『 6月28日 晴れ』
   今日、期待の新戦力たるサイゾウさんが、日々平穏に入店した。
   ホウメイさんとのファーストコンタクトはやや不首尾に終ったが、
   それも時間が解決してくれることだろう。

全体会議があった翌朝の午前8時。
10日ぶりに顔を会わせたサイゾウさんの、別人の様に覇気に満ちた姿は、彼の復調を確信させるに充分なものだった。
正直、謝罪の言葉も無い様な真似をしていただけに、俺としては二重の意味で喜ばしい。
型通りの挨拶の後、改めてコック就任の意思確認をする。
些か迂遠な気もするが、これも規則だ。
何せブロスさんってば、契約関係に関しては特に五月蝿いし。

「(ピラッ)うん、確かに。それじゃ店の方に案内するんで、ついて来てくれ」

「おっと、一寸待ってくんな。その前に、コイツを返しておかね〜とな」

契約書を受け取り、そのまま日々平穏へ案内しようとした俺を遮ると、彼は懐から一本の包丁を取り出し、

「(チャキ)名工、夜鳥甚梧郎作『鬼包丁』
 こんな物を見せられちゃ、愚図ってる訳にはいかないからな。
 いやまったく、良い目の保養をさせて貰ったぜ」

そのまま半分だけ鞘から抜いて銘の部分を見せた後、柄の方を差し出してきた。
どうも俺が送り付けた物だと思っているらしいが、生憎、身に覚えが無い。
しかも、彼の瞳に浮かぶ一抹の寂寥感からして、手離すのは本意では無いが、そのまま受取る訳にもいかない高価な品の様だ。
さて、どうしたものか。

「それは貴方に差上げた物ですわ」

って、カヲリ君。いつの間に。
いきなりドア口に現れた事に驚きつつも、素早く三角テレパスで事情を尋ねる。

   ………、(御免なさい)

成る程。彼女もこの10日間色々忙しかったんで、サイゾウさんに行ったアプローチのフォローを忘れていたという訳か。
なんて不憫な。まあ、俺も同罪なんだけど。
激動の歴史に流され、その存在を忘れられていた一人のコックに密かに同情しつつ、俺は事情説明をして貰うべく、カヲリ君の部屋に招き入れた。

「おいおい、冗談は無しにしようぜ嬢ちゃん。
 コイツは軽々しく『差上げます』『頂きます』なんて言える物じゃね〜だろ。
 どっかの博物館に展示してあっても可笑しくない様な逸品なんだぜ」

優雅に会釈し、自己紹介を始め様とするカヲリ君を遮り、サイゾウさんは釈明を求め詰め寄った。
包丁を片手にしたその姿は、なんとなく説教強盗を連想させるものがある。

「確かに。でも、それは本物だったらの話ですわ。
 その包丁は、夜鳥甚梧郎の孫娘にして彼の人の唯一の弟子にあたる夜鳥みどりさんに、さる一件のお礼にと善意で頂いた品。
 つまり、彼女の修行中の習作ってことね」

「コイツがか…」

繁々と包丁を見つめ直すサイゾウさん。
贋作だった事には驚いている様だが、その顔に失意はなく喜びに満ちている。
どうやら俺の予想以上に、その包丁が気に入っていた様だ。

「(クスッ)二束三文の物と判ったら興味が失せたかしら?」

「おいおい。俺は骨董商じゃなくてコックだぜ、嬢ちゃん。
 質以外の物を得物に求めたって仕方あるめえ」

「(クスッ)やはり貴方は、その包丁に込められた情熱を感じ取れる人なのね。好意に値しますわ」

「こうい?」

「好きってことよ(は〜と)」

「おう。俺も嬢ちゃんみて〜な美人は大好きだぜ。
 でけえカリも出来た事だし、食事に来てくれた時にはサービスさせて貰うぜ」

かくて、サイゾウさんの第二の料理人人生は、滑り出しは実に和やかに進んだ。
だがそれは、嵐の前の静けさに過ぎなかった。
後に、日々平穏を襲う数々の悲喜劇。それはホウメイさんとサイゾウさんの出会いから始まった。




   〜  午前9時 日々平穏厨房  〜

朝食のラッシュを終え、昼食の仕込をしていたホウメイさんに、サイゾウさんを紹介する。
アキトの師と聞いてホウメイさんの方は納得した様だが、何故かサイゾウさんは、唖然とした表情でホウメイさんを見つめている。
そして、俗に天使が通ったと呼ばれる重苦しい沈黙の後、堰を切った様に不平を並べ始めた。
曰く、『女の風下に立てるか』曰く、『その細腕でホントに鍋が振れんのかよ』エトセトラ、エトセトラ…
どうも彼は、昔気質の人間にありがちな、女性に対する偏見の持ち主だった様だ。
当然ながら、そんなことを言われて黙っている様なホウメイさんでは無い。
何時に無く険しい顔で、必死に言い返している。
だが、普段は悪口など言った事が無い人だけに、口の悪さではサイゾウさんに勝てそうに無い。
ホウメイさん自身もそれを悟ったらしく、半ば強引に論争を打ち切り、サイゾウさんを調理場へと招き入れる。
そして、徐に冷蔵庫から具材を取り出すと、彼女にしては挑戦的な仕種で彼に手渡した。

「飯は御櫃にある冷飯。具は卵とネギのみ。良いね」

「おう、上等だ」

  ジュ〜、ジャ、ジャ………

成る程。口では勝てそうに無いんで、腕で黙らす事にした訳か。
目論見自体は妥当な物なのだろうが、10日前、強引に頼み込んで披露して貰ったサイゾウさんの腕からして望み薄だな。
まして、サイゾウさんの土俵たる中華となれば、ホウメイさんの敗北さえあり得るだろうし。
いやはや、どう収拾を付けたものか。

「はい、チャーハン挙がったよ」

「おう、コッチもだ」

などと、俺が今後の対応を苦慮している間に両者とも完成し、互いの皿を差し出しあった。
御丁寧に、俺の前には半チャーハンの盛りの物が二皿並んでいる。
どうやら判定役を務めろという事らしい。
二人に目で促され、一口づつ両者のチャーハンを口にする。
う〜ん。やはり、どちらも美味い。
だが、正直にそう言った所で、両者共に納得してくれないだろう。
さて、如何したものかな。
俺の内心の葛藤を他所に、即座に下らなかった判定に不審そうな顔をしつつ、互いのチャーハンを食べ出す両者。
そして、某オールバックのグウタラ社員の活躍するグルメ漫画の様な構図で驚愕した。
双方共に予想以上の美味だったらしい。
そのまま何も言わず、御互いが作ったチャーハンを食べながら不敵に微笑み合っている。
どうやら、互いに腕を認め合うライバル関係と成った様だ。

結構、結構。
相互理解とはシバシバ反発を切っ掛けに生まれるもの。
上手くいけば、季節外れの春だって来るかもしれない。
そんな豊かな未来を想像しつつ、俺は二皿のチャーハンを平らげた。

だが、そんな俺の甘い思惑を嘲笑うが如く、二人の間には決定的な破局が訪れる事になる。
サイゾウさんが入店して三日目。地球に食材を発注する時、それは起こった。

「一体如何いうつもりだい、こんなにクズ野菜ばかり仕入れるなんて。
 素材選びは基本中の基本だよ。あんた、それでも料理人かい!」

「アンタこそ料理ってモンが理解ってねえ!
 確かに俺達料理人は、食べてくれる人の為に少しでも良い素材を探す義務がある。
 いや、いっそ権利と言ってさえ良いかもしれね〜
 だがな、こいつらがクズだとすりゃあ〜、世間で流通している食材の99%はクズって事になるぜ。
 それに何でえ、この店の料理の価格は。ほとんど実費じゃネエか。
 これじゃ余蔵在庫はとても置けネエ。まして浪図なんて出した日にゃ〜、店潰れんのを待つだけって事になるのがオチだ。
 アンタ、本気で客の注文に応える気がアンのかい?
 常に客の求める料理に使う食材だけを揃えるなんざ、神様でもなけりゃできネエんだぜ」

この後、泥沼の言い争いの果てに、二人は袂を分つ事に成った。
原因を探るべく、改めて二人のプロフィールを見比べ愕然とする。

素材に拘り、常に最高の食材を揃える事に腐心するホウメイさん。
常に最高の料理を作るが、長い従軍生活の所為か金銭感覚が希薄。
採算度外視となる傾向も強く、実の所、繁盛している割に日々平穏の経営状態は芳しくないらしい。

これに対し、与えられた食材の長所を活かし、足りない部分は腕で補おうとするサイゾウさん。
安くて美味い料理を作らせたら右に出る者が居ないが、所謂高級食材を使った料理の経験に乏しく、レシピの数もホウメイさんに遠く及ばない。

そう。二人は正に、対極の料理人人生を歩んでいたのである。
これではソリが合わないのも無理はない。
この二人の教えを受けたアキトが、その教えの二律背反にどう折合をつけていたのか、是非とも聞いてみたいものだ。
かくて、『アキトが帰ってきたらやらせる事リスト』の三冊目25ページ目に新たな一文を書き加えた後、改めてこの一件の打開策を模索する。
とりあえず、二人の共存は諦めるしかないだろう。
だが、新たに店を持つだけの資金がサイゾウさんには無い。
出資者を募って融資しても良いのだが、『なれない土地で採算度外視のライバル店とのサバイバルマッチ』なんて展開に成りそうなので、
これも遠慮しておきたい所だ。
機密保持の観点からも、出来ればナデシコクルー+αは日々平穏、新たに火星に訪れた現場作業員は別の場所、という形が望ましい。

そんな内容の話を、俺的には可能な限り言葉を選びつつ第一次火星再開発使節団の代表者たる現場監督のカール=フェスタ氏に相談した所、
彼の鶴の一声で、その日の内に作業員宿舎横に、大会議室用のプレハブを一部改造して調理器具一式を揃えた、簡易型の食堂が増設され、
基本的に作業員達は此方で食事を取る事になった。
正直言って、600人からの食事を賄うには明らかに手狭な感じだが、
カントクの話によると、日替わりのセットメニューを配給制にして利用者の回転率を上げれば、これ位のスペースでも何とかなるらしい。

場所を取らずに建設費もリーズナブル。おまけに、作業員達の説得までカントク任せ。
此方としては、正に願っても無い話である。
ちなみに、この食堂形態を『飯場』と言って、200年位前の工事現場では割とポピュラーだった物なんだそうだ。
そんなこんなで、サイゾウさんはカントク預かりの身と成り、立場的には、ネルガルから出向してきた賄い専門の作業員という事に成った。

かくて飯場開店(?)初日。平たく言えば、その日の夕飯。
一寸した好奇心から、俺も作業員達に混じって配給を受けてみた。
サイゾウさんが実費で作っているだけあって、そのレベルはかなり高い。
それでいて一食分の値段は、日々平穏の定食物の半値以下ときている。
手渡された時には、いっそ此方に鞍替えしようかと真剣に悩んだ程だ。

無論、良い事ばかりとはいかない。
飯場は、兎に角忙しない。
回転率の関係から相席は当たり前だし、御喋りを敬遠する雰囲気がある。
順番待ちの視線も気になる所だ。
この辺、行列の出来るラーメン店に通じる物がある。
何より問題なのは、此処では酒類が全く出ない事だ。
まあ、12時間3交代制で働く作業員達の食堂である以上仕方が無い事なのだが、俺的には超痛い。
カントクの話によると、それが飯場が廃れていった最大の原因であり、持ち込んだ安酒を回し飲みしながら、夕飯の残り物をツマミに小宴会と言うのが、
本来の飯場の醍醐味なんだそうだ。
暫し失われた古き良き伝統に哀悼の意を示した後、俺は静かなる喧騒に満ちた飯場を後にした。

かくて、作業員の食事の確保という当初の問題は、ややイレギュラーが起こったものの無事解決した。
だが、日々平穏を襲った嵐は、未だ通り過ぎてはいなかった。
この悲喜劇の最終章。それは飯場開店の翌日。地球行き輸送船の出発と共に幕を開けた。

「なに〜! ウエイトレス達が脱獄しただって〜〜!!」

ゲキガン定食のメインディシュ、ゲキガンハンバーグ(ゲキガンガー3を模ったハンバーグ。切ると中から熱血(激辛)トマトソースが溢れ出る)
をパクつきながら絶叫するヤマダ。
どうやら、今しがたアマノ君から話を聞くまで、この日々平穏の異常にまるで気付いていなかったらしい。

「やだなあガイ君。脱獄はないっしょ、ウチは刑務所じゃないんだから」

「そんな事はどうでもいい! 要するに逃げ出したってことだろ!」

アマノ君が宥めに掛かっているが、余り上手くいっていない。
おそらくは、彼女自身にも忸怩たる思いがある所為だろう。
実際、彼女達が退職していった経緯は惨憺たるものだった。

事の起こりは本日の早朝5時。
プロスさんから乙種(個人宛)非常警報と共に送信されてきた報告によると、
ホウメイガールズの後釜のウエイトレス達全員が輸送船に密航し、この駐屯地から出奔したらしいのだ。
当然ながら、今日付けで新規採用の日々平穏ウエイトレス6人は解雇扱いと成った訳だが、だからと言って代わりの人材など居る筈も無く、
結果ホウメイさんは、精神的にも物理的にも多大な痛手を負う事と成ってしまったのである。

ナデシコ最大の聖域とも言える日々平穏ではあるが、こうも致命的な不祥事が勃発しては、事態を静観している訳にはいかない。
取り合えず俺は、放送で日々平穏臨時休業の御報せを指示。
次いで、非公式に地球に帰省中の(公式には件の輸送船に乗船中)プロスさんに、新規ウエイトレスの確保を依頼した。
幸い、ホウメイさんの心理的ダメージは予想よりも軽く、『ちょっと提督! 勝手に人の店を閉めないどくれよ』と、怒鳴り込んで来た程だったが、
前後の事情を考えれば、それが虚勢である事は疑う余地が無い。
そう。そのまま店を空けてみた所で、朝のラッシュに対応出来る筈がないのだ。
かくて、その後の話し合いの結果、入店人数に規制を掛ける事で合意がなされ、現在に至るという訳である。

「逃げたんじゃ無くて解雇に成ったの。まあ、一応退職届は出ていたらしいんだけど」

「解雇も桑畑も関係あるか! 何だってホウメイさんが困るような事を認めちまうんだよ。
 キョアック星人に対する地球防衛軍の攻撃だって無いよりはマシなんだ。
 せめて後釜が見つかるまでは、根性で持ち場を死守すんのが筋ってもんだろうが!」

「はいはい。去ってった者の悪口は、その辺で御終いにしといておくれ」

尚も言い募ろうとするヤマダをホウメイさんが制した。
その姿からは、現状への憤りなど微塵も感じられない。
実際、あんな物を見せられた後では怒る気にも成れないだろう。

「悪口って。ホウメイさんは悔しく無いのかよ、こんな真似をされて!」

「アタシが悔しがるとすれば、料理にケチを付けられた時だけさね。
 それに今回の事は、あの娘達と私とじゃ求めるもが違った。只それだけの事でしかないよ」

そう。宿舎に残されていた退職届を読んだ所、呆れた事に、彼女達の真の目的は、アイドルに成る事にだったらしい。
正直言って、俺には如何いう発想でそうなるのか理解不能である。
ラピスちゃんの解説によると、メジャー化したアイドルグループのメンバー入替えは、割とポピュラーな事なんだそうだが、
それでも、ウエイトレスの後釜=アイドルの後釜になんて図式が成立するとは思えない。
一体、彼女達は何を考えて、火星での日々を送っていたのだろう?

「で、ホウメイさん。今日一日、一人でやってみた感想は如何です?
 俺としては、サイゾウさんの所みたいに、セルフサービスの配給制にするのも一つの方策だと思うんだが」

そう。『20日締めだから、今月分の給料、9日分プラスしてね(ハート)』と書き残す様な連中なんかに構っている暇など無い。
すぐ目の前の、日々平穏崩壊の危機の方が遥に重要だ。
今日一日やってみて、ホウメイさんも現状の困難さを正しく認識してくれた事だろう。

ラストオーダーを作り終え、流石に疲弊した雰囲気を漂わせ始めたところを見計らい、
俺は、今朝方話した打開策を再度提示する事で、ホウメイさんに翻意を促した。だが、

「悪いけど、そいつは出来ない相談だよ。
 あの男の仕事を貶すつもりは無いけど、『求められる料理を出す』ってのがアタシの料理の原点だからね」

「如何しても駄目ですか」

「すまないけど、これだけは譲れないね。
 でもまあ、アタシだって馬鹿じゃない。手の込んだ料理の幾つかは、当分自粛って事にさせて貰うよ」

やはり無理か。
こと料理に関しては、引く事を知らない人だからなあ。
まあ、メニュー数の縮小に応じてくれだだけでも良しとしよう。

「そっか。これから大変だなホウメイさん」

デザートのドラ焼き(アマノ君の絵から型を起した天空ケンの焼印入り)を玩びながら、何時に無くしんみりとした口調で語るヤマダ。
良くも悪くも善意と熱血の塊の様な奴だけに、この件に関して役立たずな我が身が恨めしいらしい。
偶にこういう所をみると、アマノ君や御剣君の漢を見る目は、そう的外れなものでもない気がするから不思議である。
あくまでも『偶に』ではあるが。

「なに、『人生いたる所に青山あり』だよ。第一、これから大変なのは寧ろアンタの方だろうし」

「へっ? なんで俺が?」

「最悪、今食べてるのが最後のゲキガン定食に成るかもしれないってことさね」

その言葉に、ヤマダが真っ白に燃え尽きた事は言うまでもないだろう。
一刻も遅い復活を祈るのみだ。

その後、料理の心得のあるクルー達がフォローに回る事で、如何にか日々平穏は営業を続けている。
だがこれは、単にその場凌ぎをしているに過ぎない。
このままでは、ホウメイさんの過労+人手不足によって、日々平穏が閉店に追い込まれるのは時間の問題である。
かといって、これ以上最大入店人数を減らすのも難しい。
なにせ、現時点ですら、日々の食事をジャンクフードに頼らざるをえない者が続出している程なのだ。
『食』という、ナデシコクルーにとって空気よりも自然かつ重要な要素の崩壊に、らしからぬ暗いムードが蔓延しつつある。
アキト奪還に向けた戦いの舞台が、火星に移って早1ヶ月。俺達は、予期せぬ難局に陥っていた。

「しっかし提督も物好きだなや。毎日の様に、こっただ所へ来るなんて」

「いや〜、なんか此処の雰囲気が気に入ったんで、つい」

この飯場通いも、そろそろ限界だな。立場的にも。
う〜ん、何とかしなくては。




『 7月 7日 晴れ』
   今日、地球と木連の間で、正式に和平が締結された。
   友よ、見えるかあの空が。

太陽系中の話題を浚った地球側の奇襲、オペレーション・リバースエンドの失敗から約二週間。
地球政府への非難の声は今だ冷めやらず、その支持率は下降の一途を辿っている。
その影響からか近頃では、木連とのファーストコンタクトの隠蔽や100年前の核攻撃と言った、
地球では半ば自然消滅しかかっていた問題まで再燃しつつあるらしい。
今、世論は圧倒的なまでに木連側に傾いていた。
この絶対絶命のピンチに、地球政府は漸く重い腰を上げ、公式に木連との和平を決定。
本日7月5日、月面都市アーム・ストロングにて、最初の和平会談が行われる運びと成った。 
同時に、最後の和平会談でもある。
なにせ7月7日の七夕には、和平調印式が行われる事が既に決定済みなのだ。
これについては、些か唐突だと思われる向きもあるかもしれない。
だが、これまでにも、非公式とは言え、何度となく交渉自体は行われており、和平内容に付いても、双方で検討が繰り返されている。
つまり、今回の会談を最終的な意見確認の場と考えるならば、タイムスケジュール的には、寧ろ遅すぎると言うべき日程であり、
極論するならば、今日まで和平が成立しなかったのは、単に、地球政府にその気が無かったからでしかないのである。

かくて、客観的には超スピード承認とも言える和平調印式が行われる運びと成ったのだが、
だからと言って、地球政府が両国の友誼に積極性を見せ始めた訳では無い。
当然の事ながら、これには裏面の事情というヤツがある。
そう。全ては、7月末に総裁選挙の告示が行われるからなのだ。
現状から推察するに、遅くとも7月半ばまでには支持率を回復しなければ、現政権の崩壊は必至だろう。
つまり7月7日の和平調印は、少しでも話題性を高めようという、彼らの涙ぐましい努力の産物なのである。

また、和平会談の模様は、リアルタイムで御茶の間に流れる事に成った。
これは木連側からの提案である。後日、会談の内容に言いがかりを付けられるのを防ぐ為の策である事は言うまでもないだろう。
当初、地球政府はこれに猛反対していたのだが、地球の市民団体各種からの要求もあって、引き受けざるを得なくなったんだそうだ。
この後に及んで、往生際の悪い事である。

そんなこんなの悲喜劇を交え、遂に運命の瞬間が訪れた。
この会見に合わせ設立された太陽系統一放送局、BS(ボソン・スペース)チャンネルのアナウンサーが両陣営の代表者を紹介していく。
木連側の代表は、東提督と各務君。それと西沢とかいうオッちゃん。
地球側の代表は、地球連合政府外務大臣『代理』と、その他大勢。
ちなみに現職の大臣は、三日前から病気療養中なんだそうだ。
ハッキリ言って、敵地での会談に応じた相手国の代表に対し、最大の侮辱とも言える対応だ。
だが、この人事こそが、地球政府の事実上の敗北宣言である事は、目端の利く者にとっては一目瞭然だろう。
そう、彼らは逃げ出したのだ。
公人としての責任から。
全国民の前で東提督と比べられる事から。
そして、護衛として同行して来た真紅の羅刹から。
う〜ん。実は賢明な判断かも知れない。(笑)

かくて、東提督VSスケープゴートにされた有象無象の政治家達という、不条理極まりない会談が始まった。
型通りの挨拶の後、事前に決まっていた取り決めに基づき、和平条約が取り決められていく。
その間、良い様におちょくられる彼らの姿は、政治を風刺した四コマ漫画よりも失笑を誘う物だった。
今頃地球では、番組を間違えたと誤解する視聴者が続出している事だろう。
だがそれは、後に起こる悲劇への前奏曲でしかなかった。
切っ掛けは、会談が相転移エンジンに関する部分に差し掛かった時、地球側がごね始めた事にある。
『双方の軍縮化の為、相転移エンジンを積んだ戦艦及び機動兵器の保有台数を制限する』
この条約、内容自体は妥当な物だろう。
だが、幾ら相転移エンジン内臓だからといって、木連の最大の労働力たるバッタやジョロまでその対象に入れようとするのは頂けない。
しかも、木連側の緻密なデータに基づく釈明に対し、言掛りとしか言えない様な理屈で反論。
挙句の果てには、某社製の作業機械の宣伝を始める始末である。
これには流石の東提督も呆気に取られ、暫しセールスマンと化した政治家Aの長口上を許す事となった。
だが、そのまま流される様な彼女ではない。目線だけで政治家Aを制すと、

「あら、ひょっとして今のは『シャツとズボンを売ってやるから、着物は処分しろ』
 な〜んて、ペリー提督でさえ恥ずかしくて言えなかった様な事を仰りたいのかしら?」

と、彼の言動を痛烈に皮肉った後、意味ありげに微笑みつつ、小太りの同僚を議論の場へと送り出した。
そう。愚かにも三流政治家達は、藪を突いて毒蛇を呼び出してしまったのである。

「東中将に代わりまして、御説明させて頂きます西沢です。どうかお見知りおきを。
 さて、現在議題に上がっています乙型………失礼、地球において『バッタ』及び『ジョロ』と呼称されてる機体は、
 木星の遺跡工場で生産されている物をそのまま流用しているものであり、その機体、予備部品、燃料に至るまで基本的に無料です。
 しかも現在に於いては、かつて火星を占拠し、戦闘行為以外に能の無かった旧式とは異なり、
 資源採掘・資源運搬・流通の確保・衛星区画外や宇宙空間での修復作業と言った木連の生命線を担う務めを果しており、
 最近では交通整理や警備員といった地域に密着する仕事にも従事する、云わば木連社会に於いて無くては成らない最大の労働力なのです。
 この事実の前には、木連政府と致しましては歪曲場………失礼、ディストーションフィールドなど全くの余技に過ぎないと断固主張させて貰います。
 如何してもと仰るなら、現存するバッタ及びジョロを不具合改造………失礼、デチューンし、御望みの所にまで能力値を下げる事も検討しましょう。
 無論、地球の方々が、バッタ及びジョロに対し、今尚強い嫌悪感を持っている事は承知しているつもりです。
 ですが、我々木連も、長い戦争の傷跡を残し、今は兎に角、国力の充実を図らねば成らない時期にあります。
 それを無視して、今、バッタやジョロを排斥すれば、その皺寄せはすべて木連の民衆に襲いかかるのです。
 そうなれば、おそらく現政権はその支持を失い、我が木連は国家として成り立たなく成るでしょう。
 どの様な理想を掲げた所で、民意を無視すれば足元から瓦解していく事は、先の戦争が証明しております。
 これはもう感情の問題等ではないのです。
 そう。経済とは常に、二手先、三手先を読み、時には親の敵とさえ手を結ぶ柔軟さが要求されるもの。
 この辺りは私個人の見解であり、東中将を初め、木連ではあまり支持を得ない意見では有りますが、
 合理主義蔓延る地球にて揉まれた皆様方なら、きっと御理解頂けることでしょう。
 また、私が個人的好奇心から調査した結果、我々木連人の生活水準は、地球の先進国に比べまして格段に低い事が確認されております。
 極論するならば、現在木連人は貧困に喘いでいるのです。
 そんな状況下で、それも戦争が終結し『さあこれからだ』と言う時期に、
 更なる締め付けなど行って尚、民衆が我等に反旗を翻す可能性が零だと言いきれますか?
 いや失礼。現実にイ○クやア○ガンでの叛乱を鎮圧中の地球政府に対しましては、釈迦に説法な話でしたな。
 無論、地球製の運搬車輌を輸入する事は前向きに検討させて頂きます。
 しかしながら、かの製品は電力消費型であり、基本的に無料である相転移エンジンを積んだバッタやジョロにくらべ費用対策が悪く、
 木連に於ける経済的な面で極めて大きな問題点が………」

俺は静かにTVを消した。
既に勝敗は決している。これ以上は時間の無駄だろう。
四方天の一人、西沢 学。容易成らざる相手が、また一人と言った所か。
震える手で如何にか一杯のコーヒーを造り、無理矢理胃に流し込む。
目一杯の濃さのブラックコーヒ。
西欧州苦闘時代、弱気になった時に愛飲した一品である。
当時の俺は『コイツに比べりゃマダマダ甘い』と嘯き、己を奮い立たせたものだ。
だがそれさえも、目の前の現実に比べれば砂糖水も同然の物だった。
ううっ。もうやだ、こんな生活。




  〜 7月 7日 火星駐屯地、特設会場 〜

足掛け18時間にも及ぶ、太陽系規模での説明の猛威が去った翌日。
いよいよ、和平調印の瞬間がやってきた。
今日という日の為に、主義主張を越えてホウメイさんとサイゾウさんが手を組み、
ホウメイガールズ+ハルカ君+カヲリ君も臨時参戦し、膨大な量の御祝い料理が作られていく。
それを待ち受けるは会場には、総勢約800人の参加者達と、立食パーティ用に用意した即席テーブルセット。
離れの部分には、ブッかけっこ用のビールが抜かりなくスタンバっており、中央のクス球が割れる瞬間を今や遅しと待ち構えている。
振舞い酒も、一斗樽で各種取り合わせて50ばかり用意してあるし、カクテルの類も申し分ない。
そう。この歴史的快挙を盛大に祝う為の準備は、正に万全の体制で整っていたのである。
だが、参加者達のテンションは著しく低いものだった。何故かと言えば、

「くっそ〜。何時まで下らね〜事、くっちゃべってるつもりだよ」

「事前に発表されたプログラム、もう1時間も延長してるよ」

肝心の調印式が遅れに遅れていたからである。
しかも、その主原因たる男には、その自覚が微塵も感じられない。
地球政府が誇る外務大臣。
無駄に熱弁を振るうその様は、とても一昨日まで療養中の身だったとは思えないものだった。
大方、後はもう危険は無いと判断し、顔を売る為に出て来たのだろう。
機を見るに敏と言えなくも無いが、その挙句がこれでは堪らない。

その後も彼だけが絶好調の弁論は続き、結果、予定を二時間繰り下げ、漸く木連側の入場となった。
各務君を先頭に優華部隊の面々が入場し、少し離れて北斗がそれに続いている。
予定外の編成に、画面越しでもハッキリと判るほどビビリまくる外務大臣+その他大勢。
だが、これはまだ前座に過ぎなかった。
北斗によって何気なく引き摺られたロープの先が、会場へと続く門を潜った瞬間、真の衝撃が訪れたのだ。

重さ300キロはあろうかという豪奢な船型。(車輪付き)
その船縁に優雅に腰掛け、艶然と微笑む妙齢の美女。
日本髪風に後ろに流した黒髪に煌びやかな簪を挿し、赤を基調とした荘厳な羽衣をその身に纏っている。
いずれも、博物館でしか御目に掛かれない様な古風な形式の物だ。

そう、東提督は織姫のコスプレをして会場に現れたのである。
まったくもって見事な演出だ。この状況を利用するのに、これ以上の手段は無いだろう。
抗議の声を挙げる地球側をあしらうその姿は、正に役者が違うとしか言いようが無い。
あっ、北斗が黙らしにかかった。勝負ありだな。

かくて、約100分の1の時間でありながら、地球側のそれとは比較にも成らない程のインパクトを伴った東提督の挨拶の後、
調印式は無事執り行われ、互いの誓約書にサインが入れられた。
それと同時に、フラッシュが嵐の如く降りかかる。当然、その先にあるのは東提督の晴れ姿だ。
TVカメラも彼女に釘付けであり、少しでも良い画を取るべく忙しく動き回っている。

「「「和平調印を祝って、乾〜杯!」」」

此方も改めて乾杯の音頭がきられ、漸く歓声が彼方此方で挙がる。
次いで、東提督への賛辞が口々に述べられる。万歳三唱まで起こる程だ。
無理もあるまい。
実際、二時間半に渡ってストレスを強要されていただけに、その後の一連の喜劇は、勧善懲悪モノに通じる爽快感を伴うものだったからな。
此処火星は元より、今頃は地球でも、彼女のファンが急増している事だろう。
いや。ひょっとすると、これは勝ち過ぎだったかもしれない。
真紅の羅刹の身柄が木連預かりのままだった事も合わせて考えると、余り優位を見せ付けるのはマイナスなのかも………

ふっ。我ながら愚にもつかないことを考えているな。
まったくもって度し難い事だ。

「よ〜し。ここで一発、仕掛花火君和平調印記念バージョンを」

此処ぞとばかりに、怪しげな事を始めるウリバタケ班長。

「いやはや、御目出度う御座います。おとととっ」

誰彼構わず杯を注いで回るプロスさん。


「なんで僕の出席が許されないんだ? 折角の各務君の晴れ舞台だってのに。(グビッ)
 僕はネルガルの会長だよ会長。(グビッ)これだから政治の世界は嫌いだよ、閉鎖的で。(グビッ)」

自棄酒を呷るアカツキ。

「ウグッウグッウグッ……くはっ。これで如何だ、チクショウめ」

「おお、御見事だなや。んじゃ、15杯目行ってみるべか」

枡酒の飲み比べをしている、サイゾウさんとカントク。

心から和平調印を祝い、この祭りを楽しんでいる彼らに比べ、なんと器の小さい事か。
改めて己の卑小さを自覚しつつ、俺はとっておきのシャンパンを飲み干した。




世紀の宴が幕を閉じた翌日。
二日酔いに悩まされつつも、俺は執務室にて今日の業務をこなしている。
我ながら軍人の鑑とも言うべき偉業だな。

「此方が第一次国交使節団のリストです。遅くとも本日中に返答を御願いします」

にも拘らず、何故かナカザトは、ナマケモノを見る目で俺を見つめている。全く持って失礼な奴だ。
事成就の暁には、真っ先に何処かへ飛ばしてやる。
あれ? そう言えば、此処より場末の部署って何処なんだろう。

「まったく。この二時間、一行半句たりとも進んでいないじゃないですか。
 そろそろ書き上げて貰わないと、本当に間に合わなくなりますよ」

俺のPCを覗き込みながら、遂には仕事のデキにまでケチを付け始めやがった。
上官を上官とも思わぬ鬼畜な所業だな。
プライベートの侵害………って、コイツはスパイだったけ。
イマイチ考えの纏まらない頭を振りつつ、俺は抗議の声を挙げた。

「仕方ないだろう。一寸スランプ気味なんだよ」

「これは小説ではなく只の挨拶状です。従って、定型文で結構です」

「ああそうかい」

はあ〜、まったく面白みの無い。
荒んだ気分を立て直すべく、俺は徐にTVをつけた。

   ピコン

「TVなんて見ている暇があったら、仕事をして下さい」

噛み付くような勢いで、なにやらナカザトが喚いている。
その口を塞ぐべく、さり気無くTVプログラムを確認する振りをしつつ、俺は奴の顔の前に画面を広げた。

「だから見るんだよ。
 ほら、BSチャンネルでこの時間『調印式後、その模様』なんてのがやってるじゃないか。
 なんかネタが転がっているかもしれないだろう?」

「意地でも定型文で書く気は無いんですね」

「いやいや、前向きに善処する所存だとも」

目の前のTV画面をどかしながら、尚もクダクダと愚痴るナカザト。
生返事を返しつつ、俺が画面へと目をやると、

「ここで番組の変更をお知らせします。
 予定されていた『調印式後、その模様』に代わりまして、先の会戦の映像を纏めました特別番組。『報道 真紅の羅刹』をお送り致します」

何故か、番組の内容が差換えられていた。
ハッキリ言って妙な話である。
先の会戦の映像は、確かに衝撃的なものが在ったが、所詮は何度も使い回された物でしかない。
それを纏めたからと言って、そんな総集編みたいな物と今しか出来ない企画とを、敢えて差換える必要性があるとは思えない。
だが、その映像を見ていくうちに、その疑問は氷解していった。

決して感情的にならず、真紅の羅刹の圧倒的なまでの戦闘力のみを淡々とクローズアップしつつ、
成す術も無く蹂躙されてく兵士達の視点で映す手法。
放送コードぎりぎりのショッキングな惨殺シーン。
ブラックアウト寸前、母親に助けを求める兵士の声。

いずれも、見る者に嫌悪感を植え付けるに充分な物だった。
良くもまあ、あの非現実感伴う映像の中から、これだけの物をデッチ上げたものである。
反感云々を感じるより先に、素直に感心したくなるくらい良い出来だ。

「どう思う?」

「おそらくは、ネガティブキャンペーン用の映像と判断します」

そうだよなあ、やっぱり。
ん? 一寸待て。

「お前、真紅の羅刹が嫌いじゃ無かったのか?」

「自分はただ、あれが戦場の真実である事を、知識として学んだに過ぎません。
 ですが、死に綺麗も汚いも無い事も同時に学んでおります。
 真紅の羅刹の蛮行が不問に伏されるのは、和平成立と同時に既定の事実と成った事であります。
 自分としては、今頃になって騒ぎ立てた所で後の祭りであると愚考します」

要するに、コイツにとっては、白と決まれば総て白って訳か。
潔いと言うべきか、それとも主体性が無いと言うべきか。微妙な所だな。
いや、もはやナカザトに構っている場合じゃない。
何時も通り適当にあしらって退室させると、俺はこの件に関する調査を依頼すべく、ホシノ君に連絡を入れた。




『 7月10日 晴れ』
   今日、新たな指揮官をスカウトした。
   最悪の愚策かも知れないが、俺はこれに賭けている。
   答えは、語られる事の無い歴史が証明してくれるだろう。

情報。それはシバシバ戦局そのものを左右する重要な要素だ。
従って、対使徒戦を行うに辺り、2015年に常駐して情報収集を行う人間が必要になって来る。
それに合わせ『鋼鉄のガールフレンドに出てくる少年兵達を、救済を兼ねてスカウトする』という提案が、先月の会議で承認されている。
つまり、現代の科学力をさり気無く流用したトライデントを作成し、それを操る特殊部隊をデッチ上げようという寸法なのだ。
無論、希望者は例の三人以外は無条件で解放するし、その後の生活が立ち行く様にさせて貰う。
問題は、2015年世界に於いて彼らを指揮する司令官役である。
その性質上この役は、2015年に常駐出来る人物が望ましい。
だが、指揮技能を持ったクル−には、多かれ少なかれ監視の目が光っている。
そんな訳で、在野にその人材を求めた結果、ある一人の将官が浮かび上がってきた。

「本当にこの方をを担ぎ出すつもりですか?
 確かに、経験・実力共に申し分ありませんが、気難しい偏屈家としても知られた方。
 正直申し上げて、とても艦長の指揮下に入って頂けるとは思えません」

笑顔を曇らせ、俺に翻意を促すプロスさん。その瞳には、僅かながら非難の色がある。
無理もあるまい。なにせ、指揮系統の二分化に繋がる愚の骨頂の様な人事だからな。
だが、所詮セオリーなんて、俺の様な凡人の為に作られたもの。
二人の様な掛値無しの天才に、頭ごなしの命令なんて必要とは思えない。
同時にコーナに突入したF―ZEROマシンが、僅かな隙間を頼りにラインを取り合う様に、
相手の意図を読みきった上で、互いにそれを利用し生かし合ってくれることだろう。
そして、あの男の老獪さは、指揮官としての艦長に多大な影響を与えるだろうし、
彼もまた、艦長の様な若い才気に触れる事で、嘗ての活力を取戻してくれるかも知れない。

………否、すべては建前に過ぎない。
本当は只のエゴ。意味など無い事が判っていながら、俺はどうしても知りたいのだ。
常勝と不敗。そのどちらが最高の指揮官であるかを。

「じゃ、こういうのは如何です。俺が一人で交渉に行く。それが失敗した時には諦めるって事で」

「いやはや提督も頑固ですな。ですが、事はそれだけが問題という訳ではないのですよ。
 なんと言いますか、あれだけのキャリアの持ち主を御迎えすると成ると、契約金の方も何かと………」

その後も渋り続けるプロスさんを強引に説き伏せた後、俺は天使に連絡を入れ、数多の伝説が眠る地へと飛んだ。




スカウトB ― 大佐と愉快な仲間達の場合 ―

   〜 欧州某所   ホテル サンジェルマン 〜

「此処か」

そう、あの男が此処にいる。
数々の絶望的な戦線から数多の将兵達を生還させ、功を逃した敵将官達が、憤怒と侮蔑を込め『夜逃屋』と呼んだ退却戦の天才。
そして、それ故に上層部に疎まれ最前線を盥回しにされた挙句、濡れ衣を着せられ軍を追われた悲運の名将、アントニオ=ボナパルト退役大佐が。
年甲斐も無く高鳴る胸を抑えつつホテル裏口に向うと、長身の女性が、くゆらせていた煙草を投げ捨てつつ出迎えてくれた。

「いらっしゃ〜い。いや〜流石軍人さん、時間に正確だね。
 ああ、私は此処の支配人でエスメラルダ マツモト。以後宜しくね」

やたらフレンドリーな態度で握手を求めてくるマツモト女史。
腰まで届くブロンドと切れ長な瞳が印象的な美女だ。
年の頃はイネス女史と同じ位か。いや、支配人を努める以上、もう少し上かもしれない。

「じゃ、ついて来ておくれ」

彼女に連れられてホテル内を歩いていく。
何故か矢鱈と曲がり角を曲がるので、まるで同じ所をグルグル回っている錯覚を覚える。
一瞬、『まさか迷子?』と疑ったが、時折見かける案内図を見る限り、少しずつ目的地に近付いているのは確かな様だ。
どうも、激しく建築法に抵触しそうな、ワザと入組んだ造りに成っているらしい。
これはホテルとして明らかに拙いだろう。

いや、方向性が間違っているのは、これだけではない。
一段の高さが低すぎる階段。設置位置の高すぎる嵌め殺しの窓。
絨毯の敷かれていない、下地が剥き出しの廊下。
極めつけに、薄っすらとだが、芳香剤に混じって消毒薬の臭いまで漂っている。
俺の顔色から不審を抱いている事を察したのか、マツモト女史が、

「いや〜、ウチはチョット前までワケありの御客さんが多かったからね」

と、解説を入れてきたが、寧ろ混乱を助長させるものでしか無かった。
意を決し、その辺の疑問を尋ねようとした時、

「でや〜〜〜!!」

それまで静寂そのものだったホテル内を、気合の乗った叫び声が木霊した。
何事かと其方を覗いて見れば、ブロンドのロングヘアーを無造作に後ろに束ねた娘が、モップ片手に廊下を走り回っており、
同じくロングで、ウエーブの掛かった黒髪の娘が、その後に続いている。
一見、後ろの娘は何もしていない様に見えるが、良く見ると、前の娘の見落とした汚れを掃除している様だ。
はて? 昔、こういう感じの光景を日常的に見ていた様な………俺はメイド萌では無かった筈………
あっ、そうか。バディ・システムか。
いや〜、なんせナデシコに乗って以来、こういう基本的な軍事行動に接する機会がほとんど無かったからなあ。
いよいよ俺も末期症状かも知れん。

「すまないねえ、見苦しい所を見せちまって。
 でも、接客業の舞台裏なんてこんなもんさ。特に人手不足の所はね」

そう言ってコロコロと笑うマツモト女史。
う〜ん、なんか若き日のホウメイさんって感じがしてきたな。
いや、ホウメイさんだって年齢不詳な所があるからなあ。
下手をすると同世代と言う事も………

「すみませ〜ん。道を空けてくださ〜い」

そんな埒も無い事を考えている所へ、背後から幼子特有の甲高い声がした。
振り返ると、宙に浮かぶシーツの塊………いや、信じられないほど大量のシーツを抱えたエプロンドレス(下)が立っていた。
取り急ぎ半身になり道を開け、蟹歩きで横に回りみ、ミス・シーツの御尊顔を拝見する。
年の頃12〜13歳位か。ホシノ君とは対照的な溌剌系美少女だな。

「失礼、お嬢ちゃん。お仕事大変だね」

「ぷぅ〜、お嬢ちゃんじゃありません。私、こう見えても17歳で………」

「こら、ミルク。無駄口叩いてる暇があったら手ェ動かしな」

「す、すいません支配人。それでは御客様、ごゆっくり」

首だけ横を向け御辞儀すると、再び彼女はエッチラオッチラと擬音を付けたくなる様な動きで歩んでいく。
その動きに合わせて揺れる三つ編みが実に愛らしい。
だが、思わず『手伝おうか?』と言い掛けた時、漸く俺はその異常性に気付いた。
あのシーツ、いったい何十キロに成るんだ? 
え〜と。布団でもあの量となると、軽く10キロは超えるよな。それが空気の入らないシーツとなると………あれ?

「ん? どうしたね、ハトが豆鉄砲食らった様な顔をして」

「あ…いや、別に。何でもない」

今しがたまで感じていた疑問を総て棚上げすると、俺はマツモト女史の後を追った。
そう。俺は本来、この程度の事で驚いていてはいけない立場の人間なのだ。




   〜 ホテル サンジェルマン オーナー室 〜

上品なロマンスグレーの髪に、手入れの行き届いた綺麗な指先。
ウースデッド・ホームスパン(手紡ぎの梳毛糸を使い、手織りされた高級生地)の背広を普段着の様に自然に着こなす気品。
人生の円熟期を迎えた紳士の教科書。それが大佐の第一印象だった。
と同時に、俺の中で伝説が崩壊した瞬間だった。

正直、失望を禁じえない。
勝手な言い草だと判っていても、『生涯現役』と言わんばかりの姿を期待していただけに、
彼の理想的なホテルのオーナー振りが、只の堕落と映ってしまう程だ。
おまけに、これでは此方の用件自体が切り出し難い。
とは言え、他に当てがある訳じゃない。大見得切って出て来た手前もあるし。

そんな様々な事情が絡み合った結果、おっとり刀な交渉が始まった。
内心、『俺は大佐の豊かな第二の人生にイチャモン付けに来ただけなんじゃないだろうか?』と困惑しつつも、
なるべくそれを表に出さない様に、淡々と就業内容について語る。
これに対し大佐は、この手の業界人特有のウエットに富んだジョークを飛ばす等して、俺が話し易い様に配慮してくれた。
だが、そうした気遣いこそが、彼がもはや軍人ではない事を示しているのだから皮肉な話である。
話が一段落する頃には、俺は完全に諦めていた。ところが、

「いや〜、願っても無い話だね。で、何時コレを引き取ってくれるんだい?」

何故か、マツモト女史はおおいに乗り気だった。

「おやおや、何を言い出すかと思えば。まさか、私は邪魔だとか言い出すつもりじゃないだろうね?」

イキナリの暴言にもその余裕を崩す事無く、大佐はマツモツ女史を諭しに掛かった。
だが、彼女の口撃は、尚も苛烈さを増していく。

「まさか所かキッパリと邪魔だよ」

「これは手厳しい。
 私としては、このホテルの代表者として恥ずかしくない様、常に己を律してきたつもりだったのだがね」

「生憎、結果を伴わなければ意味が無いね。
 後に立たれたくらいで御客さんを殴り飛ばす様な奴、普通なら免職どころかブタ箱行きだよ」

「い…いや、それはだな」

痛恨の一撃を受け、流石の大佐も口篭る。
それにしても、大佐にそんな悪癖が残っていたとはね。
人は見かけに依らないものだな。

「だいたい戦争が終結した以上、このホテルだって一般客を呼べる様に改装しなきゃならいんだ。
 その為の費用を如何やって捻出するつもりだい?」

「それについては、現在ヒョウドウ君が交渉中………」

「よ〜するに、まだなんのアテも無いってことだろ」

もはや防戦一方の大佐。
其処へ、彼女は止めとも言うべき一言を言い放った。

「いい加減観念しなって。
 それともなにかい? 私が好きでボスを役立たず呼ばわりしているとでも思ってるわけかい?」

それまで軽い雰囲気を捨て、真摯な瞳で真っ向から大佐を見詰めるマツモト女史。
二人が作り出す、重苦しい沈黙。
カップ麺ができる…いや、のび切るくらいは、そうしていただろうか。

「そうだな。所詮、馬鹿の死に場所など戦場(あそこ)しかあるまい」

遂に大佐が折れた。
そして、今後の対応について幾つかマツモト女史に語った後、

「シュン提督」

「何でしょう」

「幸い、本日は御泊りの御予約を頂いている事ですし、契約は明朝まで待ってもらえませんか?
 この後に及んでと思われるでしょうが、どうしても確認しておきたい事があるんですよ」

なんだ。いきなり雰囲気が変わった様な………容姿も声のトーンも全く同じなのに何故?
表現しがたい感覚に戸惑いながらも俺が了承すると、大佐は謝辞を述べつつオーナー室を出て行った。
それを見送りながら、さも一仕事終わったとばかりに煙草を吸い始めるマツモト女史。
が、ふと思い出した様に、

「ねえ。さっきの話し振りだと、人手不足なんだろ?
 ボス以外にも何人か雇ってくんないかな。
 ドイツもコイツも、ボスと似たり寄ったりの社会不適合者だけど、腕だけは確かだよ」

と、別口のリクルートを始めた。
彼女程の女傑がそう言うのだから、かなりナデシコ向きの人材なのだろう。
俺としては、願っても無い話。早速、まだ見ぬ猛者達を紹介してもらう事にした。




   〜 翌日 ホテルサンジェルマンの食堂 〜

「そんな訳で、ボスったらホテルを勝手に改造しちまってねえ」

朝食を共にしたマツモト女史が、世間話がてらにこのホテルの実体を語ってくれた。
なんとこのホテル、西欧州が最激戦区だった頃には、私設の難民避難所として使われていたと言うのだ。
施設が特異な造りに成っているのは、当時の名残という訳らしい。

「信じられるかい?
 ウチはホテルだってのに、半数近くの部屋に三段ベットが二組も設置されてるんだよ」

それはもう、ホテルとは呼ばない様な……

「どうぞ。(カチャ)」

物思う俺の前に、即日お持ち帰りが決まっている期待の新戦力、ムナカタ カスミ君が、コーヒーを給仕してくれた。
マツモト女史が社会不適合者と評すだけあって、縦ロールのツインテールという今時冗談としか思えない様な髪型に、
綾波レイ顔負けの無表情&無愛想と、彼女の容姿&性格は、共に可也変わっている。
だが、その身のこなしは実に洗礼されており、ウエイトレス業だけでなく、兵士としての能力の高さをも伺わせるものがある。
『腕は一流だが性格に難あり』正にナデシコ向きの人材と言えよう。

「さて、そろそろだね。ちょっと一緒に来ておくれ」

食後の一服を済ませた後、徐に時刻を確認したマツモト女史が、そう促してきた。
彼女に連れられて、ホテル裏手の断崖絶壁を降りていく。
荒れ狂う大波が似合いそうな其処を縄梯子で下り終えると、そこにはポッカリと洞窟が口を開けていた。
改めて上を見上げる。やはりホテルの真下だった。
いやはや、よくまあ建築許可が下りたものだ。いったい如何いうトリックを使ったのだろう?
その辺の事情を一寸聞いてはみたかったが、怖い答えが返ってきそうなので、黙って彼女についていく。

そして洞窟に入った瞬間、俺は空気が変わった事を感じた。
間違いない。これは戦場特有のものだ。
俺の顔に緊張感が走った事を見取ってか、

「おっ、流石だね。二流のヤツなら閉塞感と勘違いする所だよ」

などと軽口を叩くマツモト女史。だが、それに答える余裕は俺には無かった。
期待の余り、駆け出したくなる衝動を抑えるのに精一杯だったのだ。

   ガ〜〜〜ン、
                   ガ〜〜〜ン

洞窟を進むと、巌の様な背中の男が射撃練習を行っていた。
約200mの距離の標的を、スコープ無しのスナップノーズ(銃身の短い銃)で当然の如く射抜くその腕は、ナオと比べても遜色が無い。
だが、それも当然の事。嘗てあの男は、超一流のスナイパーとしても恐れられていたのだ。

「60点。ギリギリだな」

男はそう呟いた後、ユックリと此方に振り向いた。
一部の隙も無い立ち振る舞い。凍て付いた鋭利な眼光。ベレー帽の下のスキンヘッド。
何もかもが当時のままだった。

呆然とその姿に見とれる俺に、大佐はそっと契約書を差出した後、

「私、アントニオ=ボナパルト退役大佐は、本日08:34をもって予備役を退き、閣下の指揮下に入ります」

力強い敬礼と着任の挨拶を送ってきた。

そう。伝説は、再び時を刻み始めたのだ。




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