あ、ありがとう」
「ありがとうございます。アキトさん」
 ルリとメグミが礼を言ってくる。
 顔が赤くなるのを自覚しながら、アキトは顔を背けた。
「べ、別に大したこと言った訳じゃないよ。それに、あれはヤマダの方が凄かった。あんな風に啖呵を切れるなんて」
「単に馬鹿なんじゃない?」
 ルリの冷たい呟き。
 アキトはそれに対して優しく微笑んだ。
「そうかもしれないね。でも、だから凄いんだと思う。あんな馬鹿なことを大真面目に言えるのって、オレは尊敬するな」
 そう言うアキトの顔は、何処か憧れているように見えた。
「オレもあんな風になりたい……」
 そんなアキトを一瞥した後、ルリは無関心そうに目をそらす。メグミも何とも言えない、あえて言えば苦笑しているような表情でアキトを見た。
「まっ、あいつの遺志を無駄にしないためにも、早く格納庫へ行ってユリカを迎えに行こう」
 当のジロウはさんざん無茶をした足の骨折が悪化して、食堂で脂汗を流してうなっている。本来なら格納庫の制圧に参加するはずだったし、本人もそのつもりのはずではあったが。
 格納庫までの道のりはそれほど困難なものではなかった。占拠している軍人達の人数は決して多いものではなかったし、何より彼らはナデシコのことに熟知していたわけではない。食堂に監禁される前に見た連合宇宙軍の戦艦から軍人達が送られてる可能性も考えたが、見る限りではそれも杞憂だったようだ。
 しかし、全く安全だったわけでもない。
「止まって!」
 小声で、だが鋭くアキトが叫んだ。
「見張りがいる」  
 もう少しで格納庫に着くというところの角で、ルリとメグミを制止する。
 無造作に歩いていたように見えて、きちんと警戒はしていたらしい。そのことに軽い驚きを感じてルリはアキトを見た。その横顔は、表情が消えていた。
「ルリちゃん、何とかあいつらの気をそらせられない? いきなり明かりを消すとか」
 油断なく角から二人組の見張りを見ながら、小声で言ってくる。
 そんなアキトに何か微かな違和感を感じながらも、ルリは答えた。
「だめです。マスターキーがないとコミュニケでは「思兼」にアクセスできません」
 ナデシコのクルーは全員コミュニケと呼ばれる携帯端末を支給されている。クルー同士の通信にも使えるが、「思兼」の簡易端末にもなってもいる。これを手渡された時にそう聞いたのを思い出しての質問だったが、現状には役に立たなかったようだ。
「そうか……」
 大して落胆した様子も見せずにアキトが呟く。そのまま角の陰から見張りの方へと出ていく。
「ちょ、ちょっと……」
 さすがにメグミが声を上げる。ルリも驚いた顔をしていた。
「ああ。ちょっとそこで隠れていて。頭とか出さないでよ」
 アキトは振り向きすらしない。そのまま見張りの方へと歩いていく。
 アキトに気付いた見張りの一人が、誰何の声を上げてきた。しかし、その声は震え動揺のあとがありありとわかる。先ほどからの振動の原因や外の様子がわからず、不安でしょうがなかったのだろう。無造作に歩いてくるアキトに対して、正常な判断ができていない。もっとも、中華鍋を片手に持つエプロン姿の男に、どのような対応をすればいいのかわからなかっただけかもしれないが。
「と、止まれ!」
 アキトが目の前に来て初めて制止の声が出た。この時になって初めてアキトに銃口が向く。
 サセボのドックに配属されていただけあって、二人の兵士は東洋人だった。一人はやけにキッチリとした髪型の小太りの男で、もう一人は長髪で軍服を軍律に引っかからない程度にだらしなく着ていた。
 と、アキトの体が沈む。同時に右手に持っていた中華鍋が跳ね上がり、長髪の方が持っていたライフル銃をはね飛ばす。そのまま、体を回り込ませて、長髪の体を自分と小太りの間に入れ、盾になるようにする。
 長髪はさすがに銃を手放さずに、体勢を立て直そうとしてきた。だが、すでに接近戦になってる以上、それは隙を見せる行動でしかなかった。中華鍋をそのまま捨てて、体を離さないようにしながら、アキトはライフル銃に手を軽く当てた。銃を奪われると思ったのだろう、不自然な体勢のまま銃を引こうとする長髪を利用して、回り込もうとしていたもう一人の牽制になるように体を入れ替える。
 一瞬の隙、それを突いて体全体で長髪を小太りの方へと突き飛ばす。ライフル銃はアキトの手の中に残っていた。二人が体勢を整えるよりもだいぶ早く、アキトは二人の方へと向きやった。
 何も考えていなかった。見張りを何とかしなくてはと思ったとたん、何故か心が冷静になり、何故か無造作に歩み寄り、何故か見張りは倒れていた。そして今、何故か、ライフル銃は、手の中で、構えられていて、何故か、引き金に、指がかかって、いた。
 自分でない自分。アキトはまるで他人がしていることのように、自分の行動を感じていた。そして、これで安全装置とか掛かっていたら笑えるなと心の片隅で考えた次の瞬間、引き金を引き長髪を撃ち殺していた。
「あ……」
 それは誰でもなくアキトが発した声だ。手元から聞こえてくる銃声よりも、その小さな呻きの方がアキトの耳に残った。
「え……?」
 撃った弾は全部で五発。対無人兵器用の強力なライフル銃は、長髪の体を貫通し、後ろにいた小太りをも殺していた。
「な、何で……?」
 呆然と手元を見る。見たこともなく、持ち方も知らないライフル銃が、現実感なく、しかし現実のものとして手の中にあった。
 そして、正気に返ったアキトの足下には、おびただしい量の血が広がっていった。

 五発の銃声は、ルリとメグミの肝を冷やすには十分なものだった。あの熱血コックは、防弾チョッキの代わりに食堂のエプロンを、銃器の代わりに中華鍋を持っていっていた。つまりあれは、軍人の銃の音だ。
 もしもあのコックがやられているのなら、自分たちも危ない。
「ねえ、ルリちゃん。白いハンカチ持っていない?」
 銃声の後は静かになった角の向こう側。それでも顔を出すのも怖い状態だったが、メグミは勇気を出して覗いてみることにした。白旗を作ってからだが。
 ルリから受け取ったハンカチを即興の白旗に仕立て上げ、それを手だけを角から出して一通り振ってからのぞき込んでみる。
 そこには、アキトがいた。呆然と立ちすくんでいる。次に何かのカタマリが見えた。そしてそこから流れている、赤。それがアキトの周りで水溜まりを作っている。
 金属の塊が落ちる音がした。見ればアキトの手からライフル銃が落ちていた。ついさっきまで持っていた中華鍋は少し離れたところ、血だまりの外に転がっていた。
「ア、アキト……さん」
 メグミが恐る恐る声をかける。その後ろではルリが、二体の死体とアキトを驚いた顔で見比べている。
「何だよ、これ。何なんだよ……」
 ルリとメグミの二人が今まさに思っていたことを、他ならぬアキトが言ってくる。
「おかしいじゃないか……。おかしいよ……。何で……死んでるんだよ」
 アキトが後ずさる。水が跳ねる音がして、血溜まりに波が立つ。
「オレにこんな事ができるはずないんだ……。何で……何で、死んでるんだ?」
 完全に錯乱している。微かな頭痛と吐き気にアキトは口を押さえた。目眩がする。「アキトさん!!」
 それに引きずられるように、メグミも錯乱していた。ただ意味もなくアキトを呼び続ける。
 と。
「銃声?」
 ルリの言うとおりだった。目的地、格納庫の方から銃声が聞こえてくる。複数の銃声。戦闘をしているのだろう。
「行こう!」
 メグミはまだ立ち直っていなかった。ルリも状況について行っていない。なのに、状況が変わったとたん、アキトはすぐに何かを切り替えた。
 血溜まりの中を歩くのはルリにもメグミにも抵抗の大きな事だった。恐る恐るという様子で近づいてくる。
 なかなか来ようとしない二人を見て、アキトは嘆息した。無理もない。自分の作った血の足跡を見ながら納得する。
「あ……」
 アキトは着ていたエプロンと、生活班を示す黄色い制服の上着を脱いだ。それを血溜まりの中にひいて橋にする。制服がパイロット達戦闘班と同じ赤に染まった。
「あ、ありがとうございます……」
 戸惑いの含まれたルリの謝礼。だかそれで、気持ちを切り替えることができたようだ。怖ず怖ずと渡ってくる。その後ろから、メグミも来る。こちらはまだ動揺が見て取れた。ルリ以上に怖ず怖ずと渡っている。すぐ横にある、ついさっきまで人間だった塊には、目を向けないようにしながら。
 アキトは投げ捨てた中華鍋を拾う。少し離れていた場所に落ちていたそれは、血溜まりには浸ってはいなかった。持ち上げてアキトは顔を僅かにしかめた。重い感触が、人を殺した時の感覚が手の中に甦り、軽い頭痛がする。が、すぐにそれを頭の片隅から虚ろな空隙へと追いやると、格納庫へと向かうために歩き出した。

 アキト達が着いた時には、格納庫はすでにほとんど制圧されていた。ゴートの指揮の元、整備士達はよく戦っていた。チューリップによる振動で混乱しているところに、優秀な指揮官のもと効率のいい奇襲をしたのだ。ろくな反撃も受けずに、格納庫にいた大半の兵士達は捕らえることができた。今、ゴートが戦っているのは、ごく少数にすぎない。
 アキトは格納庫についてから、まず使えるエステバリスを探した。ルリとメグミはすでに制御室へと行っている。
 それはすぐに見つかった。サセボでの戦闘に使ったエステバリスだ。あれなら多少は扱いに慣れているし、なにより「験」がいい。アキトは躊躇わなかった。 そのまま乗り込む。
「ありがとう。OKです!」
「管制室の指示に従え」
 IFSを煌めかせながら、アキトはエステバリスで発射口の方へと向かった。
『発射します。何が起こるかわからないので退避してください』
 メグミが半ば叫びながら放送している。彼女もまさか重力カタパルトが使えないとは思っていなかったのだろう。
 格納庫内では、ゴートが最後の一人をたたきのめしたところだった。同時に通信ウインドウが入る。そこにはユリカが映っていた。となりにはプロスペクターもいる。どうやら、無事に連合軍戦艦から脱出できたようだ。
 が、熱血しているアキトは気が付いていなかった。
「いきます」
「位置について、よーい」
 エステバリスがマラソンランナーのように構える。
「ドン」
「であああぁぁぁ……」
 ルリの号令で、エステバリスは走り出した。システムがダウンしているため、重力カタパルトは使えない。発射口の扉も整備班達の手動で開かなくてはならなかった。そういった理由があってのことだが、それでもその姿は何処かユーモラスだった。

 メグミの目の前で、エステバリスが走り出す。そのまじめでありながら滑稽な姿を、メグミは複雑な気持ちで見ていた。ふと横を見ると、銀髪の少女が口元に笑みを浮かべている。
「あれ、ルリちゃん笑ってる?」
 出会ってからそれほど長くはなかったが、その間には一度も見たことのないルリの笑みに、メグミは思わず声を上げる。
「別に……。私もけっこう馬鹿だったと思っただけですから」
「ふうん」
 ルリは笑みをすぐに消した。だが答えるその声には、本気で面白がってる含みと苦笑の含みが奇妙な混合をしていた。
 その様子を見て、メグミは僅かに眉をひそめた。
「ルリちゃんもアキトさんも切り替えるの早いよね? あんな事があったのに……」
「そうですか?」
 素っ気ないルリに、なおも言い募ろうとするメグミ。
 と。
『ちょっと待ってえぇ、テンカワ。それは陸戦用だぁ』
 セイヤだ。怒鳴りつけるように叫いている。アキトの乗っているエステバリスへの通信だろうが、制御室にも入ってきていた。
『こないだの奴だよおぉ』
 だが、アキトには聞こえていないようだった。そのまま走っている。
『そいつは飛べないんだあぁ!』
 その出口の先には海が広がっていた。

 マニュアル発進、それはタダシにとっても知ってはいたが見るのは初めてのものだった。
「ウリバタケ班長……。マニュアル発進ってただ走るだけなんスね……」
「ああ」
 叫き疲れたのか隣で息を荒らげているセイヤに話しかける。
「あれって陸戦用でしたよね……」
「ああ」
「飛べませんよね……」
「……ああ」
「あっ、跳んだ」
「ああ」
「落ちた」
「あああああ……オレのエステちゃんがぁぁぁ。玉のお肌がぁぁ。海水に浸かっちまうぅぅ」
「って、それが本音っスか?」
 格納庫には、班長の悲鳴だけが空しく響いた。

「なんだこりゃあ」
 アキトにとって予想外だったことは、エステバリスが飛べないということだった。一瞬「跳ぶ」ことはできても、長時間「飛ぶ」ことはできない。
「なんだよ。飛べよ。飛べったら」
 ナデシコから勢いよく飛び出しても、その先には一面の海だ。アキトは落ちた。
 海中でもがくエステバリス。一瞬の加速で海中から跳び出すも、「飛べ」ない以上すぐに海に落ちてしまう。慣性制御されているコクピットはうまく落下の衝撃を軽減していたが、それでも気持ちの良いものではなかった。
 アキトは焦った。こうしてる間にも、チューリップがナデシコに近づいていってしまう。最も、チューリップの襲撃は、ナデシコを発進したあとに直に見て知ったのだが。
「何で飛べないんだ。ロボットなのに」
『だからそれは陸戦用なんだっ……』
『アキト! また私のために囮になってくれるのね』
 セイヤの指摘はユリカの歓声にかき消される。ウインドウに映っているユリカは、贔屓目に見ても喜色に溢れていた。
『アキトはやっぱりユリカの王子様なのね』
「ええ?」
 と、同時にチューリップから出てきた触手がエステバリスに襲いかかってきた。触手といっても、太さはエステバリスと同等にある。
「うわ」
 あわてて避ける。触手は一つではなく、断続的に襲いかかってきた。アキトは避けるので精一杯になり、ユリカの発言に反論することができない。
『ユリカはこの隙にナデシコに乗り込みます』
「え……?」
 行かない方がいい。アキトの頭にそんな言葉がよぎる。だってナデシコには、あそこには、死体があるんだから……。
 だが、アキトが何かを言う前に、目の前のウインドウは閉じていた。触手も執拗に攻撃してきていて、余計なことを考えている余裕がなくなってしまう。
 エステバリスは海中での運用を考えて設計されていない。海中では触手を避けきれないと判断したアキトは、何とか空中に脱出しようと試みる。が、陸戦用では揚力が十分に出ない。結果、アキトは海面から飛び出しては落ちるという行為を繰り返すことになった。
 それでも、一度も掠りもせずに避けきっているというのは、流石というべきか。殆ど無意識の内に回避行動を取っている。しかし、それも限界だった。陸戦ではいつまでも避け切れない。
 アキトが半ば諦めかけた時、意外な救援が来た。
『諦めるな!』
 突然開いたウインドウの中には暑苦しい男がいた。顔に脂汗を浮かべて、それでも本人は爽やかだと思っている笑みを浮かべてカッコをつけている。
『待たせたな、坊や! ゲキガンウィング!』
 流石に本職のパイロットだ。襲いかかってきたチューリップの触手をきれいに避ける。
『いいか。空中でこの空戦フレームをおまえのコックピットと合体させる。掛け声は「クロスクラッシュ!」』
「言わなきゃだめ?」
『だぁめ! チャンスは一度。オレの足はもう持たない』
「ヤマダ=ジロウ……」
『ガイだ、ダイゴウジ!!』
 怪我を押して出撃してきたジロウに、アキトは感嘆した。
「よおぉし」
 もう一度加速して、海面から飛び出す。
『合体ポイントは十秒後。いくぞ! 「クロスクラッシュ!」』
「くろすくらっしゅ」
『声が小さぁい!』
「クロスクラッシュ!」
 細かい座標の修正はオートでやってくれるようだった。アキトの落下地点めがけて飛んでくるジロウの空戦フレームからコックピットが外れる。それに向かってアキトは落ちていった。途中、陸戦用フレームから外れたアキトのコックピットは、その半瞬後には空戦フレームと空中で合体していた。

 非常識な光景。それを見ながら、タダシは呟いた。
「嘘だろ……。エステバリスにあんな機能……」
 隣を見れば、セイヤが肩を震わせている。
「? 班長、どうしました?」
「ふっ……フフッ……フフフフフッ……フハハハハハッ」
 突然哄笑をあげ始めたセイヤに、タダシは伸ばしかけた手を引っ込めた。
「見たか、サイトウ。こんなこともあろうかと、密かに開発しておいた変形合体プログラムバージョン0.98!」
「変形? って、まだバージョン1にもなっていないんスかぁ?」
 自分でも素っ頓狂だと思える声を上げるタダシ。そんな彼を気にすることもなしにセイヤは続けた。
「座標計算からコックピットの誘導。それら全てを全自動でおこなう夢のシステム。シミュレーションでのデータ取りだけは十分だったが……まさか本当にやる馬鹿がいるとは思っていなかったからなぁ……」
 まさか作る馬鹿もいるとは思っていませんでした……。そう呟くのは、タダシの胸の中だけにしておく。
「ふっふっふっ、だがこれでリリーちゃんシリーズの最終プロジェクトも何とか目処が立ちそうだぜ」
 一人自分の世界にはいって何かのデータ取りを始めたセイヤをよそに、タダシは自分の仕事に戻っていった。
「はあ。あの陸戦、破棄だな……」
 班長と熱血馬鹿二人の最大の被害者である陸戦フレームと、そのツケが回って来るであろう自分たち整備班のことを考えて、タダシは陰鬱な溜息をついた。

『いけえぇ、アキト! ゲキガンフレアだあぁぁ!!』
「ゲキガンフレアアァ!」
 ディストーションフィールドを纏ったまま高速度で突っ込む。ただそれだけのことだが、効果は大きかった。フィールドを張っていないチューリップの触手はそれで全滅する。
 勢いに乗って追撃したいところではあったが、アキトのエステバリスではあの巨大なチューリップを破壊する武器は持っていなかった。というより、機動兵器の規模ではあれほどの質量をどうこうすることはできない。そのため、アキトはエステバリスの高度を取り、一旦チューリップから離れた。
 高度を取ったらチューリップと、ナデシコを一望することができた。チューリップは戦線から離脱したアキトを追おうとはせず、ナデシコに再び進路を取り始める。そしてナデシコは、チューリップに進路を取っていた。ユリカが到着したのだろう。無防備だったさっきまでとは違い、今はきちんとフィールドを張っている。
「な、何をしてるんだ、ユリカ!」
 それはどう見ても特攻にしか見えなかった。ナデシコは真っ直ぐにチューリップに向かっていた。そして、チューリップはそれを二隻の護衛艦を飲み込んだ時と同じように口を開けて待ちかまえている。
「何やってるんだ! ユリカ! ナデシコ! やめろぉ!」
 自殺行為としか思えない。ナデシコブリッジに通信を入れながら、アキトは恐怖した。
 だが、ブリッジは冷静なものだった。と言うよりも、クルー達は覚悟を決めたように淡々と仕事をこなしている。戦闘に関しては素人であるはずのメグミとミナトですらそうだった。
『グラビティブラスト発射準備』
 ユリカの声でその理由が知ることができた。いつの間にか彼女の声も顔もアキトの知らないものへと変わっている。つまり、艦長の顔へと。自分の作戦に自信を持った顔をしている上に、声にもそれははっきりと現れていた。
 それでなのだろう。復唱するルリの声には淀みはないし、ミナトの繰艦にも──少なくても表面的には──躊躇いは見られなかった。
 それでも、アキトには不安だった。特にチューリップの口から漏れている光、それがアキトを不安にさせる。あれは危険だ。アキトは夢中で叫び続けた。
「ユリカアアァァ!!」
 飲み込まれるようにナデシコはチューリップの中に入っていく。同時にブリッジからの映像が乱れていった。完全に飲み込まれ映像がとぎれるその瞬間、チューリップは爆発した。その刹那のあとグラビティブラストの雷光が煌めいて消えた。
「内側から大砲かよ……。何考えてるんだ……あいつ?」
 呆然と漏らすアキトに、また天真爛漫な笑顔に戻ったユリカから通信が入ったのは、きっかり二秒後のことだった。

 結局、その後にはナデシコはヨコスカ入りすることになった。艦内の制圧に失敗し、目の前で圧倒的な戦力の差を見せつけられたせいだろう、連合軍も追撃はしてこない。
 ヨコスカでは大体一ヶ月ほど駐留する予定だった。乗り遅れたクルーはそこで合流する必要があったし、積み終わってなかった資材もヨコスカの方へと運び込まれていた。
 しかし、ここで問題が起きる。実は「通称」機動戦艦ナデシコは実は戦艦ではない。地球連合法では、当然民間の戦力の保持は認められていない。新型戦艦の実験艦すらも、軍の管理下で運用されている。とは言え、この木星蜥蜴との戦いが始まってからは、月に行くごく少数の民間と、宇宙コロニーに行くそれよりは多い少数にとって自衛の手段がないのは心許ないものであった。そのために作られた法の抜け穴をナデシコ──と言うよりネルガル──は使っていた。
 ナデシコは民間の輸送船である。少なくとも管理局にはそう登録されている。したがって、機動戦艦というのはあくまで通称だった。無論、これは理屈ではなく屁理屈に分類されるたぐいのものだ。とてもではないが、連合政府にも連合軍にも通用しない。
 ネルガルが道理を引っ込めて無理を通せたのは、政府と軍つまり文官と武官の反目を利用してのことだった。正義の戦いという名目を得た軍は戦前とは比べようのないほど権限を拡大していた。地球を守っていく防衛ラインは当然軍の管轄であるが、これのために僅かに残っている月と宇宙のコロニーへの連絡船は実質軍の管理下にあることになった。このほかにも戦争遂行のために様々な権限拡大がなされており、それを連合政府も各国政府も決して快くは思っていない。ネルガルはその文官側に働きかけたのだ。建前では文官が武官の上位に立って、それを監視及び制御をしていることになっている。それが実際には有名無実になっていたとしても、牽制としては十分だった。金とコネとそして相手と利害関係を一致させるという政治工作は、ネルガルが最も得意とする所であった。
 それが今になって裏目に出た。軍が様々な嫌がらせをしてきたのだ。
 艦を制圧してきた軍人を撃退したこと。これは法的には問題ない行為だ。アキトの出した二人の死者やゴートの出した幾ばくかの重軽傷者も、軍から抗議が来たりもしたが、正当な戦闘行為の結果であり落ち度は軍にあったため、個人の責任はおろかネルガルの法的な責任も問われることはなかった。最もこれもネルガルの裏工作のたまものであったが。
 ヨコスカに着いてからネルガルに突きつけられた正式な軍へのナデシコの引き渡し要求を、はっきりと拒否したのも法的な根拠と海賊行為未遂という軍の落ち度を盾にした正当なものだった。
 面子を潰されたと思ったのだろう。軍側は態度を硬化させた。宇宙コロニーで最終テストをしていた宇宙用のゼロG戦フレームとそのテストパイロット達は、軍が防衛ラインを閉じてしまったために未だ地球に来られないでいる。おそらく、公転の関係から火星航路が閉じてしまうまで、防衛ラインの閉鎖を続けるつもりなのだろう。また、彼らはナデシコに軍関係者を乗せることを要求してきた。フクベ提督は今や完全に軍とは手を切っている。建前がどうであれ、戦力と言い得るものには軍人が一人は乗っているべき、と言うのが彼らの主張だった。飛ばすつもりはないくせに、と言うのはプロスペクターの弁であったが。
 ともかくナデシコは、一ヶ月間ヨコスカにいた。補給のフレームとパイロットは火星への途中、宇宙コロニーで合流することになった。副提督として乗り込む軍人もまたそこで乗り込むことになる。海賊、もとい捕らえていた軍人達は、すでに引き渡してある。したがって、彼がナデシコ唯一の軍人ということになるだろう。
 コロニーまでゼロG戦フレームなしというのは不用心という理由で、アメリカのネルガル開発センターまで試作段階のゼロG戦フレームの新型を取りに行き、それから本格的に宇宙へと出航したのは十二月に入ってからのことであった。

 それはそれとして──。
 先の戦闘で旗艦トビウメに取り残された副艦長のジュンは……。そのまま軍に残り、ユリカが軍に復帰できるように尽力していた。そんな彼がナデシコに乗っていないという事実がナデシコクルー達に認識されるのは、第三防衛ラインの攻防まで待たねばならない。








あとがき

大「オリエって誰かのオリキャラだっけ?」
ブレント「また挨拶なしだし……」
大「そんな疑問を抱きつつ、どうも高野です。問題が起きたら訂正しよっと」
ブレント「そんなのでいいんですか? どうも、真性の嘘吐きの相方のブレントです」
大「なんて人聞きの悪い……。ちょっと一話を書いてる時と二話書いてる時とで、先の路線を変えたけど」
ブレント「開き直ってますね。ちなみに……どんな風に?」
大「開き直ってユリカがヒロイン! 本当はルリだったんだけどね」
ブレント「なんでまた?」
大「別にルリをメインヒロインから降格って訳じゃないんだけどね。ただ、アキトの絡みでTV版の時点ではどうあってもユリカが出張ってくるんだ」
ブレント「アキト×ユリカな話にするってことですか?」
大「基本的にはね。TV版に限定すれば、ユリカほどアキトにふさわしいヒロインはいないと思うし。話を膨らましてみたらなんかそうなってた。」
ブレント「じゃあ、ルリはどんな扱いになるんです?」
大「それはそれで考えている。年齢的に恋愛に絡ませるつもりはないし。ま、先の話だしまた心変わりするかもしれないからね。とにかくアキト君はユリカに惚れます」
ブレント「心変わりって……やっぱり嘘吐きだ。そんなんじゃ信用なくしますよ」
大「……君の存在嘘だったって言ったら怒る?」
ブレント「怒ります。って本当に嘘? マジで?」
大「いや、嘘だけど。今のところは……」
ブレント「保留をつけないでください!」
大「それとはそれとして、火星に着くまではTV版と大して変わらない展開になりますが、どうかよろしくお願いします」
ブレント「変えようがないですからね……。読者の皆さんも私が出演できるよう祈っていてください。よろしくお願いします」

 

 

代理人の感想

♪大空 海原 地の底までも

♪変身 合体 突き進め〜

 

いや〜、さすがはウリバタケ!

こんな事もあろうかと!

こんな事もあろうかと!

こんな事もあろうかとぉっ!!

 

ですよねっ(笑)!

 

 

>年齢的に恋愛に絡ませるつもりは無いし

 

いや、11歳の少女を絡ませるのは間違ってるでしょう。として。