>SYSOP

   〜 5時間後、東 舞歌の執務室 〜

その日、影護北斗は不機嫌だった。
というのも、ここ数日の間に、気に食わない事があまりにも多数発生したからだった。
チョッと期待していた模擬戦が拍子抜けに終った事。これは、まあ良い。
アカツキがアッサリとフラれるシーンの一部始終を見ていただけに、概ね予想通りの結果となっただけである。
パーティで見世物にされた事も充分許容範囲内だ。
チョッと前であれば考えただけで虫唾が走っただろうが、今に自分は、未来ある若人達の手本とならねばならない教職者。あの程度の社交辞令に怯んではいられない。
だが、今回の模擬戦参加に合わせ、試験期間中という、教え子達が戦場に立つこの時期に休みを取らざるを得なくなったのは、仕方ないと思いつつも気に入らなかった。
せめて、彼等の戦果だけでもいち早く把握しようと、カヲリのジャンプに便乗して校長室を訪ねた時、いきなり『死んだふり』をされたのには更に閉口した。
しかも、それが通じないと悟るやいなや『お願いだから、三者面談が終るまでこのまま休んでいてくれ』などと、いい歳こいて涙目で足元に縋ってきたのだ、あの校長は。
その場で蹴り殺さなかったのは、正に奇跡の領域だろう。
おまけに、その後に訪れた職員室では、学年主任から、トウジの成績をネタにしたイヤミを言われる始末。
僅か半日の間に、まるで一生分のストレスを抱え込んだかの様だった。

「………という訳で、ムシャクシャしていたのでやった。まったく反省はしていない」

「して下さい! この際、少しで良いですから!」

北斗のまったく悪びれない返答に、バンと机を叩きつつ絶叫する千沙。
彼女にしてみれば精一杯の強気な姿勢。ある意味、命を賭しての諫言である。
だが、この一件を、既に終った事だと思っている北斗には、何の感銘も与えられなかった。

「そう怒るな。小皺が増えるぞ」

「ああもう、そんな所ばかりが妙に世慣れて! いったい貴女は、向こうで何をしていたんですか!」

「極普通の教師に決まっているだろう。自慢じゃないが、ウチのクラスの成績はチョっと良いんだぞ。約一名を除いてだが」

胸を張って、そう答える北斗。 実際、彼が担任を勤める2Aの中間テスト平均点は、堂々の学年第一位。
しかも、学年主席と次席の者を、ワン・ツー・フィニッシュで輩出しているのだ。
彼にとっては、平和な世界(?)で得た初の実績。かなり自慢な事だった。

「それでは、何故に故郷の若人達を。
 それも、前途ある優人部隊の候補生達を、そういう風に丁寧に扱ってあげないのですか!」

「そう、問題なのはそこだ。
 俺だって馬鹿じゃない。自分を基準になどするものか。
 具体的に言えば、あの連中に課したのは、サイトウを基準にした程度の課題。
 一介の整備員だったヤツでも耐えられるシゴキに、木連の明日を担う優人部隊を目指す者達が音を上げるってのは問題だぞ」

憤慨する千沙に、我が意を得たりとばかりに反論する。
実際、北斗にしてみても、アレは意外な事だったのだ。

一時的に2015年へと赴いた後、彼は多大なストレスを抱えていた。
だが、折角の英雄の一時帰国。各方面が、彼を放って置く筈が無い。
その帰還に合わせ、連日、式典のオンパレード。
本日行われた、優人部隊候補生達の宿舎を訪問しての激励会もその一つだった。
その開会に先立ち、ダラダラと長いスピーチを続ける特別士官学校校長。
思わず、その度し難い口を永遠に閉じてやりたい衝動に駆られる。
だがその時、イラつきまくった彼の頭脳に、それを払拭しうる素晴らしいアイディアが浮かんだ。
そうだ。せっかく学校に来た事だし、俺が教師らしくなった所を、故郷の連中にも見せつけてやろうと。

その結果は、惨憺たるものだった。
北斗の臨時授業に強制参加させられた700百名を超える候補生達のうち、最後まで残った者は、なんとたったの13人だけ。
しかも、脱落者達は、『もう嫌だ』とばかりに大部分の者が退学を申し出て、今やその生徒数は、100名足らずにまで減ってしまったのである。
尚、蛇足ではあるが、逃げ出した候補生達の名誉の為、此処で少々弁護させて頂こう。
この結果は、彼等の根性が足りないからでは無い。
ギブアップ等という惰弱な選択を奪われ、生か死の崖っぷちに追い込まれ、ついには人である事を捨て去るに至った、某正義の味方を基準にする方が間違っているのだ。

「この際だからハッキリ言うぞ。今の木連軍人は弛んでいる」

とは言え、北斗の意見とて、まったくの的外れという訳でも無い。
実際、千沙自身も、最近ではそう感じる事が多かった。
だが、だからと言って、あの行動を認める訳にはいかない。
気勢を制されつつも、彼女は尚も諫言を続ける。

「おっしゃりたい事は判りますが、ものには限度があります。
 まして、貴女は木連の守護神『真紅の羅刹』なんですよ。いま少し、その言動に注意を払って下さい」

最後の手段とも言うべき殺し文句。
だが北斗は、それに自虐的な。それでいて、懐かしそうな顔をしつつ、

「嗚呼、昔は良かった。思えば、あの頃は充実していたよなあ。
 世は戦乱。イキの良い敵味方が入り乱れていて、戦場は何時も活気に満ち溢れていたっけ。
 そして、俺はアイツを倒す事だけを考えていれば良かった。
 (フッ)幸せってヤツは、失ってみて初めて判るんだな」

その独白に絶句する千沙。
自分達とは価値基準が違う事は良く知っているつもりだったが………正直、もう言葉が無い。

「まあまあ、もう良いじゃないの千沙」

此処で、落とし所と見てとったらしく、舞歌が仲裁に入った。

「貴女の視点から見れば、北斗の指導の所為で600人以上の候補生が退学したって事になるんでしょうけど、
 別の視点で語るなら、北斗の指導にもへこたれなかった候補生が100人近くも残ったのよ。
 ある意味、振るいに掛ける手間が省けたとも言えるんじゃない?
 実際問題、西沢さんなんかは、『人材育成用の予算が大幅に浮いた』って言って、かなり喜んでたし」

その顔は、何故か楽しい玩具を見つけた時のソレとなっている。
そう。彼女の元には、こんな終った話よりも重要な。己の趣味を満足させうる格好のネタが舞い込んでいたのだ。

「少々暴論ではないでしょうか? 退学していった者達の心情を思えば………」

「千沙、何か勘違いをしていないかしら?
 優人部隊は、明日の木連を背負う未来の担い手なのよ。
 その選抜は、厳選に厳選が重ねられる狭き門。そんな事を言い出したらキリが無いわ」

敬愛する上司に論破され、おし黙る千沙。
そんな彼女に『まあ、流石に今年ほど厳しかった事例は無いでしょうけどね』と言った後、これでこの話は終わりとばかりに、舞歌は本題を切り出した。

「ねえ、千沙。つい先程、オオサキ提督から貴女に、
 『そろそろ復活させないとネルガルの運営に支障が出始めるんで、いまだ自分の殻に閉じこもって偽りの勝利の美酒に酔いしれている、某会長の精神をサルベージして欲しい』
 っていう協力要請が来たんだけど、お願い出来るかしら?」

「断って下さい!!」

声を限りに絶叫する千沙。
その過剰なリアクションから、『あら、意外と脈ありみたいね』と、内心細く笑む舞歌だった。



   〜 二日前。5月26日午前7時、ネルフ本部の宿直室 〜

『………上手く神経が繋がった様ね。
 にしても、このまま縫合して御終いってのも芸の無い話。
 どうせ只の脇役なんだし、チョッとだけ御茶目をしてみようかしら?
 左腕にサイ○ガンを仕込むとか、筋力を数倍に上げて、ソッと持ったつもりのコップを握り潰す様にするとか』

『嫌だ〜! 俺は人間でいたいんだ!』

『大丈夫。次に目覚めた時には、思いつきもしなくなるわ、そんな瑣末な事♪』

『や…やめろシ○ッカー!!』

   ガバッ

「(ハアハア)また、この夢か」

飛び起きると共に、両手を擦り異常が無い事を確認する。
あの使徒戦以来。より正確には、突発性の記憶障害と診断された日から。
毎晩、悪夢にうなされる日々が続いているマコトだった。

正直、原因が全く判らない。
確かに両手は震えているが、これは心因的なものだ。
手術を受けた経験などないし、手術痕らしきものも見受けられない。
夢での登場人物もまた不条理だった。
これが赤木博士ならば、まだ何と無く納得出来るが、自力で思い出せる範囲では、夢に出てくる金髪の女性との面識は無い。
何かの映画で見たマッドサイエンティスト役の人かとも思ったが、やはり記憶に無い。
極めつけは、夢の中での自分のセリフ。
ショッ○ーなんて固有名詞に心当たりなんて無いのに、何故か正しい事を叫んでいるという確信があるのだ。

「俺は、一体どうしてしまったんだろう?」

悩みは尽きない。だが、暢気にそれに拘ってはいられない。
手早く出勤準備を整える。
そう、彼には成さねばならぬ事が。上司という名のトラブルメーカーの御守という激務が待っているのだ。

   チャラララララ、チャラララ

と、その時、枕元に置いていた携帯が。
『気分が落ち着くから』という同僚のマヤの勧めに従い、着信に入れたお気に入りの曲、『エリーゼのために』が流れだした。

「はい、日向です」

そのまま一小節聞く訳にもいかないし、かえってストレスが溜まるんじゃないかなあコレって。
そんなどうでも良い事をつらつら考えつつ電話に出る。
聞こえてきたのは、覚えのない声での訳の判らないセリフだった。

『コード707、ケースC−21、17:00』

「はい? 一体なんの事ですか?」

不審を覚えつつ問い質す。と、次の瞬間、

   バスッ

二年間愛用した携帯が自動的に消滅。中のデータは失われ、右手と右頬に火傷を負う事に。
朝っぱらから不幸のズンドコな彼だった。



   〜 午後2時、ネルフ第二実験場の管制室 〜

「絶対領域まで後、0.5、0.4、0.3………」

マコトの不運は更に続いた。
右手の負傷の所為で仕事が滞り、忙しさにかまけ昼食抜き。
しかも、右手の火傷を理由に、最大の見せ場(?)であるオペレーター業務を、再び最上アオイに奪われる事に。
思わず、部屋の隅っこで『の』の字など書いてしまう。
そんな彼を尻目に、

「初期コンタクト全て問題無し。双方向回線開きます。シンクロ率………えぇっ!」

「どうしたの、マヤ?」

「シンクロ率94.8%、EVA零号機起動しました!」

棚ボタ式に美味しい食事と快適な住居。更には高給まで手に入れるという、現在ラッキー続きなレイが、
前回は起動数値ギリギリだったのが嘘の様な高シンクロ率をマークして実験を成功させた。

「シンジ君の約三倍か。やはり正パイロットはレイで決まりね」

チョッと残念だけど。
胸中でそう付け加えるリツコ。
補完計画の都合上から見れば、シンジがパイロットである方が望ましいし、
実戦レベルにおいても、第五使徒戦で見せたあの勝負度胸と判断力は捨て難いものがあるが、ここまで明確な差があっては誤魔化しようがない。
彼の希望通り、今後は予備役扱いにするしか無いだろう。
だが、彼女的には、そんな不都合を差し引いてもオツリが来るくらい、この高シンクロ率は有難かった。
連敗続きで予算獲得が厳しい昨今、正に起死回生の朗報である。

シンジにしても、ツバは既に付けてある。焦る必要は無いし、下手を打てば元も子無くなる。
今となっては、ネルフでの戦闘訓練などやっても意味が無い事だし、此処はレイをメインとして、イザという時は、前回の様な形式で搭乗を依頼するのがベストだろう。

「………って、嘘よ! こんなの嘘よ! 何故? どうして?」

と、そんな皮算用が纏まるのを待っていたかの様なタイミングで、隣りで放心していた親友が騒ぎ始めた。
思わぬ幸運に緩んだ気を引き締めつつ誰何の声を掛ける。

「どうしたの? まるで悪夢の様な事でも起こったかのような騒ぎ方をして。
 起動数値ギリギリ所か、過去の最高記録を遥かに上回る高シンクロ率よ。此処は、諸手を上げて喜ぶべきシーンじゃなくて?」

「何を言っちゃてるのよリツコ! 94.8%よ! 私の最高記録よか20%以上も高いのよ! 
 こんな事が許せると思って! ありえないわ! 何かの間違いよ、絶対! うん、そうに決まった!」

貴女はアスカか!
ガチャガチャと指揮官用のコンソールを弄くり、何とかシンクロ数値を下げようとしているっぽいミサトを横目で見つつ嘆息するリツコだった。



   〜 二時間後。チルドレン専用控え室 〜

「レイ〜、居る〜」

長時間に渡るの格闘の末、『これはハードじゃなくてパイロットの問題みたいね』と、胸中で結論付けミサトは、事情を聞くべく通信機を入れ………
ようとしたら、既にエントリープラグに人影は無い。
そんな訳で、データチェックをしていた親友から『レイならとっくに上がったわよ。今頃は、控え室で勉強でもしてるんじゃないかしら? 今、試験期間中らしいから』
との情報を聞き出し、こうしてやってきたのだが………

「ね…ねえ。あれってレイなのよね? なんか、えらくハイソっぽくなっちゃてるけど」

「そんなハイソって。勉強の合間にティータイムを入れるくらい普通ですよ。
 そりゃあまあ。なんかこれまでのレイちゃんには無かった、余裕の様なものを感じはしますけど」

目の前の光景に驚き、なんとなくついて来たマコトに、小声で問い質すミサト。
此処までの勢いは何処へやら。その態度は既に及び腰である。
実は彼女、この手の上品っぽく感じられる雰囲気にとことん弱かった。

「何でしょうか?」

遠巻きに此方を見詰める二人に気付き、レイが誰何の声を掛けて来た。
だが、普段なら『可愛げが無いわね〜』で終わりなその硬質な声音が、この場合はプレッシャーとなって圧し掛かってくる。

「えっと、その………あっ、美味しそうねコレ」

言葉の接ぎ穂を探すうち、目に止ったお茶請けに手を伸ばそうとするも、

「駄目」

レイにガードされ、あえなく撃沈。

「これは、大切なもの」

「そ…そうなんだ。アッ、アハハハッ。あっ、邪魔したわね、さいなら」

かくて、その氷の様に凍てついた瞳(ミサトビジョン)に破れ、彼女は戦略的撤退を余儀なくされた。

「一体、何だったの」

状況が飲み込めず、小首を傾げる。
だが、すぐにどうでも良くなり、

「美味しい」

カヲリが持たせてくれた、おやつのマロングラッセを頬張り、目を細めるレイだった。



「まったく。なんなのよ、あの態度は。仮にも直属の上官に向かって」

「そんなに怒らないで下さいよ、葛城さん」

「ナニ言っちゃってるのよ。
 あんな調子じゃ、命令系統に不備が出かねないわ」

「大丈夫ですって。レイちゃん、その辺はキッチリした娘ですし」

数分後。通路を歩きながら、ブリブリと憤慨するミサトを、必死に宥めるマコト。
ちなみに、辺りに人影は無い。
この事を、彼は幸運だと捉えているが、現実は、そこまで都合良く出来てはいない。
単に、彼女の声が響いているからである。

そう。この空間は、意図的に作り出されたもの。
ミサトの生態を知らぬ者など、もはや此処ネルフには居ない。
故に、彼女の半径5m以内には、覚悟を持った猛者以外の者が近寄る事は決して無いのだ。

「それに、寧ろ良い傾向だと思いますよ、先程のアレって。
 これまでの彼女って、自我が希薄と言うか、拘るものが無かったでしょう?
 でも、あの様子なら。今のレイちゃんなら、きっと生き残る事に執着してくれますよ」

「………そうね。良く考えてみれば、アレ位は当たり前か。丁度、反抗期真っ只中な歳なんだし。
 これまでは状況が許さなかっただけ。間接的には、あの娘もまた使徒の被害者なのよね」

そう呟いた後、ミサトは矛を収め押し黙った。
憂いを帯びたその表情にドキリとするマコト。
敬愛する上司は、何やら胸中に深い葛藤を抱え込んだらしい。
そのまま見惚れて………じゃなくて。心配して、掛けるべき言葉を摸索していると、

「そう! やっぱ14歳の少女を矢面に立たせるっていう、初期コンセプトこそが間違っているのよ!」

「確かに……その通りです」

机上の空論。
赤木博士ならば、言下にそう切って捨てるだろう。
だが、それでも叫ばずにはいられなかったミサトの心情が、マコトには痛いほど判る。
そう。彼自身、内心は忸怩たる思いなのだ。
何故、あんな年端も行かない華奢な少女を戦場に立たせなくてはならないのか?
代われるものなら、自分が代わってやりたい………

「つ〜ワケで日向君。貴方、レイの代わりに零号機に乗んなさい!」

「はい?」



    〜 三十分後。再び、ネルフ第二実験場の管制室 〜

『一応、準備は出来たけど………本当にやるの?』

『当たり前でしょ。シャレで言う訳ないじゃない、こんな事』

『充分可能性あるわよ、貴女なら』

上司達の何時もの掛け合い漫才を聞き、ふと我に返ると、既にエントリープラグの中だった。
己の流され易さに恥じ入りつつ、『しっかりしなきゃ』と、気持を引き締める。
そう。既に三連敗中とは言え、前回の善戦や今回のレイちゃんの高シンクロの様に、明るい材料が無い訳じゃない。
『次こそは』とばかりに、現場の士気も、嘗て無いくらい高まっている。
そんな勝利への基盤が固まりつつある中、それを指揮する立場にある自分が、こんな事ではいけないのだ

『実験スタート』

だが、『止めましょう』と言い出す前に事が始まってしまった。

『主電源、接続完了。起動用システム作動開始』

仕方なく、手遅れだと諦め………いや、それではいけない。常に攻め気の姿勢を崩さず、ポジティブシンキングでいかなくては。
再び状況に流されかけた己を叱咤しつつ、マコトは、この実験の意義にいついての摸索を始めた。
さしあたって、他に出来そうな事が無かったが故に。

『システムフェイズ2、スタート』

もしも自分が、零号機のパイロットになったら?
まず、出来る事の幅が格段に広がるだろうと思う。
能力的には多少劣るとはいえ、マコトとて正規の軍事訓練を受けている。
実質的には、巨大化した二人の兵士が戦う事になる以上、バディシステムを始め、利用出来る戦術は多いだろう。
丁度、先の第五使徒戦の様な感じで………

「やってやる。やってやるぞ!」

かくて、某スパロボの特殊イベントの如く、彼の気力は300をマークした。



「(コトン)災難だったわね、日向君」

「いえ。お役に立てず残念です」

リツコから差し出されたコーヒーを受け取りながら、気落ちした声でそう答えるマコト。
そう。粘るミサトに便乗し、1時間以上に渡って実験を続けて貰ったものの、ついにシンクロはしなかった。
それが決定的と判った時、正直、かなり落ち込んだ。
だが、これで良かったとも思っている。
確かに残念な結果に終ったが、シンクロが極めて困難である事を身をもって知った、この体験。
そして、無謀だと判っていても、あえて挑戦する気概を学んだ事は、決して無駄にはならないだろう。

宝くじってのはね、買わなきゃ絶対に当らないのよン。
崇拝する上司から何度となく聞かされた格言だが、今、初めてその本当の意味が判った様な気がする彼だった。

  ピピッ、ピピッ

「あら、もうこんな時間なの」

と、その時、アラームが鳴り、

「各種チェックは終了済み。カウンセリグも、今ので良いかしら?」

「え? あっ、はい」

「呼び出しておいて、バタバタしてごめんなさいね。
 それじゃ私、これからチョッと外せない用事があるから」

と言うや否や、リツコは手元のノートパソコンでTVを立ち上げ、それを食い入るように見始めた。

『3・2・1。ドッカ〜ン、わ〜い。なぜなにダークネス』

   ゴン

軽快なメロディーでありながら、何故か地獄の底から響いてきたかの様なそれに、
猛烈な寒気と共に立ち眩みがして、ドアの淵に頭を打つけるマコト。

「あら、どうしたの?」

「い…いえ、何でもありません」

はて、どこかで聞いた声だよな?
でも、何故か絶対に思い出してはいけないような? う〜ん。

解けない謎に首を捻りつつ、彼は日々の業務へと戻っていった。



    〜  三日後。2015年5月29日、第一中学校 〜

中間試験が終了した日の翌日。週末の職員室前に張り出された成績上位者の一覧表を前に、学生達は騒然としていた。
それもその筈、一年の三学期に中間と期末で二冠を達成し、二年に進級後初のこのテストでも、もはや鉄板と思われていた学年主席の座に、下馬評を大きく裏切る人物が。

「ね…ねえ、トウジ。これって順番が逆なのかな、ひょっとして?」

「いや、信じ難い事やけどマジみたいやで。
 何せ、それやと、カヲリはんの名前が二番目にある事の説明がつかへんからな」

なんと、口の悪いとある数学教師から『出席する価値の無い生徒』とまで言われた事もある日暮ラナが、7科目を700点満点で、ブッチギリなトップを取ったのである。
まるで、その教師の授業など『聞く価値も無い』と、言外に言い返しているかの様に。

「(ハア〜)まったく、行うのなら数学だけにしておきなさいと忠告しておいたのに。もう少し、後先の事も考えて欲しいってことね」

ラナの暴挙を前に、思わず小声でそう呟くカヲリ。
だが、これは無理も無い事だろう。当事者がアテにならない以上、この後始末は、自動的に彼女の担当となるのだから。

さて。此処で、この信じ難い結末の種明かしをさせて頂こう。
アレな性格をした者ばかりの使徒娘達であるが、そのキャパシティは絶大なものがある。
HDに例えるなら、通常の人間の記憶容量を20GB前後とすれば、第三階梯である彼女達は300GB前後。第四階梯であるカヲリに至っては、軽く4TBを超えているのだ。
従って、その気になりさえれば、中学レベルの教科書や参考書の丸暗記くらい、お茶の子さいさい。
旧体制な記憶力重視の学力テストなんて、100点を取って当たり前なのである。

ちなみに、普通の人間らしく見せかける為、カヲリは意図的に何問か間違えている。
それなら何故、その先例である高○さんの様に平凡な点数を狙わず、突出した高得点を取るのか? 
そう問われれば、彼女の成績が平凡なものだった場合、普段の言動とのギャップから、逆に不自然になってしまうからだったりする。(笑)



「………という訳で、来週の頭から三者面談に入る。
 聞いた話じゃ、本当は中間テストの結果を反映した内申書を作ってからやるもんらしいんだが、三回に渡る非常事態宣言の所為で、予定が押しているんだと」

そんなこんなで、カヲリの活躍によって騒ぎは沈静化。
その後、採点の終ったテスト用紙を受け取るだけのLHRも恙無く終わり、壇上の北斗による伝達事項の訓辞が始まった。

「各々、思う所もあるだろうが、結果はもう出ている。
 『上からの評価を大人しく待て』としか俺には言えんな。
 何せ、助力してやろうにも、校長命令とやらで蚊帳の外にされちまったし」

いまだ納得がいかない事を伺わせる、愚痴っぽい口調でのセリフ。
だが、その内容は、2A生徒の大部分にとって神の恩寵。
そして、隣りのクラスの神楽坂先生が、それをもたらす大天使ラファエルだった。
そう。今回実施される三者面談は、2A、2B共に、彼女が学校側の出席者。 2Aの担任でありながら、北斗は参加出来ないのである。

「まあ、頑張れや」

最後にそう言い残すと、北斗は教室の窓を開け、そこから飛び降りた。



   〜 10分後。進路指導室 〜

「(ゴクリ)」

決戦の場を目前に、2Bの担任、神楽坂エリ(23)は生唾を飲んだ。
それもその筈、彼女にはとんでもない難事が。
敬虔なクリスチャンである彼女には、悪魔の使者としか思えない危険人物の説得という大仕事が控えていたのだ。

中間試験中の休職を理由として排除に成功。
当初は、これで総てが解決したかに思われていた。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
急造の成績表。その各個人の保護者の欄を見て絶句する。
それによると、なんと彼は、三人の生徒のそれに登録されていたのだ。

これは、まったくの盲点だった。
一日目は、ア行とカ行とサ行。二日目は、タ行とナ行とハ行。三日目は、マ行とヤ行とラ行とワ行が名字の生徒の三者面談が実施される。
つまり、このままでは、一日目と二日目の双方に北斗が出席する事に。PTAの皆さん達と同席する事になってしまう。
正に最悪の展開。相手が相手だけに、何をしでかすかまでは予測がつかないが、どう転んでも良い結果にはならないだろう。
にも関わらず、この件に関し校長は、もう完全に逃げを打っているのだ。

愛する生徒達の未来を守れるのは、もう自分しか居ない。
そんな追い詰められた心理状態に、生来の生真面目さも相俟って、やや近視眼的にそう思い込む神楽坂先生だった。

「主よ、願わくばご加護を」

萎えそうになる心を奮い立たせ、戦闘準備に掛かる。
まずは、先に約束の場所に陣取り、此方が出迎える形を取るのだ。
その為に、LHRを早めに切り上げたし、退室時に、2Aのそれは終了していなかった事も確認してある。

他人が聞けば、大して代わらないと言うかも知れないが、彼女にとって、これは重要な要素だ。
申し渡された不本意な通達の所為で、子供の様に不機嫌さを顕にしている現在の北斗と差し向かいで相対したら、自分は本能的に逃げ出してしまうかもしれない。
それを防ぐ為にも、彼が唯一の出入り口から現れる事が。
あえて己の逃げ場を封じる、背水の陣が求めれるのだ。

   ガチャリ

「よお、話ってのは何だ?」

だが、そんな彼女の健気な決意を頭から無視し、出迎えたのは北斗の方だった。

「ど、ど、ど、ど、どうして貴方が此処に居るんですか!?」

「お前が呼んだからに決まってるだろう」

「そうじゃなくて。どうやって此処に来たんですの!?」

神楽坂を見詰めたまま、後ろの窓を指差す北斗。
暫しの空白。その後、多少冷静になった頭で思い出す。
此処が、2Aの教室の真下だった事を。

「3階から飛び降り………まあ、これは今更ね。
 でも、窓には鍵が掛かっていた筈なんだけど?」

「叩いて開けた。
 あの型の鍵は、一定の衝撃を与えると勝手に跳ね上がるからな。防犯には向かないぞ」

「本当に人間なんですか、貴方は!」

「確かに良く言われるが………誰でも出来るだろう、これくらい?」

「そんな訳ないでしょう、絶対に!」

「いや、俺の故郷じゃ………」

「いいえ。この際、そんな人外魔境の事なんてどうでも良いんです! 黙って私の話を聞きなさい!」

あまりの異常性に、話せば話すほど北斗という存在が判らなくなっていき、ついにはプッツン。
相手の危険性も忘れ、保護者としての参加も見合わせるよう、頭ごなしに一気に捲し立てる神楽坂先生。
窮鼠、猫を噛む。そんな破れかぶれな勢いである。

憮然とした顔でそれを聞く北斗。
オオサキ提督より、こういう展開になるだろうとの示唆を事前に受けてはいたが、気に食わないものはやはり気に食わない。
と、その時、あるアイデアが彼の中に浮かんだ。
胸中にてそれを吟味する。
問題ない。目の前に居る女の理不尽な要求を満たしつつ、しかも、彼自身の欲求をも満たしうる画期的な手だ。

「判った。俺は三者面談に出ない。それで良いか?」

こういう頭だけでやる勝負も悪くないな。いずれ、舞歌と張り合ってみるか。
そんな、嘗ての部下達が聞いたら『それだけは止めて下さい!』と、口を揃えて言うであろう事を考えつつ、北斗は神楽坂先生の要求を承諾した。

「は…はい」

北斗の予想外な聞き分けの良さに戸惑う神楽坂先生。
拍子抜けを通り越して、あからさまに不気味だった。
だが、冷静さを取り戻した今となっては、つっこんだ事を聞くのも躊躇われる。
それ故、色々と。特に、彼の『俺は』と言った時の微妙なアクセントが気にはなったが、彼女は深く考えない事にした。



   〜 二日後。5月31日、再び第一中学校 〜

神楽坂先生の三者面談 第一日目。

「(ウ〜ン)さて、やりますか」

半ドンの授業が終った放課後。
晴れ渡った青空を見上げて大きく伸びをした後、そう語散る神楽坂先生。

三者面談開始時刻まで後5分。
一人目の生徒の父兄は既に到着されているし、最大の問題だった、三人目の保護者も来ていない。
二人目の生徒の父兄の到着が遅れている様だが、この辺はよくある話。あまり気にする事もないだろう。
そんな事をつらつら考えていた時、

   シャー

一台の自転車が、彼女の知る限り、この世で只一人にしか出せないスピードで校門に。
それに一拍遅れる形で、蒼いスポーツカーが追走。

   ブルブル〜〜〜ン
            キキキッ〜〜〜〜ツ

そして二台は、折り重なる様に土埃を上げつつ、指定の臨時駐車場に停車した。

「まさか!?」

約束を破る事だけは無い人物だと思っていただけに、怒りと失望が胸に湧く。
だが、すぐにそれは誤解だと。そして、これが更なる絶望への前奏曲である事に気付いてしまった。

「へっへ〜ん、枝織の勝ち〜!」

「ちょ、チョっと待った〜! 
 今の無し。やり直りを要求するわ。ズッコイわよ、信号でリードを広げるなんて!」

「そんなの、ルールを確認しなかったミーさんが悪いんだよ。
 それじゃ約束通り、駅前のお店にあった特大ジャンボパフェ、よろしくね♪」

「とほほほほ〜っ」

黒髪の美女と連れ立ってやってくる、外見よりも幼い仕草で語る赤毛の娘。
その顔は、神楽崎先生が良く知っている人物に良く似ていた。

ひょっとしたら、北斗先生が女装しているのでは?
一瞬、現実逃避気味にそう疑ってみた。
だが、遠目にも判るその見事なプロポーションには、そんな言掛りをつける余地が無い。

改めて絶望する。
そう、魔界からの使者は二人居たのだ。



ファイル@ 相田ケンスケの場合(中間テストの成績:中の下/苦手科目:特に無し/備考:典型的なヤマ師で、当った時の成績は中の上)

「今回は、あまり良くなかったと言いますか。
 正直、成績にバラつきが多いですね。もう少し、身を入れて勉強する様に………」

取り敢えず、外見は可愛らしいし愛想も良さげだから、北斗先生よりは摩擦が少ない筈。
そんな風に無理矢理自分を納得させ、三者面談を開始する。
生徒の方は曰く付きだが、親御さんの方はまともだった事が幸いし、これは比較的簡単に終った。



ファイルA 綾波レイの場合(中間テストの成績:上の中/苦手科目:国語/備考:理系は完璧だが、文系は平均並)

「で、どうですか、レイの調子は?」

「文系がやや苦手みたいですけど、これは理系と比較してであって、さほど気にする必要はないですね。
 正直申し上げて、昨年までの彼女は、協調性に欠けると言いますか、少々問題のある行動が多かったのですが、今年に入ってからは、そうした事も減りまして………」

レイの保護者だという、彼女とは似ても似つかない軽い感じの美女に、その成績と近況を語る。

「(ハハハッ)こりゃまた耳が痛いつ〜か。いやもう、カヲリちゃんには感謝しなきゃ〜ね」

まったくです!
ミサトの韜晦に、胸中でそう毒づく神楽坂先生。
保護者とは名ばかりだろうと思ってはいたが、その実態は予想以上。
此処までの会話で判断する限り、目の前の女性に、まともな躾が出来るとは思えない。
それ所か、当人の責任能力さえ怪しいもの………
あれ? そう言えば彼女、どこかで見たような気が、

   ガヤ、ガヤ、ガヤ………

気が付けば、教室の外にはギャラリーが集まっていた。
と、同時に、目の前に居る美女の職業を思い出す。
そう。彼女は今、巷を賑わせている有名人。悪名高き、ネルフの作戦部長だった。

「は〜い、並んで並んで。あっ、ソコのキミ。横入りはダメよン」

その後、上機嫌でサインに応じるミサトの後ろ姿を見詰めながら、『世も末ね』と、思わずカトリックの信者にあるまじき感想を持ってしまう神楽坂先生だった。



ファイルB 碇シンジの場合(中間テストの成績:中の上/苦手科目:生物/備考:転校前の成績は中の中)

「………という訳で、(不思議な事に)彼の学力は順調に伸びています」

どこぞのメイド娘とは違い、巧みに本心を隠しつつ、神楽坂先生はシンジの成績について語った。

「わ〜あ。やったねシーちゃん!
 そじゃあ胴上げしようよ胴上げ。それ、ワッショイ、ワッショイ!」

「はあ………有難う………御座います」

好成績を喜ぶ枝織の手によって、お手玉風に宙を舞うシンジを見ながら改めて確信する。
予想通り、北斗先生の妹(?)は、見た目通りの人間では無いと。

そして、心底疑問に思う。
劣悪な家庭環境で暮らしているにも関わらず、何故に彼の学力は向上しているのかを。

蛇足だが、もしも神楽坂先生が、シンジのプロフィールを総て手に入れる事が出来ていたなら、大いに納得していた事であろう
実は彼、両親共に高名な科学者と、何気にサラブレッドな家系の生まれ。
おまけに、今や怠惰とは無縁の生活を送っているのだ。
相対的な勉強時間こそ多少減ったが、比較対象となる成績をとっていた頃とは、その密度がまるで違う。
成績アップは、まず当然の結果だろう。

「その………あんまり怒らないであげて下さいね。
 なんと言うか、半分は僕の所為みたいなものですし」

「大丈夫、大丈夫!
 『ワンパクでも良い、逞しく育って欲しい』ってのが、影護家の家訓だから』

「(ハハッ)初めて聞きましたよ、そんなの。
 それに、零夜さんには別の意見がありそうですし」

元気一杯な赤毛の娘とは対照的に、力無く笑うシンジ。
その姿を見た時、思考を彷徨わせていた神楽崎先生は、漸く我に帰った。
己の頬を叩き、気合を入れ直す。
そう。優等生なシンジは、所詮オードブルに過ぎない。
本番はこれから。気を抜いている余裕など無いのだ。



ファイルC 鈴原トウジの場合(中間テストの成績:学年で下から4番目/苦手科目:勉強全般/備考:今回は赤点5つ)

「はっきり申しあげて、かなり拙いですね。
 元々、あまり成績が良いほうでは無かったですが、今回は突出して悪化しています」

決死の覚悟を固め、正直にトウジの成績を告げる神楽坂先生。
だが、相手の返答は予想外なものだった。

「な〜んだ。まだ、下に3人も居るんだ。
 良かったねスーちゃん。シーちゃんが散々脅かすもんだから、枝織ってば心配してたんだよ」

「「って、違〜〜〜う!」」

思わずハモってツッコミを入れる神楽坂先生とトウジ。

此処で、彼の名誉の為に、多少のフォローをさせて頂こう。
以前のトウジの成績は下の中。
赤点も、取るか取らないかの微妙なラインを行き来するという、キャラクター的に割とありがちなレベルだった。

それが、何故ここまで悪化したのか?
まずは、第3話で彼が初登場したシーンを思い出して頂きたい。
そう。この時点で二週間。更に第4話で、ゴールデンウィークを挟んだとは言え、もう二週間、学校を休んでいる。
後者については、北斗の肝煎りにて特別授業を受けていた事になっているので、出席日数が足りないという事にはなっていないが、合計四週間ものブランクがあるのだ。
これでは、成績が落ちない方が不自然だろう。

「………言い方を変えましょう。
 このまま、期末でも赤点を三つ以上取った場合、彼は落第する事になります」

「ええっ! 駄目だよそんなの!」

やれやれ、やっと理解したみたいね。
驚愕する枝織の姿に、安堵の溜息を吐く神楽坂先生。
だが、彼女の認識は、まだ甘かった。

「せや! わし、シンジやケンスケを先輩なんて呼ぶんは、死んでもイヤやで!」

「良かった〜!   スーちゃんにその覚悟があるなら大丈夫だね」

「へっ?」

「安心して。落第なんてしたら、零ちゃんがスーちゃんを生かしておかないだろうから、シーちゃん達を先輩って呼ぶ事は『絶対に』無いよ」

「「って、なんじゃそりゃ〜!!」」

そんなこんなで、三者面談初日が終了。心配された父兄親睦会も無事に終った。

「………私ったら、なんて汚い言葉使いを。ミッション系女子高の出身者なのに」

だが、その幸運の代償に、一人、痛恨のダメージを負った神楽坂先生だった。



神楽坂先生の三者面談 第二日目。

「さてと。いよいよ次ね」

タ行とナ行は恙無く終了し、三者面談も後半戦に突入。
暫しの休憩を挟んだ後、最難関と思われるアレに先立ち、常々、親御さんの顔が見たいと思っていた、ハ行のトップ、カヲリの番となる。
無論、これは悪い意味では無い。
あの独特のテンポに馴染めず、彼女を煙たく思っている教師も何人か居るが、神楽坂先生は全面肯定派。
どこか、女子高時代の憧れのお姉さまに似た雰囲気を持つ彼女に、親近感さえ持っていた。
だが、それは幻想に過ぎなかった。

   バラ、バラ、バラ、バラ………

突如、外から聞えてくる異音。
何事かと、窓の外を見ると、

「(カシャ、カシャ)スゲエ! 嘗て米陸軍で正式採用されていた兵員輸送ヘリ UH-60ブラックホークじゃないか!
 去年の暮れに何機か民間に払い下げられたと聞いてはいたが、まさかこんな所でお目に掛かれるなんて。
 マーベリック社会長の乗機ともなればレア物だろうと思って張っていけど、これは完全に予想外。嬉しい誤算とはこの事だね!」

そこには、降下して来る大型のヘリコプターと、臨時の駐車場を一望出来る位置に陣取り、薀蓄を語りながら喜々としてシャターをきるケンスケの姿が。

「あ…あれが、ハーテッドさんの御家族………」

悠然と此方に向かってくる初老の紳士と、それに付き従うメイド服の女性達を見ながら、カヲリが、思っていたよりもずっと遠い人間だという事を痛感する神楽坂先生だった。



ファイルD カヲリ=ファー=ハーテッドの場合(中間テストの成績:学年次席/苦手科目:特に無し/備考:家業を手伝っているとかで、割と学校を休みがち)

「………という訳で、本校での成績は、常にトップクラス。
 2月の全国模試でも、上位に食い込む好成績でした。
 正直申し上げて、学力面については言う事がありません」

「(フッ)当然だ」

凄い。言い切っちゃたわ、この人。
背後にメイド達を傅けた老紳士を前に、思わず胸中でそう呟く。
だが、本音をそのまま口にしている事が良く判る態度である所為か、あまり不快な感じはしない。
実際、彼の自慢の孫娘は、自信を持って然るべき実績を上げている。
おまけに、彼等の故郷である欧州では、謙遜を美徳としないと言うし。

「彼女でしたら、どこの高校に進んでも通用するかと。ですから、此処は地元に拘らず、もっと上の………」

そんな相手の態度から、遠慮は無用とばかりに、韜晦する事無く、大学受験に有利な高校への進学を勧める神楽坂先生。
だが、老紳士の返答は予想外なものだった。

「必要ないな」

「はい?」

「カヲリは既に、我が社の主席秘書。
 中学卒業と同時に、ウチへ正式入社するに決まっておる!」

「え…え〜と」

混乱する神楽坂先生。
無理もない。学歴社会に慣れた彼女には理解不能な理屈(?)だろう。
と、此処で、それまで事態を静観していたカヲリが、素早く後ろのメイド達にサインを送る。
それに応え、彼女達の一人が。もっとも小柄な娘が、座った体勢の老紳士を椅子ごと抱え上げた。

「こ…こら、何をするお前達。
 え〜い、放さんか! わしの話はまだ終って………」

   ガラッ、カツカツカツ………

「すみません。お爺様には、後で良く言って聞かせますので、取り敢えず、地元の公立校に進学志望としておいて下さい。
 先程の話は、聞かなかった事にして欲しいってことね」

「そ…そう」

彼等の退室を確認した後、何時も通りの笑顔で進路志望を述べたカヲリに、力無く頷く神楽坂だった。



ファイルE 日暮ラナの場合(中間テストの成績:学年主席/苦手科目:北斗の授業/備考:授業態度がアレなので、内申書の方は今一つ)

ついに、この三者面談のメインイベンターとも言うべき人物の登場である。
でも、大丈夫。既に外堀は埋めてある。
心配された枝織の再来襲も、昨日、泣いて頼んだ御蔭で別の人が。
紫苑零夜と名乗る、童顔ながらも落ち着いた物腰の女性が来てくれている。

「という訳で、学力の方は申し分ないのですが、何分にも普段の授業態度が………」

ついつい漏れる此方の愚痴にも、気分を害す事無く、親身になって聞いてくれている。
そんな事もあって、終盤に差し掛かる頃には大分打ち解けていたのだが、

「働いたら〜、負けだと〜、思ってる」

と、ラナが地元高校への進学理由について答えた時、その雰囲気が一変。

「すみませんが、5分程お時間を頂けませんか?」

笑顔のままでありながら有無を言わせぬその迫力に、反射的に頷く神楽坂先生。
一言礼を言った後、零夜はラナを引き摺って廊下へ。
その後、絶え間なく風切り音が。時折、それに混じって鈍い金属音もしたが、当然、そんな異音なんて聞かなかった事にする。

「己を磨く為。社会に貢献出来る人間となる為。進学し、勉学に勤しみたいと思います〜」

かくて五分後。漫画の様なタンコブを作った頭を深々と下げつつ、絶対に本心とは思えないセリフを吐くラナの姿を見て確信する。

「ちゃんと見切ったつもりだったのに。
 だいぶ身体が鈍っているみたいね。平和ボケかしら?」

その隣りで、ソーイングセットを取り出し、スーツのチョッピリ破れた部分を繕っているこの女性こそ、
昨日、北斗先生の妹から散々逸話を聞かされた、あの『零ちゃん』なのだと。

その後も、何人かの生徒と面談したが、あまり良く覚えていない。
ハングアップを起こした頭が、物事の理解を拒んでいた。
何故か、気丈にも2Aを纏めている洞木さんが、真っ青な顔をして、
『あの人が鈴原のお弁当を………』とか『一つ屋根の下に、あんな美人が二人も………』
といった意味不明な事を呟いていた様な気もするが、多分、気の所為だろう。

漸く再起動を果した頃には、既に父兄懇談会が始まっていた。
控えめな態度で如才なく振る舞う零夜は、生徒のお父さん達(何故か、2Aの生徒の殆どが、幼くして母親を亡くしていた)の人気者だった。

幸せな事なのね、『知らない』って言うのは。
知恵の実の齧ってしまったアダムとイブの罪を再認識する神楽坂先生だった。



神楽坂先生の三者面談 第三日目。

ファイルF 山岸マユミの場合(中間テストの成績:学年9位/苦手科目:物理/備考:……………

「お姉さまの進路はどこですか!?」

峠は越えたとばかりに油断していた所へ、いきなり首根っこを掴まれて揺すられ、前後不覚となる。
だが、マユミはそんな彼女の状態など一顧だにせず、

「私が何度尋ねても。『まだ秘密ってことね』とおっしゃって、教えてくれなかったんです!
 でも、先生なら知ってるんでしょう!? お願いです、教え下さい!」

………備考:2A最大の問題児。

これが、神楽坂先生の脳裏に浮かんだ最後の言葉だった。

こうして、第一中学校の三者面談は無事(?)終了した。




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