>SYSOP

時に、2015年7月2日。
芍薬にてバーベキューパーティーが開かれていた頃、ネルフの一般職員もまた、記念すべき初勝利に沸きに沸いていた。

「一番、岩田! ショットガンいきます!(カシュ、ゴブゴブゴブ………)

350rのビール缶の底部分に小さな穴を空け、プルトップを上げると同時に、その穴から一気飲みに。

「5秒? かかりすぎだぞ!」

(やり直しや、やり直し)

「おっかっわっりいきま〜す!(カシュ、ゴブゴブゴブ………)

一部の者に至っては、酒場に繰り出すのもどかしいとばかりに、施設の屋上にて臨時の宴会場を作り上げている。
勿論、これは職務規定違反なのだが、今日ばかりはそれを咎める者などいない。
現在ネルフは、さながらタイ○ースの優勝が決まった夜の道○堀の様な活気に満ちていた。

「いや〜、しっかっし目出てえな、おい」

ツンツンヘアに軽いノリ。 一昔前の。80年代の熱血系と90年代後半の鬱系の狭間にあたるネアカ系主人公が、そのまま成長した様な男。
整備班の先輩職員Aこと岩田ノリクニが歓声を上げてる。
普段から、ど〜でも良い事で大騒ぎする傾向のある彼だが、今日ばかりは決して大袈裟ではないだろう。

「いや、まったくだ」

どこか某会長に似た容姿の。
『昔はロンゲでした』といった感じに、髪を肩の上で切り揃えた男。
整備班の先輩職員Bこと渡辺トオルがそれに応える。

(モグモグモグ)

その隣りで、七三の髪型に中年太りな体型と、いかにも30代後半から40代前半の中間管理職風の容姿ながら、その実、前述の二人と同じ歳の26歳な男。
住吉ダイマルが、黙々と購買部から仕入れてきた御惣菜のかき込んでいる。

そんな宴の中、最初のカンパイの際に注がれたグラスに形だけ口をつけた体制のまま、斎藤が居心地悪そうに座ってる。
そう。いつぞやのミサトが起した事故の一件以来、彼は、この整備班名物三人組に付き合わされる事が多かった。
只、どうにもカラーが違うと言うか、イマイチ輪の中に溶け込めてはいない。
例えるなら、オタス○マンのゲ○ガスキーといった所だろうか?

「ん〜、どうした斎藤? 全然飲んでないじゃないか?」

「あの。何度も言う様ですが、俺はもう、キッパリと酒は止めたんです」

「おお〜! そうだった! そうだった! 
 何だか知らないが、以前それでエライ失敗をしたんだってな」

その受け答えも、どこか線を引いている様に感じられる。
だが、そんな雰囲気を無視し、

「それにしたって元気が無いぞ!
 財布でも落っことしたのか? 実家が火事にでもあったか?
 いや、まてよ………ズバリ、付き合っていた彼女にフラれたのか?」

斎藤にヘッドロックを仕掛けつつ、岩田はバカ笑いを上げながらそう尋ねた。
無論、酒の勢いもあるのだが、彼は普段から概ねこんなノリである。

「馬鹿、それじゃ喋りたくても喋れないだろうが」

(それ以前に、良くまあそないな事を躊躇いもなく訊けるもんやな)

窘める渡辺と住吉。
だが、岩田は悪びれる事無く、

「だってよ〜、この目出度い日に辛気臭い顔をするネタってのが他に思いつかなかったんだよ」

(わしは『笑い事と違うやろ?』という意味で言いたかったやが………まあエエわ)

そんな先輩達のやりとりを脇の下から聞きながら、心が温かくなるのを感じる斎藤。
だが、だからこそ言えない。まさか自分が………

   チャチャチャ、チャーチャチャ、チャチャチャ、チャーチャチャ、チャーチャチャチャー

丁度その時、携帯から出番を知らせる某音速男爵主題歌のメロディが。
急用が入った事を先輩達に伝えると共に、場をシラケさせた事を丁重に謝罪した後、直ちに現場へと向かう。
そう。この瞬間から、彼は品法公正な整備員、斎藤タダシでは無いのだ。



「行っちまったな」

「ああ」

斎藤が出て行ったドアを眺めながら、それまでのノリが嘘だったかの様な沈んだ口調で語る岩田と渡辺。
当然ながら、これには『後輩が宴席から抜けた事が寂しい』という以上の理由がある。

アイツは、友人も作らず遊びもせず、しょっちゅう辛気臭い顔をしている。
このままではイケナイ。仮にも命の恩人を放っておけるか。
岩田のこの決意に、同じく恩のある渡辺が賛同。
かくて、ツレの一人である住吉を交え、斎藤を自分達の仲間に加える計画が持ち上がった。
だが、その成果は、はかばかしくなかった。

既に何度か飲みに連れ出しているのだが、実を言うと、これがチョッと気拙い。
斎藤は、アルコールを形程度にしか口をつけないし、食う方も到って小食で、自分達の半分も食べない。
その所為か、割り勘だと、どうにも後輩にタカっている気分になってしまうのだ。
かと言って、宴会をやるのにそれぞれ別会計というのも興醒めな気がするし。

それならば遊戯と、ボーリングに誘った時は更に酷かった。
薄着の私服を。作業着以外の姿は始めて見たのだが、何かスポーツをやっていたらしく、斎藤は、えらく引き締まった身体付きをしていた。
これはまあ良い。命を救われた経緯から、なんとなく予測していた事でしかない。
だが、何の気無しに投げたボールが総てストライク。
アッサリとパーフェクトを出された時には、本気でリアクションに困ったものだ。

極めつけは、最初に斎藤の部屋に押しかけた時。あの驚きは、今もって忘れ難いモノがある。
TVも無い。ラジオも無い。およそ家具と呼べそうなものは、備え付けのクローゼットとベッドだけ。
職員寮ゆえ、自分達が住む部屋と同じ8畳一間のワンルームの筈なのに、寂寥感さえ感じる程の広々スペース。そのあまりの殺風景ぶりに絶句したものだ。

そして、今回の初勝利をネタにしての目論見もまた、見事空振りに終ったという訳である。

「やっぱ、生活切り詰めなきゃなんない様なワケでもアンのかな?」

「そんな所だろうな。夜勤や残業の申請がやたら多いし、おまけに、時々いきなり半日有給とか取って、さっきみたいにフラっと行き先も告げずに出掛けるし。
 アレって多分、誰かを見舞いにでも行っているんじゃないか?」

滅多に見られないシリアスモードな二人。
だが、第三の男、住吉の見解は、岩田と渡辺のそれとは別なものだった。

(いや、多分違うと思うで。少なくとも、金に困っている訳やなさそうや)

「何でそんな事が判るんだ?」

(貰うた給料、口座に入れっぱなしで碌に引出していないからや。
 アイツには各種資格手当も付いとるよって、研修期間を入れても入社半年足らずのモンとは思えんくらい纏まった額が入ってたで)

それが事実ならば、確かに生活困窮説は破綻する。
とは言え、それではあんな生活をおくっている理由が判らなくなってしまう。俄かには信じ難い話だ。

「………どうしてアイツの口座残高が判るん?」

思わずそう尋ねる岩田。
返ってきた答えは、少々グレーなものだった。

(こないだアイツんちに行った時、ゴミ箱にATMの明細が無造作に捨ててあったからや。
 引き出してから、まだ一週間。前後の状況から考えて、多分そのまま残ってると思うで)

「怖ええ事をサラッと言うなよ」

友人の犯罪紛いの行為に呆れつつ突っ込む渡辺。
だが、これで住吉の言が正しい事が証明された。

(いずれにしても、余程の理由が無ければ出来る事やない。正味の話、わしは、この件には踏み込むべきやないと思うで)

「どうして?」

(問題が金やったら、わしかてカンパを募るんに一肌脱ぐくらいはしてもええ。
 だが、事はそんな単純なモンやないらしい。だから、此処は知らん振りしとくべきやで。
 相手がアイツじゃ、下手に突いてみたかて、余計な気遣いをさせるだけやし)

「「う〜ん」」

後輩の事を案じて物思う先輩達。
その頃、地上のとある商店街では、

「天網恢恢租にして洩らさず。
 たとえどれほど巧妙に隠そうとも、犯した罪は、何時か白日の下に晒される。
 悪党に下される大いなる裁き。人、それを天罰と言う」

「誰だ!」

「お前達に名乗る名前は無い!」

どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている正義の味方マッハ・バロンが、愚かにも金田先生が経営する駄菓子屋に押し入った強盗達と対決していた。







オ チ コ ボ レ の 世 迷 言

第10話 メンタルダイバー







「あ〜らら、コリャ酷いね」

同時刻。初勝利に沸く深夜の弟三新東京市から、地球を約半周した昼日中に地にて。
アスカからの祝勝会への誘いを謝辞した加持は、出張先である、表向きは某製薬工場だった秘密研究所のなれの果てを前に嘆息していた。
何でも、一週間程前に。丁度、彼女の保護者が二日程出張している時に、謎の襲撃を受けたらしい。
ちなみに、半年程前より始まった、この手のテロは、既に7件目。
謎の妨害工作も含めたら、もう三桁を超える件数にのぼっている。
にも拘らず、いまだ実行犯はおろか敵対組織の目星さえ付いていなかった。
証拠無し、殉職者0、損害だけが極めて甚大と、ハッキリ言って完全に手玉に取られている状態。
世界の王たるゼーレの支配体制を揺るがしかねない、由々しき事態である。
まあ。多重スパイの身としては、治よりも乱の方が都合が良い故、ある意味、願ったりな展開なのだが。

そんな不謹慎な事をつらつら考えた後、廃墟と化しているそれを丹念に検分しつつ、加持はゆっくりと歩を進めた。
こうしたデータを取る担当者は別に居るし、此処に来るまでの移動中に、その概略は書面にて確認しているが、これも性分。
自分の目で確認したものしか信じない。スパイの鉄則であり、云わば職業病である。

「(コンコン)こんちゃ〜す、フォックスです」

一通りそれを終えた後、辛うじて倒壊を免れている建物へ。
ノックと共にゼーレにおける己のコードネームを告げ、とある一室にて謹慎中の職員達と接触。
そのまま加持は、今回の任務である事情聴取を始めた。

最初に行なった警備員達のそれは、報告書にあった物とさして変わらず。
襲撃が一段落すると同時に、ほとんどの者が何処かへ逃げだし頭数が居なかったので、極めて簡潔に終了。
次に行なった研究員達の証言は、もう只の愚痴。
此方の警備体制の甘さを声高に論う様なんて、癇癪を起したガキそのものだった。
しかも、それが団体さん。正直、おもいっきり辟易したが、数時間後これも無事終了。
口々に文句を垂れ流す研究員達を宥めすかしつつ、用意したチャーター機へ案内する。
その途中、代表者から、謎の襲撃の難を逃れ、何とか回収出来たデータ類が収められたDVDを受け取って任務完了である。

「ア〜メン」

飛び立っていくチャーター機を見送りながら、柄にも無く祈りの文句を。
『どうせ地獄行きだろうけど』と思いつつも、なけなしの信仰心を総動員して、その冥福を祈る。
と言うのも、折角、『居合わせた職員全員がテロの脅威から生き残った』と言うのに、彼等はこれから、『飛行機事故で』お亡くなりになるからだ。

不幸な事故に胸が痛む。 ついでに、こうした機密保持を兼ねた粛清と言う名の災難を恐れ、今の職場に見切りを付けて逃亡した警備員達の無事も祈っておく。
何せ、明日は我が身。上手く幸福な第二の人生を送って欲しいと願わずには居られない加持だった。



  〜 三日後。芍薬101号室、影護邸 〜 

『(プワ〜ン、プワ〜ン、プワプワプワン)ヤ○チャ×ジャッキー○ュン』

その日の午前7時。何時も通り、枝織ちゃんお気に入りの朝の再放送アニメが始まった。
内容はといえば、前々回辺りから天○一武道会編に入り、サブタイトルがそれっぽい演出に変わっている。

「何時か、わしも、あない風に戦う日がくるんやろか?」

後に、北斗よりも強くなるにも関わらず(一応、最終戦闘力は、Z序盤の簡単に月を消滅させたり出来るピッ○ロさんよりも強いらしい)
ヘタレの代名詞として扱われる事になる画面内の男を眺めながら、トウジがポツリと呟いた。
単に、いまだ実戦を経験が無いからこそ出た、何の気の無い一言である。
だが、これが最初のきっかけだった。

「スーちゃん、ああいうのをやってみたいの?」

振り返った枝織が、トウジにそう尋ねた。
先程のセリフに興味すら覚えなかったらしく、黙殺してTV観賞を続けている彼の妹とは対照的に、その顔は期待に満ちている。
『こりゃヤバイ』と直感し、隣りのシンジにフォローを求める。
だが、彼の親友もまた対処法が思いつかなかったらしく、わざとらしくペンペンと朝食について語ったりして、他人のフリを決め込んでいる。

「止めておきなさい」

そんな四面楚歌なトウジを救う制止の声が。

「過保護なまでに安全性が考慮されている地球の武道大会なら兎も角、木連にて行なわれるそれは、死者が出る事さえ珍しくもない実戦に則したもの。
 あきらかに格下な相手といえども、手加減してくれる様な甘い出場者なんて一人も居ないわよ」

トウジをそう諭した後、『メッでしょ』といった顔を枝織に向ける零夜。
後ろに寝起きでリビングデッド状態のミサトを伴っている所為か、何時もの有無を言わせない迫力に欠けているが、それでも最も頼もしい援軍である事に変わりは無い。

「でも〜、このままだとスーちゃん、シーちゃんに絶対勝てなくなっちゃうよ〜」

窘められてシュンとなりながらも反論する。
枝織としては、二人には、このまま良いライバル関係でいて欲しいのだ。
アキトが失踪してからの、北斗の寂寥感を良く知るが故に。
死力を尽くしての仕合によるものならまだしも、片方が実力不足で脱落など、彼女的には絶対に許せない結末である。

「(フルフル)心配なのは、寧ろシンジの方なのよ、枝織ちゃん」

その言に首を振りつつ、零夜は更に言い募り、

「(ハア〜)まったく、北ちゃんは一体どういうつもりなのかしら?
 目前の敵に勝たせる為とはいえ、あんな無茶な教え方をして。もしもシンジの拳が、今の様な歪な形で固まってしまったらと思うと………」

ついには、溜息など吐きつつ愚痴モードに。
どうも、彼女もまた現状に不満を抱いているらしい。

「勝たせる為………か」

そんな二人のやりとりを眺めながら口の中だけでそう呟くトウジ。
確かに、ミサトとの対決といい、先の弟7使徒戦といい、毎回、シンジには明確な敵が居た。
ならば、それに勝つ為の技が授けられるのは当然の事だし、また、結果として実力に差が付いていくのも自然な成り行きだろう。
これを埋める為、更に頑張ろう。少なくとも、この時点では、そう思う彼だった。

   ピンポ〜ン

「あっ、わしが出ます」

普段はシンジの役所である来客(主にミサト)の応対を買って出たのも、そうした心理状態故の事だった。
だが、結果から言えば、これは最悪の選択………とゆ〜か、あまりにもツイていなかった。

   キャ〜ッ! (バキッ)
               ギャ〜ッ!

玄関口に立っていたのは、碧眼にチョッと長めの栗色の髪ながら、どこか巫女の様な雰囲気を漂わせた美女。
木連でも有名な潔癖症の代表、月臣 京子(旧姓、天津)だったのだ。合掌。(チ〜ン)



「(ズズ〜)で、また元一朗を後ろから刺してきたのか?」

涙ながらに夫の非道を訴える京子に、番茶を啜りながらつまらなそうに相槌を打つ北斗。
実際、約一年前のマリッジブルーを皮切りに、この手の事は良くある話だけに、彼的には全く面白くない。

「いえ。(グスッ)あの人を誑かす姦婦めを成敗しようとしたのですが、(グスッ)武運拙く返り討ちにあってしまって。(グスッ)私、もうどうしたら良いのか判らなくて………」

「まあ、碌に心得も無いお前じゃ仕方あるまい」

厳かにそう言った後、

「(コホン)その…なんだ。俺は、これから仕事なんで出かけるが、心の整理が付くまで、ゆっくりしていけ」

後始末を零夜に押し付けつつ、逃亡を図る北斗。
教師生活早三ヶ月。既に世渡りというものを身に付けつつある彼だった。

「………チョッと良いですかセンセ?」

北斗に便乗して席を立った後、学校までの道すがら、トウジは胸中の疑問をぶつけた。

「何だ?」

「あの別嬪さんは、零夜はんみたく強うは無いんですか?」

「ああ。アレの特技は、爆発物の取り扱いと重火器の制御。
 勝負度胸は中々のものだが、武術に関しては素人同然。白兵戦に限定するならば優華で最弱だと思うぞ」

わし、そないな相手にボロ負けしてしもうたんかいな。
決意も新たにした矢先の事だっただけに、その返答に落ち込むトウジ。
無論、前述の『最弱』には、『特殊部隊の隊員としては』という枕言葉が付いていたのだが、カンの鈍い彼に、そんな事が判る筈が無い。
とは言え、これを北斗の説明不足とするのも些か酷だろう。
いずれにせよ、これが第二のきっかけだった。



止めの一打ちは、放課後に行なわれた散打(実戦形式の組手のこと)だった。
VSシンジ戦、敗北。対戦成績は、これで3連敗の7勝12敗。
些か負けが込んできているが、これは仕方ない。
ライバルは再び実戦を経験し、また一歩、新たな階梯を昇っている。
今日の敗北は、半ば覚悟していた事だ。

問題なのは、次のVSペンペン戦。
あの永遠なる遠水に見事成功してからの初対戦。それもあって、決して侮っていた訳では無い。
だが、結果は敗北。
繰り出した下段への崩拳をヘッドスリップ(?)で避けられ、踏み込んだ右足を踏み台に、水月に蹴りを放つと同時に顎へのヘッドバット。
ペンペンの必殺技『飛鳥拳』を綺麗に貰ってしまいKO負け。
対戦成績を2勝1敗にされてしまった。

バケツで水を掛けられ、目を覚ます。
暫し呆然とした後、弟弟子(?)に喫した初敗北を実感。それと同時に彼の心が折れる。

「わし、やっぱ才能無いんやろか?」

かくて、ションボリとした雰囲気を漂わせたトウジの口から、らしからぬ弱音が洩らされた。
慰めようとするシンジ&ペンペン。
だが、そんな言葉など、傷付いた彼の心に届きはしない。そう、勝者が敗者に掛ける言葉など無いのだ。

「(クックックッ)随分と面白い事をぬかしたな」

さも可笑しそうに笑い声を上げる北斗。
此処で、トウジは己の失言の意味に気付いた。
先程のそれは、彼の弟子にあるまじき発言。これはもう、自分で自分の死刑執行書にサインした様なものである。
凍りつく二人と一羽。そして、粛々と覚悟を決め『敵わぬまでも』と三様のファイティングポーズを。

「馬鹿な真似を。俺は『勝てないと思ったら状況を変えろ』と教えた筈だぞ。
 まあ良い。トウジ、これから『勝つ為の手段』を教えてやるから耳を貸せ」

だが、意外にも、彼等の師匠は怒ってなどいなかった。
口では御説教めいた事を言いつつも、どこか弟子達の反応を喜んでいる様子でトウジに手招き。
そして、恐る恐る傍によった彼に、何事か耳打ちした。

「えっ? そんなんでイイんでっか?」

「ああ。今のシンジには効果覿面だ」

そんなやりとりの後、急遽、再び行なわれるトウジVSシンジ戦。

困惑するシンジ。彼的には、これは逆効果だと思う。
実を言うと、先の使徒戦で身に付けた技の効果もあって、もはや親友の繰り出す攻撃のタイミングは完璧に把握している。
故に、現状では、何回戦っても負ける気がしないのだ。
かと言って、ワザと負ける様な真似を北斗が許す筈が無い。どうしたものか?

「どりゃあ!」

と、胸中で打開策を検討したシンジに、トウジの崩拳が打ち込まれた。
これを左にステップしてかわし、返しの左正拳にカウンターを合わせる。
そのダメージによって生じた隙に、打ち合いを避けて一旦離脱。
基本的に、親友との散打は、これの繰り返しになる。
もしも、これがボクシングのルールであれば、相手の攻撃を誘う必要さえない。
アウトレンジからジャブを打っているだけで良い。
それだけで、審判が買収でもされていない限りフルマークで勝てる。
現状では、戦闘技術にそれくらい差があった。

だが、そうした慢心こそが、北斗に助言されたトウジの狙い目。
3回目の激突の際に繰り出された技は、ステップインと同時の攻撃ではなかった。
相手の攻撃を払う為に突き出してた右手。シンジ独特の構えを狙っての開胯(相手のガードを下から押し上げて崩す技)だったのだ。
データに無い動きに面食らいつつも、バックステップでそれを避けるシンジ。
トウジが、更なるステップインで追いすがる。
中間距離。丁度、崩拳を繰り出すのに絶好の間合いに。
次の瞬間の更なる鋭い踏み込みに、シンジは『来る』と予測する。 これが致命的な読み間違い。迎え撃つ体勢になっていた為、そのまま肉迫を許す事に。
超近距離から放たれる左右のフック気味なショートパンチの嵐に防戦一方となる。
そして、堪らず距離を取ろうとした瞬間、裡門頂肘が。
連打によって足を止められていた所を狙われた為、左右にステップして避ける事も出来ず、
辛うじて後ろに飛びながらガードしたものの、その両手を弾き飛ばす威力の一撃を貰ってしまい、久しぶりのKO負けを喫した。



「トウジ、確かにお前に教えた技は少ない。突き、肘、払いの基礎技だけだ。
 だが、基礎とは使用頻度が高いからこその基礎。この三つだけでも充分戦闘は可能。
 そう。お前に足りないのは技の数じゃない。それを使いこなす為の頭だ」

シンジの治療を終えると、北斗は、二人に向かって先程の戦いについての講義を開始。
トウジの目前30p程の位置に、同じく30p前後の立方体を指で書いて見せた。

「お前の攻撃は、総て震脚を起点に始まる。しかも、この範囲内でなければ有効打とはならない。
 つまり、いたって読み易いという訳だ。従って、この範囲内に敵を誘い込む為には、相応の駆け引きが要求される」

「さっきの『崩拳を見せ技にして、懐に潜り込んで殴りつけろ』ヤツでっか?」

目で返答を促され答えるトウジ。
北斗は、それに頷きつつ先を続ける。

「そうだ。お前ときたら、崩拳が形になってきたと思ったら、馬鹿の一つ覚えとばかりに考え無しにそればかり繰り出していたからな。
 アレじゃ技も何も無く、只振り回している方がナンボかマシだぞ。まあ、だからこそ先程は、恰好の撒き餌になった訳なんだが」

「はあ」

イマイチ判っていない様子のトウジ。
そんな彼により詳しく説明する為の継穂として、北斗はシンジに話を振った。

「シンジ、自分の敗因が判るか?」

「崩拳以外の技への警戒心が薄れていた事ですか?」

「それだけでは30点しかやれんな。
 正解は、先読みに頼り過ぎていた所為。お前は自分の技に溺れたが故に負けたんだ」

そう。先の特訓によって、シンジには、相手の挙動に合わせて動く癖が付いてしまっている。
つまり、トウジが震脚を踏み込んだ時点で、拳の位置や目線から、その攻撃コースが容易く予測出来るのだ。
例えるならば、ピッチャーの癖から球種を予測するベテランバッターと言ったところだろうか?
だが、それだけに意図とは別の球が。ストレートが来ると思った所へフォークが来ると、成す術も無く空振りするしか無い。
この辺が、彼を指して、零夜が『歪な拳』と称した由縁である。

「体術で劣るシンジが相手の時は引き付ける。
 逆に、懐に潜り込まれると厄介なペンペンが相手の時は突き放す。それが、お前が取るべき基本戦術だ」

恥じ入るシンジを優しげな瞳で一瞥した後、北斗は御説教を本題へ。トウジの問題点へと移した。

「シンジが相手の時は、近付いてくるまで待てっちゅう事ですか?
 でも、センセ。それやと、ナンも出来へんウチに負けてまいそうなんやけど?」

「確かに。無いも同然な今のお前の防御技術では、そうなる可能性は低くない。
 攻撃は最大の防御。兎に角、常に先手を取ろうという発想も、決して間違いでは無いだろう。
 だが、先手を取ることが必ず優位に繋がるかと言えば答えは否だ。
 攻撃中こそが、もっとも大きな隙が出来る瞬間だと教えただろう?
 手の内を読まれていたのでは、折角の先制攻撃も、致命的な隙を自ら生み出す行為でしかないぞ」

最後に、『少しは頭を使え』とトウジの頭を小突きながら言って、北斗の御説教は終了。
シンジが定期的な10mダッシュを織り込んだマラソン、トウジが馬式站鐘、ペンペンが羽立て伏せと、それぞれの武器を磨く為の基礎訓練に移った。



「(カタ、カタ、カタ)う〜ん。やっぱネックは得物の強度か〜」

そんな熱血青春ドラマを黙殺しつつ、すぐ横のベンチに腰掛けたアスカが、何やら猛烈な勢いでキータッチをしている。
その表情は険しい。どうやら上手く行っていない様だ。
データ入力を終え、再計算をさせる。

ちなみに、これは市販のパソコンに出来る様な生易しい物ではない。
実は、この彼女の膝上のノート・パソコン。
ナオがウリバタケに作らせたオーダーメイド品で、ドイツ支部のメインコンピュータであるパルタザールのレプリカとほぼ同等のスペックを誇っていたりするのだ。
その辺の裏事情に薄々感付いている(アスカとて、この辺素人ではない)だけに、瞬時に解答が返ってくるのが、かなり有り難い。
本部に行く理由が。取り分け、リツコに頭を下げる必要が無くなった事も合わせ、正に感謝感激アメアラレである。



「(カリ、カリ、カリ)う〜ん。やっぱネックはトウジ君のキャラ設定か〜」

更にその隣りのベンチでは、アマノ・イワト先生ことアマノ ヒカルが、スケッチブックに猛烈な勢いで鉛筆を走らせていた。
改めて、書き終えたばかりの数枚のデッサン画を確認する。
その表情は険しい。どうやら上手く行っていない様だ。

ちなみに、これは商業誌用のネタでは無い。
自費出版のオーダーメイド品。次のコスミケ用の同人誌で、現在連載中の『ときめき☆クッキング』とは180°方向性の異なる内容を誇っていたりするのだ。
此処は2015年。その辺の裏事情に薄々感付いている担当さん(この時期、本業をほったらかしにする作家は彼女だけではない)が絶対にやってこない事が、かなり有り難い。
前回、原稿を落とした事による一ヵ月分のタメも合わせ、執筆体勢は正に万全。
紫堂一曹監督の下、無理矢理二ヵ月分書かされた時は『鬼!悪魔!三白眼!』と内心不満タラタラだったが、今となっては感謝感激アメアラレである。

「お前は何をやっとるんだ?」

弟子達の指導が一段落した事もあって、北斗は背後で全く別の世界を構築している二人に。
まずは、アスカに誰何の声を掛けた。

「ん〜、新兵器のスマッシュホークのデータチェック」

画面から顔を上げずに、面倒臭そうに返答するアスカ。

「ネルフでやれば良いだろうが、そういう事は」

その態度にカチンと来たのか、北斗は『目障りだ』と言わんばかりの口様で追い出しに掛かる。
だが、アスカ的には、それが出来ない相談だからこそ此処に居るのだ。
画面上のデータを記録すると、顔を上げて激しく反論する。

「仕方ないでしょ。今、ネルフ行くと、リツコってばアタシのナイスバディを水脹れにしようとばかりに、
 無意味なまでに長時間に渡ってATフィールドのデータ取りをやらせるんだもん。
 ハッキリ言って経費の無駄。あんなマッドの自己満足なんかに付き合ってらんないわ」

「………まあ、それは良いとして。何故、此処でやる?」

「保安部から身を守るには、北斗先生の側が一番だからよ」

『先生』の部分にアクセントの付けられた返答に、言葉に詰らす北斗。正直、結構くやしい事態だ。
そう。実は、彼的市場におけるアスカ株の評価は甚だ低い。
何せ、普段から教師を教師とも思わない生意気な口を叩くし、前回の使徒戦中なんて、自分の留守中、シンジに無理難題を押し付けたりする始末。
内心、『なんて我侭な女だ』と思っていたりする。
とは言え、彼女もまた自分のクラスの生徒。保護を求められれば、それに応えない訳にもいかない。
苛立ちつつも一応納得し、矛先を次に向ける。

「それで、お前は何をやっとるんだ?」

「ん〜、新作のネタ出しとキャラデッサン」

スケッチブックから顔を上げずに、面倒臭そうに返答するヒカル。

「隠れ家でやれば良いだろうが、そういう事は」

その態度にカチンと来たのか、北斗は『目障りだ』と言わんばかりの口様で追い出しに掛かる。
だが、ヒカルとしては、格好のモデルが居るからこそ此処に居るのだ。
顔を上げると、先程から不満に思っていた事も合わせて激しく反論する。

「だって、だって。これってば、シンジ君の総受け本だし〜、此処ならモデルが目の前に居るし〜
 でもって、出来れば美味しいシチュエーションとかも期待して」

「美味しいシチュエーション?」

「そう! まあ、対戦中の熱っぽい見詰め合いだけでも結構参考になるんだけど〜
 できれば、もうチョッとアクティブでデンジャーなヤツが。具体的に言えば、絡み合って倒れ込むシーンとかが欲しいのよ。
 ついで言えば、北斗君にもアクションが欲しいわね。
 偉そうに説教するだけじゃなくて、もうチョッと、手取り足取り腰取りな密着した熱い指導があってもイイんじゃない?
 ってゆ〜か、折角の天然キャラなのに、最近、読者サービス足りな過ぎよ、キミ!」

此処ぞとばかりに、自説を力説するヒカル。
だが、北斗はそれに取り合わず、

「……………取り敢えず、コレは没収」

ガードどころか反応すら許さないスピードで、スケッチブックとコミニュケを取り上げた。
激しく抗議するが北斗に敵う筈が無く、虚しい抵抗も一喝され沈黙する事に。
そう。ヒカルのゲイジュツは、世間にあまり理解されていなかった。



そんな悲喜劇が起こっていた頃、2199年では、とある大事件が。
火星駐屯地近くの作業現場にて落盤事故発生。カントク以下、6人の作業員が生埋めに。
その一人は、碇ゲンドウ。機せずして彼は、全くの偶然から、火星到着以来最大のピンチに陥っていた。

「容態は?」

「止血は上手く行きましたし、脈拍も安定しています。後は………」

「此処を出てからか」

三人の部下の一人。元戦場カメラマンで、応急手当の心得のある赤城ケンゴの報告を受け、嘆息するゲンドウ。
洞窟内に閉じ込められて早三時間。
彼を庇って落石を浴びたカントクと黄島タケシ(同じく部下の一人)の介抱。
パニックを起した作業員Aを絞め落として気絶させ、その隣りへ寝かしつける。
自分達の居場所を外部に教えるべく、現在の集合場所以外の電源を落とす。
等々、時に的確に、時に非情とも言える決断を下し、閉じ込められた作業員達を何とか纏めてはいるが、それももう限界に近い。
肝心の空気が大分心許無くなってきているし、怪我を負った者の体力も尽きようとしているのだ。
瞬間、『自分以外の人間を殺したら、どのくらい空気が持つか?』と胸中で検討する。
結果はデメリットだらけ。こんな事を考える事自体、思考能力が減退している証拠と苦笑する。

そう。時間的に見て、そろそろ土砂の撤去作業が本格的に始まった頃。
向こうとの連絡が付けば、中からも頭数が居た方が助かる確率は高い。
ましてや、50近い歳の素人が、多かれ少なかれ負傷を負っているとは言え、3人の人間(6人中3人は意識不明中)をアッサリと殺せる筈が無いのだ。

「………う〜ん」

と、その時、比較的軽傷だったカントクが目を覚ました。
取り急ぎ、ゲンドウは現在の状況を説明。そして、現場の状態を総て把握しているであろう彼に、救出作業の見通しについて尋ねた。
だが、返ってきた答えは最悪なものだった。

「多分、間に合わんでよ。此処の地盤はユルイかんな。シャベルでホジっても、上から崩れてきてワヤだべや」

小声で囁かれた、その返答に戦慄する。
そんな硬直したゲンドウを尻目に、カントクは『何、心配いらんでよ』と言った後、痛む身体に鞭打って立ち上がると、土砂で埋まった部分をアチコチ擦り始め、

「え〜と。元の出口がコッチャで、多分、救出作業はアッチャからやるだべから………よっしゃ、大体判ったべ。
 お〜い、ゲンドウ。チョッくら手ェ貸してくんろ」

作業員達が固まっている場所から少し離れた位置に、彼を呼びつけた。

「これで良いのか?」

数分のレクチャーの後、言われた通り、ゲンドウは小柄なカントクを抱きかかえると、その身体を所々液状化している土壁へと向け、対衝撃姿勢を取った。
そして、これまた言われた通り、嫌な事を考えて気を重くする。
正直、馬鹿馬鹿しい限りだが、溺れる者は藁をも掴む。
他に方法が無い以上、良くは判らないが彼の指示に従わざるを得ない。

本音を言えば部下に押し付けたいのだが、カントク曰く『頼りにしてんど。ナンせ、この状況で冷静にネガティブなモン考えられんのは、おまんだけだでよ』との事。
確かに、そんな気もする。おまけに、実は自分の得意分野とも言える。
何しろ、この身は本物の絶望を知っているのだ。
亡き妻の事を考えるだけで、気分は何時でもどん底。わざわざネタを探すまでも無い。
そんなこんなで、ゲンドウが本格的に落ち込み出すと同時に、

「おっ、キタキタ。こりゃ〜また、えりゃ〜重い氣だんべ」

何故か、胸中のカントクの手が激しく発光。
反射的に誰何の声を掛けたくなったが、『兎に角『もうエエど』と言うまで嫌な事を考え続けてくんろ』との指示を思い出して堪える。
何か知らないが手応え有り。此処が勝負所とばかりに、目を瞑り運命のあの日の反芻に集中する。
それに合わせ、発光現象も更に勢いを増し、

「ん〜〜〜〜っ! 協力! 獅子咆哮弾!!」

   ドカ〜〜〜ン!

カントクの掛声と共に、突き出された両手から目に見えない何かが飛び出してゆき、指向性の高性能爆薬の如く、崩れかけていた土壁を堆積物もろとも吹っ飛ばした。

「んなアホな」

薄れゆく意識の中、思わずそうツッコむゲンドウだった。



   〜 五時間後、火星駐屯地の医務室 〜

「おっ。気付いたべか?」

目覚めると病室のベットの上。隣りには、カントクのカー○おじさんの様な顔があった。
どうやら、上手く虎口を脱したらしい。
気絶中、らしくも無く荒唐無稽な夢を見た様な気もするが、総ては命があっての事。まずは助かって何よりだ。

「気分はどうだべ?」

「問題ない」

「いや〜、おまんの御蔭で助かったべ。あんの技はよ、使い手が………」

「問題ない!」

何事か言おうとしたカントクの口を、ゲンドウは御得意のセリフで無理矢理封じた。
そう。奇跡の生還を遂げた者は、兎角その過程を誇張して語るもの。
そんな戯言に耳を傾けている暇など無い。
おまけに、良くは判らないが、ソレを聞いたら最後、自分のよって立つ常識が崩壊しそうな気がするし。

「(コホン)黄島達はどうなった?」

咳払いと共に、さりげなく話題転換しつつ、ゲンドウは聞きたい情報を尋ねた。
話の腰を折られながらも、気を悪くした風でもなく、何時も通りのニコニコ笑顔でそれに答えるカントク。
それによると、例の事故に巻き込まれた者は、無事全員救出済み。
最も重傷な黄島も、命に別状は無いらしい。
だが、本職の医師が一週間程前から一時不在(フィリスの後釜がまだ到着して居ない)の為、彼は地球の病院に移送されるとの事。
また、今回の事故の状況説明の為、カントクもまた一時地球に帰還するらしい。

「そんでな、おまんさえ良かったら、一緒に来てくんねえべか?
 黄島のヤツもよ、おまんが居れば何かと心強かだろうし。
 ああ。勿論、向こうに行ってる間も勤務扱いにスンし、特別手当も出してくれる様に言ってあんど」

胸中で、カントクの打診を吟味する。
正直、まずは金が欲しいだけに、特別手当ては魅力である。
そう。実は例の賭場、わりと好評を博してはいるのだが、あまり儲かってはいなかった。

イカサマの技術は無いが、鉄面皮と得意のハッタリで7割以上の勝率を誇る、元締め兼ポーカーディーラーのゲンドウ。
巧みな話術でお客を煽ってコマを張らせる、丁半博打の壷を振る青山キシン。
以前、潜入取材をした時に覚えた技で、ある程度は狙って00(親の総取り)が出せるルーレットディーラーの黄島タケシ。
華麗なツミコミ技術で着実に二着を取って、サシウマ分をゲット。
トップも取らなければマイナスにもならない影の凄腕雀士、赤城ケンゴ。

とまあ、急造チームにしては、中々人材が揃っていたのだが、如何せん客層が悪かった。
お客である一般作業員達。基本的に彼等は、火星に出稼ぎに来ている為、
大抵の場合、大部分の給料は地球の口座行きで、その懐には小遣い銭程度の金しか無かったのである。
おまけに、此処にはATMも無ければ消費者金融も無い。
自力で貸し金業まで始めるには頭数が足りないし、イザという時、無理矢理取り立てるだけの力も無い。
従って、お客の懐具合に合わせた低レートの掛け金設定にせざるを得ず、人の生血を啜る筈だったソレは、今や気軽に遊べる紳士の社交場になってしまっているのだ。

ハッキリ言って、初期の目的は全く果されていない。
しかも、娯楽の少ない職場という事もあって、他の職員達から結構感謝なんかされているもんで、今更止めるに止められなかったりする。
まあ、何故か、ついぞ縁の無かった人望なんかが付いたりして、黙っていても玉石混交に様々な情報が入ってくるという思わぬ副産物が得られている故、
メリットがゼロという訳でも無いのだが。
とは言え、このままでは、来年やってくる運命の日に動けない。
ユイ奪還の唯一の手段であるサードインパクトを、指を咥えて見ているしか無くなってしまう。
それを避けるには、やはり纏まった額の活動資金が不可欠だろう。

更に思考を進める。
今、手元には、9カ月分の給料(ゲンドウが3ヶ月分、他の三人が合わせ6ヶ月分)と、それとほぼ同額の賭場の売上金がある。
これに、今回の事故の労災と特別手当。総額でどの程度の価値を持つかは、比較基準が無いので良く判らないが、
職員達の話しを聞くに、此処は金払いだけは良いらしいので、それなりな額の筈。
コレを元手に、地球のアンダーな賭場で勝負を掛ければ、或いは………

「時計の針は戻らない。だが、自らの手で進める事は出来る。(ニヤリ)」

素早くそんな皮算用を終えた後、何時ものポーズを決めつつ、ゲンドウは地球行きを承諾した。

無論これは、誰にとっても想定外なイレギュラー。
オオサキ提督が木連に出向中でなければ確実に止めただろう。
プロスさんが火星に居たならば、やはり止めたろう。
7月7日。和平一周年記念祭が目前でなければ、誰かが気付いたかもしれない。
また、フィリスが火星に居たならば。それ以前に、落盤事故が起こらなければ、こんな話自体が出なかった筈。
正に、天文学的な確率を掻い潜っての珍事である。
やはり彼は、信じ難いまでに神懸り的な豪運の持ち主だった。

かくて、釈迦の掌からまんまと脱け出した、孫悟空ならぬ碇ゲンドウ。
その活躍は、次回の講釈で。




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