>SYSOP

時に、2015年7月22日。
少々時間を遡り、日付はオオサキ提督とアクア=マリンとの会談が行なわれた日の前日に。
名目上は作業用重機の製作工場ということになっているゼーレの某秘密工場が、正体不明な敵の襲撃を受けていた。

「「「おっとっと。(トン)こむらがえりで夜も明ける」」」

そんな中、何故か工場の作業員達は、ケンケンの体勢から大きく踏み込みクルリとターン。
軽快なステップで、さる舞踊を。それも、長年の重圧から開放されたかの様に、心から楽しそうに踊っていた。
100人を超える人数でありながら、息はピッタリ。
全員が、一個の生き物であるかの様な連帯感が感じられる動きだ。
今、彼等の心は一つだった。
だが、そんな清々しさとは裏腹に、もうすぐ30歳の大台に乗るとある男の目は、サングラス越しにでもハッキリと判るほど澱んでいた。

「これは何だ?」

やがて彼は、何かを諦めたかの様な声音で、隣でニコニコしている褐色の肌の少年にそう尋ねた。

「何って。兄貴の指示通り、全員の武装を解除しただけッスよ」

打てば響くといった調子で、そう答える褐色の肌の少年。
だがそれは、サングラスの男が求めるそれとは違うものだった。
暫し瞑目し、心を落ち着かせようと試みる。

「「「姐さも俺さも、だっちょで、だっちょで、よい、よい、よい、よい!」」」

だが、外界からの騒音が。楽しげな祭囃子の声が、彼の忍耐袋の尾を切った。

「そうじゃなくて『何で裸踊りをさせているのか?』と聞いているんだ!」

「いやだって、確実でしょこれなら? それに、数を頼みに反攻される危険性も無くなるッス」

激昂するナオに、イマリは悪びれもせずそう答えた。
いや、それどころか『さあ誉めて』と言わんばかりな、邪気の無い。
良い仕事をした者だけが浮かべる晴れやかなその笑顔に絶句するナオ。
そんな彼に向かって畳み掛けるかの様に、

「確かに、以前より弱体化して、今じゃ簡単な暗示が精一杯ッスけど、まだまだコレくらいは出来るッス。
 萌える正義のエレパス込めてッス。いずれ、あと3人仲間が揃ったら、円月回転や一文字崩しだってやってみせるッス」

「やらんで良い! いやそれ以前に、頭数を増やしてど〜する!」

「(フッ)戦いは数ッスよ、兄貴」

「ああもう、口を開けばアホな事ばっかり言いやがって。そんなんで良いのか、お前は!」

「いや『そんなんで良いのか?』って言われても………」

再び激昂するナオの剣幕に、取り敢えず、小首を捻りつつ沈思黙考してみるイマリ。
正直、心外な評価だったが、人生経験豊富な兄貴を言う事。何か自分が気付かなかった様な問題点があるのかも知れない。
そんなこんなで十数秒後、

「(ハッ)そうか! これだと出生の秘密がバレて迫害されたり、
 モ○ール帝国との戦争が終ったら、用済みとばかりに少年院に逆戻りになっちまうッス! ど、どうしましょう兄貴!」

「俺が知るか〜! とゆ〜か、そういう意味じゃね〜!」

と、心ならずも弟分(2015年の戸籍上では従兄弟という事なっている)なイマリに、ナオが人の道を説いていた時、その背後から、殺気とさえ呼べない猛烈な邪気が。
それを感知するや否や、頭で考えているより先に、鍛え抜かれたエージェントとしてのカンが反射的に回避行動を実行する。

「(ガシッ)君は君で、何をしている?」

無針注射器を持った襲撃者の手を握りながら、ジト目で詰問するナオ。
そこには、もう一人の部下が。場違いなまでに扇情的なスリットの入ったチャイナ服を着込んだ美女が、イタズラが見付かった幼女の様な仕草で誤魔化し笑いをしていた。

「いやその。ナオ様ったら最近お疲れみたいだから、さっき偶然見付けた睡眠薬で、チョッと安らかに眠って貰おうかな〜って♪」

「莫大な御世話だ! しかもそれを、疲弊させている張本人から言われたくね〜」

無理のある釈明に、イマリのそれと似たような調子で激昂するナオ。
以前であれば、百華を相手に此処まで声を荒げる事など無かっただろう。
だが、少女的だった頃とは違い、今の彼女は『外見的には』大人の女性。
無意識の内に、笑って済ませられる許容限界の基準が厳しくなっているのかも知れない。
だが、そんな彼の詰問に、百華は頬を赤らめつつ、

「い…いやだわ、ナオ様たら。『お前が寝かせないからだ』なんて。子供の前で………」

消え入りそうな声で、そんな事を呟いた。
どうも、見事なまでにフィルターの掛かった耳をしている様だ。
ひょっとしたら、彼女には宮間家の血でも流れているのかも知れない
特殊な生い立ち故、その家系や血筋は一切不明なだけに『無い』とは言い切れない所が怖い。

「駄目ッスよ、姉御。もっと自分を大切にしないと」

「(フッ)そうね。世間に顔向け出来る様な関係じゃない事は判っているわ。
 でもね。女には、そんな虚ろなものにさえ縋りたくなる時があるのよ。貴方も大人になれば、何時かは判る日が来るわ」

口をパクパクさせて絶句したナオを尻目に展開する、イマリと百華の昼メロっぽい会話。
だが、そのまま終るほど二人はスレていない………否、常識人では無かった。

「幸い、まだ兄貴とミリアさんの婚姻届は受理されていないッス。
 今のうちに、抜け駆けするのが上策ッス。
 不肖、このイマリ。兄貴と姉御の幸せの為なら、市民役場の職員を操るくらいの汚れ仕事なんぞ、何時でもヤレる覚悟ッス」

「(ポン)なるほど、その手があったわね。それじゃ早速………」

「止めんかオマエ等! つ〜か、そんな真似をして、ドコに俺の幸せがある!」

「「此処に」」

渾身の制止も虚しく、己の胸を指差しつつ、躇いも無くそう言い切る百華とイマリ。
かくて、今日も今日とて、どこかの赤い弓兵も真っ青な勢いで磨耗してゆくナオだった。

これじゃ、敵だった頃の方がマシなのかも。
胸中で、そんな愚痴を零してみる。だが、すぐにそれが無意味な仮定である事に気付く。
何せ、たとえどんな陣営に属して居たところで、この二人が自分を狙ってくるという結果に変わりは無いのだ。
いずれは、今以上に追い詰められる事となる可能性さえ低くは無い。
結局の所、ナオにとって彼女達は、敵にしても味方にしても危険過ぎるコンビだった。



   〜 三日後。第一中学校 2Aの教室 〜

その日、万年ジャージな少年。鈴原トウジは、極度の緊張状態にあった。
それというのも、修学旅行から帰還して一週間後を初日とした三日に渡って。
日程的に些か無理があるが、諸般の事情からそう決まった、今後の彼の人生を決定する運命の決戦の最終章が始まったからである。

瞼を閉じれば、あの激闘の過程が蘇ってくる。
親友達を巻き込んで。更には、カヲリという願っても無いアドバイザーを得ての特訓の日々。
正に、必勝体制で望んだ三日間だった。
その結果が、もうすぐ告げられるのだ。
無論、勝算が無いわけではないが、彼の性格では、泰然としていろと言う方が無茶だろう。

「次、トウジ」

と言っている間にも、彼の順番が来た。
デット・オア・アライブ。運命のジャッジが書き込まれた7枚の用紙が、今、北斗の手からもたらされる。
一枚目、二枚目と確認してゆく。そして、最後の7枚目、

「おっしゃあ、オーラスも48点じゃい!」

結果は勝利。首尾良く彼は、目前まで迫っていた『零夜のおしおき』という名の死の顎から逃げ切り、己の生を勝ち取ったのだった。

「(ハア〜)威張る様な点数じゃないだろ、トウジ」

「はっはっはっ、何とでもでも言えや。この感動の前には微々たるもんやで。
 何せ、わし、理科と算数で40点以上取ったんなんて、小学校4年の時以来やからのう」

ため息と共に洩らされたケンスケの苦言もなんのその。
我が世の春とばかりに、頬を緩ませ悦に入るトウジ。

「嬉しいのは判ったからさ、せめて物理と数学って言おうよ」

無論、シンジのこの言葉も、彼の耳には届かなかった。
ちなみに、今回の期末テスト。いつものメンバーの成績は、

相田ケンスケ :中の上。今回は、トウジの面倒を見たこともあって、割と真面目に勉強した成果。
綾波レイ    :上の中。前回より学年順位は若干上昇したが、国語の点数はやや落ちた。
碇シンジ    :中の上。前回より学年順位は若干落ちたが、対使徒戦を始めとした前後の事情を考えれば、仕方ない事だろう。寧ろ頑張っているとさえ言える。
鈴原トウジ   :下の中。死亡判定を回避すると共に、ほぼ元通りの成績に。今回は赤点一つ。
カヲリ=F=H :今回も学年次席。蛇足だが、結果発表の際『私、一体何をしてるのかしら?』といった感じの虚無感を覚えたのは、彼女だけの秘密。
日暮ラナ    :今回も学年主席。既に中学レベルはクリア済み。後は答えを埋めるだけで満点な状態。
洞木ヒカリ   :中の上。色々心労が重なっているにも関わらず、常に己の立ち位置をキープし得る彼女の底力に乾杯。
山岸マユミ   :学年7位。だが、試験勉強中、カヲリが彼女の挙動不審に気付かなかったら、全科目白紙答案を出していた可能性も。
          理由はまあ、トウジの様に赤点を取る事とだけ言っておこう。

と、こんな感じだった。
そして、注目のルーキー、魚住ウミの成績は、

「う〜ん。見事にペケばかりが並んでいるな。いや、これはこれで美しい」

なんと、あの野比の○太や磯野カ○オでさえ、狙ってやるのは不可能とまで言われる伝説の荒技。
全力で全問を書き込んでの全科目0点だった。

此処で、ラナの事例とした使徒娘の特性から、不審を覚える向きもあるだろう。
実際、彼女は決して馬鹿では無い。
それ所か、己が得意としている分野の知識だけは、既にプロ顔負けなものがあったりする。
過日、ウミが某専門誌に投稿して発表した論文。
『南極大陸の完全開放によるシロナガス鯨の絶滅回避の可能性』は、
大部分の学者が『机上の空論』と、切って捨てたものの、採算を度外視するならば、充分実現可能な計画。
一部のマッドが入っている者等には『鯨の事を第一に考えるならば最良の手段』と、絶賛を受けている程だ。

もう、お判り頂けた事だろう。
そう。彼女の頭には、中学校で習う勉学の知識など、まったく入っていない。
故に、たとえどれほど優れたCPUと記憶領域を兼ね備えていようとも、正しい答えなど得られよう筈がないのである。
この辺、とある昔の検証番組にて、某東大教授に小学生向けの漢字書き取りテストをやらせたところ、30点も取れなかった故事に通じる………
否、それを極端にしたものと言えよう。

「お…お前、どないする気や、それ?
 多分、学年でダントツのドベ。しかも、全科目赤点間違いなしやぞ」

その恐怖を身をもって知るドウジを筆頭に、心配する周囲の友人達。
だが、当の本人にとっては、どこ吹く風。
寧ろ、外付け良心回路たるナッピーからの苦言の方が耳に痛そうだった。
そんな、派手なウミの活躍(?)の陰にあって、

「(プルプル)嘘よ。こんなのデタラメよ。所謂、ジャパニーズ『ドッキリ』ってヤツよ、きっと」

もう一人のルーキー、アスカの点数は、平均35点と地味に悪かった。
一応、その弁護をさせて貰うなら、これは当然の結果だろう。
何しろ、試験勉強にかまけている暇など、作戦部長補佐役兼エヴァ初号機サブパイロットである彼女にある筈が無いのだから。
無論、本編でも大学を主席で卒業した知識があり、実質的な知力は寧ろ進歩傾向にあるのだが、
勉強もせずに『漢字が碌に読めない』という弱点が改善されるほど世の中は甘くない。

「ううっ。私、汚されちゃったよ、ナオさん」

そんな訳でアスカは、TV版のそれよりも更に惨憺たるテスト結果を前に、幸か不幸か誰にも気付かれる事無く、その身を屈辱に震わせていた。



   〜 二時間後。芍薬の101号室 〜

「お前達が取るべき道は、二つに一つだ」

自宅に召集した2Aの赤点三人組を前に、北斗は淡々とそう切り出した。

「一つは、俺の知り合いに教えを請う事。これは、ほぼ確実な手段だ。
 仮に、お前達が猿よりも馬鹿だったとしても、中学レベルのテストなど、三日もあれば余裕で満点が取れる様になるだろう」

「そ…そないな凄い人が居るんでっか、センセ」

恐る恐る、そう尋ねるトウジ。
なんとか落第は回避したものの、7科目中、英語だけは赤点に。
結果、零夜に『追試は必ず合格しなさい』と厳命されている彼にしてみれば、願っても無い話である。

「ああ、効果の程は俺が保障しよう。ただし、それは生きて帰って来れればの話だ」

「あの、『生きて帰れれば』って。ヤルのは勉強なのに、おっ死ぬ可能性があるんでっか?」

「勿論だ。とゆ〜か、お前等程度の精神力では、そうなる可能性の方が遥かに高いぞ。
 実際、もう一度アレの授業を受けろと言われたら、俺でも後ろも見ずに逃げる。そういう過酷な極まりないものだ」

「「「……………」」」

絶句する三人組+付き添いで来たその友人達。
そんな中、『猿よりも馬鹿』の部分にカチンときて、反射的に『やってやろうじゃないの』と言いかけていたものの、
今や『嗚呼、言わなくて良かった』と、そっと胸を撫で下ろす、赤点三つのアスカだった。

「もっとも、赤点7つのウミには選択の余地は無い。
 追試までの三日間。もう予約は入れてあるから、これからすぐ逝ってこい」

「え〜! 今日は五時から、海のト○トンのマラソン再放送があるのに〜」

「諦めろ」

ウミの状況認識が出来ていない繰言を、言下に切って捨てる北斗。
だが、不意に何かを思いついたらしく、

「いや、待った。おい、ケンスケ」

「はい」

「今、ウミが言ったヤツをDVDに録画しといてやれ」

そう命じた後、再びウミの方に向き直り、

「帰って来たら、褒美にそれをくれてやる。だから、少しは根性を見せてみろ」

そんなこんなで、ウミの問題は些か強引ながらも片が付いた。
だが、残りの二人。アスカとトウジにとっては、此処から本題だった。

「もう一つは、自力で追試の勉強をする事だ。
 もっとも、万一これに失敗した場合は、判っているだろうな、お前等

((判りたくないわよ(ありましぇん)))

機せず、胸中でそうハモるアスカとトウジ。
だが、北斗の眼光を前に、口に出しては反論出来ない。
そう。『死を覚悟しなければならない超スパルタ教育』と『しくじったら何をされるか判らない実力勝負』。
冒頭の彼の台詞通り、この究極の二択以外に道は無いのである。

「それで、ドッチが良い?」

「「……………自主勉強でお願いするわ(しまふ)」」

再びハモりつつ、当座の安全が確保された日和った選択をする二人だった。
それを確認した後、この件はもう片付いたとばかりに声音を変えると、北斗は優等生な方の弟子に向き直り、

「良し。それじゃあシンジ、これからチョッとした特訓をやるぞ。
 ああ、安心しろ。追試に向けて、あの二人が行なうであろう苦行に比べれば大したモンじゃない」

ニヤリと笑いながらそう宣まった。



   〜 20分後。第一中学校のプール 〜

「よっこらしょっと(ガコン)」

そんな掛声と共に、北斗は水の抜かれたプールに、持ってきたドラム缶の中身をぶちまけた。
それは、ツンとした柑橘系の臭いで泡立つ液体。どうも洗剤っぽい物の様だ。

「これから三日間、お前には此処の掃除をして貰う」

「判りました」

北斗の指示に頷きつつ、彼の手からデッキブラシを受け取るシンジ。
先程の言葉通り、さほど厳しい特訓では無いと、胸中にてホッと安堵しているのは此処だけの秘密。
その辺の事情を顔に出さない訓練は、日々欠かした事の無い彼だった。

かくて、足取りも軽くプールの底へと向かう。
だが、手摺に手を掛けた瞬間、

   ツル

まるでウナギでも握ったかの様に手が滑り、結果、ダイレクトに底まで背中から落下する事に。
受け身は間に合ったし、実質2m弱ではあるが結構痛い。
そんな悶絶中の彼に向かって、

「ああ。言い忘れたが、その洗剤はイネスの調合した特別製でな。
 汚れが良く落ちる代わりに、摩擦力も限り無くゼロになるという代物だ」

「先に言って下さいよ、そういう大事な事は」

寝転がった体勢で痛みに堪えつつ発したシンジの抗議を『まあ、そう怒るな』と、いなした後、

「兎に角、校長には許可を取ってある。
 三日以内ならば、どれだけ時間を掛けようが、どういう掃除法をしようが構わんから、好きにやれ」

そう言いながら、北斗は用意したデッキチェアにドカリと座り込み、
これまた用意してあったポップコーンを報張りながらの観戦モードに入った。



   〜 20分後。 鈴原邸、トウジの私室 〜

「で、惣流の方はカヲリさんが、お前の方は俺が、マンツーマンで家庭教師をやる事になった訳なんだが………」

と、此処で一旦言葉を切り、念の為、部屋をキョロキョロと再度見回した後、ケンスケは、この部屋の最大の問題点について訪ねた。

「一つ、聞いても良いかな?」

「ん?」

「この部屋、勉強机が見当たらないんだけど………」

「ああ、無いで」

「無い?……………って、それじゃあ普段、どこで勉強してるんだよ?」

「いや、勉強せえへんもん」

『判っとるクセに』とばかりに、軽く裏手でツッコミを入れるトウジ。
だが、ケンスケには、それに応える精神的余裕が無かった。
既に1年以上の付き合いになるが、情報収集対象者以外へのプライベートには干渉はしない主義だっただけに、この部屋に訪れたのは、実は今回が初めて。
故に、自分の親友が、こんな特異な学生生活を送っていたなんて、全くの予想外だったのだ。

「いや〜、わし、マンガ読むのもTV見るのも青春のリピードーも、ぜ〜んぶベットの上やからのう。
 センセの所に弟子入りする前は、飲み食いかて此処やったし」

やけに綺麗な教科書だったとは思ってたけど………どうりで。
期末試験前、ラナの所で開かれた強化合宿中の三日間。
あの時、フッと感じた疑問が氷解したが、正直、ちっとも嬉しくない。

「そ…そうなんだ」

カラカラと笑うトウジを前に、相槌を打つのが精一杯なケンスケだった。

「こういう構文の場合は、関係代名詞から後を先に和訳して、それを頭に持ってくるのが問題を解くコツかな」

取り敢えず、頭に浮かんだ諸問題の数々を一時棚上げし、ベットの上にて授業を開始。
ノートに要点を書き上げつつ、ケンスケは英語の必勝法を伝授した。
正直、下が柔らかいのでスラスラとは。ぶっちゃけ猛烈に書き難い。
一瞬、過日の様に。大きな卓袱台と各種非常食が兼備されているラナの所へお邪魔しようかとも思ったが、あそこは仮にも勤務先。
従姉妹であるカヲリの同席という大義名分無しに、私用であそこを使用するのは、流石に公私混同が過ぎる気がするので止めておく。

この辺、妙に真面目と言うか義理堅い彼だった。
だが、そんな胸中の葛藤など、どうでも良くなる様な事態が勃発。

「カンケイダイメイシって、なんや?」

そう。彼の教え子の英語力は、予想以上に低かった。

「ん? どうしたんや?」

「チョ…チョッと待ってくれ」

不思議そうな顔で尋ねてくるトウジの問い掛けを制止し、深呼吸して心を落ち着かせる。
ハッキリ言って、これは完全に想定外の事態だった。
過日、『わしは算数と理科が苦手じゃ』という自己申告を鵜呑みにし、その二教科を中心に教えた事が、心底悔やまれるケンスケだった

「判った。一番簡単な英文和訳の仕方を教えよう。
 いいか? まずは判る単語だけをどんどん抜き出して、取り敢えずデタラメに文章を作ってみる」

「ふんふん」

「次に、判らない単語は全部カタカナで書き出しちゃって、無理矢理に文章にする。
 そうだな。たとえば、この文章でlong hairとjudgeの意味が判らなかったら、
 そのまま『ロングヘアの男は正しいジャッジをする事が出来なかった』って、感じに書けば良いんだ」

「ふんふん」

「もう、判らなかったら兎に角カタカナ。
 たとえ訳文が間違ってても、部分部分が合っていれば、細かく点数をくれたりするんだから。
 特に、今度の追試の。英語の神楽坂先生の採点は甘めだから、これだけで結構点数が稼げると思うぜ」

「なるほどのう」

感嘆しつつ、ケンスケの講義に耳を傾けるトウジ。
その内容は、割とポピュラーなものだったが、彼的には想像さえした事の無いもの。
目から鱗な試験テクニックだった。

「それじゃ、この長文を訳してみて」

「おう」

かくてトウジは、伝授された技を頼りに悪戦苦闘。
ウンウン唸りながらも、五分程で設問の答えを埋めたのだが………

「どれどれ。『ガイはハードリーなジュピタースのエニーストリートネームがグレートソードマスターだ』って、幾らなんでも全部カタカナで、ど〜するんだよ!」

その効果の程は芳しくなかった。
かくて、『これならイケる』と思っていた策が通じず、進退窮まる家庭教師ケンスケ。
暫し沈思黙考を。そして、彼が選択した打開策は、

「(フ〜)さ〜て、そろそろ御暇するか」

「って、何をアッサリ見捨てに掛かってんじゃい」

「すまないトウジ。俺はもう、お前には付き合いきれないんだ」

匙を投げて帰ろうと立ち上がったケンスケの胴を掴み、必死に引きとめようとするトウジ。
腕力では勝るものの、うつ伏せに寝転がった体制からなので、上手く力が伝わらない。
結果、両者の間で均衡が取れ、ジタバタともがく事に。と、その時、

  ガチャ

「さ…差し入れ、持ってきたんだけど………その。お邪魔だったみたいね」

お茶と塩煎餅の盛られたお盆を持って、妹のアキちゃんが、トウジの私室を訪れた。
一瞬前とは打って変わった蒼白な顔。お盆の上の湯呑みもカチャカチャと音を立てている。
だが、トウジは、そんな妹の狼狽振りに気付く事無く、

「おう。珍しく気が効くやんか」

普段と変わらぬその口調に幾分動揺を抑えられたらしく、アキちゃんは、どうにかお盆を二人の居るベッッドの上へ。
そして、そこで意を決し、

「お兄ちゃん!」

「な…なんや」

「世間の風当たりは強いと思うけど、私とケイタさんは、絶対お兄ちゃんの味方だからね!」

「お…おう」

トウジに向かってそう激励した後、ケンスケにペコリと頭を下げる。
そして、そのまま振り返らずに。目の錯覚か、普段よりも大きく感じられる背中を見せつつ、アキちゃんは部屋を出て行った。

「なんやったんや、アレ?」

常ならぬ妹の態度に首を捻るトウジ。
だが、ケンスケ的にはそれどころでは無かった。

一つの部屋。一つのベットの上。
そこで、息を弾ませながら絡み合う二人。
しかも、ある意味、痴話喧嘩の様な会話。

出来れば判りたくは無かった。
だが、彼の鍛え抜かれた状況分析能力は、アキちゃんが誤解するのも無理はないと告げていた。

「どうしよう? バレちゃったよ、トウジ」

「って、何がや?」

取り敢えず、捨て身のボケに走ってみたが、アッサリとボケ殺しに。
此処で、ケンスケの堪忍袋の緒が、何本かまとめて景気良く切れた。

「ああもう。人がギャグに走って、致命的な誤解を受けたショックを誤魔化そうとしていたのに。
 やっぱ、お前とはコンビをやっていけないぜ」

「ナニゆ〜とるんや、ケンスケ。わしは、お笑いの本場、関西の出やで」

「そこまで言うなら場の空気くらい読めよ」

「(チッ、チッ、チッ)あえて全く読まへんのが、わしの芸風や」

そんなこんなで、試験勉強はイマイチはかどっていなかった。
二人だけでは。シンジという突っ込み役が不在だと、どこまでもボケ続けるしかないトウジとケンスケだった。




その頃、芍薬の103号室では。

「は…薄情者〜」

急遽、外せない仕事が入ったカヲリに置いてけ堀にされたアスカが腐っていた。
と言っても、家庭教師役が不在な訳では無い。
それどころか、学年の成績上位者が二人者も揃っている。
また、カリキュラムの方も万全だった。
どうやって揃えたかは知らないが、過去のテスト問題の出題傾向から予測された、赤点を取った教科の模擬テストが、それぞれ5枚。
これらの問題が『読める様に』なれば、それだけで結構な点数が取れるだろう。
結局の所、頭では仕方ない事だと判っていても、感情が付いてこないだけなのだ。
この辺、他の二人も同じらしく、勉強会の雰囲気はかなり暗かった。

「ちぃ〜ッス。差し入れを持って来たッス」

と、そこへ、スナック菓子と清涼飲料水の入ったコンビニ袋を下げたイマリが来訪してきた。
丁度、煮詰まっていた事もあり、遠慮なくそれらを口にする三人娘。
普段の食生活に不満がある訳ではないが、偶に食べるこういうジャンクなものは、また別物。結構嬉しかったりする。

「(ポリポリ)それで、調子の方はどうッスか?」

「(ポリポリ)駄目ね。アタシ、漢字とは徹底的に相性が悪いみたい。特に、国語の古文系問題は壊滅的だわ」

場が多少明るくなり、ポテチを摘みつつ談笑する。
普通、女の園(?)に異性が入ってきたら少しは警戒するものだが、目の前の少年からは、何故かそういう下世話な事を意識させない何かがある。
この辺はもう、ナオさんにソックリ。顔立ちは全然似ていないが、イマリが歳の離れた従兄弟である事を実感させれくれる。

「ああ、そうそう。ミリアさんなんですけど、今日は帰れないそうッス。
 どうも、一年生に悪質なカンニング行為をした生徒が出たらしくて、緊急会議があるみたいッス」

「判ったわ。でも、良く教えてくれたわね、そんなヤバイ話」

イマリから告げられたメッセージに頷きつつも、そう問い返すアスカ。

「そんな訳ないっしょ。  ミリアさんってば、珍しく言葉を濁したもんだから、それを気にした兄貴が調べ上げたんッスよ」

「へえ〜、なるほどねえ………って、何によ二人共」

イマリの返答に、さもありなんと頷いたアスカの肩を、レイとマユミの二人が、それぞれ掴んだ。
そして、顔にオドロ線でも出そうな沈痛な声音で、

「駄目よアスカ」

「そうです。気持は判らなくもないですけど、絶対駄目ですよカンニングなんて。
 所詮は一時凌ぎ。一回二回は上手く行ったとしても後が続きません。それに、バレたら大問題です」

「って、どういう目でアタシを見てるのよ、アンタ等は〜!」

「「首の皮一枚まで追詰められた落第候補生」」

「うが〜〜〜っ! そんな人聞きの悪い事、ハモって言うな〜!」

ジャレあって騒ぐ三人娘。
だが、そんな姦しい彼女達に、冷水を浴びせるが如き一言が。

「そうッすね。カンニング云々は兎も角、ミリアさんを困らせるのは拙いッス。兄貴が怒るッス」

「ナオさんが?」

「はい。今頃はきっと、そのカンニングをした生徒にとっても丁寧な生活指導をしている最中ッス」

「そ…そうなんだ(汗)」

取り敢えず、『たとえ落第する事になってもカンニングだけはやるまい』と胸に誓うアスカだった。



   〜 翌日。放課後、第一中学校のプール 〜

半ドンで授業が終り、友人達がそれぞれの勉強会をすべく下校した後、今日もシンジは、プール掃除の続きに励んでいた。
始める前にホースで水を撒かれ、洗剤の方も追加されているので、条件そのものはさして変わらないにも拘らず、
立ち上がる端から転んでいた前日とは違い、その姿は結構サマになってきている。

    ゴシゴシ、ゴシゴシ………

デッキブラシを持つ手にも力が篭っていて、それを杖代わりにしていた昨日までとは大違い。
流石に転倒ゼロとまではいかないが、それでもコツの様なものは既に掴んでいる様だ。
それを肯定するかの様に、監督中の北斗の態度は、もう完全にダラケ切っている。
デキチェアー寛ぐその姿は、まるで日なったぼっこを楽しんでいる子猫の様な………
と、言うには少々無理があるが、それでも猫科の動物特有な、気怠げな空気を発していた。

「ふあ〜っ」

思わず欠伸を一つ。と、その時、

「(ガシッ)何の真似だ?」

そんな弛緩しきっていた彼に向かって、突如、飛来する短刀が。
無論、だからと言って当たる筈もなく、その柄を掴んで軽々と止めると、北斗は誰何の声を掛けた。

「(クスクス)あ〜良かった。当たっちゃったら、どうしようかと思ったわよ」

微笑と共に、そんな事を言いながらロッカールームの陰から姿を見せる、この時代のTPOに合わせたレディスーツを着込んだ妙齢の美女。
それは、真紅の羅刹の後見人であり、彼にとって数少ない頭の上がらない人物。東 舞歌その人だった。

「当たるかよ、馬鹿」

「あら。『当たりそうね』って思える程度には、イイ感じに隙だらけだったわよ」

憮然とした北斗の返答をいなしつつ、舞歌はゆっくりと彼の側に。
そして、暫しプールの底の掃除風景を物珍しそうに眺めた後、噂の主であるシンジに聞こえないよう、小声で話しかけた。

「それにしても。零夜から聞いてはいたけど、本当に基本を無視した教え方をしているのね。
 馬歩や弓歩といった歩形の基礎すら身に付いていないうちから、歩法の極みの一つを仕込むだなんて」

「仕方ないだろ。シンジには打突の才が欠片も無いんだから」

憮然としながらも、そう答える北斗。
だが、舞歌の追及はなおも続く。

「まあ、あの華奢な体躯じゃねえ。
 でも、それならそれで合気術を。崩しや投げを中心に教えるべきじゃないの?」

「お前、実は判ってて言っているだろう?」

「貴女こそ理解している?
 今、貴女がやっている事は、目茶苦茶だってことを」

その苦言に、北斗は憮然を通り越し渋面に。
そのまま二人の間に沈黙が流れる。1分、2分………5分も経っただろうか?
ついには根負けし、

「仕方ないだろ。手っ取り早くアレを強くしようと思ったら、虚を極めさせるしかないんだから!」

「その為には、木連柔術の奥義を初心者に教え込む事も辞さないと?」

「ああ、そうだよ! 悪かったな!」

彼は舞歌の術中に嵌った。

「ふ〜ん。随分と惚れ込んだものね」

クスクスと笑いながら、己の打った策の手応えを感じる舞歌。
彼女自身の経験に照らし合わすに、先程のやりとりは明らかに突っつき過ぎだった。
にも拘らず、激昂して手が出るどころか不貞腐れるだけとは。
何とも平和で、美味しいリアクションである。
彼自身には決して洩らせぬ秘密の企て。『北斗更生計画』は、順調に進んでいる様だ。
何より、彼女的には、彼が執着するものが増えた事が有難い。
これで、おちょくるネタが(コホン)いや、彼が内包する狂気を抑える手綱が増えたというものである。

「それにしても、チョッと過保護過ぎない?」

「そうか?」

「ええ。貴女の手の中で湿気ている物がその証拠よ」

自分の意図がバレている事を悟り、堪らず赤面する北斗。
そう。さして好きでもないポップコーンを連日オヤツにしているのは、イザという時、指弾の弾に。
シンジがマズイ転び方をした際のフォローの為に用意したものなのだ。

「まったく。今の貴女を優人部隊の面々が見たら『真紅の羅刹には稚児趣味が!?』って感じの噂が立つわよ」

さも呆れた様な口調の舞歌。
その言に、『俺の知ったことかよ』と、拗ねた様な口調で言い返した後、

「そんな事より、何時までコッチに居るつもりなんだ?
 とゆ〜か、何故に此処に居る? 酔狂もイイ加減にしておかんと、今に千沙に見限られるぞ」

口では勝てないとばかりに、北斗は戦術を変更。
手っ取り早く、イジメっ子を追い出しに掛かった。

「そんな邪険にしなくても、長居はしないわよ。他にも回らなきゃならない所があるしね」

「なら、こんな所に来るな」

「そうもいかないわよ。
 何せ、貴女の御執心のシンジ君は、計画の成否を決定する鍵。自分の目で見ておきたいと思うのが人情でしょう?」

そう言いながら、袋の中のポップコーンを一つ摘むと、

「で、思ったんだけど。彼を熱血主人公に育てるには、もうチョッとキツめの試練が。ぶっちゃけ、コレぐらいの厳しさが必要じゃなくて?」

舞歌は、北斗の意図とは逆の使い方を。
かなり慣れてきたらしく、わりと普通に掃除していたシンジに向けて指弾を発射。
狙い違わず、BB弾並の威力のそれが、フトモモを痛打。結果、彼は再び転倒する事に。

「それじゃ駄目。『立ち止まって』じゃなくて『前に進みながら』掃除なさい」

言うまでも無い事とは思うが、これは彼女的には愛の鞭。
押された方向に転がって行くボールの如く、全てを逆らう事なく受け流し、常に安定した重心を保つ為の歩法。
木連柔術の奥義の一つ、『球の型取り』と呼ばれる技を習得させるという本来の目的を、より効果的に学ばせる為の叱咤である。嘘じゃないよ。



   〜 同時刻。第三新東京市の某官邸 〜

そんな、一風変わった青春ドラマが演じられていた頃、とある盗聴対策が施された一室にて、とある計画が持ち上がっていた。

「………以上が、作戦の概要です」

「ふむ、特に不備はなさそうだな」

将官の軍服を着た初老の男の説明を前に、手元の資料を確認しつつ、いかにも上等そうなスーツに議員バッチを付けた政治家らしき男が頷いた。
だが、その中の一文に眉をひそめ、

「だが、どうして獅子王君と鳥坂君には伏せて行なうのかね?
 事は頭数が勝負と回線の調査。協力を取り付ければ、計画の成功率を高める上で極めて有効だと思うのだが?」

「それは、彼等を計画に取り込めと言う意味でしょうか?
 それとも、それぞれの配下の諜報部の人間を、公式な命令書も無しに借り出せと?」

「無論、後者だよ。次の選挙も近いと言うのに、余計な『借り』など作る訳にはいかない。
 たしかに困難である事は認めよう。だが、そこを何とかするのが君の仕事ではないのかね?」

そんなこんなで、利敵行為とも言える計画の実行を強要したばかりか、更なる無理難題をふっかけてくる、自分より20歳ほど年上の政治家に。
自身が身を寄せている派閥のトップの身勝手な態度を前に、『私は、こんなものになりたかったのか?』と胸中で自嘲しつつも、

「お戯れを。階級こそ私が上ですが、彼等はそれぞれ独立した…………」

それが明らかに不可能である事を。
また、仮に前者の策を取ろうにも、先の二人は性格的に計画に向いていない事などを、切々と語る魚住大将だった。




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