〜 6時間後 ナデシコ第二応接室 〜



   キ〜ンコンカンコ〜ン、キ〜ンコンカンコ〜ン、キ〜ンコンカンコ〜ン…



ふあ〜、もう通常勤務の就業時間か。さて、鬼が出るか蛇が出るか。

   ミツカッタ、チガウカ

見当はついたさ。
だが、事実を指摘される方が、かえって頭に来る事だってある。結局は、出たとこ勝負に為らざるをえない。

   イイカゲン

オマエにだけは言われたくない! それに、俺がどれ程精神的に疲弊したと思っている。

   スキデシタ、クロ〜

く〜、ああ言えばこう言いやがって。
だがまあ、今回ばかりは、コイツの言う事の方が正論だろう。
何せ、第三者的視点による場面の再構成ってのは、思っていた以上に面白かったので、つい観込んじまったからな。

たとえば、『ホウメイさんの涙』の一件。
アキトが失踪する直前、確かにホウメイさんはそれを感じ取ったらしく、その顔には驚愕と喪失感が色濃く現れはしたが、
この時点では、まだ、『シェフ、ホウメイ』の顔まで崩れた訳では無かった。
問題はその後、カグヤ君に赤蕪を手渡された時だ。
ホウメイさんもまた、火星丼の由来を知っていたのだろう。
丁度アキトへの手向けの料理に何を作るべきか逡巡している時だった事もあって、その生き様と火星丼とが重なったのが、彼女の涙の引き金らしい。
このシーンは、人間、ココロの隙につけ入られると脆いものだと、改めて思い知らされた。

他にも、『実はアキト失踪の瞬間、某木馬の戦艦宜しく、大多数のクルーが、多かれ少なかれそれを感じ取っていた』事とか、
『例の説明の後、誰にも気付かれる事無く延々7時間近くも、俺は枝織ちゃんにターゲッティングされていた』とか、
『厨房正面のカウンター席が聖戦時の安全地帯となるのは、ホウメイさんに迷惑を掛けるのは厳禁という両陣営の不文律もさることながら、
両陣営のクロスファイヤーポイントが、その反対側のアキトの立つ位置である御蔭』等々。

そんな様々な知識を得る実り多き一時を過した訳だが、その代償も少なくなかった。
何せこの能力、母体はコイ…アークでも情報を引き出すのは俺なので、結構集中力を必要とするのだ。
それが判っていながら、既にハルカ君に就業時間後に話し会う約束を取り付けていたにも拘らず、ついカメラ目線やカットインといった演出効果
(特に、北斗VS北辰戦の一部始終。取り分け北斗の告白シーンのリメイク版は会心の出来であり、記録しておけないのが返す返すも残念である)
に拘った映像を観賞し続けたのは失敗だった。
ナデシコの命運を掛けた大一番を前に自らコンデションを崩す様では、軽率の謗りを受けても文句は言えない。

   スナオ イチバン

へ…平常心、平常心。





説得工作@ ― ハルカ ミナトの場合 ―

   コン、コン
             ガチャ

「失礼する」

うん? 白鳥少佐と一緒とは………成る程、万一に備えての用心棒か。
彼女にしてみれば、無意識の内に取った示威行動なのだろうが、彼女らしからぬこの行動は、俺にとって仮説を補強するものでしかない。
ある意味、有難いとさえ言える。

「ああ、来てくれたか。まあ座ってくれ」

「その前に、まずは勝手におしかけてきた無礼を御詫びさせて頂きたい。
 正直、提督の様な高潔な軍人に対し、自分でも失礼千万な真似をしていると思っています。
 ですがその…ミ、ミナトさんの将来に関する重大な話と聞き、居ても立ってもおられず、こうして同席させて頂いた訳でして、その…」

深々と頭を下げつつ、延々と言い訳を続ける白鳥少佐。
う〜ん。そりゃ彼の性格じゃ、いきなり敵将から同盟国の提督に代わった相手との距離感が掴めないのも無理のない事なのだが………
とゆ〜か、これじゃ礼儀正しいと言うより慇懃無礼って感じ………って言っても、それを狙ってやれるキャラじゃないし。
まあ何れにせよ、単に鬱陶しいだけなので、手を振ってその繰言を制し、強引に話を進める。

「いや構わんよ。何しろ白鳥少佐にも、密接な関係のある話だからな。
 実はこの退艦願いの内容の事なんだが、ホシノ君とラピスちゃんを引き取りたいとある………」

「それが何か? 白鳥さんも承知してくれていますが」

いや〜、いきなり切り口上だな。
それに、こんな険しい目をしたハルカ君は初めて見るぞ。
ハーリー君の世話を焼くホシノ君と、どっちがレア度が上だろうか?

「いや、それなんだがな。
 実を言うと、ミスマル提督からもホシノ君とラピスちゃんを引き取りたいとの打診があってな。
 保安上の理由から、俺としては此方を押したいんだが………まあこれは、後でホシノ君達を交えて話すべき事だろう」

「え…ええ、そうね」

キョトンとした顔になるハルカ君。
まあ彼女にしてみれば、肩透かしを食った様な格好なのだろうな。
少なくとも、此方がホシノ君達の退艦まで奨励してくるとは、想像すらしていなかった筈だ。

「さて、此処からが本題だ。不躾な話で申し訳ないが、今後のお二人の身の振り方についてだ」

「それは、貴方に御話する必要の無い事だと思いますが」

『そら来た』とばかりに険しい顔に戻ったな。
たが、此方にしてみれば、『してやったり』だ。
普段の彼女であれば、意図的に惚気る事で有耶無耶にし、逆に此方の意図が何処にあるか探ってくる筈。
また一つ裏付けが取れたというものである。
内心細く笑みつつも、俺は計画通り『パートタイム』の話を切り出した。
内容としては、『月5〜6日で、最大でも1日6時間以上の拘束はしない。勤務時間も可能な限り合わせる。
他にも条件があれば可能な限り応じる』といったものだ。
ちなみに、ホシノ君とラピズちゃんにも同様の条件で打診するつもりである。
俺自身、無茶苦茶な内容だと思うが、このままハルカ君に辞められたのでは、部隊の存続さえ危うい。
言ってみれば、これは正に『肉を切らせて骨を断つ』捨て身の作戦なのだ。

「ふざけないでよ!
 彼女達に普通の少女としての暮らしをさせる事が、アキト君の願いでもあった筈よ。
 それを貴方が邪魔しようだなんて、一体どういうつもりなの!」

激昂するハルカ君。だが、これは此方の注文通りのリアクションである。
此方の求める結論へと誘導するには、先ず彼女の本音を引き出す事が肝要なのだ。

「そりゃ俺だって、彼女達には平穏な暮らしをして欲しいさ。
 だが、彼女達はアキト捜索の為ネルガルの協力を必要としているし、ネルガルも彼女達の力を欲している。
 この相反する要望を満たす為には、如何すれなば良いか?
 その答えが、先程のパートタイムという訳さ。
 確かに無茶な話ではあるが、これでも無い知恵を絞って考えた末の結果なんだぜ」

反論が一通り終り、彼女が多少落ち着いた所で、俺は徐に就業内容の有効性について語った。

「でも、1日たった6時間で、操舵士なんて出来る筈ないじゃない」

「それに関しちゃ、イネス女史の訓練の結果次第だな。
 上手く行かない様なら、君に関しては無かった事に成るし、ホシノ君達にはネルガル本社でアキト帰還の為のバックアップをして貰う事に成る」

「ふ〜ん。ルリルリ達には選択肢は無いってワケ?」

「彼女達の意思を尊重しての事だ」

「提督とは思えない、御粗末な詭弁ね。
 さて、次はセリフは何かしら。まさか、『人類の未来の為には必要な事だ』な〜んて、どっかの中将さんみたいな事は言わないわよね?」

いよいよもって目が据わりだしたな。隣の白鳥少佐なんて、完全に萎縮しちまってるし。
とゆーか、そもそも何しに来たんだよ、この男は。
イラつく心を鎮めるべく、取り合えず心の中の考課表の白鳥少佐の欄を89Pばかり下げた後、俺は説得工作を本題へと進めた。

「なあ、ハルカ君。
 確かにアキトの奴は、彼女達の自由を守る為あれこれ手を打っていたし、俺達も細心の注意を払ってマシンチャイルドの情報を伏せてきた。
 それでも、その能力の何割かは政府に知られ、警戒の対象となってしまったのが現状なんだ。
 まして、ホシノ君はマシンチャイルド達のリーダーであると同時に、ピースランドの王女でもある身なんだぞ。
 この際だからハッキリ言おう。もはや彼女には、SPの付かない生活なんて成立させ様が無い」

「そんなの認めない!
 ルリルリは、まだ13歳よ。これから沢山友達を作って、一緒に笑い合うそんな普通の……
 私達が戦ったのは、そんな当たり前の幸せを守る為じゃなかったの!」

その通りだよハルカ君。少なくとも、アキトが他の理由で戦った事など無いだろう。
だが、『それが現状を否定する理由には為らない』と、普段なら彼女自身が指摘している筈。
これで予測は確信へと変わったな。頃合だ。ここらでカードオープンといくか。

「そんなに、アキトが消えた時、何も出来なかった自分が許せないかね?」

驚愕に顔色を失うハルカ君。
そう。改めて客観的にアキト失踪の瞬間を見て気付いた事なのだが、ブリッジで最初に我に帰ったのは、俺では無く実は彼女だったのだ。
そして、その後の行動はと言えば、ホシノ君に声を掛けようとしたが、かけるべき言葉が見つからなかったらしく、
そのまま操舵席で自分も呆けているフリをするという、およそ彼女らしからぬもの。
これを考察した結果、彼女がホシノ君達の退艦に拘るのは、彼女自身の倫理観もさる事ながら、この時の負い目によるものだというのが、
俺の立てた仮説であり、今、彼女のリアクションによって、それが正解だった事が証明された訳である。

「俺だって、ホシノ君達には穏やかな暮らしを用意してやりたいさ。だが現実には、それは既に不可能としか言いようがない。
 そして何より、ホシノ君達に『普通の少女』なんて御仕着せの服は、サイズが小さ過ぎる事位、君にだって判っている筈だ。
 それでも、彼女達を『普通の少女』にする事に拘るなら、それはもう君の偽善………否、自己満足に過ぎない」

「わたし…私は…」

「ミナトさん!」

   ガシッ

放心した顔のハルカ君を、しっかりと抱き締める白鳥少佐。
う〜ん。この辺、どこかアキトを思い出すな。
ああそうか、『ヤマダ−バカ+天然=白鳥少佐』という訳か。

「判っている。ミナトさんが悪い訳では無い!」

「ううっ、白鳥さん」

そのまま白鳥少佐の胸で号泣するハルカ君。当然の配慮として、俺は二人に背を向ける。
いや違うな。これまで散々頼ってきた身としては、彼女が心の弱さを曝け出す所から、目を背けたかっただけの事。

徐に窓の外へと目を向けてみる。
ふっ、夕日が目に染みるぜ。

   ソト、ウチュウ

ちっ。これだから雅を知らない奴は困る。
こういう時は、夕日が差し込むものと相場が決まっているんだよ!

   ブツリテキ、ナイ

だから『心の技』と言うか『古来より受け継がれし伝統』と言うか………兎に角、これはそういうものなんだ!

   アーク…カンカツ………ガイトウレイ、ナイ

えーい、口の減らない奴め!
しかも、文字通りの意味………って、もうこんな時間か。二人の世界を邪魔するのも野暮な話だが、致し方あるまい。

「その〜、お二人さん」

「「!」」

サッ

俺が声を掛けた瞬間、弾かれた様に身を離すご両人。
いや〜初々しくていいね〜、俺にもこんな時代が…とと、それ所じゃなかった。

「悪いんだが、後20分程でホシノ君達が此処に来る事になっていてな。出来れば続きは自室で行ってくれんか?」

「そ、その自分達は…」

   ポン、ポン

うろたえつつ、弁解しようとする白鳥少佐の肩を軽く叩いて制し、小声で何事か囁きかけ彼を赤面させた後、此方に目で退出する旨を伝えくるハルカ君。
良かった。ちゃんとナデシコのお姉さんに戻ってくれた様だ。
これなら大丈夫と踏んだ俺は、もう一つの懸念材料についての相談を持ちかける事にした。

「その〜すまんが、ハルカ君。実はもう一つ頼みがあるんだ」

「あら、何かしら?」

と言いつつも、その魅力的な笑顔には『判っているわよ』と書いてある。
うんうん。この余裕こそハルカ君だよな。

「正直な所、ホシノ君達を退艦させてみた所で、アキトの捜索以外の事に目を向けさせる自信が、俺には無い。
 出来ればこれまで同様、私生活でも彼女達の面倒を見て貰えないだろうか」

「はい、はい。その辺は任せて頂戴。
 可愛いルリルリ達の為とあらば、操舵士でもカウンセラーでも何でも、相勤めますとも」

「ちょ…ちょっとミナトさん。」

「大丈夫よ。新婚家庭に支障が出ない様にするから。(ウィンク)」

「いや、自分はその…決してその様な…」

やれやれ、既に完全に尻に敷かれているな。
まっ、ハルカ君が相手では、誰でも同じ結果になるだろうがね。

「でも提督、私の契約料は高いわよ〜
 ルリルリ達を年相応の学校に通わせるってのが、最低条件ってヤツになるわね」

いくら悪戯っぽく迫っても、眼光がそれでは意味が無いぞ、ハルカ君。
まあ、いかに彼女でも、こういう『若さ』までは隠しようもあるまいがな。
さて、此処は一発、白鳥少佐とは違う所を見せるとするか。

「その件は此方に任せて貰おう。
 これは、アキトとの約束もさる事ながら、俺の人間としての矜持の問題でもある。
 必ずや、君の期待に添う結果を引出す事を約束する」

「その意気、その意気。
 それじゃまず契約の前金って事で、ルリルリ達の退艦の説得がんばってね〜♪」

   ピシッ

「て…手伝ってくれないのかな?」

「残念だけど、私には『続きを自室で行う』っていう予定があるのよね〜」

「いや、ハルカ君。それはまた話が…」

「じゃね〜提督。いきなり『不渡り』なんて事にならない様に祈ってるわよ」

   バタン

………
……

ふっ、秋風が身に染みるぜ。

  イマハ、ハル

五月蝿い。心はもう秋なんだよ!
おいおい、まさかこのまま20世紀末に流行った、弁証法的少年漫画みたいな展開になるんじゃないだろうな。
み…見栄張るんじゃなかった。





説得工作A ― ホシノ ルリ&ラピス ラズリの場合 ―

   バタン

「嫌です」

「ホ…ホシノ君か。いきなり何を…」

「イヤ」

「ラピスちゃんまで…いやだから」

「嫌です」

「ちょっと話を…」

「イヤ」

「理由く…」

「嫌です」

「だから…」

「イヤ」

「…」

「嫌です」

………
……

結論から言えば、これが彼女達の選んだ交渉法だった。
おそらくは、俺とハルカ君の会話をモニターしていたのだろう。
その内容から、最終的にはハルカ君が敵に回り、半ば押し切られる形で承諾せざるを得ない事を察した彼女達は、
情理に訴える策を捨て、相手が俺一人の内に勝負を決めるべく、押しの一手の短期決戦を選んだという訳である。
かくてこの不毛な会話は、俺がその事に気付き、尚且つ二人の要求を全て呑む迄の約2時間に渡って続いた。

   ガチャ

「シュン提督」

先に出たラピスちゃんが遠ざかるのを確認するように、ドアの前で俺に背を向けたまま話し始めるホシノ君。
声のトーンこそ何処か甘える様な感じだが、鍛え抜かれた俺の危機感知能力は、これが嘗て無い程危険な状況である事を告げていた。

「な…何かなホシノ君」

「裏切らないで下さいね。万が一にも、敬愛する貴方に裏切られたりしたら…」

「ど…如何するのかな?」

「そんな悲しい事を言わないで下さい。どうして『そんな事はあり得ない』と言ってくれないんですか」

「そ…そうだな。いや、俺が悪かった」

「まあ、所詮か弱い少女に出来る事なんて、身も世も無く泣き崩れる事くらいなんですけどね」

と言いながら、ゆっくりと此方へ振り向きつつ見せるその笑顔は、まるで物心付く前の幼子の様に無垢なものであり、
それ故にその眼は『何が起こっても仕方の無い事だ』と雄弁に物語っていた。
ううっ。彼女の場合、本当に『何をするか判らない』だけに、ある意味アキトや北斗を怒らせるよりも怖い。

「それでは提督。例の件、くれぐれも宜しくお願いします」

   バタン

はあ〜、悪魔に魂を売り飛ばした気分だ。

    ダイタイ、オナジ

こういう時こそ否定しろよ。

   ケッカ、オナジ

だあ〜、徹等徹尾イヤな奴め。

まあ良いさ。
アキトさえ帰ってくれば、ホシノ君だって層々無茶な事はしないだろうし、イザとなったらハルカ君に取り成して貰えば何とかなるだろう………多分。

かくて、俺は素早く精神的再建を果すと、帰り支度を始めた。
だが、いまだ厄介事は終っていなかった。

   バタン

「忘れ物かい、ホシノ君」

と言いつつ振り向くと、其処には、この一件で完璧に忘れ去られていた第三のマシンチャイルドが、決死を覚悟を固めた顔で立っていた。





説得工作B ― マキビ ハリの場合 ―

「僕を中学にスキップさせて下さい」

やれやれ、コイツもか。
まったく、マシンチャイルドの辞書にはプライバシーって単語は載っていないんかい。

「僕を中学にスキップさせて下さい」

しかも、ホシノ君の戦術の猿真似とはね。そんな事だから、扱いが軽くなるんだぞハーリー君。

「僕を中学にスキップさせて下さい」

まてよ。そう言えばハルカ君も、彼に関しては何も言っていなかったよな。

………
……

いや、確かに上手くいけばホシノ君を抑える上での鍵となるが………
幾らなんでも確立が低過ぎるし、失敗すれば、彼の人生の岐路を大きく狂わす事に…

「僕を中学にスキップさせて下さい」

我ながら今更な話だったな。
どの道、彼の行動原理がホシノ君の都合によって左右されている間は、人生設計も糞もあるまい。
それに、このまま出来の悪い弟役に甘んじている位なら、社会的基盤が出来る分、此方の方がナンボかマシだろう。
かくて俺は、ハーリー君の明るい未来を守る為、突発的に思い付いた遠大な計画を実行に移す事にした。

「五月蝿い、黙れ!」

「僕を中学に…」

チョっと強く言っただけで、途端に口篭るハーリー君。
やはり先ず、この押しの弱さから改善すべきだよな。

「なあ、ハーリー君。
 仮にだ。君の要望通り中学に進学させ、大サービスでホシノ君と同じクラスに入れたと仮定しよう。それが一体何になるって言うんだ?」

「毎日、ルリさんの顔が見れます!」

だ、駄目だこりゃ。
まさか此処まで重症だったとは。そこで、そういう答えを返すか普通。それも即答で。

「なあ、君はそれで…」

「それに、もしかしたら…と、隣の席に座れるかも知れないんですよ!」

なんかもう、このままでも彼は十二分に幸せな様な気が………って、ハーリー君相手に丸め込まれて如何する俺。
仕方ない。ルリ君の話題を避け、段階的に伝えるとするか。

「兎に角、明るい学園生活の事は横に置いてだな。
 君は将来、如何するつもりだね?」

「しょ、将来は勿論…」

「ルリ君の事は抜きにして! そう、君個人の人生設計だ。
 君はマシンチャイルドであり、卓越した能力を持っている。
 だが、現在の社会体制では、その能力を生かせる場は限られいるのが現実だ。
 そういった点を踏まえた上で、君は将来どの道を目指すつもりかな?」

「その〜、シュン提督?」

「ああ、すまんな。勿論、今すぐ決めろという訳じゃ無い。
 只、君らの立場上、社会的基盤を作るのは、速いに越した事は無いんでね。
 特に君とは、前から一度その辺りの事を、腹を割って話してみたいと思っていたんだ」

やれやれ、漸く神妙な顔を見せてくれたな。
後はどうやって誘導する…

「提督! 僕は、将来軍に入って…ル、ルリさんの支えとなれる様な軍人を目指したいと思います」

までも無く、此方の意図通りの道を選択してくれたか。よし、第二段階だ。

「成る程、ホシノ君の右腕を目指す訳か。君の考えは良く判った。
 だがなハーリー君、今のままの考え方では、君は一生ホシノ君のお荷物で終わるぞ」

「そんな事ありません!僕はルリさんの為なら、どんな事でもするつもりです!」

「意気込みは買うが、出発点が既に間違っているんだよハーリー君。
 人の成長というものは、君が考えている様な甘いものじゃない。
 例えばそう………俺と君が着任したばかりの頃のエステバリス隊の面々は、常識的な範囲では一流の腕だったかもしれんが、
 当時はまだ、アキトの足元にも及ばなかったよな?
 だが今の彼らは、連合でも並ぶ者無きエステバリスライダーであり、アキトや北斗でさえ無視できないだけの力を持っている。
 何故、此れ程迄に急成長できたと思う?」

「う〜ん、あの人達の才能と必死に努力した結果…」

「違う! アキトの後ろを歩く事を、潔ぎ良しとしなかったからだ。
 努力や才能など二次的な事に過ぎない。自らを向かい風に立たせる覚悟こそが、彼らを育てたんだ。
 翻って、今の君はどうだ? 何も考えずに、ルリ君の後ろを歩いているだけじゃないか。
 常にルリ君の庇護下にある状態で、どうやって彼女の支えになるつもりだね?」

「………………………」

精神年齢的に考えても、少々キツイ内容だったかもしれんな。
だが、彼もこの戦いを潜り抜けて来た生え抜きの兵士。この程度の説教で、へこんだままという事もあるまい。
何より、本題はここからだ。

「僕は、一体どうすれば…………」

「そうだな。幼年学校に入るってのは、どうかな?」

「はあ?」

「いいかい、ハーリー君。よ〜く考えてみてくれ。
 何年先になるかは俺には判らんが、ネルガルはいずれ前回の歴史通り、ナデシコB・Cを作るだろう。
 そうなればホシノ君は、戦艦の艦長を務める上で自動的に少佐という事になる。
 『もしも』だ。その時、君が少佐以上の地位に就いていたら如何なると思う?」

………
……

   ガタン

「え・え・え・え…
   な・な・な・なそ・なそ・そ・そ…」

座ったまま転ぶとは、器用なものだな。
しかも、漸く想像が追いついてきたらしく、顔の骨格が歪む様な笑みまで浮かべて………
って、拙いな。このままじゃ、アチラ側の世界に行ったまま帰って来れそうに無い。
え〜い、世話の焼ける子だ。

   パン、パン、パン、パン。

「しっかりしろハーリー君。幾らなんでも、そこまで取り乱す様な話じゃないだろ」

「………あ、提督? なんか今、とんでもなく素晴らしい事が起こった様な…
 いや、そんな事より幼年学校に入りましょう。ええもう、今すぐに!」

両頬を腫らしながらも、ドーパミンが大量分泌されているらしく、寸毫も気にする事無く此方に詰め寄ってくるハーリ君。
如何やら俺の提示したチップは、俺の予想以上に彼には魅力的だったらしい。
この時点で、本計画の初動の段階は無事成功である。
だが如何せん、この話に乗る事のリスクを、当事者であるハーリー君が全く把握していないのでは、余りにも心許無い。
それ故、俺は改めて、その危険性と成功率の低さについて語る事にした。

「いや、ハーリー君。さっき言ったのは、あくまでも仮定の話に過ぎない。
 良いかい、真・面・目に考えてくれよ。
 仮に軍の教育施設に入ったとしよう。
 その場合、幼年学校を卒業した場合は兵長、士官学校卒で軍曹、防衛大学卒で少尉として任官される事になり、
 主席もしくはそれに順する成績を収めた場合は、それより一階級上という事に成る。
 要するに、最高でも中尉からの出発という訳だ。
 そして、既に戦争が終結した以上、戦功を上げてトントン拍子に出世するなんて事はありえない。
 つまり、散々苦労した挙句、前回の歴史通り少尉として任官する事になるかもしれんのだが、それでもやるかね?」

「何を言ってるんです提督!
 そんなネルガルに与えられただけの少尉と、実力で勝ち取った少尉とじゃ、比べ物になるわけ無いじゃないですか!」

なっ! まさかハーリー君が此処まで先程の説教の意味を…漢と言うものを理解していようとは。
いや〜正直、見直し…

「ネルガルの社員じゃなくて、国家公務員としての少尉ですよ!
 未成年を理由に、親に給料の管理を委託しなくも良いんですよ!
 『これ、給料三ヵ月分貯めたんだ』と、ルリさんに言う事だって出来るかもしれなくなるんですよ!」

前言撤回。一体何を考えてるんだコイツは!
ま…まあ良い。兎に角、この計画が如何いう結果に成ろうとも、彼が強く生きて行く事だけは、疑う余地が無さそうだ。

「そ…そうかい。
 それじゃあ地球に帰ったら、親御さんを交えて最終確認をするとしよう」

「判りました」

「ああそれとな、親御さんの承諾が得られる迄、この話は伏せておいてくれよ」

「勿論ですとも。僕もミナトさんを敵に回したくはありませんから」

「「あははははっ」」

(ハァ〜)何でこういう所だけ頭が回るんだろうな、この少年は。

「それじゃ提督、僕はこれで」

   バタン

   0. 000000000001%

何がだ。

   ケイカク、セイコウカクリツ

な〜に、確かにホシノ君がハーリ君に靡くってのは絶望的だろうさ。
だが、彼が自立してくれれば、ホシノ君の処理能力は更に幅が広がるだろうし、
何より、彼女が敵に回った時、勝てないまでも牽制位は出来る様に為るかもしれんじゃないか。
ふっ、名付けて『ハーリー君補完計画』
エヴァ初号機の起動確率並に低い確率とは言え、ホシノ君ゲットの可能性がある以上、ハーリー君も本望だろうて。

   チガウ、ゼロ、11コ

……………さて、一杯引っ掛けて寝るか。
アークの訂正はさり気無く聞かなかった事にして、俺は再び帰り支度を始めた。
だが、運命の女神は、初心なボウヤに食傷してナイス・ミドルに乗り換えたらしく、安らかな安息の時は未だ訪れては居なかった。
無意識の内に考えまいとしていた最大の問題。それが、恩知らずにもハーリー君によって告げられたのである。

   ピコン

『提督、大変です!
 今、ゲストルーム前なんですが、どうも枝織さんと迎えに来た零夜さんが揉めてるみたいなんです。至急、此方に来てください』

   ピコン

妙だな。つい10分程前に此処を出たばかりのハーリー君に、何故こんな報告が出来るんだろう?
って、ホシノ君に厄介事を押し付けられたからに決っているか。(嘆息)
まあ何にせよ、放っておく訳にもいくまい。
俺は鉛よりも重い足を引きずり、ゲストルームへと向った。
ううっ。なんかもう、今や北斗よりずっと怖いんだよな、枝織ちゃんって。





説得工作C ― 影護 枝織の場合 ―

「やだ。アー君を助ける為に、枝織は此処に残るの!」

「それが無理な事位、枝織ちゃんにも判るでしょう」

「やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ…」

「もう、枝織ちゃん。そんな我侭ばかり言わないの。もうすぐ地球の索敵範囲内に入るんだから、早く艦載機に乗らないと」

「やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ…」

「そんなんじゃ、北ちゃんにも嫌われちゃうわよ」

「もう北ちゃんなんて嫌い、零ちゃんも嫌い、優華部隊のみんなも大嫌い!」

う〜ん。会話だけ聞いていると微笑ましい感じなんだが、既に廃墟と化したゲストルームと、いい感じで屍と化しているハーリー君の惨状とが、
その印象を見事に粉砕しているな。
此処って、ディストーションブロックの作動区画だっただろうか?

「じゃあ、せめて北ちゃんと話をさせて。これはもう、木連と地球の外交問題に関わる事なのよ」

「(プイ)北ちゃんなんて知らない。
 枝織やアー君より、知らない妖精さんとのお話の方が大事なんだもん。
 ねえ、シュンさん。シュンさんなら枝織のお話、判ってくれるよね?」

ハッとした様に振り返り、縋る様な目で此方を見る紫苑君。
その顔からは、既に彼女の手におえない状況である事が、ありありと見て取れる。
『後は任せろ』と目で答えた後、俺は慎重に間合いを測りつつ、枝織ちゃんの説得を開始した。

「いや、此処は紫苑君の言う通りだよ枝織ちゃん。
 君の半身とも言うべき北斗の様子もおかしい事だし、此処は木連に帰った方がいい」

「そ…そんな!」

   バキッ(手にしたスタンドの折れる音)

「シュンさんは…シュンさんだけは判ってくれると信じていたのに」

   ボコッ(よろめいた拍子に突いた手が壁をへこます音)

「(ヒック、ヒック)うえ〜ん、アー君。枝織は一人ぼっちだよ〜〜〜!」

   ドシャ(泣き崩れた先のベッドが潰れる音)

言動だけは悲劇のヒロインチックに、廃墟と化したゲストルームにトドメを刺していく枝織ちゃん。
本人は正にそのつもりなんだろうが、感情の高ぶるままに昂氣全開状態の為、人間凶器以外の何者でも無い。

ん、待てよ。悲劇のヒロイン…枝織ちゃんも木連人…いけるかもしれない。
俺は一瞬で覚悟を固め、己の命をチップにした賭けに出た。

「甘ったれるな!」

   ビクッ

「幾ら泣いても、過ぎ去った時は戻らないし、アキトの奴が帰ってくる訳でも無い。
 だが、君がそうして無為に時を過ごしている間にも、アキトは君が助けに来るのを信じ、もがき苦しんでいるのかも知れないんだぞ!」

「シュンさん………」

ゆっくりと振り向いた枝織ちゃんの顔は、涙に濡れてはいたが、何か新たな希望を見付けたかの様に光り輝いていた。
ふう〜、流石は木連の聖典ゲキガンガー。俺の予測通り、こういうスポコン系の話もあった様だ。
さあて、後は一気に押し切るだけだ。

「アキト奪還の為の作戦概要は、既に全て君に伝えてある。
 だからこそ、アキトの帰還は一朝一夕には行かない事も、木連の協力を必要としている事も、君には判っている筈だ。
 にも拘らずそんな泣きっ面とは。東提督への親書を君に託したのは、如何やら俺の眼鏡違いだった様だな」

「違うよ! 枝織は泣いてなんかいないもん。これは心の汗だよシュンさん」

「ふっ、ならば良い」

「それに、枝織には泣いてる暇なんか無い。アー君が帰って来る迄の二年の間に、やらなきゃ為らない事が、い〜ぱいあるんだもん」

「その意気だ。二年の間にうんと成長して、アキトの奴を驚かしてやれ」

「うん! 超セクシーになって、アー君を悩殺してやるんだ!」

   ピシッ

ズ…ズルイぞ、そんな所ばっかり精神的に成長しているなんて。
う〜ん、この場合も女の子(枝織ちゃん)の方が男の子(北斗)よりも早熟というんだろうか?

「シュンさんは、枝織を応援してくれるよね」

と、言いつつ、先程まで涙に濡れていた目を更に潤ませて、俺の顔を覗き込む様に見上げる枝織ちゃん。
ううっ、既に女の武器まで使いこなして。

「応援してくれるよね」

助けを求めるべく紫苑君の方を見ると、何故か彼女まで潤んだ瞳で此方を遠巻きに見つめている。

って、しまった。紫苑君も木連人だった。彼女もまた、この手の話に弱いのは自明の理じゃないか。
嗚呼、そんな如何にも『良いものを見せて貰った』なんて顔をする暇があったら、枝織ちゃんを止めてくれ!
き、君は北斗を愛していたんじゃないのか!
枝織ちゃんならアキトに取られても構わないなんて無責任じゃないか!
畜生、もう自分でも何がなにやら……

「応援してくれるよね」

「………ハイ」





    〜 20分後 ナデシコ格納庫 〜

かくて俺は、上機嫌の枝織ちゃんに引きずられる様にして、彼女達を見送るべく格納庫へと向った。
当然、ブリッジには伏せたままである。
褒められた事ではないが、ホシノ君と枝織ちゃんを会わせない様にする為には、速やかに彼女達を送り出して事後承諾にするしか無い。
嗚呼、僅かな選択ミスが、太陽系の破滅に繋がりかねないこの緊張感。アキトの奴も、こんな気分だったのだろうか?
内心の緊張をひた隠しにしつつ歩を進め、格納庫に到着。
艦載機のハッチを見上げると、そこには御剣君の姿があった。

「よう、君も来ていたのか。何もこんな所に居ないで、ヤマダの奴にでも会いに行けば良かったのに」

少々、厭味だっただろうか。だがまあ、先程迄の俺と紫苑君の苦労を思えば、これ位は許されるだろう。

「残念ですが遠慮しておきます。何せ、テンカワアキトがあんな事になっちまって、その…ガイの奴は今、誰とも会いたくないだろうし」

俺は、軽い自己嫌悪と共に、御剣君の評価を大幅に改めた。
どうやら彼女は、第一印象とは対照的に、細やかな気配りの出来る娘らしい。
こいつは間違っても、ヤマダの奴のまったく普段通りの姿を見せる訳にはいかんな。

「それでは提督。慌しくて申し訳ありませんが、私達はこれで(ペコリ)」

「おう。枝織ちゃんを頼むぞ、紫苑君」

「はい! 必ずや、ご期待にそう結果を出して見せます!」

ううっ、誤解されたままなのが今一つ不安だが、今は一刻も早く送り出さねば。

   シュイン

「………オオサキ提督。
 こんな事頼めた義理じゃないんですが、ガイの奴を気に掛けてやってくれませんか?
 アイツ、ああ見えて結構ナイーブな所があるし、その…馬鹿な事をするかもしれないから」

「おいおい、俺はこの艦の提督だぞ。そんな事、言われるまでも無いさ」

「ははっ、そうですね。今のは忘れて下さい。それじゃ!」

   シュイン

はて………今しがた、枝織ちゃんと紫苑君がハッチに消えたのを見計らって、御剣君がなにか思いつめた顔で話し掛けてきたような………
そうそう、ヤマダが馬鹿な真似しない様に見張っとけって話だったな。

   ニュアンス、チガウ

うが〜っ、人が辛うじて先程の怪奇現象の合理化に成功しったってのに………
せっかく御剣君が『忘れてくれ』と言ってくれた話を、わざわざ蒸し返すんじゃない! オマエは俺を、肝硬変で殺すつもりか〜!

   ノマナキャ、イイ

これが飲まずにいられるか〜!

   ドシュ〜〜〜ッ  

………
……

かくて、様々な問題を孕みつつも、物理的な意味での最大の問題はナデシコを去っていった。
だが俺の心には、取り返しの付かない事をしてしまった者のみが持つ寂寥感に溢れていた。
明後日…いや、明日は地球到着か。
俺は、疲弊しきった身体を引きずる様に、自室へと転がり込んだ。

ベッドは、今日も俺に優しかった。




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