『 8月17日 晴れ』
   先月に締結されたミルキーウェイ条約に基づき、本日10:00をもって統合軍が発足した。
   個人的は、木連が独立国家と認定されている以上、敢えてこんなものを作る必要は無いと思うのが、
   正式に国家間で取り決められた事を、しがない駐屯地司令官が如何こう言っても仕方あるまい。
   叶う事なら、前回の歴史の様な組織と成らぬ様、祈るのみだ。




『 8月22日 曇り時々晴れ』
   本日14:30。御剣万葉君が、統合軍より出向という形で我が部隊に配属された。
   これと入れ替わりになる形で、アマノ君が予備役に編入され駐屯地を去る事に成っている。
   些か寂しくはあるが、既に連載の決まっている彼女を、何時までも火星に引き止めておく訳にもいくまい。
   計画が発動する来年の三月末まで暫しの御別れである。
   別れ際、くれぐれもカグヤ君に注意するよう改めて薫陶した後、その門出を祝い万歳三唱で送り出した。
   ふっ、来月号のうるるんが楽しみだ。




『 8月25日 曇り』
   本日、遂に訓練生達の中から最初の脱落者が出た。
   これが呼び水となってか、ギブアップを宣言する者が続出し、今日だけで21人もの少年少女が訓練所を去る事と成った。
   これに合わせ、新進気鋭の総合証券会社マーベリックが、福祉事業の一環として設立した孤児院マクスウェルが開院。
   来月の新学期には各々の年齢に合わせた学校へと転校し、晴れて彼らは社会復帰を果す運びと成っている。
   新たな世界へ旅立つ彼らに『実はそれで正解なんだよ』と心の中だけでネタばらしをしつつ、
   マクスウェルの院長として、俺は歓迎の挨拶をした。




『 9月 1日 晴れ』
   アクシデント多発。
   その影響を受け、アキト奪還計画は、益々複雑怪奇な物へと変貌していく。
   もはや俺如きが如何こうできる範囲を大きく逸脱している。
   だが『逃げる』とか『コンテニュー』とかいうコマンドは存在しない。
   神よ! もしも実在すると言うのなら、アンタは絶対オレの敵だ。

チャンスは一度。やり直しは効かない。
静かな決意と共にゆっくりと両手を仰ぎ、特設テラスに向ってあのセリフを紡ぎ出す。

「嗚呼、地球は……」

「何をやってるんです提督!」

俺が長年の夢を叶え様としていた矢先、アタッシュケースを両脇に下げたナカザトが、絶妙のタイミングで邪魔してくれた。

「何て事をするんだナカザト。畜生! 漸く訪れた最高のチャンスだったのに」

俺の剣幕にたじろぐナカザト。挙句、無能にも

「な…何の事でしょう?」

などと、恐る恐る尋ねてくる始末。全く、コイツには脳味噌が付いていないんじゃないのか?
苛立ちながらも、このステーションの目玉施設たる特設テラスの先を指差し、懇切丁寧に教えてやる。

「お前なあ。目の前の光景を何だと思ってるんだ、アア?」

「地球………が、如何かされましたか提督?」

「自慢じゃないが、俺はもう何度も地球と火星を行き来しているのってのに、こうして地球を見るのは初めてだったんだぞ。
 となれば、『地球は青かった』と言うチャンスも今回が初めて………」

「そういう事は、パック旅行でもした時やって下さい!」
 

ちぃ。男のロマンを理解せぬ奴め。

「もう、とにかく急いで下さい。地球行きのシャトルに乗り遅れますよ」

かくて、ナカザトに引き摺られる様にして、俺はシャトルに乗り込んだ。
高速機特有の背凭れが固定式の椅子に座ると共に、今回の地球行きについて思いを巡らす。
9月1日から3日までの三日間。統合軍発足以来初の、統幕会議が行われる事に成っている。
今回の会議の目玉は、何と言ってもボソンジャンプの考察結果の発表だ。
前回の歴史との分岐が決定的に決まる重要事ではあるが、この件に関しては事前に資料をチェックしたイネス女史が
『問題ない』と太鼓判を押しているので心配あるまい。
寧ろ問題なのは、前回同様のものに成りつつある統合軍の編成だろう。
今のところ草壁は大人しいが、このまま終るタマとは思えない。
従って、統合軍の将校の何人かは、既に前回の歴史通りの密命を帯びている可能性は大である。
しかも、これに関しては(裏面の事情を知らなければ)そう的外れな事をしている訳ではないだけに、表立って阻止する方法が無い。
忌々しき事だ。

「いいかげん機嫌を直して下さいよ提督。ほら、名物のヒサゴン饅頭、自分の分も差上げますから」

苦汁に満ちた顔を不機嫌と勘違いしたらしく、なにやら的外れな御機嫌取りを始めるナカザト。
それを一瞥した後、俺は、地球までの僅かな時間を不貞寝して過ごす事に決めた。




   〜  地球 連合軍本部西口玄関  〜

前回以上の強行軍の末、会議開始3時間前に本部に到着。
正規の参加者達の来訪の待ち受ける表玄関を避け、裏口からコソコソと建物に入る。
この辺、日陰の身の悲しさである。

「おや、シュン提督じゃないですか。こんな所で奇遇ですね」

会議室へ向かう道すがら、なにやらコンテナの交通整理をしていたプロスさんと出くわした。
某副官の陰謀によって早過ぎる時間に着いた事もあり、時間潰しがてら世間話を興じる。

「そんな訳でして、今回の会議に於けるネルガルサイドの参考資料の運搬役というかなんというか。
 つまりまあ、何時も通りの使い走りをやっているんですよ」

「大変ですなあ。こんな事こそ(ゲフン、ゲフン)
 いや、失敬。忘れましょう御互い。もはや遠い所へ旅立った男の事など」

「遠い所? ああ、ゴート君の事ですか。彼ならもう片方の現場を指揮していますが」

………はい?

「大丈夫なんですか?」

予想外のプロスさんのセリフに、恐る恐る確認する。
正直言って、この件をゴートに任せるなんて、愚の骨頂としか思えない。
資料が届かなかったり、改竄されたりしたら如何するつもりなんだ。

「はて? 大丈夫とは………ああ、そう言えば。提督は、三ヶ月前のゴート君しか知らなかったんでしたな」

「な…何かあったんですかアイツに」

「う〜ん、何と申しましょうか。
 実はその、例の原因不明の昏睡状態に陥った後、彼はその『自分を見詰め直したい』と言い出しまして、貯まっていた有給を総動員して、
 一ヶ月程ネルガルを離れていたんですよ。
 その間、どうも南アメリカの方に行っていたらしいんですが、其処から帰ってきて以来、すっかり元の………
 いや、寧ろ以前より有能に成ってくれましてねえ」

「と、言うと?」

「カンが良いとでも申しましょうか、元々の能力に加えて戦術的視野が飛躍的に向上。
 表の職場でも、部下への気配りの行き届いた良い仕事をする様に成りましてねえ。
 今や女子社員の間では、一寸した人気を誇る程なんですよ。
 いや実際問題、ゴート君に関してましては、始末す(ゲフンゲフン)いやその………
 自主退職して貰う事まで視野に入れていただけに、私としても肩の荷が下りたと言いますか、とにかく一安心といった感じでして」

嬉しそうにゴートの近況を語るプロスさん。
何時に無く失言が飛び出す辺り、演技抜きで浮れている様だ。
その後、取り留めの無い事を五分ほど話した後、プロスさんは上機嫌のまま作業現場へと戻っていった。
だが俺の心には、重苦しい疑問が暗雲の如く立ち込めていた。
気配り? 駄目だ。如何してもゴートと結びつかん。
そんな首を傾げる俺の元に、久しぶりのアークの上役からの連絡が入った。

『オオサキ殿。良いニュースと悪いニュースがある』

暫し逡巡した後、アークの上役はそう切り出してきた。
疲弊しきったその思念波から察するに、かなり碌でもない事らしい。
心のガードを固めつつ先を促す。

『まず良いニュースだが、計画遂行の上で得難い能力を持った者が貴公の配下に加わる事に成った』

ほう、そいつは確かに目出度いな。で、どんな奴だ?

『それが悪いニュースだ』

は?

『貴公には、今しばらくゴート氏の面倒を見て貰う事に成った』

なんじゃあそりゃあ!!

『それなんだがなあ。
 例の一件をゴート氏は、神の叱咤と受け取ったらしく、なにやら精神修養の様な事を初めてな。
 その結果、なんと彼はテレパス能力に目覚めたのだよ』

苦笑混じりの思念派でそう宣うアークの上役。
だが、当然俺はそれ所ではない。

一寸待て! 幾らなんでも無茶苦茶だぞ。
そんなんで超能力が身に付くか普通!!

『いやそれが、全くの的外れな修行内容でありながら、何故かメキメキと霊格が上がってな。私としても心底驚いているのだよ。
 実の所、今や彼の感知能力は、地球人のほぼ限界値と言って良い程だ』

く〜っ。ダイバダッタの立場を無視しやがって、あの似非行者め。

『落ち着けオオサキ殿。私としても、このままで良いとは思っていない。故に、この件ついては秘策を用意してある』


秘策?

余りの事に恐慌をきたす俺を諭すべく、アークの上役は切り札を切ってきた。
そう、確実なゴート更生方法の提示だ。
具体的に言えば、サードインパクト中のドサクサにゴートを紅い海に突き落としてLCLに変換。
再構成する際に手を回して、ゴートの記憶をターニングポイント以前の所まで戻すという物である。
正に反則スレスレの荒業だが、この方法なら、確実にゴートをゴートの人格を保ったまま真人間に戻す事が出来るという訳だ。
言ってみれば軽めの浦島太郎の状態に成って貰う訳だが、あの御話とは逆に、肉体年齢も精神に合わせ若返らせるというサービス付きだから、
ゴートにとっても悪い話ではあるまい。

その後、二〜三の事柄について話し合った後、アークの上役は時空調整の仕事に戻ってゆき、新たに背負わされた難題に気を滅入らせつつも、
俺が会議室へと歩を進めようとした瞬間、

「御機嫌麗しゅう、タオ」

出やがったな暗黒神官。
何故か矢鱈と似合っている安全第一の黄色いヘルメットを被った間抜け顔を見上げつつ、俺は三ヶ月ぶりとなる定形の悪態をついた。

「タオは止めろと再三言ってある筈だぞ」

まったく、何度言ったら判るんだか。
とゆ〜か、敢えて口にするまでもなく判れよ。折角テレパス能力があるんだから。

「ふっ。御不興を装われても、今の私には判ります。
 内心では、不肖の下僕の躍進を心より喜んで下さっているのでしょう」

前言撤回。絶対コイツにテレパス能力なんて無い!
畜生! ガセネタを掴ませやがったなアークの上役。

「神より新たに下賜されましたる異能の能力、既に我が血肉と成っております。
 これにタオの俗世での人徳を合わせますれば、人心の掌握など容易き事。総てはタオの掌に御座います」

信じていた者に裏切られ呆然とする俺を置き去りに、感極まった表情で戯言をほざき続けるゴート。
も…もう限界だ。

「嗚呼もう! 如何言えば判るんだよ!
 神に与えられた新たな能力? 畜生、誰が信じるか!
 本当にそんなモンがあるのなら、俺が心底迷惑している事くらい判る筈だ!」

感情の爆発するままに怒鳴り散らす俺に、流石のゴートも驚いた様だ。
だが、次第に合点がいったとばかりの顔になり、

「これは失礼。
 私とした事が、タオに拝謁がかなった喜びで、俗世での立場を忘れておりました。流石はタオ、冷静な御判断です」

などと、声を顰めつつ訳の判らない事を言い出した挙句、

「では、御指示の通りに」

と、勝手に納得して去っていった。
いったい何が如何なっているのやら。

   ギジダイ4カテイ

そう言えば、オマエの上役がそんな事を言っていたな。
確か、アリシア人との会話を成立させる為、擬似的に霊格を上げているんだっけか。
自覚症状がまるで無いんで忘れていたぞ。

   ゴートハ、ダイ三カテイ。ダカラ、ヨメナイ。

ふ〜ん。………って、一寸待て。
つまり何か。ゴートが今もって俺をタオと呼ぶのは、単に俺の心が読めないからなのか?

   オオムネ、ソンナカンジ。ソレニ、………

嘘だろ! ヤツは俺が一般人のフリを続ける為に、ワザと怒鳴り散らしたと曲解したってのか。

   デモ、キャカンテキニ、ソウ

いいや、今世紀始まって以来最大の冤罪だ!
畜生! 俺が怒鳴り出すのに合わせて、背後の通路に職員Aが通りかかっていたなんて。

   マア、コレモウンメイ

納得できるか〜〜〜!!




   〜  13:00 特別会議室  〜

昼下がりの会議室に、各分野のエキスパート達の説(ゲフンゲフン)解説の声が木霊する中、
比較的前列の一寸グレードの高いシート席に俺は座っている。
席順を決めた者にしてみれば、一応は提督で司令官な俺への配慮のつもりなのだろうが、正直言って有難迷惑である。
そう。講義する者と直接目が合うこの席からでは、途中退場が不可能なのだ。
おまけに、すぐ前の席がグラシス&ミスマル提督なので、某国の某国会議員達の様に居眠りしてすごす訳にもいかない。
そんな訳で、忍耐力を限界まで酷使し、ネガティブな情報ばかりが延々垂れ流される陰鬱な講義を真面目に聴講しているフリを続ける。
その影で、学生時代よろしく、遅々として進まない時計の針とニラメッコしているのは言うまでもない。(笑)
そんなこんなで、時はドブ川の汚泥の如くゆっくりと流れ、頼みもしないのに30分も公演時間を延長した後、漸く本日の会議が終了してくれた。
こんな事が後二日も続くかと思うと憂鬱に成る。これで講壇に立つのがイネス女史だった日には、俺は後ろも見ずに逃げ出している所だ。
そんな愚にもつかない事を考えつつ凝り固まった筋肉をほぐしていると、参加者達が出払ったのを見計らった様なタイミングで、
グラシス中将がそっと話し掛けてきた。
なんでも、個人的に話したい事が在るらしい。はて、いったい何だろう?

「ワシは一寸準備する物があるのでな。すまんが先に行っていてくれんかの」

「判りました」

中将に促されて先に会議室奥に設けられている談話室に入ると、背後でロッカーを開く音がする。
これが中将の言っていた準備だろうか?

「それで中将、御話と言うのは………」

などと言いつつソファーに座ろうとした瞬間、俺の足元の床が砕け散る。
驚愕しつつ振り向くと、その先には、年代物のライフルを構えた中将の姿があった。

「おや? 随分と驚いている様だね。
 ああ、そう言えばコレが配備されたのは20年も前の事じゃったな。いや、君が知らんのも無理は無い。
 実は昔、こういうシチュエーションが盛り込まれた映画が大流行した事があってね。当時の将官達が、半ばシャレで付けた物なんだよ」

付けるなよ! そんな理由でそんな物騒な物!!
余りの異常事態に混乱する俺を他所に、銃口と半ばイってしまった目を此方に向けつつ、中将は尚も淡々と語り続けた。

「ワシはね、信じていたんだよ君の事を。そりゃあもう心からね。
 それが何だね。危険を承知で、エリーヌにあんな真似を………まるでハイヤーでも呼び付けるかの様に頻繁にジャンプをさせていただなんて。
 これはもう万死に値するねえ。『裏切り者には死を』ってことじゃよ。そうは思わないかね、オオオサキ シュン君?」

言いたい事を言い終えたらしく、中将から明確な殺気が放たれる。
だが、それがかえって冷静さを取り戻させてくれた。
自慢じゃないが、危険と戯れるのが俺の日常だ。

と、虚勢を張って自らを奮い立たせはしたが、この状況はかなりマズイ。
相手にはライフル。それも、老齢とはいえ相応の訓練を受けている人間だ。
此方は丸腰。おまけに、兵士としては中の下位の運動能力しか持ち合わせが無い。
この状況から逆転するには、相手を殺す気でかかるしか無いだろう。
だが、グラシス中将の死は地球連合軍の良心の死に繋がりかねない。
かと言って、俺が素直に殺されたとしても、中将が投獄されたのでは只の犬死。
つまり、諦める事さえ許されない状況という訳だ。
仕方なく、出来ればやりたくなかった裏技を使用。
時間稼ぎの意味も込めて、中将の誤解を解くべく必死の説得を試みる。
是非ともこれで翻意して貰いたい。何せ、アレを図に乗せるのは超拙いのだ。

「あの〜、中将。判っているとは思いますが、あの資料は………」

   ガゴ〜〜ン

そんな俺の切なる願いも虚しく、中将の返答は銃弾によって行われた。
辛うじて回避に成功する俺。だが、ソファーが砕けた時に散った綿に足を取られ転倒してしまう。

「ああ、判っているとも。君は良き戦友だった。過去形で語らねばならないのが残念でならんよ」

綿塗れの俺を見下ろしながら、徐に銃弾を再装填しつつ中将が近付いてくる。
畜生、やはりアレしかないのか………

   バタン

「タオ! 御無事ですか!!」

俺の心が折れるのを合図にしたかの様なタイミングで、談話室のドアを蹴破ってゴートが飛び込んできた。
極めて遺憾な事に、中将の御供をしてきた関係で、現在カヲリ君は、各国のエージェント達にマークされ、身動きの取れない状態にある。
その為、仕方なくコイツにSOSを入れたという訳なのだ。
まさに捨て身の策だよな、コレって。(泣)

「おお、来たかゴート。頼む! 中将を………」

「はっ、御任せください! タオに仇なす魑魅魍魎、見事このゴートが祓て見せましょう」

「へっ?」

俺の言葉を遮り、自信満々に訳の判らない事を口走るゴート。
そして、呆気に取られた俺を尻目に、奴は何処からとも無く大金槌を取り出し高々と振りかぶった。

「ゴ〜ッド、ハン〜マ〜〜〜ァ!!(神の鉄槌)」

って、一寸待て!
当たり所が悪ければ………いや、良かったとしても死ぬぞ、そんなモン食らったら。
だが、ゴートを止めようにも、この体制からでは到底間に合わない。

「馬鹿! 止めろゴート!!」

あらん限りの気迫を込めて俺は叫んだ。

「ゴット、クラ〜〜〜イ!(神の罰)」

だがそれも空しく、中将の頭に直撃する大金槌。
終ったな、何もかもが。

「ゴット、ブレ〜〜〜ス!(神の祝福)」

失意に塗れ黄昏る俺を無視して、今度は見るからに怪しい踊りを踊りだすゴート。
だが俺には、その奇態を制止する気力が既に無い。
もう総てが如何でも良い……………あれ? 何だろう、中将の頭上に湧き出した黒い霧は。エクトプラズムかな?

「出たな、中将に取り付きし悪霊め!」

そう言って、ゴートは再び大金槌を担ぎ上げると、一本足打法の要領で大きく振りかぶり、

「ゴー、トゥ、ヘブ〜〜〜ン!!(天に召されよ)」

その黒い霧を打っ叩いた。
何故か光の粒子を撒き散らしつつ消えていく黒い霧。
嗚呼、天国なんてあるのかな?

「う…う〜ん」

「えっ?……………ちゅ、中将!?」

かすかに聞えた呻き声に一縷の望みを託し、飛びつく様に中将の腕を取り脈を計る。
正常だ。顔の血色も良いし、呼吸も安定している。おまけに、殴られた箇所も全くの無傷ときている。
何故か不自然なまでに晴れやかな表情を浮かべているが、それを除けば可笑しな点は無く、単に眠っているだけの様だ。

   ゴート、………、テレパスノウリヨクノオウヨウ、………………

成る程。あのハンマーは物理的には存在しない物なのか。
道理で何処からともなく出たり消えたりする訳だ。
ラピスちゃんが知ったら喜ぶ………いや、怒るか。ハ○ター×ハン○ーじゃク○ピカがお気に入りだし。

   ユガミ、………、チュウシュツ、………………

なんか外道照身霊波光線みたいだな。
まあ、何にせよ良かった。本当に良かった。
そして、良くやったぞゴート。この際、これまでの経緯を全て水に流しても良い程の大殊勲だ。
怪しいポーズを決めつつ『ふっ、討ち取ったり』とか言ってる今現在も含めて総て許す!

   ウンウン、ナカヨキコトハウツクシキカナ

ところでなあ、アーク。

   ナニ?

どうしてオマエは、そんなに事情に通じているんだ?

  イヤソノ、ハナセバナガイコトナガラ

なら話さなくて良いよ。内容だけ伝えてくれ。




   〜  18:45 グラシス中将の宿泊先のホテル  〜

絶体絶命のピンチを如何にか乗り切ったあの後、俺は宿泊先のホテルまで中将を運んだ。
彼の身体をベットに寝かせつけた後、ソファーに凭れつつ、この一件について考える。
幸い、例の凶行を目撃した第三者は居らず、ゴートに後始末を任せてきてあるので、この事が露見する心配は無い。
と言うのも、呆れた事に、ヤツには、ある程度なら人の認識を誤魔化す能力まであったのだ。
実際、調書を取ったMPが、床に刻まれた銃痕を見てもなお『一寸した喧嘩』という此方の主張を鵜呑みにしてくれたのだから大したものである。
アークの上役が言った通り、能力だけは実に魅力的だ。
すべてはアキト奪還の為。此処は俺が道化となって、ゴートの御守りを務めるべきだろう。

「う…う〜ん。」

これから立つであろう根も葉も無い噂をシュミレートしているうちにドンドン鬱になり、計画成就の暁には俺もLCLの海に飛び込もうかと思い始めた矢先、
霊的昏睡状態にあった中将が目を覚ました。

「此処は………ワシはいったい何を?」

よ〜し。都合良く、前後の記憶が曖昧に成っている様だ。

「そうだエリーヌ! いや、カヲリに何か大変な事が起こって………オオサキ君!」

「大丈夫です! 
 カヲリ君なら今、此処の厨房を借りて夕食を作っている最中です。
 もうすぐ中将の好きなチーズ・リゾットを持ってきてくれます」

「そ…そうか。すまんな、年甲斐もなく取り乱して。
 嗚呼、それにしても………なんじゃったかなあ? 確かにこう、カヲリにとって良くない事があった筈なんじゃが」

そう言つつ、尚も必死に記憶を辿るグラシス中将。
幸か不幸か、中将にとって重要なのはその一点のみであり、今朝方からの記憶がスッポリ抜けている事など如何でも良いらしい。

   ガチャ

「御待たせしました、お爺様」

「おお、待ちくだびれとったぞ」

前言撤回。とりあえずカヲリ君が目の前に居さえすれば、それさえも瑣末な事の様だ。
この分なら、暴走時の記憶とその後遺症は皆無と見て良いだろう。
嬉しそうな中将の顔を見ながら、俺は用意していた陳腐なセリフを吐かなくて済んだ事に安堵した。

「それでは提督、お爺様、おやすみなさい」

三時間後。なし崩しに参加する事に成った晩餐会も御開きとなり、カヲリ君は自室へと帰っていった。
だが、俺にとっては此処からが本番である。
中将曰く『程良くアルデンテ』なリゾットを御相伴した御蔭でもたれ気味の胃腸を宥めつつ、俺は中将に本題を切り出した。

「いやはや酷いものだな。これが事実だったらと思うとゾッとするのぉ」

あの暴走の引き金と成った会議初日の資料を読んだ後、中将が漏らした感想がコレだった。
内心苦笑しつつ、確認の意味も込めて挑発してみる。

「いえ、その書類に書かれている事に誤りはありません。ただ………」

「総てを伝えてはいない。と、言った所かな」

そう言ってニヤリと笑うグラシス中将。どうやら、完全にバグの影響化から脱却した様だ。

………いかん、また腹が立ってきた。
そう、例のアレ。あの後、アークを問い詰めて吐かせた所、中将の奇行の原因は、人界の理から外れたもの。
ぶっちゃけて言えば、先行者用運命確変プログラムの作成を、アークがミスっていた所為だったのだ。
その辺りの事情を再現した映像から判断するに、一定の条件が揃うとあり得ない状況を生み出されるという、
黎明期のTVゲームに付きものだった裏ワザに近い感じのものらしい。
本人は『ああ、正に運命の悪戯』等と嘯いたが、それは加害者が言うべきセリフではない。
一部始終を聞き終えた(?)後、俺が徹底的にアークにヤキを入れたのは言うまでもないだろう。

「うん? 如何したねオオサキ君」

「いえ、何でもありません。それより、その書類の8ページ目なのですが………」

その後、小一時間程ミーティングを続け、中将の懸念を払うべく腐心する。
その甲斐あって、今後もカヲリ君に協力して貰っても良いとの許可を執りつけるのに成功した。
まあその際、大分渋い顔をされ色々駄々も捏ねられたが、前後の事情(ジャンプの危険性に付いての示唆)を考えれば、
これはもう仕方の無い事だろう。

だが、まずは一安心と俺が油断した次の瞬間、中将は更なる厄介事を持ち出してきた。
曰く、『カヲリの2015年行き、何とか成らないかね?』と言うのだ。

ハッキリ言ってこれは、先の奇行に勝るとも劣らぬ痛恨の一撃だ。
何とか翻意を促すものの、口に出した事で決意が固まってしまたらしく、中将は頑として聞き入れようとしない。
そう。何時かこうなると予測はしていたが、対応策が思いつかなかった為、ズルズルと先延ばしにしてきたツケが、遂に回ってきてしまったのである。
拙い、拙いぞ。このままこの件についてゴネられた日には、計画そのものが頓挫してしまう。

「そんな訳で、ワシは引退しようかと思っている」

更になんちゅう事を! さては自分だけ豊かな老後を送る腹だな、このクソジジイ。

「なに、心配はいらんよ。後釜については、ちゃんと目星を付けてあるし、裏の事情も、既にある程度伝えてある。
 何より、彼は漆黒の戦神の熱狂的な信奉者だ。引継ぎ後はきっと、君の心強い味方と成ってくれるだろうて。
 来月には中東での任務を終えて西欧州に戻る故、月初めの安息日(日曜日)にでも顔合わせの為の時間を作ってくれんかの?」

余りの事に、一部不適切な表現を交えつつ懊悩する俺を置き去りにし、嬉しそうに引退までの青写真を語るグラシス中将。

「勿論、今日明日にもすぐ引退という訳にもいくまい。
 二〜三年は引継ぎを兼ね、非常勤の相談役として軍に残る故、困った事があったら何でも言ってくれ」

すまん、ナデシコの仲間達。すまん、アークの上役。そして、すまんアキト。もう駄目………ん、待てよ。

「ちょ、一寸待って下さい。そんな事が可能なんですか?」

「勿論だ。何しろ、今だって歳を理由に半分そういう立場にあるからの。要は軍に顔を出す時間が減るだけの事じゃよ」

「つまり、今後は暇ができるんですね」

「ふっ、その為の引退だ」

俺の問いに、ゲンドウポーズを決めつつそう答える中将。
好々爺然としたその容貌には全然似合っていない………って、そんな事は如何でも良い。
素早くもう一つの懸案との組合せ、即興で計画を立案する。
うん、イケルかもしれない。

「中将、一つ発想の転換をしてみましょう。
 カヲリ君の2015年行き。これは本作戦の根幹と言うべきもの。従って、何と仰られようとこれは外せません。
 ならば、中将もアチラの世界に赴くというのは如何でしょう?」

「むう。確かにそれも選択肢の一つではあるな。
 だが、流石に1年も向こうに行ったきりというのは拙くないかね?」

暫しの逡巡の後、中将はこう切り返してきた。
その声音から察するに、予想通り、向こうの世界に行くこと自体は構わない様だ。
第一段階クリアの手応えを感じつつ、当たり前の事を語る様な軽い口調で話を進める。
此処が肝心だ。間違っても、中将にジャンプの危険性を思い出させては成らない。

「それでしたら問題ないでしょう。定期的に行ったり来たりすれば良いんですよ。
 実際、カヲリ君もプライベートな時間は2199年で過ごす事を望むでしょうし」

そう。仮に中将が本計画に参加しなかったとしても、どうせカヲリ君は頻繁に2199年に帰らざるをえまい。
つまり、無駄な労力を余す事無く有効利用するのが、本計画の骨子なのだ。

「成る程。それなら何とか成りそうじゃな」

「是非とも御一考を。
 御恥ずかしい話ですが、これは俺にとっても渡りに船な話なんですよ。
 実を言いますと、2015年の地にて是非とも中将にやって欲しい事がありまして」

次に第二段階として、マーベリック社の実情について中将に説明する。
現時点に於いては業績良好で、懸念されていたネルフの監視も特に掛かっていない。
だが、補給基地確保の為の土地や資材の買付けが始まれば、流石にノーマークという訳にはいくまい。
まして、一応は社長である俺が、表舞台に全く立たないとあっては尚更である。
そこで中将に会長に就任して貰い、対外交渉の顔になって貰おうという寸法なのだ。
一気に畳み掛けるべく、俺は更に言い募る。

「そんな訳で、大会社を切り盛りするにたる叡智と貫禄を兼ね備えた人物を探していたんですよ。
 ですが、そんな傑物がおいそれと見つかる筈も無く、半ば諦めかけていた矢先にこういう話がでたもんですから、その………判るでしょう?」

「う〜ん、大会社の会長ねえ。
 そうなれば、当然カヲリは会長秘書。まあ理屈は判らんでもないが………
 だが良いのかね、ワシは経営に関しては完全な門外漢だぞ」

「大丈夫です。
 万一失敗した所で所詮2015年での話。2199年の中将に悪影響はありません。
 それに『一流の技は総てに通ず』と言うでしょう。敵の布陣と心理を読んで対応策を練る。要は戦闘指揮の要領でやれば良いんです。
 大丈夫、中将なら必ず出来ます!」

「いやはや、そうまで言われては断り辛いのう。
 良いじゃろう。此処は一つ、老後の道楽とでも思って楽しませて貰うとしようかの」

かくて中将は、丁度夜更かししていたラピスちゃんの手により、9月1日に滑り込みセーフでマーベリック社会長に就任した。
自室にて祝杯を挙げつつ、今回の計画について反芻する。
実の所、中将にはああ言ったが、実務レベルの事はラピスちゃんが行う以上、経営自体に関する懸念は皆無だ。
余程致命的な失敗を犯さない限り、彼女の処理能力を超える事はまずあるまい。
そしてプロジェクトの成功は、中将に新天地で生き抜く自信を与えてくれることだろう。
上手くいけば、いずれ本当に引退した後、政治の世界に出馬してくれるかもしれん。
そうなれば、アキト帰還後のゴタゴタを処理する上で心強い味方に成ってくれる筈だ。
何より、中将がマーベリック社の面倒を見てくれれば、俺の書類仕事の量が格段に減る。
ハレルヤ、人生は上々だ!

   ハア〜、ツイニジョウシマデ、ペテンニカケルカ

五月蝿い! 俺だって好きでやってる訳じゃね〜〜〜!!




『 9月 5日 晴れ』
   約1ヶ月半に及ぶ治療とリハビリを終え、本日より霧島マナが訓練に参加する事と成った。
   イネスラボに於ける9人目の完治者であり、治療組の中では唯一の訓練への復帰者でもある。
   無論これは、例の計画を睨んでの贔屓の人事という訳では無い。
   先の8人の実力が、大佐の要求するものに達しえなかった為である。
   非情な様だが、これは当然の結果と言って良いだろう。
   何せ訓練生達の実力は、もはや一ヵ月半前とは比べ物に成らないレベル。
   普通なら、手術後の体力の落ちた身体で参加した所で、訓練について行ける筈がないのだ。
   だが彼女は、技術的には未熟ながらも群を抜くタフネスぶりを発揮し、見事訓練への参加権を獲得したのである。
   これは、強烈な克己心によるもの………と、言いたい所だが、現実は其処まで甘くない。
   彼女の異常なスタミナの秘密。それは、彼女が重度の肝機能障害を起こしていた事に端を発している。
   そう。今の彼女の肝臓は、イネス女史謹製のアイアンレバー。常人とはエネルギー代謝効率が違うのだ。
   当然ながら、俺とてこれが良い事などとは思っていない。
   だが、既に人工肝臓の開発された2198年に於いては、移植する為の肝臓提供者が居ないのだ。
   その為、手術の術式自体は同じ物に成らざるをえず、『どうせ人工物に変えるなら』という本人の熱烈な希望もあって、
   渋るイネス女史を如何にか説き伏せ、この強化手術に踏み切ったという訳である。
   『酔っ払う』という、人間の三大欲求の一つを捨ててまで、尚も戦う事を選んだ孤高の兵士。
   プチ改造人間霧島マナに、せめて幸多からん事を祈るとしよう。




『 9月20日 晴れ』
   今日、グラシス中将の御供で補給基地建設予定地の下見に行った。
   中将の会長就任以来、マーベリック社の発展と計画の進行は、共に異常なまでの急ピッチで躍進している。
   ネルフに目を付けられるのも、もう時間の問題だろう。
   だが心配は無用だ。何せ中将には、自由の天使の加護がある。
   もはや何人たりとも彼を止められまい。

   

その日、昼食を食べ終えたばかりの俺の所へ、カヲリ君が臨時の報告を携えて訪れた。
それによると、既に補給基地建設用の地所を確保したらしい。
早過ぎる中将の行動に些か驚きつつも、取り急ぎ身支度を整え、彼女に連れられ2014年へと向う。

   シュイン

もはや御馴染みとなった浮遊感の後、無事マーベリック社の会長室に到着。
再会したグラシス中将の貫禄に溢れた姿を頼もしく眺めつつ、一頻りの挨拶の後、件の物件について尋ねた。
それによると、予想以上に有望な物らしい。
早速ジャンプで現場へ赴こうとする俺。だが、同行を申し出たグラシス中将が、これに猛反対してきた。
曰く『態々ジャンプなどせんでも行ける距離。あえて危険な真似をする必要はない』と言うのである。
かくて、カヲリ君を想う中将の拘りに合わせ、俺達は車中の人と成った。

「すみませんね、ワザワザ運転手までして貰って」

マーベリック社から車で約二時間。郊外の開発未定区域にそれは在った。

「何を仰いますやら。会長と社長が御揃いでの視察にお供出来るなんて、願っても無いことですよ」

そして、此処まで俺達を連れてきてくれた、七三分けの髪型に黒めがねを掛けたこの人物。
彼のこそは期待の新戦力第三号、ヒョウドウ ハヤトだ。
元はサンジェルマンの営業部長であり、その経験を生かし、現在はマーベリック社の実務交渉を一手に引き受けて貰っている傑物である。

「ささっ、まずは此方へ」

中背の痩せ型で、前述の様に、如何にも事務職一筋といった風貌の男。
だが、その立振舞いを見る限り、彼が何らかの武術の達人である事は疑う余地が無い。
この辺、アキトを始めとする超一流の武闘家達の死闘を見続けただけに、目はかなり肥えていると自負している。
多分、兵士として現役の頃は、プロスさんに近い仕事に就いていたのだろう。

にしても、こうして比較物を見せられると、どう見ても普通のオジサンにしか見えないブロスさんの怖さが良く判るな。
何せ、その正体を垣間見た事のある俺でさえ、実際に彼を前にすると、それを認識するのが難しい程だ。

「此方から見える窪地の部分と、その周辺の土地すべてを押さえてあります」

彼に導かれ、暫し獣道を進んだ後、促されるままに、差し出しされた双眼鏡を覗き込む。
すると、俺の目に信じがたい光景が飛び込んできた。
採掘場風の岩肌に四方を囲まれた広大な空き地。
平地からの視点では死角と成り易い、隆起した窪地との境目。
極めつけは、周りに生い茂る鬱蒼とした森林。
す…凄いぞこれは!

「此処から見ると手狭の様に感じるかもしれんが、その実予定の3割増しのスペースを確保してある。如何じゃ、気に入ったかね?」

中将の自慢げな解説に、ハッと我に帰る。

「ええ。素晴らしい物件です」

もう、それ以外に答えようが無い。

「それは良かった。では、ゆっくり堪能してきてくれたまえ。カヲリ」

「はい、お爺様。………ジャンプ」

   シュッ

感動に震える俺を置き去りにし、何処かへジャンプする中将とカヲリ君。
はて? 中将がジャンプを認めると成ると、確実に成功する短距離ジャンプってことだよな。
ジャンプ先を五感で感じられる、イメージングが容易な場所か。一体何処だろう? ………って下の窪地か!

「それでは行きましょうか」

俺が眼下に二人を見つけるのを合図にした様に、ヒョウドウが窪地へと続く裂け目を指差しつつそう言ってきた。
その指された先を良く見ると、既に縄梯子が設置されている。

「ひょっとして、自力で下りるのかコレを?」

彼は無言でそれを肯定。
慌てて下を覗き込むと、中将とカヲリ君が此方に手を振っている。
如何やら、既に退路は絶たれている様だ。
かくて俺達は、エッチラオッチラ縄梯子を伝って下まで降りる事に成った。
300メートル級の岩肌を相手にロッククライマーの真似事か。ううっ、年寄りには堪えるのう。




   〜  16:30 火星駐屯地  〜   

駐屯地に帰還後、早速この件に関する根回しを始める。
何せ、絶好の立地条件の揃った土地が手に入り、しかも、まだ半年以上も時間が残っているのだ。
これを有効利用しない手は無いだろう。
おまけに向こうの世界は、人口が激減した事もあって『建築法? 騒音公害? 何それ?』状態なので、かなり無茶な工期の工事だって出来る。
つまり、当初の予定の様な安普請な物ではなく、悪の秘密結社に相応しい威容を整えた秘密基地の建設が可能なのだ。

かくて俺は、早くも不調を訴え始めた足腰に鞭打ち、怖くて………
いや、二人を信頼して、今日まで訪れる事の無かったウリバタケ研究所火星支部の門を叩いた。
そう。期待のルーキー時田博士は、その技術力向上の為、現在この魔境にて特訓中なのだ。
独特の臭いと猥雑さの漂う室内に閉口しつつ、早速班長に、時田博士の近況を聞いてみる。

「ああ時田ね。駄目だなアレは。はっきり言って使い物に成らね〜」

って、一寸待て!

「話が違うじゃないか班長!」

「仕方ね〜だろ。この一ヵ月半、色々教えてはみたんだが、どれもまるで身に付かなかったんだから」

なんってっこった! この計算違いは致命的だぞ!
これじゃ折角のあの物件も、宝の持ち腐れに終っちまうじゃないか。
嗚呼、あの時感じた時田博士のヤバさ…………じゃなくてスケールの大きさは、俺の幻想にすぎなかったのか。

「さあ、確実な証拠を持ってきましたよ。これを見れば、如何に頑迷な貴方でも理解するでしょう」

其処へ、隣室から噂の人物が、何やら多数の小さなダンボール箱を抱えてやってきた。
それは戦車のプラモデルの箱だった。

「御覧の通り、ドイツ製W型戦車のパーツ数は実に、ソ連製T―34の3倍以上。
 確かに単体での性能の高さを認めるに吝かではありませんが、これでは御話に成りません。
 何より、ドイツ製戦車は、実験的要素が多すぎて壊れ易い。これは致命的です」

「なんだとコラ! テメエは戦車の王者タイガー(ティーゲル)シリーズを馬鹿にする気か!」

「戦車の王者? 私には到底そうは思えませんね。
 キングタイガー(ケーニヒス・ティーゲル)が作られた頃なんて、連合軍に制空権を握られ敗色濃厚な頃じゃないですか」

「かあ〜、判ってねえな。
 それでもメカに新機軸を組み入れるのを止めない所が王者の風格なんだよ。
 見ろ! この機能美溢れるシュルツェン(対バズーカ用に、戦車の周囲に張り巡らされた薄い金属製のエプロンの事。
 拳銃でも穴の開く程度の強度しかないが、成型炸薬弾は命中と同時に炸裂するので、防御効果は充分にある)やツィメリット・コーティング
 (磁気吸着地雷を防ぐ為、装甲表面に施された防磁用コーティング。細かな凹凸を付ける事により、磁石が張り付くのを防ぐ)を。
 正に戦闘芸術品だろうが」

「技術力は認めますが、どちらも大して役立っていないでしょう。
 チャレンジャーのマインプラウ(地雷撤去用に戦車の前に装備する鋤)の方が、まだ実績がある位です」

「あんな欠陥車と一緒にすな!」

「なにが欠陥車ですか。あれでも当時のイギリス軍MBT(主力戦闘戦車)ですよ」

半ば呆然としていた俺を尻目に、何やらマニアックな言い争いを始める両雄。
何故かは知らないが、双方共に、現状に対する焦燥というものが全く感じられない。
その辺りの詳細を尋ねるべく、この不毛な論争の仲裁に入る。

「そのなんだ。いい加減、この注釈だらけの会話を止めてくれないか。
 車に装甲と大砲が付いてるのが戦車。それで良いだろ。そんな事より………」

「「何を言ってるんだ(です)。それでは何も始まらねえよ(ませんよ)」」

「いやその、別に始めたい訳じゃないし。
 第一それ以前に、そんな事よりもっと話し合うべき事があるだろ?」

「「そんなものは無い!(ありません)」」

如何いう根拠があるのかは知らんが、自信タップリにそう言い切る二人。そして、

「ん? 誰かと思ったら提督じゃないですか。御久しぶりです」

なんか今頃になって俺の存在を認識したらしく、それまでの険しい顔を一転させ、プロスさん張りの営業用スマイルを浮べる時田博士。
だが、やはりその顔からは焦りのアの字も感じられない。

「成る程。つまり提督はこう言いたい訳ですね。
 『クルセイダーやキャバリエ(駄作揃いのイギリス巡航戦車の中でも最低の駄作)について論じる暇があったら、
 ファイアフライ(アメリカ製戦車。戦時中、かなりの数がイギリス軍に貸与された)を回して貰う算段をしろ』と」

物言いたげな俺の様子を察してか、したり顔でそうの宣う時田博士。
その言葉の意味はまるで判らないが、全くの的外れなのは間違い無い。

「あれ? ひょっとしてシャーマン(大戦後期に配備されたアメリカ製戦車。以下同文)の方ですか?」

場の空気から不正解を察したものの、時田博士は更に墓穴を掘っていく。
その余りのダメっぷりに、掛けるべき言葉を失う俺。

「違うだろ! 何を馬鹿な事を言ってやがんだ!」

おお、そうだぞ班長。一発、ビシッと言ってやってくれ!

「この場合求められる物と言えば、地球に優しいエレファントに決まってるだろ!」
 (ドイツ製の電気式戦車。勿論エコの為ではなく、駆動音の除去やラジコンの様な急発進・急加速を狙ってのモノらしい。鈍重で頻繁に故障する)

って、それじゃ同じゃないか!

「あんなドンガメに何が出来ると言うんです。
 同じカメなら、まだ固いぶんトータス(一体鋳造の曲面車体の対戦車重自走砲。80tもある車体を僅か600馬力のエンジンで動かす無茶な設計。
 走る姿はまさにカメ)の方が役に立ちますよ」

ううっ、もうヤダこんな連中。

「この判らず屋! そんなんだから、あんなハンパな仕事をするんだよ!」

「失敬な。アレは私の現時点に於ける最高傑作です。
 そう言う貴方こそ何です、あの実用性皆無の秘密基地の設計は」

ん? この話はもしや!

頭を抱え座り込む俺のすぐ横で、突如繰り広げられたた聞き捨てならぬ内容の会話。
振って沸いた一縷の望みに縋りつき、二人を問い出してみる。

「ちょ、一寸待ってくれ。トライデントの設計は、既に完成しているのか?」

「「してねえ!(ます)」」

「俺はあんなもの認めん!」

「それは貴方が決める事じゃないでしょう!」

「ああもう、どっちでも良い! 兎に角、現時点で上がっている物を全部見せてくれ」

俺の剣幕に引いたのか、渋々何枚かの図面を差し出す班長。

(パラ、パラ、パラ)おお!

「まったく。三体それぞれに違う特性を持たせた所は評価してやるが、肝心の合体システムを組み込まないなんて。一体如何いう了見だよ」

「現実と漫画と一緒にしないで下さい。
 どうせ大型機に成るのなら、小型エンジンを三機連動させるよりも大型エンジンを一基積んだ方が効率が良いことくらい貴方にも理解できるでしょう。
 いや、あんな設計をする様では望み薄かも知れませんね。
 はっきり言って、あれは無駄の塊です。特に、バリンと割れるガラスのバリアなんてナンセンスも良い所だ」

「だあ〜、これだから様式美ってのを理解しないヤツは」

尚も二人は何事か言い争っている様だが、そんな事は如何でも良い。
今、活目すべきはこの図面の方だ。
技術的な事はサッパリ判らないが、図面から現物を想像する位の事は俺にも出来る。
この辺は所謂、現場司令官の嗜みというヤツだ。
その知識から判断するに、どちらも青写真としては充分なモノだった。
ははっ。なんだ、チャンと仕事はしてるんじゃないか。
取りあえず、使用予定のレア金属の買占めと、基礎工事の手配だけでも進めておくか。

「口で言っても判らんようだな。
 良いぜ。一つ、其処にあるプラモで勝負と洒落込もうじゃないか。
 俺がタイガーTを作りあげるまでに完成させた物なら、何でも其方の戦力として認めてやるよ」

「正気ですか? T−34なら多分四〜五台。悪くても三台は堅いですよ」

「な〜に、丁度良いハンデだ」

かくて初期の目的を果した俺は、プラモ製作中も絶え間なく続く二人の論争を華麗にスルーし、意気揚々と現代の魔境を立ち去った。




   〜  七時間後、シミュレーションルーム  〜

「「プ○〜モ、イン」」

特殊プログラムを流したシミュレーションルームに、両雄の雄叫びが木霊する。
それを合図に、無駄に高い技術力を駆使した素人達の戦闘が始まった。
無論、俺はそんな事に許可を出しだ覚えなど無いが、まあ、野暮は言うまい。
ちなみに戦闘結果の方は、出会い頭の一発で最初の一台を撃破して調子に乗って突進した所を、
残りの三台に半包囲されての袋叩きにあい、班長のボロ負けに終わった。

BAR花目子にて祝杯を挙げる時田博士。
自分以外の3台の操縦を務めた三人の整備員達にも、気前良く高い酒を奢っている。
サシの賭けに勝った御蔭で、大分懐が暖かいらしい。
その隅っこの席で、チビチビ水割りを舐める班長の姿とは、正に好対照である。

「ふふふっ。言ったでしょう、数は力なんですよ」

「うるせえ! 俺の作戦ミス………いや、只のフロックだフロック!」

いや〜、和やかだねえ。二人はとっても仲良しさんだ。




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